武道としての柔術4
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https://youtu.be/q6vVQ0w0gzA
デッドリフトもたしかに持ち上げるのをやっとなものをそのまま維持したり
ゆっくり下ろすのはたいへんだろうよ。
でもそんなやり方は介護では
推してない。 もしデッドリフトの上げた状態から始まる
「重量おろし」
なる競技があったら
時間制限や
やり方制限を設けないと競技として成立しないだろうな。
ただ衝撃の無いように下ろすだけならやり方さえあってれば簡単だから。 富山大学の近くの公園内に足立平陸正保の顕彰石塚があります。(あだちへいろくまさやす)。解説看板によると江戸時代に飛騨高山から富山に来て柔術を広めたとか。古武道界隈では有名な方なのでしょうか? >>195
それは貴方が>>161と>>165を読んでいないだけです。
わりと丁寧に書いているので(無論当初と変節もしていない)、お読み頂いてからお話しかけ下さい。
ところで古流ではないですが、
言わば格闘柔術の名選手、ヒクソングレイシーという方に関し、勉強になるお話がありました。
ヒクソン選手(当時)の道場に、若い選手が新たな技術を引っ提げ、出稽古に来たそうです。
それはスパイダーガードという技で、仰向けになり足裏で相手の上腕を踏みつける、
膠着を招くのが旨のモノでした。
ヒクソン選手がその出稽古者とスパーをしたら、矢張り未見の技には対処が出来なかったのでしょう、
破る事が出来なかったそうです。
しかし翌日、再びスパーをしたら、見事その技を破ってみせたと。
https://youtu.be/II4TwwLsr8w?t=2247
ひと晩、よほど考えてきたのかも知れません。
古流柔術にも、こういった「考える事」、新しいカタを創造する気風は、大事なのではないでしょうか。 >>201
現存する流派のようですが、
古武道って、何処もそんなに入門者は多いとは思いません。
町道場クラスから、空手の小会派レベルの規模です。
同じ流派でも別会派なら交流ないでしょ。
特定の流派の古武道やっているからといって、
別の流派のことは、知らないのが普通だと思います。
しかし、流派の名前を知っているというレベルであれば
有名なのかもしれませんね。 >>201
それは貴重だ
ビッグネームですよ
ぜひ顕彰碑の裏表とも画像あげて下さい
書かれてる一言一句が宝です >>199
トップからスタートして下ろすだけなら上げるより楽だと思うけどね
仮に1RMの重さでも行けるんじゃないの、ただ大変は大変だけど >>202
読んだけど座らせようとしても急激に脚を前に投げ出さないでしょ
脚投げ出しそうなら、その場でまっすぐ座らせようとしないで
地面に相手の足付けたまま支点にして、横から見て胴体が弧を描くように座らせればいいじゃん
後ろで抱えてるならそれに合わせて歩く
と言うか脚投げ出すケースをまず動画見せろよ
必ずって言うならあるんだろ?
>>165が降ろす方が負荷大きいってバカな説明ならフォームが悪いだけ
相手と会話する気がないオナニーレスなら自分のメモ帳にお書き下さい >>207
「弧を描くように座らせる」が、抽象的でわかりにくいです。
詳解をお願いします。
「(受の)足を付けたまま」とありますが、
そこから下がると受は足を継げないのですから(なんせ気絶している)、投げ出す事になりますよ。
投げ出させずに座らすには、真下に降ろすか前に倒すかしないと無理で、
その二種は投げ出しよりも、受と捕にダメージが大きいです。
動画は既に>>93の時点で、無い事を指摘しました。
細かいながらこういった読み逃しのないよう、重ねてご注意差し上げます。 >>203
>>205回答どうも。実は薄くて肉眼でも不明です。「足立塚」という部分はくっきりとわかりますが。ちなみに昔の北陸道の沿線だそうです。 足立塚で検索すると写真掲載のサイトがありましたが、会員登録しないと紹介記事全文が読めないようでした。ちなみに今の呉羽丘陵多目的広場には移設されたとか。 >>201
伝統の柔術後世に
呉羽丘陵多目的広場に足立塚を移設
江戸時代に富山藩で広まった柔術「四心多久間見日流和術(ししんたくまけんにちりゅうやわらじゅつ)」を伝えた高山の浪人、足立平陸正保(あだちへいろくまさやす)をたたえた「足立塚」が、富山市五福に昨秋オープンした呉羽丘陵多目的広場の中央に移設された。
元々広場の敷地の隅にあったが、台座石を増設するなど整備し直した。見日流の柔術を継承し、40年ほど前から塚を管理する青江豊二さん(67)=射水市太閤山・小杉=は「立派な塚の姿を見ることができてうれしい」と喜んでいる。(報道センター・吉本佑介)
四心多久間見日流和術は天台宗の開祖、最澄によって811(弘仁2)年に編み出され、1681〜84年に富山藩に伝わったとされる。相手の急所を打つ「当て身技」と関節技を同時に効かせるのが特徴で、太刀による攻撃への護身術としても役立つ。
多くの富山藩士や配置薬業者が学び、体得した。
塚は1842(天保13)年、足立平陸正保の功績を残そうと考えた門弟、池崎吉清が建立。呉羽山の山肌近くに建っていたため、生い茂る雑草などの世話をする必要があった。近年は、青江さんら継承者が定期的に草刈りや樹木の伐採を行ってきた。
「足立塚」と彫り込まれた塚は高さ約2メートル。富山市公園緑地課が山を切り開きながら広場の整備を進めた際、約30メートル移動し、ほぼ中央に設置した。塚を支える石段は4段から6段に増やし、より頑丈な造りにした。移設費用は約50万円。
青江さんは今後、草むしりに加え塚の磨き掃除も行う予定だ。「柔術の誕生から昨年で1200年。伝統を後世に伝えるため、これからもしっかり手入れしていきたい」と話している。 >>212お〜最澄が!ひょっとすると僧兵たちも武士相手に柔術の技で暴れ回ったかもしれませんね。回答ありがとうございました。 ちなみに後ろからから腰の付近をクラッチして相手の両足と相手の両足を着けて
後ろに倒れてもバックドロップにも裏投げにもなりません。
相手の身体が自分のお腹に乗るかんじになります。
https://twitter.com/830fy7gbl/status/1102428729039454209?s=21
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>213
これは仮託で実際は江戸時代の武術です。
無双直伝流和に目録が似てるとか、止心流系だとか言われています。 ん?ということは最澄が作ったわけではない?
最澄だったら拳法ぽいのかなーなんて思いましたが。
しかし江戸時代生まれですら今や希少ですからね。 >>214
自分の腰の乗せるのは後ろ腰
その動画だと抱分かな 1.師伝、直伝なくしてみだりに型を稽古しないこと。
2.すべての門人は、型や稽古について自分より下の者に指導をしてはならない。特に初心者に対 しては絶対にこれを禁ず。
3.振武舘門人以外の者と振武舘の武術の稽古をしてはならない。
4.師の許可を得て公の場において模範演武をなす以外は、みだりに人前で技を見せてはならない。
これじゃ、広まらないな。
本当の「型」を残すためといっているが、
同じ流派でも団体によって、「型」は、違うんじゃないの?
そこに解釈が入っているんだろ。 黒田系と清水系では雰囲気がかなり違うよねw
個人的には清水系の方が好き。 >>216
これは常識的な話ですが竹内流が文献上でも最古の流派でこれより古い流派はありません
四心多久間見日流は明治時代に刊行された柔術独習書でほぼすべての形が公開されていますが普通の小具足系の柔術です
それとどの流派もそうですがやろうとしてることは基本的に同じで色々な流派があれど内容は似たり寄ったりだったりします
もし中国拳法を取り入れた柔術とかあったら間違いなく戦後の創作と見てよいですね
柳生心眼流も情報がろくになかった時代は八極拳とよく似ているとか根拠のないこと言われてたのですが
連続してやるのが珍しいだけで拳振りも分解してみるとわりとどの流派にもあるような初歩的な当身技です >>221
そうですね。竹内流も初期のは短剣術と言ったほうがいいようなもので、
流派というより、体術の発達自体がほとんど江戸時代以降と言っていいでしょう。 >>208
つまりお前は動画とかで証明もできないのに「 必 ず 」って書いてたってことだよね?
証拠はないけど俺の言う事は絶対に正しいから信じてくれ!
って言ってる奴見たらどう思う?
俺は頭おかしいと思う
あと>>93だけじゃ脚投げ出し動画はありませんでした!って分かんねーよ
やっぱ頭悪いだろ?
みんなお前のお母さんじゃないんだからそこまで察する事なんてできないよ?
本当に相手のこと考えないオナニーレスしかできない奴だな
https://www.youtube.com/watch?v=N9_1DnqUAQw
支点が足、シャフトが脚、シャフトの先端が胴体というか腰
足継げないって歩けないって事か?
だとしたら足付けたままって書いてんだろ、お前がちゃんと読めバカ 富山県というのはたしか浄土真宗の信仰が根深い土地ですよね。
天台宗というキャッチはあまりぴったりこないような。 >>220
清水系は動画無いですね。今では伝承者二人で活動しているのが一人。門人も数人しかいないようです。
昔の月刊秘伝に記事が出ていて形の写真も載っていました。 >>224一向一揆の子孫が再度暴れだすのを警戒して、「天台宗最澄直伝」の技で藩を守ろうとしたのかも?まあ半ば空想ですけど 比叡山の僧兵って、薙刀のイメージが強いが、柔術も強かったのか?
いずれにせよ、信長には、敵わなかった見たいだが。 >>225 さん、情報ありがとうございました。
動きを比べたかったのに残念です。 仏教系は槍とかだったでしょうね。
比叡山の時も信長側はかなり殺されたらしいですよ。
強かったんですよ。
おそらく剣みたいなものも使ったでしょうね。 >>224
>富山県というのはたしか浄土真宗の信仰が根深い土地ですよね。
申し訳ないですが、どうしてか、分かり易く説明できます?
>>229
>仏教系は槍とかだったでしょうね。
中国では仏教系の武術は刃物を使いません。
殺生をせずが仏教の教えですので、少林派の兵器法は棍が普通です。 少林寺拳法は、仏教です。
しかし、日本武道のほとんどは、神道です。「神前に礼」です。
但し、公共施設では、神棚は無く、「正面に礼」をします。 >>230
え、そんなことも知らないのなら触れないのがいいと思いますよ。 講道館柔道は、無宗教であるが、
古流柔術は、やはり神道が多いのかな? 江戸時代前期くらいのものは修験とか密教かぶれのものもありますが、
ここが武術の凄いところで、のちにウマーイこと距離を置いていくんです。
ですから後期以降のものは、むしろ明治の国体化の時代よりもクリーンです。
一応、形式上の神前(のちに正面)への形式だけは通していました。 なんだか竹内流も内部で、勝手に短棒術をつくっては史実に無い話をでっちあげて、
その技術こそ隠された奥義だなどと吹聴している問題がおこっているそうですよ。
大変ですね、古武道は嘘こきが多いです。 シントーシントー言い始めるのは国家主義や民族主義が高まった明治以降の現象でしょう
楊心流や起倒流の伝書見るともろ儒教や道教とかの影響受けてますね
神道は教義と言えるものがないから主軸にはなり得なかったのでしょう よくも宗教性を上手に剥がしていったなと思いますよ。
一度付くと難しいですからね。 >>223
「足をつけたまま」という表現を、
「足がその場に固定される」という意味でお使いでしょうか?
とりあえず動画のバーベルの、向かって左端が固定されているので、
そうお考えなものと解釈し、ご返答差し上げます。
足の固定は不可能です。
受が自ら膝を出せない以上、捕により上体を少し後方に引かれるだけで、
受の足はズルズルと前に滑り出て、停まりません。(これが>>93の「急速に投げ出す」)
眼前に壁があれば足の固定が実現出来、
脚を曲げて座らす事が可能になるため、結果的に足の投げ出しは回避しうるでしょう。
(一応確認までに、日本語として「足を投げ出す」は、以下の体勢を指します。
https://photo1.ganref.jp/photo/0/ad96981f222497ec4b2aee648ced7739/thumb5.jpg
跳び上がり両脚を前に突き出す、つまりこのような「ドロップキック」じゃありませんからね、念のため)
https://encrypted-tbn0.gstatic.com/images?q=tbn:ANd9GcS3WnPhaEXA8OykhHZVd6HRCkmL9G0pKyf73dPKAqdPlJwPdObM
しかし壁にせよ他の道具にせよ、何かで固定し、受の脚を曲げて座らすには、
捕がほとんど下がらないでいないと、無理です。
そしてそれは>>208の「真下に降ろす」に他ならず、捕に大変なダメージが加わるので、
仮に最初その動作を択んでも、あまりの負荷で咄嗟に下がる事になります。
結果、受の足は必ず投げ出されるのです。
この「必ず」は、前、下、後ろの三択しかない以上、そして前と下が無理過ぎがゆえに、そう云えるわけです。 >>232
お前の常識が世間の常識とは限らん
そんな事も解らないなら世間の人と会話しない方がいいぞw 北陸の一向宗(浄土真宗)の一揆とか山川の教科書にも書いてあるような一般常識なのに知らないとか
先生の話ろくに聞かずに寝てた子ですかね >>236
講道館にも戦前一時期、神棚があったんだよね。
嘉納先生の死後かな? >>239
↑
この手のまったく勉強してない系の馬鹿わきますよね。 戦国時代以前は、寺院も自ら武装していた。
信長・秀吉の天下統一の過程で武装解除された。
日本人ならば、みな知っている常識です。 ほんっとに無知をさらけだす奴って世間のご迷惑ですよね。
そりゃ人から嫌がられていくわけですよ。 >>242
神棚については、ある意味あって普通なんですよね。
当時の家々ですら当たり前に神棚くらいありましたから。
むしろ逆に、「神棚は置かない」というほうが左翼っぼいというか、
戦後日本の日教組っぽいおかしな考えなんですよ。
国旗はよくないとか、国歌は歌わないとか、あの手の変なやつら。
歌えってわけじゃないですが、どこの国民だって国歌くらい好きで歌うものですよ。 神棚が出来たのは国家神道による国民総氏子制が敷かれた明治6年から
それでも置いてない家庭のほうが多くて一般に普及するのは大戦中の軍部の指導による強制設置からでしょう
熱心な仏教徒の家では敗戦してすぐに遺棄することが多かったそうです
本来神道は素朴なアミニズムで偶像を祀ったりそれを崇拝することを強制するようなものでもない
霊験あらたかな気分になったら手を合わせるその程度のものでいい
「神棚」なんてものはキリスト教にジェラシー燃やして帝国政府のお馬鹿さんたちが勝手に伝統まげて作ったもので本来はないほうが自然なのです 調べると道場に神棚が設置されるようになったのは1936年の体育運動主事会議で神棚設置が義務付けられてからだそうです
そもそも江戸時代の武術家の間で一般的だった摩利支天信仰はヒンドゥー教からだし「道場」という名称は道教由来だし
鹿島や香取発祥の流派を除いてもともと日本武道に神道というものは案外近代になるまで絡んでこない >>247
アマテラスを中心にした太陽の民族だっていうコピーのですね。
伊勢神宮なんて墓地という感覚であそこに作ったのに、
今では安倍総理が年初めにお参りするのですから。 >>248
お、ありがとうございます。すごく参考になります。 そうなんですよね。武術の発達した時代はすでに摩利支天や、
天狗の神格化があって、天狗になろうとしてたりとか、
密教もするすると入ってきて、巻き物には真言だとか色々入っています。
とくに、修行系といえる修験なんかも武術とよく絡まっていました。
つまり、武術と信仰が親しいのは神仏分離「以前」のはずなんですよね。 神道っていうのはそういう意味では、むしろ体育っぽいというか、
少なくとも武術のそばのものでは無かったとも言えます。 >>248
現像する日本武術の中では割かし古くて影響力の強い鹿島香取の太刀が例外扱いになるってどうなんだ???...って突っ込みはなし?
後、摩利支天信仰がヒンドゥー由来ってのもずれてると思う
だって他所の神様や理論を取り入れるなんて珍しくないし、実際当時信仰されてたのはヒンドゥーの太陽神ではなく密教に取り入れられ さらに日本ナイズされた「摩利支天」じゃん >>253
いや馬鹿ですか、ヒンズー由来の来訪神だと述べたほうが分かり易いじゃないですか。
おたくのその耳糞みたいな講釈だと読んでるひとが意味掴みにくいんですよ。
このかたの述べようことをセンテンスから読み解けていない、まさに耳糞野郎なんですよ。 >>248
みたいな嘘吐きというか
穴だらけの自説を開陳し
事実を自説に都合よく捻じ曲げる奴って
一体何なのだろうな? >>254
どうした急に発狂して
俺がレスしたのはID:8pVZ5WAO0だぜ?
まるで自分のことのように頭に血を昇らせるなんてまるで信仰だなw おっと、同じ文で二回も同じ副詞を使っちまった
文頭の「まるで」は無しってことで >>252
「神道」と一口に言っても色々あると思いますが、
ここで言うところの「神道」は、いわゆる「国家神道」と言われるものでしょうかね。 >>256
おたくのレスが馬鹿だというわけですよ、自覚とれましたか。 >>258
おそらくそのことを述べているのだろうと思います。
国学的にいえば神道というのは少なくとも江戸時代には理解されていたので古いですし、
神棚についても江戸時代すでに江戸では一般的でしたから、そういう意味での話ではないのでしょう。 中村民雄の論文によると江戸時代の道場には神棚はなく道場の中央に神棚というスタイルは武徳殿が嚆矢とのこと
https://www.lib.fukushima-u.ac.jp/repo/repository/fukuro/R000000586/6-161.pdf
一般家庭への神棚設置が国家により強制される過程は岩本通弥の「可視化される習俗」に詳しい
https://rekihaku.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=1572&item_no=1&page_id=13&block_id=41 なんでも国家神道に結びつけたがるのは、ご自身の気分でしかないとおもいますよ。 >>248で「鹿島や香取発祥の流派を除いて」と書いているのだから(明治からの)国家神道に限らないことは明らか
て言うか文体変える努力くらいはしましょうよ
日本語苦手な君に言うのも酷だけど なにこいつですけど、人の話に手を出さないことですよ。
どうせ自分はまともにもの言えないんだから。 もしかして、足を投げ出すって言うのは、
抱えた後に、後ろに倒す過程で胴体は後退するから、足はその場に残って、胴体から見たら前に伸びてしまう現象の事ですか?
すごい衝撃と言うので(投げ出すという表現も相俟って)、てっきり、気を失った人が、自分で足を勢い良く前に伸ばすのかと思いました。 >>265
大部分そのとおりですが、
足は厳密には残らず(固定は生じず)、ズルズルと前へ滑り出てゆきます。
本人の意図なく脚がピョンと蹴り上がるのは、脚気の検査です。
https://2.bp.blogspot.com/-EBfeM8sZyFo/V2ucFRr8WhI/AAAAAAAA7vM/V-Hlq9OOiD8bvTWsf5yCnGfM6Z5f94JKgCLcB/s800/medical_kakke_woman.png
気絶した人間が突如跳び上がりドロップキックをかますなどと、
そんな主張をする人のいる事自体ありえないので、おかしいと思ったら、まず過去ログを読み直すのをお奨めします。 実際にやってみていないのでわからないですが、
後ろに倒す際、正確に言おうとすると、その場に残らずに後ろに引きずる形になると思ったのですが(体を基準にすると前に出る)、
そうではなくで元の足の位置に対して前に出ると言うので意味でしょうか? 脚気のように前に飛び出すと。
あの方も、ドロップキックはおかしいと主張してるんだと思いますが、
足が前に飛び出すことで、似たような体重のかかりかたが起こるような感じでしょうか。
ドロップキックなら真下に行くでしょうが、
足が前に出るなら、後ろ下に向かうような重さのかかりかたかな? 古流の稽古着なら生成、晒、藍染、黒染とか。あとは、刺し子の糸の色を変えたり。
昔の柔術着は白が多かったです。 ・材質は木綿
・腰継が多い
・刺子は横か縦又は十字、腰下は格子か菱(剣道着は縦、柔道着は横でした)
・半袖
・色は白が多い。黒も見たことがあります。
・襟に詰め物して丈夫にする
・生地は二重が多い。昔の本だと三重としているのもありました。
といったかんじです。
服を直接掴むので剣術のより頑丈に作るそうです。
講道館の展示室に嘉納さんの柔術着があります。色は白でした。
普通は捨てられてしまうので、実物は珍しいです。
今目にするのだと、真楊流の方が使ってるのが古いタイプです。
白い生地に黒か紺糸で刺していて、あまり見ない色でした。 >>270
>>271
回答ありがとうございます。
現代でも、ちょっと黄色ががった柔道着や空手着、合気道着が存在するので、
昔は、その様なものが主流なのかなと思っていましたが、
どうも違うようですね。
木綿色は、昔も今もマイナーな道着ということのようですね。
これって、入門用の安い道着ということでしょうか? >>272
いえ、その黄色がかったというのが本来ですよ。
昨今のいう白は漂白の白なんです。昔の白は黄がかっていて、
使い続けることで白くなっていくわけです。 稽古着は自分で作るか、誰かに頼んで作ってもらいます。当時は市販品はありません。
柔術着は厚く丈夫に作り、刺し子も緻密に刺し手間が掛かるものです。非常に面倒なので定めが無い場合は一々染めないと思います。
消耗品だから、特にこだわりがない人は生成りですね。
ただ、こだわりのある人は昔からいるもので、黒染や藍染め、染め抜きとかもありました。
今でも、柔術着を自分で作る人はいますが絶滅寸前です。
作り方は昔の柔術本に載っています。 馬鹿を言うんじゃないですよ。
柔術はその時代の稽古着や武具からすべて流儀ですよ。 そうはいっても、今の時代に柔術の稽古着使ってる人殆どいないですからねw
昭和の頃の年配の師範だと使ってる人もいました。しかし、今はみんな柔道着,剣道着です。
柔術着は絶えました。古流やってる人でも柔道着や剣道着と何が違うのかよく分かってないのが実際のところです。 さすがに柔道着はいけないと思いますよ。
そのくらいのことに気づかないひとは柔術には向かないかと。
柔術やるひとは歴史的な事にも詳しいはずですからね。 昔の流儀か何か知らないが
本質的なとこではないし
服なんざ何を着ていても柔術は出来るだろ 柔術のひととお話するとすごく詳しくて驚きますけどね。
道具が分からないと習慣が分からないですし。
わざわざ羽織りを着て稽古するかたもおられると聞きますよ。 本質的ではないと思うけど、服で形が変わってしまった例がいくつかあるので
それなりに重要な事だとは思います。
和服から柔術稽古着、柔術稽古着から柔道着と服を変えたことにより形が少し変わってしまったのがあります。
この辺は注意すべきでしょうな。 だったら和服に戻せばいいんじゃね
形も元に戻らね? 特定の服に縛られた技術なんて現代じゃ使えんだろ
365日同じファッションして同じ服装の奴としか一悶着起こさないなら別に良いけど
着有りにしたって柔道やBJJで問題ない まあ、和服が一番いいですよ。
稽古着が出てくる前は和服に襷とかですし。 >>283
実際に古流には和服でしか掛からないような形が幾つかあります。今の時代に不要な技です。
もちろん全てではないので、柔術の稽古着や柔道着でも何の問題もありません。
服そのものとは関係ないですが、二本差しとかを想定した技も特定の服装に縛られているともいえます。維新後に不要という理由で体系から削除した流派もあるそうです。 柔術は現在の武術と違い、昔の生活に則ってできています。江戸と室町でも雰囲気や発想とかが違っていたりします。
やはり、現代に使える技術を望むなら、明治維新前の古流よりも近代に創られた武術武道の方がいいと思います。 服装で変わる技ばかりじゃなし
普段着やスーツなど
自分が一番着る服で使える技がいいよ
現代格闘技、古流武術関係なく、
服が破れても裸でも、使える技がいいに決まってますわな いや、変わらない技術っていうのはありえないですよ。 不思議なのは柔術って帯刀を想定してるものはかなり少ないということですね
例えば関口流は刀を差した状態を想定した車捕といのがあるのですけど逆を言うとそれ以外は帯刀を想定していないということです ん?多いとおもいますよ。稽古中にわざわざ差さないだけではないでしょうか。
逆に、関口流というのは座敷での芸事っぽい性格が出始めて刀を外した柔術になったと聞きますよ。
関口流のかたがおっしゃっていました。 それがねぇ刀を差した状態を想定した型がある流派ってかなりレアなのですよ
天神真楊流みたいに一つもない流派とかありますからね
稽古でつけないから概念からも消えて行ったのでしょう そうですか、天神真葉流は詳しく存じませんが、少しくらいも無いのでしょうか。
敵の刀を奪おうとするなどの対処とか、あってもいいはずなんですが。
いずれにしても、稽古中から木刀など差すべきなんですよね。 一つもないは言い過ぎましたね
極意上段居取はほとんど刀をもった相手へ捕らえる形ですから
でもそれ以外はほとんど素手対素手を想定した形で刀に対する意識が希薄なんですねこの流派 時代もあるかもしれません。
江戸時代はじめとかいいかも。 >>291
鞘が突っかからないようにやるんだよ
>>295
んなこたーない
適当な事ばっかり、勝手な憶測で言っちゃダメだ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています