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【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】Part6©2ch.net

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0001名無しさん@占い修業中 転載ダメ©2ch.net
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2016/11/26(土) 06:37:55.23ID:WbyThkxa
近代タロットの理解にはカバラの知識が必須であることは、割とよく
知られていると思います。
しかしなから、タロットの理解に必要なカバラの知識って、日本に
おいては、あまり紹介されていないのが現実なんですよね。

というわけで、タロットの理解に必要なカバラの基本的知識を得るために
以下の本を引用、翻訳、考察しながら、色々と勉強していきたいと思います。

書名:The QABALISTIC TAROT
   A TEXTBOOK OF MYSTICAL PHILOSOPHY
   カバラ主義のタロット
   神秘主義的哲学の教科書
著者:Robert Wang

※話題への、ソコはちゃうやろ的ツッコミとか、雑談とかは歓迎ですが、
教えて的な質問に答えたりとかは面倒なので、スルーする可能性が高いです。
0101名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/03/02(木) 06:18:01.50ID:NFNGGy+4
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 148) ---
All of the key Tarot decks are agreed that the female figure should be surrounded
by an oval shape of some sort.
主要なタロットデッキたちの全ては、女性の人物像は、ある種の卵形の形状により取り
囲まれるべきであることが合意されている。

In Crowley's deck this is a ring of stars.
クロウリー氏のデッキでは、これは星たちの輪である。

In the Marseilles and Waite decks this is a wreath.
マルセイユ版とウェイト版デッキでは、これはリース(花や葉を輪にしたもの)である。

In the Golden Dawn deck the oval is formed by twelve spheres (the twelve Signs of
the Zodiac) bound together by seventy-two pearls (the Shemhamaphoresch, or Seventy-Two
Names of God).
ゴールデン・ドーン版デッキでは、卵形は、72個の真珠たち(「シェムハメフォラシュ
(神の御名)」、もしくは「72の神名」)と共に結ばれた12個の球たち(12の「黄道十二宮
の宮たち」)により形成される。
--- ここまで ---

ここの「Shemhamaphorasch」は、「Shemhamephorasch/シェムハメフォラシュ」の誤記ですかね。

この「宇宙」のカードの基本形は、中央の全裸女性の姿、それを取り巻く「卵形」、そして
さらにその周りのコーナーにある4つの「四大元素」の象徴たちです。

前節では、「女性像」が真・ラスボスであることが明らかになりましたので、次の詮索の
ターゲットは、この「卵形の輪」ということですよね。
まあ、見るからに我々の想像力を掻き立てる形状ではあるのですが、それは、この「宇宙」
のカードが、我々のいる物質世界、すなわち「ケモノ」の皮をかぶったフレンズ、いやいや
ヒトの住むエロスの世界との接点であるという証でもあるわけです。
0102名無しさん@占い修業中
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2017/03/03(金) 06:29:01.71ID:I7D0mBPu
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 148) ---
What is symbolized is both the womb of the human female, through which the child
passes in birth, and the Great Womb into which the soul passes in death.
象徴されているものは、子供が誕生のときに通過する人間の女性の子宮と、そして死の
ときに魂が通過する「大いなる子宮」の両方である。
--- ここまで ---

繰り返しますが、「宇宙」のカードには、中央の全裸女性を取り巻く「卵形」が特徴と
なっています。
そして、その形状を、「ellipse/楕円形」と言わずに、わざわざ「oval/卵形」と表現
しているのは、それなりの理由があるわけです。

そして、この「卵形」は、2つの意味を持つということです。
一つは「人間の女性の子宮」、すなわち「魂」が肉体を持ってこの世に誕生するところで
あり、そしてもう一つは、「Great Womb/大いなる子宮」すなわち「Great Mother/大母」
の子宮であり、人が死んで肉体を離脱した魂が戻る場所ということになります。

いずれにしても、この「宇宙」は、見るからに女性上位の世界であるということですよね。

とはいえ、この「宇宙」では、女性上位が顕著ですので、そのアンバランスさに対して、
あれこれと異議を唱える男女平等主義者も出てくるわけです。
まあ、全体的なバランスはカバラにおいては大事なのですが、個々のカードのバランス
という意味においては、そうはなっていない面もあるわけですけどね。
0103名無しさん@占い修業中
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2017/03/04(土) 17:47:26.92ID:rwsqa/yr
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 148) ---
The profound symbolism of the Great Mother through which one passes as a doorway
to and from life is, unfortunately, minimized by some writers (including Case)
who state that "tradition" claims the female figure to be hermaphroditic.
人が生命への行きと帰りの出入り口として通過するところである、「大母」の深遠なる
象徴主義は、不幸にも、「伝統」が女性の人物像を雌雄同体であると主張すると述べる、
(ケース氏を含む)何人かの作家によって過小評価される。

That idea is unreasonable, but may be an honest attempt on the part of some
Qabalistic theoreticians to reconcile the feminity of the Path with the Magical
Image of Yesod into which it leads, a "Beautiful Naked Man." (*99)
その考え方は不合理ではあるけれども、「イェソド」が導く、「美しい裸の男性」の
「魔法のイメージ」と、「小径」の雌性を調和させるための、何人かの「カバラ主義」の
理論家たちの側の率直な試みはあるかもしれない。(*99)
--- ここまで ---

ちなみに、(*99)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 271) ---
99.The "Magical Images of the Sephiroth" are given in 777, Col. CXX, 25.
99. 「セフィロトの魔法のイメージたち」は、『777の書』の、25ページの、列CXXにある。
--- ここまで ---
とあります。

ワタシも、「宇宙」のカードの全裸女性像が、実は「雌雄同体」すなわち「ふたなり」で
あるという都市伝説を、聞いたことがあります。
その根拠としては、「大事なところが隠されていて、男か女かを確認できない」という
意味不明な理由だったと思うのですが、それについては、すこぶるどうでもいい話です。
そもそも、本当に隠したいものであれば、そこは思考停止することなく、自分に都合良く、
いやいや深遠なる解釈を行って納得すればいいだけの話であり、それがエロ、いやいや
真の「神秘」の研究に繋がるわけですからね。
0104名無しさん@占い修業中
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2017/03/05(日) 08:04:38.50ID:2gauNfJ0
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 148) ---
The latter represents the eternal outpouring of the Christ-Spirit from Tiphareth,
personified within Yesod before it passes down to Malkuth.
後者は、それが「マルクト」へと下に通過する前に「イェソド」内で人格化された、
「キリストの魂」の永遠の流出を表している。

The Christian mystery is not simply an event of two thousand years ago to be
recalled with reverence, it is a secret key to a natural pattern.
「キリスト」の神秘は、単なる、尊敬の念をもって思い出されるべき2000年前の出来事
ではなく、それは自然な様式への秘密の鍵である。
--- ここまで ---

ある程度、事実としての「キリスト」および「キリスト教」のことを勉強している人で
あれば、大体わかるとは思うのですが、あの『新約聖書』の半分は事実であり、そして
残りの半分は妄想で出来ています。

そして、その「妄想」の部分が、それ以前からある神話のストーリーのパクリ、いやいや
「a secret key to a natural pattern/自然な様式への秘密の鍵」から成っているわけ
です。
つまり、ネタ元となる神話、もしくは関連する芸術作品の鍵となる登場人物たちを、全て
「イエス・キリスト」もしくはその関連人物名に描き替えるということなのですが、その
際に、色々と無茶なことをやってしまっているわけです。

実際、この「宇宙」のカードの前身となるデザインでは、カードの中央にあるのは、全裸
女性の人物像ではなく、キリストの人物像であったものもあります。
まあ、どちらが先とかどちらが後とかいうことではなくて、それは「自然な様式への秘密
の鍵」という、かなり普遍的なものを表しているということなんですよね。

とはいえ、もし「宇宙」のカードの中央の人物が「イエス・キリスト」像であったならば、
これほど世界中にタロットは流行らなかったと断言できますけどね。(暴言)
0105名無しさん@占い修業中
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2017/03/06(月) 06:17:13.41ID:MI4SWOot
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 148) ---
The Christ (Buddha or Osiris or Krishna) force continues to be born into our world,
be sacrificed for the benefit of mankind, resurrected and assumed.
「キリスト」(「ブッダ」や「オシリス」や「クリシュナ」)の力は、我々の世界の中に
産まれ、人類のために生贄として捧げられ、よみがえり、責任を負い続ける。

This is, like the Yod Heh Vau Heh, continual to the end of time, which will be the
end of the race's need for sensory experience.
これは、すなわち「ヨッド」「へー」「ブァウ」「ヘー」のように、知覚の経験のための
人種の必要の終わりとなるであろう、「時」の終わりのために、継続的である 。

Time is, of course, one of Saturn's primary restrictions.
「時」は、もちろん、「土星」の主要な制約たちの1つである。
--- ここまで ---

「イエス・キリスト」などが、我々の世界に生まれ、そして犠牲となって死に、その後に
蘇るという「救世主復活ストーリー」は、よくよく考えてみれば、我々のような下々の者
にも、何と無く同じように当てはまっていることがわかります。
ついでに言うと、日本においては、死者は「ご先祖様」とかいう感じで、完全に死んだ後
でも、「死者の霊」が現世に影響を及ぼすと言われていますよね。

いずれにしても、この現世に「生の時」を授かった者は、必ず「死の時」を迎えます。
それが、「時の定め」であり、そして「土星」の定めでもあります。
つまり、昔の人間の寿命は、土星の公転周期である「29.5年」程度であったということ
でもあるわけです。
とはいえ、今では、その倍も3倍も生きる人が増えましたけどね。

そして、個々の人間が、産まれ、成長し、犠牲となって死ぬことで、人類全体の成長に
繋がっていくというのが、この世の中の大きな流れとなっているわけです。
まあ、ワタシがその流れに乗っているのかどうかは、よくわかりませんけどね。
0106名無しさん@占い修業中
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2017/03/07(火) 06:24:56.50ID:N5Mwlu6n
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 149) ---
As long as we are functioning within the framework of time, an event, including
the downpouring and uprising of Tiphareth force, must have a beginning, a middle
and an end.
我々が、時の枠組の範囲内で職務を果たしている限り、「ティファレト」の流下と上昇を
含む、出来事は、始まり、中間、そして終わりを持たなければならない。

Life processes run in waves, or spirals which come back upon themselves.
生命の過程たちは、波のように、または彼ら自身の上に戻ってくる螺旋のように動作する。

This is the natural course of the akashic fluid of Yesod.
これは、「イェソド」の「アカシック流体」の自然な進路である。

Thus, again, is the woman shown dancing.
従って、さらに、女性は踊っているように見せられている。
--- ここまで ---

女性像にまとわりついているスカーフは、上から下への螺旋状の流れを表しています。
これは、「アカシック流体」もしくは「星幽光」の流れを示しているわけです。
そして、その永遠なる流れをぶった切って、新しい断片化した流れを導くかのように、
女性はダンスを踊っているかのような、動きのあるポーズを取っているというわけです。

なんか、量子宇宙論をそのまま図案化したような、とても意味深な感じになっているの
ですが、とりあえず、これが我々の宇宙と物質と生命を形成し産み出している「ご本尊様」
であるということですよね。

いずれにしても、ここは宇宙の万物を産み出す象徴ですので、まだ若くて生産力のある
女性像として描かれています。
そはいえ、裸である必然性は薄いのですが、彼女自身が「産まれたままの姿」であることを
自ら示すことで、「新しく産まれる」という意味をさらに強く示しているとも考えられますね。
0107名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/03/09(木) 06:22:15.47ID:OxfbzPQh
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 149) ---
She swirls and revolves as opposed to her most abstract form of energy, THE EMPRESS,
where she is placed solidly on a Supernal Throne.
彼女は、彼女の精力の最も抽象的な形態であり、そしてそこで彼女が「天上の王座」に、
しっかりと据えられる「女帝」とは対照的に、渦を巻いて回転している。

This spiral Force of nature is directed by the wands which she carries: they
represent active and passive energy, each of which has two poles.
この自然の渦巻き状の「力」は、彼女が持つ棒たちにより導かれる:それらは能動的と
受動的な精力を象徴し、それらの各々は、2つの極を持つ。
--- ここまで ---

「至高の三角形」の世界にあり、完全にバランスが取れて安定した状態にある「女帝」の
対極にあるのが、この、渦巻きながら「最下位の世界」へと繋がっていく「宇宙」の
カードとなります。
つまり、積極的にアンバランスさを作り出すことで、静止した潜在的エネルギーの中に
渦巻き状の流れを作り出して、新しい物質とその世界を形成していくということです。

そして、その鍵となるのが、彼女の持つ、レッツ・ラ・まぜまぜするための二本の魔法の
棒になっていて、それぞれがプラスとマイナスの極性を持つことで、周囲に「フィールド」
を形成し、そしてそれが回転することで、周囲の「フィールド」に対して色々な作用を
及ぼしているということになります。

つまりは、この「タウ/宇宙の小径」のフィールドにおいては、「力」は、二重の極性を
併せ持つ「場」で表すことができるという理屈にもなっているわけです。

まあ、それが何を意味するのかは、いまいちよくわかっていませんが、何となく深遠な
感じがするわけで、そういう意味では、現代の科学は、まだまだこの領域にしか達して
いないんだなぁ、ということを、漠然と思ったりするわけでした。(根拠無し)
0108名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/03/11(土) 06:46:44.00ID:L3UwaVFw
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 149) ---
Crowley's card shows these natural forces as the serpent Kundalini, described as
"Coiled in Yesod."
クロウリー氏のカードは、「イェソドの中で螺旋状に巻かれる」と評される、蛇の「クン
ダリニー」のような、これらの自然の力たちを表している。

This is a reference to the primary sexual forces of nature to be encountered with
THE UNIVERSE.
これは、「宇宙」と遭遇されることによる主要な自然の性的な力たちへの参照である。

These are the forces which we learn to direct in ourselves and onto which we impose
the strictures of Binah, the Great Mother, the Great Sea.
これらは、我々が我々自身において指示することを学び、そして我々が、「ビナー」、
「大母」、「大いなる海」の拘束たちをその上に課している、力たちである。
--- ここまで ---

トート版タロットの一番の特徴は、中央の女性像と共に踊る、不思議な形状の螺旋を描いた
「the serpent/蛇」の姿です。

それ以外にも、カードの中には、色々と不思議なものが描かれているのですが、『トート
の書』には、クロウリー氏の独自解釈が書かれているだけであって、作者であるハリス女史
の作画の意図が書かれているわけではありませんので、いまいち参考にはなりません。

絵柄からは、この女性像が、上位世界の「蛇」に象徴される「力」を、上から下へと流出
させているような感じになっているのと、「蛇」が永遠性を持っているという理屈から、
周囲の円環が、途切れることのない宇宙の永続性を表しているようにも見えます。

ハリス女史自身が、簡単でもいいので解説本を書いてくれていれば、もうちょっと詳しい
話が出来ると思うのですが、現状では、カードの絵から、各自で独自に解釈していくしか、
他に手がありませんからね。
0109名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/03/12(日) 09:38:52.54ID:+wYHBdsH
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 149) ---
Water is very important to this Path which is the Great Sea of consciousness in
its most dense and difficult expression.
「水」は、それが、その最も濃密で理解困難な表現において、意識の「大いなる海」で
ある、この「小径」にとって非常に重要である。

The Thirty-Second Path might be considered a dark cave, filled with treacherous
caverns and tunnels, some of which lead to the Light, but others of which lead
to the Qlippoth.
「32番目の小径」は、暗い洞穴 危険でいっぱいの洞窟たちとトンネルたちであり、その
いくつかは「光」に通じるが、他のものは「クリフォト」へと通じていると、考えられる
かもしれない。
--- ここまで ---

「宇宙」のカードは、それが異世界への出発点という意味での「イニシエーション」で
あるため、それ自体は無限の可能性を持ちます。

つまり、どこにでも通じる「どこでもドア」であるわけですが、そのドアの先にあるのは
「光あふれる未来」とは限らない、というか、ハズレである可能性の方が、圧倒的に高い
わけです。
まあ、ハズレのほとんどは、人畜無害な「妄想部屋」に通じているのですが、中には本物の
地獄へと繋がる危険なシロモノもあるわけですので、ある程度の警戒心は必要かと思います。
とはいえ、こういった「どこでもドア」って、実はほとんどの人にとっては、全く必要の
無いものですし、たとえ興味を持ったとしても、ほとんどの人は、それをまともに使える
レベルには達しないわけですので、「無かったこと」にしてしまうのが一番かと思います。

ということで、最初の大アルカナである「タウの小径/宇宙」の項は、これで終わりです。
マジで一般人にとってはどうでもいい話、というか関係の無い話ですので、そろそろ脱落
する人も多発している頃ではないかと思っているのでした。
(ここで話をしている人も、いまいち分かっていないので、いまいちヤル気無しw)
0110名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/03/13(月) 06:19:39.58ID:zYIzrC3I
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 149) ---
31. THE PATH OF SHIN
31. 「シン」の小径

Judgment
審判

The Twentieth Key
20番目の鍵(大アルカナ)
--- ここまで ---

ここから、「生命の木に基づく大アルカナ」の章の中での新しい節になります。

サブタイトルは「シンの小径」です。

我々にとっては、まだ割と理解可能であった「宇宙」から上は、ほとんどの人にとっては、
全くと言っていいほど経験の無いというか、意識することが難しい世界になってきます。

ワタシも、どちらかと言うと普通の人ですので、ワタシがこれから書くことは、ほとんど
アテにはならないというか、アテにしてはいけないというか、軽々しく信じてはならない
ということを、まず最初に心しておいてください。
そして、他人の解釈に頼らず、自分自身で解釈し理解していかないといけないわけですが、
でもそれはあくまでも自分自身の解釈と理解であって、少なくとも、他のほとんどの人
とは違うものであるということも、心しておいてください。

なぜこんなことを今さら言うのかというと、今まで見てきたように、ワタシ自身の解釈自体
が、他のほとんどの人たちの解釈とは、かなり異なっているからなんですよね。
これは、ワタシの解釈が間違っているということでもないし、他の人の解釈が間違っている
ということでもなくて、あくまでも視点の違いというか、見えている世界が違っていると
いうことなのですよ。(苦しい言い訳w)
0111名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/03/14(火) 06:20:35.72ID:yePC4Vao
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 149) ---
□ PATH COLOR: Glowing Orange Scarlet
□ 「小径の色」:「燃えるようなオレンジ色の緋色」

□ RELATED SOUND: C Natural
□ 「関連した音」:「Cのナチュラル」

□ MEANING: Tooth
□ 「意味」:「歯」

□ MATERNAL LETTER: Fire
□ 「母字」:「火」

□ ESOTERIC TITLE: The Spirit of the Primal Fire
□ 「秘伝的な称号」:「根源的な火の霊」
--- ここまで ---

この本の、この文章の右側には、「歯」と、ヘブライ文字の「シン」と、「火」の元素記号、
および「生命の木」における「シンの小径」の位置が図示された絵が描かれています。

その他の説明は、前項の「タウの小径」を参考にしてください。

この本では、この説明文の下に、4枚の「審判」のカードの写真が掲載されているのですが、
トート版だけが異質なデザインとなっています。
これは、クロウリー氏の独自の宗教的思想を反映したものとなっていて、そういう意味
では、この「審判」の領域は、まだ少しだけ人間世界に関わりのある境界領域であり、
こういう宗教的なモチーフが、まだ有効な領域でもあるということですよね。

まあ、我々のような地上に生きる一般人にとっては、工夫すれば、かろうじて感じることの
できる限界領域でもあるということです。
0112名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/03/18(土) 06:41:55.20ID:54xUD7tx
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 150) ---
THIRTY-TWO PATHS OF WISDOM: The Thirty-first Path is the Perpetual Intelligence;
but why is it so-called?
「知恵の32の小径たち」:「31番目の小径」は「絶え間なき知性」である;しかし、なぜ
それは、そう呼ばれるのか?

Because it regulates the motions of the Sun and Moon in their proper order, each
in an orbit convenient for it.
なぜなら、それは「太陽と月」の動きたちを、それらの適切な順序で、各々をそれにとって
都合の良い軌道の内に、統制するからである。
--- ここまで ---

ここは、前節と同様に、ウェストコット氏の英訳版『The Sepher Yetzirah/セフェル・
イェツィラー(形成の書)』の「THE THIRTY-TWO PATHS OF WISDOM/知恵の32の小径」
からの引用です。

ここは、「32番目の小径」の、7つの惑星たちの「管理する知性」の、一つ上の階層となる
部分になります。
なぜ上位になるかというと、「太陽」と「月」は別格に明るくて、さらに、ほぼ一定の
動きをしているので、「より上位の存在」と見なされているのに対し、その他の惑星たち
は、暗くて、そして一見すると不規則に動いているので、「より下位の存在」と見なされて
いるということになるわけです。

要するに、7つの惑星の根幹的な動きは、「31番目の小径」の「絶え間なき知性」が司る
「太陽」と「月」が主に担っていて、残りの惑星たちは、「32番目の小径」の「管理する
知性」が、「太陽」と「月」の動きに従って、その動きを司っているという感じですかね。

まあ、この「知恵の32の小径」の「31番目の小径」の意味が、一見すると天体の運行
とは何の関係も無さそうな「シン/審判の小径」と、どのような形で絡んでくるのかは、
なかなかに興味深いところではあります。(傍観者風w)
0113名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/03/19(日) 06:26:12.03ID:th4ZrNO/
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 150) ---
The Path of Shin, JUDGMENT, joins Malkuth (the Earth) with Hod (Splendour), the
base Sephira and completion of the Pillar of Severity.
「シンの小径」である「審判」は、「峻厳の柱」の基礎であり完成である「セフィラ」で
ある「ホド(壮麗)」と、「マルクト(地)」を結合する。

The Earth is thus connected with that which is the ultimate expression of Binah,
the Will to Form.
「地」は、このようにして、「形の意志」である「ビナー」の究極の表現であるものと
接続される。

It is an activating Path of intellect, while its opposite, THE MOON is a formative
Path of emotion.
それは、知性の活動的「小径」であり、その一方、その反対側である「月」は、感情の
形成的な「小径」である。
--- ここまで ---

「activating/活動的」と「formative/形成的」という用語は、P140の図28で説明が
ありましたので、もう忘れちゃった人は、見直しておいてください。

さて、既に気づいている人もいると思いますが、この「審判」は、「月」とペアになって
いますので、両者を対比させながら考察していくことが、理解の早道である、というか、
「審判」だけを単独で理解することは出来ないということになります。
そしてまた、地上界の我々からすれば、まだ「activating/活動的」の方が理解しやすく、
「formative/形成的」の方は若干理解が難しい概念であるということも、何となく分かる
のではないかと思います。

とはいえ、こういう「対比」が必要な「相対的な概念」が出てくると、てきめんに理解する
ことが難しくなりますし、思考を言語に変換することも困難になってきて、その多くが
辻褄の合わないものになってきますが、まあそういうものだと思っておいてください。
0114名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/03/20(月) 06:43:10.57ID:zztRULgo
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 150) ---
What is shown here as "judgment" is a process undergone by the Personality as it
strives to become conscious of its own inner working.
ここに「審判」として示されるものは、それが、それ自身の内なる働きを意識するように
なろうと努力するときに、「人格」により経験される過程である。

But the judgment is not momentary or limited.
しかし、その審判は、瞬間的でもなく限定的でもない。

It is, as the Thirty Two Paths of Wisdom describes, perpetual.
それは、「知恵の32の小径たち」が述べているように、「絶え間なき」ものである。
--- ここまで ---

「Personality/人格」については、我々は
・「至高の三角形」:「究極の霊的自我」
・「倫理的三角形」:「高次の自我」
・「星幽的三角形」:「人格」
という構造になっていることを知っています。
そして、この「シン/審判の小径」は、「タウ/宇宙の小径」と「コフ/月の小径」と
一緒に、最終的な第四の三つ組を形成しているわけなのですが、それらは、「人格」と、
肉体である「マルクト」を結合する重要な役割を果たしているわけです。
つまり、「内なる気づき」というものが、この三本の小径に秘められているわけです。

とはいえ、この「シン/審判の小径」は、「タウ/宇宙の小径」と比べると、ずっと
分かりにくくなっています。
その原因の一つが、この「perpetual/絶え間なき」という性質にあるわけです。
つまり、地上の空気のように、常に「ある」状態ですので、そもそも、そこに「ある」
ということにも気が付かないわけなんですよね。
結局のところ、地上にいる我々にとって「常にある」ものは、考慮する必要の無いもの
ですので、この時点で思考停止しても、何の問題も無いわけなのです。(ヤル気無し)
0115名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/03/21(火) 06:12:02.90ID:F7AMTpto
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 150) ---
It is the continuous monitoring of the progress of the Personality toward universal
consciousness.
それは、普遍的意識へと向かう「人格」の進歩の、絶え間ない監視である。

That which is deemed unworthy by the angelic powers, invoked by the desire of the
student travelling the Paths, is slowly burned away by the redeeming Fire, a
process which is actually physical.
「小径」を旅している学徒の願望により召喚され、天使の力たちにより価値の無いものと
見なされるものは、実際に物質的な過程である、贖罪の「火」によって、ゆっくりと焼き
払われる。
--- ここまで ---

さて、下界に住む我々とは直接関係の無い、この「perpetual/絶え間なき」ものですが、
どういう場合に関係してくるのかということが、ここに少しだけ述べられています。

まず一つ目のキーワードは、「the Personality toward universal consciousness/
普遍的意識へと向かう人格」であり、まずここで、上を目指す人に限定されます。
つまり、上を目指していない人にとっては、ほぼ関係の無いものであるということです。

二番目のキーワードは、「redeeming Fire, a process which is actually physical/
実際に物質的な過程である、贖罪の火」ということであり、要するに「天罰」みたいな
ものなのですが、これは普通の物理的/精神的な現象、すなわち理論的に説明の付く現象
とは区別が付かないので、実にわかりにくいわけです。
つまり、「desire/願望」を達成しようとするけれども、「天罰」なのか「偶然」なのか
「必然」なのか、よくわかんないけど、失敗するわけなんですよね。
普通の人は、何で失敗したのかが分からないので、そこであきらめてしまうわけですが、
上を目指す人は、そういう失敗を繰り返すことで、その原因を探り、その中に「天使の力
による干渉」というものを見いだして、最後にはそれを理解することができるという流れ
になるわけです。(とても面倒臭いです。)
0116名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/03/22(水) 06:18:44.78ID:KEKtWQpo
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 150) ---
The Golden Dawn text calls this Path the "Splendour of the Material World,"
pointing out the relationship of the Path to the physical body.
ゴールデン・ドーンの教科書は、この「小径」を「物質的世界の壮麗」と呼び、物質的な
肉体についての「小径」の関係を指摘している。

What is shown here is a resurrection, a rebirth.
ここに示されるものは、生き返りであり、生まれ変わることである 。
--- ここまで ---

この「The Golden Dawn text/ゴールデン・ドーンの教科書」というのは、『The Golden
Dawn/黄金の夜明け魔術全書』の「Fourth Knowledge Lecture/第四知識講義」にある、
「Notes on the Tarot/タロットに関する覚書」の「20. Judgement/審判」にある記述
のことです。
ここの記述は、本文中にあるように、「セフィロト」と「小径」の配属物たちの結合で
あり、この「Splendour of the Material World/物質的世界の壮麗」という文言は、
「マルクト」と「ホド」の関係を示しています。
そして、その後に「Mercury acting through Fire upon the Cosmic Elements/宇宙的
元素たちの上の火を通じて作用する水星」という文章が続きます。

まあ、何のことかはよく分からないのですが、ここに示されているものは、「タウ/宇宙」
のカードが示す通常の「誕生と死」ではなくて、「a resurrection, a rebirth/生き返り
であり、生まれ変わり」ということですので、我々のような一般人にとっては、おそらく
ほとんど何の関係も無いと言うことができるかと思います。

まあ、誰もが経験可能な「タウ/宇宙」からは、いきなりハードルが上がっているわけ
なのですが、「マルクト」から「ホド」に至る通常ルートとしては、「タウ/宇宙」と
「レシュ/太陽」があるわけですし、わざわざ困難な脇道を通る必要は無いわけですので、
まあ、「そんな不思議な脇道もあるんだ〜w」的な感じでいいかと思います。
(いまいちヤル気無し)
0117名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/03/23(木) 06:10:15.20ID:FfwnsXOB
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 150) ---
This resurrection is based on the developments of the opposite card to this Path,
THE MOON, and relates to actual physiological changes which occur in the student
as the result of the disciplined quest for a greater reality.
この復活は、この「小径」と反対側のカードである「月」の開発たちに基づいており、
より大きな現実のための統制のとれた探求の結果として、学徒に生じる実際の生理的な
変化たちに関連する。

In other words, the resurrected body is physiologically rebuilt, a process stimulated
by the energies of Qoph, THE MOON.
言い換えれば、復活した身体が生理的に再建されることであり、「コフ」、「月」の精力
たちにより活性化された過程である。

This is what Paul Foster Case describes as the process of building a Master's body.
これは、ポール・フォスター・ケース氏が、マスターの身体を形成している過程として
述べているものである。
--- ここまで ---

この「シン/審判」だけでなく、「コフ/月」や「タウ/宇宙」は、その一方が「マルクト」
に繋がっていますので、それらの働きは、必ず「マルクト」である我々の「body/身体」に
対して、何らかの「physiological changes/生理的な変化たち」をもたらします。
つまり、我々が、我々自身の身体をセンサとして用いることで、これらの「小径」の働きを
「reality/現実」にあるものとして実感することが理論的に可能であるということです。

とはいえ、誰でもが、この「小径」の信号を実感できるということでもないんですよね。
何故かというと、「マルクト」の身体は、「マルクト」内部での働きが最も激しいので、
それら自身が強烈なノイズ源として働いています。
それらの「身体的」なノイズを静めた上で、微弱かつ時間的変化の少ない「上位の小径」
からの信号を拾い出せるようになるには、相当な訓練とそれなりの勉強が必要になります。
まあ、そういうわけですので、一般の人は、あまり関わらない方がいい領域だと思います。
0119名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/03/24(金) 06:13:17.47ID:CiZ/LpnR
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 150) ---
This is also a Path where the components of the Personality first encountered in
THE UNIVERSE, are critically analyzed and evaluated (judged).
これはまた、「宇宙」において最初に遭遇する「人格」の構成要素たちが、批判的に分析
され評価される (審判される)ところの「小径」である。

It is the bright and fiery probationary path of the intellect, as THE MOON is
the dark, cold and watery probationary Path of the emotions.
「月」が、感情たちの暗くて冷たくて水のような試用の「小径」であるのと同じように、
それは、知性の明るくて火のような試用の小径である。
--- ここまで ---

「シン/審判」と「コフ/月」の「小径」は、割と素直で親しみやすい「タウ/宇宙」とは
違って、実に厄介でややこしいので、あまり近づきたくはない場所です。

なぜなら、そこは、我々の「人格」が試される場所であり、どちらかというと、かなり
ネガティブな場所というか、突破すること自体が困難な場所なんですよね。
というか、ほとんどの人は、その入り口で拒絶されてしまうような場所です。

なんでそうなるかと言うと、生身の人間が、「肉体」を携えたままで、そこに進入する
ことが難しいという面があり、何か特別なことをしておかないと、すんなりと入り口を
通してくれないわけです。
運良く中に入れたとしても、「タウ/宇宙」と違って、そこは決して心地よい場所でも
ありませんので、あまり好んで行きたいという場所でもありません。
とはいえ、上位世界を目指す人にとっては、「シン/審判」と「コフ/月」の小径は、
ある程度は理解しておく必要のある必修科目でもあるわけですので、なかなか悩ましい
ところではあります。
まあ、ワタシみたいに、上位世界を目指さない人であれば、うわべだけの知識で、お茶を
濁しておくのが、良いかと思います。(全くヤル気なしw)
0120名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/03/25(土) 07:33:08.76ID:OrjoGevi
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 150) ---
These are Paths introductory to the true nature of the Self in incarnation and can
thus be extremely difficult.
これらは、肉体化の内にある「自我」の真実の本質への入門的な「小径たち」であり、
従って、極めて難しいものであるかもしれない。

In fact all of the Elemental Paths (THE FOOL, THE HANGED MAN, JUDGMENT) are
difficult to understand.
実のところ、「元素の小径たち」(「愚者」、「吊られた男」、「審判」)の全ては、
理解することが難しい。
--- ここまで ---

「マルクト」から上位世界へと上昇する最も最適な「小径」は「タウ/宇宙」であり、
「シン/審判」と「コフ/月」は、どちらかというと補助的な役割を果たします。
さらに言うと、「タウ/宇宙」が階段付きの坂道であるとすると、「シン/審判」は
崖であり、「コフ/月」に至っては、ゴールが全く見えないものとなります。

とりあえず、話を「シン/審判の小径」に戻しますが、これは「マルクト」という「地」
の「セフィロト」と、「ホド」という「水」の「セフィロト」を繋ぐ、「火」の元素の
「小径」ということになりますが、ここでも話がややこしさを増しています。

つまり、「セフィロト」の「四大元素」と、「小径」の「元素」って、実は似て非なる
ものであって、そもそも「小径」の「元素」は、もはや「元素」とは呼べないような、
わけわからないシロモノでもあるわけです。
この点を勘違いして、脳内で勝手に「火」や「水」や「空気」、それも自己の経験から
来るものをイメージしてしまう人も少なからずいるわけですが、それは愚かな勘違いと
いうか、せいぜい小ネタのレベルの話としておくものだと思います。

そして、カバラにおける大アルカナの象徴は、極限まで「抽象化」されているので、
普通には理解することが難しいものであることを、再確認しておいてください。
0121名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/03/26(日) 07:03:08.80ID:vq2GZ4Tp
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 150) ---
The problem arises partly in that on each of these Paths all of the Elements are
present, in either expressed or unexpressed form.
問題は、そのことが、これらの「元素たち」の全ての「小径たち」の各々において、表現
されるか表現されないかのいずれかの形で、存在している状態において、部分的に発生する。

We shall return to this concept.
我々は、この概念に戻ろう。
--- ここまで ---

まあ要するに、「小径」における「元素」って、マジでよくわかんないシロモノであると
いうことなんですよね。

そもそも、この大アルカナに相当する「22の小径」に、ヘブライ文字を配属させる際に、
・3母字=「空気」「水」「火」の3つの元素
・7複字=七惑星
・12単字=黄道十二宮
ということで、「四大元素」のうちの3つしか使っていないわけです。
つまり、理論上明らかに「欠陥」があるというか、無理矢理感がハンパないわけです。

この全ての原因は、この「3母字」に対して、「四大元素」のうち「3つの元素」のみを
割り当てているという違和感にあるわけですが、これは言い換えると、
『3母字に配属されている「空気」「水」「火」は、「四大元素」のものではない』
ということをしっかりと理解しておけば、割とすんなりと解決できるわけです。

つまりは、「セフィロト」という下位世界における「四大元素」の「火」「水」「空気」
「地」という概念と、「小径」という上位世界における「元素」の「空気」「水」「火」
という概念は、直接的な結びつきは全く無いということであり、もし結び付けて考える
のであれば、あくまでも「象徴」という高度の抽象化を施した上で語る必要があるという
ことなのです。(ミソとクソの類似性を語るようなものですかね。w)
0122名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/03/27(月) 06:20:11.29ID:nvCUZqLu
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 150) ---
First, let us consider the pattern of the Maternals.
まず最初に、「母字たち」の様式を考察しよう。

The Sepher Yetzirah states that Air produces Water which produces Fire.
「セフェル・イェツィラー」は、「空気」が「水」を産み出し、それ(水)は「火」を
産み出すと述べる。

THE FOOL is pure Air, THE HANGED MAN is Air acted upon by Water, JUDGMENT is Air
and Water acted upon by Fire within the vehicle of Earth (the crucible which,
in Spiritual Alchemy, is our own body).
「愚者」は純粋な「空気」であり、「吊られた男」は、「水」に作用される「空気」で
あり、「審判」は、「地」の乗り物(「るつぼ」、それは、「霊的錬金術」において、
私達自身の体である)の内の、「火」により作用される「空気」と「水」である。
--- ここまで ---

『The Sepher Yetzirah/セフェル・イェツィラー(形成の書)』の第一章によると、
神は「霊」から「空気」を作り、その「空気」から22の文字を作り、そして「空気」から
「(原初の)水」を作り、そして「水」から「火」を作ったというように書かれています。
つまり、最初の「空気」から、「3つの母字」が作られているわけであって、「アレフ
(空気)」から「メム(水)」が作られ、そして「メム(水)」から「シン(火)」が
作られているということを、必ずしも意味していないということです。

つまり、『セフェル・イェツィラー』の第一章に書かれている「空気」「水」「火」の
三つの元素は、「アレフ(空気)」「メム(水)」シン(火)」というヘブライ文字の
「母字の小径」よりも上位のレベルにあるということを、理解しておく必要があります。

同じ用語が、違うレベルで使われているのは、ちとややこしいのですが、カバラを理解
するには、この「レベルの違い」をしっかりと把握しておくことが必要です。
そうしないと、ミソとクソを混合してしまって、使いモノにならなくなりますので。
0123名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/03/28(火) 06:27:18.71ID:YqIzYQBR
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 150) ---
The Golden Dawn and Waite cards picture Air above, with Water between two sections
of Earth.
ゴールデン・ドーンとウェイト氏のカードたちは、「空気」を上に、「地」の2つの区域たち
の間の「水」とともに描く。

It is understood that the Air, Water and Earth are being heated and activated
by the Fire.
「空気」、「水」、および「地」が、「火」により熱せられて、作動していることが
理解される。

There are no flames here, for the action is a slow and steady (perpetual) one
brought about by the Archangel.
その活動は、「大天使」によりもたらされた、ゆっくりと安定した(絶え間ない)もので
あるので、ここには炎たちが全く無い。
--- ここまで ---

『The Sepher Yetzirah/セフェル・イェツィラー(形成の書)』の第一章によると、
神は「霊」から「空気」を作り、次に「水」を作り、さらに「地(土)」を作り、最後に
「火」を作ったというように書かれています。

ゴールデン・ドーン版とウェイト版のカードには、さすがに「神の霊」は描かれていま
せんが、それ以外のものが、「セフェル・イェツィラー」の記述通りに描かれていると
いうことですよね。
つまり、この「大天使」は「火」を象徴するものあり、そのラッパから吹き出している
ものは、「空気」「水」「地」を活性化させる「火のエネルギー」ということになります。

とはいえ、この「大天使」によりもたらされる「火のエネルギー」は、「slow and steady
(perpetual)/ ゆっくりと安定した(絶え間ない)」ものであるために、地上世界にいる
我々が、その普遍的な存在を知覚することは、とても困難なことなのです。
0124名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/03/29(水) 06:05:11.36ID:KYqn66ju
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 151) ---
This effect is on the component dualities of the individual, which are symbolized
by Fire and Water: Mind-consciousness (Water) is activated by the Dynamic Principle
(Fire) in the presence of the equilibriating Spirit (Air) within the physical vehicle
(Earth).
この効果は、個人の構成要素の二重性にあり、それは「火」と「水」により象徴される:
「精神の意識(水)」は、肉体的な乗り物(「地」)の内にある、釣り合わせる「霊(空気)」
の存在の中で、「動的な原則(火)」によって作動する。

The Path of JUDGMENT is, therefore, aimed at producing a balance within the individual,
necessary for a total understanding of the Personality structure and its relationship
to the greater universe.
「審判」の「小径」は、それゆえ、「人格」の構造と、より大きな宇宙とのその関係の、
全体的な理解にとって必要な、個人の内にある平衡を生み出すことに向けられる。
--- ここまで ---

「equilibriating」は、「equilibrating/釣り合わせる」の誤植です。

さて、ここでは「火」と「水」のバランスというものが大事であり、そして「地」と
「空気」の関係についても述べられています。

すなわち、「火」である「審判」と、「水」である「月」、そして「地」の「マルクト」と
「空気」である「イェソド」を結ぶ「宇宙」との関連性について、しっかりと考察して
いきましょうということですよね。

とはいえ、「生命の木」のような、複雑なネットワークを組むものは、その構成要素
だけを見ても、何のことかわからないことが多くて、その傾向は、「セフィロト」よりも
「小径」の方が強く出て来ています。
それゆえ、「小アルカナ」以上に「大アルカナ」は複雑怪奇となっているわけですので、
ワタシみたいに頭の良くない人は、この辺りで早々にリタイアした方が賢明かと思います。
0125名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/03/30(木) 06:16:00.19ID:FT+Ao4H9
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 151) ---
But to say that "balance" is produced on this Path raises a question.
しかし、「平衡」がこの「小径」の上で生み出されると言うことは、疑問を引き起こす。

One might well ask how it is possible for there to be balance in any Path which
is not on the Middle Pillar.
人は、「中央の柱」の上にない何かの「小径」の中に平衡があることがどのようにして
可能であるかを尋ねるであろう。

The answer is found in the idea that every symbol is a duality, containing its
own opposite.
その答えは、「全ての象徴は二重性であり、それ自身の反対物を含む」という考え方の
中に見つけられる。
--- ここまで ---

ワタシは、「平衡」が「中央の柱」の上にのみ存在すると考えたことは無いのですが、
頭の固い人の中には、「中央の柱」が全体のバランスを取る支柱になっているので、
そういうふうに考える人もいるかもしれないということですよね。

とはいえ、「大アルカナ」のカードの「生命の木」の配属を見てもわかるように、「平衡」
という概念は、「中央の柱」のみにあるわけでもなく、あちこちに見ることが出来ます。
つまり、それぞれの「小径」の中には、「平衡」の概念が常に含まれているということで
あり、言い換えれば、全ての「小径」の中には「陰と陽の二重性の概念」が基本要素として
組み込まれていると言うことができます。

このことは、カードの「正位置」と「逆位置」の読み方にも関係してきます。
つまり、「正位置」はバランスが取れた状態であり、「逆位置」はバランスが崩れた状態
であると見る方法ですよね。
まあ、「大アルカナ」って、ロクに読めないシロモノですので、どう解釈するかは各自の
自由なのですが、とりあえず、解釈する時のネタにしてもらえればと思います。
0126名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/03/31(金) 06:44:13.23ID:32upU156
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 151) ---
As with the flashing colors, a symbol is only functional insofar as it is a
self-contained balance of two extremes.
点滅する色たちと同様に、象徴は、それが2つの両極端のものたちの自己完結型の平衡で
ある限りにおいて、ただ機能的であるだけである。

To extend this principle to the Paths, we see that each Path must contain the
essential components of its opposite Path.
この原則を「小径」に拡張することで、我々は、各々の「小径」は、その反対側にある
「小径」の本質的な構成要素たちを含んでなければならないことがわかる。

Here we may return to the example of Hod and Netzach, which relate to JUDGMENT
and THE MOON respectively.
ここで、我々は、「審判」と「月」にそれぞれ関連する、「ホド」と「ネツァク」の例に
戻ってもよい。
--- ここまで ---

基本的に、「生命の木」というものは、宗教的な崇拝の対象ではなく、あくまでも数々の
思考実験のためにあるアブノーマル、いやいやユニバーサルな「象徴体系」であって、
そういう意味では、これは「functional/機能的」であり、実用性の高いものです。
つまり、使えそうな原則があれば、とりあえず色々なところに適用してみてから考える
という、行き当たりばったり、いやいや前向きにチャレンジする姿勢は大事なのです。

とはいえ、万能である「生命の木」って、言ってみれば「何でもあり」の世界ですので、
それが生み出す大量のゴミの山の中から、真に役立つものを探し当てるというのは、
なかなかに至難の技であって、それゆえ誰もが簡単に使えるというものでもありません。

つまり、「大アルカナ」の世界は、あらゆる「原則」を適用することで、我々から見れば
「何でもあり」な解釈が出来るものであるので、実はとても厄介なシロモノです。
まあ、「何でも直観で読む」人にとっては、どうでもいいことなんでしょうけどね。
0127名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/04/01(土) 08:06:14.65ID:kJScHRjq
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 151) ---
Intellect applied without feeling is as pathological as feeling applied without
intellect.
感情を持たずに適用された知性は、知性を持たずに適用された感情と同じくらい病的である。

When we travel the Path of JUDGMENT we learn the lessons of THE MOON.
我々が「審判」の「小径」を旅する時には、我々は「月」の学課たちを学ぶ。

And, taken to the most refined aspect of the Tree of Life, when we travel the Path
of THE MAGICIAN, we learn the lessons of THE FOOL.
そして、「生命の木」の中で最も精錬された様相へと運ばれる、我々が「魔術師」の「小径」
を旅する時には、我々は「愚者」の学課たちを学ぶ。
--- ここまで ---

なんかもう、色々と話が膨らみますが、これも「生命の木」の持つ、何でもありというか、
いやいや、普遍性が高く万能的な性質を生み出す重要な特徴なのです。

「生命の木」は、数々の「対となるもの」、もしくは「組となるもの」を、その単純とも
思える構造の中に内包しています。
そして、この「組み合わせ」こそが、この宇宙の原理である「生命の木」の謎を解く鍵と
なるわけです。(まあ、我々のような一般人には、無縁のものではありますが。)

ちなみに、タロット占いにおいては、この「大アルカナ」は、基本的には、物事たちの
「関係性」を表すものとなり、何か特定の事象を意味しているわけではありません。
つまり、占いの上では、「単独では説明できないもの」ですので、特定事象を表す名詞
ではなく、形容詞、副詞もしくは助動詞みたいな働きをするような感じになります。
要するに、名詞という事象を、どう構造として組み立てていくかという「設計図」みたい
な働きをするものという感じですかね。
タロット占いをやるからには、とりあえず、ミソとクソの違い、いやいや「大アルカナ」
と「小アルカナ」の違いぐらいは分かるようになってほしいと思うわけです。
0128名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/04/02(日) 06:04:16.48ID:VlZgFiN7
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 151) ---
Such cards are antithetical, but mutually explanatory.
そのようにカードたちは正反対ではあるけれども、お互いに説明的である。

It is not possible to deal with any card without its opposite energy being present.
どんなカードであれ、その反対側の精力の存在なしには論ずることはできない。

And since the cards represent types of consciousness, it can be said that everything
which we experience, every idea, every activity, co-exists in us with its opposite.
そして、カードたちが意識の様式たちを表しているので、我々が経験する全てのもの、
全ての考え方、全ての活動は、その反対のものと我々の中で共存していると言われる
ことができる。
--- ここまで ---

「生命の木」においては、「右側」「左側」そして「中央」というのが、基本構造と
なっているため、常に、これらの組み合わせで論じることが必要とされます。
つまり、単独で部分的に論じてみても、本当の理解には繋がらないということです。
特に「小径」では、その傾向が強く出てきますので、そういう意味では、とても面倒臭い
というか、物事を単純に捉えがちの人にとっては、とてもハードルが高くなります。

あと、「大アルカナ」は、「consciousness/意識」そのものではなくて、「types of
consciousness/意識の様式たち」、すなわち抽象化された上位概念を表していること
にも注意が必要です。
要するに、「大アルカナ」って、何を言いたいのか、よくわからないということです。

何を言いたいのかというと、この世の全てのものは「多面的」であり、多面的な思考を
持たないことには、「カバラ」の世界は何一つ理解することは出来ないということです。
そういう意味からも、いわゆる「○○○タロット占い」というものは、しょせん「カバラ」
とは無縁のものであり、全く別物と考えておいた方がいいということですよね。
0129名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/04/03(月) 06:07:52.50ID:Q/9hy0Ma
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 151) ---
Such lessons on the Paths are extremely practical, although this cannot be obvious
as one begins to juggle the slippery concepts related to the four symbolic Elements.
そのような「小径」の学課たちは、極めて実用的である、とはいえ、4つの象徴的な
「元素たち」と関連した滑りやすい概念たちを欺き始めるので、これは明らかになる
ことはできないけれども。
--- ここまで ---

「slippery concepts/滑りやすい概念たち」というのは、極めて不安定な状態であって、
見たままとか、感じたままのものを信用すると、ロクなことにならないということです。

とはいえ、研究者のように、その裏に隠された真の概念を理解しようとするのではなく、
我々のように、とりあえず現世において何らかのネタとして使えればいいと考えている
一般の人々にとっては、この「lessons on the Paths/小径たちの学課たち」というのは、
それなりに使えるということです。

要するに、ある程度の勘違いを含んで、というか、ウソも方便、というか、まあ他人に
対して何かアドバイスをしようとする時って、ある程度まで話を盛ることって、ままあり
ますよね。
そう、「大アルカナ」の占いって、正直に「カードを読む」というよりも、むしろ様々な
レベルでの「妄想」を膨らませるという方向に働くわけです。

そして、そういうふうに、話のストーリーをデッチ上げる、という作業においては、この
「小径の学課」、すなわち「大アルカナの勉強」って、それなりに役に立つというか、
ストーリーを膨らませるには、実に使いやすいものなわけです。

もちろん、そういう「大アメカナ」による「占い」の実用性は、本来の「カバラ」とは
無縁のものなのですが、そういう面での実用性はあるよ、ということですよね。
我々のような下々の者にとっては、使えてナンボですので、こういった低俗なる姿勢は、
ある程度までは保っておきたいわけなのです。(言い訳w)
0130名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/04/04(火) 06:30:05.42ID:jMMLXHgg
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 151) ---
On the other hand, the pictures on the cards bear a strong relationship to the
visual experience of the Paths, and a great deal can be learned by meditation
on them.
その一方で、カードたちの絵たちは、「小径たち」の視覚的体験と強い関係を持ち、
そして多くのものは、それらの瞑想により学ばれることができる。

Path images are archetypal representations of actual inner roads built through
centuries of mind work by the most advanced men and women of all ages.
「小径」の映像たちは、あらゆる年代の最も上級の男女の人々により、何世紀にも渡る
精神的作業を通じて築かれた、実際の内なる道たちの原型的な表現たちである。

These images are largely constructs built to assist us by those who have gone
before.
これらの映像たちは、前に行ったことがある人々によって、我々を支援するために
築かれた、大量の構成概念たちである。
--- ここまで ---

「大アルカナ」のタイトルや象徴的な絵は、その取り扱いに最新の注意が必要です。
なぜならそれは、「archetypal representations of actual inner roads/内なる道たち
の原型的な表現たち」であって、「小アルカナ」と同じように、見たままで解釈しては
ならないシロモノであるからです。

そもそも、「大アルカナ」は、いわゆる「上級者」の、「上級者」による、「上級者」の
ために作られたカードですので、我々のような「下々の者たち」が、そう簡単には理解
できたり、使いこなせるようになるというものでもありません。

とりあえず、焦らず、あわてず、じっくりと時間をかけて勉強を進め、自分自身の「内なる
世界」に取り込み、そして、いつか先人たちが築いてきた、真の「内なる道たち」を歩いて
いけるようになる日が来るようにと願うわけです。(たぶん、来ないと思うけどww)
0131名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/04/06(木) 06:09:57.51ID:lopulIu9
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 151) ---
It is in this that many falter, believing the construct (the concretized symbol
on the astral plane) to have a reality of its own.
それ自身の真実を持つために、構成概念(星幽面の上の、具体化された象徴)を信じて
いる、多くの者たちのためらいは、この中にある。

It is only beyond the lower astral that one touches upon the realities which
activate the symbols.
人が、象徴たちを作動させる真実たちに触れることは、より下層の星幽界を越えたところ
にある。
--- ここまで ---

「小径の映像たち」、すなわち「大アルカナ」の絵や、そこから導かれるイメージは、
ほとんどの一般人にとっては、星幽界での出来事であり、しょせん、平常運転の妄想の
範囲内のものでしかありません。
つまり、想像上で「見えた!」といったところで、それはあくまでも、そうカキコした
人の真実であって、実際にアニメーターがそれを描き込んだわけではないわけですし、
絵コンテにそれが書かれているものでもないですし、ましてや監督が、それが見えるように
描けと指示したということでもないわけです。

それはともかく、そういう物語性というか教育性の高い映像作品って、それを受け取る
人々が、本当に発信したいものを理解していくのって、なかなかに難しいことです。
受け手である一般大衆は、それぞれに「自己的な真実」、つまり自分自身の尺度を持って
いるのですが、それらの多くは、見せかけの美しさとか、見せかけの感動、すなわち
「the lower astral/より下層の星幽界」に属するものであって、物語の奥に込められた
「送り手が伝えたい真実」にまで到達できる人は、ごくごく限られてきます。

ましてや、商業オカルティストによる低俗解釈の作品が大量生産されている「神秘世界」
の話になってくると、もう何が何やらわけわからないものばっかりですので、本当に神秘
に興味のある人は、逆に近づかない方がいいということになるわけなんですよね。
0132名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/04/06(木) 06:12:01.64ID:lopulIu9
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 151) ---
We may step onto the JUDGMENT Path and experience initially what is shown in the
Tarot card.
我々は、「審判の小径」に踏み込み、そして、「タロット」カードの中に示されている
ものを最初に経験するかもしれない。

Yet beyond these visual constructs, we come to understand that the Path is the
ennervating, activating effect of the cosmic motive principle on the individual
consciousness: the Fiery Spirit permeates the Personality consciousness in the
descent of energy into matter.
さらに、これらの視覚的な構成概念を越えて、我々は、「小径」が、個人の意識の上の
宇宙の原動力の原則の、衰弱化や活性化の効果であることを理解するようになる:
「火の霊」は精力の下降において物質中にある、「人格」の意識に浸透する。
--- ここまで ---

最も下層の「タウ/宇宙」の「小径」では、まだ半分ほど物質世界の影響が残っており、
それを完全に払拭することは出来ませんので、逆に中途半端な我々にとっては、それを
理解することは、そう難しくはありませんでしたが、「シン/審判」に至っては、もう
そういった物質的な甘えは、全く許されなくなります。

つまり、物質的なもの、そして属人的というか個人的なもの、つまり我々自身の肉体と
精神を、全部ここで脱ぎ去っておかないと、ここから先の「小径」は通れないことに
なっているわけです。
そして、「具体的」な個人という存在を超越した、「普遍的」な抽象概念、すなわち肉体や
精神を持たない、純粋なる「霊」への変身を強要されるということなんですよね。
まあ、アニメの登場人物ならともかく、普通の生身の人間であれば、そんなことは絶対に
不可能ですので、あくまでも、この考え自体が「抽象的な概念」となっているわけです。

ちなみに、こういう「高度に抽象化された概念」を言葉で説明するのって、難しいです。
星幽界レベルでの妄想程度では、到底理解不能な概念ですからね。
0133名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/04/07(金) 06:01:38.30ID:J8DQZNln
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 151) ---
In the purposeful ascent of the Path of Shin the last illusions of the separateness
of the Personality are burned away.
「シン」の「小径」の意図的な上昇の中で、「人格」の個別性の最後の幻想が焼き払われる。
--- ここまで ---

まあ、「生命の木」においては、「幻想が許されるのは『イェソド』までだよねー」と
いう、暗黙のお約束がありますので、上位にある「ホド」へと至る前に、「最後の晩餐」
みたいな感じで、我々の「最後の幻想」は、この「シン/審判の小径」の中で、終わりを
宣告されるわけです。

つまり、そういった「幻想」を抱いたままで、この「小径」を通ろうとしても、それは
無理な話であるということであり、それはつまり、我々のような妄想の固まりのような
人間は、絶対に通過することができないシロモノ、つまり我々にとっては関係無いもので
あるという結論にもなるわけです。

え、そんなにあっさりとあきらめてしまっていいのかって?

まあ、努力して何とかなるものであれば努力してもいいのですが、失うものが多すぎる
のと、それによって得るものが未知数ですので、できればそういう無駄なチャレンジは
したくないというのが、本音なのです。

というわけで、ここから先は、ほぼ傍観者モードというか、無責任な話に終始していく
ことになりそうですので、真面目にチャレンジしようとしている人は、早めに脱落して
もらった方がいいかな、と思うのでした。

いずれにしても、ここから先は、「人格」のうち、個性的な部分の大くは削ぎ落とされ、
純粋で普遍的な部分が抽出されていきますので、そういうのも、何かこう面白く無いん
ですよね。
やっぱりワタシは、俗物っぽくてキラキラした「タウ/宇宙の小径」の方が好きです。w
0134名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/04/08(土) 06:58:40.72ID:0GdiVzUb
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 151) ---
To reiterate the Qabalistic symbolism: Shin contains all four Elements: Fire, Water,
Air and Earth.
カバラ主義の象徴主義を繰り返して言えば:「シン」は、全ての4つの「元素たち」を含む:
「火」、「水」、「空気」、および「地」。

This concept may be explained developmentally: The evolution of the cosmos is from
the most simple to the most complex.
この概念は発達的に説明されるかもしれない:宇宙の進化は、最も簡単なものから最も複雑
なものになる 。

It goes from nothing to something.
それは、何も無いものから、何かあるものへと向かう。
--- ここまで ---

「シン/審判」が、「四大元素」の全てを含むという理論が、どこから来ているのかは、
いまいち良くわかりませんが、強いていえば、おそらく「カバラは何でもあり」という
ところから来ているのではないかと思います。

そもそも、下層の「セフィロト」における関連性によれば、
・「タウ/宇宙」=「イェソド:空気」と「マルクト:地」を繋ぐ「小径」
・「シン/審判」=「ホド:水」と「マルクト:地」を繋ぐ「小径」
・「コフ/月」=「ネツァク:火」と「マルクト:地」を繋ぐ「小径」
という役割分担がありますので、あまり一人じめするのは良くないと思いますし、そもそも
我々にとっての宇宙創造の過程というのは、「タウ/宇宙」の「小径」が担っています。

つまり、「シン/審判」は、「タウ/宇宙」の目に見える「物質的/実数的な宇宙創造」の
過程の前にある、我々にとっては決して見えることのない「精霊的/虚数的な宇宙創造」の
過程を受け持つという、雲の上の話に持ち込むしかないわけですよね。
まあ、どうせ見えない世界の話ですので、どうでもいいことですけど。
0135名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/04/09(日) 07:00:33.65ID:Qcmf7H0v
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 151) ---
This is (applying the principle of "As Above, so Below") a process not dissimilar
to that of the Zygote, which begins as a single cell, is fertilized and grows
into a living human organism.
これは、(「上の如く、下も然り」の原則を適用することで)、たった一つの細胞として
始まり、受精して、生きた人の有機体に成長する「受精卵」のそれに、似ていなくはない
過程となる。
--- ここまで ---

勘違いしてほしくないので、最初に言っておきます。

この例え話は、あくまでも「上の如く、下も然り」という「何でもありの原則」もしくは
「ミソクソの原則」を適用した話ですので、くれぐれも同一視しないようにお願いします。

レベルの低い人って、こういう例え話を誤解して、すごく低レベルの話として理解して
しまいがちですので、ここでは、そういう意味で話を出しているわけではなくて、ただ
単に、「全くレベルが違うんだけど、今はこの程度の例え話しか出来ないので、そこを
きちんと理解しておいてから聞いてほしい」ということです。
そういう心構えが無いと、せっかくここでは「大アルカナ」の話をしているのに、いつの
まにか「小アルカナ」のレベルの話にオチてしまいます。

とはいえ、やっかいなのは、我々のようなレベルの低い人間って、本当の「大アルカナ」
のレベルでの理解って、実はほとんど不可能に近いのです。
つまり、我々には出来ないことをやらされるわけですので、はっきり言って無理ですし、
少なくともワタシは、そういう意味の無いことにはチャレンジしたくはありません、

じゃあ、どうしたいのかと言うと、もう真の「大アルカナ」のレベルの話はあきらめて、
より低俗で理解可能なレベルの話までオチてしまおうというのが、ワタシの結論なのです。
ということで、ここから先はもう「大アルカナ」のレベルでの話ではなくなりますので、
低レベルの話が気に入らない人は、さっさと退散してくださいね。(完全な開き直りww)
0136名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/04/10(月) 06:04:10.16ID:fU+BwWBg
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 152) ---
The cells of the Zygote multiply over and over again until they are a body which
is the receptacle of the Holy Spirit on this earth.
「受精卵」の細胞たちは、それらが、この地上にある「聖霊」の受け口である身体になる
まで、何度も何度も繰り返し増殖する。

At any stage of development, from the single fertilized cell, to the finished
product, the whole is implicit in the developing parts.
たった一つの受精した細胞から完成した製品となるまでの、発達のどのような段階でも、
統一体は発達している部分たちの中に、暗に含まれている。

Thus does the One grow to the ten or ten thousand or ten billion uncountable mind
cells which form the corpus of the universe.
このように、「一つのもの」は、宇宙の集成体を形成する、10や1万や100億の数えきれない
精神細胞たちに成長する。
--- ここまで ---

最初の話は、「単一の受精卵」が「人間全体を構成する無数の細胞の集まり」となる、
「人間の発生」という科学的な記述となっている部分です。
一方で、後の話は、「One/唯一のもの」が、宇宙の精神の構成要素である「uncountable
mind/不可算の精神たち」になるというものであり、ここに「上の如く、下も然り」の
「何でもありの原則」が適用されています。

こういう「理論的飛躍」は、あくまでもそれが「メタ的な象徴」であるという理解の上で
使用されるべきものであり、実際の適用においては、ある程度の「根拠」が必要とされます。
つまり、「これこれこういう然るべき理由があるので、これを適用することが可能となる」
ということを、常に心がけておく必要があります。
そうでないと、「根の葉も無いタワゴト」になるわけですし、少なくとも自分の中では
それなりに納得できるだけの理由を見つけ出しておくことと、それを理解できるだけの
知識を身に着けておくということが必要となってくるわけです。
0137名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/04/11(火) 06:13:20.99ID:zAjoFeKU
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 152) ---
The ultimate simplicity is THE FOOL, and the ultimate complexity is THE UNIVERSE.
究極の単純さは「愚者」であり、究極の複雑さは「宇宙」である。

But THE UNIVERSE and all the other cards are implicit, unexpressed, in THE FOOL.
しかし、「宇宙」と全ての他のカードたちは、発現されていないものの、「愚者」の中に、
暗に含まれている。

Thus, with the cards in between, we find different stages of that which is
expressed and unexpressed.
したがって、その間にあるカードたちとともに、我々は、表現された、そして表現されて
いない、それの種々の段階たちを見つける。
--- ここまで ---

「小アルカナ」の「セフィロト」は、「ケテル」の単純さから始まり、「マルクト」の
複雑さで終わるというのは確かですし、「ケテル」の中には、他の全ての「セフィロト」が
暗に含まれているのも確かなのですが、「大アルカナ」の「小径たち」は、「愚者」が
単純で「宇宙」が複雑であるとは、そう簡単には言い切れないとは思うのです。

そして、そういう「セフィロト」の各段階に働きかけて、何かを発現させていくという
働きが、この「大アルカナ」の「小径たち」にあるというのは確かなのですが、そういう
明確な「stages/段階たち」というのは、本来は各「セフィラ」の役割ではないのかな、
とも思うのでした。

つまり、ここの文章には、ワタシ的には、少々違和感を感じます。、

実のところ、「大アルカナ」の「小径たち」って、抽象的すぎて、どこかの段階で固定的
に存在して作用しているという感じも無いんですよね。
ありとあらゆる段階において発現し、必要に応じて作用するけれども、ある特定の状況や
段階においては、より強く働くように見えているというような感じです。
0138名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/04/12(水) 06:10:19.13ID:q6DUE7Sg
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 152) ---
Given any specific card on the Tree, the energy of all the cards above it are
expressed while the energies of those cards below it are present but unexpressed.
「木」の上のいずれかの特定のカードを考慮すると、それの上位の全てのカードたちの
精力は発現されているとはいえ、それの下位のそれらのカードたちの精力たちは存在する
けれども発現されていない。

Each defines a stage of development.
各々は、発達の一つの段階を定義している。
--- ここまで ---

最初に翻訳文の訂正です。
前レス(>>137)の最後の翻訳文の「expressed and unexpressed/表現された、そして表現
されていない」を、「発現された、そして発現されていない」に修正しておいてください。

さて、前レスでも述べたのですが、ここの文章も、ワタシ的には、少々違和感を感じます。、
これは、「セフィロト」のことを述べていて、「小径たち」のこととは違うのではないかと。

ワタシの考え方は、「小径」とは、例えて言えば、宇宙の法則や原理であり、変換関数
であり、触媒や酵素やフィルタであり、加工工場である、というイメージになります。
つまり、前段階の「セフィラ」から、ある特定の原材料を入荷し、それを加工し、製品と
して、発達的に次段階の「セフィラ」へと出荷するという感じなのです。

さらに、「小径」の変換機能の定義は、極めて抽象的になっているので、何らかの特定の
変換機能が特定の「小径」に実装されているということにはならなくて、その前後の流れ
の中で、かなり流動的に「小径」の変換機能が発現してくるということになります。

つまり、ワタシの中では、この文章の「上位のカードは発現しているけれども、下位は
発現していない」ではなくて、「全てのカードは、状況により、かなり柔軟に変換機能
を発現できる」という、さらに曖昧というか、やっかいなものになっているわけです。
0139名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/04/13(木) 06:11:16.59ID:KP427AR9
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 152) ---
And, using this logic, it may be appreciated that in THE FOOL Air is expressed,
while Water and Fire are implicit.
そして、この論理を使うことで、「愚者」の中では「空気」が発現され、その一方、
「水」と「火」は暗に含まれることが、理解されるかもしれない。

In THE HANGED MAN Air and Water are expressed and Fire is implicit.
「吊られた男」の中では「空気」と「水」が発現され、「火」は暗に含まれる。

When we come to JUDGMENT we again find Air and Water expressed, now set in motion
by the full expression of Fire.
我々が「審判」に来る時に、我々はさらに、「空気」と「水」が発現され、そして今、
「火」の完全な発現により発動されるのを見い出す。
--- ここまで ---

このストーリーは、『セフェル・イェツィラー(形成の書)』に書かれているものです
ので、正直言って、ここで言う「logic/論理」や「理屈」は、全てが後付けです。
つまり、「なぜそうなるの?」などという詮索は、無意味であり無用です。

我々が出来るのは、この極めて抽象的な原則が、何に適用できるのか、何に応用できる
のか、つまり、例えて言えば何なのか、ということを考えることぐらいですかね。

とはいえ、ここで言う「母字」の「空気」や「水」や「火」自体が、極めて抽象的な事象
というか、具体的な何かというものでもありませんので、なかなかに厄介です。
要するに、自由度が高すぎる原理や原則って、シロウトにとっては「使いモノにならない」
というか、すこぶるどうでもいいものばかりなのですよね。

結果的には、この「母字」のグループである「愚者」、「吊られた男」、「審判」は、
修行の足りない我々にとっては、「よくわからないもの」という結論に至るわけです。
え、ヤル気なさ過ぎですか?
0140名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/04/14(金) 06:11:02.20ID:g/oG/NoV
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 152) ---
Here it must be repeated that these patterns will be utterly meaningless until a
real understanding of that which is symbolized by the various "Elements" emerges.
ここで、これらの様式たちは、様々な「元素たち」の出現により象徴されるものを真に理解
するまでは、全く意味の無いものであろうということを、繰り返して言われなければならない。

Every Qabalistic symbol relates to some specific part of the Self, the Tarot Keys
being very precise definitions of parts of the human whole.
あらゆる「カバラ主義」の象徴は、「自己」の、ある特定の部分、すなわち、統一体としての
人間の部分たちの非常に精密な定義たちである「タロットの大アルカナたち」に関連している。
--- ここまで ---

まあ、ここで「様々な元素たちの出現により象徴されるもの」を真に理解するという前提が
付いた時点で、もう無理なことは確定しましたので、これ以上の言及は避けようと思います。

さて、それに続いて、「大アルカナ」のそれぞれが、人体の部分を象徴しているという記述
が出てきます。
これは、「生命の木」の各部が、人体の各部に対応しているという前提から、必然的に
導かれる理屈でもあります。
関係ないけど、人体の出現、端的に言うと出産のシーンでは、人は頭から生まれ出てくる
のが普通であって、「逆子の出産」というのは、カバラ主義的に言えば、例外的な事象で
あるということになるわけですかね。

まあそれはともかく、この「大アルカナ」の「大宇宙」レベルでの理解は、我々のような
一般人にとっては、ほぼ不可能というか意味の無いことですので、「上の如く、下も然り」
のマジックカードの効果を発動させて、ここから先は「小宇宙」のレベルで理解していく
ことで、お茶を濁そうと思っているわけでした。

まあ、わけがわからない「大宇宙」の話をするよりも、おそらく、こっちの小さいレベル
での話の方が面白いですしね。(完全に逃避モードw)
0141名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/04/15(土) 06:45:14.61ID:bKtIzQIR
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 152) ---
The Paths of JUDGMENT, THE UNIVERSE and THE MOON are aspects of the normal waking
consciousness of the Personality.
「審判」、「宇宙」、そして「月」の「小径たち」は、「人格」の通常の覚醒した意識の
様相たちである。

They also represent stages of self understanding.
それらはまた、自己理解の段階も表している。

JUDGMENT is the card where the divine forces meet the aspirant for the Mysteries,
where the Personality is lifted from the tomb of matter and evaluated on the
extent to which it has balanced the four Elements of Malkuth.
「審判」は、神の力たちが「神秘的教義」を追い求める者と出会うところのカードであり、
「人格」は物質界の墓から持ち上げられ、そして、それが「マルクト」の4つの「元素たち」
と、ずっと平衡を保ち続けているかという範囲において評価される。
--- ここまで ---

というわけで、ここから先は「小宇宙」、すなわち「下の如く」の「内なる世界」という
低レベルの話になるわけですが、実のところ、我々のような一般人は、この領域においても、
既に立ち入り禁止領域となっています。

修行の足りない者、つまり「 stages of self understanding/自己理解の段階」が必要
なレベルに達していない者は、この「シン/審判」における「it has balanced the four
Elements of Malkuth/マルクトの4つの元素たちと、ずっと平衡を保ち続けているか」
という、まず普通の人間では絶対に無理な条件をクリアすることが出来ないわけです。

要するに、一般人である我々は、ここから先には進めない、すなわち、既に使い道の無い
カードとなっていますので、はっきり言って、ここから先は時間の無駄となります。
まあ、ここから先は、たとえ見えていなくても「見えた!」と叫びたい変態さんだけしか
残らないような気もしますが。w
0142名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/04/16(日) 09:14:08.74ID:mSLLZ/0T
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 152) ---
It is for this reason that people have such varying experiences on this Path;
each personality must face what it is and has been, very squarely, answering
the call of the Angel whose presence has been invoked by the Fire of desire.
この理由のために、人々はこの「小径」の上で、そのような様々な経験を持つ;各々の
「人格」は、願望の「火」により召喚されたところである存在である「天使」の要求に
応えるために、それがどのようなものであるのか、そしてどんなものであったのかを、
真っ正面から、向き合わければならない。
--- ここまで ---

ここで、ある程度オカルトを知っている人は、この「火」の天使というところに、ちょっと
イヤな予感がするのではないかと思います。

まあ、この「シン/審判の小径」が「火」であるという流れから、何となくイヤな雰囲気
があったかと思うのですが、やっぱりそう来たかということなんですよね。

「マルクト」の「地」から、「ホド」の「水」に至る「小径」の上に、「火」があると
いうことは、要するに「ファイアウォール」であることに他ならないわけであって、
ここを通る資格のある者だけしか絶対に通さないよ、ということなんですよね。

まあ、どう考えても、生身の人間がそのままで通れるような「ファイアウォール」では
ありませんので、もうどうでもいいことなのですか、そういうことです。
それに、我々にとっての、この「火」というものは、既に我々の想像できるレベルを越えた
存在であって、ここでどうこう論じることのできるものではないわけですよね。

ということで、ここで話は終わりです。(投げオチww)
0143名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/04/17(月) 06:02:47.82ID:2Rydttoe
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 152) ---
In all accounts it is Gabriel who blows the trumpet of the Last Judgment, and most
will assume that it is Gabriel who is represented here.
全ての説明たちにおいては、それは「最後の審判」のラッパを吹く「ガブリエル」であり、
そして大多数の人は、ここに描かれている人物は「ガブリエル」であると思い込むであろう。

But this is not a Last Judgment at all, and the Archangel is Michael, Angelic
Ruler of Hod.
しかし、これは「最後の審判」では全く無くて、「大天使」は、「ホド」の「天使の
支配者」である「ミカエル」である。
--- ここまで ---

元々、この「審判」のカードは、「最後の審判」のシーンであると言われていましたし、
おそらく元々のタロットカードは、そういう意味だと思います。
でも、カバラを取り入れたゴールデン・ドーン体系では、大胆なストーリーの組み替えが
行われ、そしてこのカードは、もはや「最後の審判」では無くなっているということです。

ゴールデン・ドーン体系の「大天使」は、「ミカエル」が「ホド」に、「ガブリエル」は
「イェソド」に配属されます。
つまり、「最後の審判」は、どちらかというと「タウ/宇宙の小径」に関係するわけで、
この「審判」は、我々から見ると、どちらかというと「地獄の業火」に近いものです。
要は、「最後の審判」的な救済があると勘違いして、「マルクト」から「シン/審判の
小径」を上がろうと試みる人間は、「ホド」を司る「ミカエル」の上から目線によって、
「汚物は消毒だ〜!!」的なノリで、焼き殺される運命にあるわけですよね。

まあ、ヘタに上を目指すと、そういう危険があるので、我々のようなレベル不足の人間は、
地に足を付けた状態、つまり「マルクト」にいる生きている状態の時には、「ミカエル」
とは、かなり離れたポジションにいて、その恩恵を受けるというのが良さそうです。
そして、我々が「ホド」へと至るのは、「タウ/宇宙の小径」である「ガブリエル」の
祝福を受けた後、つまり死んだ後という「正規ルート」が良いということですよね。
0145名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/04/18(火) 06:19:35.92ID:EvrYOGWx
>>144
久しぶりの来客ですね。 (^^;

まあ、ワタシから見ても、あんまりいい解釈とは思いませんが、
あなただったら、どういうふうに解釈するのかを書いてもらわないと、
話が進みませんので、できれば何か書いてもらえると助かります。 (^^)/
0146名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/04/18(火) 06:20:59.62ID:EvrYOGWx
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 152) ---
Further information about this card is conveyed by the meaning of the Hebrew Letter,
insofar as the name of each letter is a word.
各々の文字の名前が単語である限り、このカードについてのさらなる情報は、「ヘブライ
文字」の意味により伝えられる。

Yet, as such words are attributed to the Tarot Keys there is wide latitude for
interpretation within the confines of the qualities described by the given word.
さらに、そのような単語たちは「タロットの大アルカナたち」に帰属されているので、
そこには与えられた言葉により表現される品質たちの範囲内の解釈のための広い許容範囲
がある。

Shin, in this case, means tooth, suggesting hardness, sharpness and biting.
「シン」は、この場合は、堅さ、鋭さ、そして噛むことを示唆している、「歯」を意味する。
--- ここまで ---

さらなる混乱の元というか、解釈上で悩ましいのが、この「ヘブライ文字」の「文字」と
しての意味です。
この「大アルカナ」のレベルにおいては、ストレートに解釈して当てはめることは出来ない
ので、どうしても「wide latitude/広い許容範囲」というか、ほぼ何でもありの解釈を
しておかないと、なかなかすっきりと当てはめることは出来ない状況なんですよね。

とはいえ、こういう拡大解釈というか、象徴化というか、抽象化という作業は、我々が
「大アルカナ」を理解したり使ったりする際には、必須となる作業ですので、ここで
しっかりと訓練しておくことも必要だったりするわけです。

一見すると、何の関係も無いものたちの中にある、隠された関係性を強引に見いだして、
お互いに関連付けを行って、物事の本質を見ていくというのが、この「大アルカナ」の
強引な使い方の一つであり、それゆえ「大アルカナ」は、物事の本質を探るための強力な
ツールとなっているわけですからね。(強引なる結論w)
0147名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/04/19(水) 06:10:09.46ID:9iPFlVUl
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 152) ---
It can be interpreted as the teeth which chew prior to the ingestion of energy
into the system, i.e., as that which causes a release of energy (the Kundalini
force).
それは、系の中にある精力の摂取に先立って噛む歯、すなわち、精力(「クンダリニー」
の力)の解放を引き起こすそれとして解釈されうる。

Tooth can also be taken to mean that which kills, here meaning the final blow to
the perception of the Personality as separate.
歯は、また、殺すものを意味することと解釈されることができ、ここでは分離したものと
しての「人格」の認知への最終的な打撃を意味している。
--- ここまで ---

かなり怖いことを書いていますが、一般人である我々は、これに近づきさえしなければ、
特にこれといった害はありません。

問題となるのは、自分のことを充分に理解しきれないままで、頭の足りない、いやいや
修行の足りない人間が、この「小径」に近づこうとした場合ですよね。

まあ、ほとんどの場合は、この「大天使」は、そのようなレベルの低い人間は無視して
くれるのですが、それでもしつこく接近しようとする場合は、かなり激しく「噛まれる」、
もしくは「噛まれた気になる」ことになります。
本来は、噛まれることで、低次の「人格」が噛み殺されてロックが解除され、さらなる
上のレベルに達することが出来る準備が整うようになるわけですが、準備が出来ていない
人間が噛まれた、もしくは噛まれた気になっちゃった場合には、いわゆる「クンダリニー
症候群」、すなわち頭のおかしな人の状態に陥るわけです

実のところ、そのほとんどは、「頭のおかしな人の思い込み」ですので、このカードに
関連付けする必要は無いのですが、もし本当に噛まれた人がいたとしても、やっぱり
「頭のおかしな人」と見られますので、他人には黙っておいた方がいいということですよね。
0148名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/04/20(木) 06:11:50.15ID:YvEHjynv
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 153) ---
Such descriptive words amplify the symbolism of numbers, so important to the
Hermetic Qabalah.
そのような記述的な単語たちは、数たちの象徴主義を拡大するので、「ヘルメス主義的
カバラ」にとっては、とても重要である。

As has been demonstrated, the number 300 assigned to Shin reduces to 3, the number
of the Sephira Binah; the number of the card, 20, reduces to 2, that of THE HIGH
PRIESTESS.
ずっと説明され続けているように、「シン」に割り当てられた数値の300は、「セフィラ」
の「ビナー」の値である3に縮小する;カードの番号である20は、「高等女司祭」のそれで
ある2に縮小する。

The principle here is that numbers of the Hebrew letters are reduced and manipulated
relative to the ten Sephiroth, while the numbers of the cards (0-21) relate to
other cards.
ここでの原則は、ヘブライ文字たちの数値たちが縮小されて、10の「セフィロト」と関連
して操作されることと、その一方で、カードたち(0-21)の番号たちが、他のカードたち
と関連することである。
--- ここまで ---

カバラの数秘術の「reduce/縮小」の操作は、各桁の値を足し合わせることになるわけで、
「シン」の300は、3+0+0=3 となるので、「ビナー」の3に関連するということになり、
「審判」の20は、2+0=2 となるので、「高等女司祭」の2に関連するということになるそう
です。

まあ、これだけを見れば、「だから何?」としか言えないのですが、とりあえず、カバラの
数秘術では、そういう原則があるので、そういうことらしいです。

まあ、ワタシ的には、あんまり興味のある分野ではありませんので、手抜き説明ですが。
0149名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/04/21(金) 06:23:55.92ID:t6mEzrfy
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 153) ---
Of course, the connection with other cards is made on more than numerical grounds.
もちろん、他のカードたちとの関係は、数値的な根拠よりも、より多く作られる。

For example, the fact that Shin is Fire suggests thta it relates to two other
important cards, THE TOWER (Mars) and THE SUN.
たとえば、「シン」が「火」であるという事実は、それが、「塔(火星)」と「太陽」の、
2つの他の重要なカードたちに関係していることを示唆する
--- ここまで ---

二番目の文章の「thta」は、おそらく「that」の誤植ですよね。

さて、カバラ数秘術は、単なる「数合わせのネタ」以上のものは提供しませんので、色々と
妄想を膨らませていくには、ちょっと物足りないというか、まあ要するに子供だまし的な
算数みたいなものですので、メインに据えるには、いまいち魅力に欠けるんですよね。
つまり、どちらかというと、脇役的な使い方をするのが良いと思います。

とりあえず、もう少しマシなネタである、「シン」が「火」であるというネタを使って、
もう少し妄想を膨らませていくことにします。
とはいえ、以下は、あくまでも「ネタ」ですので、「生命の木」の「シン/審判の小径」の
「元素の火」という本来の話とは、少々異なるものであることは、理解しておいてください。

まず、この「火」のイメージから連想される「大アルカナ」のカードとして、ここでは
「16:塔(火星)」と「19:太陽(太陽)」が挙げられています。
あと、ワタシとしては、「火」の元素である「4:皇帝(白羊宮)」、「8:力(獅子宮)」、
そして「14:節制(人馬宮)」も追加しておきたいです。

そして、占いの場に、これらのカードが同時に出てきた時には、場に「火」の影響が強く
見られると判断するわけですが、だからどうなのと言われても、しょせん「大アルカナ」
という上位世界の話ですので、適当にお茶を濁すしかないわけですけどね。
0150名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/04/22(土) 07:36:06.52ID:VYUWRNDG
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 153) ---
This connection with THE SUN is made explicit in the Golden Dawn "Book T," which
describes the angel here as Michael, Ruler of Solar Fire.
この「太陽」との関係は、ここの天使を、「太陽の火」の支配者である「ミカエル」と
述べる、ゴールデン・ドーンの「"T"の書」において明確にされる。

It is he who blows the trumpet calling down the influence of Binah.
「ビナー」の影響を呼び起こすラッパを吹くのは彼である。
--- ここまで ---

ゴールデン・ドーンの「"T"の書」には、この「20:審判」の天使が「ミカエル」であると
いう明確な記述は無かったと思うんですが、ワタシが知らないだけですかね…。

いずれにしろ、ウォン氏は、この天使が「ミカエル」であると断定しており、それゆえ
ウォン氏の描いたゴールデン・ドーン版タロットの「20:審判」の天使は、「ミカエル」を
象徴する「赤色」で描かれています。
ちなみに、この「赤色」の特徴は、ウェイト版にも引き継がれており、それゆえ、
ウェイト版の「20:審判」の天使も、「ミカエル」であるとされています。

ちょっとやっかいなのは、この「ミカエル」は、「太陽」を支配する天使であるため、
このままでは「19:太陽」のカードと、キャラがカブってくるので、何か違いを出さない
といけないわけです。
そして、その違いとなるのが、「峻厳の柱」に流れる「ビナー」のエネルギーであると
いうことなのですが、いまいち微妙すぎて伝わってきません。
どちらかというと、ストレートに「火」を吹いてくれた方が、わかりやすいのではないか
と思うわけで、それならば、「ミカエル」よりは、ゴジラみたいな怪獣を登場させて、
口から火を吹いてくれた方が、ネタ的には面白いかな、とも思うのでした。

そもそも、この「天使」から我々に向けて吹き出されるのは、間違いなく「地獄の業火」
であると思いますしね。
0151名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/04/23(日) 06:58:19.97ID:v8R8h3Ka
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 153) ---
Another reference to the Supernals is the Red Cross Banner, which stands for the
Four Rivers of Paradise, as well as the four letters of the Divine Name.
もう一つの「至高者たち」との関連は、「赤い十字の旗」であり、それは、「神名」の
4つの文字たちと同様に、「天国」の「四つの川」を表す。
--- ここまで ---

前項で、「ビナー」の話が出てきましたが、この「ビナー」を含む「至高の三角形」を
暗示しているのが、この「the Red Cross Banner/赤い十字の旗」ということです。
つまり、この天使の吹くラッパから噴出しているものは、そういう別世界から湧き出す
永遠のエネルギーであり、そういう状況を表しているものが、この「20:審判」という
「火」の元素のカードであるということですよね。

そういう意味では、何となく「19:太陽」に似ている感じはありますが、「20:審判」が
「地」の「マルクト」に繋がっており、一方で「19:太陽」は「空気」の「イェソド」に
繋がっているという違いが、両者の決定的な違いとなっているわけです。

とはいえ、一般人である我々にとっては、そういう「天国からの永遠のエネルギー」なる
ものの存在は、まるで「空気」のようなものであって、我々のレベルでは、何かに活用
できるようなものでもないので、全く気にしなくても良いというシロモノです。
まあ、そういうものがあるんだ〜、的な捉え方でイイと思います。

というか、シロウトが、ヘタにそんな「永遠エネルギー」に絡もうとしても、あるある
詐欺に遭うか、オカルト詐欺師になる以外には、思い浮かびませんしね。

え、オマエはレベルが低いから、本当の「エネルギー」が見えていないだけだろうって?
はいそうです。
ここにはあなたにとって何も有益な情報はありませんので、さっさとお帰りくださいww
0152名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/04/24(月) 06:07:54.20ID:SDnBXZct
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 153) ---
The rainbow in the Order's card, containing serpents representing the Fiery
Seraphim, is undoubtedly that which surrounds the fiery Throne of God described
in Revelation.(*100)
「(ゴールデン・ドーン)団」のカードの中の虹は、「火の熾天使」を表すヘビたちを
含んでおり、 『ヨハネの黙示録』において述べられた「神」の「火の王座」を取り囲む
それであることは疑いようがない。(*100)

This rainbow encloses the Archangel who seems to emerge from the Fire triangle
itself.
この虹は、それ自身を「火」の三角形から出現するように見える、「大天使」を取り囲む。
--- ここまで ---

ちなみに、(*100)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 271) ---
100. Revelation 4:3. The rainbow as a symbol of God's covenant with Noah appears
in Genesis 9:17.
100. 『ヨハネの黙示録』4:3。ノアとの「神」の契約の象徴としての虹は、『創世記』9:17
に現れる。
--- ここまで ---
とあります。

つまり、ゴールデン・ドーンの「20:審判」のシーンは、「最後の審判」のシーンではない
かもしれないけれども、それでも『黙示録』をモチーフとしていることは、間違いないと
いうことです。

両者の関係性は、少々ややこしいのですが、とりあえず、色々なイメージをまとめて、
もう全部「ミカエル」一人でいいんじゃないかな、という感じで、「20:審判」のデザイン
になったような感じですかね。
え、そんないいかげんな説明で、いいのかって?
0153名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/04/25(火) 06:17:58.02ID:z5Ejg6y6
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 153) ---
At the base of the card, rising from the tomb facing the angelic presence, is Arel,
Ruler of Latent Heat.
カードの基部で、天使の面前に直面して墓から蘇るものは、「潜在的な熱の支配者」である
「アラル」である。

He is also the candidate for the mysteries who follows this Path of Fire.
彼はまた、この「火の小径」をたどる、神秘的教義の志願者でもある。

The male figure at the left is Samael, Ruler of Volcanic Fire.
左の男性の人物像は、「火山性の火の支配者」である、「サマエル」である。

Opposite him is Anael, Ruler of the Astral Light, represented in duplicate in that
she is Demeter-Persephone and Isis-Nephthys.
彼の反対側には、「星幽光の支配者」である「アナエル」があり、彼女は「デメテル−
ペルセポネー」と「イシス−ネフティス」であるという点において、二重に表されている。
--- ここまで ---

「Arel/アラル」は、『黄金の夜明け魔術全書』の「第五知識講義」の「火の天使」として
名前がでてきており、「潜在的な火」、すなわち「火」の進化の途中の状態を表しています。

「Samael/サマエル」は、『黄金の夜明け魔術全書』の「第五知識講義」では「クリフォト」
として名前が出てきていますが、「火山性の火」、すなわち「大地」から吹き上がる「火」
の爆発的エネルギーを象徴します。

「Anael/アナエル」は、『黄金の夜明け魔術全書』の「第二講義文書」で、「ネツァク」
に配属され、金星の守護天使である大天使の「ハニエル」として別名で出てきます。
「大地の女神」ということで、この「20:審判」の「小径」の下端が、「マルクト」であり、
そして「20:審判」の小径の反対側に、金星が配属される「ネツァク」や、「星幽光」が
配属される「イェソド」があるということを表しているのではないかと思われます。
0154名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/04/26(水) 06:20:04.06ID:gowqBpQY
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 153) ---
Crowley's card, called "The Aeon," departs completely from tradition, and is
important in that his personal philosophy is more imbedded in this imagery than
in that of most other cards of the Thoth Tarot.
クロウリー氏のカードは、「永劫」と呼ばれ、伝統から完全に逸脱しており、彼の個人的
な哲学が、「トートのタロット」の他のほとんどのカードたちのそれの中よりも、より多く
この像の中に埋め込まれるという点において、重要である。

Overall, the Crowley deck is illustrative of the Book of the Law, a document which
he stated was revealed to him and which is the core of his teaching.
全般的に見れば、クロウリー氏のデッキは、彼に明らかにされたと彼が述べた文書であり、
そして彼の教義の中核である『法の書』の図解である。
--- ここまで ---

「20:Judgmant/審判」は、トート版タロットでは「20:Aeon/永劫」というタイトルに
変えられており、カードの意味も大きく変わっています。
これは、クロウリー氏による個人的かつ意図的な改変ですので、従来のタロットの解釈は、
ここではあまり意味を成さないということに注意しておいてください。

まあ、何でクロウリー氏が、こんなことをしているのかというと、それは「自己主張」の
何物でもないわけであって、要は「オレは他のヤツらとは違うんだ!」という、よくある
厨二病の症状、いやいや作品であるということですよね。

もちろん、タロット自体をネタとして使うことには何の問題もありませんので、各自の
判断で、ネタとして使える人は使ってもらってもいいと思うのですが、その際には、
『法の書』という作品も参考にしておいてください、ということです。
まあ、妄想を膨らませるには、それなりに役に立つのではないかと思います。
0155名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/04/27(木) 06:07:00.35ID:2nkUDOrq
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 153) ---
The Aeon also relates to what he called the Stele of Revealing.(*101)
「永劫」はまた、彼が「啓示の石碑」と呼んだものに関係している。(*101)
--- ここまで ---

ちなみに、(*101)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 271) ---
101. This is an obscure panel which in 1904 Crowley discovered in the Boulak Museum,
an institution now closed, but the collection of which has been taken over by
the Cairo Museum.
101. これは、1904年にクロウリー氏が、現在は閉鎖された施設であり、その収蔵品は、
カイロ博物館に引き継がれてしまっているが、ブーラーク博物館で発見した無名の盤
である。
The Stele, representing Horus, was of special importance to Crowley, and related
to his writing of the Book of the Law.
「石碑」は、「ホルス」を象徴しており、クロウリー氏にとって特に重要なものであって、
「法の書」の彼の執筆に関係している。
This is described in Confessions, 395.
これは、『告白』の395ページに記述されている。
--- ここまで ---
とあります。

まあ、このあたりの話は、クロウリー氏の個人的な妄想ですし、カバラ本来の「大宇宙」
や「小宇宙」に関する普遍的な神秘哲学とは質の異なるものですので、いまいち興味が
ありません。
そして、クロウリー教の信者にとっては、おそらく最も興味深いカードではないかと
思いますので、そういう意味でも、ワタシは興味は全くございません。

というわけで、しばらくワタシにとって興味の無い話が続きます。
0156名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/04/28(金) 06:16:10.15ID:4DcdBHEf
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 153) ---
This card, he explained, supersedes all earlier concepts of the Key, and shows
the harmonious and spiritual state of human existence which will be on the earth
in the mid twenty-second century.
このカードは、彼の説明では、それ以前の全ての「大アルカナ」の概念に取って代わり、
22世紀の中頃に地球上にいるであろうある人間の存在の、調和の取れた霊的な状態を示す。

That condition is symbolized by the Sky Goddess Nuith, and her consort Hadit
(represented as a golden orb of light).
その状態は、「天空の女神ヌイト」、および彼女の配偶者である「ハディト」(光の金色
の球として表される)により象徴されている。

They produce Horus, here shown seated and standing, his active and passive forms.
彼らは「ホルス」を生み出し、ここでは、座っているのと立っている、彼の積極的と
受動的な形態たちを示す。

Crowley also points out that another name for Horus is Heru, which is synonymous
with Hru, "The Great Angel set over the Tarot."
クロウリー氏は、「ホルス」の別の名前が、「タロットの上に配置される偉大な天使」
である「Hru/ヘル」と同義である、「Heru/ヘル」であることも指摘する。
--- ここまで ---

ふーん、そうなんだー、なんかすごいねー。(cv:安野希世乃)

元々のシンプルな概念の「20:審判」とは、似ても似つかないものになってしまっている
のですが、まあ要するに、自分勝手な妄想ネタを詰め込みすぎなんですよね。

とはいえ、地上に通じる「小径」は、「21:宇宙」と「18:月」と、この「20:審判」しか
ありませんので、クロウリー氏の宗教ネタ、いやいや神秘的思想は、この「20:審判」を
ハッキングして書き替えてしまうのが一番しっくりくるのも確かなんですけどね。
0157名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/04/29(土) 07:25:28.38ID:2WSPk03E
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 153) ---
What Crowley proposes here is highly consistent with Qabalistic doctrine, i.e.,
that the system evolves to meet the needs of spiritual evolution of the race.
ここでクロウリー氏が提案していることは、カバラ主義の教義と非常に一致しており、
すなわち、体系は、人類の霊的な進化に必要なものたちを満たすように発展するという
ことである。

Assuming that JUDGMENT represents a stage in the development of the race and of
the individual Personality consciousness, he is suggesting that there will come
a time in the not so far distant future when the spiritual make-up of mankind
will have so advanced that JUDGMENT, as previously known, will no longer describe
the experience of this Path.
もし「審判」が人類および個々の「人格」の意識の発達における段階を表していると仮定
すれば、彼は、それほど遠くない距離にある未来に、人類の霊的な構造が、以前に知られて
いたほどには、「審判」が、もはやこの「小径」の経験を記述しないであろうほどに進歩
してしまうであろう時が来ることを示唆している。
--- ここまで ---

へーえ、そういうことなんだー、クロウリーさんてすごいねー。(cv:安野希世乃)

まあ、『法の書』というのは、よくある「黒歴史ノート」のようなものですし、そういう
意味では、深く突っ込んではいけないというのが、「ヲタク」たちの場をうまくまとめる
ための「お約束」というものです。

とはいえ、妄想を熱く語るのもいいのですが、それはあくまでも「ネタ」としての世界の
話であることは、心のどこかに留めておかないと、そのうち全てを失うことになります
ので、くれぐれも自分を見失わないように、ご注意ください。

え、妄想を書き散らしているおまいが言うなって。
ごもっともでございます。ww
0158名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/04/30(日) 10:05:07.25ID:5bEZA0wP
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 153) ---
He further asserts that we are now passing into a five hundred year period of
extreme darkness and trial, preparatory to a new Aeon of Light. (*102)
彼はさらに、我々は今、新しい「光の永劫」の準備としての、極端な暗闇と試練の500年の
期間に移行しているところであると主張する。(*102)
--- ここまで ---

ちなみに、(*102)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 271) ---
102. Crowley, Book of Thoth, 116.
102. クロウリー著、『トートの書』、116ページ。
--- ここまで ---
とあります。

あー、うーん、そうだねー。(cv:安野希世乃)

まー、ここまでくると、これはもはや魔術ヲタクの単なる妄想というよりも、カルトの
主張に近いシロモノになっていますので、結果的に、これを「ネタ」であると考えない
アレな人々を生み出してしまうことになるわけです。

まあ、人間社会には、どこにでも、どんなものにでも、いわゆる「信者」というものは
湧くわけですので、一般社会に迷惑をかけない範囲であれば、好きにやってもらっても
構わないとは思うのですが、できればこっちには来ないでほしいなぁ、と思うのでした。

いずれにしても、「Light/光」と「darkness/闇」は対となるであって、実のところ、
並みの人間には区別しづらいものですので、簡単に騙される人も多くいるわけです。

え、光って見えるから「光」であり、黒く見えるから「闇」なんじゃないのかって?
まあ、「マルクト」においてはそうかもしれませんすが、上位世界においては、それとは
全く異なる概念であるということは、覚えておいた方がいいかと思います。
0159名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/05/01(月) 06:36:12.57ID:SOBuwJKq
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 154) ---
30. THE PATH OF RESH
30. 「レシュ」の小径

The Sun
太陽

The Nineteenth Key
19番目の鍵(大アルカナ)

--- ここまで ---

ここから、「生命の木に基づく大アルカナ」の章の中での新しい節になります。

サブタイトルは「レシュの小径」です。

まあ、初めて「足が地に着かない」というか、「マルクト」とは離れている「小径」です
ので、我々に対しては、直接の関わりを持たない、すなわち「イェソド」を通じて間接的
に作用しているものですので、基本的には、我々はそれを(勘違いしなければ)関知する
ことは出来ないものになってきているわけです。
とはいえ、最初の「タウ/宇宙の小径」以外は、どれも関知は困難ですので、どうでも
いいと言えばどうでもいいのですけどね。

つまり、この「小径」の直接利用は、一般人には困難ですので、後は「象徴化」した上で、
「上の如く、下も然り」というミソクソ理論を適用して、現世の事物に無理矢理絡ませて
何かのヒントを得るという使い方がメインになってきます。
まあ、言うなれば、パズルというか、オトナの知的なおもちゃ、という感じですかね。

というわけで、それっぽいネタを得るために、重箱の隅をつついていくことにしましょう。
0160名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/05/02(火) 06:21:36.82ID:u+Yh/kW2
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 154) ---
□ PATH COLOR: Orange
□ 「小径の色」:「オレンジ」

□ RELATED SOUND: D Natural
□ 「関連した音」:「Dのナチュラル」

□ PLANET: Sun
□ 「惑星」:「太陽」

□ MEANING: Head
□ 「意味」:「頭」

□ DOUBLE LETTER: Fertility-Barrenness
□ 「複字」:「肥沃と不毛」

□ ESOTERIC TITLE: The Lord of the Fire of the World
□ 「秘伝的な称号」:「世界の火の主」
--- ここまで ---

この本の、この文章の右側には、「頭」と、ヘブライ文字の「レシュ」と、「太陽」の
占星術記号、および「生命の木」における「レシュの小径」の位置が図示された絵が
描かれています。

詳しい説明は、前項の「タウの小径」を参考にしてください。

この本の、この説明文の下に、4枚の「太陽」のカードの写真が掲載されているのですが、
今回は、ウェイト版に、ちょっとしたこだわりが見られます。
こんなふうに、単なるパクリに留まらずに、何某かのオリジナリティを出してみたいと
いうのは、魔術ヲタクの基本的な属性なのかもしれませんね。
0161名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/05/03(水) 06:32:47.52ID:kJV74daO
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 154) ---
THIRTY TWO PATHS OF WISDOM: The Thirtieth Path is the Collecting Intelligence and
is so-called because Astrologers deduce from it the judgment of the Stars, and
of the celestial signs, and the perfections of their science, according to the
rules of their resolutions.
「知恵の32の小径たち」:「30番目の小径」は「収集する知性」であり、「占星術師たち」
は、 それから、「星たち」、そして天の兆候たちを判断し、そしてそれらの決議の規則たち
に従って、それらの科学の完成したものたちを推論するからであるがゆえに、そう呼ばれる。
--- ここまで ---

ここは、いつものように、ウェストコット氏の英訳版『The Sepher Yetzirah/セフェル・
イェツィラー(形成の書)』の「THE THIRTY-TWO PATHS OF WISDOM/知恵の32の小径」から
の引用です。

さて、「32番目の小径」と「31番目の小径」では、太陽系内の「七惑星」の話に留まって
いましたが、ここでは「Stars/星たち」と「celestial signs/天の兆候たち」という、
太陽系外の宇宙の話に拡張されています。
そして、「32番目の小径」における「見える大宇宙」論は、ここまでになっています。
当時の認識では、これ以上のことは「書けない」ということですよね。

つまり、これ以上のものを「大宇宙」について論じようとするのであれば、「上の如く
下も然り」の法則に従って、「小宇宙」論から、それらを類推するという手段を取る
ということになってきます。
まあ、それが正しいとか間違いとかを、今、我々が判断するのではなくて、あくまでも
そういうインチキな、いやいや代替的な手法があるよ、ということですよね。

もちろん、魔術や占いで語られる照応関係のほとんどは根拠の無いものですが、最新科学の
いくつかは、突拍子も無いような照応関係から類推して、たとえば例として、地上における
長さの変化を測定することで、宇宙の始まりの理論を検証するとか、そういうわけのわから
ない話も多くあるわけですので、魔術にしろ科学にしろ、よくわからない世界なのでした。
0162名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/05/04(木) 06:33:45.28ID:x3Yz4izK
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 154) ---
The Path of Resh connects Hod (Splendor) with Yesod (the Foundation), and is the
first of the Paths of the Personality triad to be encountered in rising on the Tree.
「レシュの小径」は、「ホド(壮麗)」と「イェソド(基盤)」を接続しており、「木」
による上昇において遭遇する「人格」の三つ組の「小径たち」の最初のものである。

It is an active Path on the intellectual-formative side; it is the activating
force of the Personality which, like the Higher Self and the Spiritual Self,
is composed of a "masculine" (intuitive-dynamic, Yod) and a "feminine"
(intellectual-formative, Heh) and a set of energies which are the result of the
opposing interaction of the two (equilibriating, Vau).
それは、理知的−形成的の側にある活動的な「小径」である;それは、「人格」の活動的な
力であり、「高次の自我」と「霊的自我」と同様に、「男性」(直観的−動的、「ヨッド」)
と「女性」(理知的−形成的、「ヘー」)と、および2つの対立する相互作用の結果である
精力たちの組(平衡化、「ヴァウ」)により構成される。
--- ここまで ---

「equilibriating」は、「equilibrating/平衡化」の誤植ですね。

ここは「生命の木」の説明の、「レシュの小径」に関するまとめになります。
「19:太陽」は、「マルクト」から離れた、上位世界のうちの最初の「三つ組」である、
「Personality/人格」を司る「星幽的三角形」のうちの、「活動的」な「小径」に
割り当てられているわけです。
(残りは、「16:Tower/塔/平衡」と「17:Star/星/形成的」です。)

ちなみに、「大アルカナ」の解釈って、最初は「絵」から入る人が多いと思うのですが、
それはカードの理解の上では「遠回り」になります。
「絵」を見ても、下位世界でのイメージしか湧かないですし、そもそも、大アルカナは、
「絵にもかけない○○○○さ」を絵にしたものですので、絵を見て理解しようとする
のは、どう考えても勘違いなわけなのです。
0163名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/05/05(金) 07:51:00.93ID:+i6TyQbq
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 154) ---
THE SUN (Resh) is described as the "Collecting Intelligence," meaning that it
exercises control over a number of given components, in this case the Signs of
the Zodiac which are symbolized by the twelve rays emanating from THE SUN.
「太陽(レシュ)」は、それが、多くの与えられた構成要素たち、この場合は「太陽」から
放出される12の光線たちにより象徴されている「黄道十二宮」に対して支配力を行使する
ことを意味しているので、「収集する知性」と評される。

These Signs are the twelve guideposts of Personality and receptacles of Planetary
influences, one of which governs the birth and life course of each incarnation.
これらの「宮たち」は、「人格」の12の道標たち、および「惑星」の影響たちの受け口で
あり、その1つは、各々の肉体化の誕生と人生の方向を支配する。
--- ここまで ---

「太陽」と「黄道十二宮」との関係で一番大きいものと言えば「星占い」、ではなくて
「季節」です。
「黄道十二宮」における「太陽」の位置は、「季節」を表す「道しるべ」として、太古の
昔より、知性ある人々の間で利用されてきたという経緯があります。
ちなみに、「19:太陽」の反対にある「17:星」にも、似たような作用があるのですが、
それについては、また後ほど考察することにします。

さて、この「19:太陽」は、「incarnation/肉体化」である「マルクト」とは直接関係
しない、すなわち我々の肉体が滅んでも消滅することのない、最初の「不揮発性の小径」
となっています。
さらに言うと、「生命の木」の底にあればあるほど「濃くなる」という性質があります
ので、この「19:太陽」と「17:星」には、人の誕生の際には多くの情報(知性)が「種」
として流出し、そして死の際には、多くの情報(知性)が「実」として回収される場所
であり経路でもあるというわけです。
そういう意味でも、重要なカードではあるわけですが、とはいえ我々が今どうこう
できるものでもありませんので、いまいちヤル気が出ないわけなんですよね。
0164名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/05/06(土) 05:46:00.17ID:rZ7gCtOY
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 154) ---
Thus the Sun is central not only to the incarnation at hand, but acts as a link
between the Personalities which have been experienced in other incarnations.
したがって、「太陽」は、手近にある肉体化だけでなく、他の肉体化たちにおいて、ずっと
経験し続けている「人格たち」の間を結び付けるものとしての活動たちの中心である。
--- ここまで ---

「incarnation/肉体化」において最も重要な働きをしているのは、言うまでもなく
「21:宇宙」なのですが、「21:宇宙」「20:審判」「18:月」は、いずれも「マルクト」
と接続していますので、どちらかというと「外陣」扱いとなります。
そして、「肉体化」における「内陣」が、「Personality/人格」を司る「星幽的三角形」
ということになります。

そして、「星幽的三角形」の「小径」の中では、最も下位であり「activating/活動的」な
存在である「19:太陽」が、「肉体化/誕生」という下位世界への流出において、中心的な
役割を果たすということなのですが、それは我々からは直接見えないところにあるわけです
ので、よくわかんないです。

もし、ワタシが前世の記憶を持っていれば、この「星幽的三角形」の内部に蓄えられた
「Personal/個人的」な不揮発性の記憶を分析することで、「星幽的三角形」の働きを
知ることができるとは思うのですが、残念ながら、そういう前世的な記憶は何も持ち合わ
せておりませんので、「19:太陽」が如何なるものかを直接知る由はありません。

結局のところ、ここから先は、間接的な状況判断だけで、推定していくしかないわけで
あり、それらは裁判における証拠能力に欠けるものばかりであるため、全くの個人的な
見解であるとしか言えませんので、その旨、しっかりとご理解頂きたいと思います。

つまり、ワタシにとっても、ここから先は、完全妄想の黒歴史ノートであって、さらに
言っていることや、やっていることが首尾一貫しない、とても非論理的なものになって
いるということなんですよね。
0165名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/05/07(日) 07:22:33.68ID:8qRa/TUg
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 155) ---
It is also collecting in that all of the component parts of the Personality,
discovered on these lower Paths, are here infused with the dual action of the
Sun, light and warmth.
それはまた、これらの下位の「小径たち」で発見された、「人格」の構成部分たちの全ての
ものが、ここで、光と暖かさという、「太陽」の二重の働きで満たされる、という点に
おいて、収集するものである。

It may appear curious, but these are considered intellectual qualities.
それは奇妙に見えるかもしれないが、これらは理知的な品質たちであると見なされている。
--- ここまで ---

「these lower Paths/これらの下位の小径たち」というのが、「Personality/人格」を
司る「星幽的三角形」を指すのであれば、「人格」の「内陣」である「星幽的三角形」は、
この「19:太陽」の「light and warmth/光と暖かさ」により、全体的に取りまとめられて
いるということになります。
まあ、よくわかんないですけど。

さらによくわからないことに、この「レシュ/太陽の小径」は、「intellectual/理知的」
であると、エロい人々には思われている、ということです。
まあ、よくわかんないですけど。

この流れで、童話の「北風と太陽」のストーリーを思い浮かべる人もいるかと思いますが、
とりあえず下位世界にいる我々にとっては、手の届かないところにあるけれども、理知的で
「光と暖かさ」を与えてくれる「見えざる太陽」のような上位の存在であるということです。

ちなみに、この理知的な「19:太陽」と対になるのは、理知的ではない「17:星」になります。
「知恵の32の小径たち」によれば、この「レシュ/太陽の小径」は、「星たち」の情報も
とりまとめる働きをするということですので、後ほど出てくる「17:星」の説明があるまで、
詳しいことは先送りしておきましょう。←面倒なことから逃げるタイブww
0166名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/05/08(月) 05:59:36.20ID:GhD+RaZ8
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 155) ---
The activity of this Path is intellectual.
この「小径」の活動は、理知的である。

In fact, the Path of THE SUN is the highest level of the human intellect, as
THE STAR is the highest level of the emotions.
実際に、「星」が感情たちの最も高い段階であるのと同様に、「太陽」の「小径」は、
人間の知性の最も高い段階である。
--- ここまで ---

「生命の木」においては、対になっているものは「対比して理解する」ことが基本です。
ちなみに、「レシュ/太陽」と「ツァダイ/星」の関係は、以前に論じた「ホド」と
「ネツァク」の関係と、表面的には一致しています。
・「レシュ/太陽」=「ホド」= 知性
・「ツァダイ/星」=「ネツァク」= 直観、感情
そして、両者の違いとなるのは、
・「レシュ/太陽」が「活動的」なのに対し、「ホド」は「形」
・「ツァダイ/星」が「形成的」なのに対し、「ネツァク」は「力」
という、対になる活動性を持っているということであり、これらによって「生命の木」は
停滞することなく永遠に活動を継続できるということになっているわけですよね。

さて、「生命の木」においては、「知性」よりも「感情」が上位に置かれるわけですが、
これはすなわち、「人」の「知性」が「神」の「知性」の裏返し、つまり、エデンの園で
人が蛇にそそのかされて、「知恵の木の実」を食べて堕ちてしまったことに関連して
考えることもできます。
その場合、「ネツァク」と「ツァダイ/星の小径」が「生命の木の実」に相当すると考える
ことが出来るわけで、ここにまた一つの妄想ネタが産まれるわけですよね。

いずれにしろ、「感情」と「知性」は、人が人として生きていく上では欠かせないもので
あり、どちらが上でどちらが下かというのは、気にしなくてもいいことですけどね。
0167名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/05/09(火) 06:04:55.89ID:GWJPfuDb
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 155) ---
They are balanced by THE TOWER, although looking at that card may hardly inspire
confidence that a balance is taking place.
それらは、「塔」により平衡が保たれている、とはいえ、そのカードを見ても、平衡が
起こっているという確信を抱くことは、ほとんどできないかもしれない。

Yet this represents the effect of the combined energies of THE SUN and THE STAR.
けれども、これは、「太陽」と「星」の結合された精力たちの「効果」を表している。

More will be said of this in a later section.
それ以上のことは、これについては、後の節の中で語られるであろう。
--- ここまで ---

「星」が人間の中の「感情」の最も高い段階であり、「太陽」は人間の中の「知性」の
最も高い段階であり、そして「塔」が人間の中において、それらの平衡を保っている。

うーん。
どう見ても「塔」は、高いところにあるものを、突き落としているようにしか見えない
わけですので、この大騒動が「平衡を保つ」ているようには見えないですよね。

でも、マクロで見て「静的」な平衡状態にあるものは、ミクロで見てみると、七転八倒の
「動的」な状態でバランスを保っているというのは、実はよくあることです。

たとえば、冷戦状態という準平衡状態の裏では、壮大な政治的駆け引きや、軍拡競争や
局地的な代理紛争があるわけで、「感情」と「知性」のような、お互い相容れないもの
同士をうまく調和させていくためには、「大アルカナ」という人の内なる面においては、
こういう「隠された紛争」は必要不可欠のものであると考えることも出来るわけです。

つまり、内面において、阿修羅の如くキレまくってるおかげで、外面においては、菩薩の
如く全てを達観した顔つきを保てるということではないかと思っているのでした。
0168名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/05/10(水) 06:09:20.47ID:5TS6q3iz
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 155) ---
Resh means head, which is consistent with the idea that this is the highest Path
of human intellect, and that this is the "Collecting Intelligence."
「レシュ」は「頭」を意味しており、そのことは、これが人の知性の中で最も高い「小径」
であり、そしてこれが「収集する知性」である、という考え方と一致している。

In this regard there is an interesting illustration from an alchemical manuscript
of 1606, showing a figure with an orb-shaped body which is headless, but holds
the Sun above.
この件について、頭が無いけれども、「太陽」を上に保持している、球形の体を含んだ図が
示されている、1606年の錬金術の原稿からの興味深い図解がある。

Beside this figure is written: "The World." (*103)
この図のそばには、こう書かれている:「世界」。(*103)
--- ここまで ---

ちなみに、(*103)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 271) ---
103. Manly Palmer Hall, Encyclopedic Outline, CLXI facing.
103. マンリー・パルマー・ホール著、『百科事典的な概要』、161ページ見開き。
--- ここまで ---
とあります。

ここは、「レシュ/頭」と「太陽」の関係性についてのネタ話となっています。
なんか、無理矢理感がすごいのですが、そういうことだそうです。

でもまあ、頭というか顔が太陽みたいになっている絵やイラストやコスプレとかは、
割と普通にありそうなのですが、そういうのって、「収集する知性」というよりも、
「発散する痴性」という感じっぽいですけどね。
まあ、どうでもいい話ですが。
0169名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/05/11(木) 06:21:55.72ID:t919SL/U
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 155) ---
The head is the Sun itself, held above the material body; without the Sun-head,
there could be no world.
頭は、「太陽」それ自身であり、物質的な体の上に保持される;「太陽」の頭がなければ、
世界は存在することができない。

Mathers corroborates this idea by calling THE SUN the "Splendour of the Material
World."
マサース氏は、「太陽」を「物質的世界の壮麗」と呼ぶことにより、この考え方を確証する。
--- ここまで ---

この錬金術文書は、1606年の発行なのですが、それ以前の1543年には、コペルニクスが
『天体の回転について』という地動説の本を発行しており、天文学が発達してきています。

そして、この錬金術文書に書かれている「body/体」は球体ですので、おそらくこれは
我々の住む「世界」である「地球」のことであると推定できます。
つまりは、太陽系という我々の世界においては、「地球」は「太陽」なしでは存在できない
ということを言いたいのではないかと推定できるわけです。

さて、このマサース氏の文章は、『The Golden Dawn/黄金の夜明け魔術全書』の「Fourth
Knowledge Lecture/第四知識講義」にある「NOTES ON THE TAROT/タロットに関する覚書」
の「19:太陽」に関する説明文なのですが、これはおそらく誤記だと思われます。

「太陽」は「物質的世界(マルクト)」と「壮麗(ホド)」を繋ぐ「小径」ではなく、
「基盤(イェソド)」と「壮麗(ホド)」を繋ぐ「小径」です。
この誤記は重大なミスですので、本来であれば早々に改訂されるはずだと思うのですが、
ずっと放置され続けていますので、何か特別な意味のある誤記なのかもしれません。
ついでに言うと、この「19:太陽」の箇所の日本語訳では、最後に「水銀」となっていて、
ここは本来は「Mercury/水星」と訳さなければならないはずなのですが、なぜか「水銀」
と訳されているんですよね。
0170名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/05/12(金) 06:18:02.54ID:i9B4ix3u
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 155) ---
So the card basically represents the intellect acting upon the dualities of the
human condition, consciousness and its earthly vehicle.
そういうわけで、カードは基本的に、意識およびその地上での乗り物という、人間の状態の
二重性に作用している知性を表す。

This is the point of connection of the human intellect with the higher intellect,
the Greater Life.
これは、「より大きな生命」にある、より高い知性との人間の知性の関係の要点である。
--- ここまで ---

この最初の文章は、「太陽」が「物質的世界の壮麗」であるという前提で書かれたものだと
思うのですが、やっぱり少し違和感があります。
「レシュ/太陽の小径」は、既に「マルクト」という「earthly vehicle/地上での乗り物」
とは関係性を持たないので、普通に「人間の意識の二重性に作用している知性」という
ことで考えてもいいかと思います。

ちなみに、ゴールデン・ドーン版タロットは、「17:星」「18:月」「19:太陽」「20:審判」
が、下に水が描かれた似たような構図になっているので、何となく同じ世界での話のよう
にも見えるのですが、「17:星」「19:太陽」は天上界である「エデン」であり、「18:月」
「20:審判」は地上界に繋がっていますので、きちんと分けて考えた方がいいですよね。

というわけで、この「19:太陽」に描かれた幼児と幼女は、人の誕生の前に、新しく生み
出されたばかりの「星幽界」での「人間の二重性の意識」を表していて、そこからさらに
「21:宇宙」を下って「地上での乗り物」を獲得し、一人の人間として誕生するという
仕組みであると考えることが出来ます。

でも、「人間の二重性の意識」が、「男」と「女」で象徴されるというのも、何か意味深
なのですが、「ホド」は「両性具有」の属性を持つ二重性のある「セフィラ」ですので、
人間って、元々そういう二重性のある生き物なのかもしれませんよね。
0171名無
垢版 |
2017/05/12(金) 16:17:27.56ID:LtCDxrL4
ミケランジェロ丸亀の占い師は洗脳カルト
0172名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/05/13(土) 07:29:29.06ID:eBw7hlbx
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 155) ---
The Sun is also the Son who carries on the work of the Father.
「太陽」はまた、「父」の仕事を続ける「息子」でもある。

The Thirtieth Path is a composite one: The Four Elements, the Signs of the Zodiac
and the Planets are all involved, under the rulership of the Sun, as is symbolized
by the Hexagram.
「30番目の小径」は、複合したものである:「四大元素たち」、「黄道十二宮」、そして
「惑星たち」は、「六芒星形」により象徴されるように、「太陽」の支配権の下で、全て
巻き込まれる。

That figure means the perfect integration of Personality and Higher Self.
その(六芒星)形は、「人格」と「高次の自我」の完全な統合を意味している。
--- ここまで ---

最初の文は、「父」である「主」と、「子」である「イエス・キリスト」の関係です。

二番目の文は、惑星としての「太陽」が「六芒星」に割り当てられていることに関係して
いることをネタにしているのですが、いささか論理飛躍しすぎています。
とはいえ、「大アルカナ」は論理では語れませんので、とりあえずスルーします。

最後の文は、おそらく「セフィロト」のレベルの話であり、「ティファレト(太陽)」が、
「至高の三角形=究極の霊的自我」、「倫理的三角形=高次の自我」、「星幽的三角形=
人格」を統合している流れからの類推だと思うのですが、ここも少々論理飛躍があります。

まあ、「上の如く、下も然り」ですので、「ティファレト」にある下位の「太陽」と、
「大アルカナ」の「19:太陽」とは何らかの繋がりはあるわけですので、そういう類推を
すること自体は許容範囲と言えるわけですが、そういう下のレベルの話をここで持ち出し
てきても、もう知ってる話ですので、いまいち面白味に欠けるわけです。
とはいえ、上のレベルの話は、そう簡単には語れないというのが、最大の問題ですよね。
0173名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/05/14(日) 06:24:23.58ID:vsku8Wzq
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 155) ---
On the Tree of Life this is shown as the interaction of the Astral and Ethical
Triangles, God the Son of Tiphareth being primary to both.
「生命の木」においては、これは、「神」と「ティファレトの息子」の両方にとって基本的
なものである、「星幽的」と「倫理的」の「三角形たち」の相互作用として示される。

However the energies may be symbolized, the Path of THE SUN is a very important
initiatory one.
とはいえ、精力たちがどのように象徴されていたとしても、「太陽の小径」は非常に重要な
最初のものである。
--- ここまで ---

やっぱり、ここは「小アルカナ」である「セフィロト」のレベルの話になっています。
「小アルカナ」の「ティファレト/太陽」と「大アルカナ」の「19:太陽」を、同じレベル
で語るのは違和感ありまくりですが、とりあえず「象徴」となる「ネタ」の一つとして
解釈するのが良いかと思います。

ちなみに、「セフィロト」には「惑星」が配属されていますので、「大アルカナ」の
「7つの複字」の「小径」に配属された「惑星」と、何らかの相関関係が出てきます。
問題なのは、それらの関係性って、「どうなの?」ということなんですよね。

はっきり言ってしまえば、「大アルカナ」はあくまでも「象徴」ですので、中身は全く
違うものであるという「二枚舌」的な答弁になってしまうわけですが、「19:太陽」や
「18:月」は、カードにモロにデザインされていますので、なかなか言い逃れが難しいと
いう問題が出てきます。

ついでに言うと、この「19:太陽」って、すごく中途半端な立場なんですよね。
「マルクト」から離れた「very important initiatory one/非常に重要な最初のもの」で
あるにもかかわらず、「マルクト」に繋がる「20:審判」と「18:月」に挟まれてしまって
いる状態ですので、なんかどっちつかずな感じが否めないのです。
0174名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/05/15(月) 06:13:20.63ID:l0HExKPc
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 155) ---
The experience of THE SUN is very profound, for it is an introduction to the inner
sun which is the light of the personality as the physical sun is the light of the
material world.
「太陽」の経験は、それが、物質的な太陽が物質的な世界の光であるのと同様に、人格の光で
ある内なる太陽への入門であるので、非常に深遠なものである。

On this Path one experiences the warmth and light but, as on the plane of sensation,
it is a sun at which one cannot look directly without suffering damage.
この「小径」において、人は暖かさと光を経験するけれども、 感覚の次元においては、
それは、人は損害を被ることなしでは直接見ることができない時点にある太陽である。
--- ここまで ---

物質的次元、すなわちこの地上における「太陽」は、この地上の我々に、光と暖かさと
恵みをもたらすものであり、そして、朝には昇り、夕には沈むという、一日という時間の
周期も、同時にもたらしてくれるものです。

ちなみに、地上に降り注ぐ「太陽」の光は、「太陽光」そのままではなくて、この地球の
様々なバリア機能のおかげで、「光と暖かさと恵みをもたらすもの」になっていることは、
知っている人も多いと思います。

要するに、「地上」での太陽光と違って、宇宙空間、たとえば「月面」における太陽光は
極めて危険なものであり、それゆえ人間は「宇宙服」と呼ばれる強力なバリア機能を持つ
ものによって、危険な太陽光から身を守る必要があるわけですよね。

とはいえ、これは、「小アルカナ」の「ティファレト」の「太陽」も同じことであって、
「大アルカナ」の「19:太陽」だけが持つ特性ということでもありません。
両者の違いは、今のところは、「profound/深遠な」度合いの違いでしかないわけで、
結局のところは、学習者の理解のレベルに応じて、その解釈も変化するという、とても
属人的なものになってしまうわけなんですよね。
0175名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/05/16(火) 06:10:20.55ID:6POaibdB
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 155) ---
The opposites attributed to Resh by the Sepher Yetzirah, fertility and barrenness,
remind us that the same sun which illuminates and causes growth can destroy utterly.
『セフェル・イェツィラー(形成の書)』により「レシュ」に帰属されている反対物たち
である、肥沃と不毛は、成長を啓発し引き起こすのと同じ太陽が、完全に破壊できることを、
我々に思い出させる。

The blessing of the farmer is the curse of the solitary traveler in the desert,
and it is on this Path that one discovers the great potentials of this power.
農夫の恩恵は、砂漠の中の孤独な旅行者の呪いであり、この「小径」の上において、人は
この力の大いなる可能性を発見する。
--- ここまで ---

複字である「レシュ」には、「fertility and barrenness/肥沃と不毛」という属性が
付いています。
この「太陽」のパワーは、ちょっとでも多すぎると「砂漠化」になりますし、少なすぎると
「寒冷化」になり、なかなかバランスが難しいわけであり、そういう意味でも、現在の
「太陽」と「地球」は、ちょうど良い位置関係にあるということなんですよね。

まあ、この「宇宙」が創造されたのは奇跡的であり、そして「太陽」が生まれて「地球」
が生まれて、そしてこの地上に生命が生まれたのも奇跡的であるということなのですが、
そういう「奇跡」の実感というのは、我々にはあまり無くて、ごく当たり前のことと感じ
ていると思います。

「太陽」の真の偉大さというのは、そういう意味では、一般人にはなかなか気づかれにくい
ものなのですが、もし我々が地上から離れれば、すぐにでも思い知らされるものです。
その強力な「太陽光」と巨大な「重力」は、我々が「太陽系」の一員である限りにおいては、
最大の「恩恵」であり、かつ「呪い」でもあります。
つまり、そういう「見えない絆」とか「切ろうとしても切れない上からの一方的な絆」と
いうものが、この「19:太陽」の中に隠されているということになるわけですよね。
0176名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/05/17(水) 06:18:06.83ID:plT2HMlK
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 155) ---
This is the initiation of the Personality to the great source of inner light, an
initiation which takes place within the physical vehicle (walled garden) and affects
the dual components of the Lower Self.
これは、内なる光の偉大なる源への「人格」の参入儀式であり、肉体的な乗り物(壁で
囲まれた庭)の内部で起こり、「低次の自我」の二重の構成要素たちに影響を与える参入
儀式である。
--- ここまで ---

「21:宇宙」により目覚めた、まだ精神的に幼い「人格」は、この「19:太陽」の「小径」を
上昇することで、さらなる高みへと上昇します。

とはいえ、「19:太陽」は、「physical vehicle/肉体的な乗り物」である「マルクト」
とは直接繋がっていませんので、この「walled garden/壁で囲まれた庭」そのものは、
「マルクト」というわけではありません。
つまり、まだ「肉体的な乗り物」の影響下にある「イェソド」領域の「低次の自我」で
ある、いたいけなショタロリに対し、「高次の領域」にある太陽がいけない影響を与えて
いるという、実に妄想が膨らむ構図になっています。

それはともかく、ちとやっかいなのは、惑星レベルの「太陽」の存在感が大きすぎて、
我々のイメージが、そっちの「太陽」に引っ張られてしまい、この高次の「19:太陽」を、
適切に解釈できない場合があるということなんですよね。

タロット占い師は、「小アルカナ」と同様に「大アルカナ」にそれぞれ吉凶を付けたがる
のですが、それは大きな間違いであり、本来は「吉」と「凶」を併せ持つ存在です。
つまり、如何なる場合においても、二重の意味と二重の作用を持つわけですが、日本に住む
我々は、どうしても「暖かな太陽」というイメージに引っ張られて、「幸運のカード」と
見てしまう人が多いのです。
おそらくそれは、とんでもない勘違いですし、そもそも、「大アルカナ」は幸運をもたらす
ものというよりも、我々にとっては、どちらかというと「厄介物」に近いものですからね。
0177名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/05/18(木) 06:07:22.94ID:gRHUfU4B
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 155) ---
An important point must be repeated here, one all too often neglected by those
who discuss the Paths: Work on the Paths brings about definite physiochemical
changes in the human body.
ある重要な論点の一つであり、あまりに何度も「小径たち」を議論する人々により無視
されたものが、ここで繰り返し言われなければならない:「小径たち」に基づく作業は、
人間の身体の中に疑う余地のない生化学的な変化たちを引き起こす。

In his study course, The ThirtyTwo Paths of Wisdom, Paul Case emphasizes the extent
to which this is the case.
ポール・ケース氏の、彼の教育課程である「知恵の32の小径たち」において、これが事実で
あることについて強調している。

In describing the Path of Resh, he says of the man who has achieved adepthood:
「レシュの小径」を説明するときに、彼は、達人の階級を達成し終わった人物について言う:
--- ここまで ---

別に無視されているというわけではないと思うのですが、これはいわゆる「カバラ魔術」と
呼ばれる一種の「オカルト業界」での話ですし、そもそも「definite/疑う余地のない」
ほどの確信も無いので、そこまで強調しなくてもいいかな、と思うわけです。

要は、「個人の感想であり、商品の効能を確約するものではありません」とか、「個人の
感想であり、効果には個人差があります」といった、よくある健康食品的な妄想というか、
本当に効いているのかもよくわからないものであるので、あまり強調し過ぎるのも、どうか
と思うわけです。

ワタシの個人的感想を書くと、まあそれなりに身体的な効果はありますし、それなりに
面白いというか興味深いものなのですが、だから何?と言われると困ってしまうレベルの
話ですので、あまり突っ込まれるのもイヤかなぁ、と思うわけなのでした。
効果うんぬんを言えば、別に「大アルカナ」でなく「イワシの頭」でもいいわけですしね。
0178名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/05/19(金) 06:25:18.48ID:39rm3nVR
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 156) ---
...marked inner differences from the average person are due to psychological
contrasts to the mental states of ordinary human beings, but they are also the
outer signs of organic changes inside the skin of the new creature.
... 平均的な人からの著しい内なる差異たちは、普通の人間たちの精神的な状態たちとの
心理学的な対比たちに起因しているけれども、彼らはまた、新しい生き物の皮の内部の
有機的な変化たちの外面的(肉体的)な兆候たちでもある。

He is chemically and structurally unlike genus homo.
彼は、化学的そして組織的に、「ヒト属」とは違ったものである。

There are different constitutents in his blood stream.
彼の血流の中には、他とは異なる構成要素たちがある。

Through his nervous system pass currents of force not present in most human
bodies because in his organism channels are open which are closed in the physical
vehicles of most persons.
彼の神経系を通して流れる力の流れたちは、大部分の人間の身体たちにおいては存在しない
が、なぜなら、彼の有機体のチャンネルたちにおいては、ほとんどの人々の物質的な乗り物
たちの中で閉じられているものが開かれているからである。
--- ここまで ---

あー、うん、そうだねー。(cv:安野希世乃)

ちなみに、「constitutents」は、「constituent/構成要素たち」の誤植です。

なんか、黒歴史ノートに出てくるような記述そのもののような感じもするわけなのですが、
ケース氏は一般の人々とは異なる、そういう「業界のヒト」ですので、あくまでも商業的
な煽りが入っているということに留意しておくとして、まあ要するに、あっち側の人々は、
色々な面において「普通ではない人」ということなわけです。
0179名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/05/20(土) 07:07:18.37ID:LMynD2t/
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 156) ---
Centers in the nervous system and in the brain, and glands related to them,
function differently in the body of an adept from the way they do in the bodies
of the greater number of his contemporaries. (*104)
神経系内および脳内の中枢たち、そしてそれらに関連する腺たちは、彼の同年代の人々の、
より多くの身体たちの中において、それらが行っている方法からすると、達人の身体の中
では異なって機能している。 (*104)
--- ここまで ---

ちなみに、(*104)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 271) ---
104. Paul Case, Thirty-Two Paths of Wisdom, 16, 4.
104. ポール・ケース著、『知恵の32の小径たち』、16巻、4ページ。
--- ここまで ---
とあります。

前節(>>178)と、ここの文章は、おそらくは B.O.T.A の教育課程の資料からの引用であると
思うのですが、ワタシは資料そのものを見たことはありませんし、B.O.T.A の教育課程を
受講したこともありませんので、どういう流れの中から、こういう発言になったのかが
わかりませんので、軽々しいコメントは差し控えさせていただきたいと思います。

でもまあ、人間の中には、「見かけ=物理的」と「中身=精神的」が異なって機能している、
いわゆるLGBTと呼ばれる人々もいるわけです。
つまり、「達人」と呼ばれる人々は、そういう特殊な遺伝子配列を持っている人々である
場合も、あながち否定できないわけであり、それはすなわち、我々とは「物理的に異なる
存在」であると言うこともできるわけです。

まあ、「遺伝子操作」により、我々人類の限界を越えた「ニュータイプ」を生み出すと
いうのは、よくあるストーリーでもありますので、「19:太陽」から創造される二人の
「チルドレン」は、そういうものを暗示している可能性もゼロではないわけですよ。←大嘘w
0180名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/05/21(日) 06:18:48.99ID:8u21U5Pg
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 156) ---
It must also be borne in mind that the Personality, the component parts of which
are symbolized by these lower Paths, functions through the body as an
experience-collecting vehicle for the Spirit.
これらの下位の「小径たち」により象徴されているものの構成部分たちである「人格」は、
「霊」のための経験を収集する乗り物としての身体を通じて機能していることもまた、
心に留めておかれなければならない。

One of the most serious mistakes which can be made is to conceptually divorce
the physical body from the Powers which created it and which function through it.
犯されうる最も重大な誤りのうちの1つは、物質的な身体を、それおよびそれを通じて
機能するものを作成した「能力たち」から概念的に分離することである。

This is the crucible of the Alchemists, and the Sun is an important symbol in
the Alchemical process of "turning lead into Gold."
これは「錬金術師たち」の「るつぼ」であり、そして「太陽」は「鉛を『金』に変える
こと」の錬金術の過程において重要な象徴である。
--- ここまで ---

ちょっと補足しておきますが、「人格」を構成しているのは、あくまでも「星幽的三角形」
であって、「小径たち」だけでなく「セフィロト」も含んでいます。
そして、我々が感知できるものの多くは、「小アルカナ」に配属される「セフィロト」で
あって、「大アルカナ」に配属される「小径たち」のほとんどは、間接的に存在が確認
できるものですので、それは「身体を通じて機能している」ことは確かなのですが、
だからと言って、それは誰でもが容易に実感できるというものでもありません。

つまり、あまりに「body/身体」にこだわりすぎると、「人格」における「小径たち」の
作用を勘違いする可能性が高いわけですし、そもそも普遍的な「人格」は、「マルクト」
にある過渡的な「身体」からは距離を置いた存在ですので、その基本的レベルの違いは、
しっかりと理解しておいた方がいいわけですよ。
0181名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/05/22(月) 06:11:51.04ID:drWUa1Fp
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 156) ---
The Paths of the Personality lead directly into the physical vehicle, i.e., that
consciousness which we know as "self" is directly connected to our bodies.
「人格」の「小径たち」は、物質的な乗り物に直接通じており、すなわちそれは、我々が
「自我」として知っている意識が、我々の身体たちに直接接続されていることである。

The Higher Self functions through the Personality if its influence is to be brought
to the physical plane, as Pure Spirit must function through the Higher Self.
「純粋な精霊」が「高次の自我」を通じて機能しなければならないのと同様に、「高次の
自我」は、もしその影響が物質的な面にもたらされるのであれば、「人格」を通じて機能する。
--- ここまで ---

ここは、ごく当たり前のことを言っているだけなのですが、一部の業界の人は、「高次の
存在」から直接身体に作用するような感じの演出を行っていることも多くあります。

まあ、きちんと「人格」が形成されていないような人に対して、「高次の自我」うんぬんの
話を持ち出すこと自体が、どうかしているとも思うのですが、商売上は、こういう「高次の
自我」とか「純粋な精霊」のネタは必要不可欠なものですので、何ともしがたいわけです。

そもそも、世俗に生きる我々にとっては、「高次の自我」なるものは、ほぼ無関係な存在と
いうか、あると邪魔なだけであって、それにより我々にもたらされるものは、しょせん
「内なる幸福感」というような、全く食えないシロモノであることも確かです。
悪いことに、この「内なる幸福感」なるものは、より低次元の「内なる優越感」を引き
起こす場合もあるので、あまりお勧めしないものでもあるわけです。

そういう意味でも、とりあえず「マルクト」と、「人格」の「星幽的三角形」との関係性
を、しっかりと把握しておいて、自分自身を見失わないようにしておくというのは大事な
ことだと思いますし、それ以上のことは、あくまでもネタとしてのレベルで理解しておく
ことが必要なことだと思うのでした。
0182名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/05/23(火) 06:17:56.65ID:hP2sxQUi
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 156) ---
Of course, there is no actual separation between these three: The Tree of Life
describes a racial perception of a pattern of separation. But since perception
varies widely from organism to organism, each individual must literally create
his own Qabalah.
もちろん、これらの3つの間は実際には全く分離が無い:「生命の木」は、分類の様式の、
人種の認識を記述している。しかし、認識は、それぞれの生命体によって大きく異なる
ので、各々の個体は、文字どおりに彼自身の「カバラ」を創造しなければならない。
--- ここまで ---

「these three/これらの3つ」とは、すなわち
・「至高の三角形」:「究極の霊的自我」
・「倫理的三角形」:「高次の自我」
・「星幽的三角形」:「人格」
のことを指しているわけですが、これらはあくまでも概念的なものであって、我々自身は、
その違いを簡単に自覚できるようなものではありません。
ただし、様々な体験に基づき、形而上学的に考えて、そのような分類が存在しているの
かもしれないなぁ、という「キャラ設定」と「キャラ相関図」みたいな感じのものです。

ちなみに、この「生命の木」は、ユダヤ教のカバラ思想に基づいた「とある設定」の一つ
であり、我々のような普通の日本人からすると、縁もゆかりも無いネタが数多く入っている
ので、これを我々が理解して使いこなすには、かなりの勉強が必要となります。

そして、「勉強」という「頭の訓練」に使う分には、この「生命の木」の理論は、それなり
に役には立ちますが、それ以上のものを求めるのは、ちょっと難しいかな、と思います。
本当に使えるものにしたいのであれば、この「生命の木」を普遍的な元ネタとしておいて、
その上で、自分自身の手と頭で、自分自身に適合した新しい「ツール」、すなわち内なる
己自身と闘うための「武器」を錬成しなければならないということになるわけです。

まあ、かなり面倒臭いので、ワタシはやりませんが。←根性無しw
0183名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/05/24(水) 06:20:22.35ID:TOqTT0mL
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 156) ---
The experience of the Path of Resh is critical to the development of this individual
Qabalah.
「レシュの小径」の経験は、この個人の「カバラ」の開発にとって欠かせないものである。

It is, moreover, the Path where one may receive the acceptance and imprint of those
beings who direct the inner learning experience of the student.
それは、さらに、人が、学徒の内なる学習の経験を導く、あの存在たちの受諾と押印を
受け取ることができるかもしれない「小径」である。

It is the point at which the student may be admitted to candidacy for the greater
initiation of Tiphareth.
それは、学徒が「ティファレト」のより大きな参入儀式への立候補を認められるかも
しれない地点である。
--- ここまで ---

魔術カバラにおいて、生身の人間のゴール設定となっている「ティファレト」への下界から
上昇する「小径」としては、「ネツァク」からの「13:死」、「ホド」からの「15:悪魔」、
そして「イェソド」からの「14:節制」のルートがあります。

つまり、いきなり「ホド」から「ティファレト」へと上昇するには、「15:悪魔」が邪魔を
するわけですし、一見して楽そうに見える「イェソド」からの「14:節制」ルートは、
思っている以上に、とんでもない無理難題が待ち構えています。
つまり、下層の「小径」のステージでの修行を一通り終えて、各ステージのボスを倒して、
受け取るものを受け取って、きちんとフラグを立てておかないと、簡単にはゴールさせて
くれない仕様となっているわけです。

そういう意味では、このウォン氏の本は、きちんと各ステージの流れに沿って書かれており、
なかなか良く出来た「魔術カバラ」という知的ゲームの「攻略本」なんですよね。
攻略本が無くても、それなりに楽しめるものですけど、より深く楽しみたい人にはお勧めです。
0184名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/05/25(木) 06:08:57.58ID:cvsxxI6w
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 156) ---
A considerable number of discoveries are made on this Path leading into Hod, a realm
described by some as the point where the Inner Teachers exert their influence on
the material world.
発見されるものたちのかなりの数は、「内なる教師たち」が物質的世界にそれらの影響を
及ぼす地点であるとして何人かにより評される領域である、「ホド」に通じる、この「小径」
の上で作られる。

This is a Path where the nature of the relationship between mind and body may
become clear, where one begins to understand the control and limitations of the
intellect.
これは、精神と身体の間の関係の性質が明らかにされるかもしれない「小径」であり、
ここで人は、知性の制御と限界たちを理解し始める。
--- ここまで ---

「Inner Teachers/内なる教師たち」は、「高次の自我」以上の世界に住む方々であり、
個々の「人格」を司る「星幽的三角形」の構成要素に対して直接影響を与えており、
そして間接的ではありますが、「物質的世界」を上から目線で支配しています。

ちなみに、「ホド」から物質的世界である「マルクト」へは、「20:審判」の方が近道と
なっていますが、そちらは脇道で細くなっていますので、ここでは本流である
「ホド」→「19:太陽」→「イェソド」→「21:宇宙」→「マルクト」
の方が、質も量も多くのものを発見することが出来るということになっています。
なお、この「ホド」から上への「小径」は、どこを通っても大変そうなものばかりです
ので、ここから先へは一旦戻って、「イェソド」から「ネツァク」、そして「イェソド」
から「ティファレト」のルートの方が、いいかもしれません。
そう、「カバラ」では最短ルートが常に正解ということはありませんし、急がば回れ、
の場合もアリだと思うのでした。
というか、のんびり道草を食いながら、そして回り道しながら色々と探検するのが、
この手のクエストものの醍醐味ですもんね。(何の話だw)
0186名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/05/26(金) 06:28:04.20ID:D1fZw3hA
>>185
カキコありがとうございます。 (^_^)/

ワタシは個人的な趣味と勉強の範囲で翻訳やってるだけですので、
出版とかは、誰か他の人が、やってくれるといいんですけどねw
0187名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/05/26(金) 06:28:59.56ID:D1fZw3hA
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 156) ---
It is also a Path of awakening to the use of the tremendous sexual power of Yesod.
それはまた、「イェソド」の途方もなく大きな性的な能力の使用の覚醒の「小径」でもある。

It is the point at which sexuality is understood to be the great "secret" force
manipulated by the initiate of the Mysteries.
それは、性的能力が、「神秘的教義」の伝授者により操られる、偉大なる「秘密」の力で
あるとして理解されるところの地点である。
--- ここまで ---

何かいきなり「エロ」い方向へと話が進んでいますが、残念ながら、ここでのエロさは、
いわゆる「上級者向け」のものであって、我々が期待するようなものではありません。

我々にとってのエロさというものは、肉体的な「マルクト」と官能的な「イェソド」を
結ぶ「21:宇宙」の「小径」のあたりにあるものであって、官能的な「イェソド」から
知的な「ホド」へと至る「19:太陽」の「小径」のそれとは、全く性質の異なるものです。

それゆえ、ここでのエロさは、「神秘的教義の伝授者により操られる、偉大なる秘密の力で
ある」と大層に言われているわけですが、逆に言えば、我々のような下々の者にとっては、
単なるスジであって、ほぼ何の価値も無いものと見ることもできます。

つまり、この「19:太陽」の「小径」で、あっち方面の上級者のエロに覚醒してしまうと、
もうこっちの世界には絶対に戻って来れないという、「tremendous/とても恐ろしい」もの
であるということなんですよね。

いずれにしても、「19:太陽」の真のエロさは、このロリショタ像に象徴されているもので
あり、その真の正体を見抜いて、タイミングを合わせて「見えた!」とカキコできるように
なるには、それなりの過酷なる修行が必要ということなわけですよ。←大嘘w
0188名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/05/27(土) 07:25:53.40ID:ZSftKQDA
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 156) ---
Yesod is the Moon, sexuality, the ebbing and flowing Astral Light beneath our
material existence.
「イェソド」は、「月」、「性的能力」、我々の物質的な存在のすぐ下にある、満ち引き
する「星幽光」である。

Hod is Mercury, the first differentiation of the specific Personality.
「ホド」は、「水星」、具体的な「人格」の最初の分化である。

It is hermaphroditic, both male and female, as these qualities have yet to be
separated out when considering the Sephira on a downward course toward mainfestation.
それは、両性具有、男性と女性の両方であるが、それは顕在化を目指して下へと向かう
進路の上にある「セフィラ」を考慮する時には、これらの品質たちが、まだ分離されて
いないためである。
--- ここまで ---

ここの「mainfestation」は、「manifestation/顕在化」の誤植ですね。

さて、エロさを伴わない「男性性」と「女性性」という象徴概念的な意味での分化は、
既に高次の「コクマー」と「ビナー」で経験済みなのですが、より具体的なエロさを伴う
「性別」の分化というか進化は、低次の「星幽的三角形」から始まります。
つまりは、
・ネツァク=単性生殖(女性のみ存在、単細胞生物みたいなもの)
・ホド=両性具有(個体内に男性と女性が共存、植物のめしべとおしべみたいなもの)
・イェソド=男性(マルクトと対になる存在)
・マルクト=女性(イェソドと対になる存在)
という概念であって、つまりはエロさに関する「男」と「女」は、この「ホド」を源流と
しているわけなのですが、この「ホド」にある「男」と「女」の話って、それなりの
「上級者向け」であるため、より下々にいる我々は、もっと分かりやすくハァハァできる
「イェソド」と「マルクト」での話題の方がいいかな、と思ったりするのでした。w
0189名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/05/28(日) 06:49:39.44ID:y+/XN8y8
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 156) ---
The Path of THE SUN, thus considered developmentally, is the point of childhood
of the emerging Personality as it builds toward a new incarnation.
「太陽の小径」は、それゆえに発達的に考慮されるならば、それが新しい肉体化に向けて
築くのと同じく、出現する「人格」の幼年期の時点である。
--- ここまで ---

個人レベルの性的進化を、「developmentally/発達的」に考えると、「ティファレト」
あたりから降りてきた「霊」の性別不詳の「種」を元にして、以下のように個体の男女に
進化したと見ることができます。
・ネツァク=受精卵
・ホド=生殖器が形成されてきてはいるが、まだ雌雄判別できない初期の胎児
・イェソド=男性化した胎児以降
・マルクト=女性化した胎児以降

まあ、あまり「男」とか「女」という性別だけにこだわるのもアレかと思うのですが、
一応、「19:太陽」は、そういうもの前提でネタ化されているものですので、あまり深い
意味でツッコミを入れないでください。
こういう「神秘学的」、つまり「非科学的」な分野でのな男女問題って、現代においては
別の意味で問題視されやすいものですしね。
(まあ、何でもかんでも差別と言いたい人も、どうかと思うのですが…)

それはともかくとして、ここで問題になるのは、この「19:太陽」の作用は、我々が手を
出すことの出来ない「胎児」の期間に発揮されているこということであり、つまりこれは、
下々の我々から見ると「受け入れざるを得ない運命」とされているわけです。

まあ、現代の生殖技術をもってすれば、男女の産み分けは可能ではあるわけですが、
基本的には、「男」と「女」の産み分けは、怪しい言い伝えを信じていかがわしいことに
チャレンジしてみるか、もしくは神様に祈るしかないのが現状ですよね。
子宝と男女の産み分けは、科学とオカルトの両方にとって、金のなる木なのでした。
0190名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/05/29(月) 06:19:38.77ID:bTdNS3/d
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 157) ---
When we travel this Path upwards, we return to this point of new innocence.
我々が、この「小径」を上に向かって旅する時には、我々は新しい無罪のこの時点に戻る。

It is, quite literally, a growing younger, a process of birth backwards until we
reach a stage where there is some recollection of the source from which we emerged.
それは、全くの文字どおりに、より若く成長することであり、我々がそこから出現した源泉の、
何らかの思い出があるところの段階に我々が達するまでの、後ろ向きの誕生の過程である。
--- ここまで ---

もしかして期待している人がいるかもしれないので、ここで最初に言っておきますが、
「19:太陽」のパスワーキングは、「幼児退行」プレイではありません。

「new innocence/新しい無罪」というのは、神から授かった「命の素」の状態であり、
そして、エデンの園で生まれた原初の「アダムとイブ」という感じのものであり、まだ
「地上での肉体」としては完成されていない状態です。
我々の世界で言うと、これは「胎児」に近い存在です。

要は、「19:太陽」は、全ての人にとって、「人」が、人を産み出す「神」の元に、最も
近づくことが出来るポイントであるということであり、人はそれなりに訓練していけば、
「マルクト」→「21:宇宙」→「イェソド」→「19:太陽」というメインルートを通って
上昇することは、それほどの困難さは無いということでもあります。

とはいえ、この「19:太陽」は、我々のような一般人にとっては、それほど使いやすいと
いうものでもありませんし、何かメリットのあるものでもないというのも確かです。
その大きな原因は、「19:太陽」が「マルクト」に接続されていない、つまり足が地に
着いていないということであり、このため、この我々の世界に直接的な影響を及ぼして
いるようには見えないので、我々にはその効果がわかりにくいからなんですよね。
それに、一般向けの「幼児退行」プレイならともかく、上級者向けの「胎児退行プレイ」
なんてものは、まず需要が見込めませんからねぇ。
0191名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/05/30(火) 06:14:44.10ID:irs/1Vm+
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 157) ---
This youthfulness, the Childhood of the Sun, is represented in Waite's card.
「太陽の幼年期」という、この若々しさは、ウェイト氏のカードにおいて表されている。

Here, following an iconography developed by Levi, a child is shown riding a white
horse, symbol of Apollo, the Sun God.
ここでは、レビ氏により発達された図像研究を受けて、子供が、「太陽の神」である
「アポロ神」の象徴である白い馬に乗っているのを表している。

The implication is that on this Path we become the child Apollo.
言外の意味は、この「小径」の上で、我々は子供の「アポロ神」になる、ということである。
--- ここまで ---

ウェイト版の「19:太陽」は、他のカードと違って、少々古い時代のものをベースにして
いますが、それは、レヴィ氏の著作である『Dogme et Rituel de la Haute Magie/高等
魔術の教理と祭儀』(1854年発行)の中で紹介されている「白馬に跨り、深紅の旗をかざす
一人の裸の子供」という説明文を元にしてデザインされているためです。

オーソドックスな「男女二人の子供」の構図がいいのか、ウェイト版のような「白馬に跨る
一人の性別不明の子供」の構図がいいのか、まあ趣味の問題とも言えますが、ラブコメが
好きなら前者で、冒険モノが好きなら後者ということになるのではないかと思います。

あと、個々の人生の旅立ちの真の出発点という意味においては、このウェイト版の方が、
それっぽく描かれていますので、そういう幸せな「勇者の旅立ち」を必要とするシナリオ
においては、こっちの方がしっくり来るかもしれませんね。
まあ、「ネツァク」を起点とする「16:塔」のような、不幸を伴う旅立ちパターンも準備
されていますので、ストーリーに合わせて、好きな方を選べば良いかと思います。

ワタシ個人としては、ラブコメも好きですし、幸せな勇者のストーリーでもいいですし、
不幸な生い立ちの勇者というのも、いずれも捨てがたいところですね。←優柔不断w
0192名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/05/31(水) 06:27:00.54ID:JmihjQVj
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 157) ---
The Golden Dawn card, basically following the Marseilles version, shows two naked
children in a garden enclosed by a wall.
ゴールデン・ドーンのカードは、基本的にマルセイユ版を受けて、壁により取り囲まれて
いる庭の中にいる2人の裸の子供たちを表している。

One is standing on earth, the other is standing on Water.
一方は地の上に立ち、他方は水の上に立っている。

These are the purest expression of the positive (male) and negative (female)
principles in incarnation, interwoven as in the Chinese Yin and Yang.
これらは、中国において「陰」と「陽」と同じようにして織り合わされた、肉体化における
正(男性的)と負(女性的)の原則たちの中で最も純粋な表現である。
--- ここまで ---

このゴールデン・ドーン版の、太陰大極図にある「陰陽」の形状を模した「地」と「水」
の表現は、マルセイユ版などの他のカードには見られない、特徴的なものです。

そもそも「19:太陽」は「陽」のイメージのカードであり、これと対比する「陰」としては、
暗くて水っぽい「18:月」や「17:星」があるので、役割分担をすればいいのにと思うの
ですが、あえてこの「19:太陽」に、「ホド」の両性具有の属性を付けてきています。

その結果として、このカードの構図的には、中央に太陽があり、左右に「男性原理」と
「女性原理」があるという、ほぼ完璧かつ完全無欠なものとなっており、「肉体化」に
おいては、この「19:太陽」と「21:宇宙」だけでいいんじゃないかな、的な完成された
フォーメーションとなっているわけです。

要は、「陽」を象徴する存在という意味でも、我々にとって重要すぎる役割を担っている
カードなのですが、あまりにも「purest expression/最も純粋な表現」で普遍的すぎる
ので、逆に効果的な使い方が良くわからないという贅沢な悩みもあるわけなのでした。
0193名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/06/01(木) 06:15:50.19ID:9hVsCouT
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 157) ---
The active male principle operates through the solid earth, while the passive
female principle operates through the fluid consciousness of water.
能動的で男性的な原則は、固体の地を通じて作動し、その一方で、受動的で女性的な
原則は、水の流動的な意識を通じて作動する。

They hold hands to indicate that their activities are reciprocal.
それらは、それらの活動たちが相互的であることを示すために、手を握り合う。
--- ここまで ---

ここは、現実の「男」や「女」の関係がどうであるかはともかくとして、あくまでも
「principle/原則」として、象徴的に「男性原理」と「女性原理」を扱っています。

さて、太陰大極図にある「陰陽」もそうなのですが、ここで重要となっている概念は、
彼らが子供の姿のままで「hold hands/手を握り合う」ということです。

つまりこれは、男女関係のエロさとは全く無縁のものであり、我々の肉体が誕生する前に
作られる、我々の「人格」の形成過程において、このように「男性原理」と「女性原理」が
表裏一体となって内部で作られている、ということを表しているわけです。

つまり、下位の「肉体」のレベルにおいては「男性」と「女性」は明確に区別できるわけ
ですが、より上位の「人格」のレベルにおいては、そう簡単には両者を分離して考えること
はできないわけであって、常に「陰」と「陽」が手を繋いだ状態で、相互関係を考慮して
いかなければならないという、非常にやっかいなことになっているわけです。

何で人間の中では、こんなに面倒臭い構造になっているのかと言うと、結局のところは、
「上の如く下も然り」ですので、上位存在の「神」の構造が、こういう二重性を持つという
ことに他ならないということなのですが、じゃあ、「何で「神」が二重構造なんだ」と
聞かれても、「なぜか、そうなっている」としか答えようがありませんけどね。←無責任w
0194名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/06/02(金) 06:36:22.05ID:h7jy5ZHG
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 157) ---
This is also a reference to Gemini, the sign which links Taurus (Earth) and
Cancer (Water).
これはまた、「金牛宮(地)」と「巨蟹宮(水)」を繋いでいる宮である、「双児宮」
にも関係がある。

Gemini was also the sign referred by the Greeks and Romans to Apollo and to the
Sun.
「双児宮」はまた、ギリシャ人とローマ人によって、「アポロ神」と「太陽」に関連付け
られた宮でもあった。
--- ここまで ---

「黄道十二宮」においては、「金牛宮(地)」「双児宮(風)」「巨蟹宮(水)」の並びと
なっているのですが、そもそも、「19:太陽」は、「ホド(水)」と「イェソド(空気)」
を繋ぐものですので、ここはちょっと強引すぎる論法ではないかと思います。

それに、「双児宮」のギリシア神話では、人の子である兄の「カストル」と、神の子である
弟の「ポルックス」とされており、男と女の組み合わせではありません。
また、「双児宮」の守護星は「Mercury/水星」すなわち「ヘルメス神」であるので、
「太陽」に仕えるという意味では関連があるとも言えますが、いささか強引すぎます。

ちなみに、「アポロ神/太陽」自身は、「アルテミス神/月」との双子なのですが、この
「19:太陽」の構図に当てはめると、「太陽」の位置に、父親である「ゼウス神」が来る
ことになりますので、これも、しっくりと来ない感じです。

というか、「双児宮」は、本来は大アルカナの「6:恋人たち」に配属されるべきものです
ので、ここに無理して関連させる必要も無いと思うんですよね。
どうしても結び付けたいのであれば、「太陽」を守護星に持つ「獅子宮」であると思う
のですが、「獅子宮」が配属される大アルカナは「8:力」のカードですし、これもなんか
「19:太陽」とは次元の違うものですので、やはり無理しない方がいいと思うのでした。
0195名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/06/03(土) 05:55:06.02ID:aQo6impm
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 157) ---
The relationship of the Sun to the Zodiac is of some importance, as is indicated
by the twelve rays in both the Golden Dawn and Crowley cards (Waite used 22 and
the Marseilles deck 16).
「黄道十二宮」への「太陽」の関係は、ゴールデン・ドーン版とクロウリー氏の両方に
おいては12本の光線たち(ウェイト氏は22本、そしてマルセイユ版デッキは16本を使った)
により示されるように、いくつかの重要性がある。

The Zodiac relates to Chokmah, from which the energy of this Path ultimately derives.
「黄道十二宮」は「コクマー」に関連しており、この「小径」の精力は究極的にはそれに
由来している。
--- ここまで ---

そもそも、「黄道十二宮」というのは、天球における「太陽」の動き(一年)と、「月」
の周期(一月)により決められたものですので、何も言わなくても重要なものです。

占星術にとっては、「太陽星座」が最も重要ですし、この地上においても、「太陽星座」
に関連した暦の上での「月」が、人々の生活に重要な役割を果たしているのは明白です。

とはいえ、この「19:太陽」のエネルギーが、「コクマー」由来であるという意味は、
いまいちよく理解できていないです。
そもそも、「生命の木」における「ultimately/究極的」なエネルギーは、「ケテル」に
あるわけですし、大アルカナの「19:太陽」は、「ティファレト」の「太陽」のような
生命活動的なエネルギーを放射しているわけではありませんので、「コクマー」との
関連性と言われても、いまいちピンと来ません。
どちらかというと、「黄道十二宮」に配属された全ての「小径」のエネルギーが、この
「19:太陽」に集約されていると言われた方が、納得できるかもしれません。
実際のところ、大アルカナにおける最後の「黄道十二宮」のカードは、この直前にある
「双魚宮」の「18:月」のカードですので、「19:太陽」が、それらの星座エネルギーを
集約して、下界に再放射するという話の方が、ネタ的には興味深いと思うのでした。
0196名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/06/05(月) 06:12:33.73ID:fcl4TV4A
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 157) ---
The patterns of this energy are, moreover, shown by the salient and wavy rays,
the alternating male and female currents.
この精力の様式たちは、さらに、凸状と波状の光線たち、交互の男性および女性の流れに
より示される。

The seven falling Yods (Chokmah, again, being the ultimate source of the Yod) refer
to the energies of the planets, under solar rulership, descending into matter.
7つの落下する「ヨッドたち」(「コクマー」は再び、「ヨッド」の究極的な源である)は、
太陽の支配権の下で、物質の中に下降している、惑星たちの精力を参照している。
--- ここまで ---

「黄道十二宮」そのものにも、「男性性」と「女性性」が交互に現れるのですが、それが
この「19:太陽」にも取り入れられています。
それは、突起状の太陽の炎の形状が、直線的か曲線的かの違いで表されています。

そして、太陽の下の、男児の頭上に7つ、女児の頭上に7つの「ヨッド(火)」が配置されて
いますが、これがそれぞれ「7つの惑星たち」を表しているということです。

ということで、この「19:太陽」のカードは、「黄道十二宮」と「七惑星」と「太陽」と
「地」と「水」、さらに鉄壁なガードとなる「壁」という、ほぼ完璧なる構図となって
いて、全く負ける気がしない、とても恵まれた状態を表しています。
そしてこのまま、「21:宇宙」を通って地上に降り立つことができれば、一つのゴールで
あり、そして次ステージへのスタートであるということになるわけです。

それにしても、なんか恵まれすぎていて、逆にちょっと不安になってくるわけですが、
まあ、まだ何も知らない「無垢」の状態というのは、きっと幸せなことなんですよね。
せめて天界ぐらいは、こういう幸せな状態であってほしいと思うのですが、他の大アルカナ
のカードを見てると、「上の如く、下も然り」であって、天界にも結構色々あるんだなぁと
思うのでした。
0197名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/06/06(火) 06:20:26.21ID:zF6hzq0u
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 157) ---
Crowley's card is related to JUDGMENT, which he called The Aeon.
クロウリー氏のカードは、彼が「永劫」と呼んだ、「審判」に関連付けされている。

It shows Heru-Ra-Ha, the Lord of Light who is the ruler of the new aeon to come,
the next stage of human development.
それは、人間の発達の次の段階である、来たる新しい永劫の支配者である「光の主」である、
「ヘル−ラ−ハ」を表す。
--- ここまで ---

クロウリー理論によると、このトート版の「19:太陽」は、惑星の「太陽」というものでは
なくて、次世代の支配者である「光の主」である「ヘル−ラ−ハ」なる存在であるという
ことです。
つまり、このカードは「未来のあるべき姿」ということのようです。

だから何?、とか、じゃあどうすればいいの?、とか言いたいわけですが、『トートの書』
に書かれていることは、あまりにも厨二病が酷いので、よくわかりません。

でもまあ、絵柄そのものは、ゴールデン・ドーン版に基づいたものであるので、そんなに
わかりにくくはないのですが、ゴールデン・ドーン版からすると、やっぱり違和感がある
ことは否めませんけどね。

まあ、トート版が、ワタシの趣味には、個人的に適合しないという問題はさておいて、
このカードの意味を本当に理解できる人って、本当にいるのかなぁ、と思うのでした。
というか、トート版って、ほとんどの人は、オカルト業界の誇大宣伝に乗せられて買った
のだと思うのですが、そういう人達って、カードの意味を、よくわからないまま使って
いると思うのですが、そういう売り方ってのも、なんだかなぁ、と思うのでした。

まあ、ワタシの場合も、乗せられて買ってしまった後は、しばらく机の中で眠っていた
わけですので、そういう人達の中の一人でもあるわけですけどね。
0198名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/06/07(水) 06:23:16.67ID:bqQVjCk0
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 157) ---
Appreciating this emphasis, it is curiously amusing to realize that Crowley has
based the card on his own family crest, "the Sun charged with a rose on a mont
vert." (*105)
この強調を十分に理解することで、クロウリー氏が、彼自身の家紋である、「緑の山の上の
薔薇に満ちた太陽」にカードの基礎を置いたことを理解することは、不思議で面白い。
(*105)
--- ここまで ---

ちなみに、(*105)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 271) ---
105. Crowley, Book of Thoth, 113.
105. クロウリー著、『トートの書』、113ページ。
--- ここまで ---
とあります

クロウリー家の「family crest/家紋」については、ワタシはまだ見たことが無いので、
確たることは言えませんが、とりあえず、そういう「家紋」的なものをベースにして、
このカードがデザインされているということです。
「mont vert/緑の山」とか「薔薇」とか「太陽」というのも、そういう家紋的な象徴を
ベースとしてデザインされたものみたいですので、オカルトの分野とは、ちょっと違った
解釈が必要となのですが、あいにくワタシには、そっち方面の知識は無いのでした。

まあ、こういうのって、クロウリー氏の厨二病的な趣味の一環ですし、ワタシ的には
あまり深入りしたくはない方向ですので、後は興味のある方に、お任せしときます。
というか、クロウリー氏の象徴体系って、ヒネリすぎてるというか、ゴチャゴチャしてて
一貫性も無いので、いまいちよくわかんないんですよね。
面倒臭いのって、性格的に苦手なのです。ww
0199名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/06/08(木) 06:20:36.63ID:U05aEJn6
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 157) ---
According to his explanation, the rose surrounded by the Signs of the Zodiac shows
the development of solar influence.
彼の説明によると、「黄道十二宮の宮たち」により取り囲まれた薔薇は、太陽の影響の発達
を表す。

The green mound of earth beneath the rose-sun means fertility, and is so shaped as
to suggest aspiration toward the higher.
薔薇の太陽の下の地球の緑色の小山は、肥沃さを意味しており、そして熱望がより高くなる
ことを示唆するように、そのように形づくられている。

As in the other versions, there is a walled enclosure, but here the children are
outside of it, meaning that humanity is no longer bound by the "prejudices of the
people that date morally from about 25,000 B.C." (*106)
他の版においては、壁で囲まれた囲いがあるけれども、ここでは子供たちは、人類はもはや
「おそらく約紀元前二万五千年から始まる人々の先入観たち」により束縛されないという
意味で、それの外にいる (*106)
--- ここまで ---

あ、そうなんだー。(cv:安野希世乃)

ちなみに、(*106)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 271) ---
106. Crowley, Book of Thoth, 114. It is anyone's guess how he arrived at this date!
106. クロウリー著、『トートの書』、114ページ。
彼がどのようにしてこの年代に到達したのかは、誰にも分からない。
--- ここまで ---
とあります

身内からも、ツッコミが入ってますね。w
0200名無しさん@占い修業中
垢版 |
2017/06/09(金) 06:24:26.70ID:YAIRi3Tz
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 157) ---
Most interesting, perhaps, is Crowley's point that the cross, from the formula of
the Rose-Cross, will expand into the Sun and twelve rays.
最も興味深いことは、もしかすると、「薔薇十字」の公式からの十字が、「太陽」と12本の
光線たちに拡張するという、クロウリーの論点であるかもしれない。

It will no longer be limited by four arms, but will radiate outward freely.
それは、もはや4つの腕たちにより制限されずに、外へと自由に放射するであろう。
--- ここまで ---

う〜ん、何か違うんだよな〜それが何なのかわかんないけど。(cv:安野希世乃)

まあ、『トートの書』には、妄想力のカタマリというか、一発キメてから書いてるだろう
(まあリアルでキメてましたが)的なノリで、「薔薇十字」と「19:太陽」の絡みについて
の文章が書かれていますが、あまりにも文学的であるため、ワタシには理解困難というか、
少なからず違和感があるわけです。

というか、キリスト教的というか宗教っぽいものが、こういう大アルカナに入ってくる
という時点で、そういう世俗的なものに対する違和感があるんですよね。
ゴールデン・ドーン版の無臭性と比べると、トート版のクロウリー氏の説明文は、どちらか
というと、うさん臭い方の宗教臭がするわけで、おそらくそれに対する違和感があるのでは
ないかと、勝手に自己分析しているのでした。

とはいえ、そういう信者たちに対する布教活動というのは、ヲタクたちの住まう同人世界に
おいては、ごく普通に行われているものですし、それ自体は悪いことであるとは言えない
わけです。

ということで、一般人であるワタシは、どうしても、そういう魑魅魍魎、いえいえヲタク
たちの世界からは一歩引いて、(cv:安野希世乃)的な思考を巡らすということになるわけ
なのでした。
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