【実践王子】本部朝基【琉球唐手】
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本部 朝基 もとぶ ちょうき
1870年5月5日(明治3年4月5日) - 1944年4月15日) 沖縄県出身の空手(旧称・唐手)家。
「琉球の名門本部家に生まれ、唐手の戦闘術、すなわち実践の強勇に至っては、郷里に誰も知らない人はいない大剛者」
(『キング』大正14年9月号)[1] と評されたように、20代の頃から伝説的な強さを誇り、戦前「最強空手家」と称えられた空手の大家である。
日本傳流兵法本部拳法(本部流)の開祖。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E9%83%A8%E6%9C%9D%E5%9F%BA
本部朝基は、明治3年(1870年)、本部御殿の当主・本部按司朝真の三男として、首里赤平村(現・那覇市首里赤平町)に生まれた。
童名は「真三良(三郎)」、あだ名は、その身軽さから「本部御殿の猿御前(サーラーウメー)」、「本部の猿(サールー)」などと呼ばれた。
御殿とは王族が住む邸宅のことで、同時に王族の尊称でもあった。
本部御殿は尚質王(1629年 - 1668年)の第六王子、唐名・尚弘信、本部王子朝平(1655年 - 1687年)を元祖とする琉球王族であり、国王家の分家として、日本の宮家に相当する地位にあった。
また、本部御殿は、代々本部間切(現・本部町)を領する大名であり、琉球王国最大の名家の一つであった。
沖縄時代
本部朝基は幼い頃から武を好み、数えで12歳(満11歳)の時より、首里手の大家・糸洲安恒を唐手の家庭教師として招き、長兄・本部朝勇とともに師事した。
糸洲に師事した期間は7、8年だったと言われる。
成長するにつれて、首里手の大家・松村宗棍や佐久間親雲上らにも師事した。
また、泊手の大家・松茂良興作にも師事して、特に組手を教わった。
朝基は「武これ我、我これ武」というほど唐手の稽古に打ち込み、上記の諸大家以外にもおよそ名のある武人はすべて訪ねて教えを乞い、実際に立ち会い、唐手研究に没頭した。
本部家に訪問した武術家が帰る時には、玄関口で待ち伏せして「おじさん!手(空手)をしましょう!」と声をかけるほど手に熱中していた。 >朝基、朝勇、屋部、松村、松茂良、佐久間はやってますね。
だから、厳しいことを言うようだけど、この中で朝基、その組手の練習相手であろう屋部
それと自由組手の走りだった松村くらいかな可能性が高いのは。他の三者も可能性なくはないが
朝基の証言だからちょっと怪しいし、そもそも記事をよく読むと自由組手ではなく約束組手とも
取れる表現だから微妙なんだよな。
>糸洲とか船越の時代に型が偏重され過ぎたのかな。
唐手よりも前に柔道や剣道などがとっくに学校の正科に入ってる。
型が偏重っていうより、そもそも他に目移りするような目新しい武道の選択肢があるから
そっちに人が流れて元々組手は少数しかやってなかったのに業界全体の人数も減ったから
余計に先細りしたってのが実際のところなんじゃないかな。
例外として、宮城と許田は若い頃限定だけど自由組手を経験してると思うよ。
でなければ、周りが首里手や泊手の関係者ばっかなのに、新興創作の那覇手なんて一派を
たった2人にも関わらず普及なんて出来ないよ。おそらくそれなりの自信があったんだろう。
まあ若い頃の貯金じゃないかな。東恩納が生きてたころに、2人がパンツ一丁で
分解らしきものをやってる写真あるじゃん? あれは写真撮影のためにやったといわれればそれまでだが
そこで東恩納が「おい、ちょっと実際に技を出し合って戦ってみろ」って一言いえばそれで組手開始ですがな。
子供同士の組手を大人がけしかけるのはいつの時代も一緒。
2人が20代半ばくらいだっけ? 東恩納が亡くなったからそれ以降組手はしてないと思うけど
まあ多分10代の頃限定だけど2人はある程度殴り合いはやってたんじゃないかな。
もちろん松村同様、東恩納もそれなりに誰かと経験はしてたと思うしね。三戦裁判とかはアレ真っ黒なウソだけど。 >>843
空手どころか喧嘩もしたことないオタクの常識か? 自由組手ってのは
追い込んだ約束組手の余勢で自然発生的に行われたもので
審判付きの対抗試合は時間がかかってるけど
自由組手はかなり早い段階で研究されてるぞ。 >>847
本部流空手のサイトに行くと説明してるけど、
「掛け手」というお互いに腕を掛けあった形式で
行う寸止めの自由組み手があった
掛け試しってのは掛け手形式で行う試合
辻(町名)ってところに掛け試しをする場所が
あって夜になると皆が集まってやってたんだそうな。
本部朝勇氏の弟子の上原清吉氏は、朝勇氏がそれを許して
くれなくて、変わりに朝勇氏が他の道場と試合を組んで
くれてやってたそうな。 >>850
夫婦手も掛け試しも朝基の創作w
少なくとも掛け試しはほかの証言もあるだろ ん゛ん゛〜〜〜〜〜、せっかく行事から帰って来て開いてみればこれ? これだけ? レスはこれだけ?
たったこれだけ? なんだよ型はやるだけ無駄スレじゃなくてこっちのスレの方がマシな見識もった人が集まるt思ったけど
むしろ無駄スレより質落ちてるじゃん。なんなのよこれ? アレか?類は友を呼ぶってヤツか?俺が最低だから集まるレスも最低なの?
なんなんだよもう、期待しただけ損じゃん。建設的な話合いが出来ると思ったのに、もう堂々巡りじゃん。結局徒労だったのかよ!みんな大好き(はぁと) よし、じゃあこっから先は本部マンセーレス!、あるいはナイハンチマンセー!スレでで行こうぜ。
よろ↓↓↓↓↓↓ じゃあちょっと思考実験してみよう
唐手の流派はいくつかあるけど、どの流派にもほぼ共通して
十三、セーサン、セーシャン、という型がある
はい、じゃあ今これを読んでる人、そこの貴方
貴方がやってる流派でも十三があるでしょうから、それを思い浮かべてください。
どの流派もさかのぼっていくと開祖にあたる有名な唐手家に行き着きますよね。
では自分の会派に伝わる、十三、セーサン、セーシャンの最後の動作について
開祖となる唐手家はどのような意味があると教えていたでしょうか? 考えてみてください
最後の動作が「たまたま」開祖は教えていなかったのなら、その一つ前の動作でもいいし
なんなら最初の動作でも構いません。どういう攻防を想定しどういう身体操作の意味があると教えていたのでしょうか?
多くの人の答えは、「分からない」になると思います。
では、その開祖となる唐手家は自由組手でどういう組手スタイルだったのか、どういう技術が得意で
何ていう名前の高弟と組手をしていたのでしょうか?
多くの人の答えは、「分からない」になると思います。
いわゆる現代の自由組手で都合が悪いのでしたら、みなさんの心の拠り所である「お互いに腕を掛けあった形式で
行う寸止めの自由組み手」いわゆる掛け手や掛け試しといったものでも構いませんよ。
貴方の所属する流派の開祖にあたる唐手家は掛け手や掛け試しで、どのような技が得意でどういう攻防をし
何ていう名前の高弟と掛け手や掛け試しをしていたのでしょうか?
多くの人の答えは、「分からない」になると思います。
これらの実験で分かることは、糸州に限らず、糸州以外の唐手家が型について何と教えていたか分からないし
糸州に限らず糸州以外の唐手家がどういう自由組手をしていたのかも分からない。掛け手や掛け試しすら分からないという事です。 さて、最後に>>800をもう一度ざっと見てください
みなさんに思い浮かべてもらって分かったのは、糸州に限らず
他の多くの唐手家も>>800というあり様だということです。
そして糸州に限らず多くの唐手家が自由組手も掛け試しもやった痕跡が見られないのです。
>>826
>正確には、それぞれの道場で型の動作の意味は教えているが、元の教えがなんだったか確認出来ない、だけどね
この後に及んで、元が何だったのか分からないとかいう思考停止はやめましょうよ?
糸州1人が秘密主義ならそれもありますが、糸州に限らず多くの唐手家も同じような状況なんですよ?
元々どういう教えだったのか分からない、ではなく元々意味がなかったから答えようがなく、現代でも伝わっていないんですよ。
それは首里手の糸州に限らずどの流派でも一緒。十三、セーサン、セーシャンの思考実験で分かったでしょう。
十三でなく他の型であっても同じことなんですよ。
1人の唐手家の話ではなく、多くの唐手家がこんな状態だという不自然な状況が続けば、さすがに分かりますよね?
元から意味がないから答えられなかった。元の意味が分からない、とかいう心の甘えは捨てましょう。元から大した意味はないのです。それが型。 じゃあ何で意味がないのに型なんていうものが作られたんだよ? おかしいだろ?と
お思いの人は>>707-708を読んでください。これが真相なのです。ですから型に武術的な何かを求めるのは間違いなのです。 >>864
いや意味は説明出来るよ
ただそれが開祖の教えだってどう証明すりゃいいの?
本書いてるわけじゃないんだから さて、型の動きに意味不明な動作があります。
現代の人達はこの意味不明な動作にはきっと深遠な攻防の意味があるに違いない
と勝手に決めつけて神格化しがちです。
ところでみなさんはハワイアンダンス、あるいはフラダンスといったものをご存知でしょうか?
ナイハンチの最後の諸手横突きのように、女の人が両手を横にしてユラユラと上下に軽く揺らす動作が有名です。
あの手の動きには意味があって、あれは波を意味してるようです。これら意味のある動きをハンドモーションといいます。
ここなどを見ると分かりやすいでしょうね
https://www.aloha-street.com/article/2010/05/127204/
これはハワイの踊りに限らず、全世界共通で舞踊というものの多くにはハンドモーションが存在し
一つ一つの所作に決まった意味が込められてることが多いです。
男女求愛の所作、お金を表す所作、雨を意味する所作、時間の流れを意味する所作などなど。
それらは腕をクロスさせたり体の向きを変えたり歩数であったりと
一見すると分かりにくいものだったりします。しかしこれらのハンドモーションを
前提知識として知っていれば視覚的に美しい踊りの中にメッセージ性の高い物語も読み取り
楽しむことも出来ます。ハワイに限らず琉球舞踊や本土の能や歌舞伎などでも同じです。 型がもともと武術をモチーフとした踊りとして誕生したものであるなら
意味不明だと思われていた型の動作も、実は舞踊の世界では当たり前の表現やメッセージを
現しているのかも知れません。
例えば、ウンスーで有名なこの開始の動作
https://youtu.be/QuIdboHZJRQ?t=17
両手を前方に揃えて開掌にし、一歩ずつ進みながらチョンチョンと交互に地面に貫手(?)をしていきます。
これを武術的に解釈しろといっても無理があるが、舞踊におけるハンドモーションとして考えるなら
おそらく古い型なので意味があったのではないかと思います。
ナイハンチの波返しなどもおそらくそういったハンドモーションの一環だったのではないでしょうか。
もちろん波返しに限らず最後の諸手突きや最初の動作で右手を伸ばす動作などなど
武術ではなく琉球舞踊のハンドモーションの可能性を感じます。
ただし、琉球の武士達は本土の方に能を習いに行ってた記録もあるようなので
琉球の舞踊ではなく能や歌舞伎のハンドモーションの可能性も考えられます。
特に能に関しては波返しに酷似するハンドモーションもあり、興味深いところです。 時代を経るごとにそれらは簡略化されていき、あるいは独自性を帯びていき
ハンドモーションではなく唐手特有の表現になっていった
例えば平安初段(会派によっては平安二段)の最初の動作である下段払い追い突き
このシンプルな動作は、一歩踏み出して下段払いをし、さらに一歩踏み出して追い突きをします。
武術的に解釈すると、一歩踏み出して下段払いをするまでは良い(?)のですが、次にまたもう一歩踏み込んで
追い突きをする時点で相手との距離が詰まってしまい非現実的な攻防になってしまいます。
この問題を解決するために色々と意味をこじつけます。あるいは言い訳をします。
下段払いは相手の攻撃を払うための動作ではなく、攻撃の意味があって〜〜〜
下段払いしてからの追い突きには攻防ではなく身体操作としての意味があって〜〜〜
しかし、元々型に武術的な意味はなく舞踊的な性質が強い時代に創作されたものであるのなら
この下段払いしてからの追い突きは、「相手が仕掛けてきた攻撃を払ってこちらが攻撃を繰り出している」
というシンプルなものを表現してるのであって、何も難しいことはありません。
下段払いしたその場で逆突きを決めても良いのですが、それでは躍動性や流動性に欠けるので
一歩ずつ動いて視覚的に楽しませながら四方に居る敵に縦横無尽に戦っている勇ましい様子を表現し
最後は手刀受けにて周囲の敵を倒し油断なく残心を決めて確認し勝利を表す、といった内容になっています。
下段払い追い突きは、ただ戦ってる様を表現してるだけであって、それを実戦に当てはめよう
というのがそもそも無理な話なのです。
それはドジョウ掬いの踊りを本当の田んぼでドジョウ取りに試すのと同じぐらい無謀なことなのです。
時代が下がるごとに舞踊としての性質が離れていくので、近代に近づくにつれて創作される型も
メッセージ性というのは減っていき慣習に従ったいわゆるより唐手っぽい型へと内容は変わって行きます。
那覇手などにこの影響が散見されますね。 沖縄唐手の強さに嫉妬で気が狂ってしまったのね
www 嫉妬というのがよく分からない。私は沖縄唐手が好きですしリスペクトもしてるので
嫉妬する理由が無いです。むしろ空手界全体が良い方向に進むよう、ここでみなさんに
唐手家は自由組手をしたことなくてクソ弱かったし型に大した意味は詰まっていない
と啓蒙してるのですよ。
それによって、シルエットクイズのように一つの動作を1週間とか1ヶ月とか考え続けて
「分かった、この動作にはこんな意味があるんだ!」とかやるような時間の無駄を省ければ
みなさんにとって人生で有意義に仕える時間が増えるんじゃないかと、博愛精神から述べております。
1週間や1ヶ月考え続ける作業というもの自体が楽しみであるのなら、その限りではありませんが。 昨日は40回ほど
今夜は100回くらい沖縄唐手への嫉妬心をぶつけるん?
はいどうぞ
↓↓↓ 嫉妬なんかしてねえつってんだろ! はいお返しどうぞ ↑↑↑ 最近ふと思うのだが、タイにはムエタイがあり、その歴史は試合やスパーリングばっかしてきた。
まあ文化として賭けの対象になってる面もあるから当たり前といえば当たり前ですが。
次に中国では中国拳法というのがあって、みんな大好き掛け試しのように手首と手首をかけあっての攻防
いわゆる推手に代表される限定された状況での攻防(約束組手)は色んな種類があり発達もしています。
そして最後に日本の沖縄唐手。これは言わずもがな、型ですね。
約束組手も自由組手もやってこなかった沖縄は型やるかマキワラ突くかが主流でした。
こう考えると
タイ → 自由組手ばっかやってきた
中国 → 約束組手ばっかやってきた
沖縄 → 型ばっやかってきた
こういう図になります。まるで神様が、それぞれの国でそればっかやらせたらどういう結果になるのか
壮大な実験をしていたかのようです。あくまで大雑把なくくりですから細かい突っ込みはご容赦で。
そして、それぞれそればっかやってきて実際における殴り合いはどれが一番強いか
殴り合いではなく生活の一部として一生を通して考えた場合、どれが有益か。
そういった面でそれぞれに長所短所があるような気がします。
普通に考えたら自由組手ばっかしてきたムエタイが強くて、殴り合いしてこなかった沖縄唐手は弱いでしょうね。
しかし、現在は違います。この情報化社会において、それぞれの良い面を残しつつ欠けてる部分を補強していってます。
その走りとなったのが、このスレの主役である本部であり、ひいてはこれを読んでる皆様に受け継がれているのです。
だからこれからも「型に何かを求める」のではなく、「何かを型にこじつける」作業を自覚して頑張っていきましょう。
キリも良いですし皆様もウンザリしてるようなので、この辺で筆を置かせていただきます。 ↑↑
そう言いつつ黙ってられない精神異常者
強かった沖縄唐手への嫉妬はおさまるわけがないwww >>866
業界全体で自由組手をやってこなくてロクな技術が育たなかった上に
自由組手をやってこなかった人が作った武術的に意味が込められていない踊りを
受け継いできたのが今の空手界です。そして貴方もその一員です。
そのような状況では、開祖の教えに大したレベルを求めるのは酷ですし
また多くの系譜があるにも関わらず、貴方の道場だけに運よく開祖の教えが伝わっています!
なんていう事が本当にあるのかどうか、仮に伝わっていたとしてもその技術レベルは対人稽古を
したことない人が妄想で作った教えだと自覚してください。
要約すると、
1;技術が無いから教えようがないので伝わってるとかありえない。
2:伝わっていたとしても自由組手をしたことないから低レベルな教え
3:多くの系譜があるのに自分の道場だけは真伝を・・・とか妄想しちゃダメ
4:開祖じゃなくてその弟子やさらに孫弟子がつい最近になって型にこじつけたのが貴方が教わってる内容
以上 >>874
1921年から始まった近代ムエタイの姿だけをみて
妄想を膨らませるバカ
それ以前の古式ムエタイが試合やスパーリングばかりしてきた
というソースを出せよ。 客観的に見て、自分の書き込みは型や唐手家を貶してるように見えるんだろうか?
そんなつもりは全然なくて、むしろ型は絶対廃止しちゃいけないものだと思ってるし
昔の唐手家達への評価も自分の中では凄く高いんだが・・・。上手く伝わらないもんだね。
>>877
知らんよ。ムエタイについては詳しくないし遊びで書いただけだからな。 >>878
お前の論てその程度の知識で展開してるのね。 >>879
思いつきで書いた内容を一緒にしないでくださいな。貴方じゃあるまいし。 >>881
>>874の書き込みに限ってはな。他は当然違う。 今気づいたけど、自分で言うのもなんだが>>876の前半の文章って上手くまとまってるな。
次スレには>>863-865と一緒に>>876の前半の文章もテンプレとして載せて欲しいくらいだ。 >>884
別に貴方に納得してもらいたいから書いた訳じゃありませんし
貴方が納得しようがしまいが沖縄唐手の現実(真実)は変わりませんから。 空手は一部の人間しか組手をしていないから大したことないとか言ってるけど、
そんなの中国武術や古式ムエタイとか、全部当てはまるんじゃないの? >>887
さあ? それはムエタイや中国拳法に詳しい人に聞かないと分かりませんね。
それと、自分の価値が下がるのを何とか食い止めるために
今度は相対的に周囲の価値を落として均衡を保とうとする
っていう涙ぐましい防衛反応は、よくある事だと思ってます。 自分が書いたレスの引用になりますが、ちょっとみなさんにも考えてもらいたい
>4:開祖じゃなくてその弟子やさらに孫弟子がつい最近になって型にこじつけたのが貴方が教わってる内容
このつい最近の人、仮にAさん会社員28歳独身がこじつけた内容が、とてもよく出来た技術だとします。
その人がつい最近創作したものであり、歴史でいえば3日くらいのもの。
だけど、もしこれが例えば100年前の糸州安恒が創作した技術で技の歴史も100年あったとしたら
評価は変わるのでしょうか?
歴史的な評価、という意味では変わります。伝統芸能のようなものですからね。
あるいは有名な人が作ったというブランド的な価値も発生するでしょうね。
ですが、技術的な評価でいえばどうでしょう?
現代のAさん会社員28歳独身が開発した技術も100年前の糸州が開発した技術も同質で同一のものだとします。
で、あるなら糸州が型にその技術をこじつけようが、Aさんが型に技術をこじつけようが
貴方がその型にある動作の意味として備わってる技術を練習する上で問題は無いハズなのです。まったく同じ技術なのですから。
いや、下手したらAさん会社員28歳独身の方が糸州よりも凄い技術を開発出来て、こじつけれる可能性すらあります。
みなさんは型に何を求めますか? 歴史的な価値だとか有名な先人が作った技だとか
そういう実際の殴り合いとは関係ない「権威」をお求めでしたら、確かにAさんが作った技術じゃモノ足りないですよね。
でも、そうではなくて実際の戦闘において使える技術を第一とするならば、Aさんだろうが糸州だろうが
その型にこじつけた技術は同一のものなのですから、技術的価値も一緒のハズなのです。
故に、組手で使える技術をお求めでしたら、100年前に考えられた技術だろうが
ついさっき2時間前に思いついた技術だろうが、気にすることなく胸を張って練習すればいい。
肩書や権威を欲してるのなら、糸州が作ったものじゃなきゃヤダ!とか、最近作られた技術じゃダメ!
ってのも仕方ないと思いますけどね。みなさんはどっちの人ですか? この考えを推し進めていくと、例えばパッサイの一部の動作を抜き出して
1週間とか1ヶ月とかず〜〜〜〜っと考え続けて「分かった、この動作は
こういう投げ技の意味があるんだ!」と柔道でいう大外刈りによって投げる
技術をその型の動作の中に見い出したとします。そしてその型の動作にこじつけます。
しかし、技の正体が大外刈りであるなら、1週間とか1ヶ月とか考えるなんて時間の無駄づかいはせず
まず柔道にある大外刈りをそのままパクって型の動作に当てはめた方が手っ取り早いのではないでしょうか?
時間にして1分かからない。人によっては10秒で終わります。1ヶ月と10秒じゃエラい違いですよね?
これが、例えば型に元々重要な意味が詰まっていて、しかしその意味が失われてしまって
元々込められた意味を復元するために時間を費やす、というのでしたら、まあ分からなくもありません。
しかし、ここ数日、ず〜〜〜〜と私が書いてきたことをちゃんと読んで理解してくださった奇特な人
(多分誰も居ないと思うけど)でしたら、型に大した意味なんか詰まってないことは充分承知だと思います。
で、あるなら1ヶ月考えようが10秒でパクってこじつけようが
元々の型の意味など無く、こじつけてるという作業も一緒なんだから
シルエットクイズで時間を無駄にするのではなく、他の武道や武術や格闘技から
良さげな技をパクりまくって型の動作にこじつけちゃうほうがよっぽど効率が良い。 そして、どうせこじつけるのであれば、下手に躊躇しない
毒を食らわば皿まで、じゃないけど意気込みはそれくらい欲しいです。
つまり、中国拳法の一部の技、あるいは一部の身体操作を型に当てはめるのではなく
中国拳法、それが例えば八極拳でもいいし蟷螂拳でもいいし白鶴拳でもいい。
それらの技の一部ではなく、一から十に至るまで理論や技術体系を全部丸パクりして型にこじつける。
もちろん名称は日本風あるいは沖縄風に変更します。
実際の格闘技の試合に使える技術が欲しい!というのであれば、MMAの技術を丸ごとパクって型にこじつける。
ボクシングと戦える空手であって欲しい、のであればボクシングの技術をフルパクリして型に移植しちゃう。
他の格闘技なんか興味ないけど、空手の伝統派の試合で使える技術が欲しい、というのであれば
伝統派の試合で使われてる技術を全部型にこじつける。ピョンピョンするステップもジャブのような刻み突きも全て型にこじつける。
型と組手がリンクしていない、という問題はこれで全て解決します。型に技術が詰まってない問題も当然解決です。
これらの作業を、一つの動作を何週間もうんうん考えながらこじつけてたのでは時間がかかり過ぎる。
元々良さげな武術や格闘技かの技術体系をそのまま横流しすれば、空手における型の技術レベルは飛躍的に向上します。
そして、空手を知らない一般の人に型の動作の意味について聞かれたら
「ああ、この型の動作にはこういう意味があるんですよ」「この意味は私が○○からパクって3日前にこじつけました」
と正直に答えましょう。そこはウソをつくわけにはいかない。本当の事ですから。
安心してください、100年後や200年後の人たちは、私達と違って
「いえ、これは最近作られた技術ではなく、100年前や200年前から伝わる古伝の技です」と名乗れますから。
その時初めて空手は古伝の仲間入りが出来るのです。そのためには、今こじつけ作業を頑張らないと実現しません。
そういう訳で、みなさん胸を張ってこじつけ作業をしましょう。
という事で、いい加減本部のスレと関係なくなってきたので終わりにしたいと思います。ご清聴ありがとうございました。 >>888
こんな過疎板でわめいて価値がさがるか?
だいたい空手よりMMAがすごいとか思うなら、素直にそっちのジムに入って試合目指せば?
おっさん過ぎて無理なのか
クラシック板で「ベートーヴェンよりジャスティン・ビーバーのほうがすごい」ってスレでわめいてるみたいだろ 東洋フェザー級チャンピオンだった不世出のボクサー・ピストン堀口が大道館を訪れた[5]。
朝基は堀口に「遠慮無く掛かってきなさい」と言うと、ドテラを着たまま、堀口のパンチをすべて捌いてみせ、入身して堀口の眉間スレスレに拳を突いてみせた。
堀口は「駄目だ、全然歯が立たない、参りました」と一礼して、構えを解いた。朝基はこの時六十歳を過ぎていた。 >>892
価値が下がるのではなく、自分の心の安定のために下さげて見る、という感じですね。
あ、自分の心って私ではないですよ?
>>893
数百人居た唐手家の中で、朝基くらいしか頼るの居ないからねえ。
沖縄唐手に夢見る人たちは朝基がよっぽど心の拠り所なんでしょうな。 しっかし>>762-764を書いても、まだ反論する人居るんだな。
みんなよっぽど昔の唐手家が弱くて型にも大した意味が詰まってない事が
ショックみたいね。俺全然ショックじゃないよ? >>889-891にあるように
こじつけていけばいいんだから、むしろ空手界の未来は非常に明るいしなあ。
何でこう拒絶反応する人が居なくならないのか不思議でしょうがない・・・。 >>895
長くて読む気がしないだけ
3行でどうぞ そもそも、昔の唐手家が自由組手したこと弱くて
型にも大した意味が詰まってなかったとしても
それがいったい何故価値が下がると思うんだろうなあ?
俺全然価値が下がるとは思わないし、むしろ型も唐手家もリスペクトしてるんだが。 >>895
>>762-764 ← 今の自分に関係ない
>>863-865 ← 空手における思考実験
>>889-891 ← 空手界の今後について 長文なのはスマンが、でも自分なりに結構良いことを書いた気がするんだけどなあ。
スレ的に出来るだけ本部の話題も織り交ぜながら理路整然と説明したつもりなんだが。
読んでて、面白かったとか、認識を改めたとか、もっと空手が好きになった、って人は居ないのかな?
そこら辺を狙って書いてみたんだけど、居ないとしたら残念だなあ。せっかく頑張って書いたんだけどな。 誰でも編集できるWikiの内容を頭から信じちゃうのは危険だけど、
まあそのWikiを真実と言い張るのなら、空手の項目で自由組手が
存在しない旨が書かれてるのでこれも真実ってことになるよ。真実だけど。
つうか、論理的な反論が出来なくなってつまらない一行煽りしか居なくなったら本当にお終いだな。
もっと色んな意見が出ると思ったけど、がっかりだ。 >>902
ガッカリなら男らしく諦めなよ
何度もカキコ控えると言ったんだから
本土みたいな組手は存在してたわけないじゃん
組手は本土で発展したんだから
でも練習方法があったからプロボクサーのパンチもかわせたのは間違いないよ >>889だけでも読む価値はあると思うんだけどな。
自分で言うのも何だけど、結構良いこと書いてあるよ? 今までみんなAさんを信じてたけど、疑問持ち始めてる
んだよ
実はあの若いAさんより100歳の爺の方が強そうだぞ!? 自由組手もやってなかったけど、型はそもそも中国からもたらされたものであり
母体となった中国拳法の套路には技術が詰まってるハズだから、型にも意味がきっとあるハズ
↑こういう指摘を待ってたんだけどなあ。そうしたら、中国拳法源流否定論をちょうど残りある100レスを使って
理路整然と述べて、全ての逃げ道を叩き潰してスレを終われたんだけどなあ。でもそれだとそれこそ
このスレでやる必要ないからなぁ。程度の低いヤツ1人しかレスしなくなったし、もう終わりだなあ。なんか寂しいなあ。 そもそもさ、
もう、1年書き込まないといって矢先に書き込んだり、
筆をおくと言って10分もしたら書き始めたり
人をレベル低いと見下すのは構わないけど、
自分の言葉に責任持てない人の書き込みは
信頼されなくなるよ
唐手、空手云々語る前に
人の道とは何ぞや?を学ぶ必要があるんじゃないかな?君は つまんない人間にしかレスされないって事は、俺もつまんない人間なのかなあ。類友か。
無価値なのは嫌だなあ。 詰まんない人間になるか?面白いにんげんになるか?は
君次第。
空手は特にそうだ。
相手から学ぼうとする人間が強くなる。
相手の技を習得しようとする意欲があるから。
学ぶ必要ないと思った奴はそれで終わりでそれ以上
成長しない。
常に相手から技を学ぼうとする奴が強くなる。
人に教えるなんて死んでからでいいんだよ。 >>885
ググってWikipediaを見る程度でもわかることを
調べずに、自分の思い込みだけででどや顔で語って
おいて、指摘されたら「ただの思いつきだ」とか
言って逃げ出す。
そんな奴がどんなに長文を書き連ねても、
なんの説得力も持たないし、証明にもならない。 >>910
ただの思いつきで書いたのは>>874の書き込み「だけ」なんですが
今まで述べた論を都合よく思いつき扱いしないでくださいな
何年もかけて自分なりに調査研究した結果をここで述べてるのですから。貴方とは違ってね。
>>911
ええ、私は知らないので、是非とも朝基以外でボクサーをKOしたりだとか
他流試合で何度も勝っただとか、普遍的に自由組手をやっていただとか
あるいは掛け試しをやっていただとか、そういうのありましたら教えてくださいな?
どうせ出せないでしょうけどね。だからもういいです、堂々巡りなんで。 自分で書いといて何だが、良い文章なので再掲載しとこう↓
業界全体で自由組手をやってこなくてロクな技術が育たなかった上に
自由組手をやってこなかった人が作った武術的に意味が込められていない踊りを
受け継いできたのが今の空手界です。そして貴方もその一員です。
そのような状況では、開祖の教えに大したレベルを求めるのは酷ですし
また多くの系譜があるにも関わらず、貴方の道場だけに運よく開祖の教えが伝わっています!
なんていう事が本当にあるのかどうか、仮に伝わっていたとしてもその技術レベルは対人稽古を
したことない人が妄想で作った教えだと自覚してください。 決して悪気かあるわけでもなさそうだし、色々考える時に来てるんだろう。かつて組手選手か何かで自信があるんだろうか?良かれと思っての事なんだろう。
見守ってあげた方がいい。
多分今回はかなり考えてるハズ ∧ ∧
(・∀ ・) <型に深い意味なんて全然無いし
ノ( )ヽ 昔の唐手家達は組手してなくて弱かったんだよ!
< >
∧ ∧
ヽ(・∀ ・)ノ <バーカバーカwww
(( ノ( )ヽ ))
< > この期に及んで>>915を見てイラつく人ってどこか病んでると思うんだよな。
理由は>>762-764 >>917
分かったよ、もう来ねーよ!バーカバーカ! そういやさー、江上茂って空手の突きの威力を試すために自分の腹を突かせた話って有名じゃん?
最近知ったんだけど、あの話には続きがあって、本土の空手家の突きが聞かなかったから
本場の突きならどうかって事でわざわざ沖縄に行って現地の唐手家に突いてもらったらしいよ? さあ、みんな! 今日も沖縄の唐手家が組手してなかった事実について大いに語り合おうぜ!
もしくは型に大した意味が詰まってなかった現実についてでもいいよ! >>921
来ないんじゃなかったのか??
3レス前の発言をあっさり覆すやつの
なにを信用しろと?? ∧ ∧
(・∀ ・) <「来ないんじゃなかったのか?? 」だって?
ノ( )ヽ
< >
∧ ∧
ヽ(・∀ ・)ノ <嘘に決まってるだろバーカバーカwww
(( ノ( )ヽ ))
< > それよりさー、>>919には続きがあってな
江上は沖縄に行って現地の唐手家に自分の腹を突かせてみたらしいんだよ
高弟の工藤の証言なんだけどね。空手とまったく関係ないところで拾えた情報だよ。
そんで、どうなったと思う? 本土の空手家の突きは効かなかったけど、沖縄の唐手家の突きはどうだったと思う? なんだよ、食いつき悪りいなあ・・・
分かった、じゃあ話題をちょっと撒き戻して
自由組手は無かったけど掛け試しならやってただろって話をしようぜ?
な! みんな大好き掛け試し! 相手の腕と自分の腕を交叉させてやるっていうアレ!
それがあったかどうかの話題ならみんなも興味あるだろ? その話しようぜ!
じゃあね〜、まずみんながやってる流派の開祖は いった い ど ん な 掛 け 試 し を し て た の か
弟子が一杯居たし高弟もそれぞれ会派を開くくらい居るし、当然いっぱい目撃談や体験談あるでしょ? ね? >>923
ほほぉー
そんな嘘つくやつの論をどう信用するんだ?? あらら
ちょっと前までは、掛け手や掛け試しがあったとか、あるいは自由組手があったとか
無謀だけど頑張って反論してた人がいたのに。
今じゃ論理的な反論もできず、おふざけのAAの煽りをマジメに捉えちゃって
信用できないだ何だのって。アホか。この程度のヤツしかもうスレに残ってないの?
もう言葉尻に難癖つける事でしか反論できないようなレベルのヤツしか残ってないの? がっかりだ ああ、掛け試しならあるよ? これが証拠。
普遍的にやってたって証拠もある。これが根拠。
自由組手もいっぱいやってたよ、これとこれとこれが証拠。
そういう反論を期待してたんだがな。信用できないから聞く耳もたないもん!
っていうレスしか出来ないカスしか残ってないみたい。重ね重ねがっかりだ。 君たちの残虐ファイトにはもうんざりです。バイバイ。 >>929
で、それも嘘ですぐに書き込むと
精神科受診してこい >>801
初期の初期に船越先生がナイファンチやピンアンの説明してるよ。 >>931
ピンアン初段の上げ受けは、クロスアッパーっていう説明でしたか? ああ、じゃあ基本的なこととして、まず出典から聞こうか。何がソース? 本部朝基も船越義珍も、考えは正反対の二人ながら
「制定された組手はないが、型を覚えたら組手の工夫は必要」という意見は一致してるんだよな。 >>934
>「制定された組手はないが、型を覚えたら組手の工夫は必要」という意見は一致してるんだよな。
そう、つまり本番の沖縄の唐手家2人が「沖縄で多くの唐手家は自由組手をしてないから、個人で工夫しないといけない」
ってことを認めてるんだよな。当時の唐手家は認めれるのに、現代の人間がこの事実を認めれないってのが不思議でならないよ。
>>931
もしもーし、ソースはー? >>935
「個人で工夫して組手をしていた」でいいんじゃないの? >>935
>沖縄で多くの唐手家は自由組手をしてないから、
制定された組手がない
ってのをどう解釈したらそうなるん?? >>938
私から見ればそうとしか解釈できないんですよね。
あ、よろしかったら沖縄で多くの唐手家が自由組手をしていたという論拠をお聞かせ願えますか? >>940
根拠は過去レスを遡れば腐るほど出てきますよ。長文書いてるのがだいたい私です。
で、貴方の沖縄で多くの唐手家が自由組手をしていたという論拠はなんですか? >>941
いや、あの長文バカはもう書き込まない宣言をしたので、
ここには書き込んでいない
お前は別人
同じ人物なら自分で書いたことも守れないバカの
展開する論など信用に値しないので、一考の価値もない >>943
自分に都合よく解釈するお前がね。
ムエタイの歴史も知らずに思い込みで
自説にしようとしてたし >>944
カスに用は無い
マシ奴が来るまでもうちょい待機ってところだな >>843
投げ技なら自由攻防できると認めるわけだ
沖縄相撲のルーツもほとんどわかってないんだけどね。 これ以上何を議論するのかな?
沖縄では少数の人だけ組手をしていて、大半はしていなかった。
これで結論が出ているでしょう。
本部や屋部は師匠の名誉を守るために嘘をついていたという持論は引っ込めたんだろう?
お前んとこの開祖は組手してなかったんだぞ、ってマウントとりたければ協会スレにでも書き込めば? >>945
お前がカスって気づけよ。
古式ムエタイも知らず、思い込みで自説に取り込んで
指摘されたらしょうもない言い訳してたカスが。
お前の論なんて全部そんなもんじゃん >>851
仮にその妄想が事実だとしたら大家のほとんどが組手やってたことになるじゃねーか。 >>946
>投げ技なら自由攻防できると認めるわけだ
>沖縄相撲のルーツもほとんどわかってないんだけどね。
ルーツなんか関係ないでしょ?
ルーツがどうあれ投げ技の自由攻防をやってるのが沖縄相撲なんですから。
投げ技での自由攻防すらやってこなかった沖縄唐手と違ってw
>>947
>お前んとこの開祖は組手してなかったんだぞ、ってマウントとりたければ協会スレにでも書き込めば?
そんなくっさいマウント欲しくありませんよ(笑)
>>762-764で書いたように、そんな事にこだわる奴の方がむしろ異常なんですから。
私が言いたい事はもっと別にありますし、すでにそれをスレで書いているんですが
まあ頭に血が昇った人達には理解できないでしょうねえ。残念ながら。
>>949
大家のほとんど? はて? 本部と屋部が2人で組手してただけ。
あとは松村がフルコンでいう青帯程度の殴り合いを経験して
宮城と許田がガキの時にちょっとやった程度で「大家のほとんど」とか言い過ぎでしょうw
まあ〜〜〜、百歩譲って、上記の5人の大家()が組手をしてたとして
数百人居た唐手家の中でたった5人だけ組手らしきものをしてました〜〜! 凄いでしょー!
って言いたいんですか? 自分で沖縄唐手のショボさをアピールしようとするその意図が分かりません。
厳密には、5人じゃなくて数百人居て2人だけ組手してました〜〜〜〜、あとは少年部と青帯程度の実量でーす! なんですけどねw このスレに最近来た人達はろくにレスも読まず噛みついてるみたいだから
ここでハッキリト名誉のためにも断っておきたい。
私は沖縄の唐手家達が自由組手をしたことなかったといって、それが悪いとは言っていない。
型には元々意味が詰まってないけど、だからといってやるだけ無駄とも言っていない。
これはこのスレを含めたほぼほとんどのスレでの書き込みに共通していることであって
私は昔の沖縄の唐手家達に対して心から敬意を持っていますし、また型にも大きな価値があると思っています。
組手をやってこなかったとしても、そんな事で私の唐手家達に対する敬意や評価は微動だにしませんし
型に意味がないからといって無駄だとか廃止しろだとか言うつもりも一切ありません。むしろ後世に伝えていかければいけない。
分かりますか?
つまり私はみなさんが勘違いしてるようなアンチ沖縄唐手の人間ではなく、むしろ逆で
型においても唐手家においても深い深い愛情と敬意と高い評価を持っているのですよ。
それらを踏まえた上で、
「唐手家のほとんどは対人稽古した事なくて組手がクソ弱かったし、型にも大した意味なんか詰まってないですよ?」
と言ってるだけです。そこに悪意も敵意もありません。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。