山形のど田舎から東京のFラン私大に進み、少数のイエスマンに囲まれて、世間が全く関心を持たない分野の研究に没頭した。
試合という検証作業は基本的に内部の関係者により行われ、「有効、効果、一本」といった判断は創設者の目分量に委ねられざるを得ないから、外部には届きにくい。
結局一部の好事家から懐疑的に注目されるだけの小さなサークルの域を出なかった。
「顔面」「金的」という命題から安易に逃げず、真正面から向き合い続けた姿勢には敬服するが、技術体系はおそらくこのまま埋もれていくのだろう。