「押忍」は、空手関係者なら、年齢、性別、国籍、人種、政治、思想、宗教、文化、流派などを超えて、世界中で通じる言葉といっても過言ではありません。

 空手道の挨拶で使われる「押忍」には、尊敬・感謝・忍耐という意味があります。

心身を練磨すると同時に、伝統や礼節を重んじる空手の修行が、社会生活や人間関係にも生かされるのです。

古来より、言葉には「言霊」が宿ると言われ、人の心は言葉に支配され、言葉が心を構成します。素晴らしい言葉に触発され、自らも肚の底から発することで心も変わり、取りも直さず「人間が変わる」ということになります。

「押忍」という言葉にも、そんな力があります。「押忍」は、実に含蓄のある言葉です。

「押忍の精神」は究極のサムライ精神です。鍛え上げた空手の技は刃物と同じです。

当然、理性の下に管理されていなければなりません。これこそが「理力」です。

故に「押忍」の「忍」の字は、「刃」と「心」を合わせて一字で書きます。この理力により、かかる外敵を制圧し、自己の内面にある我欲や脆弱さ等の負の面を抑(押)え制するのです。

「天に棄物なし」という言葉があります。
つまり、どんなことも、自分の身に起きる現象は全て意味があって起こる必然なのだということです。

森羅万象、我が身に降り掛かる全ての事象を、超プラス思考で肯定的に捉えて甘受します。

「押忍」というキーワードは、人生修行という道を照らす懐中電灯のようなものです。

光に照らし出されたものは、どんなものであれ自分にとって必要あって光が当てられたものだと信じて、とにかく素直に受け入れます。

これには相当の覚悟が要ります。ほんの少しでも油断すると、不平不満が頭をもたげてきます。

この言葉の力を信じて、何が起きても「押忍(ありがとうございます)」と腹の底から言ってみましょう。「押忍の精神」を身に着けようと思ったら、何事にも感謝することです。

 「型から入って、型から抜ける」というのが稽古の極意なら、「押忍の精神」を作る方法もまったく同じです。自分にとって不都合なことが起こったら、瞬間に「押忍」という言葉を発するのです。

ただし、本当に感謝の気持ちを言葉で発することが肝心です。