>>893
袁紹のくだんについて
袁紹と曹操とは官渡前もなんだかんだ小競り合いしてる。于禁伝とかにある。
袁紹自身が腰を上げたのは、張繍・呂布・袁術・劉備と、曹操に対する尖兵(必ずしも袁紹が糸を引いてるわけではないけど)が全部退けられてたからじゃないかな。
劉表は張羨のせいで援軍むりぽだったし。劉備が逃げ込んだのとはあんまし関係ない気もする。劉備のせいで仕方なく開戦せざるをえなかったにしては準備がいいし。


陶謙軍への残留は陶謙の意向だし劉備が非難されるべきでもないような。同僚の田楷もあっさり劉備を徐州に置き去りにしてるし。
劉備が徐州を継いだっていうのも、陳羣とか孔融とかの、陶謙以外の士人にも強く推されてのことだし、やっぱり充分に信頼はあったんじゃないかなぁ。
徐州に袁術が入って来るのが嫌で劉備立てたみたいだし。


董承達が露見して殺された建安5年以前に叛いたっみたいだし、曹操暗殺計画における劉備の徐州挙兵は内外呼応する、みたいな見かたは出来ないか?


んで、劉表に鞍替えしたって言ってるけど、劉表は袁紹の同盟者だし、所属陣営は変わってないと思う。
劉備と袁紹はだいぶ隔たってたしね。
民を盾にしてってあるけれど、妻子さえ戦禍に巻き込まれるくらいには劉備軍は押し留まっていたわけで。まぁ結局劉備とその供回りは逃亡した、といわれればそうなんだけど。
本当に盾にするつもりだったら軍を分けて江陵抑えとくなりするだろうし、まして妻子は先行させるに違いない。そして劉gの病死は誰のせいでもない


そして赤壁では劉備も戦ってる。孫権軍のほうが多いけど。一方的に守られたというわけでもないでしょう。孫権も自分の領土を守るためなわけだし、たんなる利害の一致。
そして荊南四郡の火事場泥棒っていってるけど、見たかを変えれば周瑜の江陵戦を援助した形になるし、あとに正式に貸与されてる。
妹の件も劉備は渋ってるし、益州を得たら孫権妹は帰国してる。それを劉備側も咎めないし、大した問題にはならないのでは。




ところどころ劉備が「疫病神」であることとは無関係のこともある
なんだかなぁ