武壇5ちゃんねる分壇4
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前スレ埋めてから出直してこい!ウンコ野郎(笑 皆さんは『大津事件:おおつじけん』と、その後の裁判を知っているでしょうか?1891年、
ロシア帝国・ニコライ皇太子(後のニコライ2世)が、日本を訪問しました。この際、ニコライ皇太子は滋賀県の琵琶湖へと立ち寄り、日帰りで京都へ帰る予定でした。
滋賀県の大津市の坂道の路地裏で、ニコライ皇太子は人力車に乗り、多くの警備や一般人の中を通っていきました。ところが、警備にあたっていた警察官である津田三蔵が、
突然、皇太子に斬りつけました。皇太子は人力車から飛び降り、命からがら逃げたのが大津事件です。
この事件は、巨大国家ロシアの皇太子を切りつけたという事で、今後ロシアとの戦争もありえると騒がれました。また裁判が行われる前から、政府の内閣総理大臣や、外務大臣、
内務大臣らは激怒し、即死刑を言い渡すようにと働きかけます。またその他、多くの裁判官の中でも、死刑にすべきであるという、意見が出ました。 しかしこの当時、旧刑法116条という法律がありましたが、内容として、日本の皇族に対し危害を与えた者が死罪を適用されましたが、外国の皇族に対する犯罪は想定されておらず、法律上、ニコライ皇太子は民間人と全く同じ扱いにせざるを得ない状況でした。
さて、ところがこの時の大審院院長(現在の最高裁判所長官)
『児島惟謙:こじま いけん』は「法治国家として法は遵守されなければならない」とする立場から、「刑法に外国皇族に関する規定はない」そして「国家か法か?!」とし、政府の圧力や、多くの裁判官の意見を跳ね除けました。
事件から16日後、この事件は一般人に対する謀殺未遂罪(旧刑法292条)を適用し、犯人・津田に、無期徒刑(無期懲役)の判決が下されました。こうして日本は法治国家である事を世界に知らしめ、また日本国内で『日本国憲法の三権分立』の意識が広まった裁判となりました。 台湾の中華航空で12月9日、日本人乗客3人が飲酒や喫煙をするなど大騒ぎをして、飛行機が空港に引き返すトラブルとなったことが報じられた。報道によると、台湾の桃 台湾じゃけっこう日本人もトラブルおこしてるな。中国人ほどじゃないんであまり報道されないけど。 金魚のフンで結構やけどエビやないからな
そこだけ気をつけてや >>10
どこの国にもアホはおる。
中国の場合人口が10倍やから極端に目立つだけで、アホの人口比率はどこもだいたい同じやろう(笑 ただ海外でのアホ行為は日本人のほうが確信犯が多いように思う。
中国人は要するに海外旅行慣れしてへんのが多いんやな。
以前日本のテレビでこんなんやってた。
日本の観光地のトイレで中国人が使用済みのトイレットペーパーを水洗トイレに流さず、トイレに備え付けのゴミ入れに捨てる・・・
こういう行為を日本人のオッサンが「だから47人は・・・」とやってたんやが・・・ 最近コンビニのトイレなんかにも「トイレットペーパーは便器に流してください」と中国語表記の案内が書かれてたりするよな?
これは中国人観光客のマナーが悪いんやのうて、むしろ中国人はマナーを守ってるんや・・・ただし中国国内のマナーなんやけど。
中国大陸はもちろんのこと香港や台湾でも一般家庭のトイレは水圧や下水道の関係から詰まりやすい。
いまはだいぶ減ったけどかつては都市部でもトイレットペーパーは水洗トイレに流さず、生理用品なんかと同様別のゴミ入れに捨てるというのが常識やった。
メイドインチャイナのトイレットペーパーがまだまだ水に溶解しにくいっていう事情もあったしな。
つまり件の旅行者はおそらく内陸あたりから来たんやろう。
それで「観光地のトイレを詰まらせたり故障させたりしてはいかん」と考え、よかれと思ってトイレットペーパーをゴミ入れに捨てたわけや。
文化や風習の違いがわからないと相手が善意でやってることを逆に悪意と受けとめてしまう。
観光地のオッサンが知らないのはしゃあないとしてテレビ局の人間は誰も知らんかったんかいな? 2,3ヶ月前、大阪日本橋の上海新天地のレストランに行った。
レストランといってもここはビュッフェで、ホテルの朝食のように各々がセルフサービスで好きなものをとってくるという形式。
とくに美味いというわけではないが、いろいろな中華の「家常菜(家庭料理)」を選べるのでよく利用するんや。 ところがその日は満席。
若いウエイターに頼んでも「席がない」の一点張りやったんやが、そこにその場の主任と思しき中年のオッサンが来て、
「どうぞこちらへ・・・」とようやく案内してくれた。 座らされた席はレストランのいちばん隅で、料理まではもっとも遠い場所。とても上席とはいえない。
オッサンはペコペコ頭を下げながら
「申し訳ありません。今日は中国客が多くてこんな席しか空いておりませんで・・・」としきりに謝る。
このオッサンも中国人なのだが、いくら私が中国人ぽい顔をしてるからといってやはり一目で日本人とわかったのだろう。 さらにオッサンは水と紙おしぼりを持ってきて(日本のファミレス同様ここはそういうのも本来はセルフサービスなのだが)、
「騒がしくて申し訳ありません」とまたも頭を下げる。
確かに団体客でいっぱいだから騒がしいのは騒がしい。みな北京語でがなり立ててるからな。
私が
「没関係(だいじょうぶだ)。私はよく台湾に行くが、まるで台湾の場末の食堂にいるみたいでかえって気分がいい。
なかなか商売繁盛してるようでけっこうなことじゃないか(笑」
と中国語で言うと、そのオッサンは喜んで
「おやっ!中国語がお上手ですねえ!ではどうぞごゆっくり!」
と言って下がっていった。 食べ終わってオッサンに「埋単(勘定)!」と言うとオッサンはすぐに飛んできてレジで支払いをした。
ところがその日は休日で、平日よりやや高い・・・つまり休日料金だったのに、オッサンは平日料金しか取らない。
「オジサン、今日は休みの日だよ」
「いえいえ・・・これだけ騒がしいなかではゆっくり召し上がれなかったと思いますんでこれでけっこうです・・・」
以前横浜の中華街が新華僑に荒らされて惨憺たる有り様・・・というレスがあったが、
新華僑といっても古い人ではもう30年以上日本で暮らしてる人は少なくない。
中国の文化や習慣をそのまま日本で通せばいろいろ摩擦がおきるのは避けられないが、
このオッサンのようにそろそろそういう時代からは脱却しつつあるんやなあと思った。 あれから126年後の今、東京地方裁判所で、長きにわたる『朝鮮高校の無償化裁判』の判決が言い渡されました。
↓↓↓↓↓
判決文
1.原告の訴えを棄却する。
2.裁判費用は原告の負担とする。
この間30秒ほど…
裁判官退場。
↑↑↑↑↑
なにか私たちは違法をしたでしょうか?
税金もちゃんと払っていても、朝鮮高校を無償化から除外する事が法律なのでしょうか?
学校に払う補助金・助成金が、本当に共和国へ行っていると思っているんでしょうか?
日本は本当に法治国家なのでしょうか?
日本は本当に三権分立なのでしょうか?
日本は本当に差別の無い国なのでしょうか?
今の裁判長様、『児島惟謙:こじま いけん』大審院院長のお墓に、何て報告をするのでしょうか?
悲しくて、悲しくて、本当に本当に本当に、やりきれない…
(T(T(T(T_T)T)T)T)うるうる 日本でも中国人のやってる中華屋の常連になると、一品付けてくれたり何かとサービスはしてくれるよな 税金は道路やごみ収集車など公共サービスへの対価だから無償化や参政権とはなんら関係がない >>21
日本の教育課程を充たしてない
インターナショナルスクールと同じだろう 日本と朝鮮の歴
東照宮と言うと日光を思い出す方が多いと思います。しかし実は江戸時代に、多くの東照宮が作られ日本には約100件の東照宮がありました。これは地方の大名たちが徳川幕府に対し、徳川家康を神格化した東照宮を自分たちの土地に作る事で、忠誠心を表したそうです。
そんな中でも日光東照宮、久能山東照宮、芝東照宮、上野東照宮、名古屋東照宮、水戸東照宮、そして紀州東照宮などが有名です。
私は和歌山にある紀州東照宮へと向かいました。この東照宮は、徳川家康公と紀州藩の初代藩主・徳川頼宣公を祀った神社となっています。 紀州東照宮を入っていくと、静かな森が見え、その後、急な階段が見えてきます。階段の数は人間の煩悩の数108段になっており、
この階段を登る間に煩悩を捨てると言う意味が込められているそうです。
階段を上ると東照宮の建物があり、反対側には和歌山の海と街が遠くまで見え、とても景色の良い場所となっています。
さて、そんな紀州徳川家の東照宮に、朝鮮半島とゆかりのある石碑が立っています。東照宮の鳥居をくぐり、石畳を進んでいくと(階段を登る手前)左側に『沙也可顕彰碑:さやかけんしょうひ』という石碑が建てられています。高さ1.5m、韓国産陰城石で作られた大きな石碑です。 これはあるひとつの話から立てられました。その話とは、安土桃山時代、紀州(和歌山)出身であった鉄砲隊『雑賀衆:さいかしゅう』が、秀吉の朝鮮出兵で朝鮮半島に渡ります。
しかし戦争中に「これは善の戦争ではない!」と言い放ち、部下たち3000人を引き連れ、朝鮮国に寝返り、秀吉軍と戦った話です。その後、雑賀衆は→沙也可(さやか)將軍と言われ、
朝鮮国王から『友鹿(ウロク=우록)金の金氏』の苗字を貰い受けたそうです。初代・雑賀衆の将軍は『金忠善:김충선:キムチュンソン』と名を改め、現在その子孫は15代まで韓国と日本に住み、2000人も健在しています。
この約420年前、戦争の最中にあったひとつの美談を、日韓両国で忘れてはならない大切な歴史として、2010年に碑を立てたそうです。石碑の両側にはハングルと日本語で、両国の代表が友好を願う言葉を刻んでいます。
(o^-')b 加藤清正が25万石で軍勢が一万程度、部下が3000人もいるなら5万石から10万石の大名だろうが、そんな大物が離反した記録はない。
沙也可=金忠善って一体誰なんだろう わたしは昨年、国立国会図書館に足を運び資料を収集しました。丁寧に収められた、多くのマイクロフィルムを開きながら一個づつ見ていく作業は大変でしたが、
とても貴重な資料を探すのには楽しさがこみ上げ、時間が過ぎるのもあっという間でした。
国会図書館には『秀吉の母方の家系図』というものが残っており、調べてみました。この資料の名は『太閤母公系』といいます。
豊臣秀吉の父方は不明とされ、未だ資料が無く、ある程度分かっているのが、尾張国(現在の愛知県一部)の百姓であったとか、織田信長の鉄砲隊の一人であった、と色々な説がありますが、不明で『木下』という名があったと言われるだけで、資料はまったくありません。
しかし逆に母方の家系図は、今でもこのように、大切に国会図書館に残っています。 秀吉の母の出身地といわれている岐阜県は、祖父が鍛冶屋をしていたといわれています。また従弟の加藤清正の父も鍛冶屋で働いており、この家系が製鉄に優れていた事が分かります。
さてここで家系図に目を戻しましょう。秀吉の母は『お仲:おなか』といい、その父、つまり秀吉の祖父は『兼員:かねかず』という人物でした。
『兼:かね』とは、代々金属を扱う者に与えられる別名です。
つまり兼→かね→金→鉄を意味しました。家系図をさかのぼると、兼の付く名が続き、最初の先祖が『佐波多村主:さはたのすぐり』となっています。
この『佐波多村主:さはたのすぐり』とは、実は七姓漢人といい、応神天皇時代に朝鮮半島から渡来した渡来系氏族なのです。名前でも分かるように『佐波多:さはた』の波多は、
元『はた:秦』だったと思われます。なので鉄を作る技術を持つ渡来系の氏族が、
名を代々継ぐのに『かね:兼』を使い、そして子孫に技術を受け継がせていたと考えられるのです。 歴史を語りたいなら他へ行け序でに親日家も辞めてお国に戻りなさい。(笑) エビが弱火になったと思えば次は朝鮮人とか、このスレには代わる代わるアラシが現れるのか?(笑) 構ってもらいたくて、この朝鮮人も、自称老師のアホも、集まってくるんだよ。 >>20
素晴らしいオッサンだ
商売というものもよくわかってる
しょせんぼったくりではリピーターが増えない
だが少数派だしそう簡単に増えないと思うな このように豊臣秀吉の系図で表されているように、母方の先祖は朝鮮半島渡来人の血を引く可能性が充分あると考えられます。
さて、皆様もご存知のように、豊臣秀吉は、日本統一を果たした後、朝鮮半島に出兵し、2度にわたって朝鮮国を攻めてきました。
秀吉は自分の家系図について知っていたのでしょうか?
自分の血に朝鮮人の血が入っている事を知っていたのでしょうか?
秀吉が朝鮮に攻める前までの、約1500年間の長い両国の交流史を知っていたのでしょうか? 秦氏って朝鮮人だったのか?
渡来人って言っても何百年も経てば血脈的にも実質的にも日本人だと思うが 何百年も前の朝鮮の血なんて無いも同然。
プール一杯の水に醤油を垂らしても水に変わりない 渡来人と今の朝鮮人は何の関係は無い。高句麗と高麗が違う民族形成の様に先祖を高句麗と百済、新羅に一緒にする朝鮮人の歴史観など当てにならない。(笑) 秦氏は自称「秦の始皇帝の子孫」でしたっけ。
秀吉が関白になる2年前くらいにフィリピンが西洋人に落とされている(フィリピンって名も西洋人が付けた名だそうですし。)。西洋人による侵略行為の情報は戦国時代でも入っていたでしょうね。
信長はそれを利用出来ると考え、
徳川はそれを近づけないために鎖国し、キリスト教の宣教師から侵略が始まるところから切支丹弾圧を行う。
では秀吉は?
襲われる前に討って出た、つもりかも知れませんよ?
手始めに最も近い外国である朝鮮半島に。
まあ、歴史解釈なんていろいろありますから、妄想もいろいろできるんですけどね。(笑) 豊臣秀吉の『朝鮮出兵』の理由については諸説ありますが、隣国隣人を愛し尊重し、交流によって国を豊かにしようとする考えを持っていたならば、あのような歴史的悲劇は起きなかったことでしょう。
豊かな教育と教養、そして人を愛し尊重する心を、民族を超え皆が持つ事で、このアジアや世界は平和に成ると信じております。人は歴史から学べる優秀な生き物なのですから…
アジア交流 約2000年、戦後73年目を迎ようとしています。
戦争を反対し、お互いを知り、一緒に協力して行こうと、朝鮮韓国人・中国人、あと日本人が共に歩む事を、心から願い、日本と朝鮮の知られざる歴史とさせていただきます。御清聴ありがとうございました。
<(_ 深々 _)> 広開土王碑の話だけ取っても朝鮮人の歴史認識なんて信用出来ない、大体古墳が出土したらブルトーザーで真っ平らにする民族なと相手に出来ないだろう。
氏ねよ朝鮮人。(笑) 秀吉は明に攻め込むつもりだったわけで、朝鮮半島はその通り道だっただけだす。
半島は常に支那の属国なので抵抗せざるを得まへんかったけど。 >>39
正直私も新華僑にもこんなのがおるんか?!と多少驚いた。
ただやはり成功し一代で財を成すような華僑はこういうオッサンみたいな中から生まれるんやろう。
前にも書いたようにいまは新しい華僑が流入してきてカオス状態やが、あと10年もすればいまとは全然違う
新しい日本華僑のコミュニティができあがると思うよ。さすがに今日明日てのは無理やろうけど。 マイケル・チミノ監督、ミッキー・ローク、ジョン・ローン主演の映画『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』↓
https://www.youtube.com/watch?v=Ua7xlOLyHYU
はいまでもときどきDVDで見るけど、30年前のチャイナタウンはあんなんやったんやな。 私がいちばん印象に残ってるシーンは・・・
冷酷非情なマフィアのボス ジョーイ・タイの経営するレストラン(タイは表の顔は青年実業家)に中国から同郷人の母娘が訪ねてくる。
娘は非常に勉強ができて、学力的にはアメリカの一流大学でも十分やっていけるだけの資質があった。
しかし家が貧しいため母は娘を進学させてやることができない。思いつめた母は泣きながらタイに娘のことを懇願する。 母の話を聞いたタイは即座にその場で
「わかりました。娘さんの学費は私が全額出しましょう。返済も不要です。同郷人がアメリカの大学で優秀な成績を修めれば我々にとっても誇りだ」
感謝のあまり泣き崩れる娘にタイは
「キミのためにここまでして私を頼ってきたお母さんの御恩に報いるためにも一生懸命勉学に努めなさい。学費や生活費のことは一切心配しなくていい」
金と権力のためなら人殺しなど屁とも思わないタイだが、その一方でこういう側面もあった。
あのレストランの親切なオッサンももしかしたら裏の顔はその筋のボスやったりして。とにかく華僑社会は奥が深い(笑 >>54
「韓子曰儒以文亂法而俠以武犯禁(韓子曰く、儒は文を以って法を乱し侠は武を以って禁を犯すと)」司馬遷 史記 游侠列伝 >>54
> 中国の任侠は歴史がある
ずっとずっと昔にあったかも知れない、というだけだすな。 中国は羽田孜が首相になったときに「ついに中国人が日本の首相になった」というニュースを大々的に報じたからね。
宗親制度で秦は羽田と同じ音である、これは祖先は中国人であるとなっていた。
中国によく習いに言っていた人が私に「他人でも老師と同じ姓の人が一番よく習っています」と言っていたので、今でも同じだろうね。
例えば、老師が賀で日本人の姓に賀の文字が入っていると彼は同族と思うらしい。
宮寳田派八卦なら日本人の宮下、宮沢さんが入門すると派の創始者と祖先は同じなのかとかね。
我々日本人では理解しがたい考えだけどね。 >>58
中国などという国は、ほんの100年ほど前に出来た国だすよ。(笑) その100年前に中国ができたとき、舞台裏で活躍したのが任侠の連中なんですよ。 http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784061496040
秘密結社と革命――
秘密結社は革命運動期に大きな役割を果たしている。例えば中国革命の父、孫文は秘密結社を高く評価し、秘密結社の力によって清朝打倒を図ろうとした。
孫文はかつて「華僑は革命の母である」と語ったことがある。これは海外に出た秘密結社の多くが孫文を支持して辛亥革命に貢献したことを意味している。
孫文が清朝打倒のために「興中会」を設立した時、その構成員の多くは秘密結社のメンバーであった。興中会は、華南の三合会にも反清革命運動への参加を呼びかけている。
また、1899年には湖南・湖北の哥老会と連絡をとり、この3つが合流して反清革命組織が結成された。孫文自身、哥老会の一員であったとする説も有力だ。――(本書より) 中国の政治家、台湾、東南アジアの人たちも宗親会に入っていて例会で「数千年前は私たちは同じ兄弟でした」とやりますからね。
中国武術でも違う姓の人も習えますが、同姓だと違ってくるわけです。
そういうことを私と会談した人は言っていたからね。
中国料理店でも同郷人を呼んでいますから、同郷なら何とか信用出来るという考えがある。
同郷でも給料良い店を見つければ従業員はサクッと辞めてそちらに行きますけどね。
あれは日本人的な考えがない。
日本人なら長めに働いているから別の店の方が時給50円100円高いけどここで働いておこうになりますが、そういう考えが最初から無い。
中国人は個人主義で金にシビアですね。 >>34
ヘイトをかましとったら、日本におれんようなりますよ(*´・ω・`) 華僑つまり海外に出稼ぎに出たチャイニーズは本国(清朝政府)からも、渡航先の国からも保護を受けられない無国籍状態だった。
それで華僑たちは相互扶助のための組織(幇という)をつくったが、そもそもアメリカにいてもアメリカの法律などまったく適用できない環境では
彼らの活動は自衛のため非合法なものも含まざるをえなくなり、それで幇=秘密結社というステレオタイプができあがったわけ。 >>62
支那というのが紀元前から王朝の変遷が続いてきたあの地域のことを指しているのならなおさら任侠とは不可分ですよ。
どの王朝も末期には農民暴動がキッカケで崩壊し、新しい王朝では任侠の親分が皇帝になる・・・というのが非常に多い。
漢の劉邦、明の朱元璋などみな元はヤクザもんです。
三国志の劉備や関羽だってもともとは堅気の仕事に従事してたとは言い難い連中ですからね(笑 >>66
ワテの感覚では暴力団だすな。
暴力団を任侠団体とはワテは認められまへん。
日本で言えば薩長だすかな。 つか日本の任侠つまりやくざも起源はチャイナでっせ?
非合法組織ではあってももともとは暴力団ではなかった。
それがまあいろんな事情があって暴力組織化せざるをえなかったという点では日本のヤーサンと同じ(笑 >>69
>つか日本の任侠つまりやくざも起源はチャイナでっせ?
どうだすかね。
だって縄文時代は日本列島のほうが文明文化的に進んでた頃もおましたからなあ。
ま、中国という新参国家の人たちと昔の支那人が繋がってた証拠は出まへんし。 イヤーオブザドラゴンは三合会の話だっけ
マフィアというか秘密結社というか旧世代だな
中国大陸では蛇頭みたいな強固な組織をもたない犯罪ネットワークは主流だと聞いたが 日本でも確とした実態のない関東連合のような半グレネットワークが勢力を増したし時代の流れだろうな 目を覆いたくなるようなヘイトの数々( TДT)
まだまだ日本人たちの差別は根強い( `_ゝ´) 名手が軍服を着ている写真の時代でも、中国軍の兵隊にしないと強盗、略奪を遣ってしまうので仕方なく兵隊にしたそうですからね。
昔の日本人のように強盗追い剥ぎになるしかなくてやったのではなく、自然に強盗略奪をやるという遺伝子だからです。 強盗追い剥ぎやるくらいなら自殺するってのがヤマトンチュ的価値観だすやろ。 日本と朝鮮の歴史
日本人『伊能忠敬:いのうただたか』と、朝鮮人『金正浩:김정호:きむじょんほ』という2人の人物が居ました。彼らの時代背景や運命は非常に似ており、また同じ目標を持った人物でした。
2人は自分の足で自国を見て周り測量し、そして地図を作りました。
日本人、伊能忠敬の話は教科書にも出ていて有名な話ですが、元々養子で伊能家を継いだ忠孝は、50歳を機に千葉から江戸へと移り住んだ後、江戸で『高橋至時:たかはしよしとき』
という天文学者を師匠に天文学に没頭します。
その際、幕府が日食や月食の期日を中々予測できないことで緯度や地図を正確に作ることが大切であることに興味を持っていくのでした。 さて朝鮮人、金正浩は身分が低かったせいもあり、生誕地や生まれた素性などが明らかにされていません。
ただし黄海道で生まれたとされ、後にソウルに上京したことは分かっています。
しかしながらその成長は詳しく分からず
『異郷見聞録』という本に“才能豊かで地理学に通じている”ということだけが書かれています。
伊能忠敬は50歳から17年かけて日本全国を測量し『大日本沿海輿地全図』という地図を完成させ、国土の正確な姿を明らかにしました。
その地図は、現在の人工衛星で撮った写真とあまり変わりない、とても正確な地図となっています。
金正浩も、朝鮮半島を自分の足で周り、目で確認し『大東輿地図』という朝鮮半島の正確な地図を作り上げました。
ここには町や村はもちろん、山や山脈、川、島、船着場、城、城壁、見張り台や、狼煙台の場所まで事細かく正確にしるしました。
さらに金正浩は地図の正確さを後世にも伝え、皆が便利ですぐに使えるようにと『大東輿地図』の、手彫り木版を完成させたのでした。
木版で22貼、16万2000分の1に縮小された朝鮮半島全域が、
中江鎮が少し北にぶれているのと鬱陵島が実際より南に描かれているのを除けば、ほぼ正確に描かれています。 私は朝鮮半島の歴史をほとんど知りませんが…。
それ、ここでする話題ですか? >>72
映画では客家系の結社ってなってたな。
刑事が組織の電話を盗聴するのだが言葉がわからん。
それで長いこと香港の田舎とかで布教活動してきた老シスターに電話を聴いてもらい
早く翻訳してくれと急かすんやが、シスターが「客家語なんか聴くのは数十年ぶりですから」
なんてセリフがあった。
確かにこういう組織は辛亥革命以前からあったいわば「老マフィア」。
現在の大陸系マフィアは仰るとおり実態のない半グレの集団が多いらしい。
それだけに掟も秩序もなく、むしろ旧世代よりはるかに凶暴らしいけどな。 武壇スレは、エビ、将軍、朝鮮人の変人三種盛だな(笑) >>84
むかしは黄河、カキウチ、胴締めの変態三種盛やった。トライアドの変遷みたいやな(笑 80
(*´・ω・`)bいい質問ですね
歴史研究は私のライフワークの一つです
今年はかなり図書館で資料を整理できたんですよ うーん、脱線容認で良いんですかね?
じゃあ私も悪のりして。
茨城県に合気神社なるものがありまして、それを建てるときに李殿下から幾らか下賜いただいたとか。
そのせいかどうか、合気道開祖の植芝先生は李殿下を大変敬愛していた…という話があります。
もっとも、植芝の天皇崇敬の念は相当強かったようなので、もしかしたらその延長線上なのかも知れません。
このスレ的には満州にあった建国大学(現在、跡地は長春大学)で正課であった合気道と、満州皇帝護衛の八極拳が接触は無かったのか?
とか
張作霖との関係上、同じ張作霖の下にいた宮宝田とは接触は無かったのか?(常識的に考えて無いと思いますけど。(苦笑))
といった話が相応しいでしょうか?
私は時々この妄想を楽しんでます。 >>85 黄河はまだマトモだった
>>87 チャイナマフィアの話は
中国武術と実に深い関係があるので必要
できれば武術と関係のあるマフィア系の話をすれば
問題はない
赤国さん、何かそういう話はないですか? >>88
そいつらは気は狂ってるのかもしらんが荒らしってほど書き込みしてないだろ
あとアルケミストがいたな >>90
このスレにはもともと本題なんて無いからw 伊能忠敬は天文学者の師匠『高橋至時』の長男、景保(かげやす)に援助を受けながら地図完成にこぎつけます。
しかし完成間近になり、73歳でこの世を去りました。
以後、高橋景保の手によって『大日本沿海輿地全図』が完成されました。
しかし高橋景保は後に、シーボルトへこの地図を渡し、日本国外に持ち出されようとしました。しかしこの事実が幕府に発覚。投獄され獄死しました。
当時の幕府からすると地図はやはり、国家機密でしたので、高橋景保はこのような結末となりました。
現在、伊能忠敬が商売に励み一代財産を築いた場所『千葉県香取市佐原』ではその実家が今も残され近くに『伊能忠敬記念館』にて実物大の地図なども見ることが出来ます。
またDVD『伊能忠敬 子午線の夢』で観ることも出来ます。
(o^-')b 一方、金正浩は『大東輿地図』の、手彫り木版や印刷した地図に書をすえました。
ここには「国が難関におちいっている時は、この地図を利用して国外の侵入と民乱を防ぎ、
国が太平の時には国の経営や国民を治める助けとすること」と記し、当時の国家権力者『輿宣大院君』に寄贈しました。
しかし大院君に理解されず「国の機密を外部に漏らす危険な書」と決め付けられ金正浩は投獄されたといわれています。
しかしその後、彼の消息を書き記されたものはなく、後に開放され旅に出たとか、獄中で死んだとか、様々な話が飛び交います。
そしてこの朝鮮半島の正確な地図『大東輿地図』を、一番に利用したのが、自国民ではなく、1894年の日清戦争で、日本軍が軍需物資の輸送や作戦に活用されたという皮肉な話となっています。 ■訪問介護従事者の体験1「おチンチンの皮をめくって洗ってほしい」
入浴介助を必要とする70代前半で、妻とふたり暮らしの男性利用者宅を訪問したところ、入浴の際に「おチンチンの皮をめくって洗ってほしい」と言われ、困ったが洗った。
私自身も「入浴介助なのだから必要だ」と思うようにして、言われるままにしたが本人は気持ちよさそうで「あ〜」と少し声も出していた。よく考えれば、その男性は片マヒで自分で陰部を洗えなくはない。
違うヘルパーが入ったときに断ったら「こっちは金払ってんだ! 言うとおりにしろ! 仕事だろ!」と怒鳴られたらしい。また、その利用者に「やっぱ、かみさんじゃヘタで、あんたのほうがいい」と言われた。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています