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【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】Part9
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0001名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/02/25(木) 05:55:47.24ID:NcToXokI
近代タロットの理解にはカバラの知識が必須であることは、割とよく
知られていると思います。
しかしなから、タロットの理解に必要なカバラの知識って、日本に
おいては、あまり紹介されていないのが現実なんですよね。

というわけで、タロットの理解に必要なカバラの基本的知識を得るために
以下の本を引用、翻訳、考察しながら、色々と勉強していきたいと思います。

書名:The QABALISTIC TAROT
   A TEXTBOOK OF MYSTICAL PHILOSOPHY
   カバラ主義のタロット
   神秘主義的哲学の教科書
著者:Robert Wang

※話題への、ソコはちゃうやろ的ツッコミとか、雑談とかは歓迎ですが、
教えて的な質問に答えたりとかは面倒なので、スルーする可能性が高いです。
0101名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/05/26(水) 06:13:59.78ID:Iv3Hy3tF
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 225) ---
□ PATH COLOR: Scarlet
□ 「小径の色」:「緋色(深紅色)」

□ RELATED SOUND: C Natural
□ 「関連した音」:「Cのナチュラル」

□ SIGN: Aries (Cardinal Fire)
□ 「宮」:「白羊宮(活動宮の火)」

□ MEANING: Window
□ 「意味」:「窓」

□ SIMPLE LETTER: Sight
□ 「単字」:「視覚」

□ ESOTERIC TITLE: Sun of the Morning, Chief Among the Mighty.
□ 「秘伝的な称号」:「夜明けの子、強大なるものの中の首領。」
--- ここまで ---

最後の文の「Sun」は、「Son/子」の誤記ですかね。

この本の、この文章の右側には、「田」の字形の「窓」と、ヘブライ文字の「ヘー」と、
「白羊宮(はくようきゅう、おひつじ座)」の占星術記号、および「生命の木」における
「ヘーの小径」の位置が図示された絵が描かれています。

ちなみに、この「小径の色」の「緋色」と、「関連した音」の「Cのナチュラル」は、
「火星」が配属された「16:塔」と同じものとなっており、「4:皇帝」との密接な関連性
を示唆していると勝手に解釈して、色々と妄想を膨らませることが可能となっています。
え、どうせ下ネタして思い付かないんだろうって? まあ否定はしませんけど。(笑)
0102名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/05/27(木) 06:32:14.62ID:gBojhk5G
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 225) ---
THIRTY-TWO PATHS OF WISDOM: The Fifteenth Path is the Constituting Intelligence,
so called because it constitutes the substance of creation in pure darkness, and
men have spoken of these contemplations; it is that darkness spoken of in Scripture,
Job xxxviii.9. "and thick darkness a swaddling band for it."
「知恵の32の小径たち」:「15番目の小径」は「構成する知性」であり、それは、純粋な
暗闇の中での創造の物質を構成し、そして人々は、これらの瞑想たちを語り続けている
ためにそう呼ばれる;それは、『聖書』の『ヨブ記』38:9において、以下のように語られた
暗闇である。「そして、濃い暗闇をそれのための『おくるみ』とした。」
--- ここまで ---

ここは、いつものように、ウェストコット氏の英訳版『The Sepher Yetzirah/セフェル・
イェツィラー(形成の書)』の「THE THIRTY-TWO PATHS OF WISDOM/知恵の32の小径」から
の引用となっています。

参考までに、ここの『旧約聖書:ヨブ記』38:9(KJV版)の全文は、以下の通りです。
「When I made the cloud the garment thereof, and thick darkness a swaddlingband
for it,/その時、私は雲をその衣服にし、濃い闇をそれのための『おくるみ』とした。」
ちなみに、この「it/それ」は、その前節の「神が創造した海」のことを指していると
思われます。
つまり、「神」は「海」を産み出し、それに「雲」でできた服を着せ、さらにその上に、
「濃い暗闇」でできた「おくるみ」を巻いたということですかね。

この『旧約聖書:ヨブ記』の引用は、この「thick darkness/濃い暗闇」が「深淵」を
意味しているということが推測できるのと、この『旧約聖書:ヨブ記』38章が、「神」
による「天地創造」についての、人間に対するマウント的な語りの部分でもあるので、
天地創造の妄想ネタとしては、それなりに活用できる部分ではないかと思われます。

とはいえ、これが「4:皇帝」と、どう関わりを持つのかについては、各自の妄想に
依存するということになるのでした。
0103名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/05/28(金) 06:21:39.41ID:9583Ezto
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 226) ---
The higher we rise on the Tree of Life, the more obvious it becomes that the Tarot
trumps only point the way toward concepts which the mind cannot otherwise grasp.
我々が、「生命の木」に基づいて、より高く上れば上るほど、「タロット」の切り札たち
(大アルカナ)は、知性が他の方法では把握できない概念たちへの道を指し示すだけになる
ことが、ますます明らかになる。

Until the present day this was a great deal more difficult because the language of
psychology did not exist.
今日まで、心理学の用語が存在しなかったので、これは、はるかに多くの困難なことであった。

Our terms such as "conscious," "sub-conscious" and "unconscious" are extremely
useful tools because they conceptualize something inordinately fluid.
「意識的」、「潜在意識的」、「無意識的」などの我々の用語たちは、それらが過度に
流動的な何かを概念化しているので、極めて役に立つ手段たちである。

Thus, in our present state of development, we easily deal with shades of
consciousness within ourselves.
従って、我々の発達の現在の状態においては、我々は、我々自身の内にある意識の陰たち
を、容易に取り扱う。
--- ここまで ---

ウォン氏は、「psychology/心理学」が、大アルカナを解き明かす「鍵」となると述べて
いますが、これは明らかに言い過ぎであり、実際のところは、何かを明らかに出来ている
というわけではありません。
とはいえ、それが「useful/役に立つ」ものであるということは、それが「ネタ」として
という意味であれば、全くもって間違いではありません。
つまり、この「4:皇帝」から上のカードは、事実上、そういう「ネタ」扱いしか出来ない
ため、純粋な「ネタ」を「ネタ」として取り扱える「心理学の用語」以外では、ネタ切れ
となってしまうということなんですよね。
0104名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/05/29(土) 06:31:16.28ID:isEh96fZ
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 226) ---
We are coming closer and closer to an ability to deal with formlessness, pure
consciousness.
我々は、形なきものや、純粋な意識を取り扱う能力に、ますます近づいている。

This is the promise of the so-called Age of Aquarius, although it is rarely stated
in such terms.
これは、いわゆる「アクエリアン・エイジ(水瓶座の時代)」の約束であるけれども、
それは、そのような用語では、めったに述べられない。

The student who begins to understand the next five Tarot Trumps (THE EMPEROR,
THE EMPRESS, THE HIGH PRIESTESS, THE MAGICIAN and THE FOOL) will have taken a
long step into that new age.
次の五つの「タロットの切り札(大アルカナ)たち」(「皇帝」、「女帝」、「高等女
司祭」、「魔術師」、「愚者」)を理解し始めた学徒は、その新しい時代への長い一歩を
踏み出し続けることになるであろう。
--- ここまで ---

そもそも、タロットの大アルカナは、その全てが「formlessness, pure consciousness/
形なきものや、純粋な意識」の領域にあるものなので、今さら感はありますが、とりわけ
「ティファレト」の上位にあるものは、人類にとっては、さらにわけがわからないシロモノ
であり、一般人は立入禁止となっている存在です。
それゆえ、この上位カードの領域は、特に何の根拠も無い、根も葉もない妄言や妄想が、
無秩序に垂れ流されるという、実にカオス(笑)に満ちた領域になっているわけです。

言ってみれば、この領域を語ることは、各自の「黒歴史ノート」を読み上げるようなもの
であり、そういう妄想を披露するのって、実は結構恥ずかしい行為なんですよね。
まあ、「アクエリアン・エイジ(水瓶座の時代)」というのも、そういう「黒歴史ノート」
の一節にあるようなシロモノなのですが、そういうお約束的なネタも含めて、ここの上位
カードたちの解釈を、あくまでもネタとして楽しんで頂ければと思うのでした。
0105名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/05/30(日) 06:50:15.93ID:efLaQJKA
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 226) ---
To this end it must be emphatically restated that the entire Tarot deck reflects
the Universe which is made up of permutations of The One.
この目的のために、全体の「タロット」のデッキが、「一なるもの」より成る並べ換えたち
で構成される、「宇宙」を反映していることを、強調して再び述べなければならない。

From the One emerges opposites which are activating the formative, male and female.
「一なるもの」から、活動的なるものと形成的なるもの、男性的なるものと女性的なるもの
である、反対物たちが出現する。

It is accurate to say that all male and female figures in the Tarot are Chokmah
(Jah) and Binah (YHVH Elohim) wearing the robes of different planes, actually
levels of vibratory rate, of the Universe.
「タロット」の中の全ての男性と女性の人物像たちは、「宇宙」の、異なる次元たちの、
実際には振動速度の段階たちの、ローブたちを着用している、「コクマー (ヤー)」 と
「ビナー (ヤハヴェ・エロヒム) 」であると言うことは確かである。
--- ここまで ---

今まで述べたように、「生命の木」における宇宙創造理論において、この我々の宇宙は、
「The One/一なるもの」であり、そして「All that Is/存在するもの全て」である
「ケテル」から始まり、そこから「The Supernal Father/天上の父」である「コクマー」
と、「The Supernal Mother/天上の母」である「ビナー」が生み出されたということに
なっていますので、設定的に言えば、上記の説明は正しいです。

とはいえ、あくまでもこの理論は、そういう設定であるという前提であるということであって、
その設定が正しいかどうかは、決して問うてはならないものです。
まあ、そういう「そもそも前提からして疑問を持たないといけない」ことを、あたかも
それが絶対的に正しいという、妙な正義感みたいな思い込みだけで、色々と言ってくる
人が多いのは確かですし、テレビに出てくる評論家みたいな人には、その手の人が
多くいる感じがするのも確かなんですよね。
0107名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/05/31(月) 05:59:53.96ID:K5BOVZKE
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 226) ---
THE FOOL is the One God Energy.
「愚者」は、「一なる神の精力」である。

THE MAGICIAN and THE HIGH PRIESTESS are the first differentiation into masculine
and feminine within the Macrocosm and the Microcosm.
「魔術師」と「高等女司祭」は、「大宇宙」と「小宇宙」の中での、男性的なるものと
女性的なるものになる、最初の分化である。

These are the personal, subjective energies of the Macrocosm and the Microcosm.
これらは、「大宇宙」と「小宇宙」の、個人的で主観的な精力たちである。

These are the personal, subjective energies of the Paths, as opposed to the
objective, Universal energies of the Sephiroth.
これらは、「セフィロト」の客観的で「普遍的」な精力たちとは対照的に、「小径たち」
の個人的で主観的な精力たちである。
--- ここまで ---

「セフィロト」が客観的で普遍的なもの、すなわち、より下層の存在であり、他人に対して
説明が可能なものである一方で、「小径」が個人的で主観的なもの、すなわち、より上位の
存在であり、他人には説明することが不可能なものという話は、この本の最初の方にある
「生命の木」の理論で紹介されています。
つまり、ここにある「大アルカナ」の解説は、全てがウォン氏個人の主観的なものであり、
そしてワタシ個人の主観的なものであって、他人からどうこう言われる筋合いのものでは
ないということでもあります。
まあ要するに、「誰も正解を知らない」ということであり、それゆえ、理論や理屈抜きに、
純粋に「ネタ」としてのみ語ることが出来るということでもあります。
つまり、「大アルカナ」については、「その解釈は間違っている」というのは間違った態度で
あって、「ワタシの解釈だと、そうではなくて、こうなる」と言うのが、より正しい態度であると
いうことになるわけですよね。←いちいち面倒臭いww
0108名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/06/01(火) 06:07:25.71ID:z4J5o8rG
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 226) ---
The Qabalistic theory is that THE MAGICIAN is the consort of THE HIGH PRIESTESS.
「カバラ主義」の理論は、「魔術師」は「高等女司祭」の配偶者である、ということである。

Considered psychologically, we know that THE MAGICIAN stands for the Will, while
THE HIGH PRIESTESS, the "Root of Water," is the Pure Unconscious.
心理学的に考慮すると、我々は、「魔術師」は「意志」を表し、その一方で、「水の根源」
である「高等女司祭」は、「純粋な無意識」であることを知る。

So to describe THE MAGICIAN as the mate of THE HIGH PRIESTESS refers to the activity
of the directing Will of the One on the Great Ocean of undifferentiated consciousness
which It has itself projected.
従って、「魔術師」を「高等女司祭」の配偶者とみなすことは、「それ(一なるもの)が、
それ自身を投影し続けている」、未分化の意識の「大いなる海」の上の、「一なるもの」
の指示する「意志」の活動を参照する。
--- ここまで ---

ここの「Qabalistic theory/カバラ主義の理論」は、ゴールデン・ドーンでの解釈だと
思われるのですが、「生命の木」の配属という点では、少なからず違和感があります。

上記の理論を、ワタシの直観に基づいて、「生命の木」の「小径」に当てはめると、
・「ケテル→コクマー」:「1:魔術師」(実際は「0:愚者」)
・「ケテル→ビナー」:「2:高等女司祭」(実際は「1:魔術師」)
・「ケテル→ティファレト」:「0:愚者」(実際は「2:高等女司祭」)
・「コクマー→ビナー」:「6:恋人たち」(実際は「3:女帝」)
・「コクマー→ティファレト」:「4:皇帝」(実際は「4:皇帝」)
・「ビナー→ティファレト」:「3:女帝」(実際は「6:恋人たち」)
ということになってしまい、感覚的な辻褄が合わなくて、何となく気持ち悪いわけです。
まあ、上位世界の話なので、ワタシのような下等生物には理解できない何かがあると思わ
れるのですが、残念ながら、その謎を解く手がかりは、まだ見つけられないのでした。
0109名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/06/02(水) 06:33:04.28ID:w+hL6a/H
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 226) ---
In the Qabalah we are always dealing with reflexive qualities; God creates thought,
then mind to hold that thought.
「カバラ主義」においては、我々は常に再帰的な品質たちを取り扱っている;「神」は、
思考を、それから、その思考を保持するために精神を創造する。

Everything has to do with the perception and activity of The Divine Spirit on
Itself, a process which various systems of symbols attempt to suggest.
全てのものは、「それ(神)自身」の上の「神の霊」の知覚と活動であり、示唆しようと
試みる象徴たちの様々な体系たちの過程に、関わらざるを得ない。

As was described in considering the WHEEL OF FORTUNE, the Alchemists spoke of the
Divine Self-interaction in terms of Sulphur, Salt and Mercury.
「運命の輪」の考察において述べられたように、「錬金術師たち」は、「硫黄」、「塩」、
そして「水銀」の用語たちで、「神の自己相互作用」について話した。

These same terms may be applied to the upper-level cards of the Tarot.
これらの同じ用語たちは、「タロット」の上位段階のカードたちに適用しても差し支えない。
--- ここまで ---

まあ、タロットの大アルカナを説明しようとすると、現状では「ミソクソ理論」に頼る
以外の方法は無いということではありますが、そういう意味においては、「錬金術」も
「占星術」も「心理学」も、同じような「ミソクソ理論」の範疇に入るわけですので、
「毒を以て毒を制す」というか、もはやカオスすぎて何が何だかわからない、まさしく
糞ダメの領域に入っていくしかないわけです。
つまり、「神」を語ろうとすればするほど、「上の如く、下も然り」の理論上、「糞」を
語ってしまうことになる、ということですよね。

ということで、そういう糞のような話を、糞まじめな顔をして語ったり悟ったりするの
ではなく、ここから先は、単なるクソネタとして楽しんで頂ければと思うのでした。
0110名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/06/03(木) 06:37:45.60ID:VQ+osKf5
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 226) ---
THE MAGICIAN is Mercury, THE EMPRESS is Salt and THE EMPEROR is Sulphur.
「魔術師」は「水銀(水星)」であり、「女帝」は「塩」であり、そして「皇帝」は「硫黄」
である。

Crowley has gone so far as to position his Emperor so that the body forms a triangle
and cross, symbol of the Alchemical Sulphur [硫黄記号].
クロウリー氏は、その体が「錬金術の硫黄」[硫黄記号]である、三角形と十字を形づくる
ように、彼の「皇帝」を配置することさえ行った。
--- ここまで ---

特殊文字である錬金術記号の入力は困難であるため、いつものように[ ]で代用します。
・[硫黄記号]:上が三角形で、下が十字。

ゴールデン・ドーンは、公式的な「小径」と「錬金術の三要素」の配属は無いので、
各自で好きなように配属することが可能です。
ちなみに、クロウリー氏は、『トートの書』の中では、「3:女帝」に「塩」を、「4:皇帝」
に「硫黄」を配属し、さらに「2:高等女司祭」は「水銀」であることを示唆しています。

とはいえ、この「生命の木」の上位世界を表現するには、「タロット」も「錬金術」も
力不足というか、全くレベルが足りていない感が、ありありですよね。
というか、そもそも「深淵」を渡る「7:戦車」「6:恋人たち」「5:法王」「4;皇帝」「2:
高等女司祭」のカードは、その上半身は、あっちの世界にあって、我々には下半身しか
見えていないので、かろうじて見えている下ネタの部分でしか語れないわけです。

そして、見えないものを語ろうとすると、どうしても妄想、いやいや「個人的な感想」
でしか語れないわけですので、ワタシとしても、かなり低レベルな感想文しか書けない
という言い訳を、ここから先は延々と繰り返さざるをえない状況なんですよね。
まあ、ここから先は、ほとんど読むに値しないものではありますが、惰性ということで
お付き合いください。(ダッセー言い訳www)
0111名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/06/04(金) 06:31:48.45ID:Hc5jQjV6
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 226) ---
THE MAGICIAN (Philosophic Mercury) acts upon THE HIGH PRIESTESS (Pure Consciousness)
and they are, by their union, transformed into THE EMPEROR and THE EMPRESS,
Sulphur and Salt.
「魔術師(哲学者の水銀)」は、「高等女司祭(純粋な意識)」に基づいて行動し、そして
彼らは、彼らの結合により、「皇帝」と「女帝」である、「硫黄」と「塩」に変換される。

Of course, all of this may seem little more than an obscure abstraction, a bending
of words almost for their own sake.
もちろん、これの全ては、曖昧な抽象概念にすぎず、それら自身のために、ほとんど
言葉たちを曲げているように見えるかもしれない。
--- ここまで ---

前の文で、「魔術師」は「Mercury/水銀(水星)」であると言っておきながら、ここでは
「Philosophic Mercury/哲学者の水銀」と説明されています。
「Mercury/水銀」と「Philosophic Mercury/哲学者の水銀」は、似て非なるものなの
ですが、実際には、割と混用されていて、ゴールデン・ドーンでは、「魔術師」を「哲学
者の水銀」として説明していたりします。(『The Golden Dawn/黄金の夜明け魔術全書』
「第四知識講義」「タローに関する覚書」参照)

それと、前の文では、「高等女司祭」が「Pure Unconscious/純粋な無意識」であると
言っておきながら、ここでは「Pure Consciousness/純粋な意識」であると説明されて
います。

まあ、ワタシのような下層の人間には、この上位レベルにおいて「Pure Unconscious/
純粋な無意識」とか「Pure Consciousness/純粋な意識」とか言われても、識別不可能と
いうか、全く理解できないシロモノであって、上記の相違が、意図的なのか間違いなのか
さえ、ワタシには判別不能なのですよね。(あぽーん状態ww)
ということで、どうせ全く理解できないことなので、すこぷるどっちでもいいというか、
見なかったことにして、カレーにスルーしておきます。←もはやヤル気無しww
0112名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/06/05(土) 06:56:38.80ID:CpeZKhmW
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 227) ---
But when we consider these principles as aspects of our own consciousness, they
are quite basic.
しかし、我々が、これらの原則たちを、我々自身の意識の様相たちであるとみなすならば、
それらは完全に基本的なものになる。
--- ここまで ---

ここは、「上の如く、下も然り」の逆の、「下の如く、上も然り」ということを言いたい
ようですが、残念ながら、これは原理上は間違った応用です。
なぜなら、「上>>>>[越えられない壁]>>>下」という、要は「月とスッポン」の
上下関係があるわけですので、心理学用語で、「生命の木」の上位世界を語ろうとする
目論見自体が、原理的に見て、間違ったアプローチなのです。

結果的に、心理学とは領域の異なる錬金術ネタや占星術ネタを絡めることになって、
定義不能な「水銀」や「硫黄」や「塩」、そして「哲学者の」とか「純粋な」という
ような、怪しげな、いやいや神秘的な表現で、無知な読者を釣る、いやいや興味を
持ってもらうようにしないといけなくなるわけです。

実際のところ、心理学が応用できるのは、「霊」である「ティファレト」以下の世界で
あって、それ以上の世界は、基本的には心理学の適用範囲を超えています。
つまり、この「4:皇帝」を心理学的に解読しようという試みは、あくまでもネタとしての
適用であって、何の根拠も無いということを、重々承知しておく必要があります。

ちなみに、この本の著者であるウォン氏は、ユング心理学の信奉者であり、そういう意味
では、この本は、「ユング心理学を適用したタロットの解説書」ですので、最初から最後
まで、そういう「心理学は万能です」的な流れになるのは、当然のことだと思います。
そうはいっても、「生命の木」の世界観は、「ユング心理学」が取り扱う領域を完全に
越えていますので、そういう理論適用の限界については、読者側で、きちんと把握して
おくべきことだと思うのでした。
0113名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/06/06(日) 06:41:51.05ID:LgNSsp8R
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 227) ---
When we close our eyes and allow free-form images to float by us.
我々が、我々の目を閉じ、そして自由な形式たちの画像たちを、我々により浮かばせて
おく時。

Taking whatever direction they will, we are tapping into the life energy "ruled"
by THE EMPRESS.
それらが望んで向かう方向が何であれ、我々は「女帝」により「支配される」生命の精力
を利用している。

When we begin to think about what is happening before our eyes, classifying the
images according to color, subject, or any other criterion, we are calling THE
EMPEROR into play.
我々が、我々の目の前で起こっていることについて考え始め、色、対象、もしくは
その他の基準に従って画像を分類する時、我々は「皇帝」を利用している。

We are acting upon form.
我々は、形に「基づいて行動」している。
--- ここまで ---

なぜ「女帝」なのか、なぜ「皇帝」なのかという説明を抜きにして、いきなり結論から
入っていますが、元々が、そういう根も葉もないことを説明しようとしているわけです
ので、そういうものだということを理解しておいてください。
そして、前節で、「3:女帝」に錬金術の「塩」を、「4:皇帝」に「硫黄」を配属したこと
との関連性について、これとの関連で考察しようとしても、何の意味もありません。

何が言いたいかというと、この領域の全ては「free-form images/自由な形式たちの画像
たち」であって、それは「whatever direction they will/それらが方向が何であれ」、
とにかく自由(free)で、説明不要(free)であり、要するに何でもありなのですが、
逆に何でもありすぎて、特に何の役にも立たないというのも、確かなのですよね。
0114名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/06/07(月) 06:21:43.18ID:qjzwGQEw
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 227) ---
This is another of those cards where Paul Case brought exceptional insight to bear,
as he explained why THE EMPEROR is on the Path below THE EMPRESS.
これは、ポール・ケース氏が、彼は、なぜ「皇帝」が「女帝」の「下」の「小径」にある
のかを説明したように、特別に優れた洞察をもたらした、それらのカードたちのうちの、
もう一枚である。

He says: "Because she is the manifesting power which brings forms into being he
has something to rule. . .
彼は言う:「なぜなら、彼女は、形たちを実在化させる、顕現化する力なので、彼は支配
する何かを持つ。…

The Magician, who appears now as the Emperor, would have nothing to control or
transform did not subconsciousness send up from its depths a stream of images
to be classified by the exercise of reason." (*235)
今は「皇帝」として出現する「魔術師」は、支配するためや変形させるための何かを持た
ず、無意識が、その奥底たちから、理性の行使により分類される画像たちの流れを送り出
すこともない。」 (*235)
--- ここまで ---

ちなみに、(*235)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 276) ---
235. Case, Tarot Fundamentals, Lesson 11, 2-3.
235. ケース著、『タロットの基礎』、第11課、2-3ページ。
--- ここまで ---
とあります。

ごめんなさい。
ワタシには理解不能というか、これとは全く異なる見解を持っているので、上記の内容に
ついては、各自でご判断願います。
0115名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/06/08(火) 06:09:09.99ID:zckKTr4U
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 227) ---
It should be obvious that there is a certain crossover of the Yod and Heh energies.
そこに、「ヨッド」と「ヘー」の精力たちの、ある一定の交差路があることは明白であろう。

THE EMPRESS is the balance between Chokmah and Binah.
「女帝」は、「コクマー」と「ビナー」の間の均衡である。

She is the growth which comes from the interaction of the male and female, as in
the fertilized cell.
彼女は、受精した細胞にあるような、男性と女性の相互作用に由来する、生育である。

She is pure fruition.
彼女は、純粋な結実である。
--- ここまで ---

ここは、いつものように、とりあえず、わかんなくなったら、「pure/純粋な」という
逃げ言葉を、頭に付けておくという手法となっています。

というか、そもそも「コクマー=ヨッド」は「pure male/純粋な男性」であり、そして
「ビナー=ヘー」は「pure female/純粋な女性」であり、それゆえ、下界の我々が持つ
男性と女性の概念とは、ほぼ別物ですので、誤解されやすい下層の男女の概念を、上位
世界に持ち込むのは、避けた方が無難というか、絶対にやってはいけない行為です。
それに、「女帝」が「interaction of the male and female/男性と女性の相互作用」と
いうのであれば、何で女性像しかないのか、という点も、現代においては、ワンオペ育児
かよ!というツッコミが入りそうな状況ですしね。

要は、「上の如く、下も然り」というのは、しょせん下界というか人間界の「どんぐりの
背比べ」でのみ成立するニュートン力学的な概念であって、それを宇宙創造の上位世界に
拡張して適用するのは「ミソクソ」であるということなんですよね。
つまり、この点が、タロットの限界であり、そして人間の思考の限界ということなのです。
0116名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/06/09(水) 06:17:41.72ID:vmJeGFVP
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 227) ---
THE EMPEROR, on the other hand, while a potent masculine energy, is Heh on the
Paths, meaning that its function is determined by Binah.
「皇帝」は、その一方で、強力な男性の精力であると同時に、「小径」たちの上では
「ヘー」であり、その機能は「ビナー」により決定されることを意味している。

This is a formative Path, its activities are rational and classifying, as is
underscored by its bright red color, that of Binah in the World of Pure Spirit,
Atziluth.
これは、形成的な「小径」であり、「純粋な霊の世界」である、「アツィルト」における
「ビナー」のそれ(色)である、その鮮やかな赤色により強調されるように、その活動
たちは合理的で分類的である。

The lower we go on the Tree of Life, the more the male and female energies are
interwoven.
我々が、「生命の木」に基づいて下に行けば行くほど、男性と女性の精力たちは、より
多く織り交ぜられる。

And, by this reasoning, one might assume that the only "pure" male and female
in the Universe are at the level of Chokmah and Binah, which is unfortunately
not the case.
そして、この推論により、人は、この「宇宙」の中で唯一の「純粋な」男性と女性が、
「コクマー」と「ビナー」の段階にいると仮定するかもしれないが、残念ながら、それは
事実ではない。
--- ここまで ---

要するに、この上位領域の「純粋な男と女のネタ話」は、「rational/合理的」でもなく、
「classifying/分類的」でもなく、どちらかというとミソクソというか、ご都合主義的な
シロモノであって、普通の人間の思考や推論の範囲外にあるということです。
残念ながら、「This is the case/これが事実です」。
0117名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/06/10(木) 05:54:42.66ID:vX1qDtSx
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 227) ---
Having come to the level of the Supernal Paths, it is necessary to introduce an
idea which may be perceived as destructive to the entire tower of male and female
principles so neatly established to this point.
「至高の小径たち」の段階に達しているので、この点でそんなにきちんと確立された、
男性と女性の原則の塔全体にとって、破壊的であると知覚されるかもしれない考え方を
導入することが必要である。

Let us state the problem abruptly:
突然ではあるが、問題を述べよう:
--- ここまで ---

結論から言うと、「男」と「女」という低位の概念を、「下の如く、上も然り」という
誤った原則論で、上位世界に持ち込もうという行為自体が、誤りなのです。

ついでに言うと、現代社会においては、「男らしい」とか「女らしい」という言葉自体が
禁句になりつつあります。
要するに、「男らしさ」や「女らしさ」は、下層世界でのみ発動する低俗な属性であって、
高エネルギー状態の上位世界では、そういう粒子・反粒子の明確に区別は見られないので、
低エネルギー状態の「男と女」の概念を適用して、上位世界を解釈することは、全くの誤り
である、ということです。

もっとわかりやすく言うと、我々の次元から見える「コクマー」と「ビナー」には、それ
ぞれ「おちんちん」と「おまんまん」が付いているように見えるけれども、「至高の小径
たち」である「大アルカナ」の次元から見える「コクマー」と「ビナー」には、もはや
「おちんちん」も「おまんまん」も無く、そこにあるのは「完全なる対称性」、すなわち
「コクマー」は「ビナー」であり、かつ「ビナー」は「コクマー」であるということです。

ここから導き出せる結論は、「大アルカナ」の上位カード(「7:戦車」から上)に描かれた
人物像の男女の性別は、ネタ以外には何の意味も持たない、ということなのですよね。
0118名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/06/11(金) 06:16:06.16ID:AI/IGvNv
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 227) ---
Chokmah ([heh][mem][kaph][cheth], Wisdom), meaning the primary quality of maleness,
is a female noun.
男性の最初の品質を意味する、「コクマー」([heh][mem][kaph][cheth]、知恵)は、女性
名詞である。

And, if we are willing to accept the assertions of Gematria, the idea that sages
of the past have buried truths in the interaction of numbers applied to each
letter, or that each letter is itself a holy symbol, can we believe that the very
gender of the title is insignificant here?
そして、もし我々が、過去の賢人たちが各々の文字に適用された数字たちの相互作用の中に
真実たちを埋め続けている、もしくは、各々の文字はそれ自身が聖なる象徴であるという
考え方である、「ゲマトリア」の主張たちを受け入れる気があるならば、我々は、まさしく
(「コクマー」という)称号の性別が、ここでは無意味であると信じることができますか?

Obviously not.
明らかに、そうではない。

However, the gender of the Hebrew noun for Wisdom is rarely mentioned by writers
on the Qabalah, because it appears to be an irreconcilable problem of language.
しかしながら、「知恵」の「ヘブライ語」の名詞の性別は、「カバラ主義」に関する著述家
たちにより言及されることはめったにないが、なぜならそれは、言語の矛盾している問題で
あるように見えるからである。
--- ここまで ---

カバラにおいては、「聖四文字」は、「コクマー=ヨッド」、「ビナー=ヘー」、「ティ
ファレト=ヴァウ」、「マルクト=ヘー」に配属されており、それゆえ、「コクマー」は
「最初の男性性」であり、「ビナー」は「最初の女性性」であると言われています。
でも、ワタシは、この上位世界において「男性」と「女性」の概念を持ち出すこと自体が、
「低俗」であって、多くの誤解と間違いの元となっていると考えているわけですよ。
0119名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/06/12(土) 06:27:53.92ID:bu/59zFp
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 227) ---
But let us here take the point of view that whatever "gives birth" is exercising
a primary female quality at the moment of birth.
しかし、ここで、「出産する」ものはみな、「出産の瞬間に」最初の女性の品質を行使
しているという観点をとってみよう。

Adam is the first (symbolic) male, but insofar as his rib became the first female,
he conceived and gave birth, thus performing a female function.
「アダム」は、最初の(象徴的な)男性であるが、しかしながら、彼の肋骨が最初の女性に
なった限りにおいて、彼は妊娠して出産しており、従って女性の機能を果たした。

The female was inherent in the male.
女性は、男性に内在したものであった。
--- ここまで ---

ここは、「コクマー」が「アダム」であり、「ビナー」が「イヴ」であるという観点からの
逆向き推論ですが、これも「下の如く、上も然り」という、間違った推論です。
そもそも、「アダム」や「イヴ」は、「至高の三角形」よりも、ずっと下位の存在であり、
さらに言うと、『旧約聖書:創世記』1:27にあるのは、「神(エロヒム)」が、人間を
「男と女」に創造したと言っているだけであり、創造した時点では、「男と女」の属性を
持つ両性具有の人間が創造されたという見方も可能です。
また、『旧約聖書:創世記』2:21-24では、「アダム」は妊娠も出産もしていません。
しいて言えば、「神(ヤハヴェ・エロヒム=ビナーに配属)」の手による「遺伝子操作
されたクローン作成」によるものですし、そもそも「アダム」も神の手により作成された
生命体ですので、「アダム」が「イヴ」を産んだという見方は出来ません。

ちなみに、『旧約聖書:創世記』2:24には、「アダム」には、神である「父と母」がいる
という記述がありますので、この父であり母である「神(ヤハヴェ・エロヒム=ビナー)」
が、「コクマー」と「ビナー」に相当するということであって、そういう意味からしても、
「コクマー」と「ビナー」は両方とも、「父であり母である」存在だと考えられるわけです。
0120名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/06/13(日) 06:57:59.03ID:3kYFXkiA
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 227) ---
What we are describing is not exactly androgeny, or even bi-sexuality, since it
is a real transformation of the function of a given energy.
我々が説明しているものは、それが与えられた精力の機能の本当の変換であるため、正確
には両性具有、もしくは両性愛でさえもない。

Within all that is male there is female, and within all that is female there is
male.
男性であるもの全ての中に女性があり、女性であるもの全ての中に男性がある。
--- ここまで ---

最初の文の「androgeny」は、「androgyny/両性具有」の誤記ですかね。

この「androgyny/両性具有」は、男性器と女性器の両方が付いているという、肉体的な
話であり、そして「bi-sexuality/両性愛」は、精神的な面と遺伝子的な面で、外見的
には正常でありながら、性行動においては両方の面を持つということであって、いずれに
しても、「男と女」としての性行動という、どちらかというと下位世界の話なわけです。

ちなみに、ワタシの個人的考えなのですが、劣化ケテルである「ティファレト(子)」の
直接の親は、「コクマー(父)」や「ビナー(母)」ではなく、最初に「ティファレト」
に到達する「小径」が「2:高等女司祭」であることから、「ケテル」であると推察します。

そして、上位世界にある「コクマー」や「ビナー」は、「一」である「ケテル」から創造
された、単なる「二」であり、ここでは「男女」の区別ではなく、「左右」、すなわち
鏡像関係にある「右手・左手」や「右足・左足」や「右目・左目」という、完全に補完的な
関係であって、我々の感覚にある「男と女」や「攻めと受け」や「優と劣」の機能分化は
無く、それぞれ置き換えることが可能な「対称性」を持つ「一対の存在」です。
そして、「深淵」より下の世界では、「対称性の破れ」により、どちらかの機能が優先的に
「manifest/発現」したということだと考えています。
まあ、誰も証明できないし関係ないことなので、すこぶるどうでもいい話なんですけどね。
0121名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/06/14(月) 06:17:10.46ID:9jZkNnYe
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 227) ---
In Jungian terms, the male harbors the perfect female image in his unconscious,
as the female harbors the perfect male image in her unconscious.

ユング理論の用語たちにおいては、女性は彼女の無意識の中に完全なる男性の心像を抱いて
いるように、男性は彼の無意識の中に完全なる女性の心像を抱いている。

These are images of the self as opposite gender, the "contrasexual component.”
これらは、反対の性別としての自己の心像たちである、「逆性的要素」である。

This is what Jung called the Anima (Female) in males and the Animus (Male) in females.
これは、ユング氏が、男性たちの中の「アニマ(女性)」、女性たちの中の「アニムス
(男性)」と呼んだものである。
--- ここまで ---

「生命の木」を、人体である「小宇宙」に適用するのであれば、こういう考え方もアリ
なのかもしれませんが、ワタシが語りたいのは、あくまでも「大宇宙の創造」ネタです
ので、あんまり興味が沸かない話題です。

まあ、ユング心理学の知識で、「生命の木」全体を解読しようという本書の意図自体が、
大変おこがましい考え方ですので、下位世界では、その試みが成功したからといって、
その成功体験を、上位世界にまで引きずるのは、避けておいた方が無難かと思います。

いずれにしても、「深淵」より上は、完全なるカオスな世界であり、我々のイメージに
あるような「対称性の破れ」の状態にある「男と女」の概念は、「至高の三角形」には
適用できないわけですが、そうは言っても、別の意味での「性別」というか、お互いを
「区別」するものは、「コクマー」と「ビナー」には、おそらく存在するわけです。
とはいえ、それを「性別」と一括りにして言ってしまうと、とんでもない誤解が生じます
ので、そういう誤解を前提として意図的にネタとして使う場合以外は、なるべく脳内から
「男と女」の概念を消去してから、色々と妄想を膨らませた方が良いかと思うのでした。
0122名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/06/15(火) 06:16:18.08ID:Biy71q+S
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 228) ---
These idealized qualities are personified as the Magna Mater, the Great Mother who
is Binah and as the Wise Old Man, a personification of spiritual principle who
is Chokmah. (*236)
これらの理想化された品質たちは、「ビナー」である「太母(グレートマザー)」である
「大いなる母(マグナ・マーテル)」として、そして、「コクマー」である霊的原理の
擬人化である「老賢人」として擬人化される。 (*236)
--- ここまで ---

ちなみに、(*236)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 276) ---
236. Jung, Archetypes, passim.
236. ユング著、『元型たち』、諸所より。
--- ここまで ---
とあります。

ちなみに、「Great Mother/太母(グレートマザー)」は英語であり、「Magna Mater/
大いなる母(マグナ・マーテル)」はラテン語という違いだけで、意味は同じものです。

ユング心理学は、言ってみれば、それ自体が「オカルト」というか「神の言葉」であり、
ユング心理学を根拠として語られると、そこで思考停止してしまうのが難点ですよね。

もう一つ言うと、この上位世界における属性の擬人化は、実のところ、宇宙創造の研究に
おいては、百害あって一利無しであって、無用な誤解を招きますので、出来れば避けたい
ところですが、そうは言っても、「上の如く、下も然り」に従って、世俗的な下位世界での
応用を考えた時には、「○○娘」の例にあるように、それなりに有用というか、一般受け
を狙うためにも、欠くべからざる手法なわけです。

つまり、「大宇宙の研究」か「小宇宙の研究」か、もしくは「エンタメ向け」か、という
目的の違いにより、この大アルカナの擬人化は、評価が分かれる、ということです。
0123名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/06/16(水) 06:11:25.73ID:pAJVkJr0
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 228) ---
On the Paths, THE EMPRESS is Anima and THE EMPEROR is Animus.
「小径たち」の上では、「女帝」は「アニマ」であり、「皇帝」は「アニムス」である。

In Latin Anima means soul, while Animus means spirit; the very concept of soul
represents the enclosure, or definition of boundaries of spirit, the Heh creating
boundaries around the spiritual Yod.
ラテン語では、「アニマ」は魂を意味し、一方で、「アニムス」は「霊」を意味する;
「ヘー」は霊的な「ヨッド」の周りに境界たちを作成しており、魂の概念はまさしく、
霊の境界たちの囲い込み、もしくは限定を表している。

Thus the perfectly developed male type on the Paths is THE EMPEROR, and the perfectly
developed female type is THE EMPRESS.
従って、「小径たち」の上で完全に開発された男性の型式は「皇帝」であり、完全に開発
された女性の型式は「女帝」である。

These are the pure energies with which we meet and actually converse on the Paths.
これらは、我々が、「小径たち」の上で、出会い、そして実際に会話を交わす、純粋な精力
たちである。
--- ここまで ---

なんか、強引に「ユング心理学」の「男女論」を持ち込んで、「4:皇帝」と「3:女帝」を
カップリングしようとしている感じですが、「至高の三角形」の要素には男女論は必要ない
と考えるワタシとしては、ここは強烈な違和感しかないです。
要は、「至高の三角形」は、いわゆる「秘密の首領」であって、それにアクセスできる
「鍵」というか「パスワード」が、「7:戦車」から「4:皇帝」にあって、そのレベルに
おいてさえも、「男と女」の概念は、さほど重要ではないと考えているわけです。
そういう意味においては、「4:皇帝」が女性属性の「ヘー」であり、対称位置にある「6:
恋人たち」が男性属性の「ザイン」であっても、そんなに違和感は無いですし、そもそも
「男っぽい」とか「女っぽい」という決めつけは、上位世界には必要無いと思うのでした。
0124名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/06/17(木) 06:14:08.90ID:pa13xtbB
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 228) ---
Whatever terms may be used to describe THE EMPEROR, he remains the bridge between
The Father (Chokmah) and The Son (Tiphareth).
「皇帝」を説明するために記述されるかもしれない、どのような用語たちであれ、彼は、
「父(コクマー)」と、「息子(ティファレト)」の間の架け橋であり続ける。

And the very fact that the Sun of Tiphareth is exalted in the sign of this Path,
Aries, indicates that THE EMPEROR exercises some control of the Solar energy of
the Higher Self.
そして、「ティファレト」の「太陽」が、この「小径」の宮である「白羊宮」において
高揚されるという事実はまさしく、「皇帝」が「高次の自我」の「太陽」の精力の何かの
制御を行使することを示す。

Thus the Path of Heh is called the Constituting Intelligence, meaning that it
assists in the building up of the Light of Tiphareth from the utter darkness
of the Supernal Triangle, as rational genetic structure directs the rising of
the plant from the intense darkness of the Earth.
従って、「ヘー」の「小径」は、合理的な遺伝子の構造が、「地」の強烈な暗闇からの
植物の上昇を指示するように、それは「至高の三角形」の完全な暗闇から「ティファレト
の光」を築き上げることを援助することを意味する、「構成する知性」と呼ばれる。
--- ここまで ---

最後の文の例え方、つまり「深淵」の暗闇を、「地」の暗闇と同一視するというのは、
いつものように「上の如く、下も然り」の逆適用であって、間違った使い方なのですが、
そうは言っても、「構成する知性」を説明できる適切な「例」というものは、この地上
には存在しないというか、理論上というか形而上的なものでしかないので、ワタシにも
適切な説明は不可能です。
ワタシが言えることは、「コクマー」から「ティファレト」を結ぶ「小径」が「4:皇帝」
と呼ばれているということだけであって、それ以上のことは、各自で勝手に妄想して
下さいという程度の、すこぶるどうでもいいことぐらいです。
0125名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/06/18(金) 06:29:58.56ID:OkUlVvja
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 228) ---
The importance of Tiphareth to THE EMPEROR is indicated by Crowley in his use of
a Sun behind the Emperor's head, and in the overall two-color scheme.
「皇帝」にとっての「ティファレト」の重要性は、クロウリー氏により、彼の「皇帝」の
頭の後ろの「太陽」の使用の中に、そして、全体にわたる二色の配色の中に示される。

The card has been painted in Martian reds and Sun-yellows, warm colors suggesting
a furious rush of activity which may be short-lived.
カードは、短命なものであるかもしれない、活動の猛烈な突進を示唆する暖色である、
「火星」の赤と「太陽」の黄色で、描かれ続けている。
--- ここまで ---

ここは、トート版における問題、すなわち、「ツァダイは星にあらず」ということで、
「4:皇帝」と「17:星」が入れ替えられているという点に注意が必要です。
つまり、「星」の下克上により、「4:皇帝」は、上位世界から追放され、「ネツァク」
と「イェソド」を結ぶ下位世界の「小径」に降格されています。
つまり、理論的には「4:皇帝」にとっては「ティファレト」は上位存在ですので、背後に
描かれており、それゆえ、この「4:皇帝」は、より俗物的で人間に近い存在であって、
短気(「short-lived/短命」)で、怒りっぽい(「furious rush/猛烈な突進」)性格
として解釈することが可能です。

とはいえ、クロウリー氏の理論では、「4:皇帝」と「3:女帝」は、従来同様に、量子
もつれに近い状態になっていて、次元を越えた結びつきがあるように記述されています。
要するに、何だかよくわからないのですが、とりあえず、トート版の「4:皇帝」は、
「俗物」として描かれているということであり、それは他のカードがカラフルな色使い
であるのに対し、このカードが赤と黄色の二色刷り風に描かれていて、下位存在的に
安っぽく見えることからも、何となく邪推できますよね。

そして、立ち位置的には、「生命の木」において対となる「19:太陽」とモロ被りしている
ので、この降格人事により、結構ワリを食っているような感じもあります。
0126名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/06/19(土) 06:37:43.95ID:OeDtTb0e
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 228) ---
There are also martial overtones, although it is only in Waite's card, with its
armored figure, that this is emphasized, which is somewhat surprising considering
the Golden Dawn text: "the General... the Conquerer, hot passionate, impetuous."
それはまた、好戦的な含蓄もあり、それは、これが強調されている、その装甲した人物像
を持つ、ウェイト版カードの中にのみあるけれども、それは以下の『ゴールデン・ドーン』
の本文を考慮すると、多少は驚くべきことである。:「『将軍』…、『征服者』、熱く
情熱的、衝動的。」
--- ここまで ---

ちなみに、この引用箇所は、『The Golden Dawn/黄金の夜明け魔術全書(下巻)』の
「THE TAROT TRUMPS/タロー・トランプ」の「IV 皇帝」の項にあります

さて、「魔術師」の社長の一存で、すなわち、「ツァダイなんとか」という意味不明な
理由で左遷され、その代わりに接待を伴う高級飲食店の若い愛人を秘書として抜擢し、
社長のお気にいりの女たちでハーレムを築いたトート版ほどの惨状ではありませんが、
ウェイト版の「4:皇帝」の扱いにも、「至高の三角形」に対する中間管理職的な立ち位置
というか、現場志向的な雰囲気というものがあります。

要は、「至高の取締役の一族」である「0:至高の愚者」、「1:至高の魔術師」、「2:至高
の高等女司祭」、「3:至高の女帝」たちと、しょせん「実務者の階級」である「4:中間
管理職の皇帝」とでは、住む世界が「月とスッポン」ほどの違いがあるわけで、例えれば、
「天上のかぐや姫」と「地上の帝(みかど)」ほどの違いという感じですかね。

とはいえ、「4:皇帝」は、「至高の一族」との対比では明らかに格下ではありますが、
我々から見れば、恐れ多き「天上の神々の一員」であることは確かですので、彼らの
ような上級社員から見れば単なるアルバイトのゴミでしかない我々にとってみれば、
全く関係のない雲の上の話であって、それゆえ、最下層の我々は、どうでもいい妄想ネタ
に走るしかないという、いつものオチなのでした。←全くヤル気無しww
0127名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/06/20(日) 06:26:45.44ID:XjTJoqy2
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 228) ---
The Golden Dawn card itself shows a ruler who, while he has absolute dominion,
as is symbolized by the Orb and Cross in his left hand, is not a warrior.
ゴールデン・ドーン版カードそれ自身は、彼が絶対的な支配権を持つものの、彼の左手に
ある「宝珠と十字架」により象徴されるように、戦士ではない支配者を示す。

He is precise and firm, applying a mathematically measured reason to all things,
but he does not wield a sword.
彼は、几帳面で断固とした態度であり、数学的に整然とした理屈を、全ての物事たちに
適用するが、けれども彼は剣を振り回さない。
--- ここまで ---

ゴールデン・ドーン版「4:皇帝」は、前にも述べたように、マサース氏のキャラを象徴
しています。
それは、カードの「ESOTERIC TITLE/秘伝的な称号」が、「Son of the Morning, Chief
Among the Mighty/夜明けの子、強大なるものの中の首領」であり、ゴールデン・ドーン
の首領をそれとなく暗示していることからも推測できます。
あと、マサース氏は「魔術論」と「戦争論」に長けていたということもあって、「理論家」
と言えなくはないのですが、どちらかというと、「数学的」というよりも、「直観的」な
面が多いような感じですけどね。

それはともかく、「4:皇帝」は、「5:法王」と同様に、武力のイメージは無く、実力行使は
「6:恋人たち」と「7:戦車」に任せており、そして「剣を振り回す」役目は、「生命の木」
の反対側の「6:恋人たち」と「11:正義」が担当しています。
つまり、男性キャラが「理論」担当で、女性キャラ(「7:戦車」は女性キャラとみなす)
が「実戦」担当ということであり、これは「生命の木」におけるパワーバランスを考慮
したものというか、足りないものを補完するような感じではないかと思われます。
このあたりの考えは、マサース氏の女好きな面というか、女性を積極的に活用しようとする
手法にも絡んでおり、実際に、ゴールデン・ドーンでは、多くの女性団員が、「7:戦車」の
ポジションで活躍することになるわけでした。
0128名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/06/21(月) 06:20:32.95ID:kwnXJYKe
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 228) ---
The Sword is carried not on this Path of the fiery aspect of the Garden of Eden,
but on its airy counterpart, THE LOVERS.
「剣」は、「エデンの園」の火の様相の、この「小径」にではなく、その空気の相対物で
ある、「恋人たち」に伝えられる。

And while the driver of THE CHARIOT of the water aspect is Odin, God of War, he
is not shown at battle.
そして、水の様相の「戦車」の乗り手は、「戦争の神」である「オーディン神」である
とはいえ、彼は戦闘にあるとは示されない。

In fact, the greatest sub-surface belligerence is with the earthy part of the
Garden, THE HIEROPHANT.
実のところ、最大の表面下の好戦性は、「園」の地の部分である「法王」と共にある。
--- ここまで ---

いきなり「エデンの園」の話が出てきますが、このあたりの解釈は、人それぞれというか、
ワタシの知識では、あまり深入りできない領域です。
そもそも、この上位領域の「火」「水」「空気」「地」というものは、我々の知る顕現化
した下位世界の「四大元素」とは似ても似つかないシロモノですので、何かに例えること
が出来ないというジレンマがあって、ワタシとしても、言い出しにくいわけです。

とはいえ、こういう「四大元素」的なものを、何かに応用しようという態度は、決して
無意味ではありませんし、これが何かの新しい思いつきの、きっかけになればいいなぁ、
という程度に、期待してもいいのかな、とか思います。

まあ、そんなユルユルな感じで、この上位世界の話は、ゆるめにお付き合い頂ければと
思います。
0129名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/06/22(火) 06:02:19.40ID:utXuPwZ6
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 228) ---
It may now be suggested that these four cards, when considered in terms of a fifth,
THE HIGH PRIESTESS, constitute a practical formula for the crossing of the Abyss.
これらの四枚のカードたちは、五番目である「高等女司祭」の観点から考慮される時は、
「深淵」の横断のための実践的な公式を構成することが、今や示唆されるかもしれない。

They are the means of attaining the Garden of Eden, which is the amalgam of
multiple states of energy.
それらは、精力の多様な状態たちの融合物である、「エデンの園」に到達するための手段
である。
--- ここまで ---

「深淵」の横断の流れは、基本的には上から下への一方通行となっています。
そして、それは、上位世界の「エデンの園」である「至高の三角形」から、最初に「2:高等
女司祭」を中心軸として、「4:皇帝(火)」、「5:法王(地)」、「6:恋人たち(空気)」
、「7:戦車(水)」の四つの川の流れとして、下位世界の「エデンの園」である「倫理的
三角形」へと流入し、そして同様に一つの中心軸(「14:節制」)と、四つの副流(「10:
運命の輪」「12:吊られた男」「13:死」「15:悪魔」)として、さらなる下位世界である
「星幽的三角形」へと流出していくという、まさしく「上の如く、下も然り」のメカニズム
となっています。

とはいえ、だから何なの、という状態にあることは否めないわけであって、我々がそれを
知ったところで、我々が上位世界の「エデンの園」である「至高の三角形」に到達する
ことは、100%不可能であって、結局のところ、ただひたすら妄想に走るしかないという
のが、実情なのです。

要するに、ここから先は、無駄なあがきと言うしかないのですが、それが分かっていたと
しても、その先を見てみたいとか、語ってみたいというのは、人間の性(さが)ですので、
そういう見えないものを見ているド変態ども、いやいや一部の上級者のためにも、もう少し
頑張ってみようと思っているのでした。
0130名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/06/23(水) 06:19:52.85ID:kj8EQtek
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 228) ---
Pursuant to the Garden theme, it must again be noted that Crowley proposes an
interchange of THE EMPEROR with THE STAR, (*237) which we believe to be a mistake.
「園」の主題に従って、クロウリー氏が「皇帝」と「星」の交換を提案している(*237)
ことに、再び注目されなければならないが、それは、我々は、誤りであると思う。
--- ここまで ---

ちなみに、(*237)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 276) ---
237. In his text, THE EMPEROR remains on the fifteenth Path, but is assigned the
letter Tzaddi.
237. 彼の本文(『トート書』)においては、「皇帝」は15番目の「小径」のままである
けれども、「ツァダイ」の文字をり当てられる。

THE STAR remains on the twenty-eighth Path, but is Heh.
「星」は、28番目の「小径」のままであるけれども、「ヘー」である。

Yet on his Tree of Life diagram, Thoth Tarot, 268, called "The Tarot-General
Attribution," THE STAR is actually shown on the fifteenth Path, and THE EMPEROR
on the twenty-eighth.
それにもかかわず、『トート・タロット(『トートの書』)』、268ページの、
「タロット−一般的な帰属」と称される、彼の「生命の木」の図表の上では、「星」は
実際に、15番目の「小径」の上に、そして「皇帝」は、28番目の上に示される。

It will also be seen that in 777, Columns II and XIV, Crowley uses the standard
attributions.
また、『777の書』(の「万物照応表」の「表1」)、「列 II」および「XIV」においては、
クロウリー氏は標準の帰属たちを使用していることが見られるであろう。

(次に続く)
0131名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/06/23(水) 06:24:59.98ID:kj8EQtek
(前の続き)

One might suggest that Crowley decided late in life that these cards should be
transposed, but remained uncertain about the Path placement.
人は、クロウリー氏が、これらのカードたちが交換されるべきであることを、人生の後期
に決定したけれども、「小径」の配置については、確信が持てなかったままであったと
示唆するかもしれない。

The curious discrepancy between the position of the cards in the text of the Thoth
Tarot, and on the Tree of Life, suggests that he was at least considering switching
the cards as well as the Hebrew letters.
『トート・タロット(『トートの書』)』の本文の中と、「生命の木」の上での、カード
たちの位置の間の、奇妙な不一致は、彼が少なくとも、ヘブライ文字たちと同様に、カード
たちの切り替えを考慮していたことを示唆している。

The original art of the cards shows THE EMPEROR as IV and Tzaddi, and THE STAR
as XVII and Heh.
カードたちの初期の芸術(作品)は、「皇帝」を「4」と「ツァダイ」として、そして
「星」を「17」と「ヘー」として示している。
--- ここまで ---
とあります。

前にも述べたように、ここの「皇帝」と「星」の交換ネタは、クロウリー氏の「ツァダイ
は星にあらず」という妄想から生まれたものですし、トート版タロットは、彼のタロット
の私物化による個人的妄想の産物でもありますので、そっちはそっちで、勝手に遊んで
もらえればいいと思うのでした。

まあ、上位領域なので、もはや何でもあり、なのでした。←もはやどうでもいい感じww
0132名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/06/25(金) 06:04:52.39ID:DrpiLrLl
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 228) ---
In dealing with THE STAR, we describe THE EMPEROR as the "Fiery aspect of the Garden
of Eden," to which the Higher Self relates, while THE STAR is the Eden of the
Personality.
「星」の取り扱いにおいては、我々は、「皇帝」は「高次の自我」が関係する「エデンの
園」の「火の様相」であり、その一方で、「星」は「人格」の「エデン」であると見なす。

In both cases these are states where the general has just become specific, a
pristine point where the consciousness can look both forward and backward.
どちらの場合においても、これらは、普遍的なるものが特定的なるものになったばかりの
状態たちであり、意識が前方と後方の両方を見ることができる初期の地点である。
--- ここまで ---

「至高の三角形」と「倫理的三角形」を結ぶ「4:皇帝」と、はるか下の「星幽的三角形」を
構成する「17:星」を同一視するとは、結構酷いミソクソ解釈ですよね。
そもそも、我々の知る「consciousness/意識」は、「星幽的三角形」に存在する低次の
産物ものであり、そこから、上位世界の「神のみぞ知る」領域を類推することは、「下の
如く、上も然り」という、根本的に間違った推論となります。

いずれにしても、「4:皇帝」と「17:星」という、汗臭いオッサンと露出系女子との人格
入れ替わりネタは、ファンタジー物語においては、よくある定番ネタではありますが、
カバラ・タロットの理論を混乱させる要素しかありませんので、基本的に、クロウリー教
信者以外の者には、何のメリットもないということは、確かです。

ということで、クロウリー教信者でないワタシは、早々に、この話題から退散したいと
思うのでした。
0133名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/06/26(土) 06:00:57.70ID:2+cJuMLW
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 228) ---
Thus is sight attributed to Heh.
従って、「視覚」が「ヘー」に帰属される。

This is the self-observation of the One.
これは、「一なるもの」の自己観察である。

It is the first Path to which a sensory function is attributed in the Sepher
Yetzirah, suggesting that sight is the first of the senses as Aries is the first
in the sequence of the Zodiac.
それは、『セフェル・イェツィラー(形成の書)』において感覚機能が帰属される最初の
「小径」であり、「白羊宮」が「黄道十二宮」の順序の最初であるように、視覚が感覚たち
の最初であることを示唆している。
--- ここまで ---

『セフェル・イェツィラー(形成の書)』の、「単字」の属性割り当ては、以前に述べた
ように、確定しているものではなく、それゆえ、「ヘー」が「視覚」であるというのは、
一つの仮説でしかないことを、理解しておく必要があります。
ワタシ的には、『旧約聖書:創世記』1:2で、「神は言われた。『光あれ』」とあるので、
「言語」が先で、『旧約聖書:創世記』1:3で、「神は光を見て、良しとされた。」とある
ので、「視覚」が後なのかな、と思っています。
いずれにしても、この感覚の属性は、人間の持つ感覚的な属性というよりも、神の御業に
近いものなので、深入りするとカオスですし、我々にとってみれば、特に役に立つような
ものでもありませんので、適当にスルーしておいた方が無難かと思います。

それよりも、「複字」の「七惑星」への対応と同様に、「単字」の「黄道十二宮」への
対応の方が重要ですし、「ヘー」の「白羊宮」が、その最初であるということも、重要
なポイントです。
つまり、「2:高等女司祭」により形成された中心軸に対して、宇宙の回転運動の起点と
なるポジションとエネルギーを供給するという、大事な役目があるわけですよね。
0134名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/06/27(日) 06:29:05.35ID:rC8siam/
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 229) ---
And as the first sign, THE EMPEROR, Aries, emerges directly from Chokmah The
Sphere of the Zodiac.
そして、最初の宮として、「皇帝」である「白羊宮」は、「黄道十二宮の天球」である
「コクマーの」から、直接現れる。

That THE EMPEROR is based in the Chokmah energy is symbolized by the grey stone
throne on which he sits in the Golden Dawn and Waite cards.
「皇帝」が「コクマー」の精力に基づくことは、彼がゴールデン・ドーン版とウェイト版
のカードたちにおいて座っている、灰色の石の王座により象徴される。
--- ここまで ---

ウェイト版は、「4:皇帝」と「5:法王」の両方とも、灰色の王座に座っているので、
「コクマー」の精力に基づいていることは推察できますが、ゴールデン・ドーン版では、
「5:法王」の椅子は茶色となっていますので、いまいち一貫性がありませんよね。
気になるのは、ゴールデン・ドーン版の「4:皇帝」の背景が緑である理由なのですが、
これは、「3:女帝」との関わりが、一番疑わしいと考えられます。

つまり、「3:女帝」が、いわゆる「大奥」の貴婦人であり、決して表に出ない存在である
のに対し、「4:皇帝」は彼女のパシリ役となって、下の「白羊宮」のゲートを通じて、
下界に様々なエネルギーをもたらす存在として象徴されているような感じです。
要は、「3:女帝」は、真のエネルギー源となる「隔離された炉心」であり、「4:皇帝」が、
一次熱交換器というような位置付けですかね。

いずれにしても、この「4:皇帝」は、中心軸である「2:高等女司祭」と、その原初の回転
エネルギーを供給する「3:女帝」の双方の奴隷的存在というか、究極ドMの存在であり、
その献身によって、この宇宙が存在していると思い込むことが可能となっています。

ゴールデン・ドーン版には、こういった女性中心主義的な要素が色濃く出ていますが、
そういうのも、マサース氏の趣味ではないかと思ったりするのでした。
0135名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/06/28(月) 06:05:31.46ID:is3XnF3c
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 229) ---
The Constituting Intelligence is understood as the first phase of a natural cycle.
「構成する知性」は、自然の周期の最初の相として理解される。

It stimulates the development of natural structures, as "Aries brings forth the
Spring."
それは、「『白羊宮』が『春』を生み出す」ように、自然の構造の発達を刺激する。

The Golden Dawn card symbolizes this by the Aries-Ram wand, the wielding of the
Aries energy by THE EMPEROR, and by the Ram beneath his feet.
ゴールデン・ドーン版カードは、「皇帝」による「白羊宮」の精力の行使である、「白羊宮
−雄羊」の杖により、そして彼の足の下の「雄羊」により、これを象徴する。
--- ここまで ---

地上における四季の起点は、天文学的な視点というか、主として「太陽」の位置により
決められています。
現在使われているグレゴリオ歴の場合は、元々は「冬至」が起点であり、これは太陽の
天球上における赤緯が最も小さい時点となっています。
太陽崇拝の場合は、「太陽の復活の起点」という意味では、これでもいいのですが、実際の
地上の気候とは、ズレがあります。
一方で、占星術で使われている「春分点」起点は、太陽の天球上における赤緯がゼロになる
時点であり、「暑さ寒さも彼岸まで」と言われているように、地上における気候変化にも
大体合致しています。

それはともかく、ここは、宇宙の始まりにおいても、そういう宇宙創造の四季のサイクル
みたいなものがあるかもしれないという、「下の如く、上も然り」のクソミソ推論ですので、
あまり深く考えない方が良いかと思います。
とはいえ、宇宙創造は、そういう「振動」や「回転」に関係していることは確かですので、
否定するわけでもなく、かといって我々の知識でそれを説明できるはずもなく、全くわけ
分からないから、うやむやにしてお茶を濁すのでした。
0136名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/06/29(火) 06:22:48.12ID:uzk032ca
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 229) ---
In this one would expect the Emperor to be represented as a dynamic and masculine
figure at the very peak of his abilities.
これにおいては、人は、彼の能力たちのまさしく頂点にある、活動的で男性的な人物として
表される「皇帝」を期待するであろう。

Both the Golden Dawn and Crowley cards have taken this approach.
ゴールデン・ドーン版とクロウリー氏のカードたちの両方は、この取り組み方を採用し
続けている。

Waite, on the other hand, followed by Case in the BOTA version, represents the
Emperor as the traditional "Ancient of Days," the One who is older than time
itself, the Supernal Father.
その一方で、BOTA版においてケース氏により追従された、ウェイト版では、「皇帝」を、
時間そのものよりも年上である「者」であり、「至高の父」である、伝統的な「日の老い
たる者」として表される。
--- ここまで ---

「4:皇帝」と「白羊宮」の関係を考えれば、ヲタク系の人であれば、「アオハル」的な
展開を想像するのは当然であり、その人物像は、イケメンのプレイボーイ的なものになる
と予想されます。
とはいえ、「4:皇帝」という名にふさわしい風格も必要になるので、妥協の産物として、
ダンディな風貌を持つ権力者みたいな感じにするのが妥当と思われ、その流れに沿って、
ゴールデン・ドーン版とトート版がデザインされていると考えられます。

なお、ウォン氏は、ウェイト版の人物像を「Ancient of Days/日の老いたる者」(『旧約
聖書:ダニエル書』7:9参照)と特定していますが、その根拠が不明ですし、そもそも
「至高の父」というような最高位の存在ではなく、天と地を繋ぐ中間的な役割を担う、
より低位というか実務的な存在であって、言うならば、天上の大奥の「3:女帝」に仕える、
地上における実務を任された「老執事」のようにも見えたりするわけです。
0137名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/06/30(水) 06:18:08.19ID:OJCsNrW9
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 229) ---
Here there is disagreement as to whether the figure should be shown full-face or
in profile, the profile tradition having been accepted by the Marseilles deck
which shows the Emperor seated facing the viewer's left.
ここには、人物像を正面向きか、横顔で示すかについての意見の相違があり、横顔の伝統
は、「皇帝」が観察者の左を向いて座ることを表す、マルセイユ版デッキにより受け入れ
られ続けている。

Crowley adopted the same symbolism apparently agreeing that it is impossible for
one to know the totality of the Emperor while in this earthly existence.
クロウリー氏は、人は、この地上の存在である限り、「皇帝」の全体を知ることは不可能
であることに、見たところ同意して、同じ象徴主義を採用した。
--- ここまで ---

男性の人物像を横顔で描くことは、魔術カバラのイメージだと「ケテル」になり、一方、
正面から描くと「コクマー」のイメージになります。
クロウリー氏は、「4:皇帝」を横顔で描いたことに対する記述は特にありませんので、
ウォン氏の上記の解釈は、何かの根拠があるわけではないです。
まあ、「4:皇帝」も含めて、「深淵」を渡るカードは、その全体を知ることは不可能で
あるわけですが、そうであれば、「7:戦車」「6:恋人たち」「5:法王」「2:高等女司祭」
は、全て横顔になるはずですよね。

それよりも、トート版の「4:皇帝」が左向きの横顔であり、それに対応して「3:女帝」が
右向きの横顔になっていることから、両者の間には、特別な関係があることを示唆して
いるように思えます。
でも、カバラ的には、「4:皇帝」と「3:女帝」は、次元が異なる存在なので、こういう
クロウリー氏の解釈には、ワタシ的には違和感しか感じないのですが、基本的には何でも
許される領域ですし、他の版とは全く異なるクロウリー氏独自の脳内世界の話になって
いることについては、ヤボなツッコミは無しにしておきたいと思います。
え、単にヤル気が無いだけだろうって?←そういうヤボなツッコミは無しでお願いします。
0138名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/07/01(木) 06:27:02.32ID:QftxjtiI
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 229) ---
On the other hand, the "Ancient Bearded King seen in profile" is symbolic of Kether
and its relationship to the Ain Soph, not Chokmah.
その一方、「横顔で見られる『古代の顎髭(あごひげ)のある王』」は、「コクマー」
ではなく、「ケテル」と、「アイン・ソフ」とのその関係を象徴する。

Presumably this explains the decision of Mathers and Waite to show the Emperor's
full-face.
おそらく、これは、「皇帝」の正面を向いて表すことについての、マサース氏とウェイト氏
の決断を説明する。
--- ここまで ---

この「Ancient Bearded King seen in profile/古代の顎髭のある王」の引用元は、
ワタシの知る限りでは、ダイアン・フォーチュン女史の『THE MYSTICAL QABALAH/神秘の
カバラー』の第十五章の「KETHER, THE FIRST SEPHIRAH/ケテル、一番目のセフィラ」
の「MAGICAL IMAGE/魔術的心像」にある記述ではないかと思われます。
そして、この辺りのネタ元が、『THE MYSTICAL QABALAH/神秘のカバラー』であるとすれ
ば、それは、この「古代の顎髭のある王」が、原初的人間である「アダム・カドモン」で
あることを示しているものと思われるわけです。
参考までに、このネタの大元となっているのは、『ゾーハル(光輝の書)』です。

要するに、マルセイユ版「4:皇帝」が、「横顔の古代の顎髭のある王」であることにより
「ケテル」を象徴するのではないかという誤解を避け、どちらかというと「コクマー」で
あることを強調するために、マサース氏とウェイト氏は、敢えて正面顔に改変した、と
いうことではないかと思われます。

でもまあ、「4:皇帝」の人物像は、「コクマー」というわけでもなく、もっと低次の存在で
あって、地上に近い存在である一面もあったりするのですが、いずれにしても、上半分は
「深淵」より上にあるので、我々はその全体像を把握することは不可能であることには変わり
ないのですよね。
0139名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/07/02(金) 05:55:37.02ID:9t2Uww7k
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 229) ---
Most of the symbols on these cards are traditional: The Veil of the Abyss behind
the Golden Dawn Emperor, Waite's Ankh Cross or the one symbol on which all four
cards agree, The Orb of Dominion.
これらのカードたちにある象徴たちの大部分は、伝統的である:ゴールデン・ドーン版の
「皇帝」の背後にある「深淵のベール」、ウェイト版の「アンク十字」、もしくは4種の
カードたち全てが同意する、一つの象徴である、「支配権の宝珠」。
--- ここまで ---

「4:皇帝」にある象徴は、基本的に「地上の王権」を表す象徴が、いくつかあります。
そして、この「王冠」や「錫」や「宝珠」に相当するものは、日本の皇帝(天皇)にも
「三種の神器」というものがあるので、その役割は、大体想像できるかと思います。

ちなみに、ゴールデン・ドーンの理論体系では、こういう古典的な解釈だけではなく、
以前より何度か言及されていた「エデンの園」に関連する解釈が含まれているようです。
ここで参考となるのは、『The Golden Dawn/黄金の夜明け魔術全書』第一巻の「Fourth
Knowledge Lecture/第四知識講義」の「THE GARDEN OF EDEN AFTER THE FALL/追放後の
エデンの園」と、それに関するカラー図版(邦訳版では巻頭カラーにあります)です。

この図の中には、「アンク十字」と「十字の付いた球体」が隠されています。
また、この図では、「聖四文字」が「4:皇帝」「5:法王」「6:恋人たち」「7:戦車」と
何らかの関係がありそうな感じがするわけですが、その関係性は不明です。

いずれにしろ、この上位世界のカードたちを明快に説明できる理論は存在しませんし、
使われている理論そのものがカオスであることも否めないわけですし、そもそも実用性が
全くないので、それ以上追及する気になれないというのもあります。

もちろん、タロット占いという別次元の観点では、それなりに実用性はあるわけですが、
「カバラ主義」という観点から見れば、我々の理解をはるかに越えた次元になっている
ので、我々の思考や知識は、もはや何の役にも立たないのでした。
0140名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/07/03(土) 06:49:04.95ID:Pk+kbw7m
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 229) ---
Crowley, however, has made some obscure symbolic references.
けれども、クロウリー氏は、いくつかの不明瞭な象徴的な言及たちを行った。

The Bee and the Fleur de Lys, for example, are described by him as related to the
generalization of the paternal power. (*238)
例えば、「蜜蜂」と「フルール・ド・リス(アイリスの花の図案)」は、父性の力の
普遍化に関連するものとして、彼により記述される。 (*238)
--- ここまで ---

ちなみに、(*238)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 276) ---
238. Crowley, Book of Thoth, 78.
238. クロウリー著、『トートの書』、78ページ。
--- ここまで ---
とあります。

「蜜蜂」の象徴は、古代エジプトからある「秩序ある中央集権的権力」の象徴であり、
ナポレオン皇帝が好んで使った図案です。
また、「フルール・ド・リス」の象徴も、西洋の権力者たち、特にフランスで多用された
象徴であり、いずれにしても「地上における王権」を意味するものだと思われます。

つまり、トート版「4:皇帝」は、他の版のものよりも、かなり「地上に近い存在」である
ことを意識したデザインとなっており、ここにも「4:皇帝」と「17:星」の入れ替わりネタ
が、若干影響しているような感じです。
実際、トート版の「4:皇帝」と「17:星」を並べてみれば、そのレベルの違いがよく分かる
というか、どちらが上で、どちらが下かは、一目瞭然なんですよね。
「17:星」が、大抜擢されて昇進し、いきいきと活躍して前途洋々なように見えるのに対し、
「4:皇帝」は、権力闘争に敗れ、本社から現場に左遷され、ふてくされて、足を組んで、
ソッポを向いている、先の見えない憐れなオッサン社員のようにも見えたりするのでした。
0141名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/07/04(日) 05:55:12.88ID:nl6axC/f
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 229) ---
Another obscure symbol is the eagle on the Emperor's shield.
もう一つの不明瞭な象徴は、「皇帝」の盾にある鷲(ワシ)である。

The Marseilles card also uses an eagle, though it is merely a reference to imperial
power.
マルセイユ版カードもまた、鷲を使うけれども、それは単に、皇帝の権力についての言及に
すぎない。

But Crowley's eagle is two-headed, with a crimson disk behind.
しかし、クロウリー氏の鷲は、双頭であり、背後に深紅色の円盤を持つ。

He explains that this is the Alchemist's red tincture related to the Sun and to Gold.
彼は、これが、「太陽」と「金」に関連付けられる「錬金術師」の赤のチンキ剤であると
説明する。

A similar white eagle on his EMPRESS card refers to the Moon and to Silver.
彼の「女帝」のカードにある、同様の白い鷲は、「月」と「銀」に関連する。
--- ここまで ---

「双頭の鷲」の象徴は、古代より存在し、特に中世ローマ帝国で重用された象徴であり、
こちらも「地上における皇帝権」を意味していますので、マルセイユ版カードのような
単純な使い方なら問題無いのですが、クロウリー氏の属性追加は、明らかに蛇足です。

錬金術の「red tincture/赤のチンキ剤」とは、我々の知る「赤チン(マーキュロクロム)」
ではなく、卑金属を「金」に変える「大賢者の石」と同等のものであり、一方で、「white
tincture/白のチンキ剤」は、卑金属を「銀」に変える「小賢者の石」となり、価値的には
「赤チン」>「白チン」であって、「皇帝」>「女帝」ということになってしまいます。
魔術カバラでの解釈はともかく、錬金術では「銀」より「金」の方が上位なので、微妙に
優劣が逆転するという、なんか微妙な話になっていますよね。
0142名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/07/06(火) 06:07:08.80ID:GzF1YG68
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 229) ---
One may be delighted by Crowley's wit, but somewhat puzzled by his use of an accepted
symbol of the resurrected Christ to mean something "docile, cowardly, gregarious"
and even "succulent."
人は、クロウリー氏の洒落っ気により喜ばされるかもしれないけれども、何か「従順で、
臆病で、群れをなし」、そしてさらに「多肉多汁」を意味するために、復活した「キリスト」
として受け入れられた象徴を、彼が使用したことにより、多少困惑させられるかもしれない。

It is difficult to avoid the conclusion that this is another of Crowley's attacks
on traditional Christianity, although the image is certainly inspired by the
Golden Dawn ram.
画像は、もちろんゴールデン・ドーンの雄羊により感化されたものではあるけれども、
これが伝統的な「キリスト教」に対するクロウリー氏の攻撃たちのもう一つのものである、
という結論を避けることは困難である。
--- ここまで ---

まあ、クロウリー氏は、若い頃のトラウマにより、アンチ・キリストになっていますので、
その攻撃的な性格も相まって、旗を持つ「神の子羊/Lamb of God」と呼ばれる「イエス」
(『新約聖書:ヨハネ福音書』1:29,36参照)を、冒涜ネタとして、ここに描いています。

つまり、クロウリー氏は、自分自身を、この地上世界を統治する「皇帝」と同一視して
いるということであり、「イエス・キリスト」は、その足元にひれ伏す、哀れな存在でしか
ないというような、かなりの自己肥大が起きているような感じですよね。

元々、トート版「4:皇帝」は、「17:星」との交換問題もあり、立ち位置的にも、聖なる
上位世界というより、俗なる下位世界のドロドロとしたものが色濃く反映されているので、
クロウリー氏のそういう負の感情も、かなり反映されているのではないかと思います。

まあ、そういったクロウリー氏による個人的な改変もあるので、トート版「4:皇帝」は、
カバラ主義の解釈としては、ほぼ使えないものになっているわけなんですよね。
0143名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/07/07(水) 06:11:53.90ID:yxEUQyPN
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 230) ---
14. THE PATH OF DALETH
14. 「ダレス」の小径

The Empress
女帝

The Third Key
3番目の鍵(大アルカナ)
--- ここまで ---

ここから、「生命の木に基づく大アルカナ」の章の中での新しい節になります。

サブタイトルは「ダレスの小径」です。

ついに、完全なる「至高の三角形」の領域に到達しました。
ここは、カバラ的には、「100%妄想」の世界であり、本来であれば、タロットとは何の
関係も無いし、強引なこじつけの関係付けも出来ない領域です。
そのため、魔術カバラにおいては、そういう不可能を可能にするために、「毒をもって毒を
制す」というか、「無知の無知」というか、「みんなで渡れば怖くない」的な、どう見ても
詐欺か原作レイプとしか言えないような手口で、強引にカバラ主義を取り入れています。
つまり、「0:愚者」とか「1:魔術師」とか「3:女帝」とかは、そういう詐欺師軍団の一員と
して仲間に引き入れられたという感じですかね。

もちろん、そういう詐欺師たちの言うことに、いちいち耳を傾ける必要はありませんが、
それでも、詐欺師の巧妙な手口は、色々と知っておいて損になることはありませんし、
そもそも、この宇宙自体が、仮想空間であって、詐欺そのものなのかもしれませんしね。

ということで、ここで解説しているワタシの文章も、詐欺師の片棒を担ぐものであることを、
くれぐれも理解した上で、あくまでも「100%妄想ネタ」としてのみ、お楽しみください。
0144名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/07/08(木) 06:00:59.41ID:xyQfrj0U
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 230) ---
□ PATH COLOR: Emerald Green
□ 「小径の色」:「エメラルド・グリーン」

□ RELATED SOUND: F-Sharp
□ 「関連した音」:「Fのシャープ」

□ PLANET: Venus
□ 「惑星」:「金星」

□ MEANING: Door
□ 「意味」:「扉」

□ DOUBLE LETTER: Wisdom-Folly
□ 「複字」:「知恵と愚行」

□ ESOTERIC TITLE: The Daughter of the Mighty Ones.
□ 「秘伝的な称号」:「強大なる者たちの娘。」
--- ここまで ---

この本の、この文章の右側には、「扉」の絵と、ヘブライ文字の「ダレス」と、「金星」
の占星術記号、および「生命の木」における「ダレスの小径」の位置が図示された絵が
描かれています。

なお、この本の129ページの「複字」の解説では、「女帝」には「Peace-War/平和と戦争」
が、そして「高等女司祭」には「Wisdom-Folly/知恵と愚行」が配属されていますのて、
どちらかが誤記であるわけですが、ワタシ的には、「女帝」には「Peace-War/平和と戦争」
が、ふさわしいのではないかと思っています。
とはいえ、ここの配属は、元ネタからして矛盾だらけで確たる根拠も無い箇所ですので、
個人的に好きな配属で、好き勝手に妄想してもらえれば良いかと思います。
0145名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/07/09(金) 06:04:55.53ID:QiNrRdh4
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 230) ---
THIRTY-TWO PATHS OF WISDOM: The Fourteenth Path is the Illuminating Intelligence,
and is so called because it is that Brilliant One which is the founder of the
concealed and fundamental ideas of holiness and of their stages of preparation.
「知恵の32の小径たち」:「14番目の小径」は「照明する知性」であり、それは、神聖さ
と、それらの準備の段階たちの、隠された根本的な考え方の創設者である、「光り輝く者」
であるために、そう呼ばれる。
--- ここまで ---

ここは、いつものように、ウェストコット氏の英訳版『The Sepher Yetzirah/セフェル・
イェツィラー(形成の書)』の「THE THIRTY-TWO PATHS OF WISDOM/知恵の32の小径」から
の引用となっています。

なお、ここでは直訳的に「Illuminating Intelligence/照明する知性」と訳していますが、
どちらかというと、物理的な「光」を放つ「Illuminating/照明の」のイメージよりは、
「Illuminating/啓蒙的な」という意味で捉える方が良いかと思います。
そもそも、「3:女帝」は「深淵」の向こう側の存在であり、我々にとって「光」をもたらす
存在ではありませんしね。

ちなみに、この「3:女帝」の「14番目の小径」の「Illuminating Intelligence/照明する
知性」は、「2:コクマー」の「2番目の小径」の「Illuminating Intelligence/照明する
知性」と、同じになっています。
当然ながら、理由は不明であり、「深淵」の下の住人である我々が、とやかく詮索する
必要も無いものです。

というか、全ては「深淵」の向こう側の話ですので、我々は、この下界における実装に
関する全ての制限や、今まで貯めてきた経験値などは一切無視して、どんな妄想であれ、
そして何をしても、その全ては許されるべき領域です。
とはいえ、そういう高度に「完全フリー」な領域って、実は妄想には適さないんですよね。
我々の妄想は、主に「下ネタ」、いやいや下位領域で活発化する傾向があるのでした。ww
0146名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/07/10(土) 06:15:35.67ID:OvqW0sIc
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 230) ---
The Path of THE EMPRESS connects Binah and Chokmah.
「女帝」の「小径」は、「ビナー」と「コクマー」を接続する。

As such, it is the mediating Path of the Supreme Spiritual Self.
それゆえに、それは、「究極の霊的自我」の調停する「小径」である。

It is the Path of unity of the Father and Mother, the Path on which their
interaction occurs.
それは、「父」と「母」の調和の「小径」であり、彼らの相互作用が発生する「小径」で
ある。

In this regard, THE EMPRESS is called the "Daughter of the Mighty Ones."
この点において、「女帝」は「強大なる者たちの娘」と呼ばれる。
--- ここまで ---

ここでは全ては妄想の話なのですが、その妄想に基づくと、この「女帝」と呼ばれている
ものは、「天上の父」である「コクマー」と、「天上の母」である「ビナー」との関係性、
および相互作用を象徴するということです。
とはいえ、そもそもこのレベルにおいて、「父」とか「母」というような「下界の用語」
を持ち出すこと自体が、どうしようもない誤解を招く行為なのですが、それについては、
そういうものだと割り切って考えるしかないですよね。

さらに言えば、この「女帝」は、この「コクマー(父)」と「ビナー(母)」の「子」
ではありませんので、「娘」と呼ばれることについても、不可解ですよね。
つまり、「生命の木」というシステムで考えるのであれば、「女帝」の直接的な親となる
のは「ケテル」であり、「コクマー」と「ビナー」は間接的な親であるという感じになら
ざるを得ないわけで、そういう意味では、「0:愚者」「1:魔術師」「2:高等女司祭」と
同じように、「3:女帝」も「ケテル」の産物であると考えることが出来ますし、その方が
合理的ではないかと、勝手に思っているのでした。←これも妄想ww
0147名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/07/11(日) 06:56:41.52ID:XhgdR7mx
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 230) ---
As Chokmah has the potential to emanate the pure "female," so Binah has the potential
for the creation of all life forms.

「コクマー」が、純粋な「女性」を発出する可能性を持つのと同じように、「ビナー」は、
全ての生命体をたちの創造のための可能性を持つ。
Thus the Waite deck and others show the Empress pregnant, in a state of incubation
and passivity which is the result of the merging of the energies of Chokmah and
Binah.
従って、ウェイト版デッキなどでは、「コクマー」と「ビナー」の精力たちの融合の結果
である抱卵と不活動の状態にある、妊娠した「女帝」を示す。

THE EMPRESS is the universal womb in which all manifestation is gestated.
「女帝」は、全ての顕在化がその中に懐胎される、普遍的な子宮である。

It is a transitional state of energy between the Above and Below which has been
called the "Gate of Heaven."
それは、「天の門」と呼ばれたことのある、「上」と「下」の間の精力の過渡的な状態である。
--- ここまで ---

参考までに、この「Gate of Heaven/天の門」の言葉は、『旧約聖書:創世記(KJV版)』
28:17に見られますが、ここでは、あまり関連性は無いように思われます。

さて、前にも述べたように、「3:女帝」は、「コクマー」と「ビナー」の子ではなく、
宿している子も、「ケテル」の子であって、それは後に、「2:高等女司祭」のルートを
下って、他のルートの「四元素的な劣化コピー」たちと融合して、「ティファレト」と
いう「劣化ケテル」として、再構成されることになります。
つまり「女帝」は、「universal womb/普遍的な子宮」という大風呂敷的なものではなく、
「2:高等女司祭」との共同作業で、一番最初に「霊的元素」として抽出された成分が、
過渡的に貯留される場所であると見ることも可能なのです。
0148名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/07/12(月) 06:07:35.97ID:Z7WOAxnM
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 230) ---
Daleth means door.
「ダレス」は、「扉」を意味する。

It is a door which effects a transition from One into many.
それは、「一なるもの」から多くのものへと、遷移をもたらす扉である。

In fact, the key to this card is multiplicity.
実際のところ、このカードの鍵は、多様性である。

While the robe of THE HIGH PRIESTESS is ideally represented as simple and
diaphanous, that of THE EMPRESS is appropriately covered with all the jewels
of creation.
「高等女司祭」のローブは、簡素で透明であるように、観念的に表わされるのに対し、
「女帝」のそれは、創造の全ての宝石たちで適切に覆われている。
--- ここまで ---

この「女帝」の「door/扉」ですが、何に対する扉かと言われれば、これはどう見ても
「2:高等女司祭」の「ケテル」から「ティファレト」への連絡通路を遮断する「扉」に
しか見えないわけです。

つまり、「高等女司祭」の激しい流れを、一旦ここでせき止め、その流れの中にある微少な
「宇宙の結晶核」が、温度低下によりじっくりと腰を据えて成長し、大きな「宇宙の結晶」
となって、女帝のローブの上に析出し沈殿し、その後、「扉」が一気に開くことで、宇宙の
ビッグバンを起こし、この宇宙が創造されたというような妄想が出来るわけです。

要は、「ケテル」と「2:高等女司祭」、そして「3:女帝」が、このビッグバンによる宇宙
創造のストーリーの中心的な役割を果たしているということであり、それゆえ、この宇宙に
おいて最も重要な「グランド・クロス」であるということなのですが、残念ながら、その
働きは、「深淵」の向こう側にあって、我々としては、妄想するしかない領域なのです。
0149名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/07/13(火) 05:36:55.07ID:aBGbzKs0
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 231) ---
Of course, in this and in the three cards remaining, words are strictly metaphorical.
もちろん、これと残る3枚のカードたちにおいては、言葉たちは厳密に隠喩的である。

In fact, at the level of the Supernal Triangle, the Tarot pictures themselves
unconsciously communicate a great deal more about the forces involved than could
any words.
実際、「至高の三角形」の段階では、「タロット」の絵たち自身は、どのような言葉たち
よりも、含まれた力たちについて、無意識のうちに、より多くのことを伝える。

Yet even there we may be painfully aware of the inadequacies of our anthropomorphic
symbolism in attempting to present a concept of pure fruition.
それでも、そこでさえも、我々は、「純粋な結実」の概念を提示することを試みる際の、
我々の擬人化された象徴主義の不適当な点を痛感するかもしれない。
--- ここまで ---

まあ、何というか、この本は商業出版ベースですので、あまりネガティブなことは書かない
のがお約束なのは承知していますが、それでも、やはり色々と無理があります。

そもそも、誰も到達できないし、見ることも聞くことも触ることもできないし、誰も何も
知らない領域ですので、結局のところ、これについて書かれたものや描かれたものは全て
「根も葉もない、まるっきりの妄想」でしかないわけです。
そしてそれが、「擬人化」および「下の如く、上も然り」という禁断の妄想全開状態で
展開されるわけですので、ある程度の人生経験を積んだワタシから見ても、そういった
「厨二病MAXのハーレム系ラノベストーリー」は、かなりムズがゆいというか、書いてて
恥ずかしくなるというか、どう考えても詐欺だろこれ、って感じもするわけなんですよね。

ということで、ここから先は、ウォン氏の妄想ボケに対して、ワタシが妄想ツッコミで返す
展開でしかないのですが、そういう妄想ノリ全開のクソネタが苦手な人は、華麗にスルー
しておいてもらえればと思います。
0150名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/07/15(木) 05:54:22.73ID:IjQhz+pE
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 231) ---
Almost every culture has some form of Earth Mother, or Mother of the Gods.
ほとんど全ての文化は、「地母神」、もしくは「神々の母」の、何かの形態を持つ。

And in almost every case, this maternal Goddess gives birth to an intermediate
deity which directly rules the earth, such as Christ.
そして、ほとんど全ての場合において、この母なる「女神」は、「キリスト」のような、
地上を直接支配する中間にある神格を産む。

Not infrequently, also, God the Son appears through a "virgin birth," although
as Frazer observes, the idea of a miraculous birth probably comes down from a
period when man had not yet recognized that children are the result of sexual
activity. (*240)
しばしば、また、「息子なる神」は、「処女降誕」を通じて現れるけれども、フレイザー氏
が観察するように、奇跡的な誕生の考え方は、人間が、まだ子供たちが性的な活動の結果
であると認識していなかった時代から、おそらくやってきている。 (*240)
--- ここまで ---

ちなみに、(*240)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 276) ---
240. Frazer, Golden Bough, 403.
240. フレイザー著、『金枝篇』、405ページ。
--- ここまで ---
とあります。

「人間が、まだ子供たちが性的な活動の結果であると認識していなかった時代」って、
人類の有史以降に、そんな時代があるなんて、人間の生態からは想像できないです。
そもそも、「処女降誕の子」って、いわゆる「父親不明の子」ということですし、そんな
父親不在の子は、昔も今も、普通にいるわけですので、この手の「処女降誕」という特殊
属性は、あくまでも宗教上のネタ設定である、というオチでいいかと思います。
0151名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/07/16(金) 06:07:15.45ID:DXZd8/NS
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 231) ---
Thus, the Virgin Mary, the Christian version of God the Mother, may be related to
the Empress after she is pregnant or has given birth to Christ.
従って、「母なる神」のキリスト教版である「聖処女(聖母)マリア}は、彼女が妊娠した、
もしくは「キリスト」を出産し終えた後、「女帝」に関連付けられるかもしれない。

Before this, she is the High Priestess.
これの前は、彼女は「高等女司祭」である。
--- ここまで ---

この辺りの解釈は、カバラ主義に基づくものではなく、単なる推測というか、あくまでも
そういう例え方もあるということです。
実際のところ、「イエス・キリスト」や「聖母マリア」は、「至高の三角形」とは全く関係
の無いというか、はるか下界の存在ですので、こういうのも、「下の如く、上も然り」の
悪用例の一つであると言えます。

というか、そもそも俗人の発想というものが貧弱というか、どうしても「男」や「女」や
「父」や「母」や「息子」や「娘」という、割と身近なものでの擬人化に頼る傾向が
強くあって、形而上的な思考や想像や妄想が出来ない人の方が、圧倒的に多いわけです。

そもそも、タロットに興味のある人は、元々タロット自体がカードゲームに由来するもの
なので、そういう趣味のある人向けに擬人化された絵柄に興味を抱く人が多いわけですが、
カバラ主義による解釈は、そういうヲタク趣味的というか、ファンタジー的な擬人化を
否定しており、その結果として、どちらかというと、孤高のオッサン像や老人像を多用する
傾向があります。

つまり、両者は、明らかに「違うもの」なんですよね。
とはいえ、一般人の我々にとっては、カバラ主義に基づく「形而上的な思考」というのは、
能力的に不可能ですので、結果として、よくある「ヲタク趣味的な思考」に基づいて、
よくある妄想を垂れ流すしかないというのが、ワタシの現状なのでした。
0152名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/07/17(土) 06:30:51.41ID:LEcU5b8v
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 231) ---
It is important to bear in mind that the Great Mother is inextricably linked with
Earth, for in incarnation we function only in terms of Earth.
「太母(グレートマザー)」は、「地球」と密接に関連していることを心に留めておく
ことが重要であり、なぜなら、肉体化において、我々は「地球」に関してのみ、機能する
からである。

All that is natural to the formation of life on earth is the province of THE EMPRESS.
地球上の生命の形成にとって自然であるもの全ては、「女帝」の領域である。

She builds life forms around the Spirit of Life, establishing laws of the Universe,
having to do with formalization and restriction.
彼女は、形式化と制限に関係している、「宇宙」の「法たち」を制定している、「生命の
霊」の周囲に、生命形態たちを構築する。
--- ここまで ---

カバラ的に見れば、「3:女帝」は、我々になじみの深い「地球」の生命体の創造に関係する
「太母」とは、全くのレベル違いである、「宇宙創造」レベルの存在です。

そして、「生命の木」における「3:女帝」の「小径」のポジションを見るとわかるように、
それは「ケテル」に対抗する位置にあり、そして「ケテル」から流出する全ての流れに関係
(「2:高等女司祭」とは交差状態)するということであって、例えれば、「ケテル」が
エース・ピッチャーであれば、「3:女帝」は、試合全体を統括する女房役のキャッチャー
というような、宇宙創造ストーリーにおける「要(かなめ)」のポジションとなります。

要は、「3:女帝」は、宇宙開闢(かいびゃく)の「扉(ダレス)」であり、「生命の木」
理論においては、宇宙の最初の顕現である「2:高等女司祭」降臨のための「扉」を開く、
極めて重要な「鍵」役というか、この「3:女帝」の導きがなければ、この宇宙は創造されて
いないということになるわけですが、じゃあ具体的にそれは何なのと聞かれても、「深淵」
の向こう側の話ですので、ワタシには、全くわからないというのが、オチなのでした。
0153名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/07/18(日) 06:49:36.18ID:S9mBGckr
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 231) ---
But beyond the idea of law, or formalization, which we have repeatedly stressed
in terms of the Supernal female energy, there is another idea which must be stressed,
that of love.
しかし、そこには、我々が「天上」の女性の精力に関して繰り返し強調し続けている、法、
もしくは形式化の考え方を超えて、強調しなければならないもう一つ考え方である、愛の
それがある。

THE EMPRESS who establishes the laws of Macroprosopus, and gives birth to
Microprosopus, is also Venus-Aphrodite, Goddess of Love.
「マクロプロソプス(大きな顔)」の法たちを制定し、そして「ミクロプロソプス(小さな顔)」
を産み出す「女帝」はまた、「金星−アフロディーテ」である、「愛の女神」でもある。
--- ここまで ---

ネタに困った時の「愛」頼みは、下界では鉄板ネタではありますが、それを天上の「至高
の三角形」のレベルに持ち込むのは、どうかと思うんですよね。
まあ、「愛は地球を救う」というスローガンを、「下の如く、上も然り」というクソ法則
を適用すれば、そういうストーリーも描けるのですが、そもそも、惑星レベルの話を宇宙
創造の法則に適用しようということ自体が、「下の如く、上も然り」なわけです。

とはいえ、「女帝」に「♀」、すなわち「女性の記号」であり「金星の占星術記号」でも
ある「アンク十字」が関係していることは、興味深いところです。
この記号は、頂点の丸い部分が、「ケテル」もしくは「至高の三角形」を表し、十字の
部分が、「2:高等女司祭」と「3:女帝」を表すとするならば、これらは「宇宙の出産」を
象徴する、という解釈が可能になるんですよね。

つまり、「3:女帝」のレベルでは、「愛などいらぬ!」ということではあるのですが、
そこから「深淵」を渡って流出した先では、「愛こそ全て!」という、ほぼ真逆の価値観
が新たに生まれてくるわけであり、そういう価値観の相転移が、「マクロプロソプス」と
「ミクロプロソプス」の遷移で起きているということは、ありそうな感じではあります。
0154名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/07/19(月) 06:04:31.54ID:zth1l7yd
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 231) ---
In the Thirty-Two Paths of Wisdom Daleth is called the Luminous Intelligence,
as the Path of Chokmah is called the Illuminating Intelligence.
「知恵の32の小径たち」においては、「ダレス」は「発光する知性」と呼ばれ、「コクマー」
の「小径」は「照明する知性」と呼ばれる。

The implication is that the brilliance of Chokmah illuminates all things as it
passes through the doorway which is THE EMPRESS.
暗示するものは、「コクマー」の光輝が、それが「女帝」である出入り口を通過する時に、
全てのものたちを照明するということである。

"Luminous" has the meaning of being filled with Light, as well as emitting Light.
「発光する」とは、「光」を放射することだけでなく、「光」で満たされることの意味も持つ。

Yet in this context it will be appreciated that Light, per se, is referred to
manifestation below the Abyss.
さらに、この文脈においては、「光」それ自体が、「深淵」より下への顕在化に関連付け
されることが認識されるであろう。
--- ここまで ---

以前にも述べたように、ウェストコット氏の翻訳版『The Sepher Yetzirah/セフェル・
イェツィラー(形成の書)』の「THE THIRTY-TWO PATHS OF WISDOM/知恵の32の小径たち」
では、「2番目の小径(コクマー)」と「14番目の小径(ダレス/3:女帝)」の両方とも、
「Illuminating Intelligence/照明する知性」と翻訳されています。
その一方で、P.F.ケース氏は、それを嫌って、「14番目の小径(ダレス/3:女帝)」を
「Luminous Intelligence/発光する知性」と翻訳したものを採用しています。
そもそも、元ネタ自体に色々と諸説あるので、どちらの翻訳が正解というものでもないの
ですが、「コクマー」と「3:女帝」には、何らかの密接な関係がある、ということです。

だから何なの、と言われても、ワタシには、それが何なのかは、わかりませんけどね。
0155名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/07/20(火) 06:14:27.10ID:r8pfEWeK
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 231) ---
The illuminating qualities of Chokmah are the potential for the Light which is
emanated by Binah, and which is Microprosopus, the Lesser Countenance.
「コクマー」の照明する品質たちは、「ビナー」により放射される「光」の可能性であり、
そしてそれは、「小さな顔貌」である、「ミクロプロソプス(小さな顔)」である。

THE EMPRESS may aptly be called the Mother of Light.
「女帝」は、「光の母」と、適切に呼ばれるかもしれない。

To pass through her on the Path of return is to enter the Supreme Darkness.
帰還の「小径」の上で、彼女を通過することは、「至高の暗闇」に入ることである。

One may pass through a door in either direction, which is one of the points to
the card.
それは、人が、どちらの方向にでも扉を通過できるかもしれない、カードの特徴点たちの
うちの1つである。
--- ここまで ---

ここでは、テレビのバラエティ番組の無責任なコメンテータ並みの「あるかもしれない
可能性」を語っているだけであり、それが本当にあるのかどうかは、全くもって不明です。
要するに、これの全ては創造ではなく想像の産物であって、「深淵」より下に住む下界の
我々は、想像する以外の手段は無いということなんですよね。

ちなみに、上記の文中にある「Path of return/帰還の小径」は、何となく「2:高等女
司祭」であるように思われるのですが、ここには「3:女帝」だけではなく、「7:力」と
いう関所もありますので、このルートを実際に遡ることは、ほぼ無理ですし、その他の
ルートにしても、地上の生命体である我々が、自力でアクセス可能なルートは皆無です。

え、ヤル気が無いから、出来ないんだろうって?
まあ、そういうのも含めて、ヤル気は全く無いです。←断言ww
0156名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/07/21(水) 06:10:55.85ID:8JqwYw87
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 231) ---
The dualities of the EMPRESS-doorway relate particularly to the Roman God Janus,
always shown with two faces going in opposite directions.
「女帝」−出入り口の二重性たちは、反対方向たちに向く二つの顔たちで常に示される、
「ローマの神」である「ヤヌス神」に、特に関連する。
--- ここまで ---

ウォン氏は、「ダレス」の「door/扉」と「doorway/出入り口」の連想から、古代ローマ
の男性神である「ヤヌス神」を、「3:女帝」に関連付けしようとしているようですが、
ワタシとしては、いまいち理解に苦しむところです。

カバラ的に見ると、「3:女帝」は「至高の三角形」の領域ですので、既知の神々に関連付け
することは出来ないのですが、カバラを抜きにすれば、ローマ神話においては、「ヤヌス神」
というよりも、「ユーノー(ジュノー)女神」の持つ属性に近いように思います。

とはいえ、カバラ的に見るのであれば、どのような「神」であれ、この「3:女帝」の属性を
例えることは出来ないので、話のネタとして語るにしても、あまり深入りすべきではないと
思いますので、ここから先は、もはやどうでもいい話として、お付き合いください。

ちなみに、ワタシとしては、あくまでも「カバラ理論による宇宙創造」がメインテーマで
あり、そして、「至高の三角形」からの流出のメインルートである「2:高等女司祭」ルート
の「扉」の「鍵」となるのが、この「3:女帝」であるという認識(もしくは妄想)なので、
それ以外のことには、あまり興味が無いのでした。←わがままなヤツww
0157名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/07/22(木) 05:36:33.83ID:EHNy5hQP
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 232) ---
Janus was the God of doorways (janua means door) who presided over communications
(the passage of ideas) and who controlled the affairs of men.
「ヤヌス神」は、情報交換(考え方たちの通路)を統括し、人間たちの出来事たちを支配
した、出入り口(ヤヌアは扉を意味する)の「神」であった。

He was considered the God of Gods, Janus Pater who, like THE EMPRESS, oversaw
creation.
彼は、「女帝」のように、創造を監督した、「神々の神」である、「父なるヤヌス」と
考えられた。

Ovid described him as chaos, within which life was latent. (*241)
オビディウス氏は、彼を、その内部に生命が潜在していた、「混沌」であるとして、記述
した。 (*241)
--- ここまで ---

ちなみに、(*241)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 276) ---
241. Larousse Encylopedia of Mythology, 214.
241. 『ラルース神話百科事典』、214ページ。
--- ここまで ---
とあります。
ここの「Encylopedia」は、「Encyclopedia/百科事典」の誤記ですかね。

ちなみに、このオビディウス氏(Publius Ovidius Naso, 43BC-17/18AD)は、古代ローマの
詩人であり、いくつかの著書があって、その中に、そういう記述があるそうです。

とはいえ、この、ウォン氏の、「ヤヌス神」が「3:女帝」に関係しているという主張は、
ワタシには、どう見てもピンと来ないというか、そもそも「至高の三角形」に既存の神々
を配属すること自体が、的外れなことのようにも思うのでした。
0158名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/07/23(金) 06:41:09.26ID:gHfCqJiL
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 232) ---
Originally, Janus was also a Solar deity, another parellel with THE EMPRESS, who
is the Mother of the Sun.
元来、「ヤヌス神」はまた、「太陽」の神でもあり、「太陽の母」である「女帝」とは、
別の相似であった。

In fact, almost everything that can be said about Janus can be said about THE
EMPRESS, despite the fact that the primary God form related to this Path is
Venus-Aphrodite.
実のところ、この「小径」に関連する主要な「神」の形態が「ヴィーナス女神−アフロ
ディーテ女神」であるという事実にもかかわらず、「ヤヌス神」について言えることの
ほとんど全てのものは、「女帝」についても言うことができる。
--- ここまで ---

最初の文の「parellel」は、「parallel/相似」の誤記ですかね。

さて、「Originally/元来」という話をするのであれば、「ヤヌス神」も「ヴィーナス
女神」も、どちらも「何でもあり」なものではありますが、どちらかというと「宇宙創生」
っぽい雰囲気のある「ヤヌス神」に対して、「生命創造」の雰囲気があるのが「ヴィーナス
女神」という感じであり、同じ「太陽」属性を持つとしても、その働きや意味は、両者では、
ずいぶんと異なります。
そもそも、「ヤヌス神」の太陽属性というのも、「ヴィーナス女神」の太陽属性というのも、
どちらもマイナーな属性ですので、そういう枝葉部分の一致を強調するのも、不自然です。

まあ、「至高の三角形」での話ですので、あまり細かいことにはツッコミを入れたくはあり
ませんが、ワタシには、似て非なるものという印象がありますし、そもそも「3:女帝」が、
「ヤヌス神」や「ヴィーナス女神」に関連するということ自体が、ワタシにとっては受容
できないということなんですよね。

要は、「至高の三角形」には、既存の神々の属性は、一切不要であるということです。
0159名無しさん@占い修業中
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2021/07/24(土) 06:24:36.12ID:qAynFjxb
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 232) ---
In Greek mythology Aphrodite rose naked from the foam of the sea, riding a scallop
shell.
「ギリシア神話」においては、「アフロディーテ女神」は、ホタテの貝殻に乗り、海の泡
から裸体で立ち上がった。

Wherever she stepped onto the land, flowers grew. (*242)
彼女がその土地の上に足を踏み入れた所はどこでも、花が成長した。 (*242)

Thus, THE EMPRESS can be described in terms of luxurious proliferation, each facet
of nature being so compelling, so beautiful, if not hypnotic, that it is possible
to lose sight of the overview of the Path.
従って、「女帝」は贅沢な増殖の観点から記述することができ、自然の各々の様相は、
とても注目せずにいられないほど、とても美しく、催眠状態ではないにしても、それは
「小径」の全体像を見失う可能性がある。
--- ここまで ---

ちなみに、(*242)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 276) ---
242. Graves, Greek Myths, 49.
242. グレーヴス著、『ギリシア神話』、49ページ。
--- ここまで ---
とあります。

「3:女帝」が、「ヴィーナス女神−アフロディーテ女神」ルートを暗示していることは、
ウェイト版に顕著に見られる傾向ではありますが、カバラ主義による解釈では、そういう
地上的というか俗的な属性は抑えられており、実際は、より高次のものを暗示しています。
とはいえ、そういう高次のものは、記述することも描写することも不可能ですので、結果
として「とんでもない誤解」をされる可能性が高いということなのですが、もし仮に、正しく
理解出来たとしても、何の役にも立たないので、もはやどうでもいいことなんですけどね。
0160名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/07/25(日) 06:01:43.25ID:U6nsVHUA
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 232) ---
As Crowley warns: "... the student who is dazzled by any given manifestation may
be led astray.
クロウリー氏は、以下のように警告する:「…、どのような与えられた顕在化であれ、
それにより目が眩まされる学徒は、邪道に導かれるかもしれない。

In no other card is it so necessary to disregard the parts and to concentrate upon
the whole." (*243)
他のカードには無いことであるが、ここでは、部分たちを軽視し、そして全体に集中する
ことが、とても必要である。」 (*243)
--- ここまで ---

ちなみに、(*243)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 276) ---
243. Crowley, Book of Thoth, 77.
243. クロウリー著、『トートの書』、77ページ。
--- ここまで ---
とあります。

まあ、部分的であろうが、全体的であろうが、どのようなルートであれ、我々は「深淵」
を越えることは出来ませんので、「3:女帝」に至る「正道」などというものは無くて、
それっぽいもの全ては「邪道」であることを、念頭に置いておくことが必要です。
つまり、我々が「3:女帝」に関して、見たり聞いたり読んだり感じたりするもの全ては、
ファンタジー世界の産物であって、実際には存在しないものなんですよね。

そして、我々が「3:女帝」に関して感じることは、それが「ある」、というか、そういう
ものが「ある」はずであるというような、漠然とした存在感以上のものは無いわけであり、
それについても、根拠があるような、無いような、まあよくわからないわけですよ。
ワタシとしても、何かの確信があるというわけでもありませんので、こうして先人の残した
ものを頼りに、暗闇をまさぐるような感覚で、何かの手がかりを探っているわけなのでした。
0161名無しさん@占い修業中
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2021/07/26(月) 06:09:25.11ID:n/UPZKIb
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 232) ---
While Aphrodite is usually called "Goddess of Love," she is also known as the
"Goddess of Desire," (*244) a title with special implications for students of
the mysteries.
「アフロディーテ女神」は、一般的に「愛の女神」と呼ばれていると同時に、彼女はまた、
神秘的教義の学徒にとって特別な意味を持つ称号である、「欲望の女神」 (*244) としても
知られている。

Netzach is often called the center of desire, for to feel is to desire.
「ネツァク」は、感じることは欲することであるため、しばしば欲望の中心と呼ばれる。

But there is also a practical lesson in that desire is born with the most abstract
principle of form.
しかし、また、欲望は最も観念的な形の原則と共に産まれるという実践的な教訓もある。

It is often stated in eastern literature that to lose all desire, i.e., to want
nothing is to become truly one with the Universe.
東方の文学においては、全ての欲望を失うこと、すなわち、何も欲しないことは、真に
「宇宙」と一体になることであると、しばしば述べられている。

The coming to, or leaving of, desire, is one aspect of the doorway which is Daleth.
欲望へ、入ったり出たりすることは、「ダレス」である、出入り口の1つの様相である。
--- ここまで ---

ちなみに、(*244)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 276) ---
244. Graves, Greek Myths, 49.
244. グレーヴス著、『ギリシア神話』、49ページ。
--- ここまで ---
とあります。
0162名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/07/27(火) 06:14:50.01ID:Rhn4o+W0
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 232) ---
The symbol of Venus encompasses all of the Sephiroth on the Tree of Life (see
Figure 17), another indication that the idea of love is the formative energy
of the Universe.
「金星」の象徴は、「生命の木」のセフィロトの全てを包含(図17を参照)しており、
「愛」の概念が、「宇宙」の形成的な精力であるという、もう1つの徴候である。

Here one should also consider the fact that the lower appearance of Venus is in
a Sephira, and is thus objective.
ここでは、人はまた、「金星」の低次の外観がセフィラの中にあり、従って「客観的」
であるという事実も、考慮すべきである。

Netzach is a part of the Astral Triangle of Personality.
「ネツァク」は、「人格」の「星幽的三角形」の一部である。

But when the Venus energy appears in the highest realm of the Tree of Life, is
it on a Path, i.e., it is subjective.
しかし、「金星」の精力が「生命の木」の最も高い領域に現れる時は、それは「小径」の
上にあり、すなわち、それは「主観的」である。
--- ここまで ---

ウォン氏の、禁じ手である「下の如く、上も然り」を使って、何とか規定枚数を埋めよう
とする努力は感じますが、しょせん、この領域の話は、全てが「空理空論」であって、
信憑性も実用性も、全くの皆無と言っていいものです。

つまり、ただひたすら、話のネタとして聞いておけばいいものであって、普通の人に
とっては、もはや時間の無駄でしかないわけですが、カバラをより深く勉強したい人に
とっては、上位世界に絡めて下位世界を語ることで、実は下位世界の理解が進むという
メリットもありますので、とりあえず、「下位世界の、より深い理解」を目的にして、
もう少し頑張ってみようかな、とか思ったりしています。←モチベーションは大事ww
0163名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/07/28(水) 06:07:35.28ID:0W23MdL4
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 232) ---
Three planetary forces find their objective expression as Sephira low (meaning
density) on the Tree of Life, while their subjective expression, as Paths, are
found at the opposite extreme.
3つの惑星の力たちは、「生命の木」の上で「セフィラ」が低い(密度を意味する)という、
それらの客観的な表現を見つける一方で、「小径」としての、それらの主観的な表現は、
まったく正反対のところで見つけられる。

These are Hod-Mercury, THE MAGICIAN; Yesod-Moon, THE HIGH PRIESTESS; and
Netzach-Venus, THE EMPRESS.
これらは、「ホド−水星」である「魔術師」;「イェソド−月」である「高等女司祭」;
そして「ネツァク−金星」である「女帝」である。

Thus, the entire Astral Triangle of Sephiroth is expressed subjectively in
relationship to the Supernal Triangle.
従って、「セフィロト」の「星幽的三角形」全体は、「至高の三角形」との関係において
主観的に表現される。

There is a very profound mystery imbedded here.
ここには、埋め込まれた非常に深遠な神秘がある。
--- ここまで ---

何度も言いますが、「星幽的三角形」の「金星」「水星」「月」は、「至高の三角形」の
「金星」「水星」「月」とは、似て非なるものというか、全くの別物ですので、両者の
関係を考察することは、ネタという意味を除けば、全くの無意味です。
そして、「subjectively/主観的」とか「objective/客観的」というような対比を使って
両者を考察することも、同様に無意味です。

つまり、我々のような一般人にとっては、理解するすべがないのが、カバラ主義における
「至高の三角形」という、「あちらの人たち」の「あちらの世界の話」なんですよね。
0164名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/07/29(木) 06:11:03.96ID:TmdMTcLP
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 232) ---
Turning to the card images, we find that the Golden Dawn EMPRESS stresses ruling
qualities more than do the Waite and Crowley designs.
カードの画像たちに目を向けると、我々は、ゴールデン・ドーン版の「女帝」が、ウェイト
版とクロウリー氏の図案たちよりも、支配的な品質たちを強調していることを見つけ出す。

This is somewhat better symbolism than Waite's luxurious treatment in that it
allows for the fact that the Empress can destroy as well as create.
これは、「女帝」が創造することはもちろん破壊することもできるという事実を見込んで
いるという点で、ウェイト版の豪華な待遇よりも、やや優れた象徴主義である。

In the Mathers' card the outer robe is the green of Netzach-Venus, but inside is
the dynamic and fiery red of Binah in Atziluth.
マサース氏のカードにおいては、外側のローブは「ネツァク−金星」の緑色であるけれども、
中側は、「アツィルト」における「ビナー」の活動的で火の赤である。

For THE EMPRESS, growth and destruction are concurrent activities.
「女帝」にとっては、成長と破壊は、同時に起こる活動たちである。
--- ここまで ---

ゴールデン・ドーンの体系では、「2:高等女司祭」と「3:女帝」は、「イシス女神」の
異なる様相、すなわち「ベールあり/ベールなし」の姿に関連付けられて考察することが
多いのですが、いずれにしても、ゴールデン・ドーン版においては、天界と宇宙の最高位
の支配者としての「イシス女神」をイメージしており、女性上位的な雰囲気があります。
その一方で、どちらかというと古典的な女性像の解釈で図案化したのが、ウェイト版や
トート版という感じになっています。

まあ、個人的な解釈ですので、どちらでもいいのですが、図案の「女神像」という性別に
捉われることなく、というか、女神化は単にヲタク系作者の趣味でしかないので、あくま
でも「天界と宇宙の最高位の支配者」という解釈をすることを、お勧めしておきます。
0165名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/07/30(金) 06:03:53.60ID:2gI6nYQQ
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 232) ---
In ourselves, for example, cells are constantly being born as old cells die.
例えば、我々自身の中では、古い細胞たちが死ぬと同時に、細胞たちが絶えず生まれている。

This is the process of growth, destruction and renewal.
これは、成長、破壊、および更新の過程である。

Thus does THE EMPRESS function in us, the Microcosm.
従って、「女帝」は、我々である、「小宇宙」において機能している。

To know the energies of this Path of Daleth, the door, is to understand and be
able to manipulate the three-fold process.
この、扉である「ダレス」の「小径」の精力たちを知ることは、三重の過程を、理解する
ことであり、操作できるようになることである。
--- ここまで ---

この例えは、どうなの?
と思わざるをえないのですが、そもそも「至高の三角形」は、「Macrocosm/大宇宙」に
おける宇宙創造に関わるところなので、それを「Microcosm/小宇宙」に例えるという
のは、いまいちピンと来ないというか、月とスッポンの例えのような感じがしてます。

もちろん、「至高の三角形」においても、「成長、破壊、および更新」の過程はあると
思うのですが、それが「ダレス(扉)」固有の特性なのかと言われても、何とも言いよう
がないわけですし、それを理解して使えるようになると言われても、そもそも人間の手の
届かないところにあるわけですので、それならば、手の届く範囲にあるものを、理解して
使えるようになった方がいいわけですよ。

というわけで、ワタシは理解することも操作することも完全にあきらめていますので、
今や単なる翻訳マシン、そして下らないグチの垂れ流しマシンと化しているわけなの
でした。←Google翻訳よりはマシだと思ってるww
0166名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/07/31(土) 06:50:09.72ID:MDdhiCNo
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 233) ---
This is a process which reconciles opposites, as is shown by the Ankh Cross, a symbol
of life combining male and female, held suggestively at the womb of the Empress.
これは、「女帝」の子宮において暗示的に保持される、男性と女性を結合した生命の象徴
である、「アンク十字」により示されるように、反対物たちを調和させる過程である。

In the other hand she holds an orb of the Sun, meaning that she dominates the Heavens
(The Orb and Cross of the Marseilles Tarot means domination of the Earth).
もう一方の手の中に、彼女は、彼女が「天界」を支配していることを意味する、「太陽」の
球体を持つ(マルセイユ版タロットの「球体と十字架」は、「地球」の支配を意味する)。
--- ここまで ---

カバラ的な解釈では、「上が丸で下に十字」の「アンク十字」は、「至高の三角形」である
「天界」を意味し、「上が十字で下に丸」の「宝珠」は、それの創造物、すなわち「上の
如く、下も然り(ではあるものの、ちょっと違う)」である「下界」を意味するものと
考えられます。

まあ、そんなことは分かっているので、それ以上の話があれば知りたいのですが、残念
ながら、それ以上のことは何も語ってくれません。
もちろん、我々が、「女帝」を真似して「アンク十字」を持ったとしても、「天界」を
支配できることもありませんし、何か特別なことが起きるわけでもありませんしね。

それはともかく、ワタシとしては、このゴールデン・ドーン版の「3:女帝」のデザインは、
結構秀逸だと思いますし、割と気に入っています。
ウェイト版は、明らかに従来解釈の混合物と化していて、ダサダサになっていますし、
トート版は、もはや何を意味しているのかさえ不明ですしね。

まあ、ワタシとしては、人物像は無くてもいいし、「アンク十字」さえあればいいとも
思うのですが、色々な事情もあることは承知していますので、人物像の存在については
妥協しておこうと思います。←なんか偉そうww
0167名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/08/01(日) 05:50:11.45ID:bAJz1m6X
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 233) ---
Like THE EMPEROR, The Golden Dawn EMPRESS is seated before a veil, meaning that to
pass beyond her is to cross into a completely new level of consciousness where
her laws no longer apply.
「皇帝」と同様に、ゴールデン・ドーン版の「女帝」は、彼女を超えて渡ることは、彼女の
法たちがもはや適用されないところにある、完全に新しい段階の意識の中へと越えて渡る
ことを意味する、ベールの前に座る。

The veil points to a dramatic separation.
ベールは、劇的な分離を示す。
--- ここまで ---

ゴールデン・ドーン版の「3:女帝」は、「4:皇帝」や「5:法王」とは、ほぼ同じような
構図で描かれ、人物像や服装や手にしている小道具や椅子により、その属性の違いを意味
しています。

とはいえ、「3:女帝」は、「4:皇帝」や「5:法王」とは根本的な違い、つまり、「深淵」
のあちら側にあるか、こちら側にあるかの違いがあり、それをカバラ的に正確に表現する
のであれば、「3:女帝」の人物像は、全く透けていないベールの向こう側に配置する必要
があり、それはすなわち、誰もいないし、何もない、「ブランクカード」となってしまう
ことを意味します。

さすがにそれは、色々な意味でまずいということで、どうせ誰も知らないし分からない
領域なので、適当にそれっぽく描いておこう、という感じではないかと想像します。
実際、「0:愚者」や「1:魔術師」や「3:女帝」は、完全に「至高の三角形」の内部の存在
ですので、我々にとっては「至高」、要するに、もはやどうでもいい存在であって、
あれこれと論評できるようなシロモノでもありませんしね。

ということで、皆さんも、肩の力だけでなく、ほぼ全身の力を抜いた状態で、「勉強会」
ではなく、ほぼ完全なる雑談をお楽しみください。
0168名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/08/02(月) 06:12:34.25ID:pvdMxZS0
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 233) ---
No such separation is indicated in the Waite card which emphasizes the flow of
life, THE EMPRESS in her phase of munificent fruition.
そのような分離は、豪勢な結実の段階にある「女帝」である、生命の流れを強調する
ウェイト版カードにおいては、全く示されない。

She is Mother Earth and Mother Venus, carrying the planetary sign on her dress
and on her shield.
彼女は、「母なる地球」と「母なる金星」であり、彼女の衣服と、彼女の盾の上に、
惑星の記号を持つ。

The heart shape of the latter is a rather trite way of showing that she is the
Goddess of Love.
後者のハート形は、彼女が「愛の女神」であることを示すための、少々陳腐な方法である。

Her pearls and the Cypress trees in the background are also sacred to Venus,
while the foreground wheat refers to the figure as Isis.
彼女の真珠たちと、背景の「イトスギ」の木たちもまた、金星にとって神聖であり、
その一方、前景にある小麦は、人物像を「イシス女神」として参照する。
--- ここまで ---

ゴールデン・ドーン版の「3:女帝」は、「ベール」を使って、俗世間との「separation/
分離」を表現していたのですが、ウェイト版では、そういう俗世との分離表現は全く無い
というか、見た感じは、俗世にまみれたようにも見えます。

実のところ、ウェイト版の「3:女帝」の解釈は、ゴールデン・ドーン版とは異なっており、
ウェイト版においては、「2:高等女司祭」が「聖なる世界の支配者」であり、「3:女帝」は
「俗なる世界の支配者」という感じで、どちらも「至高の三角形」の存在でありながらも、
その役割を明確に分担しているような感じになっていて、要するに「誰もが何も知らない
領域だったので、自分の好みで役割定義しておきました!」的な感じとなっています。
0169名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/08/03(火) 06:25:20.59ID:OJkNW5ZJ
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 233) ---
On her head is a crown of twelve stars, the same Zodiac found on THE FOOL.
彼女の頭上には、「愚者」で見つけられる「黄道十二宮」と同じく、12個の星たちの王冠
がある。

It is the crown of the Illuminating Intelligence (Chokmah/Sphere of the Zodiac).
それは、「照明する知性」(「コクマー」/「黄道十二宮の天球」)の王冠である。

She is also intended to be understood as the woman of Revelation who is "Clothed
with the Sun."
彼女はまた、「太陽を纏う」者である、「黙示録」の女として理解されることを意図される。
--- ここまで ---

ウェイト版の「0:愚者」には、「黄道十二宮」を意味するものは、描かれていないように
思えるのですが、ウォン氏が何を見つけられたのかは、ワタシには分かりませんでした。

それはともかく、ウェイト版の「3:女帝」の女性像は、『新約聖書:ヨハネ黙示録』12:1
にある、「また、天に大きなしるしが現われた。一人の女が身に太陽をまとい、月を足の
下にし、頭には十二の星の冠をかぶっていた。(新共同訳)」の箇所に関連があると考え
られています。
ちなみに、キリスト教では、この「十二の星の冠」を持つ女性は、聖母マリアと見なされて
いるようですが、冒頭に「天に大きなしるしが現われた」とありますので、普通サイズの
女性ではなく、「巨人族の女」と考える方が、よりファンタジーっぽいかと思います。
さらに、この『ヨハネ黙示録』の女性像は、ウェイト版では「2:高等女司祭」のキャラと、
もろかぶりしていますので、この二人は同一人物である可能性もあるわけですよね。

いずれにしても、ウェイト版の「3:女帝」は、一見するとカバラ理論とはかけ離れた、
かなりの独自路線のものではありますが、それでも、無理やり「カバラ目線」で見れば、
いくつか気になるものもありますので、ネタ的な意味というか、「火のないところに煙を
立てる」的なことをやってみるのも、面白いかと思います。
0170名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/08/04(水) 05:55:51.22ID:cye3X5LU
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 233) ---
The real key to this card is the stream of crystalline pure water flowing downward
at the right.
このカードの本当の鍵は、右側で下の方へと流れる、水晶のような純粋な水の流れである。

This is the water from which Aphrodite is born, what is "activated," i.e., churned
into foam, by the "will" of THE MAGICIAN.
これは、「アフロディーテ女神」が、そこから産まれる水であり、「活性化」されたもの、
すなわち、「魔術師」の「意志」により、かき回されて泡立たされたものです。

This is a continuous process whereby the pristine consciousness of THE HIGH PRIESTESS
gives rise to the unconscious thought-patterns of THE EMPRESS.
これは、「高等女司祭」の原初の意識が、「女帝」の無意識の思考様式たちを生じさせる
ところの、継続的な過程である。
--- ここまで ---

ウェイト版の「3:女帝」では、背景にある、木々のそびえ立つ森を蛇行してきた「川」が、
「滝」となって流れ落ちて、前景にある、女神像の座る小麦畑を、うるおしています。

この意味深な構図が、「『高等女司祭』の原初の意識が、『女帝』の無意識の思考様式たち
を生じさせる」ように見えるのかは、人それぞれの解釈だと思いますが、ワタシとしては、
この上位領域において、心理学用語の「意識」や「無意識」を持ち出されても理解不能です
ので、コメントは差し控えさせて頂きます。

とにもかくにも、ウェイト版の「3:女帝」においては、「背景」と「前景」との間には、
「滝」という「落差」が表現されているわけですので、「前景」の「小麦畑の女王」が
「3:女帝」であるとするならば、「背景」の「森の女王」は「2:高等女司祭」であると
推定することが可能です。
さらに言うと、「森の女王」は「小麦畑の女王」の背後にあるわけですが、隠されて見え
ないわけではなく、二人は同一人物であるという解釈も可能となってくるわけです。
0171名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/08/05(木) 06:08:29.93ID:YG5TV9So
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 233) ---
In the microcosm this means creative imagination, our own ability to create mental
forms, to structure concepts.
小宇宙においては、これは、創造的な想像力、精神的な形たちを創造する私たち自身の能力、
概念たちを構造化することを意味します。

In the macrocosm this means the same structuring, but of the "pictures," which are
general to the human race, rather than specific to the individual.
大宇宙においては、これは、同じ構造化を意味するが、「絵たち」のそれは、個人にとって
特有というよりもむしろ、人類にとって普遍的なものである。

In THE EMPRESS are thought forms which become more dense as they are expressed
into manifestation, and are administred by the Sun-center of Tiphareth.
「女帝」においては、それらは顕在化の中へと搾り出され、「ティファレト」の「太陽の
中心」により管理されるにつれて、より濃くなるという形たちが考えられる。
--- ここまで ---

ウォン氏は、「3:女帝」は「macrocosm/大宇宙」であり、それより下が「microcosm/
小宇宙」であるという感覚のようですが、「至高の三角形」である「3:女帝」は、そういう
「物質的宇宙の存在」ではなく、「形而上的宇宙の存在」ですし、そもそも「下の如く、
上も然り」という超クソ理論に基づいているのも、少々難ありです。

まあ、しょせん「深淵」のあちら側にあるものですので、誰が何を言おうと、妄想以上の
ものではないのですが、そうであったとしても、定番的というか、誰でも思い付くレベルの
「下の如く、上も然り」ネタは、面白味が無さすぎて、いまいちノリが悪いです。

そもそも、そういう陳腐なネタしか出てこないのは、「至高の三角形」が擬人化されている
という、根本的な問題があって、そのせいで、思考が限定されているようにも思います。
いっそのこと、「見える人にしか見えないカード」にしてもらえればいいのに、とも思う
のですが、そうすると、「誰にも見えないカード」になりますので、悩ましいところです。
0172名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/08/06(金) 05:53:12.31ID:vw5h2Mif
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 233) ---
There is an important practical parallel here.
ここには、重要で実践的な類似点がある。

God creates the Universe (continuously) by thought.
神は、思考により、(継続的に)「宇宙」を創造する。

We do the same thing.
我々は、同じ事をする。

We create a reality by imagining it, by thinking it into being.
我々は、それを想像することにより、そしてそれを実在するよう思考することにより、
現実を創造する。

All that we create in our minds becomes.
我々が我々の心たちの中で創造するもの全ては、「なる」。
--- ここまで ---

「心の中で思うことが、全て現実になる」なんて、ファンタジーですね。
まあ、「為せば成る」という言葉は有名であり、これは「強い意志で物事を為せば、実現
することがある」という感じなのですが、それを越えて、「思うだけで実現する」という
のは、新たなテクノロジーの出現を予感させます。

まあ、確かに現代のBMI技術(Brain-Machine Interface であって、Body Mass Index では
ない)は、日進月歩ではありますが、そうであっても、人類が宇宙を創造するには、まだ
まだ越えなければならない技術的障壁(おそらく「深淵」と同じ性質のもの)があります。

とはいえ、それはあくまでも「技術的障壁」であって、「想いが足りない」というような
精神論や根性論で語れるようなものでもないと思いますし、ウォン氏がいくら心理学の
専門家であっても、心理学で宇宙を創造することは、少々無理があると思うのでした。
0173名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/08/07(土) 05:32:47.02ID:1Mx9yriY
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 233) ---
This is one of the basic precepts of the Mysteries which is all too often
misunderstood or approached with ridicule.
これは、あまりに頻繁に、嘲笑を含んで誤解されたり取り組まれたりすることがある、
「神秘的教義」の基本的な教訓たちの1つである。

At any event, as one grows in spiritual power, the implications of responsibility
for what one thinks, are very profound.
いずれにせよ、人は霊的な力が増すにつれて、人が考えることに対する責任の意味たちは
非常に深くなる。
--- ここまで ---

まあ、この地上世界においても、「我思う、ゆえに我あり」というのは、おそらくそういう
ことなんだろうなぁ、と思えますし、「我思う、ゆえに宇宙あり」というのも、量子力学の
「観測されるまで存在が確定しない」という観測理論から、何となく分かるような気もする
のですが、だからと言って、我々がどんなに霊的に進化したところで、意思の力で宇宙を
創造するということは、脳内世界オンリーの限定イベントだと思うんですよね。

そして、そういう脳内設定を、まるで現実世界であるかのように語ることが、嘲笑のネタに
なっていると思うのでした。
あと、「霊的な力が増している」と自称している人々は、現実世界と脳内世界の区別が
出来ない病気を持っている人が多いというのも、経験上、よく知っておりますので、この
手の「神秘的教義」と言われるものには、あまりアプローチしたくはないところです。

いずれにしても、上記の話は、「3:女帝」のカバラ主義的解釈の上位世界とは、全く次元の
異なるものですし、ここでその話を持ち出すこと自体が、誤解の元になります。
要するに、わからないものはわからない、で済むことですし、「霊的な力」があるからと
いって、「創造神」の如く、「大宇宙」に対して何か特別なことが出来るということでも
なくて、せいぜい「小宇宙(人体)」に対してのみ作用できるものですので、できるだけ
そっちの世界限定で、話を進めていけばいいと思うのでした。
0174名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/08/08(日) 06:02:56.14ID:5xm852RX
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 233) ---
In his card Crowley shows THE EMPRESS as representative of alchemical Salt, the
inactive principle which is energized by alchemical Sulphur to "maintain the
whirling equilibrium of the Universe." (*245)
彼のカードの中で、クロウリー氏は、「『宇宙』の渦巻く平衡を維持する」ために錬金術の
「硫黄」により精力を与えられる不活性な原理である、錬金術の「塩」の代表として、
「女帝」を示す。 (*245)

Here the figure is designed in the shape of the alchemical symbol, a circle with
a line bisecting it horizontally.
ここでは、人物像は、水平にそれを二等分する線を持つ円である、錬金術記号の形で図案化
される。
--- ここまで ---

ちなみに、(*245)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 276) ---
245. Crowley, Book of Thoth, 75.
245. クロウリー著、『トートの書』、75ページ。
--- ここまで ---
とあります。

トート版「3:女帝」の上半身は弱酸性のピンクに、下半身は弱塩基性の緑色に塗られて
おり、この丸を意識して描かれた女性の人物像が、酸と塩基の化合物である「塩」である
ことを表しているということのようです。

ちなみに、錬金術記号の「塩」は、「水平に二等分する線を持つ円」として表されますが、
そのイメージが、このカードにあるのかと聞かれれば、そう言われなければ気づかない
程度のものですので、クロウリー氏が言うほどには、ハリス女史は、それを意識していな
かったようですし、ワタシ的には、全体的に丸っこい胎児的な感じや、ピンクや緑の色合い
からは、「ビーナス誕生」に近いイメージを優先しているのではないかとも思います。
0175名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/08/09(月) 06:33:26.91ID:BGdK/Igf
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 233) ---
The twisted blue shapes represent flames, and her birth from water.
ねじられた青い形たちは、炎たちと、水からの彼女の誕生を表す。

She holds a chalice-like lotus, a living form of the Holy Grail.
彼女は、「聖杯」の生きた形態である、聖杯に似た蓮(ハス)を保持する。

At her waist is the Zodiac; above her head are the birds of Venus, sparrow and
dove; at her feet are the Pelikan who feeds her young with her own flesh (a common
Christian symbolism of some interest in that the Great Mother gives birth to God
the Son, who is self-sacrificed) and a shield with the alchemical white eagle
corresponding to the red eagle of THE EMPEROR.
彼女の腰には「黄道十二宮」がある;彼女の頭の上には、「ビーナス女神(金星)」の
鳥たちである、雀と鳩がいる;彼女の足元には、彼女自身の肉で彼女の子たちを養う
「ペリカン」(「大母」が、自己犠牲である「息子なる神」を産むという、少々興味深い
平凡なキリスト教の象徴主義)があり、そして「皇帝」の赤い鷲に対応する錬金術の白い
鷲(ワシ)の盾がある。
--- ここまで ---

最後の文の「Pelikan」は、「Pelican/ペリカン」の誤記ですかね。

まあ、トート版「3:女帝」には、他の版にはない、色々なものが描かれてはいますが、
実際には、我々には見ることの出来ない世界(能力的に見れないということではなく、
そもそも我々の世界とは次元の異なる世界)の話ですので、こういう擬人化や、地上の
何かに例えること自体が無意味ですし、要は「3:女帝」は絵には描けないシロモノです。
そして、そのことは、足を一部露出している「2:高等女司祭」と、足を完全に隠している
「3:女帝」の違いにも現れています。
つまり、ワタシにとっては、「3:女帝」は完全に隠された「Isis Veiled/ベールを被った
イシス」であり、その一方で、「2:高等女司祭」は足フェチ向け、いやいや「Isis Unveiled
/ぺールをとったイシス」であるように見えているわけなのでした。
0176名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/08/10(火) 05:54:38.41ID:Tyk+h3lV
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 234) ---
To reiterate Crowley's alchemical references: THE MAGICIAN is Mercury, THE EMPRESS
is Salt and THE EMPEROR is Sulphur.
クロウリー氏の錬金術の参照たちを繰り返して言うと:「魔術師」は「水銀」であり、
「女帝」は「塩」であり、そして「皇帝」は「硫黄」である。

These attributions should be considered in terms of the attribution of the same
symbols in the Golden Dawn documents.
これらの帰属たちは、ゴールデン・ドーンの文書たちにおける同じ象徴たちの帰属の観点
から考慮されるべきである。

There Kether is Mercury, Chokmah is Salt, and Binah is Sulphur. (*246)
そこでは、「ケテル」は「水銀」であり、「コクマー」は「塩」であり、「ビナー」は
「硫黄」である。 (*246)
--- ここまで ---

ちなみに、(*246)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 276) ---
246. Regardie, Golden Dawn, v. I, 153.
246. リガルディー著、『ゴールデン・ドーン(黄金の夜明け魔術全書)』、第1巻、153ページ。
--- ここまで ---
とあります。

まあ、「4;皇帝」の「硫黄」はともかくとして、「1:魔術師」や「3:女帝」は、あっちの
世界の話なので、そこに低次の錬金術の象徴を帰属させようとすること自体がアレですし、
ゴールデン・ドーンの体系に倣って、高次の「0:愚者」、「1:魔術師」、「3:女帝」に配属
してしまう、すなわち「0:愚者」に「硫黄」とかいうのであれば、まだ少しはマシだとも
思うのですが、まあよく分かりません、というか、もはやどうでもいいです。

ということで、すこぶるどうでもいい話で、この「3:女帝」を、締めくくりたいと思います。
0177名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/08/11(水) 06:02:41.67ID:kLk6vfPJ
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 234) ---
13. THE PATH OF GIMEL
13. 「ギメル」の小径

The High Priestess
高等女司祭

The Second Key
2番目の鍵(大アルカナ)
--- ここまで ---

ここから、「生命の木に基づく大アルカナ」の章の中での新しい節になります。

サブタイトルは「ギメルの小径」です。

前節の「3:女帝」が完全に「至高の三角形」の内部の存在であり、我々とは完全に無関係の
存在であったのに対し、この「2:高等女司祭」は、「深淵」の下の「ティファレト」まで
降りていますので、我々がその全容を理解することが可能であるように思う人もいるかと
思いますが、我々から見えるものは、その足先のみというか、「ケテル」から「ティファ
レト」に至るまでに、複数の相転移(「3:女帝」、「深淵」、「ダアト」、「6:力」との
交差)をしているので、結局のところ、「ティファレト」に近い足先の部分より上は、
ほとんど何もわからないということになります。
ちなみに、「高等女司祭」の「2」は双極性を表しており、「3:女帝」の持つ双極性とは
種類と方向性が異なるものの、どちらも「女神像」で描かれていることもあって、両者には
密接な関係があることが想像されますので、そういう目線で妄想を膨らませると、何か興味
深いネタが出て来るかもしれませんよね。

いずれにしても、「2:高等女司祭」のカードに描かれている「2:高等女司祭」成分は、
ほんの足先部分だけであって、その本体は、何重もの分厚い障壁のあちら側にあって、
妄想するしかないことを重々理解しておくことが必要です。
0178名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/08/12(木) 06:20:22.77ID:Lme842Jl
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 234) ---
□ PATH COLOR: Blue
□ 「小径の色」:「青」

□ RELATED SOUND: G Sharp
□ 「関連した音」:「Gのシャープ」

□ PLANET: Moon
□ 「惑星」:「月」

□ MEANING: Camel
□ 「意味」:「駱駝(らくだ)」

□ DOUBLE LETTER: Peace-War
□ 「複字」:「平和と戦争」

□ ESOTERIC TITLE: The Princess of the Silver Star.
□ 「秘伝的な称号」:「銀の星の女司祭。」
--- ここまで ---

最後の文の「Princess/王女」は、元ネタの「"T"の書」では、「Priestess/女司祭」と
なっていますので、誤記ですかね。

この本の、この文章の右側には、「駱駝(らくだ)」の絵と、ヘブライ文字の「ギメル」
と、「月」の絵、および「生命の木」における「ギメルの小径」の位置が図示された絵が
描かれています。
あと、前にも述べたように、この本の129ページの「複字」の解説では、「高等女司祭」
には「Wisdom-Folly/知恵と愚行」が、そして「女帝」には「Peace-War/平和と戦争」
が配属されていますので、どちらかが誤記であるわけですが、ワタシ的には、「高等女
司祭」には「Wisdom-Folly/知恵と愚行」が、ふさわしいのではないかと思っています。
0179名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/08/13(金) 06:12:22.99ID:PqH4vpuT
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 234) ---
THIRTY-TWO PATHS OF WISDOM: The Thirteenth Path is named the Uniting Intelligence,
and is so called because it is itself the Essence of Glory.
「知恵の32の小径たち」:「13番目の小径」は「統一する知性」と名付けられ、そして
それは、それ自身が「栄光の本質」であるために、そう呼ばれる。

It is the Consumation of the Truth of individual spiritual things.
それは、個々の霊的なものたちの「真理の達成」である。
--- ここまで ---

最後の文の「Consumation」は、「Consummation/達成」の誤記ですかね。

ここは、いつものように、ウェストコット氏の英訳版『The Sepher Yetzirah/セフェル・
イェツィラー(形成の書)』の「THE THIRTY-TWO PATHS OF WISDOM/知恵の32の小径」から
の引用となっています。

さて、この「2:高等女司祭」の「小径」ですが、「生命の木」の図を見てわかるように、
「ケテル」から「ティファレト」という最長区間を、中継無しで一気に駆け下っている
のと、「生命の木」の「ケテル」から「ティファレト」までの上位要素を、駒の中心軸
のように束ねるという、一見して誰でも分かるほどの重要さを兼ね備えています。

そして、以前にも述べたように、「至高の三角形」から「深淵」を渡って「倫理的三角形」
へと至る「小径」である「4:皇帝(火)」、「5:法王(地)」、「6:恋人たち(空気)」、
「7:戦車(水)」の中心軸として、「2:高等女司祭(霊)」が存在しています。

宇宙の顕在化の流れとしては、最初に「2:高等女司祭」が発現し、その後に「4:皇帝」以下
の発現が続くということですので、宇宙誕生の初期段階においては、全面的に極めて強力な
作用をしているわけですが、裏を返せば、宇宙誕生後は、他の物質的にカードの陰に隠れて
しまって、物質的な大きな流れは、ほぼ完全に閉じてしまっており、かすかな霊的な流れ
のみが、残り香のように、かろうじて感じられるような感じになっています。
0180名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/08/14(土) 06:45:41.72ID:taLwMVv0
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 234) ---
Having just considered the Path of THE EMPRESS, one of warm enclosure (a literal
return to the cosmic womb) and of maternal protection, the Path of THE HIGH
PRIESTESS may be somewhat disconcerting.
温かな囲い(文字通りの宇宙の子宮への回帰)と母性保護の1つである、「女帝」の「小径」
を、ちょうど考察し終えたばかりの時に、「高等女司祭」の「小径」は、やや当惑させら
れるかもしれない。

It is as if the Supreme Mother has removed her smiling mask, to reveal her true
face, which is cold and expressionless, though beautiful.
それは、まるで、「最高位の母」が、美しいけれども、冷たくて無表情である、彼女の
真の顔を明らかにするために、彼女の微笑みの仮面を外したところであるかのようである。
--- ここまで ---

なんか、色々とツッ込みどころの多い、出だしの文章ですが、いずれにしても、この世界は
ほぼ全てが妄想であることを、改めて承知しておいてください。
つまり、「3:女帝」が「cosmic womb/宇宙の子宮」であるとか、「maternal protection/
母性保護」であるというのは、見えないものを「見えた」と叫ぶような、単なる幻想でしか
ないということです。

同様に、「2:高等女司祭」の顔つきも、単なる幻想であり、描かれた顔は、それがどういう
表情であれ、「mask/仮面」でしかありません。
そもそも、「2:高等女司祭」で我々が見ることが可能なのは、せいぜい「8:力」との交差
地点から「ティファレト」までの最低部だけであり、実際には足先だけを見て、顔を想像
するしかないわけで、どんな顔を描くかは、もはや個人の趣味でしかないわけです。
そういう意味から言えば、足フェチ属性のあるド変態ども、いやいや紳士たちにとっては、
かなり魅力的なカードではないかと思います。

というわけで、ワタシとしては、「2:高等女司祭」の「顔」はどうでも良くて、どちらかと
いうと「足元」に注目していきたいと思うのでした。←久々に、ちょっとヤル気を出してるww
0181名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/08/15(日) 06:50:27.34ID:+knylcLB
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 235) ---
All of the Material help of THE EMPRESS has vanished.
「女帝」の「物質的」な援助の全ては、消滅し終えたところである。

There are no more illusions.
そこには、もう幻想たちは無い。

We must face the crystalline reality of our own absolute free will, the most
difficult task of the Mysteries related to the crossing of the Abyss.
我々は、「深淵」の横断に関連付けられる「神秘的教義」の最も困難な課題である、我々
自身の絶対的な自由意志の結晶質の現実に直面しなければならない。
--- ここまで ---

ここもなんか、色々とツッ込みどころの多いところです。

まず、「3:女帝」自身は、「Material/物質的」なものではありません。
しいて言えば、その内部に潜在化した形で「物質的」なものの元になるものを持っており、
それが「4:皇帝(火)」、「5:法王(地)」、「6:恋人たち(空気)」、「7:戦車(水)」
を通じて、「ティファレト」で顕在化していくという流れになります。
そして、そういう意味では、「3:女帝」も「2:高等女司祭」も、どちらも「illusions/
幻想たち」としての存在であることに違いはありません。

そして、ここで一番の問題なのは、我々自身の「absolute free will/絶対的な自由意志」
なるものが実在するのか、という点です。
もちろん、これが無ければ、我々は「ティファレト」より上の小径へ遡ることは出来ません
ので、いわゆる「神秘的教義」なるものは、この存在を否定することは、理論上出来ません。

その一方で、ワタシは、今まで色々と述べてきたように、どちらかというと否定派です。
つまり、最初から「2:高等女司祭」の完全制覇はあきらめており、足元だけを鑑賞すると
いうか、最初の無料期間だけを楽しんで、それ以上の課金はしないという方針なのでした。
0182名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/08/16(月) 06:21:39.34ID:lqFsEMgo
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 235) ---
The Paths of Gimel (THE HIGH PRIESTESS), Samekh (TEMPERANCE) and Tau (THE UNIVERSE)
may be considered aspects of the same energy which together make up the devotional
Middle Pillar.
「ギメル(高等女司祭)」、「サメク(節制)」、そして「タウ(宇宙)」の「小径たち」
は、信仰の「中央の柱」を全体として構成する、同じ精力の様相たちと見なされるかも
しれない。

This is suggested by the Path colors in Atziluth, which are indigo (deepest blue)
and blue which is the color of Water and of the Moon.
これは、藍色(最も深い青)と、「水」と「月」の色である青である、「アツィルト界」に
おける「小径」の色たちにより示唆される。

These three Paths all relate to the Moon.
これらの三つの「小径たち」全ては、「月」に関連する。
--- ここまで ---

一生懸命に、「下の如く、上も然り」に繋がるネタ掘りをやっていますが、そこから得ら
れる結果は、ワタシとしては、意味のあるものとは思えないので、あまり深掘りしたくは
ないところです。

ちなみに、「アツィルト界」における「小径」の色は、「2:高等女司祭」が「Blue/青」、
「14:節制」が「Blue/青」、そして「21:宇宙」が「Indigo/藍色」となっていますが、
「12:吊られた男」が「Deep blue/深い青」で、「15:悪魔」が「Indigo/藍色」である
ことにも、注意が必要です。
あと、「月」に関連するということであれば、「18:月」とか、「7:戦車(巨蟹宮=月)」
なんかも、仲間に加えてあげないと、ちょっとかわいそうです。

いずれにしても、全く次元の異なる「2:高等女司祭」と「14:節制」と「21:宇宙」が、
似たもの同士であるという発想自体が、かなりヤバいと思っております。
0183名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/08/17(火) 06:16:08.24ID:cXQhc7qr
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 235) ---
Gareth Knight describes the Path of Tau as the "Gateway to the inner planes," and
those of Samekh and Gimel as "Dark Nights of the Soul." (*247)
ガレス・ナイト氏は、「タウ」の「小径」を、「内面たちへの出入り口」と、および
「サメク」と「ギメル」のそれらを「魂の暗い夜たち」と、記述する。 (*247)

The term "Dark Night," coined by the sixteenth century monk, St. John of the Cross,
means the desolation and terror that is felt as one is in the middle of the Path
towards truth, but has not reached the end.
16世紀の修道士である「十字架の聖ヨハネ」により造り出された「暗い夜」という用語は、
真実へと向かう「小径」の中央にいるように感じられるものの、それは終わりに達すること
のないものであるという、荒廃と恐怖を意味する。

This is particularly applicable to the Path of THE HIGH PRIESTESS, which traverses
the frightening desert-Abyss.
これは、恐ろしい、砂漠の「深淵」を横断する、「高等女司祭」の「小径」に、特に適用できる。
--- ここまで ---

ちなみに、(*247)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 276) ---
247. Gareth Knight, Practical Guide, v. II, 145-50
247. ガレス・ナイト著、『実践的入門書』、第二巻、145-50ページ。
--- ここまで ---
とあります。

ちなみに、「十字架の聖ヨハネ」の元ネタでは、「Dark Night of the Soul/魂の暗い夜」
となっていますが、ガレス・ナイト氏は、色々な「小径」で、そのネタを使っているので、
「Dark Nights of the Soul/魂の暗い夜たち」と呼んでいるようです。
そのせいで、本来は、そういう低次元のものとは何の関係も無い「2:高等女司祭」にも、
それを適用しようとしているみたいですが、まあ、はっきり言って迷惑なんですよね。
0184名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/08/18(水) 06:39:57.89ID:Vm+1hkrI
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 235) ---
But there is the implication that we may be borne across this desert by the forces
of the Path itself, for Gimel means Camel.
しかし、「ギメル」は「駱駝(らくだ)」を意味するので、我々は、「小径」それ自身の
力たちにより、この砂漠を横切って産まれるかもしれないという含蓄がある。

It is a beast which may carry us on the Path which is at once the longest and the
most important on the Tree of Life. (*248)
それは、「生命の木」の上で、最も長いと同時に、最も重要でもある「小径」に、我々を
運ぶかもしれない動物である。 (*248)
--- ここまで ---

ちなみに、(*248)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 276) ---
248. The camel can go long distances without water.
248. 駱駝は、水なしで長い距離を移動することができる。

This may be taken at one level, to mean a long experience without the reward of
contact with the intelligence for which we search on this Path.
これは、我々が、ある段階においては、この「小径」の上で捜索している知性との接触の
報酬なしで、長い経験を意味していると、受け取られるかもしれない。
--- ここまで ---
とあります。

まあ、全ては、そういう可能性があるよ、というか、そういうふうにも解釈できるよ、
というような、一種のネタ振りですので、そういうものを真に受けてはなりません。
そもそも、そんな他力本願で簡単に登れるようなものとは次元が異なりますし、我々に
とっては、駱駝に乗ることさえも不可能であり、せいぜい、駱駝の足先の匂いを嗅ぐとか、
足の爪というか蹄(ひづめ)の垢を煎じて飲むとか、その程度のことであったとしても、
充分に有り難いことだと思ったりするのでした。(ここからは、足先フェチ専用ゾーンw)
0185名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/08/19(木) 06:21:08.95ID:XwZ1vTWE
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 235) ---
The Path is the first to come from the Supernal Triangle (potential) to the Ethical
Triangle (the "actual").
「小径」は、「至高の三角形」(潜在的)から「倫理的三角形」(「実在的」)へと至る、
最初のものである。

Moreover, its very position on the Tree, between God the Father in Kether and God
the Son in Tiphareth, shows it to confer the very highest initiation.
さらに、「木」の上での、「ケテル」における「父なる神」と、「ティファレト」における
「息子なる神」との間にあるという、まさしくその位置は、それがまさしく最高の秘儀伝授
を授けることを示す。
--- ここまで ---

まあ、普通に考えれば、この「2:高等女司祭」が、「生命の木」においては、最高かつ
最難関(最大落差)の「小径」であることは明白であり、それゆえ、「ティファレト」に
到達できたレベルでは、この「2:高等女司祭」を通ることは不可能ですし、見えるものは、
ほんの足元でしかないのは、理解できると思います。
要するに、この「2:高等女司祭」は、我々が昇るものではなく、神々が降るものであって、
我々は、その働きを防いではならないという、畏れ多きカードであるということです。

とはいえ、そういうことが分かってても、というか分かっているからこそ、そういう秘部を
色々と探ってみたいというのが、変態ヲタクどもの、いやいや神秘を志す者の務めであり、
そういう同人的妄想活動の中で、何の役にも立たない副産物が、いやいや崇高なる神秘文学
作品の数々が生み出されてくるわけです。

そういう意味では、この「2:高等女司祭」は、妄想ファンタジーの大いなる源泉であり、
我々がこの「2:高等女司祭」について妄想する、いやいや研究することは、俗世におい
ても、それなりのメリットがあります。
そう、この「まさしく最高の秘儀伝授」というのは、「上の如く、下も然り」で言い換え
れば、「まさしく最低のエロネタ」ということになりますからね。←まさしく最低なヤツww
0186名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/08/20(金) 05:57:31.27ID:ng6faJk3
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 235) ---
This initiation is through that virgin essence which has been called the "lower
Chokmah."
この秘儀伝授は、「下位のコクマー」と呼ばれたことがある、その処女の本質を通じている。

There are correspondences between the Path and the Sephira, which can be established
by Gematria: The names Gimel ([lamed][mem][gimel]) and Chokmah ([he][mem][kaph]
[cheth]) both add to 73.
「ゲマトリア」により立証されることができる、「小径」と「セフィラ」との間の対応関係
がある:名前たちの「ギメル」([lamed][mem][gimel])と「コクマー」([he][mem][kaph]
[cheth])の両方とも、足すと73になる。

But, more important, is the idea that Wisdom is alternately expressed as masculine
or feminine.
しかし、より重要なことは、「知恵」が、男性的もしくは女性的として、交互に表現される
という考え方である。

The word is feminine in most languages, though applied in Chokmah to the quality
of primary maleness.
この言葉は、たいていの言語においては女性的であるけれども、「コクマー」においては
最初の男性性の品質に適用される。
--- ここまで ---

「lower Chokmah/下位のコクマー」の元ネタが分かりませんので、何とも言えないのです
が、「2:高等女司祭」と、第二のセフィラである「コクマー」とは、男と女という関係性で
語ることが出来る何かがあるということのようです。

以前にも、「コクマー(知恵)」の女性名詞ネタは出ていますが、ワタシは、このレベル
での「男と女」という考え方とか、「大アルカナ=アツィルト界」と「セフィロト=ブリ
アー界」を絡める考え方とかには、少々否定的ですので、軽くスルーしておきます。
0187名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/08/21(土) 06:48:15.43ID:n7LTBJf/
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 235) ---
To say that THE HIGH PRIESTESS is the lower Chokmah is to say that as the One
expands outward, the seed of expansion contains the means of its own limitation.
「高等女司祭」が、下位の「コクマー」であると言うことは、「一なるもの」は、外へと
向かって拡大していくので、拡大の種は、それ自身の制限の手段を含むと言うことである。

Then, as Crowley put it: "This first and most spiritual manifestation of the
feminine takes to itself a masculine correlative, by formulating in itself any
geometrical point from which to contemplate possibility." (*249)
この最初であり、そして最も霊的である女性の顕在化は、可能性を予期するための、
すべての幾何学的な点をそれ自身の中に公式化することにより、男性的な相関物を、
それ自身に捕らえる。」 (*249)
--- ここまで ---

ちなみに、(*249)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 276) ---
249. Crowley, Book of Thoth, 73.
249. クロウリー著、『トートの書』、73ページ。
--- ここまで ---
とあります。

このレベルにおいては、男性とか女性というような、俗世のパワーワードにこだわる必要
なんて全く無いのですが、我々の理解できるレベルで関係性を表現しようとすると、そう
いう苦肉の策が必要となってくるだけですので、その点はご了承ください。

いずれにしても、ここで言いたいのは、下界に顕在化してくるもの全ては、この最初に
顕在化してくる「2:高等女司祭」と霊的な関係性を持つということです。
とはいえ、それは原初の「spiritual/霊的」なものであるため、我々は、それに気づく
こともなく、それを利用できるわけもなく、あえて例えるならば、我々の宇宙を、我々が
現在知るような形に形成した「暗黒物質」のようなものであるという感じですかね。
0189名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/08/22(日) 06:51:53.60ID:eETn44RM
>>188
お気遣い、ありがとうございます。 (^^)/

一応、モデルナ二回接種済みですし、外出の際は、不織布マスクを
着用するようにしていますので、今のところは大丈夫です。 (^^;

ということで、皆さまも、くれぐれもご自愛くださいませませ。
0190名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/08/22(日) 06:52:59.53ID:eETn44RM
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 235) ---
The concept is an impossibly difficult one, and here, more than in other cards,
we are faced with the fact that the terms most descriptive of these principles
may seem totally nonsensical.
概念は、途方もなく難しいものであり、そしてここでは、他のカードたちにおけるよりも、
我々は、これらの原則たちを最も良く記述する用語たちが、全く無意味であるように見える
かもしれないという事実に向き合わされる。

The common description of the key is more approachable, that being THE HIGH PRIESTESS
as the most pure essence of consciousness, symbolized in the Tarot as the very
source of all Water.
鍵の共通した描写は、より親しみやすく、それは意識の最も純粋な本質としての「高等女
司祭」である存在であり、全ての「水」のまさしく源泉として「タロット」の中に象徴化
される。
--- ここまで ---

まあ、「至高の三角形」の内部なんて、誰にも本当のことは分からないので、そもそも
「difficult/難しい」というようなレベルではないんですよね。
つまり、人間には理解できない概念であり、それをどのように図案や文章で表現しようと
試みたとしても、それは現実には何の意味も持たないということです。

そこにあるのに、それは表現できない。
そこになければ、デッチ上げれば良い、ということで、あちこちからネタをかき集めて、
現実離れした存在として創作されたものが、この「2:高等女司祭」の各カード共通の
コンセプト・デザインとなっているわけです。

ちなみに、ここには、元素としての「水」の概念はなく、あるのは、絵には本来描けない
「霊」の流れですので、その点には注意が必要です。
というか、そもそも我々の意識においては、検知することの出来ないシロモノですので、
ただひたすら「霊」ならぬ「妄想」だけを垂れ流す存在であるとも言えますよね。
0191名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/08/23(月) 06:18:11.45ID:QTiaiTWC
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 235) ---
The source of Water is the idea behind the idea behind form.
「水」の源泉とは、形の背後にある考え方の背後にある考え方である。
--- ここまで ---

「2:高等女司祭」は、カバラ主義の理論上では、元素の形態である「Water/水」との
関係性は薄く、「ティファレト」への流出を論じる際には、基本的には「Spirit/霊」の
属性を持ちます。

一方で、「ティファレト」へと流出する、下位の元素属性を持つ「小径」との、惑星繋がり
で関係するものもありますので、それについて、以下にまとめておきます。
・「4:皇帝(白羊宮、火星、火)」?「16:塔(火星)」
・「5:法王(金牛宮、金星、地)」=「3:女帝(金星)」」
・「6:恋人たち(双児宮、水星、空気)」=「1:魔術師(水星)」
・「7:戦車(巨蟹宮、月、水)」=「2:高等女司祭(月)」

まあ、「4:皇帝(白羊宮、火星、火)」と「0:愚者(元素の空気)」が関連付けられれば
完璧だったのですが、世の中、そううまくいかなかったりしますよね。
そして、これから推察できることは、「0:愚者」は他のカードとは絡まない、別格な存在
であるということぐらいです。

いずれにしても、この「2:高等女司祭」の「水の源泉」というのは、「形の背後にある
考え方の背後にある考え方」であると言われているように、本来は、元素の「水」とは
全く別のシロモノであって、我々が想像するような「水の流れ」というか、そっち系の
エロ妄想を抱けるようなものとは、全く次元の異なるものであることを、重々理解して
おく必要があるわけです。

そして、「2:高等女司祭」の「小径」は、途中で「3:女帝」「深淵」「8:力」の三重の
ダムで堰き止められていますので、「ティファレト」へ到着したものは、足先の爪の垢
みたいなものであることも、理解しておく必要があるわけですよ。←こっち系の人向けw
0192名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/08/24(火) 06:21:07.94ID:+Y33/7dh
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 235) ---
Case amplified this concept in saying that: ". . .no matter how many forms develop
from it, the virgin substance is itself unchanged.
ケース氏は、以下のように述べて、この概念を拡大した:「… それから、どれほどの
形たちが発達しようと、処女の物質は、それ自身は不変である。

Like water, which holds matter in suspension or solution, this substance remains
over itself.
物質を懸濁液または溶液の状態で保持する水のように、この物質は、それ自身の上に残る。

Here is one key to the alchemical mystery of the First Matter.
ここは、「第一質料」の錬金術の神秘の、1つの鍵である。

Here, too, one may find a clue to the inner significance of the Virgin myths of
all religions." (*250)
ここでも、また、人は、全ての宗教たちの「聖処女」の神話たちの内なる意味への手掛かり
を見つけるかもしれない。」 (*250)
--- ここまで ---

ちなみに、(*250)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 276) ---
250. Case, Book of Tokens, 37.
250.ケース著、『しるしの本』、37ページ。
--- ここまで ---
とあります。

ケース氏によると、そういうことのようです。

とはいえ、「2:高等女司祭」は、「水」でもないし、錬金術のネタになるような低レベルの
ものでもありませんので、あくまでもネタ程度にしておいた方が無難かと思います。
0193名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/08/25(水) 06:16:50.34ID:2MYUE+DO
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 236) ---
Almost every writer on Tarot has found such keys to keys in THE HIGH PRIESTESS.
「タロット」に関係する、ほとんど全ての作家は、「高等女司祭」の中に、そのような
鍵たちへの鍵たちを、ずっと発見し続けている。

She is often, in fact, described as the "Inner Mysteries" or esotericism as opposed
to THE HIEROPHANT who is sometimes identified with exoteric religion.
彼女は、しばしば、実際に、時々顕教的な宗教と同一視される「法王」に対して、「内なる
神秘的教義」もしくは秘教として記述される。

But THE HIGH PRIESTESS must be studied in terms of THE MAGICIAN, in that she carries
out what he initiates.
しかし、「高等女司祭」は、彼(魔術師)が開始することを、彼女が実行するという点で、
「魔術師」の観点から研究されなければならない。

This interaction can be discussed in a number of terms.
この相互作用は、いくつもの用語たちで論じられることができる。
--- ここまで ---

「マルクト」から「ケテル」へと遡る、数多くの「鍵(大アルカナ)たち」を束ねる
働きを、この「2:高等女司祭」が司っているというのは、「生命の木」における位置を
見れば、何となく分かるかと思います。
とはいえ、その「鍵たちの鍵たち」である「2:高等女司祭」は、「3:女帝」、「深淵」、
「8:力」という三重のロックが掛けられており、誰もそれを開けることが出来ないゆえ、
「esotericism/秘教」と言われ続けているわけです。

なお、「1:魔術師」が(宇宙創造を)「initiate/開始」し、「2:高等女司祭」がそれを
「carries out/実行する」ということですが、「生命の木」の構造には、そのような
主従関係は見られませんし、我々から見れば、「0:愚者」も「1:魔術師」も「2:高等女
司祭」も、どれも同じように、もはやわけわからない何かでしかないんですけどね。
0194名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/08/26(木) 06:25:31.11ID:YWXM2a6h
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 236) ---
She can be called the Root Matter and he the First Matter (Prima Materia), or she
can be considered the result of his self-consciousness.
彼女は「根源質料」と、そして彼は「第一質料(第一質料)」と呼ぶことができ、あるいは
彼女は彼の自己意識の成果と考えることができる。

However it may be symbolized, THE MAGICIAN symbolizes a condition prior to
unconscious "thought."
それがどのように象徴されていても、「魔術師」は無意識の「思考」の前の状態を象徴する。

This condition acts upon THE HIGH PRIESTESS in such a way that the Gimel Path
becomes the "mind" capable of carrying the thought forms of which the Universe
will eventually be composed.
この状態は、「ギメルの小径」が、「宇宙」が最終的には構成されるであろう思考形態たち
を運ぶことが可能な「精神」となるような方法で、「高等女司祭」に作用する。
--- ここまで ---

大宇宙に関する直接的な話はあきらめて、小宇宙である人間の脳内状態に関する話と、
大宇宙の創造の話を絡めていますが、今までの話とは、微妙に異なっているというか、
結構、行き当たりばったりな理論になっています。
まあ、元々が何でも許される領域ですので、この程度では設定崩壊と言うほどのこと
でもありませんし、そもそも言語化が不能な領域ですしね。

ちなみに、「Root Matter/根源質料」と「First Matter/第一質料(英語)」もしくは
「Prima Materia)/第一質料(ラテン語)」のどちらが先なのかも、よくわからないと
いうか、そもそもこんな高位領域で、「Matter/質料」のみを論じること自体が、意味を
持たないような気もします。
じゃあ、何を論じればいいのと言われれば、「2:高等女司祭」の大部分(>99.999%)は
「深淵」のあっち側にあるので、彼女の足先の爪の垢限定で話をしておけばいいと
思うんですよね。(結構臭いそうな足だったりするw)
0195名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/08/27(金) 06:05:23.17ID:luWQ8ikQ
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 236) ---
She is the source of the vibratory patterns of the Universe which underly everything.
彼女は、全てのものの基礎となる「宇宙」の振動する様式たちの源泉である。

Thus, the Crowley card shows a figure composed of waves of energy, under which
are the mental forms affected by those waves.
従って、クロウリー氏のカードは、精力の波たちで構成された図案を示しており、その下
には、それらの波たちにより影響を受ける精神的な形態たちがある。

Moreover, nothing can grow in the garden of THE EMPRESS without this underlying
structure of energies.
さらに、この基礎となる精力たちの構造が無ければ、「女帝」の庭園の中では、何も成長
することができない。
--- ここまで ---

どうでもいいことですが、「2:高等女司祭」は、トート版では「The Priestess/女司祭」
というカードタイトルになっていて、「High/高等」が省略されています。

あと、ドート版「2:女司祭」の図案が「waves/波たち」を表すということですが、どちら
かというと「放射」のイメージの方が濃いと思うのですが、ひょっとするとウォン氏は、
電磁波の放射のような「○○波の放射」というものをイメージしたのかもしれません。

それと、ドート版「2:女司祭」の下部にあるものは、何となく「女司祭」への供物のように
見えるのですが、これは「女司祭」が産み出した「生命の始まり」を意味するものという
ことのようですが、なんか、精神的なものというより、物質的なもののイメージが濃いです。

ちなみに、精神的な波を足元から生み出すということであれば、ゴールデン・ドーン版が、
一番イメージが合っているようにも思えますし、そもそもゴテゴテとした物質を産み出す
「小径」ではありませんので、足先フェチであるワタシとしては、ゴールデン・ドーン版
「2:高等女司祭」が、イチオシだったりするのでした。
0196名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/08/28(土) 06:21:17.17ID:RSNezIQM
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 236) ---
She is the source of the vibratory patterns of the Universe which underly everything.
The Wisdom of THE HIGH PRIESTESS is in regulation.
「高等女司祭」の「知恵」は、「調節」の中にある。

Her fluctuating rates of vibration establish the direction (sets the pattern) for
the First Matter (Prima Materia= Philosophic Mercury=MAGICIAN) as it "descends"
toward a condition of greater density.
彼女の振動の変動割合たちは、「第一質料(第一質料=哲学的水銀=魔術師)」が、より
高密度の状態に向かって「下降」するにつれて、それの方向を制定する(様式を設定する)。

It is for this reason that the Moon is attributed to this Path.
この理由のために、「月」は、この「小径」に帰属される。
--- ここまで ---

色々と憶測のみで強引に語っているので、真に受けてはなりません。
そもそも、大アルカナに対する惑星の帰属は、かなり適当であり、一貫した理論があると
いうわけではありません。
ちなみに、この「第一質料」を「至高の三角形」とするのであれば、そこからの下降を
制御するのは「3:女帝」であり、「深淵」であり、「8:力」であって、「2:高等女司祭」
のみが自己制御するという話にはなりません。

そもそも、「2:高等女司祭」が「月」と本当に関係しているのかと言われると、「月」と
対応する「太陽」は「19:太陽」に配属されているので、何で「月」は「18:月」に配属
されなかったのかという話にもなります。

要するに、「2:高等女司祭」に配属される「月」は、我々が見ている「月」とは何の関係
もないものであり、「1:魔術師」に配属される「哲学者の水銀(水星)」と同様の理屈で、
「2:高等女司祭」には「哲学者の銀(月)」が、それの延長で、「0:愚者」は、「哲学者
の金(太陽)」であるという類推が可能となってくるわけです。
0197名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/08/29(日) 06:36:02.03ID:LTbGQnpu
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 236) ---
The vibratory pattern, the waxing and waning, and all of its other attributes,
are here found at the most pure source.
振動の様式、満ち欠け、およびその他の属性たちの全ては、ここで、最も純粋な源泉で
見つけ出される。

The Moon represents fluctuations, dualities, tides.
「月」は、変動たち、二重性たち、潮の干満たちを表す。

It is the Moon which controls the tides of the waters of consciousness.
意識の水域の潮流を制御するものは、「月」である。
--- ここまで ---

「2:高等女司祭」の属性として「regulation/調節」があるのは理解できなくもないの
ですが、それが「月」による「干満」に例えられるのは、何か違うような気もします。

そもそも、「2:高等女司祭」は「生命の木」における「不動のセンター」であり。「月」
のように、あちこち動き回って周囲に迷惑をかけるような存在ではなく、じっとそこに
あって、周囲に威圧感というか存在感というか、そういうオーラを放ちまくる存在です。

そうはいっても、そもそも足先の爪先しか見ることのできない至高の存在ですので、そこに
低次元の存在である「月」を見てしまうというのは、あるのかもしれませんが、そういう
「爪の垢」の成分分析だけで全体属性を決めてしまうのは、さすがに有り得ないというか、
失礼すぎる行為ではないかと思います。

要は、「2:高等女司祭」に関する「月」とか「潮」とかいう表現は、あくまでもそういう
下半身ネタというか、そっち系の趣味の人向けでしかないというか、そういう目的で妄想
されるべきものであるというか、まあ要するに、我々は下劣なる世界の存在であって、
「2:高等女司祭」の本質なんぞ、誰にも分からないという感じて、開き直るしかないという
のが、ここでの結論で良いのではないかと思うのでした。←開き直りの極致ww
0198名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/08/30(月) 06:13:51.12ID:8sGTlQTW
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 236) ---
The Moon is cold, harboring neither good nor bad.
「月」は冷たく、善も悪も、どちらも心に抱かない。

Its potent currents, as the meaning of the double letter Gimel, war-peace, suggests,
may be problem-solving or causing.
その強力な流れの中で、複字の「ギメル」の、「戦争と平和」の意味が示唆するように、
問題を解決、もしくは引き起こしているかもしれない。

But no matter what the result of the activity of THE HIGH PRIESTESS, she herself
remains unchanged, incorruptible, ever virgin.
しかし、たとえ「高等女司祭」の活動の結果が何であれ、彼女自身は、変化せず、腐敗せず、
常に処女のままであり続ける。
--- ここまで ---

複字の「ギメル」の意味は、「war-peace/戦争と平和」ではなくて、「Peace-War/平和と
戦争」であるとか、この本の129ページの「複字」の解説では、「2:高等女司祭」には
「Wisdom-Folly/知恵と愚行」が配属されていたんじゃないの、というような、ヤボな
ツッコミはともかくとして、「2:高等女司祭」が「平和と戦争」を象徴しているのかと
言われれば、はなはだ疑問であって、そういうものとは無縁のような気もするんですよね。
そもそも「戦争」というものは、自称「正義」と自称「正義」、もしくは自称「正義」と
他称「悪」の争いであって、「善と悪」の概念が無ければ成立しないというか、そういう
善と悪の対立こそが「戦争」であり、それの対称位置にあるものが「平和」であると考えて
います。
要は、まず初めに「善と悪」があり、次に「戦争」があり、最後に「平和」が出来たという
ことであり、それゆえ「平和」というものの胡散臭さがあるわけですよ。

まあ、「至高の三角形」より流出する「2:高等女司祭」に、下界の「平和と戦争」という
低俗な概念を配属しようということ自体が間違っているとも言えますので、あまりヤボな
ツッコミを入れるべきではないということなのかもしれませんね。
0199名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/08/30(月) 09:00:46.76ID:x9yZ+pJZ
タロットにカバラや神秘主義なんか関係ないのにな。
クロウリー自体も間違った存在でしかないのに。
0200名無しさん@占い修業中
垢版 |
2021/08/31(火) 06:13:58.95ID:ZsJ9CWea
>>199
定期レス乙ww
いつもの同じ人なのかな?

そろそろ、どんなタロットを使っているか、教えてもらえませんかね。
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