【伝統?】剣術・居合術・抜刀術総合スレ13【実戦】
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「小佐野」という日本全国で約9割が山梨県に住み、さらに山梨県の中でも南都留、富士吉田の一部地域のみで使われていた超特殊な苗字を尾張の柳生新陰流の話題でなんで愛称として用いたのか気になるところではあるwww
いったい、この愛称小佐野という名前にどういう意味があるのか興味がある。 なんかな〜
心眼流スレの時から少しおかしいと思っていたんだけどさ。
キック氏ってもしかして統失だったりするの? >>658
それがちゃんと武術として強ければ、ある程度の説得力も生まれるかもしれんしね
そういう意味ではキック君はオフするべきだと思うわ
あれだけ独自技を出すんだから、もちろん実演できるんだろうし 真剣での斬り込みをハイキックで弾き飛ばしたら信じる。
本当にできるか実演してほしいなwww 他スレでテコンドーの人が長物持った人に足を斬られる動画を見た
百聞は一見に如かずだった ほんとそれ、手に長い得物持ってんのになぜわざわざリスキーなことをするのか
蹴りのある流派はあるけど超近間での打開策の一つでしかないだろ キックに合わせて刀置くだけで勝手に足失って倒せるよな 相手のハイキックに刃を向けるだけで、キックの勢いで相手の足が飛ぶからなw あれキック君は?
ほとぼりが冷めるまで静かに待っているのかな? >>671
新陰流の技をオフで見せてくれるならな。 つーかマジで尾張柳生の伝書は外部に残ってないな。
目録も何も柳生家以外には無さそう。
蓬左文庫には円明流も制剛流も夢想流も、尾張藩で行われていた流派の伝書類は粗方有るのに、新陰流はその手の伝書が無い。 >>673
江戸が将軍家武術指南役になって全国に広まった有名な
流派だけど、尾張のは尾張藩内だけの有る意味マイナー
流派だろ??
そういう流派で門外に伝書がない流派なんていくつかあるぜ 新陰流道業六十年回顧録(渡辺忠成著)に
柳生厳長が詐欺行為を行った事が掲載されてる。
http://up.mugitya.com/img/Lv.1_up120242.jpg
昭和34年、手造りの木刀を製作するとして
門人たちから一本5千円で前金を受け取っている。
(高卒の初任給が7千円ほどの時代)
しかし厳長が亡くなった昭和42年までに
この木刀を受け取れた人間は一人も居なかったそうだ。
8年の間、誰にも木刀を渡さなかったなんて
あきらかに詐欺行為だ。
他にも、厳長がウソつきだとマイルドに紹介されてる。
http://up.mugitya.com/img/Lv.1_up120243.jpg
新陰流道業六十年回顧録では、
厳長の息子・柳生延春を批判的に。
http://up.mugitya.com/img/Lv.1_up120244.jpg
http://up.mugitya.com/img/Lv.1_up120245.jpg
厳長の方は好意的に描きがちだけど。
その本の中においてすら、
『厳長が嘘つきで詐欺師』な事が書かれてる訳だ。 しかし第三者からみたら、厳長と延春のメンタルは、
本当に良く似ている。まるで 双子みたいだ。
・異常な自尊心のために、非常に攻撃的
・自身や自流派を持ち上げるために、他者を平気で下げる
・その際、いともたやすく嘘をつく
虚栄心のかたまりだ。言い方は悪いけど遺伝なんだろう。
(おそらく、厳長の父親である厳周もそうだったろうと思う)
柳生家の嫡孫が、たまたま異常な虚栄心の
持ち主だった可能性も、そりゃ在るだろうけど。
異常な虚栄心の一族が、柳生家の嫡孫を騙ってたと、
考えた方がシンプルだ。
(この手の資料で見る限りの率直な感想として、
この柳生家は他人とトラブルばっか起こしてるクズな家系だ。
人間性としては、まったくヒドイ奴らだという印象しかない)
渡辺氏にとって、厳長と延春の印象の違いは
厳長のが目上だった事と
『厳長からみたら、渡辺家がカモだった』せいだろう。
昔からそうだけど、『詐欺師はカモには優しい』もんだ。
(なにかと金を貸してくれたし、木刀の前金も巻き上げられたしね。
きっと、売れてなかった正伝新陰流を何冊も購入しただろう)
http://up.mugitya.com/img/Lv.1_up120246.jpg おそらく本来、柳生家ですら無いと思うね。
(たぶん、厳周の頃はそれでもローカルな流派で、
最初は内容も控えめだったんじゃないかって思う。
それが誰からも突っ込まれない事が経験から分かってきて
厳長の頃から徐々に話が大きくなっていったんじゃないかと。
宗冬の親指を砕いた話も、型での事故だったのが試合の結果に
なったり。尾張柳生家が分派でなく宗家って設定になったのも)
http://up.mugitya.com/img/Lv.1_up120247.jpg
この手のなりすましの歴史は決して特殊な事じゃない。
https://image.middle-edge.jp/medium/929a2304c03f9b62a97f9dab373099ec.jpg
https://middle-edge.jp/articles/I0000913
https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B00F3FOX3W
やっかいなのは、ただの詐欺師でなく。
厳長(厳周も?)が古典が読めて(そして、おそらく書ける)。
木刀など(おそらく古美術なども)を作る技術が有った事だろう。
まさに贋作師だったんじゃないかと。
http://up.mugitya.com/img/Lv.1_up120248.jpg
口先だけの詐欺だけじゃなく
贋作まで出来るとなると、途端に話が面倒になる。
(しかも、家訓で「現物を第三者に
直接、見せられない」とかの予防線が張られるとキツい)
http://up.mugitya.com/img/Lv.1_up120249.jpg
↑の話そのものが在り得ないなら、該当の木刀が
現代にある以上、ブツは誰かがをデッチ上げたものだ。
(おそらく、厳長自身が造った物だと思う) 出典を明確にするのはともかく、 著作物の無断転載はやめろっての 政治連投荒らしにジキチン君に、今度はキック君かよ。もう黙ってオフでやりあってろよ 刀で岩を真っ二つにする柳生新陰流にマジになる奴って何なの? >>678
>590じゃないけど、どのレベルで疑ってるの?
尾張柳生独特の技術や伝書はでっち上げだとして
1.幕末まで尾張藩では、柳生家が新陰流を続けてたが、厳周はそもそも柳生家ではなく、本物の柳生家は維新後に廃業した
2.厳周は利厳の子孫ではあるが、幕末までの間に新陰流は失伝していた
3.幕末までに尾張の新陰流は失伝しており、かつ厳周も柳生家の人間ではない >>681
といか、そもそも論破された記憶がないうえに
あれから、上であげたような
新しい情報も増えたんで、なにかと話が違う
とりあえず、事実関係が重要なのであって
論破うんぬんは興味もない
少なくとも、口喧嘩がしたい訳じゃない >>684
答えてくれてありがとう。
個人的には1だとしたら、(本物の)尾張柳生関係者が生きてるタイミングで厳周が尾張柳生を騙って活動してた事になるからちょっと考えづらい。
そういう意味では、厳周が騙りだとして可能性があるのは2か3だと思う。
逆に幕末まで尾張の新陰流が活動してたとしたら全くの騙りじゃない状況証拠にはならないかな。
張藩武術師系録 が書かれた時点では(八代目かな?)活動してたみたいだけど
https://i.imgur.com/JlB7pW0.jpg 正直けっこう面白そうな話なんでちゃんと調べてみたいな。
何となく殿様と交代交代で流儀を継承してたって話は眉唾だと思うが
仮に事実なら印可伝授とかに関する記述が尾張藩の記録に残ってるはずだからそっちの方向で調べられないか。 >>684
幕末から明治にかけての藩士名簿に柳生三五郎の名前も経歴も乗ってるんだけど、同時代の同じ地域に生きてる人間の名前を騙ったってこと? >>688
>>689
ゼロとは言わないけど「それが本当なら」厳周がまるっきり嘘ついてると考えるのはちょっと無理があるか
利厳の直系かは保留するにしても尾張の柳生関係者って考える方が自然かなあ >>689
>>690
藩士名寄は徳川林政史研究所でPDFファイルで公開されてるから見てみると良いよ。 いや、わからんよぉ。
名簿なり知名度なりで知られてた名前で。
維新のドタバタで、いつ死んだか
世間的にあいまいな人間と入れ替わるとか
有り得るかも知れん。
現代から、見ると幸運すぎるようなことでも。
その時代にその時には、なにか絶好のタイミングが
有ったかも知れん。 >>691
具体的にどこのページを見ればいいか
教えてくれると、なお助かるなぁ >>685
えっ??
新陰流スレじゃなくここで必死に喚いてるのに?? >>692
うーん
三五郎本人以外でも一族や同僚も生存してるだろうし厳しいと思うなぁ
そりゃ徳川家康は影武者だったとか義経はジンギスカンだったレベルではあり得る話かもしれないけど
現状キック君が疑ってる理由が
1.(キック君が見て)尾張柳生の演舞のレベルが低い
2.伝書が(現)尾張柳生家以外にない
3.過去に厳周が詐欺をしている
で、そもそとどれも根拠としては弱い >>697
木刀の件は厳周じゃなくて、息子の厳長でしょ? >>699
ああそうか。ならなおさら厳周を疑う理由としては弱いな。
だけど尾張柳生の伝承を根本から疑う姿勢は見習うところはあるよ
ただ>692とか最初の考えに拘りすぎて情報をフラットに判断できなくなってると思う >>700
こいつ、キック理論と同じで、聞く耳持ってないから 古流の流史を外側から疑い出していちゃもん付け始めたら どの流儀もキリが無いと思うけどな
結局、証拠が希薄だから古流の歴史は全部嘘 みたいな極論に行き着くと思う >>685
実際には論破できなかった相手を後から論破したような空気作って
それを既成事実のように触れ回るってのはこのスレでも見られるから
同じヤツがやってるんだろう >>697
演武でレベルを判断されてもなぁ??
あんなもん流派によっちゃなにも見せてないし。
キック君にとって尾張柳生より上のレベルの演武って
どの流派なんだろうな??
ぜひ聞きたいものだわ >>703
すまん、始まりは俺が念流がーとか言い出した事かもしれん 仮に演舞のレベルが本当に低かったとしても尾張柳生を騙ってる理由にはならないよな
伝わる途中でレベル落ちることは普通にあるし 演武会って催しはいつから行われてたのか
誰か歴史知ってる? >>703
史学的にやりたいんなら本来は資料批判とかそういうのからなんだけど、今回の場合は柳生家の資料は一切信用しないというルールで遊んでるだけだよ。
尾張柳生は資料が色々残ってるから、違う角度から考えてみるのも結構楽しい。
キック君は真剣なのかも知れないけど。 >>703
まあ、とりあえず
検索してみればわかるけど、「流史」って用語は存在しない。
正伝新陰流で使われてるから
おそらく、厳長の作った造語だろう。
(もしくは、辞書にも載ってないレベルの
マイナーな所から引用してきた用語か)
おなじく、「弘流(ぐりゅう)」って一般用語も存在しない。
よく、尾張柳生関連の人が使ってるから
これも厳長が、どっかでデッチあげた言葉なんだろうな。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11145615006 よく古流は演武会で技見せないとか隠すって俗説があるが
そこに居て動いてる人間に技や高い身体能力が備わってないのは武術家としてやばいよな
小手先の技の部分を見せる見せない言ってるのなら知らんが
大抵は批評を回避したいがための言い訳にしか聞こえねーな
まあ素人からのイチャモンが多い業界なのは認めるがね じゃあ、そろそろ本題にいこう。
http://up.mugitya.com/img/Lv.1_up120279.png
(部分的に読めない箇所も多々あるんだけど)
『藩士名寄』の三五郎の項目によれば、
「同日(明治元年12月6日)。家芸・御流儀これ以来、廃止」とある。
『185』の最後の行ね。
http://www.tokugawa.or.jp/institute/pdf-shiryou/hanshi_nayose27.pdf
実際に廃止したらしく、
これ以降の記述だと、本物の三五郎は軍人になり
明治4年に三等軍曹になった所までを載せている……あれれ〜?
まあ公文書で、はっきり『廃止』と書いてあるのはありがたい。
もちろん、資料批判的には
柳生家の所有してるとされる直接非公開の資料よりは、
こっちを信じるよね?
思うに、(いわゆる)江戸柳生も明治に途絶えてるし。
これは自然に廃れたと言うよりも、新政府に
にらまれたくないって配慮が有ったのかもね。 詐欺師たちは、これについて誰かに聞かれたら
なにか言い訳の一つでも用意してそうだけど。
「厳周が軍人だった」って設定はあまり使いたくなかったんじゃないかな?
ミリタリー知識について聞かれても面倒だし。
聞かれたら答える覚悟はあったけどけど、あまり
ひけらかしたくない設定だったんじゃないかと思う。
推測だけど、そもそも最初は
厳周 = 三五郎って設定じゃ無かったんじゃないだろうか?
厳周は、最初から厳周であって。
あくまで柳生家の分派のひとつが、まだ新陰流を教えてるって体裁で。
(新陰流全体の宗家でも、尾張の本家でもなかったって設定)
その後、本物の三五郎が世間から音信不通になったとか
子供が無いまま、亡くなったとか。あるいはそれこそ、
名古屋空襲で三五郎と、その周りの人間が絶滅したとかして、
名乗れるチャンスが出て来たと推測。
厳周 = 三五郎ってのは、
身の回りでローカルに騙ってた可能性はあるけど
世間に大々的に言ったのは案外、正伝新陰流からだったりして。
(もしくは、皇宮警察に出向いてた頃か?)
まあ、ここらあくまで推測だけどね。 >>715
軍人になったというか、尾張藩での藩士の階級?が近代軍隊式に変わっただけじゃね
廃藩置県が明治4年だよね。
他の明治まで生きた藩士の記録はどうなってるの? 正直尾張柳生が間に藩主はさんで継承してたとか
御流儀の格式があったとな利厳・連也頃だけだの話で
厳長の吹かしだと思ってたけど(張藩武術師系録でも普通の扱いだし)
キック君が訳してくれたの見ると明治までは"御流儀"として扱われてたんだな キックが訳したのは信じない方がいいぞ、どこぞの工作員レベル 単に尾張藩の流儀じゃなくなったってだけだろ相変わらずメチャクチャだな ジークンドーの関係者や愛好者の諸君!
情報入ったぞーッ!
朗報だぞ!
ダン-イノサントが初期の頃ジークンドーと偽って教えていた格闘技パナントゥカン
を今に伝えるIUMA振藩國術館は、
創価学会員が運営するカルト団体だった!
脱会者を許すな!邪魔者は潰せ!自殺に追い込め!
バックには学会がついている!怖いものはない!
「尾行」「見張り」「脅迫」「誹謗中傷」「怪電話」「殺害予告」などの犯罪行為は当たり前!
これが証拠だ!
一番問題なのはもう一つのコンセプト・グループの代表の中村君と、その弟子達の一部です。私もミタチ君
もそこの代表の中村君には相当な被害を受けてきています。
とある日、私とユタカ君が以前お台場にあったマーシャル・アーツ・カフェに行った時、
そのもう一つのグループの代表の中村君と偶然に出会ってしまったのです。
当然、そこで話し合いをしたわけですが、その代表は和解したはずのミタチ君への
非難を堂々と私に話したのです。しかし過去に私をも否定し、非難文を雑誌に載せただろ
う、と問いただすと、彼は「あれは雨宮さんのことではなくてミタチさんのこと
について言ったんですよ」、とその場を逃れるように私に答えたのです。この後まだまだ
事が起ったのですが、この辺でやめておきます。つまり、私が言いたいのは、その代表が
ある人の事について話すとき、本人の前で直接話す時の内容と態度が、弟子達に話すとき
の内容と態度とまるっきり正反対であるということです。このようにして私、私の弟子、
私のスクール、そしてテッド・ウォン師父までもが、長い間その代表と弟子達の一部によ
って悪口を言われ続けてきました。特にテッド・ウォン師父や私が雑誌に掲載されたとき
はひどかったものです。イタズラ電話や無言電話の嫌がらせもありましたし、それはユタカ
君にまで及んでいました。弟子達の様々な悪事を見てみぬふりをして、知って知らぬふり
をするそこのグループの代表の中村君の人間性を私達は疑っています。当然そのようなことはテッ
ド・ウォン師父を通じてリンダ夫人にも報告はしていますが。
彼らが悪口、非難、中傷さえしなければ、私は暴露文など出すつもり
は毛頭なかったのですから。 >>715
軍人になったというか、明治四年の話だと所謂壮兵というやつだろ。
鎮台は徴兵施行前は各藩の士族が集められてた。
明治十年頃までには殆ど徴兵による兵と入れ替わって退役したそうだよ。
柳生三五郎もその流れに乗ってると思う。
>>717
柳生家以外で御流儀というと、馬術の家とかを探してみれば良いのかな。 なるほど、壮兵と言うのがあるのか。
しかし、その間、壮兵として働いていたのなら
やはり、家芸は続けてないんじゃないかな。
しかし、この手の資料が
もうちょっと有れば良いんだがなぁ。
正直、厳周の時代についての情報が少なすぎる。
あと、自分は厳周の方を偽物と思ってるんで、
三五郎の方には本物と振っとく。
(その方が文意もわかりやすくなるんで) >>722
wiki情報だけど鎮台の設置は明治4年からだから明治元年〜4年の間の藩士名寄の記録は
まだ尾張藩直下で軍制が変わっただけじゃないか
藩の記録で「軍曹に申付候(もうしつけそうろう)」って言ってるのも、藩が任命してる言い方に見える
>>723
「藩士名寄」の他の明治まで仕えてた藩士の記述どうなってる?
俺が読める範囲だと一等????とか、みんな近代的な軍隊の階級を任命されてるように見えるけど
読めないものも多いから教えてほしいな 他にはパッと見た感じ
軍人っぽいのや、准士族とかあるな
と言うか、そこら自体はどうでもよくないか?
あんま、興味が無いんだが
論点ともズレてると思うんだが?
正直、労力をそっちに裂きたくない。 バカだなぁ、あういうのは部外者には読めないようになってるんだよ >>725
新たな職務として壮兵になったならキック君が>723でいってる通り
明治4年まで新陰流の活動ができなかった可能性もある(自分の稽古くらいはできそうだけど)けど
尾張藩の中での軍制が変わっただけなら、御流儀としての地位は無くなったにしても活動はできそうでしょ
仮に明治まで尾張に仕えた藩士で軍人としての階級を任命されてるのがレアケースなら前者の可能性が高くなるし
その上で、明治4年以前に厳周が大々的に新陰流の活動を行っていた記録があるなら
三五郎≠厳周説を証明するためのピースになるかもしれないと思ったんだけど
キック君が調べてくれた通り他の藩士も軍人としての階級与えられてるなら
証拠としては使えなさそうだね。 >>725
ただ正直キック君が調べてくれた通り
幕末まで新陰流が御流儀として扱われてたって事なら
尾張関係者がまだ生存してる時代に三五郎を騙るのは難しいなって気がしてる。
尾張でもあまり省みられてないマイナーな流派だったなら想像できるんだけどね
厳周自身が名古屋で活動してた時期があるなら余計に
面白い説だと思うけども。 新陰流の話題はもういいよ、該当スレでやればいいじゃん。 >>724
日付の誤記でなければ、明治四年九月はもう廃藩置県後で名古屋藩も無いから、東京か大阪の鎮台だと思う。
明治元年から三等軍曹より前は名古屋藩の軍制だろう。
剣道でも戦後は数年道場使えなかったけど復活してるし、別に稽古を禁止されてる訳じゃ無いから名古屋に弟子も居ただろうし、なんとでもなるよ。 最近物騒なので自宅用に短い警棒を購入したのですが、技術としては小太刀ってやつが応用できそうですね? 警察の使う警棒術は小太刀と関係ないが、警備員の習う警戒棒の型は何故か小太刀の流れを汲んでるらしい
確か中条流だったかな 理合としては短剣道が一番近そう
調べたら剣道じゃなくて
陸軍の短剣術からの流れで銃剣道の範疇に含まれるみたいね 短棒は剣道が1番良いような気が、、。
元々小太刀術だし、(中条流→一刀流→剣道)
「片手一尺の伸び」で4尺竹刀も65cmの警棒も間合いは同じだし。
むしろ、小手→面なんて小太刀じゃないとできないような技だしね。 「実戦で使えるか」ではなく「実戦なので使わざるを得ない」状況に木刀持って立たされたとしたら
(ナイフ持った乱心者が自分と家族に襲いかかりそうになってるとか)
一番に考えるべきは小手→面かね? 手を痛めつけつつ武器の排除を試みつつ
怖い刃物をよけて本命の面まで踏み込む道を開ける的意味で 相手にも読まれやすいからダメ? >>736
小手は狙わない方がいいぞ、まず当たらない 基本は斬れる所は斬って、突ける所は突くんだけど、気を付けないといけないのは、相手が剣術を知ってる場合
見た目で分かるよ、普通の奴と違うから 自分の習っている/習ってきた技術で対応すればいいいと思うけど
剣道オンリーの人だと、水月・脚・金的とかへの攻撃は咄嗟には出ないかもな どんな論法を持ってきても、キックが正当化することはないと最初に言っとく
刀を持つと両手がふさがるから、しっかり立たないといけない
二刀流なら尚更 小太刀や短棒術、十手みたいな片手操法は主流じゃなくて習える場所が少ないですね
自宅には警棒も包丁もあるし、長物なんか振り回せないですよね〜 >>737
そりゃ当てる才能のない人なら、どこ狙っても当たらんでしょうよ? 籠手だろうと面だろうと。
恐らく想像で語ってるだけだろうけど。 脇差でならともかく、剣道ルールで有効打突になる部分(小手筒のあたり)を短棒で打っても効果は薄いと思うんだよね。
相手に得物を確実に手離させるには、やっぱり手の甲とか指の位置を痛打しないといけない。
そういうことであれば「小手」に当てるのは確かに難しいだろうね。 >>745
小手って骨を強打されることになるから、
棒で打ちぬかれたら当分握力無くす。
剣道的に言えば、相手が素人だと小手は当たるし
経験者相手なら小手をエサに突き、面、胴に
いくしね。
剣道技の小手面の小手は当たっても当たらなくても
良いんだよね 小手でも蹴りでも出来るならやればいいんじゃないですかね
でも、あらゆる意味で危ないよ 110名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/03(木) 17:56:59.65ID:xrp7XuBk
居合道の魅せ方、惹きつけ方がド下手糞
全日本抜刀道連盟全国大会・第6回植木杯争奪戦
巻き藁斬りの動画をYoutubeで見たけど
日本の “文化としての見せ方” がド下手糞だと思ったよ
やっぱりこういう所に “プレゼンテーション下手“
が如実に表れてる
世界中の人間が見てるんだぞ
世界中に拡散されるんだからこそ
失 敗 実 技 は 編 集 で カ ッ ト し て
除 去 し な き ゃ い け な い ん だ よ バ カ
こういう文化カルチャーの動画はトコトン
上澄みだけ、成功例だけ、
形なって様になってカッコイイのだけ
を切り取って “印象、影響、虚像、カッコつけ” として見せなきゃいけないのに
何でもかんでも舞台裏や失敗例を全部バカ正直に見せると
全体の象徴的イメージが下がるだけなんだよ
動画撮影編集者、動画up者のセンスが本当になさすぎる
日本文化振興のつもりが
逆のマイナス効果で全部やってる事がムダ
見た視聴者から完全にナメられる
見下げられる >>748
タイ捨流の蹴りも危ないのか
あそこの人たちに教えてあげた方がいいんじゃないか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています