初期の黒ずくめのピチピチスーツの時代に、スコラやgoroに拳を使った技術解説の記事載せてて
その頃の骨法は拳を使った格闘技なんだなという印象だった
その後、格闘技通信の頃は掌打に切り替わって、更に組合に移行したけど
この頃は強さを追及する意味で、合理的な戦い方を追及する変化という印象だった
でも総合で惨敗したから、これはヤバイと思ったのか、変な方向にいったよね

ジャパボクや短刀捕りなどの変化は、強さとは別の独自路線だから、それで何とか目先を変えて
新たな道場生の確保やマスコミとの付き合いを存続させたかったんだろうけど

でも、骨法以前から、ころころ名前を変えていたのを知って、単に移り気なだけかもと思ってしまった