剛柔流空手道15
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自分とこが本部とか本流なんて言い出したら終わりですよw 同意。ちゃんとやってるところはごちゃごちゃ言わない。それで弟子もついてくる。先生が誰だの、うちが本流だの、ほんと伝統芸能に堕してる。 同じ空手、剛柔流でも所属団体によって型が変わる。理解が変わる。元は同じだったはず。
そこに疑問を持ち切実に悩み訪ねる黒帯の指導者の方達。幾年か悩み苦しみ諦め他の武術に問う人もいる。あんなにも空手が好きだったのにも関わらず。
申し訳ない。私の稽古会の参加者は95%がその様な方です。
今後、「内に求める空手」を修行する方が増えてくると思います。それはなぜか。現在の多様化する日本社会。
多種多様な人達と交流する中で自分とは何者か?日本人の精神は何か?と今まで日本人が感じにくかった疑問が出てくると思います。
そう考える中でそれこそが「和の心」であり「武道精神」であると
考えます。長年自分のしている事に自信が持てない。曖昧のままでは堂々と発信できない。と思う方がいると思います。
この様に日本人としての自己認識と世界に発信する為の独自性を再認識する為に「心の空手(武道精神)」を学ぶ方が増えてくると考えます。 どこの団体でも本部はある。
尚禮館に戻すのも許可を得ており、尚禮館の本部は都城市という当たり前の事。
同門同士なのでお互いに認める必要はあるだろう。
久場さんも元は同門だが尚禮館からは離れて完全に独立。
それぞれが得意な技や工夫があるわけだが本流も保存せよ。でなければ流派の特色がなくなる。 >>3
ちゃんとやっていない所が型を改変しながら剛柔流を名乗っている。
競技は競技としていいのだが、本来の用法を無視した見せる体育としての空手に偏るのなら沖縄剛柔流と本土の剛柔流を分けて考えるべき。
ここは本土空手のスレか? この人は空手団体を立ち上げて十段を名乗る人を批判しておきながら
自分は沖縄剛柔流の正当な継承者だと豪語して権威主義的なところが非常に矛盾してる 古伝の剛柔流を伝えるだけの事でしょう。
古伝に興味のない人は競技だけでいいのではないかな。
誰も押し付けてはいない。 >>10
渡口先生自体が十段も名乗っていなかったわけだが、師を超えたのか?
誰が認定したのだ? そもそも、範士十段がそんなにゴロゴロ存在するほうがおかしい話だ。 恐れながら古伝の空手とは?あくまで渡口先生の空手理解とその後のアレンジで以上、極端なものを除いて、他の分派とあまり変わらないのではないでしょうか。 自分たちのやり方と違うからといって、どうして本来の用法からかけ離れた見せる体育空手と見なされるのか。古伝というなら開祖宮城長順先生の空手がそれであって、型も制定の12以外にはないでしょうに。 >>15
古流の型は原理原則は同じです。競技の型では取り手に行く用法等がまるで使えないのです。
使い方も伝わっていない。
普及型は撃砕の前段階として覚えるなら次に進みやすいでしょう。(いたずらに増やしているのではありません。また、古流の原則から離れた型を創作して増やしているのでもありません。) 撃砕の型は、別名 統一普及型と呼ばれ宮城長順先生が撃砕第一、第二を創作しました。
さらにその後に六つの型を作る構想があったとの事のですが途中で亡くなられました。
(その後渡口先生が再構築しました)
では、なぜ、その統一普及型(撃砕第一 第二 撃破第一 第二、鶴破第一 第二、白鶴の型)が合計10あるかと申しますと…
剛柔流の古流型が鍛錬型サンチン、転掌合わせ10あるからです。
即ち、統一普及型を順序よく稽古すれば難易度の高い古流型を難なく学べる体系だと言う事です。 平川さん本人が書き込んでるのか?ツイッターと文体がやたら似てる >>21
亡くなる前から存在している公認道場。
尚禮館の空手を沖縄に里帰りさせてくれとの事。 元々は尚禮館
名称の由来
沖縄の誇りであった琉球の王である尚家の「尚」と守禮の邦の「禮」を字を頂き沖縄の伝統と誇りを守る空手として初代館長の渡口が命名した。
他の剛柔流空手との違い
渡口政吉は、宮城長順の空手の構想と遺志を受け継ぎ、当時未完成だった宮城の指導体系を再構築し新たに尚禮館の指導体系として完成させた。
普及型1・2・3
撃破第1 第2 第3
鶴破第1 第2
白鶴の型
分解組手
基礎組手(初段から十段)
古流型の分解組手
少年部用の沖縄のリズムで行うリズム空手
リズム棒術
1954年(昭和29年)沖縄県コザ(現在の沖縄市)で空手道沖縄剛柔流研究所尚禮館創立
1958年(昭和33年)鹿児島県奄美尚禮館創立
1962年(昭和37年)尚礼館目黒道場開設
1963年(昭和38年)東京都中野区に尚礼館開設
1963年(昭和38年)東京都中野区南部公会堂において、第一回尚礼館空手道大会主催
1965年(昭和40年)全沖縄空手道選手権および演武大会主催
1969年(昭和44年)東京本部道場新築し開設 もともと沖縄空手は人を育てても、組織を育てなかったので、分派もクソもない。これはワンマン組織でやってた極真や、組織しかない全空連系の発想。
複数の師にそれぞれ型を一つだけ習った話もよくある。
山口剛玄が一種微妙な黒歴史みたいな扱いなのは理由があるのよ。
沖縄空手から見ると、俺らの方が本家だ、という自負がある。
全空連剛柔会は、山口剛玄をパージした人たちが牛耳っているから、山口剛玄にはあんまり触れたくないんだろう。でも、剛柔会という名称は山口剛玄が付けたので、「剛玄をハブにしたくせになんでお前ら剛玄の剛柔会を名乗ってんだ」と批判された。 沖縄の剛柔流でさえそれぞれ違っていますね。本土の剛柔流といっても比嘉先生のお弟子さんの道場もあります。また剛玄先生も八木明徳先生を定期的に招聘しておりましたし、現在では宮里先生のお弟子さんを招聘していますよ。 沖縄諸派は、見た目の動作の派手コンパクトはあっても、分解(解裁)や思想に大きな違いはないよ。
指定型と寸止め組手を積極的に肯定する沖縄剛柔流の師範っていないよな。
子どもたちは試合が好きだし、国体やインターハイに出たい生徒もいるから、まあ渋々容認している感じ。内心では無駄で使えないと思ってる。
組手なら防具組手やフルコン、ライトコンタクト。型なら宮城長順から直接習った型があるのに、どっかの馬の骨が定めた紛い物の指定型なんてやってらんない、というのが本音だろう。 実際、段位と型については、八木明徳はじめ、沖縄諸流派の師範が、本土復帰~海邦国体の際に、全空連に猛烈に抗議しているんだよ。
剛柔流でいえば、八木明徳なんて、その時点で剛柔流の最長老だぞ。その八木に向かって「全空連で段位認定してやる」とか、「型を指定型に改めろ」ってあり得ないだろう。 しょうれいかんの人は五段だから低段コンプレックスで段位を否定したくなるのもわかる 中学生より弱い時点でそもそも空手じゃないよ。
沖縄は大半がにせもの、かじった程度で組手もやったことがないような、ウソツキ連中だから、そんなのに習っても、中坊にも勝てないのさ。 指定型などは論外ですね。ただし型の解釈において、本土の剛柔流も沖縄の剛柔流とさして変わらないと思います。突拍子もない解釈をするところもあるでしょうが、それは本土でもキワモノの部類に入りますよ。 沖縄ウソツキ道五段とか十段とかなんの意味もなし。
こどものころ、体育で宮城体操やっただけで、空手十段とか名乗られてもなあ。
ただの老人詐欺師じゃん。
スポーツの世界でで、実力証明なしで威張る詐欺爺いがいるの、この辺だけだね。
松濤館は大学空手部中心だから、実績のない師範なんていないし。
沖縄は宮城の名前を騙れば、中坊より弱い一般人でも月謝とれるなんて、詐欺天国だね。 沖縄って毎年成人式が荒れるのが報じられてるじゃん
つまり沖縄空手は青少年教育に失敗してるってことだよね たしかに剛柔流において、いかに技術を過不足なく発揮した自由組手の稽古を創出するか。これは現在においても果たされてていないと思います。 ただ、いかに素晴らしい技術でも約束組手に終始してしまう沖縄の剛柔流、本土の伝統を守る道場でも同じでしょうが、ある程度制限のなかでの自由組手はやるべきではないでしょうか。
そうでないと、いかに約束組手のなかでいかに技巧を凝らした技術を示しても、それは伝統芸能と見なされてしまっても仕方ない面があると思います。 型にも立ち方、挙動については習得順に身体を通せば上達しやすいと感じる
分解も、ひとつの型について知れば他の型の分解も見えてくる
あ、この場合の左右(上下)のバリエーションなんだって
カキエむっちゃ大事だなーとかも実感する
型と稽古に共通する部分があり一本の芯が入っている
武器の使い方にも共通する部分があって、ある種の感動すら覚える
本土空手とか批判されてしまう型は、変えた動作にそういう使い方が見えない
または公開した分解が「その場の攻防限り」で、流派の型に共通した部分が感じられない 新里先生は十三を絶えず稽古したと聞きます。すべての道はローマに通ずではないですが、空手においてはそういう面があったのではないでしょうか。 すべての型を全伝したというのは最近の価値観であって、制引戦と十三を練磨すれば、それで剛柔流の型の解釈という面では深いところまで行き得たのではないでしょうか 塔手(互いに手の甲を合わせた形、ブルーリーの映画でやってるような)から組手を始めればいいのではないかと思う
剛柔流の組手試合は
あと、掴みながらの打撃はそうじゃない打撃よりも、入ったときのポイントを高くする
はなれて突きが入る …1ポイント
掴みながら突きが入る…3ポイント など
はじめはぐちゃぐちゃのつかみ合い取っ組み合いになるだろうけど、だんだん洗練されてくると思う
それでも泥くさい組手になるだろうけど、それでいいと思う 別に自由組手の試合のシステムを整備しろということではなくて、稽古の中に自由組手を盛り込んでも飯のではないかということです。 綺麗な面でも袈裟斬りでも、遠い間合いでも近い間合いでも、殴られて意識失うなら同じです。ポイントがどうたらも議論としてはあって良いとおもいますが。
改めて掛手でしっかり掛けてや、その後の展開など、約束組手にはないような緊張感が生じるとおもいます。 >>43
じつは道場ではたまにやっています
面白いですよ あ、ポイントとかは勘定していませんが
自由組手ですね
気心の知れたひと同士なら加減も分かりますが、試合となるとルールを整備しないとけが人が出て危ないでしょうね 試合のルールを整備しだすと、試合に使える技しか練習しなくなるんだよ。入門者は試合が強い道場に入りたがるし、試合中心になると、そのルールで勝てない生徒は辞めていく。結果、試合優先の練習体系になる。
この点は、極真も全空連も同じ轍を踏んでる。
近距離での腹の叩き合い、ピョンピョン跳ねてサソリ蹴り、剛柔流なのに刻み突きの差し合いとか滑稽だよ。
自由組手はやるべきだが、ルールは毎回変えるくらいでちょうどいい。 >>48
他団体の範士十段も指導を受けに来てるからね
本物 沖縄ウソツキ道五段とか十段とかなんの意味もなし。
こどものころ、体育で宮城体操やっただけで、空手十段とか名乗られてもなあ。
ただの老人詐欺師じゃん。
スポーツの世界でで、実力証明なしで威張る詐欺爺いがいるの、この辺だけだね。
松濤館は大学空手部中心だから、実績のない師範なんていないし。
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なんの実力証明もないくせに。
沖縄でも嫌われ者のくせに。 まともな職業ももってない、乞食同然の部落やないか。 上地流がとくにひどいが、自称沖縄剛柔流なんとかも、乞食老人の詐欺ばかり ケンカも超弱い、学校も出てない、乞食同然の沖縄が、宗家とか正統とか名乗るな「
逮捕されるぞ、詐欺師老人ども。 大体沖縄流派の名人、高弟で、本土の高校空手部員程度に勝てるやつが何人いるか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています