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【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】Part7©2ch.net

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0001名無しさん@占い修業中 転載ダメ©2ch.net
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2017/07/11(火) 06:22:40.12ID:QE4/wbCN
近代タロットの理解にはカバラの知識が必須であることは、割とよく
知られていると思います。
しかしなから、タロットの理解に必要なカバラの知識って、日本に
おいては、あまり紹介されていないのが現実なんですよね。

というわけで、タロットの理解に必要なカバラの基本的知識を得るために
以下の本を引用、翻訳、考察しながら、色々と勉強していきたいと思います。

書名:The QABALISTIC TAROT
   A TEXTBOOK OF MYSTICAL PHILOSOPHY
   カバラ主義のタロット
   神秘主義的哲学の教科書
著者:Robert Wang

※話題への、ソコはちゃうやろ的ツッコミとか、雑談とかは歓迎ですが、
教えて的な質問に答えたりとかは面倒なので、スルーする可能性が高いです。
0317名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/15(日) 06:44:19.35ID:4w7Kov3Y
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 189) ---
Tau is at the very center of the Cube of Space, and is crossed by the lines of
THE FOOL (Aleph), JUDGMENT (Shin) and THE HANGED MAN (Mem).
「タウ」は「宇宙の立方体」のまさしくその中心にあり、「愚者(アレフ)」、「審判
(シン)」、そして「吊られた男(メム)」の線たちが交差している。

But Mem final, the completely closed form of this letter used when it occurs at
the end of a word, is also attributed to this exact center point.
しかし、言葉の終わりにそれが起こる時に使われる、この文字の完全に「閉じられた」形
である「最終形のメム」は、また、この正確な中心点に帰属される。

The symbolism says, in essence, that the completion of Mem is Tau.
象徴主義は、本質的には、「メム」の「完成」が「タウ」であると述べる。

Both Mem and Tau are suspended at the center of the Cube of Space.
「メム」と「タウ」は、「宇宙の立方体」の中心において、吊られている。
--- ここまで ---

この「the Cube of Space/宇宙の立方体」の理論では、「タウ」を「中心=原点」として
「母字」である「アレフ」「メム」「シン」を「上下」「東西」「南北」の三次元の軸に
割り当てていますが、『セフェル・イェツィラー(形成の書)』には、「タウ」が「中心」
であるという記述はありますが、「母字」である「アレフ」「メム」「シン」についての
記述はありません。
そして、「最終形のメム」が、「タウ」と同じように「中心点」に帰属される、という
記述もありません。

つまり、ネタ元がはっきりしないので、コメントのしようがないわけです。
ということで、ワタシとしては何とも理解不能というか、おそらく次元の違う話である
「宇宙の立方体」ネタは、華麗にスルーしておこうと思います。
(要は、二次元キャラの安易な三次元化に対して、拒否反応を起こしているわけです。)
0318名無しさん@占い修業中
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2019/12/17(火) 06:19:10.96ID:qRwBMQCg
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 189) ---
The reversed figure on the card represents the suspension of personal consciousness,
where a greater reality imposes a complete reversal of perspective.
カード上の逆さまにされた人物像は、個人的な意識の吊り下げを表しており、そこでは、
より大きな現実は、見方の完全な逆転を課する。

This has been described as the "human spirit suspended by a single thread."
これは、「単一の糸により吊された人間の精神」であるとして記述されている。
--- ここまで ---

とりあえず難しい話はそれくらいにして、もう少し具体的な話になってきます。
さて、このカードの解釈は色々とあるわけですが、そのデザインから、我々から見て
ポジティブな面と、ネガティプな面があることぐらいは、分かるかと思います。

まずは、ポジティブな面ですが、一つには、「a greater reality/より大きな現実」を
見るための手段として、ですよね。
ちなみに、「より大きな現実」というのは、我々が知覚可能な「reality/現実」を越えた
もの、言ってみれば「現実」を司る「見えざるもの=非現実的なるもの」となるわけです
が、そういう「現実を越えるもの」を見ようとするのであれば、視点を変えることが必要
という、ごく当たり前の教えです。

あ、いやいや、単に物理的な視点を変えて、普段では見えないものを、ローアングルで
見てみようということではないですよ。
自分自身の「spirit/精神」を縛り上げて逆さ吊りにするという「自縛行為」によって、
今まで自己中心的にしか見たり考えたりしてこなかったものの裏側が、何かのきっかけで
自然と本質が見えてくるかもしれないということです。
つまり「見たい!」と強く念じたり注視したりすることだけでは見えなかったものが、
それほど「見たい」とは思わなくなった時に、偶然に見えてしまったということもあるわけ
で、そういう時って、思わず「神キター!!」とか思ってしまいますよね。
え、そういうのとは違うって? ←やっぱりよく分かっていないw
0319名無しさん@占い修業中
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2019/12/18(水) 06:08:36.94ID:r61/Wq08
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 189) ---
Yet this is a willing suspension, a sacrifice which is a baptism, but which is
also a crucifixion.
さらに、これは、自発的な吊り下げ、洗礼である生贄であるけれども、それはまた
「(イエス・キリストの)十字架刑(はりつけ)」でもある。

This, then, is a card of the Dying God.
これは、さらにまた、「死にゆく神」のカードでもある。
--- ここまで ---

このあたりの話であれば、カードを見れば、何となくわかりますよね。

そして、一般人にとっても、「a willing suspension/自発的な吊り下げ」という逆さ吊り
の修行というのは、見た目のインパクトもあって、とても「やっている感」があります。
あと、「baptism/洗礼」に使う「水」の修行、たとえば滝行なんかも、「やっている感」
が満載です。
そして、何かを得るためには、何かを犠牲にする、つまり自らの肉体を「sacrifice/生贄」
というか「依り代」として、神の世界に擬似的にアプローチするという手法もあります。
とはいえ、それらは全て「13:吊られた男」の下なる世界での話となります。

一方、上なる世界、つまり神界での話では、これは「人の子イエス」が「神の子キリスト」
として復活するための「crucifixion/十字架刑」を表します。
そして、それと類似した「Dying God/死にゆく神」の神話を含むことになります。
つまり、我々としては、指をくわえて見ているだけの世界の話であって、我々のような
下等生物の分際が、直接アプローチできるような世界ではないということですよね。

いずれにしても、そこには人類にとって、悪い意味は何も無くて、どちらかというと、
「神より賜る、知的な恩寵」に満ちた「ご褒美」であることは間違いないわけです。
ただし、あまりに「上級者向け」のハイレベルな恩寵であるがゆえに、我々のような
一般人にとっては、何とも理解し難いシロモノであることも、確かなんですよね。
0320名無しさん@占い修業中
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2019/12/19(木) 06:01:51.55ID:Ke4491si
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 189) ---
One might well ask why this crucifixion should be on one side of the Tree.
人は、なぜこの十字架刑が、「木」の片側にあるべきなのかを尋ねるのは、もっともで
あるかもしれない。

The reason is that this is an essentially intellectual experience, as is implied
by the position of the legs of THE HANGED MAN.
その理由は、「吊られた男」の足たちの位置により暗示されているように、これは本質的に
知的な経験であるからである。

The cross above the triangle is the four above the three, the imaginative qualities
of THE EMPRESS (3) subordinate to the rational qualities of THE EMPEROR (4).
三角形の上の十字は、3の上の4であり、「皇帝(4)」の理性的な品質たちより下位の
「女帝(3)」の想像力豊かな品質たちである。

This is the ultimate sacrifice of desire to a rational principle.
これは理性的な原則についての欲望の究極の犠牲である。
--- ここまで ---

そういう疑問を抱く人は、ここにはいないと思いますが、ウォン氏は、この「12:吊られた
男」が、「生命の木」の「峻厳の柱」の上にあることについて語りたいということです。

まあ、「12:吊られた男」には、「イエス・キリストの十字架刑」とか「死にゆく神」とか
ネガティブな見方もありますが、本当の意味は、そういう「見かけのもの」ではなくて、
その本質とは「intellectual experience/知的な経験」すなわち「rational/理性的」
なるものの究極の姿であるということですかね。
まあ、我々には、とても「理性的」には見えないカードですし、超上級者向けというか、
超難解すぎて、どう説明して良いかもわからないのですが、安易に分かったような気に
なるよりは、その本質が分かるまでは放置しておくというのも一つの手だと思います。
そもそも、この領域に至ることの出来る人は、ごくごく限られていますしね。
0321名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/20(金) 05:47:57.99ID:w4Zp8yiZ
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 189) ---
A balance to this experience is to be found in the WHEEL OF FORTUNE, directly
opposite THE HANGED MAN on the Tree of Life.
この経験との釣り合いは、「生命の木」の上で「吊られた男」の真向かいにある、
「運命の輪」の中で発見される。

THE HANGED MAN is rest, the WHEEL OF FORTUNE is activity.
「吊られた男」は安静であり、「運命の輪」は活動である。
--- ここまで ---

困った時の神頼みというか、「生命の木」の解釈で困った時は、対称となっているもの
との対比を考えてみるのが、定石となっています。

つまり、この「吊られた男」の「balance/釣り合い」の位置にある「運命の輪」について
考察しようというわけですが、この「生命の木」の「小径」の均衡状態というのは、以前、
大アルカナについて考察した時のように、かなり複雑な関係性を持っています。
それと、「知恵の32の小径たち」においては、「吊られた男」は「Stable Intelligence/
安定した知性」となっていますので、単純な「rest/安静」ということでもないわけです。

ちなみに、ワタシの持つ、これらの対比のイメージとしては、
・「運命の輪」:神の振るサイコロの目(ランダム性=非定常成分)
・「吊られた男」:神が与える宇宙の公式(非ランダム性=定常成分)
という感じがあります。
結果的に、「吊られた男」は「ホド」の理性に繋がり、「運命の輪」は「ネツァク」の
感情と本能に繋がるわけですので、「吊られた男」の神が理性的な人の姿であるのに対し、
「運命の輪」の神が獣の姿をしているのも、何となく納得できます。

とはいえ、この「12:吊られた男」が下界にもたらしている「宇宙の公式」は、我々人間に
とって、極めて貴重なものであることは確かなのですが、あまりにもレベルが高すぎて、
まだ誰もそれを解くことが出来ないというオチなのでした。
0322名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/21(土) 05:37:03.87ID:LLrAB0yk
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 189) ---
Expressed in another way, THE HANGED MAN is what happens when the Wheel stops
turning: the suspension or Crucifixion in Space is the willful arrest of the WHEEL
OF FORTUNE.
別の方法で表現すると、「吊られた男」は、「輪」が回転を停止する時に起こることである:
吊り下げ、すなわち「宇宙の十字架刑」は、「運命の輪」の意図的な拘留である。

On the other hand, the WHEEL OF FORTUNE is the activation of that which is
inactive on the Path of THE HANGED MAN.
その一方、「運命の輪」は、「吊られた男」の「小径」で非活動的であったものの活性化
である。

As is written on the Emerald Tablet, this is multiplicity in unity, the activity
and passivity of the One Thing.
エメラルド・タブレットに書かれているように、これは、単一性の中にある多様性であり、
「一つのもの」の活動性と受動性である。
--- ここまで ---

もはや意味不明で支離滅裂な説明となってしまっていますが、そもそも、この世のものでは
ない「12:吊られた男」と「10:運命の輪」を、我々の世界における「対称性」で語ること
自体が無理なわけですので、実際のところ、どんな文章で説明したところで、理解する
ことは出来ないわけです。
まあ、元々、言葉ではうまく説明できないので、上級者にしか分からない象徴的な図像と
して表しているというのが、「タロット」ですので、我々が言葉で説明されても分からない
のは当然であると、割り切って考える必要があるわけですよね。

とはいえ、全く分からないなりに、何らかのキーワードぐらいは、事前に持っておく必要が
あるわけで、それが「12:吊られた男」と「10:運命の輪」の「対称性」である、宇宙と
いうか万物というか「神」というか、そういうもの全ての中にある、「回転」と「静止」の
関係性が鍵であるということですかね。(だから何?と言わないでくださいw)
0323名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/22(日) 07:11:09.28ID:JOV4gwU3
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 189) ---
It has, hopefully, been demonstrated that the Path of THE HANGED MAN must be
approached very differently from the lower Paths.
それは、たぶん、「吊られた男」の「小径」が下位の「小径たち」とは非常に異なって
取り組まなければならないことを説明し続けている。

There is a reversal of conceptual framework which is at once a willful suspension
and a refinement of observation.
そこには、同時に、意図的な吊り下げと、観察の改善である、概念上の枠組の反転がある。
--- ここまで ---

ここは、「hopefully/たぶん、願わくば」という言葉で修飾されているように、あまり
確証的なものではないのですが、「吊られた男」の「小径」は、今までの「小径」とは
明らかに異なっていて、それをものにするには、従来の手法とは全く異なるものが必要と
されるということです。

その一つが、「willful suspension/意図的な吊り下げ」、すなわち、自身の精神的活動
である脳内妄想の数々を停止させることと、「refinement of observation/観察の改善」、
すなわち、全く異なるというか逆転した視点で見るという、「eversal of conceptual
framework/概念上の枠組の反転」が必要であるということです。

とはいえ、それが具体的にそれが何なのかは、「神のみぞ知る」わけであって、凡人が
いくら「吊られた男」のマネというか修行をしたところで、「頭に血が昇る」とか、もしくは
「○子のパ○ツが見える」ぐらいの恩恵しか無いわけですよ。

そういうわけで、ワタシからも、これといった有用な情報は何も提供できないのですが、
一つ言えることは、一般人である我々には、「吊られた男」を理解する必要は全く無い
し、そもそも、それを理解しようとすること自体にも、何の利益も無いということです。
ということで、無駄な悪あがきはせず、どちらかというと覚めた目というか生暖かい目で、
ヤル気の無い単なる傍観者として、「吊られた男」を観察してみようと思うのでした。
0324名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/23(月) 06:04:22.49ID:7pOap+5o
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 189) ---
The meditator becomes the object of his own meditation.
瞑想者は、彼自身の瞑想の対象になる。

He becomes the "other" which had been the object of pursuit; the "other" becomes
him.
彼は、探究の対象であった「他」になる;「他」は彼になる。
--- ここまで ---

ここでは、一例として、「自」と「他」、すなわち「主観」と「客観」の入れ替えに
ついて説明しています。
とはいえ、その文字通りの理解であれば、従来の思考の延長線上であり、従来の手法とは
全く異なるものであるとは言えないです。
要するに、一般人の「meditation/瞑想」では、「自」であることから逃れられないわけ
であり、ここに発想の転換というか、「概念上の枠組の反転」が必要となるわけです。

例として、「自」は「自」から逃れられないということであれば、もう一つの「自」の
コピーを作って、それを「他」として観察するという手もあります。
また、この我々の「宇宙」が「自」であるなら、そのコピーを作って、それを「他」と
して観察するという手もあります。
そんなことが出来るのかと問われれば、現代のシミュレーション技術、すなわち数学と
計算機が、それを徐々に可能にしつつあります。
そして、その仮想空間においては、数値計算による、あらゆる仮想実験が可能となって
おり、実験者が望む「概念上の枠組の反転」を自由に試すことが可能です。
実際問題として、現代の宇宙物理学(マクロコスモス)や、医学や人工知能(ミクロコス
モス)の探究には、この手の高度なシミュレーション技術が不可欠となっており、そして
それが、「吊られた男」の深遠な意味を理解するための、重要な手段となるのではないか
と、勝手に妄想しているのでした。
さらに発想を変えれば、「吊られた男」こそ、マザコン、いやマザーコンピュータそのもの
であるという別ルートもあって、そういう妄想も、ネタとしては面白いと思うのでした。
0325名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/24(火) 06:13:12.86ID:ifNc/V2U
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 189) ---
One of the primary qualities of this Path is that it is a Path of eternally
unresolved possibilities.
この「小径」の主要な品質たちの1つは、それが永遠に未解決の将来性の「小径」である
ことである。

It is openness without beginning or end, the exact opposite of the WHEEL OF FORTUNE,
which encloses in eternal motion.
それは、始まりも終わりも無い開放性であり、永遠の運動を取り囲む、「運命の輪」と
全く正反対のものである。
--- ここまで ---

謎の文章となっております。
ここでの「possibilities/将来性」は、未来における可能性たちという意味であり、
この「小径」から「ホド」へと流出するものの「将来における可能性」は、限りの無い
ものではあるけれども、誰もそれを正しく読み解くことは出来ないという解釈が可能と
なっています。
ということで、ここで、分からない問題は、とりあえず放置しておくというスルースキル、
いやいや、賢者の基本スタンスが発動するわけです。

その一方で、「運命の輪」については、「閉じた永遠の運動」ということであり、その
内部情報は流出しないため、やはり誰もそれを正しく読み解くことは出来ないわけです。
ということで、ここでも、分からない問題は、とりあえず放置しておくという、賢者の
基本スタンスが発動します。

結局のところ、オマエは何も分かっていないんじゃないか!というお叱りを受けても
しょうがないわけですが、まあ、わかったようなふりをして金稼ぎをするような連中の
言うことを受け売りするよりは、こうして「今は分からないこと」を、きちんと整理して
おいた方が、謎の解明には、後で役に立つことも多いんですよね。
まあ、永遠に解けない謎であるということですが、そのうち分かるかもしれませんしね。
0326名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/25(水) 06:10:02.12ID:QZSwdXbk
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 189) ---
When the Mem is closed, it becomes Tau.
「メム」が閉じられると、それは「タウ」になる。

Tau is Mem reversed.
「タウ」は、反転された「メム」である。

12 (THE HANGED MAN) is 21 (THE UNIVERSE) reversed.
12(「吊られた男」)は、反転された21(「宇宙」)である。
--- ここまで ---

またもや謎の文章となっております。
「12:吊られた男」は、「10:運命の輪」の「exact opposite/正反対」の関係であり、
そして「21:宇宙」とは「reversed/反転された」関係であるということです。

つまり、我々が住む「実宇宙」が生み出されると同時に、それと反転関係にある「反宇宙」
もしくは「虚宇宙」なるものが、この「12:吊られた男」で反作用的に生み出されていると
いうことであり、それはまさしく、この「12:吊られた男」が、宇宙を生み出す「種」の
流出源となっていることを示しています。
そして、その開いた未解決の将来性の「種」は、「生命の木」のフィルタを下りながら
選別され成熟していき、最終形として「タウ」で閉じられて完成することで、この「宇宙」
という「アッシャー界」が創造されるという話になっているわけですかね。

まあ、いずれにしても、我々の知らない高次元の話というか、この宇宙が生み出される前の
妄想話ですので、その真偽のほどは全くもって不明というか、現代科学では全く未解明の
分野ですので、これ以上の詮索は出来ないわけです。

とはいえ、こういう現代科学では語れないような「宇宙誕生前夜の妄想物語」を語れる
のも、「カバラ」ならではの魅力ですので、色々と妄想を膨らませるのも面白いですよね。
でもまあ、それは何の役にも立ちませんけど。ww
0327名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/26(木) 06:03:05.30ID:fNOqv84q
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 190) ---
This is the Tarot secret of the Dying God on the Path of Water.
これは、「水」の「小径」の上で「死にゆく神」の「タロット」の神秘である。
--- ここまで ---

カバラ理論による「12:吊られた男」が反転された「21:宇宙」であるという前提から、
いきなりタロットの神秘の話題へと、話が振られています。

要は、「反宇宙」である「12:吊られた男」が「上流の神」であり、それが比喩的な死を
遂げることで、「正宇宙」である「21:宇宙」が「下流の神」として転生して復活すると
いうストーリーなのかな、と思われます。

いずれにしても、「地」である「マルクト」を生み出すためには、「火」「空気」そして
「水」の作用が不可欠なのですが、「生命の木」の「小径」における「火」「空気」「水」
の配置の解釈理論は、一筋縄ではいかない、というか、辻褄合わせすること自体に矛盾が
出てしまいますので、あまり深掘りしない方がいいと思われます。
まあ、タロットや「生命の木」についての大統一理論というものがあればいいんでしょう
けど、現状、そんなものは存在しませんし、将来も、作られることは無いんでしょうね。

それはそうとして、「12:吊られた男」は、割と重要な「母字の水」の相転移の象徴である
と考えることが出来ますので、その流れから「Dying God/死にゆく神」を考察することが
可能となっています。
そして、「死」の重要性は、と言うと、「死が次世代の糧となる」ということであって、
これは、現在の宇宙が、「星の死」により進化してきたということにも繋がります。
もちろん、地上にいる我々も、それまでに生まれた数々の生命の死により進化している
わけですし、それに何より、現在の我々の生命を維持するためにも、様々な生命が犠牲
となっていることからも、何となくわかるかと思います。
つまり、「普遍的に存在する母なるもの(遍在神)の生命」が「死にゆく」ことにより、
我々の生命が維持されているということも、現実としてあるわけなんですよね。
まあ、それが何の意味があるのかと聞かれても、ちょっと困るんですけど。ww
0328名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/27(金) 06:07:43.18ID:aUM0upI6
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 190) ---
This mythology of the Dying God is very universal; every culture seems to have
some form of it, whether that be Christ, Osiris or a local deity.
この「死にゆく神」の神話は、とても普遍的である;あらゆる文明は、それがキリスト、
オシリス神、もしくは地方の神であろうとなかろうと、それの何らかの形式を持つように
見える。

THE HANGED MAN is one rather peculiar aspect of this cross-cultural myth.
「吊られた男」は、この異文化間の神話の、かなり奇妙な面の一つである。
--- ここまで ---

とはいえ、「死」が人間にとって普遍的であるのであれば、「神の死」という概念も、
割と一般的に受け入れられることのようにに思えます。
ちなみに、日本では、「国産みの神」である「イザナミ女神」の死が、これに当たります
し、それ以外にも、色々な神が、何かを生み出すために死んでいます。

「死にゆく神」の特徴として、その多くが「大地」を産み出して「自然」を司る役割を
持ち、四季の移ろいを演じるものが多いということです。
そういう視点で見ると、「10:運命の輪」が春から夏を、「12:吊られた男」が秋から冬の
季節を象徴しているようにも見えます。
そして、「12:吊られた男」の季節は、それまで育ってきた本体から、次世代へ向けての
種や実が成り、大地に落ちる季節でもあります。

つまり、「メム」の「母字の水」は、こうして「上位世界の見えない水」から「下位世界
の見える水」へと相転移して、我々に「水」なるものをもたらしてくれるという構図に
なっているわけですが、それはゴールデン・ドーン版のデザインが、まるで蒸留器のような
不思議な構図となっていることからも、何となく推察されます。
要は、この「12:吊られた男」は、その地味なデザインにもかかわらず、とてもありがたい
カードであって、何かを生み出す際には、非常に重要なひらめきを与えてくれるという、
どちらかというと、創造者、つまりクリエーター向けのものなのかな、とも思うのでした。
0329名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/28(土) 06:07:53.50ID:6W+Z7uHk
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 190) ---
In Norse mythology the God Odin sacrifically hanged himself from the branches of
the World Tree. (*164)
北欧神話では、神オーディンは、「世界樹」の枝から彼自身を犠牲的に首を吊った。
(*164)

In Greece, the Goddess Artemis was annually hanged in effigy, and at her sacred
grove in the Arcadian Hills was known as the "Hanged One." (*165)
ギリシアでは、女神アルテミスは、彫像となって首を吊られ、そして、アルカディアの丘の
彼女の聖なる林では、「吊られたもの」として知られていた。(*165)
--- ここまで ---

ちなみに、(*164)(*165)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
164. Larousse Encyclopedia of Mythology, 261.
164. 『ラルース神話百科事典』、261ページ。

165. James G. Frazer, The Golden Bough, New York 1958, 413.
165. ジェームズ G. フレイザー著、『金枝篇』、ニューヨーク、1958年発行、413ページ。
--- ここまで ---
とあります

要は、「神」が自ら上位神への捧げ物として生贄的に首を吊るのは、割と昔からある話と
いうか、まあ普通に誰でも思い付く「神の自己犠牲的行為」であるわけです。
ただし、「吊られた男」は、そういった良くある「首吊り」という自己犠牲的なものでは
なくて、「片足を縛られた逆さ吊り」という、かなり上級者的な性癖の持ち主、いやいや、
あまり一般的ではないというか、少々ふざけた形で吊られているのが特徴です。
つまり、どう見ても、ただ者ではない感じであって、「生命の木」の「小径」の位置からも、
かなり上位の存在であり、オーディン神やアルテミス女神を凌ぐ能力の持ち主であること
は、容易に想像できるわけですが、それが何者なのかは、全くわからないわけですよ。
0330名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/28(土) 06:11:53.01ID:6W+Z7uHk
そろそろ容量オーバーで、次スレ移行の時期となりましたので、予告しておきます。

次スレ
【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】Part9
0331名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/29(日) 06:46:58.11ID:CpZNWFdT
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 190) ---
Any number of such ritual hangings could be cited, none of which is a final death.
そのような儀式の吊るし物たちは、いくつでも引用できるが、そのどれも最終的な死ではない。

These are merely reversals where the feet of the God are planted in the Anima Mundi
and not on the earth.
これらは、「神」の足が地上ではなく「宇宙霊魂」に据えられた場合の、単なる反転である。
--- ここまで ---

オーディン神も、アルテミス女神も、儀式では首から吊されていましたので、そういう意味
では、これらの神は「足が地上にあるもの」、すなわち大地を統べる下位の神となります。
一方、「12:吊られた男」は、それらの二次生成物とは違って「足が宇宙霊魂にあるもの」、
つまり「下位世界を生み出す宇宙創造神」であるという見方が出来ます。
とはいえ、それは物質を生み出す神というよりも、物質の元となる「宇宙霊魂」からの
抽出物というか蒸留物というか、要は「母字の水」に象徴される、目に見えない神秘の
何かが、この逆さ吊りとなった神から流出しているということです。

ということで、オーディン神も、アルテミス女神も、この「12:吊られた男」を理解する
には役に立たないというか、それらを反転させる何かが、決定的に足りないわけです。
まあ、反転させるための「鍵」が、この「吊られた男」そのものの姿であって、その鍵の
形を象徴するのが、十字と三角形であるということぐらいは分かるのですが、だから何
なんだという感じなんですよね。

いずれにしても、このカードを見ているだけでは何も分かりませんし、前へと進むことも
出来ません。
とりあえず「上の如く、下も然り」の「上」の理解を保留したままで、「下」での応用を
考えることも出来るのですが、そもそも原理が全く理解出来ていないので、根拠の無い
「当てずっぽう」の応用となってしまうことは承知しておく必要があります。
だったら、「12:吊られた男」を無理に使わなければいいのでは、と思うかもしれませんが、
まあ、そう言ってしまうと、身も蓋もないわけですしおすし。
0332名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/31(火) 07:31:25.32ID:i1gwI+D+
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 190) ---
The death and resurrection of any God relates to this Path, and is described as
a Kabiric Death.
どのような「神」の死と復活であれ、この「小径」に関連し、「カベイロスの死」と評される。

In the myth of the Kabiri, one brother is slain by the three others.
「カベイロス」の神話においては、兄弟の1人が、その他3人により殺害される。

His dismembered body is discovered, and is, with great joy, resurrected for the
good of humanity. (*166)
彼の手足が切断された身体は発見され、大きな喜びをもって、人類の善のために復活する。
(*166)
--- ここまで ---

ちなみに、(*166)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
166. Larousse Encyclopedia of Mythology, 141-43; Oxford Classical Dictionary,
v. IV, 260ff.
166. 『ラルース神話百科事典』、141-43ページ;『オックスフォード古典辞典』、第4巻、
260ページ以降。
--- ここまで ---
とあります

ちなみに、「カベイロスの神話」は、ゴールデン・ドーンの「プラクティカス儀式」の
「31番目の小径=20:審判=シン=母字の火」の元ネタとなっており、殺される側の志願者
である「Kasmillos/カスミロス」が、殺す側の「Axieros/アクシエロス」「Axiokersos/
アクシオケルソス」「Axiokersa/アクシオケルサ」の声を聞くという設定となっています。

流れとしては、「母字の空気=0:愚者」が「神の誕生」、「母字の水=12:吊られた男」が
「神の死」、そして「母字の火=20:審判」」が「転生した神の復活」ですかね。
0333名無しさん@占い修業中
垢版 |
2019/12/31(火) 07:41:56.98ID:i1gwI+D+
ということで、今年はこれが最後のカキコになります。
今年も色々とありましたが、何とか一年間、カキコを続けることが出来ました。
これもひとえに、皆様からの声なき応援の賜物であると勝手に思っております。

それでは皆さん、よいお年を。 (^_^)/
0335名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/01/01(水) 21:29:27.05ID:gO/gGo5B
皆様、新年あけましておめでとうございます。(^^)

10年計画で始めたこのスレも、既に7年半近く経ちました。
残り2年半でゴールできるかはわかりませんが、今年もあせらず
ボチボチと、カバラを勉強していきましょう。 (^^)/

>>334
ありがとうございます。
本年もよろしくお願いします。(^_^)/
0336名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/01/02(木) 05:55:43.71ID:Gt85Ewr5
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 190) ---
The parallel with the Osiris legend is clear.
オシリス神の伝説との類似は明らかである。

In that story the body parts of Osiris are scattered about the land, collected and
resurrected.
その物語において、オシリス神の身体の部分たちは、国のあちこちに撒きちらされ、集め
られ、そして復活させられる。
--- ここまで ---

「12:吊られた男」は、「死にゆく神」であり、それは天界の存在であった「神」が、
「神の死」と呼ばれる相転移によって、地上界の存在となり「神の死体=かつては神だった
ものの身体や精神や知恵の一部」へと遷移するという公式を象徴化しているわけです。
つまり、そのバラバラになった「神パーツ」のジグソーパズルとかクロスワードパズルを
組み立てることによって、神の能力を人類が得ることが出来るという筋書きですよね。
要は、「人」は「13:死」を通じて「天界」に昇天するのに対し、「神」は「12:吊られた
男」を通じて「地上界」に降臨して恩恵をもたらしているという、何かとても有り難い話
になっているわけです。
そういう意味では、「15:悪魔」も、天界から地上界へと恩恵をもたらすものでしたので、
「ホド」には、天界からの賜り物が蓄積されているということになりますかね。

さて、その「12:吊られた男」の恩恵なるものが何であるのかというと、それはカバラ的に
言えば「知恵」であるということになります。
そして、「生命の木」のレベル的に言うと、神が人間に与えることの出来る最上級レベル、
すなわち最上級者にしか分からない「知恵」である、ということになるわけです。

もちろん、最上級者ではない我々は、それが何であるかは知る由もありませんし、知った
ところで、何かの役に立つようなものでもありませんし、現状では、他人に誇れるような
ものでもないというか、間違いなく基地外扱いされるようなシロモノでしかありません。
つまり、ワタシも全く理解できていません、ということなんですよね。←開き直りw
0337名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/01/03(金) 06:55:51.54ID:oLCSK8QZ
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 190) ---
The death of the God is a natural, continuing, event, and is symbolized by the
ritual formula IAO, meaning Isis, Apophis, Osiris, symbolizing fruition, death
and then resurrection.
「神」の死は、自然で、継続的な、事象であり、そして、結実、死、それから復活を象徴
する、イシス女神、アポフィス邪神、オシリス神を意味する、儀式の公式「IAO」により
象徴される。

This formula also relates to that of the Yod Heh Vau.
この公式はまた、「ヨッド」「ヘー」「ヴァウ」のそれに関係している。
--- ここまで ---

神話における「神の死」は、割と普遍的なものではありますが、それは「人の死」と同列に
語れるようなものではありません。
なぜなら、「人の死」には、その後の「復活」が存在しないからであり、この点において、
「上の如く、下も然り」が成立していないからです。

つまり、人は「復活」を手に入れることが出来れば、「神」になれるわけであり、それゆえ
古代より、人は「死」を克服するための様々な手法を開発してきており、それが「宗教」の
繁栄の原動力となっているということも、あながち間違いではないわけです。

ちなみに、「神の死」と「人の死」は、「生命の木」においては、「12:吊られた男」と
「13:死」という隣り合わせのカードでありながらも、かなり異なる次元に置かれており、
その意味も、アプローチの仕方も、全く異なるということが分かります。
つまり、我々にとっては、ここが「神」と「人」の分水嶺となっており、人間の力では、
決して越えられない壁があるというわけで、それゆえ人々には魅力的なものであって、
その結果として最も多くの「詐欺師」たち、いやいや「神となった人間たち」が目を付ける
場所でもあるわけですよね。

ということで、人間であることを続けたいワタシは、なるべく深入りしたくないのでした。
0338名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/01/04(土) 06:01:56.54ID:T6rt5P7H
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 190) ---
As usual, Crowley's version of the card is more complicated than that of either
Mathers or Waite.
いつものように、カードのクロウリー氏の版は、マサース氏やウェイト氏のどちらのそれ
よりも複雑である。

His figure, which emphasizes the Cross and Triangle, is suspended from the Egyptian
Ankh, a form of Tau.
彼の人物像は、「十字」と「三角形」を強調し、「タウ」の形である、エジプトの「アンク
十字」から吊されている。

Behind it are the Elemental Tablets, (*167) summing up all of nature.
その背後には、「元素の銘板たち」(*167)があり、自然の全てを要約する。
--- ここまで ---

ちなみに、(*167)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 272) ---
167. The Enochian Tablets are described at length in Regardie's Golden Dawn,
v. IV, 260ff.
167. 「エノキアン・タブレット」は、リガルディ氏の『ゴールデン・ドーン』、第4巻、
260ページ以降に、詳細に述べられている。
--- ここまで ---
とあります。

トート版は、ゴールデン・ドーン版やウェイト版と比べると、かなり象徴が増えています。
でも、それらの付け加えられた象徴は、どれもが「蛇足」に見えてしまうというか、低次元
のものが混入しているみたいで、ゴチャゴチャ感というか低俗感が否めないんですよね。
要するに、ワタシの感覚が、このカードのデザインに、ワクワクするような「高い何か」を
感じることが出来ないためなのですが、その原因が、このカード自体にあるのか、ワタシ
自身のレベルによるものなのかは、今のところ不明なのでした。
0339名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/01/05(日) 06:41:22.83ID:eER02Nkw
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 190) ---
His left foot hangs from a coiled serpent which is the "creator and destroyer who
operates all change."
彼の左足は、「全ての変化を生み出す、創造者であり破壊者」である、巻き付けられた蛇
から吊り下がっている。

The lower serpent represents the effect of the work of God: "Through his Work
a Child is begotten, as shown by the Serpent stirring in the Darkness of the Abyss
below him." (*168)
下の蛇は、「神」の仕業の効果を表す:「彼の『御業』を通じて、彼の下の『深淵の暗闇』
の中でかき混ぜる『蛇』により示されるように、『子』は生まれる。」 (*168)
--- ここまで ---

ちなみに、(*168)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 272) ---
168. Crowley, Book of Thoth, 98.
168. クロウリー著、『トートの書』、98ページ。
--- ここまで ---
とあります。

トート版の「12:吊られた男」の人物像は、アダムやイヴ、そしてイエスを生み出した「主」
の化身であると推定できるのですが、その「主」の像に「蛇」が巻き付くというのは、少々
違和感があります。
そして、この「蛇」は、『トートの書』によると、「13:死」にも関係しているということ
なのですが、前に述べたように「13:死」と「12:吊られた男」は、近くて遠い関係にあり、
月とスッポンを、同じ「丸」で描くのと同じように「蛇」を描いていることについても、
かなりの抵抗感があります。
ワタシとしては、ここには「蛇」を書く必要は全く無いというか、書くことは「蛇足」で
しかないと思うわけですし、せっかくの「母字の水」の属性が、陸生の「蛇」が存在する
ことにより、うやむやになってしまっていますしね。
0340名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/01/06(月) 06:11:02.56ID:9drZgBkF
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 190) ---
22. THE PATH OF LAMED
22. 「ラメド」の小径

Justice
正義

The Eleventh Key
11番目の鍵(大アルカナ)
--- ここまで ---

ここから、「生命の木に基づく大アルカナ」の章の中での新しい節になります。

サブタイトルは「ラメドの小径」です。

この「小径」は、我々が知覚可能である「星幽的三角形」から完全に離れた最初の「小径」
であり、もはや我々の知恵や知識、直観や感覚などは、全く通用しません。
つまり、大アルカナ自体が形而上学的(メタ)なものでしたが、さらに、ここから先は、
形而上学的なものの形而上学的なるもの、つまりメタメタなシロモノたちを考察していくと
いうメタメタな流れになっていくわけですよね。
つまりは、人智を越えるシロモノというか、誰も正解を導き出すことは出来ないわけです
ので、ここから先は、一種の頭の体操というか、酒の席でのホラ話に近いというか、要は
話のネタとしての「カバラ」や「生命の木」や「タロット」などの、魔ヲタ趣味全開の話
となってしまいますので、くれぐれも真に受けることのないようにお願いします。

さて、この「11:正義」ですが、天界から下る「燃える剣」のルート上にあることと、上位
世界から「劣化ケテル」であり要(かなめ)でもある「ティファレト」に最終的に流入する、
つまり上位世界の流れの取りまとめ役となる、極めて重要かつ影響力の大きい位置にある
ため、他の上位カードと比べると、我々のような下々の者にとっても、比較的その意味が
想像し易い、つまりメタメタな世界の入門者向け感のあるカードではないかと思います。
0341名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/01/09(木) 06:04:19.56ID:na0fMFG7
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 190) ---
□ PATH COLOR: Emerald Green
□ 「小径の色」:「エメラルドグリーン」

□ RELATED SOUND: F Sharp
□ 「関連した音」:「Fのシャープ」

□ SIGN: Libra (Cardinal Air)
□ 「宮」:「天秤宮(活動宮の空気)」

□ MEANING: Ox Goad
□ 「意味」:「牛突き棒」

□ SIMPLE LETTER: Work
□ 「単字」:「労働」

□ ESOTERIC TITLE: The Daughter of the Lords of Truth; the Ruler of the Balance.
□ 「秘伝的な称号」:「真実の主の娘;天秤を持つ者(均衡の支配者)」
--- ここまで ---

最後の「the Ruler of the Balance/均衡の支配者」は、「The Holder of the Balance
/天秤を持つ者」の誤記ではないかと思われます。

この本の、この文章の右側には、「牛突き棒」と、ヘブライ文字の「ラメド」、および
「生命の木」における「ラメドの小径」の位置が図示された絵が描かれています。

この「ラメドの小径」は、初めて出てくる「倫理的三角形」を形成する「小径」であり、
我々が今まで見てきた下位の「小径」と比べると、メタ度が一段と上がります。
つまり、ここに書かれている文章は、ほぼ「読むに値しない」ということになりますので、
あくまでも参考というか、ほぼ全てがネタであることを、ご承知おき下さい。
0342名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/01/11(土) 06:43:01.22ID:gMcS0vKo
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 190) ---
THIRTY TWO PATHS OF WISDOM: The Twenty-second Path is the Faithful Intelligence,
and is so called because by it spiritual virtues are increased, and all dwellers
on earth are nearly under its shadow.
「知恵の32の小径たち」:「22番目の小径」は「誠実な知性」であり、なぜならそれは、
それにより霊的な美徳が増し、地上の全ての住人たちは、ほとんどその影の下にいるために
そう呼ばれる。
--- ここまで ---

ここは、いつものように、ウェストコット氏の英訳版『The Sepher Yetzirah/セフェル・
イェツィラー(形成の書)』の「THE THIRTY-TWO PATHS OF WISDOM/知恵の32の小径」から
の引用です。

まずは、この「小径」の「Faithful Intelligence/誠実な知性」という属性を、どう解釈
すべきか悩むところですが、はっきり言って、よくわかりません。
少なくとも、我々の人智を越えたものであるということは分かるのですが、それを何かの
言葉として例えるというのが難しいんですよね。

「生命の木」の構成要素である10の「セフィロト」と22の「小径」は、その全てが重要で
あり、どれか一つでも欠けると成立しないわけであり、そういう相互作用というか関係性
という点で、想像力を働かせてみると、どちらかというと「総受け」体質がある感じが
するわけで、「11:正義」という名前や、その剣を持つ姿の怖さとは裏腹に、かなり慈悲
に近い属性を持つ、つまり「ゲブラー」の「無慈悲さ」を中和して「ティファレト」に
導く作用をしていることぐらいは想像できます。
また、その手の剣や天秤は、静的な飾りではなく、動的な実用物であり、常に忙しそうに
何かを切り刻んだり、バランスを取るように計量している様子も想像できます。
そして、もし人が「ティファレト」から「ゲブラー」へと昇るのであれば、それに必要と
なる資質を教えてくれたりするのかもしれません。
とはいえ、我々にとっては「雲の上の存在」ですので、その本当の姿を知ることも、語る
ことも難しいわけですし、後は各人の想像力にお任せするしかないのかな、と思います。
0343名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/01/12(日) 06:44:45.18ID:7VlTT666
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 191) ---
The Path of Lamed, JUSTICE is between Tiphareth and Geburah.
「ラメドの小径」である「正義」は、「ティファレト」と「ゲブラー」の間にある 。
--- ここまで ---

「11:正義」は「9:隠者」と対称位置にあり、「生命の木」の位置的には今まで出てきた
「13:吊られた男」と「10:運命の輪」に似た関係性があります。
つまり、「9:隠者」が「13:吊られた男」と似た関係であるなら、「11:正義」は「10:運命
の輪」に似た関係があるということですよね。
あと、「11:正義」が「formative/形成的」で「天秤宮=活動宮の空気=金星」であるのに
対し、「9:隠者」は「Activating/活動的」で「処女宮=柔軟宮の地=水星」であることも
考慮しておく必要があります。
そして、単字の「Work/労働」であることが、この「11:正義」の方向性を示していると
いうことになるわけです。

ということで、ワタシには、この「11:正義」とは、「ゲブラー」によって一旦破壊されて
精製されたマテリアルを元に、「ティファレト」という「美」の「Work/芸術作品」を
生み出す「芸術家」に見えるわけです。
そして、右手にある「剣」はまた、「彫刻刀」や「ペン」や「絵筆」などのツールであり、
左手にある「天秤」はまた、「調合皿」や「パレット」に見えたりします。
つまり、「11:正義」は、「単一」の原初カオス宇宙を、様々な彩りに満ちた多様性の
存在する世界へと変える「芸術家」としての「創造主」の働きをしているのではないか
と推察するわけです。

つまり、「ケテル」は単一属性でしたが、「ティファレト」は、「劣化ケテル」ではなく
「進化ケテル」であって、その進化は「11:正義」によりもたらされる芸術的な「分化」
であって、「ゲブラー」の火で融解した後、再結晶化した「宇宙の原石たち」を、剣で
整形して、秤で計量した後、「ティファレト」に注ぎ込むという流れになってきます。
そうなると、カードタイトルの「正義」って何なの?、ということになるわけですが、
ワタシ的には、まあそういうこともあるよね、という感じですかね。←意味不明ww
0344名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/01/13(月) 06:24:22.16ID:MQKjY7/m
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 191) ---
Lamed means ox-goad, the spear-like prod which keeps the ox moving down the road.
「ラメド」は、雄牛を道に沿って動かせ続ける、槍のような突き棒である、「牛突き棒」
を意味する。

This attribution points to the letter's special relationship with Aleph (ox) on
the Path of THE FOOL.
この帰属は、「愚者」の「小径」の上にある「アレフ」(牛)との、文字の特別な関係
を示す。
--- ここまで ---

「11:正義」と「0:愚者」は、「牛突き棒」と「牛」という関係にある、すなわち「0:愚者」
のエネルギーが道を外れないように、うまく制御する働きをしているということですかね。

例えるなら、強大なジェットエンジンやロケットエンジンの推進力の方向を制御するため
の補助翼や補助推進ノズルみたいな装置というか、そういった制御機構のような「11:正義」
の働きにより、「ケテル」から流出した強大なエネルギー流が、「劣化ケテル」である
「ティファレト」に、うまく収束して到達できるようになるという感じですかね。
まあ、全く地に足が着かない話ですので、しょせんネタと言えばネタなのですが、この
「牛」つながりの関係が、どこまでマジなのかもわかりませんし。

というわけで、「ケテル」から最初に流出する「0:愚者」と、「劣化ケテル」に最後に
流入する「11:正義」とは、「ハナ」と「トリ」の関係にあるわけですが、それが重要か
と言われれば、そもそも「生命の木」の流出ルートは複数あるわけですので、それ自体は
それほど重要ということでもありません。
それよりも、どんな働きをしているのか、ということに興味がありますよね。

ということで、この「Justice/正義」というタイトルと、手に「剣」と「天秤」を持つ
というエリート的な見た目にもかかわらず、「牛突き棒」と「労働」という、割と苦労人
的な文字の意味を持つ不思議なカードについて、もう少し妄想を膨らませていきましょう。
0345名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/01/14(火) 06:15:52.59ID:DPG14V0B
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 191) ---
Their interaction is exceptionally complex, although the essential principles can
be simply stated: JUSTICE maintains the balance of the Tree, so that the outpouring
energy of THE FOOL (this has sometimes been called the "Holy Ghost") will operate
within the confines of a natural pattern.
それらの相互作用は、並外れて複雑ではあるが、けれども本質的な原則たちは簡単に述べる
ことができる:「正義」は、「愚者」(これは時々「聖霊」と呼ばれることがある)の流出
する精力が、自然な様式の境界たちの範囲内で作動するために、「木」の平衡を維持する。
--- ここまで ---

まあ、「生命の木」の上位にある存在は、そのどれもが「exceptionally complex/並外れて
複雑」、すなわち常人にはまともには理解できないシロモノではありますが、それでも、
「木」の基本的原則である「balance/平衡」は、絶対的なものであるということであり、
その最終的な責務を、この「11:正義」が負うということになっているわけです。

つまり、「木」のどの部分を見ても、すなわちフラクタル的な視点での「絶対的な平衡」が
あり、その平衡が崩れると、この宇宙が消滅しかねないということですよね。
まあ、このあたりの概念は、サイエンス・フィクションの世界に通じるものがありますが、
それが何であれ、「木の平衡」と「宇宙の平衡」の関係性を保つということは、とても
面白い概念ではないかと思うのでした。

とはいえ、この「11:正義」は、中間管理職の位置にあるため、上位存在のワガママを聞き
ながら、それらを取捨選択してアレンジし、下位存在にうまく伝達するという、なかなか
胃が痛くなるような激務をこなさないといけないわけです。

「11:正義」は、その見た目は少し怖いところはありますが、我々からは直接見ることの
出来ない、つまりこの世界の裏方として暗躍している、そういうとても有能な存在が、
我々の宇宙を陰からしっかりと支えてくれているということに、ちょっとだけ感謝したく
なるような存在ではないかと思うのでした。
0346名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/01/15(水) 06:06:28.61ID:kwJ5DVac
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 191) ---
JUSTICE is the administrator of the laws of Binah, written by THE HIEROPHANT.
「正義」は、「法王」により書かれた、「ビナー」の法律たちの管理者である。

It is the "Ruler of the Balance."
それは「均衡の支配者」である。
--- ここまで ---

「秘伝的な称号」からの参照である「Ruler of the Balance/均衡の支配者」は、「The
Holder of the Balance/天秤を持つ者」の誤記ではないかと思われます。

さて、この「11:正義」の「the administrator of the laws/法律たちの管理者」の役割
ですか、この「administrator/管理者」というのは、司法における「裁判官」というより
は、行政における執行官のような役割になります。
ついでに言うと、「11:正義」の「小径」は、「生命の木」の上位構造である「ケテル」〜
「ティファレト」における最終の「小径」、すなわち最も下っ端の役人という地位にあり、
「5:法王」や「ビナー」に限らず、様々な上位役人たちが押しつけてくる無理難題を忖度し、
「ティファレト」の「美」にも配慮しなければならない上に、「炎の剣」ルートにある
メインエネルギーの流出制御という力仕事もこなさなければならないという、とんでもなく
ブラックな職場でもあるわけです。

そもそも、「ティファレト」には、流入ルートとしては、「2:高等女司祭」「4:皇帝」
「6:恋人」「9:隠者」「11:正義」という、最多の5ルートが存在するわけで、それらの
折り合いを付けるための重要な役として「11:正義」があることを忘れてはなりません。

ということで、我々には直接関係ない上位世界での話ではありますが、とても大変な仕事
を日々こなしてくれる「11:正義」のおかげで、この宇宙の平和が保たれているという
ことであり、そこには「善」も「悪」もなく、万能十徳ナイフを手にし、天秤棒をかついで、
日々の雑用と使いパシリに追いまくられている、下っ端役人の献身的な働きぶりに、
改めて感謝なのでした。
0347名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/01/18(土) 07:17:46.29ID:ES2CMdwj
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 191) ---
It is called the Faithful Intelligence "because its spiritual values are increased,
and all dwellers on earth are nearly under its shadow."
それは、「その霊的な美徳が増し、地上の全ての住人たちは、ほとんどその影の下にいる
ために」、「誠実な知性」と呼ばれる。

This should not be interpreted to mean the Intelligence of faith.
これは、「信仰」の「知性」を意味するように解釈されるべきではない。

Rather it is the Intelligence which is faithful to that symbolized by THE FOOL.
むしろそれは、「愚者」により象徴されるそれに「誠実」である「知能」である。
--- ここまで ---

この「spiritual values are increased/霊的な美徳が増し」という部分は、「11:正義」
が、「霊的な美」である「ティファレト」に繋がるという点から納得できます。
そして、「劣化ケテル」でもある「ティファレト」は、地上の全ての住人たちにとっては、
ほぼ完全にその影響下にあるわけです。
そういう意味では、「0:愚者」と「13:死」、「11:正義」と「22:宇宙」は、「上の如く
下も然り」の関係にあると言うことも出来ますよね。

さて、「11:正義」が、「0:愚者」にとっての「誠実な知性」であるとのことですが、
これは何となく「愚者=子」と「正義=母性」というような関係性を想像します。
要は、権威的なもので下界を制すというよりも、血の繋がり的というか、何かこううまく
言えないけど、激輝光の「ケテル」で産み出された何かを元にして、「ゲブラー」の厳しさ
を通じて、「ティファレト」の輝くような暖かみのある「子」に育て上げるような、そんな
やさしさと慈愛に満ち、そして厳しさも兼ねたものを感じるわけです。
つまり、「11:正義」は、霊的な「育ての親」であり、「9:隠者」との関係を考えると、
少なからぬ母性もあって、「才色兼備」な存在であることも想像できます。
まあ、冷徹に見える「11:正義」とは少々イメージが違うかもしれませんが、カバラ的には、
かなり女性的なイメージの強いカードとなっているわけなのでした。
0348名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/01/19(日) 07:07:49.79ID:h3hfx1Ch
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 191) ---
Without Lamed, Aleph could not function as it does.
「ラメド」なしでは、 「アレフ」はそれがするように機能することはできない。

Moreover, the entire Tree of Life is related to the Twenty-Second Path, the number
of which is the totality of all the Paths.
さらに、全体の「生命の木」は、全ての「小径たち」の総計である数である、「22番目の
小径」に関連している。

JUSTICE is not one solitary figure or force, it is an amalgam of all the Paths
which are self-focused.
「正義」は、1つの孤立した形態や力ではなく、それは、自己に焦点を合わせる、全ての
「小径たち」の合成物である。

The alignment of forces has been described as being within the essential life
force symbolized by THE FOOL.
力たちの提携は、「愚者」により象徴される本質的な生命力の内にある存在であると
述べられ続けている。
--- ここまで ---

「11:正義」=「ラメド」=「Ox Goad/牛突き棒」と「0:愚者」=「アレフ」=「Ox/牛」
という関係から、「11:正義」と「「0:愚者」の関係性が強調されていますが、それよりも、
「ティファレト」が「生命の木」の「セフィロト」全体の「要(かなめ)」であるように、
「11:正義」は「生命の木」の「小径たち」全体の「要(かなめ)」であることが重要です。
つまり、「11:正義」は、上からの無理難題と、下からの不平不満をソツなくこなす、
千手観音みたいに超有能な中間管理職という、とても有り難い存在なのです。

とはいえ、我々のような下々の者は、そのような有り難い存在を知るすべもなく、ごく
当然のように、一方的にその恩恵を享受しているわけですが、だからといって、何か
恩返しが我々に出来るのかと言われれば、特に何もないよね、ということなのでした。
0349名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/01/21(火) 06:15:03.63ID:EVcJBdOY
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 191) ---
The activity of JUSTICE is at work continuously in the above and below, in the
Greater Universe and in the individual soul.
「正義」の活動は、上と下において、「大宇宙」において、そして個々の魂において、
継続的に働いている。

Taken to the most mundane, as we drive a vehicle down the road, JUSTICE is our
correcting of the wheel back and forth in either direction to keep the vehicle
centered.
最もありふれた例を挙げると、我々が道に沿って車を運転するように、「正義」とは、
車を中央に保つために、どちらかの方向に、車輪を前後するような、我々の修正である。
--- ここまで ---

「11:正義」は、他の個性的なカードたちとは違って、どちらかというと受け身というか、
それほど押しの強くないタイプのカードです。
つまり、普段は目立たないというか、気づかれないというか、あまり気に留めてもらえ
ないタイプであって、どちらかというと、個性の強いみんなの陰に隠れて、こっそりと
活躍している苦労人のタイプなんですよね。

それは、「生命の木」の「ケテル」〜「ティファレト」間の上位世界においては、最も
下っ端であるということも関連しているのですが、そういう上位世界の舵取りが出来る
のは、この「11:正義」以外には無いというぐらい、適役となっているわけです。

ワタシは、どちらかというと個性の強い派ですので、こういう「11:正義」みたいな舵取り
役というか調整役の人が近くにいてくれると、とても助かるわけですけど、現実には、
そういう有能な人って、いないんですよね。
で、修正がうまく行かずに、暴走すると・・・・。

それはともかく、我々からは、なかなか見えづらい位置にあるのと、直接わかりにくい
機能であるため、結局のところ、よくわかんないよね〜、というのが結論なのです。
0350名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/01/22(水) 06:12:56.67ID:Xk/vMTFu
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 191) ---
Such a purposeful equilibriating function occurs in our bodies, where nourishment
must be balanced and continual to keep them operating as proper repositories for
the Spirit.
そのような意図的な平衡化機能は、我々の肉体たちの中に存在しており、そこでは、それらを
「霊」のための適切な貯蔵所として機能させ続けるために、栄養は釣り合いが取れていて
継続的でなければならない。

And an equilibriating function occurs in our personalities, where no constant extreme
of behavior can be tolerated if we are to operate effectively in our environments.
そして、平衡化機能は、我々の人格たちの中に存在しており、そこでは、もし我々が我々の
環境たちの中で効果的に仕事をすることになるのであれば、行動の絶え間ない極端は、
全く許容することはできない。
--- ここまで ---

この「equilibriating」は、「equilibrating/平衡させる」が正しい表記ですかね。

ということで、「生命の木」の「小径」の「要(かなめ)」の位置にある「11:正義」の
発揮する「equilibrating function/平衡化機能」は、下位世界の「肉体」や「人格」
においても、バックグラウンドで効果的に発動しているということですよね。

逆に言えば、この「11:正義」以前の状態、すなわち「ティファレト」に至る以前の状態
は、大きくバランスが崩れていることが許容できるということでもあるわけです。
まあ、我々が知らない世界の話ですので、どうでもいいことではあるわけですが、極端な
存在たちがせめぎ合う状態って、あまりうまく想像できない世界ですよね。

つまり、「11:正義」は、バランスを取るという「調整弁」みたいな働きをしているため、
それゆえ、ここから先の世界は、さらに見え難くなっていることは否めません。
我々にとって、「ティファレト」より上位の世界は、こういった色々な関門があるので、
そう簡単には上がれないんですよね。
0351名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/01/23(木) 06:06:07.17ID:7QE47t03
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 191) ---
Justice works both through reason and through natural force.
「正義」は、理性を通じてと、自然の力を通じての両方で働く。

We may decide to bring something of ourselves into balance, but if we do not make
that decision, it will be made for us.
我々は、我々自身の何かを平衡に至らせることを決定することができるけれども、もし
我々がその決定をしないのであれば、それは我々のために為される。
--- ここまで ---

「11:正義」のある上位世界における「reason/理性」と「natural force/自然の力」が、
どのようなものなのかは推察することは難しいのですが、それらのバランスの取れたもの
が「ティファレト」へと流入した後、「自然の力」が「ネツァク」へと、そして「理性」
が「ホド」へと流出していくことが想像できます。
つまり、そういう下位世界における「理性」と「自然=感情と本能」のバランスを保つ
機構が、この「11:正義」にあり、我々が自らの意思、すなわち「理性や感情や本能」で
判断せず、「運を天に任す」というデフォルトを選択した場合は、この「11:正義」が
暗躍するというメカニズムになっているというわけです。

つまりこれは「人事を尽くして天命を待つ」ということに通じているわけであり、それは
単に「何もせずに人任せにする」ということではなくて、我々自身の能力を超えるもの、
つまり「上位世界」に属するものの判断は、上位存在である「11:正義」に任せてしまえば
良いということを言っているわけです。

とはいえ、我々からすれば、「神の判断」なんてものは矛盾に満ちたものにしか見えない
わけですし、こればかりは自らの意思でどうなるものでもありませんので、やれることを
やった後は「なるようになる」のを待つしかないのかな、と思います。

そして、思うような結果が得られなくても、それが「神の選択」であるのなら、神に対して
愚痴りながら、その後始末をするということになるわけですよね。
0352名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/01/24(金) 05:57:21.52ID:05zGo3Ww
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 192) ---
If we deprive our bodies of sleep, we find ourselves forced to rest.
もし我々が我々の肉体たちから睡眠を奪うならば、我々は、我々自身が休むことを強制
されるのを見つけす出す。

We may simply collapse.
我々は単に衰弱するかもしれない。

The same process occurs at all levels of Justice (i.e., through the Four Worlds).
同じ過程が、「正義」の全ての段階たちで(すなわち、「四つの世界」を通じて)起こる。

We may make a conscious decision, or it may be made for us.
我々は意識的な決定をするかもしれないし、さもなければ、それは我々のために為される
かもしれない。

In any event, this Intelligence is "Faithful;" it guides and protects us.
いずれにしても、この「知性」は「誠実;」であり、それは我々を導き、保護する。
--- ここまで ---

「11:正義」とは、何かを強制するという感じのものではなく、どちらかというと、我々が
極端に走らないように、ごく自然な感じで、正しい方向に誘導したり、目に見えない力で
路線を修正してくれたりするようなものです。
つまり、我々の行動がよほど極端でない限り、上位世界の「11:正義」による修正圧力を、
直接感じることは無いわけですが、それでも、下界における様々な修正圧力の裏では、
「11:正義」から流出した修正パワーが、があまねく暗躍しているという話です。
とはいえ、あまりに普遍的すぎるというか、基本概念が宇宙創造の根幹に関わるほど遠大
であるため、我々は「11:正義」とは何かを決して知ることは出来ないままで、あーでも
ない、こーでもないと、無駄な議論を交わすことしか出来ないのが現状なのですよね。
え、これも無駄な議論なのかって?
あそらく、いや確実に無駄な議論だと思います。(キッパリ!)
0353名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/01/25(土) 05:37:50.65ID:oZScT9rb
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 192) ---
Crowley's title, Adjustment, is appropriate.
クロウリー氏の題名である「調整」は、適切である。

This is a Path where whatever is necessary is done to bring the organism into
equilibrium, a process which, as the symbol of the sword suggests, is not always
pleasant.
これは、有機的組織体を、均衡をもたらすために必要なことが何でもされる「小径」で
あり、この過程は、剣の象徴が示唆するように、常に楽しいわけではない。

This is the sword of Geburah which cuts away all that which is unnecessary, the
extraneous dead wood of nature.
これは、余分なもの、自然の無関係の枯れた木を、全て切り落とす「ゲブラー」の剣である。

It is a severe experience, though no punishment is implicit.
それは容赦の無い経験ではあるが、けれども、懲罰が暗に含まれてはいない。

There is no question of good, bad, right or wrong.
そこには、良い、悪い、正しい、もしくは間違いという疑問は無い。
--- ここまで ---

トート版では、「Justice/正義」ではなく「Adjustment/調整」というカード・タイトル
となっていますが、これは、カバラ的には、「正義」よりも適切な用語となっています。
そもそも、この位置は、下々の訴えを裁く裁判官と言うよりは、上からの命令を忠実に
実行する行政執行官みたいなポジションであって、神々からの命令には、良い/悪い/
正しい/間違いとかも無く、黙々と上位世界より与えられた命題を解読しながら、矛盾の
無いように下位世界を管理実行していくというのが、中間管理職としての仕事なわけです。
つまり、この剣は、権威の象徴ということではなく、あくまでも業務遂行のための道具
であり、バリバリの実用品でもあるわけで、調理師や彫刻家のように、日々様々なものを
剣と秤を使って取捨選択しながら、形を作り上げていくわけなのでした。
0354名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/01/26(日) 06:10:50.33ID:V27EQP5R
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 192) ---
As Gareth Knight expresses it: "The point to remember in all this is that all the
God-Forms are aspects of the soul itself and not external agencies.
ガレス・ナイト氏がそれを表現するように:「この全てにおいて覚えておくべき点は、
全ての「神の形態たち」は、魂それ自身の様相たちであり、外的な代理者たちではない
ことである。

Thus the process may be considered psychologically as a condition of
self-assessment." (*169)
従って、過程は、心理学的には自己評価の状態と見なされるかもしれない。」 (*169)
--- ここまで ---

ちなみに、(*169)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
169. Gareth Knight, Practical Guide, v. II, 116.
169. ガレス・ナイト著、『実践的入門書』、第二巻、116ページ。
--- ここまで ---
とあります。
なお、この『Practical Guide/実践的入門書』は、『A Practical Guide to Qabalistic
Symbolism/カバラ主義の象徴主義に関する実践的入門書』のことだと思われます。

さて、このガレス・ナイト氏の言う「God-Forms/神の形態たち」とは、下界に住む我々が
想像により創造した神々のことを指していますので、この「11:正義」のあるレベルとは、
直接の関係は無く、あくまでも「月とスッポン」の関係でしかないことに留意しておく
必要があります。
つまり、「11:正義」は、本来は我々の外にあるものであって、何か我々の役に立つような
シロモノではないけれども、「実践的」という名目で、半ば強引に、それを現世利益的に
解釈するならば、もはや何でもありの「psychologically/心理学的」な手法と「上の如く、
下も然り」の原理を適用して解釈することにより、「condition of self-assessment/自己
評価の状態」であると見なしてみてもいいかもね、ということですかね。
0355名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/01/28(火) 05:43:22.80ID:aSkGTgOp
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 192) ---
The soul weighs itself on the scales in the left hand and then makes necessary
adjustments wielding the sword in the right.
魂は、左手に持つ天秤で、それ自身の重さを計り、それから、右手に持つ剣を振るって、
必要な調整たちを行う。

One will observe that when the Sephiroth are placed in the human body, Geburah
is at the right hand and Chesed at the left. (*170)
人は、「セフィロト」が人体の中に置かれた時、「ゲブラー」が右手にあり、「ケセド」
が左にあることに、気づくだろう。(*170)
--- ここまで ---

ちなみに、(*170)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
170. In the exercise of the Middle Pillar, they are visualized at the right and
left shoulders.
170. 「中央の柱」の行法においては、それらは右肩と左肩で視覚化されている。
--- ここまで ---
とあります。

こういう記述を見ると、なぜ「生命の木」全体のバランスにおいて、最も重要な要(かなめ)
である「11:正義」が、「中央の柱」には無いのかという疑問が湧くわけですが、それは
「2:高等女司祭」との力関係ということになるわけです。
つまり、「2:高等女司祭」は象徴的なバランスであり、バランスの実務というか雑用は、
「炎の剣」のルート上にある「11:正義」が、下僕として一手に担うという関係ですよね。
でも、何かあると、全ての責任を取らされるという、とてもプレッシャーのかかる位置
でもあるわけで、そういう面においても、中間管理職というのは辛いのです。

とはいえ、こういうのはあくまでも、下位世界での例え話、つまりネタ話でしかないこと
に留意しておく必要があるのは、言うまでもないことですけどね。
0356名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/01/29(水) 05:54:36.79ID:wTBd0vRU
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 192) ---
The sword of JUSTICE, the weapon of Elohim Gibor (God of Geburah) is fearful.
「正義」の剣である、「エロヒム・ギボール(ゲブラーの神)」の武器は、恐ろしい。

It can be swift and devastating in its cutting away of what is no longer needed.
それは、もはや必要とされないものを、それが切り離すことにおいて、迅速で破壊的である
ことができる。

It can make war; it can enforce peace.
それは戦争をすることができる;それは平和を強いることができる。
--- ここまで ---

「11:正義」は、上位世界の存在ですので、その手に持つ剣が、たとえ「ゲブラー」の剣で
あったとしても、我々には、もはや何の関係も無いわけですが、とりあえず「上の如く、
下も然り」の原理を適用して、例え話みたいな感じで語っている感じです。

とはいえ、下界における「正義」というシロモノは、とても胡散臭いものであることは、
皆さん、よくご存知ではないかと思いますし、そういう胡散臭いものに、この「11:正義」
を例えるというのは、かなり気の進まないことでもあるわけです。
そういう意味でも、クロウリー氏が、このカードのタイトルを「11:調整」に変えたのは、
正解だと思います。
ついでに、剣を、より実用的なナイフや包丁に変えてくれれば、もっとしっくり来るわけ
ですが、そこまで変えると、伝統的な「正義」派の人からはクレームが出てきそうですね。

いずれにしても、「war/戦争」は「ゲブラー」の属性であって、「11:正義」には、
ほとんど存在しませんし、武力という外力によって「enforce peace/平和を強いる」
こともありません。
要するに、上位世界の「剣」は、指揮棒というか、上から流入してくるエネルギー流たちの
調整弁のような働きをしているわけであって、下々の者たちを、「正義」だ「悪」だと
決めつけて、切って捨てるような、そんな陳腐な存在ではないと思っております。
0357名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/01/31(金) 06:21:11.41ID:GS2SYoAw
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 192) ---
But the sword has two edges, one of which destroys and the other of which consecrates
as in the conferring of knighthood.
しかし、剣は2つの刃たちを持っており、その一方は破壊を、そしてもう一方は、ナイト爵位
を授与する時のように神聖化する。

The cutting away of the negative aspects of body and soul is a return to purity,
a consecration.
肉体と魂の否定的な様相たちの切り離しは、純潔への回帰であり、神聖化である。

This idea of renewed purity is reinforced by the attribution of Libra and the
kidneys, which cleanse waste from the body system.
この復活された純潔の考え方は、肉体組織から老廃物を浄化する、「天秤宮」と腎臓たち
の帰属により補強される。
--- ここまで ---

「11:正義」の持つ「sword/剣」には、「破壊」と「神聖化」の両面があります。
そして、その「神聖化」とは、現世においては「悪霊退散」という意味を持つものですが、
あの世、いやいや上位世界においては、この「11:正義」は調理師や彫刻家ですので、
その刃は、作品にとっての不要なものの除去、という意味で作用します。

そして、「11:正義」に配属される「天秤宮」は、占星術においては、人体器官の「腎臓
たち」を支配しているので、それが「剣」の持つ「神聖化」と同列に論じることが出来る
という、少々強引なこじつけとなっております。

でもまあ、この下界においては、「腎臓」により浄化されたものは「waste/老廃物」など
ではなく、「聖なる水」であるという考え方も一部にはありますので、そういう見方も、
あながち間違いではないかと思いますし、それに何より「腎臓」は、人体内部のバランスを
保ち、そして人体と外界とのバランスを保つための、とても重要な「要(かなめ)」の
器官であることも確かですしね。
0358名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/02/01(土) 06:48:10.81ID:E9xZVvMV
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 192) ---
Another parallel, suggested by some writers, is that this Path relates to Purgatory,
a condition of consciousness after death where the soul is cleansed of the dross
of its earthly incarnation.
何人かの作家たちにより示唆された、もう一つの類似点は、この「小径」が、死後の意識の
状態であって、そこでは魂がその地上での肉体化の不純物から浄化される、「煉獄(れんごく)」
と関連することである。
--- ここまで ---

カバラ的な解釈ではない、伝統的な解釈においては、この「11:正義」は、死者の魂を裁く
「閻魔大王」みたいな存在であって、死者の魂は、その天秤による裁きに従って、天国逝き
となるか地獄逝きとなるかが決まるという役割があると言われています。

もちろん、この下位世界の範疇での解釈は、カバラによる解釈、つまり上位世界での解釈
とは相容れないものですので、無視しても良いレベルのものです。

というか、たとえこの「11:正義」が「魂の浄化」に関係するにしても、「死者の魂」が、
「11:正義」の「小径」を通じて「ティファレト」より上位のセフィロトに到達することは
出来ませんし、それゆえ我々は、ほぼ一方的に「11:正義」の恩恵を受けるだけの存在、
すなわち善人であれ悪人であれ、等しくその恩恵を受けて浄化され再生されてリサイクル、
いやいや輪廻転生を繰り返すということになるわけです。

じゃあ、カバラ的に言うと、どのカードが「閻魔大王」っぽいのかと聞かれれば、
ワタシ的には、「ティファレト」の下流である「13:死」「14:節制」「15:悪魔」あたりが
適当ではないかと思います。
まあ、デザイン的には、さらに下流にある「20:審判」のような気もするわけですが、
こちらは、死ななくても経験できる「小径」であることと、そもそも「母字の火」という、
宇宙の根源的な属性が付けられていますので、色々と面倒なんですよね。
とりあえず、ワタシの「閻魔大王」候補のイチ推しは、「11:正義」とは真逆のタイトルを
持つ「15:悪魔」あたりですかね。←個人的趣味ww
0359名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/02/02(日) 06:22:47.24ID:pLXACmBk
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 192) ---
Pursuant to the idea of incarnation and reincarnation, this card is said to represent
Karma, a principle generally understood as the reaping by a newborn soul of what
it has sown in past lives.
肉体化と輪廻転生の考え方に従って、このカードは、それが過去の人生たちの中でずっと
種を蒔き続けてきたことの、生まれたての魂による刈り入れとして一般的に理解されている
原則である、「業(カルマ)」を表すと言われている。

Paul Case, however, insisting that the term has been often misunderstood, states
that what Karma really means is action.
しかしながら、ポールケース氏は、この用語がしばしばずっと誤解され続けていると主張
して、「業(カルマ)」が本当に意味していることは「行動」であると述べている。

This is an action which is a continuous adjustment.
これは、継続的な調整である行動である。
--- ここまで ---

「Karma/業(カルマ)」は、一般的には、輪廻転生における因果応報を意味する言葉で
あると考えられていますが、この言葉の元来の意味は、「行動/action」てす。

つまり、過去の善行や悪行などの結果に対する裁きなどではなく、現在の行動に対して
継続的な「adjustment/調整」を行うという、極めて現実的な作用を司るということで
あり、カバラ的には、「閻魔大王」のような役割を担うことは無いということです。

そもそも、「11:正義」の存在する上位世界においては、過去・現在・未来という実時間軸
そのものが無いわけですし、常に虚数時空で動いているというか、とにかく我々の概念
の持つ概念では掴み所の無い想像上でしかない世界ですので、あまり真面目に考えない
方がいいと思うのですよ。
つまり、白無地のパンツのみOKで、それ以外は禁止みたいな風紀委員的な下界の校則を、
この上位世界に持ち込むことは、いささか的外れであるということなんですよね。
0360名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/02/03(月) 06:04:11.95ID:awbDIxuY
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 192) ---

He also describes this key as related to education, insofar as Lamed means to
teach. (*171)
彼はまた、「ラメド」が「教える」ことを意味する限りにおいて、この鍵が「教育」に
関連すると述べる。 (*171)

This is an especially interesting observation, not found elsewhere.
これは、他の場所には見られない、特に興味深い観察である。

The conscious maintenance of balance is definitely a learning process.
平衡の意識的な維持は、明確に学習過程である。
--- ここまで ---

ちなみに、(*171)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
171. Case Introduction to Tarot, Lesson 6,6; Tarot Fundamentals, Lesson 25, 1ff.
171. ケース著、『タロット入門』、第6課、6ページ;『タロットの基礎』、第26課、
1ページ以降。
--- ここまで ---
とあります。

「ケテル」から発散したエネルギーが、「ティファレト」へと最初に収束する流れの制御
において、「炎の剣」のルート上にある「11:正義」が、非常に重要な舵取り役を担って
いるということは間違いないわけで、それゆえ優秀なる中間管理職であるとも言えます。
そして、その中間管理職の職務として、部下たちの教育を担っているというのも、確かに
一理あるわけで、このケース氏の思いつきは、決して悪くはないな、と思えるわけです。

とはいえ、「11:正義」を、我々が見習うと言われても、全く次元の違うものですので、
何を見習ったらいいのか、いまいち想像がつかないというのが、難点なんですよね。
0361名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/02/04(火) 06:29:21.72ID:o5I13Hc4
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 192) ---
We learn, often slowly and painfully, how to analyze and re-balance ourselves as
necessary for different situations.
我々は、しばしばゆっくりと苦しみながらも、種々の状況たちにおいて、分析し、必要に
応じて我々自身を再び平衡させる方法を学ぶ。

The more we learn of the inner worlds, the more subtle and difficult this becomes.
我々が内なる世界たちのことをより多く学ぶほど、これはより微妙で困難になる。

Perfect balance is a formula so precise that the Egyptians symbolized its delicacy
as the human soul weighed against a feather.
完全な平衡は、とても精密な式であるので、エジプト人たちは、人間の魂が羽と天秤に
かけられるとして、その繊細さを象徴した。
--- ここまで ---

ここの記述は、あくまでも「下の世界」での話であって、「11:正義」のある「上の世界」
の話とは全く異なることに注意が必要です。

ちなみに、最後の文は、古代エジプト神話にある、マアト女神による「死者の審判」の
話であり、彼女は、天秤の一方に「真実の羽根」を、そしてもう一方に「死者の心臓」を
置いて、その軽重を判定するというものです。

とはいえ、「11:正義」は、今まで述べているように、「死後の世界における審判」という
結果論者とか、結果だけを見て物を言う評論家などではなく、我々の生きる世界において、
あまねく世界の平衡を「上なる世界」から見えざる力で支配する、現役のプレイング・
マネージャーとしての役割を担っています。
この辺りの解釈の違いは、しょせん上なる世界なんて、我々には知る由も無いわけで、
どうでもいいと言えばどうでもいいのですが、あまり「死後の世界」にこだわる必要も
ないよね、というのが、ワタシの考え方というか生き方なんですよね。
そもそも、そういう死後世界の話には、胡散臭いものが、ゴロゴロしていますしね。
0362名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/02/06(木) 06:03:13.86ID:odF1FVIR
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 192) ---
These ancients had a concept of "right, truth, law and rectitude" expressed by
the single word maat.
これらの古代人たちは、単一の単語「マアト」により表現される「正当、真実、法、および
正直」の概念を持っていた。

This originally meant "that which is straight," but came to mean also a rule, a
measure of some kind, or a law. (*172)
これは元来、「真っ直ぐであるもの」を意味していたけれども、規則、何らかの尺度、
もしくは法も意味するようになった。(*172)

Maat was symbolized by the feather, against which either the heart of the deceased
or his whole body was weighed.
「マアト女神」は羽により象徴され、それに対して、死者の心臓もしくは彼の全身のどちらか
が秤量された。
--- ここまで ---

ちなみに、(*172)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 273) ---
172. Budge, Gods of the Egyptians, v. I, 417.
172. バッジ著、『エジプト民族の神々』、第1巻、417ページ。
--- ここまで ---
とあります。

古代エジプト神話では、このマアト女神の「死者の審判」の話が有名ですが、実はそれ
以外にも大事な役割を担っているという話があります。
それは最初の宇宙の創造において、カオスな原宇宙に秩序をもたらし、そして、この秩序
ある宇宙を維持している普遍的存在であるという話です。
ワタシとしては、葬式宗教のネタにされるよりは、こちらの方が、「上位世界の存在」で
ある「11:正義」にふさわしい役割であるように思えます。
0363名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/02/07(金) 06:04:08.20ID:qzNMPVoC
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 193) ---
In illustrations, we find this weighing administered by Anubis, and the results
recorded by Thoth.
図解たちの中で、我々は、この計量が「アヌビス神」により管理され、そして結果たちが
「トート神」により記録されことを見つけ出す。

Crowley relates both of these Gods to the Nineteenth Path, STRENGTH, which is the
balance between Geburah and Chesed.
クロウリー氏は、これらの「神たち」の両方を、「ゲブラー」と「ケセド」の間の平衡で
ある、「19番目の小径」である、「力」と関係づける。

The implication is that the adjustment which takes place on the Twenty-Second Path
is administered and recorded through the processes of the Nineteenth Path.
その意味は、「22番目の小径」の上で行われる調整が、「19番目の小径」の過程を通じて
管理され記録されることである。
--- ここまで ---

「11:正義」の持つ平衡作用は、一見すると、「ゲブラー」と「ティファレト」の間にある
「22番目の小径」よりも、「ケセド」と「ゲブラー」との間にある「19番目の小径」、
すなわち「Strength/力」(クロウリー氏によると「Lust/欲望」)の位置にある方が、
何となくふさわしいようにも見えるのですが、この「倫理的三角形」の完全なる平衡を
保つことは、そんな単純なことではないという感じなんでしょうね。

ということで、クロウリー氏も、「生命の木」においては、この「8:調整」を、「22番目
の小径」に置いて、「ラメド」を割り当てています。
伝統的に「正義」に割り当たられていたカードの番号は「8」ということもあって、この
カード番号の付け替えという点において、色々と妄想の膨らむカードではあるわけですが、
最後は、理屈うんぬんの話ではなくて、どちらが気に入っているか、ということですので、
そもそも我々が知ることの出来る範囲外のことですし、この辺りのややこしい話には、
あまり深入りしない方が良いかと思います。
0364名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/02/08(土) 08:03:46.53ID:yWtOtvVC
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 193) ---
As a Goddess, Maat represented moral law and truth.
女神として、「マアト」は道徳的な法と真実を表していた。

She was, in essence, the personification of the concept of maat.
彼女は、本質的には、「マアト」の概念の人格化であった。

It is this Goddess who is shown on the Crowley card, crowned with her attribute,
the ostrich feather.
それは、彼女の属性である、ダチョウの羽で冠されて、クロウリー氏のカードにおいて
示されている、この女神である。

The weighing of souls is, of course, also implied in the Golden Dawn, Waite and
Marseilles versions, the latter two being medieval in tone.
魂たちの秤量は、もちろん、また、ゴールデン・ドーン、ウェイト、およびマルセイユの
版たちに暗示されており、後者の2つは、 中世風の色調である。
--- ここまで ---

「11:正義」は、占星術の「天秤宮」に配属されていますが、占星術では、この天秤は、
ギリシア神話の正義と純心の女神である「アストライアー」の持つ天秤とされており、
そして、「アストライアー女神」は、一説では「処女宮」の女神であるとされています。
「処女宮」は「9:隠者」に配属されており、それゆえ「11:正義」と「9:隠者」は「生命の木」
においては、左右対称の位置になっていて、両者は補完関係にあります。

ちなみに、神話では、「アストライアー女神」は天界神として、最後まで人間の住む地上界
に残り、そして最後に人間を見限り、地上を去って天界に戻ったということになっており、
「22番目の小径」が、もはや地上界との接点を失ったことを暗示しているかのようです。

つまり、我々は、この「11:正義」の上位世界には戻れないというか、見ることも触れる
こともできないほど、下の世界に墜ちきった物質的存在であるということなんですよね。
0366名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/02/09(日) 07:24:36.27ID:9YDXqP3B
>>365
お気遣い、ありがとうございます。(^^)/

まあ、物事には両面というか様々な面がありますし、
こういう騒動も、色々と考えさせられるものもありますよね。

個人的には、怖いというよりも、中国人観光客が減ったので、
これを機会に、国内での観光騒動というか観光公害が、
落ち着いてくれればいいな、と思います。

バブルの時も、文化の担い手である街が破壊されましたが、
観光騒動でも、あちこちで古きものが壊滅していますしね。

新しいものの方が、外来からの観光客は呼べるとは思うのですが、
古くからの住民としては、どうなんだろうな〜、とは思うのですよ。
0367名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/02/09(日) 07:26:17.17ID:9YDXqP3B
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 193) ---
In the Golden Dawn card the figure of a woman rests her feet on a jackal, the animal
attributed to Anubis who supervises the weighing of souls.
ゴールデン・ドーンのカードでは、女性の人物像が、 魂たちの秤量を監督する「アヌビス神」
に帰属される動物である、「ジャッカル」に彼女の両足を載せる。

She holds scales which, as in the Crowley card, are black as a reference both to
Binah and to Saturn.
彼女は、天秤を持っており、それは、クロウリー氏のカードにあるように、「ビナー」と
「土星」との両方の参照として黒色である。

This means not only assessment, but restriction, which is also time, an important
aspect of the administration of the law.
これは、評価だけではなく「制限」も意味しており、それはまた、法の管理の重要な面で
ある、「時間」でもある。
--- ここまで ---

「生命の木」の「要(かなめ)」である「11:正義」には、色々と付加属性が付いている
というか、そもそも上位世界においては、全ての「セフィロト」と「小径」が関連して
いるように見えるため、もはや何でもあり、言いたい放題の状態となっています。
それは、要するに「我々の人智の及ばない世界」であるからに他ならないというわけなの
ですが、そういう意味では、上位世界のカードを語るには、我々は、とにかく適当な
コメントを付けて、自身の知らないことも、知ったかぶりの評論家のように、それっぽく
語らないといけないということでもあるわけです。
もちろん、「上の如く、下も然り」であるので、占い師の如く、「下の世界での例え話」
に徹しても良いわけですが、それだと、このスレに書く意味が無くなりますので、
なかなか悩ましいところなんですよね。

というわけでして、とりあえず今後も淡々と翻訳は進めていく予定ではありますが、
一方で、ワタシの解説文は、今後も着々と劣化していくわけでした。←開き直りww
0368名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/02/10(月) 06:16:49.35ID:t7q/ASZ3
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 193) ---
By contrast, the Waite version, as well as that produced by the BOTA, shows golden
scales, meaning that the individual soul is measured as it stands within the pure
golden Light of Tiphareth.
対照的に、ウェイト版は、BOTAにより制作されたものと同様に、金色の天秤を表しており、
個々の魂が、「ティファレト」の純粋な金色の「光」の範囲内に位置したままで測定される
ことを意味している。

It is only under this Light that the sword of Geburah does its work, as is suggested
by the Maat legend.
この「光」の下でのみ、 「マアト女神」の伝説により示唆されるように、「ゲブラー」の
剣は、その任務を果たす。
--- ここまで ---

ゴールデン・ドーン&トート版と、ウェイト&BOTA版では、この「11:正義」の持つ天秤が、
「ビナー」属性なのか、「ティファレト」属性なのかという違いがあるということです。
ついでに言うと、マルセイユ版の「8:正義」の持つ天秤も金色系ですので、ウェイト版は、
それを踏襲しているというか、あえてそういう改変には乗らなかったと考えた方が良いかと
思います。

まあ、普通に考えれば、個々の魂の秤量に、偉大なる「ビナー」が関与するということは
考えにくいわけですし、そもそも「ティファレト」と「ビナー」の間の「小径」である
「6:恋人たち」の都合もありますので、「11:正義」の持ち物としては、「ゲブラー」の剣
だけにしておいた方が無難だと思うわけです。
そもそも、「魂の秤量」という仕事は、宇宙の平衡を司る「11:正義」の本来の仕事では
なく、あくまでも下々向けのサービスとして行っているものですので、そこに「ビナー」
が関与するようなものではありません。
つまり、もし「ビナー」の天秤が関わるのであれば、それはあくまでも宇宙の平衡のため
であって、そこには、「魂の秤量」とか「生前の善行」とかいう下々の概念は、何の関係も
無いということぐらいは、理解しておく必要があるということですよね。
0369名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/02/11(火) 06:00:17.38ID:RlpptinX
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 193) ---
Maat relates to the Sun God, Ra.
「マアト女神」は、「太陽神」である、「ラー」と関連する。

She is, in fact known as the "Daughter of Ra," as she is Qabalistically named the
"Daughter of the Lords of Truth."
彼女は、彼女が、カバラ主義者的に「真実の主の娘」と名付けられたように、実際に、
「ラーの娘」として知られている。

The Egyptians also called her "Queen of Heaven."
エジプト民族はまた、彼女を「天の女王」とも呼んだ。
--- ここまで ---

「マアト女神」である「11:正義」の「小径」は、カバラの「生命の木」理論によれば、
「太陽」である「ティファレト」とは、極めて密接な関係があります。
つまり、太陽の輝きのエネルギーの大部分は、炎の剣ルートである「11:正義」の「小径」
を通じてもたらされるということであり、それゆえ「11:正義」は、「太陽神」よりも
上位の存在であると考えられるわけです。

ちなみに、「11:正義」の「小径」を通過して「ティファレト」に至ることが出来るものは、
理論上その全てが「Truth/真実」であるということになります。
少々見方を変えるため、「Truth/真実」を「True/真」と言い換えますが、それでは
「ティファレト」へと流出できない「False/偽」は、どこに行くのかと問われれば、
それは上位世界に留まるということになります。
つまり、上位世界の真偽が混沌とした世界から、様々なルートを通じて、純粋に「真なる
もの」が「ティファレト」へと導かれてくるわけですが、その中でも最大のものが、この
「11:正義」からの流れであるという話になるわけですよね。

ついでに言うと、似たような概念として、「Real/実」と「Imaginary/虚」がありますが、
こちらは、より下位の概念であり、下界においても混沌として不可分なものとなっています。
0370名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/02/13(木) 06:27:36.36ID:UDupXCcQ
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 193) ---
Most important is that Maat is the regulator of the Path of the Sun.
最も重要なことは、「『マアト女神』が『太陽の経路』の調節者である」ことである。

The Egyptian texts suggest that it is through Maat that the Sun subsists, for Ra
is said to "rest upon Maat," and to "live by Maat." (*173)
エジプト語の原文たちは、「ラー」が「マアトで休む」、そして「マアトで生きる」と言わ
れているので、「マアト」を通じて「太陽」が存続していることを示唆している。 (*173)

In our terms this means that the principles of The Path of JUSTICE maintain
Tiphareth.
我々の用語においては、これは、「正義」の「小径」の原則たちが、「ティファレト」を
維持することを意味する。
--- ここまで ---

ちなみに、(*173)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 274) ---
173. Crowley, 777, 40.
173. クロウリー著、『777の書』、40ページ。
--- ここまで ---
とあります。
が、探してみたけど、そのような記述がありませんでしたので、未確認です。

とりあえず、古代エジプトの太陽神「ラー」と、真実の女神「マアト」の関係性は、
「生命の木」における「ティファレト」と「11:正義」の小径の関係性に相似していると
いうことですよね。
ちなみに、「マアト」は「ラー」の娘という扱いですので、成人した独身の娘に導かれて、
一日一回、天空の散歩道を介護されて歩く老父の姿を想像してしまうのですが、そもそも
「ティファレト」は「王子」扱いとなっていますので、どちらかというと、老父ではなくて
ヒモとしての扱いになるということで、いいんでしょうかね。←絶対に違うww
0371名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/02/14(金) 06:17:42.10ID:2m+4554l
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 193) ---
But insofar as Ra is the source of all Light, he is also THE FOOL.
しかし、「ラー神」が全ての「光」の源である限りにおいては、彼はまた「愚者」でもある。

Thus one can paraphrase, and say that Aleph rests upon Lamed and that Lamed is the
regulator of the Path of the Divine Life Force.
従って、言い換えれば、「『アレフ』は『ラメド』で休み、そして『ラメド』は『神の
生命力の経路』の調節者である」と言うことができる。
--- ここまで ---

古代エジプトの太陽神「ラー」と、真実の女神「マアト」の関係性が、いつのまにか
「0:愚者」と「11:正義」の関係に飛び火してしまいましたが、この辺りのネタの混乱、
いやいや密接な関係性については、クロウリー氏の『法の書』や『777の書』などにも、
色々と書かれています。

まあ、上位世界を直接語ることは難しいので、とりあえず「アレフ=牛」と「ラメド=
牛突き棒」という、分かりやすい関係性から、色々と想像を膨らませてみようということ
なのですが、この辺りは、理屈でうんぬんと言うよりは、言ったもん勝ちという面もあり
ますので、良い子は、あまり深く詮索しないようにしましょう。

いずれにしても、「11:正義=ラメド=牛突き棒」は、源泉である「ケテル」から噴き出す
エネルギー流を、きちんと中間チェックポイントである「ティファレト」へと集束させる
ための、制御弁というか姿勢制御弁みたいな役割を果たしており、それなくしては「生命の
木」の構造を維持できないという、非常に重要な役割を担っているわけですが、それは
どちらかというと「裏方の仕事」でもあるわけで、そのため、我々はあまりその働きを
直接知る機会は無いんですよね。
まあ、「11:正義」が何かのヘマをやって問題が起きれば、その働きを見ることは出来るの
ですが、そもそもヘマをやれば、この宇宙が消滅して、我々も消滅してしまいますので、
我々はそれを実際に経験することは、絶対に叶わないのでした。
つまりは、「11:正義」の真の姿は、誰も知らないということなんですよね。
0372名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/02/15(土) 06:37:39.53ID:SaRqDxiN
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 193) ---
The relationship between Aleph and Lamed conceals the greatest secret of the Tarot,
one which is, as Crowley said "beyond all planetary and zodiacal considerations,"
meaning Kether!
「アレフ」と「ラメド」の間の関係は、タロットの中で最も偉大なる秘密を隠しており、
その一つは、クロウリー氏が、「全ての惑星と黄道十二宮の考慮たちの範囲を超えて」と
言ったように、つまりそれは「ケテル」を意味する!

In his Book of the Law, [lamed][aleph] is the key to the entire Universe, revealing
a mystery of unspeakable profundity.
彼の『法の書』において、[lamed][aleph] は、「宇宙」全体への鍵であり、語ることの
できない深遠なる神秘であると明かしている。

On the Tree of Life, [lamed][aleph] is also the God Name of Chesed, the Demiurge
(Lesser Creator) from which Microprosopus is formed.
「生命の木」においては、[lamed][aleph]はまた「ケセド」の「神名」でもあり、そこから
「ミクロプロソプス(小さな顔)」が形成される「デミウルゴス(小さい創造主)」である。
--- ここまで ---

この「アレフ」と「ラメド」の関係性は、クロウリー氏が注目していて、彼の著作である、
通称『Book of the Law/法の書』、正式タイトルは『Liber AL vel Legis/ALもしくは
法の書』の中で語られています。(ワタシは読んだことは無いですけど。)

まあ、何が言いたいかと言うと、「アレフ=0:愚者」と「ラメド=11:正義(8:調整)」は、
互いに補完し合って、この宇宙全体を創造したということであり、そして、「ケテル」から
最初にカオス的に出てくる「0:愚者」の「小径」と、最後に整った形で「ティファレト」に
入ってくる「11:正義(8:調整)」の「小径」の位置関係というか、その機能性の関係という
のは、なかなかに良く出来た相互補完的な関係であるということですかね。

まあ、よくわかんないけど。
0373名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/02/16(日) 06:29:17.69ID:Vv9AFYZ1
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 193) ---
A great many planets are involved in this card.
非常に多くの惑星たちが、このカードに巻き込まれている。

First is Venus, which rules Libra, to which this Path is directly attributed.
1番目は「金星」であり、それは、この「小径」が直接帰属される、「天秤宮」を支配する。

Mars is related because this is an exercise of the purging energies of Geburah.
「火星」は、これが「ゲブラー」の粛正する精力たちの執行であるために、関連している。

The Sun is involved not only because the Path runs from the Sun to Mars, but
because Justice must take place in the clear bright sunlight of Truth.
「太陽」は、「小径」が「太陽」から「火星」に達するというだけでなく、「正義」は
「真実」の明瞭な明るい太陽光の中において行われなければならないというためにも、
巻き込まれる。

Saturn has already been mentioned, and is exalted in Libra.
「土星」は、すでに言及されており、そして、「天秤宮」においては高揚される。

Finally there is Jupiter, Planet of Chesed, and of [lamed][aleph].
最後に、「木星」は、「ケセド」の、そして [lamed][aleph]の「惑星」である。
--- ここまで ---

もはや何でもありのカオス状態ですが、そもそも上位世界の存在というのは、下界から
見れば、無敵というか、およそ意味わかんないほどの「何でもあり」の状態ですので、
ここで深く詮索する意味は全くありません。
そもそも、下界の我々が知る「惑星」の意味は、上位世界においては、何の意味も価値も
ありませんので、こういう関連付けは、宇宙の神秘を解き明かすというような学術的な
意味合いではなく、あくまでも妄想作品、いやいや神秘文学作品を生み出すための「ネタ」
としてのみ存在価値があるということに、留意しておく必要があるわけなのでした。
0374名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/02/18(火) 05:47:51.39ID:5Rq1DFZC
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 193) ---
To state that Libra is ruled by Venus is also to state that behind JUSTICE stands
THE EMPRESS, the primary Path of Venus which is the perfect balance between the
energies of Chokmah and Binah.
「天秤宮」が「金星」により支配されると述べることは、「正義」の後ろに、「コクマー」
と「ビナー」の精力たちの間の完全な平衡である「金星」の主要な「小径」である、
「女帝」が立っていると述べることでもある。

The reference is also to the nature forces of Netzach.
参照はまた、「ネツァク」の自然の力たちにも当てはまる。
--- ここまで ---

「小径」に配属された「宮」を支配する惑星は、それ自体が「小径」と「セフィロト」
にも配属されていますので、それらとの間の関係を妄想する、いやいや考察することは、
それなりに興味深いことでもあります。

とはいえ、それらの間には、「レベル(相)の違い」があるということを、常に意識して
おかないと、ミソクソになってしまうという懸念もあるわけですが、まあしょせん上位
世界は、何を言っても許されるミソクソ状態ですので、そこまで気にする必要も無いと
言えるのかもしれません。
というか、考慮しようとしても、何をどう考慮すればいいのかさえ分かりませんので、
各自が好きなように妄想を繰り広げるという方が、いいのかもしれませんしね。

ということで、「11:正義」は、「3:女帝」という後ろ盾を得て、もはや敵なしの状態
となってしまったわけですが、それらの無敵エネルギーは、「金星」という象徴として、
「ネツァク」を通じて、我々にもたらされるという構図になっているというわけです。
そして、この「金星」つながりという観点から見えることは、それが我々の「芸術」と
いう才能に繋がっているのではないかという点ですよね。
つまり、この「11:正義」が、美術家や舞踏家、そして音楽家などにも見えることは、
ある意味、正しいことなのかもしれないということなのでした。
0375名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/02/19(水) 06:11:01.23ID:gP3EpdKB
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 194) ---
Having noted that Lamed in some way refers to all of the Twenty-Two Paths and Hebrew
letters, it is interesting to recall that Venus refers to all of the Sephiroth.
「ラメド」が、何らかの方法で、「22の小径たち」と「ヘブライ文字たち」の「全て」を
参照することに注目することで、「金星」が「セフィロト」の全てを参照することを
思い出すことは興味深い。

Venus is the only planet whose symbol encompasses every single Sephira on the
Tree of Life (see Figure 14), the implication being that love is the ultimate
power of the Universe.
「金星」は、その記号が、「生命の木」(図14を見よ)の全ての単一の「セフィラ」を
包含する唯一の惑星であり、愛が「宇宙」の究極の力であることを意味する。

Thus, to say that Venus rules Libra-Lamed is to say: That which encompasses all
of the Sephiroth rules that which encompasses all of the Paths.
従って、「金星」が「天秤宮」−「ラメド」を支配すると言うことは、以下のように言う
ことである:「『セフィロト』の全てを包含することは、『小径たち』の全てを包含する
ことである。」
--- ここまで ---

まあ、要するに「もはや何でもあり」ということですのて、細かい説明は、もはや不要で
あると思われます。
とはいえ、こういう「11:正義(8:調整)」の無敵補正は、クロウリー氏の『法の書』に
由来する独自の考え方が入っていますので、トート版を使う際には、その点に留意する
必要があります。

ちなみに、この「Figure 14/図14」は、この本の中には、それに相当するものはありま
せんが、これはおそらく、『The Golden Dawn/黄金の夜明け魔術全書』の「第五知識
講義」にある、金星の占星術記号と10のセフィロトの関係を表した図のことを指している
ものと思われます。
0376名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/02/21(金) 05:52:08.12ID:IQWAdNkB
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 194) ---
This may be understood by again considering the idea that the Sephiroth are
objective, while the Paths are subjective.
これは、「セフィロト」が客観的であり、一方で「小径たち」は主観的であるという
考え方を再度考慮することにより理解されるかもしれない。

Objectivity and subjectivity are complementary conditions.
客観性と主観性は、相補的な状態たちである。

One cannot exist without the other, any more than the color red can exist without
the possibility of green, or the energies of Mars can exist without those of Venus.
赤色は緑色の可能性なしで存在できない、もしくは、「火星」の精力たちは「金星」の
それらなしで存在できないのと同じように、一方は他方なしでは存在できない。
--- ここまで ---

「生命の木」の対称性と補完性は、今までさんざん言い尽くされてきた感がありますが、
その考え方は、今後の上位世界の詮索に対しても有効です。
とはいえ、我々の知る対称性と補完性というのは、低次元の下位世界の話であるので、
その感覚を上位世界に持ち込んだところで、何の役にも立たないというのが実情です。
つまり、下々の例え話は、上位世界の理解には、何の役にも立たないのです。

とはいえ、下位世界においては、それなりに役に立ちます。
つまり、占いなどの用途には、使おうと思えば使えるわけです。

これは、「カバラ」により宇宙を理解してみたい人にとっては、何とも悩ましい問題なの
ですが、今のところ、ここが人間の理解の限界というか、まあ、ワタシの個人的能力の
限界だと思うのですが、もはやワタシの「魂に届く」ものでは無くなっているわけです。
それゆえ、いいかげんというか、いまいちヤル気の無いフラット気味の文章になって
しまっているのは否めないわけですよね。
というわけで、これからも惰性だけで続けていこうと思っているのでした。
0377名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/02/22(土) 07:12:20.25ID:nlYfUvX2
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 194) ---
Even the floor of the Golden Dawn card, on which lies the jackal of Anubis, refers
to a complementary condition, that of Greater and Lesser Creators: The white
(which actually represents pure brilliance) is Kether, while purple is the color
of Chesed in Atziluth.
「アヌビス神」のジャッカルが横たわっている、ゴールデン・ドーンのカードの床でさえも、
「大小の創造主たち」のそれである、相補的な状態を参照する:「白」(それは実際、
純粋な輝きを表す)が「ケテル」であり、その一方で、「紫」は「アツィルト界」での
「ケセド」の色である。

All of the symbolism here points to the idea that this figure is keeping opposites
in balance.
ここでの象徴性の全ては、この人物像が、平衡を保って反対する物たちを保持するという
考え方を示す。

It is a regulator of energy.
それは、精力の調節者である。
--- ここまで ---

この「アヌビス神」は、「マアト女神」の監督の下に、「死者の審判」を執り行うと言われ
ている、ジャッカルの姿をした冥界の神です。
ゴールデン・ドーン版カードでは、「11:正義」の足元に、横たわるジャッカルが描かれて
おり、その床には、白と紫のチェス盤のような格子模様が描かれています。
まあ、「アツィルト界」での「ケセド」の色は、「purple/紫」ではなく「Deep Violet/
深菫」じゃないのか、というツッコミはおいといて、このカードデザインのあちこちに、
相補的な状態を参照するものが見受けられます。
これは、「Greater Creator/大創造主」により創造された宇宙が、この「11:正義」により、
「ティファレト」までは、完全に平衡が保たれているけれども、「ティファレト」以降では、
その完全なる平衡が崩れ、その結果として、「Lesser Creators/小創造主たち」による、
平衡の崩れた物質宇宙が生み出されたという解釈でいいんでしょうかね。
0378名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/02/23(日) 07:26:41.57ID:EwyPGltX
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 194) ---
Perhaps surprisingly, Waite emphasizes the Mars aspect of JUSTICE over its Venus
aspect by having the figure clothed primarily in red.
たぶん意外なことに、ウェイト氏は、主として赤色の服を着た人物像を持つことにより、
その「金星」の様相の上の「正義」の「火星」の様相を強調する。

And if his card is considered on the pattern of the Tree of Life (when the card
is placed on the Path of Lamed) it will be seen that the raised sword points to
Geburah while the scales are lowered in the direction of Tiphareth.
そして、もし彼のカードが「生命の木」(カードが「ラメド」の「小径」の上に置かれる
場合)の様式において考慮されるならば、持ち上げられた剣は「ゲブラー」を指し、一方で
天秤は「ティファレト」の方向に下げられていることがわかるであろう。

The same purple as in the Golden Dawn tile floor appears on the cloth of honor
behind the figure.
ゴールデン・ドーン版のタイルの床にあるのと同じような紫色が、人物像の背後にある
「名誉の布」に現われる。

The background itself is yellow, meaning Tiphareth.
背景それ自身は、「ティファレト」を意味する黄色である。
--- ここまで ---

ウェイト版のデザインは、ちょっと独特に見えるのですが、赤いガウンを着た上に、緑の
ケープを纏っているので、基本的には、ゴールデン・ドーン版の思想を踏襲しているもの
と思われます。
あと、ウェイト氏自身は、「11:正義」と「2:高等女司祭」の類似性について言及していま
すので、そちらの面から考察してみるのも、何かの役に立つのではないかと思われます。

まあ、後は、色々とありすぎて、というか、ほぼ何でもありですので、よくわからないと
いうのが実情ですよね。
0379名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/02/25(火) 05:54:33.13ID:m909mjoF
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 194) ---
The differences in the colors of the three versions of JUSTICE point out the
differing concepts of the designers.
「正義」の3つの版たちの色の違いは、図案家たちの異なる概念を指摘する。

The Golden Dawn emphasizes green, flashing against a red throne with a pale blue
background.
ゴールデン・ドーンは緑色を強調し、薄い青色の背景を持つ赤い玉座に対して際だっている。
--- ここまで ---

ゴールデン・ドーン版は、ウェイト版とトート版の元になっているデザインですが、
見た目は、ウェイト版やトート版とは、少々異なって見えます。
つまり、マサース氏による「11:正義」の改変をベースにして、伝統的風なデザインに
戻したのがウェイト版であり、その一方、さらなる独自の改変を施したのがトート版で
あるということですかね。。

さて、その元となったゴールデン・ドーン版ですが、ぱっと見た感じとしては、
・上からの白い光=ケテル
・右の白っぽい柱=コクマー
・左の黒っぽい柱=ビナー
・背景の青=ケセド
・玉座の赤=ゲブラー
・服の緑(エメラルドグリーン)=22番目の小径
という感じで、上位世界の各種象徴が、幕の内弁当のように勢揃いしています。

つまり、下の地位にありながら、上位世界を監督する立場というか、統括者というか、
最終的な責任者としての役割を担わされていることを暗示しているわけです。
その場合、上位存在を、剣で威圧的に管理することなどは出来ないので、この剣は武力
などではなく、天秤と同じように、一種の道具として利用していると推定できるわけで、
ワタシには何となく、実務的な調理人や薬剤師にも見えたりするわけなのでした。
0380名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/02/27(木) 06:02:55.37ID:tY6sw0IX
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 194) ---
Crowley's card relies on the blues and greens of the Twenty-Second Path in the
Four Worlds.
クロウリー氏のカードは、「四つの世界」における「22番目の小径」の青色たちと緑色たち
に依存する。

The blues are especially vibrant as a reference to the effect of Jupiter on the Path.
青色たちは、「小径」に対する「木星」の効果への参照として、特に鮮やかである。
--- ここまで ---

ウェイト版の特徴は「火星」の赤色で、ゴールデン・ドーン版では「22番目の小径=天秤宮
=金星」の緑色でしたが、トート版では、「木星」の青色が強調されているということです。

というか、トート版では、他の版にある火星の赤色が無いというのが特徴であり、それは、
カードの女性像が持つ剣の剣先が下を向いていることからもわかるように、火星的な暴力性
が全く感じられないということからもわかります。
つまり、この剣は、物理的な武力行使を示すようなものではなく、何らかの魔術的な道具と
いうか、エロ目線的に言うと、女性像の股間と胸に挟まれたタマタマ付きのイチモツになって
いるわけであって、要はそういう働きがあるという感じになっているわけです。
そして、他の版では、左右非対称の構図でしたが、トート版では、左右は完全な鏡像では
ありませんが、ほぼ左右対称と言えるようなバランスの良い構図になっています。
これは、彼女自身の姿で、「天秤」を体現しているということであり、剣の「火星」面を
彼女の「金星」面で、しっかりと受け止めているということですよね。

まあ、どちらが良いとか悪いとか言うものでもありませんし、どれが正解ということでも
ありませんが、こういう細かいところに、デザイナーのこだわりが見えているというか、
トート版においては、他の版とは異なる、かなり特殊な性癖、いやいや役割を負わされて
いるという点においては、とても興味深いカードとなっているわけです。
0381名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/02/28(金) 06:14:27.07ID:OwWIt9Sp
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 194) ---
Crowley's Adjustment is among the most abstract of his Keys.
クロウリー氏の「調整」は、彼の「鍵たち(大アルカナ)」の中で最も抽象的なものの
一つである。

He calls the figure not only the Goddess Maat, but also Harlequin, "the partner
and fulfillment of THE FOOL."
彼は、人物像を「女神マアト」だけでなく、また、「『愚者』の協力者であり成就」で
ある、「ハーレクイン」と呼ぶ。

The figure stands within a diamond-shape which is the Vesica Piscis.
人物像は、「魚の浮袋」である、ダイアモンド形状の内に立っている。
--- ここまで ---

トート版の「8:調整」の複雑さは、クロウリー氏が、このカードの中に、無節操とも
思われるほど、様々な意味と役割を当てはめていることが原因です。

その一つは、この人物像に、「マアト女神」だけでなく、「ハーレクイン(道化者)」と
いう役を割り当てた上で、「0:愚者」を補完し成就させるという役割を持たせたことです。

これにより、「AでありLである(アレフでありラメドである)」の「8:調整」と、「Aで
ありTである(アルファでありオメガである)」の「21:宇宙」とは、相似した関係となり、
「0:愚者」と「21:宇宙」が、「ケテル」と「マルクト」を直接繋ぐのに対し、「0:愚者」
と「8:調整」が、「ケテル」と、「劣化ケテル」であり「未劣化マルクト」でもある
「ティファレト」を繋いでいるという関係が成立するため、それゆえ、「8:調整」は、
上位世界における「21:宇宙」であると見なすことができるわけです。

ちなみに、「Vesica Piscis/魚の浮袋」は、2つの弧が交差する魚の形のデザインのこと
なのですが、なぜそれを、人物像の外形の「diamond-shape/ダイアモンド形状」に適用
するのかは、いまいち不明となっております。
0382名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/02/29(土) 06:55:33.28ID:isLKXBzq
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 194) ---
Behind her is a throne of spheres and pyramids, in groups of four, meaning "Law
and limitation."
彼女の背後には、「法と制限」を意味する、4つの集団たちになった、球体たちと角錐たちの
玉座がある。

This is another reference to Chesed.
これは「ケセド」への別の参照である。
--- ここまで ---

トート版の女性像の背後には、不思議な形をした玉座があります。
その玉座には、上に4個の球、下に4個の球があり、上下それぞれが双角錐で結合されて、
4つのグループを形成しています。
そして、それぞれのグループの球は、綺麗な青色と、少し濁った緑色のペアとなっており、
それぞれでバランスを取っています。
この青や緑の色は、「11:正義(8:調整)」の「22番目の小径」の色を反映しており、そして
「4」というグループの数は、「ケセド」に関連するということになります。

ちなみに、「22番目の小径」の色は、以下のようになっております。
・アツィルト界:Emerald-Green/エメラルド・グリーン
・ブリアー界:Blue/青
・イェツィラー界:Deep blue green/深青緑
・アッシャー界:Pale Green/薄緑

あと、カードの四隅のそれぞれにも球体があって、そこから光線のような何かが発せられて
おり、「21:宇宙」に似たデザインであることが分かります。
まあ、「21:宇宙」の方は、様々な分化が進んでいて、割とカラフルな色調である一方で、
「8:調整」の方は、まだまだ分化が進行していない状態であることと、「8:調整」の女神が
着衣姿であって、真の神秘を隠蔽しているのに対し、「21:宇宙」の女神は、もはや何も
隠すものがない状態であることが、大きな違いですかね。
0383名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/03/01(日) 06:28:41.24ID:OF7JqzuE
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 194) ---
As Maat she wears ostrich feathers, with the Uraeus serpent, Lord of Life and Death,
on her forehead.
「マアト女神」として、彼女は、ダチョウの羽毛たちを身に纏い、彼女の額に、「生と死の
主」である、「ウラエウス(蛇形記章)」のヘビを着けている。

She holds the Sword (a male symbol in this context) in such a way as to suggest
sexual union, and the "completion" of the female.
彼女は、性的な結合、および女性の「完成」を示唆するような方法で、「剣」(この文脈に
おいては男性の象徴)を保持する。

This is what is described in 777 as "The Woman justified. By equilibrium and
Self-sacrifice is the Gate." (*173)
これは、以下のように、『777の書』に記述されている。「正しいとされる女性。平衡と
自己犠牲により門がある。」(*173)
--- ここまで ---

ちなみに、(*173)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 274) ---
173. Crowley, 777, 40.
173. クロウリー著、『777の書』、40ページ。
--- ここまで ---
とあります。

トート版の「8:調整」の女性像のデザインは、クロウリー氏の『トートの書』の記述とは
異なり、「有翼のマアト女神」をモチーフにして、肩からショールのような形をした翼を
纏い、頭には「ウラエウス(蛇形記章)」を模したものを被っています。
そして、乳首が透けるほどの薄い衣を着て、その豊満な胸に剣の柄を押し当て、さらに、
すらりと伸びた両足で、剣の刃を挟み込むという構図は、「金星」と「火星」の性的結合、
すなわち「生と死」を意味しているかのように、かなり妖艶なものとなっております。
0384名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/03/02(月) 06:19:09.84ID:ycKWu6/V
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 194) ---
A scale, springing from a point above her head, weighs all that is in creation,
the Alpha and the Omega.
秤が、彼女の頭の上の先端から湧き出ており、「アルファ」と「オメガ」である、創造の中に
「ある」ものの全てを秤量する。
--- ここまで ---

「11:正義」において、最も重要な象徴である「天秤」については、あまり多くは語られて
いませんので、少々補足しておこうと思います。

トート版の「8:調整」の「天秤」は、鎖で繋がれた皿が真下にぶら下がっていなくて、
斜めになっており、物理法則的に見ると、とてもおかしな姿になっています。
そもそも、こんな形状の天秤では、両方の皿がぶつかってしまい、まともに計量することは
出来ない欠陥品ですしね。
つまり、この天秤は、普通に重力で働いているわけではないということであり、重力とは
無関係の何かであり、すなわち物質を秤量するためのものではない、特殊な働きをして
いるということが推察されるわけです。

『トートの書』によれば、天秤の皿に載せられているのは、「アルファ」と「オメガ」で
あり、それはすなわち「アレフ=0:愚者」と「タウ=21:宇宙」であるということであり、
そしてそれらを「ラメド=8:調整」が秤量しているということになっているわけです。

これが何を表しているのかというと、要は「天地創造」という物質世界を創造するための
前準備としての「秤量」、そして下なる「顕在化」という作業であると推察できます。
つまり、この2つの皿で秤量された両極端にあるものたちが、女神像の、透けた両乳房と
隠された女性器、そして剣の男根作用により、新たな生命として生み出され、それが剣の
刀身を伝って、女神の足元にある下界、すなわちティファレトへと流れ出していくという
構図になっているという妄想が成立するわけです。
つまり、この女神像は、我々宇宙を生み出す、「原初の大母」としての働きがあるという
ことであって、やっばり、節操なしに何でもありのカードだと思うのでした。
0385名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/03/03(火) 06:09:22.38ID:LqmYmOUP
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 194) ---
She is total equilibrium, yet in constant motion: "She is the ultimate illusion
which is manifestation; she is the dance, many-coloured, many-wiled, of Life itself.
彼女は、完全な平衡であるが、さらにまだ絶えず動き続けている:「彼女は、顕在化
である究極の幻想である;彼女は、『生命』それ自身の、多色で、多岐の、踊りである。

Constantly whirling, all possibilities are enjoyed, under the phantom show of
Space and Time; all things are real, the soul is the surface, precisely because
they are instantly compensated by this Adjustment.
絶えることなく回転し、すべての可能性たちは『空間』と『時間』の幻想的な見せ物の
もとで楽しまれる;全ての物たちは現実であり、魂は見かけであって、なぜなら、まさに、
それらは直ちに、この『調整』によって補償されるからである。

All things are harmony and beauty; all things are truth: because they cancel
out." (*174)
全ての物たちは、調和と美である;全ての物たちは真実である:なぜなら、それらは
釣り合っているから。」 (*174)
--- ここまで ---

ちなみに、(*174)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 274) ---
174. Crowley, Book of Thoth, 87.
174. クロウリー著、『トートの書』、87ページ。
--- ここまで ---
とあります。

前の節で、トート版の「8:調整」の「天秤」は、鎖で繋がれた皿が真下にぶら下がって
いないことについての考察を書いていますが、実はここにも、その要因となるものが
示唆されています。
(次に続く)
0386名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/03/03(火) 06:12:53.65ID:LqmYmOUP
(前の続き)

それは、「Constantly whirling/絶えることなく回転」しているという点です。
つまり、剣を駒の中心軸として高速回転することで遠心力が生まれ、その働きによって、
両方の皿が、外へと広がっているという構図になるわけです。
つまり、普通にスタティックなバランスを取っているのではなく、少し高度とも言える
ダイナミックなバランスを取っているということです

要は、トート版の「8:調整」の女性像は、一見すると静止しているように見えますが、
実は「回転運動」という激しい踊りを舞っているということなんですよね。

あと、「8:調整」が高速回転するということは、それ以前に「Space/空間」と「Time/
時間」が存在している必要があるわけですが、それについては難しい話になりますので、
避けておきたいと思います。

あと、クロウリー氏は、その他にも色々と述べていますが、そのほとんどは意味不明で
あるというか、ワタシには理解不能であって、そもそも何でそんなに「何でもあり」に
しなければならないのかも理解不能なのです。

そもそも「8:調整」の名札を付けているわけですし、あくまでも全体的な調整役ということで
いいんじゃないのかなぁ、と思うわけですよ。

ということで、属性テンコ盛りの「8:調整」の解説は、うやむやのままで終わりたいと思います。
0387名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/03/05(木) 05:51:37.41ID:AydUrsHn
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 195) ---
21. THE PATH OF CAPH
21. 「カフ」の小径

The Wheel of Fortune
運命の輪

The Tenth Key
10番目の鍵(大アルカナ)
--- ここまで ---

ここから、「生命の木に基づく大アルカナ」の章の中での新しい節になります。

サブタイトルは「カフの小径」です。

この小径は、前に出てきた「12:吊られた男」と対を成すカードであり、そして前に述べた
ように、我々は、この小径に入ることは出来たとしても、決して通過することは出来ない、
究極の「トラップカード」であることを思い出してください。

とはいえ、直前の「11:正義」のように、もはや地に足が着いていないシロモノではない
ので、まだ何と無くヤバそうな雰囲気を感じることが出来るわけですが、いずれにしても
我々の知恵が及ぶ範囲にある最後の地点であるわけですし、ちょっと気合いを入れ直して、
進みたいと思います。
そして、このカードが終われば、またもやグダグダのカオスに足を踏み入れるという
ことになるわけですよね。

そういえば、「Fortune」を「幸運」と勘違いして、「ラッキーカード」とか言っている
人も多くいるわけですが、このカードに描かれている怪しげな車輪やスフィンクスなどの
動物像は、どう見てもヤバそうな感じしかしないわけです。
それに、そもそも人の幸運というのは、こんなに高い次元にあるものでもないですしね。
0388名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/03/07(土) 07:36:59.31ID:oR2QsoD1
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 195) ---
□ PATH COLOR: Violet
□ 「小径の色」:「菫(すみれ)色」

□ RELATED SOUND: A Sharp
□ 「関連した音」:「Aのシャープ」

□ PLANET: Jupiter
□ 「惑星」:「木星」

□ MEANING: Fist
□ 「意味」:「握った手」

□ DOUBLE LETTER: Riches-Poverty
□ 「複字」:「富と貧乏」

□ ESOTERIC TITLE: The Lord of the Forces of Life
□ 「秘伝的な称号」:「生命の力たちの主」
--- ここまで ---

この本の、この文章の右側には、固く握られた「拳骨」と、ヘブライ文字の「カフ」と、
「木星」の占星術記号、および「生命の木」における「カフの小径」の位置が図示された
絵が描かれています。

「10:運命の輪」に、複字の「Riches-Poverty/富と貧乏」が割り当てられているという
のと、秘伝的な称号に「生命」が関連していることは、ここが宇宙の生命の全てに深く
関わっているということを示唆しているわけで、深掘りしていくと、結構面白そうです。
まあ、我々にとっては、あれこれと詮索できる最後のカードですし、「ケセド=木星」に
アプローチできる最初で最後の「小径」でもあるわけですので、色々と妄想力を高めて、
頑張ってみようかな、と思わせてくれるカードなのでした。
0389名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/03/09(月) 05:59:24.40ID:/YdLnBcc
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 195) ---
THIRTY TWO PATHS OF WISDOM: The Twenty-first Path is the Intelligence of Conciliation,
and is so called because it receives the divine influence which flows into it from
its benediction upon all and each existence.
「知恵の32の小径たち」:「21番目の小径」は「調停の知性」であり、なぜならそれは、
全てと各々の存在の上のその祝福から、その中に流入する神の影響を受け取るために
そう呼ばれる。
--- ここまで ---

ここは、いつものように、ウェストコット氏の英訳版『The Sepher Yetzirah/セフェル・
イェツィラー(形成の書)』の「THE THIRTY-TWO PATHS OF WISDOM/知恵の32の小径」から
の引用です。

ちなみに、「Intelligence of Conciliation/調停の知性」の部分は、他の原本では、
「Intelligence of Conciliation and Reward/調停と報酬の知性」となっていましたので、
あまりメジャーでない版の引用か、もしくは誤記のどちらかだと思われます。
意味的には、単に「調停の知性」だけだと、上から単に受け取るだけで、下界には何もして
くれないのか、という疑問が湧きますので、ワタシとしては、「調停と報酬の知性」の方が、
やりがいがあるわけです。

とりあえず、「カフ」の文字の意味が「Fist/握った手」であることを考えれば、上からの
何かを受け取るという作用は、何と無くわかりますし、そして受け取ったものは、そう
簡単には下には開示されないというのも、何と無く分かります。
ちなみに、この「10:運命の輪」の「カフ」の「Fist/握った手」に対応するものは、
「9:隠者」の「ヨッド」の「Hand/(開いた)手」ということになりますかね。
要は、通常モードでは、この「小径」からの流出は固く閉じられているけれども、何かの
トリガがあれば、「Reward/報酬」として、下に流出する可能性がある、ということなの
ですが、それが何を意味するのかは、これからぼちぼちと探っていきたいと思うのでした。

なお、多忙ゆえ、書き込みペースが数ヶ月ほどダウンしますので、ご了承ください。m(_ _)m
0390名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/03/14(土) 06:42:15.19ID:i3t0uJOm
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 195) ---
The Path of Caph, the WHEEL OF FORTUNE, runs from Chesed to Netzach.
「カフの小径」である、「運命の輪」は、「ケセド」から「ネツァク」まで走る。

It is the connecting Path between the Personality and the Higher Self on the Pillar
of Mercy under Chokmah.
それは、「コクマー」の下の「慈悲の柱」の上で、「人格」と「高次の自我」の間を接続
する「小径」である。
--- ここまで ---

「人格」と「高次の自我」を、柱の上で接続している「小径」は、以下の3つです。
・「14:節制」=「中央の柱」で「イェソド」から「ティファレト」へと「leads/導く」
・「12:吊られた男」=「峻厳の柱」で「ホド」と「ゲブラー」を「connects/接続する」
・「11:運命の輪」=「慈悲の柱」で「ケセド」から「ネツァク」まで「runs/走る」

つまり、「11:運命の輪」は、基本的には「ケセド」から「ネツァク」へと下る一方通行
の流れであることを意味しており、この流れに逆らって遡上することは、まさに「鯉の
滝登り」、つまり「11:運命の輪」とは「登竜門」であって、この滝を登りきることの
出来たコイキングは、ギャラドスに進化することが出来るというわけなのです。

とはいえ現実的には、「鯉」が「竜」になれるわけでもなく、下界の我々は、上流から
流れ落ちてくるものを、黙って享受するしかないわけですが、無駄な悪あがきをせず、
黙って享受さえしておけば、何となく有り難い感じがするのも、確かだと思います。
まあ、ワタシがもう少し若ければ、そういう「鯉の滝登り」的な悪あがきの詮索もアリ
だと思うのですが、気力と体力、そして知力が足りていないのが現状なんですよね。

とはいえ、上に登らなくとも、下界から眺めているだけでも、それなりに有益なものを、
我々にもたらしてくれるパワースポットでもありますので、そういう観点、すなわち
観光客の気分で、ここから先は見ていくことにしたいと思います。←かなりいい加減w
0392名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/03/15(日) 06:41:12.66ID:TQM+Szde
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 195) ---
The Thirty-Two Paths of Wisdom calls it the Intelligence of Conciliation, implying
that it has a mediating function.
「知恵の32の小径たち」は、それを「調停の知性」と呼び、それが調停の機能を持っている
ことを暗示している。

And, in view of what has been considered about the regulation of energy on the Path
of JUSTICE, it is not surprising to learn that Jupiter is assigned to this Path,
or that Jupiter is said to govern the circulation of the blood.
そして、「正義」の「小径」の上の精力の調節について、ずっと考慮されてきているものの
観点から見ると、「木星」がこの「小径」に割り当てられることや、もしくは、木星が、
血液の循環を支配していると言われていることを知ることは、驚くようなことではない。
--- ここまで ---

「11:正義」が「誠実な知性」であるのに対し、「10:運命の輪」は「調停の知性」と
なっています。
つまり、「10:運命の輪」の「慈悲の柱」の調停という和解ルートで解決できなかったもの
が、「11:正義」の「ゲブラー」の強制的な判決により解決されるという感じですかね。

そして、「10:運命の輪」が血液的な循環の性質、つまり体内の全てを巡るという性質は、
この「10:運命の輪」が、それより上位のものの性質を調停し、活性化し、精力を保つと
いうことを示唆しているわけであり、下っ端であまり目立たないのかもしれませんが、
上位世界においても、それなりに重要な役割を担っているということになります。

ちなみに、「木星」は、この「10:運命の輪」と、「ケセド」に割り当てられており、黄道
十二宮の間を、一年につき一つずつ移動するという、安定した動きをするのと、その
安定した明るさのため、太陽や月の次に重要な役割を持つと考えられています。

つまり、「木星」を制するものは宇宙を制するということであり、それゆえ「10:運命の輪」
を深く理解することは、宇宙の法則を知ることに繋がると考えられるわけですよね。
0393名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/03/20(金) 06:30:59.37ID:QCE6h36T
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 195) ---
Caph is a double letter, one of the "Gateways of the Soul."
「カフ」は、複字であり、「魂の出入り口たち」のうちの1つである。

To it are attributed the opposites of riches and poverty which could be considered
the natural fluctuation of the Jupiter forces on this Path.
それには、この「小径」の上の「木星」の力たちの自然な変動と考えられることのできる、
「富と貧乏」の反対物たちが帰属される。

Of course, the riches and poverty are not of this earth, they are of the soul itself.
もちろん、富と貧乏は、この地上のものではなく、それらは魂それ自身のものである。
--- ここまで ---

「double letter/複字」が「Gateways of the Soul/魂の出入り口たち」であるという
記述は、『セフェル・イェツィラー(形成の書)』にあり、それは、人間の2つの目、
2つの耳の穴、2つの鼻の穴、そして口であるわけですが、「カフ」がそのどれである
かは、残念ながらワタシは知りません。
まあ、見た目だけで言うなら、「車輪眼」みたいですけどね。←ヲタク的思考w

あと、大アルカナは、地上世界とは無縁ですので、「10;運命の輪」の「riches and poverty
/富と貧乏」の属性が、地上における物欲的な貧富とは無縁のものであることは当然の
ことであって、あくまでも「星幽的三角形」に属する「人格」に関するものであることは、
容易に想像できます。
ついでに言うと、これはあくまでも個人的経験なのですが、「人格的な富」と「物質的な
富」とは、しばしば反比例する傾向にあります。
つまり、どちらかを強く求めすぎると、バランスを欠いてしまうという傾向があるので、
あまり人格的とか物質的とかの「貧富」にこだわらず、全体的なバランスというか節度を
保つというか、あまり深く考えない方が、幸せになれる感じがするわけですよ。
そして、「木星」の持つ12年毎の周期性、すなわち富は長く続かず、そして貧乏も長くは
続かないということも、ここでは考慮すべき点だと思われます。
0394名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/03/21(土) 06:21:43.30ID:GRSu1hYP
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 196) ---
As a word Kaph means fist.
言葉として、「カフ」は「握った手」を意味している。

It is the closed hand which symbolizes grasping comprehension, as well as the
completion of an activity or the closing of a circle.
それは、活動の完成、もしくは円を閉じることだけでなく、把握する理解を象徴している、
閉じられた手である。

It is closed, and yet it is in a state continuous motion, a cycle always in many
stages at the same time.
それは閉じられているが、それでいて、継続的な動きであり、同時に多くの段階において、
常に循環の状態にある。
--- ここまで ---

この「10:運命の輪」の「カフ」が、単なる「手」ではなく「fist/握った手」となっている
のは、「9:隠者」の「ヨッド」が「hand/(開いた)手」となっているからであり、それゆえ
「生命の木」を下界から登れば「握った手が開かれる」、そして天界から降りる時には
「開いた手が握られる」という状態遷移を引き起こすことになります。
つまり、天界の秘密は、ここで封印されていて、ここから下界に漏れることは無いという
スタンスであり、下界に住む我々が天界の秘密を解き明かすには、車輪の門番である
スフィンクスを攻略して、「握った手を開かせる」必要があるということでもあります。
まあ、どう考えても無理な話ですけどね。

とはいえ、「手」の封印は完全なものではなく、「秘密を握った手」の指の隙間からは、
「神秘エネルギー」が常に漏れ出しており、それがこの「車輪」の原動力となっていて、
さらにそれが下界全体の循環する生命エネルギーへと変遷していると推定することも
できるわけです。
つまり、「12:吊られた男」が、神秘エネルギーの蒸留と凝縮であったのに対し、これと対に
なる「10:運命の輪」は、握りつぶしや遠心分離による脱水・抽出という感じですかね。
0395名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/03/22(日) 06:42:27.69ID:Dzyl17zA
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 196) ---
In this regard Kaph is the scarf covering the Dancer in the UNIVERSE card.
この点では、「カフ」は、「宇宙」のカードにおいて、「踊り子」を覆っているスカーフ
である。

Moreover it will be found that as Kaph is the closed hand, the card preceding it,
THE HERMIT (Yod) is an open one.
さらに、「カフ」は閉じられた手であるように、それに先行するカードである、「隠者
(ヨッド)」が、開いているそれであることが見つけられるであろう。
--- ここまで ---

「21:宇宙」のカードの、踊っている裸の女性像の多くは、秘部を何かで覆って描かれます。
ゴールデン・ドーン版やウェイト版、そしてマルセイユ版のニコラ・コンヴェル版などでは、
スカーフで覆うデザインとなっていますが、そのスカーフは「カフ」であるということです。
ちなみに、マルセイユ版のニコラ・コンヴェル版では、このスカーフの形状は、「カフ」の
文字の形となっています。
つまり、「21:宇宙」と「10:運命の輪」は、この「秘密の隠蔽工作」という点において、密接
な関係があるということであり、それは「21:宇宙」で隠されて描かれなかった女性像
の秘部は、この「10:運命の輪」において明らかにされるということであり、要するに、
「10:運命の輪」の車輪は、この女性像の○○○○そのものであることを意味します。

とはいえ、それはまだ「閉じられた○○○○」であって、下界に住む我々は、ここからさらに
奥に入るというか、「生命の木」の上に昇ることは出来ません。
つまり、次の「9:隠者」によって開かれるまで、我々はその先に立ち入ることが出来ない
ことになっているわけで、つまり下界の我々が容易に到達することの出来ない世界(ティ
ファレト)を通じてのみ、我々は中に入れるということになっているわけです。

とはいえ、下界に住む我々は、たとえ奥に立ち入ることは出来なくても、我々はそこから
流出してくる大いなる天界の秘密を充分に堪能し、その神秘エネルギーを享受することが
出来るわけですので、車輪に象徴される秘部を探索する価値は充分にありそうです。
0396名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/03/28(土) 06:22:51.22ID:Zcy+pUpj
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 196) ---
The wheel, so important to this Path, is a very ancient symbol of life itself,
the very turning of which, in some systems, is a prayer.
この「小径」にとって、とても重要である輪は、生命それ自身の、はるか古代よりある
象徴であり、いくつかの体系たちにおいては、まさしくその回転は、祈りに他ならない。

It is the wheel of birth, death and rebirth.
それは、誕生、死、そして再生の輪である。

It is the wheel of karma.
それは業(カルマ)の輪である。
--- ここまで ---

「10:運命の輪」にある「wheel/輪」は、静的な「円」ではなく、動的な「車輪」であり、
それが生命、すなわち、誕生、死、そして再生という、一定のループ状の動きを司る象徴
であることは、容易に推察できると思います。
そして、この宇宙に(広い意味での)生命のある限り、それは止まることなく回転し続け、
それは時を刻むものということになります。

つまり、この「小径」は時間軸を形成するものであり、そして「時」の始まりは、「人格」
の発生に関係しているということになるわけです。
このことは、「時間」という概念は、客観的というか普遍的というものではなくて、
どちらかというと主観的というか局所的な概念であるということも言えるわけです。
さらに言うと、この「10:運命の輪」は、「倫理的三角形」から「星幽的三角形」へと流出
する最初の「小径」であり、それゆえ我々の住む世界である「四次元時空」で最初に
形成されるものは「時間軸」であるということになるわけですが、それは「時間」が
主観的な概念であるということとは矛盾しています。
つまりこの理屈によれば、宇宙の誕生には、上位存在である「神」の「主観」が必要と
されるわけですので、残念ながら、話はここで終わってしまうわけです。
まあ、「10:運命の輪」の謎は、我々には完全には解けないわけですからね。
0397名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/03/29(日) 05:51:48.15ID:Jzkieer2
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 196) ---
But it is emphatically not a wheel of chance or accidents.
しかし、それは断固として、偶然の運や思いがけぬ出来事などの輪では「ない」。

There are no accidents in the Universe, which is one of the key lessons of this
card.
「宇宙」には偶然の出来事などは全く無く、それはこのカードの鍵となる学課たちのうちの
1つである。

We are solely responsible for our own destinies.
我々は、我々自身の運命たちに対して、単独で責任がある。

Fortune provides us what we earn, which is not always pleasant.
運命は、我々に、我々が稼いだものを提供するが、それは常に楽しいものではない。
--- ここまで ---

「10:運命の輪」は、占い業界においては、「幸運」をもたらすカードであると言われて
いますが、カバラ的には、そういう下界における物質的な「幸運」という意味は無く、
あったとしても、生命の輪廻、すなわち誕生、死、そして再生の無限ループとしての
意味ぐらいしかありません。
要するに、次元が高すぎて、我々の個々の日々の運命を左右するというものではなく、
せいぜい「何のために生まれてきたのか」とか「何のために死ぬのか」ということを
考えるためのネタぐらいにしかならないということですよね。

そしてこれは、大海で生まれて、いつか浜に打ち上がって消えてしまう「波」ではなく、
この宇宙の誕生以来、ずっとコンスタントに回り続けている、宇宙生命の原動力である
「輪」であって、人智を越えた存在であることにも留意しておく必要があります。

何が言いたいかというと、人間界の世俗の占いにおいては、カバラ的に言えば、高次元
の「10:運命の輪」は、何の意味も持たないし、何も関係しないということなのですよ。
0398名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/04/05(日) 05:58:19.14ID:pMrZprWn
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

図31の説明文です。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 196) ---
Figure 31. Levi's Interpretation of the Wheel of Ezekiel (Redrawn from his Sanctum
Regnum)
図31。 「エゼキエルの輪」のレヴィ氏の解釈(彼の『神聖界』から再描画された)
--- ここまで ---

「10:運命の輪」の輪のデザインは、基本となるマルセイユ版や、ゴールデン・ドーン版、
そしてトート版は、「車輪」のイメージであるのに対し、ウェイト版では「Magic circle
/魔法円」のイメージとなっており、その元ネタになっていそうなものが、レヴィ氏の
著作である
『Dogme et rituel haute magie/高等魔術の教理と祭儀』1854-1856年発行
『La Clef des Grands Mysteres/大いなる神秘の鍵』1861年発行
『The Magical Ritual of the Sanctum Regnum/神聖界の魔術儀式』1892年発行
などに見ることができます。
正確に言えば、『神聖界の魔術儀式』は、レヴィ氏の没後、彼の同人誌的な著作の中から
タロットに関係ありそうなネタを、ウェストコット氏が拾い集めて出版したものです。

ウェイト氏は、なんだかんだ言っても、レヴィ氏の魔術ヲタ的なイラストレータ能力を
高く評価しており、レヴィ氏の色々な著作からパクって、いやいや参考にしながら、
ウェイト版カードをデザインしています。

そして、ウェイト氏が、なぜ従来の物理的な「車輪」ではなく、「魔術円」をモチーフに
したのかと言うと、要は、円の外は下界であり、円の中が天界であるということを示唆
しているわけであって、つまり、下界の我々は、この「10:運命の輪」の「魔術円」を通過
することで、天界へと到達することが可能である、言い換えると、「ネツァク」から
「ケセド」へと至る「小径」であることを示唆しているわけです。
とはいえ、そこは、一般人は絶対に立ち入ることの出来ない「Sanctum Regnum/神聖界」
ですので、しょせん絵に描いたモチであることは確かなんですけどね。
0399名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/04/12(日) 07:29:02.00ID:27oJfX34
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 196) ---
The key to the WHEEL OF FORTUNE is duality and the interchange of energies between
opposites which make the wheel spin.
「運命の輪」への鍵は、双対性、および輪を回転させる反対物たちの間の精力たちの交換である。

The wheel is the activity of all manifestation, as is symbolized in the Golden Dawn
version by the twelve spokes.
輪は、ゴールデン・ドーン版において12本のスポークたちにより象徴されるように、全ての
顕在化の活動である。

These are the Signs of the Zodiac, each in its correct Atziluth-Path color.
これらは、各々が、その正しい「アツィルト界の小径」の色である、「黄道十二宮」の
「宮たち」である。
--- ここまで ---

ゴールデン・ドーン版カードを持っている人のために、「アツィルト界の小径」の「黄道
十二宮」の色を書いておきますので、その理論的なデザインを堪能してみてください。。

・白羊宮:「4:皇帝」:Scarlet/緋色:左スポーク
・金牛宮:「5:法王」:Red Orange/赤橙色
・双児宮:「6:恋人たち」:Orange/橙色
・巨蟹宮:「7:戦車」:Amber/琥珀色:下スポーク
・獅子宮:「8:力」:Greenish-Yellow/緑がかった黄色
・処女宮:「9:隠者」:Yellowish-Green/黄色がかった緑色
・天秤宮:「11:正義」:Emerald-Green/エメラルド・グリーン:右スポーク
・天蠍宮:「13:死」:Green-blue/緑青色
・人馬宮:「14:節制」:Blue/青色
・磨羯宮:「15:悪魔」:Indigo/藍色:上スポーク
・宝瓶宮:「17:星」:Violet/菫色
・双魚宮:「18:月」:Ultra Violet Crimson/紫外深紅色
0400名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/04/13(月) 05:55:30.33ID:Ac/jsej5
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 196) ---
The Crowley deck uses ten spokes to symbolize the totality of the Sephiroth, while
Waite uses a system of eight spokes based on twice four: the letters T A R O and
the [heh][vau][heh][yod].
クロウリー氏のデッキは、「セフィロト」の総計を象徴するために、10本のスポークを使い、
その一方で、ウェイト氏は、4の2倍に基づいた8本のスポークの体系を使う:T A R O および
[heh][vau][heh][yod]の文字たち。

The pattern of Waite's wheel is based on the Wheel of Ezekiel illustrated by Levi
in his Magical Ritual of the Sanctum Regnum, (*175) and described by the older
occultist in very complex terms:
ウェイト氏の輪の様式は、レビ氏により、彼の『神聖界の魔術儀式』(*175)において
説明された「エゼキエルの輪」に基づいており、非常に複雑な用語たちで、より年上の
神秘主義者により記述される:
--- ここまで ---

ちなみに、(*175)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 274) ---
175. Eliphas Levi, The Magical Ritual of the Sanctum Regnum, translated and edited
by W.Wynn Westcott, New York, 1973, illustration facing page 40.
175. エリファス・レヴィ著、『神聖界の魔術儀式』、W.ウィン ウェストコット氏による
翻訳と編集、ニューヨーク、87ページ、1973年発行、図版は40ページに対向している。
--- ここまで ---
とあります。

つまり、この「輪」の中身については、マサース氏、ウェイト氏、クロウリー氏の間でも、
その解釈が異なる、すなわち、誰も本当のことは知らないわけであって、我々のような
一般人は、立入禁止というか、解釈不能というか、そもそも「神聖ニシテ侵スヘカラス」
なる秘密の領域であるということに他ならないわけです。
まあ、そう言われると、余計に見てみたいというのが、人間の性(さが)なんですけどね。
0401名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/04/15(水) 05:58:15.08ID:glfNsXA0
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 197) ---
The Wheel of Ezekiel contains the solution of the problem of the quadrature of
the circle, and demonstrates the correspondences between words and figures,
letters and emblems; it exhibits the tetragram of characters analogous to that of
the elements and elemental forms.
「エゼキエルの輪」は、円の求積法の問題の解決を含み、そして言葉たちと図たち、文字たち
と象徴たちの間の対応を示す;それは、元素たちと元素の形たちのそれと相似の文字たちの
四文字語を表す。

It is a glyph of perpetual motion.
それは永久運動の象形文字である。

The triple ternary is shown; the central point is the first Unity; three circles
are added, each with four attributions, and the dodekad is thus seen.
3つの三つ組が示される;中心の点は最初の「単一性」である;3つの円たちが追加され、
それぞれが4つの属性たちを持ち、そして従って12のものが示される。

The state of universal equilibrium is suggested by the counterpoised emblems, and
the pairs of symbols.
普遍的な平衡の状態は、釣り合わされた象徴たち、そして記号たちの一組たちにより示唆
される。

The flying Eagle balances the man; the roaring Lion counterpoises the laborious
Bull.
飛行する「鷲(ワシ)」は、人と釣り合う;吼える「ライオン」は、勤勉な「雄牛」と
釣り合う。
--- ここまで ---

ここは、レヴィ氏の『The Magical Ritual of the Sanctum Regnum/神聖界の魔術儀式』
からの引用の箇所になります。(ここは、突っ込んだら負け、の箇所ですね。)
0402名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/04/16(木) 06:12:35.34ID:zEL4/2+4
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 197) ---
Kether, the Crown, Tiphareth, Beauty; and Yesod, Foundation, form a central axis,
while Wisdom, Chokmah, equilibrium with Understanding, Binah; and the Severity
of Justice, Geburah, makes a counterpoise with the Mercy of Justice, Chesed. (*176)
「ケテル」、「王冠」、「ティファレト」、「美」;そして、「イェソド」、「基盤」は、
中心軸を形成し、その一方で、「知恵」、「コクマー」は、「理解」、「ビナー」と平衡し;
そして、「正義の峻厳」、「ゲブラー」は、「正義の慈悲」、「ケセド」と平衡を作る。
(*176)
--- ここまで ---

ちなみに、(*176)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 274) ---
176. Levi, Magical Ritual of the Sanctum Regnum, 39-40.
176. レヴィ著、『神聖界の魔術儀式』、39-40ページ。
--- ここまで ---
とあります。

長い引用ですが、そもそも理解不能なものですので、あまり参考にはならないです。

とはいえ、ウェイト版の「運命の輪」は、このレヴィ氏の「エゼキエルの輪」のパクりで
あることは明白ですので、興味のある人は、色々と深掘りしてみてください。

いずれにしても、この「輪」は、我々の住む世界というか、我々の日々の生活とは、ほぼ
何の関わりも無いシロモノですので、ワタシごときが語れるようなネタは、あまり無いん
ですよね。
まあ、一部の業界の人々にとっては、こういうのは、格好の「何でもありの大盛りテンコ
盛り大法螺吹きネタ」になるんでしょうけど、まあ、そういう感じですしおすし。

コロナ騒動でも、アレな「専門家」とか、一部の「声の大きい人」とか、ヒステリックに騒ぐ
人ばかりが注目されていて、そういう人達こそ自粛してほしいなぁ、とか思うわけでした。
0403名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/04/18(土) 06:28:35.03ID:khKrQTcw
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 197) ---
Insofar as dualities in active manifestation are implied here, it might be suggested
that two wheels would better describe what is intended than one: i.e., one wheel
interlocked in another like a gyroscope, each turning in different directions.
活動的な顕在化の双対性たちが、ここに暗示されている限り、2つの輪たちが、1つもの
よりも、意図されるものを、より良く説明できるであろうことが提案されるかもしれない:
すなわち、1つの輪が、ジャイロスコープのように、別のものに連結され、各々が、異なる
方向に回転する。

This really illustrates what is meant by the Intelligence of Conciliation.
これは、「調停の知性」により意味されるものを、本当に説明する。

It is the mediation of activity between rotating opposites.
それは回転する反対物たちの間の活動の調停である。
--- ここまで ---

「生命の木」の回転(スピン)については、
・「ケテル」:自転
・「至高の三角形」:「ケテル」を軸とした「コクマー」と「ビナー」の回転
・「倫理的三角形」:「ティファレト」を軸とした「ケセド」と「ゲブラー」の回転
・「星幽的三角形」:「イェソド」を軸とした「ネツァク」と「ホド」の回転
・「生命の木全体」:「中央の柱」を軸とした「慈悲の柱」と「峻厳の柱」の回転
というものが考えられます。
つまり、単なる「duality/二重性」というよりも、各階層毎に存在する「dualities/
双対性たち」が、回転運動に関係しているということですよね。
そして、それらの回転軸は、それぞれ次元の違うものですので、その回転軸は同じでは
ないというのも、まあ当然と言えば当然なんですよね。
つまり、「エゼキエルの輪」は、そういう次元の異なる階層化された「活動的な回転運動」
を表現しているということなのですが、だから何なの、と言われると、そもそも上位世界
の話ですので、ワタシには何のことか分かりません、としか答えられないのでした。
0404名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/04/19(日) 05:59:06.31ID:Ol/qgcZ4
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 197) ---
Rotation, in this sense, means a sequence, something which begins and ends and
then begins again.
「回転」は、この意味においては、連鎖であり、始まりと終わり、そしてそれから再び
始まる何かを意味する。

This means periodicity, rhythms of activity as well as cause and effect, what the
Golden Dawn text calls the "counterchanging influence of Light and Darkness."
これは、ゴールデン・ドーンの本文が、「『光』と『闇』の入れ替わる影響力」と呼ぶ
ものや、原因と結果と同様に、周期性、活動の律動たちを意味する。
--- ここまで ---

ちなに、この「ゴールデン・ドーンの本文」というのは、『The Golden Dawn/黄金の
夜明け魔術全書(下巻)』の『THE TAROT TRUMPS/タロー・トランプ」にあります。

さて、「periodicity/周期性」を持つ運動と言えば、「Vibration/振動」と「Rotation
/回転」があるわけですが、この「10:運命の輪」は、単純な「振動」ではなく「回転」
がモチーフとなっています。
なぜ「振動」ではなく「回転」なのかと言うと、要は「振動」が一次元的なのに対し、
「回転」は、それ以上の次元数を持つ、つまり「右」か「左」か、「光」か「闇」か、
といった二元論的なものではなくて、少なくとも三つの様相、一般的には「東西南北」
とか「上下左右」とか「春夏秋冬」とか「士農工商」とか「絶対領域」というような
四文字熟語で表される多面的様相の循環体系を意味しているわけです。

ちなみに、ワタシには、この「10:運命の輪」は、これと補完関係にある「12:吊られた
男」が蒸留装置に見えるのに対して、「遠心分離装置」に見えているわけであり、それら
の働きにより、神秘的清留物なのか神秘的廃棄物なのかは知りませんが、何か得体の知れ
ないものが、上位世界から、我々の住む下界にもたらされるようなイメージがあります。
まあ、それが上位世界のウンコであったとしても、下界にとっては間違いなく「お宝」で
あることは確かだとは思いますけどね。
0406名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/06/09(火) 06:03:37.21ID:/X/GEhmg
>>405
カキコありがとうございます。 (^^)/

病気とか体調不良とかいういうことではなくて、単に仕事の締め切りが近くて、
時間的かつ精神的な余裕が無いというのが原因ですので、ご安心ください。

今のところ、7月中には復帰できる予定ですので、いましばらくお待ちください。
0408名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/07/22(水) 06:17:08.08ID:iTuPcZL+
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 197) ---
Waite describes this activity as "the perpetual motion of a fluidic universe. . .
the flux of human life.
ウェイト氏は、この活動を、以下のように評する。「流動的な宇宙の永遠の動き. . .
人間の人生の流転。

The Sphinx is the equilibrium therein."
スフィンクスは、その中で平衡を保つ。」
--- ここまで ---

ウェイト版の「10:運命の輪」は、前にも述べたように、レヴィ氏の著作をベースにして
いるのですが、いくつかのマイナー・バージョンアップがあります。

一つは、車輪の外輪と内輪の接続を外して、ジャイロスコープのように、外界に関係なく、
内輪が自由に回転できるようにしたことであり、これは、内輪が我々の世界とは独立した
聖域、すなわち真の神の世界であることを明確化したものです。
もう一つは、「スフィンクス」が、寝そべった姿から、座った姿に変えられたことです。
これは、「静的な姿」から「より動的な姿」への変化であって、この「スフィンクス」が、
外輪で示される宇宙の動的な回転運動に、しっかり対応しているというか、さらに言えば、
「内輪の神の世界」から遣わされた「下界を支配する、神の代理大使」の姿であることを
明確に示しているというわけですかね。
まあ、「スフィンクス」は、人(知恵)と獣(力)との合体合成クリーチャーであること
からも、神が下界に遣わせた代理人の代表としては、ふさわしいのかもしれません。

ちなみに、輪にまとわりつく、他の2つのクリーチャーは、蛇に姿を変えた「テュポン」と、
犬の頭を持つ「ヘルマニュビス」であり、いずれも地下世界を司る神となっています。
見方を変えれば、「スフィンクス」は、回転により「テュポン」や「ヘルマニュビス」が
上昇して、輪を完全に支配しないように、上から監視しているようにも見えるわけで、
この3つのクリーチャーが、お互い微妙な立ち位置で、せめぎ合って均衡を保ちながら
活動しているという、一触即発的な不安定さを併せ持っているとも言えるわけですよね。
0410名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/07/23(木) 06:20:32.33ID:f7zRrRc1
>>409
カキコありがとうございます。(^^)/

まだまだ多忙状態が続いていて、本格復帰は、もう少し先になりますが、
ヒマを見つけて、ボチボチ書いていこうと思っております。
0411名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/07/23(木) 06:22:26.54ID:f7zRrRc1
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 197) ---
The Sphinx is the stable element in the midst of change.
「スフィンクス」は、変化の最中において安定している要素である。

Thus in both the Crowley and the Waite cards it sits at the very top of the Wheel.
従って、クロウリー氏とウェイト氏のカードたちの両方では、それは、「輪」のまさしく
最上部に座っている。

In the Golden Dawn card, however, it is removed from the Wheel entirely.
ゴールデン・ドーン版カードにおいては、しかしながら、それは、「輪」から完全に外され
ている。
--- ここまで ---

マルセイユ版、ゴールデン・ドーン版、ウェイト版、そしてトート版の「10:運命の輪」は、
それぞれに特徴があって面白いのですが、ここでは、特に「スフィンクス」の立ち位置の
違いというものについて比較しています。

この立ち位置の違いは、要は、「役割の違い」ということであり、それは我々にとっては、
どう「役に立つ」のかどうかの違いでもあります。
とはいえ、ここでの知識を役立てることの出来る人は、ごく一部ですので、ほとんどの人に
とっては、どうでもいい違いでもあるわけです。

かく言うワタシにとっても、もはやどうでもいい違いなのですが、ワタシの個人的な有用度
というか分かりやすさという点では、
 ウェイト版>マルセイユ版>トート版>ゴールデン・ドーン版
という序列になっております。
まあ、ワタシのレベルが低すぎて、ウェイト版のスフィンクスしか相手にしてもらえない
ということでもあるのですが、ウェイト版のスフィンクスが、かなり幅広い概念を持つ、
ユニバーサルデザインになっているという点も、初心者向けとしては、かなり良く出来た
図案ではないかと思っているのでした。
0412名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/07/24(金) 06:34:29.30ID:Ar4IrcUC
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 197) ---
While Crowley and Waite emphasize the Sphinx as a balancing phase of cyclic energy,
the Golden Dawn card emphasizes its role as the guardian of the gateway of the
mysteries, holding the secret of life and death.
クロウリー氏とウェイト氏が、周期的な精力の釣り合いの面としての「スフィンクス」を
強調する一方で、ゴールデン・ドーンのカードは、神秘的教義の出入口の守護者としての、
その役割を強調し、生と死の秘密を保持する。
--- ここまで ---

ゴールデン・ドーン版の「スフィンクス」の立ち位置というか役割りは、他の版とは少々
異なります。
それは、下にある「Plutonian cynocephalus/、冥界の犬の頭を持つ生物(猿?)」
(以下、「犬頭猿」という)と対を成し、輪から離れた位置で、空中に静止しています。
背景色のグラディエーションからは、「輪」が高次元で回転していて、低次元にある
「スフィンクス」と「犬頭猿」が、下界の「生」と「死」を監視しているように見えます。

つまり、他の版の「スフィンクス」が、「輪」から直接エネルギーを受けて下界に流して
いる実務者の役割も併せ持つのに対し、ゴールデン・ドーン版の「スフィンクス」は、
単なる管理者というか傍観者的なふるまいをしているということであり、下等な人間共の
意見なんぞ聞の耳を持たないような、実に冷酷無比な感じを受けるわけですよ。
そういう意味では、ゴールデン・ドーン版とウェイト版は対極的であり、ウェイト版の
愛想の良さそうなスフィンクスには、ワタシ的には好感が持てるわけですが、このあたり
は、「ツンデレ」好きか、「ウザかわ」好きかという、単なる好みの違いとも言えます。

とはいえ、「スフィンクス」の究極的な役割自体は、どの版においてもほぼ同じであり、
「ここから先は、一般人は立入禁止であり、通ろうとするものは、全て排除」が基本です。
つまり、この「輪」は、一般人にとって極めて危険度の高いものであって、ある程度の
ソーシャル・ディスタンスを保ちながら、このカードと付き合っていくことが必要と
されるということですよね。
0413名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/07/25(土) 06:52:26.58ID:HFOoEkMI
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 197) ---
This interpretation is a later (largely Greek) one, colored to some extent by
eighteenth century romanticism.
この解釈は、18世紀のロマン主義により、ある程度誇張された、後世の(主にギリシャでの)
ものである。

In Egypt the Sphinx was originally a portrait of the Pharoah, symbolizing his great
power (the lion's body) over adversaries.
エジプトでは、「スフィンクス」は、元来は「ファラオ(エジプトの王)」の肖像であり、
敵対者たちを越える、彼の大きな力(獅子の体)を象徴していた。

This view is corroborated by numerous reliefs in which the Sphinx-Pharoah is shown
vanquishing his enemies.
この見解は、「スフィンクス−ファラオ」が、彼の敵たちを打ち負かしていることを表す、
数多くのレリーフたち(浮き彫り細工)により確証される。
--- ここまで ---

二番目の文の「Pharoah」は、「Pharaoh/ファラオ」の誤記ですかね。

さて、元々の「スフィンクス」の持つ意味は、「ファラオ」自身が特撮ヒーローのように
変身して敵と戦う姿であるということであり、本来は、守備表示ではなくて、攻撃表示で
現世での相手に出すべきカードだったようです。

とはいえ、その巨大像がピラミッドの守護者として象徴的に使われ、それが遺構として
後世に残されたために、後代の西洋の人々は、それに守備表示での様々な妄想的属性、
すなわち「神に最も近い神獣」という準神格化を、「ロマン主義」の名のもとにデッチ上げ
ていったというのが真相ですかね。
そして、その神秘的守備属性が、タロットにもパクられて、いやいや聖なる象徴として
採用され、「10:運命の輪」の守護神獣として、「真・神界」の入り口に門番として鎮座する
ようになったということなのでしょうね。
0414名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/07/30(木) 06:08:00.85ID:ooYgnGk1
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 197) ---
The best known Sphinx is that presumed to be Cheops, who built the Great Pyramid
about 2500 B.C.
最もよく知られている「スフィンクス」は、紀元前2500年頃に「大ピラミッド」を建設した、
クフ王であると推定されている

When the Greeks saw this monumental sculpture, more than 1500 years later, they
took it to mean all that was mysterious and magical, a sense reflected in the
tale of Oedipus on the road to Thebes.
ギリシャ人たちが、1500年以上後に、この記念碑的な彫刻を見た時、彼らは、それは全て
神秘的で魔法的であることを意味すると受け取り、その感覚は、テーベへの道での
オイディプス王の物語に反映された。
--- ここまで ---

元々のエジプトでの「スフィンクス」は、エジプト王の頭部と、雌ライオンの胴体を持ちつ
聖なる二体合成獣であって、正義の味方、すなわち権力側に従順な面があり、それゆえ、
王の亡き後、ピラミッドの警備を任じられるほど、権力者のからの信頼は厚かったわけです。

一方、そういう元ネタを知らない、後世のギリシア人たちは、この過去の巨大遺物である
「スフィンクス像」を見て、自分勝手な妄想を始め、そして様々な物語や絵画や彫刻の中で、
この「スフィンクス」をネタにした創作活動を行っています。
そして、その中で最も有名なものは、ギリシア神話に出てくる、オイディプス王の物語なの
ですが、ここで「スフィンクス」の扱いは、小悪魔的害獣&ザコキャラ扱いとなっています。

まあ、元々が、半人半獣というか半神半悪魔的な幻想的創作キャラですし、そういう
意味では汎神的であって、どちらかというと進化しきれていない野性味のある半人半馬の
ケンタウロス族との棲み分けも出来ていますし、そういう感覚の中では、次元を超越した
不可思議なる「神的存在」として認識されやすいのではないかと思うのでした。

つまり、「スフィンクス」は、タロットのネタとしても最適であるということなんですよね。
0415名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/07/31(金) 05:52:14.30ID:NsPZWVDW
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 197) ---
The Sphinx barred the road and asked each traveler the question: What walks on
four legs in the morning, two legs at noon, and three legs in the afternoon?"
「スフィンクス」は道路を封鎖し、各々の旅行者に以下の質問をした:「朝は四本足、
昼は二本足、そして午後は三本足で歩くものは何ですか?」

Those who failed to answer the question were destroyed.
質問に答えることに失敗した人々は滅ぼされた。

Oedipus, however, knew that the answer was man, himself, who crawls in childhood,
walks on two legs in adulthood, and uses a cane in old age.
オイディプス王は、しかしながら、答えは、幼少期には這い、成人期には二本足で歩き、
そして老人期には杖を使う、彼自身である、人であることを知っていた。
--- ここまで ---

この「スフィンクス」絡みのギリシア神話は有名ですので、特に説明しなくてもいいと
思いますが、この「人」について質問には、一点、欠けているものがあります。

それは、人は「夜」すなわち、死後は足で歩かないということであり、この質問を欠いて
いるということは、「スフィンクス」は「夜」すなわち「冥界」の支配者ではないという
ことを意味しているわけです。

要は、「10:運命の輪」を、人の一生とするならば、「スフィンクス」の担当範囲は、
人の「誕生」から「死」の瞬間までであり、「死」からの「腐敗」や「回帰」そして
「甦り」の部分は、他の神々の担当となっているわけです。

つまり、「10:運命の輪」は、「スフィンクス」が偉そうに「輪」のトップの座に君臨
しているように見えますが、実はそれは決して「偉い」とか、他の神よりも上位に位置
しているとかいうわけではなく、単に、「朝から夕方」の昼勤専門であって、夜勤は
他の神々が働いているという、単なる勤務シフトの都合であると考えられるわけです。
0416名無しさん@占い修業中
垢版 |
2020/08/02(日) 06:53:32.20ID:o6Muu+cA
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 198) ---
The response of the Sphinx to Oedipus' correct answer was to throw itself into
the sea, an action replete with meaning for the student of the Qabalah.
オイディプス王の正しい回答に対する「スフィンクス」の反応は、自分自身を海の中に
投げ込むことであり、「カバラ主義」の学徒にとっては、意味に満ちた行動であった。
--- ここまで ---

この、オイディプス王のギリシア神話に出てくる「スフィンクス」は、元来のエジブト
起源の「スフィンクス」とは、全く異なることに注意が必要です。

ギリシア神話の「スフィンクス」は、若い人間の女性の顔と豊満な胸を持つ姿で描かれる
ことが多く、タロットも、それに準じた描かれ方をしています。
つまり、タロットが作られた時代は、元来の「王の守護神獣」ではなく、人々を惑わせたり、
人類進化の行く手を阻む悪魔的存在として認識されていたと考えるのが自然です。

とはいえ、そういうふうに素直に考えないのが、「student of the Qabalah/カバラ主義
の学徒」であるわけで、周囲の安直な意見に流されることなく、その「意味に満ちた行動」
について、色々と妄想を膨らませて、新たな解釈を生み出していくわけです。
つまり、この「オイディプス王とスフィンクス」の話は、タロットの解釈のネタ元として
重要なのですが、これをそのまま、うわべだけの理解のままで、地上世界での話として、
タロットを解釈してしまうのは、完全なる勘違いであることに注意してください。

要は、オイディプス王に倒された「スフィンクス」は、「奴は四天王の中でも最弱」な
存在であって、しょせん地上世界に顕現したザコキャラでしかないわけです。
その一方、タロットに描かれた「スフィンクス」は、地上には顕現しない最強クラスで
あり、人には倒すことは出来ない存在です。

結果的に、この神話ネタから派生したカバラ的妄想は三者三様になってしまうため、
マルセイユ版を元に、ゴールデン・ドーン版、ウェイト版、トート版、それぞれ三者三様
の解釈を持つ「スフィンクス」が描かれるということになっているわけでした。
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