和道流空手道を語る3
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和道流空手道の理合についてなど語るスレです。
前スレは粘着質な誹謗中傷被害にあったため、ワッチョイ付きで立て直しました。
犯人について詳しくは>>2以降のテンプレで
和道会、和道流柔術拳法についてもここで。
次スレは>>950の方が立ててください。
その際、本文の頭に「!extend:checked:vvvvv:1000:512」と入力してください。
和道流空手道について語る
http://itest.5ch.net/test/read.cgi/budou/1533022271/l50
和道流空手道について語る2
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/budou/1541067049/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:----: EXT was configured でも、そのあたりは流派の違いも大きいですかね。
和道流で多いのは上段突きを前手の前腕外側で送るように受けますが、
この動きって剛柔流系統には見ないんですよね。
また、至近距離で肘を使って突きを受けるのも他に見ません。
回し蹴りを体を横に移動して当てをずらして受けるのは和道流特有かもしれません。 >>90
「左構えの場合ならば相手の右の蹴りへは、構えをスイッチしつつの右の流し突きで対応する事になる」って恐ろしく難易度高いなと思ったけど、
追い足で飛び込んで最後に少し流す感覚と考えたら非現実的でもないなって気がしてきた
ちょっとやってみるか… >>99
空手の受けは元々護身術として有ったからと当時の掛け試しの影響もあったかと思うが、真っ直ぐ受けるのが基本である。
真っ直ぐ受けるから同時に夫婦手のように両手を効率良く使う技術が作られた。
ただ、これだと受けを失敗すればそのままダメージを負ってしまうリスクが発生する。
元々武器術を前提に作られた古流柔術の技を習得していた開祖にとってそれは些か危険に思えたのだろう。
なので基本組手の受けは全てそこに体捌きが加わっている。
もしも受けが失敗しても相手の攻撃の直撃を食らわないようにすると言う考えである。
対して形自体は開祖の工夫が入ってはいても基本的にはそれぞれの空手の大家、名人達から学んだ沖縄の空手の形である。
なので、基本組手の受けと違う点が見られるが、和道的には他の形の受け技も全て体捌きと併用して使うのが理想となっている。
それ故に基本組手の受けは体捌きを学びやすい物が選ばれており、また和道流の分解はいわゆる「実際に使う時はこう使う」と言う指導はない。
応用と言う形での説明はあるがそれもあくまでも一つの応用であるのでそれに捉われないような指導がはいる。
基本組手を学んだ上で自然に形の技と組み合わせて無理のない使い方が出来る事を理想としている。
それは、個々の特性によって変わるので思想の固定を嫌っている。 >>101
文章で書くと相当に難しく感じるかと思うが実際に何度かやってみれば、難易度はさほどでは無いと感じるかと思う。
コツはスイッチする瞬間、前足を少し引く事になる。
組手時で順突きを出す際のコツとして紹介する先生もおられるのでそう言うやり方はイメージが付きやすいかと思う。
実際にこれを元に練習に励めばさほどの日数を要さなくとも約束組手形式なら多分決まるようになるかと思う。
ただ、そこから先の相手の技に考えるよりも先に体が動くレベルまで身に付かせるようにするには壁は高いと感じるかと思う。 回し蹴りに流し突きなんて高度な技を使わなくとも、荒賀の5:41辺りの対処で十分でしょ
https://m.youtube.com/watch?v=cv--5rBOCXY いや、和道的な回答期待したんじゃないのか
んで理屈としては同じだろこれ 剛柔流の荒賀ですら辿り着く技なんだから、和道流独自の答えとしては弱いと言わざるを得ない >>102
ぼくね、和道流の受けってけっこう好きなんですよね。
逆に言うと、空手形の受けって信用できないんです。
和道流は柔術の理解があるから、やっぱり上手いんですよね。
和道流ならではの受け技は大事にしたいところじゃないかなと、思います。 >>106
↑また謎理論かますめんどくさそうな奴が現れたな… >>104
技というのは、出来ない人間にとっては高度と感じる物だろうが、出来る人間にとっては普通の技の一つになる。
私にとっては、流し突きよりも荒賀龍太郎の刻み突きの方が余程高度と感じる。
とてもではないが、彼の刻みを真似できる気がしない。
形だけは真似できるだろうが、どれだけやっても早さも間合いもまるで及ばない紛い物の技になるだけだろう。
もしも荒賀が流し突きを高度な技法と感じているのならば、少なくともその技法に関しては
私がかの天才児よりも一歩先にいるという事になるのだろう。
そう考えるとある種の優越感も少しだけ感じるが、彼がもしも本気で流し突きを取得するつもりになれば、
私が10年かけた技もものの数ヶ月(数週間か?)で身につけてしまうだろうなとも思う。 >>107
和道の受けの技術は、古流柔術の体捌きと空手の各種受け技の両輪をもって成立するように開祖が作られた。
どちらかだけでも成立するが、逆を言えばどちらかだけでは隙も出来る。
双方の良い部分を身に付ける事を理想としている。
対武器の思想もある古流柔術の受けは体捌きを前提としており、それほど種類は多くはない。
対して空手の受けはどちらかと言えば徒手空拳を前提に作られたのだと思う。
そこに対武器の思想は薄いからこそ腕の様々な部位を使って相手の攻撃を受ける技が作られ、
受け技の種類とバリエーションは、古流柔術よりも多い。
また、両手を同時に使う夫婦手と言う考えも古流柔術の目線で見れば珍しい技術と言えるだろう。
開祖の時代において、護身においても既に刀や槍よりも素手を先ず前提に考える時代に入っていたので、
当時の開祖にとって、対徒手空拳での当身に関する技術が豊富な空手の技は実に新鮮にそして、古流柔術の足りない部分を補完出来る武道だと感じられたのだろうなと思う。 >>110
たしかにそのように考えてみると和道流の形成までがイメージしやすいですね。
他の流派なども参照して思うんですが、空手形にある受けというのは、
敵の攻撃にぶつけるような使い方のものでないでしょうか。
威力を相殺するというか、つまり単なるガードとも違うように思います。
対して、柔術系はお話しのように武器社会のものですから、
間合いをとったり間合いを殺したりが基本で、体もかわすようなのが多い。
そもそもの性格がちがうので、それらを塩梅よくまとめると、和道流のような動きになるのでしょう。 対武器って簡単に言うが、和道の技術で素手で武器に対処出来ると本気で思ってるの? なんかおかしいのがわきましたのでスルーでお願いします。 >>114
武器社会が何を指してるのか知らないが、
合気道とかは手刀を剣と仮定して約束組手をやるわけだろ?
そういうレベルの練習って何の役にも立たないと思うんだが >>111
空手にも流派によって受けに特色があり、相手の腕や足にダメージを与えるような受けを教えている様な所もあれば、柔らかい柔術に近い受けを教えている流派も見られるが、
全般的に共通しているのは大半の受けが相手の攻撃を正面で受ける形になっている事。
最初から体捌きありきの受けを主体で指導する空手流派は、私が知る限りでは和道流しか知らない。
沖縄の流派の分解などを見るとほぼ目の前に近い相手からの攻撃を両手を使って受け即攻撃するか、
或いは受けた片手でそのまま攻撃に繋げたり、掴んで相手を崩して下段足刀を蹴り込んだりと
攻防の間合いが明らかに近い。
この辺り、空手は元々は護身術を目的に作られたのがうかがえる。 >>112
いくつかで書いているが、和道流に対武器の技術があるのではなく、和道流の技術に対武器の思想がある
古流柔術の思想があるという事。
言わば和道流の技術のコンセプトに関する話であるが、それでそのまま和道流に対武器の技術があるという事にはならない。
何故なら、現在の和道流にはまともな対武器の練習がないからである。
幾ら技術のコンセプトで対応できる物があったとしてもそれを使いこなす為の練習をしなければ役には立たない。
現状の和道流空手の方は素手に特化しており、柔術拳法の方で少し対武器の練習が形であるのが現状である。
最も現代においては本気で対武器の技術を求める人間達は剣道や剣術、棒術などの武器術を主体とした武道や武術の流派に走るので、空手や古流柔術で対武器の技術が形骸化していくのも仕方ないかと思う。 >>117
視野が狭いと言わざるを得ない
例えばどの流派でも半身での手刀受けを習うと思うが、何故半身になるかと言うと、体捌きのため以外の何物でも無いだろう >>119
体捌きは古伝の沖縄空手にもいくつも見られる。
が、この場合の話は最初の受けの事をさしている。
和道の場合は最初の時点で体捌きをしながらの受けが主体になっている。
対して、沖縄も含め多くの空手の流派の分解や約束組手では
一部の例外を除けば最初の受けは正面で受けるの物が殆どある。
その後に体捌きを使って技を仕掛ける光景は見るが。
とは言え、和道以外の他の空手に体捌きがないという話ではないので足あらず。 >>120
松濤館でも、半身からの手刀打ちを移動基本でやってたりするが、これも似たようなもんじゃない?
これも最初から半身でやるから、正面で受けているという主張は当てはまらない >>122
私が書いている正面とは、真っ向から技を受けるという意味であり半身か正体かという話ではない。 >>124
真っ向から技を受けるの基準は何なのだろうか?
基本組手一本目の第1挙動だって、相手の突きには触れているわけだから、半身からの受けと本質は何も変わらないじゃない >>125
だからきみは、お話しの意味をまちがえて聞いていただろうって。
ぼくらはそういうこと分かって対話してるんですよ、馬鹿は去れ、迷惑です。 >>125
>真っ向から技を受けるの基準は何なのだろうか?
和道の基本組手を基準としての見たままの違いになるかと。 >>126
ふーん、君は何も分かってなさそうだけど >>127
見たままと言われても、考え方は人それぞれだしね
半身からの受けと何も変わらないってのがこっちの認識であって、何が違うのか説明してもらわないと反論として成立しないんだが この程度の反論も出来ないのに、和道流空手道の理合なんて語れるの? ID 1BPNXi9Q0
これ、杖道スレにも出没してる、口だけ中学生だから、
相手しても無駄。 或いは荒らしなのかもしれなが良い質問も投げてくれたかと思う。
他流の人達には理解しづらであろう和道の技術への質問にもなっているので。
例えば、このレスだが
>基本組手一本目の第1挙動だって、相手の突きには触れているわけだから、半身からの受けと本質は何も変わらないじゃない
このレスは、流し受けで相手の突きを受けているという前提での捉え方なのだろが、
和道ではこの流し受けも添え手として指導される。
基本組手の最初の受けに多用される流し受けは、最終的には受けすらいらない。
体捌きと足さばきが適切なタイミングで決まれば相手の突きは自ずと抜けるからである。
流し受けは飽くまでも保険という考え方である。
和道の基本組手の受けにはこのような、最終的には受け自体が無くとも成立する受け技が各種存在している。
と比べると他の空手流派は受けのある分解はその受け技で受けないとダメージを貰う。
受け技ありきに成っているのが主である。
この辺りの差異が和道流と他の空手流派にみられる違いの一つになるだろう。 ID QR43CPYM0
こいつはこいつで、中学生の自演が濃厚。
薄っぺらい知識で、ぐだぐだ。 >>134
どうみてもお前の方がこのスレに不要な存在。
消えてくれよ >>133
なんかすみません、全無視してやってください。 こういう武道としての空手に造詣が深い人のいる道場で稽古したいものだ。
うちはゆるゆるでグダグダやってるけど、どうやったらそんなに詳しくなれるのか。 考えて向き合ってるからですよね。
型稽古はそうでないと腐りますよ。 まあそうなんだけどさ
あんまり手元に材料がないとそこから考えるのも難しいよ >>138
私のレスはあくまでも参考程度にして欲しいと思う。
私も気楽な感覚で書いているので、読んでる側も軽い気持ちで読んでもらえればいいかと思う。
もしも、その中で参考になりそうな部分があるのなら参考にして欲しい。 私もより流派の技法の理解を深めたいと思った結果、県下の講習会などに何度も顔をだし、
その都度、質問を繰り返し、時に懇談会で
開祖から直接学んだ先生から開祖に関する話を何度も聞く事で自分の理解を深められだと思っている。
面白いのは、同じ開祖から学んだ先生でも人によって教わり方が違っているケースが何度もあった。
「自分はこう教わった」「いや、私はこう教わった」と同じ人物から教わったにも関わらずやり方が人によって違った。
開祖もその時々で少しづつやり方を検証して変えていたのが、色々な方々の話からも見える。
けれどその検証の中でも変わっていない部分もあり、それこそが私は和道流の技法の中核だと捉えている。
また、ある沖縄の先生と縁あって空手に関する話で懇談し、時にお互いの技を検証した際に「和道流は本土の手として完成されている。」
と言う感想を貰った事がある。
これは、どう言った感情での感想なのかは確認していないが、私は褒め言葉として捉えている。 なるほど、、やっぱり講習会とかそういう交流と研鑽が大事なのね そういう場所でしか学べない技法や話というのもあるので、機会があればでてみてもいいとは思う。
講師によっては知ってる事を話されるだけの時もあるので目当ての講師というのも見つけておくと更にいいだろうと思う。
運が良ければ、こういう技を目の前で見せてくれる事もある。
動画では若難い部分を直接本人に質問できるというのは、やはり参加している人間の特権であろう。
https://youtu.be/JX5g17SVF6U?t=100 ぼくの私見ですが、やはり精通しておられるかただからこそ、
そうしたセミナーなどでも良い理解を得られるんだとおもいます。
あまり素人半分のひとが得られるようなことではないとおもいます。
ぼくはやはり良い師に出会うことが一番の近道で、
それまでは諦めずにころころとするべきだと思うんですよね。 あると思うんですけど、そんなことにかまけてたらいけないと思います。
もっと動かないといけないんですよ、武道は。 >>133
そうは言っても和道流は流し受けを重点的に練習するわけでもなし、基本組手は流れを覚えれば誰でも出来る
他流派の受けでも応用として体捌きを使えばいいわけで、受けが必要ないというのは空手としてはどうなんだろうか
例えば、極真の世界大会でフィリオの上段回し蹴りを軽量級の成島はしっかりブロックしていたが、同じ芸当が出来る和道流高段者はいないと思うんだが
お得意の流し受けも回し蹴りにおいては対処法がない、スウェーもダッキングもないのだから、結局は間合いで切るしかない
でも、人間の後退の速度より前進の速度の方が上回るわけだから、結局追いつかれて食らう運命
和道流空手道というのは、結局、松濤館空手を改悪したクソ空手だったというわけだ 素人なら突っ込みどころが分からなくて当然だよ
気にするな >>148
いわゆる約束組手、基本組手、分解技などはその流派の技法のコンセプトを体現する物であり、それは時に他流から見ると無駄に難易度が高く非実戦的な技に見えても、
流派の開祖やその高弟達がそこから流派の技の本質を掴んで欲しいと言う意図の元で作られている。
そして、和道の基本組手は横の動きから始まる受けが全体の半分以上になる。
これは、他の流派には見られない傾向である。
流し受けは、けして難しい技では無いが、現代の競技組手においては受けるよりも見切り、躱す方が効率が良いので受け技自体は余り使われないのは残念ではあるが、
先に書いた通り、和道流の受けは最終的には受けすらいらない様に出来ている。
これは、受け技がいらないと言う事ではなく適切な体捌きと足捌きが出来れば自ずと相手の技は抜けるからである。
と言う事で書いたが、いきなり誰もがその域に行けるわけではない。
だから、保険として受け技も必要としてある。
ただ、これも他流で見られる多くの受け技は基本的に受け技が失敗した場合、そのままダメージを負うリスクがあるのに対して、
和道の受けは仮に受けが失敗しても体捌きも併用しているので、打撃のポイントをズラしやすくダメージを軽減できるようになっている。 ツッコミどころがわからないとは言ってないよなよく読め池沼 >>153
横の動きから始まる受けは結構だが、横から来る打撃にどう対処するのか、和道的見解が知りたいね
>>154
素人さんはROMってるままでいるのが正解 上段回し蹴りをブロックするよう伝わってないのはクソっていうなら、古流は流派問わずクソってことになりますな。
っていうかいるんだよな、「俺の理想のやり方がないからクソ」みたいなクソ自称武術家 和道の受けは他流と比べた場合、その点で差異が見られる。
基本組手の技は中々競技組手では使いにくい物が多いが、ただしその体捌きなどは使える。
和道の基本組手の体捌きには上体の使い方もかなり大事になる。
それは現代の競技に照した時、いわゆるダッキングやスウェーと言う技法にも繋がるものもいくつかある。
私は後屈立ちを指導する際には、組手への応用でスウェーとして使うやり方を良く指導する。
実は形の中にも受け技を外すと競技的なボディワークに化ける動きと言うのがいくつもあったりする。
ここに面白い動画を紹介したいのだが、松濤館、糸東、和道の三流派によるクーシャンクーの形が見られる。
https://youtu.be/UpZyMutavR0
こうやって3つの流派のクーシャンクーをそれぞれ比較した際、和道流の動きにはいわゆる躱す動きが随所に入っているのがわかるかと思う。 >>155
横からくる技と一言に行っても様々なケースがあるので簡単には言い切れないが、
基本的には躱せるなら躱す。
中に入れるなら中に入って技を入れる。
受けざる終えないのなら受ける。
と言う事になる。
そこに和道的な技法での対処となれば、流す、躱す動きでの対応が主体になるだろうが、
実際に戦う際には普通の受けも有効だったりもするので、ケースバイケースとなるだろう。
流し受けは普通に上段蹴りや上段への鈎突きへのガードにも化けるし、肘受けや上段受けも同様に横からの技への受けとして利用できる。 >>156
へえ、古流には回し蹴りの防ぎ方が無いんだな
良いこと聞いたわw >>158
クーシャンクーと言えば、全日本の舟田選手の演武はキレがあって見応えがあった
全日本で和道の形が出てくる事なんて、天文学的にあり得ない事だし、それが見られなかった和道の関係者が可哀想でならない >>162
回し蹴りを対処出来ない雑魚には用は無いので、こっちもあぼーんしとくよ >>159
では、縦回転の胴回し蹴りにはどう対処します?
右構えの時に、左から脚がとんでくる場合 >>164
その場合は、むしろ簡単で蹴り足をそのまま太刀の振り下ろしと想定すれば、
理想は体捌きで横に躱すとなるが難しいようなら上段受けとなるだろう。
和道の上段受けは上段から強い手刀や裏拳打ちにも負けないように腕を斜めにし頭部の少し前で受ける事を鉄則としている。
流派関係なく競技が発達した昨今の空手界において上段からの手刀や裏拳打ちは見られなくなったが、
手刀は古流柔術などはよく見る技であり、
上段の裏拳も沖縄の流派の型にも見られる技で元々はポピュラーな技であった。 軽い気持ちで初透明あぼーんを使ってみたが、新着通知があっても書き込みがないし、答えてる人がいても質問がわからないw 余談になるが、私は数年前までは松濤館や糸東には見られない和道のクーシャンクーの躱しの動きは開祖独自の工夫と考えていたが、
縁があり沖縄の少林流の先生とクーシャンクーに関してやり取りした際に、
沖縄のクーシャンクーにも同じ挙動で躱しの動きがある事を知った。
となると、開祖はクーシャンクーは誰から学んだのか。
船越義珍、摩文仁賢和、本部朝基から学んだのは知ってはいたが。
開祖は沖縄にも渡って研究していたと言う話も聞いたことがあり、その辺りの系譜に関しての興味は個人的にあるが、
それは研究家のようは人達に任せようと思う。 昔名古屋で聖道流空手やってたんだけど、いつの頃からか形は和道のピンアンを取り入れ出した
そこら辺の事情は子供だったから覚えてないけど、吸収でもされたんかな? >>167
そのへんの脈絡は難しそうですね。
誰かしらから教わった可能性があるでしょう。 >>168
名古屋でやってたことあるけど初めて聞いた
ウェブサイト見たけどどういうところなのか全くわからなかったw
流祖は色々な格闘技経験で視野を広げたとのことだが、他流試合したら破門なんだなw >>170
名古屋商科大学とか三菱重工、トヨタ車体の空手部がここの流派なんだけど、まあマイナーだわなw
自分の行った大学の空手部は剛柔流で、そういうどメジャー流派との知名度の差を知ったw
(和道の方は名前はまあまあ知られてたけど)
ちなみに結局大学では日拳にどっぷりハマって、空手はやらずじまいでした
でも流祖が日拳やってたなんてのも今HP見て初めて知ったw >>172
競技組手に関しては、こちらのスレの人達には余り興味のない人達も多そうな印象なので控えていたけれど、
私自身は、競技組手は完全にスポーツとして捉えている。
それは所謂WKFルールに限定した話ではなく、格闘技全般をスポーツとして認識しているが、
極力対等に近い条件でお互いの技を競うというのがスポーツの前提になる事で、とり高いフィジカルとそして競い合う事で発展する競技の技術というのは、日進月歩と言える。
今回のプレミアムリーグで和道の西村拳が優勝したが、私は正直西村よりもアガイエフの方に興味が行ってしまっていた。
同年代の選手たちの大半は、選手たちから「先生」「コーチ」と呼ばれる立場についているのに、
今だに20代前半の西村拳のライバルとして存在している。
もしもルールが昔のような投げに関して緩い物であれば、今だに堂々たるオリンピックの金メダル最有力候補として存在しているだろう。
若い頃に比べれば、圧倒的なフィジカルからの爆発力は衰えたが、代わりに上手さが際立つ組手をするようになったと感じている。 和道の西村拳といえば、このスレに沿って和道の技術に注目して解析するとすれば、
技を仕掛ける前の腕の使い方が極めてうまいなと感じる。
村瀬氏、前田氏の時代の競技組手は今よりも各流派の色が濃かった時代だが、その頃に前手で相手の前手を抑えたり、
突きの軌道を塞いだりしていたのは、当時では和道の村瀬達位で他の流派の人間達はお互いに構えて向かい合って、
やるとすれば突きのフェイント位で、基本的にはタイミングを見計らって飛び込む、或いは偶に蹴りを入れる。
というスタイルが主であった。
その時代の協会の香川氏の中段の刻み蹴りは今でいうところの最先端の技術に言われていた時代である。
現代の競技組手ではこの手を使って相手を牽制したり誘ったりする駆け引きは流派関係なく使われ、
けして珍しい技術ではなくなったが、その中でも西村拳は実にうまく自分の手を使っていると感じる。 >>173
アガイエフは年齢とともに体に合った組手をしてますよね
間合いの取り方や駆け引きがうまいです
うちの先生方もそうおっしゃってました ビジュアル良くていい組手するからニシケンきっかけで注目度上がるといいなぁ 自分は組手ばかりで形に興味がわかないんだけどここの人たちは逆な人が多いのかな? >>177
私の場合は両方興味があるという所かな。
昔は私も同じく、組手にしか興味が無かったが。
また、指導する側に回る様になってから形の面白みが解ってきた部分もある。
技の意味や体の使い方の研究はすればする程面白く、またそれまで自分が以下に自己流でやっていて、
その結果使えないと感じていたのかが解るのもまた形の面白みの一つだろうと思う。
何より自分が指導する側に回った時、空手を愛好する人間達には必ずしも強くなる事に興味がある人間ばかりではなない事に気付かされた。
そういう人間達にも等しく楽しく空手に励むのに形はとても良いと思う。
形によって身体能力の向上と身体操作を追求するのも組手で強くなるのとはまた、別の空手の魅力の一つかと思う。 >>175
自由組手において、技を出す前の駆け引きで相手をコントロールさえ出来ていれば、
その時点で半分勝っている様な物で、競技組手ではその要素は本当にでかい。
私も昔は、余り駆け引きに関しては頭を使わずにその時の感覚に頼って試合をしていたが、
現在は技を出す前に相手の傾向や考えを予想し、それがハマった時は自分よりも若く、身体能力が高い人間に勝つ事もある。
そんな日の酒はとても美味く感じる(笑) 顔面撃ち抜かないルールがつまらなくて、日本拳法に転向したなぁ
日本拳法はハマった
空手は空手で良かったけどね >>177
形は身体操作とかの鍛錬法として興味あるけど、競技にはまったく興味が持てない。 同じく、型は身体操作という点で非常に面白いよ。
俺はボクシングやキックボクシングを経てから空手をやってるが、寸止め組手は全く興味ない。これやるなら、キックやテコンドーやニッケン、せめて防具空手でいいじゃん、て冷めて見てる。
フルスピードで突いて急激にブレーキかけるような動作は、体に無意味な負担かけてるように思う。
試合でよくある、半身のシコダチから、飛んで踏み込んで逆突き、引き手して残心、みたいな動作も、足首膝腰に無駄な負担がかかるように思う。
安全性では他競技よりマシだから、高校生までの試合スタイルとしては相対的に支持するけど、大人から始めた人がわざわざやるもんじゃない、、って感じかな。 空手関係者は、堀口やリョートの総合の試合見て、寸止め組手の前後の出入りの優位性を強調するけど、それ言ってるのは、本土の伝統空手関係者だけだろう。
格闘技系の実践者の、空手に対する興味って、どっちかというと、空手の身体操作の方だよな。だからみんな、本土の伝統空手の組手テクニック()より、沖縄空手や、和道でいうなら柔術拳法の方に関心をもってる。
前後の出入りって、フットワークの技術の一部、枝葉に過ぎないからね。 >>183
ええ、飽きてくるでしょうね。
今はたまたまUFCに順応しやすいかというだけですから。
またいずれトレンドは変わるでしょうね。 >>182
正しいやり方でやれば言うほど負担なんてかからないよ >>183
まあ前後の出入りはスポーツ空手の優位性だな
スピード除いても彼らの身体操作は間違いなく空手のそれなんだけどね
特にリョート >>179
考えてやらないとダメですよねー
自分も今は何も考えず感覚でやっているので いや、だから、何のためにそれを身につけるのかと。
護身や他の格闘技への応用が無いので、他の格闘技・武道から来ると、寸止めのための技術って、わざわざ時間をかけて身につけるメリットが全くないのよ。
他の格闘技でも応用が利く、ボクシングのジャブ、ストレート、フックなんかとは違う。
キックボクシングのキックは、フルコン含め空手の蹴りと違うが、全く役に立たないわけじゃない。
対して、寸止めのための技術は、あのルールの中でしか意味がない技術。
しかも、じゃあスポーツとして割り切ってやるか、というと、日本の指導者の場合、精神性とか従来のやり方に固執したりするじゃない。
一昔前は、シコダチ半身スタイルは腰が前を向いて無いからダメ、ダッキングはダメ、日本人は日本人のスタイルで組手して世界で勝つんだ、みたいな指導者沢山いたでしょ。良くも悪くも。
今はその反動で、競技で勝つため第一で、ヨーロッパのカーボンコピーみたいな組手、練習方法全盛だけど。
他に何も経験したことない社会人や、若年者にとってはいいルールだと思うよ。骨折とかの深刻な怪我も、パンドラのリスクも相対的に少ないから。裾野を広げるという意味でね。
何が言いたいかというと、和同は、柔術拳法というオリジナルなグレートレガシーをもっとアピールして次世代にも継承してくれ。 >>189
>護身や他の格闘技への応用が無いので、他の格闘技・武道から来ると、寸止めのための技術って、わざわざ時間をかけて身につけるメリットが全くないのよ。
いや、流石にそれはない。
長年競技空手にも携わっているが、弊害もあるが応用範疇の広さはけして他の武道競技に劣る事はないと感じている。
当然護身にも。
私自身、護身の際や他武道の人間達との交流稽古の組手の際にもこの競技組手で培った技術も大いに役にたった。
相手に反応され難い攻撃、遠間からの攻防の技術、そして何よりも相手の攻撃への反応の速さはこの競技組手で培った部分だと思っている。
では、伝統技法とも違う現代の競技空手は何の為にやるのかといえば、私の考えはシンプルで
現代の空手家においての一つの実戦の場であるから。
という考えである。
競技を一つの実戦の場と捉えるのは、武術から牙を抜いた平和ボケの考えと思われるかもしれないが、
伝統派空手に限らずだが、武道、武術で学んだ技で相手を必要以上に殺傷する様な実戦ではなく、
競技スポーツとして共に励む場所を武道の一つの実戦とした方が私は健全だと考えている。
勿論、世の中にはその枠に収まらない人間達もいるのも一つの現実になるが。 ただ、上記で競技組手の弊害と書いたが、私は最も大きな弊害は、競技組手にのみならず、
全ての武道、格闘競技に共通するのだが思考の固定化だと考えている。
このスレの2の最後の方のやり取りをみても感じたが、強いパンチの打ち方に拘る内容のやり取りがなんども行われていた。
確かに一撃必殺の突きやパンチというのは、打撃系の全ての武道を行う人間達が求める一つのロマンであり、理想であろう。
ただ、武術的にみれば相手を倒すだけなら何も拳による突きに拘る必要は何もない。
一本拳や貫手や開甲拳などは拳よりも貫通力が高くまた強い力による打撃をかならずしも必要としない。
私個人の感覚ででは素手による打撃の場合、手刀や掌底も使い方次第では拳を上回る威力を出すと感じている。
相手を戦闘不能にする工夫は武道、武術の技の中に数多く存在しているが、それを真面目に研究する人間の数自体は競技、格闘技の技法を研究する人間達に比べれば極々僅かと感じる。
手刀を護身の際にどう使うのか。
なんていう研究を真面目にした人間も空手界の中では僅かだと感じる。
これが、競技、格闘技の最大の弊害だと私は考えている。
最も、それは逆に言えば平和な事でもあると思うので必ずしも、これを悪とも言い切れない部分もあるのだが。 競技ルールのせいにしても意味がない
そもそもフルコンと寸止めじゃあ全然違うんだから比較の対象にもならないよ 打撃は顔面が有ろうと無かろうと、寸前で止めるべきだ
フルで当てるのは本当の実戦の時だけで良い
柔道の投げを普段からコンクリートの上でやるバカはいない
関節技を毎回靭帯傷付けるまで曲げるバカはいない
剣道で木刀で叩き合うバカもいない
ショー格闘技なら失神するまで殴り合わないと金にならないが、武道で障害が残るような練習はする必要が無い
武道の本番は実戦や護身だからな 防具空手全否定か。
それはともかく、コンタクト系の打撃格闘技、別に普段からフルに打ち抜いてるわけじゃないよ。
練習では防具をつけることもあるし。 防具は、防具の問題点があるとは聞くけどな。
しかし、ここしばらくの流れを見るに、
和道流には極めの概念がないのかね。 >>195
当然、和道にも極めの概念はあるとも。
極めを競技に採用したのは空手のみなのであたかも空手特有と思われがちだが、元々は日本の武芸では当たり前に有った物でしかない。
極めがあるから武器でお互い寸止めが可能になる。
極めのない寸止めは手だけの寸止めになるのでスピードも伸びもなくなり稽古は元より実力者同士による
お互いの力量を試すようなやり取りでも使い物にならない。
だからこそ、江戸時代において本来殺し合いの武が芸の一つとして認識された。 後、私自身昔は一時期、防具組手にハマっていた時期が少しあった。
これも縁あって、防具空手の流派の方の道場に出稽古に行かせてもらいそこで当時はよく防具組手をやらせて貰った。
短所は、防具によって素面よりも動きが制限されるのと強打しか取らないので、突きは刻みはほぼ使わなくなり逆突き主体になっていく事。
(私が行った道場では刻みも相当に深く入ればポイントになってはいたが)
後、防御の意識が素面に比べると確実に甘くなる事。
長所はそれら短所を塗り潰せるほど実際に打ち抜ける組手が楽しい事。
後、素面よりも安全であるのも大きなポイントになるだろう。
ただ、やってみて防具組手だと和道流の流し突きなどはほぼ使えなくただの防具の競技空手の動きになってしまっていたので行く頻度は減らして行った。
今でもそこの防具空手の先生とは付き合いはあるが今ではそこの道場に行っても指導側に回るケースが多くなっている。 練習から撃ち抜かないと実戦でも無理だよ
空手から日拳転向した時は顔面寸止めのクセがなかなか抜けなかったぐらいだし ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています