大島丈
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>>216
>>221
そういうのコピペったら長文ばばあの思う壺だろがバカタレ!
また喜んで湧いてきたらどうすんだよ! 俺の言ってることは一見言われると嫌な気分が意識に上るが実益を与える内容だ。
一方、大島丈は一見爽やかな笑顔で良い気分にさせているが健康被害を与える内容を無自覚に大多数に発信している。
双方向で誰にも気付かれることなく大勢に実害を本当に与えているのだからこれは完全犯罪だ。
ヴィーガン加工食品は本物の野菜や本物の穀類や本物の果物では決してないただのジャンクフードだ。
その証拠に大島丈の大好きなドーナツだとかパンとかアイスクリームを食べる際は、
やつはヴィーガン加工食品という実質的にはただのジャンクフードを幸せいっぱい食べた後は、
食後のマラソン級の運動をして膨張していく身体をなんとか日々抑え込んでいるからあの体脂肪率で済んでいる。
おまえは食後のマラソンをするラットレースみたいな徒労の運動習慣を人に勧めておいて、
無神経な笑顔してるようなゴミが許せるか?
俺は善人は目指さないから他人の意識に良い気分を表面的に与える必要性を感じないタイプの人間だが、
表面的には心地好い気分を互いの意識に上らせながら、
実際は酷い健康被害を与えまくってそれに決して気付かれないという最悪の行為には反吐が出る。
大島丈の勧めているヴィーガン加工食品を心ゆくまで食べた後は、
食後のマラソンをしないと確実に健康被害が発生する。 >>186
今日大島丈を好きになった人は
二十数年来、大島丈が好きという人よりも何が劣っているというのでしょうか?
スタートするのが早かったというだけで
そこには何の差も無いのではありませんか?
貴方は現在、8合目を登っているのかもしれませんが
今から1合目を登らんとする人をどうして見下すことが出来ましょう?
貴方もかつては1合目にいたではありませんか?
それどころか、ひょっとしたら今1合目を登っている人は
貴方よりも早く8合目に辿り着くかもしれないのです。
今日もまたひとり、大島丈を好きになってくれた>>442さんがいるという素敵な縁を素直に祝福しませんか?
大島丈を慕う者はみな兄弟。
我々全ては丈の子供たち。
誰もが等しく愛の子供。
お月様が大島丈なら、我々はその周りでほのかに輝く星々。
お月様の周りで愛の信号を送り合う。
その信号が溢れた時、地上に愛が降り注ぐ。 【足跡】
男として生まれてきたからには
大島丈という頂を目指そう
今貴方が何合目に立っていようが構わない
必ず頂上に辿り着けるという強い信念のもとただ歩むのみ
くじけそうになったなら
上を向いて歩いてはならぬ
下を向いて歩いてごらん
誰かの足跡があることに気がつくでしょう
その足跡は血と汗と涙とともに
遙か先の頂に向かって続いている
まるで貴方の道標のよう・・・・・・
なんという心強さ
なんという温かさ
貴方はスグにそれが大島丈の足跡だと気がつく
続く↓ >>225
やがて遙か彼方から大島丈の声がする
「大丈夫、私も君と同じなんだよ」
しかし貴方はきっとこう答える
「でも大島さん、あなたは超人
見失うほど遠くを歩む人
僕bノは到底追いつbュことなど出来bヘしない」
大島丈は風となり
メランコリックな貴方の心に愛のメッセージを贈る
「僕も、傷つき、悩み、つまずいて
迷いながら登ってきたんだよ
心が折れたら骨折が治るまで休めばいいさ
慌てず、ゆっくりと自分のペースで僕のところにおいで
僕はいつまでも待っているのだから」
丈の足跡に足を置いてみる
「君はひとりじゃないんだよ」
足跡から愛がこだまする
不思議と力が湧いてくる
大島丈を追いかけて今日も一歩を踏み出そう >>222
【私の見分け方】
●私は大島丈のアンチでもシンパでもありません。ただの研究家です。
●私はコピペはしません。
私にとってのアートとは何か?
それは生命の炸裂です。
換言すれば「熱情の花火」なのです。
一瞬の生命の火花こそがアートであり
完成品に何の意味も見出せません。
過去の書き込みはパッションの炸裂した後の燃え殻に過ぎません。
もうそれは花火ではないのですから、コピペするという発想自体私には生まれないのです。
燃えカスを切り貼りすることに私はアートは感じませんし、その行為に情火の炎が燃え上がることはないのです。
私は過去の冷めた燃え殻に目を向ける時間があれば、今この瞬間の熱誠を燃やすことに時間をかけたい。
したがって、私がこちらにお邪魔する時は
そのように情がほとばしった瞬間のみであります。
訪問が目的となりコピペばかりを繰り返す行為は私ではありません。
●私は他人を貶したりしません。
それは別人の方だと思ってください。
私は研究の結果を発表するためにここに来ています。
●私は多忙なので毎日こちらにお邪魔することは不可能です。
私が頻繁にこちらにお邪魔していると誤認識されている方は、恐らく私と他の方とを混同していると思います。 【余裕の精神】
上天に星
下土に若草
心奥に大島丈
他に何を望もうや
これぞまさしく
人の魂に「余裕」を作りだす三大栄養素
「魂の余裕」は物質的困窮を克服してくれる絶対的な力
その「克服の力」そのものが大島丈
大島丈は我々の「生命力の象徴」
貴方にも感じてほしい
大島丈の余裕のインフルエンスを・・・・・
「余裕」とは「あり余るほど広大な雅の心」
「雅」とは、「風流」
「風流」とは魂の風の流れ
大島丈の魂は今日も風となって流れ行く
生活の中に、体の中に、心の中に、大島丈は優しく流れこみ、人類を余裕の世界へと誘う
これぞまさしく真の芸術家なり
大和の心は雅の心、雅の心は「もののあはれ」を語る風流人
すなわち、逆境のどん底においても、楽天地を発見する力を有している大島丈
爆裂弾が弾雨する中でさえ、空の美しさにうっとりし、
集中砲火を浴びながら野鳥の声に耳を澄ませる風のような大島丈
私はあなたの、死の瞬間まで見事に生き切る「余裕」の精神を今日も学び研究する >>215
大島丈のこの作品を知る者は『大島物語 はんぶん自伝』を所有しています
もしあなたが私ならば『大島物語』の冒頭数行をここに載せてください >>221
>少し時間をいただければ、
>大島丈が実践している身体に良い呼吸法と運動法を
>幾つかご紹介したいと思います。
もしあなたが私ならばこの続きを教えてください >>224
この小文は私の研究ノート『大島丈の如く(自分らしさとは何か?)』からの抜粋です
もしあなたが私ならばこの続きを教えてください >>225-226
この小文は私の研究ノート『心が疲れたときに』からの抜粋です
もしあなたが私ならばこの続きを教えてください
それと文字化け部分も訂正してお知らせください >>227
「パッションの炸裂」に関しては私の研究ノート『Explosion』に詳しくはあります
もしあなたが私ならばこの続きを教えてください >>228
この小文は私の研究ノート『余裕の精神と大島丈』からの抜粋です
これはすでに私が投稿しておりますので
きっとあなたはコピーして保存していることでしょう
なのでこれはあなたにも続きを載せることが出来てしまいますから要望しません >>228
ただひとつ『余裕の精神と大島丈』で割愛した箇所があります
それは
>「雅」とは、「風流」
の説明部分です
私のノートでは「雅」とは「風流」ではあるが、
風流は魂の風の流れなのに対し
雅は・・・・・・
と説明してあります。
もしあなたが私ならばこの続きを教えてください >>142
>オフ会では作品も販売しています
あなたが私ならば5作品で結構ですので、そのタイトルをここに載せてください >>202
ピークアウトってどこ情報だよ?
9日以降も増えたり減ったり繰り返してるやん
9日:2268人
10日:1494人
11日:1219人
12日:970人
13日:1433人
14日:1502人
15日:2001人
16日:1809人
17日:1592人
18日:1204人
19日:1240人
20日:1274人
21日:1471人 右肩下がりに一直線に減るわけないだろ
https://www.fnn.jp/articles/-/61484
小さい波が起こるたびに減ってくっつうことだよ
6日〜12日がひとつの波、12日〜18日がひとつの波、18日〜21日以降がひとつの波って見ると波が小さくなってんだろ
それとこういう推移の表は山が高くなっている点と点を結んだ線で見てくもんだ
9日〜22日の表で言えば9日、15日、21日の3点のみで線を結ぶと減ってってんのわかんだろ 波って言えば、結局4〜5月の第一波、8月前後の第二波、そして今回の第三波ときてんのに
この間、確保している病床数が全く変わっていないってのがおかしくね?
今朝地上波のテレビ見てたらやっとそういうこと扱う番組も出てきたが遅いっつうの 昨年の夏、感染が抑えられてた頃にまた冬場には増えるってことは分かってた
しかもワクチンは間に合わないことも知ってた
だから冬場に備えておかないとヤバいことなるって多くの人が言っていたにもかかわらず、その間に開かれた臨時国会では全く病床の手当ての件も話し合われず
病床を確保するための法律是正も議論されてこなかった
無能の野党は未だにモリカケ、桜ばっかで日本の足引っ張ることばかりしてるしな >>240
病床の見込み確保が去年の春から変わってないって政府無能過ぎだろ
つか、野党もマスコミも邪魔ばっかりしてっから政府が日和って動けねー 病床数の不足が原因なのにね
どこもかしこも飲食店を悪者にして誤魔化しまくってるよね ECMOも病床も人口あたりの数は日本は外国より圧倒的に多いのに
民間の病院がコロナを引き受けないから不足してるだけっていう信じられない状態になってるわけや
海外の記事読んでみ
日本は奇跡的に感染者も死者も少ないのにバカなんかって批判してるよ ほんまこんなに恵まれてるのになんで医療崩壊が起きるのって話だよね。
結局構造上の問題なだけなのにね。
政治が無作為なのが全ての原因なのに国民に自粛しろってとんでもない。 長文ポエマーBBAといい自演荒らしといい、病人ゴリオタ毎日必死w みんな日本と海外の病院の違い知ってっか?
海外は国公立の病院が多くて
日本は民間病院が多いんだわ
日本の場合は民間の病院が多いから「コロナ患者受け入れたくない」の一言で断れちゃうわけ
目下のところ国の強制力も無ければ法律も無い
ここ大事なとこな >>247
某スレで貞子のことが話題になってたけど
ゴリオタBBAと同一人物だよって書いてあった >>250
本当にそうですよね。
大島丈がチンパンジーに似ていないことはとっくの昔に結論が出ているのに
事実から目を背けてコピペし続けてばかりいるんです。
>>249
これをコピペし続ける彼は嫌がらせがしたいだけなので
大島丈がチンパンジーに似ていないことは百も承知なんです。
検証するまでもありませんが
チンパンジーに似ている有名人12人をご覧ください。 「大島丈はチンパンジーに似ているのか?」
【チンパンジー顔12人】
https://imgur.com/40MxZaw.jpg
チンパンジー顔の特徴として、よく挙げられているものは
1.目が細い
2.瞳が小さい
3.目幅が狭い
4.唇が薄い
5.華奢
6.小柄
7.薄い顔
8.額が広い
といったものがあります。
この8点の中で大島丈が当てはまるものは
「唇が薄い」しかありません。
それに、大島丈とチンパンジー顔の12人を見比べてみて似ていると思いますか?
比較してみてください。
全く系統が違うのは歴然としているではありませんか。
大島丈は間違いなく犬顔です。
顔の輪郭、口の形、つぶらな瞳、どれをとっても犬にそっくりです。
ちなみに、わざわざ似ている写真を選り抜いたわけではありません。
心を閉ざさず、真っ新な気持ちで、犬と大島丈を見比べてみてください。
【犬顔】
https://imgur.com/0NJSCjc.jpg 結局いま病院足らん足らんて騒いでんのは自分とこの経営考えてコロナ患者受け入れを拒否る病院が多いからってことでおk? ハマってるとこの見せ方は名人!常にカメラの位置を意識しながら絡んでる
そのため新人とか下手な女優が相手でもなんとか見れる内容になる >>262
違うな
そんなんが理由じゃなくってさ、もっと理由な簡単
コロナ感染症を5類に引き下げないからいけない >>262
医療崩壊させてそこに金を呼び込もうっていうあさましい魂胆があるだけよ よく分からんが今の2類から5類になるとなにが変わんの? 大島の30周年をファンが祝って寄せ書きするのは勝手にしたら良いけどさ、いろんな業界人に頼むのならせめて誰か1人のファンがまとめてやってくんねえか?一徹にまで頼んだの誰だよ?あっちのスレでも揉めてるじゃねえかよ。どのファンも考えること同じだな。 【煩悩1】
今回は愛丈を語るスレであるはずなのに
あなたたちの消え去ることのない「怒り」に接し、
おぞましさを感じるととも、
とても可哀想になってきました。
その「怒り」は大島丈に向けられているようでいて、
その実、自分に向けられているからです。
私には、あなたたちが自傷行為をしているようで、いたたまれないのです。
そこで今回は、少しでもあなたたちの「怒り」が鎮まるようにと、
仏教における怒りのコントロール法について考察していきたいと思います。
スレタイ通りに、私たちは、
少しでも大島丈の愛に包まれて、
みんながひとつになって、
自己成長を遂げなくてはなりません。
どうか、これ以上のスレチな発言はやめて、
ともに大島丈という頂を目指してまいりましょう。
あなたの根底にある「怒り」に目を向け、
大島丈から学び、悟りの道に進んでいってください。 【煩悩2】
これからしばらく考察していくことは、
「仏教における大島丈」がテーマとなっていきますから、
まずは、仏教とキリスト教の大きな違いのひとつである、
「苦痛の原因」のとらえ方から語ってまいりたいと思います。
仏教においては、人間の苦痛の原因を、
「全知全能の神を信仰するかどうか」
というところには求めてはいないのです。
というのも、仏陀が創造主に出会って、
「神は全知全能ではなく、この地球を創造したわけでもなかった」
と言っているからなのです。
ただし、仏陀が生きた当時のインドでは、
西洋における「創造主」は「ブラフマン」と呼ばれていました。
どちらも「宇宙の実相」を指し示したものに違いはないのですが、
厳密に言えば、
インドのブラフマンとキリスト教における創造主を同一視してしまうことには、
私は懐疑的であります。 【煩悩3】
ともあれ仏陀は、
「全ての人間の苦痛は、間違った知識で生きてしまうことにある」
という結論に至りました。
これは、大島丈がかつて述べたことと、
驚くほど似ていますね。
丈:「結局さ、みんなそれぞれ、
いろんな悩みを抱えて苦しみながら生きてるでしょ。
その悩みや苦しみの原因て、
妄念や無知から来ていると思うんだよね」
この、大島丈の発言に対して、深く考えもせず、
ただ感情的に反発していても益はありません。
そこで、
少し大島丈の言わんとしていることを探索してまいりましょう。
大島丈は「妄念」という言葉を遣いました。
では、いったい、「妄念」とは何でしょうか?
辞書的には
「煩悩によって引き起こされる、邪悪な思いや誤った考え」
とあります。
では、どういう考えが「誤っている」
ということなのでしょうか?
ちょっと考えてみてください。 【煩悩4】
答えは、「過信」です。
具体的に言えば、
自分のことを「完全に独立した存在」だと思い込み、
自惚れることです。。
また、その他の全てのものも、
「完全に独立した存在」であると思い込んでしまうことです。
さらに、大島丈の説く「妄念」には、二種類あります。
一つは、「本能的」な妄念であり、
もう一つは、「概念的」な妄念ということになりますね。
もう少し簡単に説明すると、
「自分は絶対的な存在である」
と思い込むことは、つまり、
「宇宙の実相」と分けて自分を考えることであり、
対立してしまう関係になるのです。
これは、絶望的な状況に身を投じているようなもので、
そのため、苦しくなるのです。
どんなに自分のことを完全な自己だと自惚れてみても、
「老い、病、死、苦痛、喪失、苦悩」などによって、
結局は、宇宙の真理に敗れるしかありません。 【煩悩5】
この宇宙のシステムから逃れることはできないわけです。
自分だけ宇宙のルールを無視して、
「不老不死になる」
なんて、望んだってできませんよね。
大島丈や仏陀が説く、この「苦しみの妄念」を、
キリスト教では「高慢の罪」と呼んでいます。
つまり、「自分が神だ」とか「自分は神より偉い」
などと思い込んでしまうことですね。
ちなみに、ここで言う「神」とは、
「宇宙の無限の生命エネルギー」という意味だと思ってください。
「悟り」とは何かというと、
「妄念の克服」とも言えるわけです。
つまり、「妄念の克服」を目指して生きる大島丈は
「悟り」を得んとしていることになります。
では、どのようにしたら、妄念を克服できるのでしょうか?
そこを考えていくたくためには、
仏陀がどのように「解脱」されたのかを、
まずは見ていく必要があります。 【煩悩6】
仏陀は自分の中に、
自分を絶対視しようとする傾向があることに気づきました。
それは本能の領域でも、
知的レベルの領域でも巣食っていました。
そこで仏陀は、
「自分が本当に、
そのような完全に独立した存在であるかどうかを証明してみよう」
と試みたのです。
まずは、自分の精神と肉体を、
俯瞰的に、批判的な目で内省しました。
そして、自分の中に一つとして、
絶対的な自己が無いことを悟り、妄念を打ち破りました。
仏陀は、絶対的な自分を発見できなかったことで、
現代の物質主義的な思考を完全に追い出すことに成功しました。
「物質主義的思考法」とは何かというと、
自分自身が単なる「無」であるという考え方です。
仏陀は、「自我というものは、他と比較することで成立して存在している」
ということを発見したのです。
つまり、
「自分という存在は、他と密接に関係し合って存在している」
ということになります。 【煩悩7】
「他と比較して存在している」ということは、
その「比較」は自分の脳内で行われている限り、
非常にバーチャルなものなのです。
簡単に言うと、
それぞれの個人のとらえ方によって、
何通りもの世界が存在していくわけで、
そういった問題が派生してくるものなのだ、
と仏陀は理解したのです。
これによって仏陀は解放され、
相対的存在である自己は、
実質上、永遠に進化し続けることができるのだということを、
私たちに、生きた見本として示してくれたのです。
大雑把な解説になりますが、
これが仏陀の悟りの本質であり、
転生の考えの基本なので、
あなたが怒りを克服し、
そのエネルギーを有効なものに変えていくためには、
この考え方を、
まずは理解しておくことが大切になってきます。 【煩悩8】
さて、
自己の存在に対する根本的な誤解はまだあります。
つまり、今述べた「妄念」に続く第二の煩悩です。
それは、「欲望に溺れる」ことです。
色欲や貪欲、暴食などがそれです。
先程の「妄念」とは、
「自分は唯一不変の存在だ」
と自惚れてしまうことだと説明しました。
これはつまり、「自分は独自の確固たる存在として、宇宙と対峙している」
と本能的に感じることです。
こうなると、
宇宙の事物をできるだけ自分の中に取り込みたくなります。
さすがに、どんな妄念の持ち主でも、
全宇宙を呑み込むなど、
およそ不可能であることは分かるわけですが、
少しでも多くの現象や物質を手に入れることで、
勝ち目を五分五分にしようとします。 【煩悩9】
続く第三の煩悩が「怒り」で、
無謀にも
「宇宙を取り込みたい」などと思い込んでしまったことで生まれる
不満とともに起こってきます。
自分の中に組み込まれようとしない宇宙への怒り、
「宇宙に呑み込まれてしまうのではないか」
という不安から生じるというわけです。
これは、
「妄念」の中の自分を守るために生じる怒りであり、
対抗する宇宙を滅ぼしてやりたいと願う怒りであります。
以上、説明してきました、
この妄念、欲望、そして怒りの三つは、
どんな啓発本の「マイナス心理の一覧表」にも出てくる三大毒ですね。 【煩悩10】
四つめの煩悩が「高慢」。
つまり、自己を絶対視する妄念と合わせて、
自分に夢中になることです。
そしてその後に、
ここにいる皆さんがとらわれてしまっている
「嫉妬」がきます。
他人の幸福を妬ましく思ってしまう心の状態です。
初期のアビダルマの教えでは、
六つの根本煩悩があります。
妄念、欲望、怒り、高慢の四つに続く二つは、
「狂信」と「疑念」です。
この「狂信」と「疑念」という二つの煩悩は何かというと、
「惑わされた精神の作用」を示しています。
では、何に惑わされているのでしょうか?
一つには、
頑固で柔軟性の欠片もない独善的な信念や
イデオロギーに凝り固まっている状態です。
もう一つは、精神をどこかの方向に向けたいのに、
どっちに向いて良いか分からず、もがいている状態です。 【煩悩11】
「狂信」の状態だと、
冷静的かつ批判的な探求などとても出来ませんし、
「疑念」にとらわれていると、
正当に洞察することは不可能となります。
まずここでは、「根本悪」である
「怒り」を例に語っていきましょう。
先程説明したとおり、怒りは、
自己と他者がそれぞれ絶対的に分離した存在であるという
誤謬から生じるとされていますね。
とすると、怒りは感情そのものではなくて、
感情への煩悩であることになります。
簡単に言うと、人間の怒りは、
よこしまな計算づくのものだということです。
これは、セネカの分析と共通した考えだと思います。
セネカの分析によれば、怒りは人間特有のもので、
動物の凶暴さには思考という要素がなく、
人間の本当の怒りには、感情に加えて、
常に何かに害をなそうという計算が働いているというのです。
今、人間の怒りは「感情への煩悩」であると書きました。
これをもう少し説明しましょう。 【煩悩12】
妄念、欲望、怒り、高慢、狂信、疑念という六つの根本煩悩から派生する煩悩は
20あると言われています。
他に50だったり、
108としている教えもあるので、
これらの教えは教義ではなく融通無碍な考えです。
この中で、一番よく知られているのが、
怒りから派生する四つの煩悩、
つまり、攻撃、復讐、悪意、暴力です。
どれも、怒りによって駆り立てられるわけですが、
「攻撃」は、怒りが精神や言葉や体を他者への攻めに向かわせること、
「復讐」は、憎むべき敵に仕返ししたい渇望、
「悪意」は、傷つけるような言葉を使いたくなる欲求、
「暴力」は、他人を傷つけたい傾向のこと。 【煩悩13】
これらの根本的な煩悩を克服して、
自己の解放へ向かう方法は、五段階あります。
もう一度、整理しておきますと、
根本的な煩悩の根源にあるのは、
自分が絶対的な存在であるという妄念、誤謬でしたね。
この妄念を理解と知恵によって打ち破った時、
欲望や怒りといったその他の煩悩のエネルギーも
知恵に変質することができるのです。
それは、人を傷つけ、
自分も傷ついてしまう、悪いエネルギーではなく、
創造的で幸福を呼ぶエネルギーなのです。
これが「丈エナジー」の正体です。
大島丈の「おひさまパワー」と言っても間違いではありません。
このエネルギーに変質できれば、
もはやそれは「煩悩」ではなく、
喜びに満ちたエネルギーになります。
思い出してください。
大島丈のスマイルの力を。 【煩悩14】
「煩悩」とは、私たちに満足を約束しておきながら、
騙くらかして、欲望中毒者にさせるのです。
そのためにもっともっと欲しくなり、
私たちは常に不満を抱え込むこととなり、
とても不健康な状態に陥ります。
しかし、知恵によって、
「自分は絶対である」という妄念から解放されれば、
無駄使いしていたエネルギーは、
創造的に使えるようになり、
妄念自体は「事物を反映する知恵」となります。
すなわち、
ダイヤモンドのように白く輝く基本物資の「地」で、
これが有形化の過程です。
欲望という煩悩は、
つながりのエネルギーとなり、
個々を区別する知恵で、
ルビーのように赤く輝く「火」となります。
これが、認識の過程です。
高慢の煩悩は、事物を対等にする知恵となり、
トパーズのように黄色に輝く「水」であり、
これが知覚の過程です。 【煩悩15】
嫉妬の煩悩は、
全てを成し遂げる知恵になり、エメラルドの碧色に輝きます。
基本物質でいえば「風」であり
、精神作用の過程となります。
そして怒りは、究極的に現実を完璧にする知恵となり、
サファイアの青にきらめき、
「空」の要素として意識の過程となります。。
煩悩から解放された悟りの境地から見ると、
精神と感情の深いエネルギーは、
こうして知恵のエネルギーとなり、
あらゆる生命と死とに繋がっている
幸福を表すものとして意識されます。 【煩悩16】
そして煩悩から解放された「慈悲の心」は、
全生命体が、最大限の可能性を発揮出来るように、
全て自分の可能性に最大限に近づけるような状態に、
宇宙全体に働きかけ、お膳立てをしてくれます。
しかし、この世界観がいかに素晴らしくても、
まずは「妄念を知恵」に変質させないことには、
何も始まりません。
だからまず、
怒りのような煩悩を知恵を持って操縦し、
克服することで、
そのエネルギーを安心して使えるようにするわけなのです。
続き↓ >>287
以上が、仏教における怒りのコントロール法となります。
大島丈の自制心を研究し続けてきて思うのは、
大島丈の怒りのコントロール法は、
非常に仏教的な手法に近いのです。
仏教に馴染みのない方には、
今回理解に苦しむ点もあったかと思います。
そこで次回からは、
仏教を知らぬ方でも、また幼児でも容易に理解できる形で
大島研究を進めていきたいと思います。
あなたは、これからの人生で、
大島丈の「愛」の正体を探究し、解明していきます。
そして、いつかは、
生きとし生けるもの全ては、
宇宙の大樹でつながっていることを知るでしょう。
さらには、あなたも私も、
大島丈という幹の枝葉であるということに
輪廻転生を繰り返す中で、悟れる刻が来るでしょう。 >>272-288
この論文は私の研究ノート『大島丈から学ぶ怒りの解放術』の「第6章」にあたる部分です。
もしあなたが私ならば1章〜5章、7章〜9章もここに載せてみてください。
ちなみに9章で終わりではなく、まだ未完となっています。
ちなみに
1章:歴史から見る怒り(仮題)
2章:怒りの文化(仮題)
3章:神の怒り(仮題)
4章:西洋(仮題)
5章:西洋2(仮題)
そしてあなたがコピペした
6章:仏教(仮題)
の一部分です。
7章:大島丈のヨガ(仮題)
8章:大島丈と忍耐(仮題)
9章:大島丈流、怒りの解放(仮題)
ここから非常に難しくなってきてまだ未完のままとなっています。
あなたが私になりすますのならば、どうぞ今日中に1章だけでもここに載せてみてください。 >>272-288
こう書いても、
「1〜9章なんて存在しないだろ」と思われるかもしれませんので
1章のほんのとば口だけでも載せておきましょう。
その続きをあなたが載せてください。
第1章:歴史から見る怒り
あなたは何に対し怒っているのでしょうか?
あなたにとって、大島丈に対する攻撃は手段でしかなく、
あなたの目的は「怒りの発散」にあります。
それは
「誰でもいいから殺してみたかった」という
通り魔殺人犯の思考ロジックに似ているのかもしれません。
あなたは無差別殺人犯と同じで、
自分の中に蓄積された怒りを
無差別に外に吐き出そうとしているのです。
ただし、無差別殺人犯といえども
結局のところは、非力な人間を選んで殺しています。
決して
(悪用を避け中略) (続き)
その意味ではあなたの眼力はたいしたものです。
大島丈の大きな魅力のひとつに、
(悪用を避けるため中略)
後でキリスト教についても少し触れると思いますが、
有名なイエス様のことばに
「右の頬を打たれたら、左の頬をも差し出しなさい」
(マタイによる福音書 第5章39節)
があります。
(悪用を避けるため中略)
たとえるなら、長年白内障で暮らしていた人にとっては、
白く濁った世界が日常であり、
自分ではその「曇り」に気づけないものです。
しかし手術した途端、
こんなにまで世界は美しいものなのかと驚くわけです。
だからと言って
あなたに今すぐ「心の手術」など出来ません。
(悪用を避けるため中略)
あなたは、「なにを大げさな」と思いますか?
しかし、考えてもみてください。
「怒り」とは、
「個人の怒り」も「組織の怒り」も本質は一緒であり、
全然、大げさな話ではないのです。
(悪用を避けるため中略) >>272-288
実際、歴史を見ても
個人の諍いが戦争へと発展した例は
枚挙にいとまがありません。
だからこそ、人間はひとりひとりが
「怒り」と上手くつきあっていく智慧を
つけなければならないのです。
(悪用を避けるため中略)
西洋の宗教信奉者は、結局「怒り」というものは
神の領域にあるものだから、
「人間が理解したり、克服出来る代物ではない」
と考えてしまっているのです。
(悪用を避けるため中略)
そもそも彼らは、「罪」とか「過ち」
という考え方を大変、忌み嫌っています。
最近は、頻繁にマスメディアなどで
(悪用を避けるため中略)
といっても、彼女たち自身、
「怒り」が自分自身や他人を痛めつけたり、
人との関係を壊したりする可能性がある
ことくらいは気づいてはいます。
(悪用を避けるため中略)
結局のところ、宗教を信じない彼女たちもまた、
ある面では、宗教を信奉している現代西洋人と
全く変わりはないとも言えるのではないでしょうか?
(悪用を避けるため中略)
●さあ、今日中にこの第1章をここに載せてください。 >>288
>そこで次回からは、
>仏教を知らぬ方でも、また幼児でも容易に理解できる形で
>大島研究を進めていきたいと思います。
その研究をここに載せてください。 >>288
>宇宙の大樹
宇宙の大樹とは何を比喩したことばでしょうか?
あなたが私ならスッタニパータを引用し答えてください。 >>288
>あなたも私も、
>大島丈という幹の枝葉であるということに
これを私は阿弥陀仏の本眼力を引用し説明しています。
あなたが私なら選択本願を交えてここに載せてみてください >>287
>怒りのような煩悩を知恵を持って操縦し、
>克服することで、
>そのエネルギーを安心して使えるようにするわけなのです。
その克服法が>>272-287には具体的に書かれていません。
本論は「大島丈による煩悩の解放」です。
一体、大島丈はいかなる方法で煩悩から解放されていったのか
あなたが私ならそこを答えてください。 >>286の部分は大変手こずりました。
難しい仏教哲学を馴染みのない方に短文でどう伝えることが出来るか。
嫉妬からの解放の過程を伝えることの難しさを痛感した部分です。
>全てを成し遂げる知恵になり、エメラルドの碧色に輝きます。
>基本物質でいえば「風」であり、
>精神作用の過程となります。
>そして怒りは、究極的に現実を完璧にする知恵となり、
>サファイアの青にきらめき、
>「空」の要素として意識の過程となります。
短文で表現しようとするあまり、
非常に抽象的な説明になってしまい
そのうち訂正しようと思いつつも棚上げになっていた一文であります。
一体全体、「風」「知恵」「空」
「碧色」「サファイアの青」とは何を指しているのでしょうか?
あなたが私ならこれを具体的に説明願います。 2類なんて今じゃ名前がないような病気だったりするわけよ
まあ結核は歴史的に2類だけどあとはもう一般人なんか知らんような名前ばっかよ 2類は隔離をしなきゃいけないとか
それ相当の病棟を作らなきゃいけないとかね >>288
>大島丈の「愛」の正体を探究し、解明していきます
あなたが私なら大島丈の愛の正体を仏教哲学から解明してみてください。 >>287
>「妄念を知恵」
妄念の知恵とは何を指しているのでしょうか?
私はスッタニパータの(三三四)を引用し説明しています。
あなたが私なら(三三四)の「明知によって、自分に刺さった矢を抜け」で説明してください。 >>288
>大島丈の怒りのコントロール法は、
>非常に仏教的な手法に近いのです。
手法は仏教的ではあるけれど、本質はイエス思想または鎌倉仏教思想に近いのが大島丈だと兼ねてより私は説明しています。
そして大島丈は神道を愛しているとも書きました。
あなたが私なら、大島丈にとっての神道、キリスト教、原始仏教、大乗仏教の位置づけをここで説明してください。 >>288
>仏教における怒りのコントロール法
>>272-288ではその具体医的な方法が示されていません。
それは他で書いているからです。
コントロール法はレベルに応じて13段階あります。
あなたが私なら今日中にその13段階を載せてください。 >>287
>「妄念を知恵」
私は「知恵」と「智慧」をあえて書き分けています。
あなたが私なら「智慧」と「知恵」の違いを述べてください。
それはどこかから拾ってきた辞書的な意味合いではなく私見を述べてください。 >>287
>煩悩から解放された「慈悲の心」は、
>全生命体が、最大限の可能性を発揮出来るように、
>全て自分の可能性に最大限に近づけるような状態に、
>宇宙全体に働きかけ、お膳立てをしてくれます。
ここも表現に苦しみ、非常に曖昧模糊とした説明となりました。
あなたが私ならこれを具体的に解説してください。
その際、スッタニパータ(二九九-三〇一)を引用し説明願います。 >>286
>知恵のエネルギーとなり、
>あらゆる生命と死とに繋がっている
>幸福を表すものとして意識されます
知恵のエネルギーが生命と繋がる。
知恵のエネルギーが死と繋がる。
それが幸福を表す。
この相反する生と死が何故、それぞれ同じ結論に至るのか
あなたが私ならここで「遊行経」をつかって説明してください。 >>285
この箇所も>>286に同じく大変説明に苦労しました。
「ダイヤモンド」「地」「白く輝く」
「ルビー」「赤く輝く」「火」
「トパーズ」「黄色に輝く」「水」
これは一体なにを示したことばでしょうか?
あなたが私なら詳細を説明してください。 >>285
また、あなたが私なら
「有形化の過程」「認識の過程」「知覚の過程」の3過程を説明してください。 >>285
>「事物を反映する知恵」
これは大変重要なワードです。
仏陀はこれを「何」と表現しているでしょうか?
あなたが私ならお答えください。 >>284
>これが「丈エナジー」の正体です。
>大島丈の「おひさまパワー」と言っても間違いではありません。
このパワーを獲得するための方法として書かれたものがこの論文です。
あなたが私なら、結局のところ、これを得るには何をすべきなのかお答えください。
大きく分けると5つに分類されています。 >>284
>根本的な煩悩を克服
根本的な煩悩があるのならば、末梢的な煩悩も存在します。
あなたが私ならこの二者の区別をお答えください。
また、末梢的煩悩の場合の解決策もお答えください。 >>283
>妄念、欲望、怒り、高慢、狂信、疑念という六つの根本煩悩
仏教に馴染みのない方にも分かるように説明するため
敢えて「六随眠」というワードは避けました。
あなたが私ならこの「六随眠」を説明した上で
大島丈の怒りの解決法を語ってみてください。
また、ややこしくなるので『俱舎論』については触れませんでした。
これは六煩悩を語る上で避けては通れません。
あなたが私なら是非、これの私見を述べてください。 >>283
>融通無碍
実は私が最も語りたかったのが親鸞聖人の「無碍の一道」なのです。
これは別の研究ノートに書かれています。
あなたが私なら、どう無碍の一道が大島丈と関連してくるのか述べてください。 >>283
>20あると言われています。
>他に50だったり、
>108としている教えもあるので
ここも素通りできない重要な部分です。
あまりにも長くなるため載せるときに割愛した箇所であります。
何故、煩悩が20、50、108とバラつきが生じたのでしょうか?
確かに融通無碍な考えではありますが
ここを深く探ると見えてくるものがありました。
あなたが私ならその研究結果をここにお示しください。 >>282
>セネカの分析によれば
セネカは大島丈を語る上で大変重要な人物で
実は「第5章:西洋2(仮題)」では
丸々とセネカについて書いています。
あなたが私ならそれを載せてください。
口から出まかせと思われるのも侵害なので
また悪用を避けるため所々を省きつつここの一部分載せておきましょう。 >>282
この言葉から分かってくることは、
セネカは「怒り」を
単なる凶暴さや攻撃性、
(悪用を避けるため中略)
セネカは、「怒りは生来備わっているもの」
という考え方を完全に否定しています。
その理由として
(悪用を避けるため中略)
怒りの正当な使い途をも完全に否定しているわけです。
セネカにとっては、「怒り」に
「正しさ」など存在しないというわけです。
(悪用を避けるため中略) >>282
セネカはまた、前述した
アリストテレスの説をも否定しています。
(悪用を避けるため中略)
理性を凌駕し、
節度を持とうとするあらゆる努力を
無視するものだからだ
(悪用を避けるため中略)
もし人が怒りを抑制できるとすれば、
それはもう怒りがおさまって、
理性がよみがえりつつある場合しか
(悪用を避けるため中略)
ただしそんなセネカも、
「義憤を感じるのが妥当である」
と考えられる場面をいくつか
(悪用を避けるため中略) >>282
必要なのは勇気や正義、忍耐や知恵であって、
そうした徳を駆使するのに、
(悪用を避けるため中略)
セネカはその有効性を
次のような論旨で全否定しているわけです。
「この武器は壊れやすく、
(悪用を避けるため中略)
大島丈がアリストテレスよりもセネカに、
(悪用を避けるため中略)
さて、しかし大島丈やセネカのように
怒りを徹底的に忌み嫌う存在がいる一方
(悪用を避けるため中略) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています