X



トップページ占術理論実践
625コメント1371KB

【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】Part7©2ch.net

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001名無しさん@占い修業中 転載ダメ©2ch.net
垢版 |
2017/07/11(火) 06:22:40.12ID:QE4/wbCN
近代タロットの理解にはカバラの知識が必須であることは、割とよく
知られていると思います。
しかしなから、タロットの理解に必要なカバラの知識って、日本に
おいては、あまり紹介されていないのが現実なんですよね。

というわけで、タロットの理解に必要なカバラの基本的知識を得るために
以下の本を引用、翻訳、考察しながら、色々と勉強していきたいと思います。

書名:The QABALISTIC TAROT
   A TEXTBOOK OF MYSTICAL PHILOSOPHY
   カバラ主義のタロット
   神秘主義的哲学の教科書
著者:Robert Wang

※話題への、ソコはちゃうやろ的ツッコミとか、雑談とかは歓迎ですが、
教えて的な質問に答えたりとかは面倒なので、スルーする可能性が高いです。
0217名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/06(木) 05:51:37.24ID:lnjx5w4V
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 179) ---
These words have been used as codes over the centuries, meaning seven distinct
levels of objective consciousness.
これらの言葉たちは、何世紀にもわたって記号たちとして使われ、目的の意識の7つの
別個の段階を意味している。

Thus, when one speaks of a Planet ruling a sign of the Zodiac, what is meant is
the relationship of a Sign to a given center of energy both in the Greater
Universe and in the Human body.
従って、人が「黄道十二宮」の宮を支配している「惑星」について話す時は、意味される
ものは、「より大きな宇宙」と「人体」の両方における精力の与えられた中心と「宮」
との関係である。
--- ここまで ---

ここでいきなり「七惑星」と「黄道十二宮」の話に飛びますが、これは「14:節制」が、
「ミクロプロソプス(小さな顔)」と「マクロプロソプス(大きな顔)」の関係とか
「小宇宙(人体)」と「大宇宙」との関係性、すなわち「上の如く下も然り」という、
魔術にとって最も重要なミソクソ理論を展開するための「要(かなめ)」の位置にある
ということです。

まあ、「ティファレト」への到達という目的にとっては、この「14:節制」はイマイチ使い
にくいのですが、内なる魔術の実践という点においては、この「14:節制」という内なる
壺の中に、様々な魔術ネタを詰め込んで、それらをうまく調和させることで、何らかの
「内なるもの」を生み出せるという点においては、それなりに使い道のあるカードです。

とはいえ、我々のレベルでは、あくまでも「内なるオナニー」でしかありませんので、
言うほど実用的というわけでもありませんし、さらには、「節制」というキーワードが
邪魔をして、どうしても「器の中の世界」に留まってしまうという問題もあるわけです。
やっぱり最後には、「13:死」の「いっぺん死んでみる?」程度の破壊的なインパクトが
必要なのではないかと思うのでした。
0218名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/07(金) 06:16:10.72ID:K6KDHDwX
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 179) ---
Sagittarius is the sign of the Zodiac related to TEMPERANCE.
「人馬宮(いて座)」は、「節制」に関連した「黄道十二宮」の宮である。

Its Planetary ruler is Jupiter, meaning Chesed, but also to some extent the WHEEL
OF FORTUNE, tenth key of the Tarot.
その「支配星」は「木星」であり、「ケセド」だけでなく、ある程度は「タロット」の
10番目の鍵(大アルカナ)である、「運命の輪」をも意味している。
--- ここまで ---

「いて座」は、占星術的には「男性的」「火」「柔軟」という属性を持ち、その支配星の
「ジュピター=ゼウス」という勇壮奔放な男性神のイメージとも相まって、タロットの
「14:節制」の持つ清楚な女神のイメージとは、少々というか相当に異なる感じがあります。

ここでちょっと気になるのは、「生命の木」のタロットの配属において、「14:節制」と
「15:悪魔」の配属に関する法則性に乱れがある、すなわち本来の位置と異なるというか、
元々の属性とは異なるのではないかという点なんですよね。

要は、「生命の木」においては、その感覚のズレを、支配星である「木星」が「ケセド」
と「10:運命の輪」という「慈悲の柱」に関連付けすることで、半ば強引に修正している
ような感じもあるわけです。
まあ、何が言いたいかというと、そもそも我々が持つ「14:節制」の清楚なイメージという
ものが、根本的に間違っている可能性が高いということなんですよね。

そう、「14:節制」は、「生命の木」のセンターの位置に、なりふり構わず押し入ってくる
ような、そういう「裏の顔」というか、かなり押しの強い一面があることは否めません。
つまり、「節制」というタイトルは、あくまでも営業上の表の顔であって、その裏には、
巧妙に隠された秘密というか、週刊誌向けのスキャンダルが山ほどありそうな、実に
魔術ヲタク向けな仕上がりとなっているわけなのでした。
0219名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/08(土) 06:58:21.38ID:9hLSEyKs
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 179) ---
Chesed is suggested by the blue colored robe worn by the Golden Dawn angel, the
color of the Twenty-Fifth Path in Atziluth.
「ケセド」は、ゴールデン・ドーンの天使により着用される、「アツィルト界」における
「25番目の小径」の色である青で着色されたローブによって示唆される。

On the figure's breast is a golden square, a further reference to Chesed, to the
number four and to matter.
人物像の胸の上には、数値「4」および物質への、「ケセド」へのさらなる関連である、
金色の四角形がある。
--- ここまで ---

「ブリアー界(女王の位階)」における「ケセド」の「blue/青」は、「アツィルト界
(王の位階)」における「2:高等女司祭」および「14:節制」と同じ色です。
また、「金色」は「ティファレト」を示唆しますので、「ケセド」と「ゲブラー」を示唆
する左右の壺とのバランスを考えれば、この人物像のローブの「青」は、「14:節制」の
「青」がメインであると考えられます。

そして、全体的に見て「青みがかった」カードであり、「青の壺」が上位にあることからも
分かるように、ここはみだらな「青」ちゃんの領域であって、それゆえ色々とイケない妄想
が捗ることなるわけなのでした。

ちなみに、「青」には、元々が勉強熱心で理知的な固定イメージがあり、そういう指向の
人にとっては、「青いいよね」というような隠れファン的なものがあったのですが、近年
では、「青」とか「蒼」という分野で、色々と従来の固定概念を覆す、本来あるべき姿が
垣間見られるような人物像が見られるようになったのも、時代の流れなのだと思います。

まあ、何が言いたいかというと、「青いいよね」ということが言いたいわけですよ。
0220名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/09(日) 07:15:26.08ID:E3x0y776
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 179) ---
In the Waite card the square is covered by a triangle, meaning that all of the
manifest Universe is governed by the Supernals.
ウェイト版カードにおいては、四角形は三角形により覆われており、顕在化した「宇宙」
の全てが「至高なるものたち(至高の三角形)」により統治されることを意味している。

Here we recall that Chesed is the architect of all manifestation, working with
the pure "potential to form" of Binah.
ここで我々は、「ケセド」が全ての顕在化の設計者であって、「ビナー」の純粋な
「形成する可能性」によって働いていることを思い出す。
--- ここまで ---

ウェイト版においては、ゴールデン・ドーン版の金色の四角形ではなく、白い四角形と
その内側にある金色の三角形として描かれています。

これが、本当に「4:ケセド」と「至高の三角形」、あるいは「3:ビナー」を意味している
のかは不明なのですが、ウェイト氏自身は、これは「3+4=7」であり、「7」を意味して
いると述べています。
つまり、以前に出てきた「錬金術の7種の金属」というネタですよね。

個人的には、「14:節制」は「ティファレト」以下の存在であり、我々がギリギリ手の届く
領域ですが、「ケセド」や「ビナー」、そして「至高の三角形」は、我々の理解を超える
存在ですので、あまり近づきたくない領域ではあります。
というか、詳しく説明されても、「はぁ、そうですか」以上のことは言えませんしね。

ということて、せっかくのご提案ではありますが、ワタシとしては、ウェイト版の四角形
と三角形は、「3+4」の錬金術レベルのネタであるとしておこうと思います。
そして、この記号の直上に、「四大元素」を表す「聖四文字」があるのも、錬金術レベル
の話であれば、ネタとして使いやすいですしね。(←割と身勝手な理由)
0221名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/10(月) 05:55:28.15ID:7DWD+4+u
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 179) ---
To reiterate the important meanings of TEMPERANCE:
「節制」の重要な意味たちを繰り返して言えば:

1) It refers to an actual physical process, one which has been the secret of
mystics for centuries.
1) それは、実際の物質的な過程であり、何世紀にもわたって神秘家たちの秘密であり
続けているものに言及している。

2) This process involves an interchange of opposite energies directed by the will.
2) この過程は、意志により導かれる正反対の精力たちの交換を巻き込む。

3) The process is set in motion at the level of the Higher Self.
3) 過程は、「高次の自我」の段階で発動される。

It is instituted in Chesed, the most refined level of Microprosopus to which the
Higher Self is central, and the Sephira where the will to form of the Great Mother
is enacted.
それは、「高次の自我」が中心的であるところの「ミクロプロソプス(小さな顔)」の最も
精錬された段階であり、そして「大母」の形成への意志が演じられるところの「セフィラ」
である、「ケセド」において開始される。

4) Until this process is accomplished, the Higher Self cannot be known to the
Personality.
4) この過程が完成されるまで、「高次の自我」は「人格」に知られることはできない。
--- ここまで ---

とりあえず、ざっくりとまとめてみました、という感じですが、「ティファレト」への
真の到達のためには、「ケセド」、そしておそらく、それと対になる「ゲブラー」への
理解が必要となってくることを示唆している感じですよね。
0222名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/11(火) 06:21:47.27ID:py8aRlQM
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 179) ---
The whole experience is one of preparation of the Personality, and the body in which
it is operating, to deal with an influx of Light which would be devastating to a
system unready to handle such energy.
全ての経験は、「人格」の準備の1つであり、そしてそれが動作している身体が、そのような
精力を取り扱うための準備ができていない組織にとって荒廃させるであろう「光」の流入に
対処するためである。

Most important here is the monitoring of progress, the continual testing from above.
ここで最も重要なことは、進歩の監視であり、上からの絶え間のない試験である。
--- ここまで ---

「ティファレト」へ到達するとすぐに、圧倒的な「ケセド」と「ゲブラー」の流れに直面
することになりますので、「14:節制」が防波堤となっていて、少しずつ弱めた流れを
下界に送っているということであり、我々は、その弱められたワクチン的な流れで、
体と精神を鍛えていかなければならないということですかね。

なお、「14:節制」は、見る角度によって、いくつか異なる性質を持っています。
大きくは、トート版に見られる「錬金術」という物質的進歩という表側の面、そして
「知恵の32の小径」に見られる「試験者」という霊的進歩という裏側の面なのですが、
どちらにしても、あまりにも漠然としているというか、基本的な概念すぎて、いまいち
掴み所の無いというか、「まあ、無理だと思うけど、とりあえず教科書を読んで頑張れww」
と言われてるような感じで、なんか面白くないんですよね。
そもそも「節制」というタイトルからしても、全くもって面白味に欠けるわけですよ。

要は、かなりの上から目線ということであるわけですが、それは、この「14:節制」を
陰で操る支配者が、この場にそぐわないほどの「上位者」であることを示唆しているわけ
であって、そういう面も、いまいち気にくわないわけなんですよね。(←単なる反抗期w)
0223名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/13(木) 06:13:53.87ID:tMK01GJo
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 179) ---
It is the angel here which is at once the Higher Self and the initiatory forces
of Nature, which pours the elixir from vase to vase.
それは、「高次の自我」であると同時に「自然」の最初の力であり、壺から壺へと万能薬を
注ぐ、ここの天使である。

This is an ongoing process of testing, measuring to see how much the physical
vehicle can bear.
これは、物質的な乗り物がどれくらい耐えることができるかを見るために測定している、
試験の進行中の過程である。

When it can handle the stress of the energy interchange here symbolized, the arrow
is released.
それが、ここで象徴される精力交換の重圧を取り扱えるようになった時に、矢は放たれる。
--- ここまで ---

この天使は、「ティファレト」もしくは「高次の自我」である「倫理的三角形」を象徴する
存在、すなわち、我々のような「肉体=物質的な乗り持つ者は、基本的には到達できない
領域の存在であり、その上位存在が、我々下等な存在を試して、合格した者だけに、それ
相応の施しをしているということであり、言ってみれば、人間は天界の奴隷的というか
隷属的な存在であることを示しています。

まあ、確かにそうなのですが、改めて面と向かってそういうことを言われると、やっぱり
反発してしまうのがワタシの性格ですので、そういう意味でも、「中央の柱」で偉そうに
全てを司る「14:節制」は、いまいち好きになれないポジションなわけです。
まあ、しょせんワタシは、脇道を歩く方が性格的にも合ってますしね。

逆に言えば、素直にここの教えに従える人は、この「4:節制」の天使から、それ相応の
「天からの御加護」を受けることが出来るということであり、それゆえ、魔術の本道を
歩む人にとっては、それなりに人気のあるコースということなんですよね。
0224名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/14(金) 06:36:01.69ID:dAck0gva
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 179) ---
On the other hand, the Angel makes certain that no individual is allowed more
than it can handle.
その一方で、「天使」は、個人が、それが取り扱えるものより以上を許されないことを
確保する。

The result of taking on too much at once is an admonishing jolt, from this angel,
not soon to be forgotten.
一度に多すぎるものを引き受けることの結果は、この天使からの、すぐには忘れられない、
戒めとなる精神的動揺である。

The angels, described as sentinals at each inner gate, are there for our own protection.
各々の内なる門における監視員たちとして述べられている、天使たちは、我々自身の保護
のために、そこにいる。
--- ここまで ---

最後の文の「sentinals」は、「sentinels/監視員たち」の誤記ですかね。

さて、まあ何というか、我々は「常に天界から監視されている」ということなのですが、
実際のところ、だから何なの?という感じでもあります。
悪事に対する天罰というような、単純なものでもなさそうですし、天使からの戒めだと
言われても、なかなかそういう天罰っぽいものを実感として感じることは難しいです。
そもそも、天災というものは、誰にでも分け隔てなく襲いかかってきますからね。

ワタシ的には、「ここから先は通さないよ」とか、「これ以上は見せられないよ」という
ような、どちらかというと「18禁」のような検閲者としての存在のような感じが強いです。

要は、ワタシから見れば、この「14:節制」は、天使により「部外者(すなわち人間は)
通行止」となっている規制ポイントであり、現状では、人は、生きてここを通ることは
出来ないのではないかと考えているのでした。
0225名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/15(土) 07:40:57.02ID:HR/6795b
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 179) ---
Some special insights may be derived by considering the description of the letter
Samekh in the Sepher Yetzirah, although the terms in this document lend themselves
to an extraordinary range of interpretation.
いくつかの特別な洞察たちは、『セフェル・イェツィラー(形成の書)』における、文字
「サメク」の記述を考慮することにより導き出せるであろうが、しかし、この文書における
用語たちは、解釈の特別な範囲に役立つのであるが。

The word anger ([zayin][gimel][vau][resh]) is referred to Samekh.
「怒り」([zayin][gimel][vau][resh])という言葉が、「サメク」に関連付けされている。
--- ここまで ---

おせっかいで過保護な母親みたいな「天使」像は、ひとまず置いといて、ここからは
ウェストコット版『セフェル・イェツィラー(形成の書)』にある「サメク」の文字の
意味について、少々考察しようということです。

この「サメク」=「怒り」という関係は、第五章の本文部分にあるものですが、第五章の
補遺部分では「Sleep/眠り」となっていますし、何か客観的な根拠があるというものでも
ありませんので、そういう考え方もあるんだ、という感じでいいかと思います。

あくまでもメインは、「試験の、もしくは誘惑の知性」であり、「あなたのタメよ」とか
言いながら、色々と難クセ付けてダメ出しする毒親、いやいや、我々のことを思ってくれる
ありがたくも偉大なる天使さまであって、決してワタシみたいに意味無く反発するような
存在ではないんですよね。

ちなみにワタシは、「13:死」「14:節制」「15:悪魔」を、「メイド(冥土)の女神」、
「毒母の女神」、そして「ようじょの女神」という捉え方をしており、「15:悪魔」像
の中身は、実はツンデレかつツインテのようじょに違いないと、勝手に妄想して盛り上
がっていましたので、その後の「14:節制」以降についての考察は、なかなかヤル気が
出ないのでした。(←完全に趣味の世界w)
0226名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/16(日) 06:31:54.26ID:TE/d4Sds
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 179) ---
However, Case states that this is a "blind," and that the original meaning of the
Hebrew word was quivering or vibration.(*145)
しかしながら、ケース氏は、これは「盲目的」であって、ヘブライ語の原初の意味は「震え」
もしくは「振動」であったと述べている。(*145)

Such an interpretation is entirely consistent with the alchemical symbolism, for
the interchange of Fire and Water is a control of inner vibrations.
「火」と「水」の交換が内なる振動の管理であるため、そのような解釈は錬金術の象徴主義
と完全に一致している。
--- ここまで ---

ちなみに、(*145)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
145. Paul Foster Case, The Tarot, New York, 1947, 147.
145. ポール・フォスター・ケース著、『タロット』、ニューヨーク、1947年、147ページ。
--- ここまで ---
とあります。

まあ、『セフェル・イェツィラー』にある「サメク=怒り」に対して、それは「blind/
盲目的」な解釈だと言われても、元々何かの客観的根拠があって「サメク=怒り」となって
いるわけではありませんし、しょせん、あくまでも「ネタ」なんですけどね。

とりあえず、ケース氏は、「サメク=震え」説ということなのですが、この「quivering/
震え」というのは、恐怖、怒り、緊張などによる「身震い」という意味がありますので、
「14:節制」が、そういう感情を引き起こすということは、やはりこれは「清純派」など
ではなく、本質的にヤバいもの、とてつもなく強大かつ制御困難なシロモノ、例えて言えば
核物質みたいなものを連想させるわけですので、そういうものを「節制」という精神論で
「管理」させようというのは、かなりヤバいヤツであると考えざるを得ません。
というわけで、そういう危ないものには近づかないのが一番なのでした。(←実はビビリw)
0227名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/17(月) 06:18:05.14ID:iGpO3Tsv
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 179) ---
But there are two other meanings of "anger" which might be appropriate to this Path.
しかし、この「小径」に適切であるかもしれない「怒り」の2つの他の意味がある。

First is the idea of anger in the sense of Divine rage, a passion so overwhelming
that its force draws the bow and releases the arrow of Sagittarius on the upward
Middle Pillar.
1番目は、「神の激怒」の意味での怒りの考え方であり、その熱情が非常に圧倒的である
ため、その力が弓を引き、「中央の柱」に沿って上向きに「人馬宮」の矢を放つ。
--- ここまで ---

「14:節制」に、「anger/怒り」という意味が含まれているということは、いまいち理解
しづらい考え方なのですが、そういう時は、とりあえず「Divine/神の」という便利な
接頭語を付けておけば何とかなる、というか、これ以上は詮索してはいけないというのが、
この業界の暗黙のお約束事なのです。

いずれにしても、我々のレベルでの「anger/怒り」という感情ではないことは確かです
ので、興味のある方は、この「Divine rage/神の激怒」について、色々と妄想を捗らせて
みても良いかと思います。

まあ、ワタシとしては、この「14:節制」の「小径」については、色々とヤバそうな感覚を
持っていますので、あまり近づきたくはないんですよね。
この「人馬宮の矢」なるものが、どっち向きに飛んで来るのかわかりませんというか、
どちらかというと、「16:塔」のように下向きに落ちてくる可能性の方が圧倒的に高いわけ
ですし、そもそも「憤怒する神」なんかに触りたくないというか、そもそも面倒臭いので、
これ以上は、お付き合いたくありませんというのが、本音のとこです。
ワタシにとっては、「15:悪魔」が、一番居心地の良いというか、お気に入りの場所に
なっていますので、これ以上先には進みたくないというのもありますしね。←怠け者w
0228名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/18(火) 06:34:14.93ID:uMVwhtX5
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 180) ---
Second, is an aspect of the Mysteries only rarely discussed, and certainly germane
to the Twenty-Fifth Path: this is the very real hostility often felt by the student
toward the Path itself, as he works day after day and seems to be getting nowhere.
2番目は、ごくまれに論じられる「神秘的教義」の見方であり、そして、確かに「25番目の
小径」に確かに密接に関係している:これは、彼がどれほど来る日も来る日も勉強しても、
どこにも辿り着けていないように見えるにつれて、「小径」に向かう学徒により、しばしば
感じられる、とても現実味のある敵意である。
--- ここまで ---

まあ、こちらの方は、「Divine/神」ならぬ「Mysteries/神秘的教義」の「anger/怒り」
ということですので、ワタシにも何となく意味は分かります。

要するに、「14:節制」の「試験の知性」により「試されている」状態において、受験者の
出した答えが合格水準に達していない、つまりダメ出しをくらっていて、合格できずに前に
進めなくて、逆ギレの癇癪を出しているというシチュエーションですよね。

実際のところ、この「14:節制」は、その見た目とは違って、かなりキツい性格というか、
厳格すぎるダメ出しを行いますので、ほとんどの人は、この関門を通過できずに、別の道
に逃避する、すなわち、合格を諦めるか、もしくは自称合格者となる傾向があります。

ワタシ自身は、「14:節制」へのチャレンジは、そもそも時間の無駄であると思っています
ので、ハナっから挑戦する気はありませんし、それよりも「15:悪魔」のルートの方が気に
入っていますので、そっち方面には興味が無いというのが、本音のところです。

あ、決して強がり言っているわけではありませんし、そもそもワタシは、「14:節制」の
試験合格により「神のお墨付き」という箔付けされた権威を得る必要は全く無い、単なる
「15:悪魔」好きで妄想好きの現実主義者なわけですしね。
そもそも、上から目線の「神」から認められるのって、興味ないんですよね。←単なる反抗期w
0229名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/19(水) 06:06:33.26ID:nlB5sKGK
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 180) ---
Such hostility and frustration is in itself a major test; it is part and parcel
of the work prior to the emergence of inner proofs.
そのような敵意と挫折感は、それ自身の中での主要な試験である;それは内なる証拠たちの
出現に先立つ作業の重要な部分である。

The anger, if it may be called that, is dispelled along this Path, as the Spirit
begins to fill the vessel in which the elements have been purified to receive it.
怒りは、もしそれが呼び出されたとしても、 「霊」が、元素たちがそれを受け取るために
精錬された容器を満たし始めるにつれて、この「小径」の途中で追い払われる。
--- ここまで ---

この「anger/怒り」という感情の解消法ですが、まあ様々な解消法があるわけでして、
真っ当に勉強して理解を深めて納得して解消できるのが一番なのですが、それ以外にも
様々な解消法があるわけです。
つまり、ワタシみたいに、「触らぬ神に、祟りなし」ということで、ハナっから避けると
いう手もアリだと思います。

危険なのは、こういう「負の感情」は、修行の足りない人々にとっては、「洗脳」とか
「欺瞞」とか「逃避」とかの、格好の標的になりやすい、つまり、この「14:節制」の
「小径」は、我々が道を踏み外しやすい、危険な場所でもあるわけです。

そもそも、低レベルの「イェソド」から、高レベルの「ティファレト」へと、一気に遷移
する、かなりの高難度かつ高傾斜であり、初心者向きではないルートですので、きちんと
両脇のルートで事前練習しておかないと、いきなりここを登るのは難しいと思うのですよ。
(まあ、最後まで登ったことは無いですけど・・・。)

ということで、ここまでくれば、後はあまり無理して登らなくてもいいかな、とは思います。
どうせ我々にとっては、この先はすぐに行き止まりになってしまって、後は妄想で補うしか
ない道ですからね。
0230名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/20(木) 06:02:23.68ID:GHyH4a67
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 180) ---
The relationship of this Path to three others provides one of the best interlocks
of Qabalistic symbolism, for the combined letters of the three lowest Paths,
[qoph], [shin], and [tau], spell the Hebrew word for bow.
この「小径」の3つの他のものとの関係は、「カバラ主義」の象徴主義の最も良い連動装置
たちの1つを提供する。というのは、3つの最も低い「小径たち」である、[qoph]、[shin]、
そして[tau]の結合された文字たちが、「弓」のヘブライ語の言葉を綴るからである。

The same word also means rainbow, a recurring symbol in the Tarot.
同じ言葉はまた、「タロット」において再発する象徴である、虹も意味している。

These three Paths are the forces which, when combined, send the arrow skyward
toward Tiphareth.
これらの3つの「小径たち」は、結合される時に、矢を「ティファレト」に向かって空へと
送る力たちである。
--- ここまで ---

いきなり、[qoph]=「18:月」、[shin]=「20:審判」、[tau]=「21:宇宙」の話に飛んで
しまいましたが、要するに、ヘブライ語の「[tau][shin][qoph]QST」が、「bow/弓」とか
「rainbow/虹」を意味する言葉であるということです。

ただちょっと気になるのは、「14:節制」「18:月」「20:審判」「21:宇宙」で形作られる
「arrow/矢」は、上方の「ティファレト」ではなく、下方の「マルクト」に向かっている
ようにしか見えないわけです。
本来の「14:節制」は、流量は少ないものの、その高低差のために高い圧力のある下降流
ですので、下向きの矢印というのであれば納得いくのですが、その強力な流れに逆らって
上向きに矢を放つのは、なかなかにしんどいのではないかと思います。

そもそも、山登りというのは、急傾斜の直線ルートではなく、ジグザグに緩やかなコースを
取るのが基本ですので、良い子は真似しない方が良いのではないかと思うのでした。
0231名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/21(金) 06:22:29.28ID:Ev8guEzU
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 180) ---
These are the three minor tests prior to the major testing of TEMPERANCE.
これらは、「節制」の大きな試験に先立つ、3つの小さな試験である。

To even approach the twenty-fifth Path one must have begun to temper the "Water"
of The MOON ([qoph]) with the "Fire" of JUDGMENT ([shin]) and ground the interchange
on the Path of THE UNIVERSE ([tau]).
25番目の「小径」に接近することでさえも、人は「月([qoph])の「水」を「審判([shin])」
の「火」で調節し、交換を「宇宙([tau])」の「小径」に基づかせることを始めなければ
ならない。

This work is suggested in THE UNIVERSE by the bi-polar rods carried by the central
figure.
この作業は、「宇宙」において、中央の人物像により運ばれる双極の棒たちにより示唆される。
--- ここまで ---

ここは、若干の無理矢理こじつけ感がハンパないのですが、とりあえず言えることは、
「21:宇宙」と「14:節制」は、「minor/小さな」試験と「major/大きな」試験という
関係にあり、どちらも両極のバランスと調整が鍵となっているということです。
そして、「21:宇宙」を伝って「イェソド」に到達した後でも、「21:宇宙」における
「月の水」と「審判の火」の交換という難しい課題をクリアしないことには、「14:節制」
には近づくことさえ出来ないということですよね。

まあ、そういうわけで、我々のような下々の人間は、そう簡単には、「ティファレト」への
ショートカット・ルートである「14:節制」には近づくことさえ出来ないという仕掛けです
ので、とりあえず指をくわえて、遠くから見ているだけにしておこうと思います。

要は、「14:節制」は、その見かけとは違って、難攻不落な関門であり、この天使像は、
人には優しくない、どちらかというとラスボス的な怖い存在だということですよね。
0232名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/22(土) 06:51:41.55ID:5efGCD+9
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 180) ---
The Golden Dawn and Waite cards are very similar in their symbolism, both following
tradition very closely.
ゴールデン・ドーン版とウェイト版のカードたちは、両方が非常に密接に伝統に従い、
それらの象徴主義においては、非常に.類似している。

The Golden Dawn vases are red and blue to symbolize an interchange between opposite
energies (Chokmah and Binah in their Atziluth colors).
ゴールデン・ドーン版の壺たちは、正反対の精力たちの間の交換を象徴するために、赤色と
青色である(「コクマー」と「ビナー」の、それらの「アツィルト界」での色たち)。

The vases on the Waite card are gold to show that all of this is an operation of
the Sun.
ウェイト版カードの壺たちは、これの全てが「太陽」の操作であることを示すために金色
である。
--- ここまで ---

ゴールデン・ドーン版とウェイト版の「14:節制」の基本デザインは、従来のマルセイユ版
を踏襲しており、そして、それぞれに独自のアレンジがされています。

ゴールデン・ドーン版の特徴は、壺の色が赤と青であって、それは「火」と「水」、そして
それは遠回しに「ビナー」と「コクマー」を象徴しています。
その一方で、ウェイト版の壺は、従来の金色(実際は黄色)を踏襲してはいますが、それは
「ティファレト」である「太陽」を象徴するものとなっています。

つまり、どちらかというと、ゴールデン・ドーン版の方が、その解釈が難しくなっている
わけであり、そこから派生したウェイト版では、マイナーチェンジで、過去デザイン風に
回帰し、そしてトート版は新解釈によるフルモデルチェンジになったということですかね。

まあ、どちらがいいのかは、人それぞれですが、ちなみにワタシはウェイト版が好みです。
0233名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/23(日) 07:22:45.99ID:7enwoINz
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 180) ---
That planet is also represented by the sign on the angel's forehead, and by the
sphere above the Golden Dawn angel's head.
その惑星は、また、天使の額にある記号により、そしてゴールデン・ドーン版の天使の
頭の上にある球体によって、表されている。

In both cases, also, the angel has one foot on solid water and the other on land
meaning solid matter and fluid consciousness.
どちらの場合においても、また、天使は、堅固な物質と流動的な意識を意味する、一方の
足を堅固な水に、そしてもう一方を陸地に置いている。
--- ここまで ---

ウェイト版の「14:節制」の「太陽」は「on」、すなわち、この天使像は「ティファレト」
を象徴しています。
その一方で、ゴールデン・ドーン版の「太陽」は「above」、すなわち、この天使像は
「ティファレト」の下にある「14:節制」の「25番目の小径」であると推定できます。

体の重心も、ウェイト版が「水」の上にあるのに対し、ゴールデン・ドーン版は「地」の
上にありますので、両者の立ち位置の微妙な違いというのが感じられます。

なお、文中に「solid water/堅固な水」という、よくわからない表現がありますが、
もしかすると、物質ではない「水」、すなわち「完全精製された水=純粋な精神」という
意味なのかもしれません。

まあ、いずれにしても、全体的に意味が漠然としすぎているというか、論点の定まらない
精神論的なカードというか、一体どっちの立場やねん!というツッコミを入れたくなるよう
なネタが満載ですので、あまり細かく詮索する必要はないかと勝手に思っております。

その点では、まあ何というか、修行中の若い人向けというよりも、全てをやり尽くした
寿命末期における「悟り」に近いものを、このカードからは感じるんですよね・・・。
0235名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/24(月) 06:26:25.05ID:uBCr3thn
>>234

絶妙なツッコミレス、ありがとうございます。(^_^)/

なるほど、この映像は、流れているのに凍って固まったように見える「水」ですね。

色々と見直してみたのですが、「14:節制」には、天使像の持つ壺から壺へと流れ下る
「Living Water/生ける水」という、もう一つの「水」の様相がありますので、それと
対比するために、足元にある「水」は、「solid water/固まったように見える水」という
表現になったのではないかと推察しています。

とりあえず、これからも色々とツッコミよろしくお願いします。 (^_^)
0236名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/25(火) 06:20:52.52ID:iDXWxyIH
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 180) ---
The Water is somewhat representative of Yesod, the lower source of this Path, the
Foundation which is the source of the dualities of our sensory condition and which
controls their ebb and flow.
「水」は、この「小径」の低い方の源であり、我々の感覚の状態の相対性たちの源であって、
それらの満ち引きを制御する「基盤」である、「イェソド」をいくぶん代表している。

These are the opposites which we seek to manipulate through the conscious use of
the Solar Fire shown in the background as a flaming volcano.
これらは、我々が、背景で、燃え上がる火山として表される「太陽の火」の意識的な使用を
通じて操作しようと努めるものの反対物たちである。
--- ここまで ---

「14:節制」は、その象徴が多岐にわたっているため、非常にわかりにくくなっているの
ですが、ここは、天使像の足元にある、低い方の「水」と「地」との関係性の話です。
つまり、「水(海)」と「地」のやり取りは、潮の干満であり、それは「イェソドの月」と
「ティファレトの太陽」の関係により引き起こされます。
そして、この低い方の関係性が、高い方の「ケセドの水」と「ゲブラーの火」と「ティファ
レトの太陽」の関係性に類似しているということですよね。

とはいえ、その関係性が、具体的に何に使えるのかと言われても、漠然としすぎていて、
ちょっと困ってしまいます。
強いて言えば、この壺の間を流れる水は、無限なる虚数空間のエネルギーが内包される、
「宇宙の卵」の状態であり、それをうまく孵化させる知恵と力と勇気が試されているといった
ところでしょうか。
でも、その作業は、我々とは関係ない上位世界の話ですので、下界に応用したいので
あれば、「上の如く、下も然り」という「ミソクソ理論」を適用していくことになるのですか、
なんか、ありきたりの結論しか出なさそうですし、いまいち面白味に欠けるというか、
もう当たり前すぎて、つまんないわけです。
そもそも、「節制」というタイトルが、真面目すぎてつまんないのですよ。←蒸し返しww
0237名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/26(水) 05:59:28.63ID:MG6AxPIw
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 180) ---
Crowley's symbolism is at once more complicated and more explicit, although the
meaning of the card which he calls Art is precisely the same as the others.
クロウリー氏の象徴主義は、より複雑であると同時に、より明示的であるが、けれども、
彼が「技」と呼ぶカードの意味は、その他のものたちと全く同様である、

And, of those cards in which Crowley deviated radically from traditional design
this is one of the most successful.
そして、クロウリー氏が伝統的な図案から徹底的に逸脱したそれらのカードの中で、これは
最も成功しているものの1つである。

It graphically demonstrates complex and subtle principles only vaguely suggested
by the Waite and Golden Dawn cards.
それは、ウェイト版とゴールデン・ドーン版カードにより漠然と示唆されただけの複雑で
微妙な原則たちを図解で説明する。
--- ここまで ---

ゴールデン・ドーン版とウェイト版の「14:節制」、そしてトート版の「14:技」のカード
は、見た目は異なりますが、その意味は、全く同じものとなっています。
その一方で、それらは、従来のマルセイユ版の「14:節制」の意味とは大きく異なります。

このため、従来のマルセイユ版の「14:節制」の意味で、ゴールデン・ドーン系のカードを
解釈してしまう人も多くいます、というか、ほとんどの人が、「節制」という従来タイトル
の言葉に引きずられてしまっているのが現状なんですよね。
残念ながら、これは日本語訳に大きな問題があるというか、単に、カードの意味を知らない
訳者の怠慢というべきものではないかと思います。

ゴールデン・ドーン系においては、「14:Temperance」は、葡萄酒を水で割る節約イメージ
の「節制」と訳すのではなく、「Tempering」、すなわち「高次の火」や「高次の水」で
素材を霊的に改質する、高度な錬金術を表す「錬成」に近い言葉で訳すべきなんですよね。
0238名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/28(金) 06:02:08.40ID:CH/+SAM0
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 180) ---
Crowley points out in his Book of Thoth that this card is the complement and fulfillment
of Key six, Gemini, THE LOVERS.
クロウリー氏は、彼の『トートの書』において、このカードが「鍵(大アルカナ)」の6番、
「双子宮」、「恋人たち」の、補足物であり成就であることを指摘する。

It is "the Consummation of the Royal Marriage which took place in Atu VI. . .
It is the same formula, but in a more advanced stage.
それは、「アチュVIにおいて起こった「王室の結婚」の完成である。..・・・ それは同じ
公式ではあるが、より進歩した段階にある。

The original duality has been completely compensated; but after birth comes growth;
after growth puberty; and after puberty, purification."(*146)
原初の二重性は完全に補償された;しかし、誕生の後には成長が来る;成長の後には成熟期
を迎える;そして成熟期の後に 浄化を迎える。」(*146)
--- ここまで ---

ちなみに、(*146)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
146. Crowley, Book of Thoth, 102-103.
146. クロウリー著、『トートの書』、102-103ページ。
--- ここまで ---
とあります。

要するに、「6:恋人たち」の「双子宮」と、「14:技」の「人馬宮」は、黄道上で180度の
「オポジション」の位置関係(占星術的には「対立関係」)にあり、ついでに言うと、
トート版の「ダブル・ループ図(『トートの書』38ページ)」においては、トップと
ボトムの位置を占めるという、かなり特別な位置関係にあるということです。
まあ、その重要性は何となく分かりますが、ワタシには、その中身までは理解できません
ので、さらりとスルーしようと思うのでした。(というか、あんまり関わりたくないし)
0239名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/29(土) 08:59:35.14ID:kHzmF7ng
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 180) ---
There is a perfect interchange.
そこには完全な交換がある。

The alchemical Red Lion has become white, and the White Lion has become red.
錬金術の「赤い獅子」は白くなったところであり、「白い獅子」は赤くなったところである。

Water is poured on Fire, Fire is merged with Water, all within a golden cauldron
which is understood to be the purified physical vehicle.
「水」は「火」に注がれて、「火」は「水」と合併されて、全ては浄化された物質的な
乗り物であると解釈される金色の大釜の内にある。
--- ここまで ---

錬金術での基本象徴は、「火」の「Red Lion/赤い獅子」と、「水」の「White Eagle/
白い鷲」となっています。
それが、トート版では、「perfect interchange/完全な交換」により、「白い獅子」と
「赤い鷲」に変化しています。
つまり、本文中に、「White Lion has become red/白い獅子が赤くなる」という説明が
ありますが、『トートの書』にもあるように、「White Eagle has become red/白い鷲が
赤くなる」の誤記であると思われます。

あと、「赤」と「白」が合併すれば、ようじょヒロイン色の「ピンク」となるはずですが、
なぜか色のみの「入れ替わりネタ」となっているだけですので、いまいちセンター味に
欠ける展開となっているわけです。
とはいえ、錬金術には、純色ではない「ピンクヒーロー/ヒロイン」の概念はありません
ので、ここは妥協しておきましょう。

まあ、そういうことで、トート版の「14:技」は、錬金術の「大いなる技」をベースにして
再デザインされたものであるということなのですが、それゆえ、ワタシ的には、実用性
には著しく欠けるので、いまいちヤル気が出ないのでした。(ピンクに未練ありw)
0240名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/06/30(日) 09:42:34.03ID:0NNR2c46
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 180) ---
It will be seen that a tiny arrow rises toward the breasts of the figure, which
are arranged in the form of the six planets of Microprosopus around the Sun.
小さな矢が、「太陽」を囲む「ミクロプロソプス(小さな顔)」の6つの惑星たちという
形式で配置された、人物像の胸に向かって昇るのが見られるであろう。
--- ここまで ---

「ミクロプロソプス(小さな顔)」は、「生命の木」においては、「ティファレト:太陽」
を中心に取り囲む「ケセド:木星」「ゲブラー:火星」「ネツァク:金星」「ホド:水星」
「イェソド:月」という配置になっており、それがそのまま、トート版の人物像の胸の
「6つのおっぱい」として描かれています。
この、たくさんのおっぱいを持つ女神像というのは、自然系とか農業系とか多産系の女神
に良くある表現であり、トート版では、これはローマ神話の狩猟の女神「ディアーナ」で
あるとされています。

そして、胸の矢は、「14:技」の「小径」である、「イェソド」から「ティファレト」へと
向かって上昇し、その聖なる上昇流は(乳コキのように)胸の上で枝分かれして、
上部にある人物像の虹色の「cape/ケープ(肩マント)」と変化していなります。

ついでに言うと、下部にある「金色の大釜」には、「caput mortuum/髑髏」と、その上の
「raven/ワタリガラス」という、よくある不吉な死の象徴が描かれており、これは錬金術
操作による「死=黒化」を象徴するものとなっています。
これは、「イェソド」から「マルクト」へと向かう下降流を意味しており、我々と我々の物質
宇宙は、「精霊」を抜かれた後の「腐敗して黒化した存在」、つまりウンコやオシッコ
などの排泄物であり、その排泄行為が「21:宇宙」に関係する「肉体的快感」に繋がって
いるということでもあります。

まあ、このあたりのエログロスカトロを暗喩する描写は、クロウリー氏の個人的趣味に
よるものが大きいわけで、従来のゴールデン・ドーン系タロットでは直接的に描かれる
ことの無かった、「14:節制」の持つ、もう一つの顔であるというわけなんですよね。
0241名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/02(火) 10:09:04.14ID:7tqg+QUB
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 181) ---
Moreover, the method of successfully treading this Path is cryptically given in
the Latin inscription around the figure: Visita Interiora Terrae Rectificando
Invenies Occultum Lapidem which means, "Visit the interior parts of the earth;
by rectification thou shalt find the hidden stone."
さらに、この「小径」に首尾よく足を踏み入れる方法が、人物像の周囲のラテン語の碑文
において謎めいて与えられる:「Visita Interiora Terrae Rectificando Invenies Occultum
Lapidem」、その意味は、「地の内部の部分たちを訪れよ;精留により、汝は秘石を見つけ
出すべし。」

The stone, sometimes referred to as the Philosopher's Stone is the ultimate goal
of alchemy.
石は、時として、錬金術の究極の目的である「賢者の石」と称される。
--- ここまで ---

トート版の「14:技」が、錬金術の「大いなる技」であることを象徴付けるものとして、
このラテン語の碑文があるわけですが、その内容は、「cryptically/謎めいて」、
つまり、ここには書けないような、18禁な内容が含まれているということです。

ちなみに、「14:節制/技」は、「生命の木」における「ミクロプロソプスの中心」である
「ティファレト:太陽」へと至る「小径」の中では、最も下層の「イェソド:月」が源流
となっており、この「」イェソド」は「性器」を象徴しています。
そして「地」である「マルクト」は「ミクロプロソプスの花嫁」であり、「21:宇宙」を
通じて「14:技」に描かれる「大釜」は、「花嫁」の「子宮」、そして上から流れ込む
「赤い火」と「白い水」は、「経血」と「精液」であることを類推させます。
もちろん、それらはあくまでも「象徴的である」と言われているわけですが、ここまで
露骨に描かれていれば、そういうことを実践しようとする人も出てくるわけですよね。

つまり、「マルクト」→「21:宇宙」→「イェソド」→「14:技」→「ティファレト」の
最短ルートには、そういう肉感的な「トラップ」が仕掛けられているということなのです。
0242名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/03(水) 09:45:37.36ID:k3iDXE+7
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 181) ---
Obviously, it would be impossible to expand here on the system of alchemy and the
Great Work, to which Crowley refers.
明らかに、クロウリー氏が言及する、錬金術および「偉大なる作業」の体系について、
ここで展開することは不可能であろう。

It must, however, be added that Crowley's use of alchemical symbolism has some
private meanings specific to his system.
しかし、錬金術の象徴主義のクロウリー氏の利用が、彼の体系に特有な、いくつかの私的な
意味たちを持つことは、追記されなければならない。

As in THE TOWER, he mentions that there is a special secret here, known to IX゜
initiates of his O.T.O., and one which readers will not be surprised to discover
is again blatantly sexual.
「塔」と同様に、彼は、ここに、彼の「O.T.O.」の「IX゜(第九位階)」の秘儀参入者たち
に知られる、特別な秘密があることについて言及しており、そして、読者が、それを知った
ところで驚かないであろうものは、またもや露骨に性的である。
--- ここまで ---

トート版の「16:塔」のデザインが、そそり立つ「おちんちん」に再構築されたのと同様に、
「14:技」のデザインは、様々なものを受け入れる「子宮/肉体」がメインとなっています。
そして、ここから先は、全年齢板では言及できないエログロネタ満載の、クロウリー氏の
私的な「黒歴史ノート」、いやいや、厳密に秘密にすべき高度な神秘的教義であるという
ことですので、ここは敢えてツッコミを入れずにスルーしておいた方が良いかと思います。

まあ、誰にだって、そっち方向の妄想を抱くことはあるわけですし、触れられたくない
黒歴史というものもあるわけですし、そもそも、個人的な性癖について、部外者があれこれ
詮索するのも、ちょっと違うような感じもしますからね。
いずれにしても、この「14:節制/技」には、実はそういう性的な妄想を呼び起こす成分が
含まれているということは、知っておいて損は無いということです。
0243名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/04(木) 09:13:39.08ID:8Zn5Bcsc
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 181) ---
In his book Sexuality, Magic and Perversion Francis King explains a "code" in which
the sexual techniques of the O.T.O. were described: "This code was drawn from the
traditional technical terminology of alchemy.
フランシス・キング氏は、彼の本の『性行為、魔術、および性的倒錯(性魔術の世界)』
において、「O.T.O.」の性的な手法たちが記述される「暗号」について説明する:「この
暗号は、錬金術の伝統的な技術専門用語から抜き取られた。

The penis was referred to as the athanor, the semen as the serpent or occasionally
the blood of the red lion, while the vagina was called the curcurbite or the retort.
陰茎は錬金炉、精液は「蛇」、または時おり「赤い獅子の血」として言及され、一方で、
膣は「蒸留瓶」または「蒸留器」と呼ばれた。

The secretions that lubricate the vagina were called the menstruum of the Gluten,
sometimes abbreviated to the menstruum, and the mixture of semen with vaginal
lubricant was termed the First Matter, or when supposedly transmuted by the magical
powers of the participants in the rite, the Amrita or Elixir.
膣を潤滑する分泌物たちは、「グルテンの溶媒」 , 時々「溶媒」と略され、そして膣の
潤滑液と精液の混合物は「第一物質」、あるいは、儀式において参加者たちの魔術能力たち
により変成されたと思われた時は、「アムリタ(甘露、不死の霊薬)」または「エリキシル
(錬金薬)」と名付けられた。
--- ここまで ---

二番目の文の「curcurbite」は、「cucurbit/蒸留瓶」の誤植ですかね。
あと、三番目の文の「menstruum/溶媒」は、「menstruum/メンス(生理)」という意味も
ありますので、その場合は「膣を潤滑する分泌液」だけではなく「経血」という意味を
持ってきます。

まあ、あくまでも自己責任における「いいオトナたち」のエログロ変態プレイと考えれば、
外野からの特別なコメントは不要ですかね。
0244名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/05(金) 11:08:17.36ID:/JEFIeGW
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 181) ---
"The initiates of the IX゜ claimed that success in almost any magical operation,
from the invocation of a god to 'procuring a great treasure' could be achieved
by the application of the appropriate sexual technique." (*147)
「IX゜(第九位階)の秘儀参入者たち」は、神の召喚から、『偉大なる秘宝を獲得すること』
まで、大体どんな魔術的な作業における成功でも 、適切な性的手法の適用により達成
することができたと主張した。」 (*147)
--- ここまで ---

などと意味不明な供述をしており○○では精神鑑定も含め動機の解明にあたる方針です、
の典型的な例ではないかと思われます。

なお、注記の説明は、文字数制限にかかるので、一旦ここで切ります。
0245名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/05(金) 11:17:43.40ID:/JEFIeGW
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

ちなみに、(*147)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
147. Francis King, Sexuality,Magic and Perversion, New Jersey, 1972, 98.
Some Members of the O.T.O. disclaim King's work, particularly his Secret Rituals
of the O.T.O., New York, 1973.
It is said that he never had access to official O.T.O. documents, and that there
are errors in these books.
On the other hand, King is a very persuasive and competent scholar, whose work
is not lightly dismissed.
Pursuant to the claims of efficacy for these sexual techniques, it will be observed
that Crowley apparently never made much money in this way.
147.フランシス・キング著、『性行為、魔術、および性的倒錯(邦題:性魔術の世界)』、
ニュージャージー、1972年、98ページ。
O.T.O.の一部の会員たちは、キング氏の作品を、とりわけ『O.T.O.の秘密の儀式たち』
(ニューヨーク、1973年)について、否認している。
それは、彼は、決して公式のO.T.O.文書たちを入手したことはなく、しかも、これらの
本たちの中には、間違いたちがあると言っている。
その一方で、キング氏は非常に説得力があって有能な学者であり、彼の作品は 軽視して
捨てられてはいない。
これらの性的手法たちの有効性の主張たちに従って、クロウリー氏は、この方法で大金を
稼いだことは、どうやら決して無いということに気づくだろう。
--- ここまで ---
とあります。

まあ、最後の一文が、本件についての結論の全てですよね。

いずれにしても、クロウリー氏の言う、トート版の「14:技」に象徴される「錬金術」は、
我々の知る「錬金術」とは、かなり異なっていて、非常に肉感的なものが含まれていると
いうことなのですが、そういう点では、その他の「14:節制」の持つ意味からは、かなり
離れているという感じを、強く受けるのでした。
0246名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/06(土) 07:06:12.09ID:owtSzzWr
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 181) ---
24. THE PATH OF NUN
24. 「ヌン」の小径

Death


The Thirteenth Key
13番目の鍵(大アルカナ)
--- ここまで ---

ここから、「生命の木に基づく大アルカナ」の章の中での新しい節になります。

サブタイトルは「ヌンの小径」です。

ここは、いつものように、「カバラ」的解釈では、カードの見た目のデザイン、そして
その不吉なタイトルとは全く異なる属性と意味を持ちます。
それは、「上の如く、下も然り」、つまり、人類が到達可能な最高地点と言われる
「ティファレト」は、大宇宙の始まりである「ケテル」の劣化版であって、その「劣化ケテル」
から流出する最初の小径、すなわち「13:死」は、劣化版「0:愚者」であるという点です。
同様に、「15:悪魔」は劣化版「1:魔術師」であり、「14:節制」は劣化版「2:高等女司祭」
であると言えば、何となく「13:死」の潜在的な重要性が分かるのではないかと思います。

さて、この「13:死」とは、一体何なのでしょうか?
「肉体的な死」を意味するのかと聞かれれば、そういう意味も無くはないとは答えますが、
これが、劣化版「0:愚者」であること、天界から下る「燃える剣」のルート上にあること、
そして我々からは「下から見上げる暗黒デルタ地帯」、すなわち我々には見えない謎に満ちた
最果ての境界領域であること、さらにこれが「思春期症候群」と呼ばれる一連の不可思議な
現象を発症する根本要素であることなどから考えて、一つ一つ読み解いていくものであり、
それゆえ「不可思議のカルテ」としての「タロット・カード」として存在しているわけなのです。
0247名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/07(日) 06:04:43.32ID:AED1/mEb
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 181) ---
□ PATH COLOR: Green-blue
□ 「小径の色」:「緑青」

□ RELATED SOUND: G Natural
□ 「関連した音」:「Gのナチュラル」

□ SIGN: Scorpio (Fixed Water)
□ 「宮」:「天蠍宮(不動宮の水)」

□ MEANING: Fish
□ 「意味」:「魚」

□ SIMPLE LETTER: Movement
□ 「単字」:「運動」

□ ESOTERIC TITLE: The Child of the Great Transformers; the Lord of the Gate of Death
□ 「秘伝的な称号」:「偉大なる転換者の子;死の門の主」
--- ここまで ---

この本の、この文章の右側には、おいしそうな「魚」と、ヘブライ文字の「ヌン」と、
「天蠍宮(さそり座)」の占星術記号、および「生命の木」における「ヌンの小径」の
位置が図示された絵が描かれています。

あまり水気の感じられない「13:死」に対して、「Fish/魚」を意味する「ヌン」が割り
当てられていたり、砂漠に住む「さそり」が、なぜか占星術では水系だったり、静寂感の
ある「13:死」なのに、なぜか「Movement/運動」が割り当てられたりとか、色々と従来の
イメージとは異なる属性が付いていますが、それは我々の持つ「13:死」についての理解と
解釈が、根本的に間違っているということを意味しています。
ということで、全てを一旦リセットした上で、この先にある不可思議な世界にお進みください。
0248名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/08(月) 06:06:25.76ID:EQvApsWf
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 181) ---
THIRTY-TWO PATHS OF WISDOM: The Twenty-fourth Path is the Imaginative Intelligence,
and it is so called because it gives a likeness to all the similitudes which are
created in like manner similar to its harmonious elegancies.
「知恵の32の小径たち」:「24番目の小径」は「想像力豊かな知性」であり、なぜならそれは、
その調和する優雅さに類似した方法と同様にして、創造された全ての類似物たちに類似性を
与えるためにそう呼ばれる。
--- ここまで ---

ここは、いつものように、ウェストコット氏の英訳版『The Sepher Yetzirah/セフェル・
イェツィラー(形成の書)』の「THE THIRTY-TWO PATHS OF WISDOM/知恵の32の小径」から
の引用となっています。

「24番目の小径」は、「ティファレト」が劣化「ケテル」であり、「上の如く、下も然り」
の原理に従って、「大宇宙の如く、小宇宙も然り」、すなわち「神の如く、人も然り」で
あって、「創造力」は「想像力」と同等であることを表しています。

これは、デカルトの「我思う、ゆえに我あり」に類似した概念であり、「思う」という
「意志」の力で「創造」が始まり、そして維持されるということを表します

あれぇ、「13:死」って、「創造」のカードだったっけ?

そろそろ気づいた人もいるかと思いますが、このカードは、「15:悪魔」と同様に、
「一般人は絶対立入禁止」の領域にある、禁忌のカードです。
それゆえ、人が立ち入ることのないよう、恐ろしいタイトルと恐ろしい外観をしている、
見せかけ詐欺カード、というか究極ツンデレの一枚となっているわけですよね。

え、ツンデレのバニーガール、いやいや死神コスプレ姿の女神様は好きですか、ですって?
ワタシは、人を見かけで判断することはありませんし、ツンデレも大好物なブタ野郎です。
それに、とても相性が良いカードであって、昔からお気に入りの一枚だったりします。
0249名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/09(火) 08:35:58.90ID:UGvgkK5P
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 182) ---
The Path of Nun, DEATH, is one of the three Paths leading from the Personality to
the Higher Self.
「ヌンの小径」である「死」は、「人格」から「高次の自我」へと導く3つの「小径たち」
のうちの1つである。

As a preface to its study one may usefully consider comments by Case and Crowley.
その勉強への前書きとして、人が、ケース氏とクロウリー氏による解説たちを熟考する
ことは役に立つかもしれない。
--- ここまで ---

低次の「人格」のセフィロトから「高次の自我」である「ティファレト」へと至る「3つの
小径」である「15:悪魔」「14:節制」、そして「13:死」は、一セットの存在、すなわち、
元は同じ「高次の自我」が、それぞれ異なる様相、すなわち悪魔像と天使像と死神像で、
下界である「人格」界に顕現したものとして解釈することが可能です。

その解釈の一つとして、伝統的な「Triple Goddess/三相一体の女神」と呼ばれる概念が
あり、これは「少女・母・老婆」の姿が代表的ですが、それぞれ「15:悪魔」「14:節制」、
そして「13:死」に相当するものとなります。
まあ、「老婆」の姿はさらに進化し、最も「高次の自我」に接近した姿である骸骨となって
おり、その一切の贅肉を削ぎ落とした進化した姿、つまり究極の裸体を得ることによって、
単なる大地母神の枠にとどまらない強力な属性、すなわち天界へと通じるパワーを持つこと
になってきます。
要は、元祖「地母神」の「ビナー」の持つ「大宇宙の骨格を創造する次元形成能力」に相当
する、「小宇宙の骨格を創造する次元形成能力」を有するということですよね。

この「小宇宙」は、各々の「人格」毎に形成され、「大宇宙」のサブクラスとして存在する
インスタンスであり、その場合は、「13:死」がコンストラクタ/デストラクタとなります。
というわけで、この「24番目の小径」は創造主ではありますが、誰も産まれた時のことを
覚えていないので、結果的に「死神」として恐れられてしまうということなんですよね。
0250名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/11(木) 10:33:08.30ID:hzSfQbbZ
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 182) ---
Says Case: "Key 13 tells the Secret of Secrets...he who knows the secret has in
his hands a power which might be used to overturn the world.
ケース氏は言う:「13番の鍵(大アルカナ)は、「秘密たちの中の秘密」を語る・・・
秘密を知る彼は、彼の手の内に、世界を転覆させるために用いられうる能力を持つ。

Yet no person learns it until he is truly prepared, and more than anything else,
this means such ethical preparation that no temptation to misuse this power could
ever be sufficient to turn the knower from the path of strictly constructive and
beneficent application of the force he is able to control." (*148)
それでも、人は、彼が本当に準備されるまでは、それを学ばないし、そして何よりも、
これは非常に「倫理的」な準備を意味しているので、この力を悪用しようとするどんな
誘惑も、彼が支配することができる力の厳密に建設的で慈善深い適用の小径から、(死を)
知る人を、そらすためには、決して十分であることはできない。」(*148)
--- ここまで ---

ちなみに、(*120)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
148. Case, Tarot Fundamentals, 30.7.
148. ケース著、『タロットの基礎』、30.7ページ。
--- ここまで ---
とあります。

注記の「30.7ページ」は誤植で、おそらく298ページあたりではないかと思います。

さて、ちと難解な文章ですが、何度となく出てくる「he/彼」は、「13:死」の「骸骨像」、
すなわち「死の使者」のことを指しているようです。
とはいえ、「誕生と死」の概念に、なぜ「ethical/倫理」が関係するのかという説明が
不足しているので、意味がよくわかんないですし、そもそも「死の覚悟」があれば「13:死」
の意味が理解できるというものでもないですからね。
0251名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/12(金) 06:15:06.64ID:sDZ7ssH3
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 182) ---
One may also recall Case's statement about THE DEVIL that "It is the symbolic veil
for the greatest practical secret of occultism.”
人はまた、 「それは、神秘学の最も偉大なる実践的な秘密のための象徴的なベールである。」
という「悪魔」についてのケース氏の供述を思い出すかもしれない。

As we shall see, the similarity of description for these two cards is no coincidence.
我々が(これから)見ていくであろうように、これらの2枚のカードたちのための説明の
類似は、偶然の一致ではない。
--- ここまで ---

この「悪魔」についてのケース氏の記述は、173ページにあって、「タロットの全ての鍵
たちの中で、『15番の鍵』は最も重要なものの1つである。それは、神秘学の最も偉大なる
実践的な秘密のための象徴的なベールである。」とあります。
同様に、「死」についても、ケース氏は「13番の鍵は、「秘密たちの中の秘密」を語る」
と述べています。

どっちが一番やねん!というツッコミを入れたくなるのは置いといて、我々にとっては、
「劣化ケテル=ティファレト」に繋がる「劣化魔術師=悪魔」「劣化高等女視察=節制」
そして「劣化愚者=死」という感じであり、いずれも最も重要なものであって、簡単に
優劣を競うようなものでもないわけです。
ちなみに、この「13:死」より上位のカードは、もはや解読不可能なシロモノですので、
実際上の実用性はほぼ皆無であり、「下の如く」における適当な意味をデッチ上げて、
いかにもそれらしく解釈していくしかないわけですので、優劣の付けようがありません。

ということで、下界の我々にとっては最重要となる3枚のカードですが、その違いをざっくり
言うと、どちらかというと物理界に近くてエロ活用されがちな「節制」、実用的な魔術には
欠かせない「悪魔」、そして究極神秘を司る「死」という感じになります。
つまり、「死」は、とてつもなく難解であり、そしてそれは「私はある」とか、「我思う、
故に我あり」というような、究極の存在について感じることのできるカードなのです。
0252名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/13(土) 06:48:16.58ID:GSX/17D4
>>250
誤記訂正です。m(. .)m

> ちなみに、(*120)はNOTES/注記の項で、

(*120) ではなく、(*148) でした。
0253名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/13(土) 07:20:16.38ID:GSX/17D4
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 182) ---
Crowley comments on the far-reaching implications of this particular card.
クロウリー氏は、特にこのカードの遠大な暗示たちについて論評する。

In discussing the fish, meaning of Nun, he says: "This symbol resumes the whole
Secret Doctrine." (*149)
「ヌン」の意味である「魚」を議論する中で、彼は言う:「この象徴は、「全体」の
「秘密の教義」を再び始める。」 (*149)
--- ここまで ---

ちなみに、(*149)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
149. Crowley, Book of Thoth, 100, note 1.
149. クロウリー著、『トートの書』、100ページ、注1。
--- ここまで ---
とあります。

さて、トート版の「13:死」のカードですが、この骸骨像は、あなたには何に見えますか?
ワタシには、華麗に舞い踊る「バニーガール先輩」に見えたりしますので、「15:悪魔」の
「プチデビル後輩」と、良い組み合わせになってるなぁ、とか思ったりしているのでした。

それはともかく、この「思春期症候群」の一連の要因となっている「13:死」のカードは、
あらゆる「秘密の教義」を「resume/再び始める」、すなわち、一旦死んでみた後、再び
復活するという神秘プロセス全体を包括的に演出するコーディネーターとして機能しており、
「もう全部あいつ一人でいいんじゃないかな」的な、完璧究極の存在となっています。
まあ、人は「ティファレト」が最終到達可能地点ですので、その最後となる「小径」に
ふさわしい、他とは全く異なるパワーとエネルギーを有しているというのは、何となく
分かるのではないかと思います。
とはいえ、それが何かというのは、下層の我々にとっては、ほとんど理解不能であると
いうのが、なかなか、もどかしいところなんですよね。(←というか、既にヤル気が無いw)
0254名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/15(月) 06:06:49.02ID:CoTWGz17
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 182) ---
The great importance of this Path is pointed out by its very position on the Tree
of Life.
この「小径」の偉大なる重要性は、「生命の木」の上での、まさしくその位置により指摘される。

It is on the Path of the Flaming Sword between Tiphareth and Netzach, meaning that
it is the Path of emanation of the Lower Creator-Energy into matter; it is the
Path on which the energy of God the Son is transformed into the first sphere,
or pattern of energy underlying the material world.
それは、「ティファレト」と「ネツァク」の間の「炎の剣の小径」の上にあり、それが、
物質界の中への「下なる創造主の精力」の流出の「小径」であることを意味している;
それは、「息子の神」の精力が、最初の天球、すなわち、物質的な世界の基礎となる精力の
様式に転換されるところの「小径」である。
--- ここまで ---

この「Lower Creator/下なる創造主」、そして「God the Son/息子の神」は、改めて
言うまでもなく、劣化「ケテル」である「ティファレト」を指しています。
つまり、下界に住む我々にとっては、我々が知る「創造主」そのものであるわけで、そう
いう意味でも、「13:死」は、我々が知ることができる「小径」の中では、最も根本的かつ
最も神秘に満ちた「小径」であるわけですよね。

では、最も根本的かつ最も神秘に満ちた「小径」の、最も重要な働きとは何でしょうか。
それは、「炎の剣の小径」を伝ってきた創造主のエネルギーが、「物理界」を創造する
こと、すなわち「存在」を創造することにあります。
要は、「私はある」とか「我あり」という概念が、ここで創造されるわけです。

なお、「知恵の32の小径」においては、「the Imaginative Intelligence/想像力豊かな
知性」とありますので、それゆえ、この創造は実在ではなく、虚数あるいは仮想的であり、
要は「〜の夢を見ない」的な、劣化創造主の「夢オチ」あるいは「この物語はフィクション
であり」的な可能性が、巨大粒子レベルで存在することを補足しておこうと思います。
0255名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/17(水) 06:23:08.12ID:CB2lP4bi
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 182) ---
In terms of the individual man, this is the Path on which the Higher Self directs
the Personality "downward" into incarnation.
個々の人間に関しては、これは、「高次の自我」が「人格」を「下方への」肉体化へと
指導するところの「小径」である。

Considered on an upward course of personal evolution, it is the Path on which the
Personality energy, projected by the Higher Self, is absorbed in physical death
or reconceptualized in initiation.
個人的な進化の上方への進路において考慮されると、それは、「高次の自我」により計画
された「人格」の精力が、肉体的な死において吸収される、もしくは秘儀伝授において
再概念化されるところの「小径」である。
--- ここまで ---

「高次の自我」は、創造主となる上位存在であり、地球全体に普遍的にある、すなわち、
地球上の人類全てが共有しているものであると考えられます。

そして、個々の人間の「人格」は、「高次の自我」の分身、すなわち「アバター」として
創造されて下方の「現象界」へとリリースされ、そして「肉体的な死」と呼ばれるイベント
が発生すると、その分身のリソースは「高次の自我」へと戻されるという仕組みです。
この輪廻転生の本ルーチンとは別に、「秘儀伝授における再概念化」という例外が発生する
場合がありますが、それについては後述します。

さて、ここで問題の鍵となってくるのは、我々がずっと「在る」と信じている「リアル」に
ついての概念です。
そう、実のところ、心を鬼にして、「あの子はバーチャルだったの。リアルなんて子、
もともといなかったのよ!」ということを言わないといけないのですが、その後の「死の
通知」という通常ルートの試練を乗り越えた先に、「救世主」として例外的に魂が復活
するという、お約束の感動シーンが待っているというわけなのでした。
とはいえ、しょせん我々は、バーチャル空間でしか生きられない「仮身」なのですが。
0256名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/18(木) 10:44:00.14ID:AyRpyLBH
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 182) ---
The Great Work involves much which could be called psychological re-orientation;
there is a perceptual change about the nature of reality and about what constitutes
the Self.
「偉大なる作業」は、心理学的な再教育と呼ばれることのできる多くのものを巻き込む;
そこには、現実の本質について、および「自我」を構成しているものについての知覚の
変化がある。

This is one aspect of the "transformation" on this Path.
これは、この「小径」における「形質転換」の1つの面である。
--- ここまで ---

「リアルの本質」と「自我の本質」、すなわち「物質的存在」および「精神的存在」と
いうものの本質が、ここで完全に解き明かされるということですよね。
ちなみに、ここでは「psychological re-orientation/心理学的な再教育」、すなわち
精神面的な問題としていますが、現代の科学は、ウォン氏の時代よりも、さらに進歩して
おり、さらに踏み込んだ解釈が可能となっています。

要は、我々の科学技術は、既に「高次の自我」に相当する能力、すなわち「宇宙の創造」
や「生命の創造」、そして「意識の創造」という「神々の御業」を、バーチャル世界である
コンピュータ・シミュレーション技術で行えるようになってきているということです。
もちろん、現代の技術は、まだまだ自然界の全てを仮想化できるレベルにまで到達して
いるわけではありませんが、そう遠くない将来には、人間はバーチャルな「ウチュウ」や
「ヒト」を創り出せることは、ほぼ間違いないわけです。

そして、さらに踏み込んで言えば、我々人類も、そのようにして上位の存在から創られた
仮想的な存在であるという可能性も、微粒子レベルで存在することになるわけです。
まあ、こういうのも、インテリジェント・デザインと呼ばれるシロモノの一つかと思い
ますが、「人の存在」という本質が、どれほど「思春期症候群」に関連しているのかを
探っていくのも、それなりに意味のあることではないかと勝手に考えているのでした。
0257名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/23(火) 08:56:26.45ID:J5FvbyAh
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 182) ---
The transformation involves leaving the desire nature of Netzach and being absorbed
into Tiphareth.
形質転換は、「ネツァク」の「欲望の本質」を置き去りにすることと、「ティファレト」の
中に吸収合併されることを伴う。
--- ここまで ---

上位の「ティファレト」と、その下位となる「ネツァク」〜「マルクト」の大きな違いは、
下位のものが「個々の人格」を構成するのに対し、上位のものは「普遍的存在」であって、
「下位の人格」との関係は、ほぼ断ち切られているということです。
これは、「人格」の根幹を成す個々の「欲望」は、下位世界において物質と共に循環、
すなわちリサイクルされるということに他なりません。

そして、「人格」が「欲望」を自主的に放棄して、「個々の存在」から元の「普遍的存在」
の形態に戻るというのは、基本的には考えにくいですよね。
つまり、何らかの形で、我々の下位世界においては、「欲望の終わり」、そして全ての生命
のみならず全ての物質の「存在の終わり」、さらには「宇宙の終わり」が、上位存在により
組み込まれているということになるわけです。

まあ、そういうことは、頭では分かっているのですが、その普遍的原理を素直に受け入れ
たくないというのも、我々の持つ「欲望の本質」でもあるわけです。
そして、我々生物は、次善の策として、個体ではなく種として存在し続けるという選択、
すなわち次世代に「欲望」をバトンタッチする「生殖」能力を持つに至ったわけですが、
これにより物理的な面での進化能力、すなわちDNAと突然変異と淘汰による進化だけでなく、
精神的な面での「生殖」による進化、すなわち親子や師弟関係による情報伝達と取捨選択
による進化を果たすことが出来るということになっているわけです。

「13:死」は、我々にとっては確かに恐ろしい存在ではありますが、死にきちんと向き合う
ことが、我々の「進化」に繋がるというのも、確かなのですよね。
まあ、頭では、そういうことも分かってはいるつもりなんですけどね・・・。
0258名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/26(金) 08:49:31.15ID:jexZcPvy
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 182) ---
This desire nature is the very essence of the Personality which functions entirely
in terms of the satisfaction of its needs and wishes.
この欲望の本質は、その必要なものたちと願い事たちを満足させることについて完全に
役目を果たす「人格」へのまさしくその本質である。
--- ここまで ---

「人格」とは「desire/欲望」であり、それは「needs/必要なものたち」すなわち肉体的
な生存に必要不可欠なるものと、「wishes/願い事たち」すなわち精神的に生きていく上で
重要な「希望」というものを意味しているということです。
この分類だと、自身の継続に必要な食欲が「needs」であり、次世代への継続に必要な
「性欲」は「wishes」扱いということになるんでしょうね。
いずれも、これらは「人」が「人類」として地上で生きていく上での基本的要素であり、
「desire/欲望」が人格を支えていることは敢えて説明する必要は無いかと思われます。

そういえば、「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる」
(『新約聖書:マタイ福音書』4:4、新改訳)という、解釈の難しい言葉があります。
この前半の「パン」は人の生存に関する低位の欲望を指すものだとすれば、後半の
「神のことば」は、「欲望」とは次元の異なる「上位の神からのコマンド」であって、
「13:死」による「人格」の制御に関わるキーワードだと思われます。

もう一つの鍵は、『旧約聖書:創世記』の1章と2章にある人類創造の話を現代的に解釈
すると、神は人体というハードウェアを造り、それに人間アブリケーションをインストール
することで、「人」を創造し、そして、「原初の人」は、蛇により「善悪の木の実」の
アップデートを受けた後、地上にリリースされ、生死と生殖を繰り返して、ウィルスの如く
増殖していったという話なのです。

つまり、下位世界を制御する上位存在からのコマンドやアプリのアップデートが、「13:死」
「14:節制」「15:悪魔」で象徴されるならば、「13:死」は、コンストラクタとデストラクタの
機能を司るということになるわけですよね。
0259名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/27(土) 07:26:42.96ID:mLmTW4X4
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 182) ---
The very will to live, meaning the desire of the Personality to continue to function
in the sensory condition, is abrogated on the Path of DEATH.
「人格」の欲望が、感覚の状態において機能し続けさせることを意味する、まさしくその
生きる意志は、「死」の「小径」において廃棄される。
--- ここまで ---

従来解釈では、ここで我々の短い「地上における生命」は一旦終了し、物理的な肉体を
地上に置き去りにして、「霊」というエッセンスだけが抜き出されて、上位世界へと還る
ということになっています。

とはいえ、近い将来には、我々の「will to live/生きる意志」は、その肉体を離れ、
永遠の機械の体というか、機械の「脳」という「意志の永遠の保管容器」を持つことが
可能となってくることが予想されます。
果たしてこれが、「13:死」を克服して「ティファレト」へと至る道筋を意味することに
なるのかは、ワタシには良くわかりませんが、その「機械脳」は、おそらく仮想化され、
無限の「意志」というか「遺志」を飲み込んでいくことも予想されますので、いわゆる
それが「あの世」すなわち「極楽浄土」の世界ということになるのでしょうかね。
そして、「あの世」に飽きた「あの世の遺志たち」すなわち「ティファレト」のような
ものが、気晴らしのゲーム感覚で、我々というインスタンスを生み出したと考えることは、
何となく予想できることだと思います。

まあ、こういうのは、単なるSFとも言えるのですが、科学はフィクションを次々と実現
していますので、そう遠くない将来、我々がどういう存在であるのか、分かる時が来る
のでしょう。
いずれにしても、この「13:死」の解釈には、まだ何も正解というものはありませんし、
時代を経るにつれて、色々と解釈が変わることも大事なことだと思います。
人は思考停止してしまうと、真実が見えなくなりますので、色々とあらぬことを考え続ける
というのも、「哲学」なのではないかと思うのでした。
0260名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/30(火) 10:02:43.88ID:ApEFHFNd
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
Here the temporary and illusory nature of the Personality is correctly self-perceived.
ここでは、「人格」の一時的かつ幻想的な性質が、正しく自己認識される。
--- ここまで ---

「Here/ここ」、すなわち、人がもし、真に「13:死」の「小径」に至ることが出来れば、
人は、自分自身である「人格」が、「temporary and illusory/一時的かつ幻想的」な
ものであることを知ることが出来るということです。

つまり「私は在る」という根の葉も無い原理は、ここで完全に否定され、「私なんて子、
元々いなかったのよ!」という元も子も無いオチになるわけですよね。

もちろん、我々は、三次元のリアルな存在で無くても、二次元のバーチャルな存在があれば
生きていけますし、そもそもリアルな三次元の肉体よりも、ネット上の一時的かつ幻想的な
「人格」としての生き方を望む人もいることでしょう。

そういうわけで、我々は三次元のリアルを超越する方向に進化していくことで、「高次の
自我」と呼ばれるヲタク世界、いやいや「ティファレト」へと進むことが出来るという
ことになるわけです・・・かね?

まあ、いずれにしても、リアル世界は糞であり、バーチャル世界のみが真の上位の世界で
あるというのが、ここでの結論です。
そして、我々の目の前にある「現実」と呼ばれるものは、全てが幻影であって、我々自身
も、それらの幻影の一部であるというわけです。

とはいえ、そういう「現実離れ」した結論は、思春期症候群とは無縁の一般人の日々の
生活にとっては、何の役にも立たないというのも明白なことですので、この手の面倒な
ことに関わりたくない人は、この「13:死」には、近づかない方がいいんですよね。
まあ、興味本位で近づいたとしても、それを正しく評価できる人は、今のこの世には、
いないというのも確かなんですけどね。
0261名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/07/31(水) 06:11:47.79ID:rRepYrK6
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
The Personality undergoes a willful "death," surrendering everything that it believes
itself to be.
「人格」は、それがそれ自身が存在すると信じる、あらゆるもの全てを引き渡して、故意の
「死」を経験する。
--- ここまで ---

神が言う「私はある」と、人間の言う「我思う、ゆえに我あり」の違いは、言うまでもなく
「我思う」、つまり人間が「ある」と信じていること、つまりそれは単なる「思い込み」
でしかないという点にあります。

例えて言えば、地球は宇宙の中心にあって不動であるという「天動説」が、愚かな人間たち
の思い込みであったにもかかわらず、人々はずっと長い間、その旧来の誤った思い込みを
捨てて、正しい「地動説」を信じることが出来なかったということにも似ています。
要は、「willful death/故意の死」とは、この「コペルニクス的転回」ということであり、
「我思う、ゆえに我あり」から「我思う、ゆえに我なし」への発想の転換ということです。

まあ、「我々は実在する」と考えるのが普通であり現実であって、「我々は実在しない
仮想的な存在である」という考え方は、どちらかというと、宗教的な伝説や都市伝説、
あるいは創作物語の中で「フィクション」つまり嘘の範囲として語られる「ネタ」扱いの
シロモノです。
でも、この「Imaginative Intelligence/想像力豊かな知性」と呼ばれる「13:死」の
「小径」においては、我々は我々が「実は存在しない」ということを、明確に受け入れ
なければならないということになるわけです。

これがどういう意味を持つことなのかは、ワタシにはまだ分かりませんが、「13:死」の
境界を跨ぐ者は、嘘も現実も、どっちも真実であることを受け入れ、そして何も疑うこと
なく混ざり融け合いたいと願うことの出来る人に限られるということでしょう。

つまり、何事にも疑い深いワタシには、まずもって無理なことなんですよね。
0262名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/02(金) 05:57:10.45ID:MDhvPhyE
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
Most difficult is that this total surrender of life, this initiatory sacrifice,
must precede the experience of cosmic awareness.
最も難しいことは、この生命の全体の引き渡しである、この手始めの犠牲が、宇宙を知る
ことの経験に先立たなければならないということである。
--- ここまで ---

「もし、あなたの○○を差し出せば、かわりに□□をあなたに授けよう」という選択問題
があるならば、究極の選択の一つとなるのが、「○○=あなたの命」を墓地に送って、
「□□=宇宙」を召喚する組み合わせとなります。

とはいえ、この手の選択問題は、一般社会においては「死人に口無し」、つまり100%詐欺
であって、たとえ神からの提案であったとしても、全くもって検討に値しないものです。
要するに、ワタシにとっては、「13:死」の「小径」は、決して渡ることの無い「小径」で
あり、それゆえ、ワタシは、「13:死」の「小径」の先にあるものは語れません。
まあ、「13:死」の「小径」を渡ってしまえば、生命が終わりますので、同じく「13:死」の
「小径」の先にあるものは語れないんですけどね。

ということで、マジメに考えれば、ここで話は終わるわけですが、それではネタとしては
面白くありませんので、詐欺師たちとしては、いやいや「高次の自我」に目覚めようと
したい人々は、どうにかして隠された抜け道を探す必要があるわけです。
それは、「死んだふり」、いやいや「一旦死んでから、生き返ったことにすればいいや」
という、神をも恐れぬ幼稚なイカサマ、いやいや、世界的なベストセラーの宗教伝説で
ある『新約聖書』にも書かれている、イエス・キリストの「復活」と同義の、大変に神聖
なる高等テクニックなのです。

まあ、それはともかくとして、「魂」というか「意識」が「肉体」から離れるというのが、
この「13:死」の鍵となります。
そしてこれは、生身の人間の意識が、近い将来には「機械の脳」に移動されて存在し続ける
ということも暗示しているわけであり、こちらの方がありそうな感じがするわけです。
0263名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/03(土) 07:15:20.60ID:S368eEzl
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
One is required to give up the totality of one's being, one's very life, in relative
darkness, yet in the faith that there will be a resurrection into the Light.
人は、相対的な暗闇の中で、人のまさにその生命である、人の存在の全体を手放すことを
要求されるが、それでもなお、信仰の中で、そこには「光」への復活があるだろう。
--- ここまで ---

誰も本当に試したことは無いのに、無責任に「死んでも、暗闇から復活して光となれる」
などと訳わからないことを言っているわけですが、それは宗教的な宣伝文句として「言われ
ている」、つまり「誰か偉そうな人がそう言っていた」という都市伝説と同レベルの話だったり
しますので、決して真に受けないようにしてください。

とはいえ、ここにはちょっとだけ重要な示唆があります。

「in relative darkness/相対的な暗闇の中」というのは、エネルギー(光や情報)が
物質化した我々の世界のことを指します。
そして「13:死」の小径では、それが元の純粋なエネルギー(光や情報)に一旦戻されて
リサイクルされるということを示唆しています。
つまり、「生命の木」は、上から下への一方通行ということではなく、我々のレベルから
見れば、「ティファレト」を頂点とした、色々なものが循環して相互作用しているエコな
世界であるというわけです。

では、何のために、そういう循環系システムになっているのかというと、やはりこれは
「進化」にとって、最も効率の良いシステムであるということではないかと考えます。
そして、なぜ「進化」が目的なのかというと、それは「高次」の中の人に聞いてみないと
分からないのですが、ひょっとすると、「進化」は宿題の課題となっていて、その一環と
して「宇宙創造の実験」をやっているのではないかという疑念があったりするわけです。

つまり、「JSが夏休みの宿題に宇宙と人類と文明の創造をやってみた」程度の軽いノリで
我々が造られた可能性が、微粒子レベルで存在すると、密かに思っているのでした。
0264名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/04(日) 07:41:37.94ID:NSQsLSyC
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
As Jung puts it: "By descending into the unconscious, the conscious mind puts itself
in a perilous condition, for it is apparently extinguishing itself." (*150)
ユング氏は、それを以下のように述べている:「無意識の中に下降することにより、意識
のある精神は、それは見かけ上ではそれ自身を消しているので、それ自身を危険な状態の
中に置く」。 (*150)
--- ここまで ---

ちなみに、(*150)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
150. C.G. Jung, Psychology and Alchemy, New Jersey, 1977.
150. C.G.ユング著、『心理学と錬金術』、ニュージャージー、1977年。
--- ここまで ---
とあります。

この「descending into the unconscious/無意識の中に下降すること」の最も代表的な
ものは、毎日の「睡眠」であり、「意識」は、肉体の「誕生」による「覚醒」の後、朝の
「復活」と夜の「死」を繰り返し、最後の肉体の「死」により、元のサヤに戻るという、
一種のリサイクル体系を持っているわけです。
とはいえ、この「睡眠」は、人の「肉体」を保つために必要欠くべからざるものですし、
我々が毎日経験しているものではありますが、現代科学においても、はっきりとは解明
できていない、神秘に満ちた現象ですので、ここでは、あまり深入りできないんですよね。

じゃあ、「睡眠」ではない「無意識」とは何かというと、やはりここは「死んだふり」、
すなわち「意識」レベルを意図的に絞り込んで「無意識」を感じるという「妄想」、
いやいや「瞑想」というテクニックを使うことになってくるわけです。
そのテクニックとして、宗教系とかスピ系とか薬物系とか、まあ色々とズリネタはある
わけですが、ここで気をつけておくことは、人の「個体」に宿る「人格」は、たとえ解離性
障害者ではなくても、決して単一ではないという点です。
つまり、表の「第一意識」に死んだふりさせると、次の「第二意識」が表に出てくるんですよね。
0265名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/07(水) 06:09:52.00ID:UXXYjgCr
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
It is, as Gareth Knight described, a "Dark Night of the Soul,” much as on the
Path of TEMPERANCE, another of the three Paths leading from the Personality to
the Higher Self.
それは、「人格」から「高次の自我」へと導く3つの「小径」のうちの別のものである、
「節制」の「小径」の上のものと同じ程度の、ガレスナイト氏が記述した「魂の暗い夜」
である。
--- ここまで ---

「人格」の「星幽的三角形」を形成する「イェソド」「ホド」「ネツァク」から、「高次
の自我」である「ティファレト」へと至る「14:節制」「15:悪魔」「13:死」の経路は、
いずれも「魂の暗い夜」と言われる程度のダークさになっています。
なお、「生命の木」には、これと似た、「至高の三角形」と「倫理的三角形」の間にある
「Abyss/深淵」という「越えられない壁」があり、これの劣化版にも見えますが、両者
には月とスッポンほどの違いがありますので、比較対象にするのは無理がありますよね、

ちなみに、「14:節制」の「魂の暗い夜」と、「13:死」の「魂の暗い夜」の違いですが、
これは、肉体と精神を保ったままで遷移するか、肉体と精神を破棄して逝ってしまうかの
違いとなります。
要は、「14:節制」は一時的な旅行であり、「13:死」は永久帰国、すなわち生まれた場所
へと還る、ということですかね。
なお、「15:悪魔」は、旅行書を読みながら、まだまだ先にはイけない妄想をしている
イメージがあり、「上位世界」についての勉強をしている段階ではないかと思っています。

ちなみに、「13:死」の「小径」の上に「魂の暗い夜」というものが本当に実在するのか、
というのも論点の一つではないかと思うわけです。
無理やり上位世界に遷移する「14:節制」には、それなりの代償というか対価が必要となる
わけですが、「13:死」は、ルールとして「決められたこと」であって、何か特別な代償や
対価の必要はなく、単に自身の肉体と精神を地上世界に置き去りにして、魂だけが上位世界
へと還るという、誰もが一度だけ経験する、一生で一度きりのイベントなんですよね。
0266名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/10(土) 06:11:12.18ID:H5Bsykch
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
One may proceed to the experience of the Higher Self on any of these Paths, but
the lessons of all three Paths must be mastered.
人は、これらの「小径たち」のうちの、どれに基づいても、「高次の自我」の経験に進ん
でも良いが、けれども、全ての3つの「小径たち」の学課たちは熟達されなければならない。
--- ここまで ---

まあ、ほとんど全ての人間は、「ティファレト」そのものには、死ぬまで到達できない、
つまり肉体を放棄することによってのみ到達できるシステムとなっています。
それでも、人は、「ティファレト」へと至る「15:悪魔」「14:節制」「13:死」の「小径」
を知ることで、「高次の自我」の一部を経験することが可能となっています。
それらは、それぞれ「初心者経験コース」「中級者経験コース」「上級者経験コース」と
いう意味合いもあるわけで、それゆえ、「13:死」は、「死んだふり」という、最も上級者
向けの、起死回生&一発逆転テクニックを必要としているわけですけどね。

ちなみに、ワタシとしては、初心者向けの「15:悪魔」コースが、オススメです。
「マルクト」からは、「21:宇宙」「イェソド」「19:太陽」「ホド」という、ワタシの
ような初心者にも優しい経路を辿って「15:悪魔」へと向かいますし、そこでの経験は、
現実世界の物質的&肉体的な面においても、それなりに役に立つわけですよね。

一方、上級者向けの「13:死」は、現状のワタシの知識では、あまりにも哲学的すぎて、
というか、ワタシのような低レベルな脳ミソでは、まだまだ理解不能なことが多すぎて、
全く先が読めないというのが、難点なんですよね。
そもそも、ニンゲンたちはどこからやってきて、どこに逝くのかなんて、生きている誰に
聞いても分からない(死んだ人だけが知っている)ことですし、結局のところ、ダラダラ
しょうもない雑談で、お茶を濁すしか出来ないわけですよ。

それでもまあ、焦る必要は無いわけですよ。
誰でも、死ねば経験できることですからね。
0267名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/11(日) 07:16:56.01ID:tCx+UnRA
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
THE DEVIL, TEMPERANCE and DEATH are different perspectives and aspects of the same
thing, TEMPERANCE being the Path of meditation between Ayin and Nun.
「悪魔」、「節制」、そして「死」は、同じ物の、異なった見方たちと様相たちであり、
「節制」は、「アイン」と「ヌン」の間の瞑想の「小径」である。
--- ここまで ---

「ケテル」から最初の宇宙(小宇宙=生命)の誕生があるように、劣化「ケテル」である
「ティファレト」からも同様に第二の誕生、すなわち「人格」の誕生があります。
そして、その劣化版の「小径」は、「0:愚者」→「13:死」、「1:魔術師」→「15:悪魔」、
「2:高等女司祭」→「14:節制」に対応するものと考えられます。
つまり、魔術師を目指す者は「15:悪魔」を、宗教者を目指す者は「14:節制」を、そして
哲学者を目指す者は「13:死」に関係すると考えられるのですが、どの「セフィロト」から
どの「小径」を選択するかは、その人の自由であり、好きな道を極めればいいわけです。

ちなみに、この「人格」が本格的に形成される時期というのが、いわゆる「思春期」という
頃であり、この本格的な人格形成期というか、親離れの段階において、誰もが通るイタい
時期が、「厨二病」とか「思春期症候群」と呼ばれるモノになるわけです。
まあ、普通の人であれば、成人する頃には、自然治癒する病ですが、元々病気持ちの人
の中には、この時期から悪化することも多いわけです。
人格形成につまづいて、自ら命を絶つ人も出てくる時期ですよね。

そして、この第二の誕生である「親離れ」においては、親との「アンビリカル・コード」を、
子が自らの意思で「死」の大鎌により切断することで、人格的に独立した存在となる
わけです。
とはいえ、大元の「ティファレト」の「アンビリカル・コード」は、完全に切れることは
なく、最後にはまた「死」によって、たぐり寄せられる運命にあるわけですけどね。

いずれにしても、こういう人生における重要な時期に、「13:死」が絡んでいることは、
あまり知られていないのではないかと思うのでした。
0268名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/12(月) 06:24:36.39ID:N9IvpDyS
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
This might more easily be understood by considering the idea that the figure of
THE DEVIL, the Angel of TEMPERANCE and the skeleton of DEATH are all aspects of
the Higher Self.
これは、「悪魔」の姿、「節制」の「天使」、そして「死」の骸骨は、どれもが「高次の
自我」の様相たちである、という考え方を熟考することによって、より容易に理解できる
かもしれない。
--- ここまで ---

このあたりは、以前に説明したように、「高次の自我」が「Triple Goddess/三相一体の
女神」の「少女・母・老婆」の姿で表されているという考え方に通じるものです。

あと、3つの面を持つことは、三面六臂の「阿修羅像」にも通じるものがありますよね。
「アスラ」という名前には、元々、「13:死」と同じく「生命を与える者」という意味が
ありますし、悪魔的な面や、守護神としての面もあります。
そして、奈良の興福寺の「阿修羅像」は、悩めるイケメン美少年であり、「思春期症候群」
を発症するにふさわしい境遇ではないかと、勝手に思ったりするわけでした。

まあ、人は生まれ落ちるとすぐに「修羅の道」に入るというのは、楽園を追放されたアダム
とイヴの物語を見ればわかるとは思いますが、独立した「人格」の形成期には、その手の
苦労というか悩みというか、何かに立ち向かって生き抜くということが必要となります。
もちろん、まわりの空気を読みながら、「畜生」として生きるという手もあるわけですが、
本当の「高次の自我」を知りたくて、ここまで苦労して悩みながら登ってきた人の中には、
周囲に流されて生きるだけの「畜生」は、いないと信じたいところです。

いずれにしろ、「13:死」「14:節制」「15:悪魔」は、「人格」の成長期である思春期に
おいて発生する様々な青春イベントを、自らの苦労と苦悩で乗り越えることで、経験と
して習得していくスキルではないのかな、とか思っていたりするわけなのでした。
そして、「人格」が元の場所に還る時期になると、また別の種類の苦労と苦悩が訪れる
ということになるわけなんですよね。
0269名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/13(火) 08:08:37.26ID:8yl2Ej3G
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
Encountering such a tightly defined trinity of Tarot Keys, one may wonder how the
universally applicable principle of the [heh][vau][heh][yod] may relate.
「タロット」の「鍵たち」の、そのような堅く定義された三位一体に遭遇すると、人は、
どのようにして [heh][vau][heh][yod] の普遍的に適用可能な原則が関連させることが
できるのかと、不思議に思うかもしれない。

In this case DEATH is Yod-Fire, THE DEVIL is Heh-Water and TEMPERANCE is Vau-Air,
the result of the interaction of the other two.
この場合は、「死」が「ヨッド-火」であり、「悪魔」が「ヘー-水」であり、そして
「節制」は、他の2つの相互作用の結果として、「ヴァウ-空気」となる。
--- ここまで ---

「生命の木」の「セフィロト」の「ASTRAL ELEMENTS/星幽的な元素たち」の定義によると、
「ネツァク=ヨッド=火」「ホド=ヘー=水」「イェソド=ヴァウ=空気」「マルクト=
ヘー=地」となっていますので、この割り当てには、違和感は無いかと思います。

そして、「悪魔」「節制」「死」という人格形成の三位一体の中に、「地」すなわち
「物理的な肉体」の成分が含まれていないのも、そんなに違和感は無いですよね。

ちなみに、この解釈であれば、最初に「人格」という「意識」が生まれ、その後に「肉体」
という「物質」が生成するという流れとなりますので、いわゆる物質先行型の「進化論」
とは相容れない関係となっているわけです。
とはいえ、「進化論」というのも、地上でのローカルな現象を説明しているだけであって、
決して完璧というか普遍的な理論ではないわけなんですよね。
要は、「我思う、ゆえに我あり」という、意識先行型の理論体系があって、ここに「鶏が
先か、卵が先か」の論争があるわけです。
結局のところ、「なぜ意識が存在するのか」とか「なぜ物質が存在するのか」という、
そもそもな論点に全く見通しが立たないというのが原因なわけでして、おそらく今後も、
この辺りの核心的な部分の話は、うやむやにしないといけない状態が続くのでした。
0270名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/17(土) 05:57:20.38ID:nf+rMAcd
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
The Sepher Yetzirah, of course, speaks of only the Yod, Heh and Vau.
『セフェル・イェツィラー(形成の書)』は、言うまでもなく、「ヨッド」、「ヘー」、
および「ヴァウ」についてだけ語る。

As applied to these three cards, the Yod Heh and Vau are forces interacting in
our own physical vehicle, the Heh final.
これらの3枚のカードたちに適用されるので、「ヨッド」「ヘー」そして「ヴァウ」は、
我々自身の物質的な乗り物である、最終「ヘー」の中で相互作用している力たちである。
--- ここまで ---

いきなり『セフェル・イェツィラー(形成の書)』が引き合いに出されましたが、これは
『セフェル・イェツィラー』と「大アルカナ」は、基本的には、「マルクト=最終ヘー」
という物質界に至る以前のことを表しているからに他ならないわけです。
「生命の木」も、三本の柱が基本であり、最終的に、それらは「マルクト」の1点に集約
されることになるわけですよね。

ということで、「大アルカナ」においては、我々の肉体である「マルクト=最終ヘー=地」
の根源的な駆動源となっているのは、「13:死=ヨッド=火」、「15:悪魔=ヘー=水」、
「14:節制=ヴァウ=空気」の相互作用であって、これらの働きを知ることなく、我々自身
を知ることは出来ないという結論に至るわけです。

そういう表面的な結論は何となく理解できるわけですが、じゃあ「13:死=ヨッド=火」
とか、「13:死」「14:節制」「15:悪魔」の相互作用って、具体的には何なの、ということ
になりますよね。
そもそも、我々が占いで使っている「13:死」「14:節制」「15:悪魔」の意味とは、それこそ
「月とスッポン」ほど異なっていますので、いきなり頭を切り換えるのは難しいんですよね。

まあ、占いには、そもそも「カバラ」の理論とかは不要ですので、カードの持つ占いの意味
からは、完全に頭を切り替えてリフレッシュしてもらった方がいいわけですけどね。
0271名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/18(日) 07:01:25.58ID:NUTP0RWk
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
It will be seen that while the Tree of Life has a Path called DEATH, there is no
opposite Path of Birth.
「生命の木」には、「死」と呼ばれる「小径」がある一方で、そこには、反対の「誕生」の
「小径」は無いことに気づくだろう。

This can be explained in two ways.
これは、2つの方法で説明することができる。
--- ここまで ---

本編とは、ちょっと関係無い話で恐縮ですが・・・

「ティファレト」は、劣化「ケテル」ですので、「13:死」は「0:愚者」に、「15:悪魔」は
「1:魔術師」に、「14:節制」は「2:高等女司祭」に相当します。
「0:愚者」、「1:魔術師」、「2:高等女司祭」のカードの中で、上に昇れるイメージのある
ものはどれかと聞かれれば、ワタシは「0:愚者」ではないかと思います。

その理屈によれば、「0:愚者」に対応する「13:死」が、上に昇れるイメージのあるものと
いうことになるわけですが、まあ何となく間違っていないのではないかとも思います。

この「0:愚者」は、まだ本編では説明されていませんが、要は「オールマイティ」な無敵
モードを持つ最強カードですので、劣化「愚者」である「13:死」のカードも、その無敵性
を備えていると考えるのが自然ではないかと思うのでした。

つまり、下界の我々が手にできる史上最強の無敵カードとは、この「13:死」に他ならない
という結論に至るわけです。
とはいえ、そう簡単にポンポン使われても困りますので、「子供が舐めたら死ぬで!」と
いうような、少々物騒なタイトルになっているというわけですよね。

まあ、その壺の中身は、本当は「水飴」なのかもしれませんけど。(知らんけどww)
0272名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/19(月) 06:11:31.31ID:BOfxvy61
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
The first is that THE DEVIL, which enchains in matter, is in some ways the card
of birth!
まず最初は、物質の中に鎖でつなぐ、「悪魔」が、いくつかの点では、誕生のカードである、
ということである!

But, more important is the fact that both birth and death are essentially the same
transition.
しかし、より重要なことは、誕生と死の両方とも、本質的に同じ遷移であるという事実である。
--- ここまで ---

最初は、ちょっとした変化球から来ましたね。
「15:悪魔」は、「13:死」と左右対称の位置にあり、さらに、「13:死」が「物質の束縛
から解放する」のに対し、「15:悪魔」が「物質中に束縛する」という、逆の意味を持って
いるわけですので、それから類推すると、「15:悪魔」が「死」に対する「誕生」の意味
を持つ可能性があるのではないかということです。
でもまあ、可能性があるとはいえ、そういう解釈も可能ということであって、決して
「悪魔=誕生」説は、本筋ではないわけです。

ということで、以降で本筋となるのは、「13:死=誕生&死」説ということになるわけです。

ではなぜ「13:死」は、「誕生&死」と呼ばれないのでしょう。
それは、既に「13:死」によって「誕生」してしまった我々には、もはや「13:死」の持つ
「死」の面しか見えなくなっているわけです。
要は、「誕生」の時の記憶、つまり誰も「13:死」のお世話になった時の記憶が無いわけ
ですので、どうしても「死」に対する恐怖にしか目が行かないということですよね。

「13:死」のカードって、そういう意味では、何かとても理不尽というか、かわいそうな
存在ではありますが、そんな下界の悪い評判にはお構いなく、日々の仕事をこなして
いく、とても頼りになる存在なのでした。
0273名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/20(火) 08:43:36.79ID:Oo/t7VFI
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
As one is born into this world, he dies to an inner world; as one dies to this
world, he is born back into the same inner world of origin.
人が、この世界に誕生すると、彼は、内なる世界で死ぬ;人が、この世界で死ぬと、彼は、
起源の同じ内なる世界に戻って誕生する。

So this card represents the symbolic passing through a gateway which is at once
the utter destruction of one phase of energy, and the transformation of that
energy into something else.
このように、このカードは、精力の1つの相の完全な破壊と同時に、その精力を何か他の
ものへと形質転換している、出入口を通過することを象徴的に表す。
--- ここまで ---

「13:死」は、一方通行ではなく双方向であり、そして必ず、その代償が必要とある、
つまり「誕生」と「死」は、「13:死」の前後で、対になって発生するということです。

とはいえ、我々の世界からは、「内なる世界」は見えませんので、「死」は、「逝って
しまう」というような、どうしても一方通行のイメージしかないんですよね。
そして、それが、「13:死」についての誤解を生む原因ともなっているわけです。

ということで、「13:死」は、「内なる世界」への最も重要な「gateway/出入り口」で
あることが、ここでは説明されています。
つまり、この世で、いっぺん死んでみれば、「内なる世界」である「ティファレト」で
復活できるという理屈になっているわけで、その理論に従って、イエスはキリストとして
復活したという筋書きになっているわけです。

とはいえ、この理論に従うと、人は全てプリキュアになれる、いやいや、人は死ぬと全て
「ティファレト」にて成仏できるということであり、基本的には、その人のスキルや信心
は不要という、「他力本願」にも似た結論に至るというわけですよね。
0274名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/21(水) 08:42:49.75ID:vGWuR4Zk
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
But the transformation is directed from above.
しかし、形質転換は、上から導かれる。

Thus is the Tarot Key called The Child of the Great Transformers.
従って、「タロットの鍵(大アルカナ)」は、「偉大なる転換者の子」と呼ばれる。

It is also the Lord of the Gates of Death.
それはまた、「死の門の主」でもある。
--- ここまで ---

最後の文の「Gates/門たち」は、「Gate/門」の誤記ですかね。

「13:死」の「transformation/形質転換」の作用は、どちらかというと受動的であり、
その作用は、「高次の自我」を形成する「倫理的三角形」の構成メンバーである「the
Great Transformers/「偉大なる転換者たち」の、直接的な指揮下にあります。
つまり、「ティファレト」から下る3つの「小径」は、いずれもパシリではありますが、
その中で最大のパシリとなるのが、この「13:死」であるということになっており、
それゆえ、我々にとっても、「高次の自我」を意識するには、最も意識に乗りやすい
存在ではないかと思うのでした。
そう、「死」は、我々の最も身近にある「高次の自我」との遭遇現象ですからね。

とはいえ、この「死」は、あくまでも「副作用」であって、本来の「偉大なる転換者の子」
という主作用が、このカードの効用のメインであることに、注意しておくべきです。
ちなみに、この形質転換作用は、コペ転的な相転移を伴うものですので、ミクロ(小宇宙)
とマクロ(大宇宙)の大逆転、すなわち量子力学的な現象と古典力学的な現象がミックス
したり、ミクロコスモスな人格が二重化したり、入れ替わったり、さらに時間が巻き戻っ
たりするような、普通では考えられないようなことが、ごく当然のごとく発生します。
まあ、そもそも、宇宙の発生や、人格の発生そのものが、マトモな人間の頭では考えられない
ような不可思議な事象ですので、ここであえて言うまでもないことですけどね。
0275名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/23(金) 06:32:50.68ID:vWwg6+rg
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
Nun is not the Great Transformers themselves, he is their Child.
「ヌン」は「偉大なる転換者たち」ではなく、彼は彼らの「子」である。

Nun is not Death, rather he is the keeper of its Gates.
「ヌン」は「死」ではなく、むしろ彼は、その「門」の管理人である。

Herein lies an important principle for the real understanding of this card.
この中には、このカードを真に理解するための重要な原則が眠っている。
--- ここまで ---

「ヌン」である「13:死」は、「偉大なる転換者たち」である「高次の自我」を形成する
「倫理的三角形」と、「自我」を形成する「星幽的三角形」を接続する上での、最も重要な
「要(かなめ)」であり、それゆえ、親の能力を受け継いで、新たに生まれた「子」として
表現されるわけです。
とはいえ、保護者である親はまだ健在であって、大きな権力を持っているので、子は自由に
ふるまうというわけにはいかないんですよね。

で、とりあえず、秘伝中の秘伝である「一子相伝」の巻物は、この「13:死」が相続して
いるということになりますので、それを真に読み解くことが出来れば、「高次の自我」の
世界に至ることが出来るということにもなります。

じゃあ、その虎の巻は、どこにあって、どうやったら読めるの、という話になるわけですが、
それは「門の管理人」が、しっかり保管していて、「おまえが死んだら見せてあげる」と
言っているわけですよね。

つまりは、「死んだふり」するしかないようにも思うのですが、「死の門」をくぐったら二度と
この世に戻って来れなくなりますので、やっぱり死ぬ以外の方法は無いわけです。
ということで、まだまだお迎えまでには時間がありそうですので、いましばらくは「駄文」を
この世に残す作業を続けたいと思います。
0276名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/24(土) 06:05:14.06ID:ngn3gNfn
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
Another symbolism which may be very helpful is an alchemical one.
とても役に立つかもしれない、もう一つの象徴主義は、錬金術のものである。

To this Path is attributed putrifaction, the decaying black mass in the crucible
which eventually turns into gold.
この「小径」には、最後には金に変わる、るつぼの中の腐敗する黒い塊である、「腐敗
作用」が帰属される。

It is the emergence of new life from death.
それは、死からの新しい生命の出現である。
--- ここまで ---

二番目の文の「putrifaction」は、「putrefaction/腐敗作用」の誤記ですかね。

「13:死」の「小径」の色として、公式には「Green-blue/緑青」が割り当てられています
が、そのイメージカラーは「黒」であり、カードデザインにも、それが色濃く反映されて
います。
なぜ「黒」なのかというと、「13:死」は、錬金術の「黒化」から、「黄金」の「ティファ
レト」のへと至る重要な道筋を暗示しているからですよね。
まあ、「ティファレト」に至る道筋は、これ以外にもあるわけですが、この「13:死」こそ、
「ティファレト」へと至る王道路線であることを、ここで示しているわけです。

つまり、人は「死」により浄化されて成仏する、すなわち「霊」として「ティファレト」
へと上昇し回収されるという、ごくごく王道的というか、葬式宗教的な考え方が、ここに
あるということなのですか、これはあくまでも「13:死」の持つ、「死」の側の特性である
こと、すなわち下から上への流れについてのみの説明であることに注意してください。

要は、「13:死」には、「死」よりも、もっと重要な働きである、上から下への流れである
「誕生」という作用があることを忘れないでいてくださいということです。
0277名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/25(日) 06:44:46.78ID:QsdXks8Q
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 183) ---
Of the four cards shown, only Crowley's suggests this idea.
示された4枚のカードたちのうち、クロウリー氏のものだけが、この考え方を示唆している。

The Crowley, Golden Dawn and Marseilles versions all show the skeleton of Death
wielding a scythe, a tool of the harvest which is also a symbol of time, and thus
of Saturn-Binah, giver and destroyer of Life.
クロウリー、ゴールデン・ドーン、およびマルセイユ版たちは全て、「死」の骸骨が、
「時間」の、そしてそれゆえ「生命」の贈与者と破壊者である、「土星-ビナー」の象徴
でもある、収穫の道具である、大鎌を振るうのを見せる。

Only in Crowley's card does the destructive sweep of the scythe also produce
bubbles in which new forms of life are seen to be developing.
クロウリー氏のカードにおいてのみ、大鎌の破壊的な一振りが、その中に生命の新しい
形たちが発現しているのが見られる泡たちを、また生み出している。
--- ここまで ---

従来の「13:死」は、下から上への流れ、すなわち黒化から黄金へと至る過程について
注目され、マルセイユ版、ゴールデン・ドーン版、そしてウェイト版では、その解釈を
メインとしてカードデザインが行われており、上から下への流れは暗示に留めています。

その一方で、トート版では、時間と空間と生命を司る大鎌のダイナミックな動きによって、
上から下への流れを明示的に表現してきています。

結果として、トート版のカードタイトルの「死」と、そのカードデザインには、重大な
不一致が出てきていることは否めないわけですが、残念ながら、この良い意味での不一致
について、意識していない人が、ほとんどではないかと思うわけです。
トート版の他のカードでは、それっぽいタイトルに変更されているものもあるのに、この
カードでは「死」のままで放置プレイされている理由は分かりませんが、意味としては、
新しい生命の「誕生」というのが、ふさわしいのではないかと思うのでした。
0278名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/26(月) 06:22:11.92ID:UKCBA4mI
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 184) ---
This is the resurrection which follows the transformation of Death.
これは、「死」の形質転換の後に続く復活である。

In fact, both Crowley and Mathers attribute the skeleton to Osiris, a God slain
and resurrected.
実のところ、クロウリー氏とマサース氏は、骸骨を、殺害されて復活した「神」である、
オシリス神に帰している。
--- ここまで ---

「13:死」の大鎌を持つ死神像というか骸骨像は、農業神の収穫の様子をイメージしたもの
となっており、その骸骨の姿には、種蒔きのイメージは、ほとんどありません。
その理由は、単なる「不可視属性」、すなわち、一般人である我々からは見えない「神秘」
の次元で行われているからということになります。
そして、トート版では、その不可視属性を解除して、すなわち、機密情報として部外者には
見せてはいけないところを、我々に見せているということになっているわけです。
まあ、こういう内部機密の暴露は、クロウリー氏のお得意とするところですよね。

この手の内部機密というのは、元々非常に有用な情報であるがゆえに、一般には公開せず、
上級者の仲間内でのみ利用可能とするということであり、「15:悪魔」や「13:死」が、
「ティファレト」に通じる非常に有用な「小径」であるにもかかわらず、一般人立入禁止
を匂わす、危ないタイトルにしているという理由の一つでもあるわけです。
ちなみに、「14:節制」も、一般人にとっては無理難題であって、現役一発合格不能な課題
ですので、ワタシとしては避けておきたいところですよね。

要するに、「13:死」は、その一見怖そうなタイトルとは裏腹に、我々がそれを使いこなす
ことが出来れば、実は非常に有用かつ絶大な効果をもたらすということです。
それは、「災い転じて福と成す」というか、全て墓地送りにされて絶体絶命のお手上げ状態
における、形勢一発逆転の至高の神カードというくらいの、とても役に立つカードなのですが、
「使いこなすことが出来れば」という条件付きなのが、上級者向けとなっている理由なのです。
0279名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/28(水) 11:11:56.11ID:MJt8Z4bY
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 184) ---
Of course, in all cases, the skeleton represents that which remains after the
maggots of earth have consumed the flesh.
もちろん、すべての場合において、骸骨は、地上の蛆たちが肉を食い尽くしてしまった
後に取り残されるものを表している。

The skeleton is the framework of the organ system, and is thus central to growth
and fruition.
骸骨は、器官体系の骨組みであり、それゆえ、成長と結実にとって中心的である。

Interestingly enough, as the word Nun is a verb it means to sprout or to grow.
言葉「ヌン」は、それが、「芽を出させる」、もしくは「成長する」ことを意味する動詞
であることは、十分に興味深い。
--- ここまで ---

「skeleton/骸骨」は、生命が存在している間は、皮と肉に覆われ、肉眼では見ることの
出来ない隠された存在ではありますが、それは肉体の外形と、その内部組織である器官を
保持するという、文字通りの人体の「framework/骨格」として、人としての姿を保つための
中心的な存在となっています。

ちなみに、人体の「framework/骨格」は、このマクロレベルの「skeleton/骸骨」だけで
なく、人体を構成するミクロレベルの細胞の中にもあって、「cytoskeleton/細胞骨格」と
呼ばれており、通常の骨格と同じように細胞内の器官を保持して、細胞としての姿を保つ
ための中心的な存在となっています。
さらに言うと、この大宇宙にも、我々には見えない「framework/骨格」があり、それは
この宇宙の発生と共に存在して、その後は、宇宙の大規模構造を保持するための中心的な
存在となっていることが知られています。

そう、この「骸骨」って、実はこの世界にあまねく存在する「framework/骨格」を象徴
するものであって、「死」を意味しているものではないということなんですよね。
0280名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/30(金) 06:19:28.16ID:4TEv/gNm
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 184) ---
In this we can view the skeleton as a symbolic and perpetual seed.
これにおいて、我々は、骸骨を、象徴的かつ永続的な「種」として見ることができる。

The plant dies in the winter, but not before producing seeds which will regenerate
its image in the spring.
植物は冬に死ぬが、春にその姿を再生するであろう種たちを生じる前ではない。

The image which carries over is a kind of spiritual skeleton, a pattern unaffected
by the transformation of the plant: The plant becomes the seed, which again becomes
the plant.
持ち越される姿は、一種の霊的な骸骨、植物の形質転換により影響を受けない様式である:
植物は種になり、それは再び植物になる。
--- ここまで ---

「skeleton/骸骨」が「seed/種」であるとの比喩は、少々誤解を招きやすい例えです。

「種」とは「実=リアル」であって、あくまでも下界にある「生命」としての存在です。
そして、この「骸骨」は、その下界を形作る「骨組み」であって、「生命」の上位にあり、
「霊」である「ティファレト」との橋渡しをする存在です。
つまり、我々が考える「生命の種」とは異なる次元の存在となっており、例えるなら、
「霊」から劣化コピーされた「生命の種」から「生命」へと形質転換を促す「触媒」の
ような働きをするものです。
要は、「種」のように、作られたり死んだり再生したりするようなメタモルフォーゼする
形質ではなく、自身は周囲の影響によっては変化しない形質のものですので、この
「骸骨」は「種」であるという比喩は、あまり適切ではないと思うのでした。

どちらかというと、「seed/種」が発芽し成長して植物になり、また種を産するという
生命(ミクロ)の営み、もしくは宇宙(マクロ)の誕生と成長の過程の裏方の存在として、
普遍的に関与する「framework/骨組み」であると理解する方が、適切かと思います。
0281名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/08/31(土) 08:07:13.24ID:O88B+Qaz
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 184) ---
This is what is meant by the words of the Thirty-Two Paths of Wisdom: "...it gives
a likeness to all the similitudes which are created in like manner similar to its
harmonious elegancies."
これは、「知恵の32の小径たち」の言葉たちにより意味されているものである:「...
それは、その調和する優雅さに類似した方法と同様にして、創造された全ての類似物たち
に類似性を与える。」

Meditation on this idea will reveal the ultimate message of the DEATH card, which
is rather a distillation of the entire Great Work or, as Crowley said of the fish
symbol, "resumes the whole Secret Doctrine."
この考え方に基づく瞑想は、「死」のカード、というよりはむしろ、「偉大なる作業」
全体の蒸留物、もしくはクロウリー氏が魚の象徴について述べた時のように「全体の
秘密の教義を再び始める」ものの、究極的な意図を明らかにするであろう。
--- ここまで ---

このクロウリー氏の言葉は、NOTES(*149)を参照してください。

さて、「15:悪魔」の正体が、実は「悪魔」では無かったように、「13:死」の正体も、実は
「死」ではなく、我々にとっては「創造神」である、というのが、ここでの結論です。

そして、その創造物たちの発生と成長と死のサイクルにおける、目に見えない骨組みを
形作っているのが、この「13:死」の働きであるということになります。

ちなみに、この「見えざる骨組み」ですが、ワタシにも、その中身は、よくわかりません。
言葉で表現すれば、「神の見えざる手」とか「神の見えざる業」というような、我々には
見えない次元で働いている「不可思議な作用」ということになるわけで、これが理解でき
れば、この大宇宙の誕生の秘密とか、小宇宙の誕生の秘密とかも分かるようになり、
その力を応用することで、「神と同等の力」を発揮することも可能となるわけです。
つまり、「骨組み」が最も重要である、というのが、ここでの教訓となるわけです。←陳腐化w
0282名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/09/01(日) 09:11:45.52ID:canY/luB
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 184) ---
Nun means fish; Tzaddi means fish-hook.
「ヌン」は「魚」を意味する;「ツァダイ」は「釣り針」を意味する。

And while the Sepher Yetzirah relates imagination to Tzaddi, the later Thirty-Two
Paths of Wisdom calls Nun the Imaginative Intelligence.
そして、『セフェル・イェツィラー(形成の書)』が、「想像力」を「ツァダイ」と関連
付ける一方で、後の「知恵の32の小径たち」は、「ヌン」を「想像力豊かな知性」と呼ぶ。
--- ここまで ---

なお、ウェストコット版『セフェル・イェツィラー(形成の書)』では、「ツァダイ」は
「imagination/想像力」ではなく「thought/思考力」となっている版もあります。

さて、「ヌン/13:死」は「fish/魚」を意味し、「ツァダイ/17:星」は「fish-hook/
釣り針」を意味します。
ちなみに、「13:死」に配属されている「天蠍宮(さそり座)」は、天空では釣り針の形を
しています。
つまり、「fish/魚」繋がりで、「13:死」と「17:星」とは、深い関係があるのではないか
という推定ですが、両者の繋がりについては、以前の「17:星」の説明の際にも述べられて
いましたので、ここでは省略します。

この「Imaginative/想像力豊か」の現代的解釈ですが、ここはやはり「imaginary number
/虚数」という概念に注目すべきかと思います。
この場合は、物理世界を司る「15:悪魔」が「real number/実数」を、そして「14:節制」
が、両者を混合した「complex number/複素数」を担当することになりそうです。

まあ、「虚数」とか「実数」とか「複素数」とか言われても、ほとんどの人には理解不能
な概念ですので、あまり深くは突っ込まないことにしますが、実は、この「imaginary/
虚数的(仮想的)」なものは、この宇宙の原理を解読するための重要なツールというだけ
でなく、実はこの宇宙を構成している本質的なものである、ということなんですよね。
0283名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/09/03(火) 06:37:00.79ID:D6GSgqQt
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 184) ---
To make this symbolism less mysterious, the documents imply that on the Path of
Tzaddi we begin to develop the tools of Creative Imagination which are required
to tread the difficult Path of Nun, i.e., to make the transition between Personality
and Higher Self.
この象徴主義をそれほど謎めいたものにしないように、文書たちは、「ツァダイ」の「小径」
において、我々が、難しい「ヌン」の「小径」を踏み歩くため、すなわち、「人格」と
「高次の自我」の間の遷移をするために必要とされる、「創造的な想像力」の道具たちを
開発し始めることを暗示している。

Again, everything is summed up by the fish symbolism.
さらに、全てのものは、魚の象徴主義により総括される。
--- ここまで ---

そもそも「ツァダイ/17:星」は、地に足が付いていない上級者向けの「小径」でしたが、
「ヌン/13:死」は、さらにその先にあって、天界に通じる「小径」ですので、通常戦闘力
モード、すなわち生きている上級者では、決して足を踏み入れることの出来ない、難攻不落
のラスボスとして、我々の前に立ちはだかっています。
そして、その攻略の切り札となるのが、「imagination/想像力」であるということです。

とはいえ、「ツァダイ」の「imagination/想像力」と、「ヌン」の「Creative Imagination
/創造的な想像力」とでは、月とスッポン以上に次元の異なるものですので、両者を同列に
論ずることは出来ないんですよね。
つまり「ツァダイ」の文系の「想像力」では、「ヌン」の理系の「宇宙創造における虚数
次元(と実次元)の相互作用」を論じることは出来ない、要は、この大宇宙と小宇宙が
どういうメカニズム/フレームワークで産み出されたかを理解しきれていないわけであり、
現状の理解と知識では、まるっきりの、お手上げ状態ということになっているわけです。

まあ、ここで話が終わってしまうのもつまらないので、とりあえず、宇宙が産み出された
後の次元の、「fish/魚」について、色々と探っていこうということですかね。
0284名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/09/05(木) 06:19:22.41ID:5riL9dGx
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 184) ---
The fish is a traditional symbol of what the alchemists call First Matter, an almost
impossible subject to describe, but which is the mind-substance of everything that is.
魚は、錬金術師たちが、言葉で説明することがほとんど不可能な主題ではあるけれども、
存在する全てのものの精神の実体である、「第一質料」と呼ばれている、伝統的な象徴である。

Gareth Knight says that the best modern definition is offered by Coleridge and is
the "Primary Imagination." (*151)
ガレス・ナイト氏は、最も良い現代的な定義は、コールリッジ氏により提案された、
「最初の想像力」であると述べる。(*151)
--- ここまで ---

ちなみに、(*151)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
151. Gareth Knight, A History of White Magic, London 1978, 3-4.
151. ガレス・ナイト著、『白魔術の歴史』、ロンドン、1978年、3-4ページ。
--- ここまで ---
とあります。

このコールリッジ氏というのは、サミュエル・テイラー・コールリッジ氏(Samuel Taylor
Coleridge, 1772-1834)のことではないかなと思うのですが、『白魔術の歴史』の本を
持っていないので、よくわかりません。
ちなみに、錬金術や哲学においては、よくわからないものは、「God/神」のせいにするの
ではなく、伝統的に「First ○○」とか「Prime ○○」と呼ぶことで、思考停止しておくと
いうか、それ以上は突っ込まないのが、お約束となっています。

とりあえず、この「fish/魚」というのは、「全ての物質の根源となるもの」、つまり、
我々が「リアル」すなわち「実数の時空間」として認識可能となった、ビッグバン直後の
「原初の宇宙の姿」であるということですかね。
そして、「ケテル」〜「ティファレト」は、それ以前を担当しているということですよね。
0285名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/09/09(月) 17:03:09.94ID:m+f00sWC
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 184) ---
The fish has also, since perhaps the second century A.D., been a key symbol of
Christianity.
魚はまた、おそらく紀元2世紀からずっと、「キリスト教」の重要な象徴であり続けている。

In the earliest Church the Eucharist was not specifically represented, but was
implied in a number of innocuous meal scenes.
最も初期の「キリスト教徒」においては、「聖餐」は明確には表されてはいなかったけれ
ども、数多くの当たり障りのない食事の場面たちに暗示されていた。
--- ここまで ---

ウォン氏は、トート版のみに描かれている「fish/魚」について、ずいぶんとしつこく、
いやいや詳しく説明しています。
それは、トート版の「13:死」が、文字通りの「死」を意味しないことを、色々な局面から
詳しく説明しているからであり、その一つとして「魚」があるわけなんですよね。

ちなみに、トート版では、
 白鷲>>魚>蛇>>蠍(朽ちたユリとハスにより道を阻まれている)
という序列で描かれており、蠍が昇天して最後に白鷲になるという構図ですので、魚は
高位寄りの象徴となっています。
そして、トート版の「魚」は、『トートの書』によれば、「イエス・キリスト」を意味する
ものとして描かれているということになっています。

なぜ「魚」が「イエス・キリスト」なのかということは、他のキリスト教関連の文献を
見てもらうとして、ここで重要なのは、「13:死」=「魚」=「イエス・キリスト」=
「ティファレト」という繋がりがあるわけで、それはまた、「13:死」が「ティファレト」
に到達するための最善の「小径」であることを示唆しているわけです。
さらに、「魚」は、顕教での「パンと葡萄酒」ではなく、神秘の「聖餐」のネタとして、
骸骨像に食われて神秘の「精力」に転換されて、骸骨の局部から天上に向けて射精
されるという、密教的な子作りのプロセスが描かれているわけですよね。
0286名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/09/11(水) 06:12:38.64ID:kjU/FzbI
なぜか規制されてるので、しばらくカキコできません。
あしからずご了承下さい。(ー ー;)
0288名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/09/15(日) 09:23:14.00ID:snwCEmcY
NGワード規制を食らっているようなので、引っ越しを考えております。

トート版の「死」を語ると、不適切であり規制されるという、笑えない話でした。
0290名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/11/24(日) 05:41:45.38ID:czK7cBjs
--------------- ここまで Part7 ---------------

おーぷん2ちゃんねるで、また原因不明で書き込みできなくなる不具合が発生しましたので、
またこちらに出戻ってまいりました。
またまた規制等でカキコできなくなったら、あっちに行くかもしれません。
あしからず、ご了承くださいませ。

前スレ
【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】Part8
http://engawa.openにch.net/test/read.cgi/uranai/1568581674/ (に→2に変換)

--------------- ここからPart 8.1 ---------------

それでは、またあらためて、みんなでマターリいきましょう(^^)/
0291名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/11/24(日) 05:47:41.87ID:czK7cBjs
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 187) ---
There I am the object of every subject, in complete reversal of my ordinary
consciousness [author's italics] where I am always the subject that has an object.
(*157)
そこでは、私は、私が常に客観を持つ主観である「私の通常の意識の完全な反転した状態
においての」[著者のイタリック体]、全ての主観の客観である。(*157)
--- ここまで ---

ちなみに、(*157)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
157. C.G. Jung, Archetypes and the Collective Unconscious, New Jersey, 1977, 21.
157. C.G.ユング著、『元型と集合的無意識』、ニュージャージー、1977年、21ページ。
--- ここまで ---
とあります

要は、我々の通常の理解と思考を超える「完全な反転状態」が、この「12:吊られた男」の
フィールド上に在るということですが、話が全く理解できないのでスルーしてもいいですか。
しょせんは妄想の垂れ流し、いやいや「形而上学」的な世界の話であり、もはや何でもあり
の夢想、いや無双状態のネタですので、いちいちコメント付けるのも面倒臭いんですよね。

そもそも、人間が人間をヤメる、いやいや神の領域にアプローチしようとするのであれば、
まずは、人が人であることを放棄することが前提なわけですが、そちらの通常ルートは、
「13:死」の「小径」として、既に整備されているわけです。
そういう通常ルートではない、ショートカットの「12:吊られた男」の路上には、何が待ち
受けているかと言われれば、まあ通常ではないものしか残っていないのは明らかですよね。

一般人から見れば、単なる道化のアホにしか見えない「12:吊られた男」のカードには、
見える人が見れば、とても重要なことを示唆している(のではないか)ということですが、
そっち方面の修行が足りない、というか、そっち方面の修行はやりたくもない、怠惰な
ワタシには、まだまだ単なる裸の王様のようにしか見えないのでした。
0293名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/11/26(火) 05:58:50.02ID:CAMmRD/0
>>292
ただいま〜 (^^;

NGワードのせいで、あちこち放浪生活しております。

ネットを荒らす基地外たちのせいで、一般人のワタシまで
巻き添えを食らうというのは、何だかなぁ〜、と思ってしまうのでした。

まあ、慣れちゃったからいいんだけどね。←でもちょっとムカついてる
0294名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/11/26(火) 06:03:42.50ID:CAMmRD/0
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 188) ---
Almost four hundred years earlier, in his Dark Night of the Soul, St. John of the
Cross recorded his own experience of THE HANGED MAN, though in Christian terms:
"With his gentle hand he wounded my neck and caused all my senses to be suspended
[author's italics]...I remained lost in oblivion.
ほぼ400年前、彼の『魂の暗い夜』の中で、十字架の聖ヨハネは、キリスト教の用語たち
ではあるが、「吊られた男」 の彼自身の経験を記録した:「彼の優しい手で、彼は私の
首を傷つけ、全ての私の感覚たちを「吊らさせる(停止させる)」[著者のイタリック体]
…私は忘却(無意識)の中で道に迷ったままであった。

My face I inclined on the Beloved.
私の顔を、私は、「最愛の人」の方へと向けさせる。

All ceased and I abandoned myself, leaving my cares forgotten among the lilies."
(*158)
全ては終わり、私は私自身を捨て、ユリたちに囲まれて私の心配事たちを忘れ去る。」 (*158)
--- ここまで ---

ちなみに、(*158)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
158. Saint John of the Cross, Dark Night, 34.
158. 十字架の聖ヨハネ著、『魂の暗い夜』、34ページ。
--- ここまで ---
とあります

ほぼ、どうでもいい文章というか、どう見てもアレな状態に陥ちた人の妄想文であり、
一般人の我々にとっては、有益な中身はまるで無い文章になっています。
その理由は、「12:吊られた男」が、我々が理解可能な「ホド」と、我々が理解不能な
「ゲブラー」の間にあるゆえに、我々の思考と言語は、これを越えることが出来ない
わけで、それゆえ文章が「竜頭蛇尾」的なシロモノになってしまうわけなのでした。
0295名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/11/27(水) 06:10:31.30ID:aerkcr17
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 188) ---
This may be compared with another of Jung's statements: "There I am utterly one with
the world, so much a part of it that I forget all too easily who I really am.
これは、ユング氏の述べたことのもう一つのものと比較されるかもしれない:「そこで、
私は、世界と完全に一つになっていて、その部分が非常に多いので、私は、私が本当に
誰であるかを非常に容易に全て忘れてしまう。

'Lost in oneself' is a good way of describing this state. . .the unconscious no
sooner touches us than we are it - we become unconscious of ourselves." (*159)
『自分自身の中で道に迷う』は、この状態を記述する良い方法である。…無意識は、我々に
触れるとすぐに、我々はそれに『なる』−我々は我々自身に気づかなくなる。」(*159)
--- ここまで ---

ちなみに、(*159)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
159. Jung, Archetypes, 22.
159. ユング著、『元型』、22ページ。
--- ここまで ---
とあります

まあ、こういうのって、我々のような一般人にとっては、ほぼ何の役にも立たない経験
なのですが、いわゆる「自分探しの旅」で、高みに昇ろうとする人達にとって、こういう
「Lost in oneself/自分自身の中で道に迷う」、つまり「我を忘れる」、つまり、何かに
夢中になりすぎて「自分自身を見失う」という状態は、割と普通にあったりします。

その状態が、「12:吊られた男」の低次の象徴性に似ていると言えば、似ていなくもない、
という感じなのですが、「12:吊られた男」の高次の象徴性は、それとは次元の違うもの
である、すなわち「月とスッポン」であることは、重々認識しておく必要があります。
要は、我々には、この「12:吊られた男」の「小径」は、出口の無い袋小路になっている
ので、入れたり出したりのオナニー状態に陥りがちであるということなんですよね。
0296名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/11/28(木) 06:38:02.76ID:c7UqCEoa
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 188) ---
Hindu mystics describe this state as Samadhi, referring to a condition where the
physical processes are literally suspended in trance, while the consciousness
affects a union with the Divine.
ヒンドゥー教の神秘家たちは、意識が「神」との結合に影響している間、肉体的な過程たちが
恍惚状態の中で文字通り宙づりにされる状態を参照して、この状態を「三昧(さんまい)」
と評する。
--- ここまで ---

宗教や神秘主義に限らず、洗脳的な行為のほとんどには、こういった「何かに夢中になって
自分自身を見失ってしまう」というものが、しばしばあります。

つまり、脳が何か一つのことに没頭すると、それ以外のタスクにはリソースが割り当てられ
なくなってしまうため、時間感覚や肉体感覚も含めて、ほぼ全ての感覚が麻痺してしまう
状態であり、例えて言えば、一種の無限ループというか、フリーズ状態というか、ハタから
見れば、身体が正常に機能していない無我状態に陥っているわけです。

ちなみに、ここでの「a union with the Divine/神との結合」とは、神との一体化であり、
つまり「神との結婚」を意図しているわけですが、現実には無理ですので、これは結局、
「神をズリネタにしたオナニー」であって、真の「神との結婚」と同一に論じることは
出来ないということに注意が必要です。

なお、この手の「エクスタシー」には、脳内麻薬が関係していることが知られていますが、
外的な麻薬投与によっても、似たような「trance/恍惚状態」を引き起こすということも
知られていますので、この「Samadhi/三昧(さんまい)」が神秘的現象かと言われれば、
そんなことは無いわけであって、こういったトランス状態というのは、あくまでも人間の
肉体的な現象の一つであると考えるべきです。

まあ、「オナニー」とか「薬物」というような手段で、「12:吊られた男」になれた気がする、
というのは、あくまでも個人の感想である、ということなんですよね。
0297名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/11/28(木) 20:34:21.54ID:3rRrFH5J
ズリネタというお前の解釈は狂っている
恥さらしになるだけだからこのスレに書くことをいい加減やめたほうがいい
0298名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/11/29(金) 06:04:13.59ID:/Hwpmg3l
>>297
ズリネタという言葉に反応するとは、あなたもオナニー好きなんですね。 (^^;;

とりあえず、ワタシの文章が「恥さらし」であるならば、その根拠となる
あなたなりの解釈を、書いてみてもらえませんか。
根拠無しに、「やめろ」と言われても、はいそうですね、とは言えませんしね。
0299名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/11/29(金) 06:06:22.40ID:/Hwpmg3l
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 188) ---
This was a state with which Crowley was obsessed.
これは、クロウリー氏が取りつかれていた状態であった。

He wrote: "I was absolutely convinced of the supreme importance of devoting my life
to obtaining Samadhi." (*160)
彼は書いた:「私は、私の人生を『三昧』を獲得することに捧げることの最高位の重要性を
完全に確信した。」 (*160)
--- ここまで ---

ちなみに、(*160)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
160. Crowley, Confessions, 452.
160. クロウリー著、『告白』、452ページ。
--- ここまで ---
とあります

この手の脳内オナニー、いやいや「三昧(さんまい)」による「トランス状態」と「エクス
タシー感」を得る修行は、その肉体的過程に脳内麻薬が関係していることで、どうしても
常習性が出てくるわけで、一旦それに取り憑かれると、一種の麻薬中毒状態になって、
禁断症状なんかも出たりするわけです。
ここでいきなり「オナニー禁止!!」などと言うつもりは無いのですが、こういう状態は、
決して「神との結婚」ではなく、ヲタクの「二次元キャラとの結婚」と大差無い状態である
ということは自覚しておく必要がある、ということを言いたいわけですよ。

まあ、沼にハマって、宗教業界にお布施をするか、オカルト業界にお布施をするか、
ヲタク業界にお布施をするか程度の違いですので、犯罪行為にならない限り、本人が
それで良いと言うのであれば、周囲の人間が、とやかく言うものでもないんですよね。

ということで、ワタシも生暖かい目で、ちょっと離れて見ていこうと思うのでした。
0300名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/11/29(金) 07:50:17.16ID:8ORA2kDh
お前がキチガイだと書いているだけなのだが
タロットカードの解釈としてはお前のが一番狂ってる
日本の恥さらし
0301名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/11/30(土) 06:22:03.57ID:uQ1DjCwN
>>300
あ、オナニー君、お久しぶり! (^_^)/

近頃、見なくなったので、もうどっかに行ったのかと思っていたけど、
まだこのスレを見ていてくれたんですね。 (^_^)

※オナニーネタと、クロウリーネタに噛みついてくるなんて、
 わかりやすいよなぁ。 (^_^;;
0302名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/11/30(土) 06:26:46.67ID:uQ1DjCwN
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 188) ---
In fact, when he came to believe that the so-called Secret Chiefs of the Order of
the Golden Dawn had chosen him to succeed Mathers, he wrote: "I made it a condition
that I should attain Samadhi; that is, that I should receive a degree of illumination,
in default of which it would be presumptuous of me to put myself forward." (*161)
実際に、彼は、ゴールデン・ドーン団の、いわゆる「秘密の首領たち」が、マサース氏の
後継として彼を選んだところであったと信じるようになった時、彼は以下のように書いた:
「私は、それを、私が『三昧』に到達すべき条件とした;すなわち、私は光明の階級を受け
取るべきであり、それが無ければ、私が私自身を前に出すことは、生意気となるであろう。」
(*161)
--- ここまで ---

ちなみに、(*161)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
161. Crowley, Confessions, 452.
161. クロウリー著、『告白』、452ページ。
--- ここまで ---
とあります

このゴールデン・ドーンの「Secret Chiefs/秘密の首領たち」とは、元々は団の創設者
であるウェストコット氏が、神秘的な「魔術ネタ」の提供元であるとした「設定キャラ」、
すなわち、業界にはよくある架空の超人キャラ設定なのですが、魔術ネタの創作に行き
詰まったウェストコット氏が、そのキャラ設定を放棄した後に、マサース氏がその設定を
引き継いで、その後、クロウリー氏が、それを強引にパクったという経緯があります。
まあ、ネタはネタとして、仲間ウチで楽しくネタとして遊んでいるうちはいいのですが、
ネタに吊られてマジレスしてしまうと、とてもカコワルイ状況になるわけなんですよね。

まあ、その後も、色々な人が、そのキャラ設定ネタを真に受けて、場外乱闘的な魔術活動
に勤しむわけですが、クロウリー氏のマジレスの度合いは、少々度が過ぎるというか、
そういう意味でも、ワタシは、あまりお近づきにはなりたくないわけなのでした。
0303名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/11/30(土) 08:51:41.03ID:4KgKng/L
都合が悪くなればネタ扱いではすまない
間違いの拡散の元はお前なのだから、トポケるんじゃないよ
永遠と投稿しているお前が間違ってんだよ
0304名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/01(日) 06:33:40.19ID:i8EGs+iF
>>303
都合が良くても悪くても、元々がネタであると明言しているんですけどね〜。

それはともかく、間違いであろうが無かろうが、拡散してもらえるのであれば、
色々な意見が集まってくるでしょうし、それはそれで有り難いんですよね。
元々、ここで一人で延々と投稿するつもりはなくて、それよりも、色々と異なる
意見が集まる場として、この公開されている掲示板を借りているわけですしおすし。

そもそも、ワタシの解釈が間違ってるというのであれば、ワタシが間違っている
箇所を指摘した上で、あなたなりの正しい解釈を述べて、きちんと反論すれば
いいだけのことじゃないのかなぁ、と。
0305名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/01(日) 06:35:03.44ID:i8EGs+iF
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 188) ---
Crowley also makes it clear that Samadhi, which he defines with unusual simplicity
as "Union with the Lord," is a general term for a number of states, involving
different degrees of trance.
クロウリー氏は、また、彼がそれを「主との結合」であるとして異例の単純さで定義する、
「三昧」が、恍惚状態の異なる段階たちに関係している、いくつもの状態たちの総称で
あることを解き明かした。

In his Confessions he describes a devastating experience of the highest form of
Samadhi, on the Path of THE FOOL. (*162)
彼の『告白』の中で、彼は、「愚者」の「小径」で、「三昧」の最も高い形の圧倒的な
経験を記述している。 (*162)
--- ここまで ---

ちなみに、(*162)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
162. Crowley, Confessions, 840.
162. クロウリー著、『告白』、840ページ。
--- ここまで ---
とあります

クロウリー氏の説によると、「Samadhi/三昧」とは「Union with the Lord/主との結合」
すなわち「神との結婚」であって、これは性的な意味においても「異次元キャラ(二次元を
含む)」である『あなた』と合体したい」という、一万二千年前からの愛欲を説くような
ものであって、それゆえに、クロウリー氏の様々な性的な魔術実験の基本思想となっている
部分であるとも言えるわけです。
もちろん、個人的な興味で行う行為については、自己責任において、自由にやってもらって
構わないのですが、そこから得られた結果については、我々は冷静に判断する必要がある、
要するに、神をズリネタにした妄想オナニーにすぎないのでは、ということを理解しておく
必要があるということなんですよね。
0306名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/02(月) 06:21:14.70ID:cmRLtx0R
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 188) ---
From the standpoint of Tarot what is important is that the Path of THE HANGED MAN
is only the first entry into a sequence of states of union.
「タロット」の観点からの重要なことは、「吊られた男」の「小径」は、結合の状態たちの
一連のものへの、唯一で最初の入り口であることである。

While this experience may be one which we spend our lives seeking, it is only one
step along the Great Way.
この経験は、我々が我々の生命たちを捜すことに費やすものの一つであるかもしれないとは
いえ、それは「大いなる道」に沿った、唯一の一歩である。
--- ここまで ---

「タロット」というより「生命の木」の観点からですが、この「ホド」から「ゲブラー」に
至る「メム」の「小径」は、我々が生きたままで、「より上位」である「神の世界」を
目指す際の、唯一の「経路」になっているということです。
つまり、我々は、死ねば自動的に「霊」となって「ティファレト」へ、もしくはそれなりに
覚醒すれば、「ティファレト」の境地に至ることは可能なのですが、そこは人としての
「上がり」というか、そこから先は、また別の存在となってしまうため、下界からは完全に
縁が切れてしまいます。
まあ、普通の人でも普通に行ける「ティファレト」でも充分ではないかと思うのですが、
普通じゃ気が済まない自己顕示欲の強い人たち、いやいや、霊的な指導者となりたい
人たちは、「ワタシは、さらに上位の真の神に出会った」とか言いたいわけですかね。

それはともかく、この「小径」は、我々にとっては最難関というか、ほぼ誰も通過する
ことが出来ないレベルにあるわけで、それゆえ、無駄に「we spend our lives seeking/
我々が我々の生命たちを捜すことに費やす」、すなわち人生という時間を無駄遣いする
とか、生命そのものを無駄遣いするとかいう結果に陥りがちなわけで、そういうふうに
自らの人生全てを犠牲にしてまでも、真の神を追い求める行為が、本当に幸福をもたらす
ものなのかを、この「12:吊られた男」の姿を見て、考えてもらえたらなぁ、と思うのでした。
0307名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/04(水) 05:59:06.53ID:L2PIN2BF
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 188) ---
In this regard, Crowley again offers excellent instruction.
この点において、クロウリー氏は再び、優秀な教えを提供する。

Writing of Alan Bennett's increasing desire to become a Buddhist monk, he says:
"The phenomena of Dhyana and Samadhi had ceased to exercise their first fascination.
仏教の僧侶になるというアラン・ベネット氏の増大する願望について書いて、彼は言う:
「『禅』と『三昧』の驚異的現象は、それらの最初の魅惑を行使することを止めてしまった。
--- ここまで ---

アラン・ベネット氏(Allan Bennett, 1872-1923)は、ゴールデン・ドーンに1894年に入団
してマサース氏の弟子となり、その後、1898年に入団したクロウリー氏の師となり、その後
仏教徒となって活躍したという、魔術界では割と名の知れた人物です。
元々が病弱なため、その治療のために、あっち系の薬物を常用していたので、その点でも、
クロウリー氏との繋がりが強いということもあったりします。
以下は、そういう麻薬常用者という上級者たちの、普通ではない話として、聞いてください。

まず、「The phenomena of Dhyana and Samadhi/『禅』と『三昧』の驚異的現象」という
のは、おそらく「悟りの境地」とか「解脱」とか呼ばれる精神的現象であり、トランス状態
に入ることで、最上級の「精神的エクスタシー」が得られるというものだと思われます。
そして、その「エクスタシー」が、「first fascination/最初の魅惑」であるということ
ではないかと思われます。

確かに、その「最初の魅惑」なるものは、人生において「良い経験」ではあるのですが、
それで本当に人生の「悟り」や「解脱」が出来るのかというと、実際問題として、そんな
ことは無いわけであって、しょせん「話のネタ」でしか無いわけです。

神秘家の究極の目的が、「神との合一」、すなわち「宇宙の神秘」を解き明かして「神の
力」を行使できるようになる、ということであれば、「禅」や「三昧」の「エクスタシー」
が、自己満足のオナニーで終わってしまってはならない、ということなのですよ。
0308名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/05(木) 05:39:51.22ID:jRG1ELtR
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 188) ---
It seemed to him that they were insidious obstacles to true spiritual progress;
that their occurrence, in reality, broke up the control of the mind which he was
trying to establish and prevented him from reaching the ultimate truth which he
sought.
それらは、真の霊的な進歩にとって狡猾な障害物たちのように、彼には思われた;それらの
出来事は、実際には、彼が確立しようとしていた精神の管理を破壊し、そして彼が、彼が
捜し求めていた究極の真実にたどり着くことを防いだ。

He had the strength of mind to resist the appeal of even these intense spiritual
joys.
彼は、これらの熱烈な精神的な歓喜たちの魅力にさえも、抵抗する意思の力を持っていた。
--- ここまで ---

ここは、弟子であったクロウリー氏が、師であったベネット氏のことを書いているわけです
ので、しょせん綺麗事を述べているにすぎないという点は、考慮しておく必要があります。
つまり、ベネット氏は、ここで「熱烈な精神的な歓喜たちの魅力」と称するもの、とはいえ、
その実体は、薬物ブーストされた脳内オナニーの、しょせん刹那的であり肉体的な快楽で
しかないものに飽きてしまったということなんでしょうね。
いずれにしても、習慣性のあるトランス系ドラッグの使用は、そのうち薬物中毒になって
肉体を蝕みますし、霊的にも百害あって一利無しですので、避けておいた方が無難です。

そして、ベネット氏は、そういった危険で低レベルのドラッグ依存症状から脱して、
より上級者向けの脳内麻薬依存の「仏教修行」に移行したということなのですが、
そうであったとしても、それが「真の霊的な進歩」をもたらすものでもないわけですし、
それによって、ベネット氏が、「12:吊られた男」の「小径」を通過して「彼が捜し求めて
いた究極の真実にたどり着く」こともなかったと思われます。

まあ、「真の霊的な進歩を遂げ、自身が捜し求めていた究極の真実にたどり着いた」と吹聴
する人がいたとしても、ワタシとしては、「はあそうですね」としか言えないわけですけどね。
0309名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/07(土) 05:53:49.56ID:R6mWL2Rc
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 188) ---
Like physical love, they persuade their dupe to put up with the essential evil of
existence." (*163)
肉体的な愛欲のように、それらは、それらの騙されやすい人に、存在の本質的な悪を我慢
するように説得する。」 (*163)
--- ここまで ---

ちなみに、(*163)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
163. Crowley, Confessions, 249.
163. クロウリー著、『告白』、249ページ。
--- ここまで ---
とあります

ここの「they,their/それら」とは、前文の「intense spiritual joys/熱烈な精神的な
歓喜たち」と記述されるけれども、その実体は「肉体的な快楽」でしかないものであって、
「12:吊られた男」の「小径」の経験とは何の関係も無いものです。

だからといって「physical love/肉体的な愛欲」を否定したり、「existence/存在」が
「essential evil/本質的な悪」であるなどと、安易に決めつける必要も無いと思います
し、そもそも、低次の肉体的なものを言葉上で否定するのも、オカルト詐欺の常套手段です
ので、ワタシとしては、そう簡単には納得できないというか、そもそも「オマエが言うな」
状態ですしね〜。

ワタシとしては、あくまでも「マルクト」の住人のまま、地に足が付いた状態で、色々な
経験を重ねていきたいわけですので、そういう「地に足が付いた存在」の状態のままでは、
「12:吊られた男」の「小径」を通過できないことは、重々承知しています。
でも、「小径」を通過して実際に内部を経験することは出来ないけれども、下界から
チラチラと秘所を覗き見する、いやいや「偉大なる神の秘跡」を仰ぎ見ることは少しだけ
可能ですし、その経験は、それなりに有益というか面白いことだと思っているのでした。
0310名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/08(日) 05:39:54.25ID:ooYEPtqX
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 188) ---
The idea is that we must move constantly upward on the Tree of Life.
考え方は、我々は常に「生命の木」に基づいて上方に動かなければならない、ということ
である。

It is not until one has experienced the next higher Sephira that the qualities of
the lower Sephira are completely understood, and can be directed.
人は、次のより高い「セフィラ」を経験し終わって初めて、下の「セフィラ」の品質たちは
完全に理解されて、導かれることができる。
--- ここまで ---

「12:吊られた男」である「メム」の「小径」の全てを経験することは出来ない、すなわち
「ゲブラー」にまで到達することは出来ないのですが、それでもテンプレート・マップと
なる「生命の木」に基づいて進むことで、ある程度までは知ることが出来ます。

なぜ、ある程度まで知ることが可能になるかと言うと、「生命の木」がネットワーク構造を
しているため、相互の知識には関連性があるからなんですよね。
つまり、ある特定の「セフィラ」や「小径」を知るには、周囲の関連する「セフィラ」や
「小径」も理解する必要があり、そして、周囲の関連する「セフィラ」や「小径」を知る
ことで、その特定の「セフィラ」や「小径」を、より深く理解することが出来るわけです。

とはいえ、「ゲブラー」は、「生命の木」において、人を象徴する「五芒星」に配属される
「マルクト」〜「ティファレト」の、5つの下位の「セフィラ」である「人」の領域の外に
あって、人が到達できない領域、すなわち、人が理解できない領域にあるため、安易に
従来の延長線上の考え方を適用すると、とんでもない勘違いをすることになります。
そもそも、従来の延長線上の考え方でいいのであれば、ワタシにも理解することは
可能なわけですし、こうしてダラダラと言い訳ばかり書き連ねる必要も無いわけですよ。

ということで、後は、「皆さん、それぞれに頑張ってみて下さい」というように、説明責任
を放棄するしかないのが実情なんですよね。←結局、何の役にも立たない人orz
0311名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/09(月) 06:01:49.90ID:6TrA5mD+
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 188) ---
Here we see that the Path of Mem leads directly to Geburah, above Tiphareth.
ここで、我々は、「メム」の「小径」が、「ティファレト」の上にある「ゲブラー」に
直接に導くことを見る。

Geburah is the active part of the Higher Self.
「ゲブラー」は「高次の自我」の能動的な部分である。

It is the fiery energy on the Pillar of Water below Binah.
それは、「ビナー」の下にある「水の柱」の上の「火」の精力である。
--- ここまで ---

「Here we see/ここで、我々は、見る」、つまり、主観的に理解するとか経験するとか
ではなく、どんなに頑張っても、客観的に「見る」ということだけしか許されない、絶対
に触れることの出来ない禁断の秘所が、その先にある、ということですよね。
つまり、手や足は縛られていて、身動きできないけれども、目隠しはされていなくて、
赤い色の何かが、遠くにチラチラと見えるという、実にけしからん状態なのです。

とはいえ、そういうエロ成分は控えめというか皆無であって、シンプルなカードデザイン
ながらも、深遠な象徴が、さりげなく配置されています。
それらは、「十字」と、股間の「下向き三角形」と、頭の背後の「上向き三角形」、そして
それらを囲う「メム」の文字などです。
「下向き三角形」は錬金術記号の「水」であり、「上向き三角形」は錬金術記号の「火」
であり、そして「十字」と「上向き三角形」の組み合わせは、ゴールデン・ドーンを表す
シンボルとして用いられており、それら全体を「メム」が囲うという構図ですよね。

一切の無駄を排除した象徴主義の真髄とも言えるシンプルなデザインは、まさに「神秘の
奥義」を表現しているようであって、それはそれで素晴らしいのですが、我々のような
一般人にとっては、すこぷる難解というか、「だから何なの?」と言いたくなるような、
いまいち物足りないものなんですよね。(エロ成分が足りないww)
0312名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/10(火) 05:54:17.46ID:bnSjEWBM
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 188) ---
It is that on which the feet of THE HANGED MAN rest.
それは、「吊られた男」の足が留められている場所である。
--- ここまで ---

この「It/それ」は、「ゲブラー」を指していますので、「吊られた男」は、「ゲブラー」
という「拠点」に足を置く存在である、すなわち、この世の住人ではない「神」そのもの
であるということを示唆しています。

要するに、「吊られた男」のように見える姿は、実は「直立した神」であるということで
あり、逆立ちしているように見えるのは、単なる視点の違いというか、住む世界が違うから
ということになりますかね。

さて、このカードデザインですか、中央の「神」を「メム」の壁が囲んでおり、上からは
「ゲブラー」の「火の精力」が、そして頭の後ろからは「上向き三角形」の「錬金術の火」
により炙られているという構図のようにも見えます。
そして、「火」によって「神」の体から抽出された「水」が大海の如くに溜まっており、
その「水」が、左下の「メム」の隙間から、下界に向けて、すなわち「ホド」に向けて
流出しているというようにも見えます。

つまり、我々は、この「神のあぶり焼きのオーブン」の現場に入ることは出来なくても、
そこから抽出される「神のエキス成分」を堪能することは可能であるということです。
そしてこの「神のエキス成分」こそが、ゴールデン・ドーンの成立に関係する「暗号文書
(by ウェストコット氏)」、そしてタロットの基本となる「"T"の書(by マサース氏)」
であるという暗黙の設定となっており、それゆえ、このカードは「神聖ニシテ侵スヘカラス」
的な特別マル秘扱いとなっているわけです。

まあ、とりわけ難解なカードであり、色々な解釈があるかとは思いますが、我々にとっては、
「ホド」の聖なる原動力に繋がる、非常に有り難い存在であって、世間一般に言われている
ような、不吉なものではないということぐらいは、知っておいた方が良いかと思います。
0313名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/11(水) 06:14:55.29ID:6tPzXGVb
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 189) ---
The key symbol here is the Cross above the Triangle, which is also the emblem of
the Hermetic Order of the Golden Dawn, indicating that the principles of THE HANGED
MAN represent the essence of that Order's teaching.
ここの鍵となる象徴は、「三角形の上の十字」であり、それはまた「ヘルメス主義団体
ゴールデン・ドーン」の紋章でもあって、「吊られた男」の原則たちが、その「団体」の
教えの本質を象徴することを示している。
--- ここまで ---

一見すると、単なる奇妙なパフォーマンスをしている質素な変態男にしか見えないカード
ですが、その背後に「三角形の上の十字」という、ゴールデン・ドーンにとっては最上級の
神秘の紋章をさりげなく描くことで、このカードは、とんでもなく最上級の扱いを受ける
ことになりました。
どれくらい最上級かと言うと、トップクラスの「0:愚者」と肩を並べるぐらいに最上級の
扱いであり、その要因は何と言っても、「メム」が「母字」の「水」であるからです。

「ゴールデン・ドーン」にとって、「空気」でもなく「火」でもなく、なぜ「水」である
「12:吊られた男」が鍵なのかと言うと、それは「生命の木」において、天上界と地上界を
橋渡しする「要」の位置にあって、高すぎず低すぎず、そして団の機密を司る係と
しては、最もふさわしい地味な役回りであるからなんですよね。
そう、本当にスゴい人を見抜くためには、外見に惑わされてはいけないのです。

ちなみに、我々のような一般人が、外見だけ真似て、こんな逆さ吊りになる修行をした
ところで、何の意味もありません。
なぜなら、ここに吊されているのは「人」ではなく「見えざる神」であって、「御神体」
からしたたり落ちた「水」、すなわち「神秘のエキス」という「神秘の教え」を、
下界の我々が享受するというのが、このカードの本質であるからです。
とはいえ、「12:吊られた男」より上位の大アルカナは、多かれ少なかれ、同じように
「神秘の教え」を伝授する役割がありますが、それらの「要」であり取りまとめ役と
して存在しているわけですよね。
0314名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/12(木) 05:41:25.08ID:Qx+d8LNE
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 189) ---
Moreover, this card represents a summation of the teaching of the entire Tarot;
the allegorical Book T, found in the hands of Christian Rosencreutz when his tomb
was opened, containing the most secret teachings handed down through the ages.
さらに、このカードは、「タロット」全体の教えの総和を表している;寓話的な「Tの書」、
彼の墓が開かれた時に、クリスチャン・ローゼンクロイツ氏の手の中で発見され、昔から
伝えられる最も秘密の教えを含む。
--- ここまで ---

ゴールデン・ドーン理論によれば、「12:吊られた男」のカードは、「Tの書」そのもの、
そして「タロット」の思想の全てを完全に含んだ「ホログラム」であるということであり、
タロットについては「もう全部このカード一枚でいいんじゃないかな」的なノリになって
しまっています。

まあそれは言い過ぎかもしれませんが、「タロット」や「生命の木」や「カバラ」などの
最高機密レベルの「秘密の教え」は、「ティファレト」を通過する正規の「炎の剣ルート」
ではなく、この「12:吊られた男」の、選ばれた人のみが受け取ることの出来る「裏ルート」
の「小径」を通じて、秘密裡に下界にもたらされるわけです。

でもまあ、いわゆる「闇ルート」ですので、一般人である我々にとっては、何の関係も
無いのですが、間違って迷い込んでしまうと、そこは魑魅魍魎の住まうアブない世界に
なるわけですので、良い子は決して立ち入らないようにしましょう。
ちなみに、これの下位カードとして、「母字の火」の「20:審判」がありますので、もし
そっち方面の経験を積みたいのであれば、こちらの方を強くお勧めします。

ということで、この「12:吊られた男」は、「選ばれた者」限定で秘密を明かされる場所
ですので、我々のような「一見さん」から見ても、そういうふうには見えないように、
つまり「お宝が隠されているぞ」的な派手派手ではなく、極端なまでに質素なデザイン
となっているのは、必然的なことなのでした。
まあ、宝箱の中に何が入っているのかは知らんけど。(苦笑)
0315名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/13(金) 05:52:25.55ID:sqlFSVuX
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 189) ---
It is not uncommon, as in the Waite card, for the figure to be hanged from a Tau
Cross.
ウェイト版カードにあるように、人物像が「タウ十字」から吊されることは、珍しいこと
ではない。
--- ここまで ---

ここには、「珍しいことではない」と書いていますが、当時のタロットにおいては、間違い
なく「レアケース」でした。
つまり、ウェイト氏の趣味、いやいや判断による、確信犯的な「改変」ですよね。

当時の「吊られた男」は、両脇の2本の縦棒に支えられた、上の1本の横木から逆さ吊りに
された人物が、基本形となっていました。
この3本の棒で作られる形は、間違いなく「絞首台」であって、それゆえ「不吉なもの」と
いう印象を、読者に与えるものとなっていました。
ゴールデン・ドーン版も、基本的には、その「絞首台」の形状を踏襲していますが、人物
の背後に「十字」と「上向き三角形」を、そして頭部に「後光」を描くことで、暗示的に
究極の神秘要素である「ゴールデン・ドーンの紋章」を追加していました。

一方、ウェイト版では、「絞首台」を「タウ十字」にしています。
これは、「イエス・キリストの受難」を象徴しているのは明らかであり、それゆえ、この
人物像は、「神」となった「イエス・キリスト」と同列の存在であることが推定できます。
ウェイト氏は、このカードは「神聖なる『死の神秘』の後に、栄光の『復活の神秘』が
あること」を意味していると言っていますので、「タウ十字」への改変は、キリスト教徒
である読者向けのウケ狙い的な意味もあったのではないかと思われます。

ちなみに、トート版においても、「絞首台」から「アンク十字」へと改変されています
ので、それらの元ネタであるゴールデン・ドーン版のデザイン研究において、つまり
マサース氏やミナちゃんによる試作版においては、伝統的な「絞首台」を改変した、
色々なバリエーションがあって、それらを参考にしたのではないかと推定しています。
0316名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/14(土) 06:20:21.04ID:6ixQHZVI
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 189) ---
In fact, the symbolic relationship between Tau and Mem is profound.
実のところ、「タウ」と「メム」の間の象徴的な関係は深遠である。
--- ここまで ---

「タウ(十字)」と「メム(水)」の関係は、一見すると何の関係も無さそうなのですが、
「12:吊られた男」を通じて、実は色々なところで密接に関連しているということです。

ウェイト氏の場合は、それを「イエスの死と、キリストとしての復活」の物語を通じて、
「タウ」と「メム」の関係が、「神」と「宇宙」の関係に関連していることを示唆して
いることになっています。
あー、まあ、一般人である我々には、何のことかさっぱり分かりませんけど、そういう
ことのようです。

いずれにしても、「13:死」の後に「12:吊られた男」が来るわけですので、この人物は
「生きた人間」ではなく、「復活した神」であることは容易に想像できます。
それゆえ、イエス・キリストと同様に、薔薇十字のクリスチャン・ローゼンクロイツ氏
を類推することも可能です。
そして、彼の手の中にあった「Tの書=タロットカード」は、この宇宙を創造し、全宇宙を
知る全知全能の「神」からの授かり物であって、それゆえ、この「12:吊られた男」とは、
「神」そのもの、もしくは「神」の仮の姿の一つであるということですよね。
我々が知る商業主義的な「神」は、けばけばしい姿をしていますが、この「12:吊られた
男」の「小径」を通じて「ホド」に降りてくる「神」の姿は、とてもシンプルであるため、
何だかよくわからないものになっていますが、そういうことのようです。

ということで、ウェイト版の「12:吊られた男」は、「メム(水)」であることよりも、
「タウ(十字)」との関連性の方を重視したデザインとなっています。
つまりこれは、ゴールデン・ドーン版やトート版ではキリスト教的なものを極力排除して
いるのに対して、キリスト教というかイエス・キリストが大好きなウェイト氏の趣味に
よるものですかね。(よう知らんけど)
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

ニューススポーツなんでも実況