十八史略全文訓読
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十八史略全文訓読します
漢文・漢文法基礎/十八史略 全文目次でぐぐって。 世祖光武皇帝名秀、字文叔、長沙定王發之後也。景帝生發。發生舂陵節侯買。侯再三世。徙封以南陽白水郷爲舂陵、宗族往家焉。買少子外。外生囘。囘生南頓令欽。欽生秀於南頓。有嘉禾一莖九穂之瑞。故名。先是有望氣者。望舂陵曰、氣佳哉。鬱鬱葱葱然。王莽改貨曰貨泉。人以其字爲白水眞人。秀竟從白水起。隆準日角。受尚書通大義。嘗過蔡少公。少公學圖讖。言、劉秀當爲天子。或曰、國師公劉秀乎。秀戲曰、何由知非僕邪。 世祖光武皇帝名は秀、字(あざな)は文叔、長沙の定王發の後(のち)なり。景帝發を生む。發、舂陵(しょうりょう)の節侯(せつこう)買を生む。侯たること再三世なり。封を徙(うつ)し南陽の白水郷を以って舂陵と為し、宗族往(ゆ)いて家す。買の少子を外という。外、回を生む。回、南頓の令欽を生む。欽、秀を南頓に生む。嘉禾一莖(かかいっけい)九穂(すい)の瑞(ずい)有り。故に名づく。是より先、気を望む者有り。舂陵を望んで曰く、気佳なるかな。 鬱鬱葱葱(そうそう)然たり。王莽、貨を改め貨泉という。人、その字を以って白水真人となす。秀竟(つい)に白水より起こる。隆準(りゅうせつ)にして日角(にっかく)あり。尚書を受けて、大義に通ず。嘗て蔡少公に過(よぎ)る。少公、図讖(としん)を学ぶ。言う、劉秀当(まさ)に天子と為るべし、と。或る人曰く、国師公劉秀か、と。秀戯れて曰く、何に由(よ)って僕に非ざるを知るか、と。 前漢・後漢も結構異民族・外戚・宦官に苦しめられていてほとんどよかったのは太祖と武帝ぐらいじゃないかなと。 晋の統一ぐらいまでがピークで、あんまそれ以降って正直面白くないんだよな・・・ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています