自分にとって都合がよいと思えるときは喜びを素直に表現できますが、嫌な事、辛い事と感じたときは、口に出さないまでも心の中で悪態をついてしまいます。

自分の意にそぐわないときに、感謝が出来たときにこそなお、「押忍の精神」が生まれます。

なかには、「押忍の精神」ということを、負け犬が尻尾を振ってボス犬に付き従うようなものと勘違いしている者がいますが、主体性を無くす事でも、長いものに巻かれることでもありません。

時には、理不尽に思えるほどですが、屈するのは形であって、心ではありません。何でも楽しみながら、肯定的に受け止めるのです。

それは、上意下達に盲従する「卑屈の精神」とは対極にある、屈して屈せぬ「不屈の精神」を内包しています。バネは縮むほどよく伸びます。「雄飛」のための「雌伏」なのです。

逆境に対しての受け止め方と「押忍の精神」の関係を考察して見ます。

「ピンチがチャンス」という言葉があります。それは、逆境が訪れた時に立ち向かい乗り越えるところにチャンスが芽生えるということです。

 逆境に対して不平や不満を言わない人は、傍から見て相当に厳しいことにも、「乗り越えられない試練はないよ」とニッコリと素直に受け切っています。

不幸に見舞われたときに、その不幸は自分に必要あって起きたことと受け止め、その場で修行の在り方を点検してみることが大事なのではないかと思います。

いろいろと過去を悔やんでみても意味がありません。むしろ、ここを契機に大きく飛躍するチャンスなのだと捉えてみることです。

 悔しさも、情けなさも、不注意を責める心も一切を捨てて「押忍」と素直になりきり、今何が出来るかと精神力を鍛えるチャンスかもしれないと前向きに取り組んでみます。