武道としての柔術4
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前スレは、ある意味結論として、武道の目的は武徳の涵養とありました。
では武徳とは何でしょう・・・・? ひとつには積極的行動を伴った善行を、易々と行える精神と身体の体現かな。
例えば電車で誰かに席を譲るにしても、疲れていたり身体の具合が悪かったら出来はしないから、
それくらいは軽く出来るように、鍛錬して体力と気力を予め養っておく、とかいうようなもの。 幾ら強くなっても、戦いに明け暮れるなら
肉体も精神もボロボロになるし何時か敗れ去る日が必ず来る
どれだけ強くなっても心身の衰えや、病気、死からは遁れられない
武徳とは武道を学んで、その哲学を深く把握し、
戦えるようになったうえで、如何に来るべき己の死に向かい合い、
戦いから卒業する精神性に辿り着くことだと思います 幾ら強くなっても、戦いに明け暮れるなら
肉体も精神もボロボロになるし何時か敗れ去る日が必ず来る
どれだけ強くなっても心身の衰えや、病気、死からは遁れられない
武徳とは武道を学んで、その哲学を深く把握し、
戦えるようになったうえで、如何に来るべき己の死に向かい合い、
戦いから卒業する精神性に辿り着くか、ということだと思います だからその哲学とはどのようなものなのか?ってことだろ。 武道の哲学自体は武徳そのものではないんじゃないかな?
重なり合う処は多いだろうけど
その流派を成立させる概念から始まり
戦闘理論や治癒医術まを包括し
練習を積み重ねて実戦経験を経ないと理解できないと思う
その流派な奥の技まで運用される展開コードと言うか
それが哲学で、武徳はその哲学を如何に人生に役立てて行くかじゃないかな?
俺はそれに気付いた時、戦闘の必要なさを自覚して武道を辞めたから
今は普通に生活してるだけだけどね 戦う必要が無いから技を練るのを辞めるというのであれば、
それは術であって道では無い、という趣旨の事を現代武道の
提唱者である西久保弘道は言っているわけだが。 武道を辞めたとは言え、技を練るのを辞めたという訳じゃないよ
わざわざ武道をやらなくても
生活そのものが武道を卒業した人間の戦わない武道になるって意味
そうなれば、普通に歩いても座っても何をしても技になる
やがてそれもなくなるけどね
それが術とは思えないな
道であるとは思うが 卒業ね。
安易に流れて挫折した人間の言い訳にしか聞こえない。
そもそもその武徳やら哲学の内容すら誤魔化して何も具体的に言っていないしね。 その様にしか聞こえない人は、
その様にしか聞こえない現状が自分自身の居る場所だと自覚し心得るべきで
それ以上の事を読み取る人はその様に読み取れる自分自身の姿を知る
それも修行の成果なり https://twitter.com/rvddw/status/1083563672734068737?s=19
吉田沙保里と柔道女子銅メダリストのレスリングルールのスパー
吉田が攻めて圧倒的なのは当たり前だが(レスリングルールだもんね)
レスリングで(多分)あんまり使われない小外、内股を受けとめてぐらつかないのすごいな
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 現代の武道は日々稽古鍛錬し、ときには技を競い合う事が日常だが、
実戦を想定することはあっても、前提としてはいない。
実戦経験を経ないと理解できないというのならば、今の日本で
武道の哲学も武徳も養う事は、ほぼ無理って事になるな。
そんなものだったら、初めから戦う事を前提にしない茶道なり華道なりをやるか、
何処かの寺に参禅に行く方がマシだろう。
現代に於いて、卒業しましたと言えるほどの実戦を、何処でしたのか知らないが
少々ズレてるようにしか感じないね。 実際に戦った事もない人間が武道を語ろうとするって凄いな 競技と実戦を混同するなよ。
例えば弓道で互いに矢を射かけ合うなんてことがあると思うか? 柔術世界王者の足を越えた、って話はどうなったの? 何ていう王者? 何帯? 女の王者ですか? 武道には戦いの経験は必要で
そこには深い哲学もある
しかしやがて
人はそこから卒業しなくてはならない
そうすれば生活の全てが技になる
と言って消えた人と
卒業など落ちこぼれの言い訳
武道は戦いなんて前提にするものではなく、
哲学を知りたければ茶道や華道の方がマシで
ズレてるだけだと喧嘩を売る人物
実に対照的な2人で興味深いが
しかし後者は、卒業するほどの実戦経験を何処で積んだのか?
との批判のつもりの質問自体に、
既に前者の理論を含んでしまうという矛盾がある
そこに気付いているのだろうか?
気になったもので >>19
勘違いしているようだが、実戦を前提としていないと言っているだけで、
戦うのが前提になっていないなどとは言っていないよ。
そして武道哲学を理解するのに実戦が必要だと言い、それを理解して
卒業したと言うのならば、この日本の何処でその実戦を、”自分で”武道を
卒業したと言えるほど積んだのか、と言っている。
例として弓道を出したが、彼らが何処で実戦を行うと?
剣道を志す者が何処で真剣で斬り合うというのか?
本当にそれらの実戦が必要ならば、今の日本で経験できるはずも無いし、
それならば武道をやったところで、最終的に理解するためのピースが
そろわないので、道として求めるならばやる意味が無いと言っている。
それに比べ茶道や華道は日常で道を求めるし、無理なく出来るだろうとね。
平和ボケというのならば、稽古や競技として競い合う事と、
殺し合いが前提となる実戦を混同して語る方が平和ボケだろう。 >>3
なるほど・・・・
わかりやすいです。
教えて頂いた事を遣い、私なりにまとめると、
武徳とは「体力または勇気を必要とする善行が、ある意味意図せず為しうる身心」でしょうか・・・・ >>21
そうですね。
あるいはそういった事を目標としながら稽古をして、養われる良性なる人格とか人間性でしょうか。
指標となるべき心構えや道場訓といったものも無く、単純に技術を求めるだけならスポーツと変わりませんから。
むしろ指標とする心構えも無く、単純に技術の稽古をしているだけにもかかわらず、人格形成が自然と出来ると考えるのは
驕慢といったものに繋がりやすいんじゃ無いでしょうか。
ときどき居ますよね、武道をやっているだけで自分が偉くなった気になっている人とか。 >>22
道場訓、大事だと思います。
稽古の際、必ずは時間がとれないでしょうけれど、座学と云いましょうか、
悪行を為さない事、言葉も綺麗にといった、人格教育も明文化するべきと思うのです。
なお日本の長く良くない点は、道場もですが学校が率先し、人格教育ではなく軍隊教育をしてきた事でしょう。 >武徳とは「体力または勇気を必要とする善行が、ある意味意図せず為しうる身心」でしょうか・・・
>あるいはそういった事を目標としながら稽古をして、養われる良性なる人格とか人間性でしょうか。
そんな武道家や、道場見たことない
>指標となるべき心構えや道場訓といったものも無く、単純に技術を求めるだけならスポーツと変わりませんから。
スポーツにだってスポーツマンシップはあるが
それにしても特に試合競技に一生懸命な所ほど道場訓は口先だけってのも多い >>24
実際のところ理想と現実は違うからね。
学校でのクラブ活動だって本来の教育目標は同じようなものだと思うけど、
実際は強い人間や、上手い人間が偉くて優先されるって風潮がある。
でも自分の子供の頃は町道場とかにそういった人も居たんだよね。
社会に余裕が無くなると自分の事で精一杯になって、いらいらして
他人を気遣う余裕も失われるんでしょうかね。 武道とは暴力なので
徳とは正反対のもの
そんな矛盾を抱えて教育したところで
一体何がどうなるのか?
道場の飾り事が増えて行くだけだよ 犬の糞に香水を振りかけたところで
犬の糞であることに変わりはない >>26-27
そもそも徳とは何か?
色々な考え方もあると思うが、自分が考えるに人間の社会生活を
安全に健やかに保つための精神的有りよう、もしくは志しではないかと思う。
それらも実際の行動が伴わなければ徳たり得ない。
人間が社会生活を送るようになったとき、様々な障害があったと思う。
自然災害のほか、獣などの驚異、他の部族や集団からの襲撃。
それらから身を守るためには、どうしても武力が必要だったと思うが、
それは自分達の社会生活を安全に健やかに保つためのものであり、
徳と相反するものとは言えないのではないか?
今の我々の生活も、警察や軍隊、自衛隊といった、言わば国家による
暴力装置に安全を担保されているのが現実。
あなたの批判は、例えるならば、肉や魚を食べながら、それらを殺し
捌く人間に対して野蛮だと批難するようなものだと思う。
パスカルが残した、
『力なき正義は無能であり、正義無き力は圧政である』
という言葉を一度調べて考えて貰いたいかな。 >他の部族や集団からの襲撃。
>それらから身を守るためには、どうしても武力が必要だったと思うが、
>それは自分達の社会生活を安全に健やかに保つためのものであり、
>徳と相反するものとは言えないのではないか?
だから、そうだって書いてあんだろ、文盲が
それより世の中や法律で
どれだけ暴力が正当化されるか冷静になって考えろ
>あなたの批判は、例えるならば、肉や魚を食べながら、それらを殺し
>捌く人間に対して野蛮だと批難するようなものだと思う。
野蛮だろ、実際。罪に変わりねーわ
お前にはその自覚がねーから、んな綺麗事が言えるだけだ
パスカル云々かんけーなく一方的に食料に似説いて
正義もクソもあるか、ボケ >他の部族や集団からの襲撃。
>それらから身を守るためには、どうしても武力が必要だったと思うが、
>それは自分達の社会生活を安全に健やかに保つためのものであり、
>徳と相反するものとは言えないのではないか?
だから、そうだって書いてあんだろ、文盲が
それより世の中や法律で
どれだけ暴力が正当化されるか冷静になって考えろ
>あなたの批判は、例えるならば、肉や魚を食べながら、それらを殺し
>捌く人間に対して野蛮だと批難するようなものだと思う。
野蛮だろ、実際。罪に変わりねーわ
お前にはその自覚がねーから、んな綺麗事が言えるだけだ
パスカル云々かんけーなく一方的に食料にしといて
正義もクソもあるか、ボケ >>28 こいつみたいな上から目線のお正義様が居るとロクなことにはならんだろうな >>29
罪というならそれらを食べている貴方自身が罪人だよ。
自覚はあるのか?
しかも他人に手を汚させて自分は潔癖でいるつもりの偽善者。 >>28
短縮すると
身を守るためには力が要る。
しかし力を持つと人はそれを使い過ぎる。
そうならないためには人格教育が大事。
やがて人格をこそどこまでも深める事に価値があると判るようになる。
となるでしょうか。
いや短縮と云うか勝手に足した部分もありますけど。
これが武徳を目指す武道なのかも知れませんね。 >>33
だからそう書いてあんだろうが、文盲
正座して1万回詠み直せ、クズ野郎が
>しかも他人に手を汚させて自分は潔癖でいるつもりの偽善者。
何処にもそんなことは書いてないが
お前の優越感に満ちた妄想の中ではそうなんだろう。
しかし、本物の偽善者はお前自身だ。
そしてお前はアホだからここを理解しないだろうが
その偽善者振りと言うかそれ以前の問題ではお互い様だと言ってるんだが、
それが本当に分からんほどのアホなのか、お前は?
どうなんだ? え? まあ、あまりにもアホで幼稚だから
>>33は自分の何処がどう間違っているか
纏めてやらねばわからんだろ
いいか?お前の最も卑しくてゲスイ所はな
動物を殺して食う事に野蛮だの正義だのと絡んで
自己主張するドアホに、
「そんなものに正義もクソもあるかクズが、殺して食べる事が既に罪だ」と
当たり前の反論が来た時に、
「罪というならそれらを食べている貴方自身が罪人だよ。
自覚はあるのか?
しかも他人に手を汚させて自分は潔癖でいるつもりの偽善者。」
という、どこにも書かれて嘘をついて、
どこにもありもしない反論をされ、
偽善者に攻撃されたと被害者面をして相手を偽善者に仕立て上げて、
自分を守ろうとする卑怯な手口と、
狂った内容で反論して自分の正義を語ろうとしたことだ。 一体誰が自分御罪から眼を逸らして偽善者の振りをしたのか?
それはそんな卑怯な手口を使ったアホ自身に他ならない。
「動物を殺して食べるのは罪だ」と反論した人物はそう反論しただけで
その時点で、同時に
「動物を殺して食べねばならない自分の罪にも同時に主張している」筈なのだが
アホの妄想の中では「動物を殺して食べる事の罪」を主張した人物は
何故か、「自分の罪だけは棚に上げた事になってしまっている」らしい。
それは単にお前の汚さであり、被害妄想であり、自分を攻撃する誰かが許せないだけであり
そうやって、本当は自分の罪を棚に上げてるだけだ
もう一度アホに繰り返してやるが、偽善者はお前自身だよ
そうやっていあままで、何でもかんでも人のせいにして生きて来たんだろう?
これで分からなければお前は一生卑怯汚物の偽善者のままだろう
ここまで事故を省みるヒントをくれてやったんだ、
あとはこれを自分の御都合過ぎです機に捻じ曲げずに、自分を省みて自分で治せ 仮定の話でよくここまで熱く、そして下品になれるな
薪は灰になってみないと灰の気持ちは分らん
平和な日本ならそれで好かろうよ 成程ね
冤罪でっち上げてまで他人を陥れて
俺様凄ェーを騙りたがるのがいるってこった
でも本人は自分が正しいと思い込んでると
流石は5ちゃんねるってワケだwww >>35-37
生憎とあなたの脳内文章までは読めないからね。
自分で説明できたつもりになっていても相手には伝わらないよ。
罵倒と言い訳めいた文章は何処かの国を連想させるだけ。
で、あなたは自分自身を含めた人間が既に罪人だと思っていると同時に、
>犬の糞に香水を振りかけたところで
>犬の糞であることに変わりはない
と言っているわけだ。
だとしたら他のものを殺しながら生きていかねばならない人間は、
何をしようが罪人であり、何をしようが”犬の糞”のままだよな。
ならば、”犬の糞”から逃れようとしたら、何も殺さず、自分すら積極的に
殺さないように断食でもして、身を土に還す事くらいしか出来ないだろ。
そうなると、徳は人を生かすためのものだから、その時点で”糞”なんだから、
あなたが考えるような事じゃないよね。
人間すべてが糞だと思っている人物が、自分を土に還す事をせずにする事って
大分危険そうだけど・・・
暴力を否定するわりには、文章は攻撃的で挑発的。
目の前に居たら飛びかかってきそうな感じだよねw
自称平和主義者ほど暴力的になる矛盾は良く指摘される事だけど、どうしてなんだろう?
ジョージ・オーウェル曰く
『平和主義者が暴力を放棄できるのは、他の者が代わりに暴力を行使してくれているからだ』 このスレを最初から読んでみると
どうも書かれた内容を正しく読めていなかったり
頭の中で好き勝手に捏造し直して誰かを攻撃したり
そういう行為に及ぶ人達がいる様なので
武術の核心に迫るような内容が書けないという状態が前提としてある
武徳に関する内容はその核心のひとつとも言えるかもしれない
とても重要な要素を含むものだから
現状では深く踏み込んでここに書くことはかなり難しい気がする
悪用をしない、善用を目指す。それは正しいのだが、
もっと深い解釈も可能であるから、実際に武術の修行をされておられる方々には
深い武徳の解釈を通して武術の深みを感得されることを望む アンタも自分で書いてる通り
このスレには馬鹿しかいないから
小難しい小理屈を書いても
誰も何も理解できないだろ
精々、何も読めなかった馬鹿が賢いフリして
具体性がないと反論したつもりになるのが関の山だ それで何か読めた気になっている誰かさんは他人を見下す増上慢ですか。
それが戦いから卒業する精神性に必要な事なんでしょうか? 現実を突きつけられた
→増上慢に見下された
無能な自分を認められず、なけなしのプライドを守るために脳内変換すると、こうなる訳だ あなたが見下しているのは、このスレにいる周り全てでしょうが。
”戦いから卒業する精神性”
これに至る重要な何某かを読み取ったつもりの人間が、こうやって争いをしようとする。
いったい何が書かれていて、何を受け取ったんでしょうかね?
偉そうに言ってもこれが現実。
少し突かれると馬脚を現す。
『知は行の始まりにして、行は知の成るなり』
行いが伴って知は完成する。
行いが伴わず知った気になって”卒業”したなどと、もし言うとしたら、大言壮語に過ぎるだろう。
理想があっても、それを身につける事は非常に難しいからね。
そもそも武道は実戦を前提にしないとは書いたが、人間そのものは戦いから逃れる事は出来ない。
だから戦いから卒業なんて無いし、制御する術を覚えるべきなんだよ。
戦わないという事と、他者となるべく争わないようにするという事は同一じゃ無いしね。
必要な戦いまでもしないなら、大事なものは他者に踏みにじられるだけ。 >>43 これは・・・、あんた、馬鹿にされても仕方ないわ
分からないなら、笑われてそれまで。今まで努力すべきをサボったんだから仕方ないね
今のままだと、何をサボってきたのかさえ理解できないままなんだろうね
ここから猛省できるかどうかであんたの人生は変わると思うけど、どうする?
今までと同じ様にワガママを喚き散らしてお終いにする? それとも・・・? >>43
× それで何か読めた気になっている誰かさんは他人を見下す増上慢ですか。
〇 自分が解らないから、何かを読み解く人間が許せなくて増上慢に仕立て上げた
× それが戦いから卒業する精神性に必要な事なんでしょうか?
〇 戦いから卒業した人に勝手に絡んで、一人芝居で戦っている自分自身が見えてない
>>43がヤバいのは息をするように嘘を仕立て上げて
汚染レベルで他人に罪過をなすり付け、
罪をまき散らしていく行為そのもの
恐らく自分の嘘も罪も何一つ自覚出来てないし
指摘されても理解さえできない
このまま延々と独り芝居を続け
見えない何かと戦い続けられても
独りで騒ぎそこらを歩く一般人に絡む酔っ払いと同質の迷惑さ 読んでて面白いと思ったのは
戦いを卒業する人の話が出てきても
その卒業者に戦いを挑む愚か者が
後から出てくるって事実
でも相手にされてないから幾ら戦いを挑んでも
愚か者の独り芝居でしかないと言う結論
ここは愚か者本人がその惨めさに何時気付いて辞めるのかを
みんなで見守るスレになるのだろうか?
もしもそうなれば一人の人間が成長するのだから良スレになるのかな?
そうならなければ自業自得で愚か者が余計に独り芝居を拗らせていくだけ?
どうなるんだろうね? >>47
いまさら自己紹介か?
あなた自身の自己分析としてはなかなか的確だと思うよw
肝心の主題に対して自分の意見も言えずに中傷するだけの奴は問題外だしな。 結局は、独りで暴れてる馬鹿がいて
ソイツがいなくなればこのスレは平和になるが
何人かに指摘され続けてる様に
その馬鹿には自覚がないって現状があり続けると
黙って消えろやって結論にしかならない罠www ここで独り喚いてるのが
嘘や妄想被害者面をつ疲れて足元を救われてる状態は
正しく日本古流柔術的ではあるとは思われる
凡そ日本の古流柔術は攻撃をする者が
自滅するように誘うのをもって吉とする傾向があるから
文字通り武徳のなさ故に自滅してはいるが
最後まで本人に自覚がないまま
見えない敵と戦う妄想聖戦はこうやって幕が引かれるという典型的な見本
誰かがひとり戦いを卒業すれば
戦いを卒業出来ない者共はこうやって潰し合うか自滅するしかないのだろう
起こるべくして起きた現象だが
末代まで語り継ぐべきというか
教科書に乗せても良いぐらいのの綺麗な自滅劇が見れたな 中身の無い勝利宣言など意味が無いだろうに。
せめてその武徳をちゃんと語ってから言えよw
かつて塩田剛三先生は「合気道で一番強い技はなんですか?」との問いに
「殺しに来た者と友達になること」と答えたそうだが、武道を卒業というなら
そのくらいの事が簡単に出来ないと。 うむ。おかしなヤツは独りで騒がせておいて自滅させるか。
しかも皮肉なことに具体性が何もないと反論していた本人が
自滅の具体例として晒されてしまってる。
戦わずして勝つ。勉強になった。
正に日本武道の真骨頂だ。
何処かのお騒がせ国家もそうだな〜。あれからどんどん嘘に嘘を重ねて
被害者ぶってるけど、その嘘や矛盾が国際世論で叩かれてるし、
相手にする価値なしとして政府はスルーする対策を取ってるけど、
戦いそのものがないのに、独りで戦ってる状態って辞められないものなんだな〜。
第三者としての客観的な立場から見ないと
なかなか見えてこないのかも知れないな。
そいつらが本当に戦うべき相手はそいつらの歪んだ面子ややっすいプライドであり
自分自身の姿をした恥ずかしい化け物なんだな。 >53
1人、戦いを抜ける人物が出ても
残された者が悲惨さから抜け出せないのもどうかとは思うが?
緩やかな自殺や疑心暗鬼に気付いて
さっさと目を覚ませってことか
そうした内容を相手に納得させるのも
武徳の意味なのかも知れないと思う
相当に困難な道ではあるね >>54
相手にも武徳がないと、多分それは成立しない >>53
”自滅させるか”と言うわりにはしっかり反応するよなw
自滅させたいならスルーすれば良いだけの話しなのに、それが出来ない。
それこそあなた自身の歪んだプライドが邪魔してるんだよ。
少し意見されたくらいで攻撃的になるし、本題よりも他人を貶める文章ほど
生き生きと書いているのがその証し。
ホントに自己分析が上手だよねw
ということで自滅を待ちたいならスルーしてごらん。
そうすればこの話しもここでお終いだ。 徳とゆう見えない何かに対しての解釈次第で
色々と変わるのだろうけれども
戦いからの卒業した人が
戦いに残された人達が自滅していくような戦術を残し?
自滅するのが嫌なら戦いから目を醒ませ、、、、、と説いて残すのが
武術本来の姿に関わる真面目だとの説には深く納得がいく何かを感じます
では、稽古に行ってきます 人はどうせ汚く罪深い存在なのだから、綺麗な言葉、高潔な人格など要らない―――
そう仰るかたは珍しくありません。
でも私そうは思わないのです。
誰しも何かを学習したり身につけるのを、本能的に欲するものです。
人間らしい振る舞いも、そのひとつです。
ヒトはベストを尽くすために生まれてくるんじゃないでしょうか。
人間性も「こんなの要るのか判らない」「判らないからあえて放っぽってみよう」と、
試すみたいな在り方をしたところで、結局そんなのを悠長に試すほど、人生は長くない。
なら最初からベストを尽くすという考えで、いいんじゃないでしょうか。
振る舞いを整える事で、動き、健康、頭脳の面も、整う事があるかも知れない。 部活の武道は、殆どスポーツ化しているよね。
試合に勝つことが自己目的化している。
本来の武道の有り方とずれている。 じじいになるほど弱くなるからじじいほど
若者と乱取りとかスパーリングに
参加できる環境に自分を置いて
自分がどれだけ弱いか身の程を知った方がいいと思うな
腕組みして偉そうにしててもケンカ弱いやつでしかないし 同じ柔道場に、打ち込みと投げ込みの手本が、とても綺麗に見せられる人がいました。
手本が巧いと子供や初心者が学びやすいので、そういう人はそういう人の価値があると思います。
が、よせばいいのに「手本が巧いのこそ大人の指導者の唯一無二の価値なのだ」と言うものだから、
乱取が不得手のその人は、「でも弱いよね」「そもそもその手本て正しいの?」等の批判を、よく浴びせられてました。 ジジイは、長期戦に弱い。
強い奴もいるけど初めだけですぐバテる。 >>65
じゃないからこそだろ。
いつも万全で戦えるわけじゃないだろ。
疲れている状況をなんで想定できない
困った時に出る力こそ実力だからな いわゆるカチ上げは古流にも見られるが
格闘技にも応用できる。
https://youtu.be/GX6hML8hB6k マスターは一撃必倒の見本として旭道山の名前を挙げてるが、
同時に悪い見本も挙げておられてそれは千代大海vs武双山の張り手合戦 >>67
少林寺拳法の「燕返し」なるものは、かち上げなの?????? >>69
「惨業者ガチャ」というチャンネルは、惨業者さんのチャンネルなんですか? >>71
そうです。
>>70
私はそう解釈してます。 >>73
相撲は、柔術じゃないです。
しかし、「少林寺拳法」は、中国武術(カンフー)ではなく、日本柔術です。
中国の少林寺とか全く関係ないけど、嘘の歴史で普及させました。
今日では、ネットが発達しているので、バレているので、中国の少林寺とは、違うと言っています。
八光流とか、色々な柔術をパクって作ったんでしょ。 >>74
あぁ、まぁそうなんですけどね。
相撲は柔術でないし、少林寺拳法は柔術系というのは分かりますよ。 そのうえで言いますと、
少林寺拳法が完全な騙しをやったのかっていうと、ちょっと言い過ぎでもあるんです。
誤解を招いたっていうことが近いかもしれません。 沖縄空手の系統も、ショウリンとか言うので誤解をおそれて、
コバヤシと言って訂正したくらいですから、
やはり名称をそのまま使うことのマズさってあとで気づいてくるんですよ。
広まってくると、やはり関わりが起きてきますから。 嘘を言ったらいかん。
ショウリンリュウという同じ音違う漢字の流派がたくさんあるから、便宜上、場面によって有職読みをしているだけで、正式名称はどこもショウリンだよ。
少林流(スクナバヤシ)
小林流(コバヤシ)
松林流(マツバヤシ) はい、そうですね。で、
ショウリンだとあてなんでコバヤシがあるんですね、
おじいちゃん、がんばってますね。 日本語が怪しいアホだから、おじいちゃんとか意味不明な煽りしかできないんだね >>72
惨業者さまは確か介護職でいらしたと、記憶します。
お聞きしたいのですが、
介護技術に立位の人を床に安全に寝かせる方法は、存在しますか・・・・?
床に座った、寝た人を、立たす方法ではありません。
それは検索したら動画が出てまいりました。
知りたいのは、「その巻き戻しが存在するか」。
一応添えると、床≠ベッドです。
プロとお見受けし、うかがってみた次第です。 >>80
努力しないとへたれる一方ですよおじいさん。 >>81
立ってる人を安全に寝かす方法は存在しますよ。
臥床介助は介護の基本の一つでもありますから。
大雑把に言うと
後ろから抱えて行うんです。 でも立ってる人間なら自分で寝ることもできるはずで
声かけと補助で寝かせるべきだとおもいますが。 間違い指摘されて妄想で爺さん連呼するのは別にいいが、中の書いてる人は爺さんじゃないから、?でしかない。
糖質かなんかなのかね。 >>83
>>84
ご返信ありがとうございます。
「後ろから抱える」とは、完全に背後に回って・・・・ ですか?
大枠はこのような体勢でしょうか?
https://www.elavel-club.com/lifespecial/kaigo/kaigocolumn22.html
うーん・・・・ 上記URLはユカから持ち上げる技法であり、
(1)→(2)→(3)は可能でも、(3)→(2)→(1)は厳しいんじゃないでしょうか・・・・
確認までに、このような「ベッドに」寝かす方法ではなく、「ユカに」寝かす方法です。
https://youtu.be/xXUbrj48fuA?t=886
https://youtu.be/DWbWvRXoZBg?t=129
泥酔していたり、膝、肩、腰が悪い、ベッドが無いなどのケースを想定し、問わせて頂きました。
個人的に泥酔者の介抱時、「これ安全な方法ないかな・・・・?」と思ったのが、きっかけです。
惨業者さまの身につけた技法では、後ろから抱える際、介助者の手はどこをどう持ちますか?
下半身の使用法も併せ、お教え願いたいです。 >>87
3 2 1
は普通に可能だと思いますよ。これの3と同じで
介護者手は
被介護者の両腕の上腕部を持ちます。
3の状態から自分の足幅を肩幅よりは広くして
両踵に重心を載せつつ
しゃがみます。
こうすることによって介護者も被介護者も前傾しながら座りの姿勢になるので
後頭部を打つことはありません。
座りの姿勢になったら
介護者は被介護者の側面に身体を移動させながら
背中の上部を腕で支えながら
被介護者の頭が床で強く打たないように
ゆっくりと寝かせます。 >>88
ご返信ありがとうございます。
拝読したところ、要するに特段工夫は無く、
ほぼhttps://www.elavel-club.com/lifespecial/kaigo/kaigocolumn22.htmlを巻き戻すというお考えですね。
うーん・・・・
それだと正直、被介護者が肩を傷めかねないし、首も危なくないですか?
何よりも介助者に相当な負荷が掛かるのでは・・・・
人を一人、全体重ではないものの支えた状態でスクワット、しかも下降をしないといけないわけですから。
おそらく技術が確立されていないから、どこにも動画が無いんだと思います。
たとえば下記アドレスのベテラン介助者の言葉にも、
「床からの移乗介助はとても難易度が高く――― 」とあります。
https://kaigoworker.jp/transfer/
難しいと書かれながら、それでも無論リフトいち方向です。
レイに関しては、触れる事さえ出来ていません。
体格差や体力差、またはその場は傷めてもいいからという犠牲があれば、出来るでしょう。
しかし介助者のダメージや老老介護が社会問題化している今、「カタが確立されているつもり」は、良くないと思うのです。 >>89
肩を痛めて
首を痛める?
なんでそんなことになるのかわかりません。
私は何度もやりましたがそんなことになった利用者さんは1人もいませんけどね。 そもそも一人介助っていうのはまあどんなやり方でも介助者に負担がかかるので
二人介助や三人介助をやったりすべきですね。 というか最初に言いましたけど
立位の取れる人なら
声かけと補助でやってもらうべきだと思いますよ。
そもそも最近のトレンドは全介助ではなく
一部介助ですよ。
相手の横について
お尻を支えながら声かけにてしゃがんでもらい
自分も同時にしゃがみ
床に座位をとったら今度は背中の上部を支えながら仰臥位を取ってもらう。 >>90
被介護者が脚を急速に前に投げ出すわけですから、
当然体重が後方にかなり強く掛かります。
介助者は介助者自身が後ろに転倒しないよう、前のめりになり、
被介護者の後頭部が介助者の胸に押され、首がおじぎ状態、危険になります。
「被介護者の脚の投げ出し」は、泥酔者の介抱や介護実験をすれば判りますが、かなり急速、強力です。
介助者の「前のめりにならない」と「体を沈める」が追いつかず、
被介護者の上記のとおり首もですが、肩も相当挙がるかたちになり、その時それぞれを傷めるわけです。
これは想像ではなく、実体験です。
おそらく惨業者さまは二人体制三人体制でおやりのため、この難しさ(不完全さ)が、ピンと来ていないのでは?
レイの動画が一切存在しないのが、確立されていない事のあかしだと思いますが、それについてどう思われますか。 そこまでお書きになるなら、会って確かめたほうが早いんですけどね。 そもそも酔っ払いでも
「地面に寝て」
て声かけしたら
膝をついて
四つん這いになって側臥位に
なって仰向けになると思うですけどね。
むしろ酔っ払いに必要なのは
吐瀉物が喉につまらないように仰臥位から側臥位にする方法では? >>93
被介護者は足を急に前に投げ出すことはないです。
あと被介護者の背中と介護者の胴体は密着してますから介護者の胸で被介護者の頭を圧迫することはないです。
私は一人で何度も車イスの人をたたみに寝かせたり
床に寝かせたりしてます。 >>92
>>95
まあそれは確かにそうなのですが、
それとは別に、レイの動画が存在しない理由を、惨業者さまはいかが思われますか。 >>93
確立してないというか
立位の人間を全介助で床に寝かせるとかは
基本的にありえないです。
基本的に立位の取れる人は自分で仰臥位から立ち上がることはできなくても
立位から床に寝ることができないとかはないからです。 というより下から上に持ち上げるのはたいへんだけど
上から下に下ろすのは前者よりは負担が少ない。
前にいた施設でも力のない年配の女性でも
車イスから畳に寝かせるのは一人でもできていた。
畳からくる車イスに座らせるのは一人ではできない人が多かった。 >>96
前に投げ出さないと倒れられません。
そして前に投げ出した以上、あとはズルズルと自由落下になるので、
人の支えがある中で、その足の移動(投げ出し)は、最も「急速」です。
おそらく惨業者さまは、前に投げ出さず自力でしゃがんでくれる被介護者の経験がメインで、
泥酔者やヒートショック等、一切の自力を使ってくれない被介護者を、想定してらっしゃらないのでは。
首も、実際傷めた人を見たので、特のその事は想定して頂きたいと願います。
>>97
要するに確立していないのですね。
それはべつに惨業者さまの責任ではないので(笑)、なにか責めたい意図はありません。 >>100
アンカーミス。
>>97ではなく>>98でした。
>>99
下から上よりも上から下のほうが、遥かに負荷は大きいですよ。
重量挙げと同じ体勢で重量降ろし(ユカまでそっと)なんて競技があったら、遥かに記録は落ちるでしょう。
レイは惨業者さま曰く、ありふれた光景との事ですが、
それがなぜ、一点の動画や解説ページにも、なっていないのでしょう?
矢張り「難しいから」としか、云いようが無いのでは・・・・? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています