司馬懿は諸葛亮にはなぜ相性が悪いのか
ちょっと昔の相撲に例えれば
強国魏は小錦で、弱小蜀漢は舞の海
巨漢小錦は勝っても当たり前としか評価されない
一方で舞の海が小錦を転ばせれば拍手喝采という、最初からアンフェアな戦いそれが諸葛亮の北伐 演義ベースの作品でも曹真の扱いに比べれば司馬懿はずっと優遇されてるだろ 諸葛亮死後の司馬懿は公孫淵にも曹爽にも苦戦すらしない
孟達にも圧勝
諸葛亮にだけやたら苦戦してるけどこれは他がしょぼいのか諸葛亮と司馬懿がすごいにのか >>1
雨降って助かっただろ
運も味方できる司馬懿が上
孔明は五丈原で病で憤死
最後の勝者は司馬一族だよ スタッフや既にこの人より
レギュラ歴が長く格上の共演者達
にも自分がだと思ってか?
威張ったり横柄な態度で嫌われた
って当時伝えられてたな。
すぐに主演を降ろされた。 >>5
むかしから言われてるだろ
司馬懿は蜀を滅ぼすわけにはいかないんだよ
魏の謀臣たちに危険視されてるから蜀を滅ぼした瞬間にお役ご免で干されることが分かってる
諸葛亮もそれを知ってるから戦いの前に贈り物をする『挑発文』『高価な弓の袋(蜀を滅ぼすしたら弓矢は不要にされてしまいますよの意)』そしてプロレス用の『女の服』
完全に権力を握るまでは蜀を残しておいたほうが安全なの 8年後には日ハムにトレードに出されて、13年後にはDeNAで活躍してる 司馬懿は速戦で相手の準備が整う前に掻き乱して倒すスタイルだし、初っ端から綿密に用意して自分の作戦まで計算に入れてくる諸葛亮とはそら相性悪いですよ >>7
病で死ぬのは病死であって憤死ではないけどな >>13
理屈マン乙
孔明は元々過労により病気がち
無理して司馬懿打倒をもくろむも
雨が降らなかったことを恨み
それが直接の死因になったわけだからな >>14
雨が降らなかったことを恨んだのが死因ではなくない? 正史ベースだと
第一次北伐
孟達を殺した功績はあるが、街亭は親征した曹叡が張?に守りを指示したもので無関係。
箕谷の趙雲を破った曹真も自軍より兵力の多い相手に勝利。
第二次北伐
陳倉ルートを見抜いて?昭を派遣したのは曹真。
第三次北伐
中央軍が来る前に郭淮が武都・陰平失陥
第四次北伐
司馬懿大敗も李厳の誤魔化しで諸葛亮撤退
第五次北伐
司馬懿何もできず、諸葛亮寿命により蜀軍撤退
こう見ると第一次は曹叡親征、第二次は曹真の慧眼、第四次以降は蜀の自滅なんだよな 昔の三戦板だと司馬懿が後に晋の礎を築いたことから逆算して対北伐ではわざと撤退戦に持ち込んだとか言ってる低能ばっかだったね
高平陵の変までの権力闘争を考えたらとてもじゃないけどそんなことは言えないのに >>19
いや曹爽一派が排除された時の話だよ
正始政変って呼び方が有名 曹操の生き方を見てきたから司馬懿は簡単に蜀を取らんわ
ある日の曹操「朝廷から領土(曹操の直轄地)を貰っても兵権を返すわけにはいかない、なぜなら兵権を返せばたちまち滅ぼされてしまうからだ」
つまり曹操も司馬懿も兵権を持つことの意味を知っていた
さらに年月が過ぎ曹操が張魯を降した後で蜀を攻めるのを中止したとき部将たちは曹操へ蜀(劉備?劉璋?もう忘れた)への攻めを勧めたが「予も歳いずくんぞ隴を得て蜀を望まん」と
これは兵権を残したい為の策で四海が治まれば兵権を持つ理由が失われる
司馬懿は曹操の側にいて全てを理解していた >>7
司馬懿の子孫は異民族にメチャメチャな目にあわされて殺されてるが
諸葛亮の子孫はそうではない >>16
赤壁で天候さえ操って曹軍を撃退した諸葛孔明がただの1日の晴れ雨さえ操れないのは不自然だ >>21
その賢さが曹操にはウザかったようだが、だからこそ司馬懿は賢かった裏づけになるわな 司馬懿は四友として曹丕をささえたから曹丕の時代は安心できた >>21
兵権の仕組み知らないから、どこがどうおかしいのか指摘できないけど何かおかしい
司馬懿や曹爽の兵権は魏からの借り物で曹操は漢の借り物でなく自力でデカくなってきた違いがある。
張魯攻めの前に皇后を殺してるし、四海が治まれば兵権返すかね、帝になるのでは。
蜀を攻めるのを中止したのは兵権を残したい為の策ってのは、う~ん、どうなんだろう >>26
「兵権を返すわけにはいかない、兵権を返したらたちまち滅ぼされてしまう」って言うのは曹操自身の言葉だよ
たしか漢朝廷から領土を与えられた時に、領土3地域も与えられたけど「昔の偉人ほどの活躍はしていない」とかで2つは朝廷へ返したけど兵権は返せないと語った
誰に語ったのかは今思い出せないたぶん曹操の家臣たちへ語ったのだと思う
その部分に関する本の題名は忘れた
中身はうろ覚えだが曹操の死後しばらくして遺物を見て偲んだ官僚だったかなあ
なんか「残された女のことにまで細かく遺言して女々しい」とかなんとかもあったような気がしたが ●司馬仲達に魏への忠誠心はない
当時、優れた人物が朝廷で出世するには推薦する人が必要であった。その効果を持つのが人物評である。そして、高く評価してくれた人物は、その人物へ恩を与えることになり、ここに主従-師弟関係が生まれる。
仲達の場合それに相当する人物が3人いる。荀彧、崔炎、楊俊である。
ところがこの3人には共通する運命が待っていた。
荀彧は、曹操に自殺を強要されたことで有名である。荀彧は、仲達が生涯で最も尊敬する人物であり、ここ数百年において荀令君こそ最高の人物と評していたのである。
崔炎もまた不自然な理由で殺された。
楊俊は曹丕に殺されている。仲達はこのとき叩頭流血するほど助命を乞うたが容れられなかった。
これら3人とも、正当な理由もなく殺されたのである。
またもともと仲達が曹操を嫌う理由があった。まず曹操は実は仲達の父・司馬防の部下だったことである。それがいつのまにか上にいるのを喜ぶはずもない。河北の清流派の名門である司馬家と、宦官の醜い子孫とされる曹操とは本来の上下関係は逆のはずであった。
また仲達が曹操の部下になる経緯もまた、醜い経緯がある。脅迫同然に部下たることを強要されたのである。
●仲達と比較してみる
単純に計算してみれば、孔明が恐るべき名将だったことはすぐわかる。
まず確認したいことは、司馬仲達は歴史に名を残す名将で50年に1人級の逸材であることである。そしてその仲達は自国内で敵を迎え撃つ地理的有利さと2倍近い兵力を持っているのにたいして、孔明は遠く蜀の桟道を越えて疲労した、補給もままならぬ軍隊を率いていた。もしも、孔明の軍事的能力が仲達に匹敵する有数の名将だったと考えてみよう。もしそうなら、孔明は仲達より圧倒的に条件が悪いのだから勝ち目はなく、北伐するたびにその軍勢は壊滅し、すべて敗戦しなければならない。
ところが、魏軍は寡兵の蜀軍に対して守りをかためるしかなかったし、数度の合戦では常に戦術的に不利であった。すなわち、孔明が仲達以上に名将でなければあのような北伐はそもそも行うこと自体ができない。 >>29
>魏軍は寡兵の蜀軍に対して守りをかためるしかなかったし
魏と蜀の国力差を考えれば魏が討って出る必要もない
気候の厳しい雍州で兵站も難しい地域だけに
守りに徹していれば蜀は勝手に疲弊する
孔明相手に下手に勝負に出て大事な武将をたくさん死なせる必要もない
さらにまだ呉は健在で呉の侵略にも対応しなければならないことを考えれば
司馬懿の取った策は正しい 料理運ぶ新人の女の子が化粧してきたら板長が
「化粧の匂いが料理につくやろうがど阿呆!料理をぶち壊す気なのか!」
って怒鳴る話あって笑ったね 三国の頃は、自分を推挙してくれた人は親の次に大事な存在だからね 諸葛亮信者は決まって「条件が同じなら〜」とかありえないifを展開するけど
そもそもその条件で侵攻してきたのがお前だろ、としか思わないよな
逆にどういう勝ち目があって攻めてきたんだろうか 心頭滅却すれば魏もまた涼し
討ちてし止まん鬼畜曹操! 諸葛亮は呉との同時侵攻を狙ってたけど親征して呉を退けた曹叡から
「こっちは片付いたからあとは孔明もなんもできないだろ。守ってるだけでいいよ」と
命令が来てんだたらそりゃ司馬懿は命令違反をしてまで動く必要はないよね
もし方面指揮官が司馬懿じゃなかったら挑発に乗ってたかもしれないが
ガン無視されて完全に手詰まりになった諸葛亮の負け なんでこういう分かりやすい嘘吐くかな
再利用するくらいならポケティ配ってるとこや置いてある店から貰ってくればいいだろ
まぁニュースに取り上げられた時点で勝ちなんだろうけどさ 逆だよね
相手が司馬懿じゃなければもうちょっとはマシな戦いになってたはず (´┌┐`) 、ペッ
/ ヽ
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{ii| 🐘 |リくパオーン
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