【漢の忠臣】劉備という人をどう思う?【逆臣】
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
>>820
一端どころじゃない
変に再評価する向きもあるが
金儲けとしての公職就任を容認して民衆に塗炭の苦しみを与えて潤った金で
反乱に対抗する近衛軍を新設して王朝を守ろうなんて馬鹿な話があるか
曹家はそのえげつない銅臭政治によって一気に高位を得て地盤を固めた
梟雄達の代表格だからな 言っても初期曹操は袁紹の一将軍にしかなれなかったわけじゃん? やっぱり直接的につながりもった袁家のほうが諸侯に影響力があったわけで >>822
裏を返せば代々三公を輩出した名門袁家が早くから無視できない勢力だった
父親からして財力に物を言わせて最終的には三公の一つ太尉の位まで買い
その下で曹操自身も20歳から孝廉に推挙され早々と出世し一度退いて郷里で地盤を固める余裕さえあった
それもそもそも霊帝のズレた施策によって九卿や三公すら買うことを許されたお陰だ >>823
そりゃね、どんな理由があれ大官の子だからね
それでもやっぱり実力を以てのし上がるしかない程度の勢いだったってことよ
簒奪云々は易姓革命を良しとするかしないかの話になってくるけど、曹父子においては簒奪が成功したのを褒めるべきだと お前らが劉備曹操をお互いに貶した所で
当人達は相手を英雄と認めたり死に際して弔問の使者送ったりとリスペクトしとる
まあその使者を殺したドSはいるけど >>828
落語(特に古典)は、決まったストーリーを話術と表現力を駆使して面白く演じることが一流の証だから
たとえ笑点が台本通りだったとしても面白く演じることができなければそれは能無し
つまり三平だけは著しくレベルが低い 張飛ってクズやんならつるんでる劉備もクズなんよ(笑) >>807
100%完全同意
劉備はゲームならなぁ。クズには見えない(笑) >>832-833
おまえら演義アレルギーの馬鹿さ加減わざとアピールしてるんじゃないだろうな? 演義アレルギーは少なからず誰でも発症するのでセーフ おまえらみたいな世間的影響力もない歴史にも名すら残らないカスが、歴史に名を残した人物を貶めるとか馬鹿か ( " ё ゛)徳島は新外人FW二人は強力だけどそれ以外が抜かれすぎてるのがなぁ 赤壁や漢中とか以外殆ど曹操に負けてるイメージや
若い頃はならず者のイメージが強い
そんな感じ
でも義理を重んじて人を引きつける魅力は有りそうだよね >>849
元は有力者には程遠く名を上げて拠点を譲られるに至っても
曹操軍に蹂躙された直後の徐州や新野といった対抗しようのない土地ばかりだったから
逆にあの段階の劉備軍に負けるなど曹操やその配下の沽券に関わる話だ
それでも勝てるところは勝ち逃げるところは逃げて私兵集団を維持した劉備の強かさがなければ
後年参謀を得て国獲りを果たし曹操軍も撃退して体制を固めるなど夢物語に終わっていたからな >赤壁や漢中とか以外殆ど曹操に負けてる
曹操劉備の直接対決って
それ以外だと徐州、汝南、長坂しかないじゃん
2勝3敗なら互角といってもいいくらいだ そこを狙われたらお終い
それに、俺なら一騎打ちしてても相手が打ち込んでる間に弓の名人に毒を塗った矢で狙撃させるけどな 劉備の周りの漢の遺臣に担がれて皇帝名乗っただけじゃないの?
山中鹿介に担がれた尼子勝久みたいな存在で。 オカンが理不尽に暴れてるのを協会の誰も制御出来ないんだもんなあ
海老名はほんと落語界のガン 三平も同罪 >>860
曹操という祖父の代からの地盤、人脈、財力を糧に中原を制し新たな統一王朝創設を伺う時代の寵児に対して
劉備という泡沫的な私兵集団の中からのし上がったやり手がこっちはなんなら漢王朝続くぞともPRしただけの話
名乗ったのは前漢のとりわけ子沢山だった皇子の子孫で血統至上主義者が目の色変えて皇帝に据える程の貴種じゃない 確かノムさんが、野手出身、特に外野手出身の監督は、
現役時代から守備の時にボーっとしてて、ろくに頭を使ってないから最も無能と言ってたがその通りだな 中央政府の実権、兵権を完全に握った上に遷都させた土地の王位にまで就いた(無論世襲される)
しかも皇帝の近臣や元の皇后、皇子を全て斥けて自分の娘を皇后に据えている
ただ対抗勢力を倒せないまま年老いたから簒奪の実行だけは次代に託した=忠臣とは普通言わんわな まあ関羽の敵討ちとか言って一時の感情で物事の大局を見誤って
蜀の国力や無駄な死人を出したのがあるからな
こんな短絡思考の人間が天下を取れば国が乱れて崩壊する可能性はあるわな
それに比べ曹操は赤壁の事業で失敗したけど
結果的に国力や経済を高め
天下統一したからな
漢の忠臣と言えば曹操
劉備なんて所詮は偽善者に過ぎないよ ( *'-'*)中学生に幼稚って笑われる生き方しか出来なかったんですか? >>869
まず為政者として治績があってもそれで簒奪へ向かった事実が掻き消されて忠臣と言えるわけはない
何より曹魏は簒奪から30年足らずで実権を奪われその16年後には逆に簒奪に遭って天下統一などしてないぞ
また当時の北と南の国力差は中原と北部国境を重視した漢王朝四百年の施策により元から大きかった
むしろ劉備が孫権に抗戦を働きかけ赤壁・荊州・漢中等で曹操軍を退けて三国鼎立の態勢を整えなければ
南部はロクに開発されずその後中原が塞外民族の争奪戦に沈んだ時点で漢民族は立ち行かなくなっただろう
たちまちの大敗で断罪はできないというなら曹操だけでなく劉備にも当て嵌めないと公平性に欠ける 元木は現役時代に練習時、若手に体重移動の方法とかバットの出し方とか教えてたくらいだし指導はうまいよ。落合が褒めてたところはこれ
稲葉がよく言う自分の打撃フォームは高校時代の元木の左打者版てやつでしょ >>871
まあ簒奪でもしないと中華自体がよくならないから仕方ない
あの当時は今のジャップランドみたいに政治腐敗や役人の不正が横行してた時代だからな
そう言う腐敗を無くして天下万民を幸せに導くには劇薬が必要
その劇薬なのが曹操と言う人間だっただけの話
それに、曹操はどっかの大手のボンボン社長の様な派手な生活はしなかったくらいだからな
そう言う意味でNOB織田とは対照的だと思う >>873
いや死後に手厚く葬られても味わえやしないから止せと命じただけで
生前は祖父の代からの資金力に飽かして銅雀台をはじめとする三台の大宮殿を設けて栄華を誇ってたんだが ( *'-'*)病的な粘着質だとアピールし続けていただけじゃないんですか 国を論ずるにはまだ早い
経済を論ずるにはまだ若い
それが玄徳さ ただ他はもっとひどい
他人と同じ事をしてても、勝てないぞ
人生を勝ち抜くためには、た、まに出し抜きも必要だ
さらに維持するには、謀反を承知で、他人と違う事をして他人を欺いてなんぼ、だと曹操が語っていたよ
つまり、右向け右で右を向いている人は、忠義の士という事だ
内心、違う事を考えてなんぼ.人と同じ発想ではいくさは勝てん
他人を欺き、己を律する事から始めよ、と、孫権中将が申していたそうだ.つまり大将は俺.
さーいけ、いざいかん鎌倉に! ☆☆☆ 放射能はダークマターで危険なので原発は廃止してください!
★★★ 今、日本の総人口が急減しています! 文春がコーディネート会社ではなく
日テレで出したセット設計図や発注書など証拠品入手してたら
コーディネート会社独断での言い訳できなくなるけどな 蒼天キングダムの片隅で漢を叫んだ仁義なきボヘミアン野郎・Aチーム ベースに滅びて尚人気があるからこそ後の王朝も正統論に引っ張り出せたんだ
史書よりは説話や三義宮に伝わり千何百年にも及ぶ人気はトップダウンで成り立つものじゃない
逆に近代になって清を滅ぼし西洋合理主義に倣う新たな民主/共産中国を築こうとした革命家達が
古代中国でもより合理的で正しかったのは曹操だとする価値観も改めて必要とした 疫病神とはどうしようもなく迷信的な言い草だな
錯綜する群雄割拠状態なんてそう長くは続かずいくつかのまとまった勢力に再編される
一介の義勇軍から滅び行く泡沫勢力を渡り歩いて自前の勢力を築いたリアリストを嫌うのはまあ自由だが
約1800年後に生きる現代人がそんな知性の欠片もない罵声しか浴びせられないものかね? チンピラの親分で、他人を踏み台にのし上ったリアリストで
寄生された奴らには疫病神だった。それが劉備だろ?
この板は、だいたい知性を軽視する書き込みばかりだけど?
その時点で最大勢力だった袁紹を、泡沫勢力と言うような奴
意見の相違と言うよりも表現が気に入らないだけで、書き込んだ奴自身も否定するような奴が
知性云々言えた義理ではないな。 劉備は袁紹に仕えてはないぞ
同盟を結んだが曹操軍を挟撃する好機に「子供が病気なんで」と袁紹に遠征軍を断られたんで
仕方なく徐州を放棄して客将になっただけ >>887
さよか。史実を捻じ曲げるのなら、どんな珍説でも言い放題だわな。
馬鹿馬鹿しい。 あらら逆切れしてますやん
ステレオタイプな演義嫌いの域を一歩も出んようなことしか言わんで史実を捻じ曲げるのならってあんた >>889
ほうほう。逃げるのを引き止めたな、お前。
じゃあ、配下じゃなくて客将だったら他人を踏み台にしてないというのが、どういう理屈なのか説明してみろよww
そんな雑な理屈で他人にケンカ売っても、恥かくだけだぞ
えらい勢いで下手な挑発してくるけど、
どこぞで論破されてきて、バカしか居ない板に来てストレス発散か?
底の浅さが丸見えの恥ずかしいヤツだw >>890
逃げるの引き止めたなって自分で言うてますやん
セコセコ小出しに叩いてたら誰にも反論されんぞと思ってたならご愁傷様
劉備は袁紹の客将として汝南を撹乱する役目果たしてますよ
おかげで官渡には決戦の本隊にもかかわらず寡兵しか展開できず撤退まで考えた曹操軍相手に
冷遇した部下の裏切りと烏巣急襲の報にもマズい決断下して負けたのは明らかに袁紹のミスであって
疫病神のせいなんかじゃないのもご存じない? __
彡__ \_
(・・) ○)
/‥ ( |
( Θ ) \ >>891
威勢がいい割には、反論のレベルが低いじゃないか。
劉備を疫病神呼ばわりは、だいぶ盛った表現だし
不当だと言いたいなら、袁紹に限定しなくてもいくらでも反論できるだろ。
袁紹は劉備のせいで滅んだわけではない。そりゃ当たり前だろw
しかし、関係の悪化してた曹操と袁紹が、開戦するきっかけを作ったのが劉備。
曹操を裏切った劉備が、袁紹に付いたせいで、戦いは避けられなくなった。
だから、戦犯ではなく疫病神と言う。
公孫サンに取り立てられたが、援軍で徐州に行った所そのまま陶謙に付き、戻らなかった。
陶謙にも信任され、曹操の徐州侵攻で何ら役に立たなかったにも拘らず、なぜか陶謙から徐州をもらい受ける。
呂布に徐州を追われて曹操を頼り、厚遇されるが、曹操暗殺計画に加担した上、徐州を乗っ取って独立する。
董承の曹操暗殺計画に加担したが、露見する直前に徐州へ転出して難を逃れ、同志は見殺し。
暗殺計画以前は献帝に忠実だった曹操だが、これ以降態度を変え、漢王朝をないがしろにし出す。
曹操を裏切って袁紹を頼るが、袁紹が官渡で曹操に敗れると、あっさり見限って劉表についた。
曹操が荊州に攻めいった途端に、劉表が死んでしまい、後継の劉jはあっさり降伏。
自分を慕う民を盾にして、曹操軍の追撃から逃げ延びる。
劉表の子劉gは、劉備に擁立されるも、すぐ病死。
孫権を頼り、赤壁で曹操を撃退してもらうが、荊州南部を火事場泥棒して独立。
孫権が妹を娶らせて懐柔しようとするも、妹はもらったが独立したまま従わない。
劉璋が援軍を求めてくると、それに乗じて蜀を乗っ取る。
曹丕が禅譲を受けると、密かに劉備に期待する中原の漢の忠臣を見捨てて漢の皇帝に即位。
関わった者がことごとく不幸になる、立派な疫病神だろう。  ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
__
彡__ \_
(・・) ○)
/‥ ( |
( Θ ) \ >>893
今度は20行を越えるとりとめのない長文か
適当に事跡を並べてちょろちょろと劉備のせいだと強調する解釈を入れるだけで証明できるのは
あんたがいかに「疫病神の劉備め」と古代史の英雄を親の仇のように嫌ってるアンチかただそれだけだ >>887
それ、于禁伝に袁紹出兵の記録があって偽筆だと証明されたのでは >>893
袁紹のくだんについて
袁紹と曹操とは官渡前もなんだかんだ小競り合いしてる。于禁伝とかにある。
袁紹自身が腰を上げたのは、張繍・呂布・袁術・劉備と、曹操に対する尖兵(必ずしも袁紹が糸を引いてるわけではないけど)が全部退けられてたからじゃないかな。
劉表は張羨のせいで援軍むりぽだったし。劉備が逃げ込んだのとはあんまし関係ない気もする。劉備のせいで仕方なく開戦せざるをえなかったにしては準備がいいし。
陶謙軍への残留は陶謙の意向だし劉備が非難されるべきでもないような。同僚の田楷もあっさり劉備を徐州に置き去りにしてるし。
劉備が徐州を継いだっていうのも、陳羣とか孔融とかの、陶謙以外の士人にも強く推されてのことだし、やっぱり充分に信頼はあったんじゃないかなぁ。
徐州に袁術が入って来るのが嫌で劉備立てたみたいだし。
董承達が露見して殺された建安5年以前に叛いたっみたいだし、曹操暗殺計画における劉備の徐州挙兵は内外呼応する、みたいな見かたは出来ないか?
んで、劉表に鞍替えしたって言ってるけど、劉表は袁紹の同盟者だし、所属陣営は変わってないと思う。
劉備と袁紹はだいぶ隔たってたしね。
民を盾にしてってあるけれど、妻子さえ戦禍に巻き込まれるくらいには劉備軍は押し留まっていたわけで。まぁ結局劉備とその供回りは逃亡した、といわれればそうなんだけど。
本当に盾にするつもりだったら軍を分けて江陵抑えとくなりするだろうし、まして妻子は先行させるに違いない。そして劉gの病死は誰のせいでもない
そして赤壁では劉備も戦ってる。孫権軍のほうが多いけど。一方的に守られたというわけでもないでしょう。孫権も自分の領土を守るためなわけだし、たんなる利害の一致。
そして荊南四郡の火事場泥棒っていってるけど、見たかを変えれば周瑜の江陵戦を援助した形になるし、あとに正式に貸与されてる。
妹の件も劉備は渋ってるし、益州を得たら孫権妹は帰国してる。それを劉備側も咎めないし、大した問題にはならないのでは。
ところどころ劉備が「疫病神」であることとは無関係のこともある
なんだかなぁ >>896
まあ于禁伝によれば袁紹軍など于禁が延津を守れば進めず于禁が攻めれば蹴散らされ
官渡で優位に立ってさえ于禁が土山を守れば盛り返される始末だったからな 各伝の記述を折衷するなら優柔不断な袁紹は子供の病気を理由に挟撃の好機にも寡兵しか動かさず
延津の于禁に撃退されると攻勢に転じられてもしばらくはそのまま引き下がっていたことになる >>898
于禁が曹操の帰還まで耐えたのはすごいよなとは思う。
でも結局、汲・獲嘉まで進んで打ち破っても原武→官渡と後退していってる
どれだけ崩されても確実に戦略目標を達成していった袁紹軍すごいわ。やっぱ顔良文醜戦死後も勢いが衰えないだけある >>899
寡兵と決め込む根拠は、二千の于禁軍でも耐えられたからか?
「子の病気云々」は袁紹の優柔不断さをアピールするための曲筆に見える >>901
劉備との挟撃を図った大軍が出動しながら于禁に沈黙させられて逆に守備地の蹂躙まで許す事態に陥ったなら
曹操軍を官渡で窮地に立たせる機会などその時点で絶望的だろう >>902
多分楽進と行動してるし、曹操は官渡か延津に帰還してるとおもう
袁紹軍もたしかに本隊ではなさそう。なんでだろう  ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
__
彡__ \_
(´`) ○)
/‥ ( |
( Θ ) \ >>893
>>897
劉備が疫病神と言うのは、
劉備が直接の原因じゃないけど、関わった相手が全部不幸になってる事から、劉備を揶揄して言うんだよ。
要するに、結果論のこじつけ。
そんな長文で必死にやり合うような事じゃないのに。 >>893なんかはほとんどユダヤの陰謀論レベルじゃん
よくもまあここまでくだらんコピペを探してきたものだw 北から南へと流転の末に国を興した劉備があえなく滅びる多くの群雄と関わるのは当然の成り行きだが
そもそも平凡な生き死にが許されず不幸な最期が続出する時代が戦乱の世ではないか
そこを乗り切った英雄を疫病神とは本当にバカバカしいレッテル貼りだ
この時代の極悪人は銅臭政治をはじめ後漢を戦乱に追いやる暴政に加担した要人達で間に合っている 劉備擁護クンはバトる気満々のようだけど、疫病神って意味本当に分かってるのかな?
ネットで調べても、細かいニュアンスなんか出てこないよ? 広辞苑では「ひとに忌み嫌われるひとのたとえ」らしい
あれだけ必要とされてるなら辞書的な疫病神ではないな 裸一貫で皇帝にまで上り詰めた英雄であり、
誰からも好かれる、器の大きい仁徳の人であり、
聖人君子の皮をかぶった利己主義者だろ。 そもそも人の側面は様々ですしおすし
ただ劉備は信義の人な側面が強いと思う 内心どうおもってようが方針としてはだいたいそうだよな 誰も人々に嫌われる人のたとえという2つ目の意味では使ってないな
最初からアンチ側の言い分も全部滅んだ、不幸になったと本気で災いをもたらす祟り神扱いだし 織田と徳川のうち織田を好きな人は頭が弱い
劉備と曹操にも似たようなことが言える そんなおかしなこと思いついて公言しているやつの頭が悪いだけだよ まあ先代からの銭の力で時流に乗って一気に覇業を成し遂げる!…と思いきや不覚を取った信長と曹操なら
残された一族も元配下の天下人に取って代わられて地味にフェードアウトしていった点でも共通してるけど
順番が回ってくるまで信長にも天下人秀吉にも従属して最後に取って代わった家康と
曹操と戦い続けて長年後進地域に甘んじてた華南を鼎立に持ち込んだ劉備とでは共通点ないよな 秀吉こそ劉備に近いから太閤記が三国志演義に似ているわけだが 秀吉は最初身一つで放浪するものの十代の内に信長に仕えちゃうけどね レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。