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【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】Part6©2ch.net

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0001名無しさん@占い修業中 転載ダメ©2ch.net
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2016/11/26(土) 06:37:55.23ID:WbyThkxa
近代タロットの理解にはカバラの知識が必須であることは、割とよく
知られていると思います。
しかしなから、タロットの理解に必要なカバラの知識って、日本に
おいては、あまり紹介されていないのが現実なんですよね。

というわけで、タロットの理解に必要なカバラの基本的知識を得るために
以下の本を引用、翻訳、考察しながら、色々と勉強していきたいと思います。

書名:The QABALISTIC TAROT
   A TEXTBOOK OF MYSTICAL PHILOSOPHY
   カバラ主義のタロット
   神秘主義的哲学の教科書
著者:Robert Wang

※話題への、ソコはちゃうやろ的ツッコミとか、雑談とかは歓迎ですが、
教えて的な質問に答えたりとかは面倒なので、スルーする可能性が高いです。
0061名無しさん@占い修業中
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2017/01/17(火) 06:18:36.57ID:e7LwuhbF
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 144) ---
Using the formula "As Above, so Below," we begin by studying our own personal
intellectual and intuitive functions.
「上の如く、下も然り」の公式を使うことで、我々は、我々自身の個人的な、理知的で
直観的な機能たちを勉強することから始める。

As we begin to understand these, we also begin to recognize their patterns in all
created human beings.
我々がこれらを理解し始めるにつれて、我々はまた、全ての創造された人間たちの中に
ある、それらの様式を認知し始める。
-- ここまで ---

「intellectual and intuitive functions/理知的で直観的な機能たちを勉強すること」と
いうのは、「感情」や「感覚」ではなく、「直観」と「思考」、すなわち、ごく普通に
行われている勉強から始めようということです。
つまり、基礎知識を習得し、それを頭で理解し、次にそれを「自分自身」に実践的に応用
して、体で覚えるということですよね。
まあ、ごく当たり前のことなのですが、その当たり前のことが当たり前に出来ないのが、
「人間」という存在ですけどね。

ちなみに、オカルトを「直観」と「思考」で語ろうとすると、その論法には神秘学的な
「formula/公式」が必要とされますので、それらの基礎的な定義や定理や公式について、
きちんと理解して使いこなせるようになっていないと、なかなか大変です。
つまり、部外者には、何を言ってるのか、さっぱりわからないという状態になるわけです。

とはいえ、全ての人間に、「直観」や「思考」や「感情」や「感覚」はあるわけですので、
意識してバランス良く習得していくという態度が必要でもあるわけです。

そうして、自分自身の内なるものを見つめていくことで、他の全ての人間たちのことも、
段々と理解できるようになっていくという流れになっていくわけですよね。
0062名無しさん@占い修業中
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2017/01/18(水) 06:11:57.66ID:ZDUAO6zR
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 144) ---
It may, thus, be appreciated why it is only possible to express these qualities
in terms of symbols.
このようにして、象徴たちの観点からのみ、これらの品質たちを表現することが可能である
理由が、正しく理解されるかもしれない。

The separation of the Body, the Personality, the Higher Self and The Spirit is
only conceptual, the symbols providing a focus for study of any specific aspect
of the inherently indivisible whole.
「身体」、「人格」、「高次の自我」、および「霊」の分離は、ただ単に概念的なもので
あり、本質的に不可分の全体の、何か一つの具体的な様相の研究に向けた焦点を提供して
いる象徴たちである。
-- ここまで ---

オカルトの世界では、一般的な勉強のように言語や数式を使って、世の中の物事を理解して
いくのではなくて、より多義的で多面的な意味を含む「symbols/象徴たち」を使い、そして
我々の中にある目に見えない「内なる世界」を通じて、探究していくわけです。

「言語や数式」というのは、基本的には、物事の「一面」を表します。
それに対して、「内なる世界」は、見方によって、様々な「aspect/様相」を有しており、
一種のホログラムみたいなものになっていますので、それゆえ「言語や数式」でそれらを
完全に表現することは不可能です。
もちろん、単純化することで、一部の概念の「言語化」や「数式化」は可能なのですが、
それはあくまでも「一面」でしかないことは、理解しておかないといけません。

つまり、「内なる世界」が持つ「様々な面」を統一的に記述するための方法としては、
我々は今のところ「象徴」に頼る以外には無いわけであり、それゆえ、我々は「象徴」
の持つ多義的で多面的な意味について、慎重に理解を深めていく必要があるわけです。
そして、その勉強の助けとなるのが、これ以降に解説される、タロットの大アルカナの
象徴たち、というわけですよね。
0063名無しさん@占い修業中
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2017/01/20(金) 06:14:44.12ID:gMvadtBB
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 145) ---
32. THE PATH OF TAU
32. 「タウ」の小径

 The Universe
 宇宙

 The Twenty-first Key
 21番目の鍵(大アルカナ)
-- ここまで ---

ここから、「生命の木に基づく大アルカナ」の章の中での新しい節になります。

サブタイトルは「タウの小径」です。

さて、ついに最初の「大アルカナ」のカードの解説に到達したわけですが、ここで改めて、
「大アルカナ」の勉強方法について確認しておきたいと思います。

よく言うのですが、占いにおける「大アルカナ」の勉強法では、カードの意味を「覚える」
のではなく、カードの意味を「考える」、「感じる」、「ひらめく」ということを重要視
します。
もちろん、「覚える」ことを否定するわけではないのですが、それはもう重要ではないし、
そもそも記憶に頼る勉強法は、「小アルカナ」まででしか通用しません。
つまり、はっきり言って、「大アルカナの意味」として本などに書かれている文字列は、
実のところ「大アルカナの意味としては、意味の無いもの」であり、実のところ、ほとんど
役には立たないというか、的外れなものばかりなんですよね。

じゃあ、意味を覚えることがダメなら、どうやって勉強すればいいの、ということになる
わけですが、それは、今まで何度も述べてきたように、下位概念である意味を導き出す、
上位概念である「象徴」について勉強する、ということになるわけですよね。
0064名無しさん@占い修業中
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2017/01/21(土) 07:04:13.28ID:BiNBacNz
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 145) ---
□ PATH COLOR: Indigo
□ 「小径の色」:「藍色」

□ RELATED SOUND: A Natural
□ 「関連した音」:「Aのナチュラル」

□ PLANET: Saturn
□ 「惑星」:「土星」

□ MEANING: Tau Cross, Equal Armed Cross
□ 「意味」:「タウ十字」、「等しい腕の十字(ギリシャ十字)」

□ DOUBLE LETTER: Power-Servitude
□ 「複字」:「権力と隷属」

□ ESOTERIC TITLE: The Great One of the Night of Time
□ 「秘伝的な称号」:「時の夜の偉大なるもの」
-- ここまで ---

この本の、この文章の右側には、「タウ十字」と、「等しい腕の十字」と、ヘブライ文字の
「タウ」と、「土星」の占星術記号、および「生命の木」における「タウの小径」の位置が
図示された絵が描かれています。

まず、「PATH COLOR/小径の色」の項は、ゴールデン・ドーン体系における『黄金の夜明け
魔術全書』の「第五知識講義」の「4つの色階」の表において、「大アルカナ」は「王の
色階(アツィルト)」に属しているので、その32番目にある「Indigo/藍色」になります。

(次に続く)
0065名無しさん@占い修業中
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2017/01/21(土) 07:05:08.30ID:BiNBacNz
(前の続き)

「RELATED SOUND/関連した音」の項は、ゴールデン・ドーン体系においては、その音階
は「A Natural/Aのナチュラル」、すなわちシャープもフラットも付かない基本の「ラ」
の音階(基本周波数は440Hz)であるとされています。

「PLANET/惑星」の項は、「タウ」が複字ですので、『セフェル・イェツィラー(形成
の書)』においては「惑星」に属し、ゴールデン・ドーン体系においては、そのうちの
「土星」に配属されます。

「MEANING/意味」の項は、ヘブライ文字の持つ意味であり、『黄金の夜明け魔術全書』の
「第一講義文書」の「ヘブライ文字アルファベット」表にある「Cross/十字」に関連する
ものとなっています。

「DOUBLE LETTER/複字」の項は、『セフェル・イェツィラー(形成の書)』の第四章に
ある「対立する意味」のうち、「Power-Servitude/権力と隷属」となっています。

「ESOTERIC TITLE/秘伝的な称号」の項は、『黄金の夜明け魔術全書』の「"T"の書」の
最初にある「タロットの象徴たちの称号たち」の表の、78番に書かれているものです。

とりあえず、以上が、「タウの小径」を象徴するものたちとなります。

だから何、とは聞かないでください。

その理由は、自分自身で考えるのですから。
0066名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/01/22(日) 07:10:48.00ID:ExQMbeJ7
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 145) ---
The Thirty-second Path is the Administrative Intelligence, and it is so called
because it directs and associates, in all their operations, the seven planets,
even all of them in their own due courses.
「知恵の32の小径たち」:「32番目の小径」は「管理する知性」であり、 それは7つの
惑星たちの、それら全ての運行たちを、さらにそれらの全てにそれら自身に相応の進路を、
指導し関連付けるがゆえに、そう呼ばれる。
-- ここまで ---

ここは、ウェストコット氏の英訳版『The Sepher Yetzirah/セフェル・イェツィラー
(形成の書)』の「THE THIRTY-TWO PATHS OF WISDOM/知恵の32の小径」からの引用です。

要するに、我々に見える宇宙の動きを制御する、運動神経系の末端神経節のような部分で
あって、この働きにより、我々の宇宙の構成要素である「7つの惑星たち」が運行している
ということになります。

ちなみに、「31番目の小径」と「30番目の小径」も、天体の運行に影響する要素となって
いますので、占星術の世界は、「生命の木」においては、このあたりの領域となっています。

さて、この「32番目の小径」は、天体の動きを最終的に司る「末梢神経節」であるため、
ここをうまく乗っ取ってやれば、理論上は、この宇宙もしくは太陽系を支配することも
可能となるわけであり、それゆえ我々にとっては、最も魅力的な領域でもあるわけです。
逆に言うと、「小径たち」を真に制覇するのって、いきなり最初からハードルが高いと
いうことでもあるわけです。

とはいえ、この宇宙である「マクロコスモス」の「小径たち」に対しては、我々は一般
ユーザであるため、書き込み権限を持たず、読み出しのみ可能なんですよね。
つまり我々は、その劣化コピーである自分自身の「ミクロコスモス」にハッキングして
書き込んでみて、その働きを色々と試してみるしか許されていないのでした。
0067名無しさん@占い修業中
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2017/01/25(水) 06:23:02.31ID:2Ba/5hxm
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 145) ---
Study of the Paths begins not with the first card, THE FOOL, but with the last,
THE UNIVERSE.(*97)
「小径たち」の勉強は、最初のカードである「愚者」ではなく、最後の「宇宙」から
始まる。(*97)
-- ここまで ---

ちなみに、(*97)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 271) ---
97. Refer also, on each card to "Notes on the Tarot," by Mathers, Golden Dawn,
v. I, 141-143 with the "unofficial" discussion of the Tarot Keys, v. IV. ('Book
T'), 209.
97. また、各々のカードにおいては、マサース著の『黄金の夜明け魔術全書』第一巻
141-143ページの「タロットに関する覚書」を、「タロットの鍵たち(大アルカナ)」
第四巻('Tの書')の209ページの「非公式」の考察と共に、参照すること。
This article, entitled "The Tarot Trumps," is signed by "Q.L.," meaning "Quaero
Lucem" the Stella Matutina name taken by Mrs. Felkin.
「タロットの大アルカナたち」という表題を付けられた、この論説は、フェルキン夫人と
思われる「暁の星」団の名前である「探す光」の意味の「Q.L.」により署名されている。
She obviously lacked the profound understanding of the Tarot of either Mathers
or Crowley, but these descriptions have some utility.
彼女は明らかに、マサース氏やクロウリー氏の両者のようなタロットの深淵な理解が欠けて
いたが、しかしこれらの記述には、いくらかの有用性がある。
They are, surprisingly, the only discussion of the Golden Dawn Trumps.
それらは、驚くことに、「ゴールデン・ドーン」の「大アルカナ」の唯一の議論である。
Mathers confined his explanation to those few cards used in the early rituals.
マサース氏は、初期の儀式たちで使用された、これらの少数のカードたちについての、
彼の説明を限定した。
--- ここまで ---
とあります。
0068名無しさん@占い修業中
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2017/01/26(木) 06:16:48.03ID:0qshZo/+
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 145) ---
This is because we ascend the Tree of Life, working from our material perspective
("below") to the realms of Pure Spirit ("above").
これは、我々が「生命の木」を登るからであり、我々の物質的な見方(「下」)から、
「「純粋な精霊」の領域(「上」)へと向かって勉強することである。
-- ここまで ---

この本の「小径たち」の勉強では、最後の21番の「宇宙」を出発点とし、最初の0番の
「愚者」を目的地として旅します。
そして、その根拠は、(*97)の「The Tarot Trumps/「タロットの大アルカナたち」の最後
のあたりに、何となく書かれているということです。

ちなみに、この「下から上へ」という勉強法は、ワタシ自身も普通に使う勉強法であり、
最初に「世界」という「生命の木」の入り口でお姉さんと少々遊んでから、「生命の木」
の深遠なる世界の中へと入っていくのが好きです。

というか、ゴールデン・ドーンのカードの「世界」のカードって、どう見てもネオン街に
立つ、「ちょっとワタシと遊んでいかない?」的な人にも見えるわけで、ワタシにとって、
とても親しみが持てるというか、かわいいお姉さんに誘われてるから、ちょっと中に入って
みようか、という感じで、ついフラフラと「大アルカナ・ワールド」へと遊びに行きたく
なるんですよね。

つまり、「世界」から入るのがいいか「愚者」から入るのがいいかと聞かれたら、ワタシ
は迷わず、「世界」から入ることを選択します。

当然ながら、これはタロットをデザインした人の意図でもあるわけで、それゆえ我々の
ような煩悩にまみれた下界の人間は、妖艶なるお姉さんのいる俗っぽい「世界」のカード
から入り、聖なる「小径の旅」へと旅立つことが適切であると考えられるわけですよね。
0069名無しさん@占い修業中
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2017/01/27(金) 06:19:57.36ID:ukc1sDJ0
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 145) ---
Our understanding of the more refined universal patterns is based on what we learn
on this earth.
より洗練された普遍的な様式たちの我々の理解は、この地球の上で我々が学ぶものに基づく。

It is with the earth that serious esoteric work begins and ends, as long as our
Divine Consciousness is functioning through a physical vehicle.
我々の「神の意識」が物質的な媒体を通じて機能している限り、真剣な秘伝的な勉強が
始まり、そして終わることは、地球と共にある。
-- ここまで ---

「生命の木」の「小径たち」は、この「宇宙」のカードを起点とし、「大宇宙への旅」と
「小宇宙への旅」の二つのルートが、もつれ合いながら進行していきます。
そして、どちらも行き着く先は「ケテル」ですよね。

つまり我々は、我々のいる地点において、しっかりと地に足を付け、意識においても
自分自身を見失うことなく、すなわち「我ここにあり」という基底的状態を出発点とし、
上へ、そして下へと旅することが大事であるということです。

そして、その旅する上で重要なのは、今まで我々が地上で勉強してきたこと、つまり普通
の勉強で得られた知識や、普通の人生で得られた経験なのです。
要するに、妄想じみたオカルトの勉強をいくらしてみたところで、「宇宙への旅立ち」の
役には立たないということなんですよね。

とはいえ、この「大宇宙への旅」や「小宇宙への旅」というのは、現代科学においても
超絶最先端の分野であり、シロウトが簡単に知識を習得できるようなレベルでもないわけ
でして、それゆえ難解かつわけわからないシロモノでもあるわけですよ。
現代におけるプロの研究者でさえ理解できない分野を、我々のようなアマチュアのオカルト
ヲタクが、あれこれと詮索するということですので、あまり真剣にならずに、一つの娯楽と
割り切って楽しんでもらう方がいいのかな、と思ったりするわけなのでした。
0070名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/01/28(土) 06:41:53.53ID:wc2rSOi/
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 145) ---
The Path of Tau, THE UNIVERSE, joins Malkuth (the Earth) with Yesod (the Foundation).
「宇宙」である「タウの小径」は、「イェソド(基盤)」と「マルクト(地球)」を結合する。

It is the first Path out of the material condition and leads toward an understanding
of the Personality forged by the Higher Self of Tiphareth for each incarnation.
それは、物質的な状態から脱する最初の「小径」であり、各々の肉体化のために「ティ
ファレト」の「高次の自我」により作り上げられた「人格」の理解へと導く。
-- ここまで ---

我々「人間」は、ざっくり言うと「肉体」と「精神」の二つの要素から成っています。
そして、それらを繋ぐ最初のものであり、かつ最重要のものが、この「タウの小径(宇宙)」
になります。

そしてこれは、「the first Path out of the material condition/物質的な状態から
脱する最初の小径」であるのと同時に、我々が「物質的な状態へと入る最後の小径」でも
あります。
すなわちこれは、我々が「マルクト(地球)」に産まれ落ちる経路そのものであり、
それゆえ、我々が地上から見上げる「宇宙」のカードのデザインは、偉大なる「母なる
宇宙」、はーちゃんのはいてないまるみえのお○○こということになるわけです。

そして、我々が「タウの小径」を遡るには、実は二つの方法があります。
一つは、時間を巻き戻して、母なる胎内へと戻ることであり、もう一つは、時間を早送り
して、死して肉体を離れて霊となって、再生のために母なる胎内へと戻ることです。

そう、「タウの小径」って、実は「マルクト」の三次元空間の上位にある、四次元時空
を構築している「時間軸」をも司っているんですよね。

まあ、難しいことは抜きにすると、このカードは、我々にとっての「聖四文字」である
お○○こを象徴するというのが結論なのです。←強引な結論w
0071名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/01/29(日) 06:05:01.72ID:iGBSMp7W
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 145) ---
The Thirty Two Paths of Wisdom calls this the "Administrative Intelligence," and
says that it "directs and associates in all their operations the seven planets."
「知恵の32の小径たち」は、 これを「管理する知性」と呼び、そして、それは「7つの惑星
たちの、それら全ての運行たちを、導き関連付ける」と言う。

Symbolically, this Path connects the earth with the balanced powers of Microprosopus
represented by the Hexagram (seven planets on the Tree of Life.)
象徴的に、この「小径」は、地球を、「六芒星形」により表される「ミクロプロソプス
(小さな顔)」(「生命の木」の上の7つの惑星たち)の釣り合いが取れた力たちと接続
している。
--- ここまで ---

「大宇宙」および「小宇宙」の出入り口となる「宇宙」のカードの「門」は、我々に
向かって開かれています。(エロい意味で)

そしてそこにあるのは、童貞、いやいや地上に住む我々にとっては、ほぼ未知の世界であり、
そこで初めて、未知の体験をするということになります。

じゃあ、このエロい体験が、何で「Administrative Intelligence/管理する知性」と
呼ばれなければならないのか、ということですが、要するに、この32番目という最低準位
にある知性のレベルにおいては、そういう動物的とも言える人間の「低次の意識レベル」
を、上位陣の力を借りて、しっかりと本能的な欲望を管理して、余分なものをふるい落と
していく役割があるのではないかと、勝手に解釈しているのでした。

まあ、そういうわけで、ほとんどのエロ目的の童貞たちは、このゲートで待つお姉さんに
シコシコしてもらうことで満足して帰ってしまう(管理される)ので、そういう管理された
エロ・トラップを越えて、さらなる神秘の秘門へと立ち入ろうとするような物好きな人間
って、実はほとんどいないわけなんですよね。
以上、勝手な妄想ですが。w
0072名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/01/30(月) 06:19:13.98ID:vdpJW+lk
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 146) ---
Tau is the last letter of the Hebrew alphabet.
「タウ」は、ヘブライ語アルファベットの最後の文字である。

Between Aleph and Tau is the entire universe, referred to in Christian Greek terms
as the Alpha and Omega, the beginning and the end.
「アレフ」と「タウ」の間には、キリスト教ギリシャ語の用語たちにおいて、「アルファ」
と「オメガ」、始まりと終わり、と呼ばれている、完全なる宇宙がある。

Tau means cross, a T-Cross as well as one which is equal-armed, which is appropriate
to its position on the Cube of Space as described in the Sepher Yetzirah.
「タウ」は、「セフェル・イェツィラー(形成の書)」において説明されるように「宇宙
の立方体」の上でのその位置にふさわしい、「十字」を、「等しい腕の十字(ギリシャ
十字)」だけでなく「タウ十字」をも意味している。
--- ここまで ---

「アレフとタウ」、「アルファとオメガ」、日本語だと「一から十まで」といった感じで、
この世の全てのものを包括的に表現する用語です。

『セフェル・イェツィラー(形成の書)』においては、「タウ」は、この宇宙の中心点を
表しており、それゆえ、東西、南北、上下の直行軸が交差(cross)する地点でもあり、
それゆえ、「十字」という意味が象徴的に使われているということです。
元々のヘブライ文字の意味も、「Cross/十字」ですので、なかなか良く出来ていますよね。

実のところ、物質界を統べる法則は、この「タウ」の交差で表されるように、数々の法則が
多次元的に組み合わさったものですので、我々の知る物理法則の多くは、この「タウ」と
いう、我々の物理界の一つ上にある抽象化次元において論じることのできるものも、
数多くあるというわけです。
注意すべきは、それらの法則は、あくまでも上位法則の「Cross/交差」により生まれた
見かけの法則であって、真の法則は、まだ隠されているということなんですよね。
0073名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/01/31(火) 06:08:30.78ID:Atm2hKGo
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 146) ---
That book refers to Tau as the "Palace of Holiness, sustaining all things."
その書物は、「タウ」を、「全ての物事たちを支える、神聖なる宮殿」と言及する。

It is both "Power and Servitude."
それは、「権力と隷属」の両方である。
--- ここまで ---

「タウ」は、「セフェル・イェツィラー(形成の書)」の第四章において、「Palace of
Holiness, sustaining all things/「全ての物事たちを支える、神聖なる宮殿」と説明
されているように、この宇宙の物質化という点において、最も重要な地点となっています。

そして、「タウ」は「Cross/十字」であり、かつ、その文字の形を見てわかるように、
上で支えられている一本の棒と、下で支える二本の棒から成ります。
この両者の関係を、「権力と隷属」という見方で、どう解釈するかですよね。

つまり、上で支えられる側が「権力」で、下から支える方が「隷属」と見ることも出来ます
し、下から支える方が「権力」で、、上で支えられる側が「隷属」と見ることも出来ます。
さらに言うと、上で支えられている一本の棒と、下で支える二本の棒から成る宮殿全てが
一体となって、「権力と隷属」を一体的に象徴すると考えることもできます。

つまり、我々は、「タウ」の「権力」に隷属することもできるし、権力により「タウ」を
「隷属」させることも出来るわけです。
そして、そういう「攻め」と「受け」の二面性があるからこそ、「タウ」の世界で遊ぶのは
楽しいし、なかなか飽きることもないということなんですよね。

実際のところ、ここら辺りで楽しく遊んでいるのが、一番楽しいのであって、ここから先は
わけわからない茨の道が続くわけですので、さっさと脱落した方がいいというのも確かです。
0074名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/02/01(水) 06:14:33.83ID:iilRWPeQ
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 146) ---
And, when considered on the Cube of Space, it is found to be at the exact central
point of the three Maternal Letters, Aleph, Mem and Shin, the symbolic forms of
energy from which manifestation was created.
そして、「宇宙の立方体」において考慮される時には、それは、3つの「母字たち」である、
「アレフ」、「メム」、そして「シン」、すなわちそこから顕在化により創造された精力の
象徴的な形態たちの、正確な中心点であることが分かる。

The Path of THE UNIVERSE is the key to all of this because it falls at the point
where they all cross (refer again to Figure 24).
「宇宙」の「小径」は、それら全てが交差している地点において、それが降下するので、
これの全ての鍵である(再度、図24を参照すること)。
--- ここまで ---

「宇宙の立方体」における「母字」の配属は、『セフェル・イェツィラー』由来のもの
ではなく、近代の定義によるものですので、ワタシ的には、あまり重要視するものでは
ないと思うのですが、とりあえず、ここでは、重要な「key/鍵」であるとされています。

とはいえ、「母字」の話を抜きにしても、この「タウ」が、この上位世界の宇宙の中心点
にあるということは『セフェル・イェツィラー』にも明記されているわけですし、この
中心点から、我々の物質的な下位宇宙が「manifestation/顕在化」によって創造された
というのも確かです。
すなわち、現代宇宙論で言うところの「ビッグパン」の中心ということですよね。

さて、この「宇宙の立方体」の理論に従えば、我々の物質宇宙と繋がっているのは、この
「タウの小径」だけという話になるわけで、これは「生命の木」の「マルクト」に繋がる
「三本の小径」の理論体系とは、整合性がありません。

この矛盾点がどこから来ているのかを考えてみることは、「生命の木」や「小径」の理解
にも繋がりますので、みなさんも、ぜひ色々と考えてみてください。
0075名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/02/02(木) 06:22:57.41ID:U8Zh8xoB
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 146) ---
This crossing point, where these primary energies are balanced, is the sanctum
sanctorum of the devotional mysteries.
これらの主要な精力たちが釣り合いの取れた場所である、この交差する地点は、信仰の
神秘的教義の「至聖所」である。

Some writers have even described this Path as "Heaven," or "Nirvana," meaning that
here one experiences the consciousness of the greater universe, an ultimate reality
by comparison with our sensory condition.
何人かの作家たちは、この「小径」を、我々の感覚の状態との比較することにより、ここで
人がより大きな宇宙の意識や、究極の実在を経験することを意味する、「天国」、もしくは
「涅槃」と評しさえしたことがある。

And by the formula of "As above, so below," we understand that our experience of
the completed universal pattern below tells us something about the Creator above.
そして、「上の如く、下も然り」の公式に従って、我々は、下位の完成した普遍的な様式の
我々の経験は、上位の創造者についての何かを我々に語る、ということを理解する。
--- ここまで ---

まあ、難しい話を抜きにして要約すると、下位の「マルクト」にある我々が、「宇宙」の
お姉さんの○○○○に向けて上向きに精力を注ぎ込むことで「別人格の人間」すなわち
「新たな小宇宙」を産み出すという行為は、創造者が「ケテル」に向けて精力を注入する
ことで、「新たな大宇宙」を産み出すのと、似たようなものであるということです。

そういう意味では、我々人間は「創造神」の鏡像であり、我々自身を知ることは、創造神
を知ることと同等であるという屁理屈が成り立つわけです。
つまり、神秘的教義の「至聖所」は、視点を変えれば、よくあるエロ教義の「至性所」と
なるわけですが、神秘的教義のお題目である「上の如く、下の然り」の信仰にこだわる
限り、それらを区別することは不可能なんですよね。
ですので、きちんと見定めて、欺されないようにしましょう。
0076名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/02/03(金) 06:21:16.30ID:U/QIc0s2
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 146) ---
One symbol which can be applied to both THE FOOL and THE UNIVERSE, the beginning
and the end, is the Swastica or Gammadion.
始まりと終わりである、「愚者」と「宇宙」の両方に適用できる1つの象徴は、「まんじ
(卍)」または「かぎ十字」である。

In Kether its arms spin so rapidly that they merge and are perceived as a unified
point.
「ケテル」においては、その腕たちはとても速く回転するので、それらは溶け合い、統合
された点として知覚される。

Such is the lesson of THE FOOL.
そのようなものは、「愚者」の学課である。
--- ここまで ---

「Gammadion/かぎ十字」は、ギリシア文字の「gamma/ガンマ」の大文字であるΓΓ」を
四つ放射状に配置したものであり、「Swastica/まんじ(卍)」とは曲がり方が逆に
なっています。
そして、「まんじ(卍)」と「かぎ十字」の両方とも、「ケテル」に配属されており、
それらは「ケテル」においては「高速回転を伴う十字」を象徴しています。
その一方で、回転を伴わない普通の十字は「マルクト」に配属されています。

そういうわけで、最初のセフィラである「ケテル」の「まんじ(卍)」と「かぎ十字」が、
最初の小径である「愚者」に、そして最後のセフィラである「マルクト」の「等しい腕の
十字(ギリシャ十字)」が最後の小径である「宇宙」にも割り当てることができるという
理屈になるわけですが、なぜかついでに、「まんじ(卍)」と「かぎ十字」も「宇宙」に
割り当てようということです。
これはつまり、「宇宙」は、高速回転を伴わない、すなわち知覚可能なほど低速回転して
いる劣化「ケテル」の「まんじ(卍)」であり、「マルクト」で回転が停止して「十字」
になる一歩手前の状態を表しているということになるわけですよね。
0077名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/02/04(土) 06:59:56.88ID:PSeJfs7q
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 146) ---
On the Path of THE UNIVERSE, however, it could be said that the Swastica has slowed
its spin so that each of the arms is completely perceptible and are seen to be
perfectly balanced around the central point.
しかしながら、「宇宙」の「小径」の上では、「まんじ」がその回転を遅くしたところで
あるので、腕たちのそれぞれが完全に知覚可能であり、中心点の回りで完全に釣り合いが
取れていることが見られると、言われることができた。

This is the complete expression of The One in matter.
これは、「物質界における選ばれし者」の完璧な表現である。
--- ここまで ---

「The One in matter/物質界における選ばれし者」とは、すなわち「地上に降りた神」
もしくは「地上に降りた天使」のような存在であり、要は「この物質世界を統べる者」
そのものです。

そして、大きな翼をたたみながら着地する天の御使いのようなイメージでもいいですし、
ひらめく天の羽衣を纏った天女が舞い降りる姿でもいいですし、頭のてっぺんにくるくる
回転するタケコプターを付けたドラえもんが着地するイメージでもいいですし、とにかく
天空から地上に舞い降りる姿というものが、この「宇宙」の中にあるわけです。

そして、「上の如く、下も然り」。
つまり、天から舞い落ちてきた少女の下敷きになった「あなた」自身が、新たなる物語の
主人公、すなわち「物質界における選ばれし者」となって、新しい世界へと旅立ち、そして
混沌として波乱に満ちた、もう一つの世界を救うというストーリーもあるわけです。

「宇宙」が示す「タウの道」は、終わりでもあり、そして始まりでもあります。

新たなる物語の始まりを表すカードとしては、なかなか面白いデザインであると思いませんか。
0078名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/02/05(日) 08:09:10.85ID:9Kc3JiKD
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 146) ---
In discussing THE UNIVERSE we are really discussing the world of matter.
「宇宙」について論じる中で、我々は実際には物質の世界について議論する。

Most people have a dualist conception of themselves: they are body and mind, and
when they dream or meditate, the images which come to them are considered to be
divorced from the physical.
ほとんどの人々は、彼ら自身の二元論的な概念を持つ:それらは、肉体と精神、そして
彼らが夢を見ているか、もしくは暝想する時は、彼らのところに来る映像たちは、身体
から分離されると考えられている。

Yet the Mysteries have stated for generations that the cosmos is all mind, and that
the distinction between mind and body is one of perception, not of actuality.
けれども、「神秘的教義」は、宇宙は全ての精神であり、精神と肉体の区別は現実のもの
ではなく、知覚のうちの1つであると、何世代にもわたって、ずっと述べ続けている。
--- ここまで ---

つまり、我々が見たり聞いたり触ったり味わったりしていると我々が考えている「物質」
というものは、「神秘的教義」においては、我々が現実にそこにそのようにあると考える
ようにあるものではない、すなわち「リアル」とは見なされていない、ということです。

そして、「我思う、ゆえに我有り」という一人称視点を理解できるのであれば、「我、
其れを思う、ゆえに其れ有り」というような第三者的視点というものも、何となく理解
できるのではないかと思います。
つまり、この宇宙の全てのものは、我々が知覚することで初めてリアライゼーション、
すなわち実体化されるという、ちょっとだけ高度な話になります。

ややこしいのは、我々の精神は、肉体とは切り離せないので、どちらが卵でどちらが鶏
かという話になった時は、人類の世代だけでは完結せず、この宇宙の創造神となるべき
「最初に知覚する神」の存在を必要とすることなんですよね。
0079名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/02/06(月) 09:16:31.49ID:UYT/k66z
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 146) ---
In fact, when we close our eyes and see pictures, what we are first seeing is the
most refined form of matter, the images and energy forms which are closest to
the physical condition.
実のところ、我々が我々の目を閉じて映像たちを見る時に、我々が最初に見ているものは、
物質的な状態に最も近い、物事、像たち、および精力の形状たちの中で、最も多くの精錬
された形態である。

The concept which must be grasped (an admittedly difficult one) is that most of
the physical world is unseen.
把握されなければならない概念(疑いなく難しいもの)は、物質的な世界のほとんどは、
見えないことである。

It is for this reason that on the scheme of the Four Worlds, the Malkuth of Assiah
alone is described as our sphere of sensation.
「4つの世界たち」の体系において、「アッシャー」の「マルクト」だけが、我々の感覚の
天球と称されるのは、この理由による。
--- ここまで ---

我々の五感による感覚で認知できるものは、カバラの体系においては、「4つの世界」の
「アッシャー」という最下層の、そのまた最低準位にある「マルクト」に限られます。
感覚器官として最も優れている「目」であっても、遠くの方は、せいぜいアンドロメダ銀河
くらいまでしか見えないわけで、この宇宙全体から見ると、ごくごく一部なのです。
そして、近くであっても、小さいものは見えませんし、光を反射しない物質も見えません
し、何かに遮られていると見えません。

人間は、科学の力で、だいぶんと遠くの方まで、小さいものまで、光を通してしまうもの、
何かに遮られているものも、ある程度まで見ることができるようになってきてはいますが、
まだまだ人間には、見えない、そして知らない世界が、この宇宙には広がっているという
ことなんですよね。
0080名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/02/07(火) 00:33:46.95ID:aY9EXfwn
sage
0081名無しさん@占い修業中
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2017/02/07(火) 08:45:43.38ID:sjv69pwR
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 146) ---
The idea is symbolized in the card by the seven pointed star representative of
the Seven Palaces of Assiah.
考え方は、「アッシャーの7宮殿」を代表する七芒星により、カードの中に象徴されている。

To experience the Path of THE UNIVERSE is to be taken to the gateway of these seven
palaces.
「宇宙」の「小径」を経験することは、これらの7宮殿の門に連れて行かれることである。
--- ここまで ---

ここでの「the Seven Palaces of Assiah/アッシャーの7宮殿」というのは、おそらく
「七惑星」、すなわち、我々の目に見える、間近の宇宙系である「可視太陽系」のこと、
つまり、我々が認知可能な「宇宙」の範囲である、「感覚の天球」の領域を表します。

そして、ウォン氏のゴールデン・ドーンのタロットでは、これを表す「the seven pointed
star/七芒星」が、裸の女神の足元に、さりげなく描かれています。

さて、この「宇宙」のカードが、上位世界への入り口であることは、おそらく誰もが直感的
に理解できるかとは思うのですが、それでも、多くの人は、黄道十二宮の輝くネオンサイン
に飾られた、裸の女神像に目を奪われていると思います。
そして、それらが、単なる客寄せのためのイルージョンであることは、賢明な人であれば、
うすうす気づいているかと思います。

そう、地上の我々にとって、「宇宙」のカードの中で最も重要な象徴は、実はこの○○○に
しか見えない「七芒星」であって、ここから大地に向けて噴出する「母なる女神」の○○○
の出てくる穴から、どうぞお入りなさい、という、とんでもない○○○○プレイなのです。

まあ、人間の出す○○○と比べれば、女神の○○○は聖なる○○○ではあるわけですが、
それでも、そういった象徴が堂々と描かれているということは、そういうプレイの要素が
魔術の中に含まれているということにもなるわけですよね。←酷い妄想w
0082名無しさん@占い修業中
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2017/02/08(水) 06:10:32.31ID:Mo5WE1V0
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 146) ---
THE UNIVERSE symbolizes a Path where the components of the Universal Plan become
apparent, without necessarily being understood.
「宇宙」は、必ずしも理解されることなく、「普遍的な計画」の構成要素たちが明白になる
ところの「小径」を象徴している。

One may enter the Holy of Holies, and encounter these forces in such a way that
he is "in them, but not of them."
人は、「最も神聖なる場所」に入り、そして彼は、「それらの中にいるが、それらに属して
いない」ような方法で、これらの力たちに遭遇するかもしれない。
--- ここまで ---

「宇宙」のカードの下部に空いている「七芒星形」の「○門」から、宇宙の体内に入る
ことは、外からは窺い知ることのできない宇宙の体内で何が行われているかを知るための、
偉大なる第一歩となります。

とはいえ、その場所で行われていることは、物理的な身体に結び付けられている我々に
とっては、まだまだ理解することのできないものばかりです。
それに何より、ここはそのうち自然に排泄される場所ですので、たとえ道に迷ったとして
も、じっとしていれば、比較的安全に下界に戻って来れるという特典もあります。
まあ、まだまだ「お客様」というか、単なる異物扱いされているわけですけどね。

そして、ここから先の道を行くには、さらなる「of them=宇宙との一体化」が必要と
されるわけであり、それには必然的に「理解」が必要とされ、そして戻って来れなく
なる危険性も出てくるわけです。

つまり、この「宇宙の小径」は、我々のような入門者であっても、オカルト的なプレイが
比較的安易に楽しめる場所であり、そして、この「神聖なる場所」で女神様の「運」を
付けておくと、下界で色々と良いことがありそうな感じもするわけですよね。
0083名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/02/09(木) 06:15:15.38ID:wZehKSrN
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 146) ---
What is important is that, as opposed to other Paths, the energies are all present
in their full expression, and are self-balanced.
重要なことは、他の「小径たち」とは対照的に、精力たちが、それらの最大の表現において、
全て存在しており、自身で釣り合いが取れていることである。

This, as well as the idea that Tau is the central point of the Aleph, Mem and Shin
Paths, is what is meant by the equal-armed cross.
これは、「タウ」が「アレフ」、「メム」そして「シン」の中心点であるという考え方と
同様に、等しい腕の十字により意味されているものである。
--- ここまで ---

「タウ」は、最後の「小径」ですので、ほぼ全てが完成した状態となってから、最後の
「セフィラ」である「マルクト」へと出荷されていきます。
でも、「地」の要素が欠けていますので、完全に完成した状態ではないわけですけどね。

とりあえず、「タウ」には、「アレフ=空気」、「メム=水」そして「シン=火」が
バランスよく配合され、「マルクト=地」に注がれるという構図になるわけですが、
「生命の木」を見ると、「タウ」は「イェソド=空気」から出ていますので、どちらか
というと、「空気」成分が多めとなっています。
そういう意味では、「self-balanced/自身で釣り合いが取れている」とは言い切れない
わけで、他の「シン」や「レシュ」の「小径」を含めた形で釣り合っているようにも
見えるわけです。

とはいえ、その「濃さ」という意味においては、「イェソド」と「マルクト」を結ぶ
「タウ」が最も密度が高いのは確かですので、理論上は完全ではないにしろ、我々に
とっては、実用上は「self-balanced/自身で釣り合いが取れている」状態であると
言えるということも確かなのです。
要するに、我々にとっては、万能であって、使い勝手の良い「小径」の精力である、
ということになるわけですよね。
0084名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/02/10(金) 06:19:05.49ID:pEmggEla
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 147) ---
From the standpoint of practical mysticism, THE UNIVERSE may be considered the most
important card in the deck, for it is the point at which we begin the process of
inner exploration.
実践的な神秘主義の見地から、「宇宙」は、それが我々が内なる探究の過程を始める地点
であるため、デッキの中で最も重要なカードと考えられるかもしれない。

It is the point where we step abruptly into a reality that may be at once
frightening and reassuring because so much of what we encounter on this Path is
of our own making.
それは、我々が突然に実際に起こることに足を踏み入れる場所であり、この「小径」で
我々が遭遇するものの大半は、我々自身の制作物であるので、恐ろしいものであるのと
同時に、安心させるものであるかもしれない地点であることである。
--- ここまで ---

つまり、「宇宙」のカードで、お手軽に神秘体験は出来るけれども、その体験の大半は
自らが生みだしたもの、つまり、自らの肉体や精神の状態にまつわる生理的な「夢」に
似たようなものになる可能性が高く、それは本当の意味での「神秘体験」とは、また
ちょっと異なるものであるということです。

そういえば、「夢」って、割と「reality/リアリティ」があるというか、割と現実に
即した形で見ることが多いので、「夢」と「現実」が入り混じって混乱することも
あるのですが、これは「夢」が、あくまでも我々の「現実」の延長上にあるという
ことであり、これこそが、「我々自身が生みだした産物」であるということの証にも
なっているわけです。

要は、本当の「神秘」とは、我々の想像を超えた世界にあるものであって、それゆえ
簡単には理解できないシロモノであるわけですので、それについてあれこれ語るという
のも、なかなかしんどいものがあるんですよね。
だからこそ、「自分で経験してこい!」という放置プレイになってしまうわけです。
0085名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/02/11(土) 07:00:58.44ID:DL4V3AD6
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 147) ---
It is on this Path that we encounter our own individual personality consciousness,
all that is inside our heads, divorced from the security of physical reality.
我々が、物質的な現実の安全保障から切り離された、我々の頭の中にあるもの全てである、
我々自身の個々の人格の意識に遭遇するのは、この「小径」である。

It is the initiation of the Personality into its own structure, which is a
Microcosmic Universe.
それは、「人格」の、「ミクロコスモスの宇宙」であるそれ自身の構造への、参入儀式
である。

At the same time, we encounter symbols and ideas which are of a greater
consciousness than our own, and begin to see the ways in which our being relates
to a total universal picture.
同時に、我々は、我々自身のものより大きな意識についての象徴たちと考え方たちに
遭遇し、そして、我々の存在が、完全で普遍的な絵に関連しているという方法たちを
見ることを始める。
--- ここまで ---

「小アルカナ」は、物質的、そして肉体的な「束縛の鎖」からは逃れられない段階で、
それはそれで、自己の身体的なものを見失わないための安全装置でもあったのですが、
この「大アルカナ」で最初に遭遇する「宇宙」の「タウの小径」において、人は初めて
その「重い鎖の呪縛」から逃れ、新たなステージへと進む方法を学びます。

ついでに言うと、ここで「物質的」そして「肉体的」な関連付けが外れてしまいますので、
そこでもたらされる結果は、現世の「物質的」そして「肉体的」なものには反映されません。
要するに、新たなステージで得たものは、そのままでは、この世に持ち帰ることが出来ない
ものであるため、自分自身の中で、ほぼ精神的な面のみにおいて、しっかりと消化し吸収
しておかないといけないものなんですよね。
0086名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/02/13(月) 06:07:31.74ID:3KGGX8op
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 147) ---
This is a Path which can only be successfully travelled by those who have begun
to bring their Personalities into a self-understanding balance; those who have
not will find themselves tormented by phantoms of their own making, and the Gates
closed to them.
これは、彼らの「人格たち」を自己理解の平衡状態に至らせることをずっと始め続けて
いる人々のみが首尾よく通ることができる「小径」である;そうでない人々は、彼ら自身
が作る幻影たちにより苦悩する彼ら自身を見つけ出し、そして「門たち」は彼らに閉じる。

On the other hand, those who have truly come to grips with the life experience
will find inner help and encouragment at every step.
その一方で、本当に人生の経験を把握するためにずっと来ることを続けている人々は、
一歩ごとに、内なる助けと励ましを見つけ出すであろう。
--- ここまで ---

ここの「encouragment」は、「encouragement/励まし」の誤植ですかね。

なお、ここには「幻影たちにより苦悩する」と書かれていますが、当人たちが、それらが
幻影であると気づかなければ、それは幻影には見えず、彼らにとっては、まごうことなき
真実の姿に見えるわけです。

実のところ、これは非常にやっかいであり、結果的に多くの人々を惑わすものとなります。
自分だけは大丈夫とか、自分は他の人とは違うというような思い込み強い人ほど、ここの
落とし穴にハマって抜け出せないことになりがちです。

一つ言えることは、ダラダラまったりでもいいですので、気長に続けていくことです。
そうすれば、そこにあるのは苦悩の茨の道なんかではなく、頭の中お花畑の世界であること
が、何となくわかってくるのではないかと思います。
そう、最初の「宇宙」の「小径」の課程は、まずは肉体という重い鎧と鎖を脱ぎ捨てて、
より自由な世界へと旅立ち始めることなのですからね。
0087名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/02/14(火) 06:20:33.36ID:rExImtcD
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 147) ---
It is on the Path of THE UNIVERSE that one discovers the extent to which the process
of inner exploration is guided and, particularly, the very real protection and
assistance given mankind by the Archangels.
人が、内なる探究の課程が誘導される範囲と、特に、「大天使たち」により人類に与えら
れた非常に現実的な保護と援助を発見するのは、「宇宙」の「小径」の上である。

Until one begins these exercises, the Archangels are merely an abstraction,
something in which one can vaguely believe or disbelieve.
人がこれらの練習たちを始めるまでは、「大天使たち」は、単に、抽象概念であって、
人が漠然と信じているか、もしくは疑っているかもしれない何かにすぎないものである。
--- ここまで ---

人間が支配する「アッシャー界」。
天使が支配し、「小アルカナ」で象徴される「イェツィラー界」。
そして、大天使が支配し、「大アルカナ」で象徴される「ブリアー界」。
つまり、我々人間は、この最初の「大アルカナ」である「宇宙」のカードの作用により、
初めて「大天使」と遭遇するわけですよね。

とはいえ、最初は、このカードにある「宇宙への旅立ちの門」をくぐることが出来ずに、
「妖怪」の住む妄想世界へのトラップにハマってしまう人が続出する場所でもあります。
まあ、それはそれで楽しいわけですし、実生活に支障さえ無ければ、少々ハメを外すこと
は、我々の人生にとっても、ある程度は必要なことです。

とりあえず、あれこれと試行錯誤しながらでもいいので、この「宇宙の門」を見つけ出す
ということが、大天使のいる「ブリアー界」へと至る最初のステップになります。
とはいえ、ここの最初のステップを越えるのは、簡単な人は簡単なのですが、そうでない
人にとっては、おそらく一生かかっても越えられない壁であるのかもしれません。
まあ、あれこれ言うよりも、一度チャレンジしてみないと分からないんですけどね。
0088名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/02/15(水) 06:19:08.55ID:w7zNrllv
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 147) ---
A word of caution might be in order here.
警告の言葉は、ここの階層の中にあるかもしれない。

Insofar as THE UNIVERSE is a Path of entry to the Astral, it must be borne in mind
that the Astral "seeks to deceive."
「宇宙」が「星幽界」への入り口の「小径」である限り、「星幽界」は「欺くことに努める」
ということを、心に留めておかなければならない。
--- ここまで ---

せっかく「宇宙旅行」の話題で盛り上がっているところに、水を差すようで悪いのですが、
ここで改めて、「宇宙旅行」についての注意事項の確認です。

「宇宙」のカードは、我々の住む最下層の「アッシャー界」の「マルクト」から、一つ
上位の世界にある「イェツィラー界」の「イェソド」へと至る、最も人気のあるルート
です。
それゆえ、多くの成金の田舎者や死に損ないたちが、酒はウマイし姉ちゃんはキレイだ、
と、旅行中にハメを外して大騒ぎするわけです。

とはいえ、この「宇宙」のカードは、我々の魂が上昇していく上での、最初の関門でも
あるわけです。
そして、「成金の田舎者や死に損ない」が、なぜ関門を通過できないかというと、まだまだ
「マルクト」の「物」と「体」に対する「欲望」を捨てきれていないからであり、それゆえ
彼らに見える「リアル」は、実際には、自己の欲望から生まれた幻影でしかないわけです。

とはいえ、「欲望」の無い人間なんていませんので、それを捨て去ることも不可能です。
つまり我々は、この関門を正面から突破するためには、「彼を知り己を知れば百戦殆う
からず」という達人レベルにまで達する必要があるわけで、そのためにも、日々精進の、
まったりとした修行が必要になってくるわけなんですよね。
0089名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/02/16(木) 06:12:25.41ID:oMuKhxuo
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 147) ---
A great many people believe themselves to be on one Path or another when they are,
in actuality, entertaining themselves with an extended fantasy.
非常に多くの人々は、彼らが、実際には、拡張された幻想で彼ら自身を楽しませている時は、
彼ら自身は、何らかの「小径」の上にいることを信じる。

We must be extremely cautious in accepting any of the images which appear to us
as a "reality" of any sort, until we have applied every test of reason and feeling.
我々は、私達が理性と感覚のあらゆる検査を適用し終えるまで、あらゆる種類の「現実」
として我々の前に出現する映像たちのうちのいずれかを受け入れることに、極めて用心深く
なければならない。
--- ここまで ---

人間の脳って、セキュリティが甘いというか、複雑な割りには不完全な出来なので、比較的
簡単に「extended fantasy/拡張された幻想」を生み出すことができます。
まあ、寝たり、薬物を使ったり、強いショックやストレスを受けたりすると、割と色々な
脳内イメージが出てきます。
中には、現実逃避的なものもあるのですが、それも含めて、脳にとっては「現実にそこに
あるもの」として認識されるわけです。

でも、そうして生まれる脳内イメージは、あくまでも「マルクト」にある「物理的な人間
の脳」が作り出した仮想現実であり、上位世界とは、ほとんど何の関係もありません。

まあ、分かっている人なら分かると思うのですが、下位世界のエクスタシーを「官能的」
と呼ぶのであれば、上位世界のエクスタシーは「精神的」な喜びに近いものです。
まあ、きちんと説明しようがないので、どうやってそれらを「test/検査」すればいいのか
を一言で言うのは無理なのですが、いずれにしても、最初のうちは、ほぼ全てがニセモノ
と考えておけば、ほぼ間違いないと思います。
でもまあ、下位世界の我々にとっては、「官能的」なエクスタシーの方が利用価値は高い
ので、「花よりだんご」の方がいいということもあるんですけどね。←現実主義者w
0091名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/02/17(金) 05:58:03.65ID:gkzoysLH
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 147) ---
There comes a time when we know that what we are experiencing could not possibly
be of our own making because we are actually learning.
そこで、我々は、我々が経験しているものが、我々自身が作ったものである可能性を持つ
はずがないと知る時が来る。なぜなら、我々は実際に「学んでいる」からである。

We are acquiring new information which can often be verified or corroborated by
research.
我々は、しばしば研究調査により実証される、もしくは確証されうる新しい情報を習得
している。

One way or the other, a considerable amount of the gross must be sorted out before
we come to the subtle.
いずれにしろ、我々は微妙なるものに至る前に、かなりの量の総体は選別されなければ
ならない。
--- ここまで ---

それが上位世界に由来する「the subtle/微妙なるもの」であれ、下位世界に由来する
ものであれ、それらは脳内イメージの「the gross/総体」として認知されます。

そういう「何でもあり」の脳内イメージの原料から、大量のノイズ成分を取り除いた、
その後に残るかすかな信号成分らしきものを抽出して、それを研究調査により実証し
確証していくという、科学的な調査が必要とされるわけです。

要するに、単に「私には見える」からといって、大騒ぎすることは無いわけであり、
実際には、そのほとんどは「肉体的な病気、あるいは欠陥、もしくは精神的な問題」に
由来するものであって、上位世界とは何の関係も無いというのが、現実なのです。

とはいえ、人間である限り、そういう欠陥は憑きものですので、そういうノイズ成分を
どうやって取り除いていくかを、学習していかないといけないわけなんですよね。
0092名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/02/18(土) 07:06:02.45ID:N/SEcC4m
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 147) ---
This is one of the most important lessons of THE UNIVERSE, a Path which must be
approached with the virtue of Malkuth, that of discrimination.
これは、「宇宙」、すなわち「識別力」のそれである「マルクト」の美徳によって接近され
なければならない「小径」の、最も重要な学課たちの1つである。

It is only through discrimination that we can place ourselves in the "Administrative"
balance symbolized by the dancing woman draped with the Caph-shaped scarf (reference
to the WHEEL OF FORTUNE) and surrounded by the animal symbols of the Four Elements.
「識別力」を通じることでのみ、我々は、我々自身を、「カフ」の形をしたスカーフ(「運命
の輪」を参照)で覆われ、そして「四大元素」の動物の象徴により取り囲まれて踊っている
女性により象徴される「管理」の均衡の状態に置くことができる。
--- ここまで ---

「マルクト」の美徳が、「discrimination/識別力」であることは、既に述べた通り(P115)
であり、これが備わって初めて、「宇宙」への旅の準備が整います。
つまり、識別力の無い人々は、ニセの「宇宙」へと逝っているわけなんですよね。

「宇宙への旅立ち」において、我々に求められることは、地上での入念なる準備であり、
特に「識別力」を養うことが大事であるということです。
要は、普通に地上の勉強をして、人生経験を積んでいけば、ある程度までは鍛えられる
ものであり、特別な修行というのは、それほど多くは必要とはされません。
ちなみに、肉体的・精神的に多大なストレスを与える荒行っぽいものは、脳内での幻影を
生じるだけですし、それゆえ世間でよく語られている神秘体験なるものには、あまり近づか
ない方が無難です。

そして、本当に必要なことは、そういった「大量のゴミの山」から、自分にとって使えそう
なものを見つけ出す「識別力」ということなんですよね。
というわけで、ワタシはこうして、毎日ゴミの山を供給していますので、もし使えそうな
ネタがありましたら、拾いに来てください。
0093名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/02/20(月) 06:19:47.24ID:bUQGY+im
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 147) ---
In Qabalistic terms, what is represented is, again, the principle of the Four
united by a Fifth which is Spirit.
カバラ主義の表現において象徴されていることは、再び、「霊」である「5番目」により
結合される「4つのもの」の原則である。

Here we may recall that the earliest Qabalists (as in the Sepher Yetzirah)
discussed only three Elements: Air, Water and Fire, with Earth and Spirit being
a later addition to the philosophy.
ここで我々は、最も初期の「カバラ主義者たち」が(『セフェル・イェツィラー』にある
ように)、たった3つの「元素たち」を論じたことを思い出すかもしれない:「空気」、
「水」、および「火」、そして後に哲学に加えられる「地」と「霊」と共に。
--- ここまで ---

「Spirit/霊」は、「Fire/火」「Water/水」「Air/空気」「Earth/地」の「四大元素」
を統一する上位存在であることは、既に述べた通りです。

とはいえ、『セフェル・イェツィラー(形成の書)』においては、「三母字」に配属された
「三大第一元素」である「アレフ/Air/空気」「メム/Water/水」「シン/Fire/火」
のみ言及されています。
「霊」は上位概念なのでともかくとして、「地」が抜けているのは不思議ですよね。
ちなみに、「四大元素説」は、古代ギリシア発祥なので、初期の「カバラ主義者たち」が、
それを知らないはずは無いので、『セフェル・イェツィラー』において「地」が抜けて
いるのは、明らかに確信犯的であって、何らかの理由があるわけです。
とはいえ、その理由については書かれていないわけですので、後代の研究者が、あれこれと
詮索するためのネタを提供しているということなんですよね。

何事もそうなのですが、「完璧な文書」というものは、伸びしろが無いわけですので、
それ以上の広がりは無いわけです。
つまり、不完全なものの方が、後々、ネタとして楽しめるということなんですよね。
0094名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/02/21(火) 06:17:35.48ID:oKkuwNhr
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 147) ---
And, as we have seen, the Tree of Life has changed form over the centuries to
accomodate such conceptual changes.
そして、我々が見てきたように、「生命の木」は、そのような概念の変化たちを収容する
ために、何世紀にもわたって、形態を変化し続けている。

One such important change has related to the Thirty-Second Path which in some schemes
is the only Path connecting the sphere of sensation to the rest of the Tree.
そのような重要な変化の1つは、いくつかの体系たちにおいて「感覚の天球を『木』の
残りと接続する唯一の『小径』」である「32番目の小径」に、ずっと関連し続けている。
--- ここまで ---

ここの「accomodate」は、「accommodate/収容する」の誤植ですね。

さて、『セフェル・イェツィラー(形成の書)』による定義が不完全な記述となっている
ため、後の時代になって、数多くの「生命の木」の異性体がデザインされ、そして今なお
時代に合わせて進化、というか変化を続けています。
要するに、上級者たちにとっては、「生命の木」の形態は、これが正解というものは無く、
それぞれが好きな体系を選んで研究すればいいということになります。
とはいえ、「何でもあり」というのは、初心者にとってはハードルが高すぎますので、
とりあえず我々は、「ゴールデン・ドーン」の公式形態を使っているわけです。

とはいえ、「ゴールデン・ドーン」の公式形態は、あくまでも一つの形態にすぎません。
そして、世の中には、「the sphere of sensation/感覚の天球」(=「アッシャー」の
「マルクト」)に接続される「小径」が「タウ/宇宙」のみの「生命の木」も、割と普通に
存在しているわけです。(P31の図2参照)

つまり、今まで多くの人が、我々の住む「マルクト」から抜け出すことが可能な唯一の
「小径」として、この「タウ/宇宙」を特別視してきたということでもあります。
まあ、現実的にも、「マルクト」から他の「小径」で上昇することは困難なんですよね。
0095名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/02/22(水) 06:23:50.27ID:dl+DWT45
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 148) ---
The addition of the Paths of Shin (JUDGMENT) and Qoph (THE MOON) while primarily
bringing the number of Paths in line with the Hebrew Alphabet, secondarily declared
a direct connection between Malkuth and the two Side Pillars.
「シン」(「審判」)と「コフ」(「月」)の「小径たち」の追加は、第一に「小径たち」
の数を「ヘブライ語アルファベット」に一致させることと同時に、第二に「マルクト」と
2つの「側柱たち」の間の直接的な連結を宣言した。
--- ここまで ---

「生命の木」の、「10のセフィロト」と「22のヘブライ語アルファベットの小径」の配属
の研究は、それだけで頭の痛くなるようなものですので、ここでは深くは触れませんが、
ゴールデン・ドーン公式のような形で「シン/審判」と「コフ/月」の「小径」が、
「生命の木」に追加されたのは、そんなに昔ではないということです。
追加された理由は、上記にあるように、今までは適当だった「小径」の数を「22本」に
決めてしまおうということと、「慈悲の柱」と「峻厳の柱」を、直接、接地することで、
全体のバランスを良くしよう、すなわち見栄えを良くしようということです。

「シン/審判」と「コフ/月」が「マルクト」に接続していない形態では、ほぼ全てが
「イェソド」に一旦集まってから、たった一本の「タウ/宇宙」の「小径」だけを通じて
「マルクト」に至るという、とても頭でっかちな形態となり、何となく不安定さを感じて
しまうので、このゴールデン・ドーンの公式形態は、なかなか良いデザインではないかと
思っています。

とはいえ、実質的には、この「タウ/宇宙」の「小径」が、「生命の木」の上部世界の
負荷のほとんどを支えているのも確かですので、この「タウ/宇宙」の「小径」の重要性
は、何ら変わりは無いということであり、そして我々が生きて上位世界に行くためには、
まずはここを通過する必要があるということでもあります。
そもそも、「シン/審判」や「コフ/月」の「小径」って、生身の人間が通れるような、
お気楽な「道」では無いわけですからね。
0096名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/02/24(金) 06:26:21.96ID:/7+UurUP
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 148) ---
One very interesting illustration from the Sixteenth Century shows a man holding
the entire Tree by the Path of THE UNIVERSE. (*98)
「16世紀」からの、ある1つの非常に興味深い図は、人が「宇宙」の「小径」を持って
「木」全体を支えているのを示している。(*98)
--- ここまで ---

ちなみに、(*98)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 271) ---
98. This is reproduced opposite the title page to Scholem's Kabbalah.
98. これは、ショーレム氏の『カバラ』に、タイトルページ(本扉)の反対側に複製
されている。
--- ここまで ---
とあります。

この「One very interesting illustration/ある1つの非常に興味深い図」というのは、
1516年にドイツのアウグスブルクで発行された『Portae Lucis/光の扉』という本の表紙
に描かれているもので、このウォン氏の本の31ページにある図2のC(ただし、図形はDと
入れ替わっているので注意)にも掲載されています。
ちょっとしたものを見てみたい方は、ググってみてください。

さて、この「16世紀の図」ですが、「生命の木」の形が「亀」のようにも見えます。
頭部が「至高の三角形」で、手足が「ケセド」「ゲブラー」「ネツァク」「ホド」で、
甲羅は六角形状の「ティファレト」で、尻尾が「イェソド」から「マルクト」に伸びて
いて、人がその尻尾、すなわち「タウ/宇宙の小径」を掴んでいるような感じですよね。
どう見ても、ウケを狙っているとしか思えないほど、意味深な構図となっています。ww

そして、この本のタイトルが『光の扉』もしくは『光の門』ということですので、かなり
昔から、この最下部にある「タウ/宇宙の小径」が、「光の世界」である上位への入り口
となっていることが、何となく理解されていたということなのではないかと思います。
0097名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/02/25(土) 07:41:38.14ID:DdJ7V/ul
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 148) ---
So we see that for four hundred years, at least, the essential interpretation of
this Path as an experiential foundation for consciously travelling all of the
other Paths has not changed, though the concept has been slightly mitigated by
the addition of the two Paths.
それで、我々は、400年の間、少なくとも、他の全ての「小径たち」を意識的に旅行する
ための経験に基づく基礎としての、この「小径」の本質的な解釈が、ずっと変わっていない
ということがわかる。とはいえ、その概念は2つの「小径たち」の付加により、わずかに
和らげられたところであるけれども。

The principle that we grasp the entire Tree through what is taught on the Path of
the Universe is very profound, and brings us back to the idea of the "As Above,
so below."
我々が、「宇宙」の「小径」の上で教えられるものを通じて「木」全体を把握するという
原則は、非常に深遠なものであり、そして我々に「上の如く、下も然り」 の考え方を思い
出させる。
--- ここまで ---

まあ、今も昔も、この「タウ/宇宙の小径」は、上位世界の「入り口」であると同時に、
ここには上位世界の「ほぼ全て」が凝縮されて詰み込まれているということですよね。

つまり、この入り口からすんなりと入ってしまえば、後は何とかなるわけですので、我々
のような魔術童貞、すなわち未体験の初心者にとっての最大の課題は、ここの関門を、
どうやって攻略し突破するかに、かかっているわけです。
とはいえ、最初からいきなりレベルMAXクラスのラスボスと対戦するようなものなのですが、
このラスボスは、見た目だけは優しいので、雰囲気に騙されて、妄想だけでイカされて
しまって、なかなか中には入れない早漏気味の人も多いんですよね。
簡単に騙されて返り討ちにされないようにするためにも、こちらも、ある程度の経験値と
精力を溜めておいて、じっくりと粘り強く、相手の懐深く入り込むことが必要ということ
なのでした。
0098名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/02/26(日) 08:21:50.81ID:cgFU8+yW
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 148) ---
We have discussed the "Will to Form," of Binah, the Great Mother, which is the
origin of life consciousness, and which is Saturn in the exalted Supernal Realm.
我々は、「太母」である「ビナー」の「形の意志」を議論したことがあるが、それは、
生命の意識の起源であり、そして高位の「天上の領域」の「土星」である。

This is the same energy, now completely expressed, found on the Thirty-Second Path.
これは同じ精力であり、今は完全に表現されて、「第32番の小径」の上で発見される。
--- ここまで ---

というわけで、この「タウ/宇宙の小径」のラスボスの正体が、ここから明らかにされて
いきます。

まず、トップバッターとして出てくるのが、いきなり「ビナー」です。
この名前が出てくるだけで、知っている人であれば「何をやっても勝てそうな気がしない」
と思うのではないかと思いますが、実際のところ、100%、全くもって勝ち目がありません。

つまり、カバラを設計した者(すなわち神)は、間違いなく意図的に、最初にラスボスで
ある「ビナー」の分身の高レベルの「タウ/宇宙」に、カバラの志願者を遭遇させようと
しているわけですが、その意図としては、レベルの低い志願者に対して、「お母ちゃんの
おっぱいでも吸っとけ!」という感じで、ここに足止めさせているような感じもあるわけ
ですよね。

この手の「おっぱい崇拝」といえば、「エペソスのアルテミス像」が有名ではありますが、
つまり、この「女神」のいる場所で「おっぱい=現世(マルクト)で命を育むもの」と、
「○○○=上位世界で命を与え、そして奪うもの」という感じに分けられているわけです。

どちらの道を選ぶにしても、我々は、ここでは決して戦ってはいけません。
戦いからは、何も得るものはありませんし、そもそも何のメリットもありません。
ここは、自らの意志でどちらかの道を選ぶか、もしくは幻影の脇道を彷徨うか、なのです。
0099名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/02/28(火) 06:05:50.31ID:sLPlKb7g
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 148) ---
The female figure at the center of the card is the fullest expression of the Great
Mother who is THE EMPRESS.
カードの中央の女性の人物像は、「女帝」である「大母」の中で最も満ちた表現である。

She is Isis, the Aima Elohim, she is Binah, she is Saturn, she is all the principles
behind what we perceive as matter, the Cosmic Dancer who administers and activates
the Elements.
彼女は「イシス」、「母神」であり、彼女は「ビナー」であり、彼女は「土星」であり、
彼女は我々が物質として知覚するものの背後にある全ての原則たち、すなわち、「元素
たち」を管理し作動させる「宇宙の踊り子」である。
--- ここまで ---

つまり、この「宇宙」のカードの女性像は、レベルMAXのラスボスに他ならないという
ことですよね。

では何でいきなりこんなラスボス級が最も低層である「宇宙」のカードに現れているの
かと言うと、やはりここは「母神」というものがキーワードになるかと思います。

そう、この「宇宙」のカードは、我々の物質世界を産み出す場所なんですよね。

「生命の木」の上位界のエネルギーは、我々の住む「マルクト」を産み出すために、
最後に、この「タウ/宇宙の小径」に向けて注がれます。
そして、この「タウ/宇宙の小径」の中で、最終的な相転移、すなわち物質変換が行われ
ることで、我々のいる宇宙の物質が産み出されていくというわけです。
そして、その、最終的な相転移を導くのが、この「the Cosmic Dancer/宇宙の踊り子」と
呼ばれる存在なのですが、現代科学においては、「弦の振動」というものが、物質の根源的
な姿であると考えている理論もあって、なかなかに興味深いと思います。
いずれにしろ、我々の知っている物質というものは、「宇宙の踊り子」の運動に他ならない
ということになるわけなんですよね。
0100名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/03/01(水) 06:18:43.87ID:LiK3scb7
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 148) ---
She is also a doorway to and from Malkuth, Saturn who both gives life and destroys
it, the great tester who rules both birth and death.
彼女はまた、「マルクト」への行きと帰りの出入り口であり、生命を与え、そしてそれを
破壊する「土星」であり、誕生と死の両方を支配する偉大なる試験者でもある。

When we die, leaving behind our "animal skin," it is on this Path that we rise
like the Dancer, surrounded by a ring of stars.
我々が、我々の「動物の皮」を置き去りにして死ぬ時に、我々が、 星たちの輪により
囲まれて、「踊り子」のように舞い上がるのは、この「小径」の上である。
--- ここまで ---

我々は、特に修行などをしなくても、誰もが「産まれる時」と「死ぬ時」には、この偉大
なる「彼女」に、必ず出会うことになります。
つまり、今会えないからといって、焦る必要なんて、何もないわけです。

実際のところ、この「宇宙」の絵柄は、とても宗教的です。
日本人にとって見慣れている仏教芸術に、何と無く通じるものがあると、うすうす感じて
いる人もいるのではないかと思いますが、まさに葬式仏教なるものとは、非常に近い関係
があります。
そう、この「宇宙」のイメージって、「極楽浄土」そのものなんですよね。

ついでに言うと、この「彼女」は、我々の生命を産み出す「産神」であると同時に、我々
の命を奪う「死神」そのものでもあります。
すなわち、我々にとっての本当の「死神」とは、「13:死」のカードに書かれているような
「骸骨像」ではなく、この「21:宇宙」のカードに書かれている、一見そうとは見えない
「裸体の乙女像」なわけです。

ということで、皆さんにも、これが「ラスボス」であるという本当の意味が、何となく
理解できてきたのではないかと思うのでした。
0101名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/03/02(木) 06:18:01.50ID:NFNGGy+4
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 148) ---
All of the key Tarot decks are agreed that the female figure should be surrounded
by an oval shape of some sort.
主要なタロットデッキたちの全ては、女性の人物像は、ある種の卵形の形状により取り
囲まれるべきであることが合意されている。

In Crowley's deck this is a ring of stars.
クロウリー氏のデッキでは、これは星たちの輪である。

In the Marseilles and Waite decks this is a wreath.
マルセイユ版とウェイト版デッキでは、これはリース(花や葉を輪にしたもの)である。

In the Golden Dawn deck the oval is formed by twelve spheres (the twelve Signs of
the Zodiac) bound together by seventy-two pearls (the Shemhamaphoresch, or Seventy-Two
Names of God).
ゴールデン・ドーン版デッキでは、卵形は、72個の真珠たち(「シェムハメフォラシュ
(神の御名)」、もしくは「72の神名」)と共に結ばれた12個の球たち(12の「黄道十二宮
の宮たち」)により形成される。
--- ここまで ---

ここの「Shemhamaphorasch」は、「Shemhamephorasch/シェムハメフォラシュ」の誤記ですかね。

この「宇宙」のカードの基本形は、中央の全裸女性の姿、それを取り巻く「卵形」、そして
さらにその周りのコーナーにある4つの「四大元素」の象徴たちです。

前節では、「女性像」が真・ラスボスであることが明らかになりましたので、次の詮索の
ターゲットは、この「卵形の輪」ということですよね。
まあ、見るからに我々の想像力を掻き立てる形状ではあるのですが、それは、この「宇宙」
のカードが、我々のいる物質世界、すなわち「ケモノ」の皮をかぶったフレンズ、いやいや
ヒトの住むエロスの世界との接点であるという証でもあるわけです。
0102名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/03/03(金) 06:29:01.71ID:I7D0mBPu
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 148) ---
What is symbolized is both the womb of the human female, through which the child
passes in birth, and the Great Womb into which the soul passes in death.
象徴されているものは、子供が誕生のときに通過する人間の女性の子宮と、そして死の
ときに魂が通過する「大いなる子宮」の両方である。
--- ここまで ---

繰り返しますが、「宇宙」のカードには、中央の全裸女性を取り巻く「卵形」が特徴と
なっています。
そして、その形状を、「ellipse/楕円形」と言わずに、わざわざ「oval/卵形」と表現
しているのは、それなりの理由があるわけです。

そして、この「卵形」は、2つの意味を持つということです。
一つは「人間の女性の子宮」、すなわち「魂」が肉体を持ってこの世に誕生するところで
あり、そしてもう一つは、「Great Womb/大いなる子宮」すなわち「Great Mother/大母」
の子宮であり、人が死んで肉体を離脱した魂が戻る場所ということになります。

いずれにしても、この「宇宙」は、見るからに女性上位の世界であるということですよね。

とはいえ、この「宇宙」では、女性上位が顕著ですので、そのアンバランスさに対して、
あれこれと異議を唱える男女平等主義者も出てくるわけです。
まあ、全体的なバランスはカバラにおいては大事なのですが、個々のカードのバランス
という意味においては、そうはなっていない面もあるわけですけどね。
0103名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/03/04(土) 17:47:26.92ID:rwsqa/yr
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 148) ---
The profound symbolism of the Great Mother through which one passes as a doorway
to and from life is, unfortunately, minimized by some writers (including Case)
who state that "tradition" claims the female figure to be hermaphroditic.
人が生命への行きと帰りの出入り口として通過するところである、「大母」の深遠なる
象徴主義は、不幸にも、「伝統」が女性の人物像を雌雄同体であると主張すると述べる、
(ケース氏を含む)何人かの作家によって過小評価される。

That idea is unreasonable, but may be an honest attempt on the part of some
Qabalistic theoreticians to reconcile the feminity of the Path with the Magical
Image of Yesod into which it leads, a "Beautiful Naked Man." (*99)
その考え方は不合理ではあるけれども、「イェソド」が導く、「美しい裸の男性」の
「魔法のイメージ」と、「小径」の雌性を調和させるための、何人かの「カバラ主義」の
理論家たちの側の率直な試みはあるかもしれない。(*99)
--- ここまで ---

ちなみに、(*99)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 271) ---
99.The "Magical Images of the Sephiroth" are given in 777, Col. CXX, 25.
99. 「セフィロトの魔法のイメージたち」は、『777の書』の、25ページの、列CXXにある。
--- ここまで ---
とあります。

ワタシも、「宇宙」のカードの全裸女性像が、実は「雌雄同体」すなわち「ふたなり」で
あるという都市伝説を、聞いたことがあります。
その根拠としては、「大事なところが隠されていて、男か女かを確認できない」という
意味不明な理由だったと思うのですが、それについては、すこぶるどうでもいい話です。
そもそも、本当に隠したいものであれば、そこは思考停止することなく、自分に都合良く、
いやいや深遠なる解釈を行って納得すればいいだけの話であり、それがエロ、いやいや
真の「神秘」の研究に繋がるわけですからね。
0104名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/03/05(日) 08:04:38.50ID:2gauNfJ0
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 148) ---
The latter represents the eternal outpouring of the Christ-Spirit from Tiphareth,
personified within Yesod before it passes down to Malkuth.
後者は、それが「マルクト」へと下に通過する前に「イェソド」内で人格化された、
「キリストの魂」の永遠の流出を表している。

The Christian mystery is not simply an event of two thousand years ago to be
recalled with reverence, it is a secret key to a natural pattern.
「キリスト」の神秘は、単なる、尊敬の念をもって思い出されるべき2000年前の出来事
ではなく、それは自然な様式への秘密の鍵である。
--- ここまで ---

ある程度、事実としての「キリスト」および「キリスト教」のことを勉強している人で
あれば、大体わかるとは思うのですが、あの『新約聖書』の半分は事実であり、そして
残りの半分は妄想で出来ています。

そして、その「妄想」の部分が、それ以前からある神話のストーリーのパクリ、いやいや
「a secret key to a natural pattern/自然な様式への秘密の鍵」から成っているわけ
です。
つまり、ネタ元となる神話、もしくは関連する芸術作品の鍵となる登場人物たちを、全て
「イエス・キリスト」もしくはその関連人物名に描き替えるということなのですが、その
際に、色々と無茶なことをやってしまっているわけです。

実際、この「宇宙」のカードの前身となるデザインでは、カードの中央にあるのは、全裸
女性の人物像ではなく、キリストの人物像であったものもあります。
まあ、どちらが先とかどちらが後とかいうことではなくて、それは「自然な様式への秘密
の鍵」という、かなり普遍的なものを表しているということなんですよね。

とはいえ、もし「宇宙」のカードの中央の人物が「イエス・キリスト」像であったならば、
これほど世界中にタロットは流行らなかったと断言できますけどね。(暴言)
0105名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/03/06(月) 06:17:13.41ID:MI4SWOot
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 148) ---
The Christ (Buddha or Osiris or Krishna) force continues to be born into our world,
be sacrificed for the benefit of mankind, resurrected and assumed.
「キリスト」(「ブッダ」や「オシリス」や「クリシュナ」)の力は、我々の世界の中に
産まれ、人類のために生贄として捧げられ、よみがえり、責任を負い続ける。

This is, like the Yod Heh Vau Heh, continual to the end of time, which will be the
end of the race's need for sensory experience.
これは、すなわち「ヨッド」「へー」「ブァウ」「ヘー」のように、知覚の経験のための
人種の必要の終わりとなるであろう、「時」の終わりのために、継続的である 。

Time is, of course, one of Saturn's primary restrictions.
「時」は、もちろん、「土星」の主要な制約たちの1つである。
--- ここまで ---

「イエス・キリスト」などが、我々の世界に生まれ、そして犠牲となって死に、その後に
蘇るという「救世主復活ストーリー」は、よくよく考えてみれば、我々のような下々の者
にも、何と無く同じように当てはまっていることがわかります。
ついでに言うと、日本においては、死者は「ご先祖様」とかいう感じで、完全に死んだ後
でも、「死者の霊」が現世に影響を及ぼすと言われていますよね。

いずれにしても、この現世に「生の時」を授かった者は、必ず「死の時」を迎えます。
それが、「時の定め」であり、そして「土星」の定めでもあります。
つまり、昔の人間の寿命は、土星の公転周期である「29.5年」程度であったということ
でもあるわけです。
とはいえ、今では、その倍も3倍も生きる人が増えましたけどね。

そして、個々の人間が、産まれ、成長し、犠牲となって死ぬことで、人類全体の成長に
繋がっていくというのが、この世の中の大きな流れとなっているわけです。
まあ、ワタシがその流れに乗っているのかどうかは、よくわかりませんけどね。
0106名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/03/07(火) 06:24:56.50ID:N5Mwlu6n
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 149) ---
As long as we are functioning within the framework of time, an event, including
the downpouring and uprising of Tiphareth force, must have a beginning, a middle
and an end.
我々が、時の枠組の範囲内で職務を果たしている限り、「ティファレト」の流下と上昇を
含む、出来事は、始まり、中間、そして終わりを持たなければならない。

Life processes run in waves, or spirals which come back upon themselves.
生命の過程たちは、波のように、または彼ら自身の上に戻ってくる螺旋のように動作する。

This is the natural course of the akashic fluid of Yesod.
これは、「イェソド」の「アカシック流体」の自然な進路である。

Thus, again, is the woman shown dancing.
従って、さらに、女性は踊っているように見せられている。
--- ここまで ---

女性像にまとわりついているスカーフは、上から下への螺旋状の流れを表しています。
これは、「アカシック流体」もしくは「星幽光」の流れを示しているわけです。
そして、その永遠なる流れをぶった切って、新しい断片化した流れを導くかのように、
女性はダンスを踊っているかのような、動きのあるポーズを取っているというわけです。

なんか、量子宇宙論をそのまま図案化したような、とても意味深な感じになっているの
ですが、とりあえず、これが我々の宇宙と物質と生命を形成し産み出している「ご本尊様」
であるということですよね。

いずれにしても、ここは宇宙の万物を産み出す象徴ですので、まだ若くて生産力のある
女性像として描かれています。
そはいえ、裸である必然性は薄いのですが、彼女自身が「産まれたままの姿」であることを
自ら示すことで、「新しく産まれる」という意味をさらに強く示しているとも考えられますね。
0107名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/03/09(木) 06:22:15.47ID:OxfbzPQh
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 149) ---
She swirls and revolves as opposed to her most abstract form of energy, THE EMPRESS,
where she is placed solidly on a Supernal Throne.
彼女は、彼女の精力の最も抽象的な形態であり、そしてそこで彼女が「天上の王座」に、
しっかりと据えられる「女帝」とは対照的に、渦を巻いて回転している。

This spiral Force of nature is directed by the wands which she carries: they
represent active and passive energy, each of which has two poles.
この自然の渦巻き状の「力」は、彼女が持つ棒たちにより導かれる:それらは能動的と
受動的な精力を象徴し、それらの各々は、2つの極を持つ。
--- ここまで ---

「至高の三角形」の世界にあり、完全にバランスが取れて安定した状態にある「女帝」の
対極にあるのが、この、渦巻きながら「最下位の世界」へと繋がっていく「宇宙」の
カードとなります。
つまり、積極的にアンバランスさを作り出すことで、静止した潜在的エネルギーの中に
渦巻き状の流れを作り出して、新しい物質とその世界を形成していくということです。

そして、その鍵となるのが、彼女の持つ、レッツ・ラ・まぜまぜするための二本の魔法の
棒になっていて、それぞれがプラスとマイナスの極性を持つことで、周囲に「フィールド」
を形成し、そしてそれが回転することで、周囲の「フィールド」に対して色々な作用を
及ぼしているということになります。

つまりは、この「タウ/宇宙の小径」のフィールドにおいては、「力」は、二重の極性を
併せ持つ「場」で表すことができるという理屈にもなっているわけです。

まあ、それが何を意味するのかは、いまいちよくわかっていませんが、何となく深遠な
感じがするわけで、そういう意味では、現代の科学は、まだまだこの領域にしか達して
いないんだなぁ、ということを、漠然と思ったりするわけでした。(根拠無し)
0108名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/03/11(土) 06:46:44.00ID:L3UwaVFw
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 149) ---
Crowley's card shows these natural forces as the serpent Kundalini, described as
"Coiled in Yesod."
クロウリー氏のカードは、「イェソドの中で螺旋状に巻かれる」と評される、蛇の「クン
ダリニー」のような、これらの自然の力たちを表している。

This is a reference to the primary sexual forces of nature to be encountered with
THE UNIVERSE.
これは、「宇宙」と遭遇されることによる主要な自然の性的な力たちへの参照である。

These are the forces which we learn to direct in ourselves and onto which we impose
the strictures of Binah, the Great Mother, the Great Sea.
これらは、我々が我々自身において指示することを学び、そして我々が、「ビナー」、
「大母」、「大いなる海」の拘束たちをその上に課している、力たちである。
--- ここまで ---

トート版タロットの一番の特徴は、中央の女性像と共に踊る、不思議な形状の螺旋を描いた
「the serpent/蛇」の姿です。

それ以外にも、カードの中には、色々と不思議なものが描かれているのですが、『トート
の書』には、クロウリー氏の独自解釈が書かれているだけであって、作者であるハリス女史
の作画の意図が書かれているわけではありませんので、いまいち参考にはなりません。

絵柄からは、この女性像が、上位世界の「蛇」に象徴される「力」を、上から下へと流出
させているような感じになっているのと、「蛇」が永遠性を持っているという理屈から、
周囲の円環が、途切れることのない宇宙の永続性を表しているようにも見えます。

ハリス女史自身が、簡単でもいいので解説本を書いてくれていれば、もうちょっと詳しい
話が出来ると思うのですが、現状では、カードの絵から、各自で独自に解釈していくしか、
他に手がありませんからね。
0109名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/03/12(日) 09:38:52.54ID:+wYHBdsH
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 149) ---
Water is very important to this Path which is the Great Sea of consciousness in
its most dense and difficult expression.
「水」は、それが、その最も濃密で理解困難な表現において、意識の「大いなる海」で
ある、この「小径」にとって非常に重要である。

The Thirty-Second Path might be considered a dark cave, filled with treacherous
caverns and tunnels, some of which lead to the Light, but others of which lead
to the Qlippoth.
「32番目の小径」は、暗い洞穴 危険でいっぱいの洞窟たちとトンネルたちであり、その
いくつかは「光」に通じるが、他のものは「クリフォト」へと通じていると、考えられる
かもしれない。
--- ここまで ---

「宇宙」のカードは、それが異世界への出発点という意味での「イニシエーション」で
あるため、それ自体は無限の可能性を持ちます。

つまり、どこにでも通じる「どこでもドア」であるわけですが、そのドアの先にあるのは
「光あふれる未来」とは限らない、というか、ハズレである可能性の方が、圧倒的に高い
わけです。
まあ、ハズレのほとんどは、人畜無害な「妄想部屋」に通じているのですが、中には本物の
地獄へと繋がる危険なシロモノもあるわけですので、ある程度の警戒心は必要かと思います。
とはいえ、こういった「どこでもドア」って、実はほとんどの人にとっては、全く必要の
無いものですし、たとえ興味を持ったとしても、ほとんどの人は、それをまともに使える
レベルには達しないわけですので、「無かったこと」にしてしまうのが一番かと思います。

ということで、最初の大アルカナである「タウの小径/宇宙」の項は、これで終わりです。
マジで一般人にとってはどうでもいい話、というか関係の無い話ですので、そろそろ脱落
する人も多発している頃ではないかと思っているのでした。
(ここで話をしている人も、いまいち分かっていないので、いまいちヤル気無しw)
0110名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/03/13(月) 06:19:39.58ID:zYIzrC3I
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 149) ---
31. THE PATH OF SHIN
31. 「シン」の小径

Judgment
審判

The Twentieth Key
20番目の鍵(大アルカナ)
--- ここまで ---

ここから、「生命の木に基づく大アルカナ」の章の中での新しい節になります。

サブタイトルは「シンの小径」です。

我々にとっては、まだ割と理解可能であった「宇宙」から上は、ほとんどの人にとっては、
全くと言っていいほど経験の無いというか、意識することが難しい世界になってきます。

ワタシも、どちらかと言うと普通の人ですので、ワタシがこれから書くことは、ほとんど
アテにはならないというか、アテにしてはいけないというか、軽々しく信じてはならない
ということを、まず最初に心しておいてください。
そして、他人の解釈に頼らず、自分自身で解釈し理解していかないといけないわけですが、
でもそれはあくまでも自分自身の解釈と理解であって、少なくとも、他のほとんどの人
とは違うものであるということも、心しておいてください。

なぜこんなことを今さら言うのかというと、今まで見てきたように、ワタシ自身の解釈自体
が、他のほとんどの人たちの解釈とは、かなり異なっているからなんですよね。
これは、ワタシの解釈が間違っているということでもないし、他の人の解釈が間違っている
ということでもなくて、あくまでも視点の違いというか、見えている世界が違っていると
いうことなのですよ。(苦しい言い訳w)
0111名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/03/14(火) 06:20:35.72ID:yePC4Vao
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 149) ---
□ PATH COLOR: Glowing Orange Scarlet
□ 「小径の色」:「燃えるようなオレンジ色の緋色」

□ RELATED SOUND: C Natural
□ 「関連した音」:「Cのナチュラル」

□ MEANING: Tooth
□ 「意味」:「歯」

□ MATERNAL LETTER: Fire
□ 「母字」:「火」

□ ESOTERIC TITLE: The Spirit of the Primal Fire
□ 「秘伝的な称号」:「根源的な火の霊」
--- ここまで ---

この本の、この文章の右側には、「歯」と、ヘブライ文字の「シン」と、「火」の元素記号、
および「生命の木」における「シンの小径」の位置が図示された絵が描かれています。

その他の説明は、前項の「タウの小径」を参考にしてください。

この本では、この説明文の下に、4枚の「審判」のカードの写真が掲載されているのですが、
トート版だけが異質なデザインとなっています。
これは、クロウリー氏の独自の宗教的思想を反映したものとなっていて、そういう意味
では、この「審判」の領域は、まだ少しだけ人間世界に関わりのある境界領域であり、
こういう宗教的なモチーフが、まだ有効な領域でもあるということですよね。

まあ、我々のような地上に生きる一般人にとっては、工夫すれば、かろうじて感じることの
できる限界領域でもあるということです。
0112名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/03/18(土) 06:41:55.20ID:54xUD7tx
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 150) ---
THIRTY-TWO PATHS OF WISDOM: The Thirty-first Path is the Perpetual Intelligence;
but why is it so-called?
「知恵の32の小径たち」:「31番目の小径」は「絶え間なき知性」である;しかし、なぜ
それは、そう呼ばれるのか?

Because it regulates the motions of the Sun and Moon in their proper order, each
in an orbit convenient for it.
なぜなら、それは「太陽と月」の動きたちを、それらの適切な順序で、各々をそれにとって
都合の良い軌道の内に、統制するからである。
--- ここまで ---

ここは、前節と同様に、ウェストコット氏の英訳版『The Sepher Yetzirah/セフェル・
イェツィラー(形成の書)』の「THE THIRTY-TWO PATHS OF WISDOM/知恵の32の小径」
からの引用です。

ここは、「32番目の小径」の、7つの惑星たちの「管理する知性」の、一つ上の階層となる
部分になります。
なぜ上位になるかというと、「太陽」と「月」は別格に明るくて、さらに、ほぼ一定の
動きをしているので、「より上位の存在」と見なされているのに対し、その他の惑星たち
は、暗くて、そして一見すると不規則に動いているので、「より下位の存在」と見なされて
いるということになるわけです。

要するに、7つの惑星の根幹的な動きは、「31番目の小径」の「絶え間なき知性」が司る
「太陽」と「月」が主に担っていて、残りの惑星たちは、「32番目の小径」の「管理する
知性」が、「太陽」と「月」の動きに従って、その動きを司っているという感じですかね。

まあ、この「知恵の32の小径」の「31番目の小径」の意味が、一見すると天体の運行
とは何の関係も無さそうな「シン/審判の小径」と、どのような形で絡んでくるのかは、
なかなかに興味深いところではあります。(傍観者風w)
0113名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/03/19(日) 06:26:12.03ID:th4ZrNO/
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 150) ---
The Path of Shin, JUDGMENT, joins Malkuth (the Earth) with Hod (Splendour), the
base Sephira and completion of the Pillar of Severity.
「シンの小径」である「審判」は、「峻厳の柱」の基礎であり完成である「セフィラ」で
ある「ホド(壮麗)」と、「マルクト(地)」を結合する。

The Earth is thus connected with that which is the ultimate expression of Binah,
the Will to Form.
「地」は、このようにして、「形の意志」である「ビナー」の究極の表現であるものと
接続される。

It is an activating Path of intellect, while its opposite, THE MOON is a formative
Path of emotion.
それは、知性の活動的「小径」であり、その一方、その反対側である「月」は、感情の
形成的な「小径」である。
--- ここまで ---

「activating/活動的」と「formative/形成的」という用語は、P140の図28で説明が
ありましたので、もう忘れちゃった人は、見直しておいてください。

さて、既に気づいている人もいると思いますが、この「審判」は、「月」とペアになって
いますので、両者を対比させながら考察していくことが、理解の早道である、というか、
「審判」だけを単独で理解することは出来ないということになります。
そしてまた、地上界の我々からすれば、まだ「activating/活動的」の方が理解しやすく、
「formative/形成的」の方は若干理解が難しい概念であるということも、何となく分かる
のではないかと思います。

とはいえ、こういう「対比」が必要な「相対的な概念」が出てくると、てきめんに理解する
ことが難しくなりますし、思考を言語に変換することも困難になってきて、その多くが
辻褄の合わないものになってきますが、まあそういうものだと思っておいてください。
0114名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/03/20(月) 06:43:10.57ID:zztRULgo
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 150) ---
What is shown here as "judgment" is a process undergone by the Personality as it
strives to become conscious of its own inner working.
ここに「審判」として示されるものは、それが、それ自身の内なる働きを意識するように
なろうと努力するときに、「人格」により経験される過程である。

But the judgment is not momentary or limited.
しかし、その審判は、瞬間的でもなく限定的でもない。

It is, as the Thirty Two Paths of Wisdom describes, perpetual.
それは、「知恵の32の小径たち」が述べているように、「絶え間なき」ものである。
--- ここまで ---

「Personality/人格」については、我々は
・「至高の三角形」:「究極の霊的自我」
・「倫理的三角形」:「高次の自我」
・「星幽的三角形」:「人格」
という構造になっていることを知っています。
そして、この「シン/審判の小径」は、「タウ/宇宙の小径」と「コフ/月の小径」と
一緒に、最終的な第四の三つ組を形成しているわけなのですが、それらは、「人格」と、
肉体である「マルクト」を結合する重要な役割を果たしているわけです。
つまり、「内なる気づき」というものが、この三本の小径に秘められているわけです。

とはいえ、この「シン/審判の小径」は、「タウ/宇宙の小径」と比べると、ずっと
分かりにくくなっています。
その原因の一つが、この「perpetual/絶え間なき」という性質にあるわけです。
つまり、地上の空気のように、常に「ある」状態ですので、そもそも、そこに「ある」
ということにも気が付かないわけなんですよね。
結局のところ、地上にいる我々にとって「常にある」ものは、考慮する必要の無いもの
ですので、この時点で思考停止しても、何の問題も無いわけなのです。(ヤル気無し)
0115名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/03/21(火) 06:12:02.90ID:F7AMTpto
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 150) ---
It is the continuous monitoring of the progress of the Personality toward universal
consciousness.
それは、普遍的意識へと向かう「人格」の進歩の、絶え間ない監視である。

That which is deemed unworthy by the angelic powers, invoked by the desire of the
student travelling the Paths, is slowly burned away by the redeeming Fire, a
process which is actually physical.
「小径」を旅している学徒の願望により召喚され、天使の力たちにより価値の無いものと
見なされるものは、実際に物質的な過程である、贖罪の「火」によって、ゆっくりと焼き
払われる。
--- ここまで ---

さて、下界に住む我々とは直接関係の無い、この「perpetual/絶え間なき」ものですが、
どういう場合に関係してくるのかということが、ここに少しだけ述べられています。

まず一つ目のキーワードは、「the Personality toward universal consciousness/
普遍的意識へと向かう人格」であり、まずここで、上を目指す人に限定されます。
つまり、上を目指していない人にとっては、ほぼ関係の無いものであるということです。

二番目のキーワードは、「redeeming Fire, a process which is actually physical/
実際に物質的な過程である、贖罪の火」ということであり、要するに「天罰」みたいな
ものなのですが、これは普通の物理的/精神的な現象、すなわち理論的に説明の付く現象
とは区別が付かないので、実にわかりにくいわけです。
つまり、「desire/願望」を達成しようとするけれども、「天罰」なのか「偶然」なのか
「必然」なのか、よくわかんないけど、失敗するわけなんですよね。
普通の人は、何で失敗したのかが分からないので、そこであきらめてしまうわけですが、
上を目指す人は、そういう失敗を繰り返すことで、その原因を探り、その中に「天使の力
による干渉」というものを見いだして、最後にはそれを理解することができるという流れ
になるわけです。(とても面倒臭いです。)
0116名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/03/22(水) 06:18:44.78ID:KEKtWQpo
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 150) ---
The Golden Dawn text calls this Path the "Splendour of the Material World,"
pointing out the relationship of the Path to the physical body.
ゴールデン・ドーンの教科書は、この「小径」を「物質的世界の壮麗」と呼び、物質的な
肉体についての「小径」の関係を指摘している。

What is shown here is a resurrection, a rebirth.
ここに示されるものは、生き返りであり、生まれ変わることである 。
--- ここまで ---

この「The Golden Dawn text/ゴールデン・ドーンの教科書」というのは、『The Golden
Dawn/黄金の夜明け魔術全書』の「Fourth Knowledge Lecture/第四知識講義」にある、
「Notes on the Tarot/タロットに関する覚書」の「20. Judgement/審判」にある記述
のことです。
ここの記述は、本文中にあるように、「セフィロト」と「小径」の配属物たちの結合で
あり、この「Splendour of the Material World/物質的世界の壮麗」という文言は、
「マルクト」と「ホド」の関係を示しています。
そして、その後に「Mercury acting through Fire upon the Cosmic Elements/宇宙的
元素たちの上の火を通じて作用する水星」という文章が続きます。

まあ、何のことかはよく分からないのですが、ここに示されているものは、「タウ/宇宙」
のカードが示す通常の「誕生と死」ではなくて、「a resurrection, a rebirth/生き返り
であり、生まれ変わり」ということですので、我々のような一般人にとっては、おそらく
ほとんど何の関係も無いと言うことができるかと思います。

まあ、誰もが経験可能な「タウ/宇宙」からは、いきなりハードルが上がっているわけ
なのですが、「マルクト」から「ホド」に至る通常ルートとしては、「タウ/宇宙」と
「レシュ/太陽」があるわけですし、わざわざ困難な脇道を通る必要は無いわけですので、
まあ、「そんな不思議な脇道もあるんだ〜w」的な感じでいいかと思います。
(いまいちヤル気無し)
0117名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/03/23(木) 06:10:15.20ID:FfwnsXOB
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 150) ---
This resurrection is based on the developments of the opposite card to this Path,
THE MOON, and relates to actual physiological changes which occur in the student
as the result of the disciplined quest for a greater reality.
この復活は、この「小径」と反対側のカードである「月」の開発たちに基づいており、
より大きな現実のための統制のとれた探求の結果として、学徒に生じる実際の生理的な
変化たちに関連する。

In other words, the resurrected body is physiologically rebuilt, a process stimulated
by the energies of Qoph, THE MOON.
言い換えれば、復活した身体が生理的に再建されることであり、「コフ」、「月」の精力
たちにより活性化された過程である。

This is what Paul Foster Case describes as the process of building a Master's body.
これは、ポール・フォスター・ケース氏が、マスターの身体を形成している過程として
述べているものである。
--- ここまで ---

この「シン/審判」だけでなく、「コフ/月」や「タウ/宇宙」は、その一方が「マルクト」
に繋がっていますので、それらの働きは、必ず「マルクト」である我々の「body/身体」に
対して、何らかの「physiological changes/生理的な変化たち」をもたらします。
つまり、我々が、我々自身の身体をセンサとして用いることで、これらの「小径」の働きを
「reality/現実」にあるものとして実感することが理論的に可能であるということです。

とはいえ、誰でもが、この「小径」の信号を実感できるということでもないんですよね。
何故かというと、「マルクト」の身体は、「マルクト」内部での働きが最も激しいので、
それら自身が強烈なノイズ源として働いています。
それらの「身体的」なノイズを静めた上で、微弱かつ時間的変化の少ない「上位の小径」
からの信号を拾い出せるようになるには、相当な訓練とそれなりの勉強が必要になります。
まあ、そういうわけですので、一般の人は、あまり関わらない方がいい領域だと思います。
0119名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/03/24(金) 06:13:17.47ID:CiZ/LpnR
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 150) ---
This is also a Path where the components of the Personality first encountered in
THE UNIVERSE, are critically analyzed and evaluated (judged).
これはまた、「宇宙」において最初に遭遇する「人格」の構成要素たちが、批判的に分析
され評価される (審判される)ところの「小径」である。

It is the bright and fiery probationary path of the intellect, as THE MOON is
the dark, cold and watery probationary Path of the emotions.
「月」が、感情たちの暗くて冷たくて水のような試用の「小径」であるのと同じように、
それは、知性の明るくて火のような試用の小径である。
--- ここまで ---

「シン/審判」と「コフ/月」の「小径」は、割と素直で親しみやすい「タウ/宇宙」とは
違って、実に厄介でややこしいので、あまり近づきたくはない場所です。

なぜなら、そこは、我々の「人格」が試される場所であり、どちらかというと、かなり
ネガティブな場所というか、突破すること自体が困難な場所なんですよね。
というか、ほとんどの人は、その入り口で拒絶されてしまうような場所です。

なんでそうなるかと言うと、生身の人間が、「肉体」を携えたままで、そこに進入する
ことが難しいという面があり、何か特別なことをしておかないと、すんなりと入り口を
通してくれないわけです。
運良く中に入れたとしても、「タウ/宇宙」と違って、そこは決して心地よい場所でも
ありませんので、あまり好んで行きたいという場所でもありません。
とはいえ、上位世界を目指す人にとっては、「シン/審判」と「コフ/月」の小径は、
ある程度は理解しておく必要のある必修科目でもあるわけですので、なかなか悩ましい
ところではあります。
まあ、ワタシみたいに、上位世界を目指さない人であれば、うわべだけの知識で、お茶を
濁しておくのが、良いかと思います。(全くヤル気なしw)
0120名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/03/25(土) 07:33:08.76ID:OrjoGevi
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 150) ---
These are Paths introductory to the true nature of the Self in incarnation and can
thus be extremely difficult.
これらは、肉体化の内にある「自我」の真実の本質への入門的な「小径たち」であり、
従って、極めて難しいものであるかもしれない。

In fact all of the Elemental Paths (THE FOOL, THE HANGED MAN, JUDGMENT) are
difficult to understand.
実のところ、「元素の小径たち」(「愚者」、「吊られた男」、「審判」)の全ては、
理解することが難しい。
--- ここまで ---

「マルクト」から上位世界へと上昇する最も最適な「小径」は「タウ/宇宙」であり、
「シン/審判」と「コフ/月」は、どちらかというと補助的な役割を果たします。
さらに言うと、「タウ/宇宙」が階段付きの坂道であるとすると、「シン/審判」は
崖であり、「コフ/月」に至っては、ゴールが全く見えないものとなります。

とりあえず、話を「シン/審判の小径」に戻しますが、これは「マルクト」という「地」
の「セフィロト」と、「ホド」という「水」の「セフィロト」を繋ぐ、「火」の元素の
「小径」ということになりますが、ここでも話がややこしさを増しています。

つまり、「セフィロト」の「四大元素」と、「小径」の「元素」って、実は似て非なる
ものであって、そもそも「小径」の「元素」は、もはや「元素」とは呼べないような、
わけわからないシロモノでもあるわけです。
この点を勘違いして、脳内で勝手に「火」や「水」や「空気」、それも自己の経験から
来るものをイメージしてしまう人も少なからずいるわけですが、それは愚かな勘違いと
いうか、せいぜい小ネタのレベルの話としておくものだと思います。

そして、カバラにおける大アルカナの象徴は、極限まで「抽象化」されているので、
普通には理解することが難しいものであることを、再確認しておいてください。
0121名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/03/26(日) 07:03:08.80ID:vq2GZ4Tp
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 150) ---
The problem arises partly in that on each of these Paths all of the Elements are
present, in either expressed or unexpressed form.
問題は、そのことが、これらの「元素たち」の全ての「小径たち」の各々において、表現
されるか表現されないかのいずれかの形で、存在している状態において、部分的に発生する。

We shall return to this concept.
我々は、この概念に戻ろう。
--- ここまで ---

まあ要するに、「小径」における「元素」って、マジでよくわかんないシロモノであると
いうことなんですよね。

そもそも、この大アルカナに相当する「22の小径」に、ヘブライ文字を配属させる際に、
・3母字=「空気」「水」「火」の3つの元素
・7複字=七惑星
・12単字=黄道十二宮
ということで、「四大元素」のうちの3つしか使っていないわけです。
つまり、理論上明らかに「欠陥」があるというか、無理矢理感がハンパないわけです。

この全ての原因は、この「3母字」に対して、「四大元素」のうち「3つの元素」のみを
割り当てているという違和感にあるわけですが、これは言い換えると、
『3母字に配属されている「空気」「水」「火」は、「四大元素」のものではない』
ということをしっかりと理解しておけば、割とすんなりと解決できるわけです。

つまりは、「セフィロト」という下位世界における「四大元素」の「火」「水」「空気」
「地」という概念と、「小径」という上位世界における「元素」の「空気」「水」「火」
という概念は、直接的な結びつきは全く無いということであり、もし結び付けて考える
のであれば、あくまでも「象徴」という高度の抽象化を施した上で語る必要があるという
ことなのです。(ミソとクソの類似性を語るようなものですかね。w)
0122名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/03/27(月) 06:20:11.29ID:nvCUZqLu
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 150) ---
First, let us consider the pattern of the Maternals.
まず最初に、「母字たち」の様式を考察しよう。

The Sepher Yetzirah states that Air produces Water which produces Fire.
「セフェル・イェツィラー」は、「空気」が「水」を産み出し、それ(水)は「火」を
産み出すと述べる。

THE FOOL is pure Air, THE HANGED MAN is Air acted upon by Water, JUDGMENT is Air
and Water acted upon by Fire within the vehicle of Earth (the crucible which,
in Spiritual Alchemy, is our own body).
「愚者」は純粋な「空気」であり、「吊られた男」は、「水」に作用される「空気」で
あり、「審判」は、「地」の乗り物(「るつぼ」、それは、「霊的錬金術」において、
私達自身の体である)の内の、「火」により作用される「空気」と「水」である。
--- ここまで ---

『The Sepher Yetzirah/セフェル・イェツィラー(形成の書)』の第一章によると、
神は「霊」から「空気」を作り、その「空気」から22の文字を作り、そして「空気」から
「(原初の)水」を作り、そして「水」から「火」を作ったというように書かれています。
つまり、最初の「空気」から、「3つの母字」が作られているわけであって、「アレフ
(空気)」から「メム(水)」が作られ、そして「メム(水)」から「シン(火)」が
作られているということを、必ずしも意味していないということです。

つまり、『セフェル・イェツィラー』の第一章に書かれている「空気」「水」「火」の
三つの元素は、「アレフ(空気)」「メム(水)」シン(火)」というヘブライ文字の
「母字の小径」よりも上位のレベルにあるということを、理解しておく必要があります。

同じ用語が、違うレベルで使われているのは、ちとややこしいのですが、カバラを理解
するには、この「レベルの違い」をしっかりと把握しておくことが必要です。
そうしないと、ミソとクソを混合してしまって、使いモノにならなくなりますので。
0123名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/03/28(火) 06:27:18.71ID:YqIzYQBR
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 150) ---
The Golden Dawn and Waite cards picture Air above, with Water between two sections
of Earth.
ゴールデン・ドーンとウェイト氏のカードたちは、「空気」を上に、「地」の2つの区域たち
の間の「水」とともに描く。

It is understood that the Air, Water and Earth are being heated and activated
by the Fire.
「空気」、「水」、および「地」が、「火」により熱せられて、作動していることが
理解される。

There are no flames here, for the action is a slow and steady (perpetual) one
brought about by the Archangel.
その活動は、「大天使」によりもたらされた、ゆっくりと安定した(絶え間ない)もので
あるので、ここには炎たちが全く無い。
--- ここまで ---

『The Sepher Yetzirah/セフェル・イェツィラー(形成の書)』の第一章によると、
神は「霊」から「空気」を作り、次に「水」を作り、さらに「地(土)」を作り、最後に
「火」を作ったというように書かれています。

ゴールデン・ドーン版とウェイト版のカードには、さすがに「神の霊」は描かれていま
せんが、それ以外のものが、「セフェル・イェツィラー」の記述通りに描かれていると
いうことですよね。
つまり、この「大天使」は「火」を象徴するものあり、そのラッパから吹き出している
ものは、「空気」「水」「地」を活性化させる「火のエネルギー」ということになります。

とはいえ、この「大天使」によりもたらされる「火のエネルギー」は、「slow and steady
(perpetual)/ ゆっくりと安定した(絶え間ない)」ものであるために、地上世界にいる
我々が、その普遍的な存在を知覚することは、とても困難なことなのです。
0124名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/03/29(水) 06:05:11.36ID:KYqn66ju
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 151) ---
This effect is on the component dualities of the individual, which are symbolized
by Fire and Water: Mind-consciousness (Water) is activated by the Dynamic Principle
(Fire) in the presence of the equilibriating Spirit (Air) within the physical vehicle
(Earth).
この効果は、個人の構成要素の二重性にあり、それは「火」と「水」により象徴される:
「精神の意識(水)」は、肉体的な乗り物(「地」)の内にある、釣り合わせる「霊(空気)」
の存在の中で、「動的な原則(火)」によって作動する。

The Path of JUDGMENT is, therefore, aimed at producing a balance within the individual,
necessary for a total understanding of the Personality structure and its relationship
to the greater universe.
「審判」の「小径」は、それゆえ、「人格」の構造と、より大きな宇宙とのその関係の、
全体的な理解にとって必要な、個人の内にある平衡を生み出すことに向けられる。
--- ここまで ---

「equilibriating」は、「equilibrating/釣り合わせる」の誤植です。

さて、ここでは「火」と「水」のバランスというものが大事であり、そして「地」と
「空気」の関係についても述べられています。

すなわち、「火」である「審判」と、「水」である「月」、そして「地」の「マルクト」と
「空気」である「イェソド」を結ぶ「宇宙」との関連性について、しっかりと考察して
いきましょうということですよね。

とはいえ、「生命の木」のような、複雑なネットワークを組むものは、その構成要素
だけを見ても、何のことかわからないことが多くて、その傾向は、「セフィロト」よりも
「小径」の方が強く出て来ています。
それゆえ、「小アルカナ」以上に「大アルカナ」は複雑怪奇となっているわけですので、
ワタシみたいに頭の良くない人は、この辺りで早々にリタイアした方が賢明かと思います。
0125名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/03/30(木) 06:16:00.19ID:FT+Ao4H9
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 151) ---
But to say that "balance" is produced on this Path raises a question.
しかし、「平衡」がこの「小径」の上で生み出されると言うことは、疑問を引き起こす。

One might well ask how it is possible for there to be balance in any Path which
is not on the Middle Pillar.
人は、「中央の柱」の上にない何かの「小径」の中に平衡があることがどのようにして
可能であるかを尋ねるであろう。

The answer is found in the idea that every symbol is a duality, containing its
own opposite.
その答えは、「全ての象徴は二重性であり、それ自身の反対物を含む」という考え方の
中に見つけられる。
--- ここまで ---

ワタシは、「平衡」が「中央の柱」の上にのみ存在すると考えたことは無いのですが、
頭の固い人の中には、「中央の柱」が全体のバランスを取る支柱になっているので、
そういうふうに考える人もいるかもしれないということですよね。

とはいえ、「大アルカナ」のカードの「生命の木」の配属を見てもわかるように、「平衡」
という概念は、「中央の柱」のみにあるわけでもなく、あちこちに見ることが出来ます。
つまり、それぞれの「小径」の中には、「平衡」の概念が常に含まれているということで
あり、言い換えれば、全ての「小径」の中には「陰と陽の二重性の概念」が基本要素として
組み込まれていると言うことができます。

このことは、カードの「正位置」と「逆位置」の読み方にも関係してきます。
つまり、「正位置」はバランスが取れた状態であり、「逆位置」はバランスが崩れた状態
であると見る方法ですよね。
まあ、「大アルカナ」って、ロクに読めないシロモノですので、どう解釈するかは各自の
自由なのですが、とりあえず、解釈する時のネタにしてもらえればと思います。
0126名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/03/31(金) 06:44:13.23ID:32upU156
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 151) ---
As with the flashing colors, a symbol is only functional insofar as it is a
self-contained balance of two extremes.
点滅する色たちと同様に、象徴は、それが2つの両極端のものたちの自己完結型の平衡で
ある限りにおいて、ただ機能的であるだけである。

To extend this principle to the Paths, we see that each Path must contain the
essential components of its opposite Path.
この原則を「小径」に拡張することで、我々は、各々の「小径」は、その反対側にある
「小径」の本質的な構成要素たちを含んでなければならないことがわかる。

Here we may return to the example of Hod and Netzach, which relate to JUDGMENT
and THE MOON respectively.
ここで、我々は、「審判」と「月」にそれぞれ関連する、「ホド」と「ネツァク」の例に
戻ってもよい。
--- ここまで ---

基本的に、「生命の木」というものは、宗教的な崇拝の対象ではなく、あくまでも数々の
思考実験のためにあるアブノーマル、いやいやユニバーサルな「象徴体系」であって、
そういう意味では、これは「functional/機能的」であり、実用性の高いものです。
つまり、使えそうな原則があれば、とりあえず色々なところに適用してみてから考える
という、行き当たりばったり、いやいや前向きにチャレンジする姿勢は大事なのです。

とはいえ、万能である「生命の木」って、言ってみれば「何でもあり」の世界ですので、
それが生み出す大量のゴミの山の中から、真に役立つものを探し当てるというのは、
なかなかに至難の技であって、それゆえ誰もが簡単に使えるというものでもありません。

つまり、「大アルカナ」の世界は、あらゆる「原則」を適用することで、我々から見れば
「何でもあり」な解釈が出来るものであるので、実はとても厄介なシロモノです。
まあ、「何でも直観で読む」人にとっては、どうでもいいことなんでしょうけどね。
0127名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/04/01(土) 08:06:14.65ID:kJScHRjq
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 151) ---
Intellect applied without feeling is as pathological as feeling applied without
intellect.
感情を持たずに適用された知性は、知性を持たずに適用された感情と同じくらい病的である。

When we travel the Path of JUDGMENT we learn the lessons of THE MOON.
我々が「審判」の「小径」を旅する時には、我々は「月」の学課たちを学ぶ。

And, taken to the most refined aspect of the Tree of Life, when we travel the Path
of THE MAGICIAN, we learn the lessons of THE FOOL.
そして、「生命の木」の中で最も精錬された様相へと運ばれる、我々が「魔術師」の「小径」
を旅する時には、我々は「愚者」の学課たちを学ぶ。
--- ここまで ---

なんかもう、色々と話が膨らみますが、これも「生命の木」の持つ、何でもありというか、
いやいや、普遍性が高く万能的な性質を生み出す重要な特徴なのです。

「生命の木」は、数々の「対となるもの」、もしくは「組となるもの」を、その単純とも
思える構造の中に内包しています。
そして、この「組み合わせ」こそが、この宇宙の原理である「生命の木」の謎を解く鍵と
なるわけです。(まあ、我々のような一般人には、無縁のものではありますが。)

ちなみに、タロット占いにおいては、この「大アルカナ」は、基本的には、物事たちの
「関係性」を表すものとなり、何か特定の事象を意味しているわけではありません。
つまり、占いの上では、「単独では説明できないもの」ですので、特定事象を表す名詞
ではなく、形容詞、副詞もしくは助動詞みたいな働きをするような感じになります。
要するに、名詞という事象を、どう構造として組み立てていくかという「設計図」みたい
な働きをするものという感じですかね。
タロット占いをやるからには、とりあえず、ミソとクソの違い、いやいや「大アルカナ」
と「小アルカナ」の違いぐらいは分かるようになってほしいと思うわけです。
0128名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/04/02(日) 06:04:16.48ID:VlZgFiN7
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 151) ---
Such cards are antithetical, but mutually explanatory.
そのようにカードたちは正反対ではあるけれども、お互いに説明的である。

It is not possible to deal with any card without its opposite energy being present.
どんなカードであれ、その反対側の精力の存在なしには論ずることはできない。

And since the cards represent types of consciousness, it can be said that everything
which we experience, every idea, every activity, co-exists in us with its opposite.
そして、カードたちが意識の様式たちを表しているので、我々が経験する全てのもの、
全ての考え方、全ての活動は、その反対のものと我々の中で共存していると言われる
ことができる。
--- ここまで ---

「生命の木」においては、「右側」「左側」そして「中央」というのが、基本構造と
なっているため、常に、これらの組み合わせで論じることが必要とされます。
つまり、単独で部分的に論じてみても、本当の理解には繋がらないということです。
特に「小径」では、その傾向が強く出てきますので、そういう意味では、とても面倒臭い
というか、物事を単純に捉えがちの人にとっては、とてもハードルが高くなります。

あと、「大アルカナ」は、「consciousness/意識」そのものではなくて、「types of
consciousness/意識の様式たち」、すなわち抽象化された上位概念を表していること
にも注意が必要です。
要するに、「大アルカナ」って、何を言いたいのか、よくわからないということです。

何を言いたいのかというと、この世の全てのものは「多面的」であり、多面的な思考を
持たないことには、「カバラ」の世界は何一つ理解することは出来ないということです。
そういう意味からも、いわゆる「○○○タロット占い」というものは、しょせん「カバラ」
とは無縁のものであり、全く別物と考えておいた方がいいということですよね。
0129名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/04/03(月) 06:07:52.50ID:Q/9hy0Ma
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 151) ---
Such lessons on the Paths are extremely practical, although this cannot be obvious
as one begins to juggle the slippery concepts related to the four symbolic Elements.
そのような「小径」の学課たちは、極めて実用的である、とはいえ、4つの象徴的な
「元素たち」と関連した滑りやすい概念たちを欺き始めるので、これは明らかになる
ことはできないけれども。
--- ここまで ---

「slippery concepts/滑りやすい概念たち」というのは、極めて不安定な状態であって、
見たままとか、感じたままのものを信用すると、ロクなことにならないということです。

とはいえ、研究者のように、その裏に隠された真の概念を理解しようとするのではなく、
我々のように、とりあえず現世において何らかのネタとして使えればいいと考えている
一般の人々にとっては、この「lessons on the Paths/小径たちの学課たち」というのは、
それなりに使えるということです。

要するに、ある程度の勘違いを含んで、というか、ウソも方便、というか、まあ他人に
対して何かアドバイスをしようとする時って、ある程度まで話を盛ることって、ままあり
ますよね。
そう、「大アルカナ」の占いって、正直に「カードを読む」というよりも、むしろ様々な
レベルでの「妄想」を膨らませるという方向に働くわけです。

そして、そういうふうに、話のストーリーをデッチ上げる、という作業においては、この
「小径の学課」、すなわち「大アルカナの勉強」って、それなりに役に立つというか、
ストーリーを膨らませるには、実に使いやすいものなわけです。

もちろん、そういう「大アメカナ」による「占い」の実用性は、本来の「カバラ」とは
無縁のものなのですが、そういう面での実用性はあるよ、ということですよね。
我々のような下々の者にとっては、使えてナンボですので、こういった低俗なる姿勢は、
ある程度までは保っておきたいわけなのです。(言い訳w)
0130名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/04/04(火) 06:30:05.42ID:jMMLXHgg
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 151) ---
On the other hand, the pictures on the cards bear a strong relationship to the
visual experience of the Paths, and a great deal can be learned by meditation
on them.
その一方で、カードたちの絵たちは、「小径たち」の視覚的体験と強い関係を持ち、
そして多くのものは、それらの瞑想により学ばれることができる。

Path images are archetypal representations of actual inner roads built through
centuries of mind work by the most advanced men and women of all ages.
「小径」の映像たちは、あらゆる年代の最も上級の男女の人々により、何世紀にも渡る
精神的作業を通じて築かれた、実際の内なる道たちの原型的な表現たちである。

These images are largely constructs built to assist us by those who have gone
before.
これらの映像たちは、前に行ったことがある人々によって、我々を支援するために
築かれた、大量の構成概念たちである。
--- ここまで ---

「大アルカナ」のタイトルや象徴的な絵は、その取り扱いに最新の注意が必要です。
なぜならそれは、「archetypal representations of actual inner roads/内なる道たち
の原型的な表現たち」であって、「小アルカナ」と同じように、見たままで解釈しては
ならないシロモノであるからです。

そもそも、「大アルカナ」は、いわゆる「上級者」の、「上級者」による、「上級者」の
ために作られたカードですので、我々のような「下々の者たち」が、そう簡単には理解
できたり、使いこなせるようになるというものでもありません。

とりあえず、焦らず、あわてず、じっくりと時間をかけて勉強を進め、自分自身の「内なる
世界」に取り込み、そして、いつか先人たちが築いてきた、真の「内なる道たち」を歩いて
いけるようになる日が来るようにと願うわけです。(たぶん、来ないと思うけどww)
0131名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/04/06(木) 06:09:57.51ID:lopulIu9
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 151) ---
It is in this that many falter, believing the construct (the concretized symbol
on the astral plane) to have a reality of its own.
それ自身の真実を持つために、構成概念(星幽面の上の、具体化された象徴)を信じて
いる、多くの者たちのためらいは、この中にある。

It is only beyond the lower astral that one touches upon the realities which
activate the symbols.
人が、象徴たちを作動させる真実たちに触れることは、より下層の星幽界を越えたところ
にある。
--- ここまで ---

「小径の映像たち」、すなわち「大アルカナ」の絵や、そこから導かれるイメージは、
ほとんどの一般人にとっては、星幽界での出来事であり、しょせん、平常運転の妄想の
範囲内のものでしかありません。
つまり、想像上で「見えた!」といったところで、それはあくまでも、そうカキコした
人の真実であって、実際にアニメーターがそれを描き込んだわけではないわけですし、
絵コンテにそれが書かれているものでもないですし、ましてや監督が、それが見えるように
描けと指示したということでもないわけです。

それはともかく、そういう物語性というか教育性の高い映像作品って、それを受け取る
人々が、本当に発信したいものを理解していくのって、なかなかに難しいことです。
受け手である一般大衆は、それぞれに「自己的な真実」、つまり自分自身の尺度を持って
いるのですが、それらの多くは、見せかけの美しさとか、見せかけの感動、すなわち
「the lower astral/より下層の星幽界」に属するものであって、物語の奥に込められた
「送り手が伝えたい真実」にまで到達できる人は、ごくごく限られてきます。

ましてや、商業オカルティストによる低俗解釈の作品が大量生産されている「神秘世界」
の話になってくると、もう何が何やらわけわからないものばっかりですので、本当に神秘
に興味のある人は、逆に近づかない方がいいということになるわけなんですよね。
0132名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/04/06(木) 06:12:01.64ID:lopulIu9
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 151) ---
We may step onto the JUDGMENT Path and experience initially what is shown in the
Tarot card.
我々は、「審判の小径」に踏み込み、そして、「タロット」カードの中に示されている
ものを最初に経験するかもしれない。

Yet beyond these visual constructs, we come to understand that the Path is the
ennervating, activating effect of the cosmic motive principle on the individual
consciousness: the Fiery Spirit permeates the Personality consciousness in the
descent of energy into matter.
さらに、これらの視覚的な構成概念を越えて、我々は、「小径」が、個人の意識の上の
宇宙の原動力の原則の、衰弱化や活性化の効果であることを理解するようになる:
「火の霊」は精力の下降において物質中にある、「人格」の意識に浸透する。
--- ここまで ---

最も下層の「タウ/宇宙」の「小径」では、まだ半分ほど物質世界の影響が残っており、
それを完全に払拭することは出来ませんので、逆に中途半端な我々にとっては、それを
理解することは、そう難しくはありませんでしたが、「シン/審判」に至っては、もう
そういった物質的な甘えは、全く許されなくなります。

つまり、物質的なもの、そして属人的というか個人的なもの、つまり我々自身の肉体と
精神を、全部ここで脱ぎ去っておかないと、ここから先の「小径」は通れないことに
なっているわけです。
そして、「具体的」な個人という存在を超越した、「普遍的」な抽象概念、すなわち肉体や
精神を持たない、純粋なる「霊」への変身を強要されるということなんですよね。
まあ、アニメの登場人物ならともかく、普通の生身の人間であれば、そんなことは絶対に
不可能ですので、あくまでも、この考え自体が「抽象的な概念」となっているわけです。

ちなみに、こういう「高度に抽象化された概念」を言葉で説明するのって、難しいです。
星幽界レベルでの妄想程度では、到底理解不能な概念ですからね。
0133名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/04/07(金) 06:01:38.30ID:J8DQZNln
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 151) ---
In the purposeful ascent of the Path of Shin the last illusions of the separateness
of the Personality are burned away.
「シン」の「小径」の意図的な上昇の中で、「人格」の個別性の最後の幻想が焼き払われる。
--- ここまで ---

まあ、「生命の木」においては、「幻想が許されるのは『イェソド』までだよねー」と
いう、暗黙のお約束がありますので、上位にある「ホド」へと至る前に、「最後の晩餐」
みたいな感じで、我々の「最後の幻想」は、この「シン/審判の小径」の中で、終わりを
宣告されるわけです。

つまり、そういった「幻想」を抱いたままで、この「小径」を通ろうとしても、それは
無理な話であるということであり、それはつまり、我々のような妄想の固まりのような
人間は、絶対に通過することができないシロモノ、つまり我々にとっては関係無いもので
あるという結論にもなるわけです。

え、そんなにあっさりとあきらめてしまっていいのかって?

まあ、努力して何とかなるものであれば努力してもいいのですが、失うものが多すぎる
のと、それによって得るものが未知数ですので、できればそういう無駄なチャレンジは
したくないというのが、本音なのです。

というわけで、ここから先は、ほぼ傍観者モードというか、無責任な話に終始していく
ことになりそうですので、真面目にチャレンジしようとしている人は、早めに脱落して
もらった方がいいかな、と思うのでした。

いずれにしても、ここから先は、「人格」のうち、個性的な部分の大くは削ぎ落とされ、
純粋で普遍的な部分が抽出されていきますので、そういうのも、何かこう面白く無いん
ですよね。
やっぱりワタシは、俗物っぽくてキラキラした「タウ/宇宙の小径」の方が好きです。w
0134名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/04/08(土) 06:58:40.72ID:0GdiVzUb
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 151) ---
To reiterate the Qabalistic symbolism: Shin contains all four Elements: Fire, Water,
Air and Earth.
カバラ主義の象徴主義を繰り返して言えば:「シン」は、全ての4つの「元素たち」を含む:
「火」、「水」、「空気」、および「地」。

This concept may be explained developmentally: The evolution of the cosmos is from
the most simple to the most complex.
この概念は発達的に説明されるかもしれない:宇宙の進化は、最も簡単なものから最も複雑
なものになる 。

It goes from nothing to something.
それは、何も無いものから、何かあるものへと向かう。
--- ここまで ---

「シン/審判」が、「四大元素」の全てを含むという理論が、どこから来ているのかは、
いまいち良くわかりませんが、強いていえば、おそらく「カバラは何でもあり」という
ところから来ているのではないかと思います。

そもそも、下層の「セフィロト」における関連性によれば、
・「タウ/宇宙」=「イェソド:空気」と「マルクト:地」を繋ぐ「小径」
・「シン/審判」=「ホド:水」と「マルクト:地」を繋ぐ「小径」
・「コフ/月」=「ネツァク:火」と「マルクト:地」を繋ぐ「小径」
という役割分担がありますので、あまり一人じめするのは良くないと思いますし、そもそも
我々にとっての宇宙創造の過程というのは、「タウ/宇宙」の「小径」が担っています。

つまり、「シン/審判」は、「タウ/宇宙」の目に見える「物質的/実数的な宇宙創造」の
過程の前にある、我々にとっては決して見えることのない「精霊的/虚数的な宇宙創造」の
過程を受け持つという、雲の上の話に持ち込むしかないわけですよね。
まあ、どうせ見えない世界の話ですので、どうでもいいことですけど。
0135名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/04/09(日) 07:00:33.65ID:Qcmf7H0v
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 151) ---
This is (applying the principle of "As Above, so Below") a process not dissimilar
to that of the Zygote, which begins as a single cell, is fertilized and grows
into a living human organism.
これは、(「上の如く、下も然り」の原則を適用することで)、たった一つの細胞として
始まり、受精して、生きた人の有機体に成長する「受精卵」のそれに、似ていなくはない
過程となる。
--- ここまで ---

勘違いしてほしくないので、最初に言っておきます。

この例え話は、あくまでも「上の如く、下も然り」という「何でもありの原則」もしくは
「ミソクソの原則」を適用した話ですので、くれぐれも同一視しないようにお願いします。

レベルの低い人って、こういう例え話を誤解して、すごく低レベルの話として理解して
しまいがちですので、ここでは、そういう意味で話を出しているわけではなくて、ただ
単に、「全くレベルが違うんだけど、今はこの程度の例え話しか出来ないので、そこを
きちんと理解しておいてから聞いてほしい」ということです。
そういう心構えが無いと、せっかくここでは「大アルカナ」の話をしているのに、いつの
まにか「小アルカナ」のレベルの話にオチてしまいます。

とはいえ、やっかいなのは、我々のようなレベルの低い人間って、本当の「大アルカナ」
のレベルでの理解って、実はほとんど不可能に近いのです。
つまり、我々には出来ないことをやらされるわけですので、はっきり言って無理ですし、
少なくともワタシは、そういう意味の無いことにはチャレンジしたくはありません、

じゃあ、どうしたいのかと言うと、もう真の「大アルカナ」のレベルの話はあきらめて、
より低俗で理解可能なレベルの話までオチてしまおうというのが、ワタシの結論なのです。
ということで、ここから先はもう「大アルカナ」のレベルでの話ではなくなりますので、
低レベルの話が気に入らない人は、さっさと退散してくださいね。(完全な開き直りww)
0136名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/04/10(月) 06:04:10.16ID:fU+BwWBg
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 152) ---
The cells of the Zygote multiply over and over again until they are a body which
is the receptacle of the Holy Spirit on this earth.
「受精卵」の細胞たちは、それらが、この地上にある「聖霊」の受け口である身体になる
まで、何度も何度も繰り返し増殖する。

At any stage of development, from the single fertilized cell, to the finished
product, the whole is implicit in the developing parts.
たった一つの受精した細胞から完成した製品となるまでの、発達のどのような段階でも、
統一体は発達している部分たちの中に、暗に含まれている。

Thus does the One grow to the ten or ten thousand or ten billion uncountable mind
cells which form the corpus of the universe.
このように、「一つのもの」は、宇宙の集成体を形成する、10や1万や100億の数えきれない
精神細胞たちに成長する。
--- ここまで ---

最初の話は、「単一の受精卵」が「人間全体を構成する無数の細胞の集まり」となる、
「人間の発生」という科学的な記述となっている部分です。
一方で、後の話は、「One/唯一のもの」が、宇宙の精神の構成要素である「uncountable
mind/不可算の精神たち」になるというものであり、ここに「上の如く、下も然り」の
「何でもありの原則」が適用されています。

こういう「理論的飛躍」は、あくまでもそれが「メタ的な象徴」であるという理解の上で
使用されるべきものであり、実際の適用においては、ある程度の「根拠」が必要とされます。
つまり、「これこれこういう然るべき理由があるので、これを適用することが可能となる」
ということを、常に心がけておく必要があります。
そうでないと、「根の葉も無いタワゴト」になるわけですし、少なくとも自分の中では
それなりに納得できるだけの理由を見つけ出しておくことと、それを理解できるだけの
知識を身に着けておくということが必要となってくるわけです。
0137名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/04/11(火) 06:13:20.99ID:zAjoFeKU
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 152) ---
The ultimate simplicity is THE FOOL, and the ultimate complexity is THE UNIVERSE.
究極の単純さは「愚者」であり、究極の複雑さは「宇宙」である。

But THE UNIVERSE and all the other cards are implicit, unexpressed, in THE FOOL.
しかし、「宇宙」と全ての他のカードたちは、発現されていないものの、「愚者」の中に、
暗に含まれている。

Thus, with the cards in between, we find different stages of that which is
expressed and unexpressed.
したがって、その間にあるカードたちとともに、我々は、表現された、そして表現されて
いない、それの種々の段階たちを見つける。
--- ここまで ---

「小アルカナ」の「セフィロト」は、「ケテル」の単純さから始まり、「マルクト」の
複雑さで終わるというのは確かですし、「ケテル」の中には、他の全ての「セフィロト」が
暗に含まれているのも確かなのですが、「大アルカナ」の「小径たち」は、「愚者」が
単純で「宇宙」が複雑であるとは、そう簡単には言い切れないとは思うのです。

そして、そういう「セフィロト」の各段階に働きかけて、何かを発現させていくという
働きが、この「大アルカナ」の「小径たち」にあるというのは確かなのですが、そういう
明確な「stages/段階たち」というのは、本来は各「セフィラ」の役割ではないのかな、
とも思うのでした。

つまり、ここの文章には、ワタシ的には、少々違和感を感じます。、

実のところ、「大アルカナ」の「小径たち」って、抽象的すぎて、どこかの段階で固定的
に存在して作用しているという感じも無いんですよね。
ありとあらゆる段階において発現し、必要に応じて作用するけれども、ある特定の状況や
段階においては、より強く働くように見えているというような感じです。
0138名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/04/12(水) 06:10:19.13ID:q6DUE7Sg
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 152) ---
Given any specific card on the Tree, the energy of all the cards above it are
expressed while the energies of those cards below it are present but unexpressed.
「木」の上のいずれかの特定のカードを考慮すると、それの上位の全てのカードたちの
精力は発現されているとはいえ、それの下位のそれらのカードたちの精力たちは存在する
けれども発現されていない。

Each defines a stage of development.
各々は、発達の一つの段階を定義している。
--- ここまで ---

最初に翻訳文の訂正です。
前レス(>>137)の最後の翻訳文の「expressed and unexpressed/表現された、そして表現
されていない」を、「発現された、そして発現されていない」に修正しておいてください。

さて、前レスでも述べたのですが、ここの文章も、ワタシ的には、少々違和感を感じます。、
これは、「セフィロト」のことを述べていて、「小径たち」のこととは違うのではないかと。

ワタシの考え方は、「小径」とは、例えて言えば、宇宙の法則や原理であり、変換関数
であり、触媒や酵素やフィルタであり、加工工場である、というイメージになります。
つまり、前段階の「セフィラ」から、ある特定の原材料を入荷し、それを加工し、製品と
して、発達的に次段階の「セフィラ」へと出荷するという感じなのです。

さらに、「小径」の変換機能の定義は、極めて抽象的になっているので、何らかの特定の
変換機能が特定の「小径」に実装されているということにはならなくて、その前後の流れ
の中で、かなり流動的に「小径」の変換機能が発現してくるということになります。

つまり、ワタシの中では、この文章の「上位のカードは発現しているけれども、下位は
発現していない」ではなくて、「全てのカードは、状況により、かなり柔軟に変換機能
を発現できる」という、さらに曖昧というか、やっかいなものになっているわけです。
0139名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/04/13(木) 06:11:16.59ID:KP427AR9
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 152) ---
And, using this logic, it may be appreciated that in THE FOOL Air is expressed,
while Water and Fire are implicit.
そして、この論理を使うことで、「愚者」の中では「空気」が発現され、その一方、
「水」と「火」は暗に含まれることが、理解されるかもしれない。

In THE HANGED MAN Air and Water are expressed and Fire is implicit.
「吊られた男」の中では「空気」と「水」が発現され、「火」は暗に含まれる。

When we come to JUDGMENT we again find Air and Water expressed, now set in motion
by the full expression of Fire.
我々が「審判」に来る時に、我々はさらに、「空気」と「水」が発現され、そして今、
「火」の完全な発現により発動されるのを見い出す。
--- ここまで ---

このストーリーは、『セフェル・イェツィラー(形成の書)』に書かれているものです
ので、正直言って、ここで言う「logic/論理」や「理屈」は、全てが後付けです。
つまり、「なぜそうなるの?」などという詮索は、無意味であり無用です。

我々が出来るのは、この極めて抽象的な原則が、何に適用できるのか、何に応用できる
のか、つまり、例えて言えば何なのか、ということを考えることぐらいですかね。

とはいえ、ここで言う「母字」の「空気」や「水」や「火」自体が、極めて抽象的な事象
というか、具体的な何かというものでもありませんので、なかなかに厄介です。
要するに、自由度が高すぎる原理や原則って、シロウトにとっては「使いモノにならない」
というか、すこぶるどうでもいいものばかりなのですよね。

結果的には、この「母字」のグループである「愚者」、「吊られた男」、「審判」は、
修行の足りない我々にとっては、「よくわからないもの」という結論に至るわけです。
え、ヤル気なさ過ぎですか?
0140名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/04/14(金) 06:11:02.20ID:g/oG/NoV
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 152) ---
Here it must be repeated that these patterns will be utterly meaningless until a
real understanding of that which is symbolized by the various "Elements" emerges.
ここで、これらの様式たちは、様々な「元素たち」の出現により象徴されるものを真に理解
するまでは、全く意味の無いものであろうということを、繰り返して言われなければならない。

Every Qabalistic symbol relates to some specific part of the Self, the Tarot Keys
being very precise definitions of parts of the human whole.
あらゆる「カバラ主義」の象徴は、「自己」の、ある特定の部分、すなわち、統一体としての
人間の部分たちの非常に精密な定義たちである「タロットの大アルカナたち」に関連している。
--- ここまで ---

まあ、ここで「様々な元素たちの出現により象徴されるもの」を真に理解するという前提が
付いた時点で、もう無理なことは確定しましたので、これ以上の言及は避けようと思います。

さて、それに続いて、「大アルカナ」のそれぞれが、人体の部分を象徴しているという記述
が出てきます。
これは、「生命の木」の各部が、人体の各部に対応しているという前提から、必然的に
導かれる理屈でもあります。
関係ないけど、人体の出現、端的に言うと出産のシーンでは、人は頭から生まれ出てくる
のが普通であって、「逆子の出産」というのは、カバラ主義的に言えば、例外的な事象で
あるということになるわけですかね。

まあそれはともかく、この「大アルカナ」の「大宇宙」レベルでの理解は、我々のような
一般人にとっては、ほぼ不可能というか意味の無いことですので、「上の如く、下も然り」
のマジックカードの効果を発動させて、ここから先は「小宇宙」のレベルで理解していく
ことで、お茶を濁そうと思っているわけでした。

まあ、わけがわからない「大宇宙」の話をするよりも、おそらく、こっちの小さいレベル
での話の方が面白いですしね。(完全に逃避モードw)
0141名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/04/15(土) 06:45:14.61ID:bKtIzQIR
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 152) ---
The Paths of JUDGMENT, THE UNIVERSE and THE MOON are aspects of the normal waking
consciousness of the Personality.
「審判」、「宇宙」、そして「月」の「小径たち」は、「人格」の通常の覚醒した意識の
様相たちである。

They also represent stages of self understanding.
それらはまた、自己理解の段階も表している。

JUDGMENT is the card where the divine forces meet the aspirant for the Mysteries,
where the Personality is lifted from the tomb of matter and evaluated on the
extent to which it has balanced the four Elements of Malkuth.
「審判」は、神の力たちが「神秘的教義」を追い求める者と出会うところのカードであり、
「人格」は物質界の墓から持ち上げられ、そして、それが「マルクト」の4つの「元素たち」
と、ずっと平衡を保ち続けているかという範囲において評価される。
--- ここまで ---

というわけで、ここから先は「小宇宙」、すなわち「下の如く」の「内なる世界」という
低レベルの話になるわけですが、実のところ、我々のような一般人は、この領域においても、
既に立ち入り禁止領域となっています。

修行の足りない者、つまり「 stages of self understanding/自己理解の段階」が必要
なレベルに達していない者は、この「シン/審判」における「it has balanced the four
Elements of Malkuth/マルクトの4つの元素たちと、ずっと平衡を保ち続けているか」
という、まず普通の人間では絶対に無理な条件をクリアすることが出来ないわけです。

要するに、一般人である我々は、ここから先には進めない、すなわち、既に使い道の無い
カードとなっていますので、はっきり言って、ここから先は時間の無駄となります。
まあ、ここから先は、たとえ見えていなくても「見えた!」と叫びたい変態さんだけしか
残らないような気もしますが。w
0142名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/04/16(日) 09:14:08.74ID:mSLLZ/0T
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 152) ---
It is for this reason that people have such varying experiences on this Path;
each personality must face what it is and has been, very squarely, answering
the call of the Angel whose presence has been invoked by the Fire of desire.
この理由のために、人々はこの「小径」の上で、そのような様々な経験を持つ;各々の
「人格」は、願望の「火」により召喚されたところである存在である「天使」の要求に
応えるために、それがどのようなものであるのか、そしてどんなものであったのかを、
真っ正面から、向き合わければならない。
--- ここまで ---

ここで、ある程度オカルトを知っている人は、この「火」の天使というところに、ちょっと
イヤな予感がするのではないかと思います。

まあ、この「シン/審判の小径」が「火」であるという流れから、何となくイヤな雰囲気
があったかと思うのですが、やっぱりそう来たかということなんですよね。

「マルクト」の「地」から、「ホド」の「水」に至る「小径」の上に、「火」があると
いうことは、要するに「ファイアウォール」であることに他ならないわけであって、
ここを通る資格のある者だけしか絶対に通さないよ、ということなんですよね。

まあ、どう考えても、生身の人間がそのままで通れるような「ファイアウォール」では
ありませんので、もうどうでもいいことなのですか、そういうことです。
それに、我々にとっての、この「火」というものは、既に我々の想像できるレベルを越えた
存在であって、ここでどうこう論じることのできるものではないわけですよね。

ということで、ここで話は終わりです。(投げオチww)
0143名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/04/17(月) 06:02:47.82ID:2Rydttoe
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 152) ---
In all accounts it is Gabriel who blows the trumpet of the Last Judgment, and most
will assume that it is Gabriel who is represented here.
全ての説明たちにおいては、それは「最後の審判」のラッパを吹く「ガブリエル」であり、
そして大多数の人は、ここに描かれている人物は「ガブリエル」であると思い込むであろう。

But this is not a Last Judgment at all, and the Archangel is Michael, Angelic
Ruler of Hod.
しかし、これは「最後の審判」では全く無くて、「大天使」は、「ホド」の「天使の
支配者」である「ミカエル」である。
--- ここまで ---

元々、この「審判」のカードは、「最後の審判」のシーンであると言われていましたし、
おそらく元々のタロットカードは、そういう意味だと思います。
でも、カバラを取り入れたゴールデン・ドーン体系では、大胆なストーリーの組み替えが
行われ、そしてこのカードは、もはや「最後の審判」では無くなっているということです。

ゴールデン・ドーン体系の「大天使」は、「ミカエル」が「ホド」に、「ガブリエル」は
「イェソド」に配属されます。
つまり、「最後の審判」は、どちらかというと「タウ/宇宙の小径」に関係するわけで、
この「審判」は、我々から見ると、どちらかというと「地獄の業火」に近いものです。
要は、「最後の審判」的な救済があると勘違いして、「マルクト」から「シン/審判の
小径」を上がろうと試みる人間は、「ホド」を司る「ミカエル」の上から目線によって、
「汚物は消毒だ〜!!」的なノリで、焼き殺される運命にあるわけですよね。

まあ、ヘタに上を目指すと、そういう危険があるので、我々のようなレベル不足の人間は、
地に足を付けた状態、つまり「マルクト」にいる生きている状態の時には、「ミカエル」
とは、かなり離れたポジションにいて、その恩恵を受けるというのが良さそうです。
そして、我々が「ホド」へと至るのは、「タウ/宇宙の小径」である「ガブリエル」の
祝福を受けた後、つまり死んだ後という「正規ルート」が良いということですよね。
0145名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/04/18(火) 06:19:35.92ID:EvrYOGWx
>>144
久しぶりの来客ですね。 (^^;

まあ、ワタシから見ても、あんまりいい解釈とは思いませんが、
あなただったら、どういうふうに解釈するのかを書いてもらわないと、
話が進みませんので、できれば何か書いてもらえると助かります。 (^^)/
0146名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/04/18(火) 06:20:59.62ID:EvrYOGWx
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 152) ---
Further information about this card is conveyed by the meaning of the Hebrew Letter,
insofar as the name of each letter is a word.
各々の文字の名前が単語である限り、このカードについてのさらなる情報は、「ヘブライ
文字」の意味により伝えられる。

Yet, as such words are attributed to the Tarot Keys there is wide latitude for
interpretation within the confines of the qualities described by the given word.
さらに、そのような単語たちは「タロットの大アルカナたち」に帰属されているので、
そこには与えられた言葉により表現される品質たちの範囲内の解釈のための広い許容範囲
がある。

Shin, in this case, means tooth, suggesting hardness, sharpness and biting.
「シン」は、この場合は、堅さ、鋭さ、そして噛むことを示唆している、「歯」を意味する。
--- ここまで ---

さらなる混乱の元というか、解釈上で悩ましいのが、この「ヘブライ文字」の「文字」と
しての意味です。
この「大アルカナ」のレベルにおいては、ストレートに解釈して当てはめることは出来ない
ので、どうしても「wide latitude/広い許容範囲」というか、ほぼ何でもありの解釈を
しておかないと、なかなかすっきりと当てはめることは出来ない状況なんですよね。

とはいえ、こういう拡大解釈というか、象徴化というか、抽象化という作業は、我々が
「大アルカナ」を理解したり使ったりする際には、必須となる作業ですので、ここで
しっかりと訓練しておくことも必要だったりするわけです。

一見すると、何の関係も無いものたちの中にある、隠された関係性を強引に見いだして、
お互いに関連付けを行って、物事の本質を見ていくというのが、この「大アルカナ」の
強引な使い方の一つであり、それゆえ「大アルカナ」は、物事の本質を探るための強力な
ツールとなっているわけですからね。(強引なる結論w)
0147名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/04/19(水) 06:10:09.46ID:9iPFlVUl
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 152) ---
It can be interpreted as the teeth which chew prior to the ingestion of energy
into the system, i.e., as that which causes a release of energy (the Kundalini
force).
それは、系の中にある精力の摂取に先立って噛む歯、すなわち、精力(「クンダリニー」
の力)の解放を引き起こすそれとして解釈されうる。

Tooth can also be taken to mean that which kills, here meaning the final blow to
the perception of the Personality as separate.
歯は、また、殺すものを意味することと解釈されることができ、ここでは分離したものと
しての「人格」の認知への最終的な打撃を意味している。
--- ここまで ---

かなり怖いことを書いていますが、一般人である我々は、これに近づきさえしなければ、
特にこれといった害はありません。

問題となるのは、自分のことを充分に理解しきれないままで、頭の足りない、いやいや
修行の足りない人間が、この「小径」に近づこうとした場合ですよね。

まあ、ほとんどの場合は、この「大天使」は、そのようなレベルの低い人間は無視して
くれるのですが、それでもしつこく接近しようとする場合は、かなり激しく「噛まれる」、
もしくは「噛まれた気になる」ことになります。
本来は、噛まれることで、低次の「人格」が噛み殺されてロックが解除され、さらなる
上のレベルに達することが出来る準備が整うようになるわけですが、準備が出来ていない
人間が噛まれた、もしくは噛まれた気になっちゃった場合には、いわゆる「クンダリニー
症候群」、すなわち頭のおかしな人の状態に陥るわけです

実のところ、そのほとんどは、「頭のおかしな人の思い込み」ですので、このカードに
関連付けする必要は無いのですが、もし本当に噛まれた人がいたとしても、やっぱり
「頭のおかしな人」と見られますので、他人には黙っておいた方がいいということですよね。
0148名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/04/20(木) 06:11:50.15ID:YvEHjynv
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 153) ---
Such descriptive words amplify the symbolism of numbers, so important to the
Hermetic Qabalah.
そのような記述的な単語たちは、数たちの象徴主義を拡大するので、「ヘルメス主義的
カバラ」にとっては、とても重要である。

As has been demonstrated, the number 300 assigned to Shin reduces to 3, the number
of the Sephira Binah; the number of the card, 20, reduces to 2, that of THE HIGH
PRIESTESS.
ずっと説明され続けているように、「シン」に割り当てられた数値の300は、「セフィラ」
の「ビナー」の値である3に縮小する;カードの番号である20は、「高等女司祭」のそれで
ある2に縮小する。

The principle here is that numbers of the Hebrew letters are reduced and manipulated
relative to the ten Sephiroth, while the numbers of the cards (0-21) relate to
other cards.
ここでの原則は、ヘブライ文字たちの数値たちが縮小されて、10の「セフィロト」と関連
して操作されることと、その一方で、カードたち(0-21)の番号たちが、他のカードたち
と関連することである。
--- ここまで ---

カバラの数秘術の「reduce/縮小」の操作は、各桁の値を足し合わせることになるわけで、
「シン」の300は、3+0+0=3 となるので、「ビナー」の3に関連するということになり、
「審判」の20は、2+0=2 となるので、「高等女司祭」の2に関連するということになるそう
です。

まあ、これだけを見れば、「だから何?」としか言えないのですが、とりあえず、カバラの
数秘術では、そういう原則があるので、そういうことらしいです。

まあ、ワタシ的には、あんまり興味のある分野ではありませんので、手抜き説明ですが。
0149名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/04/21(金) 06:23:55.92ID:t6mEzrfy
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 153) ---
Of course, the connection with other cards is made on more than numerical grounds.
もちろん、他のカードたちとの関係は、数値的な根拠よりも、より多く作られる。

For example, the fact that Shin is Fire suggests thta it relates to two other
important cards, THE TOWER (Mars) and THE SUN.
たとえば、「シン」が「火」であるという事実は、それが、「塔(火星)」と「太陽」の、
2つの他の重要なカードたちに関係していることを示唆する
--- ここまで ---

二番目の文章の「thta」は、おそらく「that」の誤植ですよね。

さて、カバラ数秘術は、単なる「数合わせのネタ」以上のものは提供しませんので、色々と
妄想を膨らませていくには、ちょっと物足りないというか、まあ要するに子供だまし的な
算数みたいなものですので、メインに据えるには、いまいち魅力に欠けるんですよね。
つまり、どちらかというと、脇役的な使い方をするのが良いと思います。

とりあえず、もう少しマシなネタである、「シン」が「火」であるというネタを使って、
もう少し妄想を膨らませていくことにします。
とはいえ、以下は、あくまでも「ネタ」ですので、「生命の木」の「シン/審判の小径」の
「元素の火」という本来の話とは、少々異なるものであることは、理解しておいてください。

まず、この「火」のイメージから連想される「大アルカナ」のカードとして、ここでは
「16:塔(火星)」と「19:太陽(太陽)」が挙げられています。
あと、ワタシとしては、「火」の元素である「4:皇帝(白羊宮)」、「8:力(獅子宮)」、
そして「14:節制(人馬宮)」も追加しておきたいです。

そして、占いの場に、これらのカードが同時に出てきた時には、場に「火」の影響が強く
見られると判断するわけですが、だからどうなのと言われても、しょせん「大アルカナ」
という上位世界の話ですので、適当にお茶を濁すしかないわけですけどね。
0150名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/04/22(土) 07:36:06.52ID:VYUWRNDG
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 153) ---
This connection with THE SUN is made explicit in the Golden Dawn "Book T," which
describes the angel here as Michael, Ruler of Solar Fire.
この「太陽」との関係は、ここの天使を、「太陽の火」の支配者である「ミカエル」と
述べる、ゴールデン・ドーンの「"T"の書」において明確にされる。

It is he who blows the trumpet calling down the influence of Binah.
「ビナー」の影響を呼び起こすラッパを吹くのは彼である。
--- ここまで ---

ゴールデン・ドーンの「"T"の書」には、この「20:審判」の天使が「ミカエル」であると
いう明確な記述は無かったと思うんですが、ワタシが知らないだけですかね…。

いずれにしろ、ウォン氏は、この天使が「ミカエル」であると断定しており、それゆえ
ウォン氏の描いたゴールデン・ドーン版タロットの「20:審判」の天使は、「ミカエル」を
象徴する「赤色」で描かれています。
ちなみに、この「赤色」の特徴は、ウェイト版にも引き継がれており、それゆえ、
ウェイト版の「20:審判」の天使も、「ミカエル」であるとされています。

ちょっとやっかいなのは、この「ミカエル」は、「太陽」を支配する天使であるため、
このままでは「19:太陽」のカードと、キャラがカブってくるので、何か違いを出さない
といけないわけです。
そして、その違いとなるのが、「峻厳の柱」に流れる「ビナー」のエネルギーであると
いうことなのですが、いまいち微妙すぎて伝わってきません。
どちらかというと、ストレートに「火」を吹いてくれた方が、わかりやすいのではないか
と思うわけで、それならば、「ミカエル」よりは、ゴジラみたいな怪獣を登場させて、
口から火を吹いてくれた方が、ネタ的には面白いかな、とも思うのでした。

そもそも、この「天使」から我々に向けて吹き出されるのは、間違いなく「地獄の業火」
であると思いますしね。
0151名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/04/23(日) 06:58:19.97ID:v8R8h3Ka
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 153) ---
Another reference to the Supernals is the Red Cross Banner, which stands for the
Four Rivers of Paradise, as well as the four letters of the Divine Name.
もう一つの「至高者たち」との関連は、「赤い十字の旗」であり、それは、「神名」の
4つの文字たちと同様に、「天国」の「四つの川」を表す。
--- ここまで ---

前項で、「ビナー」の話が出てきましたが、この「ビナー」を含む「至高の三角形」を
暗示しているのが、この「the Red Cross Banner/赤い十字の旗」ということです。
つまり、この天使の吹くラッパから噴出しているものは、そういう別世界から湧き出す
永遠のエネルギーであり、そういう状況を表しているものが、この「20:審判」という
「火」の元素のカードであるということですよね。

そういう意味では、何となく「19:太陽」に似ている感じはありますが、「20:審判」が
「地」の「マルクト」に繋がっており、一方で「19:太陽」は「空気」の「イェソド」に
繋がっているという違いが、両者の決定的な違いとなっているわけです。

とはいえ、一般人である我々にとっては、そういう「天国からの永遠のエネルギー」なる
ものの存在は、まるで「空気」のようなものであって、我々のレベルでは、何かに活用
できるようなものでもないので、全く気にしなくても良いというシロモノです。
まあ、そういうものがあるんだ〜、的な捉え方でイイと思います。

というか、シロウトが、ヘタにそんな「永遠エネルギー」に絡もうとしても、あるある
詐欺に遭うか、オカルト詐欺師になる以外には、思い浮かびませんしね。

え、オマエはレベルが低いから、本当の「エネルギー」が見えていないだけだろうって?
はいそうです。
ここにはあなたにとって何も有益な情報はありませんので、さっさとお帰りくださいww
0152名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/04/24(月) 06:07:54.20ID:SDnBXZct
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 153) ---
The rainbow in the Order's card, containing serpents representing the Fiery
Seraphim, is undoubtedly that which surrounds the fiery Throne of God described
in Revelation.(*100)
「(ゴールデン・ドーン)団」のカードの中の虹は、「火の熾天使」を表すヘビたちを
含んでおり、 『ヨハネの黙示録』において述べられた「神」の「火の王座」を取り囲む
それであることは疑いようがない。(*100)

This rainbow encloses the Archangel who seems to emerge from the Fire triangle
itself.
この虹は、それ自身を「火」の三角形から出現するように見える、「大天使」を取り囲む。
--- ここまで ---

ちなみに、(*100)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 271) ---
100. Revelation 4:3. The rainbow as a symbol of God's covenant with Noah appears
in Genesis 9:17.
100. 『ヨハネの黙示録』4:3。ノアとの「神」の契約の象徴としての虹は、『創世記』9:17
に現れる。
--- ここまで ---
とあります。

つまり、ゴールデン・ドーンの「20:審判」のシーンは、「最後の審判」のシーンではない
かもしれないけれども、それでも『黙示録』をモチーフとしていることは、間違いないと
いうことです。

両者の関係性は、少々ややこしいのですが、とりあえず、色々なイメージをまとめて、
もう全部「ミカエル」一人でいいんじゃないかな、という感じで、「20:審判」のデザイン
になったような感じですかね。
え、そんないいかげんな説明で、いいのかって?
0153名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/04/25(火) 06:17:58.02ID:z5Ejg6y6
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 153) ---
At the base of the card, rising from the tomb facing the angelic presence, is Arel,
Ruler of Latent Heat.
カードの基部で、天使の面前に直面して墓から蘇るものは、「潜在的な熱の支配者」である
「アラル」である。

He is also the candidate for the mysteries who follows this Path of Fire.
彼はまた、この「火の小径」をたどる、神秘的教義の志願者でもある。

The male figure at the left is Samael, Ruler of Volcanic Fire.
左の男性の人物像は、「火山性の火の支配者」である、「サマエル」である。

Opposite him is Anael, Ruler of the Astral Light, represented in duplicate in that
she is Demeter-Persephone and Isis-Nephthys.
彼の反対側には、「星幽光の支配者」である「アナエル」があり、彼女は「デメテル−
ペルセポネー」と「イシス−ネフティス」であるという点において、二重に表されている。
--- ここまで ---

「Arel/アラル」は、『黄金の夜明け魔術全書』の「第五知識講義」の「火の天使」として
名前がでてきており、「潜在的な火」、すなわち「火」の進化の途中の状態を表しています。

「Samael/サマエル」は、『黄金の夜明け魔術全書』の「第五知識講義」では「クリフォト」
として名前が出てきていますが、「火山性の火」、すなわち「大地」から吹き上がる「火」
の爆発的エネルギーを象徴します。

「Anael/アナエル」は、『黄金の夜明け魔術全書』の「第二講義文書」で、「ネツァク」
に配属され、金星の守護天使である大天使の「ハニエル」として別名で出てきます。
「大地の女神」ということで、この「20:審判」の「小径」の下端が、「マルクト」であり、
そして「20:審判」の小径の反対側に、金星が配属される「ネツァク」や、「星幽光」が
配属される「イェソド」があるということを表しているのではないかと思われます。
0154名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/04/26(水) 06:20:04.06ID:gowqBpQY
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 153) ---
Crowley's card, called "The Aeon," departs completely from tradition, and is
important in that his personal philosophy is more imbedded in this imagery than
in that of most other cards of the Thoth Tarot.
クロウリー氏のカードは、「永劫」と呼ばれ、伝統から完全に逸脱しており、彼の個人的
な哲学が、「トートのタロット」の他のほとんどのカードたちのそれの中よりも、より多く
この像の中に埋め込まれるという点において、重要である。

Overall, the Crowley deck is illustrative of the Book of the Law, a document which
he stated was revealed to him and which is the core of his teaching.
全般的に見れば、クロウリー氏のデッキは、彼に明らかにされたと彼が述べた文書であり、
そして彼の教義の中核である『法の書』の図解である。
--- ここまで ---

「20:Judgmant/審判」は、トート版タロットでは「20:Aeon/永劫」というタイトルに
変えられており、カードの意味も大きく変わっています。
これは、クロウリー氏による個人的かつ意図的な改変ですので、従来のタロットの解釈は、
ここではあまり意味を成さないということに注意しておいてください。

まあ、何でクロウリー氏が、こんなことをしているのかというと、それは「自己主張」の
何物でもないわけであって、要は「オレは他のヤツらとは違うんだ!」という、よくある
厨二病の症状、いやいや作品であるということですよね。

もちろん、タロット自体をネタとして使うことには何の問題もありませんので、各自の
判断で、ネタとして使える人は使ってもらってもいいと思うのですが、その際には、
『法の書』という作品も参考にしておいてください、ということです。
まあ、妄想を膨らませるには、それなりに役に立つのではないかと思います。
0155名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/04/27(木) 06:07:00.35ID:2nkUDOrq
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 153) ---
The Aeon also relates to what he called the Stele of Revealing.(*101)
「永劫」はまた、彼が「啓示の石碑」と呼んだものに関係している。(*101)
--- ここまで ---

ちなみに、(*101)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 271) ---
101. This is an obscure panel which in 1904 Crowley discovered in the Boulak Museum,
an institution now closed, but the collection of which has been taken over by
the Cairo Museum.
101. これは、1904年にクロウリー氏が、現在は閉鎖された施設であり、その収蔵品は、
カイロ博物館に引き継がれてしまっているが、ブーラーク博物館で発見した無名の盤
である。
The Stele, representing Horus, was of special importance to Crowley, and related
to his writing of the Book of the Law.
「石碑」は、「ホルス」を象徴しており、クロウリー氏にとって特に重要なものであって、
「法の書」の彼の執筆に関係している。
This is described in Confessions, 395.
これは、『告白』の395ページに記述されている。
--- ここまで ---
とあります。

まあ、このあたりの話は、クロウリー氏の個人的な妄想ですし、カバラ本来の「大宇宙」
や「小宇宙」に関する普遍的な神秘哲学とは質の異なるものですので、いまいち興味が
ありません。
そして、クロウリー教の信者にとっては、おそらく最も興味深いカードではないかと
思いますので、そういう意味でも、ワタシは興味は全くございません。

というわけで、しばらくワタシにとって興味の無い話が続きます。
0156名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/04/28(金) 06:16:10.15ID:4DcdBHEf
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 153) ---
This card, he explained, supersedes all earlier concepts of the Key, and shows
the harmonious and spiritual state of human existence which will be on the earth
in the mid twenty-second century.
このカードは、彼の説明では、それ以前の全ての「大アルカナ」の概念に取って代わり、
22世紀の中頃に地球上にいるであろうある人間の存在の、調和の取れた霊的な状態を示す。

That condition is symbolized by the Sky Goddess Nuith, and her consort Hadit
(represented as a golden orb of light).
その状態は、「天空の女神ヌイト」、および彼女の配偶者である「ハディト」(光の金色
の球として表される)により象徴されている。

They produce Horus, here shown seated and standing, his active and passive forms.
彼らは「ホルス」を生み出し、ここでは、座っているのと立っている、彼の積極的と
受動的な形態たちを示す。

Crowley also points out that another name for Horus is Heru, which is synonymous
with Hru, "The Great Angel set over the Tarot."
クロウリー氏は、「ホルス」の別の名前が、「タロットの上に配置される偉大な天使」
である「Hru/ヘル」と同義である、「Heru/ヘル」であることも指摘する。
--- ここまで ---

ふーん、そうなんだー、なんかすごいねー。(cv:安野希世乃)

元々のシンプルな概念の「20:審判」とは、似ても似つかないものになってしまっている
のですが、まあ要するに、自分勝手な妄想ネタを詰め込みすぎなんですよね。

とはいえ、地上に通じる「小径」は、「21:宇宙」と「18:月」と、この「20:審判」しか
ありませんので、クロウリー氏の宗教ネタ、いやいや神秘的思想は、この「20:審判」を
ハッキングして書き替えてしまうのが一番しっくりくるのも確かなんですけどね。
0157名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/04/29(土) 07:25:28.38ID:2WSPk03E
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 153) ---
What Crowley proposes here is highly consistent with Qabalistic doctrine, i.e.,
that the system evolves to meet the needs of spiritual evolution of the race.
ここでクロウリー氏が提案していることは、カバラ主義の教義と非常に一致しており、
すなわち、体系は、人類の霊的な進化に必要なものたちを満たすように発展するという
ことである。

Assuming that JUDGMENT represents a stage in the development of the race and of
the individual Personality consciousness, he is suggesting that there will come
a time in the not so far distant future when the spiritual make-up of mankind
will have so advanced that JUDGMENT, as previously known, will no longer describe
the experience of this Path.
もし「審判」が人類および個々の「人格」の意識の発達における段階を表していると仮定
すれば、彼は、それほど遠くない距離にある未来に、人類の霊的な構造が、以前に知られて
いたほどには、「審判」が、もはやこの「小径」の経験を記述しないであろうほどに進歩
してしまうであろう時が来ることを示唆している。
--- ここまで ---

へーえ、そういうことなんだー、クロウリーさんてすごいねー。(cv:安野希世乃)

まあ、『法の書』というのは、よくある「黒歴史ノート」のようなものですし、そういう
意味では、深く突っ込んではいけないというのが、「ヲタク」たちの場をうまくまとめる
ための「お約束」というものです。

とはいえ、妄想を熱く語るのもいいのですが、それはあくまでも「ネタ」としての世界の
話であることは、心のどこかに留めておかないと、そのうち全てを失うことになります
ので、くれぐれも自分を見失わないように、ご注意ください。

え、妄想を書き散らしているおまいが言うなって。
ごもっともでございます。ww
0158名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/04/30(日) 10:05:07.25ID:5bEZA0wP
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 153) ---
He further asserts that we are now passing into a five hundred year period of
extreme darkness and trial, preparatory to a new Aeon of Light. (*102)
彼はさらに、我々は今、新しい「光の永劫」の準備としての、極端な暗闇と試練の500年の
期間に移行しているところであると主張する。(*102)
--- ここまで ---

ちなみに、(*102)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 271) ---
102. Crowley, Book of Thoth, 116.
102. クロウリー著、『トートの書』、116ページ。
--- ここまで ---
とあります。

あー、うーん、そうだねー。(cv:安野希世乃)

まー、ここまでくると、これはもはや魔術ヲタクの単なる妄想というよりも、カルトの
主張に近いシロモノになっていますので、結果的に、これを「ネタ」であると考えない
アレな人々を生み出してしまうことになるわけです。

まあ、人間社会には、どこにでも、どんなものにでも、いわゆる「信者」というものは
湧くわけですので、一般社会に迷惑をかけない範囲であれば、好きにやってもらっても
構わないとは思うのですが、できればこっちには来ないでほしいなぁ、と思うのでした。

いずれにしても、「Light/光」と「darkness/闇」は対となるであって、実のところ、
並みの人間には区別しづらいものですので、簡単に騙される人も多くいるわけです。

え、光って見えるから「光」であり、黒く見えるから「闇」なんじゃないのかって?
まあ、「マルクト」においてはそうかもしれませんすが、上位世界においては、それとは
全く異なる概念であるということは、覚えておいた方がいいかと思います。
0159名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/05/01(月) 06:36:12.57ID:SOBuwJKq
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 154) ---
30. THE PATH OF RESH
30. 「レシュ」の小径

The Sun
太陽

The Nineteenth Key
19番目の鍵(大アルカナ)

--- ここまで ---

ここから、「生命の木に基づく大アルカナ」の章の中での新しい節になります。

サブタイトルは「レシュの小径」です。

まあ、初めて「足が地に着かない」というか、「マルクト」とは離れている「小径」です
ので、我々に対しては、直接の関わりを持たない、すなわち「イェソド」を通じて間接的
に作用しているものですので、基本的には、我々はそれを(勘違いしなければ)関知する
ことは出来ないものになってきているわけです。
とはいえ、最初の「タウ/宇宙の小径」以外は、どれも関知は困難ですので、どうでも
いいと言えばどうでもいいのですけどね。

つまり、この「小径」の直接利用は、一般人には困難ですので、後は「象徴化」した上で、
「上の如く、下も然り」というミソクソ理論を適用して、現世の事物に無理矢理絡ませて
何かのヒントを得るという使い方がメインになってきます。
まあ、言うなれば、パズルというか、オトナの知的なおもちゃ、という感じですかね。

というわけで、それっぽいネタを得るために、重箱の隅をつついていくことにしましょう。
0160名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/05/02(火) 06:21:36.82ID:u+Yh/kW2
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 154) ---
□ PATH COLOR: Orange
□ 「小径の色」:「オレンジ」

□ RELATED SOUND: D Natural
□ 「関連した音」:「Dのナチュラル」

□ PLANET: Sun
□ 「惑星」:「太陽」

□ MEANING: Head
□ 「意味」:「頭」

□ DOUBLE LETTER: Fertility-Barrenness
□ 「複字」:「肥沃と不毛」

□ ESOTERIC TITLE: The Lord of the Fire of the World
□ 「秘伝的な称号」:「世界の火の主」
--- ここまで ---

この本の、この文章の右側には、「頭」と、ヘブライ文字の「レシュ」と、「太陽」の
占星術記号、および「生命の木」における「レシュの小径」の位置が図示された絵が
描かれています。

詳しい説明は、前項の「タウの小径」を参考にしてください。

この本の、この説明文の下に、4枚の「太陽」のカードの写真が掲載されているのですが、
今回は、ウェイト版に、ちょっとしたこだわりが見られます。
こんなふうに、単なるパクリに留まらずに、何某かのオリジナリティを出してみたいと
いうのは、魔術ヲタクの基本的な属性なのかもしれませんね。
0161名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/05/03(水) 06:32:47.52ID:kJV74daO
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 154) ---
THIRTY TWO PATHS OF WISDOM: The Thirtieth Path is the Collecting Intelligence and
is so-called because Astrologers deduce from it the judgment of the Stars, and
of the celestial signs, and the perfections of their science, according to the
rules of their resolutions.
「知恵の32の小径たち」:「30番目の小径」は「収集する知性」であり、「占星術師たち」
は、 それから、「星たち」、そして天の兆候たちを判断し、そしてそれらの決議の規則たち
に従って、それらの科学の完成したものたちを推論するからであるがゆえに、そう呼ばれる。
--- ここまで ---

ここは、いつものように、ウェストコット氏の英訳版『The Sepher Yetzirah/セフェル・
イェツィラー(形成の書)』の「THE THIRTY-TWO PATHS OF WISDOM/知恵の32の小径」から
の引用です。

さて、「32番目の小径」と「31番目の小径」では、太陽系内の「七惑星」の話に留まって
いましたが、ここでは「Stars/星たち」と「celestial signs/天の兆候たち」という、
太陽系外の宇宙の話に拡張されています。
そして、「32番目の小径」における「見える大宇宙」論は、ここまでになっています。
当時の認識では、これ以上のことは「書けない」ということですよね。

つまり、これ以上のものを「大宇宙」について論じようとするのであれば、「上の如く
下も然り」の法則に従って、「小宇宙」論から、それらを類推するという手段を取る
ということになってきます。
まあ、それが正しいとか間違いとかを、今、我々が判断するのではなくて、あくまでも
そういうインチキな、いやいや代替的な手法があるよ、ということですよね。

もちろん、魔術や占いで語られる照応関係のほとんどは根拠の無いものですが、最新科学の
いくつかは、突拍子も無いような照応関係から類推して、たとえば例として、地上における
長さの変化を測定することで、宇宙の始まりの理論を検証するとか、そういうわけのわから
ない話も多くあるわけですので、魔術にしろ科学にしろ、よくわからない世界なのでした。
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