木村政彦 2
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木村の柔道はパワー柔道だから自分より60kgも重い相手には勝てない
木村の体格は当時の無差別級の中では比較的でかいほうだ
それより60kg重いなどまさに規格外 >>528
加藤さんは90キロ級で身長174センチだから木村さんとそんなにサイズ変わらないって
大きいのは斉藤くんだよ 知っとるわ
木村が太刀打ちできない相手を圧倒してるから加藤のほうが強いって事だよバカ どんなに大きい相手でも腕絡み取るでしょうね
一発です、木村さんは握力が半端無いですから 握力強くて勝てるならストロンゲストマン王者が柔道やったら最強っすね ハンパない筋力に尋常じゃないテクニックがあるのが木村先生 100に0をかけても0にしかならない
パワーとテクニックが2つ揃うと最強 柔道において握力はそんなに重要じゃないと言ってるやろ おそらく木村は組手争い出来ないから、木村の時代のルールで今の柔道家とやっても
ピストルグリップで技封じられて負けるよ 現代柔道家と例え組み手争いで負けても投げ業を潰して寝業で仕留めるとこしか想像できんな
もちろん寝業は待てなし引き込み有りの戦前ルールな 組手争いで袖口取られても木村なら馬鹿力で奥襟取り返すだろw 確かに待て無しルールで寝技になったら今の柔道家は厳しいかもな 今の柔道家はサンタナ戦のようなVTできないだろう
出来る人いるなら名前あげてよ サンタナはそんなに強くない
あの時代本当に強かったのはカーウソン・グレイシー >>543
木村は打撃の練習してからサンタナ戦やってるだろ
MMAの練習すれば活躍できる柔道家はいっぱいいるはず
実際にやってみなくちゃMMAの才能があるかは分からないから名前挙げろと言われても困るが 組手争い舐めすぎ
馬鹿力で奥襟取れるなら苦労しないよ
ストロンゲストマンが柔道やっても何もできずに負けるだけ >>544
サンタナはカーウソンと6回戦って2敗4分けで現存する試合映像だとほぼ互角の展開
カーウソンの方が上にしてもそこまで強くないと言われるほど差がある訳ではない
https://youtu.be/sj-MECi2-qg >>547
1955年だとブラジリアン柔術にはまだ三角絞めもガードポジションもなかった。バーリトゥードと言っても転がり合ってるだけにしか見えんな ガードポジションは普通にある。
前三角絞めは諸説あります。 >>549
諸説ありって増田が言ってるだけじゃん。ガードポジションもエリオは2つしか知らなかった >>550
小野経由説は増田より柳澤健の方が先だよ
あとエリオ本人は全部自分が考えたって言ってるらしい(原文は読んでないけど)
>ガードポジションもエリオは2つしか知らなかった
ガードポジションはあったってことはあなたも同意でいいのね
2つは何と何でソースはどこ? >>551
たぶん方襟片袖と二重絡みだろうね。それにオープンガードとクローズドガードを加えてもいいけど >>553
そうだよね。
エリオがいくつガード持ってたか正確には知らないけど
ほかにハーフガードとバタフライガードもあるし2つってことはまず無いと思った。 >>554
>>554
片袖片袖、クローズド、オープン、二重絡みの4つだろな。オズワルド・アウベスが言っているのは。でもこれだと柔道よりガードポジションを知らなかったことになるけど >>552
ありがとう。すごいおもしろかった。
セルジオ・ペーニャの師匠としか知らなかったけどこんなにバリバリの柔道家だったのか。
リンク中にでてきた柔道銅メダリストでオズワルドも倒した石井千秋もグレイシーの弟子と一緒に練習してたし
柔道と柔術は活発に交流してたんだなあ >>555
二重がらみがあるならハーフガードは当然あるし、バタフライガードが無いってことはないでしょ
普通にスパーしててパスガードが2個しかなかったってこともありえないし
今が進化してることを強調したくて大袈裟に言ってるんじゃないの >>557
今が進歩してるというか、90年代ですら柔道の寝技レベルには追っついてない > >>554
> でもこれだと柔道よりガードポジションを知らなかったことになるけど
実際80年くらいまでは柔道から流入してきた技がかなりあるみたいだし
前田光世が渡海して以降の高専柔道の発展もあるし
この頃は柔道の方がガードや技の種類は多かったんでしょう
http://blog.livedoor.jp/toysnows/archives/18583602.html >>558
そこは信じたいものを信じればいいと思うけど
ガードが4種類、パスが2種類ってことは無いと思わない?
バタフライガードとハーフガードはまずあったでしょ >>525
加藤選手は、
ブラジリアン柔術ジムへの出稽古の画像を観ると、
正対(一方が下、一方が上になり、向かい合って行う寝技)の上が、
両膝をマットに着いていました。
これは寝技の出来ない柔道選手が、
往々にしてやってしまう、誤った体勢なのです。
(正しくは片足裏、または両足裏を、マットに着ける)
数年前、既に全日本を制していた時点でこれですから、
寝技はまだまだ、基本で大きく木村先生に及ばないと云わざるをえません。
抽象的じゃなく、こう具体的に観るようにしましょう。
>>546
実験すれば判りますが、
両手とも持たせてくれない相手にも、腕緘は行けちゃうんですよ。
端的に「持ち手争い殺しの技」と、云えるのです。
これも具体的に観れば(と云うか実験すれば)、すぐに判るハズなんですけど・・・・
ところで塩田剛三の、
木村先生に対する本音。
http://blog.livedoor.jp/gibson3457/archives/17991361.html
木村先生のいないとこじゃ、こんな事言ってたなんて、残念です・・・・
それにしても小島氏、
塩田剛三には心酔してます。
「人間はここまで強くなる。
技術はここまで研ぎすますことが出来る」
小島氏の塩田評、なかなかの名文ですね。 確かに塩田は強かったんだろうけどその強さに見合った評価を受けられなかった(少なくとも力道大山木村ほどは)
なのでその嫉妬にも似た感情が溢れてしまい結果ただの口穢い老人になってしまった >>559
為になるサイトだ、六高柔道部が開発した三角絞めがブラジリアン柔術にが伝わった経緯について詳しく書かれている
ベーリンギ柔術の重鎮 Sylvio Behring
「柔術のテクニックは常に変わっていくもんなんだ。外からの技術だってどんどん取り入れるのが当たり前なんだ。トライアングルチョーク(三角締め)だって、昔は
誰も知らなかった。でも30年位前(←すみませんここはうろ覚え)に、柔術のトーナメントに柔道家が出てきて、三角締めで片っ端から相手をタップさせて優
勝した。あのころは誰も防御法を知らなかったから。でも今では誰もがトライアングルを使うだろ。レッグロックだってそうだ。5年くらい前の柔術家はろくに使えなかった、、、」
他に英語版ウィキペディアではホーウス・グレイシー(1951ー82)が柔道の本で見つけたのが最初とあります。このことはロメロ・カヴァルカンティ
(1952ー)の他にもペドロ・ヴァレンテが証言しています。
三角絞めは小野安一がブラジリアン柔術に伝えたという説もありますが、見ての通りその説は否定されているのです(小野は1935年の対エリオ戦で
前三角を使いましたが、エリオは何をされているのか気づかなかったのでしょう)。
「ブラジリアン柔術の草創期において、スタンボスキはクローズドガード、三角絞め、アキレス腱固めの戦術を改革したことで知られていた。総合格闘
技において非常に高名な選手であったヒクソン・グレイシーからは、現在ブラジリアン柔術の象徴的な技のひとつとなっている三角絞めを広めた初期
の柔術家のひとりとして名前を挙げられている」
つまりブラジリアン柔術で三角絞めを(柔道の本で)発見したのはホーウス・グレイシーですが、普及させたのはスタンボスキなのでしょう。しかし本文
に三角絞めの戦術を改革したとあるのは明らかに事実の歪曲です。80年代に三角の入り方が発展したのは柔道界の話です。スタンボスキは柔道家
なので、これをブラジリアン柔術に持ち込んだというのが真相でしょう。 >>560
寝技を知らない人ならそんなもんでしょう >>561
>>両手とも持たせてくれない相手にも、腕緘は行けちゃうんですよ。
>>端的に「持ち手争い殺しの技」と、云えるのです。
無理でしょ、そんなことが本当にできるならパワーに勝る外国人選手や
国内の団体戦や全日本といった体重差の生じる大会でガンガン腕絡みが極まってなきゃおかしい 重量級やグルジアのパワー系の選手は両襟から技掛けるのが流行ってる気がする
今や腕絡みはレアな技になってしまったな
世界大会や全日本で見ることも殆どなくなった
最近だと阿部妹が極めたくらいか? >>566
最近は肩極めたら反則とられる傾向にあるから腕絡みは使い辛くなってる感じ
この前の世界選手権で阿部詩がプシャールに極めた腕絡みは上手かったけど
小川の息子がラヒモフに仕掛けた腕絡みは肩極めてたって事で反則負けにされた >>561
加藤の寝技はトップレベルだよ、先日の斉藤戦も後袈裟で勝っている
どんな瞬間かも分からない一枚の写真なんかより映像や実績を見よう >>567
エリオ時代のブラジリアン柔術だとそんなもん >>570
もしかしてハーフガードとかバタフライガードの意味がわからないのでは?
ググったらわかるけど足がらみと自分の足の甲を相手の足の内側にフックする形なだけだよ >>565
「そんな事が本当に出来る」という言に添えば、
発想がそう簡単に出てくるなら、
医療や数学の未解決問題は無くなるわけです。
現実には一つの未解決問題に、三百年以上かかってしまう。
要するに、発想自体がなかなか出てこないのです。
木村先生個人に関しては、
「寝ても立っても腕緘一発」という評価をつけたかたもいて、
本人も腕緘の名手なので、
「持ち手争いには腕緘」という発想も出てくるでしょう。
と云うか実験すれば判るのですが、ここはもう実験相手のいない、お年寄りの溜まり場なの?
>>569
それは抑え込まれた画像を観て、
「どんな瞬間かも解からない」と云うに等しいです。
明らかに正対の出来る出来ないの判断しうる瞬間が、あるのです。
正対以外の、確かに巻きは加藤選手巧いですが、木村先生を捕らえうるとは思いません。 >>525
現代の柔道家が戦前のしかも高専柔道で鍛え上げられた柔道家に寝技で勝てるわけがない >>572
腕緘一発と言ったのも木村政彦外伝の中で木村の弟子の岩釣と蔵本が言ったセリフで
同著の中では柏崎が腕緘は同体格にすら極まり辛い技とも言っている
実験すれば判るといっても世界でそれが主流になってない時点でオカルトでしかない
世界中の専門家が散々実験して効果的じゃないから使われてないだけだよ
結局はそれらしいこと言ったところでお前の主張は全く当たらないから
例えば2013年の世界選手権で西山に十字固め極めて勝ったイスラム・ボズバエフを「彼は90kg級最強になる」と言ってたが
その後の戦績を見ても、現在27歳で世界大会の表彰台に上がったことは一度も無い
肝心の寝技においても長澤に簡単に抑え込まれて負けてます https://www.youtube.com/watch?v=tQ5RH8CzOes
可哀想なのでもう一度チャンスを与えてあげますが、今一度注目している若手選手を挙げてみてください 90kg級の若手なら世界で見ても村尾三四郎かな
東京五輪には間に合わないけど5年後のパリ五輪で金メダル取るだろう >>571
クローズ、オープン、バタフライ、二重絡みは古流柔術にあった。スパイダーは柔道から。 >>522
そもそもケンシロウ戦前後の木村政彦は別人レベルだし
小さい相手が苦手なんて理由とは全く異なる
ケンシロウとの出会いがなかったら完全無欠の木村政彦は存在しなかったかも >>578
何で別人って言い切れるんだよ?
乱取りと試合は違うから再戦しても阿部が返り討ちにしてたかもよ >>580
木村は阿部戦後に猛練習して克服したから 木村はその後無敗街道を行く事になるけど、一方の阿部は全日本で石川に負けたりしてるから、木村と差が付いたと見ていいだろう。 阿倍に勝った年の石川は、広瀬、松本安一、醍醐敏郎に軒並み勝ってるのね
仮に木村がいなかったら全日本三連覇してた可能性もあるし
木村伝説が石川伝説になってたのかもしれんな それって戦後の全日本の事なら阿部先生はもう右手の握力もなくなってたし何より37歳だったからあんまり参考にならんでしょ >>582
山本秀雄や大沢貫一郎にも敗けてる。たぶん隠してるだけて他にも負けてると思うぞ 木村政彦が最後に負けたってことがもっぱら話題になるだけで
その他の戦績は別に本人が隠してた訳じゃないと思うぞ >>587
木村が山本や大沢に敗けたのは阿部の後だから >>590
いや後。キムコロでも漫画版では訂正してる >>591
山本秀雄
1935年秋の講道館紅白試合5段の部では当時日の出の勢いであった18歳の木村政彦と対戦すると、
山本は組んで直ぐの出足払で技有を取って、更に立ち上がって体勢不十分の木村を得意の小内刈で一閃、
木村の勝利を確信していた観衆を唸らせた。
出典:くろだたけし “名選手ものがたり14 -8段山本秀雄の巻-”. 近代柔道(1980年12月号)、56頁
阿部謙四郎
1936年(昭和11年)5月31日、宮内省皇宮警察が主催した柔道五段選抜試合で木村政彦を破った。
出典:朝日新聞の6月1日運動面 >>592
じゃあ阿部は1935年と1936年の2回勝ってるんだろな じゃあってなんだよ
35年にやってる証拠をマンガ以外に出してみなって 阿部謙四郎程不遇な人生送った柔道家はいない
柔道家としての全盛期を8年間も兵役で奪われ、戦後はGHQに解散させられた武徳会の復興を訴え講道館に与する事には断じて応じず孤立
心機一転海外で武徳会を作ろうとしたが失敗、家族にも見捨てられ最後は老人ホームで孤独死
その強さ卓越した理論、武道に対する真摯な姿勢、全てが立派だったのにそれに見有った栄光名誉が全く無かった 家族の話はどっちが悪いかは部外者からは何とも言えんわ
戦後の大変なときに勝手に自分達を放って何年も海外にいたら
むしろ先に見捨てられたのは自分達だと思うだろうし 阿部さん家族を呼び寄せたけど来てくれなかったみたいだよ
まあ、家族うんぬんの話は抜きにしても柔術家として不遇だったのは間違いない
他の柔道家が大先生、名人と呼ばれ柔術界の大御所になっていくのにこの人は忘れ去られて老人ホームで野垂れ死に 木村の存在が日の目を当てたと言っても過言ではない
エリオと2回引き分けた小野安一もそうだけど 10年くらい前にゴンググラップルという超マイナー誌載ってた小野安一の伝記が面白かった 漫画KIMURAが打ち切りに
ならず、阿部と旧交を温める
ところなど是非描いてもらい
たかった。残念過ぎるよ。
岩釣氏の育成とかさ。 >>594
エリオの動画観た?今なら中学生にも勝てないよ >>601
エリオの動画を見た植松直哉が
「今の日本のトップ柔道家でも、寝技をしっかりやってない選手なら、エリオ相手に危ない気がします。」と言っている 阿部も東京大空襲で焼き殺された徳三宝に比べれば命があるだけマシだろう
焼死は一番苦しい死にかたという話もあるだけに >>603
そりゃ合気道をしてるやつが植芝盛平は強いと信じちゃってるのと同じだな >>605
植松は柔道もやっている
さらにMMAやサンボもやっている 合気道の例えは、その合気道してる奴らが雑魚しかいないから説得力が無いんだよ
木村やエリオは強い奴らが強いと言ってるからそこに説得力が出る >>603
ホイスの動画を見た古賀稔彦が
「これはレベルが低すぎるな」
と言っている >>605
具体的にどの辺りの攻防がレベル低いの?寝技で いや朱に交われば赤くなるでブラジリアン柔術のやつらと同じ空気を吸ってたらエリオみたいな雑魚でも強く見えるようになるんだって >>609
質問に質問で返して悪いけど、どの辺りがレベル高いの? >>611
手元に本がないかはうろ覚えになっちゃうけど確か植松はエリオが木村スイープしかけたのと
木村の攻めのタイトさに言及した上で中々極めさせなかったエリオを誉めてたと思うけど(もうちょい具体的に誉めてた気もする)
それに対してあなたは、エリオは中学生レベル、植芝を崇める合気道家と(多分悪い意味で)一緒って断言してるんだから
それだけの根拠があるんでしょ? >>608
ホイスは柔術の試合でイズマイウに絞め落とされているし
立ち技の選手だった吉田にもジャケットマッチでやられているので古賀の見立ては正しい
MMAでは強いが着有のグラップリングはそこまでレベル高くはないのだろう >>612
オレもそれ読んだ記憶あるけどグレイシー神話が本気で信じられてた時代のインタビューだな >>615
インタビューの中で「エリオは日本では評価が低い」って下りがあるな もちろん植松が絶対的に正しいとは言わないし
大多数の人は経験者含めて木村と差がありすぎてわからんっていうんじゃないか
ただそこを敢えてエリオが中学生に勝てないって断言するなら
この映像のこの部分がダメだって根拠が無しに言われてもなあって感じ エリオも試合の映像ほとんど残ってないからな
プロボクサー秒殺した試合や重量級のレスリング世界2位と引き分けた映像が発掘されれば再評価されるかもなのに 寝技軽視化されてる現代で
ブラジリアン柔術やってる一般人にも勝てないよ
柔道中学生なんて >>574
柏崎先生じゃなくて奥田先生じゃなかった?
あと奥田先生のコメントは寝技でしょ。
「立技で持たせてくれない相手への崩し方として」
それを仰った(そういう視点が持てていた)わけじゃありません。
研究に関しては、後述します。
ボズバエフに関しては、記憶が薄れていらっしゃる。
次レス、ちょっと長いですが引用します。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています