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★金の北宋皇族に対する仕打ちってひどすぎない?★

0001無名武将@お腹せっぷく
垢版 |
2013/10/27(日) 19:13:55.43
皇后から宮女まで全ての女を上半身裸にし売春婦として客を取らせたって…
野蛮人はやだね
0002無名武将@お腹せっぷく
垢版 |
2013/10/27(日) 21:08:35.88
『洗衣院』

洗衣院(せんいいん、またの名を浣衣院)とは中国、金王朝における官設の妓院である。
『靖康稗史証』の記載によると、靖康の変(1126年)の後、宋の多数の皇太后、皇后、
妃嬪、皇女(公主)、宗女、女官、宮女、及び官吏や平民の女性達が遠く金に連行され、
現地で洗衣院に入れられて、性的奉仕を強要された。
複数名の幼い皇女達も洗衣院で育てられ、成長後に洗衣院の娼婦となった。
この女性達の中には、南宋の初代皇帝高宗の母の韋氏、妻の刑皇后や娘の趙仏佑、
趙神佑の四名も含まれていた。

靖康の変の最中に、金の捕虜となって北方へ拉致された女性の数は、『開封府状』
によると、宋の妃嬪83名、王妃24名、皇女22名、嬪御98名、王妾28名、宗姫52名、
御女78名、宗室に近い姫達195名、族姫1241名、女官479名、宫女479名、采女604名、
宗婦2091名、族婦2007名、歌女1314名、貴戚、官民の女性達3319名の計11635名で、
それぞれが金額を課されたうえで、洗衣院に入れられた。
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