0229無名武将@お腹せっぷく
2012/12/17(月) 19:35:11.39元年
春正月、天子、李豊、張緝らにより、補政を司馬師から夏侯玄に移そうとする動き。
司馬師、首謀者の李豊を捕らえ、また関係者を三族まで皆殺しにした。
三月、司馬師、魏皇帝に皇后張氏を廃するよう密上奏。
これを受け、魏皇帝は「周勃が呂氏を亡ぼし、霍光が上官桀を捕らえた」ことになぞらえ、司馬師の増邑を詔する。
司馬師は受けず。
?、正月春の事件を受け、司馬師、密かに魏皇帝廃立を皇后に申し出る。
秋九月、皇后、「今の皇帝が政治に親しまず、女色や芸人に溺れており、宗廟を奉るには相応しくない」とし、皇帝廃立の令を下す。
皇后の令をうけ、司馬師は霍光の故事にならい、皇帝の印綬を取り上げ〔帝を〕斉王に。
曹氏最年長の曹拠を皇帝にしようとするが、皇太后の意見により曹髦を皇帝にする。皇帝の格好や振る舞いを諌める。
癸巳の日、曹髦、司馬師の位を相国とし、邑九千戸加増、大都督・仮黄鉞に昇進、参内の際には小走りしないこと、上奏の際には名前を名乗らないこと、履剣上殿を許す。銭五百万、帛五千匹を下賜。相国を固辞。
司馬師、帝を諌める上奏文。皇帝は受け入れる。
二年
二月、毋丘倹と文欽の乱。司馬師、死亡。
司馬昭の上奏>>217。
大將軍に位をすすめる。輔政、劍履上殿。帝固辭不受。
甘露元年
春正月、大都督,奏事不名。
夏六月、高都公,地方七百里,九錫, 斧鉞,大都督,劍履上殿。又固辭不受。
秋八月庚申、加假斧鉞、摯侮O縣。
二年
夏五月〜 諸葛誕の乱
三年
諸葛誕の乱鎮圧
五月、晋公に封じられる。九錫,相國,晉國置官司焉。九譲し、止む。
秋七月,先世名臣元功大勳の子孫を,才能に応じて登用するよう上奏。
五年
夏四月、甘露2年5月と同じ詔。九讓して受けず。
五月、曹髦が殺される事件。曹奐が皇帝になる。
六月、改元。