>>924
残したというより曹操の場合出世の際は親と連携していた節がある
黄巾討伐の後、曹操は一旦東郡太守赴任を拒んで郷里に退いた(地固めを優先して中央進出に備えたか)
父曹嵩が一億銭の金と更に宦官への賄賂によって三公の一つ太尉の官職を買ったのは187年
そうした売官による霊帝の私財から作られた西園八校尉に曹操が名を連ねたのが翌188年
霊帝が没し十常侍ら有力宦官が一掃されて董卓が乗り込んでくる直前の話だ

曹家は霊帝と宦官が取り仕切る銅臭政治の下で急成長していた
養祖父曹騰の遺した財力と人脈により権力の中枢に食い込んだ矢先に劇的な政変の横槍に見舞われている
曹操が逸早く宦官粛清の動きを非難したのも董卓打倒の兵を挙げたのも予見の鋭さよりは立場上当然だな