宮城や摩文仁が教えていた学校の職員に、どういう人間が居たのかがこれで分かる。
その職員の中に教えている科目は唐手ではなく違う教科だが、首里手や泊手の系譜で重要になってくる人物
あるいはその血縁者の名前が確認できるかもしれない。有名なところでは船越と許田が同じ学校で教えていたとかだね。
そこに技術交流の可能性も出てくる。

教えていた年代が分かるのなら、その年代の卒業アルバムを調べてみるのも面白い。
職員の紹介や授業風景などが写真として掲載されている事が多いので、必然唐手に関する写真も期待できる。
実際、これによって宮城が学校でどれくらいの人数の生徒達に何をどう教えていたのかの一端を写真で窺い知ることが出来た。

学校や部活などは、戦後になって記念誌を残すことが多い。学校で教えていた年代が資料により分かったので
その年代の学生達が戦後になって出した同窓会の冊子や記念誌などで回顧している当時の思い出などにより
授業内容や先生との思い出などの情報が拾える可能性がある。(中でも屋部は生徒に人気があり記録も残ってる)。

これらはあくまで一例だが、宮城や摩文仁に留まらず、糸州、花城、船越、屋部なども学校で唐手を教えているし、
それ以外の有名無名の唐手家も各地の学校で教授しているものと思われる。全てではなくてもそういったものを
出来るだけ集めて行くと、一つ一つの情報はそれほど価値が高くなくても全体としてみれば大きな収穫へと繋がる。

何か重大な情報が書いてなくてもいい。例えば唐手家の生年月日だけとか
ある祭りの記録で○○の型が行われたとか、そういうのもおろそかにせず集めていく。