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三国時代の文学スレッド
0001無名武将@お腹せっぷく
垢版 |
2011/12/12(月) 22:09:48.11
| 機
|*Д`)ハァハァ
雲 ノ )
゚ー゚)   ∧ ∧    ∧ ∧   .∧ ∧   ∧ ∧   ∧ ∧   ∧ ∧    ∧ ∧
( ヘヘ (´ω` )  . (´ー` )  (゚∀゚ *)  (´<_,` )  (´∀` )  (・∀・ )  (‘∀‘ )
 ̄  //王\ / 徐 \ / 劉 \/ 孔 .\/ 応 \/ 陳 \/ 阮 \
   .\) .粲ノ/\) 幹 ノ/\) 驕@ノ \)融 )/\) 瑒ノ/\)琳 ノ/\)瑀 .ノ/
   ./ ◆<  ./..◆ <  ./..◆< ./ ◆<  /..◆<  ../..◆<   ./ ◆<  
  /  '´ ヽ).../  '´ ヽ...)../  '´ .ヽ. .((操)))/  '´ヽ..) ./  '´ヽ..)/  '´ヽ )
∠/   ノノ∠/ ∧ ∧/   .  ノノ  (・∀・)っ   ∧ ∧    .ノノ     .ノノ
           (; ゚Д゚)  。・゚・⌒)  (つ   /.  .  (゚∀゚,, )
            / 丕 o━ヽニニフ )) |  (⌒)  〔~植∪ ̄〕=
           しー-J    彡   _ し⌒^    ◎――◎=


後漢末期の建安年間とその前後には、唐代以前の詩聖・曹植や
曹操・曹丕・曹叡など曹家の偉大な詩人たち、建安の七子などが
たくさんの優れた文学作品を残し、中国文学を著しく発展させました。
三国志の戦いや武将、社会情勢などが、
それらの漢文の重要な題材や背景となっています。
また、後世の中国・日本の文芸の題材にも、
三国志の英雄たちは多く取りあげられています。
文学的な側面からも、歴史・人物的な側面からも、
真面目に語るも気ままにだべるも良し。マターリ楽しみましょう。
三曹でも西晋でも蘇東坡でも土井晩翠でもなんでもおkかとミ ・∀・ ミ

まとめサイト
http://www.geocities.jp/sangoku_bungaku/
0258無名武将@お腹せっぷく
垢版 |
2014/07/27(日) 16:21:18.68
●典論-論文の特徴
 まずは以前にこのスレであがった訳 ttp://www.geocities.jp/sangoku_bungaku/so_hi/tenron.html
 特徴は、「六朝芸術論における気の問題(ttp://hdl.handle.net/2433/66784)」でも指摘されたように、気の概念を文に持ち込んでいること。

・人は何らかの「気」を、生まれつき持っている
 「徐幹は時に斉気有り」「孔融は体気高妙、人に過ぐる者有り」、「輿呉質書」の「逸気」
・気は、人によって違う。>.503で指摘されているとおり、親子兄弟でも違うし、勉強してどうこうというものでもない
 「文は気韻を以て主となす。気韻の清濁は始めより定体あり」
 これは努力しても父親のようにはなれないという考えもあるか。曹丕は父親作と疑われる作品(善哉行)があるぐらいで、似せた説の根拠のひとつ。
・気は文章に反映される
 たとえば斉気を持つ徐幹の作品には、斉気が反映される。

 最後に、おなじ文でも栄達目的の文は駄目で、後世に残すには、千年後に残そうという意思が必要とある。
 これは詩人玉屑(宋代)では、「魏文帝曰『文、以意為主、以気為輔、以詞為衛』」、ようは意志を主とし、気を補佐とし、詞文が周りを囲む(容器)という概念だと指摘されている。

 曹丕がここで触れたのは、文章にも、人間の体と魂のような概念を見出せる、というもの。
 曹丕の作品は短歌行、寡婦、秋胡行など、楚辞の単語を引用している。
 楚辞は、国殤に「身は死ぬも精神は霊となり、魂は鬼雄となる」とあるように、肉体と魂の違い、魂や精神の永続性を基点に置いている。
 文章は、翰墨という体と、意気という魂を持つ。
 人の体は朽ちるけど、文学は不朽の形に永遠の魂がこもるから、不朽であり大業となりうる。
 なのに人間の寿命と一緒に消えてしまう栄楽をもとめて書くから、文章に魂がこもらず、脱け殻だけが残り、散逸していく。
 あるものを、あるがままに評価できるからこその、合理的な文章だと思っている。
 居るかどうかも判らない仙人と違い、文章が実際に千年以上受け継がれてきたという意義と実績を認めるから、その不朽と大業を評価したのが典論だとね。

 ちなみに曹植が論文の章で挙がっていないのは、記述された時は曹植が生存しているため、肉体の定命と魂の永遠を対比させる例として不適切だからという一面もある。
 まとめに掲載されていないぽい折楊柳行、善哉行の原文と訳、解釈は、今回は長くなるのではしょる。必要ならうpるけど。
0260無名武将@お腹せっぷく
垢版 |
2014/10/13(月) 12:45:36.28
人のいる気配もないが、取り敢えずまとめサイトに無かった曹丕のやつ置いていく
白文だけでスマンけど
訂正やら補足やらあったらしてね

「善哉行 其二」
有美一人,婉如清揚。
研姿巧笑,和媚心腸。
知音識曲,善為樂方。
哀弦微妙,清氣含芳。
流鄭激楚,度宮中商。
感心動耳,綺麗難忘。
離鳥夕宿。在彼中洲。
延頸鼓翼,悲鳴相求。
眷然顧之,使我心愁。
嗟爾昔人,何以忘憂。

「猛虎行」
與君媾新歡,托配於二儀。
充列於紫微,升降焉可知。
梧桐攀鳳翼,雲雨散洪池。

「丹霞蔽日行」
丹霞蔽日,彩虹垂天。
谷水潺潺,木落翩翩。
孤禽失群,悲鳴雲間。
月盈則沖,華不再繁。
古來有之,嗟我何言。

「清河作」
方舟戲長水,湛淡自浮沈。
弦歌發中流,悲響有餘音。
音聲入君懷,淒愴傷人心。
心傷安所念,但願恩情深。
願為晨風鳥,雙飛翔北林。

「於明津作」
遙遙山上亭,皎皎雲間星。
遠望使心懷,遊子戀所生。
驅車出北門,遙望河陽城。
0261無名武将@お腹せっぷく
垢版 |
2014/10/14(火) 21:39:24.52
乙です
とりあえず「善哉行 其二」は、其二ではないとも言える
宋書樂志には記載されておらず、あとから追加されている説もあるから

ちなみに樂府詩集では其の一、其の二といった区分はされていない
中央研究院漢籍電子文獻での順番は、朝日樂相樂→上山採薇→朝遊高臺觀→有美一人の順

(以下、樂府詩集からの又引き)
>《荀氏録》所載十五曲,傳者九曲。武帝「朝日」「自惜」「古公」,文帝「朝遊」「上山」,明帝「赫赫」「我徂」,古辭「來日」,並《善哉》
《樂府解題(樂府古題要解とも)》
>魏文帝辭云『有美一人,婉如青揚。』言其妍麗,知音,識曲,善為樂方,令人忘憂。此篇諸集所出,不入樂志。
0262無名武将@お腹せっぷく
垢版 |
2014/10/14(火) 21:46:38.15
ネット上をざっと検索して訳がなかったもののみ、訳。前に別のwikiで仮訳したもので悪いが

*善哉行(有美一人)瑟調曲
美しき一人あり。婉如にして清揚。
うるわしき姿にして巧笑を浮かべ。心膓をなだめ和ませる。

音を知り曲を識り。善く樂方を為す。
哀弦のひびきは微妙にして。清気は芳しさを含む。

鄭曲は流れるように、楚曲は激しく。宮音が過ぎ商音へと変わる。
心に感じ耳を傾ければ。綺麗な調べは忘れがたい。

離鳥の宿る夕べ。彼の中洲に在り。
くびを伸ばし、翼で身を叩き。悲しく鳴いて相求める。

心引かれて、顧みれば。我が心を愁いに沈ませる。
ああ、なんじ、いにしえびとよ。何をもって憂いを忘れしや。

*於明津作
遙遙たり山上の亭,皎皎たり雲間の星。
遠景は心をして懐古せしめ,遊子は生まれし所を恋しがる。
車を驅せ北門を出で,河陽城を遙望す。
0263無名武将@お腹せっぷく
垢版 |
2014/10/14(火) 21:52:56.63
おお、乙です!
wikiというと三國志7の漢詩大会の項を編集しているお方には敬服してまう
0264無名武将@お腹せっぷく
垢版 |
2014/10/14(火) 22:02:13.82
( ゚∀゚)・;'.、グハッ!!

……はい、その三國志7の漢詩大会の項(+三国志の漢詩wiki仮)でやんす>前に別のwikiで仮訳
閲覧および過大評価有難うございまつorz
0265無名武将@お腹せっぷく
垢版 |
2014/10/15(水) 00:51:38.55
すげースレに人がいるww
乙です!

>心引かれて、顧みれば。我が心を愁いに沈ませる。
>ああ、なんじ、いにしえびとよ。何をもって憂いを忘れしや。
漢詩には全く詳しくないけどこの辺読むといかにも曹丕っぽい感じだなーと思うw

曹丕の詩なら於玄武陂作が好きだ、何となく
0266無名武将@お腹せっぷく
垢版 |
2014/10/15(水) 19:53:01.25
>>265
兄弟で一緒に出かけて、アチコチの景色をみてたら、悩み事が吹き飛んだよ、って作品でしたっけ

曹丕はあと二十年は長生きして欲しかったです
史書の記述も違っていたでしょうし、老境に入った曹丕の作品も見たかったし、
陳琳に代筆してもらった手紙を曹丕にあっさり見抜かれた上にpgrされて、言い訳を陳琳に代筆して貰った曹洪さんみたいな被害者が他にも…
0267無名武将@お腹せっぷく
垢版 |
2014/10/31(金) 18:46:31.09
>陳琳に代筆してもらった手紙を曹丕にあっさり見抜かれた上にpgrされて、言い訳を陳琳に代筆して貰った曹洪さん
曹洪ワロスww
借金の話しか知らんかったけどそんなエピソードまであるのか

曹洪と曹丕ってそもそもあんまり相性よくないんだろな
逸話見る分には面白いけどw
0268無名武将@お腹せっぷく
垢版 |
2014/11/09(日) 19:22:46.42
>>267
文選に掲載されている為曹洪與世子書(為曹洪與魏文帝書)という奴ね
じっさいには曹洪か陳琳か断言できないけど、文選の編集者は陳琳の代筆と判断したってこと

ちなみに仮訳はこんなん↓

 十一月五日、洪が申しあげます。さきに初めて賊を破り、ついつい喋ってしまい、誇大報告が過ぎたようです。
 九月二十日の書を戴き、拝見し喜笑し、手に取ったまま飽きず、陳琳に頼み返事を書いてもらおうと思いましたが、琳も多事多忙にして作ることができません。
 ただ若君に楽しんでいただきたく、ゆえに自ら老夫の思いを尽くします。
 言いたい事が多すぎて、いちいち述べるのも何ですから、おおまかな要点だけあげます。笑い話の話題にして下さい。

 漢中の地形は誠に堅固なこと、四方の嶽や三塗山も及ばないほどです。
 敵側は、数万の精兵が高所にたてこもり要所を守っております。一人が戟を振れば、万人が進むことも出来ません。
 しかし我が軍がこれを進むこと、鯨が小さな網からはみ出し、元気の良い獣が魯の薄絹を破るが如し。などといっても、この容易さを表現するには足りません。
 王者の軍隊は出征あり戦いなしと言えども、不義にして強いものも、古から常にいるとおりです。
 故に唐虞の時代、蛮族が夏の地を乱し、周宣王の最盛期ですら、大国に仇なすものがおりました。詩書に掲載された欺きも、その難しさを言うものです。
 いずれも険阻の地を拠点として、中原からの遠さを当てにしていました。ゆえに難しい、全く良く言ったものです。
 ここで改めてこの地形を察するに、中才(中ほどの才能)の武将が篭れば、一挙に落とす事はほとんど不可能と言えましょう。
0269無名武将@お腹せっぷく
垢版 |
2014/11/09(日) 19:24:45.24
 頂いた手紙には敵の妖感の罪が陳列され、我が王軍の広く溢れんばかりの徳があがっております。いや全く手紙に記された通り。
 これこそ夏殷の滅びた理由、三苗氏が討たれ有扈氏が夏啓に征服された理由、吾々の勝つ理由、敵の破れる理由であります。
 そうでなければ殷と周はどうして敵対したでしょうか。
 昔、鬼方は聾味、崇虎は護凶、殷辛は暴虐、三人ともみな罪人の中でも下に置くべき存在です。
 しかし殷の高宗は三年かけて異民族を討伐し、周の文王は退脩の軍を率い、武王は盟津に再戦して勝利し、しかる後に戎を倒し殷に勝ちました。
 いまだ星流景集、旋奮雷撃、山河を長駆し朝に到着して暮れに勝つこと、我が軍のごとき者はおりません。
 こうしてこの他を見ますに、敵はもとより下愚に及ばず、すなわち中才の守りではないことは明らかです。

【来命】曹丕からの手紙?
【鬼方聾昧】鬼方は旬奴、聾味は暗愚
【崇虎護凶】殷の臣、崇侯虎
【殷辛】殷最後の暴君
【文王〜】崇侯虎の乱を聴き、文王は征伐に向かったが、三旬たっても降伏しなかったので、いったん退いて徳を修め力を蓄え、また討伐した

 敵将が中才か否かと言われれば、否と言えます。
 しかるに若君の手紙を拝見しますに、「思うに敵の悪は熟しており、古の孫武、田単、墨子、?の類がいたとしても、これを救う事はできまい」と。
 密かにこれを疑うております。
 なんなれば古の用兵は、敵国が乱れたと言えども、なお賢人が居れば討伐しなかったものです。
 ゆえに三仁が未だ去らないうちは武王は軍を返し、宮奇が虞国にいるうちは晋国も軍事を行なわず、季梁が在るうちは楚も謀略をかけませんでした。
 賢者らが他国に、或いは野に出奔し退いたとき、三国は廃墟となりました。
 国に道がなくとも、人がいれば救うべきことは明らかです。
 墨子の守りは、帯をめぐらせて作った垣でも、高くして登ることも出来ないものです。箸を折って作った械としても、硬くて入ることも出来ないでしょう。
 もし陽平関に防ぎ、石門鎮に拠り、八陣の列を並べ、斉将田単が牛の尾に火をつけ敵に走らせれば、どうして敵の崩れ崩壊しないことがあるでしょうか。
 もし(若君の手紙にあるように)守将の巧拙は関係なく、城を攻めるに全軍で一気に城壁をよじ登るべしと言うならば、公輸はとうに宋城を凌ぎ、楽毅は即墨を落としていたでしょう。それが出来なかったのは何故でしょう。
 墨子の術、田単の智が賞賛するに足らないといった評価は、私はまだ聴いたことがありません。
0270無名武将@お腹せっぷく
垢版 |
2014/11/09(日) 19:28:39.18
 さて。高唐(斉国の都市)を過ぎるものは王豹の歌に習い、唯換に訪ぶ者は藻?の綵を学ぶ(郷に入れば郷に従う)と聞いたことがあります。
 このごろ益州に入ってからは、司馬楊王の威風を仰ぎ、子勝の仁徳をもって文をしたためたいと志しております。ゆえにすこぶる文辞をなすこと、昔と異なります。
 もしや、魯人が孔子を知らずに軽んじたように、私の文章は人を雇って書かせたものだと言い合っていませんでしょうな。どうしてそんなことを言うのですか。
 それは駿馬が耳を野外で垂らし、鴻雀が翼を湿原に休ませるようなものです。
 これらの誤解をするものは固より庭園の凡鳥、厩の外にいななく駄馬のようなものです。
 馬の筋肉を鍛え、或いは強く翼を奮い、高く飛び、清い空に身を浮かべ、千里を見下ろすに及んで、ようやく他人は翼を晨風に借り、足を六駁に借りたのではないと理解します。私の文辞も同様です。
 恐れるのは、若君が、いまだ私の言を信じないで、大いに笑い飛ばすようなことであります。以上、洪が申し上げました。

【高唐】孟子「綿駒高唐に処りて云々」
【推換】唯河、換河。この間の地域では、藻績(あやぎぬ)が特産
【司馬楊王】司馬相如、楊雄、王褒。いずれも蜀の文人
【子勝斐然】子勝は墨子公孟篇、斐然は文章。論語に「斐然として章を成す」

原文はタイトルで検索すれば出るから略。適当に入力したものなので、誤字とかあったらスマン
0271無名武将@お腹せっぷく
垢版 |
2014/11/09(日) 22:52:15.25
曹洪の曹丕への謝罪文もそうだけど、
どこか人を食ったようでもあり、近しい関係でなければ出来ないような文面だと思う。
例の曹洪死罪事件てさ、ブック説ってないのだろうか。2代目当主権力誇示のための。

皇帝「アイツを死刑にしてやるーーッ」→家臣や親族による諫言「◯◯は先代よりの功臣」→皇帝「じゃあ、やーめた♪」
って結構、お決まりのパターンじゃないかな。実際に鮑ナントカさんみたいに殺されてしまったヒトもいるけどww
0272無名武将@お腹せっぷく
垢版 |
2014/11/10(月) 14:15:26.75
>>271
>近しい関係でなければ出来ないような文面

同感です。

>例の曹洪死罪事件てさ、ブック説ってないのだろうか。2代目当主権力誇示のための。

ブックなど政策上の態度+権力抗争の一環でしょうね。

前漢に王族の反乱が起きたことから、後漢は王族抑制政策上をとりました。
後漢は外戚と宦官の抗争がおきたことから、魏は王族や宦官の抑制政策をとりました。
曹丕は夏侯氏、曹叡は血の繋がりが弱い曹氏に権力を与えているので、外戚によってバランスをとろうとしたのかもしれません。

これに対し、曹植は周代の宗族政治に戻れ、兄弟のなかで不満をもった者が謀叛をおこすぞと恫喝めいた文章を送っています。
これも同族に甘えた馴れ合いの一種と言えます。
こうした馴れ合いは必要な面もありますが、ある程度は厳しくしないと、他の家臣に示しがつきません。
0274 【かん吉】
垢版 |
2015/01/03(土) 09:58:52.89
>>268
遅ればせながら乙です
何かこれだけ読むとそんな仲悪いって感じしないなw

手紙って人柄なり本音なり思いっきり出てて、詩歌とまた違う面白さがあるから好きだ
0275無名武将@お腹せっぷく
垢版 |
2015/03/04(水) 07:34:49.35
上巳記念カキコしようと思ってたのに忘れてた

酒にむかいてはまさに歌うべし(´・ω・)ノ▽甘酒ウメェ
0276無名武将@お腹せっぷく
垢版 |
2015/07/26(日) 10:00:34.97
>>256
>こんなに楽しい日々が永遠に続けばいいのに!という前向きな曹植と

それ前向きっていうんだろうか…
0277無名武将@お腹せっぷく
垢版 |
2015/08/01(土) 20:24:52.68
>>276
当時の公讌詩は、宴の見事さを詠んだうえで、宴の主人の栄光を詠んで〆る傾向があるから、前向きだと解釈するのは普通にアリだと思うよ

ただこの作品が場面上前向きなのであって、曹植の作品傾向が前向きなものかどうか、などとは別の話だな
0282無名武将@お腹せっぷく
垢版 |
2016/02/12(金) 07:49:12.58
三國志13で、演義の「遷帝于長安,以應童謠。近日街市童謠曰『西頭一個漢、東頭一個漢、鹿走入長安、方可無斯難』」を元にしたイベントがありました

探せば他にも文学関連の会話があるかもしれないけど、演義を根拠にしているみたいだから、三國時代の文学と、ずれてしまうのかな
0284無名武将@お腹せっぷく
垢版 |
2016/03/03(木) 23:00:14.42
  (⌒)
 (⌒※⌒)
 /(_人_)⌒)
_//(⌒(⌒※⌒)⌒)
三(⌒※(_人_) ※⌒)
( (_人_(⌒)(_人_)
(⌒※ (⌒※⌒) )
(_人_)(_人_)※⌒)
      (_人_)、

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0291無名武将@お腹せっぷく
垢版 |
2016/04/14(木) 01:16:05.17
     キ        //   /::::: //O/|      /
      ュ     / |''''   |::::://O//|     /
      .ッ       \ |‐┐ |::://O/ ノ   ヾ、/
       :       |__」 |/ヾ. /    /
         ヽ /\  ヽ___ノ / . へ、,/
        /  ×    /  { く  /
        く  /_ \   !、.ノ `ー''"
  /\        ''"  //
 | \/、/           ゙′
 |\ /|\ ̄
   \.|
0292無名武将@お腹せっぷく
垢版 |
2016/04/26(火) 01:27:28.82
ダンソン!
フィーザキー!
ドゥーザディーサーザコンサ!

…ニーブラ!

アパーアナァーガァーマーポー!
0296無名武将@お腹せっぷく
垢版 |
2016/05/25(水) 20:49:49.25
ネットの同人訳で、明らかに訳が間違っている本が見受けられるけど、こんなんでも評価する人がいるのか…
検索したり少し中国語をかじれば、もっと質がいいものを只で読めるのに
0300無名武将@お腹せっぷく
垢版 |
2016/06/30(木) 10:15:06.86
 
 
    膨張する集団の頂点に君臨
0301無名武将@お腹せっぷく
垢版 |
2016/07/16(土) 22:17:33.77
ホシュ

何かこの人の漢詩読みたいって居るのかな
手持ちはソウソウとかオウサンとかショウカイとか魏面子になっちまいます
0303tester
垢版 |
2016/07/22(金) 20:54:03.22
うーん。量が多いので誰か絞れるといいかなと思ったんですが。ためしに幾つかリストあげてみます?例として曹操楽府

短歌行
  其之一:短歌行(對酒當歌) 其之二:短歌行(周西伯昌)
 歩出夏門行(隴西行、碣石篇)
  序:艶(雲行雨歩)
  其之一:觀滄海(東臨碣石)
  其之二:冬十月(孟冬十月)
  其之三:土不同(郷土不同)
  其之四:亀寿雖(神亀寿雖)
 善哉行
  其之一:善哉行(古公亶甫)
  其之二:善哉行(自惜身薄祜)
  其之三:善哉行(朝日楽)※作者を曹丕とする説あり
 気出唱
  其之一:気出唱(駕六龍)
  其之二:気出唱(華陰山)
  其之三:気出唱(遊君山)
 秋胡行
  其之一:秋胡行(晨上散關山)
  其之二:秋胡行(願登泰華山)
 薤露(惟漢廿二世)
 苦寒行(北上太行山)※作者を曹丕とする説あり
 蒿里行(関東有義士)
 却東西門行(鴻雁出塞北)
 對酒(對酒歌)
 度關山(天地間)
 精列(厥初生)
 陌上桑(駕虹蜺)
 謡俗詞(甕中無斗儲)
 董卓歌詞(徳行不虧鈌)
 塘上行(蒲生我池中)※作者は曹操他諸説あり
 滄海賦
 登臺賦
 鶡雞賦序
 有南篇
 城窟行
0304tester
垢版 |
2016/07/22(金) 21:00:06.86
訂正
 城窟行→飲馬長城窟行
0305tester
垢版 |
2016/07/22(金) 21:11:17.52
みたいな感じで、手持ちは
 曹操、曹丕、曹植、曹叡
 王粲、応瑒、阮瑀、徐幹、陳琳、劉
 応璩、阮籍、何晏、繆襲、鍾会、甄夫人、左延年
 韋昭
 前漢武帝、李陵他、古楽府、古詩十九首
 張衡、宋子侯(馬子侯)、蔡邕、孔融
 諸葛亮、関羽
 傅玄、陸機、潘岳、羊祜他

以上、文選と古詩源、あとは楽府詩集から銅雀台の初音ミクとか
0306無名武将@お腹せっぷく
垢版 |
2016/07/23(土) 08:48:14.06
乙!
自分は文選と古詩源と玉台新詠、あと三曹集と陸機・陸雲の詩集なら手元にあります
0307無名武将@お腹せっぷく
垢版 |
2016/07/23(土) 17:00:35.94
急に人が現れた感w

ぼんやりした意見で申し訳ないけど
個人的にその漢詩を読んだ人の特徴や人となりが表れてるようなのがあれば読んでみたいな
0309tester
垢版 |
2016/07/30(土) 18:10:14.14
何晏の手持ちは、まとめさんにある3つ+注釈(論語や史記の注釈)で、
詩や賦の類で全文だと景福殿賦のみ
あと楽府詩集で、引のひとつ「烏夜啼」は、何晏が獄に繋がれたとき、
何晏の娘が作成したという伝承が掲載されている

景福殿賦は文選にも掲載されているので、文選もちの>>306さん、どうですかね?

手持ちというか自分の主な参考元:文選
ttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1912763/216

曹操の作品で、特徴や人となりが出ているもの…やっぱ短歌行かなぁ
あとは駕六龍 、願登泰華山?

単純に個性だけで言うなら代筆屋陳琳タソや真面目な羊祜タソが面白いかしら
0310無名武将@お腹せっぷく
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2016/08/07(日) 13:22:10.36
楽府詩集の烏夜啼について
李勉《琴説》曰:「《烏夜啼》者,何晏之女所造也。
初,晏繫獄,有二烏止於舍上。女曰:『烏有喜聲,父必免。』遂撰此操。」
按清商西曲亦有《烏夜啼》,宋臨川王所作,與此義同而事異。

私の知識程度で訳すると、

李勉という人の《琴説》によると
「《烏夜啼》は、何晏の女が作ったとされる。
初め,何晏が監獄に入れられたとき,二羽の烏が屋敷の上に止まった。
女は『烏の喜聲が聞こえる,父は必ずや免(免職)される。』
遂に此の操(曲調)を撰んだ。」

みたいな感じですね。ちなみに楽府詩集で、紹介されている作品(烏夜啼引/張籍)

秦烏啼啞啞,夜啼長安吏人家。吏人得罪囚在獄,傾家賣産將自贖。少婦起聽夜啼烏,知是官家有赦書。下床心喜不重寐,未明上堂賀舅姑。少婦語啼烏,汝啼慎勿虛,借汝庭樹作高巣,年年不令傷爾雛。

秦烏は啞啞と啼いている,夜に長安は吏人の家で啼いている。
吏人は罪囚となり獄にある,家は傾き財産を売っては罪をあがなう。
少婦が起きて夜啼烏を聽く,この官家に赦しの書あるを聴く。
下床に心喜び眠りを重ねず,未明の上堂に舅姑は賀す。
少婦は啼烏に語る,汝啼き慎みて虚なかれ。
かりに汝が庭樹に高巣を作らば,年々お前の雛を傷めろと命じまい。
0311無名武将@お腹せっぷく
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2016/08/23(火) 21:34:24.94
>>309のリンク先をもとにサックリ訳したものになります。適当すぎて何かとちってたらすんません

まこと思うに魏は大いなる国家で、時代にあった聖人が現れたものであります。
武帝は魏国を創始なさり、文帝は天命を受け天子となられ、制度を定められました。今の陛下にあらせられましては、ますます繁華隆盛を遂げられました。
遠くは陰陽自然に、近くは人情にもとづき、上は太古からの王道を尊重し、下は後世へと続く善道を開かれ、民衆に安寧をもたらし、天の秩序をはなはだ明らかになさいました。
故に年号を定めて6年にして、国は富み刑罰が下されることもなくなりました。
陛下は今年三月に東へ巡行なさり許昌へ到り、山川を祀られ、時を選び方角をはかり、老人を慰問せられ、民衆を率いて農耕に励まれました。
6月16日、星辰の配列正しく、月の暮れにはアンタレスが南方に輝き、桑梓は生い茂り、時には大雨が降りました。
しかし三公九卿から大学者にいたるまで、皆が蒸し暑過ぎると感じ、この暑さが生命に等しく訪れることを危惧しました。
蜀呉定まらず、遠征いまだ終わらずと言えども、よき言葉を選び奏上しました。
「蕭何、荀子ら古の賢者は、『宮城は壮麗でなければ宮城をもって民をまとめ威光を示すに足らない。飾らず美しくなければ、後世に名を示すことは出来ない』と、城を壮麗にするよう進言しました。
為政者のうち、かの発言を取り入れ功績を評価することで、後世に英名を示さなかった者はおりません。
かつ許昌は天運がやどり、吉兆あらわれた地であります。まこと徳義とは、かくの如し。どうして宮城を建築せずにおれましょう」
その上奏を陛下は「よし」となさいました。
孟冬の月、陛下は礼記に従い身なりを整え、責任者に命じ、日程費用をはかり、農閑期に造営のための庶民を集め、東征軍および呉からの献上品を材として、景福殿の建設を命ぜられました。高殿は奥行、高さを兼ね備え…

あとはまとめサイトにもあるのと、何晏らしいとは言え、宮殿描写の羅列なので中断。こういうのも調べて訳するあたり、プロの翻訳はすげーと思います。

司馬懿との派閥抗争に何晏らが敗れた結果、何晏らの奏上による宮殿造営も曹叡の悪行として残されたのか、曹叡の悪行が過ぎて言い訳しないといけないくらいだったのか判りませんが、曹叡の造営を臣下の上奏によるものと明言してますね。
0312無名武将@お腹せっぷく
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2016/08/23(火) 21:48:19.48
あと、

>故に年号を定めて6年にして、国は富み刑罰が下されることもなくなりました。

のくだりは、曹操の作品ぽいですなあ
当時の文学は、意図的に長いものに巻かれる必要があったでしょうが、何晏は古典だけではなく曹操からの影響も強い印象っす
0314無名武将@お腹せっぷく
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2016/09/26(月) 22:06:17.97
菊といや曹植の菊賦、鍾会の菊花賦ですかね、他にもあるけど(文帝陛下のアレとか)
鍾会の菊花賦いってみますか

出典は以下、漢魏六朝百三名家集のアドレスです
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2551361/123
主に参考にしている出典なので、今後も基本的にここから引用します
いずれも、もっと長い文章の一部ですね
出典による違いはやりません、即興で訳したので適当です


何秋菊之可奇兮、獨華茂乎凝霜。提威?於蒼春兮、表壮観乎金商。
延蔓蓊鬱、緑坂被岡、縹幹緑葉、青柯紅芒、芳寔離離、暉藻煌煌、微風扇動、照曜垂光。
於是季秋九月九日數并、置酒華堂、高會?情。百卉彫瘁、芳菊始榮、紛葩曄曄、或黄或青。
乃有毛?西施、荊姫秦?、妍姿妖艶、一顧傾城。擢纖纖之素手、雪皓腕而露形。仰撫雲髻、俯弄芳榮。

秋菊のなんと不思議なこと、一輪咲き誇るのだ!霜にこごえてなお。
春さかりに華麗な姿を見せ、壮観な姿を現すのだ!秋の風音と共に。
のびゆくさまは鬱蒼として、緑は土を覆い、縹(はなだいろ)の幹と緑の葉、青い枝に紅のつぼみ、香りは遠くまで広がり、姿は煌々と光かがやき、そよ風は姿を揺らす扇、差し込む光はスポットライト。
秋の終わり9月9日、酒を華堂に置き、高きに登り菊を楽しもう。
百草の丘に苦しみ、菊の芳香に喜ぶ。乱れ咲くさまよ、或いは黄色、或いは青く。
毛?や西施ら古の美姫、姿は妖艶にして、一たび省みれば城を傾けた。
繊細な素手、新雪のような腕もあらわに、仰げば髪をなで、俯けば花をもてあそぶ


(故)夫菊有五美焉、黄花高懸、準天極也。黄不雜、后土色也。早植晩登、君子徳也。冒霜吐穎、象勁直也。流中輕體、神仙食也。
これについては、ネットに良訳があるので勝手にリンクさしていただきます
ttp://blog.nagano-ken.jp/kamiina/nature/8609.html

>菊花賦:鍾會賦以五美
>謂圓華高懸 準天極也 純黄不雜
>杯中體輕
などと違いがあるんで、別のソースなのでしょう。ご存じのかた教えていただけると助かります
菊酒というのは杯(体)中を流れれば体軽く、ということから酒という訳を選んだかと


維基文庫によると《初學記》に
>?以纖手,承以輕巾。揉以玉英,納以朱脣。服之者長生,食之者通神。
があるそうですが、漢魏六朝百三名家集には掲載されていないので、今のところノータッチです
単語から見るに、菊を扱うさまを神仙術になぞらえた感じがします
0315無名武将@お腹せっぷく
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2016/09/26(月) 22:13:31.57
化けてる…まあいいか
つぎの保守にしようかと思いましたが、めんどくさいので同じ作者の葡萄ネタもいきます

余植蒲桃於堂、嘉而賦之、命荀勗並作、
美乾道之廣覆兮。佳陽澤之至淳。覽遐方之殊偉兮。無斯果之獨珍。
託靈根之玄圃。植崑山之高垠。
緑葉蓊鬱。曖若重陰翳義和。秀房陸離。混若紫英乘素波。
仰承甘液之靈露。下歙豐潤于醴泉。總衆和之淑美。體至氣于自然。
珍味允備。與物無儔。清濁外暢。甘旨内遒。滋澤膏潤,入口散流。

余は蒲桃を堂前に植えた。記念に賦を作り、荀勗に命じて同様に蒲萄賦を作らせた。
美しきかな、ひなた道を廣く覆うさまよ。佳きかな陽澤の至淳たること。
ご覽よ遐方の殊に偉なるや。斯果の獨珍なる無く。
果物の一粒だけが良いということもなく。
靈根を玄圃(仙人の庭)に託し。崑山の高垠に植え。
緑葉は蓊鬱として、曖(あいまい)なること重陰の義和を翳す若(ごと)く。すぐれた一房がぶら下がるさまは、紫英の素波に乗るごとく混じる。
仰げば甘液の靈露を承け,下れば豐潤なる醴泉の水を飲む。
總衆和之淑美、體(からだ)は自然の気に至り。珍味をまことに備え,與物に儔(ともがら)無し。
清濁が外に暢び,甘み旨みが内に遒(せま)る。滋澤膏潤,口に入るや流れ散じる。


同じ葡萄で賦を作らされた挙げ句、一部が残存してしまった荀勗さんが気の毒な気もします
というか何やらしてんでしょうかショーカイさん
0316無名武将@お腹せっぷく
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2016/09/26(月) 22:29:22.72
>>314
> 春さかりに華麗な姿を見せ、
と何となく訳しちまいましたが、提は見せるというよりささげ持つ、隠し持つといったニュアンスですかね
このへんは春に準備し、秋に一気に見せつけるといったイメージのほうが近いかも
0317無名武将@お腹せっぷく
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2016/10/06(木) 00:27:56.31
鍾会好きなので嬉しい、乙です
これでもか!ってくらい装飾的なのがいかにも彼らしくて良いよね
0318無名武将@お腹せっぷく
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2016/10/20(木) 18:55:48.87
装飾的、表現の華美性は前漢や蔡ヨウそれ以降の作品にも見られるという、指摘はあります
それでも単純に派手というのではなく、鍾会には鍾会なりの派手さが出ているのが良いですよね
0319無名武将@お腹せっぷく
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2016/10/22(土) 07:17:35.18
>>314-315
遅ればせながらおつです!蒲萄賦でワラタ
荀勗とばっちりw

曹丕もだけど、食べ物を熱心に讃えてる詩を見ると何となく可愛げを感じてしまう
誰だか失念したが柿を詠んだ人とかもいたよね
0320無名武将@お腹せっぷく
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2016/10/24(月) 12:25:29.86
柿の作品は三国志の方ですか?
唐代以降でしたらあるようですが、三国志の作品だと誰だったかな

《文選》で柿を見たようなうろ覚えを辿ってみたら、こんなのがありました
潘岳《閑居賦》梁侯烏?之柿
左思《蜀都賦》林檎、枇杷,橙、?(柿)
《齊民要術》張衡曰、山柿。左思曰、胡畔之柿。潘岳曰、梁侯烏?之柿。
全三國文だと呉の韋昭《御覽》九百七十一引《陽武賦》
あと柿で忘れちゃあかんのが晋書王濬伝の「濬造船於蜀,其木柿蔽江而下。呉建平太守吾彦取流柿」
晋が蜀で船をつくり呉征伐を狙っていた時,柿(木材)を長江に流していたという話ですね
|∀゚)φ..蜀は柿の産地っと
柿をワードにさっくり携帯検索しただけですので、?(柿別字)でしらべれば足元にあるかもですが

うろ覚えついでに、古典的に十月は新酒を試し飲みしたり柑橘類をたべる月だったとか、蔡文姫の父親蔡ヨウが酒で酔いつぶれて「酔虎」という称号を頂いた、という記憶も時間があったら確認してみます
蔡ヨウを酔い潰したのは、このスレの酒ネ申だったりするんでしょうか
0321無名武将@お腹せっぷく
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2016/10/24(月) 22:41:11.52
↑下部について手持ちを確認したところ、「中国飲食文化(青土社)」に、季節ごとの食事を紹介している章がありました
周代から朝廷では初物を祖先に供える決まりごとがあったので、季節の初物、特に歴代皇帝の好物が朝廷に沢山集まるため、臣下もおこぼれに預かれたようです

民間では宋代《賞心楽事》だと9月は菊、新酒を飲む、10月は暖炉で蜜橘をなめる、11月は冬至の饂飩
《荊楚歳時記》10月朔日に黍羮(詳細不明)を食べる、北では麻羹(あつもの)と豆飯を作る。初物を食する為だろう
…少なくとも南北朝時代には10月1日や雪の初めて降った日など、特に今年初めて火を起こしたときには、暖炉を囲んで一族や仲間と餅や熱いもの、甘いものを食べる慣わしがあったようです
後には、葡萄やむかごなどを串にさしたものに、氷糖をかけて食べたとか

酒の章に、蔡?が途中で酔いつぶれたので「酔虎」と呼ばれた、という伝承も載っていました
漢代、投壷の礼で負けると罰ゲームに酒を飲まされたという話もありますが、詳しくは蔡先生の名誉のために伏せますん


中国史全体からネタを取り上げているので、三国志ネタはあまり無いですが、それでも面白い本ですね
0322無名武将@お腹せっぷく
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2016/11/05(土) 00:13:06.87
>>320-321
わざわざありがとう!
柿は魏の人だった気がするんだがうろ覚え過ぎてぁゃιぃww申し訳ないw
三国時代でも見てると結構色んなものを食べてたりして面白いね

罰ゲームに酒といえばスレチだが日本でも平安貴族の日記で
「罰ゲームで酒飲む事になった奴がずっと拒否ってて白けた」とか
作法として「下戸なら酌人に目配せしろ、気付いて貰えなかったらその時は諦めろ」とかあったりして
酒絡みの話は尽きないなあ…(蔡先生を見ながら)
0323無名武将@お腹せっぷく
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2016/11/12(土) 09:30:32.37
魏の人(かもしれない)かー、うわあ気になるw
こちらこそ教えてくれて有難う、漢詩を語り合える場所って少ないから嬉しいw


>酒絡みの話は尽きないなあ…(蔡先生を見ながら)

平安の方はあまり知らないから、勉強になります
酒とメシの話は、どこでも盛り上がるもんですね(その辺のグルメ面子を眺めながら)
0324無名武将@お腹せっぷく
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2016/11/12(土) 09:50:26.43
ついでに蔡先生の漢詩を置いてみます
当時は「張蔡」と称えられる文学的な有名人だったことに加え、関係者の努力もあってか結構な数の作品が残っていますね
曹操、建安七子の孔融、王サンサンや阮ウも関係者だと言われてますし、当時の文人の多くはすくなからぬ影響を受けているようです
無理せず昔に訳した有名どころから二つ。例によって誤訳御免でヨロです

出典《古詩源》
翠鳥
庭陬有若榴。緑葉含丹栄。
翠鳥時来集。振翼修容形。
回顧生碧色。動揺揚縹青。
幸脱虞人機。得親君子庭。
馴心托君素。雌雄保百齢。

庭の片隅にザクロの木が有り、緑葉に紅色の花が混じっている。
翠鳥が時に集いきて、翼を振って身なりをととのえる。
首を回せば碧色を生じ、身をふるわせては淡い水色をみせる。
さいわいにも狩猟官の刃から逃げ、良い人の庭にやってきた。
心穏やかに名君のもとにあって、雌雄ともに百歳までも生きよう。

琴歌
練余心兮浸太清。滌穢濁兮存正霊。
和液暢兮神気寧。情志泊兮心亭亭。
嗜欲息兮無由生。
☆宇宙而遺俗兮。眇翩翩而獨征。
☆=「足卓」


余心を練り、混沌自然に同化し。
精神の汚れをすすぎ、あるべき姿に戻す。
呼気も血流ものびやかに、精気の流れも規則正しく。
感情も理想も休ませ、心は凛として威儀を正し。
欲望が消え、生まれ出ずる必要もなく。
時を空を踏みこえ、俗世間を忘れ。
高く遠く翻り、ひとり旅に往こう。

兮は楚辞の技巧ですね
而に切り替えるタイミングが巧いということになるのでしょうか

次あたり、この作品に関する、前に訳した曹操の作品を見直してうPできたらと思います
0325無名武将@お腹せっぷく
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2016/12/01(木) 12:44:21.23
まずは忘れていたので、↑の古詩源のリンク先
ttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/958952/1

というわけで曹操の陌上桑ですよ
漢魏六朝百三名家集と黄節戔を元にざっくり訳したものです。誤訳御免

駕虹?。?赤雲。登彼九嶷。歴玉門。
濟天漢。至崑崙。見西王母。謁東君。
交赤松。及羨門。受要秘道。愛精神。
食芝英。飲醴泉。柱杖桂枝。佩秋蘭。
絶人事。游渾元。若疾風游?飄翩。
景未移。行數千。壽如南山。不忘愆。

訳っぽいもの
虹の神獣を御し。赤雲の車に乗り。かの九嶷山をめぐり玉門を通る。
天の河を渡り。崑崙に至る。女王西王母に出会い、東君に拝謁する。
仙人の赤松と交わり。羨門の前にいたり。神仙の奥義を受け。精神を鍛錬する。
長寿の茸を食し。不老の醴泉を飲み。仙界の桂枝を杖とし。秋蘭を腰に吊り下げる。
人の営みを絶ち。渾元に遊ぶ。疾風や火の粉が舞うように各地にあそび。
陽光のうつろうよりも速く。数千の地を行けば。壽は南山の如く。ゆるぎなし。

単語の扱いがいまいち難しいです
羨門は「墓の入口」、仙人の「羨門高」の二つの意味があると思われます
柱杖桂枝。佩秋蘭。のあたりは楚辞ですね
寿如南山は詩経小雅。南山は、以前は終南山だと書いていましたが、その後調べたところ他にも南岳衡山や、城から不老長寿を司る寿星(南極老人星)を観測するとき南にある山を目印にしたことから、後に南極星に結びつけられた山など、時代や背景によって色々あるようです
不忘愆は今風に直訳すると「忘れや誤りは無い」。黄節は詩経大雅からとったのだろうと言っています
0326無名武将@お腹せっぷく
垢版 |
2016/12/15(木) 22:30:03.73
文字化け対策や読み下し説明のために原文を画像にしようかと思ったのですが、upロダを探すのがめんどくせーので、しばらくはこの形式でgdgdといきます

對酒(對酒歌)/曹操
對酒歌。太平時。吏不呼門。
王者賢且明。宰相股肱皆忠良。咸禮讓。
民無所爭訟。三年耕有九年儲。倉穀滿盈。
斑白不負戴。雨澤如此。百穀用成。
郤走馬以糞其土田。
爵公侯伯子男。咸愛其民。
以黜陟幽明。子養有若父與兄。
犯禮法。輕重隨其刑。路無拾遺之私。
囹圄空虚。冬節不斷人。
耄耋皆得以壽終。恩澤廣及草木昆蟲。

酒に対して歌おう。太平の世。官吏が戸を叩き、呼ぶこともなく。
王者は賢明、宰相や股肱の臣は皆忠良であり。ことごとく礼儀を尽くしては謙虚であり。
民に争いの種はなく。三年耕せば九年の収穫があり。穀物は倉に滿ち盈(み)つ。
白髪の老人よ、重い荷物を背負わずとも良いのだ。雨はこの地を潤し、五穀はみのりを成す。軍馬を御し、もって田畑を耕そう。
公侯伯子男の爵位をもつものは。ことごとく其の領地の民を愛する。
人材の評価を、適切に行い。父のように、兄のように、その子らを養う。
礼法を犯さず。罪の軽重に従い適切な刑罰を下せば。道路の落し物を拾い、自分のものとする輩は居ない。
牢屋に誰も入ることなく。刑罰を下すべき冬至に誰も斬ることなく。
いついつまでも皆が長寿を謳歌し。天寿を全うし。治世の徳が草木昆虫にまでも行き渡らんことを。

自分の理想、理想とかけ離れた現実への憂いを読み込んだ作品ですかね
最後のは漢書成帝紀に昆蟲草木、漢書杜周伝の杜欽にも草木昆蟲という言い方が出ます
問題は杜欽が盲杜子夏と呼ばれた人で、ネット上には盲夏侯の元ネタという説もあるんですが、だとしたら
・この作品が作られた頃には、夏侯惇もいちいち気にもかけてなかった
・左目を怪我した後の夏侯惇に、大将軍を支えた盲杜子夏のように自分を支えろみたいなニュアンスを持たせた。
詩に特定の人物への思いを込めたという説は黄節戔にもみられます。例えば短歌行は曹操が荀イクと対立した頃に、仲直りを意図した作品みたいな説もあげられてます
とまあ自分で書いといて何ですが、個人的にはナイナイモードです
・その他
さあ実際はどうでせうね
0327無名武将@お腹せっぷく
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2016/12/18(日) 17:12:07.81
(´┌┐`)あげてに
0328無名武将@お腹せっぷく
垢版 |
2016/12/26(月) 01:32:57.99
疑問の多かった短歌行。
何故、三度も回った鳥を乞うのか?
三顧の礼に対し、曹操らしい気質が描かれてるのか?と思いましたが

もしや、私らの対酒当歌。
演義同様の創作なのでしょうか?
対酒当歌では旧知の劉備・関羽らに和睦と割譲を解きながら曹操の隠れたライバル孔明に対するジェラシーが歌われているのですが、、、
0329無名武将@お腹せっぷく
垢版 |
2016/12/26(月) 06:29:44.16
……(どうコメントしようか、いっそクマーAAを貼ろうかorzドコヲドウヨメバソウナルンダ)
0330無名武将@お腹せっぷく
垢版 |
2017/01/01(日) 07:53:24.52
曹操の気出唱(駕六龍)、誤訳御免です
出典《漢魏六朝百三名家集》

駕六龍。乗風而行。行四海外。路下之八邦。歴登高山。臨谿谷。
乗雲而行。行四海外。東到泰山。仙人玉女。下来遨遊。驂駕六龍。飲玉漿。
河水盡。不東流。解愁腹。飲玉漿。

奉持行。東到蓬莱山。上至天之門。玉闕。
下引見得入。赤松相對。四面顧望。視正焜煌。
開王心正興。其氣百道至。傳告無窮。
閉其口但當愛氣。壽萬年。

東到海。與天連。神仙之道。出窈入冥。常當専之心恬憺。無所?欲。
閉門坐自守。天與期氣。願得神之人。乗駕雲車。驂駕白鹿。
上到天之門。来賜神之薬。跪受之。敬神齊。當如此。道自来。

訳っぽい
六龍を駆り、風に乗り、さぁ行こう。行こうか四海の外へ。
天の道から見下ろせば東方の八の国々が見える。
あちこちの高山を登っては巡り、天の高きを知る。谷間に臨んでは地の深さを知る。

雲に乗り、さぁ行こう。行こうか四海の外へ。
東は泰山に至ると。仙人や玉女が降りてきて気ままに戯れる。馬車を六龍にまかせ、玉漿を飲もう。
黄河の水も人の命も尽きて、もはや流れ行かぬ。腹の憂いを解こう。玉漿を飲もう。

そのまま行けば、東は蓬莱の山につく。登れば、天門のひとつ玉闕につく。
馬車から降りて門内に入れば、仙人の赤松と出会うだろう。四方をぐるりと見れば、まさにきらびやか。
歳星、天王星、青龍心宿など春の星座は配列正しく。その気は宇宙のすみずみまで届き、命令の伝わること限りなく。
その口を閉ざし、ただ気を養い、寿命は万年にして終わりなし。

東海の果て、大海原と蒼穹の交わるところ。神仙の道は天地の狭間を過ぎて、冥界に入る。
気を養うことに専念しよう。心やすらかにして貪欲に従わず、門を閉ざしては座して守ろう。
時を読む虎や気の流れに乗る龍のように、天と我が身を共にしよう。

願わくば神人となり、雲車に乗り、白鹿に引かせたい。のぼりては天門に至り、神薬を賜ろう。跪いて之を受け取ろう。
神を敬いつつしむ。かくのごとくあれば、道はおのずと開かれる。
0331無名武将@お腹せっぷく
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2017/01/01(日) 08:11:34.40
 昇ったり下ったり、上上下下東西東西……1800年前のコナミコマンド。
 というのはさておき、古典での解釈としては「詩経の『君子、万寿無期』から駕六龍は王業を意味する。理想をとげて、皆で長生きしようという作品」とか、
「漢武帝の心と魏武帝の心は等しく、ただ漢武はそれを外に求め、魏武は内に求めた。
道教では陰気を極めねば仙人にはなれないと考えられており、そして魏武は陰気を求めきれず、陽気(人としての寿命)が尽きるまでに間に合わなかった」とかですね。

 最後に薬を賜るのは誰かってことですが、淮南子では、女仙を統べる西王母は不老不死の薬を持つとあります。男仙の統括者である東王父も同じように考えられていたのではないかと思います。
 東=春ということで、開(歳星)、王(天王星?)、心(青龍心宿)など春の星が使われています。
 漢書天文志「歳星正月晨出東方」「東宮蒼龍,房、心。心為明堂,大星天王,前後星子屬。」
 出典のように戦前のテキストで「開王心。」と区切るのは、「草木昆虫。」など三文字以上の長い名詞は、それひとつで区切る流派があったためだと思います。
 王心を開くと解釈する場合は「過去に王心という単語が使われていた」「曹操が王になることを求めていた」「かつ、その野心を隠さず堂々と表に出していた」ことになるのですが、そっちでの分析は略します。

 同じ曹操気出唱の他作品は宴会の詩と推測できるので、この作品も新年の宴会などで歌われたと推測します。
 戦乱を共にすごし、冬を越え遠くから馬車に乗り都に来た参加者に、春盛りの夜空の下で酒を飲み交わし、長寿を共にしようと呼びかける歌として解釈してみました。

 というわけで、あけおめです。詩の意味する季節は、もっと後ですけどねw
0332無名武将@お腹せっぷく
垢版 |
2017/01/01(日) 15:32:29.26
曹操の太行山と李白の蜀道難が似てるぞ!!!

嗚呼、何年 虚構を追い掛けたのか、、、
0334無名武将@お腹せっぷく
垢版 |
2017/01/17(火) 07:39:41.82
・作者の意図が全く違う蜀道難と魏武苦寒行を同じ扱い
・李白や蘇子が蔡パハや曹操らの作風を取り込んでいたと考えない件
・文選や晋書など複数の古典資料を無視して、いきなり後世の創作扱い
・三匝=3顧の礼で諸葛亮へのジェラシーなら、魏略で諸葛亮が自分から出ているくだりはジェラシーで歴史を捻じ曲げたのか
・繞樹三匝は周公吐哺と対比している件について(周公は髪を洗っている途中にお客さんがきたら三回髪を掴んで水気を切っただけで、食事中にお客がきたら吐き出して会うことを三回もしたから、天下の人々は集まってきた)
・三匝しただけで三顧なら、魏で複数作られている三良詩や三老公も劉備関羽張飛のことだと?それ何てファンクラブ?

……二、三行に突っ込みどころが沢山。その才能がある意味羨ましい。
0335無名武将@お腹せっぷく
垢版 |
2017/01/19(木) 04:14:34.53
考えたら、短いからむしろ判りにくいのか
短歌行について、今のところ知っているのは以下のとおり(他にも細かい派生はある)。

作者:現存している作品が、曹操の読んだ本辞であるという保証はない
A)曹操
B)曹操を主とする、宴会の参加者

本文
・本辞(もしくは魏楽所奏)今よく知られている文
・晋楽所奏
・藝文類聚

解釈
1)荊州で劉備を破り、意気軒昂として歌ったもの(一般的な説)
2)作者B)に準じる。曹操が奇数句、部下が偶数句を歌った(現在の一仮説)
3)自分の公就任に関し、人材や配下を求めるもの(黄箋1)
4)荀いくに対し、旧知のつながりと、自分の公就任に対する理解を隶めたもの(黄箋2)
5)作者B)に準じる。呉への怨念から始まり、状況の変化によって頻繁に書き換えられた(唐代あたりからの仮説)

1)劉備関連脱は、劉備があちこちを放浪していることを指す。
南へ飛ぶかささぎを劉備に、木を三たび巡っても拠点が無いと例えている(以下のリンク先の左下部分など)。
ttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/898785/46

 これに対して出た意見。
 考証の結果、鳥は詩経や古詩十九首の一首など、七夕や離ればなれの恋人を繋ぐ架け橋を意味するかささぎだと考えられる。
 曹操の一族と劉備の間に、結婚絡みの明らかな記録があったっけ?
(献帝との繋がり次第ではある。夏侯氏は姻戚と言えなくもないが曹の氏姓ではないし、表立った同意の上での結婚ではない)。
 本来の對酒當歌は、劉備と関係ないのでは?過去の書で劉備との関連性が言われるのは、蜀漢正統論に引きずられたものではないか?
 …という意見が、蜀漢正統論の見直しと共に?出てきた。それで2)以降の説が、改めて見直されたのかな。
 この辺はまだ判らない点も多いので、ご存じのかたがいらしたら解説お願いしたいなと。

2)は、「大学の教員によるミニ講義 短歌行」でググれぱ判りやすいページが出るので、そちらに。
3)かささぎは、人材欲求に絡めた例えとして解釈したもの。
4)荀いくとは古い繋がりがあり、子が曹操の娘と結婚しており、後に曹操の公就任に関して対立したという説がある。仲を修復するために詠んだ説。
0336無名武将@お腹せっぷく
垢版 |
2017/01/19(木) 04:57:14.59
5)孫氏は、曹操の氏族と複数の婚姻関係にある。曹操の妹が孫匡の妻、曹操の子(曹彰)の妻が孫賁の娘とも言う。
 また孫賁は曹操が荊州を破った時、人質を出して帰順しようとしている。

ttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2551360/12
 阮?の「為曹公作書輿孫権」は、身内が曹操と婚姻関係にあるはずの孫権が、劉備と婚姻関係を結ぼうとしていることに対して送られたと言われる。
 負け惜しみを言いつつ、何だかんだで孫権との誼を強調している。
 文内の鄭武は韓非子など。鄭の武公が胡に子を嫁がせ歓心を買った後、胡を討伐せよと進言した臣下を殺した。
 これによって胡が油断して鄭への備えをしなくなった所で、鄭は胡を滅ぼした。
 曹操が婚姻で孫権を騙そうとしていたんだと天下が噂するのを恐れる、というのは、逆に、孫権が婚姻で曹操を騙したと疑っていることの裏返しではないか?

 古い誼、婚姻関係、現在の対立など内容が、短歌行と共通する。この視点から對酒當歌を解釈すると、以下のような感じ。

原典?(藝文類聚)
1 對酒當歌。人生幾何。譬如朝露。去日苦多。
2 明明如月。何時可?。憂從中來。不可断絶。
3 月明星稀。烏鵲南飛。繞樹三匝,無枝可依。
4 山不厭高。水不厭深。周公吐哺。天下歸心。

・対酒〜
人生のはかなさに対する憂い
・明明月光〜
月光=曹操政権をいつ完全なものにできるのか。憂いは止むことが無い。
・月明星稀〜
かささぎは七夕、天の川に架かる橋として知られる。曹一族と孫一族の、何人かが既に結婚していることを指す。
月が明るい夜=曹操と仲良くするのが良いことは明らかだ。
カササギが依る場所を見つけられない=何度も婚姻し、友好を申し出ながら、孫家は曹氏を騙し裏切り、長江に、魏との間に橋をかけることはなかった。
・山高不厭〜
いかな困難も拒否するな。周公が天下を従えたように、いつかは江南の心も従えよう。
これは4)の公位にも繋がる。公位につくのは私欲ではなく、天下を統一するためだという話。
0337無名武将@お腹せっぷく
垢版 |
2017/01/19(木) 05:22:23.46
 ちなみに阮うは上のリンクにあるとおり劉備にも送っているらしいけど、殆ど残ってない。

 その後、魏晋代に改変があった。タイミングとしては、
・孫権の臣従
5)説なら、この時点で宴会の部分が追加され、周公に重点がおかれる。月明星稀の解は、劉備などまだ臣従しないものを指す文章となった
・曹丕の代
1)説なら、このあたりで純粋に人材欲求の詩になった。
5)説なら、鹿鳴の解は、曹丕短歌行では親から子への教えを意味する。為曹公作書輿孫権では、呉王夫差がたてた姑蘇台は、子鹿の遊び場となった。子鹿たる私が呉を征服し、遊び場としよう。
曹丕が呉への動きを見せたのも、短歌行を曹操の陵に対して奏でたのも、曹操に対し呉への恨みは忘れないという宣言。
・晋代
魏も蜀も呉も滅んだだめ、純粋に人材欲求の詩になった

 つまり初期の對酒當歌は、一見風流ではあるが複雑なもので、状況によって書き換えられた。
 書いてて、また幾つか別の説があったのを思い出したけど、今すぐ論文を探してよみなおす気になれないので、このあたりで。

 現在の短歌行は魏晋代に政治目的で改竄されてるよ説は大昔からあるし、これを言うなら判る。
 いきなり演義と同じレベルの創作扱いにするなら、それなりの根拠を示して欲しかった。
0338無名武将@お腹せっぷく
垢版 |
2017/01/19(木) 07:49:38.46
あー、グダグダ書けばいいってもんでもないやな。
細かいところに書き損じもあるけど、大意は書いたし止めとこう。
>335-337はあくまで一説だから。
0339無名武将@お腹せっぷく
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2017/02/26(日) 21:22:03.90
曹操秋胡行「晨上」解釈、省エネモード

出典 宋書、楽府詩集、漢魏六朝百三名家集

1解
晨上散關山。此道當何難。晨上散關山。此道當何難。
牛頓不起。車墮谷間。坐磐石之上。弾五弦之琴。作為清角韻。意中迷煩。
歌以言誌。晨上散關山。

・節戔「當何難=不難」
・歌以言誌→尚書の「詩言志、歌永言(詩は志を言い、歌は言を永くす)」など。
 この辺は日本でも言志録など有名ですし、日本語の論文がネットで見られるのでそちらに

明け方上る散関山、此の道の何が難しい
明け方上る散関山、此の道の何が難しい
牛は伏して起きず,車は谷間に堕ちるとも。
(穆天子と同じく)磐石の上に座し、(帝舜も鳴らした)五弦の琴を弾く。
(黄帝が作った)清角韻を奏でつつ、煩悩に迷い惑う。
歌に志を永くのこそう、最上散関山。

2解
有何三老公。卒來在我旁?有何三老公。卒來在我旁?
負揜被表。似非恆人。謂卿雲何困苦以自怨。徨徨所欲。來到此間?
歌以言誌。有何三老公?

・「負揜被表」の「表」:宋書・楽府詩集では「裘」

何事ですか三老公、わが傍らに来たり在る
何事ですか三老公、わが傍らに来たり在る
長衣を負い毛皮を被り、いかにも常人ならざるお方
言うに「卿(きみ)こそ何に困苦して怨み、さまよい求め、此所に来たのかね?」
歌に志を永く遺そう、有何三老公。
0340無名武将@お腹せっぷく
垢版 |
2017/02/26(日) 21:22:30.11
3解
我居崑崙山。所謂者真人。我居崑崙山。所謂者真人。
道深有十得。名山歴観。遨遊八極。枕石漱流飲泉。沈吟不決。遂上升天。
歌以言誌。我居崑崙山。

・「道深有十得」の「十」:宋書・楽府詩集では「可」
・孫盛の「漱石枕流」の出典候補のひとつ

我が住居(すまい)は崑崙山、いわゆる真人なるもの。
我が住居(すまい)は崑崙山、いわゆる真人なるもの。
天地の道を深く究めつくし、名山を歴観(めぐりみ)て。
八極すみずみまで旅しては、石を枕とし流れに漱ぎ泉を飲んで。
沈吟して決めざるが、遂には高きへ天(あま)昇らん。
歌に志を永く遺そう、我居昆侖山。

4解
去去不可追。長恨相牽攀。去去不可追。長恨相牽攀。
夜夜安得寐。惆悵以自憐。正而不譎。乃賦依因。経傳所過。西來所傳。
歌以言誌。去去不可追。
・「乃賦依因」の「乃」:宋書・楽府詩集では「辭」

去去して追うはできず,長く恨む相牽攀(のぼ)らんと。
去去して追うはできず,長く恨む相牽攀(のぼ)らんと。
夜な夜な何処に横たわったものか。惆悵(うらみなげき)を以て自ら憐(あわれ)む。
「正にして譎(いつわら)ず」、ゆえに逸材が(私を重用してくれと)歌い集まった。
それは東西を馳せた、斉桓の英雄譚(モノガタリ)。
歌に志を永くのこそう、去去不可追。
0341無名武将@お腹せっぷく
垢版 |
2017/02/26(日) 21:26:05.47
以前に訳した時は注釈をつけていない辺りを中心にコメント

○作品の特徴
1)韻の踏み
 現代語でも構わないので、自分で実際に読み上げるのが早いかと
2)繰り返し
・曹操以前の古秋胡行として「在昔」という歌があったが現存しないという記述あり
・同じ時代の秋故行で、繰り返しを使う例もある

○三老公は諸説あり
・天地人、三皇など人を越えた存在
・漢代の制度(三老五更)から、自分より年老いた存在
・1解から、神話混じりの過去の英雄(穆天子、帝舜、黄帝)
・特に統治に長けた人材。漢書陳勝項籍伝「三老豪傑」など、

○4解について
・節戔は、全て斉桓公の逸話によると解釈した上で、建安十九年十二月乙未令と関連づけて、
人材欲求の詩とする
・以下、節戔に追補
「正而不譎」
→論語憲問で、孔子が斉桓を評した言葉
「晉文公譎而不正,齊桓公正而不譎(晋文は偽にして正しからず、斉桓は正にして偽らず)」
「管仲相桓公,霸諸侯,"一匡天下",民到于今受其賜(斉桓は天下をひとつにまとめ〜。曹操の短歌行「周西伯昌」にも出る)」

「乃賦依因」
→角を叩き商歌を歌い来た寧戚という人物を、斉桓が採用した逸話

「経傳所過。西來所傳」
→斉桓が封禅の儀を行おうとして言った台詞と、自分の戦歴を重ねたもの
史記の齊太公世家
「(略)北伐山戎、離枝、孤竹、"西伐"大夏、渉流沙、束馬懸車登"太行"、至卑耳山而還。(略)九合諸侯
、"一匡天下"。昔三代受命、有何以異於此乎?吾欲"封泰山、禪梁父"」

このとき管仲は、幾ら止めても斉桓が聞かないので、「遠方から奇怪なものを得てからにしろ」と"後回し"
にすることを提案して止めた
0342無名武将@お腹せっぷく
垢版 |
2017/02/26(日) 21:36:36.93
この作品の解釈は、三老公、及び4解の解釈次第
まずは斉桓の末路(兄弟の後継者争い)から、曹丕と曹植に対する警告
次に、三老公の意味から他の解釈へ飛ぶこともできるが、今回は人材欲求の詩歌として解釈

a)謙遜
 三老公を登用できなかった自分は、過去の聖天子、人材が集まった斉桓に及ばない

b)欲求
 自分は聖天子たる三老公の地へたどり着き、覇を唱えた斉桓と同じように東西を馳せた。
 だが三老公や斉桓と並ぶには、あと一歩、ただ一つ、人材が足りない。

 次にこの秋胡行が出来たのは、正史によれば散関山に居た建安20年4月前後
 建安24年、侍中陳羣、尚書桓階が漢魏禅譲を上奏したときの夏侯惇の反応として、二つの説がある

・魏氏春秋
 上奏に対し夏侯惇も同意
 曹操「若天命在吾、吾爲周文王矣(もし天命が我にあろうとも、我は周文王たらん)」と答えた
・曹瞞傳と世語
 上奏に対し夏侯惇が「以爲宜先滅蜀、蜀亡則呉服、二方既定、然後遵舜、禹之軌
(蜀を滅ぼし呉が降伏してからにしろ)」と"後回し"を勧め、曹操が従った

 上記の秋胡行で曹操が残したがったのは、周文王ではなく"斉桓"
 斉桓が"禅譲"をしたがったとき、"管仲"が"後回し"を進言した

 当時の夏侯惇は曹操に近く、この時点で、既に禅譲に対する曹操の本心を知っていた可能性がある
・さまざまな特権持ち(常與同載。特見親重、出入臥内)
・夏侯惇の駐屯地
 壽春(荀ケが亡くなった地なので、荀ケの権限を一部引き継いでいたかも?)
 召陵(六年三月に討虜渠開通で曹丕が来た事から、討虜渠絡みもあり?)

→秋胡行を曹操の禅譲に関する考えとして見た場合、実際は魏氏春秋より曹瞞傳と世語に近い?

・自分を止めてくれる管仲こそ、命の終わりまで常に求めていた人材
・その管仲が居ないことに対する感情

 曹操や夏侯惇の本心として、管仲の台詞を言って欲しかった人物はもっと他にいたのではないかと愚考

以上
0343無名武将@お腹せっぷく
垢版 |
2017/02/26(日) 22:38:25.34
書いてて思ったこと
・ネット検索可能な原文が充実してきた件
・機械処理によるクロール&スクレイピング結果を適当に照合しているだけだと、当然ながら4解みたいなケースの意味は掴みきれないことを再確認した罠
・漢文素人の私がやらなくても誰かやるだろアフィにコピペされるぐらいなら辞めた→やっぱ某wiki書き直そう
0344無名武将@お腹せっぷく
垢版 |
2017/04/30(日) 20:09:49.85
0345無名武将@お腹せっぷく
垢版 |
2017/04/30(日) 20:51:45.18

0346ジャイアニズム
垢版 |
2017/04/30(日) 22:46:53.13
文章は傾国の怠業
0347無名武将@お腹せっぷく
垢版 |
2017/05/08(月) 21:26:26.70
にょろたんの話題は
0348無名武将@お腹せっぷく
垢版 |
2017/05/20(土) 16:29:01.87
魏文帝大墻上蒿行の仮翻訳完了ついでに、三国演義の曹操が死んだところに出るギョウ中詩の適当すぎる訳
原文は色々とありますが、台湾研究院系

城即ギョウ城水ショウ水,定有異人従此起。
雄謀韵事与文心,君臣兄弟而父子。
英雄未有俗胸中,出没豈随人眼底?
功首罪魁非両人,遺臭流芳本一身。
文章有神霸有気,豈能苟爾化為群?
横流築台距太行,気与理勢相低昂。
安有斯人不作逆,小不為霸大不王?
霸王降作兒女鳴,無可奈何中不平。
請祷明知非有益,分香未可謂無情。
鳴呼!
古人作事無巨細,寂寞豪華皆有意。
書生軽議塚中人,塚中笑爾書生気!」

城といえば即ちギョウ城、水といえばショウ水。さだめし非常の人が此に起ったというところ。
雄謀、風流、そして文心。君臣、兄弟、そして父子。
英雄は今も胸中にいるではないか。どうして人々のまぶたの裏に現れないことがあろうか。
功績の筆頭と罪人の首魁とは別人ではない。汚名も芳名もルーツをたどれば一身にいきつく。
文章には神霸の気あり,どうしていやしくも群衆の中に埋没できようか?
矛(旗)を横たえ銅雀台を築き太行山を踏み越え。気と理の勢いを音楽の高低に乗せた。
どこにこの人が「反逆者ではない」あるいは「小にしては霸ならず大にしては王せず」と言うものがいようか?
今や霸王が降りれば(ガキ大将のように)子ども達をして泣かせるばかり。いかんともしがたい不公平を憐れむ。
死者への祈りは明らかに益をもたらさず。弔香の煙は未だ無情というべし。
ああ!
古人のなす事に大小など無い。栄枯盛衰の全てに意義がある。
書生が軽々しく塚中の人を議論すれば,塚中の人は書生の空回りを笑うだろう!

小不為霸大不王は、史記の大不王小不伯
無可奈何も史記の樊於期が自殺したときの表現ですな
最近の中国では覇王は乱暴者みたいなニュアンスもあったと思いま
0349ジャイアニズム
垢版 |
2017/06/01(木) 18:27:54.57
文書は傾国の怠業
0350ジャイアニズム
垢版 |
2017/06/03(土) 09:23:32.74
>>3
曹植は糞賊
0352無名武将@お腹せっぷく
垢版 |
2017/08/21(月) 22:06:43.92
>>348作者の人は、古詩帰でも
此老詩歌中
有覇気而不必其王
有菩薩気而不必其佛
と書いているので、曹操は覇気や悟りといった才能や資格を持っていたが、王や仏になる意欲や必要がなかった…みたいな見方をしていたっぽいですね

歩出夏門行の機械分析処理がうまくいかなかったので、バグ取りついでにタイトルの見直しもやっているのですが、機械翻訳含む翻訳の限界も感じて鬱々とします
出典によりタイトルがメチャクチャ。単語の意味が色々ありすぎ。古楽府君子行が曹操の作品だとする説もあるし
せめて相談相手が居れば、まだ良いんですがね…
0353無名武将@お腹せっぷく
垢版 |
2017/09/03(日) 10:55:12.52
☆ 日本の核武装は早急に必須です。総務省の、『憲法改正国民投票法』、
でググってみてください。現在、衆参の両議員のそれぞれで、改憲議員が
3分の2を超えています。私たち日本人の、日本国憲法を改正しましょう。
憲法改正国民投票法、でググってみてください。お願い致します。☆☆
0354無名武将@お腹せっぷく
垢版 |
2018/01/01(月) 22:02:17.65
文字化けテストついでに、過去に見たいというレスがあった何晏の作品
翻訳や訂正などはご自身で良きようにお願いします

【私がタイトル忘れた】
若稽古帝魏武。睿(or淩)哲欽明文思。罄民生之俊徳。懿前烈之極休。
先天而天弗違。後天而奉天時。聿迪明命。肇啓皇基。
夫居高聴卑。乾之紀也。靡徳不酬。坤之理也。故霊符頻繁。
衆瑞仍章。通政辰修。玉燭告祥。和風播烈。景星揚光。
応龍遊於華澤。鳳鳥鳴於高岡。麒麟依於圃籍。䖑虎類於坰疆。
鹿之麌麌。載素其色。雉之朝雊。亦白其服。
交交黄鳥。信我中霤。儵儵嘉苗、吐頴田疇。

【擬古】
双鶴(鴻鵠)比翼遊、群飛戯大清、
常恐失(大)網羅、憂禍一旦并、
豈若集五湖、順流唼浮萍、
逍遥放志意(永寧曠中懐)、何為怵タ驚

【祈猛獣刀銘】
徒搏不兵作戒宣丘造斯器螭獣是劉制禽良昆明亶時末釐厥後蠲民之災

【失題】
轉蓬去其根、流飄従風移、𦬆𦬆四海涂、悠悠焉可彌、
願為浮萍草、託身寄清池、且以楽今日、其後非所知
0355無名武将@お腹せっぷく
垢版 |
2018/02/21(水) 14:15:57.11
羽生結弦選手が冬季五輪で金メダルとった演技を、中国のメディアが
曹植の「洛神賦」を引用して讃えたそうだ
0356無名武将@お腹せっぷく
垢版 |
2018/02/22(木) 20:00:56.91
誰でもできるPCさえあれば幸せ小金持ちになれるノウハウ
念のためにのせておきます
グーグル検索⇒『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』

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