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【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】Part6©2ch.net
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0001名無しさん@占い修業中 転載ダメ©2ch.net垢版2016/11/26(土) 06:37:55.23ID:WbyThkxa
近代タロットの理解にはカバラの知識が必須であることは、割とよく
知られていると思います。
しかしなから、タロットの理解に必要なカバラの知識って、日本に
おいては、あまり紹介されていないのが現実なんですよね。

というわけで、タロットの理解に必要なカバラの基本的知識を得るために
以下の本を引用、翻訳、考察しながら、色々と勉強していきたいと思います。

書名:The QABALISTIC TAROT
   A TEXTBOOK OF MYSTICAL PHILOSOPHY
   カバラ主義のタロット
   神秘主義的哲学の教科書
著者:Robert Wang

※話題への、ソコはちゃうやろ的ツッコミとか、雑談とかは歓迎ですが、
教えて的な質問に答えたりとかは面倒なので、スルーする可能性が高いです。
0002名無しさん@占い修業中垢版2016/11/26(土) 06:39:14.84ID:WbyThkxa
前スレ
【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】Part5
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/uranai/1453976959/

【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】Part4.1 (Part1の再利用)
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/uranai/1341180469/97-356

【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】Part4
http://engawa.openにch.net/test/read.cgi/uranai/1415827871/ (に→2に変換)

【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】Part3
http://engawa.openにch.net/test/read.cgi/uranai/1377994155/ (に→2に変換)

【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】Part2
http://engawa.openにch.net/test/read.cgi/uranai/1346550441/ (に→2に変換)

【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/uranai/1341180469/1-96

前スレは、512k容量オーバーで書き込めなくなりましたので、
スレを立て直しました。 (^^;
0003名無しさん@占い修業中垢版2016/11/26(土) 06:45:05.22ID:WbyThkxa
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 135) ---
Westcott's fine explanation of Gematria is reprinted by Aleister Crowley in his
Equinox. (*95)
ウェストコット氏の「ゲマトリア」の素晴らしい説明は、アレイスター・クロウリー氏に
より彼の『春秋分点』の中に転載されている。(*95)
--- ここまで ---

ちなみに、(*95)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 271) ---
95. Aleister Crowley, "The Temple of Solomon the King," Equinox, v.I, N0. V, 72.
Our example is taken from Crowley's quotation from Westcott's Introduction to
the Study of the Qabalah.
95. アレイスター・クロウリー著、「ソロモン王の神殿」、『春秋分点』第一巻第五号、
72ページ。
我々の例は、ウェストコット氏の『カバラの研究の入門書』からの、クロウリー氏の引用
からである。
--- ここまで ---
とあります。

なんで直接、ウェストコット氏の『Introduction to the Study of the Qabalah/カバラの
研究の入門書』からではなく、わざわざクロウリー氏の(おそらく無断)転載記事からの
引用にしたのかは、いまいち謎ですが、ウェストコット氏の『カバラの研究の入門書』の
「ゲマトリア」の項の当該箇所は、以下のようになっています。

--- ここから --- (William Wynn Westcott, 『An Introduction to the Study of the Kabalah』) ---
The letter Shin, Sh, 300, became an emblem of divinity by corresponding with
Ruach Elohim, RUCh ALHIM, the Spirit of the Living God.
文字「シン、Sh」、300は、「生ける神の霊」である、「ルアク・エロヒム、RUCh ALHIM」
に一致していることにより、神の紋章となる。」
--- ここまで ---
0004名無しさん@占い修業中垢版2016/11/27(日) 06:41:59.15ID:MxFNpOjX
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 135) ---
We repeat here one of his examples which uses the God Name [mem][yod][he][lamed][aleph]
[cheth][vau][resh](Ruach Elohim), meaning the Spirit of Elohim.
我々は、「神(エロヒム)の霊」を意味する、「神名」である[mem][yod][he][lamed][aleph]
[cheth][vau][resh](ルアク エロヒム)を使う、彼の例たちの1つをここに再掲載する。

The numercial value of this phrase is easily derived, as is shown below.
この句の数値は、以下に示されるように、容易に導き出される。

Having found the letters to have a total value of 300, we discover a parallel in
that the letter Shin also has a value of 300.
文字たちが300の全体値を持つことが分かったことで、我々は文字「シン」もまた300の値
を持っているという点で、我々は類似点を発見する。

Shin is the maternal letter of spiritual Fire.
「シン」は、霊的な「火」の母字である。
--- ここまで ---

この「the Spirit of Elohim/神の霊、[mem][yod][he][lamed][aleph] [cheth][vau][resh]」
は、『旧約聖書:創世記』1:2に出ています。

ちなみに、ウェストコット氏の『An Introduction to the Study of the Kabalah/カバラ
の研究の入門書』の「ゲマトリア」の項には、この他にも、「Messiah/メシア(救世主)、
[cheth][shin][yod][mem]」と、『旧約聖書:創世記』49:10で救世主の出現を預言した
「Shiloh shall come/シロが来る、[he][lamed][yod][shin] [aleph][beth][yod]」と、
『旧約聖書:民数記』21:9の「モーセの青銅の蛇」を表す「Nachash/蛇、NChSh/
[shin][cheth][nun]」のどれもが、358の合計値を持つという例が示されています。

まあ、膨大な聖書の文章の中から、たまたま探し当てたような感じで、だから何なの?、
というツッコミを受けそうな感じではありますが、ヒマつぶしには、役に立ちそうです。
0005名無しさん@占い修業中垢版2016/11/28(月) 06:21:54.83ID:W4isnlWf
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 135) ---
If the 300 is reduced, it becomes 3, the number of Binah, implying a relationship
of both the Ruach Elohim and the potencies symbolized by Shin, to the first
formative Sephira.
もし300が縮小されるならば、それは「ビナー」の数である、3になり、最初の形成的な
「セフィラ」への、「ルアク エロヒム(神の霊)」と、「シン」により象徴される
潜在能力たちの両方の関係を暗示している。
--- ここまで ---

「ルアク エロヒム(神の霊)」と「シン」は、「ゲマトリア」では、どちらも300であり、
関係性があると見なされます。

さらに、この300の、100の位の「3」と10の位の「0」と1の位の「0」を足すと、「ギメル
[gimel]」の「3」になる、のではなくて、ここでは「ビナー」の「3」になるので、
 「ルアク エロヒム(神の霊)」=「シン」=「ビナー」
という論法が成立することになります。
(つまりここでは、「ギメル[gimel]」が「3」であることについては、諸般の事情により、
無かったことにされているわけですよね。)

ちなみに、魔術的な用途ではともかくとして、タロット占いにおいては、「ゲマトリア」
は基本的には使われていません。
なぜなら、「大アルカナ」に割り当てられている「ヘブライ文字」と「数」の体系は、
「ゲマトリア」とは異なっているため、ヘタに占いに取り入れると混乱するからです。

というか、そもそも「タロット占い」のような妄想系と、「ゲマトリア」の数秘術のような
論理系は、実践においては、いまいち相性が良くない、すなわち、言ってることがバラバラ
になってしまうという問題があるので、あまりあれこれと混ぜない方が良いかと思います。
とはいえ、「タロット占い」を論理系の占いとして取り扱っている人(カードの意味を
丸暗記して語るタイプの人)にとっては、さほど大きな問題は無いと思われますので、
まあ人それぞれでいいのかもしれませんけどね。
0006名無しさん@占い修業中垢版2016/11/29(火) 06:29:54.72ID:eVX/yfOd
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 135) ---
[resh] = 200
[vau] = 6
[cheth] = 8

[aleph] = 1
[lamed] = 30
[he] = 5
[yod] = 10
[mem] = 40
――――――
total 300
--- ここまで ---

ここは、「ルアク エロヒム(神の霊)」の各文字の数値と、それらの合計値が300である
ことを示しています。

さて、次のページには、『The Golden Dawn/黄金の夜明け魔術全書』の「First Knowledge
Lecture/第一講義文書」にある「THE HEBREW ALPHABET/ヘブル語アルファベット」の
表と大体同じものが掲載されています。(明日アップの予定です。)

この表において、ヘブライ文字には「最終形」という変化があり、それらに対しては別の
数値が割り当てられますので、「ゲマトリア」においては、実質的には27の文字に対して
27種類の値が割り当てられるということになっていますので、そういう意味においても、
「最終形」の変化に対応することができないタロットの大アルカナの22枚や「生命の木」
とは、いまいち相性が良くないとも言えるわけですよね。
0007名無しさん@占い修業中垢版2016/11/30(水) 06:33:14.17ID:LCko8w/3
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 136) ---
LETTER(Final) NAME EQUIVALENT VALUE MEANING
/文字(最終)  名称  相当(する英文字)  値  意味

[aleph]  ALEPH  A  1  Ox/雄牛
[beth]  BETH  B, V  2  House/家
[gimel]  GIMEL  G, Gh  3  Camel/駱駝
[daleth]  DALETH  D,Dh  4  Door/扉
[he]  HE  H  5  Window/窓
[vau]  VAU  O, U, V  6  Nail or Hook/釘あるいは鈎(かぎ)
[zayin]  ZAYIN  Z  7  Sword or Armor/剣あるいは鎧
[cheth]  HETH  Ch  8  Fence, Enclosure/柵、囲い
[teth]  TETH  Т  9  Snake/蛇
[yod]  YOD  I, Y  10  Hand/手
[kaph] ([kaph])  KAPH  K, Kh  20,500  Fist/手首
[lamed]  LAMED  L  30  Ox Goad/牛追い棒
[mem] ([mem])  MEM  M  40,600  Water/水
[nun] ([nun])  NUN  N  50,700  Fish/魚
[samekh]  SAMEKH  S  60  Prop/支柱
[ayin]  AYIN  Aa, Ngh  70  Eye/目
[pe] ([pe])  PE  P, Ph  80,800  Mouth/口
[tzaddi] ([tzaddi])  TZADDI  Tz  90,900  Fish-hook/釣り針
[qoph]  QOPH  Q  100  Ear, back of head/耳、後頭部
[resh]  RESH  R  200  Head/頭
[shin]  SHIN  S, Sh  300  Tooth/歯
[tau]  TAU  T, Th  400  Cross/十字
――――――――――――――――――――――――
THE HEBREW ALPHABET/ヘブライ語アルファベット
--- ここまで ---
0008名無しさん@占い修業中垢版2016/12/01(木) 06:31:53.69ID:o7rMlQcM
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 136) ---
Through Gematria a "total" energy is considered as the sum of its parts.
「ゲマトリア」を通じて、「全体」の精力は、その部分たちの総合計として考慮される。

The same approach can be taken graphically, by using the Tarot to spell God Names.
同様の取り組み方は、「神名たち」を綴るために「タロット」を使うことにより、図式的に
受け止められることができる。
--- ここまで ---

「ゲマトリア」の手法は、単純に、文章中にある「単語」を構成している文字の値を足し
合わせていき、その合計値を「単語」の数値として、それをネタに、あれこれと詮索して
いくというのが、一般的な方法です。

まあ、こういう文字をコード化して、一定の法則で演算を行うという手法は、昔から暗号化
としても使われた手法でもありますので、とある有名な神秘的文書が、ひょっとしたら
何かの暗号文書ではないかと思って、隠された暗号解読を試みる人も出てくるわけですよね。

それはそれで、何となく理屈っぽいものは付くのですが、そういう「わけわからないもの」
に対して、それとはまた全く異なる体系を持つ「タロット」を当てはめるというのは、どう
考えてもミスマッチというか、「さらにわけわからないもの」となってしまいそうです。

「ゲマトリア」の「数式的」なものと、「タロット」の「図式的」なもの、というのは、
そう簡単にはマッチングしませんし、そもそも「タロット」には固有の数値体系があります
ので、そこでも「ゲマトリア」の体系とはマッチしません。
要するに、カオスな世界に陥ることは必至ですので、そういうカオスがお望みの人以外は、
あまり近づかないのが無難かと思います。
0009名無しさん@占い修業中垢版2016/12/02(金) 06:14:37.10ID:LlVWUleJ
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 136) ---
Ruach Elohim, for example, is composed of the energies symbolized by the following:
たとえば、「ルアク エロヒム(神の霊)」は、以下のような象徴される精力たちから構成
される:

[resh] THE SUN/太陽
[vau] THE HIEROPHANT/法王
[cheth] THE CHARIOT/戦車

[aleph] THE FOOL/愚者
[lamed] JUSTICE/正義
[he] THE EMPEROR/皇帝
[yod] THE HERMIT/隠者
[mem] THE HANGED MAN/吊られた男
--- ここまで ---

たとえば、と言われましても、これをどうしろと。(^^;;

なんか、究極の投げっぱなしのオチになっていますが、大アルカナのカードを「図式的」
に8枚並べてみたところで、「神の霊」ランクのカードを、特殊召喚できるというわけでも
なさそうですし、マジックカードとして発動できるということでもなさそうですし。

とりあえず、スプレッドした時、場に「太陽、法王、戦車」もしくは「愚者、正義、皇帝、
隠者、吊られた男」が出ている時は、何となくラッキーとか、さらに、場に「太陽、法王、
戦車、愚者、正義、皇帝、隠者、吊られた男」が全て出ている時は超ラッキーとかいう
ような、オレ知ってる的な、自己満足程度の使い方ぐらいしか、思い付かないです。

というわけで、皆さんも、カードを使った遊び方を、色々と考えてみてください。(^^;;
0010名無しさん@占い修業中垢版2016/12/03(土) 06:34:12.81ID:f4iDpwNC
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 137) ---
SETS OF PATHS
小径たちの組たち
--- ここまで ---

ここから、「生命の木に基づく大アルカナ」の章の中での新しい節になります。

サブタイトルは「小径たちの組たち」です。
ここしばらく、「タロット」や「生命の木」とは、少々縁が薄い話が続いていましたが、
ここからは、また本来の話題(意味深)に戻ります。
というか、「宇宙の立方体」とか「数秘術」というのは、いまいちノリが悪いというか、
そそられる部分に欠けるというか、ネタになりにくいんですよね。

さて、「生命の木」においては、「セフィロト」が「左右の対になるもの」とか「○○の
三角形」とか「○○の柱」というように、色々なカップリングを創ることで、お互いの
関係を深く理解(意味深)することが出来ていましたが、それと同じような方法で、
「小径」たちの色々な組み合わせを考えることで、より深く語る(意味深)ことが出来る
ようになります。

さらに言うと、シンプルなデザインの「セフィロト」とは違って、我々の「小径」たち
には、「大アルカナ」の「擬人化された二次元象徴画」という燃料が投入されています
ので、初心者であっても、さらに深い妄想が捗るということにもなるわけですよね。

まあ、深い意味を考えなければ、「セフィロト」の「小アルカナ」で(*´д`)ハァハァ
するよりは、「小径」たちの「大アルカナ」を使って(*´Д`*)/ヽァ/ヽァ する方が、
初心者にとっては、より実用的(意味深)というか、より面白いわけです。

実際のところ、「タロット」の人気は、そういうところに負うものが大きいわけであり、
それはそれで否定できないものでもあるわけですが、できればその先にあるものも、
ついでに見ていってほしいな〜、とも思っているわけなのでした。
0011名無しさん@占い修業中垢版2016/12/04(日) 06:17:01.99ID:H45VyiXD
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 137) ---
Another way to consider the Keys is in terms of equilibrium and opposites (Figure 25).
「鍵(大アルカナ)たち」を考慮するための、もう一つの方法は、「平衡と反対のものたち」
に関してである(図25)。
--- ここまで ---

ついでに、図25の説明文です。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 137) ---
Figure 25. Cards considered as opposites
図25。 反対のものたちとして考慮されるカードたち
--- ここまで ---

この図25には、「生命の木」の「小径」において、左右対称の位置にある「大アルカナ」の
カップリングが、以下のように図示されています。

・「MAGICIAN/魔術師」 − 「FOOL/愚者」
・「CHARIOT/戦車」 − 「HIEROPHANT/法王」
・「LOVERS/恋人たち」 − 「EMPEROR/皇帝」
・「JUSTICE/正義」 − 「HERMIT/隠者」
・「HANGED MAN/吊られた男」 − 「WHEEL OF FORTUNE/運命の輪」
・「DEVIL/悪魔」 − 「DEATH/死」
・「SUN/太陽」 − 「STAR/星」
・「JUDGEMENT/審判」 − 「MOON/月」

これって、なかなか興味深いというか、そそられる組み合わせですよね。
どちらが「攻め」で、どちらが「受け」とかを考慮する(意味深)のもいいですし、
お約束通り、左が「攻め」で右を「受け」として、さらにその詳細なシチュエーションを
考慮する(意味深)のも、なかなか楽しいのではないかと思うのでした。
0012名無しさん@占い修業中垢版2016/12/05(月) 06:30:08.84ID:7qOWfIrk
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 137) ---
Here THE FOOL is viewed as the opposite of THE MAGICIAN, or THE CHARIOT the opposite
of THE HIEROPHANT on the basis of their position on the Tree of Life.
ここでは、「生命の木」の上での、それらの位置に基づいて、「愚者」は「魔術師」の
反対のものと、あるいは「戦車」は「法王」の反対のものと、見なされる。

It is important to note that position is the consideration here, since some
authorities establish card opposites in other ways.
何人かの権威者たちが、他の方法たちでカードの反対のものたちを制定しているので、
ここでは、位置が考慮事項であることに、注意することが重要である。
--- ここまで ---

「大アルカナ」には、「(反)対になるもの」を定義する理論は、公式には存在しません
ので、「authorities/権威者たち」と呼ばれる人たちは、それぞれ勝手に自分の好きな
理屈をデッチ上げて、それぞれのカップリングを楽しむことができます。

そして、ここでは、「生命の木」における位置関係が「左右対象」になっているものを、
とりあえずカップリングの対象としてみようという、ちょっと硬派な方法が紹介されて
いるわけですよね。

とはいえ、何度も繰り返し言いますが、「生命の木」と「大アルカナ」の対応関係には
諸説あって、ここでは「ゴールデン・ドーンの体系」に基づいていることを、忘れない
ようにしましょう。

結局のところ、こういう「(反)対のもの」というのは、一通りの方法ではなく、結構自由に
組み合わせを考えることが出来るということです。
つまり、ここで紹介されている理論が絶対ということでもないし、他のカプ厨、いやいや
「権威者たち」と呼ばれる人たちは、それぞれの趣味、いやいや理論体系で、それぞれの
カップリングを楽しんでいるということだけは、しっかりと理解しておいてください。
0013名無しさん@占い修業中垢版2016/12/06(火) 05:31:46.42ID:0OYHOkYN
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 137) ---
Beyond Gematria as a means for examining the Tree's internal workings, one begins
to look for Paths that are related in special ways.
「木」の内部の働きたちを調査するための方法たちとしての「ゲマトリア」を越えて、
それは、特別な方法たちで関連する「小径たち」を捜しはじめる。

In this regard, we have already suggested that certain sets of (three) Paths define
aspects of the Self, i.e., the Supreme Spiritual Self, the Higher Self and the
Personality.
この点について、我々は既に、(3つの)「小径たち」の一定の組たちが、「自我」の様相
たち、すなわち、「究極の霊的自我」、「高次の自我」、および「人格」を定義することを
提案したところである。
--- ここまで ---

この「sets of (three) Paths/(3つの)「小径たち」の組たち」というのは、
・「至高の三角形」:「究極の霊的自我」
・「倫理的三角形」:「高次の自我」
・「星幽的三角形」:「人格」
のことを表しています。

今までは、この「三角形」については、「セフィロト」の「三つ組」について考察して
いましたが、この章からは、「小径たち」についても、考慮することになるわけです。
・「至高の三角形」:小径11,12,14:「0:愚者」「1:魔術師」「3:女帝」
・「倫理的三角形」:小径19,20,22:「8:力」「9:隠者」「11:正義」
・「星幽的三角形」:小径27,28,30:「16:塔」「17:星」「19:太陽」

ちなみに、「セフィロト」の「三角形」の関係よりも、「小径」の三角関係の方が、
より高次の存在であるため、ちょっとだけ解釈が難しくなってきます。
でもまあ、「三角関係」というのは、どの次元においても、複雑怪奇であって、そう簡単
には解けないシロモノであることは確かなんですけどね。
0014名無しさん@占い修業中垢版2016/12/07(水) 05:27:18.50ID:0jVL4gY4
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 137) ---
Other sets of Paths are more obvious, such as those of the Flaming Sword (Figure 20),
where each card is important to the process of emanation of the Universe.
「小径たち」の他の組たちは、各々のカードが「宇宙」の流出の過程において重要である所
である、「炎の剣」(図20)のそれらなどにより、より明らかである。
--- ここまで ---

「炎の剣の小径」は、「1:ケテル」から始まり、「10:マルクト」で終わる「セフィロト」
を、1,2,3,4,5,6,7,8,9,10の順に連結する「小径」の組で表されており、それは「宇宙の
流出の過程」の本流を表すと考えられています。

とはいえ、「生命の木」の図においては、「1:ケテル」から始まり、「10:マルクト」で
終わる「宇宙の流出の過程」は一通りではなく、色々な脇道が存在しています。
主なものとして、「ケテル」から「中央の柱」を通り「マルクト」に至る「中央ルート」、
「ケテル」から「慈悲の柱」を通り「マルクト」に至る「慈悲ルート」、そして「ケテル」
から「峻厳の柱」を通り「マルクト」に至る「峻厳ルート」があります。

要するに、「宇宙の流出の過程」においては、上から下への一方通行の流れというルールに
従ってさえさえすれば、どんなルートを通っても良いわけですので、これら以外の色々な
流出ルートについて考察してみるのも楽しいのではないかと思います。

ちなみに、占いにおいては、こういう「上から下へのエネルギーを導く大アルカナ(小径)
の組み合わせ」が生じている場合は、その場は大きなパワーを持つ、という解釈が可能と
なるのですが、お客さんは「生命の木」の理論を知らないわけですので、いまいち説得力
に欠けるというか、エンターテインメント的には役に立たないネタであると言わざるを
得ないわけなんですよね。

つまり、「生命の木」の理論には、今のところは自己満足以上のものを求めてはならない、
ということなのですが、逆に言うと、自己完結できる自己満足的な利用法であれば、それ
なりに使えますので、皆さんも色々と考えて、自分のためだけに使ってみてください。
0015名無しさん@占い修業中垢版2016/12/08(木) 06:12:11.34ID:bXpsTexI
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 138) ---
basis of their position on the Tree of Life.
「生命の木」の上での、それらの位置に基づいて。

It is important to note that position is the consideration here, since some
authorities establish card opposites in other ways.
何人かの権威者たちが、他の方法たちでカードの反対のものたちを制定しているので、
ここでは、位置が考慮事項であることに、注意することが重要である。
--- ここまで ---

この138ページの冒頭の文章ですが、実は前ページ(137ページ)の文章のコピペになって
います。
つまり、ここは「誤植」であって、本来は無いはずの文章ですので、とりあえずここは
「無かったこと」にしておきたいと思います。

さて、スペースが余ってしまうので、ちょっとしたネタ話でも。 (^^;

とある雑誌に、「天地捏造(てんちねつぞう)」というタイトルの記事を見つけました。
これは、『旧約聖書:創世記』の冒頭にある「天地創造」を皮肉ったもの、すなわち、
「とある聖書の物語」であって、現実の歴史とは異なるものを、強引に「公式な歴史観」、
すなわち、公立学校の「歴史の教科書」に載せてしまおうという困った人々が、この科学
の発達した現代においても存在するという、ちょっと不気味な話なのです。
そして、こういう「歴史の捏造」運動が、○国とか○国とかいうような未開の国々での話
ではなく、先進国であるアメリカで、結構大々的に行われているという、ちょっとした
ミステリーじみた、お話なのでした。

ここには、なぜ人々は、リアルを見ようとせず、バーチャルな世界に惹かれてしまうのか、
つまり、簡単に欺されてしまうのか、という根本的な問題があるわけですが、残念ながら
誰でもがかかる「病(やまい)」みたいなものであって、その原因も特定できていませんし、
それを治療するための特効薬も無いというのが現状なんですよね。(オチ無しww)
0016名無しさん@占い修業中垢版2016/12/09(金) 06:26:48.73ID:JQJSskjF
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 138) ---
One of the most potent sets of Paths is that of the Middle Pillar and involving
THE HIGH PRIESTESS, TEMPERANCE and THE UNIVERSE (Figure 26).
「小径たち」の最も影響力のある組たちのうちの1つは、「中央の柱」と、「高等女司祭」、
「節制」、および「宇宙」を含むそれである(図26)。

What this diagram says, in essence, is that through the experience of three separate
types of energy, we may attain knowledge of the Ultimate Godhead.
本質的に、この図表が言うことは、精力の3つの異なる種類たちの経験を通じて、我々は
「究極の神」の知識を獲得することができるかもしれない、ということである。
--- ここまで ---

今まで「中央の柱」については、「ケテル」「ティファレト」「イェソド」「マルクト」
の4つの「セフィロト」にのみ注目してきましたが、それを構成する「小径たち」である、
3枚の「2:高等女司祭」「14:節制」「21:宇宙」という「大アルカナ」にも注目してみま
しょうということですよね。

さて、この「中央の柱」を構成する、4つの「セフィロト」と、3枚の「大アルカナ」ですが、
「究極神」に到達する最短経路として、昔から「ま」の方々には、それなりに人気のある
登頂ルートではありますが、ある程度の山登りの経験のある人であれば、こういった垂直の
断崖絶壁並みに険しいルートは、避けて通る方がいいと考えるわけです。

そういう意味では、我々にとっての最短経路というのは、おそらく「炎の剣の小径」の
ジグザグルートだと思われるのですが、ここは宇宙の本流であって、それなりに流れも
速いですし、そもそも逆方向に「小径」を遡るという行為は、自然界のルールに背くこと
になるわけですので、それなりに大変な作業でもあるわけです。

結果として、最も流れが緩やかな、「20:宇宙」あたりを、ゆるーく遡る程度で、お茶を
濁しておきたいなぁ、と思っているわけでした。(←ヘタレですからw)
0017名無しさん@占い修業中垢版2016/12/10(土) 06:56:04.69ID:SdbwmnZH
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

図26の説明文です。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 138) ---
Figure 26. The cards on the Middle Pillar.
図26。「中央の柱」のカードたち。

There are only three cards which are actually on the middle pillar, but to travel
these Paths means also to "cross through" the potent energies symbolized by three
other cards.
実際に、中央の柱の上にあるのは、たった3枚のカードだけであるが、しかし、これらの
「小径たち」を旅することは、3つの他のカードたちによって象徴されている影響力のある
精力たちを「通って渡る」ことも、また意味している。

Note also that the Path of the High Priestess extends through the Abyss.
「高等女司祭」の「小径」が、「深淵」を通って延びることも、また注目しなさい。
--- ここまで ---

この図26には、「生命の木」の図と、「中央の柱」を表す、「マルクト」から「ケテル」
へと遡る矢印、そしてそれに関係する「小径」である「HIGH PRIESTESS/高等女司祭」
「TEMPERANCE/節制」「UNIVERSE/宇宙」の3枚のカードのタイトルが書かれています。

とてもシンプルな図ではありますが、この図には、「the potent energies symbolized by
three other cards/3つの他のカードたちによって象徴されている影響力のある精力
たち」、すなわち「至高の三角形」「倫理的三角形」「星幽的三角形」に属していない
「中央の柱」の3枚の「小径たちの大アルカナ」が、それらの3つの「○○○三角形」を
接続し、さらに最終的な「マルクト」にまで直結するという、真に「核心的」な支柱として
の仕事をしているということが描かれているわけです。
とはいえ、「生命の木」は、この「中央の柱」だけで支えられているわけではありません
し、それだけを集中的に見ていればいいということでもありませんよね。
そう、「生命の木」において、本当に面白いところは、「右と左の均衡」にあるわけですから。
0018名無しさん@占い修業中垢版2016/12/12(月) 06:06:36.07ID:KXKcslgN
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 139) ---
If we apply the definitions of the Thirty Two Paths of Wisdom (Figure 27) in the
same way, we find these three major Paths described, in order of their progress
toward the Godhead, as:
もし、我々が「知恵の32の小径たち」(図27)の定義たちを同じように適用するならば、
我々は、「神」へ向かうそれらの進歩の順序において、以下のように、これらの3つの主要
な「小径たち」が記述されているのを見つけ出す:

The Administrative Intelligence (THE UNIVERSE), the organizing structure behind
our material environment;
「管理する知性(宇宙)」、我々の物質的な環境の背後にある組織化する構造;

The intelligence of Probation (TEMPERANCE), perhaps the most difficult Path on
the entire Tree of Life, one of Spiritual Alchemy and of the dreadful “Dark Night
of the Soul,” leading to knowing immersion of the Personality into the
consciousness of the Higher Self;
「試験の知性(節制)」、おそらく「生命の木」全体において最も困難な「小径」であり、
「霊的な錬金術」の一つ、そして、恐ろしい「魂の暗い夜」、すなわち「人格」の浸礼を
知ることにより、「高次の自我」の意識へと通じるものの一つ;

The Uniting Intelligence (THE HIGH PRIESTESS), the Path by which all that has
appeared to be separated from the Godhead is re-united.
「統一する知性(高等女司祭)」、「神」から切り離されたように見え続けているもの
全てを再結合するための「小径」。
--- ここまで ---

ここには、「the Thirty Two Paths of Wisdom/知恵の32の小径たち」と、「大アルカナ」
の関連が記述されていますが、実を言うと、この「知恵の32の小径たち」と「大アルカナ」
の関係付けも、ゴールデン・ドーンのローカル・ルールであって、元々のユダヤ教カバラの
「知恵の32の小径たち」の体系とは全く異なっているため、取り扱いには注意が必要です。
0019名無しさん@占い修業中垢版2016/12/13(火) 06:23:18.13ID:o8nIcLKM
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

図27の説明文です。
ここには、「生命の木」と、その「小径」に関連付けされる「知性」が書き込まれています。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 139) ---
SCINTILLATING/きらめき (11)
TRANSPARENCY/透明 (12)
UNITING/結合 (13)
ILLUMINATING/照明 (14)
CONSTITUTING/構成 (15)
TRIUMPHAL/勝利 (16)
DISPOSING/廃棄 (17)
INFLUENCE/影響 (18)
ACTIVITIES/活動 (19)
WILL/意志 (20)
CONCILIATION/調停 (21)
FAITHFUL/誠実 (22)
STABLE/安定 (23)
IMAGINATIVE/想像力 (24)
PROBATION/試験 (25)
RENEWING/更新 (26)
EXCITING/刺激的 (27)
NATURAL/自然 (28)
CORPOREAL/肉体的 (29)
COLLECTIVE/集団 (30)
PERPETUAL/永遠 (31)
ADMINISTRATIVE/管理 (32)

Figure 27. The Paths from the Thirty-Two Paths of Wisdom
図27。「知恵の32の小径たち」からの「小径たち」
--- ここまで ---
0020名無しさん@占い修業中垢版2016/12/14(水) 06:28:42.59ID:8vVsAfpw
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 139) ---
The point here is the extent to which the ancient Qabalistic documents amplify our
appreciation of the Tarot and vice-versa.
ここの要点は、古代の「カバラ主義」の文書たちが「タロット」についての我々の理解を
拡大する範囲であり、そして逆もまた同様である。
--- ここまで ---

「カバラ」の基本文書は、『セフェル・イェツィラー(形成の書)』であり、その中で、
「知恵の32の神秘の小径」「10のセフィロト」「22の文字」が定義されています。

とはいえ、それらの3つの要素の間の関係性については、記述されていません。
すなわち、それらを図解的に統一する「公式」の「生命の木」は存在せず、我々が今使って
いる、「魔術カバラ」の「生命の木」の理論体系は、あくまでも「ゴールデン・ドーンに
より定義されたローカル・ルール」であることを忘れないようにしないといけないわけです。
つまり、「ユダヤ教カバラ」の「生命の木」においては、全く違う形であったり、全く違う
割り当てであったりするわけです。

実際のところ、図27の「知恵の32の小径たち」の文書は、13世紀頃に成立したということ
ですので、『ゾーハル(光輝)の書』と同じ頃であり、バリバリの「ユダヤ教カバラ」に
属している文書になります。
つまり、この文書に書かれている「ユダヤ教カバラ」の「小径」の意味は、本来は、図27の
「魔術カバラ」の「小径」に割り当てられているというわけではないのです。

まあ、これをどう解釈するのかは、各自の自由ではありますが、ワタシとしては、「魔術
カバラ」とは、古代の神秘主義の「ユダヤ教カバラ」を元ネタとしながらも、全く異なる
理論体系と、全く異なる近代的な世界観を持つ、ユニバーサルかつバーチャルな神秘風
の脳内理論体系である、というような考え方ですので、こういった「ネタ」にはしていても、
実はあまり細かいことは気にしていないわけです。
そういうわけで、あまりにも「古代の神秘主義」を売り文句にした、現代の「商業主義カバラ」
に対しては、ひどく違和感を感じているわけなんですよね。
0022名無しさん@占い修業中垢版2016/12/15(木) 06:12:45.79ID:ZC1oLhAv
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 140) ---
THE INITIATORY SCHEME OF THE TAROT
タロットの初歩的な体系
--- ここまで ---

ここから、「生命の木に基づく大アルカナ」の章の中での新しい節になります。

サブタイトルは「タロットの初歩的な体系」です。
今までは、どちらかというと、個々の関係を見ていくような感じでしたが、ここからは
「生命の木」全体を通して、どのように「大アルカナ」の世界が作用していくのかという、
全体的な働きというか、全体的な流れを感じていく上で、重要なものを見ていきます。

ちなみに、「生命の木」の基本は、「右と左」、「陰と陽」、さらに「上と下」、「天と地」
のバランス感覚にありますので、「大アルカナ」に「生命の木」の理論を適用する際には、
そういう上下左右のバランスと、全体的なエネルギーの流れを掴むことが大事なわけです。

そして、ここにおいては、「生命の木」は、完全に「高次の抽象的なテンプレート」として
働いているわけであり、そういう意味においては、伝統的な「ユダヤ教カバラ」の「生命
の木」としてではなく、より抽象化された「魔術カバラ」の「生命の木」に配置され、
そして従来の「タロット」の意味を再解釈することで、全く新しい「ゴールデン・ドーン」
の「タロット理論」が導き出されているということになっているわけです。

ちょっと難しく言えば、「ユダヤ教カバラ(の生命の木)」の混沌とした体系から、
「帰納法」によって高次に抽象化された「魔術カバラ(の生命の木)」の体系が得られ、
その抽象化された体系を、「タロット」という抽象図像の体系と組み合わせ、そこから
「演繹法」により新しい理論体系を導き出していくという、まあ、当たり前というか、
割とわかりやすい手法を用いているわけです。
そういう意味では、「ゴールデン・ドーン」の神秘理論体系は、真面目に勉強していくと、
結構面白いというか、それなりに応用の効くものですので、ワタシも飽きずに、色々と
勉強のネタを探しているということなのでした。
0023名無しさん@占い修業中垢版2016/12/16(金) 06:04:12.08ID:+02bpNGl
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 140) ---
As we have seen, the Tree of Life is based on one very simple principle, that of
a positive and a negative which, between them, produce a third and balanced energy.
我々がずっと見てきているように、「生命の木」は、1つの非常に簡単な原則、すなわち
正と負、そしてそれらの間にある、第三の釣り合いが取れた精力を生み出す、ということ
に基づいている。

These are the Yod, Heh and Vau of the Divine Name.
これらは、「神名」の「ヨッド」、「ヘー」、および「ヴァウ」である。

A variety of terms describe this pattern, such as: Male, Female, Neuter, or
Father, Mother, Son.
色々な言葉の表現は、以下のように、この様式を説明する:「男性」、「女性」、「中性」、
もしくは「父」、「母」、「息子」。
--- ここまで ---

「生命の木」の原則は、「正」と「負」と「無極性=バランスの取れた状態」の遷移に
あります。
それらの原則は、「小径たち」にも適用されますので、当然ながら「大アルカナ」にも、
そのまま適用されることになってきます。

とはいえ、「大アルカナ」には、元々のキャラのイメージがあるわけですので、そういう
旧来のイメージのあるものに対して、いきなり「生命の木」に基づく「攻/受/両刀」、
いやいや「正/負/無極性」の理論を適用すると、最初のうちは、いまいちしっくりと
来ないというか、ちょっとした消化不良を起こす場合もあるわけです。

まあ、そこはそれで、色々なシチュエーションを設定し、色々と腐った妄想を膨らませて、
今までにない、自分なりの「大アルカナ」のキャラのイメージを作り上げていけばいいの
ではないかと思ったりするわけなのでした。
0024名無しさん@占い修業中垢版2016/12/17(土) 05:54:42.11ID:SYhXE0VQ
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 140) ---
Figure 28 labels the Sephiroth centers of Force and Form, whereas the Paths are
called Activating and Formative.
図28は、「セフィロト」を、「力」と「形」の中心たちと分類しているが、その一方で、
「小径たち」は、「活動的」と「形成的」と呼ばれる。
--- ここまで ---

図28では、「生命の木」の「セフィロト」と「小径たち」に、以下の表示がされています。

・「FORCE/力」:「コクマー」、「ゲブラー」、「ネツァク」に表示
・「FORM/形」:「ビナー」、「ケセド」、「ホド」に表示
・表示なし:「ケテル」、「ティファレト」、「イェソド」、「マルクト」の上

・「Activating/活動的」:「0:愚者」、「6:恋人たち」、「7:戦車」、「9:隠者」、
  「10:運命の輪」、「13:死」、「19:太陽」、「20:審判」に表示
・「Formative/形成的」:「1:魔術師」、「4:皇帝」、「5:法王」、「11:正義」、
  「12:吊られた男」、「15:悪魔」、「17:星」、「18:月」に表示
・表示なし:「2:高等女司祭」、「3:女帝」、「8:力」、「14:節制」、「16:塔」、
  「21:宇宙」に表示

ここでの「セフィロト」と「小径」の関係をまとめると、
・垂直の関係の、「ケテル」-「ティファレト」-「イェソド」-「マルクト」間の「小径」
  は「無極性」
・水平の関係の、「コクマー」-「ビナー」、「ケセド」-「ゲブラー」、「ネツァク」-「ホド」
  間の「小径」は「無極性」
・それ以外の、「FORCE/力」の「セフィロト」である「コクマー」、「ゲブラー」、「ネツァク」
  は、「Activating/活動的」が入力され、「Formative/形成的」が出力される
・それ以外の、「FORM/形」の「セフィロト」である「ビナー」、「ケセド」、「ホド」は、
  「Formative/形成的」が入力され、「Activating/活動的」が出力される
というように、比較的単純なルールになっています。
0025名無しさん@占い修業中垢版2016/12/19(月) 06:39:27.99ID:5H1ylXy/
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

図28の説明文です。
少々長いので、2つに分割します。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 140) ---
Figure 28. Patterns of Form and Force on the Tree of Life.
図28。「生命の木」の上の「形」と「力」の様式たち。

The Activating Paths are the [yod] ; the Formative Paths are the [he] ;
the crossing Paths and those of the Middle Pillar are the [vau] .
「活動的な小径たち」は [yod] である;「形成的な小径たち」は [he] である;
横断する「小径たち」および「中央の柱」のそれらは [vau] である。

Note that the word "formative" is used here rather than "passive," chosen by
some authorities.
何人かの権威者たちにより選ばれた、「受動的」ではなく、「形成的」という言葉が、
ここでは使われることに注意しなさい。
--- ここまで ---

「生命の木」においては、活動状態を表すものとしては、「3つ組」が基本となります。
すなわち、
・「力」:「火」:神名の[yod]:母字の[shin]:「力(慈悲の柱)」:「アツィルト界」
・「形」:「水」:神名の[he] :母字の[mem]:「形成(峻厳の柱)」:「ブリアー界」
・「平衡」:「空気」:神名の[vau] :母字の[aleph]:「均衡(中央)の柱」:「イェツィラー界」
であり、それぞれ次元の異なる「3つ組」たちが、色々と組み合わさって、この世界を
構築しているという理屈になっているわけですよね。

ちなみに、この中には「地」はありませんが、「地」は「マルクト」であり、その中に
「火」「水」「空気」の要素を全て含んで「物質化」したものとなっています。
つまり、我々が「物質」として認識しているものは、「地」という独立した要素ではなく、
上記の「火」「水」「空気」の3つの組み合わせで出来ているということになるわけです。
0026名無しさん@占い修業中垢版2016/12/20(火) 06:14:09.96ID:NBTI3/DO
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

図28の説明文の後半部分です。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 140) ---
There is no inertia on the Tree of Life; it is in a state of constant activity,
the formative process being a response to the activation.
「生命の木」の上には、惰性は無い;形成的な過程は、活性化への応答であり、絶え間ない
活動の状態にある。

This is not neutral in the sense that the word passive would imply.
これは、受動的という言葉が暗示するであろう意味においての中立ではない。

Here one might usefully consider the fact that THE EMPEROR is a Formative Path,
rather than an activating one, and the fact that Binah (like the Path of
THE EMPEROR) is bright red in Atziluth.
ここで、人は、「皇帝」が、「形成的な小径」であって、活動的なそれではない、という
事実と、「ビナー」(「皇帝」の「小径」のように)が、「アツィルト界」においては、
明るい赤であるという事実を、有効に考慮することができるかもしれない。
--- ここまで ---

「活動的な小径たち」と「形成的な小径たち」の関係は、単なる「プラス」と「マイナス」
の関係ではありません。
例えて言うなら、「男」と「女」の複雑な人間関係であり、野球で言うならプレイの起点と
なる「ピッチャー」と、プレイ全体を統括する「キャッチャー」の関係であり、ヲタク的に
言うなら、「攻め」と「受け」のカオスチックな関係であって、素人の目ではわからないよう
な、それなりに意味深なストーリーが、内なる世界において展開されているわけです。

そういった、内に秘められた意味深な関係を理解することで初めて、本当の理解が得られる
ということなのですが、まあ、色々と奥が深すぎて、ワタシのような普通の人間の脳ミソ
では、ついてイケない面もあるわけなのでした。(イロイロなイミで)
0027名無しさん@占い修業中垢版2016/12/21(水) 06:46:25.27ID:jwfHIwit
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 141) ---
This slight distinction is made to point out that the Sephiroth are centers of
energy, while the Paths are the subjective experiences between those centers.
このわずかな区別は、「セフィロト」が、精力の中心たちである一方で、「小径たち」は、
それらの中心たちの間の主観的な経験たちであることを指摘することで生じる。
--- ここまで ---

「セフィロト」は「精力の中心たち」、すなわち、どちらかというと静的な「状態」を
表しているのに対し、「小径たち」は「セフィロト」の間に働く「主観的な経験たち」と
いう、少し次元の高いところに働く力になります。

そして、本来であれば、この「小径たち」は「セフィロト」とは無関係の存在であって、
「Activating/活動的」とか「Formative/形成的」というような「色」を持たない存在
であるはずなのですが、「生命の木」においては、「小径たち」は「セフィロト」に強く
関連付けされているため、結果的に、「セフィロト」の性質に引きずられるような形で、
「小径たち」にも、それに関連したキャラ付けがされているわけです。

まあ、こういうキャラ設定、いやいや関連付けというのは、色々と微妙な問題を抱えて
いるわけですので、どれが正解というものでもなく、時と場合と周囲の状況によって、
色々な性格が出てきたりします。
そういうわけで、「基本的にはこういうキャラ設定だけど」、というように、「ゆらぎ」
を前提として、捉えておいた方が無難かと思います。

ちなみに、何で「生命の木」には、こんな「正・負・無極性」というような固有の性質が
あるかというと、完全に均質な世界では、この我々の住む宇宙は生まれて来なかったと
いうことであり、この宇宙が存在しているのは、この「極性のゆらぎ」のおかげであると
いうことなのです。
え、何でそういう結論になっているのかって?
難しい話ですので、ワタシにもよくわかりませんが、とにかく我々の住む世界においては、
至るところに「ゆらぎ」があって、そしてそれは必要不可欠であるらしいのです。
0028名無しさん@占い修業中垢版2016/12/22(木) 06:44:32.80ID:T79m3LwP
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 141) ---
Before proceeding further, it seems important to point out that the complex
discussion which follows is presented not so much for its content as for its
method of analyzing the Tree.
さらに進む前に、以下に続く複雑な議論は、その内容についてというよりもむしろ、
「木」を分析するためのその「方法」について提示されていることを指摘することが重要
であるように思える。
--- ここまで ---

頭の悪い人の勉強法は、頭の一部の機能しか使わない「丸暗記」、すなわち「method/方法」
から何かを見つけ出すのではなく、「content/内容」だけを記憶することに頼りがちです。

もちろん、こういう「知識の詰め込み型」の教育は、学校のテストで良い点を取るためには
必要なことなのですが、その手の「記憶」は、しょせん一時的なものであって、すぐに
忘れてしまう性質のものであり、バラエティ番組の早押しクイズ以外では、ほとんど役には
立たなかったりします。

そして、そういった「詰め込み」よりも、なぜそうなるのかという「方法」を知り、それが
実際に、どういうふうに応用されていくのかを、何度も実習しながら体験していくことが、
本当の「教え育くむ」ということではないのかな、と思うのでした。

脳を鍛えるためには、こういった「深く考える=哲学する」ということが、とても重要です。
現代の日本の風潮では、とにかく「効率」、すなわち「安さ」や「早さ」が重要視されて
いるので、そういう意味では、これからの「日本の教育」がどうなっていくのか、ちょっと
不安でもあります。

人間の脳ミソって、使わないと劣化しますので、今からでも決して遅くはありませんので、
きちんとした勉強をしていってほしいと思うんですよね。
(まあ、ここに誰も来ない時点で、日本の占いは終わってるなぁ、と思っていたりする
わけですが。)
0029名無しさん@占い修業中垢版2016/12/23(金) 06:59:12.20ID:ln2VKBIb
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 141) ---
The Tree of Life is a system of triangles made up of Paths which are Activating,
Formative and Balancing.
「生命の木」は、「活動的」、「形成的」そして「平衡」である「小径たち」 により
構成される三角形たちから成る体系である。

This is an absolute Qabalistic given, a universal pattern.
これは、絶対的なカバラ主義の既定の事実であり、普遍的な様式である。
--- ここまで ---

今まで何度も述べてきたように、「生命の木」の構造体系は、「三角形」を基本要素と
しています。

え、なぜに「三角形」なのか、ですか?

その答えは、「given/(天から与えられた)既定の事実」と、ここに書かれています。

え、それでは何の説明にもなっていないって?

まあ、要するに、わけわからないことは、とりあえず全てを「神様のせい」、すなわち
「神様がそう仰っているから」ということにして、明確な説明責任を神様に転嫁しよう
ということなんですけどね。

実際のところ、現代科学においても、全てのものを、明確に説明できるわけではありま
せんし、そういう意味での「神」は、いまだに多く存在しているわけです。
特に、最先端の科学の分野においては、いたるところで「神様」が微笑んでいますので、
そのさらに先を行く「カバラ」の分野における「神定義」は、避けては通れないものです。

ということで、皆さんも、「神領域」の「デルタ地帯」、いやいや「聖なる三角形」を、
じっくりと堪能して、いやいや深く瞑想しながら熟考していってください。
0030名無しさん@占い修業中垢版2016/12/24(土) 07:54:56.32ID:QjKQGzdj
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 141) ---
In light of this pattern, let us return to the idea that each of the key triangles
on the Tree refers to one part of the Soul: The Supernal Triangle is the Supreme
Spiritual Self, the Ethical Triangle is the Higher Self, and the Astral Triangle
is the Personality in incarnation.
この様式の観点から、「木」の鍵となる三角形のそれぞれが、「魂」の、ある1つの部分を
参照するという、以下の考え方に戻ることにしましょう:「至高の三角形」は「究極の
霊的自我」であり、「倫理的三角形」は「高次の自我」であり、そして「星幽的三角形」
は、肉体化の内にある「人格」である。

This idea, which was particularly developed by Dion Fortune,(*96) places special
importance on nine Tarot cards:
この考え方は、特にダイアン・フォーチュン氏により発展させられ(*96)、9枚の
「タロット」カードに特別な重要性を置く:
--- ここまで ---

ちなみに、(*96)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 271) ---
96. Fortune, Mystical Qabalah, 43 ff.
96. フォーチュン著、『神秘のカバラー』、43ページ以降。
--- ここまで ---
とあります。
これは、邦訳の『神秘のカバラー』では、68ページ以降の「第七章 至高の三角形」の
章に相当します。

なお、このフォーチュン氏の『神秘のカバラー』の中身ですが、基本的には「生命の木」
における「セフィロト」に関する説明がメインであって、実のところ「大アルカナ」の
「小径」に関する記述は、ほとんどありません。
つまり、カバラ的解釈によって「大アルカナ」を一般向け文書として記述すること自体が、
実はとても困難である、というか、ほぼ不可能に近いということでもあるんですよね。
0031名無しさん@占い修業中垢版2016/12/25(日) 11:01:06.79ID:IU50+1xj
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 141) ---
THE SPIRITUAL SELF/霊的自我
----------------------------------------
SUPERNAL TRIANGLE/至高の三角形
    THE FOOL (Activating)/愚者(活動的)
    THE MAGICIAN (Formative)/魔術師(形成的)
    THE EMPRESS (Balancing)/女帝(平衡)

THE HIGHER SELF/高次の自我
----------------------------------------
ETHICAL TRIANGLE/倫理的三角形
    STRENGTH (Balancing)/力(平衡)
    HERMIT (Activating)/隠者(活動的)
    JUSTICE (Formative)/正義(形成的)

THE PERSONALITY/人格
----------------------------------------
ASTRAL TRIANGLE/星幽的三角形
    TOWER (Balancing)/塔(平衡)
    STAR (Formative) /星(形成的)
    SUN (Activating)/太陽(活動的)
--- ここまで ---

ここは単に、「生命の木」における「セフィロト」の世界観を、大アルカナの「小径」に
適用しただけですので、理論上は、特に目新しさというものはありません。
とはいえ、この魔術カバラ的な理論を、実際に「タロット占い」に活用している人は、
おそらく皆無ではないかと思いますし、それ以前に、「大アルカナ」と「小アルカナ」の
基本的な違いを、きちんと区別して理解出来ている人も、ほとんどいないと思います。
まあ、魔術カバラの「大アルカナ」って、しょせん見えない世界での話なわけですので、
実践的な占いにとっては、いまいち使いにくいものであることは確かなんですけどね。
0032名無しさん@占い修業中垢版2016/12/26(月) 06:41:29.47ID:Tjjxdmnv
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 141) ---
The core structure of each part of the Self is composed of three aspects, an
Activating (Yod-Fire), a Formative (Heh-Water) and an energy which is Balancing
(Vau-Air), as is shown in Figure 29.
「自我」の各々の部分の中核的構造は、図29において示されるように、3つの様相たち、
「活動的」(「ヨッド」−「火」)、「形成的」(「ヘー」−「水」)、そして「平衡」
(「ヴァウ」−「空気」)である精力により構成されている。
--- ここまで ---

次のページにある図29ですが、太い線の「小径」で結合された、おなじみの3つの三角形
を、3つ縦に並べたような構造が、いわゆる「core structure /中核的構造」であること
を表しています。
すなわち、この「活動的」、「形成的」、そして「平衡」から成る「三つ組」は、比較的
安定した存在であって、我々自身の「自我」として観測可能であるかもしれないものを、
表しているということでもあります。

これらを、量子力学的に例えるのであれば、この3つの「セフィロト」と3つの「小径たち」
から成る三つ組が、陽子や中性子などの、直接観測可能な「バリオン」となります。
そして、それらの3つの階層の「バリオン」たちを相互に接続しているものが、2つの
「セフィロト」と1つの「小径」から成る「中間子」たちということになります。

そして、それらが、結果的に「地」である「マルクト」と相互作用することで、我々は
その「存在」を、我々の肉体的な感覚器官で認識できているという構図になっていると
いうわけですよね。
0033名無しさん@占い修業中垢版2016/12/28(水) 06:36:28.89ID:zV7+Uiu0
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

図29の説明文です。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 142) ---
Figure 29.
図29。

This very complicated chart is based on the idea that each of the Triangles on the
Tree represents a given part of the Soul, The Spiritual Self, The Higher Self and
The Personality.
この非常に複雑な図表は、「木」の「三角形たち」の各々が、「魂」の天から与えられた
部分である、「霊的自我」、「高次の自我」、および「人格」を表す、という考え方に基づく。

If we accept this idea we are accepting that nine of the Paths (shown in black)
are givens, each being the positive, negative or balance of one aspect of the Soul.
もし我々がこの考え方を受け入れるならば、我々は、(黒(の太線)で示される)「小径
たち」のうちの9つは、天から与えられたものであり、それぞれは、「魂」の1つの様相の
「陽」、「陰」、もしくは「平衡」である 。

The question must then be asked: How do the other thirteen Paths relate to the
given nine?
その次に、以下の問題点が質問されるに違いない:他の13の「小径たち」は、天から与え
られた9つに、どのように関連しているのか?
--- ここまで ---

この図には、今まで説明のあったものを図示しているだけでなく、この後に説明される
他の13の「小径たち」のうち、8つのものに関するキーワードが書かれています。
・「Stabilizing Activating Extreme/安定化する活動的極端」:「戦車」、「運命の輪」
・「Stabilizing Formative Extreme/安定化する形成的極端」:「法王」、「吊られた男」
・「Connecting Activating Path/結合する活動的小径」:「恋人たち」、「死」
・「Connecting Formative Path/結合する形成的小径」:「皇帝」、「悪魔」
0034名無しさん@占い修業中垢版2016/12/29(木) 06:30:43.20ID:654i5OLm
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 141) ---
One important clue to the symbolism is that Heh-water, wherever it appears means
consciousness.
象徴的意義の一つの重要な手掛かりは、「ヘー」−「水」であり、それが出現する所は
どこであれ、「意識」を意味する。

In some Tarot cards this is a Universal Consciousness, while in others it is the
personal consciousness.
あるいくつかの「タロット」カードたちにおいては、これは「普遍的意識」であり、一方、
他のものたちにおいては、それは個人的な意識である。
--- ここまで ---

ここでは、以下の3つの様相たち、
・「Activating/活動的」:「ヨッド」−「火」
・「Formative/形成的」:「ヘー」−「水」
・「Balancing/平衡」:「ヴァウ」−「空気」
のうち、最初に最もわかりやすい「ヘー」、すなわち「水」から解説しようとしています。
なぜ「水」なのかというと、我々の「地」にとって、最も親密度の高いものであり、そして
「私はある」という意味での「存在」、すなわち「意識」の一部として説明することが、
かろうじて可能である、という点ですかね。

とはいえ、「意識」というものは、個人的経験とか、到達レベルの個人差とか、色々と
ありますので、どのカードが「普遍的意識」を表し、どのカードが「個人的意識」を表す
とかは、一概には言えなくて、人それぞれの解釈が可能ということになっています。
そもそも、「大アルカナ」のレベルでは、高度に象徴化されていますので、我々の低次の
意識を、そのまま一対一に対応付けすることは、全くもって不可能なんですよね。

まあ、ここは最初の「様相」ですので、とりあえずは、我々の「意識」が構築される上で、
「取っかかり」というか「鍵」となるカードが、この「Formative/形成的」なカードたち
である、という程度の理解でいいかと思います。
0035名無しさん@占い修業中垢版2016/12/30(金) 06:59:37.63ID:/yIVgxPP
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 142) ---
Yod-Fire is the motive principle (what Fabre d’Olivet called the "intellectual
volative principle").
「ヨッド」−「火」は、原動力となる原則である(ファーブル・ドリヴェ氏が「知的で
不安定な原則」と呼んだもの)。

It is that on which consciousness acts.
それは、「意識」が行動しているものの上にあるものである。
--- ここまで ---

「volative」は、おそらく「volatile/不安定」の誤記です。
この「volatile/不安定」の反対語は、「Fixed/安定」ですので、おそらくこれは、
「火」と「水」の関係性を表すものだと思われます。

ファーブル・ドリヴェ氏(Antoine Fabre d'Olivet, 1767-1825)は、フランスのオカルト系
作家であり、ヘブライ語の研究により、後の魔術カバラに大きな影響を与えています。

さて、「意識」すなわち「水」は、それだけでは活動できないので、作動させるためには、
外部から何らかのエネルギーを供給する必要があります。
自然界においては、そのエネルギー源は「太陽光」であり、これが「火」に相当します。

つまり、「火」=「Activating/活動的」のエネルギーを、一度「水」=「Formative/
形成的」に移して、「空気(水蒸気)」=「Balancing/平衡」の状態に移行させることで、
「意識」である「水」が循環的に作動するというメカニズムになっているわけです。

まあ、こういう高次の世界の話を、単純な文章で例えるのは、ちょっとややこしいのですが、
そういうようなイメージがある、ということです。
そういう意味でも、ある程度の哲学や科学の経験値が無いと、うわべだけの理解に終わって
しまうので、オカルトを学びたい人は、一般的な学問の勉強も、きちんとしておいてほしい
なぁ、と思うわけなのでした。
0036名無しさん@占い修業中垢版2016/12/31(土) 06:21:56.66ID:514Jmq1K
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 142) ---
Vau-Air is the balance between these two, which sustains their interaction.
「ヴァウ」−「空気」は、それらの相互作用を支える、これらの2つの間の平衡である。

What is important to appreciate is that the pattern is implicit at all levels.
理解するために重要なことは、すべての段階たちにおいて、様式は暗示されていること
である。

And, having seen the activities of the Yod, Heh and Vau within the core structures
of the Self, we look for the same pattern in the Path energies around these core
structures.
そして、「自我」の中核的構造の内部の「ヨッド」、「ヘー」、および「ヴァウ」の活動
たちを見たことが、我々は、これらの中核的構造の周囲の「小径」の精力たちの中の同様
な様式を探す。
-- ここまで ---

ここで言いたいのは、「活動的」−「ヨッド」−「火」、「形成的」−「ヘー」−「水」、
そして「平衡」−「ヴァウ」−「空気」という3つの要素から成るパターンは、普遍的、
すなわち、全てのものは、このパターンを内に含むということであり、全てのものを、
このパターンに分類して考察することが可能であるということです。

つまり、中核的構造である3組の「三角形」たちを構成する「9つの天から与えられた小径
たち」以外の、「13の小径たち」についても、このパターンを適用することが可能であり、
そうすることは有用である、ということを言いたいわけです。

なぜこんなことを言いたいのかと言うと、「9つの天から与えられた小径たち」は、要する
に「定義」であって、それ以上の説明は不要というか不能なのですが、残りの「13の小径
たち」は、説明が必要であり説明可能な「定理」ですので、自分自身の内なる「自我」を
通じて深く探索することで、自分自身で納得できる、それなりの理屈を考えていかなければ
ならないということなんですよね。
0037名無しさん@占い修業中垢版2016/12/31(土) 06:39:13.50ID:514Jmq1K
ということで、今年最後のカキコになりました。

今年は、このスレ的には、無事に折り返し点を過ぎて、ついに「大アルカナ」にまで到達
できたということが、一番のトピックですかね。

とはいえ、魔術カバラの「大アルカナ」の領域は、タロット占いの「大アルカナ」とは、
まるで別物ですし、そもそも占いの際に、その手の知恵や知識が占う上で何かの役に立つ
というわけでもありませんので、占いが主な目的の人は、早々に脱落してもらっても
大丈夫かと思います。
というか、そういう人は、もうとっくの昔に脱落してもらってますよね。 (^^;;

まあ、そういうことですので、それでは皆さん、よいお年を。 (^_^)/
0038名無しさん@占い修業中垢版2016/12/31(土) 06:58:26.88ID:DCeocbf4
>>36
翻訳部分の修正です。 (^^;

最後の文は、
----------
そして、「自我」の中核的構造の内部の「ヨッド」、「ヘー」、および「ヴァウ」の活動
たちを、ずっと見続けている我々は、これらの中核的構造の周囲の「小径」の精力たち
の中の同様な様式を探す。
----------
に訂正しておいてください。

さて、これから取り溜めたアニメ消化しないと。(^^;;
0039名無しさん@占い修業中垢版2016/12/31(土) 14:22:48.37ID:OmEN1ctE
以前から気になっていたのですが、風邪引いて戦力外通告を受けたので、
大晦日のこの隙間時間にパート1から読ませていただいてます。
ウォンのこの本は紙ではマルクス・アウレリウス出版のハードカバー(2004)
を、旧版はデータだけ持っています。

これからもときどき覗かせていただくのでよろしく!
0040名無しさん@占い修業中垢版2017/01/01(日) 06:56:34.30ID:oCrsbLnm
皆さん、あけましておめでとうございます。(^_^)/

このスレも、ついに6年目の突入ですね。(^^;;
そして、目標とする10年計画の、折り返し地点でもあります。

ということで、今年もあせらずボチボチと、カバラを勉強していきましょう。 (^^)/

>>39
いらっしゃいませ。 (^^)/
年末年始の戦力不足の時期に戦力外通告とは、かなり酷い風邪なんですかね。
お大事に。(^^;;

ちなみに、こういう内容的にきっちりとした洋書を原文で読むことは、それだけでも
勉強になりますので、ぜひ読み進めていってくださいね。 (^_^)/
(このスレの翻訳や解説の方は、どうしようもない駄文なのは置いといて(^^;; )
0041名無しさん@占い修業中垢版2017/01/01(日) 06:58:19.72ID:oCrsbLnm
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 143) ---
The nine cards of the Self are clearly defined.
「自我」の9枚のカードたちは、明確に定義される。

What is then required is an appreciation of the relationship of the other cards
to these givens.
その次に必要とされることは、これらの天から与えられたものたちと、他のカードたち
との関係の理解である。

We know, first of all, that each Path represents a specific lesson about the Self,
a lesson required to full understand the core aspect (triangle) of the Self to
which it relates.
我々は、まず第一に、各々の「小径」は、「自我」についての特定の学課であり、それが
関連する「自我」の中核的な様相(三角形)を全て理解するために必要とされる学課で
ある、ということを象徴することを知っている。
-- ここまで ---

肝心要の「9枚のカード」は、「それ以上は考えてはならないもの」ですので、とりあえず、
それ以外の「13枚のカード」について、話を進めていきます。
まあ、こういうふうに、わからないものはわからないと割り切った上で、実践的な理論を
展開していくという煮え切らない態度は、現代科学においても普通に行われていること
ですので、ここは我々も割り切って考えましょう。
というか、わからないものを、わかったふりをして話を進めていくと、たちどころに論理
破綻するか、さもなくばトンデモ理論に陥ることになりますからね。

ということで、とりあえず、「13の小径たち」と「13枚のカードたち」を考察することで、
せめて外堀ぐらいは少し埋めていくふりをしてみようかなぁ、という曖昧な態度で、
お茶を濁していくことにしましょう。
え、なんでそんなに嫌そうにしてるのかって?
まあ、要するに、「大アルカナ」の世界って、色々と面倒臭いんですよね。
0042名無しさん@占い修業中垢版2017/01/02(月) 07:19:13.53ID:wndCBsCi
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 143) ---
Here it will be seen that the subsidiary Paths operate in the same pattern of
zig-zag energies accross the Tree as do the Sephiroth.
ここでは、補助的な「小径たち」が、ジグザグ形の精力たちの同じ様式において、
「セフィロト」がしているのと同じように、「木」を横切って作用するのが見られるで
あろう。
-- ここまで ---

図29を見れば、一目でわかりますが、13の「補助的な小径たち」のうち、「中央の柱」に
属する3つの「小径」を除く10の「補助的な小径たち」には、以下のように、「Activating/
活動的」と「Formative/形成的」というラベルが貼られています。
・「Stabilizing Activating Extreme/安定化する活動的極端」:「戦車」、「運命の輪」
・「Connecting Activating Path/結合する活動的小径」:「恋人たち」、「死」
・「Activating/活動的」:「審判」
・「Stabilizing Formative Extreme/安定化する形成的極端」:「法王」、「吊られた男」
・「Connecting Formative Path/結合する形成的小径」:「皇帝」、「悪魔」
・「Formative/形成的」:「月」

そして、「中央の柱」に属する4つの「セフィロト」を除く6つの「セフィロト」には、
・「Force/力」:「コクマー」「ゲブラー」「ネツァク」
・「Form/形」:「ビナー」「ケセド」「ホド」
というラベルが貼られています。

これらの配置のパターンは、「中央の柱」を中心にして左右対称であり、それゆえ、
上から下、もしくは下から上へと向かう経路においては、「小径」も「セフィロト」も
同じように、「ジグザグ形」というものを意識することが必要となります。
要するに、どちらかに片寄った勉強法ではダメであって、「小径たち」が我々に課す
「ジグザグ形」の「lesson/学課」を、好き嫌いを言うことなく、全てをバランス良く
習得することで身に着くバランス感覚こそが、「天から与えられた自我の三角形たち」を
的確に支え、そして理解することに繋がるということなんですよね。
0043名無しさん@占い修業中垢版2017/01/03(火) 06:58:48.16ID:tnEkl3V1
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 143) ---
Considering only the outermost Paths:
最も外側の「小径たち」だけを考慮すると、以下のようになる:

CHARIOT/戦車      HIEROPHANT/法王
(Activating/活動的)   (Formative/形成的)
             ×
HANGED MAN/吊られた男  WHEEL OF FORTUNE/運命の輪
(Formative/形成的)    (Activating/活動的)
             ×
JUDGMENT/審判     MOON/月
(Activating/活動的)   (Formative/形成的)
-- ここまで ---

「生命の木」の最も外側かつ右側の「慈悲(力)の柱」のルートは、
・「ケテル(均衡)」→「愚者(活動的)」→「コクマー(力)」
 →「法王(形成的)」→「ケセド(形)」
 →「運命の輪(活動的)」→「ネツァク(力)」
 →「月(形成的)」→「マルクト(均衡)」

そして、最も外側かつ左側の「峻厳(形成)の柱」のルートは、
・「ケテル(均衡)」→「魔術師(形成的)」→「ビナー(形)」
 →「戦車(活動的)」→「ゲブラー(力)」
 →「吊られた男(形成的)」→「ホド(形)」
 →「審判(活動的)」→「マルクト(均衡)」

となっており、上下も左右も共に均衡の取れた、ほど良い配置になっています。
もちろん、こういう配置は意図的であって、カバラ理論において、こういうふうに定義
されたものなのですが、これが実に良く出来ているというか、この原理により、様々な
ものを、うまく説明できるようになっているわけなんですよね。
0044名無しさん@占い修業中垢版2017/01/04(水) 06:03:50.03ID:93ABFvYL
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 143) ---
The four upper Paths are the extremes of energy which maintain the opposite Pillars
and which may thus be called Paths of Stabilizing Extreme energy which is either
Activating or Formative.
4つの上部の「小径たち」は、向かい合う「柱たち」を支えており、従って、「活動的」か
「形成的」かのいずれかの、「安定化する極端」の精力の「小径たち」と呼ばれるであろう、
精力の両極端である。
-- ここまで ---

4つの上部の「小径たち」、すなわち
・「法王」:「Stabilizing Formative Extreme/安定化する形成的極端」
・「戦車」:「Stabilizing Activating Extreme/安定化する活動的極端」
・「運命の輪」「Stabilizing Activating Extreme/安定化する活動的極端」
・「吊られた男」:「Stabilizing Formative Extreme/安定化する形成的極端」
ですが、これらは、左右で対になっている2本の柱、すなわち
・「慈悲(力)の柱」:「法王(形成的)」、「運命の輪(活動的)」
・「峻厳(形成)の柱」:「戦車(活動的)」、「吊られた男(形成的)」
を構成する基本的要素となっており、さらにこれらは、「生命の木」全体の構造を
左右から支え、そして全体の外形を形作るという、とても重要な要素でもあるので、
「Stabilizing/安定化」と呼ばれるということのようです。

そして、これらの「左右の柱たち」の4つの「小径たち」は、「中央の柱」から見て、
最も遠い位置にあり、直接の繋がりもないために、「Extreme/極端」と呼ばれる
ということのようです。

つまり、最も重要なのが、「天から与えられた」9つの小径たちであり、その次に重要
なのが、「安定化する極端」の4つの小径たちである、ということになります。

あとは、「月(形成的)」と「審判(活動的)」の小径があれば、「生命の木」の基本的
な外形は、完成することになります。
0045名無しさん@占い修業中垢版2017/01/05(木) 06:36:21.36ID:YvlKM6j0
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 143) ---
We then discover that at each level, the two Paths on either side of the balanced
Middle Pillar share the qualities of the cards beside them, an even more complicated
and interesting scheme appears, one which reveals card relationships obvious in
no other way:
我々は次に、各々の段階において、釣り合いの取れた「中央の柱」のどちらの側の2つの
「小径たち」も、それらの側のカードたちの品質たちを共有しているという、さらに
いっそう複雑で興味深い体系が出現していることを発見し、それは他の方法では明らかで
ないカードの関係たちを、以下のように明らかにする:

CHARIOT/戦車          HIEROPHANT/法王
(Activating/活動的)       (Formative/形成的)
  LOVERS/恋人たち   EMPEROR/皇帝
  (Activating/活動的)  (Formative/形成的)
               ×
HANGED MAN/吊られた男   WHEEL OF FORTUNE/運命の輪
(Formative/形成的)       (Activating/活動的)
     DEVIL/悪魔    DEATH/死
  (Formative/形成的)  (Activating/活動的)
               ×
  JUDGMENT/審判   MOON/月
  (Activating/活動的)  (Formative/形成的)
-- ここまで ---

ここでは、以前に出てきた6つの「小径たち」と、
・「Connecting Activating Path/結合する活動的小径」:「恋人たち」、「死」
・「Connecting Formative Path/結合する形成的小径」:「皇帝」、「悪魔」
との関係性を述べています。
要するに、この4つの「Connecting Path/結合する小径」たちは、前の文で述べた4つの
上部の「小径たち」を補強し、共に支えているという感じですかね。
0046名無しさん@占い修業中垢版2017/01/06(金) 05:49:00.89ID:gnjwzxF8
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 143) ---
Each Stabilizing Extreme Path is related to an inner Connecting Path (i.e., THE
LOVERS, THE EMPEROR, THE DEVIL, DEATH).
各々の「安定化する極端の小径」は、内側の「結合する小径」(すなわち、「恋人たち」、
「皇帝」、「悪魔」、「死」)に関連している。

These inner Paths connect the levels of the Self, rather than being a part of
either Pillar; they may also be considered the lesser extremes of Activating
and Formative energies.
これらの内側の「小径たち」は、どちらかの「柱」の一部であるというよりもむしろ、
「自我」の段階たちを接続している;それらは、また、「活動的」および「形成的」な
精力たちの、より小さい両極端と考えられるかもしれない。

These, and the Paths of the Middle Pillar can be called probationary Paths.
これらの、そして「中央の柱」の「小径たち」は、「試用の小径たち」と呼ばれることが
できる。
-- ここまで ---

この、内側の「結合する小径」は、「生命の木」における重要な機能ブロックである、
3つの「柱」と、3つの「三角形」を、お互いに結合するという働きをしています。

つまり、機能的には、どちらかというと補助的な感じの働きをしていますし、機構的にも、
外骨格となる「安定化する極端」の「小径」たちを補助しているような働きをしています。

とはいえ、それらの「内側の結合する小径」には、「恋人たち」、「皇帝」、「悪魔」、
「死」という、実に多彩なプレーヤーたちがいるわけであり、我々にとって、これらは
決して「lesser/より小さい」と言えるようなものではないことは、確かですよね。
そして、「中央の柱」の「小径たち」もそうなのですが、「生命の木」が安定して働くため
には、どの「小径」が欠けても不都合があるわけであって、全てをバランス良く働かせると
いうことが、大事だということなんですよね。
0047名無しさん@占い修業中垢版2017/01/07(土) 07:10:23.17ID:F949Ykxh
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 143) ---
To some extent, these definitions are arbitrary, yet it is essential that we make
an attempt to place what we know into an overall intellectual perspective.
ある程度、これらの定義たちは恣意的ではあるけれども、我々が、全体的な知的な見方の
中に我々が知っているものを配置しようと試みることは、必要不可欠なことである。
-- ここまで ---

科学や哲学の分野に限らず、とりあえず何らかの枠組み、すなわち仮説としての理論体系を
考えておいて、今ある雑多な事象を、その中にすっきりとした形で収納できるかどうかを
見ていくということは、部屋の片付けの基本となってきます。
うまくそれらが収納できるのであれば、次はどんなものが収納できるのかも予想できる、
すなわち未来の予想も出来るようになるわけで、そういうふうにして理論は検証されて
いくわけです。
まあ、これはよくある、Plan・Do・Checkのループでもあるわけですが、魔術カバラに
おいては、この「生命の木」の「内なる理論」を、被験者でもある修行者が、自らの肉体
と魂に適用して、何度もこのループを繰り返すことで、自ら導き出した理論を検証し、
そして進化させていくというわけです。

当然ながら、これは占いにおいても有用なのですが、占いにおいては、Checkの部分が、
どうしても主観的というか恣意的なものというか、商売上の都合による何らかの
バイアスがかかってしまうこともあって、なかなかうまくループが回せていない傾向が
あります。
まあ、魔術カバラと占いとでは、色々な点でレベルの違うものですので、一緒くたに語る
ことは出来ないものなのですが、もうちょっと何とかならないのかなぁ、と思ったりも
するわけです。

とはいえ、この手の話しは、魔術と占いに限らず、科学や宗教など、いわゆる「研究」を
必要とする分野においては、ある程度は避けられない話でもあるわけです。
基礎的な分野を真剣に探究しようとすると儲からないし、いわゆる研究者として食っていく
ために儲けようとすると、なんか違う方向へと行ってしまいがちになるわけですよね。
0048名無しさん@占い修業中垢版2017/01/08(日) 06:58:59.56ID:YQLnk+OZ
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 144) ---
From there we begin to internalize, personalize, concepts so that we view our own
lives differently than before.
そこから我々は、以前よりも我々が我々自身の生命たちを違ったふうに見ることができる
ように、概念たちを、内面化し、個人化し始める。

This process can be frustrating and painful.
この過程は、挫折感を起こしたり、苦痛を与えるものであるかもしれない。
-- ここまで ---

「生命の木」に関する理論は、基本的には「上の如く、下の然り」ですので、最初の検証
作業としては、「個人的な経験」「個人的な内面」「個人的な精神」「個人的な魂」の、
プライベートな領域で、じっくりと時間をかけて行うことが重要になります。

とはいえ、この自省の過程においては、自らの黒歴史を脳内再生しないといけないわけです
ので、なかなかやりづらいというか、普通の人であれば、避けて通りたい過程なわけです。
でも、うわべだけの自省では、「生命の木」を理解することは不可能ですので、とりあえず
自分に関する、ありとあらゆるものを、あまねく「生命の木」の理論にブチ込んで検証して
みることが、とても大事になってくるわけですよね。

そうすることで、自分自身の「光」の部分と「影の部分」が明瞭になり、その中にある
「Activating/活動的」や「Formative/形成的」の意味も、少しずつ理解できるように
なってくるというわけです。

まあ、そうはいっても、「生命の木」の理解には、とても時間がかかります。
学校の勉強と違って、教わることで簡単に身に付く知識ではありませんので、本当に時間を
かけて、日々の日常の中で、じっくりと検証していくという、毎日が試練の日々となります。
そんなに簡単には結果が出ませんので、飽きっぽい人や、せっかちな人には、向かないのは
確かですので、ワタシのように、日々のんびりダラダラと勉強を楽しむタイプの人には、
いいのかもしれませんよね。
0049名無しさん@占い修業中垢版2017/01/09(月) 07:12:43.73ID:98Dfqn/P
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 144) ---
Everyone who works seriously with the Tree of Life reaches a point where they are
no longer able to take the symbols at face value, where the symbols seem somehow
shallow and empty.
「生命の木」について本気で勉強する誰もが、彼らが、象徴たちがどういう訳か浅薄で
中身の無いように見える所での、表面的な価値では、もはや象徴たちを受け取ることが
できない時点に到着する。

It is then that one begins to ask: How do each of the Paths and Tarot Keys relate
to me personally?
人は、その時、以下のように尋ね始める:「小径たち」そして「タロットの鍵たち」の
それぞれは、どのようにして私と「個人的」に関連しているのか?
-- ここまで ---

「生命の木」のことをきちんと勉強していない人は、タロットの「大アルカナたち」の
象徴たちを、文字通り「at face value/表面的な価値で」しか見ることが出来ません。
実のところ、「タロット占い師」のほとんどは、「生命の木」についてのきちんとした
知識を持たないため、タロットの「大アルカナ」と「小アルカナ」を、ミソクソにして、
いやいや、分け隔てなく平等に、文字通りの見たままで解釈しているのが現状です。
(解説本に書かれている意味を丸暗記するということも含みます。)

でも、「生命の木」の理論を勉強することで、「象徴」を、文字通りの見たままで解釈
してはならないという本当の意味に、段々と本気で気づいてくるわけです。

そして、人は、改めて自分自身に問いかけます。
・「生命の木」の「セフィロト」や「小径たち」は、私にとって、どんな意味があるのか。
・「タロット」の「大アルカナ」や「小アルカナ」は、、私にとって、何を意味するのか。
・そもそも、「生命の木」を学ぶことは、私にとって、どういう意義があるのか。
そして、これらの問いに答えるためにも、もう一度改めて、自分自身のことについて、
じっくりと考えてみる必要が出てくるというわけですよね。
0050名無しさん@占い修業中垢版2017/01/10(火) 06:29:50.96ID:9fVGeNv1
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 144) ---
The question may grow from an internal observation of one's own thinking process,
what the Hermetic Mysteries would call “watching the watcher.”
質問は、「ヘルメス主義的神秘主義」が、「観測者を観測すること」と呼ぶ、人の自分自身
の思考過程の内なる観察から成長するかもしれない。

We are all aware of our own consciousness, although it is something on which very
few people ever stop to focus attention.
我々は全て、我々自身の意識に気づいてはいるけれども、それは、人が注意を集中する
ために、ほとんど立ち止まることのない所にある何かである。

And as we observe our own process of attention to ourselves, we may well ask how
the consciousness, as well as the observation of it fits on the Tree of Life.
そして、我々が我々自身に対する我々自身の注意の過程を観察するにつれて、我々は多分、
それ(意識)の観察が「生命の木」に適合するのと同様に、意識についても、質問するに
ちがいない。
-- ここまで ---

つまり、究極の質問は、「私とは何か」になるわけですが、そういう究極の質問を、
きちんと立ち止まって考えようとする人って、多いように見えて、実は少ないわけです。
なぜ少ないかというと、考えるには、あまりにもわけがわからないので、考えることを
止めて、次に行っていまうからなんですよね。
結局のところ、「我思う、故に我有り」という、わかったようなわからないような中途半端
な結論で満足せざるを得ないわけです。

でも、我々には、「生命の木」という、万能で強力な史上最強のツールがありますので、
これで「私とは何か」という「ラスボス」と本格的に戦うことが可能となっています。
とはいえ、このラスボスと戦う前に、それなりに経験値を上げ、装備を整えておかないと、
討ち死にしてしまいますので、きちんとレベルを上げ、そこまでのステージを一つ一つ
クリアしていく必要があるわけなんですよね。
0051名無しさん@占い修業中垢版2017/01/11(水) 06:02:18.57ID:CczMXeVz
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 144) ---
To answer this question, let us consider our own bodies.
この質問に答えるためには、我々に我々自身の体たちを考慮させなさい。

The Qabalah neatly fits our physical vehicles into Malkuth (using the one Tree
system) or Assiah (on the four Tree system).
「カバラ」は、我々の物質的な媒体たちを、(単一の「木」の体系を用いた)「マルクト」、
もしくは(4つの「木」の体系における)「アッシャー」に、きちんとはめ込む。

Moreover, while the body is a totality, working as a unity in whatever physical
operation we may perform, we conceptualize its components as separate for the
sake of understanding their individual contribution to the whole.
そのうえ、身体は全体であって、たとえ我々がどのような物理学的な操作を実行しようと、
統一体として働いているけれども、我々は、全体へのそれらの個々の寄与を理解するため
に、別々にその構成部分たちを概念化する 。
-- ここまで ---

いきなり「意識」という高次レベルの話をする前に、まずは「物理学的なレベル」から
話を進めた方が、おそらく理解しやすいと思います。

というわけで、まずは、自分の「body/身体」を、「physical/物理学的」に観察して
みてください。
そして、体を構成する各々の部分を、動かしてみてください。
さらに、何か意味のある動作を、やってみてください。

カバラの基本は、「上の如く、下の然り」ですので、「木を見ることで森を見る」という
視点も、それなりに重要になってきます。
ただし、単に、個々の構成部分、すなわち「セフィロト」の動きだけを見るのではなく、
それらの有機的な繋がり、すなわち、それらの動きの裏で起きている「小径たち」の働き
についても、きちんと考慮して見ておいてください。
0052名無しさん@占い修業中垢版2017/01/12(木) 06:01:48.72ID:hVjq0h3p
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 144) ---
The head is not the hand, although one does not function without the other.
頭は手ではないけれども、一方は他方が無ければ機能しない。

And it is not difficult to apply the various parts of the Tree of Life to the body.
そして、「生命の木」の様々な部分たちを身体に適用することは難しくない。

No great intellectual effort is required.
知的な努力は、大して必要とされない。
-- ここまで ---

人間の「body/身体」のパーツは、生物学的な長年にわたる進化と淘汰の結果、見た目も
バランスよく、そして機能的にも効率良く働くように出来ています。
(巨乳が機能的かどうかの議論は、さておいて…)

そして、人間の全身のソリッド的な「身体パーツ」と、ワイヤフレーム的な「生命の木」の
マッチングという意味での相性は、かなり良い感じになっています。
そもそも、人間の「身体パーツ」を意識して、「生命の木」がデザインされているとも
考えられますしね。

さらに言うと、自分自身の「身体パーツ」は、「見える」「触れる」「感じる」ことが
できるものですので、「生命の木」とのマッチングについては、脳内妄想による余計な
補完作業、いやいや知的な努力なるものは、さほど必要とされないレベルでもあります。

このため、誰もが、「生命の木」をチャクラのように自分自身の身体に配置して、ヨガの
ような瞑想を行うことが可能となっています。
さらに、そういう身体的な低次元の世界から得られるエクスタシーっぽいものを感じる
ことも可能です。
そういう意味では、これは、初心者向きの入門ルートの一つであると言えますし、そして
カバラの基本的な修行の一つであるとも言えるわけですよね。
0053名無しさん@占い修業中垢版2017/01/13(金) 06:10:49.97ID:6BJfUnmT
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 144) ---
But when we become aware of our own consciousness, the Personality “I” that
functions in our heads, we may experience difficulty in relating what we observe
to the Tree of Life.
しかし、我々が、我々自身の意識、すなわち、 我々の頭の中で機能する「人格」である
「我」に気づくようになる時、我々は、我々が観察するものを「生命の木」に関連させる
ことの困難さを経験するかもしれない。

Our self-awareness (which is in actuality limited to the Personality for most)
does not fit anywhere on the Tree of Life in toto.
我々の自己認識(それは、実際には、ほとんど「人格」までに制限されている)は、
全体として「生命の木」のどこにも適合しない。
-- ここまで ---

人間の物理的な「body/身体」は、アッシャー界における「生命の木」には、実によく
マッチするのですが、精神的な「consciousness/意識」になってくると、一気に難易度
がアップして、上級者向けの話になってきます。

なぜなら、この「consciousness/意識」というものは、現代科学においても、ほとんど
分かっていないシロモノであり、それゆえ、頭で考える「理屈」が通用しないからです。
つまり人類は、いまだに「我思う、故に我有り」という状態から抜け出せていないのです。

さて、その厄介なる「意識」ですが、「生命の木」においては、「Personality/人格」の
レベル、つまり「星幽的三角形」のあたりに存在していると考えられます。
そしてそれは、我々の肉体器官である「脳」という「マルクト」を通じて作用しているため、
「ネツァク」「ホド」「イェソド」「マルクト」と、それらを繋ぐ「小径たち」に、密接に
関わっていると考えられます。
問題は、「考えられる」という想像レベルで終わってしまっていることであり、明確に、
ここがこういうふうに働いて、意識が作られている、とは言いにくいところなんですよね。
まあ要するに、ワタシも良くわかっていないのですよ。 (^_^;
0054名無しさん@占い修業中垢版2017/01/14(土) 07:19:50.79ID:osaQoiuN
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 144) ---
The package of thoughts and feelings which we observe does not seem specifically
applicable to any Sephira or Path.
我々が観察する思考たちと感情たちの包みは、どの「セフィラ」や「小径」にも明確に
当てはまるようには見えない。

It can be said that Hod is intellect, that Netzach is intuition and feelings, or
even that Yesod is our faculty of imagination.
「ホド」は知性であり、「ネツァク」は直観と感情であり、さらにまた、「イェソド」は
我々想像力の能力であるとさえも言われることができる。

But when we think about something we are not functioning exclusively in Hod,
anymore than when we use our imagination we are funcioning exclusively in Yesod.
しかし、我々が何かについて考える時は、我々は「ホド」において排他的に機能している
ということはないし、ましてや、我々が我々の想像力を使う時は、我々は「イェソド」に
おいて排他的に機能しているということでもない。
-- ここまで ---

世間にある様々な精神理論はさておき、実際に我々自身の具体的な「思考と感情」を
観察していくと、それらの中身は明確には分離できないように思われてきます。
まあ、物理的なアッシャー界においては、それらのものは全て「脳」という一つの器官の
中で行われているのは明確なのですが、精神的な意味での自分自身の「脳内世界」の
話になってくると、てきめんに自分自身でも理解不能なものとなってしまうのです。

もちろん、ユング心理学の「直観」「思考」「感情」「感覚」のような、個別の判断要素
となりそうなものは、あることはあるのですが、実のところ、それらは密接に絡んでいて、
個々に分離して論じてしまうと、あまり意味を成さないことになっているんですよね。

なぜなのか? そしてどうすればいいのか?
まあ、それが分かれば、こんな苦労はしないわけですよ! ←見苦しい開き直り (^^;
0055名無しさん@占い修業中垢版2017/01/14(土) 14:17:49.07ID:8V2qc1Nt
初めてこのスレを覗いたんだけど
掲示板なのに誰とも会話してないスレなんだね。
なんで?
0057名無しさん@占い修業中垢版2017/01/15(日) 09:15:11.26ID:IECL2XcZ
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 144) ---
These qualities are not specific, they are fluid and interwoven.
これらの品質たちは具体的ではなく、それらは流動的で、織り合わされている。

In fact, we are, of necessity, functioning on all Paths at once.
実のところ、我々は、必然的に、全ての「小径たち」に基づいて機能を果たしている。

Our Personality consciousness is the combined effect of what happens on these
lower Paths.
我々の「人格」の意識は、これらの下部の「小径たち」の上で起きていることの結合された
効果である。
-- ここまで ---

「These qualities/これらの品質たち」、すなわち「直観」「思考」「感情」「感覚」
などと呼ばれている「脳内世界」の話は、現代科学をもってしても、直接観測することが
困難であり、かつ取り扱いに困るシロモノです。
結局、自分で自分を観測するしかないのですが、自分で自分の「脳内世界」を観測する
のも非常に困難なので、それゆえ「心理学」という境界分野の学問領域なんですよね。

というのは、人間って、自分自身に対して(まあ、誰に対しても、ですが)正直ではない、
すなわち「誰に対しても嘘をつく」という性質があるからです。
そして、「お前が犯人だろ」「いえ、ワタシはやってません」の取り調べを、自分の中で
しっかりやらないといけないわけです。
さらに、その「警察官」と「犯人役」のやり取りを、第三者が客観的に見ることができる
よう言語化する「書記官」みたいな役割も必要となりますので、なかなか大変です。

つまり、警察官と検察官と書記官になるべく、しっかりと勉強して訓練しておかないと、
そう簡単に「自分の中の人」の本当の姿を知ることは出来ないし、中途半端な技量の
ままで直接対決すると、あっさりと自分自身の中の人に欺されてしまって、自分自身の
ことを勘違いしてしまう目に遭うんですよね。
0058名無しさん@占い修業中垢版2017/01/15(日) 09:55:42.80ID:8QzIDvc8
>>56
反応が無いってのも寂しいね。
自分にこれだけのカバラの知識があれば良かったんだけど
あいにく何が何の話なんだか、さっぱりわからん。ごめんねー
0060名無しさん@占い修業中垢版2017/01/16(月) 06:28:11.93ID:VBiIWjG1
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 144) ---
We cannot separate our thinking capacity from our feeling capacity, but we can
focus on either (the Alchemical process of “Dissolution”).
我々は、我々の感情能力と我々の思考能力を分離することはできないけれども、我々は、
どちらの方でも焦点を合わせることができる(「溶解」の錬金術の過程)。

To do so is to begin the conscious travelling of a Path, where we encounter the
trail left by many others who have pursued the same process.
そうすることは、我々が、「小径」の意識的な旅行を始めることであり、そこで我々は、
同様の過程を追求したことがある、他の多くの人々により残された、踏みならされた小道
に出会う。

The Paths are partly the artificial separation out of twenty-two discrete aspects
of consciousness; they are also the encounter of the same specific qualities in
the Universal consciousness of mankind.
「小径たち」は、部分的には、意識の22の別々の様相たちの中からの人為的な分離である;
それらはまた、人類の「普遍的」な意識における同様の具体的な品質たちとの遭遇でもある。
-- ここまで ---

我々の脳内世界にある「品質たち」、すなわち「直観」「思考」「感情」「感覚」などは、
脳という媒質の中に、渾然一体となって溶けて混じり合っているので、それら一つ一つを
分離して抽出して取り出すことは不可能です。
でも、我々は、我々の脳内において、自らの意識を、「直観」「思考」「感情」「感覚」の
いずれかに集中することは可能です。
よくあるのは、「考えるな!感じるんだ!」ですよね。

そして、それらを自らの脳内で、じっくりと分析していくと、個人的な自己の脳内世界が、
先達たちが我々に残してくれた、22の「小径たち」で象徴される、人類の普遍的な世界観
と一致しているということが、段々と理解できて来るということです。
0061名無しさん@占い修業中垢版2017/01/17(火) 06:18:36.57ID:e7LwuhbF
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 144) ---
Using the formula "As Above, so Below," we begin by studying our own personal
intellectual and intuitive functions.
「上の如く、下も然り」の公式を使うことで、我々は、我々自身の個人的な、理知的で
直観的な機能たちを勉強することから始める。

As we begin to understand these, we also begin to recognize their patterns in all
created human beings.
我々がこれらを理解し始めるにつれて、我々はまた、全ての創造された人間たちの中に
ある、それらの様式を認知し始める。
-- ここまで ---

「intellectual and intuitive functions/理知的で直観的な機能たちを勉強すること」と
いうのは、「感情」や「感覚」ではなく、「直観」と「思考」、すなわち、ごく普通に
行われている勉強から始めようということです。
つまり、基礎知識を習得し、それを頭で理解し、次にそれを「自分自身」に実践的に応用
して、体で覚えるということですよね。
まあ、ごく当たり前のことなのですが、その当たり前のことが当たり前に出来ないのが、
「人間」という存在ですけどね。

ちなみに、オカルトを「直観」と「思考」で語ろうとすると、その論法には神秘学的な
「formula/公式」が必要とされますので、それらの基礎的な定義や定理や公式について、
きちんと理解して使いこなせるようになっていないと、なかなか大変です。
つまり、部外者には、何を言ってるのか、さっぱりわからないという状態になるわけです。

とはいえ、全ての人間に、「直観」や「思考」や「感情」や「感覚」はあるわけですので、
意識してバランス良く習得していくという態度が必要でもあるわけです。

そうして、自分自身の内なるものを見つめていくことで、他の全ての人間たちのことも、
段々と理解できるようになっていくという流れになっていくわけですよね。
0062名無しさん@占い修業中垢版2017/01/18(水) 06:11:57.66ID:ZDUAO6zR
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 144) ---
It may, thus, be appreciated why it is only possible to express these qualities
in terms of symbols.
このようにして、象徴たちの観点からのみ、これらの品質たちを表現することが可能である
理由が、正しく理解されるかもしれない。

The separation of the Body, the Personality, the Higher Self and The Spirit is
only conceptual, the symbols providing a focus for study of any specific aspect
of the inherently indivisible whole.
「身体」、「人格」、「高次の自我」、および「霊」の分離は、ただ単に概念的なもので
あり、本質的に不可分の全体の、何か一つの具体的な様相の研究に向けた焦点を提供して
いる象徴たちである。
-- ここまで ---

オカルトの世界では、一般的な勉強のように言語や数式を使って、世の中の物事を理解して
いくのではなくて、より多義的で多面的な意味を含む「symbols/象徴たち」を使い、そして
我々の中にある目に見えない「内なる世界」を通じて、探究していくわけです。

「言語や数式」というのは、基本的には、物事の「一面」を表します。
それに対して、「内なる世界」は、見方によって、様々な「aspect/様相」を有しており、
一種のホログラムみたいなものになっていますので、それゆえ「言語や数式」でそれらを
完全に表現することは不可能です。
もちろん、単純化することで、一部の概念の「言語化」や「数式化」は可能なのですが、
それはあくまでも「一面」でしかないことは、理解しておかないといけません。

つまり、「内なる世界」が持つ「様々な面」を統一的に記述するための方法としては、
我々は今のところ「象徴」に頼る以外には無いわけであり、それゆえ、我々は「象徴」
の持つ多義的で多面的な意味について、慎重に理解を深めていく必要があるわけです。
そして、その勉強の助けとなるのが、これ以降に解説される、タロットの大アルカナの
象徴たち、というわけですよね。
0063名無しさん@占い修業中垢版2017/01/20(金) 06:14:44.12ID:gMvadtBB
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 145) ---
32. THE PATH OF TAU
32. 「タウ」の小径

 The Universe
 宇宙

 The Twenty-first Key
 21番目の鍵(大アルカナ)
-- ここまで ---

ここから、「生命の木に基づく大アルカナ」の章の中での新しい節になります。

サブタイトルは「タウの小径」です。

さて、ついに最初の「大アルカナ」のカードの解説に到達したわけですが、ここで改めて、
「大アルカナ」の勉強方法について確認しておきたいと思います。

よく言うのですが、占いにおける「大アルカナ」の勉強法では、カードの意味を「覚える」
のではなく、カードの意味を「考える」、「感じる」、「ひらめく」ということを重要視
します。
もちろん、「覚える」ことを否定するわけではないのですが、それはもう重要ではないし、
そもそも記憶に頼る勉強法は、「小アルカナ」まででしか通用しません。
つまり、はっきり言って、「大アルカナの意味」として本などに書かれている文字列は、
実のところ「大アルカナの意味としては、意味の無いもの」であり、実のところ、ほとんど
役には立たないというか、的外れなものばかりなんですよね。

じゃあ、意味を覚えることがダメなら、どうやって勉強すればいいの、ということになる
わけですが、それは、今まで何度も述べてきたように、下位概念である意味を導き出す、
上位概念である「象徴」について勉強する、ということになるわけですよね。
0064名無しさん@占い修業中垢版2017/01/21(土) 07:04:13.28ID:BiNBacNz
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 145) ---
□ PATH COLOR: Indigo
□ 「小径の色」:「藍色」

□ RELATED SOUND: A Natural
□ 「関連した音」:「Aのナチュラル」

□ PLANET: Saturn
□ 「惑星」:「土星」

□ MEANING: Tau Cross, Equal Armed Cross
□ 「意味」:「タウ十字」、「等しい腕の十字(ギリシャ十字)」

□ DOUBLE LETTER: Power-Servitude
□ 「複字」:「権力と隷属」

□ ESOTERIC TITLE: The Great One of the Night of Time
□ 「秘伝的な称号」:「時の夜の偉大なるもの」
-- ここまで ---

この本の、この文章の右側には、「タウ十字」と、「等しい腕の十字」と、ヘブライ文字の
「タウ」と、「土星」の占星術記号、および「生命の木」における「タウの小径」の位置が
図示された絵が描かれています。

まず、「PATH COLOR/小径の色」の項は、ゴールデン・ドーン体系における『黄金の夜明け
魔術全書』の「第五知識講義」の「4つの色階」の表において、「大アルカナ」は「王の
色階(アツィルト)」に属しているので、その32番目にある「Indigo/藍色」になります。

(次に続く)
0065名無しさん@占い修業中垢版2017/01/21(土) 07:05:08.30ID:BiNBacNz
(前の続き)

「RELATED SOUND/関連した音」の項は、ゴールデン・ドーン体系においては、その音階
は「A Natural/Aのナチュラル」、すなわちシャープもフラットも付かない基本の「ラ」
の音階(基本周波数は440Hz)であるとされています。

「PLANET/惑星」の項は、「タウ」が複字ですので、『セフェル・イェツィラー(形成
の書)』においては「惑星」に属し、ゴールデン・ドーン体系においては、そのうちの
「土星」に配属されます。

「MEANING/意味」の項は、ヘブライ文字の持つ意味であり、『黄金の夜明け魔術全書』の
「第一講義文書」の「ヘブライ文字アルファベット」表にある「Cross/十字」に関連する
ものとなっています。

「DOUBLE LETTER/複字」の項は、『セフェル・イェツィラー(形成の書)』の第四章に
ある「対立する意味」のうち、「Power-Servitude/権力と隷属」となっています。

「ESOTERIC TITLE/秘伝的な称号」の項は、『黄金の夜明け魔術全書』の「"T"の書」の
最初にある「タロットの象徴たちの称号たち」の表の、78番に書かれているものです。

とりあえず、以上が、「タウの小径」を象徴するものたちとなります。

だから何、とは聞かないでください。

その理由は、自分自身で考えるのですから。
0066名無しさん@占い修業中垢版2017/01/22(日) 07:10:48.00ID:ExQMbeJ7
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 145) ---
The Thirty-second Path is the Administrative Intelligence, and it is so called
because it directs and associates, in all their operations, the seven planets,
even all of them in their own due courses.
「知恵の32の小径たち」:「32番目の小径」は「管理する知性」であり、 それは7つの
惑星たちの、それら全ての運行たちを、さらにそれらの全てにそれら自身に相応の進路を、
指導し関連付けるがゆえに、そう呼ばれる。
-- ここまで ---

ここは、ウェストコット氏の英訳版『The Sepher Yetzirah/セフェル・イェツィラー
(形成の書)』の「THE THIRTY-TWO PATHS OF WISDOM/知恵の32の小径」からの引用です。

要するに、我々に見える宇宙の動きを制御する、運動神経系の末端神経節のような部分で
あって、この働きにより、我々の宇宙の構成要素である「7つの惑星たち」が運行している
ということになります。

ちなみに、「31番目の小径」と「30番目の小径」も、天体の運行に影響する要素となって
いますので、占星術の世界は、「生命の木」においては、このあたりの領域となっています。

さて、この「32番目の小径」は、天体の動きを最終的に司る「末梢神経節」であるため、
ここをうまく乗っ取ってやれば、理論上は、この宇宙もしくは太陽系を支配することも
可能となるわけであり、それゆえ我々にとっては、最も魅力的な領域でもあるわけです。
逆に言うと、「小径たち」を真に制覇するのって、いきなり最初からハードルが高いと
いうことでもあるわけです。

とはいえ、この宇宙である「マクロコスモス」の「小径たち」に対しては、我々は一般
ユーザであるため、書き込み権限を持たず、読み出しのみ可能なんですよね。
つまり我々は、その劣化コピーである自分自身の「ミクロコスモス」にハッキングして
書き込んでみて、その働きを色々と試してみるしか許されていないのでした。
0067名無しさん@占い修業中垢版2017/01/25(水) 06:23:02.31ID:2Ba/5hxm
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 145) ---
Study of the Paths begins not with the first card, THE FOOL, but with the last,
THE UNIVERSE.(*97)
「小径たち」の勉強は、最初のカードである「愚者」ではなく、最後の「宇宙」から
始まる。(*97)
-- ここまで ---

ちなみに、(*97)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 271) ---
97. Refer also, on each card to "Notes on the Tarot," by Mathers, Golden Dawn,
v. I, 141-143 with the "unofficial" discussion of the Tarot Keys, v. IV. ('Book
T'), 209.
97. また、各々のカードにおいては、マサース著の『黄金の夜明け魔術全書』第一巻
141-143ページの「タロットに関する覚書」を、「タロットの鍵たち(大アルカナ)」
第四巻('Tの書')の209ページの「非公式」の考察と共に、参照すること。
This article, entitled "The Tarot Trumps," is signed by "Q.L.," meaning "Quaero
Lucem" the Stella Matutina name taken by Mrs. Felkin.
「タロットの大アルカナたち」という表題を付けられた、この論説は、フェルキン夫人と
思われる「暁の星」団の名前である「探す光」の意味の「Q.L.」により署名されている。
She obviously lacked the profound understanding of the Tarot of either Mathers
or Crowley, but these descriptions have some utility.
彼女は明らかに、マサース氏やクロウリー氏の両者のようなタロットの深淵な理解が欠けて
いたが、しかしこれらの記述には、いくらかの有用性がある。
They are, surprisingly, the only discussion of the Golden Dawn Trumps.
それらは、驚くことに、「ゴールデン・ドーン」の「大アルカナ」の唯一の議論である。
Mathers confined his explanation to those few cards used in the early rituals.
マサース氏は、初期の儀式たちで使用された、これらの少数のカードたちについての、
彼の説明を限定した。
--- ここまで ---
とあります。
0068名無しさん@占い修業中垢版2017/01/26(木) 06:16:48.03ID:0qshZo/+
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 145) ---
This is because we ascend the Tree of Life, working from our material perspective
("below") to the realms of Pure Spirit ("above").
これは、我々が「生命の木」を登るからであり、我々の物質的な見方(「下」)から、
「「純粋な精霊」の領域(「上」)へと向かって勉強することである。
-- ここまで ---

この本の「小径たち」の勉強では、最後の21番の「宇宙」を出発点とし、最初の0番の
「愚者」を目的地として旅します。
そして、その根拠は、(*97)の「The Tarot Trumps/「タロットの大アルカナたち」の最後
のあたりに、何となく書かれているということです。

ちなみに、この「下から上へ」という勉強法は、ワタシ自身も普通に使う勉強法であり、
最初に「世界」という「生命の木」の入り口でお姉さんと少々遊んでから、「生命の木」
の深遠なる世界の中へと入っていくのが好きです。

というか、ゴールデン・ドーンのカードの「世界」のカードって、どう見てもネオン街に
立つ、「ちょっとワタシと遊んでいかない?」的な人にも見えるわけで、ワタシにとって、
とても親しみが持てるというか、かわいいお姉さんに誘われてるから、ちょっと中に入って
みようか、という感じで、ついフラフラと「大アルカナ・ワールド」へと遊びに行きたく
なるんですよね。

つまり、「世界」から入るのがいいか「愚者」から入るのがいいかと聞かれたら、ワタシ
は迷わず、「世界」から入ることを選択します。

当然ながら、これはタロットをデザインした人の意図でもあるわけで、それゆえ我々の
ような煩悩にまみれた下界の人間は、妖艶なるお姉さんのいる俗っぽい「世界」のカード
から入り、聖なる「小径の旅」へと旅立つことが適切であると考えられるわけですよね。
0069名無しさん@占い修業中垢版2017/01/27(金) 06:19:57.36ID:ukc1sDJ0
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 145) ---
Our understanding of the more refined universal patterns is based on what we learn
on this earth.
より洗練された普遍的な様式たちの我々の理解は、この地球の上で我々が学ぶものに基づく。

It is with the earth that serious esoteric work begins and ends, as long as our
Divine Consciousness is functioning through a physical vehicle.
我々の「神の意識」が物質的な媒体を通じて機能している限り、真剣な秘伝的な勉強が
始まり、そして終わることは、地球と共にある。
-- ここまで ---

「生命の木」の「小径たち」は、この「宇宙」のカードを起点とし、「大宇宙への旅」と
「小宇宙への旅」の二つのルートが、もつれ合いながら進行していきます。
そして、どちらも行き着く先は「ケテル」ですよね。

つまり我々は、我々のいる地点において、しっかりと地に足を付け、意識においても
自分自身を見失うことなく、すなわち「我ここにあり」という基底的状態を出発点とし、
上へ、そして下へと旅することが大事であるということです。

そして、その旅する上で重要なのは、今まで我々が地上で勉強してきたこと、つまり普通
の勉強で得られた知識や、普通の人生で得られた経験なのです。
要するに、妄想じみたオカルトの勉強をいくらしてみたところで、「宇宙への旅立ち」の
役には立たないということなんですよね。

とはいえ、この「大宇宙への旅」や「小宇宙への旅」というのは、現代科学においても
超絶最先端の分野であり、シロウトが簡単に知識を習得できるようなレベルでもないわけ
でして、それゆえ難解かつわけわからないシロモノでもあるわけですよ。
現代におけるプロの研究者でさえ理解できない分野を、我々のようなアマチュアのオカルト
ヲタクが、あれこれと詮索するということですので、あまり真剣にならずに、一つの娯楽と
割り切って楽しんでもらう方がいいのかな、と思ったりするわけなのでした。
0070名無しさん@占い修業中垢版2017/01/28(土) 06:41:53.53ID:wc2rSOi/
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 145) ---
The Path of Tau, THE UNIVERSE, joins Malkuth (the Earth) with Yesod (the Foundation).
「宇宙」である「タウの小径」は、「イェソド(基盤)」と「マルクト(地球)」を結合する。

It is the first Path out of the material condition and leads toward an understanding
of the Personality forged by the Higher Self of Tiphareth for each incarnation.
それは、物質的な状態から脱する最初の「小径」であり、各々の肉体化のために「ティ
ファレト」の「高次の自我」により作り上げられた「人格」の理解へと導く。
-- ここまで ---

我々「人間」は、ざっくり言うと「肉体」と「精神」の二つの要素から成っています。
そして、それらを繋ぐ最初のものであり、かつ最重要のものが、この「タウの小径(宇宙)」
になります。

そしてこれは、「the first Path out of the material condition/物質的な状態から
脱する最初の小径」であるのと同時に、我々が「物質的な状態へと入る最後の小径」でも
あります。
すなわちこれは、我々が「マルクト(地球)」に産まれ落ちる経路そのものであり、
それゆえ、我々が地上から見上げる「宇宙」のカードのデザインは、偉大なる「母なる
宇宙」、はーちゃんのはいてないまるみえのお○○こということになるわけです。

そして、我々が「タウの小径」を遡るには、実は二つの方法があります。
一つは、時間を巻き戻して、母なる胎内へと戻ることであり、もう一つは、時間を早送り
して、死して肉体を離れて霊となって、再生のために母なる胎内へと戻ることです。

そう、「タウの小径」って、実は「マルクト」の三次元空間の上位にある、四次元時空
を構築している「時間軸」をも司っているんですよね。

まあ、難しいことは抜きにすると、このカードは、我々にとっての「聖四文字」である
お○○こを象徴するというのが結論なのです。←強引な結論w
0071名無しさん@占い修業中垢版2017/01/29(日) 06:05:01.72ID:iGBSMp7W
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 145) ---
The Thirty Two Paths of Wisdom calls this the "Administrative Intelligence," and
says that it "directs and associates in all their operations the seven planets."
「知恵の32の小径たち」は、 これを「管理する知性」と呼び、そして、それは「7つの惑星
たちの、それら全ての運行たちを、導き関連付ける」と言う。

Symbolically, this Path connects the earth with the balanced powers of Microprosopus
represented by the Hexagram (seven planets on the Tree of Life.)
象徴的に、この「小径」は、地球を、「六芒星形」により表される「ミクロプロソプス
(小さな顔)」(「生命の木」の上の7つの惑星たち)の釣り合いが取れた力たちと接続
している。
--- ここまで ---

「大宇宙」および「小宇宙」の出入り口となる「宇宙」のカードの「門」は、我々に
向かって開かれています。(エロい意味で)

そしてそこにあるのは、童貞、いやいや地上に住む我々にとっては、ほぼ未知の世界であり、
そこで初めて、未知の体験をするということになります。

じゃあ、このエロい体験が、何で「Administrative Intelligence/管理する知性」と
呼ばれなければならないのか、ということですが、要するに、この32番目という最低準位
にある知性のレベルにおいては、そういう動物的とも言える人間の「低次の意識レベル」
を、上位陣の力を借りて、しっかりと本能的な欲望を管理して、余分なものをふるい落と
していく役割があるのではないかと、勝手に解釈しているのでした。

まあ、そういうわけで、ほとんどのエロ目的の童貞たちは、このゲートで待つお姉さんに
シコシコしてもらうことで満足して帰ってしまう(管理される)ので、そういう管理された
エロ・トラップを越えて、さらなる神秘の秘門へと立ち入ろうとするような物好きな人間
って、実はほとんどいないわけなんですよね。
以上、勝手な妄想ですが。w
0072名無しさん@占い修業中垢版2017/01/30(月) 06:19:13.98ID:vdpJW+lk
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 146) ---
Tau is the last letter of the Hebrew alphabet.
「タウ」は、ヘブライ語アルファベットの最後の文字である。

Between Aleph and Tau is the entire universe, referred to in Christian Greek terms
as the Alpha and Omega, the beginning and the end.
「アレフ」と「タウ」の間には、キリスト教ギリシャ語の用語たちにおいて、「アルファ」
と「オメガ」、始まりと終わり、と呼ばれている、完全なる宇宙がある。

Tau means cross, a T-Cross as well as one which is equal-armed, which is appropriate
to its position on the Cube of Space as described in the Sepher Yetzirah.
「タウ」は、「セフェル・イェツィラー(形成の書)」において説明されるように「宇宙
の立方体」の上でのその位置にふさわしい、「十字」を、「等しい腕の十字(ギリシャ
十字)」だけでなく「タウ十字」をも意味している。
--- ここまで ---

「アレフとタウ」、「アルファとオメガ」、日本語だと「一から十まで」といった感じで、
この世の全てのものを包括的に表現する用語です。

『セフェル・イェツィラー(形成の書)』においては、「タウ」は、この宇宙の中心点を
表しており、それゆえ、東西、南北、上下の直行軸が交差(cross)する地点でもあり、
それゆえ、「十字」という意味が象徴的に使われているということです。
元々のヘブライ文字の意味も、「Cross/十字」ですので、なかなか良く出来ていますよね。

実のところ、物質界を統べる法則は、この「タウ」の交差で表されるように、数々の法則が
多次元的に組み合わさったものですので、我々の知る物理法則の多くは、この「タウ」と
いう、我々の物理界の一つ上にある抽象化次元において論じることのできるものも、
数多くあるというわけです。
注意すべきは、それらの法則は、あくまでも上位法則の「Cross/交差」により生まれた
見かけの法則であって、真の法則は、まだ隠されているということなんですよね。
0073名無しさん@占い修業中垢版2017/01/31(火) 06:08:30.78ID:Atm2hKGo
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 146) ---
That book refers to Tau as the "Palace of Holiness, sustaining all things."
その書物は、「タウ」を、「全ての物事たちを支える、神聖なる宮殿」と言及する。

It is both "Power and Servitude."
それは、「権力と隷属」の両方である。
--- ここまで ---

「タウ」は、「セフェル・イェツィラー(形成の書)」の第四章において、「Palace of
Holiness, sustaining all things/「全ての物事たちを支える、神聖なる宮殿」と説明
されているように、この宇宙の物質化という点において、最も重要な地点となっています。

そして、「タウ」は「Cross/十字」であり、かつ、その文字の形を見てわかるように、
上で支えられている一本の棒と、下で支える二本の棒から成ります。
この両者の関係を、「権力と隷属」という見方で、どう解釈するかですよね。

つまり、上で支えられる側が「権力」で、下から支える方が「隷属」と見ることも出来ます
し、下から支える方が「権力」で、、上で支えられる側が「隷属」と見ることも出来ます。
さらに言うと、上で支えられている一本の棒と、下で支える二本の棒から成る宮殿全てが
一体となって、「権力と隷属」を一体的に象徴すると考えることもできます。

つまり、我々は、「タウ」の「権力」に隷属することもできるし、権力により「タウ」を
「隷属」させることも出来るわけです。
そして、そういう「攻め」と「受け」の二面性があるからこそ、「タウ」の世界で遊ぶのは
楽しいし、なかなか飽きることもないということなんですよね。

実際のところ、ここら辺りで楽しく遊んでいるのが、一番楽しいのであって、ここから先は
わけわからない茨の道が続くわけですので、さっさと脱落した方がいいというのも確かです。
0074名無しさん@占い修業中垢版2017/02/01(水) 06:14:33.83ID:iilRWPeQ
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 146) ---
And, when considered on the Cube of Space, it is found to be at the exact central
point of the three Maternal Letters, Aleph, Mem and Shin, the symbolic forms of
energy from which manifestation was created.
そして、「宇宙の立方体」において考慮される時には、それは、3つの「母字たち」である、
「アレフ」、「メム」、そして「シン」、すなわちそこから顕在化により創造された精力の
象徴的な形態たちの、正確な中心点であることが分かる。

The Path of THE UNIVERSE is the key to all of this because it falls at the point
where they all cross (refer again to Figure 24).
「宇宙」の「小径」は、それら全てが交差している地点において、それが降下するので、
これの全ての鍵である(再度、図24を参照すること)。
--- ここまで ---

「宇宙の立方体」における「母字」の配属は、『セフェル・イェツィラー』由来のもの
ではなく、近代の定義によるものですので、ワタシ的には、あまり重要視するものでは
ないと思うのですが、とりあえず、ここでは、重要な「key/鍵」であるとされています。

とはいえ、「母字」の話を抜きにしても、この「タウ」が、この上位世界の宇宙の中心点
にあるということは『セフェル・イェツィラー』にも明記されているわけですし、この
中心点から、我々の物質的な下位宇宙が「manifestation/顕在化」によって創造された
というのも確かです。
すなわち、現代宇宙論で言うところの「ビッグパン」の中心ということですよね。

さて、この「宇宙の立方体」の理論に従えば、我々の物質宇宙と繋がっているのは、この
「タウの小径」だけという話になるわけで、これは「生命の木」の「マルクト」に繋がる
「三本の小径」の理論体系とは、整合性がありません。

この矛盾点がどこから来ているのかを考えてみることは、「生命の木」や「小径」の理解
にも繋がりますので、みなさんも、ぜひ色々と考えてみてください。
0075名無しさん@占い修業中垢版2017/02/02(木) 06:22:57.41ID:U8Zh8xoB
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 146) ---
This crossing point, where these primary energies are balanced, is the sanctum
sanctorum of the devotional mysteries.
これらの主要な精力たちが釣り合いの取れた場所である、この交差する地点は、信仰の
神秘的教義の「至聖所」である。

Some writers have even described this Path as "Heaven," or "Nirvana," meaning that
here one experiences the consciousness of the greater universe, an ultimate reality
by comparison with our sensory condition.
何人かの作家たちは、この「小径」を、我々の感覚の状態との比較することにより、ここで
人がより大きな宇宙の意識や、究極の実在を経験することを意味する、「天国」、もしくは
「涅槃」と評しさえしたことがある。

And by the formula of "As above, so below," we understand that our experience of
the completed universal pattern below tells us something about the Creator above.
そして、「上の如く、下も然り」の公式に従って、我々は、下位の完成した普遍的な様式の
我々の経験は、上位の創造者についての何かを我々に語る、ということを理解する。
--- ここまで ---

まあ、難しい話を抜きにして要約すると、下位の「マルクト」にある我々が、「宇宙」の
お姉さんの○○○○に向けて上向きに精力を注ぎ込むことで「別人格の人間」すなわち
「新たな小宇宙」を産み出すという行為は、創造者が「ケテル」に向けて精力を注入する
ことで、「新たな大宇宙」を産み出すのと、似たようなものであるということです。

そういう意味では、我々人間は「創造神」の鏡像であり、我々自身を知ることは、創造神
を知ることと同等であるという屁理屈が成り立つわけです。
つまり、神秘的教義の「至聖所」は、視点を変えれば、よくあるエロ教義の「至性所」と
なるわけですが、神秘的教義のお題目である「上の如く、下の然り」の信仰にこだわる
限り、それらを区別することは不可能なんですよね。
ですので、きちんと見定めて、欺されないようにしましょう。
0076名無しさん@占い修業中垢版2017/02/03(金) 06:21:16.30ID:U/QIc0s2
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 146) ---
One symbol which can be applied to both THE FOOL and THE UNIVERSE, the beginning
and the end, is the Swastica or Gammadion.
始まりと終わりである、「愚者」と「宇宙」の両方に適用できる1つの象徴は、「まんじ
(卍)」または「かぎ十字」である。

In Kether its arms spin so rapidly that they merge and are perceived as a unified
point.
「ケテル」においては、その腕たちはとても速く回転するので、それらは溶け合い、統合
された点として知覚される。

Such is the lesson of THE FOOL.
そのようなものは、「愚者」の学課である。
--- ここまで ---

「Gammadion/かぎ十字」は、ギリシア文字の「gamma/ガンマ」の大文字であるΓΓ」を
四つ放射状に配置したものであり、「Swastica/まんじ(卍)」とは曲がり方が逆に
なっています。
そして、「まんじ(卍)」と「かぎ十字」の両方とも、「ケテル」に配属されており、
それらは「ケテル」においては「高速回転を伴う十字」を象徴しています。
その一方で、回転を伴わない普通の十字は「マルクト」に配属されています。

そういうわけで、最初のセフィラである「ケテル」の「まんじ(卍)」と「かぎ十字」が、
最初の小径である「愚者」に、そして最後のセフィラである「マルクト」の「等しい腕の
十字(ギリシャ十字)」が最後の小径である「宇宙」にも割り当てることができるという
理屈になるわけですが、なぜかついでに、「まんじ(卍)」と「かぎ十字」も「宇宙」に
割り当てようということです。
これはつまり、「宇宙」は、高速回転を伴わない、すなわち知覚可能なほど低速回転して
いる劣化「ケテル」の「まんじ(卍)」であり、「マルクト」で回転が停止して「十字」
になる一歩手前の状態を表しているということになるわけですよね。
0077名無しさん@占い修業中垢版2017/02/04(土) 06:59:56.88ID:PSeJfs7q
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 146) ---
On the Path of THE UNIVERSE, however, it could be said that the Swastica has slowed
its spin so that each of the arms is completely perceptible and are seen to be
perfectly balanced around the central point.
しかしながら、「宇宙」の「小径」の上では、「まんじ」がその回転を遅くしたところで
あるので、腕たちのそれぞれが完全に知覚可能であり、中心点の回りで完全に釣り合いが
取れていることが見られると、言われることができた。

This is the complete expression of The One in matter.
これは、「物質界における選ばれし者」の完璧な表現である。
--- ここまで ---

「The One in matter/物質界における選ばれし者」とは、すなわち「地上に降りた神」
もしくは「地上に降りた天使」のような存在であり、要は「この物質世界を統べる者」
そのものです。

そして、大きな翼をたたみながら着地する天の御使いのようなイメージでもいいですし、
ひらめく天の羽衣を纏った天女が舞い降りる姿でもいいですし、頭のてっぺんにくるくる
回転するタケコプターを付けたドラえもんが着地するイメージでもいいですし、とにかく
天空から地上に舞い降りる姿というものが、この「宇宙」の中にあるわけです。

そして、「上の如く、下も然り」。
つまり、天から舞い落ちてきた少女の下敷きになった「あなた」自身が、新たなる物語の
主人公、すなわち「物質界における選ばれし者」となって、新しい世界へと旅立ち、そして
混沌として波乱に満ちた、もう一つの世界を救うというストーリーもあるわけです。

「宇宙」が示す「タウの道」は、終わりでもあり、そして始まりでもあります。

新たなる物語の始まりを表すカードとしては、なかなか面白いデザインであると思いませんか。
0078名無しさん@占い修業中垢版2017/02/05(日) 08:09:10.85ID:9Kc3JiKD
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 146) ---
In discussing THE UNIVERSE we are really discussing the world of matter.
「宇宙」について論じる中で、我々は実際には物質の世界について議論する。

Most people have a dualist conception of themselves: they are body and mind, and
when they dream or meditate, the images which come to them are considered to be
divorced from the physical.
ほとんどの人々は、彼ら自身の二元論的な概念を持つ:それらは、肉体と精神、そして
彼らが夢を見ているか、もしくは暝想する時は、彼らのところに来る映像たちは、身体
から分離されると考えられている。

Yet the Mysteries have stated for generations that the cosmos is all mind, and that
the distinction between mind and body is one of perception, not of actuality.
けれども、「神秘的教義」は、宇宙は全ての精神であり、精神と肉体の区別は現実のもの
ではなく、知覚のうちの1つであると、何世代にもわたって、ずっと述べ続けている。
--- ここまで ---

つまり、我々が見たり聞いたり触ったり味わったりしていると我々が考えている「物質」
というものは、「神秘的教義」においては、我々が現実にそこにそのようにあると考える
ようにあるものではない、すなわち「リアル」とは見なされていない、ということです。

そして、「我思う、ゆえに我有り」という一人称視点を理解できるのであれば、「我、
其れを思う、ゆえに其れ有り」というような第三者的視点というものも、何となく理解
できるのではないかと思います。
つまり、この宇宙の全てのものは、我々が知覚することで初めてリアライゼーション、
すなわち実体化されるという、ちょっとだけ高度な話になります。

ややこしいのは、我々の精神は、肉体とは切り離せないので、どちらが卵でどちらが鶏
かという話になった時は、人類の世代だけでは完結せず、この宇宙の創造神となるべき
「最初に知覚する神」の存在を必要とすることなんですよね。
0079名無しさん@占い修業中垢版2017/02/06(月) 09:16:31.49ID:UYT/k66z
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 146) ---
In fact, when we close our eyes and see pictures, what we are first seeing is the
most refined form of matter, the images and energy forms which are closest to
the physical condition.
実のところ、我々が我々の目を閉じて映像たちを見る時に、我々が最初に見ているものは、
物質的な状態に最も近い、物事、像たち、および精力の形状たちの中で、最も多くの精錬
された形態である。

The concept which must be grasped (an admittedly difficult one) is that most of
the physical world is unseen.
把握されなければならない概念(疑いなく難しいもの)は、物質的な世界のほとんどは、
見えないことである。

It is for this reason that on the scheme of the Four Worlds, the Malkuth of Assiah
alone is described as our sphere of sensation.
「4つの世界たち」の体系において、「アッシャー」の「マルクト」だけが、我々の感覚の
天球と称されるのは、この理由による。
--- ここまで ---

我々の五感による感覚で認知できるものは、カバラの体系においては、「4つの世界」の
「アッシャー」という最下層の、そのまた最低準位にある「マルクト」に限られます。
感覚器官として最も優れている「目」であっても、遠くの方は、せいぜいアンドロメダ銀河
くらいまでしか見えないわけで、この宇宙全体から見ると、ごくごく一部なのです。
そして、近くであっても、小さいものは見えませんし、光を反射しない物質も見えません
し、何かに遮られていると見えません。

人間は、科学の力で、だいぶんと遠くの方まで、小さいものまで、光を通してしまうもの、
何かに遮られているものも、ある程度まで見ることができるようになってきてはいますが、
まだまだ人間には、見えない、そして知らない世界が、この宇宙には広がっているという
ことなんですよね。
0080名無しさん@占い修業中垢版2017/02/07(火) 00:33:46.95ID:aY9EXfwn
sage
0081名無しさん@占い修業中垢版2017/02/07(火) 08:45:43.38ID:sjv69pwR
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 146) ---
The idea is symbolized in the card by the seven pointed star representative of
the Seven Palaces of Assiah.
考え方は、「アッシャーの7宮殿」を代表する七芒星により、カードの中に象徴されている。

To experience the Path of THE UNIVERSE is to be taken to the gateway of these seven
palaces.
「宇宙」の「小径」を経験することは、これらの7宮殿の門に連れて行かれることである。
--- ここまで ---

ここでの「the Seven Palaces of Assiah/アッシャーの7宮殿」というのは、おそらく
「七惑星」、すなわち、我々の目に見える、間近の宇宙系である「可視太陽系」のこと、
つまり、我々が認知可能な「宇宙」の範囲である、「感覚の天球」の領域を表します。

そして、ウォン氏のゴールデン・ドーンのタロットでは、これを表す「the seven pointed
star/七芒星」が、裸の女神の足元に、さりげなく描かれています。

さて、この「宇宙」のカードが、上位世界への入り口であることは、おそらく誰もが直感的
に理解できるかとは思うのですが、それでも、多くの人は、黄道十二宮の輝くネオンサイン
に飾られた、裸の女神像に目を奪われていると思います。
そして、それらが、単なる客寄せのためのイルージョンであることは、賢明な人であれば、
うすうす気づいているかと思います。

そう、地上の我々にとって、「宇宙」のカードの中で最も重要な象徴は、実はこの○○○に
しか見えない「七芒星」であって、ここから大地に向けて噴出する「母なる女神」の○○○
の出てくる穴から、どうぞお入りなさい、という、とんでもない○○○○プレイなのです。

まあ、人間の出す○○○と比べれば、女神の○○○は聖なる○○○ではあるわけですが、
それでも、そういった象徴が堂々と描かれているということは、そういうプレイの要素が
魔術の中に含まれているということにもなるわけですよね。←酷い妄想w
0082名無しさん@占い修業中垢版2017/02/08(水) 06:10:32.31ID:Mo5WE1V0
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 146) ---
THE UNIVERSE symbolizes a Path where the components of the Universal Plan become
apparent, without necessarily being understood.
「宇宙」は、必ずしも理解されることなく、「普遍的な計画」の構成要素たちが明白になる
ところの「小径」を象徴している。

One may enter the Holy of Holies, and encounter these forces in such a way that
he is "in them, but not of them."
人は、「最も神聖なる場所」に入り、そして彼は、「それらの中にいるが、それらに属して
いない」ような方法で、これらの力たちに遭遇するかもしれない。
--- ここまで ---

「宇宙」のカードの下部に空いている「七芒星形」の「○門」から、宇宙の体内に入る
ことは、外からは窺い知ることのできない宇宙の体内で何が行われているかを知るための、
偉大なる第一歩となります。

とはいえ、その場所で行われていることは、物理的な身体に結び付けられている我々に
とっては、まだまだ理解することのできないものばかりです。
それに何より、ここはそのうち自然に排泄される場所ですので、たとえ道に迷ったとして
も、じっとしていれば、比較的安全に下界に戻って来れるという特典もあります。
まあ、まだまだ「お客様」というか、単なる異物扱いされているわけですけどね。

そして、ここから先の道を行くには、さらなる「of them=宇宙との一体化」が必要と
されるわけであり、それには必然的に「理解」が必要とされ、そして戻って来れなく
なる危険性も出てくるわけです。

つまり、この「宇宙の小径」は、我々のような入門者であっても、オカルト的なプレイが
比較的安易に楽しめる場所であり、そして、この「神聖なる場所」で女神様の「運」を
付けておくと、下界で色々と良いことがありそうな感じもするわけですよね。
0083名無しさん@占い修業中垢版2017/02/09(木) 06:15:15.38ID:wZehKSrN
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 146) ---
What is important is that, as opposed to other Paths, the energies are all present
in their full expression, and are self-balanced.
重要なことは、他の「小径たち」とは対照的に、精力たちが、それらの最大の表現において、
全て存在しており、自身で釣り合いが取れていることである。

This, as well as the idea that Tau is the central point of the Aleph, Mem and Shin
Paths, is what is meant by the equal-armed cross.
これは、「タウ」が「アレフ」、「メム」そして「シン」の中心点であるという考え方と
同様に、等しい腕の十字により意味されているものである。
--- ここまで ---

「タウ」は、最後の「小径」ですので、ほぼ全てが完成した状態となってから、最後の
「セフィラ」である「マルクト」へと出荷されていきます。
でも、「地」の要素が欠けていますので、完全に完成した状態ではないわけですけどね。

とりあえず、「タウ」には、「アレフ=空気」、「メム=水」そして「シン=火」が
バランスよく配合され、「マルクト=地」に注がれるという構図になるわけですが、
「生命の木」を見ると、「タウ」は「イェソド=空気」から出ていますので、どちらか
というと、「空気」成分が多めとなっています。
そういう意味では、「self-balanced/自身で釣り合いが取れている」とは言い切れない
わけで、他の「シン」や「レシュ」の「小径」を含めた形で釣り合っているようにも
見えるわけです。

とはいえ、その「濃さ」という意味においては、「イェソド」と「マルクト」を結ぶ
「タウ」が最も密度が高いのは確かですので、理論上は完全ではないにしろ、我々に
とっては、実用上は「self-balanced/自身で釣り合いが取れている」状態であると
言えるということも確かなのです。
要するに、我々にとっては、万能であって、使い勝手の良い「小径」の精力である、
ということになるわけですよね。
0084名無しさん@占い修業中垢版2017/02/10(金) 06:19:05.49ID:pEmggEla
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 147) ---
From the standpoint of practical mysticism, THE UNIVERSE may be considered the most
important card in the deck, for it is the point at which we begin the process of
inner exploration.
実践的な神秘主義の見地から、「宇宙」は、それが我々が内なる探究の過程を始める地点
であるため、デッキの中で最も重要なカードと考えられるかもしれない。

It is the point where we step abruptly into a reality that may be at once
frightening and reassuring because so much of what we encounter on this Path is
of our own making.
それは、我々が突然に実際に起こることに足を踏み入れる場所であり、この「小径」で
我々が遭遇するものの大半は、我々自身の制作物であるので、恐ろしいものであるのと
同時に、安心させるものであるかもしれない地点であることである。
--- ここまで ---

つまり、「宇宙」のカードで、お手軽に神秘体験は出来るけれども、その体験の大半は
自らが生みだしたもの、つまり、自らの肉体や精神の状態にまつわる生理的な「夢」に
似たようなものになる可能性が高く、それは本当の意味での「神秘体験」とは、また
ちょっと異なるものであるということです。

そういえば、「夢」って、割と「reality/リアリティ」があるというか、割と現実に
即した形で見ることが多いので、「夢」と「現実」が入り混じって混乱することも
あるのですが、これは「夢」が、あくまでも我々の「現実」の延長上にあるという
ことであり、これこそが、「我々自身が生みだした産物」であるということの証にも
なっているわけです。

要は、本当の「神秘」とは、我々の想像を超えた世界にあるものであって、それゆえ
簡単には理解できないシロモノであるわけですので、それについてあれこれ語るという
のも、なかなかしんどいものがあるんですよね。
だからこそ、「自分で経験してこい!」という放置プレイになってしまうわけです。
0085名無しさん@占い修業中垢版2017/02/11(土) 07:00:58.44ID:DL4V3AD6
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 147) ---
It is on this Path that we encounter our own individual personality consciousness,
all that is inside our heads, divorced from the security of physical reality.
我々が、物質的な現実の安全保障から切り離された、我々の頭の中にあるもの全てである、
我々自身の個々の人格の意識に遭遇するのは、この「小径」である。

It is the initiation of the Personality into its own structure, which is a
Microcosmic Universe.
それは、「人格」の、「ミクロコスモスの宇宙」であるそれ自身の構造への、参入儀式
である。

At the same time, we encounter symbols and ideas which are of a greater
consciousness than our own, and begin to see the ways in which our being relates
to a total universal picture.
同時に、我々は、我々自身のものより大きな意識についての象徴たちと考え方たちに
遭遇し、そして、我々の存在が、完全で普遍的な絵に関連しているという方法たちを
見ることを始める。
--- ここまで ---

「小アルカナ」は、物質的、そして肉体的な「束縛の鎖」からは逃れられない段階で、
それはそれで、自己の身体的なものを見失わないための安全装置でもあったのですが、
この「大アルカナ」で最初に遭遇する「宇宙」の「タウの小径」において、人は初めて
その「重い鎖の呪縛」から逃れ、新たなステージへと進む方法を学びます。

ついでに言うと、ここで「物質的」そして「肉体的」な関連付けが外れてしまいますので、
そこでもたらされる結果は、現世の「物質的」そして「肉体的」なものには反映されません。
要するに、新たなステージで得たものは、そのままでは、この世に持ち帰ることが出来ない
ものであるため、自分自身の中で、ほぼ精神的な面のみにおいて、しっかりと消化し吸収
しておかないといけないものなんですよね。
0086名無しさん@占い修業中垢版2017/02/13(月) 06:07:31.74ID:3KGGX8op
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 147) ---
This is a Path which can only be successfully travelled by those who have begun
to bring their Personalities into a self-understanding balance; those who have
not will find themselves tormented by phantoms of their own making, and the Gates
closed to them.
これは、彼らの「人格たち」を自己理解の平衡状態に至らせることをずっと始め続けて
いる人々のみが首尾よく通ることができる「小径」である;そうでない人々は、彼ら自身
が作る幻影たちにより苦悩する彼ら自身を見つけ出し、そして「門たち」は彼らに閉じる。

On the other hand, those who have truly come to grips with the life experience
will find inner help and encouragment at every step.
その一方で、本当に人生の経験を把握するためにずっと来ることを続けている人々は、
一歩ごとに、内なる助けと励ましを見つけ出すであろう。
--- ここまで ---

ここの「encouragment」は、「encouragement/励まし」の誤植ですかね。

なお、ここには「幻影たちにより苦悩する」と書かれていますが、当人たちが、それらが
幻影であると気づかなければ、それは幻影には見えず、彼らにとっては、まごうことなき
真実の姿に見えるわけです。

実のところ、これは非常にやっかいであり、結果的に多くの人々を惑わすものとなります。
自分だけは大丈夫とか、自分は他の人とは違うというような思い込み強い人ほど、ここの
落とし穴にハマって抜け出せないことになりがちです。

一つ言えることは、ダラダラまったりでもいいですので、気長に続けていくことです。
そうすれば、そこにあるのは苦悩の茨の道なんかではなく、頭の中お花畑の世界であること
が、何となくわかってくるのではないかと思います。
そう、最初の「宇宙」の「小径」の課程は、まずは肉体という重い鎧と鎖を脱ぎ捨てて、
より自由な世界へと旅立ち始めることなのですからね。
0087名無しさん@占い修業中垢版2017/02/14(火) 06:20:33.36ID:rExImtcD
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 147) ---
It is on the Path of THE UNIVERSE that one discovers the extent to which the process
of inner exploration is guided and, particularly, the very real protection and
assistance given mankind by the Archangels.
人が、内なる探究の課程が誘導される範囲と、特に、「大天使たち」により人類に与えら
れた非常に現実的な保護と援助を発見するのは、「宇宙」の「小径」の上である。

Until one begins these exercises, the Archangels are merely an abstraction,
something in which one can vaguely believe or disbelieve.
人がこれらの練習たちを始めるまでは、「大天使たち」は、単に、抽象概念であって、
人が漠然と信じているか、もしくは疑っているかもしれない何かにすぎないものである。
--- ここまで ---

人間が支配する「アッシャー界」。
天使が支配し、「小アルカナ」で象徴される「イェツィラー界」。
そして、大天使が支配し、「大アルカナ」で象徴される「ブリアー界」。
つまり、我々人間は、この最初の「大アルカナ」である「宇宙」のカードの作用により、
初めて「大天使」と遭遇するわけですよね。

とはいえ、最初は、このカードにある「宇宙への旅立ちの門」をくぐることが出来ずに、
「妖怪」の住む妄想世界へのトラップにハマってしまう人が続出する場所でもあります。
まあ、それはそれで楽しいわけですし、実生活に支障さえ無ければ、少々ハメを外すこと
は、我々の人生にとっても、ある程度は必要なことです。

とりあえず、あれこれと試行錯誤しながらでもいいので、この「宇宙の門」を見つけ出す
ということが、大天使のいる「ブリアー界」へと至る最初のステップになります。
とはいえ、ここの最初のステップを越えるのは、簡単な人は簡単なのですが、そうでない
人にとっては、おそらく一生かかっても越えられない壁であるのかもしれません。
まあ、あれこれ言うよりも、一度チャレンジしてみないと分からないんですけどね。
0088名無しさん@占い修業中垢版2017/02/15(水) 06:19:08.55ID:w7zNrllv
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 147) ---
A word of caution might be in order here.
警告の言葉は、ここの階層の中にあるかもしれない。

Insofar as THE UNIVERSE is a Path of entry to the Astral, it must be borne in mind
that the Astral "seeks to deceive."
「宇宙」が「星幽界」への入り口の「小径」である限り、「星幽界」は「欺くことに努める」
ということを、心に留めておかなければならない。
--- ここまで ---

せっかく「宇宙旅行」の話題で盛り上がっているところに、水を差すようで悪いのですが、
ここで改めて、「宇宙旅行」についての注意事項の確認です。

「宇宙」のカードは、我々の住む最下層の「アッシャー界」の「マルクト」から、一つ
上位の世界にある「イェツィラー界」の「イェソド」へと至る、最も人気のあるルート
です。
それゆえ、多くの成金の田舎者や死に損ないたちが、酒はウマイし姉ちゃんはキレイだ、
と、旅行中にハメを外して大騒ぎするわけです。

とはいえ、この「宇宙」のカードは、我々の魂が上昇していく上での、最初の関門でも
あるわけです。
そして、「成金の田舎者や死に損ない」が、なぜ関門を通過できないかというと、まだまだ
「マルクト」の「物」と「体」に対する「欲望」を捨てきれていないからであり、それゆえ
彼らに見える「リアル」は、実際には、自己の欲望から生まれた幻影でしかないわけです。

とはいえ、「欲望」の無い人間なんていませんので、それを捨て去ることも不可能です。
つまり我々は、この関門を正面から突破するためには、「彼を知り己を知れば百戦殆う
からず」という達人レベルにまで達する必要があるわけで、そのためにも、日々精進の、
まったりとした修行が必要になってくるわけなんですよね。
0089名無しさん@占い修業中垢版2017/02/16(木) 06:12:25.41ID:oMuKhxuo
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 147) ---
A great many people believe themselves to be on one Path or another when they are,
in actuality, entertaining themselves with an extended fantasy.
非常に多くの人々は、彼らが、実際には、拡張された幻想で彼ら自身を楽しませている時は、
彼ら自身は、何らかの「小径」の上にいることを信じる。

We must be extremely cautious in accepting any of the images which appear to us
as a "reality" of any sort, until we have applied every test of reason and feeling.
我々は、私達が理性と感覚のあらゆる検査を適用し終えるまで、あらゆる種類の「現実」
として我々の前に出現する映像たちのうちのいずれかを受け入れることに、極めて用心深く
なければならない。
--- ここまで ---

人間の脳って、セキュリティが甘いというか、複雑な割りには不完全な出来なので、比較的
簡単に「extended fantasy/拡張された幻想」を生み出すことができます。
まあ、寝たり、薬物を使ったり、強いショックやストレスを受けたりすると、割と色々な
脳内イメージが出てきます。
中には、現実逃避的なものもあるのですが、それも含めて、脳にとっては「現実にそこに
あるもの」として認識されるわけです。

でも、そうして生まれる脳内イメージは、あくまでも「マルクト」にある「物理的な人間
の脳」が作り出した仮想現実であり、上位世界とは、ほとんど何の関係もありません。

まあ、分かっている人なら分かると思うのですが、下位世界のエクスタシーを「官能的」
と呼ぶのであれば、上位世界のエクスタシーは「精神的」な喜びに近いものです。
まあ、きちんと説明しようがないので、どうやってそれらを「test/検査」すればいいのか
を一言で言うのは無理なのですが、いずれにしても、最初のうちは、ほぼ全てがニセモノ
と考えておけば、ほぼ間違いないと思います。
でもまあ、下位世界の我々にとっては、「官能的」なエクスタシーの方が利用価値は高い
ので、「花よりだんご」の方がいいということもあるんですけどね。←現実主義者w
0091名無しさん@占い修業中垢版2017/02/17(金) 05:58:03.65ID:gkzoysLH
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 147) ---
There comes a time when we know that what we are experiencing could not possibly
be of our own making because we are actually learning.
そこで、我々は、我々が経験しているものが、我々自身が作ったものである可能性を持つ
はずがないと知る時が来る。なぜなら、我々は実際に「学んでいる」からである。

We are acquiring new information which can often be verified or corroborated by
research.
我々は、しばしば研究調査により実証される、もしくは確証されうる新しい情報を習得
している。

One way or the other, a considerable amount of the gross must be sorted out before
we come to the subtle.
いずれにしろ、我々は微妙なるものに至る前に、かなりの量の総体は選別されなければ
ならない。
--- ここまで ---

それが上位世界に由来する「the subtle/微妙なるもの」であれ、下位世界に由来する
ものであれ、それらは脳内イメージの「the gross/総体」として認知されます。

そういう「何でもあり」の脳内イメージの原料から、大量のノイズ成分を取り除いた、
その後に残るかすかな信号成分らしきものを抽出して、それを研究調査により実証し
確証していくという、科学的な調査が必要とされるわけです。

要するに、単に「私には見える」からといって、大騒ぎすることは無いわけであり、
実際には、そのほとんどは「肉体的な病気、あるいは欠陥、もしくは精神的な問題」に
由来するものであって、上位世界とは何の関係も無いというのが、現実なのです。

とはいえ、人間である限り、そういう欠陥は憑きものですので、そういうノイズ成分を
どうやって取り除いていくかを、学習していかないといけないわけなんですよね。
0092名無しさん@占い修業中垢版2017/02/18(土) 07:06:02.45ID:N/SEcC4m
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 147) ---
This is one of the most important lessons of THE UNIVERSE, a Path which must be
approached with the virtue of Malkuth, that of discrimination.
これは、「宇宙」、すなわち「識別力」のそれである「マルクト」の美徳によって接近され
なければならない「小径」の、最も重要な学課たちの1つである。

It is only through discrimination that we can place ourselves in the "Administrative"
balance symbolized by the dancing woman draped with the Caph-shaped scarf (reference
to the WHEEL OF FORTUNE) and surrounded by the animal symbols of the Four Elements.
「識別力」を通じることでのみ、我々は、我々自身を、「カフ」の形をしたスカーフ(「運命
の輪」を参照)で覆われ、そして「四大元素」の動物の象徴により取り囲まれて踊っている
女性により象徴される「管理」の均衡の状態に置くことができる。
--- ここまで ---

「マルクト」の美徳が、「discrimination/識別力」であることは、既に述べた通り(P115)
であり、これが備わって初めて、「宇宙」への旅の準備が整います。
つまり、識別力の無い人々は、ニセの「宇宙」へと逝っているわけなんですよね。

「宇宙への旅立ち」において、我々に求められることは、地上での入念なる準備であり、
特に「識別力」を養うことが大事であるということです。
要は、普通に地上の勉強をして、人生経験を積んでいけば、ある程度までは鍛えられる
ものであり、特別な修行というのは、それほど多くは必要とはされません。
ちなみに、肉体的・精神的に多大なストレスを与える荒行っぽいものは、脳内での幻影を
生じるだけですし、それゆえ世間でよく語られている神秘体験なるものには、あまり近づか
ない方が無難です。

そして、本当に必要なことは、そういった「大量のゴミの山」から、自分にとって使えそう
なものを見つけ出す「識別力」ということなんですよね。
というわけで、ワタシはこうして、毎日ゴミの山を供給していますので、もし使えそうな
ネタがありましたら、拾いに来てください。
0093名無しさん@占い修業中垢版2017/02/20(月) 06:19:47.24ID:bUQGY+im
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 147) ---
In Qabalistic terms, what is represented is, again, the principle of the Four
united by a Fifth which is Spirit.
カバラ主義の表現において象徴されていることは、再び、「霊」である「5番目」により
結合される「4つのもの」の原則である。

Here we may recall that the earliest Qabalists (as in the Sepher Yetzirah)
discussed only three Elements: Air, Water and Fire, with Earth and Spirit being
a later addition to the philosophy.
ここで我々は、最も初期の「カバラ主義者たち」が(『セフェル・イェツィラー』にある
ように)、たった3つの「元素たち」を論じたことを思い出すかもしれない:「空気」、
「水」、および「火」、そして後に哲学に加えられる「地」と「霊」と共に。
--- ここまで ---

「Spirit/霊」は、「Fire/火」「Water/水」「Air/空気」「Earth/地」の「四大元素」
を統一する上位存在であることは、既に述べた通りです。

とはいえ、『セフェル・イェツィラー(形成の書)』においては、「三母字」に配属された
「三大第一元素」である「アレフ/Air/空気」「メム/Water/水」「シン/Fire/火」
のみ言及されています。
「霊」は上位概念なのでともかくとして、「地」が抜けているのは不思議ですよね。
ちなみに、「四大元素説」は、古代ギリシア発祥なので、初期の「カバラ主義者たち」が、
それを知らないはずは無いので、『セフェル・イェツィラー』において「地」が抜けて
いるのは、明らかに確信犯的であって、何らかの理由があるわけです。
とはいえ、その理由については書かれていないわけですので、後代の研究者が、あれこれと
詮索するためのネタを提供しているということなんですよね。

何事もそうなのですが、「完璧な文書」というものは、伸びしろが無いわけですので、
それ以上の広がりは無いわけです。
つまり、不完全なものの方が、後々、ネタとして楽しめるということなんですよね。
0094名無しさん@占い修業中垢版2017/02/21(火) 06:17:35.48ID:oKkuwNhr
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 147) ---
And, as we have seen, the Tree of Life has changed form over the centuries to
accomodate such conceptual changes.
そして、我々が見てきたように、「生命の木」は、そのような概念の変化たちを収容する
ために、何世紀にもわたって、形態を変化し続けている。

One such important change has related to the Thirty-Second Path which in some schemes
is the only Path connecting the sphere of sensation to the rest of the Tree.
そのような重要な変化の1つは、いくつかの体系たちにおいて「感覚の天球を『木』の
残りと接続する唯一の『小径』」である「32番目の小径」に、ずっと関連し続けている。
--- ここまで ---

ここの「accomodate」は、「accommodate/収容する」の誤植ですね。

さて、『セフェル・イェツィラー(形成の書)』による定義が不完全な記述となっている
ため、後の時代になって、数多くの「生命の木」の異性体がデザインされ、そして今なお
時代に合わせて進化、というか変化を続けています。
要するに、上級者たちにとっては、「生命の木」の形態は、これが正解というものは無く、
それぞれが好きな体系を選んで研究すればいいということになります。
とはいえ、「何でもあり」というのは、初心者にとってはハードルが高すぎますので、
とりあえず我々は、「ゴールデン・ドーン」の公式形態を使っているわけです。

とはいえ、「ゴールデン・ドーン」の公式形態は、あくまでも一つの形態にすぎません。
そして、世の中には、「the sphere of sensation/感覚の天球」(=「アッシャー」の
「マルクト」)に接続される「小径」が「タウ/宇宙」のみの「生命の木」も、割と普通に
存在しているわけです。(P31の図2参照)

つまり、今まで多くの人が、我々の住む「マルクト」から抜け出すことが可能な唯一の
「小径」として、この「タウ/宇宙」を特別視してきたということでもあります。
まあ、現実的にも、「マルクト」から他の「小径」で上昇することは困難なんですよね。
0095名無しさん@占い修業中垢版2017/02/22(水) 06:23:50.27ID:dl+DWT45
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 148) ---
The addition of the Paths of Shin (JUDGMENT) and Qoph (THE MOON) while primarily
bringing the number of Paths in line with the Hebrew Alphabet, secondarily declared
a direct connection between Malkuth and the two Side Pillars.
「シン」(「審判」)と「コフ」(「月」)の「小径たち」の追加は、第一に「小径たち」
の数を「ヘブライ語アルファベット」に一致させることと同時に、第二に「マルクト」と
2つの「側柱たち」の間の直接的な連結を宣言した。
--- ここまで ---

「生命の木」の、「10のセフィロト」と「22のヘブライ語アルファベットの小径」の配属
の研究は、それだけで頭の痛くなるようなものですので、ここでは深くは触れませんが、
ゴールデン・ドーン公式のような形で「シン/審判」と「コフ/月」の「小径」が、
「生命の木」に追加されたのは、そんなに昔ではないということです。
追加された理由は、上記にあるように、今までは適当だった「小径」の数を「22本」に
決めてしまおうということと、「慈悲の柱」と「峻厳の柱」を、直接、接地することで、
全体のバランスを良くしよう、すなわち見栄えを良くしようということです。

「シン/審判」と「コフ/月」が「マルクト」に接続していない形態では、ほぼ全てが
「イェソド」に一旦集まってから、たった一本の「タウ/宇宙」の「小径」だけを通じて
「マルクト」に至るという、とても頭でっかちな形態となり、何となく不安定さを感じて
しまうので、このゴールデン・ドーンの公式形態は、なかなか良いデザインではないかと
思っています。

とはいえ、実質的には、この「タウ/宇宙」の「小径」が、「生命の木」の上部世界の
負荷のほとんどを支えているのも確かですので、この「タウ/宇宙」の「小径」の重要性
は、何ら変わりは無いということであり、そして我々が生きて上位世界に行くためには、
まずはここを通過する必要があるということでもあります。
そもそも、「シン/審判」や「コフ/月」の「小径」って、生身の人間が通れるような、
お気楽な「道」では無いわけですからね。
0096名無しさん@占い修業中垢版2017/02/24(金) 06:26:21.96ID:/7+UurUP
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 148) ---
One very interesting illustration from the Sixteenth Century shows a man holding
the entire Tree by the Path of THE UNIVERSE. (*98)
「16世紀」からの、ある1つの非常に興味深い図は、人が「宇宙」の「小径」を持って
「木」全体を支えているのを示している。(*98)
--- ここまで ---

ちなみに、(*98)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 271) ---
98. This is reproduced opposite the title page to Scholem's Kabbalah.
98. これは、ショーレム氏の『カバラ』に、タイトルページ(本扉)の反対側に複製
されている。
--- ここまで ---
とあります。

この「One very interesting illustration/ある1つの非常に興味深い図」というのは、
1516年にドイツのアウグスブルクで発行された『Portae Lucis/光の扉』という本の表紙
に描かれているもので、このウォン氏の本の31ページにある図2のC(ただし、図形はDと
入れ替わっているので注意)にも掲載されています。
ちょっとしたものを見てみたい方は、ググってみてください。

さて、この「16世紀の図」ですが、「生命の木」の形が「亀」のようにも見えます。
頭部が「至高の三角形」で、手足が「ケセド」「ゲブラー」「ネツァク」「ホド」で、
甲羅は六角形状の「ティファレト」で、尻尾が「イェソド」から「マルクト」に伸びて
いて、人がその尻尾、すなわち「タウ/宇宙の小径」を掴んでいるような感じですよね。
どう見ても、ウケを狙っているとしか思えないほど、意味深な構図となっています。ww

そして、この本のタイトルが『光の扉』もしくは『光の門』ということですので、かなり
昔から、この最下部にある「タウ/宇宙の小径」が、「光の世界」である上位への入り口
となっていることが、何となく理解されていたということなのではないかと思います。
0097名無しさん@占い修業中垢版2017/02/25(土) 07:41:38.14ID:DdJ7V/ul
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 148) ---
So we see that for four hundred years, at least, the essential interpretation of
this Path as an experiential foundation for consciously travelling all of the
other Paths has not changed, though the concept has been slightly mitigated by
the addition of the two Paths.
それで、我々は、400年の間、少なくとも、他の全ての「小径たち」を意識的に旅行する
ための経験に基づく基礎としての、この「小径」の本質的な解釈が、ずっと変わっていない
ということがわかる。とはいえ、その概念は2つの「小径たち」の付加により、わずかに
和らげられたところであるけれども。

The principle that we grasp the entire Tree through what is taught on the Path of
the Universe is very profound, and brings us back to the idea of the "As Above,
so below."
我々が、「宇宙」の「小径」の上で教えられるものを通じて「木」全体を把握するという
原則は、非常に深遠なものであり、そして我々に「上の如く、下も然り」 の考え方を思い
出させる。
--- ここまで ---

まあ、今も昔も、この「タウ/宇宙の小径」は、上位世界の「入り口」であると同時に、
ここには上位世界の「ほぼ全て」が凝縮されて詰み込まれているということですよね。

つまり、この入り口からすんなりと入ってしまえば、後は何とかなるわけですので、我々
のような魔術童貞、すなわち未体験の初心者にとっての最大の課題は、ここの関門を、
どうやって攻略し突破するかに、かかっているわけです。
とはいえ、最初からいきなりレベルMAXクラスのラスボスと対戦するようなものなのですが、
このラスボスは、見た目だけは優しいので、雰囲気に騙されて、妄想だけでイカされて
しまって、なかなか中には入れない早漏気味の人も多いんですよね。
簡単に騙されて返り討ちにされないようにするためにも、こちらも、ある程度の経験値と
精力を溜めておいて、じっくりと粘り強く、相手の懐深く入り込むことが必要ということ
なのでした。
0098名無しさん@占い修業中垢版2017/02/26(日) 08:21:50.81ID:cgFU8+yW
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 148) ---
We have discussed the "Will to Form," of Binah, the Great Mother, which is the
origin of life consciousness, and which is Saturn in the exalted Supernal Realm.
我々は、「太母」である「ビナー」の「形の意志」を議論したことがあるが、それは、
生命の意識の起源であり、そして高位の「天上の領域」の「土星」である。

This is the same energy, now completely expressed, found on the Thirty-Second Path.
これは同じ精力であり、今は完全に表現されて、「第32番の小径」の上で発見される。
--- ここまで ---

というわけで、この「タウ/宇宙の小径」のラスボスの正体が、ここから明らかにされて
いきます。

まず、トップバッターとして出てくるのが、いきなり「ビナー」です。
この名前が出てくるだけで、知っている人であれば「何をやっても勝てそうな気がしない」
と思うのではないかと思いますが、実際のところ、100%、全くもって勝ち目がありません。

つまり、カバラを設計した者(すなわち神)は、間違いなく意図的に、最初にラスボスで
ある「ビナー」の分身の高レベルの「タウ/宇宙」に、カバラの志願者を遭遇させようと
しているわけですが、その意図としては、レベルの低い志願者に対して、「お母ちゃんの
おっぱいでも吸っとけ!」という感じで、ここに足止めさせているような感じもあるわけ
ですよね。

この手の「おっぱい崇拝」といえば、「エペソスのアルテミス像」が有名ではありますが、
つまり、この「女神」のいる場所で「おっぱい=現世(マルクト)で命を育むもの」と、
「○○○=上位世界で命を与え、そして奪うもの」という感じに分けられているわけです。

どちらの道を選ぶにしても、我々は、ここでは決して戦ってはいけません。
戦いからは、何も得るものはありませんし、そもそも何のメリットもありません。
ここは、自らの意志でどちらかの道を選ぶか、もしくは幻影の脇道を彷徨うか、なのです。
0099名無しさん@占い修業中垢版2017/02/28(火) 06:05:50.31ID:sLPlKb7g
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 148) ---
The female figure at the center of the card is the fullest expression of the Great
Mother who is THE EMPRESS.
カードの中央の女性の人物像は、「女帝」である「大母」の中で最も満ちた表現である。

She is Isis, the Aima Elohim, she is Binah, she is Saturn, she is all the principles
behind what we perceive as matter, the Cosmic Dancer who administers and activates
the Elements.
彼女は「イシス」、「母神」であり、彼女は「ビナー」であり、彼女は「土星」であり、
彼女は我々が物質として知覚するものの背後にある全ての原則たち、すなわち、「元素
たち」を管理し作動させる「宇宙の踊り子」である。
--- ここまで ---

つまり、この「宇宙」のカードの女性像は、レベルMAXのラスボスに他ならないという
ことですよね。

では何でいきなりこんなラスボス級が最も低層である「宇宙」のカードに現れているの
かと言うと、やはりここは「母神」というものがキーワードになるかと思います。

そう、この「宇宙」のカードは、我々の物質世界を産み出す場所なんですよね。

「生命の木」の上位界のエネルギーは、我々の住む「マルクト」を産み出すために、
最後に、この「タウ/宇宙の小径」に向けて注がれます。
そして、この「タウ/宇宙の小径」の中で、最終的な相転移、すなわち物質変換が行われ
ることで、我々のいる宇宙の物質が産み出されていくというわけです。
そして、その、最終的な相転移を導くのが、この「the Cosmic Dancer/宇宙の踊り子」と
呼ばれる存在なのですが、現代科学においては、「弦の振動」というものが、物質の根源的
な姿であると考えている理論もあって、なかなかに興味深いと思います。
いずれにしろ、我々の知っている物質というものは、「宇宙の踊り子」の運動に他ならない
ということになるわけなんですよね。
0100名無しさん@占い修業中垢版2017/03/01(水) 06:18:43.87ID:LiK3scb7
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 148) ---
She is also a doorway to and from Malkuth, Saturn who both gives life and destroys
it, the great tester who rules both birth and death.
彼女はまた、「マルクト」への行きと帰りの出入り口であり、生命を与え、そしてそれを
破壊する「土星」であり、誕生と死の両方を支配する偉大なる試験者でもある。

When we die, leaving behind our "animal skin," it is on this Path that we rise
like the Dancer, surrounded by a ring of stars.
我々が、我々の「動物の皮」を置き去りにして死ぬ時に、我々が、 星たちの輪により
囲まれて、「踊り子」のように舞い上がるのは、この「小径」の上である。
--- ここまで ---

我々は、特に修行などをしなくても、誰もが「産まれる時」と「死ぬ時」には、この偉大
なる「彼女」に、必ず出会うことになります。
つまり、今会えないからといって、焦る必要なんて、何もないわけです。

実際のところ、この「宇宙」の絵柄は、とても宗教的です。
日本人にとって見慣れている仏教芸術に、何と無く通じるものがあると、うすうす感じて
いる人もいるのではないかと思いますが、まさに葬式仏教なるものとは、非常に近い関係
があります。
そう、この「宇宙」のイメージって、「極楽浄土」そのものなんですよね。

ついでに言うと、この「彼女」は、我々の生命を産み出す「産神」であると同時に、我々
の命を奪う「死神」そのものでもあります。
すなわち、我々にとっての本当の「死神」とは、「13:死」のカードに書かれているような
「骸骨像」ではなく、この「21:宇宙」のカードに書かれている、一見そうとは見えない
「裸体の乙女像」なわけです。

ということで、皆さんにも、これが「ラスボス」であるという本当の意味が、何となく
理解できてきたのではないかと思うのでした。
0101名無しさん@占い修業中垢版2017/03/02(木) 06:18:01.50ID:NFNGGy+4
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 148) ---
All of the key Tarot decks are agreed that the female figure should be surrounded
by an oval shape of some sort.
主要なタロットデッキたちの全ては、女性の人物像は、ある種の卵形の形状により取り
囲まれるべきであることが合意されている。

In Crowley's deck this is a ring of stars.
クロウリー氏のデッキでは、これは星たちの輪である。

In the Marseilles and Waite decks this is a wreath.
マルセイユ版とウェイト版デッキでは、これはリース(花や葉を輪にしたもの)である。

In the Golden Dawn deck the oval is formed by twelve spheres (the twelve Signs of
the Zodiac) bound together by seventy-two pearls (the Shemhamaphoresch, or Seventy-Two
Names of God).
ゴールデン・ドーン版デッキでは、卵形は、72個の真珠たち(「シェムハメフォラシュ
(神の御名)」、もしくは「72の神名」)と共に結ばれた12個の球たち(12の「黄道十二宮
の宮たち」)により形成される。
--- ここまで ---

ここの「Shemhamaphorasch」は、「Shemhamephorasch/シェムハメフォラシュ」の誤記ですかね。

この「宇宙」のカードの基本形は、中央の全裸女性の姿、それを取り巻く「卵形」、そして
さらにその周りのコーナーにある4つの「四大元素」の象徴たちです。

前節では、「女性像」が真・ラスボスであることが明らかになりましたので、次の詮索の
ターゲットは、この「卵形の輪」ということですよね。
まあ、見るからに我々の想像力を掻き立てる形状ではあるのですが、それは、この「宇宙」
のカードが、我々のいる物質世界、すなわち「ケモノ」の皮をかぶったフレンズ、いやいや
ヒトの住むエロスの世界との接点であるという証でもあるわけです。
0102名無しさん@占い修業中垢版2017/03/03(金) 06:29:01.71ID:I7D0mBPu
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 148) ---
What is symbolized is both the womb of the human female, through which the child
passes in birth, and the Great Womb into which the soul passes in death.
象徴されているものは、子供が誕生のときに通過する人間の女性の子宮と、そして死の
ときに魂が通過する「大いなる子宮」の両方である。
--- ここまで ---

繰り返しますが、「宇宙」のカードには、中央の全裸女性を取り巻く「卵形」が特徴と
なっています。
そして、その形状を、「ellipse/楕円形」と言わずに、わざわざ「oval/卵形」と表現
しているのは、それなりの理由があるわけです。

そして、この「卵形」は、2つの意味を持つということです。
一つは「人間の女性の子宮」、すなわち「魂」が肉体を持ってこの世に誕生するところで
あり、そしてもう一つは、「Great Womb/大いなる子宮」すなわち「Great Mother/大母」
の子宮であり、人が死んで肉体を離脱した魂が戻る場所ということになります。

いずれにしても、この「宇宙」は、見るからに女性上位の世界であるということですよね。

とはいえ、この「宇宙」では、女性上位が顕著ですので、そのアンバランスさに対して、
あれこれと異議を唱える男女平等主義者も出てくるわけです。
まあ、全体的なバランスはカバラにおいては大事なのですが、個々のカードのバランス
という意味においては、そうはなっていない面もあるわけですけどね。
0103名無しさん@占い修業中垢版2017/03/04(土) 17:47:26.92ID:rwsqa/yr
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 148) ---
The profound symbolism of the Great Mother through which one passes as a doorway
to and from life is, unfortunately, minimized by some writers (including Case)
who state that "tradition" claims the female figure to be hermaphroditic.
人が生命への行きと帰りの出入り口として通過するところである、「大母」の深遠なる
象徴主義は、不幸にも、「伝統」が女性の人物像を雌雄同体であると主張すると述べる、
(ケース氏を含む)何人かの作家によって過小評価される。

That idea is unreasonable, but may be an honest attempt on the part of some
Qabalistic theoreticians to reconcile the feminity of the Path with the Magical
Image of Yesod into which it leads, a "Beautiful Naked Man." (*99)
その考え方は不合理ではあるけれども、「イェソド」が導く、「美しい裸の男性」の
「魔法のイメージ」と、「小径」の雌性を調和させるための、何人かの「カバラ主義」の
理論家たちの側の率直な試みはあるかもしれない。(*99)
--- ここまで ---

ちなみに、(*99)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 271) ---
99.The "Magical Images of the Sephiroth" are given in 777, Col. CXX, 25.
99. 「セフィロトの魔法のイメージたち」は、『777の書』の、25ページの、列CXXにある。
--- ここまで ---
とあります。

ワタシも、「宇宙」のカードの全裸女性像が、実は「雌雄同体」すなわち「ふたなり」で
あるという都市伝説を、聞いたことがあります。
その根拠としては、「大事なところが隠されていて、男か女かを確認できない」という
意味不明な理由だったと思うのですが、それについては、すこぶるどうでもいい話です。
そもそも、本当に隠したいものであれば、そこは思考停止することなく、自分に都合良く、
いやいや深遠なる解釈を行って納得すればいいだけの話であり、それがエロ、いやいや
真の「神秘」の研究に繋がるわけですからね。
0104名無しさん@占い修業中垢版2017/03/05(日) 08:04:38.50ID:2gauNfJ0
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 148) ---
The latter represents the eternal outpouring of the Christ-Spirit from Tiphareth,
personified within Yesod before it passes down to Malkuth.
後者は、それが「マルクト」へと下に通過する前に「イェソド」内で人格化された、
「キリストの魂」の永遠の流出を表している。

The Christian mystery is not simply an event of two thousand years ago to be
recalled with reverence, it is a secret key to a natural pattern.
「キリスト」の神秘は、単なる、尊敬の念をもって思い出されるべき2000年前の出来事
ではなく、それは自然な様式への秘密の鍵である。
--- ここまで ---

ある程度、事実としての「キリスト」および「キリスト教」のことを勉強している人で
あれば、大体わかるとは思うのですが、あの『新約聖書』の半分は事実であり、そして
残りの半分は妄想で出来ています。

そして、その「妄想」の部分が、それ以前からある神話のストーリーのパクリ、いやいや
「a secret key to a natural pattern/自然な様式への秘密の鍵」から成っているわけ
です。
つまり、ネタ元となる神話、もしくは関連する芸術作品の鍵となる登場人物たちを、全て
「イエス・キリスト」もしくはその関連人物名に描き替えるということなのですが、その
際に、色々と無茶なことをやってしまっているわけです。

実際、この「宇宙」のカードの前身となるデザインでは、カードの中央にあるのは、全裸
女性の人物像ではなく、キリストの人物像であったものもあります。
まあ、どちらが先とかどちらが後とかいうことではなくて、それは「自然な様式への秘密
の鍵」という、かなり普遍的なものを表しているということなんですよね。

とはいえ、もし「宇宙」のカードの中央の人物が「イエス・キリスト」像であったならば、
これほど世界中にタロットは流行らなかったと断言できますけどね。(暴言)
0105名無しさん@占い修業中垢版2017/03/06(月) 06:17:13.41ID:MI4SWOot
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 148) ---
The Christ (Buddha or Osiris or Krishna) force continues to be born into our world,
be sacrificed for the benefit of mankind, resurrected and assumed.
「キリスト」(「ブッダ」や「オシリス」や「クリシュナ」)の力は、我々の世界の中に
産まれ、人類のために生贄として捧げられ、よみがえり、責任を負い続ける。

This is, like the Yod Heh Vau Heh, continual to the end of time, which will be the
end of the race's need for sensory experience.
これは、すなわち「ヨッド」「へー」「ブァウ」「ヘー」のように、知覚の経験のための
人種の必要の終わりとなるであろう、「時」の終わりのために、継続的である 。

Time is, of course, one of Saturn's primary restrictions.
「時」は、もちろん、「土星」の主要な制約たちの1つである。
--- ここまで ---

「イエス・キリスト」などが、我々の世界に生まれ、そして犠牲となって死に、その後に
蘇るという「救世主復活ストーリー」は、よくよく考えてみれば、我々のような下々の者
にも、何と無く同じように当てはまっていることがわかります。
ついでに言うと、日本においては、死者は「ご先祖様」とかいう感じで、完全に死んだ後
でも、「死者の霊」が現世に影響を及ぼすと言われていますよね。

いずれにしても、この現世に「生の時」を授かった者は、必ず「死の時」を迎えます。
それが、「時の定め」であり、そして「土星」の定めでもあります。
つまり、昔の人間の寿命は、土星の公転周期である「29.5年」程度であったということ
でもあるわけです。
とはいえ、今では、その倍も3倍も生きる人が増えましたけどね。

そして、個々の人間が、産まれ、成長し、犠牲となって死ぬことで、人類全体の成長に
繋がっていくというのが、この世の中の大きな流れとなっているわけです。
まあ、ワタシがその流れに乗っているのかどうかは、よくわかりませんけどね。
0106名無しさん@占い修業中垢版2017/03/07(火) 06:24:56.50ID:N5Mwlu6n
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 149) ---
As long as we are functioning within the framework of time, an event, including
the downpouring and uprising of Tiphareth force, must have a beginning, a middle
and an end.
我々が、時の枠組の範囲内で職務を果たしている限り、「ティファレト」の流下と上昇を
含む、出来事は、始まり、中間、そして終わりを持たなければならない。

Life processes run in waves, or spirals which come back upon themselves.
生命の過程たちは、波のように、または彼ら自身の上に戻ってくる螺旋のように動作する。

This is the natural course of the akashic fluid of Yesod.
これは、「イェソド」の「アカシック流体」の自然な進路である。

Thus, again, is the woman shown dancing.
従って、さらに、女性は踊っているように見せられている。
--- ここまで ---

女性像にまとわりついているスカーフは、上から下への螺旋状の流れを表しています。
これは、「アカシック流体」もしくは「星幽光」の流れを示しているわけです。
そして、その永遠なる流れをぶった切って、新しい断片化した流れを導くかのように、
女性はダンスを踊っているかのような、動きのあるポーズを取っているというわけです。

なんか、量子宇宙論をそのまま図案化したような、とても意味深な感じになっているの
ですが、とりあえず、これが我々の宇宙と物質と生命を形成し産み出している「ご本尊様」
であるということですよね。

いずれにしても、ここは宇宙の万物を産み出す象徴ですので、まだ若くて生産力のある
女性像として描かれています。
そはいえ、裸である必然性は薄いのですが、彼女自身が「産まれたままの姿」であることを
自ら示すことで、「新しく産まれる」という意味をさらに強く示しているとも考えられますね。
0107名無しさん@占い修業中垢版2017/03/09(木) 06:22:15.47ID:OxfbzPQh
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 149) ---
She swirls and revolves as opposed to her most abstract form of energy, THE EMPRESS,
where she is placed solidly on a Supernal Throne.
彼女は、彼女の精力の最も抽象的な形態であり、そしてそこで彼女が「天上の王座」に、
しっかりと据えられる「女帝」とは対照的に、渦を巻いて回転している。

This spiral Force of nature is directed by the wands which she carries: they
represent active and passive energy, each of which has two poles.
この自然の渦巻き状の「力」は、彼女が持つ棒たちにより導かれる:それらは能動的と
受動的な精力を象徴し、それらの各々は、2つの極を持つ。
--- ここまで ---

「至高の三角形」の世界にあり、完全にバランスが取れて安定した状態にある「女帝」の
対極にあるのが、この、渦巻きながら「最下位の世界」へと繋がっていく「宇宙」の
カードとなります。
つまり、積極的にアンバランスさを作り出すことで、静止した潜在的エネルギーの中に
渦巻き状の流れを作り出して、新しい物質とその世界を形成していくということです。

そして、その鍵となるのが、彼女の持つ、レッツ・ラ・まぜまぜするための二本の魔法の
棒になっていて、それぞれがプラスとマイナスの極性を持つことで、周囲に「フィールド」
を形成し、そしてそれが回転することで、周囲の「フィールド」に対して色々な作用を
及ぼしているということになります。

つまりは、この「タウ/宇宙の小径」のフィールドにおいては、「力」は、二重の極性を
併せ持つ「場」で表すことができるという理屈にもなっているわけです。

まあ、それが何を意味するのかは、いまいちよくわかっていませんが、何となく深遠な
感じがするわけで、そういう意味では、現代の科学は、まだまだこの領域にしか達して
いないんだなぁ、ということを、漠然と思ったりするわけでした。(根拠無し)
0108名無しさん@占い修業中垢版2017/03/11(土) 06:46:44.00ID:L3UwaVFw
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 149) ---
Crowley's card shows these natural forces as the serpent Kundalini, described as
"Coiled in Yesod."
クロウリー氏のカードは、「イェソドの中で螺旋状に巻かれる」と評される、蛇の「クン
ダリニー」のような、これらの自然の力たちを表している。

This is a reference to the primary sexual forces of nature to be encountered with
THE UNIVERSE.
これは、「宇宙」と遭遇されることによる主要な自然の性的な力たちへの参照である。

These are the forces which we learn to direct in ourselves and onto which we impose
the strictures of Binah, the Great Mother, the Great Sea.
これらは、我々が我々自身において指示することを学び、そして我々が、「ビナー」、
「大母」、「大いなる海」の拘束たちをその上に課している、力たちである。
--- ここまで ---

トート版タロットの一番の特徴は、中央の女性像と共に踊る、不思議な形状の螺旋を描いた
「the serpent/蛇」の姿です。

それ以外にも、カードの中には、色々と不思議なものが描かれているのですが、『トート
の書』には、クロウリー氏の独自解釈が書かれているだけであって、作者であるハリス女史
の作画の意図が書かれているわけではありませんので、いまいち参考にはなりません。

絵柄からは、この女性像が、上位世界の「蛇」に象徴される「力」を、上から下へと流出
させているような感じになっているのと、「蛇」が永遠性を持っているという理屈から、
周囲の円環が、途切れることのない宇宙の永続性を表しているようにも見えます。

ハリス女史自身が、簡単でもいいので解説本を書いてくれていれば、もうちょっと詳しい
話が出来ると思うのですが、現状では、カードの絵から、各自で独自に解釈していくしか、
他に手がありませんからね。
0109名無しさん@占い修業中垢版2017/03/12(日) 09:38:52.54ID:+wYHBdsH
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 149) ---
Water is very important to this Path which is the Great Sea of consciousness in
its most dense and difficult expression.
「水」は、それが、その最も濃密で理解困難な表現において、意識の「大いなる海」で
ある、この「小径」にとって非常に重要である。

The Thirty-Second Path might be considered a dark cave, filled with treacherous
caverns and tunnels, some of which lead to the Light, but others of which lead
to the Qlippoth.
「32番目の小径」は、暗い洞穴 危険でいっぱいの洞窟たちとトンネルたちであり、その
いくつかは「光」に通じるが、他のものは「クリフォト」へと通じていると、考えられる
かもしれない。
--- ここまで ---

「宇宙」のカードは、それが異世界への出発点という意味での「イニシエーション」で
あるため、それ自体は無限の可能性を持ちます。

つまり、どこにでも通じる「どこでもドア」であるわけですが、そのドアの先にあるのは
「光あふれる未来」とは限らない、というか、ハズレである可能性の方が、圧倒的に高い
わけです。
まあ、ハズレのほとんどは、人畜無害な「妄想部屋」に通じているのですが、中には本物の
地獄へと繋がる危険なシロモノもあるわけですので、ある程度の警戒心は必要かと思います。
とはいえ、こういった「どこでもドア」って、実はほとんどの人にとっては、全く必要の
無いものですし、たとえ興味を持ったとしても、ほとんどの人は、それをまともに使える
レベルには達しないわけですので、「無かったこと」にしてしまうのが一番かと思います。

ということで、最初の大アルカナである「タウの小径/宇宙」の項は、これで終わりです。
マジで一般人にとってはどうでもいい話、というか関係の無い話ですので、そろそろ脱落
する人も多発している頃ではないかと思っているのでした。
(ここで話をしている人も、いまいち分かっていないので、いまいちヤル気無しw)
0110名無しさん@占い修業中垢版2017/03/13(月) 06:19:39.58ID:zYIzrC3I
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 149) ---
31. THE PATH OF SHIN
31. 「シン」の小径

Judgment
審判

The Twentieth Key
20番目の鍵(大アルカナ)
--- ここまで ---

ここから、「生命の木に基づく大アルカナ」の章の中での新しい節になります。

サブタイトルは「シンの小径」です。

我々にとっては、まだ割と理解可能であった「宇宙」から上は、ほとんどの人にとっては、
全くと言っていいほど経験の無いというか、意識することが難しい世界になってきます。

ワタシも、どちらかと言うと普通の人ですので、ワタシがこれから書くことは、ほとんど
アテにはならないというか、アテにしてはいけないというか、軽々しく信じてはならない
ということを、まず最初に心しておいてください。
そして、他人の解釈に頼らず、自分自身で解釈し理解していかないといけないわけですが、
でもそれはあくまでも自分自身の解釈と理解であって、少なくとも、他のほとんどの人
とは違うものであるということも、心しておいてください。

なぜこんなことを今さら言うのかというと、今まで見てきたように、ワタシ自身の解釈自体
が、他のほとんどの人たちの解釈とは、かなり異なっているからなんですよね。
これは、ワタシの解釈が間違っているということでもないし、他の人の解釈が間違っている
ということでもなくて、あくまでも視点の違いというか、見えている世界が違っていると
いうことなのですよ。(苦しい言い訳w)
0111名無しさん@占い修業中垢版2017/03/14(火) 06:20:35.72ID:yePC4Vao
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 149) ---
□ PATH COLOR: Glowing Orange Scarlet
□ 「小径の色」:「燃えるようなオレンジ色の緋色」

□ RELATED SOUND: C Natural
□ 「関連した音」:「Cのナチュラル」

□ MEANING: Tooth
□ 「意味」:「歯」

□ MATERNAL LETTER: Fire
□ 「母字」:「火」

□ ESOTERIC TITLE: The Spirit of the Primal Fire
□ 「秘伝的な称号」:「根源的な火の霊」
--- ここまで ---

この本の、この文章の右側には、「歯」と、ヘブライ文字の「シン」と、「火」の元素記号、
および「生命の木」における「シンの小径」の位置が図示された絵が描かれています。

その他の説明は、前項の「タウの小径」を参考にしてください。

この本では、この説明文の下に、4枚の「審判」のカードの写真が掲載されているのですが、
トート版だけが異質なデザインとなっています。
これは、クロウリー氏の独自の宗教的思想を反映したものとなっていて、そういう意味
では、この「審判」の領域は、まだ少しだけ人間世界に関わりのある境界領域であり、
こういう宗教的なモチーフが、まだ有効な領域でもあるということですよね。

まあ、我々のような地上に生きる一般人にとっては、工夫すれば、かろうじて感じることの
できる限界領域でもあるということです。
0112名無しさん@占い修業中垢版2017/03/18(土) 06:41:55.20ID:54xUD7tx
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 150) ---
THIRTY-TWO PATHS OF WISDOM: The Thirty-first Path is the Perpetual Intelligence;
but why is it so-called?
「知恵の32の小径たち」:「31番目の小径」は「絶え間なき知性」である;しかし、なぜ
それは、そう呼ばれるのか?

Because it regulates the motions of the Sun and Moon in their proper order, each
in an orbit convenient for it.
なぜなら、それは「太陽と月」の動きたちを、それらの適切な順序で、各々をそれにとって
都合の良い軌道の内に、統制するからである。
--- ここまで ---

ここは、前節と同様に、ウェストコット氏の英訳版『The Sepher Yetzirah/セフェル・
イェツィラー(形成の書)』の「THE THIRTY-TWO PATHS OF WISDOM/知恵の32の小径」
からの引用です。

ここは、「32番目の小径」の、7つの惑星たちの「管理する知性」の、一つ上の階層となる
部分になります。
なぜ上位になるかというと、「太陽」と「月」は別格に明るくて、さらに、ほぼ一定の
動きをしているので、「より上位の存在」と見なされているのに対し、その他の惑星たち
は、暗くて、そして一見すると不規則に動いているので、「より下位の存在」と見なされて
いるということになるわけです。

要するに、7つの惑星の根幹的な動きは、「31番目の小径」の「絶え間なき知性」が司る
「太陽」と「月」が主に担っていて、残りの惑星たちは、「32番目の小径」の「管理する
知性」が、「太陽」と「月」の動きに従って、その動きを司っているという感じですかね。

まあ、この「知恵の32の小径」の「31番目の小径」の意味が、一見すると天体の運行
とは何の関係も無さそうな「シン/審判の小径」と、どのような形で絡んでくるのかは、
なかなかに興味深いところではあります。(傍観者風w)
0113名無しさん@占い修業中垢版2017/03/19(日) 06:26:12.03ID:th4ZrNO/
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 150) ---
The Path of Shin, JUDGMENT, joins Malkuth (the Earth) with Hod (Splendour), the
base Sephira and completion of the Pillar of Severity.
「シンの小径」である「審判」は、「峻厳の柱」の基礎であり完成である「セフィラ」で
ある「ホド(壮麗)」と、「マルクト(地)」を結合する。

The Earth is thus connected with that which is the ultimate expression of Binah,
the Will to Form.
「地」は、このようにして、「形の意志」である「ビナー」の究極の表現であるものと
接続される。

It is an activating Path of intellect, while its opposite, THE MOON is a formative
Path of emotion.
それは、知性の活動的「小径」であり、その一方、その反対側である「月」は、感情の
形成的な「小径」である。
--- ここまで ---

「activating/活動的」と「formative/形成的」という用語は、P140の図28で説明が
ありましたので、もう忘れちゃった人は、見直しておいてください。

さて、既に気づいている人もいると思いますが、この「審判」は、「月」とペアになって
いますので、両者を対比させながら考察していくことが、理解の早道である、というか、
「審判」だけを単独で理解することは出来ないということになります。
そしてまた、地上界の我々からすれば、まだ「activating/活動的」の方が理解しやすく、
「formative/形成的」の方は若干理解が難しい概念であるということも、何となく分かる
のではないかと思います。

とはいえ、こういう「対比」が必要な「相対的な概念」が出てくると、てきめんに理解する
ことが難しくなりますし、思考を言語に変換することも困難になってきて、その多くが
辻褄の合わないものになってきますが、まあそういうものだと思っておいてください。
0114名無しさん@占い修業中垢版2017/03/20(月) 06:43:10.57ID:zztRULgo
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 150) ---
What is shown here as "judgment" is a process undergone by the Personality as it
strives to become conscious of its own inner working.
ここに「審判」として示されるものは、それが、それ自身の内なる働きを意識するように
なろうと努力するときに、「人格」により経験される過程である。

But the judgment is not momentary or limited.
しかし、その審判は、瞬間的でもなく限定的でもない。

It is, as the Thirty Two Paths of Wisdom describes, perpetual.
それは、「知恵の32の小径たち」が述べているように、「絶え間なき」ものである。
--- ここまで ---

「Personality/人格」については、我々は
・「至高の三角形」:「究極の霊的自我」
・「倫理的三角形」:「高次の自我」
・「星幽的三角形」:「人格」
という構造になっていることを知っています。
そして、この「シン/審判の小径」は、「タウ/宇宙の小径」と「コフ/月の小径」と
一緒に、最終的な第四の三つ組を形成しているわけなのですが、それらは、「人格」と、
肉体である「マルクト」を結合する重要な役割を果たしているわけです。
つまり、「内なる気づき」というものが、この三本の小径に秘められているわけです。

とはいえ、この「シン/審判の小径」は、「タウ/宇宙の小径」と比べると、ずっと
分かりにくくなっています。
その原因の一つが、この「perpetual/絶え間なき」という性質にあるわけです。
つまり、地上の空気のように、常に「ある」状態ですので、そもそも、そこに「ある」
ということにも気が付かないわけなんですよね。
結局のところ、地上にいる我々にとって「常にある」ものは、考慮する必要の無いもの
ですので、この時点で思考停止しても、何の問題も無いわけなのです。(ヤル気無し)
0115名無しさん@占い修業中垢版2017/03/21(火) 06:12:02.90ID:F7AMTpto
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 150) ---
It is the continuous monitoring of the progress of the Personality toward universal
consciousness.
それは、普遍的意識へと向かう「人格」の進歩の、絶え間ない監視である。

That which is deemed unworthy by the angelic powers, invoked by the desire of the
student travelling the Paths, is slowly burned away by the redeeming Fire, a
process which is actually physical.
「小径」を旅している学徒の願望により召喚され、天使の力たちにより価値の無いものと
見なされるものは、実際に物質的な過程である、贖罪の「火」によって、ゆっくりと焼き
払われる。
--- ここまで ---

さて、下界に住む我々とは直接関係の無い、この「perpetual/絶え間なき」ものですが、
どういう場合に関係してくるのかということが、ここに少しだけ述べられています。

まず一つ目のキーワードは、「the Personality toward universal consciousness/
普遍的意識へと向かう人格」であり、まずここで、上を目指す人に限定されます。
つまり、上を目指していない人にとっては、ほぼ関係の無いものであるということです。

二番目のキーワードは、「redeeming Fire, a process which is actually physical/
実際に物質的な過程である、贖罪の火」ということであり、要するに「天罰」みたいな
ものなのですが、これは普通の物理的/精神的な現象、すなわち理論的に説明の付く現象
とは区別が付かないので、実にわかりにくいわけです。
つまり、「desire/願望」を達成しようとするけれども、「天罰」なのか「偶然」なのか
「必然」なのか、よくわかんないけど、失敗するわけなんですよね。
普通の人は、何で失敗したのかが分からないので、そこであきらめてしまうわけですが、
上を目指す人は、そういう失敗を繰り返すことで、その原因を探り、その中に「天使の力
による干渉」というものを見いだして、最後にはそれを理解することができるという流れ
になるわけです。(とても面倒臭いです。)
0116名無しさん@占い修業中垢版2017/03/22(水) 06:18:44.78ID:KEKtWQpo
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 150) ---
The Golden Dawn text calls this Path the "Splendour of the Material World,"
pointing out the relationship of the Path to the physical body.
ゴールデン・ドーンの教科書は、この「小径」を「物質的世界の壮麗」と呼び、物質的な
肉体についての「小径」の関係を指摘している。

What is shown here is a resurrection, a rebirth.
ここに示されるものは、生き返りであり、生まれ変わることである 。
--- ここまで ---

この「The Golden Dawn text/ゴールデン・ドーンの教科書」というのは、『The Golden
Dawn/黄金の夜明け魔術全書』の「Fourth Knowledge Lecture/第四知識講義」にある、
「Notes on the Tarot/タロットに関する覚書」の「20. Judgement/審判」にある記述
のことです。
ここの記述は、本文中にあるように、「セフィロト」と「小径」の配属物たちの結合で
あり、この「Splendour of the Material World/物質的世界の壮麗」という文言は、
「マルクト」と「ホド」の関係を示しています。
そして、その後に「Mercury acting through Fire upon the Cosmic Elements/宇宙的
元素たちの上の火を通じて作用する水星」という文章が続きます。

まあ、何のことかはよく分からないのですが、ここに示されているものは、「タウ/宇宙」
のカードが示す通常の「誕生と死」ではなくて、「a resurrection, a rebirth/生き返り
であり、生まれ変わり」ということですので、我々のような一般人にとっては、おそらく
ほとんど何の関係も無いと言うことができるかと思います。

まあ、誰もが経験可能な「タウ/宇宙」からは、いきなりハードルが上がっているわけ
なのですが、「マルクト」から「ホド」に至る通常ルートとしては、「タウ/宇宙」と
「レシュ/太陽」があるわけですし、わざわざ困難な脇道を通る必要は無いわけですので、
まあ、「そんな不思議な脇道もあるんだ〜w」的な感じでいいかと思います。
(いまいちヤル気無し)
0117名無しさん@占い修業中垢版2017/03/23(木) 06:10:15.20ID:FfwnsXOB
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 150) ---
This resurrection is based on the developments of the opposite card to this Path,
THE MOON, and relates to actual physiological changes which occur in the student
as the result of the disciplined quest for a greater reality.
この復活は、この「小径」と反対側のカードである「月」の開発たちに基づいており、
より大きな現実のための統制のとれた探求の結果として、学徒に生じる実際の生理的な
変化たちに関連する。

In other words, the resurrected body is physiologically rebuilt, a process stimulated
by the energies of Qoph, THE MOON.
言い換えれば、復活した身体が生理的に再建されることであり、「コフ」、「月」の精力
たちにより活性化された過程である。

This is what Paul Foster Case describes as the process of building a Master's body.
これは、ポール・フォスター・ケース氏が、マスターの身体を形成している過程として
述べているものである。
--- ここまで ---

この「シン/審判」だけでなく、「コフ/月」や「タウ/宇宙」は、その一方が「マルクト」
に繋がっていますので、それらの働きは、必ず「マルクト」である我々の「body/身体」に
対して、何らかの「physiological changes/生理的な変化たち」をもたらします。
つまり、我々が、我々自身の身体をセンサとして用いることで、これらの「小径」の働きを
「reality/現実」にあるものとして実感することが理論的に可能であるということです。

とはいえ、誰でもが、この「小径」の信号を実感できるということでもないんですよね。
何故かというと、「マルクト」の身体は、「マルクト」内部での働きが最も激しいので、
それら自身が強烈なノイズ源として働いています。
それらの「身体的」なノイズを静めた上で、微弱かつ時間的変化の少ない「上位の小径」
からの信号を拾い出せるようになるには、相当な訓練とそれなりの勉強が必要になります。
まあ、そういうわけですので、一般の人は、あまり関わらない方がいい領域だと思います。
0119名無しさん@占い修業中垢版2017/03/24(金) 06:13:17.47ID:CiZ/LpnR
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 150) ---
This is also a Path where the components of the Personality first encountered in
THE UNIVERSE, are critically analyzed and evaluated (judged).
これはまた、「宇宙」において最初に遭遇する「人格」の構成要素たちが、批判的に分析
され評価される (審判される)ところの「小径」である。

It is the bright and fiery probationary path of the intellect, as THE MOON is
the dark, cold and watery probationary Path of the emotions.
「月」が、感情たちの暗くて冷たくて水のような試用の「小径」であるのと同じように、
それは、知性の明るくて火のような試用の小径である。
--- ここまで ---

「シン/審判」と「コフ/月」の「小径」は、割と素直で親しみやすい「タウ/宇宙」とは
違って、実に厄介でややこしいので、あまり近づきたくはない場所です。

なぜなら、そこは、我々の「人格」が試される場所であり、どちらかというと、かなり
ネガティブな場所というか、突破すること自体が困難な場所なんですよね。
というか、ほとんどの人は、その入り口で拒絶されてしまうような場所です。

なんでそうなるかと言うと、生身の人間が、「肉体」を携えたままで、そこに進入する
ことが難しいという面があり、何か特別なことをしておかないと、すんなりと入り口を
通してくれないわけです。
運良く中に入れたとしても、「タウ/宇宙」と違って、そこは決して心地よい場所でも
ありませんので、あまり好んで行きたいという場所でもありません。
とはいえ、上位世界を目指す人にとっては、「シン/審判」と「コフ/月」の小径は、
ある程度は理解しておく必要のある必修科目でもあるわけですので、なかなか悩ましい
ところではあります。
まあ、ワタシみたいに、上位世界を目指さない人であれば、うわべだけの知識で、お茶を
濁しておくのが、良いかと思います。(全くヤル気なしw)
0120名無しさん@占い修業中垢版2017/03/25(土) 07:33:08.76ID:OrjoGevi
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 150) ---
These are Paths introductory to the true nature of the Self in incarnation and can
thus be extremely difficult.
これらは、肉体化の内にある「自我」の真実の本質への入門的な「小径たち」であり、
従って、極めて難しいものであるかもしれない。

In fact all of the Elemental Paths (THE FOOL, THE HANGED MAN, JUDGMENT) are
difficult to understand.
実のところ、「元素の小径たち」(「愚者」、「吊られた男」、「審判」)の全ては、
理解することが難しい。
--- ここまで ---

「マルクト」から上位世界へと上昇する最も最適な「小径」は「タウ/宇宙」であり、
「シン/審判」と「コフ/月」は、どちらかというと補助的な役割を果たします。
さらに言うと、「タウ/宇宙」が階段付きの坂道であるとすると、「シン/審判」は
崖であり、「コフ/月」に至っては、ゴールが全く見えないものとなります。

とりあえず、話を「シン/審判の小径」に戻しますが、これは「マルクト」という「地」
の「セフィロト」と、「ホド」という「水」の「セフィロト」を繋ぐ、「火」の元素の
「小径」ということになりますが、ここでも話がややこしさを増しています。

つまり、「セフィロト」の「四大元素」と、「小径」の「元素」って、実は似て非なる
ものであって、そもそも「小径」の「元素」は、もはや「元素」とは呼べないような、
わけわからないシロモノでもあるわけです。
この点を勘違いして、脳内で勝手に「火」や「水」や「空気」、それも自己の経験から
来るものをイメージしてしまう人も少なからずいるわけですが、それは愚かな勘違いと
いうか、せいぜい小ネタのレベルの話としておくものだと思います。

そして、カバラにおける大アルカナの象徴は、極限まで「抽象化」されているので、
普通には理解することが難しいものであることを、再確認しておいてください。
0121名無しさん@占い修業中垢版2017/03/26(日) 07:03:08.80ID:vq2GZ4Tp
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 150) ---
The problem arises partly in that on each of these Paths all of the Elements are
present, in either expressed or unexpressed form.
問題は、そのことが、これらの「元素たち」の全ての「小径たち」の各々において、表現
されるか表現されないかのいずれかの形で、存在している状態において、部分的に発生する。

We shall return to this concept.
我々は、この概念に戻ろう。
--- ここまで ---

まあ要するに、「小径」における「元素」って、マジでよくわかんないシロモノであると
いうことなんですよね。

そもそも、この大アルカナに相当する「22の小径」に、ヘブライ文字を配属させる際に、
・3母字=「空気」「水」「火」の3つの元素
・7複字=七惑星
・12単字=黄道十二宮
ということで、「四大元素」のうちの3つしか使っていないわけです。
つまり、理論上明らかに「欠陥」があるというか、無理矢理感がハンパないわけです。

この全ての原因は、この「3母字」に対して、「四大元素」のうち「3つの元素」のみを
割り当てているという違和感にあるわけですが、これは言い換えると、
『3母字に配属されている「空気」「水」「火」は、「四大元素」のものではない』
ということをしっかりと理解しておけば、割とすんなりと解決できるわけです。

つまりは、「セフィロト」という下位世界における「四大元素」の「火」「水」「空気」
「地」という概念と、「小径」という上位世界における「元素」の「空気」「水」「火」
という概念は、直接的な結びつきは全く無いということであり、もし結び付けて考える
のであれば、あくまでも「象徴」という高度の抽象化を施した上で語る必要があるという
ことなのです。(ミソとクソの類似性を語るようなものですかね。w)
0122名無しさん@占い修業中垢版2017/03/27(月) 06:20:11.29ID:nvCUZqLu
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 150) ---
First, let us consider the pattern of the Maternals.
まず最初に、「母字たち」の様式を考察しよう。

The Sepher Yetzirah states that Air produces Water which produces Fire.
「セフェル・イェツィラー」は、「空気」が「水」を産み出し、それ(水)は「火」を
産み出すと述べる。

THE FOOL is pure Air, THE HANGED MAN is Air acted upon by Water, JUDGMENT is Air
and Water acted upon by Fire within the vehicle of Earth (the crucible which,
in Spiritual Alchemy, is our own body).
「愚者」は純粋な「空気」であり、「吊られた男」は、「水」に作用される「空気」で
あり、「審判」は、「地」の乗り物(「るつぼ」、それは、「霊的錬金術」において、
私達自身の体である)の内の、「火」により作用される「空気」と「水」である。
--- ここまで ---

『The Sepher Yetzirah/セフェル・イェツィラー(形成の書)』の第一章によると、
神は「霊」から「空気」を作り、その「空気」から22の文字を作り、そして「空気」から
「(原初の)水」を作り、そして「水」から「火」を作ったというように書かれています。
つまり、最初の「空気」から、「3つの母字」が作られているわけであって、「アレフ
(空気)」から「メム(水)」が作られ、そして「メム(水)」から「シン(火)」が
作られているということを、必ずしも意味していないということです。

つまり、『セフェル・イェツィラー』の第一章に書かれている「空気」「水」「火」の
三つの元素は、「アレフ(空気)」「メム(水)」シン(火)」というヘブライ文字の
「母字の小径」よりも上位のレベルにあるということを、理解しておく必要があります。

同じ用語が、違うレベルで使われているのは、ちとややこしいのですが、カバラを理解
するには、この「レベルの違い」をしっかりと把握しておくことが必要です。
そうしないと、ミソとクソを混合してしまって、使いモノにならなくなりますので。
0123名無しさん@占い修業中垢版2017/03/28(火) 06:27:18.71ID:YqIzYQBR
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 150) ---
The Golden Dawn and Waite cards picture Air above, with Water between two sections
of Earth.
ゴールデン・ドーンとウェイト氏のカードたちは、「空気」を上に、「地」の2つの区域たち
の間の「水」とともに描く。

It is understood that the Air, Water and Earth are being heated and activated
by the Fire.
「空気」、「水」、および「地」が、「火」により熱せられて、作動していることが
理解される。

There are no flames here, for the action is a slow and steady (perpetual) one
brought about by the Archangel.
その活動は、「大天使」によりもたらされた、ゆっくりと安定した(絶え間ない)もので
あるので、ここには炎たちが全く無い。
--- ここまで ---

『The Sepher Yetzirah/セフェル・イェツィラー(形成の書)』の第一章によると、
神は「霊」から「空気」を作り、次に「水」を作り、さらに「地(土)」を作り、最後に
「火」を作ったというように書かれています。

ゴールデン・ドーン版とウェイト版のカードには、さすがに「神の霊」は描かれていま
せんが、それ以外のものが、「セフェル・イェツィラー」の記述通りに描かれていると
いうことですよね。
つまり、この「大天使」は「火」を象徴するものあり、そのラッパから吹き出している
ものは、「空気」「水」「地」を活性化させる「火のエネルギー」ということになります。

とはいえ、この「大天使」によりもたらされる「火のエネルギー」は、「slow and steady
(perpetual)/ ゆっくりと安定した(絶え間ない)」ものであるために、地上世界にいる
我々が、その普遍的な存在を知覚することは、とても困難なことなのです。
0124名無しさん@占い修業中垢版2017/03/29(水) 06:05:11.36ID:KYqn66ju
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 151) ---
This effect is on the component dualities of the individual, which are symbolized
by Fire and Water: Mind-consciousness (Water) is activated by the Dynamic Principle
(Fire) in the presence of the equilibriating Spirit (Air) within the physical vehicle
(Earth).
この効果は、個人の構成要素の二重性にあり、それは「火」と「水」により象徴される:
「精神の意識(水)」は、肉体的な乗り物(「地」)の内にある、釣り合わせる「霊(空気)」
の存在の中で、「動的な原則(火)」によって作動する。

The Path of JUDGMENT is, therefore, aimed at producing a balance within the individual,
necessary for a total understanding of the Personality structure and its relationship
to the greater universe.
「審判」の「小径」は、それゆえ、「人格」の構造と、より大きな宇宙とのその関係の、
全体的な理解にとって必要な、個人の内にある平衡を生み出すことに向けられる。
--- ここまで ---

「equilibriating」は、「equilibrating/釣り合わせる」の誤植です。

さて、ここでは「火」と「水」のバランスというものが大事であり、そして「地」と
「空気」の関係についても述べられています。

すなわち、「火」である「審判」と、「水」である「月」、そして「地」の「マルクト」と
「空気」である「イェソド」を結ぶ「宇宙」との関連性について、しっかりと考察して
いきましょうということですよね。

とはいえ、「生命の木」のような、複雑なネットワークを組むものは、その構成要素
だけを見ても、何のことかわからないことが多くて、その傾向は、「セフィロト」よりも
「小径」の方が強く出て来ています。
それゆえ、「小アルカナ」以上に「大アルカナ」は複雑怪奇となっているわけですので、
ワタシみたいに頭の良くない人は、この辺りで早々にリタイアした方が賢明かと思います。
0125名無しさん@占い修業中垢版2017/03/30(木) 06:16:00.19ID:FT+Ao4H9
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 151) ---
But to say that "balance" is produced on this Path raises a question.
しかし、「平衡」がこの「小径」の上で生み出されると言うことは、疑問を引き起こす。

One might well ask how it is possible for there to be balance in any Path which
is not on the Middle Pillar.
人は、「中央の柱」の上にない何かの「小径」の中に平衡があることがどのようにして
可能であるかを尋ねるであろう。

The answer is found in the idea that every symbol is a duality, containing its
own opposite.
その答えは、「全ての象徴は二重性であり、それ自身の反対物を含む」という考え方の
中に見つけられる。
--- ここまで ---

ワタシは、「平衡」が「中央の柱」の上にのみ存在すると考えたことは無いのですが、
頭の固い人の中には、「中央の柱」が全体のバランスを取る支柱になっているので、
そういうふうに考える人もいるかもしれないということですよね。

とはいえ、「大アルカナ」のカードの「生命の木」の配属を見てもわかるように、「平衡」
という概念は、「中央の柱」のみにあるわけでもなく、あちこちに見ることが出来ます。
つまり、それぞれの「小径」の中には、「平衡」の概念が常に含まれているということで
あり、言い換えれば、全ての「小径」の中には「陰と陽の二重性の概念」が基本要素として
組み込まれていると言うことができます。

このことは、カードの「正位置」と「逆位置」の読み方にも関係してきます。
つまり、「正位置」はバランスが取れた状態であり、「逆位置」はバランスが崩れた状態
であると見る方法ですよね。
まあ、「大アルカナ」って、ロクに読めないシロモノですので、どう解釈するかは各自の
自由なのですが、とりあえず、解釈する時のネタにしてもらえればと思います。
0126名無しさん@占い修業中垢版2017/03/31(金) 06:44:13.23ID:32upU156
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 151) ---
As with the flashing colors, a symbol is only functional insofar as it is a
self-contained balance of two extremes.
点滅する色たちと同様に、象徴は、それが2つの両極端のものたちの自己完結型の平衡で
ある限りにおいて、ただ機能的であるだけである。

To extend this principle to the Paths, we see that each Path must contain the
essential components of its opposite Path.
この原則を「小径」に拡張することで、我々は、各々の「小径」は、その反対側にある
「小径」の本質的な構成要素たちを含んでなければならないことがわかる。

Here we may return to the example of Hod and Netzach, which relate to JUDGMENT
and THE MOON respectively.
ここで、我々は、「審判」と「月」にそれぞれ関連する、「ホド」と「ネツァク」の例に
戻ってもよい。
--- ここまで ---

基本的に、「生命の木」というものは、宗教的な崇拝の対象ではなく、あくまでも数々の
思考実験のためにあるアブノーマル、いやいやユニバーサルな「象徴体系」であって、
そういう意味では、これは「functional/機能的」であり、実用性の高いものです。
つまり、使えそうな原則があれば、とりあえず色々なところに適用してみてから考える
という、行き当たりばったり、いやいや前向きにチャレンジする姿勢は大事なのです。

とはいえ、万能である「生命の木」って、言ってみれば「何でもあり」の世界ですので、
それが生み出す大量のゴミの山の中から、真に役立つものを探し当てるというのは、
なかなかに至難の技であって、それゆえ誰もが簡単に使えるというものでもありません。

つまり、「大アルカナ」の世界は、あらゆる「原則」を適用することで、我々から見れば
「何でもあり」な解釈が出来るものであるので、実はとても厄介なシロモノです。
まあ、「何でも直観で読む」人にとっては、どうでもいいことなんでしょうけどね。
0127名無しさん@占い修業中垢版2017/04/01(土) 08:06:14.65ID:kJScHRjq
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 151) ---
Intellect applied without feeling is as pathological as feeling applied without
intellect.
感情を持たずに適用された知性は、知性を持たずに適用された感情と同じくらい病的である。

When we travel the Path of JUDGMENT we learn the lessons of THE MOON.
我々が「審判」の「小径」を旅する時には、我々は「月」の学課たちを学ぶ。

And, taken to the most refined aspect of the Tree of Life, when we travel the Path
of THE MAGICIAN, we learn the lessons of THE FOOL.
そして、「生命の木」の中で最も精錬された様相へと運ばれる、我々が「魔術師」の「小径」
を旅する時には、我々は「愚者」の学課たちを学ぶ。
--- ここまで ---

なんかもう、色々と話が膨らみますが、これも「生命の木」の持つ、何でもありというか、
いやいや、普遍性が高く万能的な性質を生み出す重要な特徴なのです。

「生命の木」は、数々の「対となるもの」、もしくは「組となるもの」を、その単純とも
思える構造の中に内包しています。
そして、この「組み合わせ」こそが、この宇宙の原理である「生命の木」の謎を解く鍵と
なるわけです。(まあ、我々のような一般人には、無縁のものではありますが。)

ちなみに、タロット占いにおいては、この「大アルカナ」は、基本的には、物事たちの
「関係性」を表すものとなり、何か特定の事象を意味しているわけではありません。
つまり、占いの上では、「単独では説明できないもの」ですので、特定事象を表す名詞
ではなく、形容詞、副詞もしくは助動詞みたいな働きをするような感じになります。
要するに、名詞という事象を、どう構造として組み立てていくかという「設計図」みたい
な働きをするものという感じですかね。
タロット占いをやるからには、とりあえず、ミソとクソの違い、いやいや「大アルカナ」
と「小アルカナ」の違いぐらいは分かるようになってほしいと思うわけです。
0128名無しさん@占い修業中垢版2017/04/02(日) 06:04:16.48ID:VlZgFiN7
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 151) ---
Such cards are antithetical, but mutually explanatory.
そのようにカードたちは正反対ではあるけれども、お互いに説明的である。

It is not possible to deal with any card without its opposite energy being present.
どんなカードであれ、その反対側の精力の存在なしには論ずることはできない。

And since the cards represent types of consciousness, it can be said that everything
which we experience, every idea, every activity, co-exists in us with its opposite.
そして、カードたちが意識の様式たちを表しているので、我々が経験する全てのもの、
全ての考え方、全ての活動は、その反対のものと我々の中で共存していると言われる
ことができる。
--- ここまで ---

「生命の木」においては、「右側」「左側」そして「中央」というのが、基本構造と
なっているため、常に、これらの組み合わせで論じることが必要とされます。
つまり、単独で部分的に論じてみても、本当の理解には繋がらないということです。
特に「小径」では、その傾向が強く出てきますので、そういう意味では、とても面倒臭い
というか、物事を単純に捉えがちの人にとっては、とてもハードルが高くなります。

あと、「大アルカナ」は、「consciousness/意識」そのものではなくて、「types of
consciousness/意識の様式たち」、すなわち抽象化された上位概念を表していること
にも注意が必要です。
要するに、「大アルカナ」って、何を言いたいのか、よくわからないということです。

何を言いたいのかというと、この世の全てのものは「多面的」であり、多面的な思考を
持たないことには、「カバラ」の世界は何一つ理解することは出来ないということです。
そういう意味からも、いわゆる「○○○タロット占い」というものは、しょせん「カバラ」
とは無縁のものであり、全く別物と考えておいた方がいいということですよね。
0129名無しさん@占い修業中垢版2017/04/03(月) 06:07:52.50ID:Q/9hy0Ma
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 151) ---
Such lessons on the Paths are extremely practical, although this cannot be obvious
as one begins to juggle the slippery concepts related to the four symbolic Elements.
そのような「小径」の学課たちは、極めて実用的である、とはいえ、4つの象徴的な
「元素たち」と関連した滑りやすい概念たちを欺き始めるので、これは明らかになる
ことはできないけれども。
--- ここまで ---

「slippery concepts/滑りやすい概念たち」というのは、極めて不安定な状態であって、
見たままとか、感じたままのものを信用すると、ロクなことにならないということです。

とはいえ、研究者のように、その裏に隠された真の概念を理解しようとするのではなく、
我々のように、とりあえず現世において何らかのネタとして使えればいいと考えている
一般の人々にとっては、この「lessons on the Paths/小径たちの学課たち」というのは、
それなりに使えるということです。

要するに、ある程度の勘違いを含んで、というか、ウソも方便、というか、まあ他人に
対して何かアドバイスをしようとする時って、ある程度まで話を盛ることって、ままあり
ますよね。
そう、「大アルカナ」の占いって、正直に「カードを読む」というよりも、むしろ様々な
レベルでの「妄想」を膨らませるという方向に働くわけです。

そして、そういうふうに、話のストーリーをデッチ上げる、という作業においては、この
「小径の学課」、すなわち「大アルカナの勉強」って、それなりに役に立つというか、
ストーリーを膨らませるには、実に使いやすいものなわけです。

もちろん、そういう「大アメカナ」による「占い」の実用性は、本来の「カバラ」とは
無縁のものなのですが、そういう面での実用性はあるよ、ということですよね。
我々のような下々の者にとっては、使えてナンボですので、こういった低俗なる姿勢は、
ある程度までは保っておきたいわけなのです。(言い訳w)
0130名無しさん@占い修業中垢版2017/04/04(火) 06:30:05.42ID:jMMLXHgg
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 151) ---
On the other hand, the pictures on the cards bear a strong relationship to the
visual experience of the Paths, and a great deal can be learned by meditation
on them.
その一方で、カードたちの絵たちは、「小径たち」の視覚的体験と強い関係を持ち、
そして多くのものは、それらの瞑想により学ばれることができる。

Path images are archetypal representations of actual inner roads built through
centuries of mind work by the most advanced men and women of all ages.
「小径」の映像たちは、あらゆる年代の最も上級の男女の人々により、何世紀にも渡る
精神的作業を通じて築かれた、実際の内なる道たちの原型的な表現たちである。

These images are largely constructs built to assist us by those who have gone
before.
これらの映像たちは、前に行ったことがある人々によって、我々を支援するために
築かれた、大量の構成概念たちである。
--- ここまで ---

「大アルカナ」のタイトルや象徴的な絵は、その取り扱いに最新の注意が必要です。
なぜならそれは、「archetypal representations of actual inner roads/内なる道たち
の原型的な表現たち」であって、「小アルカナ」と同じように、見たままで解釈しては
ならないシロモノであるからです。

そもそも、「大アルカナ」は、いわゆる「上級者」の、「上級者」による、「上級者」の
ために作られたカードですので、我々のような「下々の者たち」が、そう簡単には理解
できたり、使いこなせるようになるというものでもありません。

とりあえず、焦らず、あわてず、じっくりと時間をかけて勉強を進め、自分自身の「内なる
世界」に取り込み、そして、いつか先人たちが築いてきた、真の「内なる道たち」を歩いて
いけるようになる日が来るようにと願うわけです。(たぶん、来ないと思うけどww)
0131名無しさん@占い修業中垢版2017/04/06(木) 06:09:57.51ID:lopulIu9
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 151) ---
It is in this that many falter, believing the construct (the concretized symbol
on the astral plane) to have a reality of its own.
それ自身の真実を持つために、構成概念(星幽面の上の、具体化された象徴)を信じて
いる、多くの者たちのためらいは、この中にある。

It is only beyond the lower astral that one touches upon the realities which
activate the symbols.
人が、象徴たちを作動させる真実たちに触れることは、より下層の星幽界を越えたところ
にある。
--- ここまで ---

「小径の映像たち」、すなわち「大アルカナ」の絵や、そこから導かれるイメージは、
ほとんどの一般人にとっては、星幽界での出来事であり、しょせん、平常運転の妄想の
範囲内のものでしかありません。
つまり、想像上で「見えた!」といったところで、それはあくまでも、そうカキコした
人の真実であって、実際にアニメーターがそれを描き込んだわけではないわけですし、
絵コンテにそれが書かれているものでもないですし、ましてや監督が、それが見えるように
描けと指示したということでもないわけです。

それはともかく、そういう物語性というか教育性の高い映像作品って、それを受け取る
人々が、本当に発信したいものを理解していくのって、なかなかに難しいことです。
受け手である一般大衆は、それぞれに「自己的な真実」、つまり自分自身の尺度を持って
いるのですが、それらの多くは、見せかけの美しさとか、見せかけの感動、すなわち
「the lower astral/より下層の星幽界」に属するものであって、物語の奥に込められた
「送り手が伝えたい真実」にまで到達できる人は、ごくごく限られてきます。

ましてや、商業オカルティストによる低俗解釈の作品が大量生産されている「神秘世界」
の話になってくると、もう何が何やらわけわからないものばっかりですので、本当に神秘
に興味のある人は、逆に近づかない方がいいということになるわけなんですよね。
0132名無しさん@占い修業中垢版2017/04/06(木) 06:12:01.64ID:lopulIu9
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 151) ---
We may step onto the JUDGMENT Path and experience initially what is shown in the
Tarot card.
我々は、「審判の小径」に踏み込み、そして、「タロット」カードの中に示されている
ものを最初に経験するかもしれない。

Yet beyond these visual constructs, we come to understand that the Path is the
ennervating, activating effect of the cosmic motive principle on the individual
consciousness: the Fiery Spirit permeates the Personality consciousness in the
descent of energy into matter.
さらに、これらの視覚的な構成概念を越えて、我々は、「小径」が、個人の意識の上の
宇宙の原動力の原則の、衰弱化や活性化の効果であることを理解するようになる:
「火の霊」は精力の下降において物質中にある、「人格」の意識に浸透する。
--- ここまで ---

最も下層の「タウ/宇宙」の「小径」では、まだ半分ほど物質世界の影響が残っており、
それを完全に払拭することは出来ませんので、逆に中途半端な我々にとっては、それを
理解することは、そう難しくはありませんでしたが、「シン/審判」に至っては、もう
そういった物質的な甘えは、全く許されなくなります。

つまり、物質的なもの、そして属人的というか個人的なもの、つまり我々自身の肉体と
精神を、全部ここで脱ぎ去っておかないと、ここから先の「小径」は通れないことに
なっているわけです。
そして、「具体的」な個人という存在を超越した、「普遍的」な抽象概念、すなわち肉体や
精神を持たない、純粋なる「霊」への変身を強要されるということなんですよね。
まあ、アニメの登場人物ならともかく、普通の生身の人間であれば、そんなことは絶対に
不可能ですので、あくまでも、この考え自体が「抽象的な概念」となっているわけです。

ちなみに、こういう「高度に抽象化された概念」を言葉で説明するのって、難しいです。
星幽界レベルでの妄想程度では、到底理解不能な概念ですからね。
0133名無しさん@占い修業中垢版2017/04/07(金) 06:01:38.30ID:J8DQZNln
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 151) ---
In the purposeful ascent of the Path of Shin the last illusions of the separateness
of the Personality are burned away.
「シン」の「小径」の意図的な上昇の中で、「人格」の個別性の最後の幻想が焼き払われる。
--- ここまで ---

まあ、「生命の木」においては、「幻想が許されるのは『イェソド』までだよねー」と
いう、暗黙のお約束がありますので、上位にある「ホド」へと至る前に、「最後の晩餐」
みたいな感じで、我々の「最後の幻想」は、この「シン/審判の小径」の中で、終わりを
宣告されるわけです。

つまり、そういった「幻想」を抱いたままで、この「小径」を通ろうとしても、それは
無理な話であるということであり、それはつまり、我々のような妄想の固まりのような
人間は、絶対に通過することができないシロモノ、つまり我々にとっては関係無いもので
あるという結論にもなるわけです。

え、そんなにあっさりとあきらめてしまっていいのかって?

まあ、努力して何とかなるものであれば努力してもいいのですが、失うものが多すぎる
のと、それによって得るものが未知数ですので、できればそういう無駄なチャレンジは
したくないというのが、本音なのです。

というわけで、ここから先は、ほぼ傍観者モードというか、無責任な話に終始していく
ことになりそうですので、真面目にチャレンジしようとしている人は、早めに脱落して
もらった方がいいかな、と思うのでした。

いずれにしても、ここから先は、「人格」のうち、個性的な部分の大くは削ぎ落とされ、
純粋で普遍的な部分が抽出されていきますので、そういうのも、何かこう面白く無いん
ですよね。
やっぱりワタシは、俗物っぽくてキラキラした「タウ/宇宙の小径」の方が好きです。w
0134名無しさん@占い修業中垢版2017/04/08(土) 06:58:40.72ID:0GdiVzUb
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 151) ---
To reiterate the Qabalistic symbolism: Shin contains all four Elements: Fire, Water,
Air and Earth.
カバラ主義の象徴主義を繰り返して言えば:「シン」は、全ての4つの「元素たち」を含む:
「火」、「水」、「空気」、および「地」。

This concept may be explained developmentally: The evolution of the cosmos is from
the most simple to the most complex.
この概念は発達的に説明されるかもしれない:宇宙の進化は、最も簡単なものから最も複雑
なものになる 。

It goes from nothing to something.
それは、何も無いものから、何かあるものへと向かう。
--- ここまで ---

「シン/審判」が、「四大元素」の全てを含むという理論が、どこから来ているのかは、
いまいち良くわかりませんが、強いていえば、おそらく「カバラは何でもあり」という
ところから来ているのではないかと思います。

そもそも、下層の「セフィロト」における関連性によれば、
・「タウ/宇宙」=「イェソド:空気」と「マルクト:地」を繋ぐ「小径」
・「シン/審判」=「ホド:水」と「マルクト:地」を繋ぐ「小径」
・「コフ/月」=「ネツァク:火」と「マルクト:地」を繋ぐ「小径」
という役割分担がありますので、あまり一人じめするのは良くないと思いますし、そもそも
我々にとっての宇宙創造の過程というのは、「タウ/宇宙」の「小径」が担っています。

つまり、「シン/審判」は、「タウ/宇宙」の目に見える「物質的/実数的な宇宙創造」の
過程の前にある、我々にとっては決して見えることのない「精霊的/虚数的な宇宙創造」の
過程を受け持つという、雲の上の話に持ち込むしかないわけですよね。
まあ、どうせ見えない世界の話ですので、どうでもいいことですけど。
0135名無しさん@占い修業中垢版2017/04/09(日) 07:00:33.65ID:Qcmf7H0v
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 151) ---
This is (applying the principle of "As Above, so Below") a process not dissimilar
to that of the Zygote, which begins as a single cell, is fertilized and grows
into a living human organism.
これは、(「上の如く、下も然り」の原則を適用することで)、たった一つの細胞として
始まり、受精して、生きた人の有機体に成長する「受精卵」のそれに、似ていなくはない
過程となる。
--- ここまで ---

勘違いしてほしくないので、最初に言っておきます。

この例え話は、あくまでも「上の如く、下も然り」という「何でもありの原則」もしくは
「ミソクソの原則」を適用した話ですので、くれぐれも同一視しないようにお願いします。

レベルの低い人って、こういう例え話を誤解して、すごく低レベルの話として理解して
しまいがちですので、ここでは、そういう意味で話を出しているわけではなくて、ただ
単に、「全くレベルが違うんだけど、今はこの程度の例え話しか出来ないので、そこを
きちんと理解しておいてから聞いてほしい」ということです。
そういう心構えが無いと、せっかくここでは「大アルカナ」の話をしているのに、いつの
まにか「小アルカナ」のレベルの話にオチてしまいます。

とはいえ、やっかいなのは、我々のようなレベルの低い人間って、本当の「大アルカナ」
のレベルでの理解って、実はほとんど不可能に近いのです。
つまり、我々には出来ないことをやらされるわけですので、はっきり言って無理ですし、
少なくともワタシは、そういう意味の無いことにはチャレンジしたくはありません、

じゃあ、どうしたいのかと言うと、もう真の「大アルカナ」のレベルの話はあきらめて、
より低俗で理解可能なレベルの話までオチてしまおうというのが、ワタシの結論なのです。
ということで、ここから先はもう「大アルカナ」のレベルでの話ではなくなりますので、
低レベルの話が気に入らない人は、さっさと退散してくださいね。(完全な開き直りww)
0136名無しさん@占い修業中垢版2017/04/10(月) 06:04:10.16ID:fU+BwWBg
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 152) ---
The cells of the Zygote multiply over and over again until they are a body which
is the receptacle of the Holy Spirit on this earth.
「受精卵」の細胞たちは、それらが、この地上にある「聖霊」の受け口である身体になる
まで、何度も何度も繰り返し増殖する。

At any stage of development, from the single fertilized cell, to the finished
product, the whole is implicit in the developing parts.
たった一つの受精した細胞から完成した製品となるまでの、発達のどのような段階でも、
統一体は発達している部分たちの中に、暗に含まれている。

Thus does the One grow to the ten or ten thousand or ten billion uncountable mind
cells which form the corpus of the universe.
このように、「一つのもの」は、宇宙の集成体を形成する、10や1万や100億の数えきれない
精神細胞たちに成長する。
--- ここまで ---

最初の話は、「単一の受精卵」が「人間全体を構成する無数の細胞の集まり」となる、
「人間の発生」という科学的な記述となっている部分です。
一方で、後の話は、「One/唯一のもの」が、宇宙の精神の構成要素である「uncountable
mind/不可算の精神たち」になるというものであり、ここに「上の如く、下も然り」の
「何でもありの原則」が適用されています。

こういう「理論的飛躍」は、あくまでもそれが「メタ的な象徴」であるという理解の上で
使用されるべきものであり、実際の適用においては、ある程度の「根拠」が必要とされます。
つまり、「これこれこういう然るべき理由があるので、これを適用することが可能となる」
ということを、常に心がけておく必要があります。
そうでないと、「根の葉も無いタワゴト」になるわけですし、少なくとも自分の中では
それなりに納得できるだけの理由を見つけ出しておくことと、それを理解できるだけの
知識を身に着けておくということが必要となってくるわけです。
0137名無しさん@占い修業中垢版2017/04/11(火) 06:13:20.99ID:zAjoFeKU
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 152) ---
The ultimate simplicity is THE FOOL, and the ultimate complexity is THE UNIVERSE.
究極の単純さは「愚者」であり、究極の複雑さは「宇宙」である。

But THE UNIVERSE and all the other cards are implicit, unexpressed, in THE FOOL.
しかし、「宇宙」と全ての他のカードたちは、発現されていないものの、「愚者」の中に、
暗に含まれている。

Thus, with the cards in between, we find different stages of that which is
expressed and unexpressed.
したがって、その間にあるカードたちとともに、我々は、表現された、そして表現されて
いない、それの種々の段階たちを見つける。
--- ここまで ---

「小アルカナ」の「セフィロト」は、「ケテル」の単純さから始まり、「マルクト」の
複雑さで終わるというのは確かですし、「ケテル」の中には、他の全ての「セフィロト」が
暗に含まれているのも確かなのですが、「大アルカナ」の「小径たち」は、「愚者」が
単純で「宇宙」が複雑であるとは、そう簡単には言い切れないとは思うのです。

そして、そういう「セフィロト」の各段階に働きかけて、何かを発現させていくという
働きが、この「大アルカナ」の「小径たち」にあるというのは確かなのですが、そういう
明確な「stages/段階たち」というのは、本来は各「セフィラ」の役割ではないのかな、
とも思うのでした。

つまり、ここの文章には、ワタシ的には、少々違和感を感じます。、

実のところ、「大アルカナ」の「小径たち」って、抽象的すぎて、どこかの段階で固定的
に存在して作用しているという感じも無いんですよね。
ありとあらゆる段階において発現し、必要に応じて作用するけれども、ある特定の状況や
段階においては、より強く働くように見えているというような感じです。
0138名無しさん@占い修業中垢版2017/04/12(水) 06:10:19.13ID:q6DUE7Sg
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 152) ---
Given any specific card on the Tree, the energy of all the cards above it are
expressed while the energies of those cards below it are present but unexpressed.
「木」の上のいずれかの特定のカードを考慮すると、それの上位の全てのカードたちの
精力は発現されているとはいえ、それの下位のそれらのカードたちの精力たちは存在する
けれども発現されていない。

Each defines a stage of development.
各々は、発達の一つの段階を定義している。
--- ここまで ---

最初に翻訳文の訂正です。
前レス(>>137)の最後の翻訳文の「expressed and unexpressed/表現された、そして表現
されていない」を、「発現された、そして発現されていない」に修正しておいてください。

さて、前レスでも述べたのですが、ここの文章も、ワタシ的には、少々違和感を感じます。、
これは、「セフィロト」のことを述べていて、「小径たち」のこととは違うのではないかと。

ワタシの考え方は、「小径」とは、例えて言えば、宇宙の法則や原理であり、変換関数
であり、触媒や酵素やフィルタであり、加工工場である、というイメージになります。
つまり、前段階の「セフィラ」から、ある特定の原材料を入荷し、それを加工し、製品と
して、発達的に次段階の「セフィラ」へと出荷するという感じなのです。

さらに、「小径」の変換機能の定義は、極めて抽象的になっているので、何らかの特定の
変換機能が特定の「小径」に実装されているということにはならなくて、その前後の流れ
の中で、かなり流動的に「小径」の変換機能が発現してくるということになります。

つまり、ワタシの中では、この文章の「上位のカードは発現しているけれども、下位は
発現していない」ではなくて、「全てのカードは、状況により、かなり柔軟に変換機能
を発現できる」という、さらに曖昧というか、やっかいなものになっているわけです。
0139名無しさん@占い修業中垢版2017/04/13(木) 06:11:16.59ID:KP427AR9
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 152) ---
And, using this logic, it may be appreciated that in THE FOOL Air is expressed,
while Water and Fire are implicit.
そして、この論理を使うことで、「愚者」の中では「空気」が発現され、その一方、
「水」と「火」は暗に含まれることが、理解されるかもしれない。

In THE HANGED MAN Air and Water are expressed and Fire is implicit.
「吊られた男」の中では「空気」と「水」が発現され、「火」は暗に含まれる。

When we come to JUDGMENT we again find Air and Water expressed, now set in motion
by the full expression of Fire.
我々が「審判」に来る時に、我々はさらに、「空気」と「水」が発現され、そして今、
「火」の完全な発現により発動されるのを見い出す。
--- ここまで ---

このストーリーは、『セフェル・イェツィラー(形成の書)』に書かれているものです
ので、正直言って、ここで言う「logic/論理」や「理屈」は、全てが後付けです。
つまり、「なぜそうなるの?」などという詮索は、無意味であり無用です。

我々が出来るのは、この極めて抽象的な原則が、何に適用できるのか、何に応用できる
のか、つまり、例えて言えば何なのか、ということを考えることぐらいですかね。

とはいえ、ここで言う「母字」の「空気」や「水」や「火」自体が、極めて抽象的な事象
というか、具体的な何かというものでもありませんので、なかなかに厄介です。
要するに、自由度が高すぎる原理や原則って、シロウトにとっては「使いモノにならない」
というか、すこぶるどうでもいいものばかりなのですよね。

結果的には、この「母字」のグループである「愚者」、「吊られた男」、「審判」は、
修行の足りない我々にとっては、「よくわからないもの」という結論に至るわけです。
え、ヤル気なさ過ぎですか?
0140名無しさん@占い修業中垢版2017/04/14(金) 06:11:02.20ID:g/oG/NoV
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 152) ---
Here it must be repeated that these patterns will be utterly meaningless until a
real understanding of that which is symbolized by the various "Elements" emerges.
ここで、これらの様式たちは、様々な「元素たち」の出現により象徴されるものを真に理解
するまでは、全く意味の無いものであろうということを、繰り返して言われなければならない。

Every Qabalistic symbol relates to some specific part of the Self, the Tarot Keys
being very precise definitions of parts of the human whole.
あらゆる「カバラ主義」の象徴は、「自己」の、ある特定の部分、すなわち、統一体としての
人間の部分たちの非常に精密な定義たちである「タロットの大アルカナたち」に関連している。
--- ここまで ---

まあ、ここで「様々な元素たちの出現により象徴されるもの」を真に理解するという前提が
付いた時点で、もう無理なことは確定しましたので、これ以上の言及は避けようと思います。

さて、それに続いて、「大アルカナ」のそれぞれが、人体の部分を象徴しているという記述
が出てきます。
これは、「生命の木」の各部が、人体の各部に対応しているという前提から、必然的に
導かれる理屈でもあります。
関係ないけど、人体の出現、端的に言うと出産のシーンでは、人は頭から生まれ出てくる
のが普通であって、「逆子の出産」というのは、カバラ主義的に言えば、例外的な事象で
あるということになるわけですかね。

まあそれはともかく、この「大アルカナ」の「大宇宙」レベルでの理解は、我々のような
一般人にとっては、ほぼ不可能というか意味の無いことですので、「上の如く、下も然り」
のマジックカードの効果を発動させて、ここから先は「小宇宙」のレベルで理解していく
ことで、お茶を濁そうと思っているわけでした。

まあ、わけがわからない「大宇宙」の話をするよりも、おそらく、こっちの小さいレベル
での話の方が面白いですしね。(完全に逃避モードw)
0141名無しさん@占い修業中垢版2017/04/15(土) 06:45:14.61ID:bKtIzQIR
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 152) ---
The Paths of JUDGMENT, THE UNIVERSE and THE MOON are aspects of the normal waking
consciousness of the Personality.
「審判」、「宇宙」、そして「月」の「小径たち」は、「人格」の通常の覚醒した意識の
様相たちである。

They also represent stages of self understanding.
それらはまた、自己理解の段階も表している。

JUDGMENT is the card where the divine forces meet the aspirant for the Mysteries,
where the Personality is lifted from the tomb of matter and evaluated on the
extent to which it has balanced the four Elements of Malkuth.
「審判」は、神の力たちが「神秘的教義」を追い求める者と出会うところのカードであり、
「人格」は物質界の墓から持ち上げられ、そして、それが「マルクト」の4つの「元素たち」
と、ずっと平衡を保ち続けているかという範囲において評価される。
--- ここまで ---

というわけで、ここから先は「小宇宙」、すなわち「下の如く」の「内なる世界」という
低レベルの話になるわけですが、実のところ、我々のような一般人は、この領域においても、
既に立ち入り禁止領域となっています。

修行の足りない者、つまり「 stages of self understanding/自己理解の段階」が必要
なレベルに達していない者は、この「シン/審判」における「it has balanced the four
Elements of Malkuth/マルクトの4つの元素たちと、ずっと平衡を保ち続けているか」
という、まず普通の人間では絶対に無理な条件をクリアすることが出来ないわけです。

要するに、一般人である我々は、ここから先には進めない、すなわち、既に使い道の無い
カードとなっていますので、はっきり言って、ここから先は時間の無駄となります。
まあ、ここから先は、たとえ見えていなくても「見えた!」と叫びたい変態さんだけしか
残らないような気もしますが。w
0142名無しさん@占い修業中垢版2017/04/16(日) 09:14:08.74ID:mSLLZ/0T
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 152) ---
It is for this reason that people have such varying experiences on this Path;
each personality must face what it is and has been, very squarely, answering
the call of the Angel whose presence has been invoked by the Fire of desire.
この理由のために、人々はこの「小径」の上で、そのような様々な経験を持つ;各々の
「人格」は、願望の「火」により召喚されたところである存在である「天使」の要求に
応えるために、それがどのようなものであるのか、そしてどんなものであったのかを、
真っ正面から、向き合わければならない。
--- ここまで ---

ここで、ある程度オカルトを知っている人は、この「火」の天使というところに、ちょっと
イヤな予感がするのではないかと思います。

まあ、この「シン/審判の小径」が「火」であるという流れから、何となくイヤな雰囲気
があったかと思うのですが、やっぱりそう来たかということなんですよね。

「マルクト」の「地」から、「ホド」の「水」に至る「小径」の上に、「火」があると
いうことは、要するに「ファイアウォール」であることに他ならないわけであって、
ここを通る資格のある者だけしか絶対に通さないよ、ということなんですよね。

まあ、どう考えても、生身の人間がそのままで通れるような「ファイアウォール」では
ありませんので、もうどうでもいいことなのですか、そういうことです。
それに、我々にとっての、この「火」というものは、既に我々の想像できるレベルを越えた
存在であって、ここでどうこう論じることのできるものではないわけですよね。

ということで、ここで話は終わりです。(投げオチww)
0143名無しさん@占い修業中垢版2017/04/17(月) 06:02:47.82ID:2Rydttoe
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 152) ---
In all accounts it is Gabriel who blows the trumpet of the Last Judgment, and most
will assume that it is Gabriel who is represented here.
全ての説明たちにおいては、それは「最後の審判」のラッパを吹く「ガブリエル」であり、
そして大多数の人は、ここに描かれている人物は「ガブリエル」であると思い込むであろう。

But this is not a Last Judgment at all, and the Archangel is Michael, Angelic
Ruler of Hod.
しかし、これは「最後の審判」では全く無くて、「大天使」は、「ホド」の「天使の
支配者」である「ミカエル」である。
--- ここまで ---

元々、この「審判」のカードは、「最後の審判」のシーンであると言われていましたし、
おそらく元々のタロットカードは、そういう意味だと思います。
でも、カバラを取り入れたゴールデン・ドーン体系では、大胆なストーリーの組み替えが
行われ、そしてこのカードは、もはや「最後の審判」では無くなっているということです。

ゴールデン・ドーン体系の「大天使」は、「ミカエル」が「ホド」に、「ガブリエル」は
「イェソド」に配属されます。
つまり、「最後の審判」は、どちらかというと「タウ/宇宙の小径」に関係するわけで、
この「審判」は、我々から見ると、どちらかというと「地獄の業火」に近いものです。
要は、「最後の審判」的な救済があると勘違いして、「マルクト」から「シン/審判の
小径」を上がろうと試みる人間は、「ホド」を司る「ミカエル」の上から目線によって、
「汚物は消毒だ〜!!」的なノリで、焼き殺される運命にあるわけですよね。

まあ、ヘタに上を目指すと、そういう危険があるので、我々のようなレベル不足の人間は、
地に足を付けた状態、つまり「マルクト」にいる生きている状態の時には、「ミカエル」
とは、かなり離れたポジションにいて、その恩恵を受けるというのが良さそうです。
そして、我々が「ホド」へと至るのは、「タウ/宇宙の小径」である「ガブリエル」の
祝福を受けた後、つまり死んだ後という「正規ルート」が良いということですよね。
0145名無しさん@占い修業中垢版2017/04/18(火) 06:19:35.92ID:EvrYOGWx
>>144
久しぶりの来客ですね。 (^^;

まあ、ワタシから見ても、あんまりいい解釈とは思いませんが、
あなただったら、どういうふうに解釈するのかを書いてもらわないと、
話が進みませんので、できれば何か書いてもらえると助かります。 (^^)/
0146名無しさん@占い修業中垢版2017/04/18(火) 06:20:59.62ID:EvrYOGWx
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 152) ---
Further information about this card is conveyed by the meaning of the Hebrew Letter,
insofar as the name of each letter is a word.
各々の文字の名前が単語である限り、このカードについてのさらなる情報は、「ヘブライ
文字」の意味により伝えられる。

Yet, as such words are attributed to the Tarot Keys there is wide latitude for
interpretation within the confines of the qualities described by the given word.
さらに、そのような単語たちは「タロットの大アルカナたち」に帰属されているので、
そこには与えられた言葉により表現される品質たちの範囲内の解釈のための広い許容範囲
がある。

Shin, in this case, means tooth, suggesting hardness, sharpness and biting.
「シン」は、この場合は、堅さ、鋭さ、そして噛むことを示唆している、「歯」を意味する。
--- ここまで ---

さらなる混乱の元というか、解釈上で悩ましいのが、この「ヘブライ文字」の「文字」と
しての意味です。
この「大アルカナ」のレベルにおいては、ストレートに解釈して当てはめることは出来ない
ので、どうしても「wide latitude/広い許容範囲」というか、ほぼ何でもありの解釈を
しておかないと、なかなかすっきりと当てはめることは出来ない状況なんですよね。

とはいえ、こういう拡大解釈というか、象徴化というか、抽象化という作業は、我々が
「大アルカナ」を理解したり使ったりする際には、必須となる作業ですので、ここで
しっかりと訓練しておくことも必要だったりするわけです。

一見すると、何の関係も無いものたちの中にある、隠された関係性を強引に見いだして、
お互いに関連付けを行って、物事の本質を見ていくというのが、この「大アルカナ」の
強引な使い方の一つであり、それゆえ「大アルカナ」は、物事の本質を探るための強力な
ツールとなっているわけですからね。(強引なる結論w)
0147名無しさん@占い修業中垢版2017/04/19(水) 06:10:09.46ID:9iPFlVUl
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 152) ---
It can be interpreted as the teeth which chew prior to the ingestion of energy
into the system, i.e., as that which causes a release of energy (the Kundalini
force).
それは、系の中にある精力の摂取に先立って噛む歯、すなわち、精力(「クンダリニー」
の力)の解放を引き起こすそれとして解釈されうる。

Tooth can also be taken to mean that which kills, here meaning the final blow to
the perception of the Personality as separate.
歯は、また、殺すものを意味することと解釈されることができ、ここでは分離したものと
しての「人格」の認知への最終的な打撃を意味している。
--- ここまで ---

かなり怖いことを書いていますが、一般人である我々は、これに近づきさえしなければ、
特にこれといった害はありません。

問題となるのは、自分のことを充分に理解しきれないままで、頭の足りない、いやいや
修行の足りない人間が、この「小径」に近づこうとした場合ですよね。

まあ、ほとんどの場合は、この「大天使」は、そのようなレベルの低い人間は無視して
くれるのですが、それでもしつこく接近しようとする場合は、かなり激しく「噛まれる」、
もしくは「噛まれた気になる」ことになります。
本来は、噛まれることで、低次の「人格」が噛み殺されてロックが解除され、さらなる
上のレベルに達することが出来る準備が整うようになるわけですが、準備が出来ていない
人間が噛まれた、もしくは噛まれた気になっちゃった場合には、いわゆる「クンダリニー
症候群」、すなわち頭のおかしな人の状態に陥るわけです

実のところ、そのほとんどは、「頭のおかしな人の思い込み」ですので、このカードに
関連付けする必要は無いのですが、もし本当に噛まれた人がいたとしても、やっぱり
「頭のおかしな人」と見られますので、他人には黙っておいた方がいいということですよね。
0148名無しさん@占い修業中垢版2017/04/20(木) 06:11:50.15ID:YvEHjynv
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 153) ---
Such descriptive words amplify the symbolism of numbers, so important to the
Hermetic Qabalah.
そのような記述的な単語たちは、数たちの象徴主義を拡大するので、「ヘルメス主義的
カバラ」にとっては、とても重要である。

As has been demonstrated, the number 300 assigned to Shin reduces to 3, the number
of the Sephira Binah; the number of the card, 20, reduces to 2, that of THE HIGH
PRIESTESS.
ずっと説明され続けているように、「シン」に割り当てられた数値の300は、「セフィラ」
の「ビナー」の値である3に縮小する;カードの番号である20は、「高等女司祭」のそれで
ある2に縮小する。

The principle here is that numbers of the Hebrew letters are reduced and manipulated
relative to the ten Sephiroth, while the numbers of the cards (0-21) relate to
other cards.
ここでの原則は、ヘブライ文字たちの数値たちが縮小されて、10の「セフィロト」と関連
して操作されることと、その一方で、カードたち(0-21)の番号たちが、他のカードたち
と関連することである。
--- ここまで ---

カバラの数秘術の「reduce/縮小」の操作は、各桁の値を足し合わせることになるわけで、
「シン」の300は、3+0+0=3 となるので、「ビナー」の3に関連するということになり、
「審判」の20は、2+0=2 となるので、「高等女司祭」の2に関連するということになるそう
です。

まあ、これだけを見れば、「だから何?」としか言えないのですが、とりあえず、カバラの
数秘術では、そういう原則があるので、そういうことらしいです。

まあ、ワタシ的には、あんまり興味のある分野ではありませんので、手抜き説明ですが。
0149名無しさん@占い修業中垢版2017/04/21(金) 06:23:55.92ID:t6mEzrfy
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 153) ---
Of course, the connection with other cards is made on more than numerical grounds.
もちろん、他のカードたちとの関係は、数値的な根拠よりも、より多く作られる。

For example, the fact that Shin is Fire suggests thta it relates to two other
important cards, THE TOWER (Mars) and THE SUN.
たとえば、「シン」が「火」であるという事実は、それが、「塔(火星)」と「太陽」の、
2つの他の重要なカードたちに関係していることを示唆する
--- ここまで ---

二番目の文章の「thta」は、おそらく「that」の誤植ですよね。

さて、カバラ数秘術は、単なる「数合わせのネタ」以上のものは提供しませんので、色々と
妄想を膨らませていくには、ちょっと物足りないというか、まあ要するに子供だまし的な
算数みたいなものですので、メインに据えるには、いまいち魅力に欠けるんですよね。
つまり、どちらかというと、脇役的な使い方をするのが良いと思います。

とりあえず、もう少しマシなネタである、「シン」が「火」であるというネタを使って、
もう少し妄想を膨らませていくことにします。
とはいえ、以下は、あくまでも「ネタ」ですので、「生命の木」の「シン/審判の小径」の
「元素の火」という本来の話とは、少々異なるものであることは、理解しておいてください。

まず、この「火」のイメージから連想される「大アルカナ」のカードとして、ここでは
「16:塔(火星)」と「19:太陽(太陽)」が挙げられています。
あと、ワタシとしては、「火」の元素である「4:皇帝(白羊宮)」、「8:力(獅子宮)」、
そして「14:節制(人馬宮)」も追加しておきたいです。

そして、占いの場に、これらのカードが同時に出てきた時には、場に「火」の影響が強く
見られると判断するわけですが、だからどうなのと言われても、しょせん「大アルカナ」
という上位世界の話ですので、適当にお茶を濁すしかないわけですけどね。
0150名無しさん@占い修業中垢版2017/04/22(土) 07:36:06.52ID:VYUWRNDG
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 153) ---
This connection with THE SUN is made explicit in the Golden Dawn "Book T," which
describes the angel here as Michael, Ruler of Solar Fire.
この「太陽」との関係は、ここの天使を、「太陽の火」の支配者である「ミカエル」と
述べる、ゴールデン・ドーンの「"T"の書」において明確にされる。

It is he who blows the trumpet calling down the influence of Binah.
「ビナー」の影響を呼び起こすラッパを吹くのは彼である。
--- ここまで ---

ゴールデン・ドーンの「"T"の書」には、この「20:審判」の天使が「ミカエル」であると
いう明確な記述は無かったと思うんですが、ワタシが知らないだけですかね…。

いずれにしろ、ウォン氏は、この天使が「ミカエル」であると断定しており、それゆえ
ウォン氏の描いたゴールデン・ドーン版タロットの「20:審判」の天使は、「ミカエル」を
象徴する「赤色」で描かれています。
ちなみに、この「赤色」の特徴は、ウェイト版にも引き継がれており、それゆえ、
ウェイト版の「20:審判」の天使も、「ミカエル」であるとされています。

ちょっとやっかいなのは、この「ミカエル」は、「太陽」を支配する天使であるため、
このままでは「19:太陽」のカードと、キャラがカブってくるので、何か違いを出さない
といけないわけです。
そして、その違いとなるのが、「峻厳の柱」に流れる「ビナー」のエネルギーであると
いうことなのですが、いまいち微妙すぎて伝わってきません。
どちらかというと、ストレートに「火」を吹いてくれた方が、わかりやすいのではないか
と思うわけで、それならば、「ミカエル」よりは、ゴジラみたいな怪獣を登場させて、
口から火を吹いてくれた方が、ネタ的には面白いかな、とも思うのでした。

そもそも、この「天使」から我々に向けて吹き出されるのは、間違いなく「地獄の業火」
であると思いますしね。
0151名無しさん@占い修業中垢版2017/04/23(日) 06:58:19.97ID:v8R8h3Ka
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 153) ---
Another reference to the Supernals is the Red Cross Banner, which stands for the
Four Rivers of Paradise, as well as the four letters of the Divine Name.
もう一つの「至高者たち」との関連は、「赤い十字の旗」であり、それは、「神名」の
4つの文字たちと同様に、「天国」の「四つの川」を表す。
--- ここまで ---

前項で、「ビナー」の話が出てきましたが、この「ビナー」を含む「至高の三角形」を
暗示しているのが、この「the Red Cross Banner/赤い十字の旗」ということです。
つまり、この天使の吹くラッパから噴出しているものは、そういう別世界から湧き出す
永遠のエネルギーであり、そういう状況を表しているものが、この「20:審判」という
「火」の元素のカードであるということですよね。

そういう意味では、何となく「19:太陽」に似ている感じはありますが、「20:審判」が
「地」の「マルクト」に繋がっており、一方で「19:太陽」は「空気」の「イェソド」に
繋がっているという違いが、両者の決定的な違いとなっているわけです。

とはいえ、一般人である我々にとっては、そういう「天国からの永遠のエネルギー」なる
ものの存在は、まるで「空気」のようなものであって、我々のレベルでは、何かに活用
できるようなものでもないので、全く気にしなくても良いというシロモノです。
まあ、そういうものがあるんだ〜、的な捉え方でイイと思います。

というか、シロウトが、ヘタにそんな「永遠エネルギー」に絡もうとしても、あるある
詐欺に遭うか、オカルト詐欺師になる以外には、思い浮かびませんしね。

え、オマエはレベルが低いから、本当の「エネルギー」が見えていないだけだろうって?
はいそうです。
ここにはあなたにとって何も有益な情報はありませんので、さっさとお帰りくださいww
0152名無しさん@占い修業中垢版2017/04/24(月) 06:07:54.20ID:SDnBXZct
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 153) ---
The rainbow in the Order's card, containing serpents representing the Fiery
Seraphim, is undoubtedly that which surrounds the fiery Throne of God described
in Revelation.(*100)
「(ゴールデン・ドーン)団」のカードの中の虹は、「火の熾天使」を表すヘビたちを
含んでおり、 『ヨハネの黙示録』において述べられた「神」の「火の王座」を取り囲む
それであることは疑いようがない。(*100)

This rainbow encloses the Archangel who seems to emerge from the Fire triangle
itself.
この虹は、それ自身を「火」の三角形から出現するように見える、「大天使」を取り囲む。
--- ここまで ---

ちなみに、(*100)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 271) ---
100. Revelation 4:3. The rainbow as a symbol of God's covenant with Noah appears
in Genesis 9:17.
100. 『ヨハネの黙示録』4:3。ノアとの「神」の契約の象徴としての虹は、『創世記』9:17
に現れる。
--- ここまで ---
とあります。

つまり、ゴールデン・ドーンの「20:審判」のシーンは、「最後の審判」のシーンではない
かもしれないけれども、それでも『黙示録』をモチーフとしていることは、間違いないと
いうことです。

両者の関係性は、少々ややこしいのですが、とりあえず、色々なイメージをまとめて、
もう全部「ミカエル」一人でいいんじゃないかな、という感じで、「20:審判」のデザイン
になったような感じですかね。
え、そんないいかげんな説明で、いいのかって?
0153名無しさん@占い修業中垢版2017/04/25(火) 06:17:58.02ID:z5Ejg6y6
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 153) ---
At the base of the card, rising from the tomb facing the angelic presence, is Arel,
Ruler of Latent Heat.
カードの基部で、天使の面前に直面して墓から蘇るものは、「潜在的な熱の支配者」である
「アラル」である。

He is also the candidate for the mysteries who follows this Path of Fire.
彼はまた、この「火の小径」をたどる、神秘的教義の志願者でもある。

The male figure at the left is Samael, Ruler of Volcanic Fire.
左の男性の人物像は、「火山性の火の支配者」である、「サマエル」である。

Opposite him is Anael, Ruler of the Astral Light, represented in duplicate in that
she is Demeter-Persephone and Isis-Nephthys.
彼の反対側には、「星幽光の支配者」である「アナエル」があり、彼女は「デメテル−
ペルセポネー」と「イシス−ネフティス」であるという点において、二重に表されている。
--- ここまで ---

「Arel/アラル」は、『黄金の夜明け魔術全書』の「第五知識講義」の「火の天使」として
名前がでてきており、「潜在的な火」、すなわち「火」の進化の途中の状態を表しています。

「Samael/サマエル」は、『黄金の夜明け魔術全書』の「第五知識講義」では「クリフォト」
として名前が出てきていますが、「火山性の火」、すなわち「大地」から吹き上がる「火」
の爆発的エネルギーを象徴します。

「Anael/アナエル」は、『黄金の夜明け魔術全書』の「第二講義文書」で、「ネツァク」
に配属され、金星の守護天使である大天使の「ハニエル」として別名で出てきます。
「大地の女神」ということで、この「20:審判」の「小径」の下端が、「マルクト」であり、
そして「20:審判」の小径の反対側に、金星が配属される「ネツァク」や、「星幽光」が
配属される「イェソド」があるということを表しているのではないかと思われます。
0154名無しさん@占い修業中垢版2017/04/26(水) 06:20:04.06ID:gowqBpQY
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 153) ---
Crowley's card, called "The Aeon," departs completely from tradition, and is
important in that his personal philosophy is more imbedded in this imagery than
in that of most other cards of the Thoth Tarot.
クロウリー氏のカードは、「永劫」と呼ばれ、伝統から完全に逸脱しており、彼の個人的
な哲学が、「トートのタロット」の他のほとんどのカードたちのそれの中よりも、より多く
この像の中に埋め込まれるという点において、重要である。

Overall, the Crowley deck is illustrative of the Book of the Law, a document which
he stated was revealed to him and which is the core of his teaching.
全般的に見れば、クロウリー氏のデッキは、彼に明らかにされたと彼が述べた文書であり、
そして彼の教義の中核である『法の書』の図解である。
--- ここまで ---

「20:Judgmant/審判」は、トート版タロットでは「20:Aeon/永劫」というタイトルに
変えられており、カードの意味も大きく変わっています。
これは、クロウリー氏による個人的かつ意図的な改変ですので、従来のタロットの解釈は、
ここではあまり意味を成さないということに注意しておいてください。

まあ、何でクロウリー氏が、こんなことをしているのかというと、それは「自己主張」の
何物でもないわけであって、要は「オレは他のヤツらとは違うんだ!」という、よくある
厨二病の症状、いやいや作品であるということですよね。

もちろん、タロット自体をネタとして使うことには何の問題もありませんので、各自の
判断で、ネタとして使える人は使ってもらってもいいと思うのですが、その際には、
『法の書』という作品も参考にしておいてください、ということです。
まあ、妄想を膨らませるには、それなりに役に立つのではないかと思います。
0155名無しさん@占い修業中垢版2017/04/27(木) 06:07:00.35ID:2nkUDOrq
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 153) ---
The Aeon also relates to what he called the Stele of Revealing.(*101)
「永劫」はまた、彼が「啓示の石碑」と呼んだものに関係している。(*101)
--- ここまで ---

ちなみに、(*101)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 271) ---
101. This is an obscure panel which in 1904 Crowley discovered in the Boulak Museum,
an institution now closed, but the collection of which has been taken over by
the Cairo Museum.
101. これは、1904年にクロウリー氏が、現在は閉鎖された施設であり、その収蔵品は、
カイロ博物館に引き継がれてしまっているが、ブーラーク博物館で発見した無名の盤
である。
The Stele, representing Horus, was of special importance to Crowley, and related
to his writing of the Book of the Law.
「石碑」は、「ホルス」を象徴しており、クロウリー氏にとって特に重要なものであって、
「法の書」の彼の執筆に関係している。
This is described in Confessions, 395.
これは、『告白』の395ページに記述されている。
--- ここまで ---
とあります。

まあ、このあたりの話は、クロウリー氏の個人的な妄想ですし、カバラ本来の「大宇宙」
や「小宇宙」に関する普遍的な神秘哲学とは質の異なるものですので、いまいち興味が
ありません。
そして、クロウリー教の信者にとっては、おそらく最も興味深いカードではないかと
思いますので、そういう意味でも、ワタシは興味は全くございません。

というわけで、しばらくワタシにとって興味の無い話が続きます。
0156名無しさん@占い修業中垢版2017/04/28(金) 06:16:10.15ID:4DcdBHEf
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 153) ---
This card, he explained, supersedes all earlier concepts of the Key, and shows
the harmonious and spiritual state of human existence which will be on the earth
in the mid twenty-second century.
このカードは、彼の説明では、それ以前の全ての「大アルカナ」の概念に取って代わり、
22世紀の中頃に地球上にいるであろうある人間の存在の、調和の取れた霊的な状態を示す。

That condition is symbolized by the Sky Goddess Nuith, and her consort Hadit
(represented as a golden orb of light).
その状態は、「天空の女神ヌイト」、および彼女の配偶者である「ハディト」(光の金色
の球として表される)により象徴されている。

They produce Horus, here shown seated and standing, his active and passive forms.
彼らは「ホルス」を生み出し、ここでは、座っているのと立っている、彼の積極的と
受動的な形態たちを示す。

Crowley also points out that another name for Horus is Heru, which is synonymous
with Hru, "The Great Angel set over the Tarot."
クロウリー氏は、「ホルス」の別の名前が、「タロットの上に配置される偉大な天使」
である「Hru/ヘル」と同義である、「Heru/ヘル」であることも指摘する。
--- ここまで ---

ふーん、そうなんだー、なんかすごいねー。(cv:安野希世乃)

元々のシンプルな概念の「20:審判」とは、似ても似つかないものになってしまっている
のですが、まあ要するに、自分勝手な妄想ネタを詰め込みすぎなんですよね。

とはいえ、地上に通じる「小径」は、「21:宇宙」と「18:月」と、この「20:審判」しか
ありませんので、クロウリー氏の宗教ネタ、いやいや神秘的思想は、この「20:審判」を
ハッキングして書き替えてしまうのが一番しっくりくるのも確かなんですけどね。
0157名無しさん@占い修業中垢版2017/04/29(土) 07:25:28.38ID:2WSPk03E
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 153) ---
What Crowley proposes here is highly consistent with Qabalistic doctrine, i.e.,
that the system evolves to meet the needs of spiritual evolution of the race.
ここでクロウリー氏が提案していることは、カバラ主義の教義と非常に一致しており、
すなわち、体系は、人類の霊的な進化に必要なものたちを満たすように発展するという
ことである。

Assuming that JUDGMENT represents a stage in the development of the race and of
the individual Personality consciousness, he is suggesting that there will come
a time in the not so far distant future when the spiritual make-up of mankind
will have so advanced that JUDGMENT, as previously known, will no longer describe
the experience of this Path.
もし「審判」が人類および個々の「人格」の意識の発達における段階を表していると仮定
すれば、彼は、それほど遠くない距離にある未来に、人類の霊的な構造が、以前に知られて
いたほどには、「審判」が、もはやこの「小径」の経験を記述しないであろうほどに進歩
してしまうであろう時が来ることを示唆している。
--- ここまで ---

へーえ、そういうことなんだー、クロウリーさんてすごいねー。(cv:安野希世乃)

まあ、『法の書』というのは、よくある「黒歴史ノート」のようなものですし、そういう
意味では、深く突っ込んではいけないというのが、「ヲタク」たちの場をうまくまとめる
ための「お約束」というものです。

とはいえ、妄想を熱く語るのもいいのですが、それはあくまでも「ネタ」としての世界の
話であることは、心のどこかに留めておかないと、そのうち全てを失うことになります
ので、くれぐれも自分を見失わないように、ご注意ください。

え、妄想を書き散らしているおまいが言うなって。
ごもっともでございます。ww
0158名無しさん@占い修業中垢版2017/04/30(日) 10:05:07.25ID:5bEZA0wP
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 153) ---
He further asserts that we are now passing into a five hundred year period of
extreme darkness and trial, preparatory to a new Aeon of Light. (*102)
彼はさらに、我々は今、新しい「光の永劫」の準備としての、極端な暗闇と試練の500年の
期間に移行しているところであると主張する。(*102)
--- ここまで ---

ちなみに、(*102)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 271) ---
102. Crowley, Book of Thoth, 116.
102. クロウリー著、『トートの書』、116ページ。
--- ここまで ---
とあります。

あー、うーん、そうだねー。(cv:安野希世乃)

まー、ここまでくると、これはもはや魔術ヲタクの単なる妄想というよりも、カルトの
主張に近いシロモノになっていますので、結果的に、これを「ネタ」であると考えない
アレな人々を生み出してしまうことになるわけです。

まあ、人間社会には、どこにでも、どんなものにでも、いわゆる「信者」というものは
湧くわけですので、一般社会に迷惑をかけない範囲であれば、好きにやってもらっても
構わないとは思うのですが、できればこっちには来ないでほしいなぁ、と思うのでした。

いずれにしても、「Light/光」と「darkness/闇」は対となるであって、実のところ、
並みの人間には区別しづらいものですので、簡単に騙される人も多くいるわけです。

え、光って見えるから「光」であり、黒く見えるから「闇」なんじゃないのかって?
まあ、「マルクト」においてはそうかもしれませんすが、上位世界においては、それとは
全く異なる概念であるということは、覚えておいた方がいいかと思います。
0159名無しさん@占い修業中垢版2017/05/01(月) 06:36:12.57ID:SOBuwJKq
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 154) ---
30. THE PATH OF RESH
30. 「レシュ」の小径

The Sun
太陽

The Nineteenth Key
19番目の鍵(大アルカナ)

--- ここまで ---

ここから、「生命の木に基づく大アルカナ」の章の中での新しい節になります。

サブタイトルは「レシュの小径」です。

まあ、初めて「足が地に着かない」というか、「マルクト」とは離れている「小径」です
ので、我々に対しては、直接の関わりを持たない、すなわち「イェソド」を通じて間接的
に作用しているものですので、基本的には、我々はそれを(勘違いしなければ)関知する
ことは出来ないものになってきているわけです。
とはいえ、最初の「タウ/宇宙の小径」以外は、どれも関知は困難ですので、どうでも
いいと言えばどうでもいいのですけどね。

つまり、この「小径」の直接利用は、一般人には困難ですので、後は「象徴化」した上で、
「上の如く、下も然り」というミソクソ理論を適用して、現世の事物に無理矢理絡ませて
何かのヒントを得るという使い方がメインになってきます。
まあ、言うなれば、パズルというか、オトナの知的なおもちゃ、という感じですかね。

というわけで、それっぽいネタを得るために、重箱の隅をつついていくことにしましょう。
0160名無しさん@占い修業中垢版2017/05/02(火) 06:21:36.82ID:u+Yh/kW2
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 154) ---
□ PATH COLOR: Orange
□ 「小径の色」:「オレンジ」

□ RELATED SOUND: D Natural
□ 「関連した音」:「Dのナチュラル」

□ PLANET: Sun
□ 「惑星」:「太陽」

□ MEANING: Head
□ 「意味」:「頭」

□ DOUBLE LETTER: Fertility-Barrenness
□ 「複字」:「肥沃と不毛」

□ ESOTERIC TITLE: The Lord of the Fire of the World
□ 「秘伝的な称号」:「世界の火の主」
--- ここまで ---

この本の、この文章の右側には、「頭」と、ヘブライ文字の「レシュ」と、「太陽」の
占星術記号、および「生命の木」における「レシュの小径」の位置が図示された絵が
描かれています。

詳しい説明は、前項の「タウの小径」を参考にしてください。

この本の、この説明文の下に、4枚の「太陽」のカードの写真が掲載されているのですが、
今回は、ウェイト版に、ちょっとしたこだわりが見られます。
こんなふうに、単なるパクリに留まらずに、何某かのオリジナリティを出してみたいと
いうのは、魔術ヲタクの基本的な属性なのかもしれませんね。
0161名無しさん@占い修業中垢版2017/05/03(水) 06:32:47.52ID:kJV74daO
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 154) ---
THIRTY TWO PATHS OF WISDOM: The Thirtieth Path is the Collecting Intelligence and
is so-called because Astrologers deduce from it the judgment of the Stars, and
of the celestial signs, and the perfections of their science, according to the
rules of their resolutions.
「知恵の32の小径たち」:「30番目の小径」は「収集する知性」であり、「占星術師たち」
は、 それから、「星たち」、そして天の兆候たちを判断し、そしてそれらの決議の規則たち
に従って、それらの科学の完成したものたちを推論するからであるがゆえに、そう呼ばれる。
--- ここまで ---

ここは、いつものように、ウェストコット氏の英訳版『The Sepher Yetzirah/セフェル・
イェツィラー(形成の書)』の「THE THIRTY-TWO PATHS OF WISDOM/知恵の32の小径」から
の引用です。

さて、「32番目の小径」と「31番目の小径」では、太陽系内の「七惑星」の話に留まって
いましたが、ここでは「Stars/星たち」と「celestial signs/天の兆候たち」という、
太陽系外の宇宙の話に拡張されています。
そして、「32番目の小径」における「見える大宇宙」論は、ここまでになっています。
当時の認識では、これ以上のことは「書けない」ということですよね。

つまり、これ以上のものを「大宇宙」について論じようとするのであれば、「上の如く
下も然り」の法則に従って、「小宇宙」論から、それらを類推するという手段を取る
ということになってきます。
まあ、それが正しいとか間違いとかを、今、我々が判断するのではなくて、あくまでも
そういうインチキな、いやいや代替的な手法があるよ、ということですよね。

もちろん、魔術や占いで語られる照応関係のほとんどは根拠の無いものですが、最新科学の
いくつかは、突拍子も無いような照応関係から類推して、たとえば例として、地上における
長さの変化を測定することで、宇宙の始まりの理論を検証するとか、そういうわけのわから
ない話も多くあるわけですので、魔術にしろ科学にしろ、よくわからない世界なのでした。
0162名無しさん@占い修業中垢版2017/05/04(木) 06:33:45.28ID:x3Yz4izK
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 154) ---
The Path of Resh connects Hod (Splendor) with Yesod (the Foundation), and is the
first of the Paths of the Personality triad to be encountered in rising on the Tree.
「レシュの小径」は、「ホド(壮麗)」と「イェソド(基盤)」を接続しており、「木」
による上昇において遭遇する「人格」の三つ組の「小径たち」の最初のものである。

It is an active Path on the intellectual-formative side; it is the activating
force of the Personality which, like the Higher Self and the Spiritual Self,
is composed of a "masculine" (intuitive-dynamic, Yod) and a "feminine"
(intellectual-formative, Heh) and a set of energies which are the result of the
opposing interaction of the two (equilibriating, Vau).
それは、理知的−形成的の側にある活動的な「小径」である;それは、「人格」の活動的な
力であり、「高次の自我」と「霊的自我」と同様に、「男性」(直観的−動的、「ヨッド」)
と「女性」(理知的−形成的、「ヘー」)と、および2つの対立する相互作用の結果である
精力たちの組(平衡化、「ヴァウ」)により構成される。
--- ここまで ---

「equilibriating」は、「equilibrating/平衡化」の誤植ですね。

ここは「生命の木」の説明の、「レシュの小径」に関するまとめになります。
「19:太陽」は、「マルクト」から離れた、上位世界のうちの最初の「三つ組」である、
「Personality/人格」を司る「星幽的三角形」のうちの、「活動的」な「小径」に
割り当てられているわけです。
(残りは、「16:Tower/塔/平衡」と「17:Star/星/形成的」です。)

ちなみに、「大アルカナ」の解釈って、最初は「絵」から入る人が多いと思うのですが、
それはカードの理解の上では「遠回り」になります。
「絵」を見ても、下位世界でのイメージしか湧かないですし、そもそも、大アルカナは、
「絵にもかけない○○○○さ」を絵にしたものですので、絵を見て理解しようとする
のは、どう考えても勘違いなわけなのです。
0163名無しさん@占い修業中垢版2017/05/05(金) 07:51:00.93ID:+i6TyQbq
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 154) ---
THE SUN (Resh) is described as the "Collecting Intelligence," meaning that it
exercises control over a number of given components, in this case the Signs of
the Zodiac which are symbolized by the twelve rays emanating from THE SUN.
「太陽(レシュ)」は、それが、多くの与えられた構成要素たち、この場合は「太陽」から
放出される12の光線たちにより象徴されている「黄道十二宮」に対して支配力を行使する
ことを意味しているので、「収集する知性」と評される。

These Signs are the twelve guideposts of Personality and receptacles of Planetary
influences, one of which governs the birth and life course of each incarnation.
これらの「宮たち」は、「人格」の12の道標たち、および「惑星」の影響たちの受け口で
あり、その1つは、各々の肉体化の誕生と人生の方向を支配する。
--- ここまで ---

「太陽」と「黄道十二宮」との関係で一番大きいものと言えば「星占い」、ではなくて
「季節」です。
「黄道十二宮」における「太陽」の位置は、「季節」を表す「道しるべ」として、太古の
昔より、知性ある人々の間で利用されてきたという経緯があります。
ちなみに、「19:太陽」の反対にある「17:星」にも、似たような作用があるのですが、
それについては、また後ほど考察することにします。

さて、この「19:太陽」は、「incarnation/肉体化」である「マルクト」とは直接関係
しない、すなわち我々の肉体が滅んでも消滅することのない、最初の「不揮発性の小径」
となっています。
さらに言うと、「生命の木」の底にあればあるほど「濃くなる」という性質があります
ので、この「19:太陽」と「17:星」には、人の誕生の際には多くの情報(知性)が「種」
として流出し、そして死の際には、多くの情報(知性)が「実」として回収される場所
であり経路でもあるというわけです。
そういう意味でも、重要なカードではあるわけですが、とはいえ我々が今どうこう
できるものでもありませんので、いまいちヤル気が出ないわけなんですよね。
0164名無しさん@占い修業中垢版2017/05/06(土) 05:46:00.17ID:rZ7gCtOY
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 154) ---
Thus the Sun is central not only to the incarnation at hand, but acts as a link
between the Personalities which have been experienced in other incarnations.
したがって、「太陽」は、手近にある肉体化だけでなく、他の肉体化たちにおいて、ずっと
経験し続けている「人格たち」の間を結び付けるものとしての活動たちの中心である。
--- ここまで ---

「incarnation/肉体化」において最も重要な働きをしているのは、言うまでもなく
「21:宇宙」なのですが、「21:宇宙」「20:審判」「18:月」は、いずれも「マルクト」
と接続していますので、どちらかというと「外陣」扱いとなります。
そして、「肉体化」における「内陣」が、「Personality/人格」を司る「星幽的三角形」
ということになります。

そして、「星幽的三角形」の「小径」の中では、最も下位であり「activating/活動的」な
存在である「19:太陽」が、「肉体化/誕生」という下位世界への流出において、中心的な
役割を果たすということなのですが、それは我々からは直接見えないところにあるわけです
ので、よくわかんないです。

もし、ワタシが前世の記憶を持っていれば、この「星幽的三角形」の内部に蓄えられた
「Personal/個人的」な不揮発性の記憶を分析することで、「星幽的三角形」の働きを
知ることができるとは思うのですが、残念ながら、そういう前世的な記憶は何も持ち合わ
せておりませんので、「19:太陽」が如何なるものかを直接知る由はありません。

結局のところ、ここから先は、間接的な状況判断だけで、推定していくしかないわけで
あり、それらは裁判における証拠能力に欠けるものばかりであるため、全くの個人的な
見解であるとしか言えませんので、その旨、しっかりとご理解頂きたいと思います。

つまり、ワタシにとっても、ここから先は、完全妄想の黒歴史ノートであって、さらに
言っていることや、やっていることが首尾一貫しない、とても非論理的なものになって
いるということなんですよね。
0165名無しさん@占い修業中垢版2017/05/07(日) 07:22:33.68ID:8qRa/TUg
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 155) ---
It is also collecting in that all of the component parts of the Personality,
discovered on these lower Paths, are here infused with the dual action of the
Sun, light and warmth.
それはまた、これらの下位の「小径たち」で発見された、「人格」の構成部分たちの全ての
ものが、ここで、光と暖かさという、「太陽」の二重の働きで満たされる、という点に
おいて、収集するものである。

It may appear curious, but these are considered intellectual qualities.
それは奇妙に見えるかもしれないが、これらは理知的な品質たちであると見なされている。
--- ここまで ---

「these lower Paths/これらの下位の小径たち」というのが、「Personality/人格」を
司る「星幽的三角形」を指すのであれば、「人格」の「内陣」である「星幽的三角形」は、
この「19:太陽」の「light and warmth/光と暖かさ」により、全体的に取りまとめられて
いるということになります。
まあ、よくわかんないですけど。

さらによくわからないことに、この「レシュ/太陽の小径」は、「intellectual/理知的」
であると、エロい人々には思われている、ということです。
まあ、よくわかんないですけど。

この流れで、童話の「北風と太陽」のストーリーを思い浮かべる人もいるかと思いますが、
とりあえず下位世界にいる我々にとっては、手の届かないところにあるけれども、理知的で
「光と暖かさ」を与えてくれる「見えざる太陽」のような上位の存在であるということです。

ちなみに、この理知的な「19:太陽」と対になるのは、理知的ではない「17:星」になります。
「知恵の32の小径たち」によれば、この「レシュ/太陽の小径」は、「星たち」の情報も
とりまとめる働きをするということですので、後ほど出てくる「17:星」の説明があるまで、
詳しいことは先送りしておきましょう。←面倒なことから逃げるタイブww
0166名無しさん@占い修業中垢版2017/05/08(月) 05:59:36.20ID:GhD+RaZ8
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 155) ---
The activity of this Path is intellectual.
この「小径」の活動は、理知的である。

In fact, the Path of THE SUN is the highest level of the human intellect, as
THE STAR is the highest level of the emotions.
実際に、「星」が感情たちの最も高い段階であるのと同様に、「太陽」の「小径」は、
人間の知性の最も高い段階である。
--- ここまで ---

「生命の木」においては、対になっているものは「対比して理解する」ことが基本です。
ちなみに、「レシュ/太陽」と「ツァダイ/星」の関係は、以前に論じた「ホド」と
「ネツァク」の関係と、表面的には一致しています。
・「レシュ/太陽」=「ホド」= 知性
・「ツァダイ/星」=「ネツァク」= 直観、感情
そして、両者の違いとなるのは、
・「レシュ/太陽」が「活動的」なのに対し、「ホド」は「形」
・「ツァダイ/星」が「形成的」なのに対し、「ネツァク」は「力」
という、対になる活動性を持っているということであり、これらによって「生命の木」は
停滞することなく永遠に活動を継続できるということになっているわけですよね。

さて、「生命の木」においては、「知性」よりも「感情」が上位に置かれるわけですが、
これはすなわち、「人」の「知性」が「神」の「知性」の裏返し、つまり、エデンの園で
人が蛇にそそのかされて、「知恵の木の実」を食べて堕ちてしまったことに関連して
考えることもできます。
その場合、「ネツァク」と「ツァダイ/星の小径」が「生命の木の実」に相当すると考える
ことが出来るわけで、ここにまた一つの妄想ネタが産まれるわけですよね。

いずれにしろ、「感情」と「知性」は、人が人として生きていく上では欠かせないもので
あり、どちらが上でどちらが下かというのは、気にしなくてもいいことですけどね。
0167名無しさん@占い修業中垢版2017/05/09(火) 06:04:55.89ID:GWJPfuDb
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 155) ---
They are balanced by THE TOWER, although looking at that card may hardly inspire
confidence that a balance is taking place.
それらは、「塔」により平衡が保たれている、とはいえ、そのカードを見ても、平衡が
起こっているという確信を抱くことは、ほとんどできないかもしれない。

Yet this represents the effect of the combined energies of THE SUN and THE STAR.
けれども、これは、「太陽」と「星」の結合された精力たちの「効果」を表している。

More will be said of this in a later section.
それ以上のことは、これについては、後の節の中で語られるであろう。
--- ここまで ---

「星」が人間の中の「感情」の最も高い段階であり、「太陽」は人間の中の「知性」の
最も高い段階であり、そして「塔」が人間の中において、それらの平衡を保っている。

うーん。
どう見ても「塔」は、高いところにあるものを、突き落としているようにしか見えない
わけですので、この大騒動が「平衡を保つ」ているようには見えないですよね。

でも、マクロで見て「静的」な平衡状態にあるものは、ミクロで見てみると、七転八倒の
「動的」な状態でバランスを保っているというのは、実はよくあることです。

たとえば、冷戦状態という準平衡状態の裏では、壮大な政治的駆け引きや、軍拡競争や
局地的な代理紛争があるわけで、「感情」と「知性」のような、お互い相容れないもの
同士をうまく調和させていくためには、「大アルカナ」という人の内なる面においては、
こういう「隠された紛争」は必要不可欠のものであると考えることも出来るわけです。

つまり、内面において、阿修羅の如くキレまくってるおかげで、外面においては、菩薩の
如く全てを達観した顔つきを保てるということではないかと思っているのでした。
0168名無しさん@占い修業中垢版2017/05/10(水) 06:09:20.47ID:5TS6q3iz
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 155) ---
Resh means head, which is consistent with the idea that this is the highest Path
of human intellect, and that this is the "Collecting Intelligence."
「レシュ」は「頭」を意味しており、そのことは、これが人の知性の中で最も高い「小径」
であり、そしてこれが「収集する知性」である、という考え方と一致している。

In this regard there is an interesting illustration from an alchemical manuscript
of 1606, showing a figure with an orb-shaped body which is headless, but holds
the Sun above.
この件について、頭が無いけれども、「太陽」を上に保持している、球形の体を含んだ図が
示されている、1606年の錬金術の原稿からの興味深い図解がある。

Beside this figure is written: "The World." (*103)
この図のそばには、こう書かれている:「世界」。(*103)
--- ここまで ---

ちなみに、(*103)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 271) ---
103. Manly Palmer Hall, Encyclopedic Outline, CLXI facing.
103. マンリー・パルマー・ホール著、『百科事典的な概要』、161ページ見開き。
--- ここまで ---
とあります。

ここは、「レシュ/頭」と「太陽」の関係性についてのネタ話となっています。
なんか、無理矢理感がすごいのですが、そういうことだそうです。

でもまあ、頭というか顔が太陽みたいになっている絵やイラストやコスプレとかは、
割と普通にありそうなのですが、そういうのって、「収集する知性」というよりも、
「発散する痴性」という感じっぽいですけどね。
まあ、どうでもいい話ですが。
0169名無しさん@占い修業中垢版2017/05/11(木) 06:21:55.72ID:t919SL/U
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 155) ---
The head is the Sun itself, held above the material body; without the Sun-head,
there could be no world.
頭は、「太陽」それ自身であり、物質的な体の上に保持される;「太陽」の頭がなければ、
世界は存在することができない。

Mathers corroborates this idea by calling THE SUN the "Splendour of the Material
World."
マサース氏は、「太陽」を「物質的世界の壮麗」と呼ぶことにより、この考え方を確証する。
--- ここまで ---

この錬金術文書は、1606年の発行なのですが、それ以前の1543年には、コペルニクスが
『天体の回転について』という地動説の本を発行しており、天文学が発達してきています。

そして、この錬金術文書に書かれている「body/体」は球体ですので、おそらくこれは
我々の住む「世界」である「地球」のことであると推定できます。
つまりは、太陽系という我々の世界においては、「地球」は「太陽」なしでは存在できない
ということを言いたいのではないかと推定できるわけです。

さて、このマサース氏の文章は、『The Golden Dawn/黄金の夜明け魔術全書』の「Fourth
Knowledge Lecture/第四知識講義」にある「NOTES ON THE TAROT/タロットに関する覚書」
の「19:太陽」に関する説明文なのですが、これはおそらく誤記だと思われます。

「太陽」は「物質的世界(マルクト)」と「壮麗(ホド)」を繋ぐ「小径」ではなく、
「基盤(イェソド)」と「壮麗(ホド)」を繋ぐ「小径」です。
この誤記は重大なミスですので、本来であれば早々に改訂されるはずだと思うのですが、
ずっと放置され続けていますので、何か特別な意味のある誤記なのかもしれません。
ついでに言うと、この「19:太陽」の箇所の日本語訳では、最後に「水銀」となっていて、
ここは本来は「Mercury/水星」と訳さなければならないはずなのですが、なぜか「水銀」
と訳されているんですよね。
0170名無しさん@占い修業中垢版2017/05/12(金) 06:18:02.54ID:i9B4ix3u
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 155) ---
So the card basically represents the intellect acting upon the dualities of the
human condition, consciousness and its earthly vehicle.
そういうわけで、カードは基本的に、意識およびその地上での乗り物という、人間の状態の
二重性に作用している知性を表す。

This is the point of connection of the human intellect with the higher intellect,
the Greater Life.
これは、「より大きな生命」にある、より高い知性との人間の知性の関係の要点である。
--- ここまで ---

この最初の文章は、「太陽」が「物質的世界の壮麗」であるという前提で書かれたものだと
思うのですが、やっぱり少し違和感があります。
「レシュ/太陽の小径」は、既に「マルクト」という「earthly vehicle/地上での乗り物」
とは関係性を持たないので、普通に「人間の意識の二重性に作用している知性」という
ことで考えてもいいかと思います。

ちなみに、ゴールデン・ドーン版タロットは、「17:星」「18:月」「19:太陽」「20:審判」
が、下に水が描かれた似たような構図になっているので、何となく同じ世界での話のよう
にも見えるのですが、「17:星」「19:太陽」は天上界である「エデン」であり、「18:月」
「20:審判」は地上界に繋がっていますので、きちんと分けて考えた方がいいですよね。

というわけで、この「19:太陽」に描かれた幼児と幼女は、人の誕生の前に、新しく生み
出されたばかりの「星幽界」での「人間の二重性の意識」を表していて、そこからさらに
「21:宇宙」を下って「地上での乗り物」を獲得し、一人の人間として誕生するという
仕組みであると考えることが出来ます。

でも、「人間の二重性の意識」が、「男」と「女」で象徴されるというのも、何か意味深
なのですが、「ホド」は「両性具有」の属性を持つ二重性のある「セフィラ」ですので、
人間って、元々そういう二重性のある生き物なのかもしれませんよね。
0171名無垢版2017/05/12(金) 16:17:27.56ID:LtCDxrL4
ミケランジェロ丸亀の占い師は洗脳カルト
0172名無しさん@占い修業中垢版2017/05/13(土) 07:29:29.06ID:eBw7hlbx
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 155) ---
The Sun is also the Son who carries on the work of the Father.
「太陽」はまた、「父」の仕事を続ける「息子」でもある。

The Thirtieth Path is a composite one: The Four Elements, the Signs of the Zodiac
and the Planets are all involved, under the rulership of the Sun, as is symbolized
by the Hexagram.
「30番目の小径」は、複合したものである:「四大元素たち」、「黄道十二宮」、そして
「惑星たち」は、「六芒星形」により象徴されるように、「太陽」の支配権の下で、全て
巻き込まれる。

That figure means the perfect integration of Personality and Higher Self.
その(六芒星)形は、「人格」と「高次の自我」の完全な統合を意味している。
--- ここまで ---

最初の文は、「父」である「主」と、「子」である「イエス・キリスト」の関係です。

二番目の文は、惑星としての「太陽」が「六芒星」に割り当てられていることに関係して
いることをネタにしているのですが、いささか論理飛躍しすぎています。
とはいえ、「大アルカナ」は論理では語れませんので、とりあえずスルーします。

最後の文は、おそらく「セフィロト」のレベルの話であり、「ティファレト(太陽)」が、
「至高の三角形=究極の霊的自我」、「倫理的三角形=高次の自我」、「星幽的三角形=
人格」を統合している流れからの類推だと思うのですが、ここも少々論理飛躍があります。

まあ、「上の如く、下も然り」ですので、「ティファレト」にある下位の「太陽」と、
「大アルカナ」の「19:太陽」とは何らかの繋がりはあるわけですので、そういう類推を
すること自体は許容範囲と言えるわけですが、そういう下のレベルの話をここで持ち出し
てきても、もう知ってる話ですので、いまいち面白味に欠けるわけです。
とはいえ、上のレベルの話は、そう簡単には語れないというのが、最大の問題ですよね。
0173名無しさん@占い修業中垢版2017/05/14(日) 06:24:23.58ID:vsku8Wzq
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 155) ---
On the Tree of Life this is shown as the interaction of the Astral and Ethical
Triangles, God the Son of Tiphareth being primary to both.
「生命の木」においては、これは、「神」と「ティファレトの息子」の両方にとって基本的
なものである、「星幽的」と「倫理的」の「三角形たち」の相互作用として示される。

However the energies may be symbolized, the Path of THE SUN is a very important
initiatory one.
とはいえ、精力たちがどのように象徴されていたとしても、「太陽の小径」は非常に重要な
最初のものである。
--- ここまで ---

やっぱり、ここは「小アルカナ」である「セフィロト」のレベルの話になっています。
「小アルカナ」の「ティファレト/太陽」と「大アルカナ」の「19:太陽」を、同じレベル
で語るのは違和感ありまくりですが、とりあえず「象徴」となる「ネタ」の一つとして
解釈するのが良いかと思います。

ちなみに、「セフィロト」には「惑星」が配属されていますので、「大アルカナ」の
「7つの複字」の「小径」に配属された「惑星」と、何らかの相関関係が出てきます。
問題なのは、それらの関係性って、「どうなの?」ということなんですよね。

はっきり言ってしまえば、「大アルカナ」はあくまでも「象徴」ですので、中身は全く
違うものであるという「二枚舌」的な答弁になってしまうわけですが、「19:太陽」や
「18:月」は、カードにモロにデザインされていますので、なかなか言い逃れが難しいと
いう問題が出てきます。

ついでに言うと、この「19:太陽」って、すごく中途半端な立場なんですよね。
「マルクト」から離れた「very important initiatory one/非常に重要な最初のもの」で
あるにもかかわらず、「マルクト」に繋がる「20:審判」と「18:月」に挟まれてしまって
いる状態ですので、なんかどっちつかずな感じが否めないのです。
0174名無しさん@占い修業中垢版2017/05/15(月) 06:13:20.63ID:l0HExKPc
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 155) ---
The experience of THE SUN is very profound, for it is an introduction to the inner
sun which is the light of the personality as the physical sun is the light of the
material world.
「太陽」の経験は、それが、物質的な太陽が物質的な世界の光であるのと同様に、人格の光で
ある内なる太陽への入門であるので、非常に深遠なものである。

On this Path one experiences the warmth and light but, as on the plane of sensation,
it is a sun at which one cannot look directly without suffering damage.
この「小径」において、人は暖かさと光を経験するけれども、 感覚の次元においては、
それは、人は損害を被ることなしでは直接見ることができない時点にある太陽である。
--- ここまで ---

物質的次元、すなわちこの地上における「太陽」は、この地上の我々に、光と暖かさと
恵みをもたらすものであり、そして、朝には昇り、夕には沈むという、一日という時間の
周期も、同時にもたらしてくれるものです。

ちなみに、地上に降り注ぐ「太陽」の光は、「太陽光」そのままではなくて、この地球の
様々なバリア機能のおかげで、「光と暖かさと恵みをもたらすもの」になっていることは、
知っている人も多いと思います。

要するに、「地上」での太陽光と違って、宇宙空間、たとえば「月面」における太陽光は
極めて危険なものであり、それゆえ人間は「宇宙服」と呼ばれる強力なバリア機能を持つ
ものによって、危険な太陽光から身を守る必要があるわけですよね。

とはいえ、これは、「小アルカナ」の「ティファレト」の「太陽」も同じことであって、
「大アルカナ」の「19:太陽」だけが持つ特性ということでもありません。
両者の違いは、今のところは、「profound/深遠な」度合いの違いでしかないわけで、
結局のところは、学習者の理解のレベルに応じて、その解釈も変化するという、とても
属人的なものになってしまうわけなんですよね。
0175名無しさん@占い修業中垢版2017/05/16(火) 06:10:20.55ID:6POaibdB
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 155) ---
The opposites attributed to Resh by the Sepher Yetzirah, fertility and barrenness,
remind us that the same sun which illuminates and causes growth can destroy utterly.
『セフェル・イェツィラー(形成の書)』により「レシュ」に帰属されている反対物たち
である、肥沃と不毛は、成長を啓発し引き起こすのと同じ太陽が、完全に破壊できることを、
我々に思い出させる。

The blessing of the farmer is the curse of the solitary traveler in the desert,
and it is on this Path that one discovers the great potentials of this power.
農夫の恩恵は、砂漠の中の孤独な旅行者の呪いであり、この「小径」の上において、人は
この力の大いなる可能性を発見する。
--- ここまで ---

複字である「レシュ」には、「fertility and barrenness/肥沃と不毛」という属性が
付いています。
この「太陽」のパワーは、ちょっとでも多すぎると「砂漠化」になりますし、少なすぎると
「寒冷化」になり、なかなかバランスが難しいわけであり、そういう意味でも、現在の
「太陽」と「地球」は、ちょうど良い位置関係にあるということなんですよね。

まあ、この「宇宙」が創造されたのは奇跡的であり、そして「太陽」が生まれて「地球」
が生まれて、そしてこの地上に生命が生まれたのも奇跡的であるということなのですが、
そういう「奇跡」の実感というのは、我々にはあまり無くて、ごく当たり前のことと感じ
ていると思います。

「太陽」の真の偉大さというのは、そういう意味では、一般人にはなかなか気づかれにくい
ものなのですが、もし我々が地上から離れれば、すぐにでも思い知らされるものです。
その強力な「太陽光」と巨大な「重力」は、我々が「太陽系」の一員である限りにおいては、
最大の「恩恵」であり、かつ「呪い」でもあります。
つまり、そういう「見えない絆」とか「切ろうとしても切れない上からの一方的な絆」と
いうものが、この「19:太陽」の中に隠されているということになるわけですよね。
0176名無しさん@占い修業中垢版2017/05/17(水) 06:18:06.83ID:plT2HMlK
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 155) ---
This is the initiation of the Personality to the great source of inner light, an
initiation which takes place within the physical vehicle (walled garden) and affects
the dual components of the Lower Self.
これは、内なる光の偉大なる源への「人格」の参入儀式であり、肉体的な乗り物(壁で
囲まれた庭)の内部で起こり、「低次の自我」の二重の構成要素たちに影響を与える参入
儀式である。
--- ここまで ---

「21:宇宙」により目覚めた、まだ精神的に幼い「人格」は、この「19:太陽」の「小径」を
上昇することで、さらなる高みへと上昇します。

とはいえ、「19:太陽」は、「physical vehicle/肉体的な乗り物」である「マルクト」
とは直接繋がっていませんので、この「walled garden/壁で囲まれた庭」そのものは、
「マルクト」というわけではありません。
つまり、まだ「肉体的な乗り物」の影響下にある「イェソド」領域の「低次の自我」で
ある、いたいけなショタロリに対し、「高次の領域」にある太陽がいけない影響を与えて
いるという、実に妄想が膨らむ構図になっています。

それはともかく、ちとやっかいなのは、惑星レベルの「太陽」の存在感が大きすぎて、
我々のイメージが、そっちの「太陽」に引っ張られてしまい、この高次の「19:太陽」を、
適切に解釈できない場合があるということなんですよね。

タロット占い師は、「小アルカナ」と同様に「大アルカナ」にそれぞれ吉凶を付けたがる
のですが、それは大きな間違いであり、本来は「吉」と「凶」を併せ持つ存在です。
つまり、如何なる場合においても、二重の意味と二重の作用を持つわけですが、日本に住む
我々は、どうしても「暖かな太陽」というイメージに引っ張られて、「幸運のカード」と
見てしまう人が多いのです。
おそらくそれは、とんでもない勘違いですし、そもそも、「大アルカナ」は幸運をもたらす
ものというよりも、我々にとっては、どちらかというと「厄介物」に近いものですからね。
0177名無しさん@占い修業中垢版2017/05/18(木) 06:07:22.94ID:gRHUfU4B
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 155) ---
An important point must be repeated here, one all too often neglected by those
who discuss the Paths: Work on the Paths brings about definite physiochemical
changes in the human body.
ある重要な論点の一つであり、あまりに何度も「小径たち」を議論する人々により無視
されたものが、ここで繰り返し言われなければならない:「小径たち」に基づく作業は、
人間の身体の中に疑う余地のない生化学的な変化たちを引き起こす。

In his study course, The ThirtyTwo Paths of Wisdom, Paul Case emphasizes the extent
to which this is the case.
ポール・ケース氏の、彼の教育課程である「知恵の32の小径たち」において、これが事実で
あることについて強調している。

In describing the Path of Resh, he says of the man who has achieved adepthood:
「レシュの小径」を説明するときに、彼は、達人の階級を達成し終わった人物について言う:
--- ここまで ---

別に無視されているというわけではないと思うのですが、これはいわゆる「カバラ魔術」と
呼ばれる一種の「オカルト業界」での話ですし、そもそも「definite/疑う余地のない」
ほどの確信も無いので、そこまで強調しなくてもいいかな、と思うわけです。

要は、「個人の感想であり、商品の効能を確約するものではありません」とか、「個人の
感想であり、効果には個人差があります」といった、よくある健康食品的な妄想というか、
本当に効いているのかもよくわからないものであるので、あまり強調し過ぎるのも、どうか
と思うわけです。

ワタシの個人的感想を書くと、まあそれなりに身体的な効果はありますし、それなりに
面白いというか興味深いものなのですが、だから何?と言われると困ってしまうレベルの
話ですので、あまり突っ込まれるのもイヤかなぁ、と思うわけなのでした。
効果うんぬんを言えば、別に「大アルカナ」でなく「イワシの頭」でもいいわけですしね。
0178名無しさん@占い修業中垢版2017/05/19(金) 06:25:18.48ID:39rm3nVR
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 156) ---
...marked inner differences from the average person are due to psychological
contrasts to the mental states of ordinary human beings, but they are also the
outer signs of organic changes inside the skin of the new creature.
... 平均的な人からの著しい内なる差異たちは、普通の人間たちの精神的な状態たちとの
心理学的な対比たちに起因しているけれども、彼らはまた、新しい生き物の皮の内部の
有機的な変化たちの外面的(肉体的)な兆候たちでもある。

He is chemically and structurally unlike genus homo.
彼は、化学的そして組織的に、「ヒト属」とは違ったものである。

There are different constitutents in his blood stream.
彼の血流の中には、他とは異なる構成要素たちがある。

Through his nervous system pass currents of force not present in most human
bodies because in his organism channels are open which are closed in the physical
vehicles of most persons.
彼の神経系を通して流れる力の流れたちは、大部分の人間の身体たちにおいては存在しない
が、なぜなら、彼の有機体のチャンネルたちにおいては、ほとんどの人々の物質的な乗り物
たちの中で閉じられているものが開かれているからである。
--- ここまで ---

あー、うん、そうだねー。(cv:安野希世乃)

ちなみに、「constitutents」は、「constituent/構成要素たち」の誤植です。

なんか、黒歴史ノートに出てくるような記述そのもののような感じもするわけなのですが、
ケース氏は一般の人々とは異なる、そういう「業界のヒト」ですので、あくまでも商業的
な煽りが入っているということに留意しておくとして、まあ要するに、あっち側の人々は、
色々な面において「普通ではない人」ということなわけです。
0179名無しさん@占い修業中垢版2017/05/20(土) 07:07:18.37ID:LMynD2t/
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 156) ---
Centers in the nervous system and in the brain, and glands related to them,
function differently in the body of an adept from the way they do in the bodies
of the greater number of his contemporaries. (*104)
神経系内および脳内の中枢たち、そしてそれらに関連する腺たちは、彼の同年代の人々の、
より多くの身体たちの中において、それらが行っている方法からすると、達人の身体の中
では異なって機能している。 (*104)
--- ここまで ---

ちなみに、(*104)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 271) ---
104. Paul Case, Thirty-Two Paths of Wisdom, 16, 4.
104. ポール・ケース著、『知恵の32の小径たち』、16巻、4ページ。
--- ここまで ---
とあります。

前節(>>178)と、ここの文章は、おそらくは B.O.T.A の教育課程の資料からの引用であると
思うのですが、ワタシは資料そのものを見たことはありませんし、B.O.T.A の教育課程を
受講したこともありませんので、どういう流れの中から、こういう発言になったのかが
わかりませんので、軽々しいコメントは差し控えさせていただきたいと思います。

でもまあ、人間の中には、「見かけ=物理的」と「中身=精神的」が異なって機能している、
いわゆるLGBTと呼ばれる人々もいるわけです。
つまり、「達人」と呼ばれる人々は、そういう特殊な遺伝子配列を持っている人々である
場合も、あながち否定できないわけであり、それはすなわち、我々とは「物理的に異なる
存在」であると言うこともできるわけです。

まあ、「遺伝子操作」により、我々人類の限界を越えた「ニュータイプ」を生み出すと
いうのは、よくあるストーリーでもありますので、「19:太陽」から創造される二人の
「チルドレン」は、そういうものを暗示している可能性もゼロではないわけですよ。←大嘘w
0180名無しさん@占い修業中垢版2017/05/21(日) 06:18:48.99ID:8u21U5Pg
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 156) ---
It must also be borne in mind that the Personality, the component parts of which
are symbolized by these lower Paths, functions through the body as an
experience-collecting vehicle for the Spirit.
これらの下位の「小径たち」により象徴されているものの構成部分たちである「人格」は、
「霊」のための経験を収集する乗り物としての身体を通じて機能していることもまた、
心に留めておかれなければならない。

One of the most serious mistakes which can be made is to conceptually divorce
the physical body from the Powers which created it and which function through it.
犯されうる最も重大な誤りのうちの1つは、物質的な身体を、それおよびそれを通じて
機能するものを作成した「能力たち」から概念的に分離することである。

This is the crucible of the Alchemists, and the Sun is an important symbol in
the Alchemical process of "turning lead into Gold."
これは「錬金術師たち」の「るつぼ」であり、そして「太陽」は「鉛を『金』に変える
こと」の錬金術の過程において重要な象徴である。
--- ここまで ---

ちょっと補足しておきますが、「人格」を構成しているのは、あくまでも「星幽的三角形」
であって、「小径たち」だけでなく「セフィロト」も含んでいます。
そして、我々が感知できるものの多くは、「小アルカナ」に配属される「セフィロト」で
あって、「大アルカナ」に配属される「小径たち」のほとんどは、間接的に存在が確認
できるものですので、それは「身体を通じて機能している」ことは確かなのですが、
だからと言って、それは誰でもが容易に実感できるというものでもありません。

つまり、あまりに「body/身体」にこだわりすぎると、「人格」における「小径たち」の
作用を勘違いする可能性が高いわけですし、そもそも普遍的な「人格」は、「マルクト」
にある過渡的な「身体」からは距離を置いた存在ですので、その基本的レベルの違いは、
しっかりと理解しておいた方がいいわけですよ。
0181名無しさん@占い修業中垢版2017/05/22(月) 06:11:51.04ID:drWUa1Fp
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 156) ---
The Paths of the Personality lead directly into the physical vehicle, i.e., that
consciousness which we know as "self" is directly connected to our bodies.
「人格」の「小径たち」は、物質的な乗り物に直接通じており、すなわちそれは、我々が
「自我」として知っている意識が、我々の身体たちに直接接続されていることである。

The Higher Self functions through the Personality if its influence is to be brought
to the physical plane, as Pure Spirit must function through the Higher Self.
「純粋な精霊」が「高次の自我」を通じて機能しなければならないのと同様に、「高次の
自我」は、もしその影響が物質的な面にもたらされるのであれば、「人格」を通じて機能する。
--- ここまで ---

ここは、ごく当たり前のことを言っているだけなのですが、一部の業界の人は、「高次の
存在」から直接身体に作用するような感じの演出を行っていることも多くあります。

まあ、きちんと「人格」が形成されていないような人に対して、「高次の自我」うんぬんの
話を持ち出すこと自体が、どうかしているとも思うのですが、商売上は、こういう「高次の
自我」とか「純粋な精霊」のネタは必要不可欠なものですので、何ともしがたいわけです。

そもそも、世俗に生きる我々にとっては、「高次の自我」なるものは、ほぼ無関係な存在と
いうか、あると邪魔なだけであって、それにより我々にもたらされるものは、しょせん
「内なる幸福感」というような、全く食えないシロモノであることも確かです。
悪いことに、この「内なる幸福感」なるものは、より低次元の「内なる優越感」を引き
起こす場合もあるので、あまりお勧めしないものでもあるわけです。

そういう意味でも、とりあえず「マルクト」と、「人格」の「星幽的三角形」との関係性
を、しっかりと把握しておいて、自分自身を見失わないようにしておくというのは大事な
ことだと思いますし、それ以上のことは、あくまでもネタとしてのレベルで理解しておく
ことが必要なことだと思うのでした。
0182名無しさん@占い修業中垢版2017/05/23(火) 06:17:56.65ID:hP2sxQUi
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 156) ---
Of course, there is no actual separation between these three: The Tree of Life
describes a racial perception of a pattern of separation. But since perception
varies widely from organism to organism, each individual must literally create
his own Qabalah.
もちろん、これらの3つの間は実際には全く分離が無い:「生命の木」は、分類の様式の、
人種の認識を記述している。しかし、認識は、それぞれの生命体によって大きく異なる
ので、各々の個体は、文字どおりに彼自身の「カバラ」を創造しなければならない。
--- ここまで ---

「these three/これらの3つ」とは、すなわち
・「至高の三角形」:「究極の霊的自我」
・「倫理的三角形」:「高次の自我」
・「星幽的三角形」:「人格」
のことを指しているわけですが、これらはあくまでも概念的なものであって、我々自身は、
その違いを簡単に自覚できるようなものではありません。
ただし、様々な体験に基づき、形而上学的に考えて、そのような分類が存在しているの
かもしれないなぁ、という「キャラ設定」と「キャラ相関図」みたいな感じのものです。

ちなみに、この「生命の木」は、ユダヤ教のカバラ思想に基づいた「とある設定」の一つ
であり、我々のような普通の日本人からすると、縁もゆかりも無いネタが数多く入っている
ので、これを我々が理解して使いこなすには、かなりの勉強が必要となります。

そして、「勉強」という「頭の訓練」に使う分には、この「生命の木」の理論は、それなり
に役には立ちますが、それ以上のものを求めるのは、ちょっと難しいかな、と思います。
本当に使えるものにしたいのであれば、この「生命の木」を普遍的な元ネタとしておいて、
その上で、自分自身の手と頭で、自分自身に適合した新しい「ツール」、すなわち内なる
己自身と闘うための「武器」を錬成しなければならないということになるわけです。

まあ、かなり面倒臭いので、ワタシはやりませんが。←根性無しw
0183名無しさん@占い修業中垢版2017/05/24(水) 06:20:22.35ID:TOqTT0mL
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 156) ---
The experience of the Path of Resh is critical to the development of this individual
Qabalah.
「レシュの小径」の経験は、この個人の「カバラ」の開発にとって欠かせないものである。

It is, moreover, the Path where one may receive the acceptance and imprint of those
beings who direct the inner learning experience of the student.
それは、さらに、人が、学徒の内なる学習の経験を導く、あの存在たちの受諾と押印を
受け取ることができるかもしれない「小径」である。

It is the point at which the student may be admitted to candidacy for the greater
initiation of Tiphareth.
それは、学徒が「ティファレト」のより大きな参入儀式への立候補を認められるかも
しれない地点である。
--- ここまで ---

魔術カバラにおいて、生身の人間のゴール設定となっている「ティファレト」への下界から
上昇する「小径」としては、「ネツァク」からの「13:死」、「ホド」からの「15:悪魔」、
そして「イェソド」からの「14:節制」のルートがあります。

つまり、いきなり「ホド」から「ティファレト」へと上昇するには、「15:悪魔」が邪魔を
するわけですし、一見して楽そうに見える「イェソド」からの「14:節制」ルートは、
思っている以上に、とんでもない無理難題が待ち構えています。
つまり、下層の「小径」のステージでの修行を一通り終えて、各ステージのボスを倒して、
受け取るものを受け取って、きちんとフラグを立てておかないと、簡単にはゴールさせて
くれない仕様となっているわけです。

そういう意味では、このウォン氏の本は、きちんと各ステージの流れに沿って書かれており、
なかなか良く出来た「魔術カバラ」という知的ゲームの「攻略本」なんですよね。
攻略本が無くても、それなりに楽しめるものですけど、より深く楽しみたい人にはお勧めです。
0184名無しさん@占い修業中垢版2017/05/25(木) 06:08:57.58ID:cvsxxI6w
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 156) ---
A considerable number of discoveries are made on this Path leading into Hod, a realm
described by some as the point where the Inner Teachers exert their influence on
the material world.
発見されるものたちのかなりの数は、「内なる教師たち」が物質的世界にそれらの影響を
及ぼす地点であるとして何人かにより評される領域である、「ホド」に通じる、この「小径」
の上で作られる。

This is a Path where the nature of the relationship between mind and body may
become clear, where one begins to understand the control and limitations of the
intellect.
これは、精神と身体の間の関係の性質が明らかにされるかもしれない「小径」であり、
ここで人は、知性の制御と限界たちを理解し始める。
--- ここまで ---

「Inner Teachers/内なる教師たち」は、「高次の自我」以上の世界に住む方々であり、
個々の「人格」を司る「星幽的三角形」の構成要素に対して直接影響を与えており、
そして間接的ではありますが、「物質的世界」を上から目線で支配しています。

ちなみに、「ホド」から物質的世界である「マルクト」へは、「20:審判」の方が近道と
なっていますが、そちらは脇道で細くなっていますので、ここでは本流である
「ホド」→「19:太陽」→「イェソド」→「21:宇宙」→「マルクト」
の方が、質も量も多くのものを発見することが出来るということになっています。
なお、この「ホド」から上への「小径」は、どこを通っても大変そうなものばかりです
ので、ここから先へは一旦戻って、「イェソド」から「ネツァク」、そして「イェソド」
から「ティファレト」のルートの方が、いいかもしれません。
そう、「カバラ」では最短ルートが常に正解ということはありませんし、急がば回れ、
の場合もアリだと思うのでした。
というか、のんびり道草を食いながら、そして回り道しながら色々と探検するのが、
この手のクエストものの醍醐味ですもんね。(何の話だw)
0186名無しさん@占い修業中垢版2017/05/26(金) 06:28:04.20ID:D1fZw3hA
>>185
カキコありがとうございます。 (^_^)/

ワタシは個人的な趣味と勉強の範囲で翻訳やってるだけですので、
出版とかは、誰か他の人が、やってくれるといいんですけどねw
0187名無しさん@占い修業中垢版2017/05/26(金) 06:28:59.56ID:D1fZw3hA
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 156) ---
It is also a Path of awakening to the use of the tremendous sexual power of Yesod.
それはまた、「イェソド」の途方もなく大きな性的な能力の使用の覚醒の「小径」でもある。

It is the point at which sexuality is understood to be the great "secret" force
manipulated by the initiate of the Mysteries.
それは、性的能力が、「神秘的教義」の伝授者により操られる、偉大なる「秘密」の力で
あるとして理解されるところの地点である。
--- ここまで ---

何かいきなり「エロ」い方向へと話が進んでいますが、残念ながら、ここでのエロさは、
いわゆる「上級者向け」のものであって、我々が期待するようなものではありません。

我々にとってのエロさというものは、肉体的な「マルクト」と官能的な「イェソド」を
結ぶ「21:宇宙」の「小径」のあたりにあるものであって、官能的な「イェソド」から
知的な「ホド」へと至る「19:太陽」の「小径」のそれとは、全く性質の異なるものです。

それゆえ、ここでのエロさは、「神秘的教義の伝授者により操られる、偉大なる秘密の力で
ある」と大層に言われているわけですが、逆に言えば、我々のような下々の者にとっては、
単なるスジであって、ほぼ何の価値も無いものと見ることもできます。

つまり、この「19:太陽」の「小径」で、あっち方面の上級者のエロに覚醒してしまうと、
もうこっちの世界には絶対に戻って来れないという、「tremendous/とても恐ろしい」もの
であるということなんですよね。

いずれにしても、「19:太陽」の真のエロさは、このロリショタ像に象徴されているもので
あり、その真の正体を見抜いて、タイミングを合わせて「見えた!」とカキコできるように
なるには、それなりの過酷なる修行が必要ということなわけですよ。←大嘘w
0188名無しさん@占い修業中垢版2017/05/27(土) 07:25:53.40ID:ZSftKQDA
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 156) ---
Yesod is the Moon, sexuality, the ebbing and flowing Astral Light beneath our
material existence.
「イェソド」は、「月」、「性的能力」、我々の物質的な存在のすぐ下にある、満ち引き
する「星幽光」である。

Hod is Mercury, the first differentiation of the specific Personality.
「ホド」は、「水星」、具体的な「人格」の最初の分化である。

It is hermaphroditic, both male and female, as these qualities have yet to be
separated out when considering the Sephira on a downward course toward mainfestation.
それは、両性具有、男性と女性の両方であるが、それは顕在化を目指して下へと向かう
進路の上にある「セフィラ」を考慮する時には、これらの品質たちが、まだ分離されて
いないためである。
--- ここまで ---

ここの「mainfestation」は、「manifestation/顕在化」の誤植ですね。

さて、エロさを伴わない「男性性」と「女性性」という象徴概念的な意味での分化は、
既に高次の「コクマー」と「ビナー」で経験済みなのですが、より具体的なエロさを伴う
「性別」の分化というか進化は、低次の「星幽的三角形」から始まります。
つまりは、
・ネツァク=単性生殖(女性のみ存在、単細胞生物みたいなもの)
・ホド=両性具有(個体内に男性と女性が共存、植物のめしべとおしべみたいなもの)
・イェソド=男性(マルクトと対になる存在)
・マルクト=女性(イェソドと対になる存在)
という概念であって、つまりはエロさに関する「男」と「女」は、この「ホド」を源流と
しているわけなのですが、この「ホド」にある「男」と「女」の話って、それなりの
「上級者向け」であるため、より下々にいる我々は、もっと分かりやすくハァハァできる
「イェソド」と「マルクト」での話題の方がいいかな、と思ったりするのでした。w
0189名無しさん@占い修業中垢版2017/05/28(日) 06:49:39.44ID:y+/XN8y8
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 156) ---
The Path of THE SUN, thus considered developmentally, is the point of childhood
of the emerging Personality as it builds toward a new incarnation.
「太陽の小径」は、それゆえに発達的に考慮されるならば、それが新しい肉体化に向けて
築くのと同じく、出現する「人格」の幼年期の時点である。
--- ここまで ---

個人レベルの性的進化を、「developmentally/発達的」に考えると、「ティファレト」
あたりから降りてきた「霊」の性別不詳の「種」を元にして、以下のように個体の男女に
進化したと見ることができます。
・ネツァク=受精卵
・ホド=生殖器が形成されてきてはいるが、まだ雌雄判別できない初期の胎児
・イェソド=男性化した胎児以降
・マルクト=女性化した胎児以降

まあ、あまり「男」とか「女」という性別だけにこだわるのもアレかと思うのですが、
一応、「19:太陽」は、そういうもの前提でネタ化されているものですので、あまり深い
意味でツッコミを入れないでください。
こういう「神秘学的」、つまり「非科学的」な分野でのな男女問題って、現代においては
別の意味で問題視されやすいものですしね。
(まあ、何でもかんでも差別と言いたい人も、どうかと思うのですが…)

それはともかくとして、ここで問題になるのは、この「19:太陽」の作用は、我々が手を
出すことの出来ない「胎児」の期間に発揮されているこということであり、つまりこれは、
下々の我々から見ると「受け入れざるを得ない運命」とされているわけです。

まあ、現代の生殖技術をもってすれば、男女の産み分けは可能ではあるわけですが、
基本的には、「男」と「女」の産み分けは、怪しい言い伝えを信じていかがわしいことに
チャレンジしてみるか、もしくは神様に祈るしかないのが現状ですよね。
子宝と男女の産み分けは、科学とオカルトの両方にとって、金のなる木なのでした。
0190名無しさん@占い修業中垢版2017/05/29(月) 06:19:38.77ID:bTdNS3/d
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 157) ---
When we travel this Path upwards, we return to this point of new innocence.
我々が、この「小径」を上に向かって旅する時には、我々は新しい無罪のこの時点に戻る。

It is, quite literally, a growing younger, a process of birth backwards until we
reach a stage where there is some recollection of the source from which we emerged.
それは、全くの文字どおりに、より若く成長することであり、我々がそこから出現した源泉の、
何らかの思い出があるところの段階に我々が達するまでの、後ろ向きの誕生の過程である。
--- ここまで ---

もしかして期待している人がいるかもしれないので、ここで最初に言っておきますが、
「19:太陽」のパスワーキングは、「幼児退行」プレイではありません。

「new innocence/新しい無罪」というのは、神から授かった「命の素」の状態であり、
そして、エデンの園で生まれた原初の「アダムとイブ」という感じのものであり、まだ
「地上での肉体」としては完成されていない状態です。
我々の世界で言うと、これは「胎児」に近い存在です。

要は、「19:太陽」は、全ての人にとって、「人」が、人を産み出す「神」の元に、最も
近づくことが出来るポイントであるということであり、人はそれなりに訓練していけば、
「マルクト」→「21:宇宙」→「イェソド」→「19:太陽」というメインルートを通って
上昇することは、それほどの困難さは無いということでもあります。

とはいえ、この「19:太陽」は、我々のような一般人にとっては、それほど使いやすいと
いうものでもありませんし、何かメリットのあるものでもないというのも確かです。
その大きな原因は、「19:太陽」が「マルクト」に接続されていない、つまり足が地に
着いていないということであり、このため、この我々の世界に直接的な影響を及ぼして
いるようには見えないので、我々にはその効果がわかりにくいからなんですよね。
それに、一般向けの「幼児退行」プレイならともかく、上級者向けの「胎児退行プレイ」
なんてものは、まず需要が見込めませんからねぇ。
0191名無しさん@占い修業中垢版2017/05/30(火) 06:14:44.10ID:irs/1Vm+
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 157) ---
This youthfulness, the Childhood of the Sun, is represented in Waite's card.
「太陽の幼年期」という、この若々しさは、ウェイト氏のカードにおいて表されている。

Here, following an iconography developed by Levi, a child is shown riding a white
horse, symbol of Apollo, the Sun God.
ここでは、レビ氏により発達された図像研究を受けて、子供が、「太陽の神」である
「アポロ神」の象徴である白い馬に乗っているのを表している。

The implication is that on this Path we become the child Apollo.
言外の意味は、この「小径」の上で、我々は子供の「アポロ神」になる、ということである。
--- ここまで ---

ウェイト版の「19:太陽」は、他のカードと違って、少々古い時代のものをベースにして
いますが、それは、レヴィ氏の著作である『Dogme et Rituel de la Haute Magie/高等
魔術の教理と祭儀』(1854年発行)の中で紹介されている「白馬に跨り、深紅の旗をかざす
一人の裸の子供」という説明文を元にしてデザインされているためです。

オーソドックスな「男女二人の子供」の構図がいいのか、ウェイト版のような「白馬に跨る
一人の性別不明の子供」の構図がいいのか、まあ趣味の問題とも言えますが、ラブコメが
好きなら前者で、冒険モノが好きなら後者ということになるのではないかと思います。

あと、個々の人生の旅立ちの真の出発点という意味においては、このウェイト版の方が、
それっぽく描かれていますので、そういう幸せな「勇者の旅立ち」を必要とするシナリオ
においては、こっちの方がしっくり来るかもしれませんね。
まあ、「ネツァク」を起点とする「16:塔」のような、不幸を伴う旅立ちパターンも準備
されていますので、ストーリーに合わせて、好きな方を選べば良いかと思います。

ワタシ個人としては、ラブコメも好きですし、幸せな勇者のストーリーでもいいですし、
不幸な生い立ちの勇者というのも、いずれも捨てがたいところですね。←優柔不断w
0192名無しさん@占い修業中垢版2017/05/31(水) 06:27:00.54ID:JmihjQVj
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 157) ---
The Golden Dawn card, basically following the Marseilles version, shows two naked
children in a garden enclosed by a wall.
ゴールデン・ドーンのカードは、基本的にマルセイユ版を受けて、壁により取り囲まれて
いる庭の中にいる2人の裸の子供たちを表している。

One is standing on earth, the other is standing on Water.
一方は地の上に立ち、他方は水の上に立っている。

These are the purest expression of the positive (male) and negative (female)
principles in incarnation, interwoven as in the Chinese Yin and Yang.
これらは、中国において「陰」と「陽」と同じようにして織り合わされた、肉体化における
正(男性的)と負(女性的)の原則たちの中で最も純粋な表現である。
--- ここまで ---

このゴールデン・ドーン版の、太陰大極図にある「陰陽」の形状を模した「地」と「水」
の表現は、マルセイユ版などの他のカードには見られない、特徴的なものです。

そもそも「19:太陽」は「陽」のイメージのカードであり、これと対比する「陰」としては、
暗くて水っぽい「18:月」や「17:星」があるので、役割分担をすればいいのにと思うの
ですが、あえてこの「19:太陽」に、「ホド」の両性具有の属性を付けてきています。

その結果として、このカードの構図的には、中央に太陽があり、左右に「男性原理」と
「女性原理」があるという、ほぼ完璧かつ完全無欠なものとなっており、「肉体化」に
おいては、この「19:太陽」と「21:宇宙」だけでいいんじゃないかな、的な完成された
フォーメーションとなっているわけです。

要は、「陽」を象徴する存在という意味でも、我々にとって重要すぎる役割を担っている
カードなのですが、あまりにも「purest expression/最も純粋な表現」で普遍的すぎる
ので、逆に効果的な使い方が良くわからないという贅沢な悩みもあるわけなのでした。
0193名無しさん@占い修業中垢版2017/06/01(木) 06:15:50.19ID:9hVsCouT
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 157) ---
The active male principle operates through the solid earth, while the passive
female principle operates through the fluid consciousness of water.
能動的で男性的な原則は、固体の地を通じて作動し、その一方で、受動的で女性的な
原則は、水の流動的な意識を通じて作動する。

They hold hands to indicate that their activities are reciprocal.
それらは、それらの活動たちが相互的であることを示すために、手を握り合う。
--- ここまで ---

ここは、現実の「男」や「女」の関係がどうであるかはともかくとして、あくまでも
「principle/原則」として、象徴的に「男性原理」と「女性原理」を扱っています。

さて、太陰大極図にある「陰陽」もそうなのですが、ここで重要となっている概念は、
彼らが子供の姿のままで「hold hands/手を握り合う」ということです。

つまりこれは、男女関係のエロさとは全く無縁のものであり、我々の肉体が誕生する前に
作られる、我々の「人格」の形成過程において、このように「男性原理」と「女性原理」が
表裏一体となって内部で作られている、ということを表しているわけです。

つまり、下位の「肉体」のレベルにおいては「男性」と「女性」は明確に区別できるわけ
ですが、より上位の「人格」のレベルにおいては、そう簡単には両者を分離して考えること
はできないわけであって、常に「陰」と「陽」が手を繋いだ状態で、相互関係を考慮して
いかなければならないという、非常にやっかいなことになっているわけです。

何で人間の中では、こんなに面倒臭い構造になっているのかと言うと、結局のところは、
「上の如く下も然り」ですので、上位存在の「神」の構造が、こういう二重性を持つという
ことに他ならないということなのですが、じゃあ、「何で「神」が二重構造なんだ」と
聞かれても、「なぜか、そうなっている」としか答えようがありませんけどね。←無責任w
0194名無しさん@占い修業中垢版2017/06/02(金) 06:36:22.05ID:h7jy5ZHG
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 157) ---
This is also a reference to Gemini, the sign which links Taurus (Earth) and
Cancer (Water).
これはまた、「金牛宮(地)」と「巨蟹宮(水)」を繋いでいる宮である、「双児宮」
にも関係がある。

Gemini was also the sign referred by the Greeks and Romans to Apollo and to the
Sun.
「双児宮」はまた、ギリシャ人とローマ人によって、「アポロ神」と「太陽」に関連付け
られた宮でもあった。
--- ここまで ---

「黄道十二宮」においては、「金牛宮(地)」「双児宮(風)」「巨蟹宮(水)」の並びと
なっているのですが、そもそも、「19:太陽」は、「ホド(水)」と「イェソド(空気)」
を繋ぐものですので、ここはちょっと強引すぎる論法ではないかと思います。

それに、「双児宮」のギリシア神話では、人の子である兄の「カストル」と、神の子である
弟の「ポルックス」とされており、男と女の組み合わせではありません。
また、「双児宮」の守護星は「Mercury/水星」すなわち「ヘルメス神」であるので、
「太陽」に仕えるという意味では関連があるとも言えますが、いささか強引すぎます。

ちなみに、「アポロ神/太陽」自身は、「アルテミス神/月」との双子なのですが、この
「19:太陽」の構図に当てはめると、「太陽」の位置に、父親である「ゼウス神」が来る
ことになりますので、これも、しっくりと来ない感じです。

というか、「双児宮」は、本来は大アルカナの「6:恋人たち」に配属されるべきものです
ので、ここに無理して関連させる必要も無いと思うんですよね。
どうしても結び付けたいのであれば、「太陽」を守護星に持つ「獅子宮」であると思う
のですが、「獅子宮」が配属される大アルカナは「8:力」のカードですし、これもなんか
「19:太陽」とは次元の違うものですので、やはり無理しない方がいいと思うのでした。
0195名無しさん@占い修業中垢版2017/06/03(土) 05:55:06.02ID:aQo6impm
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 157) ---
The relationship of the Sun to the Zodiac is of some importance, as is indicated
by the twelve rays in both the Golden Dawn and Crowley cards (Waite used 22 and
the Marseilles deck 16).
「黄道十二宮」への「太陽」の関係は、ゴールデン・ドーン版とクロウリー氏の両方に
おいては12本の光線たち(ウェイト氏は22本、そしてマルセイユ版デッキは16本を使った)
により示されるように、いくつかの重要性がある。

The Zodiac relates to Chokmah, from which the energy of this Path ultimately derives.
「黄道十二宮」は「コクマー」に関連しており、この「小径」の精力は究極的にはそれに
由来している。
--- ここまで ---

そもそも、「黄道十二宮」というのは、天球における「太陽」の動き(一年)と、「月」
の周期(一月)により決められたものですので、何も言わなくても重要なものです。

占星術にとっては、「太陽星座」が最も重要ですし、この地上においても、「太陽星座」
に関連した暦の上での「月」が、人々の生活に重要な役割を果たしているのは明白です。

とはいえ、この「19:太陽」のエネルギーが、「コクマー」由来であるという意味は、
いまいちよく理解できていないです。
そもそも、「生命の木」における「ultimately/究極的」なエネルギーは、「ケテル」に
あるわけですし、大アルカナの「19:太陽」は、「ティファレト」の「太陽」のような
生命活動的なエネルギーを放射しているわけではありませんので、「コクマー」との
関連性と言われても、いまいちピンと来ません。
どちらかというと、「黄道十二宮」に配属された全ての「小径」のエネルギーが、この
「19:太陽」に集約されていると言われた方が、納得できるかもしれません。
実際のところ、大アルカナにおける最後の「黄道十二宮」のカードは、この直前にある
「双魚宮」の「18:月」のカードですので、「19:太陽」が、それらの星座エネルギーを
集約して、下界に再放射するという話の方が、ネタ的には興味深いと思うのでした。
0196名無しさん@占い修業中垢版2017/06/05(月) 06:12:33.73ID:fcl4TV4A
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 157) ---
The patterns of this energy are, moreover, shown by the salient and wavy rays,
the alternating male and female currents.
この精力の様式たちは、さらに、凸状と波状の光線たち、交互の男性および女性の流れに
より示される。

The seven falling Yods (Chokmah, again, being the ultimate source of the Yod) refer
to the energies of the planets, under solar rulership, descending into matter.
7つの落下する「ヨッドたち」(「コクマー」は再び、「ヨッド」の究極的な源である)は、
太陽の支配権の下で、物質の中に下降している、惑星たちの精力を参照している。
--- ここまで ---

「黄道十二宮」そのものにも、「男性性」と「女性性」が交互に現れるのですが、それが
この「19:太陽」にも取り入れられています。
それは、突起状の太陽の炎の形状が、直線的か曲線的かの違いで表されています。

そして、太陽の下の、男児の頭上に7つ、女児の頭上に7つの「ヨッド(火)」が配置されて
いますが、これがそれぞれ「7つの惑星たち」を表しているということです。

ということで、この「19:太陽」のカードは、「黄道十二宮」と「七惑星」と「太陽」と
「地」と「水」、さらに鉄壁なガードとなる「壁」という、ほぼ完璧なる構図となって
いて、全く負ける気がしない、とても恵まれた状態を表しています。
そしてこのまま、「21:宇宙」を通って地上に降り立つことができれば、一つのゴールで
あり、そして次ステージへのスタートであるということになるわけです。

それにしても、なんか恵まれすぎていて、逆にちょっと不安になってくるわけですが、
まあ、まだ何も知らない「無垢」の状態というのは、きっと幸せなことなんですよね。
せめて天界ぐらいは、こういう幸せな状態であってほしいと思うのですが、他の大アルカナ
のカードを見てると、「上の如く、下も然り」であって、天界にも結構色々あるんだなぁと
思うのでした。
0197名無しさん@占い修業中垢版2017/06/06(火) 06:20:26.21ID:zF6hzq0u
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 157) ---
Crowley's card is related to JUDGMENT, which he called The Aeon.
クロウリー氏のカードは、彼が「永劫」と呼んだ、「審判」に関連付けされている。

It shows Heru-Ra-Ha, the Lord of Light who is the ruler of the new aeon to come,
the next stage of human development.
それは、人間の発達の次の段階である、来たる新しい永劫の支配者である「光の主」である、
「ヘル−ラ−ハ」を表す。
--- ここまで ---

クロウリー理論によると、このトート版の「19:太陽」は、惑星の「太陽」というものでは
なくて、次世代の支配者である「光の主」である「ヘル−ラ−ハ」なる存在であるという
ことです。
つまり、このカードは「未来のあるべき姿」ということのようです。

だから何?、とか、じゃあどうすればいいの?、とか言いたいわけですが、『トートの書』
に書かれていることは、あまりにも厨二病が酷いので、よくわかりません。

でもまあ、絵柄そのものは、ゴールデン・ドーン版に基づいたものであるので、そんなに
わかりにくくはないのですが、ゴールデン・ドーン版からすると、やっぱり違和感がある
ことは否めませんけどね。

まあ、トート版が、ワタシの趣味には、個人的に適合しないという問題はさておいて、
このカードの意味を本当に理解できる人って、本当にいるのかなぁ、と思うのでした。
というか、トート版って、ほとんどの人は、オカルト業界の誇大宣伝に乗せられて買った
のだと思うのですが、そういう人達って、カードの意味を、よくわからないまま使って
いると思うのですが、そういう売り方ってのも、なんだかなぁ、と思うのでした。

まあ、ワタシの場合も、乗せられて買ってしまった後は、しばらく机の中で眠っていた
わけですので、そういう人達の中の一人でもあるわけですけどね。
0198名無しさん@占い修業中垢版2017/06/07(水) 06:23:16.67ID:bqQVjCk0
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 157) ---
Appreciating this emphasis, it is curiously amusing to realize that Crowley has
based the card on his own family crest, "the Sun charged with a rose on a mont
vert." (*105)
この強調を十分に理解することで、クロウリー氏が、彼自身の家紋である、「緑の山の上の
薔薇に満ちた太陽」にカードの基礎を置いたことを理解することは、不思議で面白い。
(*105)
--- ここまで ---

ちなみに、(*105)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 271) ---
105. Crowley, Book of Thoth, 113.
105. クロウリー著、『トートの書』、113ページ。
--- ここまで ---
とあります

クロウリー家の「family crest/家紋」については、ワタシはまだ見たことが無いので、
確たることは言えませんが、とりあえず、そういう「家紋」的なものをベースにして、
このカードがデザインされているということです。
「mont vert/緑の山」とか「薔薇」とか「太陽」というのも、そういう家紋的な象徴を
ベースとしてデザインされたものみたいですので、オカルトの分野とは、ちょっと違った
解釈が必要となのですが、あいにくワタシには、そっち方面の知識は無いのでした。

まあ、こういうのって、クロウリー氏の厨二病的な趣味の一環ですし、ワタシ的には
あまり深入りしたくはない方向ですので、後は興味のある方に、お任せしときます。
というか、クロウリー氏の象徴体系って、ヒネリすぎてるというか、ゴチャゴチャしてて
一貫性も無いので、いまいちよくわかんないんですよね。
面倒臭いのって、性格的に苦手なのです。ww
0199名無しさん@占い修業中垢版2017/06/08(木) 06:20:36.63ID:U05aEJn6
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 157) ---
According to his explanation, the rose surrounded by the Signs of the Zodiac shows
the development of solar influence.
彼の説明によると、「黄道十二宮の宮たち」により取り囲まれた薔薇は、太陽の影響の発達
を表す。

The green mound of earth beneath the rose-sun means fertility, and is so shaped as
to suggest aspiration toward the higher.
薔薇の太陽の下の地球の緑色の小山は、肥沃さを意味しており、そして熱望がより高くなる
ことを示唆するように、そのように形づくられている。

As in the other versions, there is a walled enclosure, but here the children are
outside of it, meaning that humanity is no longer bound by the "prejudices of the
people that date morally from about 25,000 B.C." (*106)
他の版においては、壁で囲まれた囲いがあるけれども、ここでは子供たちは、人類はもはや
「おそらく約紀元前二万五千年から始まる人々の先入観たち」により束縛されないという
意味で、それの外にいる (*106)
--- ここまで ---

あ、そうなんだー。(cv:安野希世乃)

ちなみに、(*106)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 271) ---
106. Crowley, Book of Thoth, 114. It is anyone's guess how he arrived at this date!
106. クロウリー著、『トートの書』、114ページ。
彼がどのようにしてこの年代に到達したのかは、誰にも分からない。
--- ここまで ---
とあります

身内からも、ツッコミが入ってますね。w
0200名無しさん@占い修業中垢版2017/06/09(金) 06:24:26.70ID:YAIRi3Tz
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 157) ---
Most interesting, perhaps, is Crowley's point that the cross, from the formula of
the Rose-Cross, will expand into the Sun and twelve rays.
最も興味深いことは、もしかすると、「薔薇十字」の公式からの十字が、「太陽」と12本の
光線たちに拡張するという、クロウリーの論点であるかもしれない。

It will no longer be limited by four arms, but will radiate outward freely.
それは、もはや4つの腕たちにより制限されずに、外へと自由に放射するであろう。
--- ここまで ---

う〜ん、何か違うんだよな〜それが何なのかわかんないけど。(cv:安野希世乃)

まあ、『トートの書』には、妄想力のカタマリというか、一発キメてから書いてるだろう
(まあリアルでキメてましたが)的なノリで、「薔薇十字」と「19:太陽」の絡みについて
の文章が書かれていますが、あまりにも文学的であるため、ワタシには理解困難というか、
少なからず違和感があるわけです。

というか、キリスト教的というか宗教っぽいものが、こういう大アルカナに入ってくる
という時点で、そういう世俗的なものに対する違和感があるんですよね。
ゴールデン・ドーン版の無臭性と比べると、トート版のクロウリー氏の説明文は、どちらか
というと、うさん臭い方の宗教臭がするわけで、おそらくそれに対する違和感があるのでは
ないかと、勝手に自己分析しているのでした。

とはいえ、そういう信者たちに対する布教活動というのは、ヲタクたちの住まう同人世界に
おいては、ごく普通に行われているものですし、それ自体は悪いことであるとは言えない
わけです。

ということで、一般人であるワタシは、どうしても、そういう魑魅魍魎、いえいえヲタク
たちの世界からは一歩引いて、(cv:安野希世乃)的な思考を巡らすということになるわけ
なのでした。
0201名無しさん@占い修業中垢版2017/06/10(土) 06:56:35.31ID:9bYjrYcK
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 157) ---
One especially significant idea connected with this Path is, as the Golden Dawn
ritual of the Twenty-Ninth Path states, that the "Sun embraces the whole of
creation in its rays." (*107)
この「小径」に関連している、1つの特に重要な考え方は、「29番目の小径」の
ゴールデン・ドーンの儀式が述べているように、 「太陽は、その光線たちの中に、
創造の全てを包含する。」 ということである。 (*107)
--- ここまで ---

ちなみに、(*107)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 271) ---
107. Regardie, Golden Dawn, v. II, 110.
107. リガルディー著、『ゴールデン・ドーン(黄金の夜明け魔術全書)』、第2巻、110ページ。
--- ここまで ---
とあります。

なお、ここで「Twenty-Ninth Path/29番目の小径」とあるのは、「Thirtieth Path/
30番目の小径」の誤記です。
小径の番号と、「19:太陽」の鍵番号である「nineteenth」とは、混ざりやすいので、
くれぐれもご注意ください。

あと、この部分は、邦訳の『黄金の夜明け魔術全書(上)』では247ページの、ほぼ中ほど
の部分に相当します。
まあ要するに、この宇宙全体の創造は、もう全部「19:太陽」だけでいいんじゃないかな、
的なノリのことが書かれているわけです。

とはいえ、この「19:太陽」だけでは、完全な物質化である「マルクト」には至らないわけ
ですので、実体化の一歩手前の状態であって、「神」が仮想的かつ無制限かつ無限に
作成可能な「エデン」=「イェソド」の宇宙のたまご的レベルでの創造ということになるの
かなぁと、勝手に考えたりしているのでした。
0203名無しさん@占い修業中垢版2017/06/10(土) 12:57:35.88ID:VWKIIGeF
釣りも行ってます。キャンプも興味出てきました
0204名無しさん@占い修業中垢版2017/06/11(日) 07:01:15.94ID:JmihjQVj
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 157) ---
This idea is conveyed in a variety of ways, such as by the four sunflowers and
twenty-two rays in Waite's card, meaning the Four Worlds and Twenty-Two Paths.
この考え方は、たとえば、ウェイト氏のカードにおいては、「4つの世界たち」と「22の小径
たち」を意味する、4本のヒマワリと22本の光線によるように、様々な方法たちで伝えられる。

The Golden Dawn card shows ten flowers, to represent the totality of the Tree of Life.
ゴールデン・ドーン版カードは、「生命の木」の全体を象徴するために、10の花たちを示す。

And Crowley's card, as has been noted, attempts to show the expansion of the Rose
and Cross in relationship to the central Sun of manifestation.
そして、クロウリー氏のカードは、ちょうど言及され終わったように、顕在化の中心にある
「太陽」との関連付けの中で「薔薇と十字」の拡張を示すことを試みる。
--- ここまで ---

要は、「19:太陽」のカードが言いたいことは一つだけ、つまりこれは「全部入り」である、
ということであり、何も知らない下々の世界に住む我々にとっては、ほぼこれだけで話が
完結してしまう「完全栄養」なるものであるということです。

ということで、ここで話が終わってしまえば楽なのですが、物好きな連中は、さらにその先
にある、割とどうでもいいもの、いやいや、その奥に隠された偉大なるものへの詮索を
始める(典型的な厨二病的症状ですが)ということになるわけですよね。

いずれにしても、下々にいる我々から見れば、「マルクト」→「21:宇宙」→「イェソド」
→「19:太陽」→「ホド」というのが、最もわかりやすい王道攻略ルートであり、それ以外
のルートは、あくまでもフラグを立てるためのイベント回収ルートというのが基本的な見方
となるわけなのですが、サブカルチャー好きのヲタクたちの中には、そういうワキ見せ、
いやいやサブルートにハマる人も多くいるわけですので、個別のフェチ趣味については、
あまり深入りコメントしない方がいいのかもしれませんね。←オマエが言うなww
0205名無しさん@占い修業中垢版2017/06/12(月) 06:01:38.35ID:Cadwdmmq
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 158) ---
Thus, it too refers to the totality of creation made warm and bright by the rays
of the Sun.
したがって、それも、「太陽」の光線たちによって暖かくて明るくなる創造の全体を
参照する。

Of course it is necessary, once more, to observe the distinction between the two
sides of the Abyss.
もちろん、もう一度、「深淵」の2つの側たちの間の区別を観察することが必要である。

Creation and light mean all of Microprosopus to which Tiphareth is central.
創造と光は、「ティファレト」が中心であるところの「ミクロプロソプス(小さな顔)」
の全てを意味する。

Potential, yet darkness, refers to Macroprosopus, i.e., the Supernal Triangle.
可能性は、まだ暗闇であり、「マクロプロソプス(大きな顔)」、すなわち「至高の三角形」
を参照する。
--- ここまで ---

「Potential/可能性」の「至高の三角形」は、我々の世界からは「Abyss/深淵」の箇所で
完全に隔てられていて、全く見ることはできませんので、どこにあるのかも不明であり、
それが「darkness/暗闇」であると言うことも出来ません。
我々が知ることが出来るのは、あくまでも「光あれ」以後の、「Creation/天地創造」が
始まる瞬間以降の世界であり、それ以前のことは、誰も知ることは出来ません。
それと、「19:太陽」は、天地創造の世界観を、高い次元において象徴したものと言うこと
が出来るわけですが、そうなると、「セフィロト」の「ミクロプロソプス(小さな顔)」の
世界観と重なる部分が出てくるわけです。
「大アルカナ」と「小アルカナ」の世界観の違いは、きちんと区別しておいた方がいいの
ですが、「大アルカナ」は実体を持たないので、どうしても「小アルカナ」の世界に引きず
られた理解をしてしまいがちになりますので、ご注意ください。←難しいけどw
0206名無しさん@占い修業中垢版2017/06/13(火) 06:20:36.20ID:dYFCrlE4
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 158) ---
29. THE PATH OF QOPH
29. 「コフ」の小径

The Moon


The Eighteenth Key
18番目の鍵(大アルカナ)
--- ここまで ---

ここから、「生命の木に基づく大アルカナ」の章の中での新しい節になります。

サブタイトルは「コフの小径」です。

「生命の木」において、「19:太陽」で、軽くジャンプして、初めて「地に足の着かない」
状態になったのですが、この「18:月」で改めて「マルクト」に接して、勢いを増してから、
さらなる高みへと登ることになります。
つまり、上位世界に向けての三段跳びのラストジャンプという感じですよね。
「21:宇宙」=ホップ!
「20:審判」=ステップ!!
「18:月」=ジャンプ!!!

とはいえ、「18:月」は、それまでの「21:宇宙」や「20:審判」の熱烈歓迎モードからは
一転して、冷酷モードに変わっています。
地上から高く登れば登るほど、そこには「冷酷」なる仕打ちが待ち受けているということを
表しているわけですが、まあ、まだ半分は地に足が着いているので、最悪、引き返せばいい
わけですし、それが出来ないからと言って、別に生活に困るというわけでもありません。

ということで、いつものように見苦しい言い訳しながら、ぼちぼち足を進めることにしましょう。w
0207名無しさん@占い修業中垢版2017/06/14(水) 06:01:49.83ID:LLTh12eB
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 158) ---
□ PATH COLOR: Crimson (Ultraviolet)
□ 「小径の色」:「深紅(紫外)」

□ RELATED SOUND: B Natural
□ 「関連した音」:「Bのナチュラル」

□ SIGN: Pisces (Mutable Water)
□ 「宮」:「双魚宮(柔軟宮の水)」

□ MEANING: Back of Head, Ear
□ 「意味」:「後頭部」、「耳」

□ SIMPLE LETTER: Sleep
□ 「単字」:「睡眠」

□ ESOTERIC TITLE: The Ruler of Flux and Reflux. The Child of the Sons of the Mighty.
□ 「秘伝的な称号」:「潮の干満の支配者」。「強大なるものの息子の子供」。
--- ここまで ---

この本の、この文章の右側には、人の横顔の「後頭部」と「耳」と、ヘブライ文字の「コフ」
と、「双魚宮」の占星術記号、および「生命の木」における「コフの小径」の位置が図示
された絵が描かれています。

詳しい説明は、前項の「タウの小径」を参考にしてください。

さて、この本の、この説明文の下には、4枚の「月」のカードの写真が掲載されているの
ですが、このサムネ絵たちは、ワタシには、どう見てもアレにしか見えないわけです。
まあ、「太陽、男、陽」と対をなす「月、女、陰」ですので、そういう象徴であるのは
重々承知しているのですが、こういうふうに並べてみると、それがモロにわかりますよね。
0208名無しさん@占い修業中垢版2017/06/16(金) 05:58:25.12ID:S58pqJlu
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 158) ---
THIRTY TWO PATHS OF WISDOM: The Twenty-ninth Path is the Corporeal Intelligence,
so-called because it forms every body which is formed beneath the whole set of
worlds and the increment of them.
「知恵の32の小径たち」:「29番目の小径」は「有形の知性」であり、なぜならそれは、
世界たちの全体の集合およびそれらの増殖の下で形成される、全ての体を形成するがゆえ
に、そう呼ばれる。
--- ここまで ---

ここは、いつものように、ウェストコット氏の英訳版『The Sepher Yetzirah/セフェル・
イェツィラー(形成の書)』の「THE THIRTY-TWO PATHS OF WISDOM/知恵の32の小径」から
の引用です。

さて、「32番目の小径」と「31番目の小径」では「七惑星」、そして「30番目の小径」は
「星」という「heavenly body/天体」たちの、個々の動きについての話でしたが、この
「29番目の小径」では、それらが創造される話にまで拡張されてきています。
もちろん、「上の如く、下も然り」ですので、我々の「body/身体」の創造についての
話も含まれるわけですよね。

要は、この「18:月」は、『旧約聖書』の「天地創造」のストーリーの一部を象徴している
という話になってるわけで、もう少し詮索してみたい人は、『The Golden Dawn/黄金の
夜明け魔術全書』の「フィロソファス4=7位階儀式」の「第二十九番コフの小径」の節を
参照してみてください。

ということで、この「18:月」のカードが、なぜ正面お○○○ポーズに見えるのか、の謎が
何となく解けたということで、よろしいでしょうか。
そして、この「コフの小径」が、水浸し状態になっているということについても、何となく
創造した、いやいや想像した通りのストーリーであるということでもあります。
まあ、女性性の高い「ネツァク」と「マルクト」の結合部ですので、こういう意味になる
のは、ある程度は避けられない運命なのかもしれませんね。
0209名無しさん@占い修業中垢版2017/06/17(土) 08:12:36.20ID:J3ZGEEd5
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 158) ---
The Path of Qoph connects Netzach (Victory) with Malkuth (The Kingdom), and is
described not only as the "Victory of the Material World," but as the "deceptive
effect of the apparent power of Material Forces."
「コフの小径」は、「ネツァク(勝利)」と「マルクト(王国)」を接続し、そして
「物質的な世界の勝利」だけではなく、「『物質的な力たち』の見かけの能力の欺瞞的な
効果」としても記述される。
--- ここまで ---

このあたりの記述は、『The Golden Dawn/黄金の夜明け魔術全書』の「第四知識講義」の
「NOTES ON THE TAROT/タロットに関する覚書」という公式文書にあります。

さて、「コフの小径」は、「生命の木」を上から降りる時に、最初に「マルクト」に到達
できる「最短経路」であり、かつ、「マルクト」から昇る時には、最も高位の「ネツァク」
に到達できる「最短経路」でもあります。
宇宙論的に言うと、別の時空を繋ぐ「ワームホール」みたいなものですかね。

それゆえ、我々のような下々の者にとっては、ハイリスク・ハイリターン?というか、
まあよくわからないものがうじゃうじゃしているというわけでして、何がしかのリターン
があるとしても、我々にとっては、すこぶるどうでもいいようなものでもあるわけです。
つまり、我々自身は、ここを昇るというよりも、遠巻きにして第三者的に眺めておく方が
いいわけなのですが、それでも昇りたいという物好きが、この世の中にはいるわけです
ので、まあ、自己責任において好きにして頂ければ良いかと思います。

ということで、この「18:月」のパワーは、実在的よりも仮想的、恒常的よりも遷移的という
性格のものであり、掴みどころのない、移ろいやすいものであるわけで、それゆえ、
我々にとっては「見かけの能力の欺瞞的な効果」として見えてしまいがちである、という
ことになるわけですよね。
0210名無しさん@占い修業中垢版2017/06/18(日) 07:41:48.77ID:KCZK9jZY
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 158) ---
Crowley calls this Path the "Gateway of Resurrection...the threshold of life...
or spiritual rebirth, may be considered at two levels: First, in the course of
incarnation, it is the stage of the soul's organization of the physical body
which it will inhabit.
クロウリー氏は、この「小径」を、「復活の入り口…生の始まり…」、すなわち霊的な
生まれ変わりと呼び、2つの観点で考慮されるかもしれない:最初に、肉体化の過程に
おいては、それは、それが宿るであろう物質的な身体の、魂の組織化の段階である。
--- ここまで ---

原文では、「"」の対応が取れていないので、引用された部分は推定になります。
あと、ここは『トートの書』からの一部引用ですので、補足しておきます。

まず、「Gateway of Resurrection/復活の入り口」については、「18:月」の直接の説明
ではなく、このカードに割り当てられた「双魚宮」についての解説文であり、「春分点」
や「復活祭(イースター)」を含む「白羊宮」の直前にある、冬から春への遷移の時期を
表すものです。

次に、「the threshold of life/生の始まり」については、原文では、「This is the
threshold of life; this is the threshold of death./これは、生の始まりであり;
これは死の始まりである。」という文章になっており、魂が期間限定で肉体内に宿ること、
すなわち「肉体を持つ生命の誕生」を意味しているものとなっています。

要するに、この「18:月」の道は、上位の無慈悲な神様の命令により、イノセント世界の
ピュアな「霊魂」が、この汚れきった下界に堕ちてくるという道であるというわけであり、
まるで「月の光」に導かれて、「私は神の子である」とか「こんなもののために生まれ
たんじゃない!」とかいう、とある厨二病的なシーンを思い出すのでした。

いずれにしても、「18:月」は「20:審判」と対となる存在ですので、「18:月」が闇堕ち、
いやいや「誕生」を、「20:審判」は「死」を担当するということになるわけですよね。
0211名無しさん@占い修業中垢版2017/06/19(月) 06:18:01.88ID:Krqy4nmH
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 159) ---
It is a "Sleep" (as attributed to Qoph by the Sepher Yetzirah) preceding the waking
mortal consciousness, a form of pre-consciousness differentiating into matter from
the collective unconscious of Netzach.
それは、(『セフェル・イェツィラー(形成の書)』により「コフ」に帰属されるように)、
「ネツァク」の集合的無意識から物質の中に分化している前意識の形態である、覚醒して
いる死ぬ運命にある意識に先行している「睡眠」である。
--- ここまで ---

ここでの「睡眠」というのは、2つの意味を持ちます。
一つは、我々が毎日「昼(太陽)と共に起き、夜(月)と共に寝る」という一日のサイクル
であり、もう一つが「生と共に覚醒し、死と共に眠る」という一生のサイクルです。

「18:月」は、「死」ではなく「誕生」を意味するものですので、ここでは「魂」が肉体に
宿る「誕生」の直前の、「consciousness/意識」が覚醒する前の「pre-consciousness/
前意識」という状態、つまり、個々の人間の「mortal consciousness/死ぬ運命にある意識」
として覚醒する前の意識状態を表しており、それは最終的に「マルクト」において、人の
肉体の中で、「意識」と共に定着するわけです。

ちなみに、生命誕生における「意識」の本流は「21:宇宙」にあるわけで、我々の知覚して
いる意識のほとんどは、その本流の経路で流入してきます。
つまり、この「18:月」から流れ込む「(前)意識」は、我々がうまく知覚できないものが
大部分を占めているわけなのですが、、我々はそれを知覚できないわけですので、結局は
よくわからないものということになります。
それがあることは知っているけど、それが何なのかはわからない、「意識の宇宙」という
もう一つの次元における「ダークマター」みたいな存在として、我々と共にあるわけです。

そして、その「ダークマター」は、我々が「睡眠」を取っている時に目覚め、我々の知る
「21:宇宙」から流入した、覚醒の「意識」とは、また別の知られざる世界へと、我々を
いざなってくれることになるわけですよね。
0212名無しさん@占い修業中垢版2017/06/20(火) 06:24:11.52ID:h48rhIbs
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 159) ---
Second, in terms of the spiritually-developing individual, it is a conquest of
the phantoms reflected from the material world, what the Golden Dawn described as
"The Child of the Sons of the Mighty," meaning the "creations of the created."
第二に、個人の精神的な発達という観点においては、それは、「創造されたものの産物たち」
を意味している、ゴールデン・ドーンが「強大なるものの息子たちの子供たち」と述べたもの、
物質的な世界から反映された幻影たちの克服である。
--- ここまで ---

我々は、最初に「人間」として誕生した後、精神的にオトナに成長するためには、さらなる
次の試練が待ち受けているということですよね。

まず、「creations of the created/創造されたものの産物たち」の意味するものは、
「created/創造されたもの」つまり「人間たち」の「creations/産み出したものたち」、
ここでは少々皮肉を込めた意味合いで、人類の妄想による創作物、まあ、歴史的な厨二病
の産物というか、封印したい「黒歴史」のようなものと思っておいた方がいいですかね。

そして、それはまた、ゴールデン・ドーンの「"T"の書」において「強大なるものの息子
たちの子供たち」と称されたものの正体であり、「18:月」のカードが、肉体的なエロの
イメージ満載となっている、主な理由なわけです。

つまり、この「18:月」のエロイメージは、あくまでも「the phantoms reflected from
the material world/物質的な世界から反映された幻影たち」であって、我々がオトナ
になるためには、そういう30歳童貞魔術師の持つ、上級者としてのエロ幻想を克服して
いかなければならないということを、我々にこっそりと教えてくれているわけです。

とはいえ、長いこと人間やってると、物質的な幻想、言い換えると「肉体的な欲望」から
解脱するのって、なかなか難しいんですよね。
「欲望」は、人が生きていく上では必要不可欠なものですので、この「18:月」を突き詰め
ると、即身成仏的な意味合いが出てくるような感じですね。
0213名無しさん@占い修業中垢版2017/06/21(水) 06:27:03.42ID:6PNwukBE
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 159) ---
This is a watery Path of probation, where the student must face and conquer the
phantoms of the darkest recesses of his own mind, as well as those of the race.
これは、水の見習いの「小径」であり、ここで学徒は、人類のそれらと同様に、彼自身の
精神の最も暗い奥まった場所たちの幻影たちに立ち向かい、そして克服しなければならない。

In that sense it can be a terrible and frightening Path, involving real dangers to
the emotional stability of those who are not strong enough to handle this experience;
such inner disturbance may actually result in serious physical problems.
その意味においては、それは、この体験を取り扱うほどには十分に強くない人々の感情的な
安定に本当の危険たちを巻き込むので、厳しく、そして恐ろしい「小径」である可能性が
ある;そのような内なる混乱は、実際に重大な物質的な問題たちをもたらすかもしれない。
--- ここまで ---

この「コフ/18:月の小径」の「watery Path of probation/水の見習いの小径」の反対側
にあるのは、「fiery Path of probation/火の見習いの小径」である「シン/20:審判の
小径」となっています。
そして、この「18:月」は、「マルクト」から上の世界に通じる3本の「小径」の中では、
最も厳しく、そして最も危険なものになっているわけです。

何でそんなに危険なのかと言うと、夜の道を照らしているのが「月」であり、光的にも
精神的にも周期的に変化する不安定な存在、すなわち「ダークサイド」というものを、
その中に持っているからなんですよね。
そして、精神的に強くない人は、その「月」の持つ深い闇に飲み込まれて「闇堕ち」して
いくというストーリーとなるわけです。

まあ、普通の人は、そういう危険なものに立ち向かおうという気さえ起こりませんので、
我々にとってはそれほどの危険性は無いわけですが、もしそういう「闇」に対峙しようと
いうような物好きな人は、この「18:月」での経験は、それなりに参考になるのではないか
と思うのでした。
0214名無しさん@占い修業中垢版2017/06/22(木) 06:12:58.51ID:P5jjsrja
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 159) ---
On the other hand, tradition states that the successful treading of this Path confers
the powers of "bewitchments and casting illusions."
その一方では、伝統は、この「小径」の成功した踏破は、「魔力たちと幻影たちを投射する
こと」の能力たちを授与すると述べる。

When we slay the dragons of the deep recesses of our sleep-consciousness, and
understand their mechanisms, we gain the capacity to manipulate those qualities
in ourselves as well as in others.
我々は、我々の睡眠状態の意識の深い奥まった場所たちの竜たちを殺害し、そしてそれら
の仕組みを理解する時、我々は、他たちの中だけでなく我々自身の中のそれらの
品質たちをも操作するための能力を得る。
--- ここまで ---

この「dragons/竜たち」というのは、我々の心の奥底にいる物質的存在であり、我々の
精神的な「内なる魂」を、その奥底にある牢獄に閉じ込めていて、我々がそれを解放しよう
とすると、強烈な反撃を食らわすという、とてもやっかいな存在です。
でもまあ、そういう物質的欲望にまみれた「竜」を、心の内なる部分に住まわすことで、
我々人類は、物質的な地上において、物質的にここまで発展できたということでもある
わけですが、とはいえ、「人」が「物質的」なものの虜のままでは、しょせん野獣と同じ
ような存在でしかないわけです。
「人」が「人」であることを取り戻すには、この「竜」を制覇し、うまく制御していく
ことで、隠れた「内なる魂」の輝きを取り戻さなければなりません。

つまりは、これが、この「18:月」のカードに託された「鍵」なのですが、でもこれって、
「言うは易く、行うは難し」の典型的なものですので、そんなに気安くチャレンジする
シロモノではありませんし、そもそも「内なる竜」は、言ってみればラスボス的存在です
ので、いきなりラスボスから攻略できるわけもありません。
ということで、我々のような初心者は、とりあえず他の安易そうな道を、一歩ずつ攻略
していくのが良いかと思うのでした。
0215名無しさん@占い修業中垢版2017/06/23(金) 06:21:45.77ID:ehQlK23m
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 159) ---
The meaning of Qoph is the back of the head.
「コフ」の意味するものは、「後頭部」である。

It is behind the head itself, which is Resh (THE SUN).
それは、「レシュ(太陽)」であるものの、それ自身の頭の後ろである。

Thus, what is symbolized by THE MOON is anterior to the bright intellectual
awareness of THE SUN.
したがって、「月」により象徴されるものは、「太陽」の明るい知的な覚醒の前にある。
--- ここまで ---

何か色々と書かれていますが、要するに、「19:太陽」と「18:月」は、「昼の顔と夜の顔」、
「陽の顔と陰の顔」「表の顔と裏の顔(後頭部)」というように、表裏一体の関係を持って
いるということです。

とはいえ、「生命の木」においては、この「19:太陽」と「18:月」の位置関係は表裏一体
ということではなく、ちょっと距離を置いた、割と複雑な関係となっています。

「生命の木」のエネルギーの流れとしては、「18:月」が、真っ先に「マルクト」に到達
するのですが、本流ではありませんし、まだまだ未分化の状態ですので、我々の意識を
「覚醒」するまでには至りません。
結局のところ、まだ半分寝ている状態で、よくわからないまま、形の無い潜在意識の中に
溜め込まれているというような感じです。
そして、この未分化エネルギーは、「ES細胞(Embryonic Stem Cell/胚性幹細胞)」の
ようなもので、何にでも分化できる能力があって、知的覚醒により我々が失った能力、
まあ、魔力みたいなものを、取り戻すことが出来る(かもしれない)というものです。

そういう意味では、この「18:月」が、お○○○をイメージしているのは、胎内へと至る、
忘れていた「能力」を取り戻すための戻り道を示しているのかもしれませんね。
0216名無しさん@占い修業中垢版2017/06/24(土) 07:27:50.04ID:QVkoMWPx
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 159) ---
At this level of the Tree the Moon only reflects the light of the Sun; the Path at
the center of the card is going from the dark side of the Moon, toward the light
side on which the Sun shines directly.
「木」のこの段階では、「月」はただ「太陽」の光を反射するだけである;カードの中央
にある「小径」は、「月」の暗い側から、「太陽」が直接輝く明るい側へと、向かっている。
--- ここまで ---

「this level of the Tree/木のこの段階」、すなわち「コフ/18:月の小径」においては、
暗い夜中であって、月が太陽の光を反射することで、不安定ながらも、少しは明るくなって
いるという状態です。

そして、「18:月」の真ん中に描かれている細い道は、地上の夜の面から昼の面へと通じる、
すなわち地球を半周するほどの、長い長い道のりであることを表しています。
ついでに言うと、地球の自転よりも早い速度で進まないと、太陽の動きには追いつけません
ので、ザリガニの這う速度では絶対に無理ですよね。
まあ、じっとしていれば、そのうち朝が来るわけですので、それを待つ方が賢明です。

それはともかくとして、我々の住む「マルクト」からは、太陽を象徴する「ティファレト」
を直接見ることは出来ませんし、「19:太陽」も、「マルクト」には繋がっていません。
我々が直接見ることが出来る光は、月を象徴する「イェソド」と、「18:月」という、
太陽の反射光でしかないわけです。
でも、実はそれが、我々が「マルクト」に住める理由の一つになっています。

実は、「太陽」の光が直接地上に降りそそぐと、地上の全ての生物は死滅してしまいます。
我々人間は、宇宙空間に出る時は、分厚い宇宙服を着る必要があるわけですが、それは
空気が無いからというだけではなく、生命にとって超絶危険な太陽光から体を守る必要が
あるからなのですよね。
0217名無しさん@占い修業中垢版2017/06/25(日) 06:23:44.15ID:upLWAdxp
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 159) ---
Here is should be noted that Crowley disagreed pointedly with the Golden Dawn and
Waite interpretation which say that the Moon is in its increase.
ここでは、「月」はその満ちる状態にあると言う、ゴールデン・ドーンとウェイト氏の
解釈に対して、クロウリー氏は、あからさまに意見が異なっていたことは注目されるべき
である。

The rationale given is that the crayfish is the symbol of Cancer, meaning that
when the Sun is in Pisces, the Moon will be increasing in Cancer.
与えられた論理的根拠は、ザリガニは「巨蟹宮」の象徴であり、「太陽」が「双魚宮」に
ある時には、「月」は「巨蟹宮」において満ちているであろうことを意味することである。
--- ここまで ---

「18:月」が、満ちている過程にあることは、『The Golden Dawn/黄金の夜明け魔術全書』
の「フィロソファス4=7位階儀式」の「第二十九番コフの小径」の節に説明があります。
まあ、この説明自体はこじつけであり、要は「月が満ちている」ことを主張したいわけです。

まず、この「18:月」においては、「月」が空の中心にあり、すなわち「南中」しており、
一方で「太陽」は地平線下にあります。
すなわち、位相的には90°以上の隔たりがあるということです。
そして、「18:月」は「双魚宮」に配属されており、また占星術では、「月」は「巨蟹宮」
の支配星とされています。
「太陽」が「双魚宮」にあり、「月」が「巨蟹宮」にある時、その位相は120°となり、
これは、上弦の月(90°)を少し越えて、月が満ちている状態を表します。
あと、月の右側が明るく左側が暗いのも、満ちていく状態を表しています。

ちなみに、クロウリー氏は、『トートの書』において、「the waning moon/欠けゆく月」
と説明していますが、特に根拠については何も書いていません。
とはいえ、この「18:月」についての説明は、何となく女性の「月経」の持つネガティブな
イメージを強く感じるものとなっています。
0218名無しさん@占い修業中垢版2017/06/26(月) 08:57:30.05ID:XrDKZLP8
月経にネガティブなイメージを持つのはおかしいね
当たり前の生理現象じゃないか
0219名無しさん@占い修業中垢版2017/06/28(水) 06:13:39.25ID:qmPSdKxe
>>218
ご意見いただき、ありがとうございます。
いきなりの多忙ゆえ、レスが遅れまして申し訳ありません。

さて、月経にネガティブなイメージを持つのはおかしい、という御指摘は、ごもっともな
ご意見であるとは思うのですが、これはあくまでも『トートの書』に書かれている
記述と、トート版タロットの「18:月」のイメージが、そういうことになっていると
いうことですので、ご理解のほど、お願いいたします。

でもまあ、今の日本って、「おまえはネガティブだ」とか「おまえの○○はネガティブだ」
とか言われて、気分のいい人はいませんよね。
そうじゃない、と反論したい気持ちもよくわかりますし、ワタシだって反論したくなります。
でも、あまりに行きすぎた建前的な平等論は、「ネガティブ」という言葉のイメージに
対する言葉狩りにも繋がりますので、なかなかに難しいところですよね。

「月経」そのものは、当たり前の生理現象ですので、「ポジティブ」とか「ネガティブ」
というものではないのですが、それにより引き起こされる肉体的あるいは精神的な現象面
においては、どうしても「ネガティブ」に考えてしまう面は出てくるかと思います。

女性の体には、月と同じような周期があります。
それは、「月」による海面の上昇/下降(干満)の周期、もしくは月の満ち欠けの周期と
同じように、肉体的および精神的な面において、「正=ポジティブ」と「負=ネガティブ」
の面を持っていますので、それを無視して語ることは出来ませんよね。

つまり、「18:月」に対して、マサース氏やウェイト氏は「ポジティブ」な面に注目し、
その一方、クロウリー氏は、「ネガティブ」な面に注目したということなのですが、
これはおそらく、彼らの女性に対する見方を暗に表したものではないかと、勝手に邪推して
いるのでした。
ちなみに、マサース氏やウェイト氏って、割と愛妻家みたいだったようですし、ゴールデン・
ドーン自体も、割と男女平等の意識が高かったようにも思います。
でも、クロウリー氏は、・・・ですよね〜。
0220名無しさん@占い修業中垢版2017/06/29(木) 06:20:38.61ID:zMsm61R7
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 159) ---
So the Crayfish emerging from the Water, at one level, was intended to mean: "the
Sun below the horizon as he ever is when the Moon is increasing above." (*109)
したがって、ある段階においては、「水」から出現している「ザリガニ」は、以下を意味
することを意図された:「「月」が上にあって満ちつつある時に、それがいつもいるのと
同様に、地平線の下の「太陽」」。 (*109)
--- ここまで ---

ちなみに、(*109)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 271) ---
109. E.A. Wallis Budge, The Gods of the Egyptians, v II, 1969, 379-382.
109. E.A. ウォーリス・バッジ著、『エジプト民族の神々』、第2巻、1969年発行、379-382ページ。
This work is important because it was the standard work on Egyptology at the
time the three decks related to the Golden Dawn were produced.
この作品は、ゴールデン・ドーンに関連する3つのデッキが生み出された時に、エジプト学
についての基準の作品であったので、重要である。
It has even been suggested that Budge may have been a member of the Golden Dawn,
and had his own secret group within the walls of the British Museum, but this
seems unlikely.
バッジ氏は、ゴールデン・ドーンの一員であったかもしれないと示唆されたことがあり、
「大英博物館」の壁たちの中に彼自身の秘密の団体を持ってはいたが、これは、ありそう
にない。
--- ここまで ---
とあります。

「月」が上に、すなわち南中近くにあって、上弦を過ぎて満ちつつある時には、「太陽」は
常に地平線下にあります。
要は、「ザリガニ」は、地平線下にある「太陽」を意味しているということなのですが、
ゴールデン・ドーンにおいては、「月」でもあり「太陽」でもあるというのが、この
「ザリガニ」の象徴であるということですかね。
0222名無しさん@占い修業中垢版2017/06/30(金) 06:25:01.91ID:CmD9OZtc
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 159) ---
Another important idea expressed in the Golden Dawn manuscripts is that of the
crayfish imagery developed from the Scarab or Dung-Beetle. (*110)
ゴールデン・ドーンの原稿たちの中で表わされた、もう一つの重要な考え方は、「タマオシ
コガネ(スカラベ)」もしくは「フンコロガシ」から発展したザリガニの心像のそれで
ある。 (*110)
--- ここまで ---

ちなみに、(*110)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 272) ---
110. Regardie, Golden Dawn, v. II, 130.
110. リガルディー著、『ゴールデン・ドーン(黄金の夜明け魔術全書)』、第2巻、130ページ。
--- ここまで ---
とあります。

ここは、邦訳だと『黄金の夜明け魔術全書(上)』だと、264ページの「フィロソファス
4=7位階儀式」の「第二十九番コフの小径」の節の部分になります。
ちなみに、この原稿には「Scarabeus or Khephera/「スカラベ(タマオシコガネ)」、
もしくは「ケペラ(エジプトの朝の太陽の神)」」と記述されています。
「ケペラ」は、スカラベの頭を持つ神として描かれており、西に沈んだ太陽を、スカラベが
地下で太陽を西から東に運搬することで、朝に太陽が東から昇るという話になっています。

つまり、このザリガニは、地下から復活しようとしている太陽を表しているということにも
なるわけです。

ザリガニは、実は太陽であったというのは、いまいちよくわかりませんが、タロットにおいて
「18:月」の後に「19:太陽」がきているのは、そういう意味もあるのかもしれませんよね。
0223名無しさん@占い修業中垢版2017/07/01(土) 06:14:55.53ID:xhyrTPhf
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 159) ---
Crowley developed this idea, making the dung-bettle central to his card and
emphasizing the darker aspects of the Path.
クロウリー氏は、この考え方を発展させ、フンコロガシを彼のカードの中心に据え、
「小径」のより暗い様相たちを強調した。

He called this "The Waning moon of witchcraft, and abominable deeds. . .
the poisoned darkness which is the condition of the rebirth of light." (*11)
彼はこれを、「魔力(魔女術)の「欠けていく」月 、そして忌まわしい行為 . . .
光の再生の条件である毒の入った暗闇」と呼んだ。 (*11)<-111
--- ここまで ---

ここで、(*11)とあるのは、(*111)の誤記です。
ちなみに、(*111)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 272) ---
111. Crowley, Book of Thoth, 112.
111. クロウリー著、『トートの書』、112ページ。
--- ここまで ---
とあります。

何でここまで、クロウリー氏が、「月」を忌み嫌うのかは、よくわからないのですが、
このクロウリー氏の記述にある、欠けつつある下弦の月の強烈な「ルナティックさ」は、
女性にのみ周期的に訪れる「PMS(Premenstrual Syndrome/月経前症候群)」に通じる
ものがあると思われます。(※個人の感想であり感じ方には個人差があります。)
このような状況において、燃え尽きてウンコ玉になってしまった「夜の太陽」を、至高の
存在である「フンコロガシ」が運ぶというのは、なかなかにシュールであると思うわけで
あり、誤解されやすいというか、そもそも誤解されることを前提にしているような、極めて
挑戦的なデザインとなっているわけですよね。

まあ、あくまでもクロウリー氏の思いつきですので、あまり深入りしたくはないのでした。
0224名無しさん@占い修業中垢版2017/07/02(日) 06:57:19.15ID:eq9Te8Mk
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 159) ---
The rebirth of the Light out of a hideous and abominable darkness is his primary
concern, one admirably symbolized by the beetle, a reference to Kephera, Father
of the Gods, and the great God of creation and resurrection. (*112)
恐ろしく忌まわしい暗闇から抜け出す「光」の再生は、彼の主要な関心事であって、
「神々の父」であり、創造と復活の偉大なる「神」である「ケペラ」への参照である、
甲虫により見事に象徴されたものである。 (*112)
--- ここまで ---

ちなみに、(*112)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 272) ---
112. Budge, Gods of the Egyptians, v. II, 379-382.
112. バッジ著、『エジプト民族の神々』、第2巻、379-382ページ。
--- ここまで ---
とあります。

「月」が、恐ろしくて忌まわしい暗闇であるというのは、ちょっと偏見が入りすぎている
ような気もしますが、クロウリー氏が「18:月」で言いたいことは、そういうことのよう
です。

そして、その極限状態から抜け出すために、毒をもって毒を制すみたいな感じで、お下劣な
ネタを入れてくるのは、変態マニア向け、いやいやオカルトにありがちの「上の如く、下も
然り」の原理を応用した、とても「one admirably symbolized/見事に象徴されたもの」と
なっているわけです。

まあ、こういうのって、どちらかというと悪趣味に近いものではありますが、クロウリー氏
には、そういうものを期待される要素もありますので、そういうゲスな期待に応えるという
意味においては、なかなか良いセンスであるとは思うのですが、ワタシには、少々ハードル
が高いというか、いまいち乗り気になれないんですよね。
だって、「月」のものって、当たり前の生理現象じゃないですか。(大事なことなので…以下略)
0225名無しさん@占い修業中垢版2017/07/03(月) 06:04:48.55ID:ydUYz+Oz
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 159) ---
The Beetle, or Scarabaeus, (called kheprera by the Egyptians) was the God's key symbol.
「甲虫」、すなわち「タマオシコガネ(スカラベ)」(エジプト民族により「ケペラ」と
呼ばれた)は、「神」の重要な象徴であった。

As a species, this is a beetle which lays its eggs in a ball of dung, which it
pushes along, and from which the eggs eventually hatch as they are subjected to
the warmth of the Sun.
種としては、これは、一緒に、それが押し進む、糞の玉の中にその卵たちを産む甲虫であり、
そしてそこから、それらが「太陽」の暖かさにさらされることで、ついには卵たちが孵化する。

The dung-ball was considered to be like the Sun itself, for it contained all that
was necessary for growth and nourishment.
糞玉は、それが成長と栄養のために必要であった全てのものを含んでいたので、「太陽」
それ自身のようであると考えられた。
--- ここまで ---

まあ、こんな感じで、きちんと説明すれば少しは分からなくもないのですが、いきなり
「月の下にフンコロガシ」が出てくるというのは、どう考えても上級者向けですよね。

万人向けの「月の下のザリガニ」よりも、そういう上級者ウケを狙ってきているのは、
いかにもクロウリー氏っぽいところではあるわけですが、ちょっとコジツケが多いと
いうか、少なくとも誰もが受け入れられるような解釈ではないと思います。
まあ、クロウリー氏の理屈は、理論的には分からなくもないのですが、デザイン的には、
「月」は「月経」で、「太陽」が「ウンコ玉」がモチーフですので、結構この手のネタに
対して抵抗感のある人も少なくないのではないかと思うのでした。

そして、このクロウリー氏のデザイン改変が吉と出るのか、凶と出るのかは、それこそ
人それぞれだと思うのですが、ワタシ的には、あまり気分の良いものではないというか、
上位世界の大アルカナを象徴するものとしては、かなり悪趣味な感じがするのでした。
0226名無しさん@占い修業中垢版2017/07/05(水) 06:22:36.95ID:LiiLkYdV
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 159) ---
In some respects the form emerging from the waters is both the highest and the lowest.
いくつかの点で、水域から出現している形は、最も高いものと、最も低いものの両方である。

It is the very originator of life as it is Kephera, the God who is said to have
emerged as a beetle "from the watery mass of Nu."
それは、「ヌンの水のかたまりから」甲虫として出現したところであると言われている
「神」である、「ケペラ」であること同じように、まさしく生命の創始者である。

It is the highest creative force, beginning its material self-expression as the
lowest organic form.
それは最も高い創造的な力であり、最も低い有機的な形として、その物質的な自己表現を
開始する。
--- ここまで ---

まさしく「上の如く、下も然り」を絵に描いたようなデザインとなっていますが、
わざわざ、カードの下にある「form emerging from the waters/水域から出現している形」
である、「lowest organic form/最も低い有機的な形」の「ウンコ玉」が、「highest
creative force/最も高い創造的な力」の「太陽」の始まりであるという話にしなく
てもいいのではないかと思うわけなんですよね。
まあ、クロウリー氏って、スカトロ方面の趣味があるのかもしれませんけど、これって、
あまり一般ウケのするものでもありませんからね。

そして、「18:月」の主題である「月」が、どちらかというと悪役にされていて、ワタシの
ように「月」の静寂な雰囲気を好む人にとっては、この手の「ネガティブさを貶める」
ようなストーリーに仕立てられているというのは、いまいち面白くないわけです。
そのうえ、「ウンコ玉」と「フンコロガシ」が、主役の座を乗っ取ってしまっていて、
「男尊女卑」的な構図に近くなっているのも、なんか面白くないわけです。
要は、トート版の「18:月」って、ワタシにとってはいまいち趣味が合わないカードの
一つなんですよね。
0227名無しさん@占い修業中垢版2017/07/06(木) 06:10:18.91ID:oZ+3cIq0
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 160) ---
The crayfish means the organic evolution of the human race; it also refers to the
cellular development of the physical vehicle from the inner roots of nature.
ザリガニは人類の有機的な進化を意味する;それはまた、自然の内なる根源からの物質的な
乗り物の細胞の発達を参照している。

And, as an originator of form, Pisces (ruled by Jupiter) relates to Chesed.
そして、形の創始者として、「双魚宮」(木星により支配される)が「ケセド」と
関連する。
--- ここまで ---

「18:月」の脇役(というかほぼ主役)は、ヒネリの効きすぎた「ウンコ玉」と「フンコロ
ガシ」よりも、オーソドックスな「crayfish/ザリガニ」の方が、やっぱりオチつきます。

さて、この「ザリガニ」ですが、細胞レベルでの進化、すなわち有機的な「生命」が、
「海中」の有機物から生まれ、それが進化して単細胞生物、そして有機的な多細胞生命体
となり、最終的には複雑な構造を持つ「人体」へと進化していく途中経過を表しています。
つまり、ザリガニは、「下等生物」の象徴というよりも、我々人間が「受精卵」という
単細胞生物から「人体」という多細胞生物の完成形に至る途中経過を表しているわけで、
要は子宮内の「胚」から「胎児」に至る状態を象徴していると見ることも出来ます。

また、「知恵の32の小径たち」では「有形の知性」と呼ばれ、「コフ/月」が配属される
「双魚宮」の支配星は「木星」、すなわち「ケセド」に配属されます。
「ケセド」は「The Builder/建造者」であり、「ゲブラー」の「The Destroyer/破壊者」
と対を成して、形の無い「至高の三角形」から「深淵」を通じて流出するエネルギーを
形あるものへと変換していく最初の過程になりますが、この「コフ/月」は、それらを
最初に有機的な形へと変換して地上の「マルクト」に具現化する「小径」となります。

繰り返しますが、「ウィルス」から「人間」に至る全ての「生命」の誕生と進化の過程を、
この「18:月」の「ザリガニ」で表現しているということなんですよね。
0228名無しさん@占い修業中垢版2017/07/07(金) 06:25:17.16ID:Pp8LZ19K
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 160) ---
The very earliest Golden Dawn papers, the so-called Ancient Cypher Manuscripts say
of Pisces "by it the waters of Chesed flow down," (*113) meaning that it is a
primary formative consciousness at the lowest level of the Tree.
まさしく最も初期のゴールデン・ドーンの文書たち、いわゆる「古代の暗号文書」は、
それが「木」の最も低い段階での主要な形成的な意識であることを意味している、
「それにより、ケセドの水域が流れ落ちる」(*113)「双魚宮」であると述べる。
--- ここまで ---

ちなみに、(*113)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 272) ---
113. These manuscripts have never been published, and are in a private collection.
113. これらの文書たちは、これまで出版されておらず、個人の収集物の中にある。
--- ここまで ---
とあります。

そして、この『暗号文書』の36枚目には、以下のように書かれています。
--------------------------------
Path 29=<qoph> Is the Corporeal Intelligence & refers to Pisces, by it the waters
of Dsh flow down
29番目の「小径」である「コフ」は「有形の知性」であり、そして「双魚宮」を参照し、
それにより「Dsh」の水域が流れ落ちる。
--------------------------------

「Dsh」の意味がわかりませんが、「ダレス」を意味するのであれば数値の4であるので、
「ケセド」に関係しているのかもしれません。
というか、全体的に、いまいち意味不明な文章ですし、理論的根拠も良くわからないので、
シロウトは、あまり深くツッコミを入れない方がよさそうです。
0229名無しさん@占い修業中垢版2017/07/08(土) 06:49:36.92ID:TfC1Xkbi
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 160) ---
Of course, the most important Tarot reference to the Moon is with THE HIGH PRIESTESS, the Path of Gimel leading directly from God the Father to God the Son.
もちろん、「月」への最も重要な「タロット」の関係は、「父なる神」から「子なる神」
へと直接導いている「ギメルの小径」である「高等女司祭」とのものである。

The High Priestess is the source of the crystal clear waters of consciousness
emerging from the Godhead.
「高等女司祭」は、「神」から出現している意識の、水晶のように澄み切った水域の源泉
である。

The same waters are seen here in THE MOON, but they are polluted!
同様の水域は、ここで「月」において見られるが、しかしそれらは汚されている!
--- ここまで ---

いきなり「polluted/汚されている」なんてディスられていますが、これはクロウリー氏
の主張であって、ゴールデーン・ドーン版やウェイト版では、そういう記述はありません。

さて、「2:「高等女司祭」の「月」は、「月の雫」という感じで、神の世界からの純粋な
気体状のエネルギーを「水」という形に変換する機能を持っており、そこから流れ出る水は
「蒸留水」のごとく、混じりっ気無しですので、生命が生まれる余地は全くありません。

その一方で、「18:月」の「水」は、精神世界における「母なる海」という感じです。
この水源となっているのは、主に上位の「ケセド」であるということですが、「マルクト」
に繋がる下位の領域は、お互いが関連するエコシステムとなっていますので、「水」だけ
ではなく、下からの色々なものが循環しています。
そのため、その中には様々な有機物(つまり死骸や排泄物など)を含んでおり、それを
栄養源として、新しく精神生命体が産み出されるという流れになっています。
まあ、そういう部分では、ウンコ玉とフンコロガシと同じようなものではあるわけですが、
「人はウンコのみで生きるにあらず」ということで、ここで上空の「月」の働きが重要な
意味を持ってくるわけなのでした。(何となく含みを持たせた終わり方w)
0230名無しさん@占い修業中垢版2017/07/09(日) 06:25:49.99ID:zPg75xuP
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 160) ---
This is not to imply that there is anything intrinsically evil on this Path.
これは、この「小径」の上に何らかの本質的な悪があることを意味するものではない。

Rather, its phantoms relate to the density of the physical body, that compound
organism affected by all three Paths leading into Malkuth: JUDGMENT, THE MOON
and THE UNIVERSE.
むしろ、その幻影たちは、「マルクト」に通じている、以下の全ての3つの「小径」たちの
影響を受ける複合の有機体である、物質的な肉体の密度に関係する:「審判」、「月」、
そして「宇宙」。
--- ここまで ---

「18:月」、「20:審判」、「21:宇宙」は、「生命の木」の終端である「マルクト」に
繋がっており、上からの流れも緩やかになっていますのて゛それゆえ、「マルクト」から
の影響の逆流が見られます。
つまり、これらの下端の「小径」たちは、棺桶に半分足を突っ込んだような、いやいや
半分ほど「マルクト」に浸かっている状態ですので、それゆえ、我々が下界から見上げた
時には、パンツが、いやいや「マルクト」の反射物が見えていることがあります。
そして、初心者の場合は、上流からの下への流れがうまくいかずに、「マルクト」からの
下水が逆流しがちですので、下界からの色々な汚物たちが見えたりするわけです。

上級者になってくれば、そういう上下の流れがコントロールできるようになりますので、
その日の気分により、上から下へと、そして下から上へと意識的に流すことで、聖なるもの
であれ、俗なるものであれ、色々なイケナイ妄想に励む、いやいや神秘の世界を探索する
ことができるようになるわけです。

この「18:月」は、下界である「マルクト」と、最も上位世界である「ネツァク」を結ぶ
裏道的なルートですので、とても興味深いルートであることは間違いありません。
まあ、無理に通ろうとしなければ、そんなに危なくはありませんし、「マルクト」に居な
がらにして、色々と妄想を膨らませるには、いいカードだと思います。(完全な誤用w)
0232名無しさん@占い修業中垢版2017/07/20(木) 21:38:51.67ID:Z0v4RNMz
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 160) ---
Like her Roman counterpart, Diana, she was a goddess of the hunt, travelling through
brutal and mountainous woods with her pack of hounds.
彼女のローマの対応するものである「ディアナ」と同じように、彼女は、狩猟の女神で
あり、彼女の猟犬たちの群れと共に、粗野で山地の森たちを旅して回っていた。

Thus is childbirth linked with the most savage aspects of Nature.
このように、出産は「自然」の中で最も野蛮な様相たちと結び付けらる。

The Goddess, like the Path, can be vicious and unforgiving, her legend being filled
with qualities at once dark and vindictive.
「女神」は、「小径」のように、意地悪で寛大でないものとなることがあり、彼女の伝説
は、陰険でもあり執念深くもある品質たちにより満たされている。
--- ここまで ---

このあたりの「18:月」に関する考え方は、クロウリー氏の拡張理論とウォン氏の再拡張
理論によるものであり、ゴールデン・ドーンの標準理論ではないことにご注意ください。

もちろん、ゴールデン・ドーン版にも、同じようなニュアンスでの意味はあるのですが、
ミナちゃんに頭の上がらないマサース氏、いやいやフェミニストの多いゴールデン・ドーン
においては、こういう女性蔑視的な解釈は、そう簡単には許容されるものではありません。

まあ、「18:月」は、「ネツァク」と「マルクト」という、どちらも女性的な「セフィロト」
を繋いでいるため、確かに女性性は強くあるので、「アルテミス」や「ディアナ」の持つ
「大地母神」的な面はありますが、どちらかというと「ネツァク」の「ビーナス(金星)」
の愛や生殖に近い傾向もありますので、なかなかに難しいところです。

ワタシ的には、ヒステリックでルナティックな荒々しさよりは、冷厳ながらも陰ながら
見守ってくれる「夜の月の女神」であってほしいものだと思います。←個人的願望w
0233名無しさん@占い修業中垢版2017/07/21(金) 06:20:22.31ID:tyVltWEc
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 160) ---
Any breech of her regulations was immediately and ferociously punished.
彼女の規則たちのどんな違反(breach)でも、直ちに残忍に罰せられた。

So, from the standpoint of Greek legend, the dogs of THE MOON may be considered
those of Artemis, ready to attack and destroy men who displease her.
従って、「ギリシャ」の伝説の見地から、「月」の犬たちは、すでに 彼女を不快にする
男たちを攻撃し破壊する、「アルテミス」のそれらと考えられるかもしれない。

The very idea is barbaric and uncivilized, as is the Path of Qoph.
まさしくその考え方は、 「コフの小径」であるのと同じように、野蛮で未開である。
--- ここまで ---

まず、「breech」ですが、おそらく「breach/違反」の誤植です。

それと、再度言っておきますが、この「18:月」に関する考え方は、クロウリー氏の拡張
理論とウォン氏の再拡張理論によるものであり、ゴールデン・ドーンの標準理論ではない
ことにご注意ください。

とはいえ、「月」と言えば「アルテミス」であり、「月」と言えば「月に向かって吠える
オオカミ(犬の元祖)」であるので、「18:月」の犬たちが「アルテミス」の「猟犬たち」
であるという連想は、そんなに難しくはありませんが、なんか違和感がありますよね。

そもそも、ゴールデン・ドーンの理論においては、この「18:月」の犬たちは、「猟犬」
ではなく「番犬」とされていますし、それゆえ野蛮でも未開でもなく、知性を備えた存在
とされています。

「コフの小径」は、「ネツァク」という進化の途中で「マルクト」へと分岐する「小径」
ですので、知性面で成熟しきれていないというのはあるかもしれませんが、それを野蛮や
未開と表現するのは、ちょっと違和感がありますよね。
0234名無しさん@占い修業中垢版2017/07/22(土) 06:28:07.42ID:Lf9diTfw
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 160) ---
This is a primitive Path, one of raw animal nature.
これは、原始的な「小径」であり、生々しい獣的な天性の1つである。

It is a Path of animal instincts (the law of the jungle), passions and energies
uncontrolled by intellectual, moral or ethical considerations.
それは、知的な、道徳的な、もしくは倫理的な考慮たちにより抑制されていない、獣的な
「本能たち(密林の掟)」、熱情たち、そして精力たちの「小径」である。
--- ここまで ---

なんか、えらい言われようですので、改めて言っておきますが、この「コフ/月の小径」
に関する考え方は、クロウリー氏の拡張理論とウォン氏の再拡張理論によるものであり、
ゴールデン・ドーンの標準理論ではないことに、くれぐれもご注意ください。

つまり、これは「アルテミス」と、その「猟犬たち」の獣性、そして「ネツァク」の持つ
「本能たちと感情たち」の属性からの連想だと思うのですが、そういう意味でも、この
トート版の「18:月」って、やっぱり何か違和感ありまくりなんですよね。

まあ、そういった違和感を持つのは、ワタシがこの「18:月」を、お気に入りのカードの
一つとして見ているからに他ならないわけなんですよね。
この「18:月」のカードには、確かに「獣性」というものは潜んでいるのですが、それは
あくまでも制御すべき対象であり、「マルクト」に住む我々にとっては、「タウ/宇宙の
小径」や「シン/審判の小径」と同じように、きちんとその性質を理解した上で、身体的、
精神的なバランスを保ちながら、うまく活用していくべき対象なわけです。

そういう意味でも、この「18:月」は、動物としての人間が持つ、抗いようのない生物的
な獣性をうまくコントロールするための「肉体的かつ精神的な癒し」の鍵となる、とても
重要な位置にあり、そして重要な意味を持つカードであるわけです。
ただし、それを理解し制御することは難しいことであり、それゆえ暴走しがちな面もある
のですが、その暴走の責任の一端は、「マルクト」にいる我々自身にあるんですよね。
0235名無しさん@占い修業中垢版2017/07/23(日) 06:46:03.07ID:cbLZw6XJ
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 161) ---
This can be a very cruel Path, showing us aspects of ourselves which society forces
us to repress, but which are an integral and undeniable part of our human make-up.
これは、非常に無慈悲な「小径」であることがあり、我々に、社会が我々に抑圧することを
強いるが、しかし我々人間の化粧の不可欠で否定できない部分である、我々自身の様相を
示している。

Yet we approach the images and lessons of this Path with our whole being, applying
reason to that which we encounter, as we apply feeling to that which is encountered
on the Path of JUDGMENT.
さらに我々は、我々が感覚を「審判の小径」の上で遭遇するそれに適用するのと同じように、
我々が遭遇するそれに理由を適用することで、我々全体の存在と一体になって、この「小径」
の映像たちと学課たちに取り組む。
--- ここまで ---

このあたりの考え方は、どちらかというとウェイト版に近いものであり、人が人として
社会生活を営む上で、深層心理の奥底にじっと潜んでいる動物的な本質を、このザリガニ
が表すとされているのですが、ウェイト氏って、肝心な部分は書いていないのです。

要は、ウェイト版の思想自体は、おそらくゴールデン・ドーン版と同じようなものですので、
この「社会的に抑圧されるべきもの」を、きちんとした道筋で解放していくことが、この
「18:月」のカードの使命のような感じになるわけですよね。

とはいえ、この「コフ/月の小径」は、肉体である「マルクト」に繋がる3本の「小径」の
うちで最後となるものですので、並みの人間には、そう簡単には理解できるようなシロモノ
ではありませんし、トート版のように、虚構と妄想が入り混じる真性ド変態な場所ですし、
それゆえ変に誤解して、あらぬワキ道へと走ってしまう人も多くいるわけですので、我々
のような一般人は、あまり深く立ち入らない方がいい場所でもあります。

つまり、人間社会では、「社会的に抑圧」されて生きていく方が幸せってことなんですよね。
0236名無しさん@占い修業中垢版2017/07/24(月) 06:15:08.25ID:XLDXjoRX
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 161) ---
THE MOON is one of the cards for which tradition has provided a very definite structure,
both the Golden Dawn and Waite cards being wholly dependant on the design shown
in the Marseilles version: Two dogs (in Waite's deck they are a dog and a wolf)
stand threateningly beneath a personified moon, between two desolate towers.
「月」は、伝統が、非常に明確な構造を提供し続けているカードたちの1つであり、ゴール
デン・ドーンとウェイト氏のカードたちは、マルセイユ版において示される図案に完全に
依存している :2匹の犬たち(ウェイト版デッキにおいては、それらは犬とオオカミである)
が、2つの荒涼とした塔たちの間にある、擬人化された月の下に、脅すように立っている。

A crayfish is in the water below.
ザリガニは下の方の水の中にいる。
--- ここまで ---

ゴールデン・ドーン版の「18:月」のカードのデザインは、マルセイユ版をベースとして
おり、それはウェイト版にも引き継がれています。
ちなみに、ウェイト版では犬とオオカミという違いは、ウェイト版のオリジナルではなく、
数多くあるマルセイユ版のバリエーションとして存在しています。

この「18:月」のカードは、「マルクト」に繋がる最後の「小径」であるわけですが、
この中には、人間は登場しません。
二本の塔も、おそらく人間が建てたものではありませんし、ザリガニの前に続く「小道」
も、人が通るようなものではなさそうです。

月の夜に、もぞもぞと水の中から這い上がる「ザリガニ」は、もちろん我々を意味する
ものであるわけですが、それが何であるのかは、謎に包まれたままです。
そして、その謎を解き明かすことが出来た者しか、この「母なる水」の中から抜け出る
ことは出来ずに、一生、快適で住み慣れた水の中で暮らしていくことになるわけです。
つまり、夜に外に出ると危ないので、暗くなったら出歩いてはいけません、という、
心配しがちな母親からのアドバイスなのです。←あながち間違いではないw
0237名無しさん@占い修業中垢版2017/07/25(火) 21:00:40.82ID:K19OmfI0
またもやカキコできない状態に陥ってしまいましたので、
一旦ゴミ入れしてみます
0238名無しさん@占い修業中垢版2017/07/25(火) 21:01:11.03ID:K19OmfI0
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 161) ---
Here it is at least interesting to observe that in the Marseilles version no Path
is shown, and it is only by inference that one realizes that the crayfish will
eventually pass between the two very ferocious dogs.
ここでは、マルセイユ版においては「小道」が示されないことに気づくことが少なくとも
興味深く、それは単に、推定により、人は、最終的にはザリガニが2匹の非常に獰猛な
犬たちの間を通過するであろうということを理解するだけである。
--- ここまで ---

このゴールデン・ドーン版の「18:月」のカードの、真ん中に描かれた「Path/小道」は、
いつものように、『暗号文書』の36枚目に描かれているもので、『The Golden Dawn/
黄金の夜明け魔術全書』の「第二講義文書」にある、「生命の木」を下から上へとよじ登る
「知恵の蛇」を表しています。

要するに、この「ザリガニ」は、まだ「マルクト」という出発点にいるわけです。
そして、
・水からの脱出(第一ステージ)
・犬からの脱出(第二ステージ)
・崖を登る(第三ステージ)
というバトルステージを経て、経験値を積み脱皮を繰り返しながら、新しい形態へと進化
していくという、壮大なるRPGが待っているということなんですよね。

でもまあ、主人公が「ザリガニ」の姿から始まるというのは、なかなか面白いアイディア
ではあるのですが、この「ザリガニ」には、最終的には、宇宙全体を救済する「真の勇者」
になるという、お約束の鉄板あるあるストーリーが待ち受けているわけです。

つまり、そういう真のヒーロー/ヒロインだけが通過できるという、どんな試練であっても
立ち向かえるような「選ばれし者」のためにある「小径」であるということも言えます。
そういう意味では、あんまり努力せずに眺めているだけにしておいて、冷たい水の中で
のんびりと生きていきたいなぁ、とか思っているわけなのでした。←努力の足りない人w
0240名無しさん@占い修業中垢版2017/07/26(水) 05:18:43.66ID:+yODv8sY
なんで離婚してマツイと結婚してやらなかったんだ?
マツイは遊びだったのか。ひとでなしのクズ
0241名無しさん@占い修業中垢版2017/07/26(水) 06:19:22.21ID:1PSrUt9e
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 161) ---
Mathers and Crowley were in agreement that these should actually be considered the
jackals of Anubis, the scavengers of the dead.
マサース氏とクロウリー氏は、これらは実際、死体を食べる動物である、「アヌビス神」の
ジャッカルたちと考えられるべきであるということで意見が一致している。

Anubis was the jackal god, and the great god of the Underworld, charged with both
the judgment and the embalming of the deceased.
「アヌビス神」は、ジャッカルの神であり、そして死者の審判と死体防腐処理の両方を
担当する、「黄泉の国」の偉大なる神であった。
--- ここまで ---

死者蘇生のイベントは、「生命の木」においては「20:審判」がメインとなっていますので、
この「18:月」における「アヌビス神」は、ネタかぶりとなってしまっています。

つまり、この「jackals of Anubis/アヌビス神のジャッカルたち」は、単純に「死者」を
迎え討つ目的で、ここに出張してきているわけではないということが推測されます。
そして普通に考えれば、
・一般人が生きたままで通れる小径=「21:宇宙」
・一般人が死者となって通る小径=「20:審判」
・一般人ではどうやっても通れない小径=「18:月」
という解釈となりますので、この「コフ/月の小径」を、一般人が生きたままで、もしくは
死んでから通ろうとすると、それを死体の如く貪り食って、ここから先には通さないという
役割ではないかと想像できます。
じゃあ、誰なら通れるのかと言われても、一般人のワタシには、ちょっと想像できないです。

ちなみに、この二匹のジャッカルは、その背後にある二基の塔、「the Gates of the East/
東の門」と「the Gates of the West/西の門」の守護者であるということですので、
狛犬のように、上位世界を守る門番としての役割を持っているということになりますかね。
0243名無しさん@占い修業中垢版2017/07/27(木) 06:14:18.85ID:wrCU+A8w
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 161) ---
In the Tarot this means the natural deterioration of the physical body in death,
the return of its energy into the unseen, as well as a suggestion of correspondence
with the Path of Shin, JUDGMENT.
「タロット」においては、これは、「シン、審判の小径」との一致の暗示だけでなく、
死における物質的な身体の自然劣化、その精力の見えざるものへの返還を意味している。

The implication is that the activity of natural forces on the body in death is
concurrent with the "weighing of the soul" on that Path.
暗示しているものは、死における肉体の自然な力たちの活動は、その「小径」の上で
「魂の重さを計ること」と同時であることである。
--- ここまで ---

ウォン氏は、何か「死」へのこだわりがあるようですが、いずれにしろ、「マルクト」に
ある我々の肉体の中に閉じ込められた魂は、死後には「21:宇宙」、「20:審判」、そして
「18:月」を経由して、上位世界へと還っていきます。
そういう意味では、この「18:月」も、死後の世界を意味しているのですが、それは
「18:月」のごく一部の機能です。
そもそも、マサース氏もウェイト氏もクロウリー氏も、そんな葬式宗教みたいな世界観で、
このカードを語っているわけではないですしね。

基本的には、「陽」である「20:審判」と対をなす「もう一つの世界」、すなわち「陰」
である「18:月」という対比で見る方が、しっくり来ると思います。
つまり、「20:審判」の真ん中の子供は、「18:月」における「ザリガニ」であり、
「20:審判」の左右の男女は、「18:月」における「アヌビス神のジャッカル」であると
いう構図なのですが、「20:審判」が、やけに暑苦しい天国的な雰囲気なのに対して、
「18:月」は、かなり冷酷な地下世界的な雰囲気があるということです。
まあ、ヒーロー的なルートを求めるのであれば「20:審判」ですし、アンチヒーロー的な
ものを好むのであれば、「18:月」を通れば、そういう茨の道を辿る、闇墜ち的な
ストーリーが待ち受けているわけなのでした。(じゅるりw)
0244名無しさん@占い修業中垢版2017/07/28(金) 06:08:30.33ID:Sg0iRTQF
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 161) ---
Anubis is a very complex god of lunar opposites, as is suggested by Crowley's dual
figures.
「アヌビス神」は、 クロウリー氏(のカード)の双対の人物像たちにより示唆されるように、
月の正反対のものたちの非常に複雑な神である。

Anubis is a god of light and of darkness, of death and of resurrection, whose cult
was a fascination to those ancient societies in the shadow of Egypt.
「アヌビス神」は、光と暗闇の、死と復活の神であり、彼への信仰は、エジプトの陰の中に
ある、それらの古代の社会たちにおいて魅力であった。

Describing the subtleties of this deity's cult to the Romans, Plutarch wrote:
この神の信仰の微妙な点たちを、ローマ人に説明するのに、プルターク氏は以下のように
書いた:
--- ここまで ---

クロウリー氏のカードは、二匹の「アヌビス神のジャッカル」に飽きたらずに、影分身した
双対の「アヌビス神」も描いていて、主役のはずだった「月」を、完全に蚊帳の外に追い
やってしまっています。
結果的に、ゴールデン・ドーン版やウェイト版とは、その解釈が「微妙に」異なってしまう
ことになるわけですが、クロウリー氏の、このカードに対する、あまりにも「闇の世界」を
重視してしまう解釈は、このカードの持つ闇属性が、彼自身の持つ心の闇に強く響くものが
あったのではないかと想像します。

それゆえ、この「月」のモチーフは、昔から、心に大きな闇を抱える多くの人の心を掴み、
そして彼らを「月の小径」に誘い込んで「闇堕ち」させてしまうという典型的なパターンに
なっていくわけですが、そういう意味でも、このトート版は、見事にその「外道」っぷりを
発揮しているのではないかと思うのでした。(もちろん、いい意味でw)
ただ、個人的な趣味や興味はともかくとして、実用性という意味においては、この闇堕ち
必至のトート版は、善良な一般人に対しては使っちゃいけないよなぁ、と思うのでした。w
0245名無しさん@占い修業中垢版2017/07/29(土) 07:34:26.02ID:BXW2cAcH
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 161) ---
By Anubis they understand the horizontal circle, which divides the invisible part
of the world, which they call Nephthys, from the visible, to which they give the
name Isis; and as this circle equally touches upon the confines of both light and
darkness, it may be looked upon as common to them both - and from this circumstance
arose that resemblance which they imagine between Anubis and the dog, it being
observed of this animal, that he is equally watchful by day as night.
「アヌビス神」により、彼らは、彼らが「ネフティス女神」と呼ぶ、世界の見えざる部分を、
見えているものから、彼らが「イシス女神」の名を与えているものまで分割している、
水平の円を理解する;そして、この円が光と闇の両方の境界たちに等しく触れることで、
それらの両方に共通するものとして見られうる。 − そして、この状況から、「アヌビス神」
と犬の間で、それが、この動物の観察される昼も夜も同様に警戒することで、彼らが想像
しているその類似が生じる。

In short, the Egyptian Anubis seems to be of much the same power and nature as the
Greek Hecate, a deity common both to the celestial and infernal regions. (*118)
要するに、「エジプト」の「アヌビス神」は 、天国と地獄の領域たちへの両方に共通の神
である、「ギリシャ」の「ヘカテ女神」と同じような力と性質の多くであるようである。 (*118)
--- ここまで ---

ちなみに、(*118)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 272) ---
118. Budge, Gods of the Egyptians, v. ii, 264.
118. バッジ著、『エジプト民族の神々』、第2巻、264ページ。
--- ここまで ---
とあります。

要は、もう全部「アヌビス神」一人でいいんじゃないかな、的なノリになってしまっていて、
これ以上の説明は不要の、究極無敵状態の神ということですよね。
まあ、余計な説明をしなくていいのは、助かりますが。w
0246名無しさん@占い修業中垢版2017/07/30(日) 07:43:18.56ID:Gsd26Opw
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 161) ---
Pursuant to the idea of Anubis and resurrection, there is a definite relationship
to the Christ legend.
「アヌビス神」と復活の考え方に従って、そこには「キリスト」の伝説との明確な関係がある。

It can be said, however whimsically, that in an obscure medieval symbolism the
lobster is a symbol of the risen Christ. (*119)
どんなに気まぐれであったとしても、目立たない中世の象徴主義において、ロブスターが、
甦った「キリスト」の象徴であると、言われることがある。 (*119)
--- ここまで ---

ちなみに、(*119)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 272) ---
119. This idea appears to have originated with the German poet, Conrad of Wurzburg,
who observed that both the lobster and Christ were more beautiful after death.
Reau, L’Art Chretien, v. I, 88.
119. この考え方は、ヴュルツブルクのコンラッド氏による、ドイツの詩を起源としている
ように思われ、彼はロブスターと「キリスト」の両方が、死んだ後の方がより美しいと
述べた。レオー著、『キリスト教の芸術』、第1巻、88ページ。
--- ここまで ---
とあります。

いきなり(淡水産)ザリガニから(海水産)ロブスター(イセエビ)に話が飛びますが、
生のままの赤褐色の(淡水産)ザリガニや(海水産)イセエビ(ロブスター)よりは、
朱色に茹で上がったザリガニやイセエビ(ロブスター)の方が、よりおいしく、いやいや、
より美しく見えるので、ザリガニとキリストは同じである、ということなのですが、かなり
論理的には無茶がありますし、そもそも、それをキリストの復活にたとえるのは、いささか
不謹慎なようにも思えます。

とはいえ、このザリガニの肉は、小道の途上で、食われる運命にあるんでしょうね。 (-人-)
0247名無しさん@占い修業中垢版2017/07/31(月) 06:15:54.77ID:EtNOr2Iq
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 161) ---
And, one must be exceedingly cautious in dismissing such symbolism out of hand,
because of the Tarot's very elusive, but unquestionably medieval, origins.
そして、人は、「タロット」の非常に捉えづらいものではあるが、疑いなく中世にある、
その起源のために、手に負えないそのような象徴主義を却下することに対して極度に慎重で
なければならない。

In the fourteenth century every symbol, however occult, was related to Christ.
14世紀においては、全ての象徴は、どんなに神秘的なものであったとしても、「キリスト」
に関連した。
--- ここまで ---

まあ、「ロブスター」が赤いのも、郵便ポストが赤いのも、全部「キリスト様」のおかげ
であるかもしれないということなのですが、さすがにこれは言い過ぎですよね。

とはいえ、この「ザリガニ」と「キリスト」の関係性というのは、あながち全面否定される
ようなものでもないわけです。
なぜなら、「キリスト」は、肉体を失った後、その魂が「マルクト」から「ティファレト」
へと昇った人物であり、そして一般人とは異なる経路、すなわち「21:宇宙」や「20:審判」
ではなく、「18:月」を遡って「ティファレト」に到達した可能性も捨てきれないわけです。

ただ、「キリスト」のように、死んでから復活というコースは、どうしても「20:審判」と
カブってしまうので、どちらかというと、経験値を上げて守備力をMAXにし、肉体を堅固な
殻の中に閉じ込めたままで昇天するというストーリーの方が需要があるかもしれません。

でもまあ、最終的には、そういうA.T.フィールド的なものは解放され、純粋な魂とならなけ
れば、この「小径」を最後まで進むことは出来ませんが、とりあえず簡単に犬に食われ
ないようにするためには、途中までは、頑丈な鎧を纏うことは役に立ちそうな感じです。
そして、戦闘が終わった後、分厚い装甲を脱ぎ捨てて、新しい世界へと入っていくという
ストーリーが良いかと思います。←勝手な解釈w
0249名無しさん@占い修業中垢版2017/08/01(火) 06:19:00.86ID:MRU7GskY
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 162) ---
One way or the other, birth, death and resurrection are pivotal concepts on the
Path of THE MOON.
いずれにしろ、誕生、死、そして復活は、「月の小径」の極めて重要な概念たちである。

These are not symbolic processes; they are biological, and occur in the darkness
and the light of our sense perception.
これらは象徴的な過程たちではない;それらは生物学的なものであり、私達の感覚による
認識の闇と光の中に生じる。

The energy process, a cyclic wave motion, is shown by Crowley as a pattern of both
above and below, linked by the Beetle of the Sun.
周期的な波動である、精力の過程は、「太陽の甲虫」により関連付けられて、上と下の両方
の様式と同様に、クロウリー氏により示される。
--- ここまで ---

「18:月」の、クロウリー氏のネガティブな解釈は、あまり好みではありませんが、そうは
いっても、「birth, death and resurrection/誕生、死、そして復活」が「18:月」の持つ
自然のサイクルと関係しているというのは、間違いのないことですので、その月の周期が、
「月経」という女性のサイクルに関係付けされているのも、間違いではありません。

ただ、「18:月」って、それだけを強調するのは、なんか違うんですよね。
この「生命の木」の下層にある「ネツァク」、「ホド」、「イェソド」、「マルクト」は、
有機的に結びついているので、それらを繋ぐ「小径」も、それぞれの役割を分担しながら
有機的な関係性を持っています。
つまり、「18:月」のカードだけで、クローズドで完結した「光と闇の交差する世界」を
作るのではなく、もうちょっと広い視野で、「生命の木」全体のサイクルというか、上から
下へのエネルギーの流れというものを感じてほしいなぁ、と思うのでした。
そう、「誕生、死、そして復活」という三本の人生のコースには、それぞれの状況に応じた、
「マルクト」に通じる「三本の小径」があるわけですからね。
0250名無しさん@占い修業中垢版2017/08/02(水) 06:15:38.82ID:JUe2LJPt
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 162) ---
To reiterate the meaning of this murky Path in the most simple of terms: this is
the natural energy from which our physical bodies develop in the womb.
最も簡単な言葉において、この暗い「小径」の意味を繰り返し述べると:これは、子宮の
中で我々の物質的な肉体たちがそこから発育する、自然の精力である。
--- ここまで ---

はしょりすぎて誤解されやすい文章ですが・・・。

まず、「18:月」の「小径」の「natural energy/自然の精力」は、我々の想像するような
わかりやすいシロモノではなくて、あくまでも「天から授かった、かなり上位の世界から
降ってくるエネルギー」を受けて、下位世界に対してバックグラウンド的に「形」を与える
という意味において影響を与えるという、我々の目には見えず、感じることもできない
「ダーク・エネルギー」のようなものになります。

また、「18:月」の「小径」は、「in the womb/子宮の中」そのものでもないです。
ちなみに、肉体の一部である「womb/子宮」そのものは、「マルクト」に属します。
つまり、あくまでも「子宮内における個体発生」という「マルクト」での過程に関わる、
バックグラウンド・エネルギーの供給経路として、この「18:月」の「小径」が、
影ながら関わっているということです。

ただ、我々が、母なる子宮の中で、新たな精神と新たな肉体を持って、新たな「人」と
して発生するという過程は、いまだに多くの謎が秘められたままになっている領域です。
その神秘の過程を司る、最も基底的な部分を、この「18:月」が担っているということは
間違いないことであり、その神秘の過程を説き明かすことなくして、我々がここに存在
する意味を説明することも出来ないわけですよね。

まあ結局のところ、この「18:月」の働きというのは、とても根本的すぎて、我々のような
凡人には見えない世界での作用ですので、それを知っているからと言って、今のところは
どうなるというようなシロモノでもないということになるわけですよね。
0251名無しさん@占い修業中垢版2017/08/03(木) 06:17:59.03ID:FWmftPmL
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 162) ---
It is a process that is continual throughout our lives, as cells die and are replaced.
それは、細胞が死んで取り替えられながら、我々の生命たちの最初から最後まで継続的
である過程である。

The work of this Path is ended with the dissolution of energy back to its source,
which is Netzach.
この「小径」の作業は、精力を分離して、「ネツァク」である、その源泉に戻すことに
より終えられる。
--- ここまで ---

「マルクト」に繋がる「小径」の中で、この「18:月」は、我々にとっては、最もわかり
にくいものです。
それは、我々が通常は意識することのない、生命の基礎部分、つまり「バックグラウンド」
における「周期的」な活動がメインであり、言い換えれば、日々繰り返される「当たり前」
の出来事すぎて誰もそれに気づかないというか、たとえ気づいていても、自分の意志では
コントロールできないので、できれば触れたくない領域だからなんですよね。

そして、かろうじて、その通常意識には乗らない「何か」の存在を感じられるのは、新しく
生命が生まれ、肉体に魂が宿る時や、生命が失われて肉体から魂が抜ける時なのですが、
相当に注意しておかないと、これも「当たり前」のこととして見逃すことになります。

要するに、あまりにも「自然」すぎて、我々の日々の生活の裏側に溶け込んでしまっている
存在なのが、「マルクト」の活動を陰で支えている「18:月」なのですよね。

でも、「陰」ながら支えているとは言え、その「エネルギー」の潜在パワーは強大であり、
それ無くしては、我々の生命は存在することは出来ません。
それゆえ、物好きな者、いやいや目覚めた者は、それを我がものにしようと制御を試みる
のですが、有能な番犬たちが完璧な防御態勢に入っているせいで、そう簡単には自由に
させてくれないんですよね。w
0252名無しさん@占い修業中垢版2017/08/04(金) 06:09:28.25ID:dfZDS2yl
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 162) ---
To understand this Path is to understand the relationship of our personality-consciousness
to the physical vehicle built for each incarnation, a very difficult undertaking
for most people, who perceive themselves as having existence only through their
bodies.
この「小径」を理解することは、各々の肉体化のために作られた物質的な乗り物との、
我々の人格の意識の関係を理解することであるので、単に彼らの肉体たちだけを通して
存在しているとして、彼ら自身を認識している大多数の人々にとっては非常に難しい仕事
である。
--- ここまで ---

なんかいきなり、ハードルが上がってしまいましたが、今まで何度も言っているように、
ほとんどの人にとっては、この「18:月」の小径は、理解する必要は無いということです。

ついでに言うと、クロウリー氏のように、「月経」のイメージと絡めて、このカードの
意味を説明するのは、いまいち的外れであり、とにかく我々の意識のかなり深いところに
あるものですので、こちらとしても、非常に説明しづらいというか、そう簡単には理解して
もらいにくいシロモノなんですよね。
というか、そもそも説明すること自体、ワタシは放棄しています。←無責任w

そういう意味で、「マルクト」に接続する「小径」でありながらも、分かる人だけにしか
分からないという、実にオカルトチックなカードになっているわけですし、そもそも
「マルクト」に一端を据えておいて、いきなり「ネツァク」という上位世界までワープ
しようというような「超絶難度の束縛プレイ」になっていますので、最初からいきなり
クリアできる人なんて、まずいないわけです。

というわけですので、回り道ではありますが、まだ理解しやすいと思われる「ネツァク」
に繋がる「17:星」や「16:塔」のルートを先にクリアしておいてから、改めて、この
「18:月」のルートを攻略するという手もありますので、真面目に勉強してみたい人は、
そちらの迂回ルートの探索をお勧めしたいと思います。
0253名無しさん@占い修業中垢版2017/08/05(土) 06:50:05.43ID:AgWTDN8p
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 162) ---
Here the meaning of the simple letter Qoph, sleep, gives an important clue.
ここでは、単字である「コフ」が「睡眠」であることの意味が、重要な手掛かりを与える。

During the cyclic phase of withdrawal of consciousness from the physical, most
people continue to act on information and fantasies closely related to their
bodily existence.
身体からの意識の撤退の周期的な段階の間に、ほとんどの人々は、彼らの肉体的な存在と
密接に関連した情報と幻想たちに従い続ける。
--- ここまで ---

「コフ」は、12ある「単字」の一つであり、その性質として、最もネガティブな様相で
ある「睡眠」が割り当てられています。

これは、一日の周期で言えば「深夜」であり、一月の周期で言えば「新月」であり、一年
の周期で言えば「真冬」であり、一生の周期であれば「死〜誕生」の「あの世」にいる期間
ということになります。

とはいえ、「睡眠=夢」ではないわけであって、「夢」を見るというのは、少なくとも
脳は活発に活動しているわけですので、ちょっとイメージが異なります。
どちらかと言うと、「夢」は「イェソド」とか「21:宇宙」に近い存在であり、「18:月」
での脳内意識は、ほとんど活動していないので、夢を見ることも難しい期間になります。

ただし、完全に「あっち側」の情報が遮断されているのかというと、そういうわけでも
ありませんので何とも言い難いのですが、結果的に、この境界領域においては、「臨死
体験」のような、色々な得体の知れないものが生まれてくる背景となっているわけです。

いずれにしろ、「18:月」は、「この世」ではなく「あっち側の世界」を強く意味するもの
となっており、「物質的な肉体にある意識」を離れる、すなわち「死」と同等のものを
要求しているわけですので、なかなかに難易度の高いものとなっているわけです。
0255名無しさん@占い修業中垢版2017/08/06(日) 06:40:35.70ID:BqJZKPdh
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 162) ---
Their dreams are filled with the shades of matter which, once consciously transcended,
is the conquest of the Path of THE MOON.
それらの夢たちは、物質の陰たちによって満たされており、一旦意識的に超越されれば、
それは「月の小径」の征服となる。
--- ここまで ---

ここは、少々誤解を招きやすいところです。
基本的には、ほとんどの「dream/夢」は、「イェソド」や「21:宇宙」のレベルにあり、
その本筋を補完するものとして、ポジティブな「火」の「20:審判」と、ネガティブな
「水」の「18:月」という脇道があるわけですが、この2つの「小径」は、一般人は通ること
のできない、「秘密の鍵で封印されし、禁断の門」でもあるわけです。

ちなみに、「18:月」の「水」による封印の先にあるのは「火」の「ネツァク」の、恐るべき
潜在エネルギーということになり、ヘタに開くと、地獄の業火により「マルクト」が焼き
尽くされる恐れもあるわけで、それを「月」が封印しているという構図になっているわけです。

そして、この「月」の封印の実体は、「the shades of matter/物質の陰たち」、すなわち、
この大宇宙においては、物質世界を陰で支配している、一種の「ダークエネルギー」という
ものが候補となりますし、小宇宙においては、「目に見えないもの、知覚できないもの」
ということになり、いずれにしろ、我々には全く知ることのできない、理解できないものを
指すことになっているわけです。

ということで、この「18:月」において、その一端は「マルクト」にありながらも、早くも
「理解を超えた世界」へと到達してしまったわけですので、ここから先の「小径の旅」は、
「完全に理解不能な領域」へと足を伸ばしていくことになるわけですが、逆にその方が、
やりやすいということもありますよね。
要は、ここから先は検証不能であり、全ては無責任なタワゴトであることが自明なわけです
ので、何を言っても許される、完全無欠のファンタジーの世界へと突入していくことになる
わけですからね。←さらに無責任な態度ww
0256名無しさん@占い修業中垢版2017/08/07(月) 06:16:24.50ID:5vEQeO2h
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 162) ---
28. THE PATH OF TZADDI
28. 「ツァダイ」の小径

The Star


The Seventeenth Key
17番目の鍵(大アルカナ)
--- ここまで ---

ここから、「生命の木に基づく大アルカナ」の章の中での新しい節になります。

サブタイトルは「ツァダイの小径」です。

とりあえず、ここから先は、もはや「地に足が着かない」場所となってしまうのですが、
空中遊泳は、既に「19:太陽」で経験済みですし、さらに「19:太陽」と対を成す存在です
ので、その点は、割と気が楽なのかもしれません。

「生命の木」は、リズムがありますので、「楽な小径」と「難しい小径」が交互に出現する
というパターンが、ところどころにあります。
つまり、「18:月」と「16:塔」という、ちょっとアレな「小径」たちに囲まれた「17:星」
は、割と気軽に楽しめる場所という順番なんですよね。

ちなみに、「イェソド」に繋がる「21:宇宙」、「19:太陽」、「17:星」の「小径」には、
それほどの困難さは無いわけですので、上位世界の「ホド」や「ネツァク」へは、まずは
「イェソド」経由で行ってみて、その後に、「20:審判」や「18:月」や「16:塔」の「小径」
を探るというのが、割とオススメのコースとなります。
まあ、「急がば回れ」ということなのですが、「生命の木」という難攻不落のダンジョン
攻略法の一つの手法ですので、皆さんも色々と自分で工夫しながら、楽しんでみてください。
0257名無しさん@占い修業中垢版2017/08/08(火) 06:24:24.56ID:Ry3iJNe7
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 162) ---
□ PATH COLOR: Violet
□ 「小径の色」:「スミレ色」

□ RELATED SOUND: A-Sharp
□ 「関連した音」:「Aのシャープ」

□ SIGN: Aquarius (Fixed Air)
□ 「宮」:「宝瓶宮(不動宮の空気)」

□ MEANING: Fish Hook
□ 「意味」:「釣り針」

□ SIMPLE LETTER: Imagination
□ 「単字」:「想像」

□ ESOTERIC TITLE: The Daughter of the Firmament; the Dweller between the Waters.
□ 「秘伝的な称号」:「天空の娘;水たちの間の住人」。
--- ここまで ---

この本の、この文章の右側には、「宝瓶宮」の占星術記号と、ヘブライ文字の「ツァダイ」
と、「釣り針」、および「生命の木」における「ツァダイの小径」の位置が図示された絵が
描かれています。

「生命の木」全体のイメージとして、上から下への流れという暗示があるのですが、この
「17:星」においては、その流れが明確に示されています。
つまり、「タダでもらえる」ことが大好きな○○ども、いやいや一般的な人間においては、
ここにはとても良いものがあるというイメージがあるわけです。
でもまあ、そんな夢みたいな話は現実には無いわけですので、あくまでも「Imagination/
想像」上の「Firmament/天空」での「釣り」ネタであることを、理解する必要があります。
0258名無しさん@占い修業中垢版2017/08/09(水) 06:15:39.99ID:hi35Md2j
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 163) ---
THIRTY TWO PATHS OF WISDOM: The Twenty-eighth Path is called the Natural Intelligence,
and it is so-called because through it is consummated and perfected the Nature
of every existing thing beneath the Sun.
「知恵の32の小径たち」:「28番目の小径」は「天性の知性」と呼ばれており、そして
それは、「太陽」の下に存在する全てのものの「天性」は、それを通じて達成され完成
させられるがゆえに、そう呼ばれる。
--- ここまで ---

ここは、いつものように、ウェストコット氏の英訳版『The Sepher Yetzirah/セフェル・
イェツィラー(形成の書)』の「THE THIRTY-TWO PATHS OF WISDOM/知恵の32の小径」から
の引用です。

この「小径」は、「ネツァク」の「Nature/自然or天然」のエネルギーーを効率的に下位層
へと、すなわち「イェソド」へと引き下ろすための経路となります。
そして、「イェソド」において「ホド」のエネルギーが「19:太陽」を通じて混合され、
化学変化を起こした後、「マルクト」へ供給されるというのが、基本ルートとなります。

ちなみに、「星」の見え方には、地球の公転運動による季節変化があるので、この「17:星」
についても、「太陽」にまつわる、何らかの周期が隠されていると見るのが妥当です。

いずれにせよ、「17:星」と「19:太陽」は、互いを補完するライバル関係になっており、
「18:月」以上に、お互いに重要な働きを持っていると見ておく必要があるわけですよね。
つまり、「17:星」が天然キャラで、「19:太陽」が知的キャラで、そこに「18:月」の神秘
キャラが割って入るような感じになっています。

まあ、大アルカナは、どれも個性が強いので、キャラ作りには苦労はしないのですが、
セリフを喋らせようとすると、ツンデレ感がハンパないというか、人間が分かる言葉では
なかなか喋ってくれないことが多くて、「ふん、そんなこと自分で考えなさいよ!」と
冷たく突き放される感じが、たまらないのでした。←ドMの至福感w
0259名無しさん@占い修業中垢版2017/08/10(木) 06:16:47.76ID:ViTp8LNz
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 163) ---
The Path of Tzaddi, THE STAR, connects Netzach (Victory) with Yesod (The Foundation).
「ツァダイの小径」である「星」は、「ネツァク(勝利)」と「イェソド(基盤)」を
接続する。

It is a very powerful Path which points out the way in which the Divine Energy
inherent in each individual is properly approached.
それは、各々の個人に内在する「神の精力」が、適切に接近される方法を指摘する、
非常に強力な「小径」である。
--- ここまで ---

「マルクト」にいる我々に密接に関係している、「生命の木」の下層の「セフィロト」で
ある、「ネツァク」、「ホド」、「イェソド」、そして我々の「マルクト」を繋ぐ「小径」
のうちで、特に太くなっているのが、「21:宇宙」「19:太陽」「17:星」になります。

「イェソド」は、「マルクト」に至る最終的な「センター」として、「ティファレト」、
「ネツァク」、「ホド」からの上位エネルギーを受け取り、それを変換して「マルクト」
へと流すのですが、その中で、この「ネツァク」の「自然or天然」なエネルギーは、
ちょっと毛色の違ったものというか、頭ではわかりづらいものとなっています。

基本的には、「ネツァク=火」が「17:星=水」を通じて「イェソド=空気」と、それに
対を成すように、「ホド=水」が「19:太陽=火」を通じて「イェソド=空気」に流れ込む
という構図なのですが、それと同様に、「ネツァク=火」が「18:月=水」を通じて、
そして「ホド=水」が「20:審判=火」を通じて「マルクト=地」に流れ込むという、
バイパスした経路もあるわけです。

そういう様々な経路のうちで、この「17:星」の小径におけるエネルギー流は、かなり
大きな流れではあるのですが、かなり奥深いところにある流れですので、その存在は、
我々にとっては、そう簡単には意識に上って来ないというか、いまいちなんか掴みどころ
のない感じでもあるわけなんですよね。
0261名無しさん@占い修業中垢版2017/08/11(金) 08:16:45.28ID:IC06Nqng
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 163) ---
The letter Tzaddi means fish hook, implying meditation, a process closely linked
with the use of imagination.
文字「ツァダイ」は、「釣り針」を意味しており、瞑想、つまり想像力の活用と密接に
結び付けられた過程を暗示している。

In these terms meditation is described not as taking-out of something, but as a
putting-in (merging) of two streams of individual consciousness with the greater
consciousness.
これらの言葉たちにおいて、瞑想は、何かを取り出すことではなく、より大きな意識と、
個々の意識の2つの流れたちの投入(合流)として評される。

And while this is a path of primal intuition, the vessels represent a separation
and then reintegration of the Chokmah force (feelings and intuition, at this
level) and Binah force (intellect).
そして、これが主要な直観の小径である一方で、容器たちは、「コクマー」の力(この段階
においては、感情たちと直観)と、「ビナー」の力(知性)の、分離と、その後の再統合を
象徴する。
--- ここまで ---

「ツァダイ」が「釣り針」ということで、数多くの香ばしい方々が、ここを目指して、
釣られに集まってくるという、ネタ的には、とてもおいしい場所となっています。

そういうわけで、ここは「ネツァク」に対抗する「ホド」の絶妙なバランス感覚に期待
したいところですが、「ネツァク:感情と本能」の「17:星」の裸の女性像に対抗する
ものとして、「ホド:知性」が「19:太陽」の裸のロリショタ像という退行状態を持ち
出してきているので、たとえ上から目線で「14:節制」が何を言ってきても、もう誰にも
瞑想の迷走は止められないと思うのでした。
まあでも、こういうイケナい妄想が捗るのは、ここが最後ですし、少々ハメを外しても
いいかな、とか思ったりもするのでした。←感情と本能を優先ww
0262名無しさん@占い修業中垢版2017/08/12(土) 08:01:04.02ID:JDGpwSi5
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 163) ---
The symbolism of the fish hook in meditation is easily extended to the Tree of
Life: The Hook (Tzaddi, THE STAR) is put into the waters of Mem (THE HANGED MAN)
to catch the fish (Nun, DEATH).
瞑想における釣り針の象徴主義は、「生命の木」に容易に拡張される:「かぎ針(ツァダイ、
星)」は、魚(「ナン、死」)をつかまえるために、「メム、吊られた男」の水域に入れられる。

Water is, again, a symbol of consciousness.
水は、さらにまた、意識の象徴でもある。

As we experiment with meditation and imaginative visualization, casting ourselves into
the Universal Sea, we seek an understanding of the very processes of life and death.
我々は、瞑想と、想像力豊かな視覚化により、我々自身を「普遍的な海」の中に投げ入れる
実験を行いながら、我々はまさしく生と死の過程たちの理解に努める。
--- ここまで ---

「ツァダイ」の意味が「釣り針」ですので、ここでは「釣り」をネタにした色々な妄想の
心得、いやいや瞑想の指南が語られています。

まあ、夜空には「星」があり、下には「水」があり、さらに「素っ裸の女性」が水瓶を
かついで水を流しているという、もはやツッコミどころしかないという構図になっています
ので、我々も遠慮無しに、釣られてしまっても良いかな〜、とか、色々とイケナい妄想を
してしまいますよね。

まあ、一般人が生きたままで立ち入れる範囲は、せいぜい「イェソド」までですので、
この「17:星」がアプローチ可能な「最後の小径」ということで、その雰囲気を精一杯
楽しんでおくというのも大事なことだとは思うのですが、ほとんどの人は「イェソド」内
での妄想だけで終わってしまいがちであって、そう簡単には「17:星」の「小径」の領域
には立ち入れていない、ということにも注意しておく必要があります。
でもまあ、それなりに楽しめれば、それはそれで何も問題は無いんですけどね。
0263名無しさん@占い修業中垢版2017/08/13(日) 06:26:00.18ID:P5ERT2YT
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 163) ---
The Thirty-Two Paths of Wisdom describes this Path as the Natural Intelligence,
suggesting the raw forces of nature attributed to Netzach; the Elohim (Gods of
Netzach) are synonymous with nature itself.
「知恵の32の小径たち」は、この「小径」を「天性(自然)の知性」として評しており、
「ネツァク」に帰属される自然の生の力を提案する;「エロヒム」(「ネツァクの神々」)
は、自然それ自身と同義である。

Moreover, this Natural Intelligence is related to the energies symbolized in
another card, STRENGTH.
さらに、この「天性(自然)の知性」は、別のカードである「力」に象徴される精力たち
に関連している。

The number of THE STAR, 17, reduces to the number of STRENGTH, 8.
「星」の17の番号は、「力」の8の数に縮小する。
--- ここまで ---

「マルクト(そしてたまにイェソド)」にいる我々から見れば、「ネツァク」からの
エネルギーは、主に「17:星」の経路を通じて、下流へともたらされてきます。
その主な性質は、「エロヒム」、すなわち「天(天使たち)からの授かり物」であって、
そしてそれは「自然」や「直観」や「本能」と解釈されるわけで、一体これのどこに
「知性」があるんだと言う人もいるわけですが、そこは、「知性にも多様性を認めろ!」
とか「天然ちゃんを差別すんな!」という某人権派の意向を都合よく取り入れることで、
突破したいと思います。

ついでに、さらなる無茶ぶりとして、ここに「8:力」のカードのエッセンスを加えて、さらに
異なる方向へと話を展開してみようというのが、ここでの試みです。
こういう迷走を通じて、瞑想のネタを探索していくというチャレンジは、とても重要です。
とりあえず使えるものは使って、色々なものを通じて影響を及ぼしたり、及ぼされたりする
ことを妄想していくのが、「生命の木」を使う上での醍醐味でもあるわけですからね。
0264名無しさん@占い修業中垢版2017/08/15(火) 06:43:35.60ID:VFLuRLJH
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 163) ---
That card represents the conscious control of Kundalini energy, variously described
as solar and as sexual.
そのカードは、「太陽」や「性的」として様々に評される、「クンダリニー」の精力の
意識的な管理を表す。

We recall that the serpent Kundalini (the same which tempts Eve on the Tree of
Knowledge of Good and Evil) is said to be "coiled in Yesod," although when it
is shown on the Tree of Life it touches each and every Path.
我々は、蛇の「クンダリニー」(「善と悪の知識の木」の上で「イヴ」を誘惑するものと
同じもの)が、「生命の木」においてそれが示される時は、それがそれぞれ全ての「小径」
に触れるけれども、「イェソドにおいてコイル状にされる」と言われていることを思い出す。
--- ここまで ---

ここで「太陽」との関連について述べていますが、ここは「19:太陽」と「17:星」の関連
というよりも、占星術の「太陽」を支配星とする「獅子宮」に配属される「8:力」のカード
との関連についての考察です。

ちなみに、「クンダリニー」のネタは、主にトート版でのものであり、それゆえ、それに
関係する「11:力(獅子と裸女)」と「17:星(水と裸女)」と「21:宇宙(蛇と裸女)」は、
トート版においては、似たようなエロ目線、いやいやモチーフで表されています。
(ただし、トート版は、「力」は8でなく11ですので、前項の説明とは相違しますが、
それは見なかったことにしておきます。)

とはいえ、聖書中の「イヴ」自体は、もっと下の次元の存在ですので、この「17:星」の
女性像は、「イヴ」ではなく、もっと上位の「○○を象徴する女神」という位置付けで
あり、そして「クンダリニー」に関連する解釈については、クロウリー氏の『トートの書』
などを参考にしてもらう方が良いかと思います。
いずれにしても、トート版の解釈は、元となるゴールデン・ドーン版とはかなりの相違が
ありますので、混同しない方が良いかと思いますので。
0266名無しさん@占い修業中垢版2017/08/16(水) 06:18:55.29ID:f5ZYBfXI
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 163) ---
As we encounter the Kundalini force, the sexual energies in ourselves, we approach
the Greater Mysteries of Tiphareth, the Solar Logos which is the central star of
our existence.
我々が、我々自身の内の性的な精力たちである、「クンダリニー」の力に遭遇するにつれて、
我々は、我々の存在の中心的な星である「太陽のロゴス」である、「ティファレト」の
「より大きな神秘的教義」に近づく。

The process of approach is a kind of yoga, involving the ennervation of centers of
energy.
接近の過程は、一種のヨガであり、精力の中心たちの神経支配を伴う。
--- ここまで ---

「クンダリニー」の「イェソド」から、いきなり「太陽神経叢(たいようしんけいそう)」
の「ティファレト」へと話が飛びましたが、要は「エロス=性」をとことん追求していくと、
「ロゴス=聖」に到達できるという、一般人にはいまいち理解できない「月とスッポン」の
理論になっています。

そして、その「エロス」から「ロゴス」への経路として、この「17:星」が関係していると
いうことですので、「エロ好き」なオカルト修行者が好んで使うのが、この「17:星」である
ということですが、まあ、それについては、ある程度納得できると思います。

その方法として紹介されているのは、「a kind of yoga/一種のヨガ」、つまり肉体を通じ
て精神をコントロールすることで、内なる「クンダリニー」の力を覚醒させていくという、
結構危険な方法ですので、一般人は、こういうのには手を出さない方が無難ですね。
「クンダリニー」の大いなる力を解放できたとしても、使い道が無いですし・・・。

とりあえず、我々は、主に脳内妄想、いやいや精神的な「瞑想」を通じて、この「17:星」
からにじみ出てくる「エロス」に関する潜在エネルギーを、じっくりと時間をかけて堪能
していくのが良いかと思います。(エロ目線の鑑賞には、焦りは禁物なのですw)
0267名無しさん@占い修業中垢版2017/08/17(木) 06:27:31.08ID:AzlGbfaT
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 163) ---
It is this energy which we use in the meditation process; it is both the means
and the goal of enlightenment, for, as the text states of Tzaddi: "Through it is
consummated and perfected the Nature of every existing thing beneath the Sun."
それは、瞑想の過程において我々が使用する、この精力である;というのは「ツァダイ」
の原典が以下のように述べているように、それは、悟りの手段と目標の両方である:
「それは、「太陽」の下に存在する全てのものの「天性」は、それを通じて達成され完成
させられる」

THE STAR is the means of perfection; it is the method.
「星」は完成の手段である;それは方法である。
--- ここまで ---

要するに、「21:宇宙」では、まだ完全には全身を見せていない女神を、完全に丸裸の
「Nature/生まれたままの姿」にしようというのが、「17:星」の目的であり、手段でも
あるということです。

もちろん、これはあくまでも象徴ですので、この全裸の女神は、実際には「自然の摂理」
とか「宇宙の法則」というような、かなり「お堅い世界」の話になるわけですが、それは
一般人にとっては、どうでもいい話ですので、どちらかというと「エロ目線」寄りで妄想
を膨らませたいところなのですが、ここまで「生命の木」を昇ってくると、なかなか肉体的
なものには結びつかないというのが悩ましいところです。
もちろん、「ネツァク」は「愛」、愛情とエロスの星である「金星」、そして「感情と本能」
を司るセフィラであり、「17:星」の「小径」もそのエロい影響を受けてはいるのですが、
「小径」の次元は一つ上ですので、どうしても「物理的」よりは「概念的」なものになって
いて、なかなか使いづらいというのが、悩ましいところです。
本来、「エロス」を感じるためには、「オカルト」すなわち隠されたものが必要ですので、
そういう意味では「17:星」は、あくまでも「見えない」ものを「見えた!」と叫ぶための
手段や目的であって、その境地に達してしまうことについては、さほどの意義は無い
のかもしれませんね。
0269名無しさん@占い修業中垢版2017/08/18(金) 06:34:55.21ID:/OvPLfk2
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 163) ---
As Case states of this method: "Meditation is really a function of the EGO, which
raises to the conscious level the powers of the automatic consciousness of Yesod. . .
however much it may seem to us at first that meditation is a personal activity,
when we really succeed in meditation we discover that what happens is not that
we meditate, but rather that we are meditated." (*120)
ケース氏は、この方法について以下のように述べる:「瞑想は、本当に「エゴ(自我)」
の機能であり、それは「イェソド」の自動的な意識の能力たちを意識的な段階に引き上げる…
とはいえ、多くの者は、最初は、我々にとって、瞑想とは本人自らの活動であるように
思われるかもしれないが、我々が本当に瞑想に成功する時、我々は、起きていることは、
「我々」が暝想するのではなく、むしろ我々が「瞑想される」ことを発見する。」 (*120)
--- ここまで ---

ちなみに、(*120)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 272) ---
120. Case, Tarot Fundamentals, 37.
120. ケース著、『タロットの基礎』、37ページ。
--- ここまで ---
とあります。

この辺りの考え方は、デカルトの「我思う、故に我あり」に通じるものがありますよね。

「イェソド」は、もしそれが単独で存在するのであれば、それは「automatic consciousness
/自動的な意識」という、どちらかというと機械仕掛けのロボットの「マルクト」の
肉体を制御する、「自動化プログラム」というような位置付けとなります。
つまり、「高次の自我」は無くても、「個」として自律した人間として普通に成立するの
ですが、それでは「虫」や「動物」や「ロボット」と同じようなものです。
人が他の生き物と違うのは、「我とは何か」という問いかけができ、それを解明するために
努力ができるという点なのですが、その一歩となるのが、我々を、はるか上から見下して
いる「高次の自我」というものの発見ということなのですよね。
0270名無しさん@占い修業中垢版2017/08/19(土) 07:00:49.24ID:QQ+9UM8t
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 163) ---
The idea is that the Higher Self (what Case is calling the Ego) brings the Personality
into meditation.
考え方は、「高次の自我」(ケース氏が「エゴ(自我)」と呼んでいるもの)が、「人格」
を瞑想に至らせることである。

The "fish hook" is partially the search of the Personality consciousness for reality
in the context of meditation, but it is also the angling of the Higher Self to pull
the Personality up from its depths of self-enclosure.
「釣り針」は部分的には、瞑想の状況において、実在へと向かう「人格」の意識の探索で
あるが、それはまた、自己の囲いのその奥地たちから「人格」を引き出すための「高次の
自我」の釣りでもある。
--- ここまで ---

なかなか意味深すぎて、理解しがたい部分もある文章ですが、もう少し簡単に言うと、
・瞑想とは、リアルな自分自身(マルクト)を「人格(イェソド)」を通じて見つめ直し、
 詳しく調べるための方法である。
・瞑想とは、バーチャルな自分自身(イェソド)を、「高次の自我(ネツァク以上)」を
 通じて見つめ直し、詳しく調べるための方法である。
という流れになるわけですので、この全裸女性像が「ツァダイ(釣り針)」となって、
「瞑想」の助けになる重要な役割を担っているということですかね。

いずれにしても、理性的な「ホド」と対極にある「ネツァク」は、「自然」とか「感情や
本能」ですので、ガチガチな思考による妄想ではなく、より自然体な瞑想状態に至ること
により、自身を「高次の自我」に釣り上げてもらえるように、心身をリラックスさせて
おくことが必要となるわけです。
つまり、大自然の天然温泉で、「お風呂沸いてますよ〜、お背中お流ししましょうか〜」
と美女に声をかけられ、心も体も癒やされるという妄想に浸るということですよね。

まあ、何かを釣ろうと思うのであれば、まずは釣られてみることも必要なのです。←意味不明w
0271名無しさん@占い修業中垢版2017/08/20(日) 08:38:16.18ID:2ryu3vun
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 164) ---
The figure on this card is the most pure manifestation of the Great Mother at the
level of the Personality, and prior to its enclosure in matter.
このカードの人物像は、「人格」の段階における「大母」の最も純粋な発現であり、そして
物質界におけるその囲いに先立つものである。

For this reason it is completely unveiled: it is the perfection of the physical
form of nature, i.e., of "every existing thing under the Sun," meaning below the
level of Tiphareth.
この理由のために、それは完全にヴェールを取られる:それは、自然、すなわち、
「ティファレト」の段階の下を意味する、「太陽の下」に存在する全てのものの、物質的な
形の「完成」である。

This is the same figure first found in THE EMPRESS, robed and crowned; it is the
same figure as THE HIGH PRIESTESS: it is the same figure found in THE UNIVERSE.
これは、ローブをまとい戴冠した「女帝」において最初に発見されるものと同じ人物像で
ある;それは「高等女司祭」と同じ人物像である:それは「宇宙」において発見される
ものと同じ人物像である。
--- ここまで ---

ゴールデン・ドーン版タロットにおいては、原作者の個人的な趣向により、ほぼ全ての
女性像はミナちゃん、いえいえ「イシス女神」に関連付けされています。

このように、同一のモチーフを「着衣」と「裸」で書くのは、色々な意味があります。
基本的には、レベルアップによる脱衣方向のプレイは、専らエロ目的の初心者向けと
いうか、割と下層の読者を対象とするものであり、着衣系のコスプレというか着せ替え
プレイは、ある程度の予備知識のある上級者向けのプレイとなります。
マサース氏には、子供がいなかったので、おそらくミナちゃん、いえいえ「イシス女神」
の姿を使って、そういう着せ替え脳内妄想系プレイ、いやいやタロットを使った魔術儀式
のブランニングを楽しんでいたのではないかと邪推しております。←マジ邪推ww
0273名無しさん@占い修業中垢版2017/08/21(月) 06:36:11.67ID:lEEWLmw1
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 164) ---
In the Golden Dawn card the woman is shown pouring the contents of both urns
(Chokmah and Binah) onto the earth so that they "unite and form a river at her
feet." (*121)
ゴールデン・ドーンのカードにおいては、女性が、大地の上で(「コクマー」と「ビナー」
の)両方の壺たちの中身たちを注ぎ、それらが「彼女の足元で結合し、ひとつの川を形成
する」ようにしているのが示される。(*121)
--- ここまで ---

ちなみに、(*121)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 272) ---
121. Regardie, Golden Dawn, v. II, 135.
121. リガルディー著、『ゴールデン・ドーン(黄金の夜明け魔術全書)』、第2巻、135ページ。
--- ここまで ---
とあります。

さて、2つの壺と水をモチーフにしたものと言えば、「ティファレト」と「イェソド」を
結ぶ「14:節制」もそうですし、構図としても、「17:星」と非常に良く似ています。
実際のところ、「イェソド」に流入する3つの小径「14:節制」、「17:星」、「18:太陽」
は、流入するエネルギーが違うだけで、どれも似たような性質があります。

基本的には、「14:節制」からは「ケテル」、「18:太陽」からは「コクマー」、そして
「17:星」からは「ビナー」のエネルギーが流入するのですが、その中で最も力が入って
いるのが、裸のミナちゃん、いやいや裸のイシス像ということになるわけですよね。
そして、割と下位世界の存在でありながらも、「善と悪の知識の木」や「生命の木」を
バックにして、「コクマー」と「ビナー」のエネルギーを、我々人類に気前よく大盤振る
舞いしてくれているという、実にありがたい真の「愛と豊穣の女神」と言えるような存在
であるということなんですよね。
この普遍的な「ありがたさ」ゆえに、人々の人気を集めやすいカードであるわけですが、
それゆえ、誤解されやすい体質のカードでもあったりするわけです。
0274名無しさん@占い修業中垢版2017/08/22(火) 06:30:01.46ID:3QWoEcy3
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 164) ---
In the Waite card the urns are pouring their substance onto earth and water.
ウェイト氏のカードにおいては、壺たちは大地と水域の上にそれらの中身を注いでいる。
--- ここまで ---

ウェイト版は、ゴールデン・ドーン版のような強い思い入れもなく、旧来のマルセイユ版の
デザインを踏襲した、とてもわかりやすい形になっています。

ウェイト版とゴールデン・ドーン版の大きな違いの一つは、壺から注ぐ水の流れが二本で
あるか合わさって一本となっているかということと、後方の木が一本であるか二本であるか
の違いです。
要するに、「慈悲の柱(コクマー)」と「峻厳の柱(ビナー)」を、何に対応させている
かということですよね。

ちなみに、ウェイト版の後方の木は、「善と悪の知識の木」であり、木に止まっている鳥は
トート神を象徴する「トキ」であるとされています。

じゃあ、この女神は「知恵の女神」なのかというと、そういうことではなくて、「知恵の木」
をバックにすることで、彼女自身が「生命の木」の一部となって、そのエネルギーを下界に
供給する「大地母神(ネツァク)」というような位置付けになっているものと思われます。
まあ、何事にもバランスというものが必要ということなんですよね。

なお、ウェイト版の星たちが八芒星となっているのも、ゴールデン・ドーン版との違い
ですが、これは、旧来のマルセイユ版のデザインを踏襲したものとなっています。
まあ、あまりにも「全部ミナちゃんでいいんじゃないかな」的なゴールデン・ドーン版を
嫌ったのかもしれませんし、ゴールデン・ドーン内部の情報を外に出したくなかったのかも
しれませんし、もしくは従来からの読者(タロット占い師)に配慮したのかもしれません。

でもまあ、デザイン的には、このウェイト版が、一番わかりやすくまとまっているという
感じはありますよね。←個人的な感想ですw
0275名無しさん@占い修業中垢版2017/08/23(水) 06:23:02.24ID:h46VDkpO
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 164) ---
Crowley's symbolism is far more complicated.
クロウリー氏の象徴主義は、よりずっと複雑である。

He represents two breast-like cups, one gold and one silver: "From the golden cup
she pours this ethereal water, which is also milk and oil and blood, upon her own
head, indicating the eternal renewal of the categories, the inexhaustible
possibilities of existence.
彼は、1つは金で一つは銀である、2つの乳房に似た杯たちを示す:「金色の杯から、彼女は、
乳と油と血でもある、この天上の水を、彼女自身の頭の上に注ぎ、その範疇たちの永遠の
更新、存在の尽きることのない可能性たちを示す。
--- ここまで ---

ゴールデン・ドーン版の、リアルな「俺の嫁」自慢に対抗して、クロウリー氏も盛大に
「俺の嫁」、すなわち女神「ヌイト」の自慢をしているような感じになっています。

自慢話の詳細については、『トートの書』を読んでもらうとして、ここで注目しておきたい
ことは、他のカードとは違って、胸が完全に隠されているということです。
そして、隠された胸は取り外され、両手の2つのカップに変化し、そこから何かが噴出して
いるという構図になっています。

もちろん、胸の乳首から乳が吹き出す構図でも良かったとは思うのですが、それだと余り
にも生々しいというか、肝心のエロさが微妙になってしまいますので、さすがにそういう
デザインにはしなかったようですが、ここはあくまでも、二つの乳房から大量の乳が噴出
しているという意味になっています。
なぜ「水」ではなく「乳」なのかというと、この女性像が、「嫁崇拝」だけでなく、「母
崇拝」にも繋がっているということですが、クロウリー氏の母親や、彼に関わった数々の
女性たちとの屈曲した関係を考えると、なかなかに興味深いものがあるのでした。
トート版の女性像の多くが、螺旋状に描かれているというのも、そういうストレートに表現
したくないという、彼の屈折した感情があるのかもしれませんね。
0276名無しさん@占い修業中垢版2017/08/24(木) 06:12:20.53ID:ddDldAdK
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 164) ---
The left hand, lowered, holds a silver cup, from which also she pours the immortal
liquor of her life...She pours it upon the junction of land and water.
左手は、下げられており、銀の杯を保持し、そこからはまた、彼女は彼女の生命の不死の
酒を注ぐ…彼女はそれを大地と水域の接合部の上に注ぎかける。

This water is the water of the Great Sea of Binah; in the manifestation of Nuith
on a lower plane she is the Great Mother." (*122)
この水は、「ビナー」の「大いなる海」の水である;下の次元における「ヌイト」の顕在化
において、彼女は「大母」である。」 (*122)
--- ここまで ---

ちなみに、(*122)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 272) ---
122. Crowley, Book of Thoth, 110.
122. クロウリー著、『トートの書』、110ページ。
--- ここまで ---
とあります。

トート版では、この「17:星」は、「ツァダイ(釣り針)」ではなく、「ヘー(窓)」に
対応しているのですが、絵柄からは、くにゃっとした「ツァダイ(釣り針)」の方が、
イメージとしては近いのですが、クロウリー氏は、どうしても「ヌイト」の全裸像を、
位置的に上位であり、かつ「聖四文字」の一部でもある「ヘー」のヘブライ文字に結び
付けたかったようです。

結果的に、トート版においては、この「17:星」の解釈は、下位領域のカードであるにも
かかわらず、かなり肥大化していることに、注意しておく必要があります。
とはいえ、この「もう全部ヌイト一人でいいんじゃないかな」的なノリは、マサース氏の
「もう全部ミナちゃん、いやいやイシス一人でいいんじゃないかな」的なノリと同じレベル
のものですので、決してクロウリー氏だけの責任とは言えないわけですけどね。w
0277名無しさん@占い修業中垢版2017/08/25(金) 06:23:26.68ID:JMNa0jjz
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 164) ---
Crowley describes the repeated spirals on this card as a reference to the shape
of the Universe as calculated by Einstein and his followers.
クロウリー氏は、アインシュタイン氏と彼の追従者たちにより計算されるのと同様に、この
カードにおける繰り返された螺旋たちを「宇宙」の形への参照であると述べる。

He points out that only in the lower cup are there rectangular forms and says that
"In this may be discovered the doctrine which asserts that the blindness of
humanity to all the beauty and wonder of the Universe is due to this illusion of
straightness." (*123)
彼は、下の杯の中にあるものだけが、四角い形たちであることを指摘し、「この中において、
「宇宙」の全ての美と驚異への人類の盲目さは、この真直性の幻覚に起因していると断言
する学説が発見されるかもしれない。」と言う。(*123)
--- ここまで ---

引用部分はちょっと長いので次回にしますが、ここはクロウリー氏のさらなる「オレの嫁
自慢」の続きというか、ちょっと暴走的というか脱線的な部分になってきます。

トート版の右手の金のカップは、「ケテル」に見られる、一点から宇宙が創造される際の
風車のような螺旋形状が描かれており、これは、空間的な特異点であって、時空が大きく
歪んでいることを表しています。
このあたりの物理理論に対して、クロウリー氏は「アインシュタインの相対性理論」を
持ち出しているわけですが、別にそんなことをしなくても、「生命の木理論」において、
既に解説済みとなっております。
要は、宇宙創造時は「非ユーグリッド空間」であり、現在の宇宙は「ユーグリッド空間」
であると言いたいわけですが、現代科学の宇宙に関する理解は、クロウリー氏の想像を
超える速度で進化しており、決して人類は盲目ということはないです。
ということで、このクロウリー氏の説明は、「この宇宙の全ては、もう全部オレの嫁一人
でいいんじゃないかな」というような感じで読んでいけばいいんじゃないかな、と思うの
でした。
0279名無しさん@占い修業中垢版2017/08/26(土) 07:25:10.22ID:YvhOkY4F
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

ちなみに、(*123)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 164) ---
123. Zohar, Nurho de Manhar translation, San Diego, 1978, 62.
The Sperling and Simon translation of this passage reads: "Why is this first gate
called 'the fear of the Lord'?
Because it is the tree of good and evil.
If a man deserves well it is good, and if he deserves ill it is evil.
Hence in that place abides fear, which is the gateway to all that is good.
'Good' and 'understanding' are two gates which are as one.
'R. Jose said: 'The term "A good understanding" alludes to the Tree of Life which
is the knowledge of good without evil.'"
Zohar, trans. Sperling and Simon, v. I,
123. 『ゾーハル(光輝の書)』、ヌルホ・デ・マンハー訳、サンディエゴ、1978年発行、
62ページ。
この節のスパーリングとサイモンの翻訳は、以下のように書いている:「なぜこの最初の
門は、「主の恐れ」と呼ばれるのか?
なぜなら、それは、善と悪の木であるからである。
もし、人が幸福を受けるに値するのならば、それは善であり、そしてもし彼が罰を受けるに
値するのならば、それは悪である。
それゆえ、その場所には恐れが留まり、それは善であるもの全ての入り口である。
「善」と「理解」は、一体となっている、二つの門たちである。
'R. ホセは言った:「「善の理解」という言葉は、「生命の木」を暗示しており、それは
悪の無い善の知識である。」
『ゾーハル(光輝の書)』、スパーリングとサイモン訳、第一巻。
--- ここまで ---
とあります。

なんか、クロウリー氏の解説とは全く違う話になっていますが、要するに、ワタシみたいに
エロ目的とか金儲けとか、地上での欲望を抱えたままでは、絶対に通れないような「関所」
であることは確かなようですね。
0280名無しさん@占い修業中垢版2017/08/28(月) 06:06:58.49ID:ggeQCESd
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 164) ---
The Golden Dawn representation of THE STAR carries more specific information about
this Path than the others, although it is hidden in the intricacies of number.
「星」のゴールデン・ドーンの描写は、それは数の複雑な事情に隠されているとはいえ、
その他のものたちよりも、この「小径」についての、より明確な情報を伝える。

On this card the seven primary rays of the star, and the fourteen secondary rays
add up to 21.
このカードにおいて、星の7本の主要な光線たち、および14本の補助的な光線たちは、合計
すると21になる。

This is the number of Eheieh, the God name of Kether, telling us that the relationship
of this Path to the Godhead is far more direct than is obvious on the surface.
これは、「エヘイエ」の数、「ケテル」の「神」名であり、「神」に対するこの「小径」
の関係が、表面的に明らかになっているものよりも、よりずっと直接的であるということ
を、我々に言っている。
--- ここまで ---

要は、「エヘイエ/私はある」すなわち「ケテル」と、「生命の木」の「コクマー」、
そして「善と悪の知識の木」の「ビナー」を背景にしたミナちゃん、いやいや「イシス
女神」の姿は、まさしくマサース氏が妄想した「金星」である「イシス・ウラニア(天上の
イシス)」、すなわちゴールデン・ドーンの理想とする姿でもあります。

つまり、本来は「中央の柱」に属する「2:高等女司祭」や「14:節制」や「21:宇宙」の
構図であり、「3:女帝」にも通じるものとなっています。
なぜこんな下層に、そして「中央の柱」にない「17:星」に、これほど重要なものが揃って
いるのかと言うと、やはり「オレの嫁」、いやいや「愛ドル・スター」が、ここに象徴されて
いるということに他なりません。
そして、下界に住む我々にとっても、ぎりぎり手の届くというか、かろうじて存在が実感
できる範囲にあるというのも、ヲタク的な人気の要因となっているのかもしれませんね。
0281名無しさん@占い修業中垢版2017/08/29(火) 06:16:42.80ID:NCkZlN+T
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 164) ---
Moreover, the Golden Dawn imagery carries with it an explanation of why THE STAR,
transposed with THE EMPEROR by Crowley, belongs firmly planted on the Twenty-Eighth
Path where tradition has placed it.
さらに、ゴールデン・ドーンの画像は、それによって、クロウリー氏により「皇帝」と
入れ換えられた「星」がなぜ、伝統がそれをずっと置き続けている「28番目の小径」に
しっかりと植えられて、あるべき所にあるのかという理由の説明を伝える。
--- ここまで ---

このゴールデン・ドーン版の「17:星」の絵の象徴体系からすれば、もっと上位の場所に
あってもおかしくないほどの、上位要素のてんこ盛り状態なわけですが、そうであっても、
マサース氏としては、自分達の手の届く範囲であり、なおかつ一般人には手の届かない
「イェソド」と「ネツァク」を結ぶ「小径」に、全裸のミナちゃん、いやいや「天上の
イシス」を置いているわけです。

まあ、リアルな嫁は「マルクト」にある存在ですが、バーチャルな嫁の位置としては、
小アルカナの「ネツァク」にあるよりは、この「17:星」という微妙に上位の世界に置く
方が、色々な意味でイケない妄想が捗るというのは確かです。

そう、「オレの嫁」というのは、神格化しすぎてもいけないし、かといって俗に染まる
ことは許されないし、でもそうはいっても、色々な妄想属性を押しつけておきたいし、
というように、かなり微妙な立ち位置にある存在なのです。

つまり、誰でも簡単にアクセスできる「21:宇宙」だと安っぽい女になるし、かといって
「2:高等女司祭」だと高すぎるし、「3:女帝」だとカーチャンみたいだし、「14:節制」
だとマジメすぎてエロ成分に欠けるし、ということで、色々と注文が多いわけです。

色々考えた結果、マサース氏は、この絶妙かつ微妙な位置にある「28番目の小径」こそ
が、「オレの嫁」である「17:星」の場所には最もふさわしいという、なんかよくわからない
ヲタク的な結論に至ったということなんですよね。←もちろんワタシの個人的な見解ですw
0282名無しさん@占い修業中垢版2017/08/30(水) 06:18:05.81ID:ThPg5bnO
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 164) ---
The Key to all of this is the two trees on either side of the female figure.
これの全ての鍵は、女性の人物像の両側にある2本の木たちである。

These are the Tree of Life on the right, and the Tree of Knowledge of Good and
Evil on the left.
これらは、右に「生命の木」、そして左に「善と悪の知識の木」である。

Biblical scholars will immediately recognize the symbolic trees described in Genesis;
Adam and Eve were forbidden the fruit of the latter tree, though not of the former.
聖書の学ぶ者たちは、すぐに、『創世記』において記述された象徴的な木たちを認識するで
あろう;アダムとイヴは、前者のものではなく、後者の木の果実を禁じられた。
--- ここまで ---

神は、こう言いました。「ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。
食べると必ず死んでしまう。」(『旧約聖書:創世記』2:17、新共同訳)と。

まあ、食べてもすぐには死なないわけですが、いずれにしろ、この赤い糸を引き抜いた
者は、呪われて地獄である現世に堕ち、そして死んだ後は地獄へと落ちるわけです。

でも、何度読んでも、悪いのは神であるとしか思えないんですよね。
エデンの園の中央に、おいしそうな実をつけた木を植えて、「食べるなよ!、絶対に食べる
なよ!」なんて言われたら、絶対に食べてしまうという伏線になっているのはミエミエです。

とはいえ、彼らがずっとエデンの園に居続けてしまっては、現世に堕ちた人類の歴史は始まら
ないわけですので、この「イヴの裏切り」は、決して黒歴史なんかではなく、自らの命を
引き換えとして、新しいものにチャレンジするという、人類にとっては、とても勇気ある
行動であると思うのです。

まあ、そうは言っても、全ては「神の計画通り」なんですけどね。←ここが悔しいww
0283名無しさん@占い修業中垢版2017/08/31(木) 06:22:44.96ID:zjxj4gvi
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 164) ---
The Bird of Hermes above the Tree of Knowledge of Good and Evil (the Ibis) amplifies
the meaning of the Tree in this card.
「善と悪の知識の木」の上方の「ヘルメスの鳥」(「トキ」)は、このカードにおける
「木」の意味を拡充する。

It is a reference to THE MAGICIAN, the card of Hermes-Thoth-Mercury.
それは、「ヘルメス−トート−マーキュリー」のカードである、「魔術師」への参照である。

In Hebrew the word kokab means star, but more specifically it means Mercury.
ヘブライ語において、コカブという言葉は星を意味しているが、より具体的には、それは
「水星」を意味している。
--- ここまで ---

「善と悪の知識の木」と「ヘルメスの鳥」は、この下位世界においては、「ホド」と
「峻厳の柱」に関係してきます。
そして、「コカブ、[beth][kaph][vau][kaph]、水星」も、「ホド」に配属される天体です。

そして、その「善と悪の知識の木」と対になっている「生命の木」は、このカードにおいて
は、結果的に「ネツァク」と「慈悲の柱」に関係付けされるということですが、そうなる
と、この女神像は、「中央の柱」を意味することになるわけです。

つまり、この「17:星」は、「イェソド」と「ネツァク」を結ぶ、右翼的な位置にあります
が、意味としては、「イェソド」と「ホド」を結ぶ左翼的な面も多くあります。
一方で、「19:太陽」も、「イェソド」と「ネツァク」を結ぶような意味合いを多く含みます
ので、「17:星」と「19:太陽」は、我々から見ると、お互いを補完しているような関係に
なっているわけです。

要は、我々にとって、単純には理解できない領域に入りつつあるということですので、
ここはあまり深く考えない方がいいかもしれませんね。
0284名無しさん@占い修業中垢版2017/09/01(金) 06:13:54.41ID:3gBiQJae
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 164) ---
Thus we understand that it is necessary to apply the willpower of the Magician,
the directing force in meditation, if we are to learn the lessons of this Path.
従って、もし我々が、この「小径」の学課たちを学ぶことになるならば、我々は、「魔術師」
の意志の力を、瞑想において指導する力に応用することが必要であると理解する。
--- ここまで ---

とりあえず、ゴールデン・ドーンの「17:星」においては、「ヘルメスの鳥/トキ」は
「水星」であり、この女性像は「イシス女神」である「金星」であり、そして頭上の星は、
古代エジプトにおいてイシスを象徴する「シリウス」であるとされています。
要は、全ては天上の世界において、重要な要素のてんこ盛りであり、そして我々からは
直接手の届かない世界(「ネツァク」−「イェソド」)の存在となっています。

そして、ここから先は、「16:塔」や「15:悪魔」という、一般人の立ち入りはお琴割します
の関所が立ち塞がっていますので、一般人である我々にとっては、この「17:星」が、かろう
じて見聞きできる限界点というか最高点でもあります。
その結果として、どうしても瞑想が「過剰に美化」されてしまう傾向があるわけですよね。
まあ、ここから先は簡単には通れそうにない分、あらぬ欲望が溜まってしまうというか、
色々と詰まってしまっているというか、そういう状況です。

じゃあ、この先を通るには、どうすればいいかということですが、一般人であるワタシ
からは、特にアドバイスするようなものはございませんが、ウォン氏からの提案は、
「1:魔術師」の「水星パワー」を借りるのがいいよ、ということですよね。

要は、「魔術師」としての修行をしていくならば、この関門を通って「ティファレト」という
「セカンド・オーダー」ぐらいまでには到達できるかもしれないね、ということです。

でも、本当に「セカンド・オーダー」なるものに到達できた人って、いるんですかね。
って、これは「決して詮索してはならないこと」でしたっけ。
0287名無しさん@占い修業中垢版2017/09/02(土) 07:02:59.60ID:94Guchww
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 164) ---
The Zohar, speaking of the Tree of Knowledge of Good and Evil explains that if
a man lives uprightly, it is a Tree of Good, but if he lives unjustly, it is a
Tree of Evil." (*124)
『ゾーハル』が、「善と悪の知識の木」について語っていることは、「人が正義に生きる
ならば、それは「善の木」であるが、もし彼が不正義に生きるならば、それは「悪の木」
である。」ことを説明する。 (*124)
--- ここまで ---

引用符(")の対応が取れていないので、適当に補充しています。

そして、NOTES/注記のページに、(*124)がありませんが、おそらく、(*123)において、
最初の一行のみが(*123)であって、残りは全て(*124)だと推定できます。
(*123)って、なんかおかしいな〜、とは思っていたのですが、とりあえず納得です。

再掲すると書き込み行数オーバーとなりますので、翻訳は >>279 を参照してください。

ということで、この「木」は、使う人によって、「善の木」にもなり「悪の木」にもなる
という、極めてご都合主義というか、「オレが悪いんじゃない、使った人間が悪いんだ!」
という、責任逃れ感のすごいシロモノになっているわけです。

まあでも、知識とか道具とかは、元々それ自体には善とか悪とかの色合いは無いわけで
あり、それゆえ、剣だろうが鉄砲だろうが大砲だろうが核爆弾であろうが、要は人が「善」
であると決めつければ、それは「善」であり、人が「悪」であると決めつければ、それは
「悪」ということになるわけです。
つまり、「善と悪の知識の木」というものの存在自体が、かなり矛盾したものというか、
いかがわしいものというか、疑わしいものということになります。
結果的に、この世においては、宗教っぽい「神」を自称する者たちが、「善」とか「悪」
とかを決めつけていくようになるわけですが、それゆえに、この世界には、不正義が蔓延
するという事態になっているわけなんですよね。
0288名無しさん@占い修業中垢版2017/09/03(日) 05:47:02.19ID:LJdok0uW
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 164) ---
This does not imply the acceptance of any social doctrine or law, or any rule of
social conduct.
これは、どんな社会的な主義または法律、もしくは社会的な運営のどんな規則であれ、
受容を暗示していない。
--- ここまで ---

要は、この「善と悪の知識の木」は、「social/社会的」、すなわち人間が作ったルール
ではないということなのですが、ここには、かなりの矛盾点があります。

一つには、物事の認識には、必ず観測者が必要ということであり、結果的には「主観」
すなわち「人間」が絡んでくるわけです。
つまり、「客観的」というものは幻想であって、それゆえ「全ての人にわかるように」
というようなものも存在していないわけです。

要するに、「知識の木」だけでも充分に「social/社会的」であるため、その上さらに
「善と悪の知識」となれば、「social/社会的」なものから逃れることは不可能です。

つまり、このカードに描かれている「善と悪の知識の木」というのは、我々が認識できる
ようなシロモノではなく、そして説明できるようなものでもない、ということであり、
それゆえ「神」の世界に置かれているものということですよね。

そもそも、この現世において、真の「神の秘密」を知ることのできる人間なんてものは
存在していないわけであり、「お前の秘密を知っている」、いやいや「神の秘密の知識を
知っている」などと言う者は、全てが詐欺師であって、全ては「人間レベルの浅はかな
知識」ということです。

まあ、科学界にも、今まで何度も「宇宙の秘密を解き明かした」と主張した人間がいた
ことはいたのですが、残念ながら、まだまだそういう「宇宙の秘密」なるものには到達
できていないのが現状ですしね。
0290名無しさん@占い修業中垢版2017/09/04(月) 06:14:22.52ID:FpZ38Ay7
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 165) ---
It means simply functioning in accordance with the Universal Will.
それは、「普遍的な意志」に従って単に機能することを意味している。

And here in the card, we see that the lower branches of this Tree are a reversal
of the principles symbolized by the branches above.
そしてここで、カードにおいて、我々は、この「木」の下の枝たちが、上の枝たちにより
象徴されている原理たちの反転であることに気づく。

Each branch represents one of the seven Planets (six around the Sun), with Saturn
representing all three Supernals (Figure 30),
各々の枝は、7つの「惑星たち(太陽のまわりの6つ)」のうちの1つを表し、「土星」は
3つの「至高者たち」全てを表している (図30)。
--- ここまで ---

「善と悪の知識の木」は、人間のものではなくて、あくまでも「神」のものであって、
人間には到底理解することの出来ないものであるわけですが、そういった「上の枝たち」
の反転像、すなわち鏡に映し出された虚像のようなものが、このカードの「下の枝たち」
として存在するということです。

つまり、アダムとイヴの聞きかじった「善と悪の知識」なるものは、しょせん、神の策略に
よりあらかじめ作られた、この劣化コピーである「下の枝」たちということであり、その
結果、アダムとイヴに、副作用として「エロ目線」という「下の枝」の知識が芽生え、
お互いに隠すようになった(そして下界でコトに至った)という話になるわけです。

要は、この「ネツァク」と「イェソド」の中間点である「17:星」が、エロ目線発祥の地
であり、記念すべき人類誕生の第一歩であるということです。
そして、この「17:星」の女性像を、下から「エロ目線」で見るか、上から「非エロ目線」
で見るかということが、その人の修行の進捗度を計る物差しになるわけですが、そういう
意味では、ワタシは一生、この関所を通過することは不可能ではないかと思うのでした。
0291名無しさん@占い修業中垢版2017/09/05(火) 06:16:52.39ID:OLgMiDzY
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

図30の説明文です。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 165) ---
Figure 30. The Tree of Knowledge of Good and Evil
図30. 善と悪の知識の木
--- ここまで ---

この図にある「善と悪の知識の木」は、『The Golden Dawn/黄金の夜明け魔術全書 上』
の巻頭カラーページにある「追放以前のエデンの園」というタイトルの絵に出てきます。

この図からは、「天上界」に向かう上の枝と、それの鏡像となっている「地下界」へと
向かう下の枝という感じになっています。

七複字も、対立する概念の複合体として解釈されていますので、ここでも、「上の如く、
下も然り」という類似性よりは、反転した性質を持っていると考えた方が良さそうです。

つまり、「エデンの園」で蛇(および裏で糸を引いた神)に食わされた「知恵の実」は、
天上への聖なる果実ではなく、地下への俗なる果実であるという可能性が高いわけであり、
どう考えても「一杯食わされた」としか思えないわけです。
結果的に、我々人類は、真の宇宙の知識など知る由もなく、下ネタ中心の知識を肥大
させていったというオチになっているわけですよね。

でもまあ、下ネタに限らず、知識っていうのは、人から教えられるものよりも、自分で
あれこれと試して見いだしていく方が面白いわけであって、やる前からネタバレ本を読んで、
「オレはこの世界の全てを知っている」なんてことになるよりは、絶対に楽しいと思う
わけです。

人は、最初は「無垢」の知識の状態で生まれるわけであり、そこから先は、その人自身と
周囲の環境により成長していくわけですので、色々と経験を積んでいって、自分なりの
「善と悪の知識」を肥大させていけばいいと思うのでした。
0292名無しさん@占い修業中垢版2017/09/06(水) 06:25:13.88ID:Z122M4DA
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 165) ---
So we understand that this Tree, related to the expulsion of Adam and Eve from
the condition of "heavenly bliss" symbolizes the dualities of good and evil,
pain and pleasure, harmony and disunities of the human condition.
そういうわけで、我々は、「天上の至福」の地位からのアダムとイヴの追放に関連している、
この木は、人間の状態の、善と悪、苦痛と喜び、調和と不和たちの二重性たちを象徴して
いることを理解する。

The bird above, while a reference to THE MAGICIAN and the will, points out that
wisdom emerges from a right understanding and control of the daily aspects of
our lives.
一方では「魔術師」と意志への参照である、上方の鳥は、知恵が我々の生活たちの毎日の
様相たちの正しい理解と管理から出現することを指摘する。
--- ここまで ---

「善と悪の知識の木」の上下関係は、「生命の木」に見られる「上の如く、下も然り」と
いうような相似関係ではなく、鏡像関係というか、極性が反転する関係にあります。

そして、これらは鏡像関係ですので、どちらか一方だけでは存在できないという、ちと
やっかいな性質を持つわけです。

つまりは、「善と悪」、「苦痛と喜び」、「調和と不和」、そして「聖と俗」の両方を
マスターしておかないと、「知恵」の鳥は出現して来ないということであり、そういう意味
では、頭でっかちなバーチャルな体験だけではダメで、リアルにそれを経験することで、
始めて真の理解が出来るようになり、それが「魔術師」への道であるということになります。

要は、日々の労働と勉強をせずに、安易に「知恵の実」を食べて知識を得ようとする者は、
「神のようになる」ことは出来ず、すべからく地獄に堕とされるということですよね。
ということで、ワタシは特に何もせず、天上にも地獄にも行かないよう、このままの状態で
留まっていようと思うのでした。←あまり努力したくない人ww
0294名無しさん@占い修業中垢版2017/09/07(木) 06:20:56.86ID:dwngkD0q
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 165) ---
The Hermetic Mysteries serve to explain all that is called good or evil in our
lives, and to help us to transcend the limitations which are imposed by these qualities.
「ヘルメス主義的神秘主義」は、我々の生活たちにおける善もしくは悪と呼ばれているもの
全てを明白にするのに、そして、これらの品質たちにより課された制限たちを我々が超越
するのを助けるのに、役に立つ。
--- ここまで ---

まあ、「ヘルメス主義的神秘主義」の効能は、それこそ「あくまで個人の感想であり商品の
効能を確約するものではございません」の類のものですので、そこは承知の上で利用して
頂くということになるのですが、はっきり言ってしまえば、いわゆる「錬金術」の延長線上
にあるものであって、一般人にとっては、実用上は、ほぼ何の意味も無いシロモノであると
言い切ることが可能です。

つまりは、現代においては、あくまでも一般的ではない人々向けということなのですが、
どういう人に向いているのかと言うと、一番適合しやすいのは「ファンタジー」を必要と
している人々、次に、一般的な思考ができない人、それと、妄想好きな人、という感じ
ですかね。

ワタシ自身は、割と中途半端な感じですので、「ヘルメス主義的神秘主義」なるものが
目指しているものは、少しだけ感覚的には理解できるのですが、それを言葉で明確に言い
表すことは出来ませんし、実用的な形にすることも出来ません。

言葉で言い表せるもの、そして形にできるものは、あくまでも「マルクト」の世界のもの
ですので、その上位世界を表す「ヘルメス主義的神秘主義」って、それほど実用的なもの
というわけでもないんですよね。
ただ、「ヘルメス主義的神秘主義」は、ワタシにとっては、日々の思考を円滑にするため
の「脳トレ」とか、実用的なものを生み出すための「触媒」とか「起爆剤」というか、
そういう、自分では気づかないし、他人には見えてない能力の一部となっている可能性は
あるのかもしれませんね。(※個人的な感想です。w)
0295名無しさん@占い修業中垢版2017/09/08(金) 06:20:44.24ID:p5hETXI1
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 165) ---
It will also be seen that the Tree of Knowledge of Good and Evil is toward the
side of the Pillar of Severity.
「善と悪の知識の木」が「峻厳の柱」の側のほうにあることに、また気づかれるであろう。

Its opposite, The Tree of Life is on the side of the Pillar of Mercy, for it is
a gift of God balancing the severely polar lessons of the other Tree.
その反対側の、「生命の木」は、他方の「木」の厳しい正反対の学課たちの重さと釣り合う
ための、「神」の賜物であるとして、「慈悲の柱」の側にある。

The very practical point implied here is that we must continually refer the lessons
of the inner worlds, the results of meditation, to our daily lives, and vice versa.
ここで暗示される非常に実践的な点は、我々は継続的に、瞑想の結果たちである、内なる
世界たちの学課たちを、我々の日々の生活たちへと、差し向けなければならないし、そして
逆もまた同様である、ということである。
--- ここまで ---

「生命の木」の持つフラクタル性により、「生命の木」自体を「慈悲の柱」に、そして
「善と悪の知識の木」を「峻厳の柱」に当てはめて解釈することが可能です。

この場合、両者は相補的な関係となり、「ネツァク」的なものと「ホド」的なものとの
並立を表していることになるわけです。
この場合、「17:星」と「14:節制」の違いは、それが実用的な範囲にある(「17:星」)
のか、そうでない(「14:節制」)のかの違いとなるわけですが、まあ「全裸の女性像」
の方が実用性が高いというのは、おそらく異論は無いかと思います。

とはいえ、「17:星」自体は、「峻厳の柱」にはありませんので、それ自体には厳しさは
ありませんし、あくまでも将来的な厳しさを「暗示」しているということなのですが、
「神」は、この「17:星」の段階で、「善と悪の知識の木」というワナを仕掛けておいて、
ワナに堕ちる者たちを、「全裸の女性像」で、おびき寄せているということですよね。
0296名無しさん@占い修業中垢版2017/09/09(土) 08:06:34.49ID:M8982jt+
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 165) ---
What is shown in this Key is the Garden of Eden, a state of beginnings.
この「鍵(大アルカナ)」において示されるものは、始まりの状態である「エデンの園」
である 。

But a complicated question arises as to why that Garden should be represented in
a card so low on the Tree of Life and, indeed, why it should form one of the
primary Paths of the Personality.
しかし、 なぜ「園」が、「生命の木」の上で、そんな低位のカードにおいて表される必要
があるのか、そして、なぜそれが「人格」の主要な「小径たち」の1つを形成する必要が
あるのか、についての複雑な疑問が生じる。
--- ここまで ---

「人格」を表す「星幽的三角形」、および「マルクト」を繋ぐ「小径」の大アルカナには、
基本的には人間に関わるものなので、人間に関係する象徴が入っています。
(「18:月」のザリガニは、人間を象徴しています。)
が、「17:星」には、女神像はありますが、人間の姿はありません。

なぜそうなったのかと言うと、要は「水汲み女」であった全裸の女性像が、マサース氏の
妄想力を最大限に掻き立てて、全裸のミナちゃん像、いやいや聖なる「天上のイシス女神」
に格上げしてしまったからなのですが、このエロ目線的な暴挙は、当然ながら、従来からの
タロット理論と古典的カバラ体系とは、マッチしなくなってしまうことになるわけです。

最もやっかいなのは、「オレの嫁/女神様」は、こんなザコ相手のポジションではないぞ、
という聖なるファン心理的な部分と、とはいえ、手元に置いてナデナデしておきたいという
俗なるヲタク心理的な部分が、相反する形で心の中に渦巻くというわけであり、この両者の
折り合いをつけることは、かなり難しいことになってきます。

その結果として、この「17:星」においては、その見かけの清楚さにもかかわらず、その
解釈において、愛憎渦巻くスベクタルな展開が繰り広げられることになるわけですよね。
0297名無しさん@占い修業中垢版2017/09/10(日) 06:48:41.05ID:ONvuTndm
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 165) ---
This is explained by a reference of this Path to a higher Path, that of The EMPEROR.
これは、この「小径」の、より高位の「小径」である「皇帝」のそれとの関連により、
説明される。
--- ここまで ---

「4:皇帝」は、「至高の三角形」を構成する大アルカナたち(0番、1番、3番)の次にある
カードであり、ちょっと仲間外れ気味のカードであり、名前からは「3:女帝」の夫である
と勘違いされることもありますが、そもそも住んでいる世界が違いますので、基本的
にはフリーのカードとなっています。
あと、「至高の三角形」に関する大アルカナって、みんな格が高すぎるというか、ちょっと
近づきにくい雰囲気もありますよね。

ということで、「俺の嫁がこんなに低いわけがない」と考えた人が、この「嫁」カードを、
割とどうでもいい年功序列だけで仕事をしない「オッサン」のカードとチェンジしたいと
思うわけでして、まあ実際にやってみると、割としっくりくる部分もあるわけです。
「2:高等女司祭(至高のイシス)」、「3:女帝(大地のイシス)」、「4:星(俺の嫁イシス)」
と、もう全部イシス一人でいいんじゃないかなという、嫁好きには完璧な布陣ですよね。

とはいえ、あまりにも唐突な下克上なわけですし、おそらく他の人には理解してもらえる
はずもないですし、そして何よりも、「俺の嫁」をそういうふうに特別扱いすることで、
世間から叩かれて大炎上する可能性があるわけですので、マサース氏は、リアル嫁の
ミナちゃんをそういう危険な目に遭わせるようなことはせず、胸の奥底にしまっておいた
のですが、クロウリー氏って、いまいちそういった空気は読めない人なんですよね。

まあ、ワタシも、この「17:星」は、「2:高等女司祭」のような雰囲気を持っているので、
その辺りの住人なのかな、という感じはあるのですが、あの「2:高等女司祭」や「3:女帝」
との嫁姑問題を考えると、「オレの嫁」の立場としては、高望みせず、謙虚な気持ちで、
今の位置の方がいいのかなぁ、とか思ったりするのでした。
いやはや、こういうのって、本当に難しい問題ですよね。ww
0299名無しさん@占い修業中垢版2017/09/11(月) 06:30:46.04ID:MyYYPB5c
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 165) ---
The correct Hebrew title of this card is [mem][yod][beth][kaph][vau][kaph][he]
(ha-kokabim), meaning the Stars, rather than the Star.
このカードの正確なヘブライ語の称号は、[mem][yod][beth][kaph][vau][kaph][he]
(ha-kokabim)であり、「星」というよりも「星たち」を意味している。

Case made this point, noting that some early French and Italian decks use the
plural Les Etoiles and Le Stelle for this reason. (*125)
ケース氏は、いくつかの初期のフランスおよびイタリアのデッキたちが、この理由のため、
複数形の「星たち(フランス語)」と「星たち(イタリア語)」を使っていることに注意
するよう主張した。(*125)
--- ここまで ---

ちなみに、(*125)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 272) ---
125. Case, Thirty-Two Paths of Wisdom, Lesson 15, 5.
125. ケース著、『知恵の32の小径たち』、第15課、5ページ。
--- ここまで ---
とあります。

ここから先は、「オレの嫁」である「17:星」が、なぜ「2:高等女司祭」や「3:女帝」の
次のポジション(「4:皇帝」)にあるべきなのかということについて、実にヲタク的と
いうか、まあ重箱の隅をつつくような、すこぶるどうでもいいような話が展開されています
ので、申し訳ありませんが、いましばらく、お付き合いください。

なんでこんなにどうでもいい話で盛り上がっているかというと、ひとえにこのカードが、
ある意味とてもわかりやすい(=エロ目線での注目を浴びやすい)「全裸女性像」を
モチーフにしているため、「ヲタクの鏡」である、素直じゃない歴代の著名な魔術師たちが、
この(エロ目線)ネタに対して、回りくどく絡んできているからなのです。
まあでも、そういうのも、タロット解釈の一つの醍醐味でもあるわけですけどね。
0300名無しさん@占い修業中垢版2017/09/12(火) 06:36:43.81ID:aIFXpFne
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 165) ---
And while Case did not expand the idea, admirers of Crowley will immediately recall
the statement from his Book of the Law, causing him to reverse THE EMPEROR and
THE STAR, that "Tzaddi is not the Star."
そして、ケース氏が、その考え方を拡大しなかった一方で、クロウリー氏の崇拝者たちは、
「ツァダイは星にあらず」という、彼に「皇帝」と「星」を逆転させる原因となった、彼の
『法の書』の声明を直ちに思い出すであろう。

Indeed it is not a single Star, nor is it THE EMPEROR.
実際に、それは単独の「星」ではないが、それは「皇帝」でもない。
--- ここまで ---

ケース氏の主張は、「17:星」のタイトルが、単なる「星」ではなく「星々」、すなわち
「恒星天」に関連するものであること、つまりそれは「コクマー」に関係していることを
暗示しているだけであり、このカード自体が、「コクマー」に接続されているとは言って
いません。
その辺りは、ケース氏もマサース氏も、割とオトナの、分別ある態度であったと言えます。

その一方で、クロウリー氏は、堂々とその(内に秘めた、ちょっと恥ずかしい)考え方を
パクった上で、大々的に公表するという、ちょっとアレな行動に出たわけですよね。

当然のことながら、正当な理由の無いカードの入れ替えには、かなりの無理があります
ので、クロウリー氏は、カード自体を入れ替えることはせずに、対応するヘブライ文字
だけを入れ替えたのですが、それでもかなりの無理があります。

ここは穏便に、「17:星」と「4:皇帝」には、「上の如く、下も然り」の法則が成り立つ
程度にして、あまり波風を立てずに、お茶を濁しておいた方がいいんですよね。
「オレの嫁」が、シンデレラ的な展開で上位世界と行き来できる関係を持てたとしても、
伝統的な「2:高等女司祭」や「3:女帝」の嫉妬で、陰湿なイジメに遭うのは、目に見えて
いますしね。←なぜか決めつけモードww
0301名無しさん@占い修業中垢版2017/09/13(水) 06:14:18.91ID:KN04FEds
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 166) ---
Yet there are many Qabalistic ways in which THE EMPEROR (Heh) and THE STAR (Tzaddi)
correspond.
それでも、「皇帝(ヘー)」と「星(ツァダイ)」が照応する、多くのカバラ主義的な方法
たちがある。
--- ここまで ---

「カバラ主義」自体が、何でもありの手法ですので、いくらでもネタを提供することが可能
なのですが、そこまで気合いを入れなくても、と思うんですけどね。

まあ、とりあえず、ここで考えておいて損は無いのが、「大アルカナ」と「聖四文字」および
「四大元素」の関係です。

以前に述べたように、「三母字」が「四大元素」に相当するのですが、そこには「地」の
要素が欠けています。
一方で、「聖四文字」には、「水」と「地」を表す「ヘー」が繰り返し二回出てきますが、
「大アルカナ」はヘブライ文字に一対一に対応しているので、両者は一対一には対応して
いません。

別に気にしなければいいのですが、物好きでエロ好きで妄想好きな連中、いやいや熱心な
神秘研究家たちは、ここの矛盾点にツッコミを入れて、なんか偉そうにしているオッサン
の格下げと「オレの嫁」の格上げを同時に狙うというわけです。
まあ、意図としては悪くは無いと思うのですが、どちらかというと謙虚な「17:星」に
とって、あの濃いキャラの多い大アルカナ上位陣の中に、無理矢理割り込みさせられる
のは、さすがに辛いものがあります。

そういうわけで、ここは「本当は地位の高い天界生まれのお姫様なんだけど、わけあって
天界から舞い降りてきて、交差点でパンをくわえたオレとぶつかって、突然に恋に落ちて、
今ではオレの嫁になっている」というような、ラノベ主人公!的な展開に持ち込む方が、
シナリオ的には、よりおいしいという結論に至るというわけですよね。←完全に間違ってるw
0303名無しさん@占い修業中垢版2017/09/14(木) 06:26:44.24ID:7R4Gxavd
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 166) ---
One such link, again demonstrated by the Master of Gematria, Paul Case, has to do
with the fact that the Hebrew ha-kokalbim has the same numerical value as
[mem][daleth][aleph][he] [vau][beth][aleph] (ehben ha-Adam), The Stone of Adam. (*126)
さらにまた、「ゲマトリアの達人」であるポール・ケース氏により例示される、そのような
関連性の1つは、ヘブライ語の「ha-kokabim(星たち)」が、[mem][daleth][aleph][he]
[vau][beth][aleph](ehben ha-Adam)、「アダムの石」と同じ数の値を持つという事実が
あることである。 (*126)
--- ここまで ---

ちなみに、(*126)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 272) ---
126. Case, ibid.
126. ケース著、同上。(『知恵の32の小径たち』)。
--- ここまで ---
とあります。

あいにくワタシは無学なるゆえ、「アダムの石」なるものが何を指すのか、全くわかって
いないのですが、直感的には、すこぶるどうでもいいもの、のような気がしますので、
これ以上の詮索はしないでおこうと思います。

とはいえ、あの清楚でかわいい「17:星」の姿の実体が、実は暑苦しいオッサンの「4:皇帝」
と同質のものであるという推測は、「自分のことをツインテールのかわいい女の子だと思い
込んで…」と同じくらいに笑劇的、いやいや衝撃的なものであるわけです。
(「星」の女の子のポーズが、立ちションスタイルだと、さらに完璧なんですがww)

つまり、「17:星」に出てくるロングテールのかわいい女の子は、ゴールデン・ドーン版
ではミナちゃんの化身でしたが、トート版ではクロウリー氏自身の化身であるという
可能性も出てくるというわけで、まあクロウリー氏の性癖を考えると、あながちジョーク
では済まされないところもあるわけですよね。ww
0304名無しさん@占い修業中垢版2017/09/15(金) 06:16:47.60ID:bQceE8R6
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 166) ---
This is a symbolic reference to the union of the Supernal Father, Chokmah, with
the Sun, Tiphareth i.e., The Path of THE EMPEROR.
これは、「コクマー」である「天上の父」と、「ティファレト」である「太陽」との結合
についての象徴的な参照、すなわち、「皇帝」の「小径」である。

Netzach is the Chokmah energy at its lowest arc, on the base of the Pillar of Mercy.
「ネツァク」は、「慈悲の柱」の基部にある、その最も低い円弧上における「コクマー」
の精力である。
--- ここまで ---

何かもう、無理矢理なこじつけ感がすごいのですが、まあ、上なる「至高の三角形」と
下なる「星幽的三角形」とは鏡像関係にあるので、「コクマー」と「ネツァク」には
相関関係があるのですが、それを言うなら「17:星」に対応するのは「0:魔術師」であり、
「4:皇帝」に対応するのは「13:死」になるわけですけどね。

実のところ、この「17:星」のゴールデン・ドーン版とトート版の特異性は、そういった
屁理屈を越えた、単なる「オレの嫁」への過剰な思い入れであるわけであって、それは
・ゴールデン・ドーン版 = もう全部ミナちゃん一人でいいんじゃないかな
・トート版 = もう全部オレ様(クロウリー氏)一人でいいんじゃないかな
という、ある意味すこぶるどうでもいい点にあるわけです。

つまり、ゴールデン・ドーン版における「星」の全裸女性像はミナちゃんであり、そして
トート版での後ろ姿の女性像は、クロウリー氏自身の裏の顔であるということなのですが、
それぞれが、この女性像を、自分の最も好きなものに重ね合わせているために、ハタから
見ると、従来理論を超越した完全無欠の超絶無敵モードになっているように見えるわけです。

まあ、何でこんな一人ヒロイン状態になっているかと言うと、やっぱり「星=おっぱい」
という「エロ目線」、つまり、「ホド」の「カバラを含む全ての理論」を越えるものが、
「ネツァク」の「おっぱい」であったというのが、ここでの結論なのでした。
0305名無しさん@占い修業中垢版2017/09/16(土) 06:50:41.92ID:JlRLAmPi
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 166) ---
Its Elohim are the lower expression of the YHVH Elohim of Binah, which the book of
Genesis tells us created the Garden and the two Trees.
その(ネツァクの)「エロヒム(神)」は、『創世記』の本が我々に「園」と2本の「木たち」
を作成された、「ビナー」の「ヤハヴェ・エロヒム(主なる神)」 の下位の表現である。

The Path of THE STAR is, thus, the lower Eden, the Eden of the Personality.
従って、「星」の「小径」は、下位の「エデン」であり、「人格」の「エデン」である。

The Path of THE EMPEROR is, as will later be considered, the fiery aspect of an
upper Eden, the Eden from which the Higher Self emerges.
「皇帝」の「小径」は、後で考慮されるように、上位の「エデン」の火の様相であり、
「高次の自我」が出現する「エデン」である。
--- ここまで ---

「エロヒム(神)」という神名は、『創世記』1:1〜2:3に出てくる、天地創造の「神」の
名前になっていますが、この「神名(アツィルト)」レベルの「エロヒム」と、「ネツァク」
の「天使の合唱団(イェツィラー)」レベルの「エロヒム」の名前とは、微妙に違うと
いうか、まあ「月とスッポン」程度の違いがあるようです。

あと「ヤハヴェ・エロヒム(主なる神)」という神名は、『創世記』2:4〜3:23に出てくる、
エデンの園の物語の主役となっている神であり、これは「ビナー」の「神名(アツィルト)」
レベルの名前となっています。

ざっくり言うと、「ビナー」が「創造の上なる神」であり、「ネツァク」は「創造の下なる
神」であるということなのですが、その「女の上下関係」に、なぜかいきなり「皇帝」が
割り込んでくるということで、どう考えても修羅場、もしくはラノベ的な展開にしかなら
ないと思うのですが、詳しい話はCMの後、ということらしいです。
とりあえずは、「ビナー」と「ネツァク」と「星」の間には、天地創造において、密接に
絡み合った女たちの上下関係が存在していることを覚えていればいいと思います。
0306名無しさん@占い修業中垢版2017/09/17(日) 00:50:24.57ID:1aaeuVFw
女の上下関係

元愛人ナツツキ
ゆみり〜子

おっさんきよひこ

3者の戦い

きよひこ性格クズすぎて離婚してやらずフラれる
それを逆恨みして女を憎む
0310名無しさん@占い修業中垢版2017/09/17(日) 07:42:23.24ID:hxRKwWrh
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 166) ---
THE STAR shows Eden "restored" by Adam, a reference to Tiphareth, to which Adam
is attributed.
「星」は、「アダム」により「復元される」「エデン」を表し、「アダム」がそれに帰属
されている「ティファレト」への参照を示す。

This lower Eden is a state to which the Personality can directly relate.
この下位の「エデン」は、「人格」が直接関連できるものへの段階である。
--- ここまで ---

前節で、「星」は、下位の、すなわち「人格」の「エデン」であるということにされて
いますが、ここではさらに、「星」が「アダム」に関連する、すなわちこれが暗示しする
ものは、「星」の全裸女性像は「アダム」であるかもしれないと言っているわけです。

ただし、ゴールデン・ドーン版においては、「星」は「天上のイシス」と「至高のエデン」
いう上位世界を暗示していますので、このウォン氏の記述は、的外れなように見えます。

つまり、この「星」が下位の「エデン」であり「アダム」であるかもしれないという記述は、
トート版に限定して考えた方がいいのですが、まあ別に驚くようなことではないですよね。
既に述べているように、トート版での後ろ姿の女性像はクロウリー氏自身の妄想的自画像で
あって、「自分のことをロングテールのかわいい女の子だと思い込んで…」と同じレベルで
あることは、既に判明しているわけですしね。

結局のところ、「オレの嫁」を「聖なる女神(byマサース氏)」と考えるか、「俗なる欲望を
叶える娼婦(byクロウリー氏)」と考えるかという違いなのですが、実を言うと、この両者は、
似たもの同士というか、まあ「月とスッポン」程度には同じ、つまり、エロ目線で視姦するか、
実際に食ってしまうかという程度の違いなわけです。
まあ、古代より宗教施設には娼館が付きものだったこともありますし、宗教世界においても、
俗世界においても、こういう「全裸女性像」に象徴される「エロ目線」の対象物というものは、
色々な意味において特別視される対象でもあるわけですよね。
0311名無しさん@占い修業中垢版2017/09/18(月) 07:22:35.39ID:at9qxVpO
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 166) ---
Here, too, we recall that the creation of Man, the formation of the individual
consciousness from the collective unconscious, begins from the point of Netzach.
ここでもまた、我々は、集合的な無意識からの個々の意識の構成物である、「人」の創造
が、「ネツァク」の地点から始まることを思い出す。

It is also the highest level of the Personality's intuition, as opposed to the
Path of THE SUN, which is the highest level to be reached by intellect.
それはまた、知性により到達される最も高い段階である「太陽」の「小径」とは対照的に、
「人格」の直観の中で最も高い段階でもある。
--- ここまで ---

とりあえず、「オレの嫁」自慢から、本来の「17:星」のカードの話に戻ります。

そして、今まで見てきたように、ゴールデン・ドーン版もトート版も、本来の意味からは
若干逸脱していますので、こだわりの少ないウェイト版について、少し見ていきます。

ウェイト版の「17:星」のモチーフが、「ネツァク」が最初の「創造」であること、つまり
『創世記』の最初の物語の部分であることは、描かれている絵を見ればわかります。
遠景にある木は「知識の木」であり、これと対比する「生命の木」は、前景の全裸女性像と
いう構図になっています。
ちなみに、この全裸女性像は、天界からの「尽きることのない水」を、大地と海とに流して
いますが、この源泉となるのは「ビナー」の「生命の水」であり、至高の「ビナー」と、
人格の「ネツァク」、そして肉体の「マルクト」を結ぶ流れの中で、重要な中継点の役割を
担っているわけです。
特徴的なのは、ウェイト版の「17:星」は、「娘」でも「嫁」でもなく、豊満な肉体を持つ
「母」のようであるという点です。
そう、彼女は、いわゆる「大地の母」であって、この絵は、その子供である大地に「母乳」
を与えているという授乳の構図になっているわけですが、ピクシーたんの描くウェイト版の、
なぜかエロ成分控えめという特徴は、こういうところにも発揮されているのでした。
0312名無しさん@占い修業中垢版2017/09/19(火) 06:24:33.76ID:rMFnUo14
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 166) ---
The airy sign Aquarius, associated with peace, love and inspiration, is given to
this Path.
平和、愛情、そして霊感に関連付けられた、空気の宮である「宝瓶宮(みずがめ座)」が、
この「小径」に割り当てられる。

In the ancient world, Saturn was said to govern Aquarius, which refers us again
to Binah and, in fact, to THE UNIVERSE.
古代の世界では、「土星」が、「宝瓶宮」を支配すると言われており、それは再び我々を、
「ビナー」へ、そして、それどころか、「宇宙」へと注目させる。
--- ここまで ---

「宝瓶宮」は、現代では「天王星」が支配星となっていますが、1781年に「天王星」が
新しく発見される以前は、「磨羯宮(やぎ座)」の支配星と同じ「土星」が支配星として
割り当てられていました。
つまり、カバラとしては、「17:星」=「宝瓶宮」=「土星」という解釈となります。
ちなみに、この土星つながりにより、「ビナー」や「21:宇宙」との関連性が出てくる
わけですが、これは、「至高の母」から始まる「物質化」の流れを示しています。
つまり、「ケテル」から発せられた純粋エネルギーが、「物質化」という形で発現し、
最終的に地上の「物質」になるという流れになってるわけです。

ここは、建前上は「至高の父(コクマー)」と「至高の母(ビナー)」の息子である
「ティファレト」が実権を担っていることになっているのですが、実際の作業の多くは、
「至高の母(ビナー)」の化身である「ネツァク」や「17:星」が、その役割を担って
いるという感じですよね。

要は、やりくり上手な「母」が一生懸命に蓄えた「生命を育む水」を、「17:星」の娘が
何らかの方法で下界へと受け継いで、我々の大地へと流出させているという構図です。
そう考えると、この「17:星」は、下位世界において、すごいことをやっているわけなの
ですが、どうしても「おっぱい」の方に注目してしまうのは、一種のトラップなのですかね。
0313名無しさん@占い修業中垢版2017/09/20(水) 06:25:15.09ID:/BdfvfZZ
そろそろ容量オーバーで、次スレ移行の時期ですので、
念のために書いておきます。

次スレ
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