武田惣角が合気柔術という名称を先に唱え、それを植芝盛平がパクったという論は
2つの点で絶対的におかしい。

一つは、
武田惣角は直心影流と小野派一刀流を学び剣術でも名人だったというのが大東流側の触れ込み。
ところが、
直心影流と小野派一刀流では、「合気をはずせ」と言うように「合気」という言葉を悪い意味で使っている。
現代剣道も小野派一刀流の影響を強く受けているので、「合気」とは悪い意味で使っている。
自分の流派について、「ヤマト流」とか「大東流」とかの大層な名前を唱えていた惣角が、
悪い意味で使われていた合気という言葉を自分の武道名として積極的に使うわけがない。
もちろん、武田惣角が直心影流や小野派一刀流を習った剣の名人というのが全くのウソ話なら話は変わってくるが。
(この辺、大東流は自流の歴史・経緯についてウソ話が多すぎるので)

明治時代に、剣術のことを知らない奇術師が、気合いで人を動けなくする大道芸のことを合気術と言ってやり始め、この言葉使いが結構一般に浸透した。
実際、昭和になっても、この影響が残り、
昭和40年代頃までは、合気道と聞くと、気合いで相手を飛ばしたり、気合いで金縛りに書けたりする術だと思う人の方が一般人では多かった。

合気術師が気合いで人を金縛りにかける大道芸などを見て、
奇術師と同じように、正式に剣術を習ったことのない植芝盛平が、自分の武道に「合気」という言葉を使うことを何のためらいもなくできた。

その後、植芝が合気という言葉を武道名に使って有名になっているのを見て、
惣角が
植芝に合気を教えたのは俺だと言うために、惣角の武道にも合気という言葉を付すようになったというのが正しい。

武田惣角が直心影流や小野派一刀流を修行したのが全く嘘っぱちですというなら話は変わってくるが。