【漢の忠臣】劉備という人をどう思う?【逆臣】
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漢の忠臣。少なくとも、漢の天下にしようとしていた。
逆臣ではないと思う。 逆臣ではないだろうな。
歴史でも見事に正閏論を得て名実的正統をゲット。
実力の曹操、オマケの孫権と並び、名実の劉備として
現代でも「三国時代」の一角して歴史にもその名を残す漢の忠臣。 >>4
劉協健在で皇帝名乗っていいの?
忠臣なら劉協の復位を考ずるべし。劉備が皇帝に即位した瞬間に忠臣とは呼べないと思うな 戦は結構うまいし口先三寸で人を丸め込むし、ヴァレンシュタインの上位互換って感じだな。
漢朝に逆らったことはないから逆臣とは呼べないと思う 漢王朝から賜った左将軍の官位を返上して、
漢王朝に断りもなく漢中王を僭称した反逆者 劉備って人心だけはどの君主よりも掴むのが上手かった。
確かに直接、漢王朝には手を出していない。赤壁までは「扶漢滅曹」で良かったかも知れない。しかし、益州牧劉[王章]からショクを奪った時点で「俺は劉一族もなにも関係ない。自分の勢力が強くなればいいのさ」と宣言したことになると思ふ >>7
賛同
まあ、『易姓革命』で成功すれば皇帝、失敗すれば逆臣。これぞ中国 劉備が曹操に反抗したのは、曹操が自分を受けいれないだろうと考え、
殺されないために起こした行動である。
であるから、必ずしも漢に対する忠義のため、ということではない。
さて、劉備を漢の忠臣と考える方々は、
劉備のどの行いを持って漢の忠臣と考えるのかを伺いたい。
逆臣ではないが忠臣とも言い難い、って結論じゃだめかね?
劉備だって「中庸が一番!」と言ってるじゃないか! >>11
"中庸" こんな事言ってたの!?
初耳ですw 『三国志演義』耳が肩に付く、両腕が膝に届く
一度見てみたい >>14
奇相設定は後付けの場合もあるからな
案外、本当は普通のオッサンだったかも 高祖も蛇を斬って云々という話あるし
それに膝にほくろだらけとか 正史にも振り向くと自分の耳が見えたぐらいで腕が膝に届くという記述がある >>9
三国時代は例外だよ。
確固たる正統国家が存在しなかったため消去法で劉備が繰り上がった。 まあ、しょうがないだろ。
漢といっても、南西の一区画に居を構えるだけの
全盛期とは比べ物にならないほどの小さな国。
漢の威光の残り香で劉備は逆臣の汚名を被らずに済んだ。
悲しいのはそんな残り香程度のものすら敵わなかった曹操や孫権。 もし劉備が統一してたら前漢・新・後漢・魏・蜀漢みたいに呼ばれてたかな 前漢・新・後漢までは分かるが何故そこに魏?
その後は三国・晋でしょ。 いや、三国になったから初めて呉という国が認識されたんであって
蜀漢が統一したなら相手は魏になるからそうなるかなって思ったのね ここまで劉備を忠臣とする具体的な論なし
演義ですら漢中王僭称を忠義の行為としてないのにw まあ中国ではそう見た人が多いから劉備が善玉扱いされるようになったんだろうな 中国人の常識だからな。
日本人のミーハー感覚では理解できない部分もあるんだろう。 四海才コ之士、捨死亡生而事其上者、皆欲攀龍附鳳、建立功名也 皇帝位を簒奪した曹丕・劉備・孫権及びその佞臣諸葛亮・司馬懿などすべて逆臣だ。天下再統一まで簒奪は思いとどまるべきやったね。魏王に止まった曹操こそ仁義の人であった。
子曰わく、人をもってして鳥に如かざる可けんや、と。
以上は、一面だけで判断する極論でしかないが、こう言う見方もあろうかと思う。 >>31
諸葛亮は劉禅にとっても忠臣ではなくねぇ?亮の権力がでかすぎ
亮亡き後、劉禅は丞相職を廃止したとさ 706 :無名武将@お腹せっぷく:2012/08/03(金) 17:43:51.15
官渡の戦いだけに焦点を絞ったやつもダメだった
⇒ゴールがあってもダメな時はダメ
小魔玉がやれば成功するって神話も崩れたし
どういうのなら成功するんだろうな
707 :無名武将@お腹せっぷく:2012/08/03(金) 17:48:23.12
正直、官渡はイケると思ったんだがな
袁か曹の勝利で綺麗に終了って感じで
708 :無名武将@お腹せっぷく:2012/08/03(金) 18:00:37.48
俺は官渡は途中からダメになるだろうなと思ってた
参加者が袁家側に集中しすぎ、小魔玉の負担がヤバくなるか
袁家側が張り合い無くなってダレると思ってた
709 :無名武将@お腹せっぷく:2012/08/03(金) 18:12:37.35
予め武将名を一覧にしておいて、
この中から早い者勝ちで選んでください、というようにすれば防げる事だな
確か北伐に失敗した孔明が
丞相職を辞すると言ったもんだから
丞相職を廃止したんやなかったけ? >>35
三次北伐の成功を持って丞相に返り咲いておる 劉備が逆賊なら前漢最期の帝(退位はしていたが)を殺害した更始帝や劉秀なんてどうなるんだよ。
董卓、司馬昭と変わらんぞ。 光武帝に関しては帝位につけたから勝てば官軍なんだよ >>38
更始帝や劉秀の行いがどうであれ
劉備の行いが逆賊なことに違いはなく、その行いの正当化にはあたわず >>35
確かに孔明は降格処分を受けた。だが、丞相は廃止してない。空席なだけ
孔明死後に劉禅は丞相の官職を廃止。
元々、丞相は前漢の役職であり後漢には本来なかった。後漢では曹操が復古をはかり自ら丞相に就いたのが最初かな? 聞いた話しじゃ、正史の7,8割が本当の話らしい
でも、それって本当??すごく怪しいんだけど 少なくとも正しい部分と違う部分はある。
反三国志もあるくらいだから、「全部デタラメだよ!」という可能性も否定出来ない。徐州で昭烈帝が曹の旗を見て、戦わず逃げ出したというのも嘘臭い。
まあ、正史は魏を正統にしてるから蜀漢、呉を悪く書くのは当たり前。でも正史を書いたのはチンジュだから、蜀漢の事もなんとか良く書いてる。
中国は王朝が代わると前代の王朝の文化等を焼くので、蜀漢の歴史が後世にあまり伝わらなかったのも、晋の仕業かもしれん。
晋は魏を正統にしてるため、漢の流れを組む蜀漢が邪魔だったのだろう。
…なんか日本語が変…かな? 徐州で劉備が曹操の旗を見て逃げたのは実話だと思ふ。劉備も曹操も逃げるのが上手い。これらが彼らが生き残る秘訣だ。
勝てぬ戦は避ける、負けたら逃げる。もし、覇者に成りたいなら屈辱は耐えるべし
こういう醜い行動は丁度彼らの英雄ぶりを示しており、別にわざと悪く書く必要はないと思ふ
曹操も言っているように
「今天下之英雄唯使君与操耳」
似たもの同士だけが分かち合える言葉だろうか 正史がなにを指すかによるけど本当のことかどうかなんて誰もわからん
「本当の事として信ぴょう性があるもの。もしくは信ぴょう性がないという文献がない」ものだろ 劉備とは
・勝手に皇族名乗る
・献帝健在で、漢の皇帝名乗る
・劉禅の脅威に成り兼ねない劉封を殺す
・呉との約束破る
・人肉食べた
・同じ劉氏から益州奪う 劉備・関羽・張飛が人肉を食べたと言うのは史実ですか?
民家に宿泊した時、そこの主人が妻を殺しその肉を調理した料理です。
中国では最高のもてなし。 >>46
> 反三国志もあるくらいだから、「全部デタラメだよ!」という可能性も否定出来ない。
┐('〜`;)┌ やれやれ >>5
名乗らなかったら漢の祭祀途切れるだろ
一応魏は山陽公として漢の祭祀を継続させるポーズはとったが
「皇帝としての漢家」はその時点で滅んでるので劉備が継ぐしかない >>8
劉璋は赤壁の戦いの時に曹操に降伏したりしてるから
むしろ復漢路線で行くなら曹操に与する怨敵であって潰すべきなんだけどな 曹操は表面上、漢の丞相。当時、彼に逆らえば漢に逆らったことになるのでは? >>60
「異姓不王」曹操はこれに反した。これは十分に反逆の理由に使えるのかな
これを好都合にし、曹操を討つ。←これは出陣理由としてOKだと思う 劉備は
若い時は有能なフリーター
様々なコネを作るが運がなくなかなか独立できず
もうダメだろと諦めるにもはいれる人生後半の時にやっと勢力を拡大しさらには国まで作り最後にはなんと皇帝にまでなった凄い人
そういう流れで皇帝を名乗りながらも恐ろしい程に暴虐な行為はしなかった英雄 >>58
漢魏革命を
禅譲とするなら、皇帝の座はすでに曹家に移行しているから
皇帝としての祭祀を次ぐ必要はない。
簒奪とするなら、献帝が生存しているからには祭祀の役割は以前献帝にある。
劉備が祭祀を次ぐいわれはない。
忠臣ならば、祭祀や王や帝を名乗る以前に皇帝救出に全力を傾けるのが筋。
皇帝が殺されたと誤解していたとしても、あだ討ちを先にするのが筋。
それを果たさず王だ帝だと称するは、明らかな不忠であり僭称。
>>62
前漢の文帝の代まで異性の王は存在した。
異性の王を否とするのは不文律なだけで制度ではない。
その王位を申し渡したのは献帝であり、法的に問題性はない。
脅迫された云々の意見は、その是非も確かめずに反逆を押し通してよいわけがない。
少なくとも王位を受けるだけの功績を曹操は残している。
そもそも、劉備の反曹は忠義から起こした行為ではない。 >>61
自称前漢の劉勝の子孫だし魏側の記録でも光武帝の兄の子孫ってことになってるよ >>64
それは魏の主張
蜀漢はその主張を否定しているし、劉氏の祭祀ではなく
漢の皇帝としての祭祀は魏によって寸断されたのだから
誰かが継がねばならない 劉備の反曹は忠義ではないな。
曹操の献帝擁立も忠義でないのと同じ それは魏の主張
蜀漢はその主張を否定しているし、劉氏の祭祀ではなく
漢の皇帝としての祭祀は魏によって寸断されたのだから
誰かが継がねばならない
>>69
つ> 簒奪とするなら、
魏が簒奪を主張していたとはついぞ聞いたことがない 遊んでいるのは>>69と>>71の脳みそ
ちゃんと働かせないとニートになるぞ 負けの多い生涯を送って来ました。
自分には、戦略の概念というものが見当つかないのです。 負けてたのは入蜀するまで
と言いたかったけど最後の最後で歴史的な惨敗を喫したからなぁ 民というか当時の豪族からしたらやっかいだったろうね 益州の言葉も話せぬ北京語?山東弁?の劉備、諸葛亮が益州に国を創り出すwwwww
益州の人からみればマジウザいなあ 益州はほっといてもそのうち曹操に潰されるから結末は変わらない 益州は日本で言えば四国みたいなモンだからね
上の情勢がどう変わろうと一般人にはほとんど影響なかっただろうね
それほど漢化されてなかっただろうし 基本は野心家であって、董卓や曹操と同じだと思うな
漢の復興ってのは大義名分 劉備にしろ曹操にしろ若い頃は、漢に対して忠誠にやっていこうと思ったが
自分の勢力が大きくなってくるとだんだんと野心が芽生えたのでは >>81
董卓や曹操は帝位には登らなかった。
帝位を僭称した輩と同じにされては浮かばれないな。
>>82
曹操は劉協を庇護し、死ぬまで家臣の身を貫き通した。
劉協を曹操の下に残したまま、外で反旗を翻すわ
劉協の即位に異を唱え続ける袁紹と手を組むわ
漢中を得れば、漢から賜った将軍位を返上して王位を僭称するわ
魏への禅譲を知り、劉協が殺されたとの誤報を聞くとあだ討ちすらせず帝位を僭称するわ
などなどした劉備と同列に扱うなんて… そうやって並べてみると酷いな
でも時代も移り変わってるしなんとも言えないな 蜀には最初に劉協が殺されたって誤報が伝わったんじゃないん? 劉備と諸葛亮が漢を滅ぼしたという見方もできる。
曹操は皇帝になるつもりなかったしさ。
赤壁で、呉が降伏すれば、漢は続いていたかもな >>82
曹操についてはそのとおりだろう。
いつから取って代わることを意識しだしたのかは何とも言えないけど。
個人的には,献帝を擁立してから魏公に就くまでのどこかだとは思う。
劉備の場合,>>83氏が言うとおりそもそも漢に対する忠誠が薄い。
むしろ劉協弑殺の誤報を確認すらしないで称帝に走ったことからも,
自身が劉氏の末裔であることを利用しているだけの感がある。
もともとが成り上がった任侠集団と考えればそんなものか。 >>87
曹操のどのエピソードで野心があると断定するの?
爵位や王位は、曹操自身が望んだのか、家臣たちが望んだのか
董昭主導で行われていたが、そこに曹操の意図が乗っていたのか否かは断定できない。
爵位や王位を受ける事がイコール野心でもない。
拒み続ければ、皇帝の意に反する事になり、逆に反意を疑われる。
爵位や王位を受けた時、曹操は与えられた領地の大半を返上している。
曹操のなにを持って野心ありと断定するのか、伺いたい。 >>88
曹操は領地を返上したが、曹操の息子たちは領土領土を与えられた。しかも、返上したのよりも多い。
まあ、結局は得をした訳ですよ >>89
> 曹操は領地を返上したが、曹操の息子たちは領土領土を与えられた。しかも、返上したのよりも多い。
曹操の息子たちが得た領土の数値と得た時期を具体的に
多いとするからには把握してるのでしょ。
野心云々でいうなら三公制の廃止と丞相の復活じゃないかなあ
それと前後して司徒趙温を罷免させてるし
河北統一して自ら丞相にってなると野心が無いとは思えないんだよなあ
もちろんビビって降伏する劉表みたいなののための脅しとしての意味のほうが強いんだろうけど >>88
前提として,「取って代わる」と「野心」が同一とは限らないけどね。
漢の終焉が防げないのなら,むしろ誰かが継がなきゃいけない。
(もちろん曹操の真意なんて知らないけど。)
ただ実際問題として,魏公を受けてから後戻りなんてできたのだろうか。
司馬昭が征蜀の成功が見えてようやく晋公を受けたことを考えれば,その重さは分かるだろう。
この時点で王朝交代は視野に入っていただろう。自身の代で果たすのかはともかくとして。
個人的には>>91氏が指摘する丞相復活(特に趙温の罷免)も重要だと思うけど,
211年の時点で25歳の曹丕を副丞相にしたことが決定的だと思う。
だって,既に権力の相続まで考えていたってことだから。 >>91>>92
建安十三年正月、司徒趙温が曹操の子曹丕を召し出そうすると
曹操は「趙温は臣の子弟を召し出しましたが縁故ばかりを選抜して実力を軽視しております」
と上表し、癸未、侍中守光禄勲郗慮を持節として趙温を免官させた。
《文帝紀・後漢紀》
献帝より、曹丕が五官中郎将・副丞相に任命されたのはその3年後。
これが曹操の意図による任命なのか否かは、今になっては知りようがない。
息子に職務を手伝わせることは、珍しい事ではなく、むしろありふれている。
また、曹丕を継承者(太子)にしたのは建安22年(217年)で6年も後の話し。
司馬昭の晋公への昇進は、漢から魏への禅譲の経緯を意識して王権交代を考えていただろう。
何せ、すでに皇帝殺しの烙印は押されているのだから、後戻りしようがない。
しかし、だからといって曹操が魏公への昇進に王権交代が視野に入っていたとは限らない。
爵位を授かり責務を全うするか、頑なに拒み責務を放棄して野に下るかの二択で、
いまだ戦乱が治まらない中、責務を放棄するくらいなら爵位を授かるほうを選ぶ、と爵位を受ける際に宣言している。
まぁ、曹操に野心ありとしか捉えない人にはパフォーマンスにしか受け取れないでしょうけど。 >>91
> 野心云々でいうなら三公制の廃止と丞相の復活じゃないかなあ
孔明も同じ事をしている。
三公は、制度として廃止していなかったかもしれないが
許靖の没後(222年)、誰も三公に任命されていないので事実上の廃止。 >>90
210年
すみません。間違えました、五千戸減っている。
曹操は三県二万戸を返上。その代わり曹植、曹拠、曹豹には一県五千戸ずつ食邑が与えられた
ただし!
返上したのは陽夏、タク、苦の三県。
それと比べて
曹植の平原、曹拠のハン陽、曹豹の[食堯]陽 は比較重要な土地だった。 >>95
それ建安16年の話しで魏公就任、魏王就任と別口の話しだよ?
建安18年 魏公就任に伴い冀州の十郡を受ける所、魏郡以外はすべて返上
建安21年 魏王就任に伴い賜った領土の三分の二を返還 >>96
いや、曹操に野心が有るかどうかの話
(>>88)
>曹操のどのエピソードで野心があると断定するの?
王位の話なら別でしょう
返還しても、しなくても自分が朝廷を牛耳ってるから、実質なにも損していないと思う
曹操は常に自分を周の文公に倣効してますからねえ
「周の文公は天下の3分の2を持っているのにインを滅ぼさなかった」
皇帝までは望んでいないとは思う
ーーーーーーーーーーーーー
劉備完全放置になってた^^; 曹操が死んだ時は、江夏にいたんだっけ?
最前線にいたんだねえ。皇帝なら、そんなとこにいなさそうだけど >>93
25歳での副丞相(正確には丞相の副だけど)がありふれているのか?
そんな例があるのならぜひ御教授願いたい。
あとできれば安漢公王莽以外の「公」の例を挙げてもらえれば幸甚だけど。
>>98
曹操は洛陽で死んでいる(武帝紀)。
むしろどこから江夏が出てきたのかが気になるけど。 話を劉備に戻します
彼が益州を手に入れるという行為をどう思いますか?
曹氏、孫氏を攻めるのはいいとして
同じ宗室の劉氏を攻めているということは・・ >>101
太陰暦8月28日だったと思う
今ですと太陰暦はまだ7月上旬ではないでしょうか ┌(┐ส้้้้้้้้้้้ਊส้้้้้้้้้้)┐ >>100
サバイバル中の群雄としては何も間違っていない。
もちろん漢の忠臣としての姿はどこにも見えないけど。
>>101,>>103
諸葛亮の命日って出典あったっけ。 >>106
> 諸葛亮の命日って出典あったっけ。
演義 曹操も劉備も漢の忠臣じゃないと思う。ついでに荀イクも
でも曹操が漢の忠臣だったらそれはそれで面白い 私は劉備も曹操も年を経るにつれて野心が芽生えたのだと思ふ
若いときは二人とも漢の忠臣 劉備に漢、あるいは献帝への忠誠を感じさせる行動、エピソードはない。
曹操に漢、あるいは献帝への反逆を確信できる行動、エピソードもない。
劉備の忠誠、曹操の野心は、演義により植えつけられた虚像 言いたい事は分かる
分けるけど曹操の野心は演義ではないと思うけどな
劉備に関しては裴松之とかが持ち上げてる感があるしなぁ 思うだけで確証がない。
その思い込みが演義により植えつけられた虚像なんだよ 王になる野心はあったが、皇帝にまでなる野心はなかったとも言える 王にはなったが 王になったからといって王になる野心があったか
わかったもんじゃない。
公、王へ推戴は董昭主導で行われていた。
この董昭の働きに曹操の意があったか否かは当事者以外解らん。
しかしまぁ、公位や王位を受けた時の曹操の返礼を
知らない人、知っていてもパフォーマンスと受け取る人のなんと多いことよ 実は曹丕も帝位を望んでなかったら面白い。
18回も断ったのはガチで嫌だったからとか 本当はヤル気まんまんでも2,3回は断ってどうしても受けざるを得ない形にするってことは
中国史ではよくある事だが18回も断ったとかマジなん? >>111
曹操は劉邦の故地で漢王朝の聖地だった沛国を縮小して
同時に同じ豫州にあった自分の故郷であるショウ県を沛国から分離、独立させて郡に格上げ
これだけでも十分野心が感じられるね >>118
曹操以前に後漢時代ですでに縮小が行われてますけど?
劉邦が帝位についたとき、皇帝直轄領として免税など行われていたのは
たしかですが、本当に漢王朝の聖地として定められていたのでしょうか?
すでに形骸化してたんじゃありません?
そもそも聖地だったとしたら、家臣に賜るなよって話しじゃねw >>116
曹丕が帝位の禅譲を受けたは野心だけではなかったと多少は弁護できる。
あまり断り続けて家臣団から見限られたら仲があまり良いとはいえない弟に
その地位を取って代わられるだけ。
保身を考えるなら受けるしかない。 曹操はどうでもいいから劉備の忠臣話しはないのか?
逆賊で決定でいいのか? あの時代逆賊しかおらんよ
荀ケくらいじゃねえの
一定の立場で真面目に漢再興とか考えてたの >>119
縮小そのものが悪いんじゃなくて縮小して、且つ曹操の出身地を格上げしてるからしてるのが問題 >>122
漢中王を自称した上に左将軍や宜城亭侯を返納してきた時点で,
劉協から見れば間違いなく逆賊だな。
後世で聖人君子イメージ勝ち取った劉備さんの頭脳プレーはハンパない。 >>124
言い掛かりにしかなってねぇwww
聖地なら家臣に賜るな、賜ったならどう行政改革しようが家臣の自由
自分の出身地を特別扱いするのは劉邦の頃から行われていた事だろ >>129
賜った?沛国そのものは与えてないしそれを勝手に分断するの間違ってるから >>123
荀イクも無いわ。
むしろ進んで天子を傀儡にしてた張本人じゃん。
先入観抜きで見れば、荀イクの行動で漢の忠臣と呼べるような所は一つもない。
魏公就任に反対したのも、漢の為じゃなく時期尚早だからと考える方が一貫性がある。
実際曹操はその後反乱ラッシュに遭ってる訳だし。
「今はまだ時期尚早だから先にとっとと天下統一しちゃえよ」というニュアンスだったものの
曹操的には老い先短いから諦め入ってて、考え方の違う荀イクを危険視して排除しただけなんじゃない?
考え方の違うNo.2を尚書令に置いておくのは極めて危険だし。 >>133
一説には荀イクはただの病死だったという見解もある。
考え方の違いで排除するほど曹操はキチガイだったとは思えないな。 別に考え方の違いで荀イクを排除するのはキチガイでもないよ。
皇帝への上奏文は全部尚書台を通る。
そして尚書が「ダメ」と判断すれば却下出来る。
つまりどんなに曹操が魏公になりたくても、荀イクがいる限り上奏文は揉み潰される。
他の奴ならともかく、尚書令と考え方が違ってしまったら権力者にとって一番の脅威。
だから先手を打って荀イクを名誉職に追いやって実権を奪った。
病死か自殺かはあまり問題じゃない。 たしか
当時孫権の方では、ジュンイクは伏皇后を暗殺しなかったので曹操に死を賜ったと伝えられた・・
(うろ覚えですw違うかも)
病死?自殺?
ジュンイクの息子の嫁は曹操の娘だしね・・ 伏皇后の曹操暗殺計画を黙ってたのは、曹操と対立した時に体よく曹操を葬る名分
として使えるから切札として取っておいたのかもな。
元々曹操とは主従というより政治的協力者に近い関係だったようだし、
考え方が違えばもうただの政敵でしかない。
もし曹操に対抗出来るだけの軍事力があれば、名誉職にする上奏文も揉み潰して真っ向から対立、
司馬懿のようにクーデター起こした可能性もあったかもしれないが、
それが無い以上、名誉職就任を甘んじて受けるしか無かったんだろう。 すみません 訂正 >>136
《献帝春秋》
イク卒於寿春、寿春亡者告孫権、言太祖使イク殺伏后。イク不従、故自殺
この史料でしたら自殺 劉備は敵に回したら最後。
昨日まで味方だった人間が明日には全て劉備側に回ってる。
こんな仕掛けを組み上げる天才だと思う。 >>139
んなこた〜ない
敵が心変わりしたのは、劉備を暗殺に来た暗殺者くらいだろ
後は降伏⇒臣従で曹操と変わらん 四海才コ之士、捨死亡生而事其上者、皆欲攀龍附鳳、建立功名也
演義で漢中王就任を渋る劉備に対して孔明の説得の言葉
漢王朝への忠誠が微塵もない事がわかるw
演義ですらこれですよw ですら、って演義は史実を考証するなら何の意味もないし
演義を考察するのであれば既に劉備はこれ以前に王朝への忠誠を体現してるから関係ないし このスレタイおかしい
曹操なら臣下のまま死んだのだからこのスレタイであってる
だが、劉備・孫権だと生きてる時に皇帝に即位しているので
【名君か】劉備【暗君か】
【名君か】孫権【暴君か】
となるはず
スレタイはいつでも流動的なのですよ
こまかいなww >>144
それでは皇帝として素質があるかないかの問題になる >>149
劉璋の降伏を聞いて降伏した。
降伏⇒臣従組みじゃん。 >>150
夷陵の戦いで劉備は陸路から攻めて
黄権は水路で攻めたけど陸遜の火責めで蜀に戻れなくなり呉に降るよりはと思い魏に降った 劉備の半生は幾つかの勢力を転々としているばかりだ。何時か台頭出来る日を待ちわびて……
全ては自分の利で動いている。その為にはどんな人に付いても構わない。自分がよければね
今日、劉備は味方。明日は敵。群雄から見てそうではなかったでしょうか 劉氏の中で最も戦闘に優れているから、どこにいても自身の望む以上の注目を浴びてしまう
なので野心に関わらず、保身の為に行動していれば何時の間にかああなってしまったのでは 保身のために転々としてたか(笑)
そうだねw
あんなに転々としているにも関わらず、劉備をどの勢力も受け入れてしまうのが不思議だ。
なにか魅力があるのか?
劉備に戦果は多かった?なんか少ない気がするが……
特に延津での逃げ足は早かったなあ
劉備の凄いところは勝てない戦は逃げる!!という所だと思ふ
曹操の將旗が見えた瞬間、妻子・関張放置で逃げたぐらいだからねえ 転々としているだけに、各勢力の情勢にも詳しい…と思われたとか ああ〜詳しかっただろうな
その情勢を劉表が用いなかった所が残念。
劉備の短所は英雄無用武之地。一旦独立勢力になってしまえば、自分の持ってる情報をうまく利用してしまう >>159
劉表が用いなかったって史観がそもそももうダメ
劉表の主戦場は南部と東部でこっちに全力入れてる
対曹操戦でも劉備は一度許昌から数十kmのところまで接近してる
これが元で関羽の北上時には曹操が遷都って言い出すわけ 荊州は北から来た名士が多いのに劉表は彼らを用いようとしない。
劉備に至っては疑いながら操ってたみたいだ
ちょっと読み直してみたが…
《三国志》(劉表は)疑其心、陰御之
それに劉表は荊州刺史になってから荊州平定(エン術及び彼の配下孫堅に対して)以外自守のイメージがある。官渡は配下に諫められても両軍につかず。
劉表の最大の失敗が此処だと私は思ふ。雌雄を決する時に際し、劉表は韓信になるべきだった。曹操には「自守之賊也」と言われてるし。
曹操を支持するよう進言するホウ越?(うろ覚え)の言葉でさえ聞き入れないのなら、劉備の言うことは用いられるのか?
《三国志》注(ハイ松之)引《説語》なら
劉表は劉備を殺そうとし、鴻門の会をやった。
結局劉表は、内政重視みたいですね >>161
バカなこと言っちゃいけない
そもそも荊州の平定自体、劉表死ぬまでに終ってねーっての 対曹操とは202年の博望ハでの戦い(劉備vs夏侯惇、李典)のことですか?
劉表は劉備が荊州を奪うのではないかと警戒してた。そこで、劉備に迎え撃たせ野心を封じ込めようとしたみたい
劉備は夏侯惇を伏兵で襲うことに成功するが、李典が夏侯惇の救援に駆けつけると、劉備軍はちりぢりになって退却する
博望ハは確かに許に近いですね 自守之賊に荊州平定はやはり難しかったか
どうでもいいかもしれないが、
《後漢書》でエン紹と劉表が同じ伝にまとめられているのが気になる… >>163
博望坡の戦いってその直前に劉備が曹操の居ない許昌めがけて進軍してるんだよね
その進軍したところが葉というところでここが許昌の目と鼻の先、といっても数十kmくらいはあるけど
劉表は劉備に曹操を防がせたどころか普通に攻め込ませてるよ
この時は失敗に終ってるけどね >>165
これは知らなかった
劉備軍は一気に許に向けて突入? 戦線が長いと負けやすい。官渡・夷陵が好例
許昌攻めもそうかな >>165
博望や葉が属する南陽郡の北部って,その時点では曹操側だったようだけど,
曹洪伝を見る限りでは,208年に曹操が南下した時には劉表側だったみたい。
ということは,劉表は若干とはいえ北に拡大できたということか。
なんで劉備が新野から樊城に下がっていたのかは知らないけど。 >>166
結局、葉まで行って防がれてるから攻撃失敗
>>168
普通に劉表危篤で後事どうするか話し合いしてたんだろ
危篤に合わせて江夏にいた劉キも樊城にいるから、会議してると見るのが分かりやすい >>169
劉gは襄陽に見舞いに来て追い返されたようだけど,
わざわざ劉備と同じ樊城にいたという根拠は何。 襄陽と樊城って漢水挟んで南北に対面するご近所だよ
あまりにも近いんで今の中国じゃ一つの都市になるくらい >>172
いや襄陽と樊城が近くにあるのは分かるけど,
劉gが樊城にいたなんて記録あったっけ。 >>173
襄樊は川挟んで向かいにある双子のような城だから
襄陽にいたら樊城にいないことにはまずならない
そしてその後の劉備と完全に連携した行動見ればここで相談してる可能性が非常に高い 襄陽に行って樊城にいる劉備と連絡取らないってありえんだろうが
劉キが江夏に行ったきっかけは諸葛亮
その諸葛亮はブレーンとして劉備の下で重要な役割持ってる
劉備と劉キはもうグルになってんだよ >>176
諸葛亮に相談するだけでも周囲を気にしていた劉gが,
劉表危篤の緊急時に樊城まで行って劉備と会ったとは考えにくい。
(そもそも劉gは江夏太守として追い出されたという説もある。)
劉備側から襄陽の劉gに連絡を取ったというのならまだ分かるけど,
それで曹操の進軍状況を把握できなかったのだったら間抜けだろう。 >>180
曹操の進軍状況を把握できなかったというけど
把握できなかったってどこに書いてある?
劉備が知らなかったのは「劉ソウの降伏」であって「曹操の進軍」ではねーんだわ >>181
先主屯樊,不知曹公卒至,至宛乃聞之,遂將其眾去。(三国志先主伝)
先主は樊に駐屯していて,曹公の不意の来攻を知らなかった。
(曹公が)宛に到着してからはじめてこれを知り,かくて自分の軍勢をひきいて去った。(ちくま訳)
先主伝すら読んでないのか。 ああ、そんな一文あったっけ
じゃあ俺の思い違いだったわ 確かに曹操の進軍を捕捉できなかったのは間抜けだが
そうやって内部での勢力争いやっとらんと粛清されかねない立場に劉備も劉キもいる
全て上手くやるなんて神でもなきゃ無理だし仕様のないことでもある >>183
多分あなたの思い違いではなく,
後世においてこの記事が無視されているだけだと思う。
>>184
確かにそうだけどね。
でも劉gはともかく,最初から乗っ取る気満々の劉備がそれじゃ駄目だろう。 >>185
乗っ取る気ないよ
状況も悪いけど諸葛亮という襄陽で隠然たる勢力を持った男に勧められてもお断りしてるし >>186
最初の一歩である荊州奪取が付け足しだったら,隆中対の信憑性なんて全くなくなる。
まあ曹操侵攻と劉表急死が重なったら動きようもないけど。
あと諸葛亮が持つ隠然程度の勢力じゃ,
現地有力者で政権を支える蔡瑁や蒯越の相手なんてできない。 >>187
諸葛亮の人脈のお陰で襄陽の住民の内結構な人数が劉備について来てるから
諸葛亮程度、というのはおかしいだろ
劉備独自の人脈で荊州人をそんなに多数引っ張れないよ 諸葛亮の妻はサイボウの姪。荊州に対して幾らか発言力はあるのでは?
他にも周知の通り
兄の諸葛キンは孫権の配下
叔父の諸葛玄はエン術の配下
一族の諸葛誕はギの臣
劉備と比べたら遙かに良い人脈を持っているはず 諸葛亮の人脈があろうと、あの時点で荊州を取れば蔡氏や蒯氏の反乱を招いただろう
劉備が荊州を取らなかったのは、劉表の子を討つのは忍びないなんて綺麗事じゃなく現実的な判断 劉備が荊州を奪わなかったのは良い判断だと思ふ
劉備が荊州を奪っていたら劉[王章]は易々と劉備を益州に入れなかっただろうな 乃駐馬呼[王宗]、[王宗]具不能起。[王宗]左右及荊州人多帰先主(『先主伝』)
※人…士大夫を指す
劉[王宗]の配下は劉備にことごとく付いていってしまっている…… >>189
嫁の父、黄彦承その人も襄陽に根を張る豪族なのでいくらか、じゃ済まない発言力があるよ >>188,>>189,>>193
襄陽の人々が劉備に付いて行ったのは劉jの不甲斐なさを見せつけられたからであって,
諸葛亮とは別に関係ない。(少なくとも先主伝はそのように書いている。)
少なくとも蔡瑁や蒯越と張り合えるだけの人脈なんて持っていたら,
なんで207年まで劉備に仕えなかったのかという話になる。
(劉備は仲間の徐庶や司馬徽に諸葛亮の存在を教えてもらった。
これは諸葛亮の人脈や名声の小ささを意味するものだろう。)
>>190,>>191
曹操さえ無視すれば,力ずくで何とかなるような気もするけど,
この時点でやっても南下する曹操に潰されるのがオチだろう。
>>192
劉jと一緒に降伏した連中を見れば,
その記事が誇張だってことは言うまでもないだろう。 >>194
逆だろ
そういう名の有る司馬徽の口から紹介される程、諸葛亮の名声は高かった
全国的なものではないが、襄陽周辺では諸葛亮は大したものだとされている >>193
黄承彦忘れてた……(・ω・;)
>>194
私は諸葛亮の名声は小さいが人脈はあったと思ふ。
207年まで静観してたのじゃねえ?
自分が一生仕える君は精選しなきゃだめのはず
(諸葛亮が先に劉備を訪ねたという説もある) 85 名前:クマッタ@真正ロリコン帝国皇帝 ◆.pDAHD/fcA :2012/09/11(火) 22:20:44.97
つーかな
ああいうのは鉄則がある
・相手の「望まない」ことをする
これで十分
ネタスレでマジレスしたり、クソスレで真面目に考察したり
そこの住人のやりたいことをガン無視して好き放題やれば住人がキレて戦いになる
そこから先はめくるめく煽り合いの世界だw >>195
襄陽記曰:劉備訪世事於司馬コ操。コ操曰:「儒生俗士,豈識時務?識時務者在乎俊傑。
此間自有伏龍、鳳雛。」備問為誰,曰:「諸葛孔明、龐士元也。」(諸葛亮伝注)
これを信じるのであれば,劉備は明らかに一から教えてもらっている。
司馬徽の評価は受けたけど,まだ名声は広まっていないと言うべきだろう。
そもそも近くにいる劉備にすら届いていない時点で,名声があるとは言えない。
>>196
別に人脈の存在は否定していないけどね。
あったからこそ,後に(徐庶経由だとしても)劉曄等から評価された訳で。
ただ,現地の有力豪族と張り合えるかと言われれば絶対に違うだろう。
そこまで大きな人脈を持っていたら,劉備だって最初から知っていなきゃおかしくなる。 >>198
劉備が襄陽サロンの窓口として司馬徽、徐庶を使ってるだけだろ
それで「いい人いない?」「じゃあ諸葛亮」と紹介されてるわけで
諸葛亮が襄陽周辺では名士として扱われていたことを否定できない 劉備って中山靖王家の出身といわれるが、実際は光武帝の兄さんの系統らしい
でも、なんで光武帝の実兄の系統を名乗らなかったんだ? 光武帝劉秀(前6−57)
昭烈帝劉備(161−223)
劉秀死んでから劉備生まれるまで104年しか経ってない。つまり後漢皇室の系図は残ってないとおかしい。
光武帝の兄の系統であるのはあり得ないと思うよ
洛陽大火で実は系譜が残ってなかったから劉備の称するままに一族認定しただけのこと >>199
別に諸葛亮が襄陽の名士だってことは否定していない。
ただ,支配者の劉表に警戒されるほど衆望を集めていたはずの劉備が,
「いい人いない?」って聞かないと察知できない程度の奴だろ。
襄陽の名士サークル内部での評価しかなかったってことだろう。
それでどうやって,その襄陽で幅を利かせている蔡瑁に対抗するのだ。 >>204
どうやって対抗するかと言えば劉備と手を組んで、だろ
だから劉備が警戒されるんだよ
名士サークルと組んで内部で名声のある人間を勢力に組み込んでるから劉備は警戒される
劉備の紹介希望は名前知らないから紹介して、じゃなくて「あんたのところの出向役紹介誰?」に近い >>139
と言うより曹家の敵を着々と味方に付けて行ったという部分が大きい
後世による印象操作もあるはず
本来単なる伝説の一部であり、行使したところで新の様にタブーとされるべきだった禅譲を成立させてしまった事により、悪前例を作り
後世の混乱の嚆矢としてしまった曹家の罪は重い
あれが成立して無ければ五胡十六国ほど混乱するような社会にはならなかっただろう
そういった事情から曹家が史家に嫌われた事で、相対的に史料上、劉備が持ち上げられるようになっただけかと >>205
劉表を警戒させるくらい劉備を慕ったのは「豪傑」だぞ。
士大夫やら名望家やら名士やらで劉備に付いた奴なんて,それこそ諸葛亮しかいない。
(単家出身の徐庶を入れていいのかは知らない。伊籍は入れてもいいだろうけど。)
諸葛亮の義兄弟(by裴松之)馬良ですら「領荊州」後の招聘だ。 >>207
豪傑って現代日本語だと腕っ節自慢みたいなイメージがあるけど
漢文における豪傑ってのは人徳、才能などが人より抜きん出て優れた人の意味だよ >>208
それは失礼した。
でも,劉表生前から劉備に付いた者が少ないことに変わりはない。
やはり諸葛亮が入ったくらいでは蔡瑁等には対抗できないだろう。
(>>186,>>187からの流れを踏まえれば。) >>209
諸葛亮含む荊州非主流派を取り込むから劉備が主流派たる蔡瑁と劉表に
何してんだこいつらって警戒されるんでね
しかも庶長子の劉キまで取り込まれたら対抗できちゃう
対抗できないというのは史実で劉ソウとその側近が秘密裏に降伏して情勢をかき回したから
劉備が何もできなかったかのように見えるだけ
劉ソウ側にだって劉備シンパはいたし劉ソウ本人ですら
周囲に諭されないと劉備を抱えて抗戦試みる劉備シンパ
もう少し曹操の南下遅れてたらどうなったかわからんよ? 荊州閥で言えば最初はほう統の方が諸葛亮よりも立場が上
死んだ時にほう統より意志を継いだとアピールすることで
初めて諸葛亮が荊州閥を束ねる立場へと昇格した
権力の一元化という意味ではほう統は死んだ方が結果的に良かったのかもしれない >>211
どこをどうひねるとそんなことになるんだ? >>210
壮大な推測を持たれるのは構わないんだけど,
実際に取り込んだ者を提示できなければ説得力はないぞ。
荊州で親しかった崔州平や石韜ですら劉備に仕えた形跡なんてないのに。
あと,劉備が何もできなかったのは「見える」じゃなくて史実だろ。
何もしなかったのか,実はやってみたけど駄目だったのかはともかく。
まあ曹操の南下が(年単位で)遅れれば乗っ取りの可能性はあっただろう。
ただ,ドサクサで孫権に付け込まれると思うけど。 >>213
どさくさで孫権に付け込まれないように江夏太守を抱き込むどころか
劉キが江夏太守になってるからなぁ
実際に取り込んだのは諸葛亮と名前の記録のない南下する時一緒に来た人々だろ
数万人が劉備に付いて来るってのは相当なもんだぞ >>211
龐統の方が荊州閥への影響力が上なら、
蜀取りの頃、孫呉への影響力の高さも相まって
荊州に残るのは孔明でなく龐統になりゃなきゃおかしい
史実では孔明が残り、孔明が蜀へ出立した後は
孔明の舎弟の馬良が残っている。
どのへんに龐統の影響力を見出してんだ? >>214
老いたとはいえ歴戦の将軍だった黄祖ですらボコボコにされたのに,
実績以前に中央から逃げ出した(or追い出された)劉gで江夏を守り切れると思うのか。
確かに先主伝の10万以上は誇張だとしても,数万人は従っていただろう。
でも数万人って,兵士1万人も抱えていたらその家族だけで届いてしまう。
もちろん当時兵戸制が確立されていたわけではないだろうけど,
流民を兵士として吸収すれば当然家族もついてくる。大半はそれじゃないか。
彼らは諸葛亮とは関係なく,劉備を頼ったと見るべきだろう。 >>5
蜀では曹丕が禅譲したのが曹丕が皇帝殺したという誤報が伝わったから
まあわざと誤報が伝わったことにしたという説もあるが >>217
それこそ、魏国の人と疎通を断絶した訳じゃないから
ちょっと調べれば、すぐに裏が取れること
誤報が伝わったんじゃなくて、誤報をでっち上げて広めたって方がシックリくるぞ >>218
ただ蘇則みたいな例もあるので,一概にでっち上げとは言えない。
便乗したのは間違いないだろうけど。
ただ劉協が234年に本当に死んだとき,
ちょうど五丈原に攻め込んでいた諸葛亮がどう反応したのかはすごく気になる。
(わたしが司馬懿だったらさりげなく知らせる,もちろん嫌がらせで。) ショクと後漢は別物
誤報だとしたら
劉備が帝位についてしまっては劉協が生きようが死んでいようが関係ない
でっち上げなら
劉協などなおさらどうでもいい >>220
それは劉備の即位の正当性云々という話であって別物であるという言論ではないよ
別物であると証明するには「何が王朝の継続性を担保するか」ということを定義して
それが劉備に欠けているとしなければならんよ そうか……
(中国史は勉強中の身でして(^^; いろいろと難しいですね。)
(まだまだ名前を把握していない人物さえ山ほどある……) >>221
別物であることを証明する必要はないんじゃね?
同じ物であると証明できなければ、それ即ち別物だもの
西漢と東漢すら別物扱いで区分されている
蜀漢が同じ物なんてありえない
蜀漢は劉淵が起こした漢と大差ないしろもの >>223
別物扱いで区分されるのは断絶期間があるからでは?
前漢と後漢、蜀漢と前趙とは明確な断絶期間があるけど後漢と蜀漢にはないよ 自分で言ってても無理があるな
別物ということでは間違いじゃないだろうけど
それが不当な王朝であるかどうかはまた別だし逆もまたしかり 魏が認めた以上不当ではないから
三国志が成り立つんだろ 皇帝になる前の劉備の方が良かったなぁ。即位するとか(笑)
彼が漢中王なら自分は仕官しに行ったかもしれんが、帝と言われたら「はぁ?」となる
演義でも何故かこの瞬間をもって劉備がイヤになった まあ前漢、後漢は統一し誰もが認める正統だししょうがないんじゃね?区別されるのは
蜀漢は益州のみの国だし 劉備の自立為帝がなんかイラっとくる。
忠誠な臣下が多くないと皇帝にはなれなかっただろうけどさ
だが、よっぽと人心を掴むのがうまいとみえる。エン術と違って…… >>229
袁術は「早過ぎた」。
まだ漢の権威が残っているうちに自称しちゃったから,周囲を敵にまわしちゃった。
劉備は「遅すぎた」。
誰もが漢が終わったと認識した後に自称しちゃったから,同時代人には相手にされなかった。 >>229
袁術は、時期の問題じゃない。
即位後の行ないがダメ過ぎる、参考にならん。
劉備も時期のせいにするには
即位後の行ないがダメ過ぎて断定できない。
また、孫権は劉備より後に遅れて即位してる。
こいつも即位後の行ないがダメ過ぎて国を傾けているから
やっぱり時期のせいにはできない。 まあ漢中王を名乗りこれから劉邦のように中央に打って出て、いずれは皇帝になるぞ
という意気込みは買いたい所だが
領地はむしろ減った後で皇帝になりました、なんて言われてもむしろ小さく纏まったな、って感じだわ
せめて皇帝を名乗るからには長安くらい取ってから言って欲しかった 勢力の大きさ云々じゃなくて魏を認められないっていう立場から皇帝名乗ったんだから
そこは建前としてはいいんじゃないの?
勢力拡大してからなんてチンタラやってたら魏の正当性を認めちゃう事になるし
あのタイミングで良かったと思うけど
あくまでも劉備側の建前としてはだけど 劉備は徐州の太守だったが呂布や哀術との合戦の活躍で
曹操から恐れられるようになったのだ。 反董卓軍の時は
曹操は良き友として見ていたが。その後は漢王朝の再興
というより曹操からの追撃から逃れる過程で、天下三分
の計、益州を手中にし漢中王になれたのだろう。 >>234
戦い続けていれば魏の正当性は認めていないことにしかなりませんが?
劉邦は項籍の所業を不当とし、戦い続けて最終的に勝利をえることで
自らの正当性を樹立しています。
>>235
老い先短かったから不遜にも王位、帝位を僭称した
と、認めてますよ?
>>236
第一に
曹操は呂布討伐後、劉備に哀術討伐を命じて派遣しています。
そして、その過程において劉備が徐州で反逆を起こしている事から
曹操が劉備を恐れていたとするのは無理があります。
第二に
反董卓軍に劉備が参戦していたと言う記述はありません。
第三に
前半と後半になんら関連性はなく、なにを言いたいのか不明です。
∧_∧
<* `∀´> < 劉備は 「 三跪九叩頭の礼 」 で諸葛亮を迎えた偉人ニダ
| ̄ ̄∪ ̄∪ ̄ ̄|
|半万年属国DNA|
 ̄ ̄|_______| ̄ ̄ 劉備:漢王朝に反逆して、王位・帝位を僭称した小悪党 漢朝に大してではなく、曹魏に反逆したわけだが・・・。 曹魏は一応禅譲してもらったから
反逆になってもしかたない >>241
詭弁。
寄りにも寄って「漢中王」を僭称し、
漢から賜った左将軍の印璽を返還しておいて
漢朝に反逆してないだなんて馬鹿な話はない。 漢魏革命の禅譲が詭弁だったとしても
劉備が漢を叛逆した事に違いはない
論点無視の虚偽で繕っても反逆者は反逆者 いいや、曹家が逆賊なら劉備は反逆者にはなりえないんだよw 曹家が君側の奸であっても漢中王を僭称していい言い訳にならん
漢王朝が滅んでいたならまだしも、漢朝が、献帝が在位の最中
漢から賜った身分を捨てて漢中王を僭称した時点で反逆者 奸ではなく逆賊な
漢を滅ぼしたのだからな
劉備は皇室の血が流れている人間
劉備が反逆者なら劉秀も反逆者って事になるなw 劉備が漢中王を名乗るのは漢魏革命以前
論点無視の虚偽を重ねても意味はない だからそう言う問題じゃないだろうに
皇帝が逆賊に捕らわれていたら家臣が己で全ての判断をしなくてはいけないのは当然の話
曹家が逆賊だった場合は叛意を表明するか皇帝を僭称しない限り劉備は反逆者にはなりえないんだよ
何故なら劉備は皇帝の親族なのだからね
漢中王を名乗るで済ませるなんてむしろ配慮した方だわ 劉備が皇帝を名乗るのは漢が帝位を魏に強奪された後だからなwww
献帝も劉備の漢中王僭称を追認してなかったっけ? >>251
劉協の反応は一切残されていない。
まあ,劉協に劉備の自称を認めるメリットなんてないが。 正史だったらどうだったのかな?って思って。だから「?」って書いてあるんだよ。
西晋からしたら「自分たちは魏の正当な後継」であり母体の魏は「漢の正当な後継」
でなくてはならないから、正史に劉協の反応を書くのは禁止したんじゃないのかな?
魏に批判的なこと言いまくり、劉備の漢中王追認容認の事なんぞ言いまくってたから
正史に書くのをやめたと言う憶測もたつんじゃないの?歴史のIFだし、妄想って言われたら
終わりだけどwww どちらにしても劉備が反逆者と言う事はあり得ないね。
曹家が逆賊だと言うのは筋が通るが。 >>254
劉備に譲ってまで漢を存続させる意味が劉協にあるのか?
曹操(曹丕)に譲ろうが劉備に譲ろうが,追われる劉協個人に変わりはない。
むしろ徹頭徹尾大人しくしていたから天寿を全うできたのだろう。
(それができなかったのが曹髦なわけで。) 漢から見て正当かどうかの話でしょ
とりあえず魏はどう見ても正当とは思えんけど 魏が正統じゃない理由なんて何一つないし
国を統治する奴が皇帝でいいだろ 劉備は、幽州出身だけど、公孫サンが滅んだ後とか地元の有力者として
その地盤とか後継的な立場にはならんかったんだろうか? 漢を滅ぼしたのは誰が何と言おうと魏だからな。
魏が正当などと言う事はあり得ないだろうな。 魏が漢を滅ぼしたと言う事を認めた場合、100%魏は正当ではないと言う事になるのだが
そんな理屈もわからんのか? そもそもスレの趣旨が漢の忠臣か逆臣かなんですが
てか漢がどうでも良いってんなら忠臣も逆臣もないし 劉備が漢王朝を復興しようと目論んでいたのは事実だけど、それは漢王朝への忠義とかなんかじゃなくて自身が劉姓である事を利用した手段としての事
後漢王朝に忠義があったか、なかったかでいえば、劉備には無かっただろうね
もちろん曹操も無かったと思うけど
結局、劉備の行動が正当化されるかどうかは蜀漢が天下統一できるかどうかにかぎられていた
蜀漢が天下統一できれば光武帝と同じように劉備の行動も正当化されていただろう 漢云々の建前を考えたのは孔明
問題は劉備の漢中王僭称は袁術の僭称と違い、周囲にある程度認知されたこと
それは夏侯淵を破ったと言う実績があったから
劉備の漢中王が実質社会的に受け入れられたことが、後の代まで長く続く社会混乱の嚆矢となった
そういう意味では夏侯淵が担いきれなかった責任の罪は重い 漢云々の建前を考えたのは孔明←そんな記述はどこにもない
夏侯淵を破ったと言う実績があったから←同上、脳内妄想
後の世まで長く続く社会混乱の嚆矢となった←同上、脳内妄想 陳寿や裴松之も直接孔明を知らないしなぁ。
例としては直接、漢武帝を知ってる司馬遷の話なら武帝に関する事は信じれる。
同時代でその本人と直接会って、会話してる人が書いた史書は少ないよな。 >>274
三国志は陳寿の創作って訳じゃなく
史家が書き記した方々の書を集め編纂したもの
編纂した史科には当代のものもあっただろう
また、直接あってたからといって必ずしも信頼できるとは限らない
特に司馬遷は武帝と関与し、ひと悶着を起こして、少なからず恨みを抱いていてる
あっているからこそ第三者としての立場が取れないケースもある
直接、会ったことがないから信頼できないなんて筋が通らない どちらにしてもここにいる人間の妄想には信憑性なんて物ははじめから存在すらしないからな
妄想を根拠に物を言われてもアホとしか良いようがないわ 陳寿自身同じことしてるしな
会って直接利害に関わった人物だからこそ落とすということもある 他にも史料が現存するならともかく
ない状況で「信憑性が〜」なんて言い出したら話しが進まない
だからといって鵜呑みにするのは考えなしだが
確たる証拠もなしに何でもかんでも疑うのはクレーマー以外の何者でもない 信憑性のあるなしの話を言うのは良いんだが、そのまんま暴走して自論を事実みたいに言う奴はアホだと思うわ チンコ切られた恨みで偏見があると思うけど、執筆者が直接本人と会話したてのはでかいわ。。 宦官て竿切るだけでタマは取らなかったと言うから
男としてのぎらつきは無くならなかったようだな >>283
ホルモンバランス崩して、女性っぽくなるって話しが通説
概ね宦官はひげが生えない、だから士大夫はひげを生やす
劉備がひげの薄さをからかわれてキレたのは、このため
ちなみに概ねと書いたのは、宦官の中にもひげを生やした奴がいたから
ただ、ひげが生えてたことがそいつの特徴として正史に乗る時点で
珍しいって話し 客観的にみて漢から正統を引き継いだといえるのは
まがりなりにも禅譲の形をとった魏だけなのは疑いない
理由もまっとうなものがなく何一つ正当性がない
呉なんて曹丕が禅譲受けて一時臣下の礼をとってたくらいだし
蜀も呉も魏に対抗して(つーか嫉妬して)負けじと勝手に僭称しただけ
ま、正当性云々を言わないのならば
蜀も呉もそれぞれ独立して新たに国を立ち上げたとは言えるかもしれないが
皇位の正当性云々を言い出したら
それは漢から正式に禅譲を受けた「魏」以外にはないのは明らか 劉備は単なる自己厨の大衆扇動者でFA?
俺劉備信者だったから
劉備の歴史評価ってボリスエリツィンのようなもんだと思ってたよ セットリスト貼っておきます^^
セットリスト
01. 結界
02. We're alive
03. 銀色のピストル
04. 好きさ
05. プラトニック>DANCE
06. マスカレード
07. 月に濡れたふたり
08. 燃えつきるまで
09. 夢になれ
10. 情熱
11. どーだい
12. STEP!
13. 夕暮れ
14. 君がいないから
15. 雨
16. あなたに
17. Friend
18. ほゝえみ
19. オレンジ
20. 清く正しく美しく
21. ひとりぼっちのエール
22. じれったい
23. プルシアンブルーの肖像
24. 真夜中すぎの恋
25. 熱視線
26. 恋の予感
27. 碧い瞳のエリス
28. ワインレッドの心
29. 悲しみにさよなら
(アンコール)
30. I Love Youからはじめよう 曹操が漢の皇族殺しまくって簒奪の下準備を周到に推し進め、曹丕が実行に移した
わざと何回も断って「仕方ね〜な〜禅譲されてやるよ〜」という茶番に持ち込んでる始末w
曹魏の一連の簒奪行為は当時から現代に至るまで周知の事だもんな 茶番でもなんでも大義名分(体面を整える)ってのは大事なんだよな
何よりも大義名分にこだわってた劉備が益州を劉璋から強引に奪ったのは事実だし裴松之にも批判されてる
そういうことしてるから偽善者呼ばわりされてしまう劉備
大義名分を整えられなかった、なんていうのはただの言い訳に過ぎないし弁明の余地はない
漢王朝と関係のない日本人からみれば劉備なんぞはただのええ格好しいの偽善者という印象が強い
>>288
>わざと何回も断って「仕方ね〜な〜
これって劉備と孔明の「三顧の礼」のそれと同じなんだよね
「駆けつけ3杯」と同じく一種の様式美みたいなもの 劉備と曹操ではスタートラインが違いすぎるから、
単純な比較はできない。
曹操は敵を武力で圧倒し、屈服させるタイプ。
劉備は敵を懐柔し、自分の味方へと変えてしまうタイプ。
どちらのやり方も一長一短あるけど、曹操が成功したのは
優秀だった部分よりも、環境や部下に恵まれていた部分が大きい。
野心やバイタリティに関しては、劉備より曹操が圧倒的に上だったと思う。 c(.(.(.(.(,_´ゞ`) クマッタ蛆虫の巣窟 あんた、やっぱりNTTの回し者みたいだねw
今日ICSに確認したら、過去にフリーダイヤルが半日も不通になったとかあり得ないし、
短時間でも不通になったことさえないから、
あんたの言うような話は、悪質なデマだってさw >>289
それを言うたら魏が簒奪者、なんてのは
同時代からも後世からも普通に言われてるので
魏は簒奪者って事でFAですね。
ていうか、曹操時代からさんざん漢王室をないがしろにしておいて
いまさら正統とか譲りうけたとか言い出しても
失笑を買うだけだと思いますが。だから後世には普通に蜀漢正統論が
もてはやされたわけでして。
>漢王朝と関係のない日本人からみれば劉備なんぞはただのええ格好しいの偽善者という印象が強い
ぶっちゃけ、それって「貴女」の主観ですよね。
毎度毎度思うのですが、24時間365日のネット張り付き生活を
送っていらっしゃる貴女の主観で日本人の意見を代弁するのは無理だと
思うのですが。 >>285
なんていうか、相手が対抗して帝位についた、というのを
「嫉妬して」とか言い出して発狂しだすあたり、
貴女の特異な価値観や嗜好が伺い知れるといいますか。
ぶっちゃけた話、漢王朝の後裔である劉備としては、
その政治的立場からしても、簒奪者が漢王室から奪い取った帝位を
承認しない、という声明を示す為にも、漢王室を途絶えさせない為にも
自らが帝位につく事は必要事項だったわけで。
これがどうやったら「嫉妬して」とか阿呆な結論になるのか謎杉なのですが。
ついでに呉が帝位につくのはもっとずっと後です。
こっちは「魏も蜀も帝やってるし、俺の国も安定したから、皇帝になっちゃえ。」
的な感じが強いみたいですが。
>>286
いや、貴方は最初から最後までいつもの曹操患者さんでしょ。
そうやって自身の結論ありきの願望を書くのに、
わざわざ成りすまししてまで、必死こいてやらなくていいと思いますが。 典型的な蜀中毒をこじらせてやがる。。。
残念ながら手遅れです。。。 と、いつもの曹操患者さんの24時間365日のネット張り付き生活の
腐女系おばちゃんさん>>295が、論に困って蜀中毒とか言い出して
馬脚をあらわしました、という事でFAでしょうかね。 >>289
正史読んでない子かな?
劉備が劉璋と戦争になったのはちゃんと大義名分があるし正史にも書いてあるよ っと、論に困って曹操患者さんと言い出し
先に馬脚を現してる重度の蜀中毒患者さんでした と、相変わらず言われて悔しかった事を鸚鵡返しにせずにはいられない、
いつもと全く同じ行動パターンをとって馬脚出しまくりの
24時間365日ネット張り付き生活している
曹操患者の腐女系おばちゃんの>>298さんでした。 BS日テレのディレクターズカットを見れば分かるが
カットされている回答がとても多い(地上波レギュラーで放送されてもBS日テレの特大号でカットもある)
世間情勢(リケジョはヒロインの小保方氏が疑惑で大騒動、アルジェリア天然ガス工場プラント襲撃で日本人作業員10人死亡で木久扇のナイジェリアアルジェリア)で自粛もある
下ネタなどのカットを入れたら普段からものすごい数だから、お蔵入りの映像を出すだけで30分作れるぞ
1時間収録で20分の映像を出すぐらいなら、40分収録で30分の映像を出すのが良いに決まっている。 NHK原宿サンヨーデオ中東パクドラ沖縄海焼きそば 西村ニューヨークブリトニー反省会ファミレス深夜ランチおしゃべり問題
NHK原宿サンヨービデオ中東パクドラ沖縄海焼きそば 西村ニューヨークブリトニー反省会ファミレス深夜ランチおしゃべり問題
NHK原宿サンヨービデオ中東パクドラ沖縄海焼きそば 西村ニューヨークブリトニー反省会ファミレス深夜ランチおしゃべり問題 >>307
耳がデカいと福耳で金持ちになるよ
ソースは俺 熱狂的な孔子派ですね。
三顧の礼に描かれながらも、放った刺客さえも殺意が無くなるほどの大衆派であり、荊州の継承争いには劉表の墓に涙し
しかしながら劉安の件によって中国では評を落としたかと思えば、はたまた髀肉の嘆で日本の武道会らには親しまれる劉備。
映画 趙雲に登場する銅像がどうにも中国が隠した劉備本人の姿に近いみたいですね。手は長くもなく、耳も大きくなく仏僧ですね。。 曹操の短歌行。
この作は二千年を隔てて今に遺されているものの。
この詩は本当に曹孟徳によるものなのか?と。
中国に対する偏見ではあるものの、彼らは俄かや
外国人に対して嘲笑的であるどころか、史実に
“全く逆の事を教えてからかう“
という国民性を持っています。
つまり曹操の作である短歌行を劉備の作にしてみた処
恐ろしい程に二人に相似である点が感じられます。
如何ですか? 例えば
明明如月 何時可手
の節。
従来であれば、赤壁を前に周瑜の二喬を揶揄して
孔子後裔を根絶やしにした孟徳の悪役感を高めて
います。が、
繞樹三匝
山不厭高
海不厭深
三度という回数とネックかな?
孟徳が玄徳の孔明に対する熱情を受けて張り合った、とも
考えられますが、蒼天航路にも曹操の孔明に対する
記述は成されていない為に隠喩でもあるかも知れません。 つまり一つの可能性として。
髀肉の嘆の頃の玄徳が短歌行を歌っている、と仮定してみると
如何でしょうか?
中国人としての“心“を解さない異邦人には、史学上の文献なんぞ
彼らにとっては理解する価値すら無い。
そんな皮肉を感じる私は考え過ぎでしょうか? 香川照之って反日映画に出た
売国奴のクズだろ
論外だわ これ排他厨がやったのかよ・・・ひどすぎるな
今も排他厨どもがこの板に跋扈してたらと思うとゾッとする 日本史上最大の反日勢力は、客観的に言えば戦中の軍閥だな
後にも先にも浅薄なイデオロギーで数百万の無辜の日本人を死に追いやり
百万の家を焼かしめ国富の大半を灰燼に帰しめた輩はこいつら以外に居ない
オウムですらこいつらの火遊びに比べたらままごと、可愛いもんだ 百万の家を焼かしめ国富の大半を灰燼に帰しめた輩はこいつら以外に居ない なんで劉封を養子にしたんだろう
劉禅の生まれる前も劉公仲っていう子供がいたらしいのに とりあえず血筋が怪しと思う
現実には五斗米道の張魯の方がまだマシとか
それよりも今は劉gと劉jやカイ良とカイ越の方が気になる 劉備の血筋については「姓に日本人ほどこだわってないはず」って意見もあれば
「王朝の劉氏ならみだりに名乗るのは許されないはず」て意見もあるしどうなんだろうね 過去の皇帝の子孫なんかごまんといるし
血筋が本物でも現役の皇族でない限りそこまで価値はない 馬謖について孔明に小言を言ったという逸話のおかげで人を見る目はすごいといわれがちだが、
呂布を招き入れて裏切られた人を見る目の無い人 曹操裏切ってから、劉表に厄介になるまでの劉備が悪人過ぎるしなあ
進言は当たらないし、官渡の戦いのきっかけも、劉備の進言じゃなかったかな。そのくせ、関羽会いに袁紹から逃げちゃう。途中山賊まがいのことして曹操にちょっかい出して、撃退されて劉表に逃げるわけだしな
警戒されるよ 確かに逆臣って訳じゃないが、「忠」の部分(主に劉協に対して)は演義の創作
史実の業績を見てると「使えそうだから使っただけで割とどうでもいい」が正しいと思われる カリスマ性のある893の親分でしょ?
秀吉に近かったんじゃないかね。 >>329
つか劉協と劉備の関係は、寧ろ無力な劉協側が
劉備の武力を当てにして擦り寄った形跡があるよな。
却って危険を呼び込む形になったから、 劉備は曹操の
下からさっさと逃げ出したように見える。 劉弁に代わってっていう話題性のためだけに持ち上げられただけの存在だしな こんな蛆虫の巣窟掲示板を荒らすしかやることがない悲惨な蛆虫のたまり場 >>332
暗殺と陰謀が渦巻く中、天寿を全うできたっぽいのは幸運だったな >>335
本当に天寿を全うできたんだろうか
実はとっくに暗殺されてたんじゃないのか すぐ死んでるみたいだしな
足利義輝みたいに剣学んでいたら、伝説になれたように思う 余計に歩いただけで死ぬとかどんだけぬるま湯人生送ってきたのか・・・
蛭子なんか日頃運動不足なんだからちょっとくらい歩いたほうがいい 笑点はいつ見ても涙が出るほど面白いね
この世界でもっとも面白いバラエティ番組だと断定します 親族の地盤など何も無い徒手空拳から、戦乱の大国の中で
中央に構える最大勢力に逆らう少数精鋭の武装集団として行動して
イレギュラーながら歴史に残る国を建ててみせたというのが、物語的魅力をもたらしている
偉業で言えば徒手空拳から天下を取った人物もいるが、大概は時の最大勢力に拾われ
幹部として地盤を固め、やがては取って代わるパターンで、その分英雄性は削がれるからな 実在した劉備一行の行動がやたら面白かったから、中国史の中でもこの時代が特異点に挙げられ
正当論に四大奇書、聖人化・神格化で廟が立てられるまで展開したのは間違いない 劉備のキャラクターを無頼とかに再構築した作品だと簡雍が俄然目立つよね やっぱり曹操信者ってどうしても劉備を悪く言いたいんだね…てのが分かるスレだな グーグルさえも遮断してしまう中国政府は 19世紀の産物
習近平は ヒトラーよりも悪質な情報統制支配者 = 人類の敵ですね 乙武はこのババアの口のなかで発射したことあるはず
そしてプライドの高い乙武はセックスで恥をかきたいないので
母親を使って練習したはず
「おとちゃん」と呼んで仲良くしていた神田うの
この女は川谷を「本当のゲス」と会見でいっていたが
「おとちゃん」のことはどうコメントするのかね?
てかこの女も乙武とやってるだろ まあ二十年も負けて流れて、それでも自分の旗を掲げ続けて
一国を為したんだから並大抵ではない 大勢力の目まぐるしい覇権争いの中で、勝てる分は勝ち、必敗の戦況からはとっとと逃げて
拠点や交渉先の変転も厭わず、長年無視できない戦闘集団を維持したのが大きいな 有能とアホ、善と悪、忠と不忠の両極端な二元論で歴史語っちゃう奴には課題として難しい
どの極端に置こうとしてもおかしくなるからな 良くも悪くも劉備という人は機会主義な人だから、単純に善悪とかの基準では捉え難い。 短期の利益が至上、情勢次第で誰を伏し拝んでも構わないのが機会主義者だけど
劉備の場合、機会主義と断じるには自分の色を主張し過ぎてんよ
特に黄河流域こそが中枢で、大陸南部は開発が進まず弱体だったあの時代に
中原の覇者となった曹操との敵対に拘り過ぎだわ
ただ劣勢が続いても信頼を寄せる味方が居るのは、機会主義者には無縁の幸福だわな 曹操暗殺計画に巻き込まれたから、敵対せざるをえなかったかも 計画に巻き込まれた=嫌でも敵対せざるをえなかったと考えるのは早計では?
暗殺を完遂できる連中でないことは明らかで劉備は袁術討伐に託けて都を離れたが
献帝などに遠慮せず実権を握る曹操に持ち掛けられた計画をバラして
共に董承を討ち更に腹心としての信頼を高めた方が事はずっと簡単だったはず >>360
「劉姓」で且つ無視出来ない程度の軍事力を持っていた以上、
董承の件で董承を売っても厳しい監視下に置かれただろうから
その選択は出来ないだろうよ。
「皇叔」認定貰う前なら少しは可能性が有ったかも知れないがな。 董承ごときの監視に萎縮して従わされる人間が曹操から逃げ果せて以後徹底抗戦などできない
逆にそうも意志も胆力もなく流される小物ならそれを重用した挙句逃がした曹操も無能過ぎだ
つまるところ凡庸な日和見気質を一方の英雄に当て嵌めたがる試みに無理がある >>363
360の書いてある内容で董承が監視主体と読めるって、
煽りじゃなく大丈夫か? 皇叔認定はただの無知だが、董承が監視はどっから出たんだ? 劉備が再興を掲げた漢王朝を滅ぼして正解と納得させるには曹魏も西晋も脆すぎたよ
圧倒的な国力も内乱の過熱で疲弊させて中原を塞外民族に明け渡したのが致命的
王朝そのものの価値を認めない近代の革命思想が曹操の再評価を漸く許したけど 裸一貫からのし上がる立志伝に貴種流離譚テイストを混ぜ込んだおいしい人 というか司馬氏が結果うまくやれなかったから「アイツが勝ってれば」という妄想が生まれたんだろうな
呉だと司馬衷や劉禅が神レベルの名君に見えるやつらが出るからろくな妄想になりゃしないし 後の歴史で、漢族王朝がしばしば塞外民族に華北を制圧されて華南で対抗したのもミソだ
塞外民族の手で最初にあえなく滅ぼされたのが西晋で、魏はその前身に過ぎない
翻ってそこにまだおよそ未開発の華南を対抗させ、旧王朝存続を叫んだのが劉備だからな (┌´┌┐`)┌よく見つけたね ぼくは隠れキャラだよ 考察って苦手なんだけど、諸葛亮を始めとする
蜀の臣下に頭下げられて渋々名乗ったイメージでいいの 忠臣か逆臣かの二択なら間違いなく逆臣でしょう
そもそも劉備が漢のために働いたのは黄巾のときと後は一時期曹操の下に身を寄せていたときくらい
曹操の下を逃げ出した後は袁紹や劉表といった漢からの独立を志向する勢力にしか与してない
後は曹丕が禅譲を受けて漢が無くなるまでずーーーっと漢軍と戦い続けたのが劉備だから なるほど、つまりタイミングと勢いで名乗ってみた と よりによって三平かよ
滑舌は悪いわ機転はきかないわ、寄席に出てきたら客席がっかりのこいつが笑点メンバーか…
まだ木久蔵の方が同じボンボンでも使えるのに
作家の台本もまともに覚えられるかどうか 孫権は皇帝自称したのは荊州を切り取ったぐらいですか まず劉備が掲げた「漢朝再興」はあくまで自分が皇帝になることが大前提であることを忘れちゃいけない
たまたま自分が劉氏だったから皇位簒奪の野望がイコール漢朝の再興という旗印になり得たというだけのこと
曹操や孫権より余程野心家だよ劉備は 漢という「国」を保とうとした点では忠臣
「時の皇帝」からすれば自分を追い落とそうとする完全に逆臣
忠を捧げるべきは国か帝か 今回の新メンバーは解答者としては昇太の代わりだけど
実質的には歌丸師匠と入れ替わりだからそれなりに知名度のある人でなきゃ
バランスが取れないという判断だったんだろう
2ちゃんで上がってた愛楽とか芸協の若手なんかでは知名度的に役不足で
一般視聴者は「この人誰?」となる
彼らの出番は木久扇好楽小遊三の後任人事の時だろう 長板の時もそうだけど、刺客に狙われたのにも関わらず、刺客が躊躇うような人物。つまり質素で人情派で仁の人物。
立ち耳に禿頭、切長で大きい中国人らしい眼、坊主じゃないかな?劉備。 >>381
和気清麻呂は時の帝の怒りを買ったが忠臣といわれていることに似ている部分がある パイレーツオブカリビアンのジャックスパロウ的なイメージ 草莽からしかも時流に逆らいながら国を興し名を成した面白い英雄だが
他の時代には成り立たなかったんじゃなかろうか
漢は広大な中華の統一王朝としては初めての長期政権だったが
かつて王莽が簒奪を果たしながらそれに代わる長期政権を築けず内乱に沈み
景帝の末裔とされる地方豪族の三男劉秀が再興を成し遂げた経緯を持っている
霊帝の売官が大乱を呼んだ時点で漢王朝の命数は尽き果てていたにも拘わらず
そこには逸早く中原を制した曹操に比べ完全に遅れてきた劉備をそれでも無視できない土壌があった 牛久大仏のモデル
ちなみにおデコ歪んでるのは玄徳。
大仏ばりの仏心の持ち主。髀肉の嘆の頃は七福神ばり。 三国志演技より蒼天航路の方が実際の劉備に近いのかね?
蒼天航路は本当に衝撃的だったw 蒼天劉備は司馬遼劉邦の影響受けまくってるからあんまりアテにはならないかと
劉備はあれで若いころから中央に勉強留学に行ったり官職に就いたりしてるんで蒼天で描かれているような無頼ではないし
性格はちょっとやんちゃみたいだけどな 善悪で判断出来るような人間じゃないだろ
支那を統一するほどの器量はないが、まあ一流の軍人だよ 閃いた、髭だよ、髪の代わりに俺には髭がある
なれる!スーパーサイヤ人神に俺は奈留! 蒼天航路での劉備に対する張飛の態度が笑える
あれって実際にあんな感じだったのかね? 最初に劉備を物語の主人公に据えた人が偉い
日本人の発想にはない >>397
非統一期の中国では北伐を目指す南朝が
同じく北伐からの統一を国是としていた蜀漢、特に諸葛亮を神聖視していたしな
その流れで蜀漢正統論→劉備が主人公となっていったそうだ
東晋時代に既にその流れが始まっていたらしい
統一されていた時代の方がずっと長い日本にはない考え方なのは確かかもな >>399
日本だと楠木正成が諸葛亮みたいな扱いだな。
ただ、劉備みたいなタイプはいない。
強いて言えば南北朝時代の南朝の天皇だが、彼等は劉備みたく成り上がった訳でも壮絶な生涯を送った訳でもないからね。 まぁちょっとだけ、後醍醐帝のメンタリティは史実の劉備っぽいヤンチャさはあるけど。 >>401
人望や武勇、行き当たりばったりなキャラはむしろ足利尊氏に近い 日本の判官びいきみたいなものかな
でも大元は諸葛亮の忠誠心と公正で誠実な働きぶりが
これが臣下の鑑みたいな扱いから始まってるんだよな 諸葛亮も人間であって聖人じゃないんだから実際には性格とかにも欠点あってもおかしくないし
腹黒いところだってあっただろうな 馬謖寵愛したり全くないわけじゃないだろうけど
記述があれだけある中では極めて粗の少ない人物だと思うよ
超人だと思われるのも仕方ない 投げっぱなしジャーマンの尊氏に代わって幕府に降りかかる諸々の危難を乗り越え
戦乱を終息させて義満の最盛期に繋いだ二代目義詮が
「太平記」でえらく無能に描かれて長らく浸透しちゃったのは
尊氏を劉備に、義詮を阿斗ちゃんになぞらえちゃったからかな? 義詮が成人して以降の太平記はファンタジーを通り越してオカルト アホ過ぎ。低レベルにも程がある。
頭脳に限界はある。
退官前の教授を何十人何百人と見てきたらわかる。
ヒトは例外無く、本当に例外無く、50代で恐ろしいほど脳が衰える。
やってきたことは作業としてできる。逆に、やった事がない新たな学習はできるまでには至れない。 ( 〇 へ 〇)y-~ 聞いてくれ
最近色々あった性か、眠れ亡いんだ
で、昨日流石に家に炒るのが射やになって近くのネカフェにいった
その時男女トラブルにエンウントした
まあ、ね、ここは俺の出番でしょ?と思って自ら押し入った
そしたら、男の馬鹿が俺の左脇腹に拳を放った
まあ、油断してた儂も悪いんだが、いい拳だったので体が動かなくなって前のめりにダウンした
俺の体内時計的には、添加UNTO前に立ち上がったのだが
周りを見渡すと男も女も消えていた、敵前逃亡により一応儂の勝ちじゃが、全然スッキリしない この人かなりゲリラ屋的に戦争うまいのに戦ベタ扱いだよな
なおイリョウ 夷陵は単に陸遜が上手だっただけで劉備がそこまで大きくミスったわけでもないんだけどな
なぜか曹丕の評のせいで劉備が大ポカしたみたいな雰囲気になってるけど曹丕なんて劉備とは比べるべくもない戦下手なのになんでその評をみんな信用するんだろうか 自分から攻め込んで負けたのって夷陵だけだっけか
情勢的にどうしようもない戦以外ほぼ勝ってるんだよな 死ねや
きめえんだよ
お前キモレス書き込みながらシコってんだろ? 借りた兵でのゲリラ戦や火事場泥棒的ドサクサではなく、自前の軍で正攻法で臨んだ唯一の戦が夷陵の戦い
5万以上の大軍を采配出来る器ではない
と言っても蜀で劉備以上の戦上手はいない訳で
当たり前だけど こういうトンデモを見てると貶すにも相応の知識が必要なんだと実感するな
むしろ褒めるより貶す方が知識を要求される 井上老衰なんつってwwwやべぇ超面白ぇwwwwwwwwwwww 大麻というか麻薬は医療用のがあるよね。貼付剤。
ガン患者さんに使うんだけど、それじゃ駄目なのかね?
3日は持続するから、3日毎に貼付剤を直接貼って剥がしてもらえばいいんだよ 夷陵の戦いだって孫権にごめんなさいさせるだけなら戦術的にも戦略的にも特に間違ってなかった
講和受け入れていればその時点で勝ち 隆中策の提言からしても関羽の失地を回復できなければジリ貧だからな
三峡の拠点を軒並み手放した事で陸遜には味方の批判が集まっていたし
後は孫桓の堅陣さえ抜けば優位な講和にも臨めたんだろうが
そういう時の守勢は余程国情が内から揺らいでない限り一筋縄では抜けないものだ 実は関羽ではなく、“劉備“こそが商売人であり、兵法家であった可能性がある。
そこに蜀を支えた“塩“の存在があって、塩云々で国を追われた関羽が居て・・ 歌丸司会引退から新メンバーだのマラソンだの
笑点プッシュしてるところっぽいね
あるいは落語会自体をプッシュする意図なのかもしれないけど 小朝が泰葉のお母さんの事をずっとゲロって呼んでたのが原因だろ >>425
まあ荊州確保しても呉と遺恨残すだろうな。
劉備が死んで荊州問題が呉の帰属で確定したからこその呉蜀同盟。 私を放置するの?
最初に比べて私は随分大人しくなったはずなのに今更何でそういう手段に出るのか
私をどうしても悪人に仕立てたいんだね またたびたん(;´Д`)ハァハァ/lァ/lァ/ヽァ/ヽァ ノ \ア ノ \ア / \ ア / \ ア ヤクザだの、ボンボンだの散々批判されてるが
カ リ ス マ
は高い。史実。 逆に言えばカリスマだけだ
戦に強いのもカリスマで将兵の士気旺盛だからだろうし
劉邦と違って下手に軍事通なせいで配下に丸投げしなかったのが欠点 木久扇は癌患ってからガクッと老化したな、正直見た目だけなら歌丸よりも痛々しい >>436
劉邦のようにしなかったのが欠点というのはおかしくないか?
劉備が配下に丸投げでは荊州で謀臣を得て蜀を獲りに行く遥か前に殺されてたろう
劉邦は秦の統一事業が簡単に瓦解して楚を盟主とする反秦軍に参加してみると
覇王を名乗る項羽は粗暴で人望がなく取って代われるぞと時流に乗れた側だ
失態や壊滅を重ねても項羽の狼藉と配下の活躍で何度でも立て直せる状況に恵まれた
劉備は逆に後漢を曹魏が滅ぼす時流にあえて逆らった側で
時代の寵児とそれに抗う者とでは英雄として問われる資質がそもそも違う >>440
いやぁ、「カリスマ」ではあるだろ。
そう言う評価故に夷陵の戦いは避けられなかった訳だし。 >>439
劉邦がズブの素人だったのに対して、劉備は軍事に関しては相当の自信と拘りがあった事を指摘してる。とにかく陣頭指揮が好き。戦が好き。
確かに劉備に軍才はあったのだろうが、例えば曹操のような綿密さや機敏さに欠ける。当代一流ではない英雄が背伸びした限界が蜀漢じゃないかな? だまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれdまれだまれ 戦が好きも何も隊商の護衛から始めて成り上がるには相当戦重ねないと無理でね?
戦乱の中で陣頭指揮しなくていい人なんて相当な御身分でしょうよ こいつの嫁は堂林なんかと結婚して馬鹿だよな
前田健太と結婚してれば
贅沢三昧の最高の人生だったのに ( 〇 へ 〇)出陣に荒瀬ゆわれた
/ ヽ
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し| i |J=二フ
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| ノ ノ
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し'  ̄ >>441
カリスマ「だけ」ってのに言っただけで、劉備がカリスマかどうかの話じゃないぞ
何故その評価と夷陵が結びついてるかも意味分からないしもう少し日本語勉強して 劉備は戦争依存症。敢えて不利な状況を作り出し、それに勝ってカタルシスを感じる性癖。 素直に話に乗りたいけどレベルについていけないって言ってもええんやで? >>450
谷家ながら回答すると、1氏は結論を求めていない。
ダベりたいだけだよ。 その「らしい」の根拠はどこにあるんだろうか
劉備に関して正史以上に信用できる一次資料があるとは寡聞にして知らんのだが 正史と比較して劉備をそんなにボロカスに書いてる史料ってある?二次でも三次でも良いからさ。 >>458
無いんじゃない?
実際はボロッカスだった可能性はあるが
正史よりは悪いんだろうなとは思う 呂布がボロカスに書かれ、劉備が正義の味方に描かれるのが中国の価値観。
やってることは大して変わらん。 >>460
董卓の誘いに乗って主の丁原を殺しその俄かな権勢を大いに助けて養父としながら
王允に誘われ侍女との密通等の不都合もあり養父董卓を殺してその権勢を奪う
まず主を二度殺しその一人は義理とはいえ父だったのだから忠孝いずれにも叛いている
しかしそうまでして奪った権勢も董卓配下だった涼州軍を支え切れずに失い各地を流転
曹操を裏切って濮陽を奪い劉備を裏切って徐州を奪うもいずれも支え切れず遂には殺された
劉備とは比べ物にならない程裏切れば中央の権勢を我が物にする機会が転がり込み
その都度欲望のままに牙を剥きながらすぐに砕かれ何も残せずに一代で滅びたのだから
乱世の英雄としても劉備に劣る
呂布と劉備を大して変わらないと捉える方が余程大きな偏見を要するのでは? 恥をかく事がこの場所に対する唯一の誠意になるのかもしれない
恥を出し切ればこの場所に未練は残らない。でも出し切れない >>462
呂布が曹操を裏切ったことある?火事場泥棒だろ。
それが裏切りなら劉備は公孫サン、袁紹、劉表、孫権を裏切ったことになるな。
劉備は少なくとも曹操と劉璋に対しては確実に裏切っているが。 曹操は裏切ったというか劉協に曹操暗殺の勅なんてもの押し付けられて泣く泣く離れざるを得なかったという感じだけどな
あと劉璋は最初から蜀を奪うつもりで懐に潜り込んだわけだけどそれでも裏切りって言うんかね >>468
劉備が即位したときに、劉協はすでに曹丕によって簒奪され廃帝の身。
最大の裏切りとまではいえない。 劉協が実際は生きていたにせよ漢が魏に滅ぼされたのは事実だからな
後漢の成立も劉秀は景帝の末裔だからということで通してるし
緊急手段として断固認められないとも言えないだろう
呂布の行動はそういった疑義にも及ばないもので
たちまち自分がいい目にあうならと他人の誘いに安易にただ乗り続ける
それこそ戦に依存して何のビジョンも持たず何もかも裏切るだけの男だった そもそも劉備って最初っからあんまり劉協に協力的じゃなかっただろ >>471
ども( ´ ▽ ` )ノ。邪馬台国は滅亡したと思うなー。古墳時代には奈良に日本の主権があったのは間違いないやん?そもそも九州から畿内に拠点を移すことが考えられんなー。拠点が移る時は支配者が変わる時とか。 >>464
演義は支那の何個かの皇帝が下々に押し付けたい価値観
共産党にとっても然り 正史蜀書劉備の箇所は陳寿が頑張って頑張ってよく書いてこれって考えれば大体あってるんでは >>474
革命思想・儒教批判に基づく曹操の再評価を大々的に掲げて推し進めたのが
毛沢東指導下の中国共産党なんだが >>470
呂布は姦臣・董卓を討伐した漢の忠臣だろ。
劉備は曹操を討伐出来なかった。
少なくとも漢王朝に対する貢献度では何もしてない劉備より呂布が上。 >>478
まず丁原を殺してその軍勢を引き連れ董卓がのさばるのに協力したのが呂布だから
まるっきりマッチポンプだろう
自分が成り代わろうとして失敗したことで更なる混乱を引き起こしてそのまま逃げたし >>479
その呂布や袁術を撃破するのに力を貸して曹操の台頭を許したのが劉備
マッチポンプ >>481
前述の呂布と献帝在位中に帝を名乗った袁術の同盟は先に討つ外ないだろ
それこそ漢王朝への貢献であって結果として曹操の台頭を止められなかったのも仕方ない 才能が無いから、子供の名前を公募するという、最悪の発想が生まれる。。話はつまらないし、何だか気の毒になってくる >>483
偽帝・袁術を庇護しようとした袁紹。
そんな明らかに漢王朝に楯突く勢力に亡命して南方から許を狙ってゲリラした件は? >>487
台頭した曹操に献帝の側近が抗し得ず朝廷が牛耳られていく様を見て
袁紹らと図ってでも曹操を討つ必要を感じたんだろう
それもあくまで袁術の庇護は阻止して死なせた上での話だからな まず劉備は袁術サイドの公孫サンの下に付く
それから徐州へ救援に向かいそこで陶謙から徐州を継ぐ
生前に陶謙が袁術に反抗したので劉備も睨まれて袁術と繋がってた呂布に徐州を奪われる
やむなく袁術サイドから離れ袁紹サイドの曹操の下に付きそこで厚遇され出世する
ところが劉協の曹操暗殺計画に巻き込まれ曹操の下にいられなくなり再度徐州へ離脱
曹操に攻められ徐州離脱後袁紹の下へ
官途で袁紹が破れ曹操の矛先が自分に向くと朝廷から距離を置いて独立勢力を作っていた劉表の下へ
これでまだ人生の半分くらいなんだから波瀾万丈すぎる 浅田真央が2ちゃんで工作員に叩かれてるのは普通に日本人だから
と再認識させられるだけなんだけどな
基地在チョンにはそれがわからない >>488
うーん。かなり苦しいな。
言い訳がましい。屁理屈を言えば良いもんでもない。 なんかあまりにもとんちんかんなレス多くないか?
「ベテラン切り」であって演歌は全然切られてないぞw
伍代、藤がでないってだけで、五木や石川は天童なんかは出るんだし >>489
天涯孤独の身から男たぶらかして銀座のママまで登り詰めた悪女みたいな半生 ネットでもリアルでも紅白に和田が必要だとか落選が残念だと言ってる人を見かけた事が無い
芸能界村の住人がやたら和田の落選に抗議して苦言を撒き散らしてるだけ
あの村人達は村の中の横繋がりとか情で必要だと言ってるけど
必要か必要で無いか判断する本当の客は視聴者
要らないものは要らないよ
そういうものを村人の情で客に押し付けるなよ やっぱり諸悪の根源は劉協のような気がするなぁ
曹操暗殺計画に劉備を引きこもうとなんてしなければ劉備は曹操の下で遺憾なく力を発揮しただろうし袁紹亡き後は曹操に対抗しうる勢力もいなくなって早い段階で統一も成ったろうに まあ劉備や孫権達は茨の道を歩む破目になったが
三国時代魏との鼎立の為に苦心された南方開発は南北朝時代の布石にもなったし
劉協が曹魏による統一など望んでなかったなら結果的にそれは叶ったことになる
大人しくしてても暗殺計画発覚前から近臣はじわじわと排除されてたし
伏皇后や皇子の処刑にしても曹操の娘達が後宮に入って間もないタイミングで
昔の手紙などなくてもなんとでも理由をつけてやはり断行されていたはず
そのまま統一事業を果たした曹魏に堂々と禅譲させられた日には
終始唯々諾々と従うばかりだった我が身が許せんだろう 劉協は196年の時点で退位を言い出してんだけどな
それのおかげで曹氏による簒奪はかなり遅れた 皇帝として尊重する気がないならいっそ今すぐ降ろせってやつね
易姓革命を演出する地固めどころかまだ最大勢力でもないのに簒奪なんて自殺行為だから
合理主義者の曹操は形だけ恐れ入って見せて勿論スルーしたが 諸葛亮を迎えるまでにいくらでも軍師を揃える機会があったっつーに、
劉備はなぜあえてしなかったんだろう?
劉備の心一つで動く劉備集団の性質上、あえてしなかったとか?
陳グンとか、劉備も内心では認める優秀な吏官おったやないですか 劉備は自身が優秀な戦術家であり策謀家だったからなあ
徐州時代に優秀な人材はいたけどすぐ滅亡しちゃったし仕方ない >>501
ブレーンの一人や二人は当然居ただろうけど、結果出せずに歴史に名を残さなかっただけでは?
天下に一番近かった袁術にも間違いなくブレーン集団が組織されていた筈だが有能な者を思い浮かばない。
曹操の戯志才なんかも本当に凄かったのか全く謎。 「人物は優れてるけど優れた結果を残せなかった」という話はよくされて
「人物は劣ってるけど優れた結果を残した」という話はあまりされない 徐州譲渡はつまるところ我が子を殺されて滅びるのは避けたい陶謙が
既に曹操軍によって蹂躙された後処理を劉備に押し付けただけの話だからな
立て直した上で拠って立つ猶予が中原を争う群雄の係争地で与えられるはずもない
しかしそれまで援軍の一部隊として気軽に派遣されてきた劉備は
徐州の人材を一部でも取り込んだ事でやっと軽視できない群雄に加われた 諸葛亮を迎えるまでにいくらでも軍師を揃える機会があったっつーに、
劉備はなぜあえてしなかったんだろう?
劉備の心一つで動く劉備集団の性質上、あえてしなかったとか?
陳グンとか、劉備も内心では認める優秀な吏官おったやないですか >>508
人材確保できなかっただけじゃないの
田予とか >>505
優れた結果を出した時点で誰から何と言われようと有能。 >>510
出自の怪しい劉備に名門インテリが敬遠した感じはある。正統派インテリとは言い難いビジクとか単福みたいなのしか付かなかった。
変わり者の没落名門インテリ諸葛亮がついてから一気に他の名門インテリも劉備に士官する流れが出来たような気がする。 軍師を立てたところで平原や荒れ果てた徐州に根を張るのは土台無理がある
それにそんな無理をせずとも暗殺計画の件で曹操と生涯の敵対を余儀なくされるまでは
劉備は己の才覚と臨機応変の判断で成功の階段を駆け上ってたからな 徐州だって陳羣がいま徐州を根城にするのはやめとけってアドバイスしたぐらい
足元が固まってない地だったわけだし
盤石な根拠地を持ってない傭兵集団みたいな連中に好んで加わる
インテリ名士なんかいないわなあ 件のテレビ演芸のとびだせ笑いのニュースターの審査員
糸井重里・神津友好・大野桂・大島渚・高信太郎・花井伸夫・山本益博のうち五人
さらに司会進行のやすしが寸評に加わっていた(多少偏りとその日の機嫌があるがいちばん的確、辛辣)
権威、中立性、IQ、品格が別次元w 郭嘉はぶっちゃけ逸話のほとんどが傅子だから実際の能力がどんなもんだったのか逆に分かり辛ぇんだよな 豫州は余計あかん
袁術と曹操の勢力圏が直にぶつかるとこだったから
最大勢力だった袁術が?州攻めをしくじって
曹操、袁紹、劉表に取り囲まれて揚州に逃げた隙に
陶謙が長安の朝廷に働きかけて劉備を豫州刺史にしたけど
翌年にはもうその陶謙がぽっくり逝っちゃったからね
袁術は早々と勢力を盛り返したし曹操も日の出の勢いで
以後小沛より西はとても割り込めるもんじゃなかった 二袁抗争時代の劉備は明らかに袁術閥なんだが、どうも旗幟鮮明じゃないんだよなあ。
この時期には既に風見鶏の劉備の本質が表れてる 木久扇「国際的なものでもいいですか?」
歌丸 「どうぞ」
木久扇「イラク国民会議です」
歌丸 「いらくもめています、って言うんだろ。」
(木久扇コケる)
歌丸 「何が国際的なものだよ」
というのもあったw >>526
悉く風を読み間違いながら一応皇帝に上り詰めた風見鶏。
逆風を向く風見鶏。 孔明先生は赤壁の風向きを変えたのでなく、劉備の人生の風向きを変えた 別に劉備は風見鶏でふらふらしてたわけじゃなく常に誰かに追い回されて仕方なく逃げてただけだと思うんですけど… 戦国時代に国人領主が従属先を変えて生き延びたのでもあげつらうような
潔癖じみた悪意で物を言ってもな
劉備は自立して州規模の争いを勝ち抜けるような手勢など持ち合わせてないのに
死の床の陶謙に見込まれてボロボロになった徐州の生存戦略を無茶振りされたわけよ
袁術はすぐに攻めて来たしその上呂布も曹操も寡兵で撥ね付けるなんて不可能な中
やがて献帝を迎えた曹操の客将になるまで柔軟に立ち回ってみせた
徐州の攻防を通じて糜竺が財産を差し出すことで手勢もそれなりには強化されたしな
常人なら一巻の終わりだと諦める状況からじゃあこうするかと次の行動に移れるのが
劉備が一方の英雄として頼られた所以だろうよ >>531
そんな根無し草が皇帝にまで上り詰めたのが凄いって話。それでいて中途半端な出世な訳よ。 天運に愛されて天下を獲った英雄はたくさんいるが
劉備はむしろ天運からは見放されてた人物だと思うよ
そんな中己の才覚と野心で小国ながら皇帝にまで登り詰めた
稀代の英雄と言ってもいい
善玉として書かれた三国志演義のおかげで人気は出たけど、彼の人となりからすればあの扱いはむしろ侮辱かもしれない 劉備を主役にしたピカレスク小説ってあるかな?そっちの魅力の方が強い。 小説はあんまり無い感じだなあ。
秘本は演義程持ち上げてないけど、ピカレスクっていう訳で無し。
漫画ならちょぼちょぼあったか。 >>535
順序は逆でない?
正史から民間伝承まで官民通じて人気があったから
後代演義の成立を通じて儒教的理想の仁君に加工されてしまった 695 花琳 ◆bFARNCiJnc sage 2016/10/19(水) 17:30:18.96
(一人の少女が道を歩いている)
ふぅ・・・この国の戦乱止めてあげたいんだけど・・あたしにはそんな力はないし・・。
諸侯に仕官しなきゃだめよね・・。 >>538
もともとは仁侠的な人気、判官贔屓的な人気だろな 東晋や南宋などの南朝や、南から天下を取った明が
禅譲否定や北伐などのイデオロギーから蜀漢正統論をうち出したのが大元でしょ
関羽の神格化や、諸葛亮が臣下の鑑として後世扱われた影響も大きいだろうけど
劉備自身の人気は後世になるまでそれほど大きく持ち上げられてはいなかったはず “仁者“が正しいみたいですね。
蒼天の街一つ興した人が彼らしいよ。
そりゃ刺客も躊躇うような生き様やね。
だけど、入蜀から腐ったみたいやね。 「カリスマは高い」
とさ。
トランプ氏然り、オバマ然り、安倍首相然り。 >>541
>関羽の神格化
関羽より自身に対する神格化は?
自身の没後、毎月の1日と半日の15日に祀る事を遺した男は、どう自身を後世に似姿を残そうたら考えたか?
孟徳新書より 土人のポコチン音立ててしゃぶってたくせに何いってんだ^^^^ >>545
お前の精神は菊門の処女を保ったようだよ。 劉備の人気が前提で関羽や孔明が神格化されたのか、関羽や孔明の人気が前提で劉備が中国文化の善玉に祭り上げられたのかは微妙。 劉備が中国国内の評を落としたのは
魏の程cが中国国民の自国の史実上、国際社会なら反人道的な蔑視に値する食人が類似的解釈にあって、なおかつ、三国時代における反儒の中にあって劉表並びに劉璋の蜀を戦乱に乗じて乗っ取ったからじゃないかな?
天下三分、もとい対中連は孔明が劉備に与えた最大の策であり、勢力均衡論しいては後のビスマルクによるbalance of powerであり、劉備はそれを知らずに腐敗しつつある漢王朝に苦しむ民らを救おうとしていた感があるけどどうだろう? l''!,
| |(´┌┐`)┐`)┐`)┐`)┐`)┐`)┐`) 劉備に荒瀬ゆわれた
\ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ
| ・ ・ | | ・ | | ・ | | ・ | | ・ | | ・ | |
| .,,;,. | |,;,. | |,;,. | |,;,. | |,;,. | |,;,. | |
| i.uj |リ,i.uj |リi.uj |リi.uj |リ i.uj |リi.uj |リ 北宋の頃成立した講談「説三分」で既に善玉劉備が応援されていたようだ
巷間での一番人気はなんと言っても暴れん坊の張飛で
元代に講談の種本を繋げ挿絵を入れて作られた「三国志平話」の主役も張っている
一方で関羽はあまり活躍しないし諸葛亮も一応見せ場はあるが雑に扱われていた
「三国演義」は平話まで庶民が馴染んだ勧善懲悪の物語に初めて知識人側のメスが入り
関羽と実は曹操を千里行を架け橋に魅力的に描き諸葛亮を天才軍師として再構築した
一方で張飛は活躍よりもトラブルメーカーとして悪目立ちする方が多い損な役回りになり
劉備は「水滸伝」の宋江や「西遊記」の三蔵法師同様の空虚な中心
読む側をイラ立たせる程荒事に消極的な聖人に収めてしまった
関羽信仰の本格化も演義刊行後の明代から清代にかけてらしい あの劉関張の三人の中で、最初に神格化されたのが文献ではっきりしてるのは劉備だった(南北朝の道士陶弘景による真霊位業図)。
尤も始皇帝や曹操らと共に一番下の位になる冥界の判官ではあるけど。
次に唐代には中国天台宗に布教に利用される位の地方信仰があったらしい関羽。それ以降の信仰の高まりは説明不要。
張飛だけは蜀以外の歴代王朝の加号を受ける事無く、現代までずっと墓廟祭祀に止まり
正統道蔵内の一経典(宋代成立らしい)でやっと雷神諸葛亮配下の神将になる。
平話や元劇での人気は張飛の方が高いのに、神格としては二人に見劣りするのは庶民にとり身近な感性の人物に見られたせいなのかもしれない。
現実の本人は庶民より士大夫層に憧れ、親しみたがってたらしいけど。 劉備を神格化したのが陶弘景(呉末期の大将軍陶濬の子孫)ってのはなんか因果だなぁ >>551
劉巴と張飛の話を読むと、張飛の士大夫に認められたい思いがある種切ないよなw 神格化された当初の劉備に儒教的な善玉観や庶民的人気はあったのだろうか?
単に地下人から皇帝に成り上がった英雄と言うだけの評価ではなかろうか。 そんな提供する材料何もなしにただ持論の訂正嫌がって
俺の大嫌いな劉備が昔から人気あったわけなくない?と食い下がられてもな 関羽は死後間もなく祀られてたけどな
公式に神格化されたのが後代ってだけで >>554
成り上がったから神になった、というより陶弘景の頃はまだ「王や皇帝に常人にはない特別な神性」があると認識されてたせいかと。
いわゆる占いによる神政政治を行う事で神性を認められていたらしい商王や、天地祭祀の独占で天子と称した周王の様な古代王の遺風がまだあり
死して尚、王は王として庶民を支配する特別な存在と見做されたからこそ、既に当時儒家の筆誅を受けていて有徳と思われてない始皇帝も冥官に列していたと考えられる。
ただ陶弘景の生きた時代はあの五胡南北朝の最中だから、その遺風も廃れゆく過程にあり古代のような王や皇帝の神性は逆に落ちていく趨勢にある。
明清になると皇帝の聖性は極端に向上するけど、これは古代に遡る物というより洪武帝による皇帝絶対化の施策がもたらした物で後世のものと言った方がいい。 なぜ劉備は董卓馬騰公孫サンのように旗揚げの時点で異民族の騎兵を使わなかったのか? 劉備以外西涼や遼東で異民族と対峙して世に出た連中ばっかりやん 徐州に入った頃の劉備陣営に異民族部隊がいたのは史料的に信用出来るものなのかな?
あれは遊牧系の騎兵なんだろうか。 呂布の最期の言葉に曹操に対して
「貴殿が歩兵を率い、私が騎兵を率いれば天下を治めるのは易い。」とある。
つまり朝職であり太守よりも富んで筈の曹操であっても騎兵よりも歩兵が主である。つまり劉備であれば? >>563
併吞した青州黄巾兵がゲームの情報だと存在してるが青州は漢民族。
遊牧やモンゴルモンゴルしてるのは
呂布下か、関羽の兵。 榎木孝明 あまり出番なかったね あんなもんでよかったの? 単に「俺の騎兵運用能力はお前の役に立つから殺したら損だぞ」と言ってるだけでは そういうのが日本で成功したことがないくらい日本はだめだというのに気付かないんだな
日本は所詮コネ社会なんだよ
なんで日本の総理がみな山口県出身ばかりなのか考えろ
北海道や沖縄県や福島県から総理がでないのか
明治維新体制からかんじがらめになっているのが日本という国だ
悪いことは下の部下に汚名きせて終わり
それが第二次世界大戦の結果的でそのままかわってなく現代までつづいている
そんな社会なんだから、さんまみたいな奴が芸能界に長くのこるんだよ
それはジャニーズという会社も同じだろう 幕末から薩長土佐三県が政閥やな。
政友会然り、大手大学の創業者なんかはその最たる事だから当然といえば当然な話。
さて、劉備のカリスマは本当に高いのか? カリスマ性がなければ地方政権を建てられるほどの勢力にはならないだろ (´/┌≒」´) カリスマ性がなければ地方政権を建てられるほどの勢力にはならないだろ 腐敗した漢王朝の圧政に苦しまされた義侠や貧民の前で“泣く“
“ 泣いてみせる“
劉表の没後も現代的にはくすねたのに、墓前には結構極悪人の劉表に泣いて弔っている。
あと逃げる。 髀肉の嘆もながらに、人前で泣く事で同情を流し、漢王朝の圧政、もとい高すぎるであろう租税に、蜀国と塩売買がある訳だよなぁ。
商売人としての893が群がるのは王室に胡散臭い縁戚をタレて出入り出来るだけの容貌を持っていた、と考えるのが私見ですが。 「髀肉の嘆」エピソードは劉備の人物像を的確に描写している。
戦争が出来ないことを嘆いている。
戦争無しには生きていけない。
平和だと泣いちゃう。
それに同調する連中が劉備の下に集まった訳で。諸葛亮の無謀な北伐なんてその象徴。
勝てる負けるは二の次。泰平の世を作る理想なんて無縁。 東奔西走馬を駆って引き締まった肉体を保つ若さも失った私が
未だに何も成し遂げてないのが悲しいとしか言ってないものを
戦争狂の極悪人と決めた脳内設定に合わせてよくもまあ曲解したもんだな 劉備が戦争狂なのは間違いない。
善悪はともかく常にチャレンジャー。そう言う意味でカリスマ性が高い。 話題性や視聴率の狙いも有るが年末に解散する以上は交渉するのは極普通だろ
都はるみとか歴代の歌手がその場を借りてきたわけだし
ただNHKは袖にされてしまったな 劉備は負ける戦いは夷陵ぐらいでしかしてないから勝ち負けは二の次ってのはない
他の負け戦は全て情勢的に詰んでる状況での敗戦 本当に詰まないように勝つ算段の立たない大軍とはまともに当たらず次の手を打ってたよね
出発点の不利から自軍が壊滅してもすぐに再編できる豊かな拠点なんて
赤壁後の荊州攻略までは縁がなかったから カリスマがあったんではなくて
ソコソコ有能だっただけ
陸遜クラスには勝てない 陸遜こそ戦術は巧みだが呉の四姓の一族として華々しい戦歴を重ねながら
丞相としては宮廷闘争に翻弄されて1年余りで失脚、憤死と何も出来ず
国を背負って立つリーダーとなるようなカリスマはさっぱりだったろ >>590
煽りじゃ無いが。
人生経験足りなくない?
陸遜や呂蒙らのノンキャリを幕僚にする権力と、一国を興す大望を抱いて築いた劉備とは観点がズレてんよ。カリスマが必要あったか?子飼いの陸遜が? >>591
その事は二宮事件と、孫権の加齢による衰えなんだよな。
つまり呉は孫権どころか孫堅文台の築いた軍閥に集権した。 >>591
お前には蜀を支えた“塩“が欠けたんで。
関羽と塩も兼ねてな。 >>593
と言うより孫呉と言う不思議な政権が抱えてる本質的な欠陥を象徴してるだけだと思う。 孫権の衰えや孫呉の構造的な問題がまずあったにしても
陸遜は初期に全ソウから相談を受けながら事態を軽く見て荊州を離れなかった
それどころか魯王派に全寄がいる事を責めて戸惑っていた全ソウを意固地にさせ
魯王派が力を得た後になって藪蛇な諫言、嫡子相続の原則論を書簡で何度もぶつけた
漸く説得に赴こうとした時には太子派への嫌疑が極まり孫権を激怒させて後の祭りだったという
下手を打って事件を余計拗らせたには違いない
まあスレチな問題はその位で置いといて
筵を織る生活から挙兵に及び幾万の人間を束ねて国を興した劉備に
カリスマなんかないと主張する理由付けが全くない
それで陸遜に負けたからそれ以下でソコソコ有能だっただけとするのは無茶な話だ 死ねや
きめえんだよ
お前キモスレ立てながらシコってんだろ?? 陸遜には能力はあっても人の上に立つ器量は無いよ
カリスマってのは要はその器量のことだからむしろ陸遜には最も欠けている要素でしょう 陸遜が魏や蜀みたいな中央集権国家なら上手いことやったとは思う。
魏は官僚国家、呉は封建同盟、蜀はイデオロギー集団。 路線を戻すと、陸遜のような無名の書生を将軍に任じ歴戦の老将らの列に参事させて、それを従わすだけの孫呉は親方日の丸って事だよね。逆に無謀とも思わしき関羽の荊州攻めに、関羽を御する事も関羽らの幕僚の造反を御する事も出来なければ、弔いの 間違えて書き込み押しちゃった汗
ま、入蜀後の劉備に関してはかなりの腐敗があったような気がしてならないんだなぁ。関羽の樊城攻囲戦も北魏への守りとの両立で兵を割けなかった気がするし、、、
これは勘だが蜀漢を起こしてからの蜀はほとんど孔明に乗っ取られたんじゃないなか? 劉備は諸葛亮に敗北していた
大嫌いな劉巴を法正の後任にねじ込まれるなど政治的に劣勢の劉備は一発逆転を狙って荊州に出兵する
掌握している軍部で荊州を奪回すれば軍事に疎い諸葛亮を黙らせることができる
しかし夷陵の大敗で頼みの綱の軍部もろとも壊滅
このまま死ねばいずれ諸葛亮が第二の曹ひになる
それだけはさせじと重臣を集めて有名な「君が取って代われ」と遺言
衆人環視の中でここまでやられたら諸葛亮は絶対に信頼を裏切れない
美談として知られる故事は実は劉備の呪いだった・・・
というのが渡邊義浩氏の本に書いてあって初めて読んだときはビックリした。 劉巴が劉備を嫌ったのであって劉備は中々仕えてくれないのを残念がってただけなんだがな
仮に諸葛亮と劉備に深刻な政治的対立があったならば
あの東征軍を出せる軍権を掌握したままの劉備が諸葛亮を拘束すれば済む話で
ただ単に諸葛亮を黙らせるため荊州を奪回するなどリスクばかり高く迂遠で馬鹿馬鹿しい
また本当に諸葛亮が劉備を政治的に打ち負かして実権を握っていた場合
重臣も諸葛亮派で固まり死に逝く劉備の簒奪を許す遺言が逆に掣肘になるなどありえない
遺言を根拠に虚実を問わず劉禅の暗愚を大義名分にして易々と簒奪が果たせたはずだ 劉備と孔明の仲自体は悪くないと思いますよ。大体、孔明の連中対もとい天下三分の計こそが劉備が蜀漢を興し、王にまでのし上がった要因ですから。
ただ仁に厚く礼にも正しい劉備。
劉表の墓前では涙すら流し、自らの肥え太った体を嫌い、また放った刺客すら躊躇う程の人物。
彼は天下三分の計の具体案を知っていたのか?それとも? >>606
問題は、
・208年以降仕官した名士の殆どが諸葛亮人脈
・諸葛亮派は基本的に劉備にも心服している
・劉備派にはアンチ諸葛亮が少なからずいた
荊州派、益州派対立の話があるけど、現実は諸葛亮派と劉備派の争いではなかろうか。 アンチがいて自派でさえ劉備に心服してんじゃ孔明が乗っ取ったなんて言えんがな l''!,
| |(´┌┐`)┐`)┐`)┐`)┐`)┐`)┐`) 関羽も議論してくだされ
\ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ
| ・ ・ | | ・ | | ・ | | ・ | | ・ | | ・ | |
| .,,;,. | |,;,. | |,;,. | |,;,. | |,;,. | |,;,. | |
| i.uj |リ,i.uj |リi.uj |リi.uj |リ i.uj |リi.uj |リ >>595
孫家という軍閥と地方にもとから存在する名家たちとの権力争いってだけ >>609
だから、それが劉備のカリスマたる所以。
士民ともに政権に対する不満はあっても劉備一族に不満はないの。 三国志演義の劉備にむかって歴史修正主義って吠えてるチワワだわ
ほんと教養がないのって怖い 袁術を下からぐいぐい攻めあげた劉ヨウ強すぎね?
呉景と孫賁は両家の代表なのに弱いよな 益州の民が劉備に対して不満が募ったのは度重なる戦争と租税と徴兵だよ。
南蛮制定から北の張飛、東の関羽。いくら塩で財政を建てたところで劉璋さまの隠し財産は空になったのは容易に想像がつく。 林家だけ優遇されているからなぁ。
所属の構成も
落語協会 (木久扇、たい平、三平)
落語芸術協会 (昇太、小遊三)
円楽一門会 (好楽、円楽)
なので、三平の代わりに立川流から入れるべきだった。 >>596
「筵を織る生活」って事実なのかな
劉備って若い頃に軍事学問一通り修めてるでしょ
筵なんか織ってたらそんな暇はないと思う
侠的なものとか、塩商人関羽とか、劉備は商人人脈との繋がりが強いから
劉備の家は筵含めて何か商業に関わってたのかなと思ったりもする >>618
母子で筵や草履を織って糊口を凌いでたのは官吏の父親が早世した幼少期の話
元から商業に関わる家なら何もそんな効率の悪い仕事で食い繋がんだろ
15の時に叔父が見所のある奴だと盧植の学舎に入る学費を叔父の子と同額出してくれた
しかし劉備は儒学を嫌い侠を見せる派手な交友で豪傑や豪商との人脈を築いたという
まあそこで素直に学究に勤しむ人間ならどこぞの官吏で終わったろうな >>619
家父長社会において伯父が一族の面倒を見るのは珍しくないが、叔父が甥の面倒みるのは異例だな >>618
曹操の遺言に
「お付きの侍女や宮女には、草鞋や筵を織らして生活の足しにさせろ」という史実なのか疑わしい程の史実がありまして。
つまり没落した傍系なんて王族でもそんなものだったんですよ。漢王朝もそうですが、司馬炎なんて庶子が何人居てもおかしくないですから。 彡 ⌒ ミ
(´・ω・`) ハゲ増して
,べヽy〃へ おめでとうございます
彡 ⌒ ミ/ | 'ツ' | ヽ
(´・ω・`). o |=宗=! o |
,くリ=ッ=[ゝ.__」「「「「L_.」
じ(ノルハ)Jつ」」」」」⊂ソ., もしかして・・・玄徳って字名。
玄の字の意味は、奥深い だとか老獪なだと思わせといて、単純に“黒い“???
色黒??
白帝城の人形見てピンときた!
あれは孔明じゃなくてシュアンダの可能性が・・・。 劉備はコーエーのキャラで、ダントツに魅力がマックスだったね。 中居なんてピンなら薬丸と変わらないだろ
自分では面白いと勘違いしてるとこも痛々しい なんだと思ったら、物凄く眉間に力入れた波田陽区のラオウ版か、、、
鉄拳5のレイブンのグラサンoffとも 教養もないのに、人望はあった立派な人だと思う。
漢の高祖も似たようなもんだし。 一応じゃなく当時でも最高レベルの学者(盧植)の下で学んではいるんだけどな
あまり真剣に取り組んではいなかったようだけど >>635
確か楽(当時の音楽も学問の一つ)以外の学問は余りしたがらなかった、って奴な。
でも平原相とか行政業務をそれなりにこなしてるので、基本教養は身につけていたと思う。
ただ当代一流の師に就いていても、学問面として本人はそこまで行かず
軍事の爪牙として能力を開花させていった人とは言える。軍の規模に大小の差こそあれ、人間的魅力が無いと兵隊は従いて来ないし働かない。 後の劉備の発言を見てると後でちゃんと学問に打ち込んだように思えるんだよな 単純に学問を嫌ったというより書に親しんで儒学を修めて尋常に仕官したところで
既に売官横行で相当ヤバい雲行きだった時代を乗り切れるもんか疑問だったんでね?
折角日々の糧のためにあくせくしなくていい時間ができたからには
今の内に世がどこまで荒んでも大陸を駆け回って身を立てる素地を養っとこうと 出世も早いし経済にも明るいし戦争も強いし
学問はそれでもきっちりやってたんだろうな好きか嫌いかは別として
まずは派手な振る舞いで人を集め、豪傑と仲良くなり、次に各地の群雄と結び、
その後は名士連中と交流を持つようになったのだから
劉備はその時々で自分に必要な物を的確に見抜いて選んでいたのだろう 演義で劉備を善玉にして仁義の人として持ち上げてるけど
最近は逆にそれが本来の劉備という人物の魅力をスポイトしてる結果になってるのではないかと思うようになった
一般の三国志ファンが思ってるより実際の劉備は文武にも優れしたたかな人物だよね
演義でいえばそれこそ曹操や呂布の方に近いのでは 基本的に中国古典は主人公を徳の高い無能者として描く傾向があるからな
西遊記しかり水滸伝しかり 実際相当現実的に己の境遇からサバイブする術を見通して行動したリーダーだわな
いくら学のある人間自体が貴重な古代でも売官の蔓延る時代に金もコネもなく
純粋に貧乏書生から下級官吏を経て地道に出世なんてまず望めない
曹操はその売官で親の代から躍進してて持ってる人間として変革を進めた英雄だけど
色々足りなくても手を尽くして補っていく劉備の方により魅力を感じてヒーロー化するのも分かる ととのえの母親は売春婦であった。
500円渡せば誰にでも股を開いたので、付いたあだ名はワンコイン女。
しかし醜い容姿のため、その破格の低価格をもってしても抱く男はほとんどおらず、
しかたないので専ら公園や河原で寝起きする浮浪者相手に春を売っていた。
そのような生活を送る中で彼女は妊娠したが、中絶費用が無かったために不本意ながら出産した。
そうして産まれてきたのがととのえである。
つまりととのえの父親は名前も知らない浮浪者であり、ととのえは母親からも望まれない子であった。 【俺が劉備なら】ととのえというコテをどう思う?【ワンコイン】 以前も書いたと思いますが、私は三村さんのセクハラ関係の言動がどうも駄目で、発言が始まったら音を消すかチャンネルを変えるかして、観ないようにしています。あれはパワハラも含まれているように思えるので何だか (´┌¬´)蜀は劉備、諸葛亮、趙雲とイケメンというか
人好きのする顔立ちが集まった印象があるのに
関羽はなんとなく感情のこもってない目つきだし(演技のせいなんだろうけど`┌¬´`┐ω) 、ペッ 三国志ではっきりイケメン描写があるのって荀ケと公孫瓚以外に誰かいたっけ?
京劇なんかだと呂布や周瑜はイケメン扱いだけど >>656
曹叡は母だけでなく父方の血も良かった
祖父袁紹は容姿すぐれ、叔父袁尚もその美貌を愛されていたほど
袁煕もきっとイケメンだったはず >>656
(⌒┌┐⌒)曹叡は母だけでなく父方の血も良かった
(^ω^゜)祖父袁紹は容姿すぐれ、叔父袁尚もその美貌を愛されていたほど
袁煕もきっとイケメンだったはず(⌒ω⌒) 、ペッ 正史三国志及びそれから約150年後に著された裴注では曹叡の父は曹丕であるとしている
三国志の時代より約1660年後に著された三国志集解では袁煕としている
さてどっちの信憑性をより高いと見るか 祖父袁紹は容姿すぐれ、叔父袁尚もその美貌を愛されていたほど
袁煕もきっとイケメンだったはず^^^ 鳥取市のリコー工場が公式webサイトに美人社員ヌード掲載
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わしはリコーの弱みを握っとるからこんなものばらまけるがなw
リコーは慰謝料3千万円出せ! ゴルァ
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10年前からこんな偽公式サイトばらまいとるがな (⌒¬⌒)ドラマでも呉にいたね
(⌒』⌒⌒┌┐⌒)凸あれはどこだ周瑜の葬式やった場所にいたんだっけ >>415
(⌒ω⌒⌒ω⌒)ノ曹丕の孫で司馬懿の息子に殺された高貴郷公の
潜龍の詩繋がりってのもあるんじゃないf(⌒┌┐⌒)? >>670
テレビ東京
2017年5月13日(土) 27時15分〜29時00分
サタ☆シネ「三国志英傑伝 関羽」地上波初!敵将・曹操さえ惚れた最強の男がいた
そして、観終わったら朝。 >>671この映画は結構面白かったな
ただ三国志としては異色の作品だと思う 孔明は忠義を尽くしたから歴史に残ったが逆に尽くさずに、皇帝になればチャンスはあった
劉家は趙匡胤みたいに、宗家としてきちんと保護する姿勢を見せれば下の者は付いてきただろう
兄貴と通じて呉で革命を起こせば荊州どころか江南も手に入り
天下を取ることは可能だったはずだ 無いな
蜀の丞相としての人望はあったが彼に劉家から皇位を簒奪しても家臣が付いてくるほどの人望があったとは思えん
旧臣や荊州閥は劉備に心酔して付いてきた者が多数だろうし
益州閥にとっては国を乗っ取った劉備に付いてきた人物を持ち上げる理由がない
そもそも劉備の即位の建前が漢復興である以上諸葛亮が国を奪えば大義名分が無くなる そもそも諸葛謹が呉でクーデター起こしても成功できるとは思えん
彼は処刑され呉と蜀の関係は最悪になり
天下三分の計は二度と成り立たなくなるだろうな 劉備は何も持ってない状態からでも人に取り入って人を従える人望と政治力があった
孔明は結果を出して初めて人が付いてくるタイプだろうしなあ
孔明が皇帝になって成功するなら劉備の遺言通りに皇帝になったろうし
晴耕雨読の生活なんかせずに自分で勢力を築いてたんじゃないだろうか 劉璋の配下だった者とそれ以外と言えばいいか?
劉備は征服者であり主君が降伏したのでやむなく彼に従ってる者たちがいる
ていうかその数は決して少なくない
そんな奴らにとって孔明は臣従できるような相手じゃない
そして孔明にとっても彼らとそうでない者の扱いは一苦労
どちらかを優遇すれば内紛に発展しかねない 涼州閥のこともたまには思い出してあげてください
荊州失陥〜夷陵の戦いで荊州閥は大分少なくなったけど
劉備没後の最高権力者が諸葛亮〜蒋?と荊州出身者だったから
折り合いには苦労してそうだよな そのような心理面に関する記述って、目で確認出来る現実とは違って、自分があの立場ならこう考えるという個人的な創作の域を脱さないよね?
舞台が中国だからって、人々が常に儒教的価値観によって支配される訳ではない。
出身である土地が違うって事が、今居る国家を分裂させても守りたい位に重要な事柄になるの?確定事項?
自分の創作を「知らないのか?」って聞くのおかしくない? 三国志って正史も演義も後世の作品なんだから目で確認できることだって創作の域を出ないだろ >>682
諸葛瞻の実際の行動で示されているだろ。
衛将軍に平尚書事を加えられてから、諸葛瞻は姜維の行動を掣肘するベクトルでしか
活動してない。
で、実際に軍を指揮すれば「拙劣」以外に評価出来ないレベルのひどい運用で
当たり前のように全滅。
(三国志での評価が「国家が滅びるのに殉じて忠節を示した」なのは、逆に
言うならばそこ以外に評価出来るものが無い、と言う事でもある)
国家が滅びかけていても当事者が派閥抗争に現を抜かすのは良く有る事だし、
蜀も例外では無い。 446 :またたび ◆8M3hvARnSo :2016/12/29(木) 07:08:42.05
物に当たっちまったよー
どうすりゃ良いんだよー
殴りたい相手は別に居るのにー
関係無い相手に被害が行くんだよークソー
447 :またたび ◆8M3hvARnSo :2016/12/29(木) 07:09:12.72
我慢するしかないなぁークソー
448 :またたび ◆8M3hvARnSo :2016/12/29(木) 07:11:36.63
あー違う。今まで我慢して来て、それが限界になってるんだから
2ちゃんを止める努力をしないとなー
449 :またたび ◆8M3hvARnSo :2016/12/29(木) 07:13:25.01
くそがー何で殴れねえんだよーくそがー
450 :またたび ◆8M3hvARnSo :2016/12/29(木) 07:14:25.02
怒ったら負けだ―我慢だ―
451 :またたび ◆8M3hvARnSo :2016/12/29(木) 07:16:27.68
くそがー何で殴れねえんだよー
452 :またたび ◆8M3hvARnSo :2016/12/29(木) 07:17:02.86
恥を晒したーくそー
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1446388135/446-452
こいつは頭がおかしいから >>684
だから、「よく有る事」だからお前の結論は何だよ?
「拙劣な指揮」だからお前の結論は何だよ?
知識を披露したいだけならお前の主観は要らないから原文を丸写ししてくれ。 301 :無名武将@お腹せっぷく:2017/04/25(火) 19:43:05.57
孫堅の代からの名将高官も多い上に
孫堅の次の我が君は孫策って決まってその体制で動き出してたから
孫権の立場はすごく弱かったのかもね
親父の友人達みたいなのと兄貴の親友達みたいなのに囲まれて、君主扱いされるんだもんな
相当の馬鹿じゃないと偉そうにできないよね
302 :無名武将@お腹せっぷく:2017/04/25(火) 20:02:42.71
子供時代を見てるからか、孫権の孫策に対する兄弟愛は十分感じけどなあ
それと政略は別って感じで。
303 :またたび ◆8M3hvARnSo :2017/04/25(火) 20:17:22.53
>>301
あーーーーーーーーーーーーー?
誰が馬鹿だ?????
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1490973754/301-303
これも晒しとくか 87 :無名武将@お腹せっぷく:2017/05/21(日) 12:48:46.18
フォロー1は流石に笑ったわwwwww
ノコノコ2chに戻って来てるのも草生えるwwww あー寂しがり屋のメンヘラか構って欲しくて絡んできたのか
相手して損したわ >>690
原文だけを丸写ししてくれ。
お前は寂しがり屋だからそれだけじゃ不満なのか? >>691
首の上に載せてる代物に腐った糠味噌詰めてる能無しメンヘラに用は無いんだ^^ キャッチボールしてくれ。君が「構わないでくれ」と言われれば私は構わないし。本当に原文を持って来られても困る。
逆に君が「私に構わなくても損にはならない」のであれば私に構わないでスレを進めてくれ。どうしてそれが出来ない?
君に馬鹿にされながらも話を続けるだけの打たれ強さがあれば、どんな批判が来ても関係がないはずだけど、実際は人から承認を受けたい構ってちゃんだから、言い負けるのが我慢がならないんだろ。 トリつけてる奴が名無しを「人から承認を受けたい構ってちゃん」ってw どうした。スレが進まなくなるぞ。
まともな話し合いが出来る人間は居ないのか?
居ないか。全員荒らしか。 >>679
つーても劉璋→劉備な経歴で名の通ってる奴らって劉備より一足先に益州に流れて来たってレベルの他州者とか鼻つまみ者とかすぐまた余所に行ったとかで誰が益州閥とやらを形成して荊州閥とやらと対立したのか分かりにくいんだよね
劉備の益州攻めにおいて少なくとも(すぐいなくなったが)黄権ぐらいには粘ってないと益州出身者としての代弁者とは認めてもらえないと思うが… そもそも派閥と言えるほど出身で勢力が固まってた気配が見えない 683 :無名武将@お腹せっぷく:2017/05/22(月) 10:34:03.90
三国志って正史も演義も後世の作品なんだから目で確認できることだって創作の域を出ないだろ
私はこの言葉を聞いた時、あの時代には現代と違ってカメラが無かったのだという簡単な事実に初めて気が付いた。 ジブリって誰の事?
君達はジブリじゃなくて三国志なの? いい年こいて家庭内暴力ふるってそれを匿名掲示板に報告するオッサン
こんなのが話に入ってこようとするなんて迷惑でしかないわな
446 :またたび ◆8M3hvARnSo :2016/12/29(木) 07:08:42.05
物に当たっちまったよー
どうすりゃ良いんだよー
殴りたい相手は別に居るのにー
関係無い相手に被害が行くんだよークソー 登校拒否の引きこもりだからまともな感性が育たなかったんだよね >>706
君達は「自分はこれからも2ちゃんねるに書き込みを続けます」と宣言したりする?
そんなものは知らない。 登校拒否のしたときは親の前「僕ちゃん学校行きたくないー!」って泣き叫んだの? 人の家庭に文句を付けられるほど、お前らの家庭は円満に行ってるのか? いい年こいて家庭内暴力ふるってそれを匿名掲示板に報告する子供が育つ家庭ってどう見ても駄目でしょ
よく恥ずかしげもなく生きていられるね 「円満」って仏教用語かな。その言葉は「角が立たない」家庭が理想だと示唆してる。儒教的な家族観となると少し違う。 今の日本に円満な家庭なんて何処にもない。揺り籠から墓場まで家庭の在り方は政府が左右する 子供は学校という権力に支配され、家庭を信頼出来ない。
大人は会社という権力に支配され、家庭を信頼出来ない。
老人は病院という権力に支配され、家庭を信頼出来ない。 自分の家に円満とやらがないからって他所にもないと思い込みたいようだが現実はお前の妄想には合わせてくれないぞ 今度は親に責任転嫁か
根っからのクズ野郎だな
とっとスレから消えやがれ
親にも詫びろよ >>725
ちょっと誘導してやったら即座に親に責任転嫁しやがったなw 落ちこぼれに育てたという意味じゃなく、落ちこぼれの元に生まれた子供をまともな大人に育てる、という意味ね。 これのどこがまともな大人だ
446 :またたび ◆8M3hvARnSo :2016/12/29(木) 07:08:42.05
物に当たっちまったよー
どうすりゃ良いんだよー
殴りたい相手は別に居るのにー
関係無い相手に被害が行くんだよークソー まぁ親に責任転嫁するクズと言われてとっさについたその場しのぎの嘘なんだろうけど
墓穴ほったな ん、何の話をしてるの?
私が在日の家系なんじゃないかって?知らない。調べようと思った事がない。
でも自分がおかしくなった理由なら自分で分析して理解してる。 円満がねえだの信頼がねえだの言っておいて親に責任転嫁してると責められた途端にこれだもんな
相当自分の親を軽く見てないと出来ない芸当だよな 分からないふりして誤魔化してももうお前がクズなのは変わらないぞ 私が何時、親に責任を転嫁したんだよ。そんなつもりはない。
逆に、他人に全く責任を転嫁しない生き方って可能なの? もうこのやりとり見たらみんなお前をクズだと思うから大丈夫だよ まあ自分が他の人間にどう見られてるかも分からないお前には理解は難しいだろうがな まぁ、私は親を含めて大体の人間は駄目な物だと考えてるし、それが異常な見方だとも思わなくなった。 実際どうやったらまたたびみたいなのが育つんだろう
自分の子がまたたびのようなクズに育ったら
親戚に顔向けできないし
近所でも出来損ないの親として認知されるから恥ずかしくて表を歩けない と言うより、なぜ山口良一のアンチがいるのか分からんw 公孫賛配下だったのにその宿敵の袁紹と蜜月
献帝を死んだことにして即位
結構エグいことしてるな スポンサーだって毎週0枚と言う数値にさぞや苦り切っていることだろう。
視聴者はシカトできてもスポンサーの意向を無視するなら水戸黄門の二の舞だ。 >>744
献帝在位中に漢中王称しちゃう時点で最早忠臣だなんて…何に対する忠臣なんだか。
幾ら献帝が董卓・曹操らの傀儡状態であったとはいえ、将軍号は形式上は献帝の授与だし、特に傀儡な献帝が気に入らなくて霊帝や少帝弁らに忠節を捧げてた訳でも無い。
せめて漢中王名乗らないまま、曹丕が禅譲を受けた時に始めて「それは認めん!」と漢帝を称したならば、まだそれなりに筋は通ったろうけど。
あの諡といい、恐らくは生存情報を掴みながら素知らぬ振りで即位ではね。
忠臣というカテゴリーではお世辞にも評価に値しないが、梟雄・乱世の英傑としてならばまさに英傑の名に相応しい。 >>743
そして袁紹の宿敵である曹操と蜜月
さらにその曹操をも裏切って逃亡
すげえなあ 公孫サンについてはいつまでも味方でいる理由全然無くないか?
劉虞処刑してから袁術共々周りを見ようともせず破滅の道をひた走ってたし
それでも味方するべき忠誠を誓った主でも理想を等しくする同志でも別になくて
190年代初頭の情勢と同門の誼でたまたまそっちの陣営に拠ってたに過ぎないんだしさ
ただ変節漢と言われたくないだけで思考停止して帰属する陣営変えず一緒に死ぬ奴なんてのは
真剣に生きる意志の無い小心者の馬鹿でしかないし
それが一つの陣営を率いるリーダーであれば配下の命運について無責任過ぎるだろう 公孫瓚や劉備の盟主だった袁術が呂布を使って劉備を排除しようとしたのが劉備があちこち放浪する羽目になる発端なんだけどな あと劉備が曹操の下に身を寄せた時点ではまだ袁紹と曹操は決定的には敵対してないよ >>749
袁術が徐州から劉備を排除したがったのは、徐州を直接自分の隷下に置きたかった方なのか
それとも劉備がどうも自分から独立したがり、大人しく言う事聞きそうに無いと判断したかのいずれなんだろか。
もし単に劉備の意向はどうでもよくて、徐州を直接支配したいだけなら劉備もたまったもんじゃなかったろう。
とはいえ曹操の大虐殺から間が無いから、徐州を直ぐ支配しても旨味は少ないんで
やっぱり劉備の行動が目障りになりつつあったんかねぇ。 直接劉備に原因があるというより陶謙が生前に袁術に反抗する兆しを見せていたんで跡を継いだ劉備がとばっちり受けたように見える 陶謙て野心家なのはなんとなく分かるんだけどなんか行動がちぐはぐというか行き当たりばったりというか
お前何がしたいの感が半端ない >>748
劉備についていけなくて節義を全うしたうえに天寿もまっとうした田豫みたいな人もいるけどな >>755
そっちも別に公孫賛配下に拘って殉死したわけじゃないけどね
猜疑心の塊で有能であればあるほど用いない公孫賛に疎んじられたんで
袁紹と共に公孫賛を滅ぼした旧知の鮮于輔と図って結局曹操に帰服しようと決めた >>754
岳飛と言ったら群雄割拠の後漢末とは状況の異なる南宋黎明期の将で
身を投じる陣営については最初から苦慮する必要も無かったやん >>756
袁紹に従わないという点では筋を通したでしょ つーかここで切られたら、とんねるずも99もフジの番組の仕事永久にやってくれなくなってフジに出てくれるタレントはどんどん減りフジはテレ東カテゴリまっしぐらになると思うよ >>748
公孫賛や袁術は官職を経験し数万の軍勢を率いて立派に一地方を治めていたのだ
その上で漢から離脱する英雄の器があった
問題は劉備のほうで光武帝の知名度を利用してやってることはただの傭兵隊長でしかなかった >>761
…袁術はとても「立派に一地方を治めて」なんて評価は出来ないだろ…。 軍団を有して淮南地方などに盤拠した、が実情に近いかな。
普通に地方軍閥だと思う。 中央に近く肥沃で戦乱にも晒されてない土地に最大勢力として割拠したという意味では
董卓の死後まず天の時地の利を得たのが袁術だったんだよね
なのに自らの栄光が近い事に酔って軽率な侵攻による失敗と回復の為の搾取ばかりを重ね
帝を名乗る頃には民衆も孫策等の配下も付いてこなくなって野垂れ死んだんだから
出自に恵まれてただけでリーダーとしての資質は再評価しようもなく劉備より断然落ちるだろう 仙台ではそこそこ有名な芸人だね。
東北放送のラジオに週一でレポーターで出てる。
芸風も変わらない。TBC夏祭りで本物見れるかも。 >>762>>764
いや同時代の豪族と比べても一抜けしてたよ
公孫賛や袁術は部下を信用していなく自分だけ豪勢にしていたのが部下の反発を招いたね 俺も普通に1食だぞ
朝はもちろん食わないけど昼も忙しいから飲み物飲むだけだし夜にガッツリ食えばよくね? ノ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ノ
イ二二二二∞∞∞∞ 二二イ∵ 漢王朝を開いた『項羽と劉邦』の劉邦。
∵ ∵ /ノ ヽ、_ \ ∵ ∵王莽に簒奪された漢王朝を復活し後漢の初代皇帝となった劉秀。
∵ /( ー) (ー) \ ∵
| (__人__) | 日本でも有名なこの二人に比べて、
\ /
__/::ゝ| /: : ‖:::::::::::: 今ひとつ知名度が低い蜀漢王朝の祖、劉備。
_/:::::::::::::/l/: :/‖:::::::::::::::::: ヽ
_ _, ィ´:::::::::::___| ,.へ._‖__::::::::::::::::::::::| このスレはその劉備を考察するものです。
≧_` ̄}i : : |:::::::::::_|__\ \_l|_|:::::::::::::::::::::\
⊂イ |: : :|:::::::::{l〈 \ノ")/:::::::::::::::::::::::/ 基本的に史実に沿った展開ですが、
| |: :|:::::::| ̄ ̄ ̄ ̄`ーイ/:::::::::::::::::::::::::::::|
| |: : :l::::::: ̄| ̄ ̄ ̄ ̄7::::::::::::::::::::::::::::::::| 拡大解釈や記述のない部分での創作は含んでいます。
| |/|:::::::::::| /\:::::::::::::::::::::::::::::|
レイ.: : :|:::::::::::| 〈 \:::::::::::::::::::::::| このスレは私の日記がわりでもあります。
| |: : : :|:::::::::::| ヽ 〈:::::::::::::::::::::::|
| |: : : :|:::::::::::| i\ |::::::::::::::::::::::|
/|.: : :|:::::::::::| 〃./ |::::::::::::::::::::::|
/ |: :: :|:::::::::|、 〃 〈 \::::::::::::::/\
l. |: : : :|:::::::::::| `==彳 ハ ヽ:::::::/\. \
|_/: :_:L - '"ト 、 ___| lト、 |:::::∧ \ \
 ̄ ̄ | l|ハ 、 l:::/: :ヽ \-‐\
〉、_ _」 | ヽ /: : : :\ \__ >
/⌒ヽ._/ 厂丁「 ̄ | l弋ノ∨| : : : : :\
/l /::`丶、/、リリ | _l |__|L_L_.二\
ノ l⌒ 〈:::::::::::::::`T壬. | ̄::/ ̄ヽ、::::::::::::::::::\ \
 ̄`ー- 、ヽ::::::::::::ヽ_/::::::∧ 〃 \::::::::::::::::::::\ \
 ̄\::::::::::::::::::::/ >‐iト、 l、::::::::::::::::::::::::>、_/
` ー--‐イニ=|_l|__ >=> 、_;: ‐'´ >>87
>むしろ劉協弑殺の誤報を確認すらしないで称帝に走ったことからも,
確認ってw
お前、時代や地勢がいまの日本と同じだとでも思ってんの?
すげーバカだなwww >>746
>あの諡といい、恐らくは生存情報を掴みながら素知らぬ振りで即位ではね。
お前の妄想を勝手に史実にするなよw と言うより、なぜ山口良一のアンチがいるのか分からんw 劉備の献帝にたいする謚号ひどいよね
どう思ってたかはっきりわかる 孝愍皇帝だろう?
祭祀は絶やさなかったが国は滅びるに任せたという事績をそのまま表しただけの
劉備はそもそも後漢を興した劉秀と同じ前漢景帝の末裔を名乗って漢の存続を掲げた男で
劉氏による漢という国を再び立て直すのが良きことだと信じてはいても
董卓の力で挿げ替えられ曹操の傀儡に収まった劉協個人に絶対の忠誠を誓う道理もない
魏は劉協が禅譲に従った対価としての安楽な余生と当たり障りのない諡号を贈りはしたが
その前に近臣を退け皇后とその皇子や宗族を処刑し完全に孤立させて禅譲を強要している
むしろ諡号に気を使えば後世まで悪辣の謗りを免れるといった考え方こそ浅墓だと示す好例だろう (・∀・)
/ ヽ
| | ・ ・ .| |
| | .,,;,. | |
{ii| .i.uj |リ
j / | |
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ (´┌┐`)にょろたんはそもそも後漢を興した劉秀と同じ前漢景帝の末裔を名乗って漢の存続を掲げた男 後漢は霊帝の代には既に人心を失い献帝も直臣を次々と排除されて実態は解体済みで
劉備に忠臣か逆臣か問う前に王朝が健在じゃなかったわな
曹操は王莽の二の舞を避けて形式的にはソフトランディングで二代掛かりの簒奪を進め
対抗して割拠した劉備はアンチテーゼとして簒奪を認めない理屈で建国を進めたってだけやね 初代三平が死んで37年、もうその威光が通用する時代はとっくに過ぎたし、
そもそも初代三平自体大した芸人でもなくそれほど発言力があったとも思えない 曹操が漢帝を頂いて諸侯に命令だしてる以上、
他の諸侯は自分こそ漢の忠臣であると称して、君側の奸を討つとするほか大義名分える方法ない
そういう意味で忠臣アピールは必要 >>790
だからこそ劉備の即位は余計だったな
呉の使者鄭泉にも説教されてショボーン(´・ω・`) 中居がMCを務める音楽番組『Momm!!』(TBS系)の7月24日の放送は、女優の田中麗奈がゲストで出演した。田中はこれまでの女優生活を回顧し、高校生のときに飲料水のCMで有名人になり、
29歳のときにこれまでの芸能生活を振り返ったときに「運がよかっただけじゃないか」と思ったことを明かした。このときに中居がとんでもない発言をした。
「中居は『みんな、そんなこと考えるの』、『真面目なんじゃない』と茶化したような発言をしました。また中居は、自分自身について『おれ、ずっと絶好調だから』、
『申し訳ない。ちゃんと考えている人に』と語ったのです。このやりとりで中居の人間性が読めました。彼は他人のことなど、やはりまるで興味のない人間なのです」(アイドル雑誌編集者)
また中居は、収録で次のようにも言ったという。
「放送ではカットされましたが『吾郎とかどうするのかね』と口にしたそうです。中居はSMAP独立の失敗など何も思っていないのでしょう。とことん自分本位で、自分だけが大事でなければ、出てこない言葉です」(同・編集者) なんかラジオ番組で史上最高の男性アイドル候補に挙げられてたな そうかなあ、所謂演義や肥ゲーなどでカリスマの高い武将(皇帝)という立ち位置や印象からなんだろが
劉備位の人気度なら、神怪地味た英雄伝説すらある趙匡胤の(明清の民衆において)人気も充分匹敵するだろうし
他にも異様な人気の人物は居る。
史実の劉備本人にアイドル性は個人的には感じないけどな。軍団を腕一本で率いて中原を転戦し、いささか辺境ぽい益州にとはいえ一国打ち立てた実力と魅力はしっかりあったけど。
別に美形だったなんていう記述は正史も演義でも語られてないし。 創作とされる桃園の誓いの舞台として「三義宮」が最初に建てられたのは隋代
6世紀末にはもう善玉としての劉備達の伝承はある程度固められてたのかもしれんね 西遊記で西田が降板した原因もこれかもな
神経質な堺ともめたんだよ 西田のままならシリーズ化されてたのに 袁術や迎えるのを拒んだ袁紹は董卓の擁立した献帝を認めようともせず
曹操は側近を排除した上で傀儡として禅譲のお膳立てまで進めた
劉備のいう前漢景帝の末裔なんてこっちで南朝の末裔と名乗るようなもんだから
群雄の中で例外的に現役の後漢皇帝に忠僕だと逆に不自然過ぎる
筵売りは幼少期の話でも一介の商隊護衛から第二の劉秀を志した異才だな 「この男こそが一番信用できないのだぞ」
「大耳野郎、お前が一番の食わせ者だ」
呂布の断末魔の台詞が好き
劉備という人間を最も的確に評している レイはただの一般人
カイロレンが闇落ちしたのはスノークの誘惑と信頼してたルークに殺されそうになったから
ルークは最後死んでフォースと一体化する
スノークは正体不明のままカイロレンに殺される ( *'-'*)まさか井上順と堺正章が同じグループで歌手だったとは当時知らなかった
それぐらいしゃべりが上手く、お笑いタレントか思ってた
あと同じ様に思ってたのは
・ドリフターズだった荒井注
・モップスというロックバンドにいた鈴木ヒロミツ BS12 12/27(水)18:00〜 スタート! 中国ドラマ「三国志 〜趙雲伝〜」 全59話(中国語・日本語字幕)
ttps://www.twellv.co.jp/program/drama/sangokushi.html 趙雲伝は三国志を題材にしたアイドルドラマだから
三国志が好きな人が見ると憤死するんじゃないか?
漢中王までやるのに話の大半が赤壁前の話でその多くがオリジナルストーリーだったし >>498 入江朋生 我孫子つくし野6丁目6-4 3191581740@無断転載は禁止 sage 2017/08/07(月) 21:48:56.49 ID:s25TaYZo0
今年44歳のハゲです
趣味はロリ動画収集とハゲ隠し収集
ずりネタは実の妹あずさです(幼い頃
援交も好きで景気の良い頃は○学生をやりまくったものですが、今はド底辺なので出来ません
ハゲでロリコンのド底辺
入江朋生です
生き方もハゲ方も田代まさしな自分にウンザリです
ロリとハゲ
治し方プリーズです
因みに片方の頬骨が凹んでいます
理由は秘密です
遊び半分で殴られ見下されるのが私
負け犬 入江朋生です
今は乞食以下の産廃です
あずさの兄 入江朋生です
自称アパッチでっす
ロリハゲじゃないです
https://i.imgur.com/9QQp9Oi.jpg
https://i.imgur.com/J2HirdR.png 誰でもできるPCさえあれば幸せ小金持ちになれるノウハウ
念のためにのせておきます
グーグル検索⇒『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
0FYXD 誰でもできるアホ一匹しめれば幸せ小金持ちになれるノウハウ
念のためにのせておきます
グーグル検索⇒『フサフサになりたい 我孫子ロリ♪朋生のメソッド』
047-185-1913 曹操って糞だろ
そもそも後漢が腐った原因のある宦官のトップの大長秋にもジジイがなってるし親父も買官で三公になってるし
清流派と濁流派の内戦のあの党錮の禁で原因となった偽勅で暗殺した宦官も曹氏で
こいつも大長秋になってるからなww
とことこ腐ってるっていうか腐らした戦犯のひとつだろ
そら宦官の出って清流派の袁紹とかに罵倒されるわ
漢王朝をまさに腐らした一族でさんざん栄華を極める大恩受けてるくせに簒奪するんだからな
トリューニヒトより酷いやつだわ
劉備は正真正銘一代で皇帝だし、どっちがすごいって言ったら劉備だろう
曹操って現代で言えば政治家を何人もだして大臣も出してるボンボンの家だよ
よく科挙とか言うのもウソだからな。あれは隋から始まったんだからな
曹操がやったのは九品公正なんて門閥貴族化進めるだけだわ
だって監督する公正って朝廷から選ぶんだからな
あと唯才是挙とか言ってるけど名士多いからね
劉備みたいなぽっと出で後ろだてもないとこに集まるやつらのほうが本当の意味で才を問うてるからね
能力が高いのは確かだけど最近持ち上げられすぎだわ
歴史の審判は劉備と儒教が勝利してるのは明らかだわ
演義がまとめられた南宋の時代ってまさに反省した時代だろう
儒教もそこで宋学として研究されてそれがアジアに広がるからな
蒼天航路って演義より酷いわ >>820
一端どころじゃない
変に再評価する向きもあるが
金儲けとしての公職就任を容認して民衆に塗炭の苦しみを与えて潤った金で
反乱に対抗する近衛軍を新設して王朝を守ろうなんて馬鹿な話があるか
曹家はそのえげつない銅臭政治によって一気に高位を得て地盤を固めた
梟雄達の代表格だからな 言っても初期曹操は袁紹の一将軍にしかなれなかったわけじゃん? やっぱり直接的につながりもった袁家のほうが諸侯に影響力があったわけで >>822
裏を返せば代々三公を輩出した名門袁家が早くから無視できない勢力だった
父親からして財力に物を言わせて最終的には三公の一つ太尉の位まで買い
その下で曹操自身も20歳から孝廉に推挙され早々と出世し一度退いて郷里で地盤を固める余裕さえあった
それもそもそも霊帝のズレた施策によって九卿や三公すら買うことを許されたお陰だ >>823
そりゃね、どんな理由があれ大官の子だからね
それでもやっぱり実力を以てのし上がるしかない程度の勢いだったってことよ
簒奪云々は易姓革命を良しとするかしないかの話になってくるけど、曹父子においては簒奪が成功したのを褒めるべきだと お前らが劉備曹操をお互いに貶した所で
当人達は相手を英雄と認めたり死に際して弔問の使者送ったりとリスペクトしとる
まあその使者を殺したドSはいるけど >>828
落語(特に古典)は、決まったストーリーを話術と表現力を駆使して面白く演じることが一流の証だから
たとえ笑点が台本通りだったとしても面白く演じることができなければそれは能無し
つまり三平だけは著しくレベルが低い 張飛ってクズやんならつるんでる劉備もクズなんよ(笑) >>807
100%完全同意
劉備はゲームならなぁ。クズには見えない(笑) >>832-833
おまえら演義アレルギーの馬鹿さ加減わざとアピールしてるんじゃないだろうな? 演義アレルギーは少なからず誰でも発症するのでセーフ おまえらみたいな世間的影響力もない歴史にも名すら残らないカスが、歴史に名を残した人物を貶めるとか馬鹿か ( " ё ゛)徳島は新外人FW二人は強力だけどそれ以外が抜かれすぎてるのがなぁ 赤壁や漢中とか以外殆ど曹操に負けてるイメージや
若い頃はならず者のイメージが強い
そんな感じ
でも義理を重んじて人を引きつける魅力は有りそうだよね >>849
元は有力者には程遠く名を上げて拠点を譲られるに至っても
曹操軍に蹂躙された直後の徐州や新野といった対抗しようのない土地ばかりだったから
逆にあの段階の劉備軍に負けるなど曹操やその配下の沽券に関わる話だ
それでも勝てるところは勝ち逃げるところは逃げて私兵集団を維持した劉備の強かさがなければ
後年参謀を得て国獲りを果たし曹操軍も撃退して体制を固めるなど夢物語に終わっていたからな >赤壁や漢中とか以外殆ど曹操に負けてる
曹操劉備の直接対決って
それ以外だと徐州、汝南、長坂しかないじゃん
2勝3敗なら互角といってもいいくらいだ そこを狙われたらお終い
それに、俺なら一騎打ちしてても相手が打ち込んでる間に弓の名人に毒を塗った矢で狙撃させるけどな 劉備の周りの漢の遺臣に担がれて皇帝名乗っただけじゃないの?
山中鹿介に担がれた尼子勝久みたいな存在で。 オカンが理不尽に暴れてるのを協会の誰も制御出来ないんだもんなあ
海老名はほんと落語界のガン 三平も同罪 >>860
曹操という祖父の代からの地盤、人脈、財力を糧に中原を制し新たな統一王朝創設を伺う時代の寵児に対して
劉備という泡沫的な私兵集団の中からのし上がったやり手がこっちはなんなら漢王朝続くぞともPRしただけの話
名乗ったのは前漢のとりわけ子沢山だった皇子の子孫で血統至上主義者が目の色変えて皇帝に据える程の貴種じゃない 確かノムさんが、野手出身、特に外野手出身の監督は、
現役時代から守備の時にボーっとしてて、ろくに頭を使ってないから最も無能と言ってたがその通りだな 中央政府の実権、兵権を完全に握った上に遷都させた土地の王位にまで就いた(無論世襲される)
しかも皇帝の近臣や元の皇后、皇子を全て斥けて自分の娘を皇后に据えている
ただ対抗勢力を倒せないまま年老いたから簒奪の実行だけは次代に託した=忠臣とは普通言わんわな まあ関羽の敵討ちとか言って一時の感情で物事の大局を見誤って
蜀の国力や無駄な死人を出したのがあるからな
こんな短絡思考の人間が天下を取れば国が乱れて崩壊する可能性はあるわな
それに比べ曹操は赤壁の事業で失敗したけど
結果的に国力や経済を高め
天下統一したからな
漢の忠臣と言えば曹操
劉備なんて所詮は偽善者に過ぎないよ ( *'-'*)中学生に幼稚って笑われる生き方しか出来なかったんですか? >>869
まず為政者として治績があってもそれで簒奪へ向かった事実が掻き消されて忠臣と言えるわけはない
何より曹魏は簒奪から30年足らずで実権を奪われその16年後には逆に簒奪に遭って天下統一などしてないぞ
また当時の北と南の国力差は中原と北部国境を重視した漢王朝四百年の施策により元から大きかった
むしろ劉備が孫権に抗戦を働きかけ赤壁・荊州・漢中等で曹操軍を退けて三国鼎立の態勢を整えなければ
南部はロクに開発されずその後中原が塞外民族の争奪戦に沈んだ時点で漢民族は立ち行かなくなっただろう
たちまちの大敗で断罪はできないというなら曹操だけでなく劉備にも当て嵌めないと公平性に欠ける 元木は現役時代に練習時、若手に体重移動の方法とかバットの出し方とか教えてたくらいだし指導はうまいよ。落合が褒めてたところはこれ
稲葉がよく言う自分の打撃フォームは高校時代の元木の左打者版てやつでしょ >>871
まあ簒奪でもしないと中華自体がよくならないから仕方ない
あの当時は今のジャップランドみたいに政治腐敗や役人の不正が横行してた時代だからな
そう言う腐敗を無くして天下万民を幸せに導くには劇薬が必要
その劇薬なのが曹操と言う人間だっただけの話
それに、曹操はどっかの大手のボンボン社長の様な派手な生活はしなかったくらいだからな
そう言う意味でNOB織田とは対照的だと思う >>873
いや死後に手厚く葬られても味わえやしないから止せと命じただけで
生前は祖父の代からの資金力に飽かして銅雀台をはじめとする三台の大宮殿を設けて栄華を誇ってたんだが ( *'-'*)病的な粘着質だとアピールし続けていただけじゃないんですか 国を論ずるにはまだ早い
経済を論ずるにはまだ若い
それが玄徳さ ただ他はもっとひどい
他人と同じ事をしてても、勝てないぞ
人生を勝ち抜くためには、た、まに出し抜きも必要だ
さらに維持するには、謀反を承知で、他人と違う事をして他人を欺いてなんぼ、だと曹操が語っていたよ
つまり、右向け右で右を向いている人は、忠義の士という事だ
内心、違う事を考えてなんぼ.人と同じ発想ではいくさは勝てん
他人を欺き、己を律する事から始めよ、と、孫権中将が申していたそうだ.つまり大将は俺.
さーいけ、いざいかん鎌倉に! ☆☆☆ 放射能はダークマターで危険なので原発は廃止してください!
★★★ 今、日本の総人口が急減しています! 文春がコーディネート会社ではなく
日テレで出したセット設計図や発注書など証拠品入手してたら
コーディネート会社独断での言い訳できなくなるけどな 蒼天キングダムの片隅で漢を叫んだ仁義なきボヘミアン野郎・Aチーム ベースに滅びて尚人気があるからこそ後の王朝も正統論に引っ張り出せたんだ
史書よりは説話や三義宮に伝わり千何百年にも及ぶ人気はトップダウンで成り立つものじゃない
逆に近代になって清を滅ぼし西洋合理主義に倣う新たな民主/共産中国を築こうとした革命家達が
古代中国でもより合理的で正しかったのは曹操だとする価値観も改めて必要とした 疫病神とはどうしようもなく迷信的な言い草だな
錯綜する群雄割拠状態なんてそう長くは続かずいくつかのまとまった勢力に再編される
一介の義勇軍から滅び行く泡沫勢力を渡り歩いて自前の勢力を築いたリアリストを嫌うのはまあ自由だが
約1800年後に生きる現代人がそんな知性の欠片もない罵声しか浴びせられないものかね? チンピラの親分で、他人を踏み台にのし上ったリアリストで
寄生された奴らには疫病神だった。それが劉備だろ?
この板は、だいたい知性を軽視する書き込みばかりだけど?
その時点で最大勢力だった袁紹を、泡沫勢力と言うような奴
意見の相違と言うよりも表現が気に入らないだけで、書き込んだ奴自身も否定するような奴が
知性云々言えた義理ではないな。 劉備は袁紹に仕えてはないぞ
同盟を結んだが曹操軍を挟撃する好機に「子供が病気なんで」と袁紹に遠征軍を断られたんで
仕方なく徐州を放棄して客将になっただけ >>887
さよか。史実を捻じ曲げるのなら、どんな珍説でも言い放題だわな。
馬鹿馬鹿しい。 あらら逆切れしてますやん
ステレオタイプな演義嫌いの域を一歩も出んようなことしか言わんで史実を捻じ曲げるのならってあんた >>889
ほうほう。逃げるのを引き止めたな、お前。
じゃあ、配下じゃなくて客将だったら他人を踏み台にしてないというのが、どういう理屈なのか説明してみろよww
そんな雑な理屈で他人にケンカ売っても、恥かくだけだぞ
えらい勢いで下手な挑発してくるけど、
どこぞで論破されてきて、バカしか居ない板に来てストレス発散か?
底の浅さが丸見えの恥ずかしいヤツだw >>890
逃げるの引き止めたなって自分で言うてますやん
セコセコ小出しに叩いてたら誰にも反論されんぞと思ってたならご愁傷様
劉備は袁紹の客将として汝南を撹乱する役目果たしてますよ
おかげで官渡には決戦の本隊にもかかわらず寡兵しか展開できず撤退まで考えた曹操軍相手に
冷遇した部下の裏切りと烏巣急襲の報にもマズい決断下して負けたのは明らかに袁紹のミスであって
疫病神のせいなんかじゃないのもご存じない? __
彡__ \_
(・・) ○)
/‥ ( |
( Θ ) \ >>891
威勢がいい割には、反論のレベルが低いじゃないか。
劉備を疫病神呼ばわりは、だいぶ盛った表現だし
不当だと言いたいなら、袁紹に限定しなくてもいくらでも反論できるだろ。
袁紹は劉備のせいで滅んだわけではない。そりゃ当たり前だろw
しかし、関係の悪化してた曹操と袁紹が、開戦するきっかけを作ったのが劉備。
曹操を裏切った劉備が、袁紹に付いたせいで、戦いは避けられなくなった。
だから、戦犯ではなく疫病神と言う。
公孫サンに取り立てられたが、援軍で徐州に行った所そのまま陶謙に付き、戻らなかった。
陶謙にも信任され、曹操の徐州侵攻で何ら役に立たなかったにも拘らず、なぜか陶謙から徐州をもらい受ける。
呂布に徐州を追われて曹操を頼り、厚遇されるが、曹操暗殺計画に加担した上、徐州を乗っ取って独立する。
董承の曹操暗殺計画に加担したが、露見する直前に徐州へ転出して難を逃れ、同志は見殺し。
暗殺計画以前は献帝に忠実だった曹操だが、これ以降態度を変え、漢王朝をないがしろにし出す。
曹操を裏切って袁紹を頼るが、袁紹が官渡で曹操に敗れると、あっさり見限って劉表についた。
曹操が荊州に攻めいった途端に、劉表が死んでしまい、後継の劉jはあっさり降伏。
自分を慕う民を盾にして、曹操軍の追撃から逃げ延びる。
劉表の子劉gは、劉備に擁立されるも、すぐ病死。
孫権を頼り、赤壁で曹操を撃退してもらうが、荊州南部を火事場泥棒して独立。
孫権が妹を娶らせて懐柔しようとするも、妹はもらったが独立したまま従わない。
劉璋が援軍を求めてくると、それに乗じて蜀を乗っ取る。
曹丕が禅譲を受けると、密かに劉備に期待する中原の漢の忠臣を見捨てて漢の皇帝に即位。
関わった者がことごとく不幸になる、立派な疫病神だろう。  ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
__
彡__ \_
(・・) ○)
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( Θ ) \ >>893
今度は20行を越えるとりとめのない長文か
適当に事跡を並べてちょろちょろと劉備のせいだと強調する解釈を入れるだけで証明できるのは
あんたがいかに「疫病神の劉備め」と古代史の英雄を親の仇のように嫌ってるアンチかただそれだけだ >>887
それ、于禁伝に袁紹出兵の記録があって偽筆だと証明されたのでは >>893
袁紹のくだんについて
袁紹と曹操とは官渡前もなんだかんだ小競り合いしてる。于禁伝とかにある。
袁紹自身が腰を上げたのは、張繍・呂布・袁術・劉備と、曹操に対する尖兵(必ずしも袁紹が糸を引いてるわけではないけど)が全部退けられてたからじゃないかな。
劉表は張羨のせいで援軍むりぽだったし。劉備が逃げ込んだのとはあんまし関係ない気もする。劉備のせいで仕方なく開戦せざるをえなかったにしては準備がいいし。
陶謙軍への残留は陶謙の意向だし劉備が非難されるべきでもないような。同僚の田楷もあっさり劉備を徐州に置き去りにしてるし。
劉備が徐州を継いだっていうのも、陳羣とか孔融とかの、陶謙以外の士人にも強く推されてのことだし、やっぱり充分に信頼はあったんじゃないかなぁ。
徐州に袁術が入って来るのが嫌で劉備立てたみたいだし。
董承達が露見して殺された建安5年以前に叛いたっみたいだし、曹操暗殺計画における劉備の徐州挙兵は内外呼応する、みたいな見かたは出来ないか?
んで、劉表に鞍替えしたって言ってるけど、劉表は袁紹の同盟者だし、所属陣営は変わってないと思う。
劉備と袁紹はだいぶ隔たってたしね。
民を盾にしてってあるけれど、妻子さえ戦禍に巻き込まれるくらいには劉備軍は押し留まっていたわけで。まぁ結局劉備とその供回りは逃亡した、といわれればそうなんだけど。
本当に盾にするつもりだったら軍を分けて江陵抑えとくなりするだろうし、まして妻子は先行させるに違いない。そして劉gの病死は誰のせいでもない
そして赤壁では劉備も戦ってる。孫権軍のほうが多いけど。一方的に守られたというわけでもないでしょう。孫権も自分の領土を守るためなわけだし、たんなる利害の一致。
そして荊南四郡の火事場泥棒っていってるけど、見たかを変えれば周瑜の江陵戦を援助した形になるし、あとに正式に貸与されてる。
妹の件も劉備は渋ってるし、益州を得たら孫権妹は帰国してる。それを劉備側も咎めないし、大した問題にはならないのでは。
ところどころ劉備が「疫病神」であることとは無関係のこともある
なんだかなぁ >>896
まあ于禁伝によれば袁紹軍など于禁が延津を守れば進めず于禁が攻めれば蹴散らされ
官渡で優位に立ってさえ于禁が土山を守れば盛り返される始末だったからな 各伝の記述を折衷するなら優柔不断な袁紹は子供の病気を理由に挟撃の好機にも寡兵しか動かさず
延津の于禁に撃退されると攻勢に転じられてもしばらくはそのまま引き下がっていたことになる >>898
于禁が曹操の帰還まで耐えたのはすごいよなとは思う。
でも結局、汲・獲嘉まで進んで打ち破っても原武→官渡と後退していってる
どれだけ崩されても確実に戦略目標を達成していった袁紹軍すごいわ。やっぱ顔良文醜戦死後も勢いが衰えないだけある >>899
寡兵と決め込む根拠は、二千の于禁軍でも耐えられたからか?
「子の病気云々」は袁紹の優柔不断さをアピールするための曲筆に見える >>901
劉備との挟撃を図った大軍が出動しながら于禁に沈黙させられて逆に守備地の蹂躙まで許す事態に陥ったなら
曹操軍を官渡で窮地に立たせる機会などその時点で絶望的だろう >>902
多分楽進と行動してるし、曹操は官渡か延津に帰還してるとおもう
袁紹軍もたしかに本隊ではなさそう。なんでだろう  ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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(´`) ○)
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( Θ ) \ >>893
>>897
劉備が疫病神と言うのは、
劉備が直接の原因じゃないけど、関わった相手が全部不幸になってる事から、劉備を揶揄して言うんだよ。
要するに、結果論のこじつけ。
そんな長文で必死にやり合うような事じゃないのに。 >>893なんかはほとんどユダヤの陰謀論レベルじゃん
よくもまあここまでくだらんコピペを探してきたものだw 北から南へと流転の末に国を興した劉備があえなく滅びる多くの群雄と関わるのは当然の成り行きだが
そもそも平凡な生き死にが許されず不幸な最期が続出する時代が戦乱の世ではないか
そこを乗り切った英雄を疫病神とは本当にバカバカしいレッテル貼りだ
この時代の極悪人は銅臭政治をはじめ後漢を戦乱に追いやる暴政に加担した要人達で間に合っている 劉備擁護クンはバトる気満々のようだけど、疫病神って意味本当に分かってるのかな?
ネットで調べても、細かいニュアンスなんか出てこないよ? 広辞苑では「ひとに忌み嫌われるひとのたとえ」らしい
あれだけ必要とされてるなら辞書的な疫病神ではないな 裸一貫で皇帝にまで上り詰めた英雄であり、
誰からも好かれる、器の大きい仁徳の人であり、
聖人君子の皮をかぶった利己主義者だろ。 そもそも人の側面は様々ですしおすし
ただ劉備は信義の人な側面が強いと思う 内心どうおもってようが方針としてはだいたいそうだよな 誰も人々に嫌われる人のたとえという2つ目の意味では使ってないな
最初からアンチ側の言い分も全部滅んだ、不幸になったと本気で災いをもたらす祟り神扱いだし 織田と徳川のうち織田を好きな人は頭が弱い
劉備と曹操にも似たようなことが言える そんなおかしなこと思いついて公言しているやつの頭が悪いだけだよ まあ先代からの銭の力で時流に乗って一気に覇業を成し遂げる!…と思いきや不覚を取った信長と曹操なら
残された一族も元配下の天下人に取って代わられて地味にフェードアウトしていった点でも共通してるけど
順番が回ってくるまで信長にも天下人秀吉にも従属して最後に取って代わった家康と
曹操と戦い続けて長年後進地域に甘んじてた華南を鼎立に持ち込んだ劉備とでは共通点ないよな 秀吉こそ劉備に近いから太閤記が三国志演義に似ているわけだが 秀吉は最初身一つで放浪するものの十代の内に信長に仕えちゃうけどね アンチエイジングの美容注射?みたいなのを頻繁に韓国で受けてるらしく、そのせいか韓国推しが凄いからじゃね? あほか
40代なんてたいしたことないわ
大正時代とか農村は夜這いあたりまえの
時代のほうがすごいっての
電気すらなくて娯楽がないって
セックスするほうがやるにきまってるだろう 魏はすぐに晋に乗っ取られた上に曹操に対する謀反や反乱は多い 曹操は生まれの地の利と親の残したものもあった。
劉備の出発点の方が厳しかったかな。
地の利と人材がなかったからとにかく移動範囲と距離がすごい。
涿郡で育って黄巾討伐。徐州。曹操のいる朝廷。袁術戦。
袁紹のいる華北。ついで汝南。荊州。孫権の領地にも。そして益州。
長安や涼州は行ってないが、それでも中国全土を駆け巡ったと言える。
孫権なんか江東からでたことないからその違いは大きい。 中国全土を妻子を何度も捨てながら逃げて追いつめられてなお生き延びるってすごいな
曹操から完全に逃げ切れたから皇帝になれたんだろう >>924
残したというより曹操の場合出世の際は親と連携していた節がある
黄巾討伐の後、曹操は一旦東郡太守赴任を拒んで郷里に退いた(地固めを優先して中央進出に備えたか)
父曹嵩が一億銭の金と更に宦官への賄賂によって三公の一つ太尉の官職を買ったのは187年
そうした売官による霊帝の私財から作られた西園八校尉に曹操が名を連ねたのが翌188年
霊帝が没し十常侍ら有力宦官が一掃されて董卓が乗り込んでくる直前の話だ
曹家は霊帝と宦官が取り仕切る銅臭政治の下で急成長していた
養祖父曹騰の遺した財力と人脈により権力の中枢に食い込んだ矢先に劇的な政変の横槍に見舞われている
曹操が逸早く宦官粛清の動きを非難したのも董卓打倒の兵を挙げたのも予見の鋭さよりは立場上当然だな 40代なんてたいしたことないわ
大正時代とか農村は夜這いあたりまえの
時代のほうがすごいっての
電気すらなくて娯楽がないって
セックスするほうがやるにきまってるだろう >>926
親というより祖父じゃないかな
宮城谷氏の作品だと曹操を描くのに祖父の曹騰から掘り下げてるよね ヤクザってよりは遊撃部隊の隊長では
荊州や益州を取る前は特に >>928
蒼天航路の知識しかない人
またはあれを劉備の実像と勘違いしている 親族に14で殺人冒してる奴がいて
自身は有力宦官の家に押し入ったり悪友と嫁泥棒するほうがよっぽどヤクザ 漢室の末裔なんて血筋なのに曹操並みかそれ以上に戦しまくりなのが面白い ふっと…「取りあえずやってみるか」と決めて取り掛かったものの集中力が蔓散していて効率が悪い
ふとした瞬間何かが入った、「魂」だろうか、その後はさくさく進み思っていたより早く作業は終わってしまった
達成感に満ち溢れ気分は高揚した、ここまではよかったそう此処までは…
問題は、この高揚感が、何時までも何時までも離れてくれない、頭切り替えられないで今ここに至る 山田邦子がたけしがフライデーで休んでいたとき
なんて面白い女の人だがきっかけだった
スタッフと仲良しでも仕事がないやつはないから 離婚で財産がっつりもってかれただろうし
養育費もあるだうし大変だな ─────v─────
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O .| i´ ̄ ̄ ̄`i | O
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と_) (_つ 劉備、蒼天航路が主張したみたいに演義より悪人とかヤクザなんて全然思わなかった
そういう人と自分の倫理観が合わなかった
演義より本人が出来る人だ、出来る人が好きだ 演義持ち出して史実の劉備sageる人って演義の赤子投げたり人肉食べる創作に感動してるんだよね
曹操が演義より部下や民や帝に酷いことしてることは気にならないんだよね
倫理観が合わなかった、とにかく 正史劉備は胡散臭いけど演義よりずっとやり手で面白い 曹操による徐州虐殺って創作ではほぼ無視されるよなぁ
演義のほうが曹操美化してるのに史実の曹操は正義だったみたいに
アベコベに理解してる人が多い 曹操って部下に裏切られまくってるけど、人望がなかったのかな? マンコは美味しいし気持ち良すぎるし病み付きになりそう
さすが欲求不満の豊満熟女だけあって激しかったわ
最高のバキュームフェラだった 曹操は合理的なリアリストだから
儒教の価値観が一般的だった当時では曹操が煙たかった人間は多いだろうな 蜀は逃亡したり寝返る人なら結構いるんだけど
魏は勝てないまでも一矢報いようみたいに命がけで謀反起こす人が多かった ??そういうやつが少なかったからあっさり司馬氏に乗っ取られたんでしょ これで通報されるのであれば、
一人で困っている子供の手助けをしないと断言している人々のほうが正しいな
親だからとりあえず無罪放免になった 講談の題材として人気が出たのは戦い続けたことそのものの面白さが一番かもね
義理の祖父から三代培った財力と人脈を駆使して中原の覇者まで駆け上がった曹操が
英雄としてほとんど同等だが俺より少しだけ策が遅いと評したのが一代で国を興した劉備だった
時流を掴んだ風雲児に遅れてきた英雄が対抗し通したなんて創作ならともかく歴史を紐解いてもあまりないから 陳寿「劉備は度量の広い英雄」
陳寿「曹操は能力は最強」 演義は劉備ageとか言ってるけど
本質は魏呉の糾弾だろ
よく後世の歴史家が〜とか後世に汚名を残す〜とか言うが
まさに詩歌や書で悪だと糾弾される一例が演義なんだろう
二千年叩かれて以後二千年も叩かれる運命なんだよ 平話時代も民衆には劉備軍が人気だったらしいからもっとウケる話書こうとモリモリ盛って演技作ったんだからしょうがない。 いや隋代に桃園の伝承を元に三義宮が建てられてから説三分や全相平話まで
巷間では張飛と蜀漢の贔屓が行き過ぎていたものだから
それに対して演義は士大夫目線である程度軌道修正を図った話なんだ
諸葛亮の主人公化もあるがそれだけでなく曹操の活躍や詩も積極的に取り入れて悪玉に止めなくしたし
結末も劉淵が蜀漢の末裔として勝利する話から正史をしっかりと引用した晋による統一に書き直された コメンテーターにわざと無名な起業家や弁護士を起用しているのは、狙いで?それとも志らくに法外な報酬払うからギャラの関係でかな? 演義の成立は異民族の侵略を受けて漢時代を尊ぶ民意を受けてだろうし
それゆえ漢復興を唱えた劉備が是とされ曹操は悪とされ呉も戦犯にされた
けど現実として華南に疎開してる魏の華北の末裔や呉の末裔らが名家名士として相変わらず残って力も持ってただろうから
初期の講談の通俗演義をどんどん修正したんだろう
水滸伝も悪者は朝廷の悪臣となってるけど
本来は皇帝だったんじゃないのか
それが弾圧をうけて、皇帝は悪くないよ、佞臣がいたんだよってあたりで妥協されたんだと思う
時の政権に何度も発禁されたらしいし、講談の興行自体が出来なくなるのはマズいもの
同時に、現存する演義で悪役にされるヤツっていうのも理由があるのかもしれない
たとえば、その時の版の時代に三国時代の子孫で幅を効かせてる嫌われ者がいたせいかもしれない
つまりその時代のそいつを叩くために祖先を悪者にしたという感じで
結局劉備は正しかったわ
演義が登場し2千年讃えられ、同時に曹操は悪と糾弾され
現代でも漢への憧憬は中国人の心にある
いま漢ブームが来てるとニュースになってた
日本で言うなら江戸時代や機内なら平安時代などを尊ぶ気持ちに近いんだろう 陳寿は
亡国蜀に心から好意的な論調だけど
魏は評価高いけど大本営発表って
感じで気合い入ってないよな。 志らくさんは普通の日本人の感覚を大事にされてると思う
正義感が強くモラルや感情、自身の持つ常識で物事をジャッジする男気あふれる人だ
不勉強でも開き直る、人の話も聞けない、自身を道化にすることもできないMCにしちゃいけないタイプだね 南宋期からは特に朱子学が盛んになり官でさえ一時は蜀漢正統論が主流化した
陳寿の三国志も非難され蜀漢を正統とする史書がいくつも編まれたくらいだ
その中で演義は伝承に溢れる蜀漢贔屓を汲みつつも実際歴史はこう進んだと伝える優れた一冊だった
ただ劉備の描写は数々の逆境を柔軟に乗り切って遂に国を建てる歴史上の英雄的な活躍を
戦いは主人公達に任せて専ら理想を唱える三蔵法師的な伝承上の聖人君子役と整合させられず
ともすれば部下任せの偽善者として批判される半端な印象を作ってしまったな
まあ他にも水滸伝の宋江など主人公陣営の大将が損な役回りを担うのは伝統的でもあるが もし漢中王劉備がいなかったら、漢から魏への政権交代はもっとエグい形で行われてたかな? 陳寿の時から劉備は英雄だけど
曹操は虐殺ばかりやってるからな。 >>971
曹操の虐殺って徐州くらいしか思い浮かばない。
長坂って民を虐殺した記述あったっけ? 巡|⇔|東京燕|大阪牛|中日竜|北海熊|阪神虎|千葉鴎|広島鯉|東北鷲|横浜星|埼玉獅|巨人兎|福岡鷹|
―|―|諸葛亮|関羽雲|曹操猛|関羽雲|関羽雲|司馬懿|周瑜公|曹操猛|諸葛亮|関羽雲|関羽雲|諸葛亮|
@|抽|―――|―――|―A―|―D―|―――|―単―|―単―|―――|―――|―――|―――|―B―|
外|抽|荀ケ文|陸遜伯|―――|―――|荀ケ文|―――|―――|郭嘉奉|荀ケ文|陸遜伯|張遼文|―――|
外|抽|―B―|賈詡文|―――|―――|龐統士|―――|―――|―単―|賈詡文|―A―|―単―|―――|
外|抽|―――|徐庶元|―――|―――|―単―|―――|―――|―――|―A―|―――|―――|―――|
外|抽|―――|―単―|―――|―――|―――|―――|―――|―――|―――|―――|―――|―――|
A抽|趙雲子|孫策伯|姜維伯|ケ艾士|夏候惇|夏候淵|馬超猛|黄忠漢|孫堅文|孫権仲|魯粛子|劉備玄|
B抽|法正孝|陳羣長|張昭子|荀攸公|許緒仲|鐘会士|馬良季|甘寧興|太史慈|魏延文|陸抗幼|田豊元|
C抽|張郃儁|張飛翼|呂蒙子|張 角|司馬師|杜預元|司馬炎|諸葛格|程〇仲|典 〇|張鉱子|徐晃公 |
D抽|曹丕子|龐徳令|周泰幼|諸葛謹|泪 授|文 醜|華 雄|蒋苑公|費偉文|赫昭伯|文 鶯 | 曹彰子 |
E抽|賈充公|沙摩柯|関興安|張 苞|泪 授|文 醜|華 雄|蒋苑公|費偉文|赫昭伯|文 鶯 | 曹彰子 | 吉本にしたらエージェントよりマネジメントの方を優先するだろうから
ゆくゆくは吉本経由の仕事は無くなるよね >>972
官渡では捕虜生き埋め
それ以外に
張邈戦
呂布戦
鄴攻めでもやっとる つまり取り消し処分なんか後でやるんだから新規にテイクアウトの分打って差額返金すればいいだけ。
この店員がどんくさい。堀ちえみもわざわざブログでいやらしいが 蜀漢正当論は東晋の頃から既にあった
南朝による中原の制覇のイデオロギーを持つ国家にとって
悲壮な覚悟で北伐を繰り返した諸葛亮はモデルとして最適だったんだな
君臣のあるべき姿としても理に適った教材になったそうだし 南朝は北伐よりも内紛が盛んでやがては王朝も次々と入れ替わって衰退したけどね
にも関わらず今度は南朝を滅ぼして統一を果たした鮮卑系の北朝隋で
それも河北の楼桑村に正史にはない「桃園の誓い」の三義宮が建てられてる
次代の唐詩でも三国時代の蜀漢について度々題材にされたし
特定の状況やイデオロギーに限らず官民とも広範に数世紀前の特異な地方国家を伝え続けたんだ 袁譚征伐のときに迎えた袁譚娘を送り返してから袁譚一族族滅はなかなか鬼畜度 人徳云々は多分に作者の贔屓が入ってるがアンチ曹操派後漢派からは神輿として重宝されたってところか ふと気づいた
それぞれ魏と呉の政治的中心人物になった陳羣と潘濬が、どちらも一度は劉備の配下になっていながら、流出してるんだよな
望んで能動的にサイナラしたわけじゃないにせよ ∧_∧(゚┏┓` )∧_∧
ミ( <●> ┏┓ <●> )ミ
.c(,_uuノ し〜U〜
(´┌┐`) 劉備でござる。
ノ゙゙゙ ハ ヽ
`〜ェ-ェー′ >>982
陳羣は劉備の放浪癖を思うと劉備の下を離れるのは必然だったと思うけど
地方に割拠出来た後に配下になった潘濬は勿体ない
やっぱ髭が悪いんだよ… 潘濬はあの時代を代表する名臣だよね
武廟六十四将の文官版があったら確実に入りそうな
ほんと髭が(以下略 太田光:「お前が500回って言うなら30回」ってどういうことだ?
田中裕二:ふふ(笑) >>985
新版で関羽は思いっきり評価を下げていたな ujimushi no yoriatsumari^^^ 俺の家の裏に、やしの木みたいな苔がびっしり生えてたんだが
ここ10年くらいで全滅した 孟達の流出も結局は劉備の器の無さだよ
諸葛孔明が実質の君主になったら帰参しようとしたし 孔明が孟達の帰参を許したかどうかは怪しいなあ
兵は許して孟達は斬り捨てたかも知れない 孟達は魏に降った後、曹丕やその取り巻き以外の人間と関係が築けず孤立して
最終的にまた寝返ろうとした
そういう輩に裏切られたからと言って劉備に傷はつかないよ 諸葛亮を仲間にした人
これがなければ早々に退場だわ うちはキョンキョン世代ですけど、共産党から出馬はさすがに引くわ… 天地真理のヌードくらい引く >>997
荊州で諸葛亮等のブレーンを得るまでの足跡も重要だろう
ささやかな義勇軍の旗揚げから有力者に翻弄されながらも自分の旗を持ち続けたのが大きい
劉備の転戦抜きには中原から南部に逃れた人々も独立国家の樹立までは経験しなかった
豪族の集合体だった呉が単独で曹操の南進を突っぱねるとは考え辛い
仮に曹魏が孫権・劉璋の早期降伏で一旦統一に漕ぎ着けたとしてその先が問題だ
急進的過ぎて皇族も軽んじる曹魏は短期で有力諸侯に実権を奪われ内乱の多発は避けられない
やはり弱ったところを異民族に乗り込まれ漢化が進むまで対抗した南朝も成り立たずに詰んでいた >>999
魏、呉じゃなくて他になんて名乗れば良かったと思ってるの?
魏も呉も勝手に名乗ったわけじゃなくて、
曹操は献帝に魏公に任命され、孫権は曹丕に呉王に任命されてる。
劉表や袁紹にそういう野望があったかどうかわからないけど、そもそも力不足。
その力もないのに勝手に皇帝を名乗った袁術の末路は悲惨だったし。 このスレッドは1000を超えました。
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