■西洋占星術の月について■part5
違和感を投げかけている方の多くは>>838の概念を生理的&安全欲求として既に折込み済の上で話されていると思いますが…
(人気を得て気に入られなければとか…強迫観念とか…月自体の擬人化は少し疑問なのですが)ツッコめばキリがないのでそこは飛ばして、自分の疑問も含めて問題点をまとめました
【月欠損説の問題点】
①他天体とのアスペクトを無視して月星座のみで欠損を主張し「占星術」として整合性が取れない話をしていること(>>792参照)
②欠損レッテルが>>785のように感覚的な話であり、>>760のような誤解を招くこと。持論を「教科書」として出しておられること
⇨『本当は残念な月星座占い』ならわかります
その他、欠損レッテルについて言いたいことは765, 767-768に書きました
③A先生は『月は伝統的な占星術解釈では死の星』と説明しているそうですが、この出典が不明です。紀元前2世紀メソポタミアでの月は暦の神や豊穣神と結びついていますし、17世紀『CA』にもそのような記述は見つからなかったです
⇨「再生(死を含む)」と言いたいのか?とも勘ぐりましたが、これは占星術解釈ではなく古今東西に共通する普遍的な思想です
また月を異界とする根底には「死と再生」や「不老不死」の連想がありますが、死そのものよりも「生」を重視しておりA先生の説明とはニュアンスが異なります
「死の星」は一体どこから出てきたのでしょうか? ④軌道や周期を考慮せず月星座に偏れば、それは月星座占いではないか
⇨12分割の静止した月しか見ないのは何よりも執着的ではありませんか?
⑤その静止の月を強化するために「仮定の反対星座を使う」そうですが、プログレスは一切無視するのでしょうか?占星術的にp月が巡り12サインを経験獲得する考えはないのでしょうか?
⑥朔望こそ月の最大の特徴なのに、衛星である月を静止させ、恒星の太陽を動かして仮定に用いるのは本末転倒で滑稽です
⇨これでは流れを止められた水が澱むように、月を殺して欠損たらしめませんか?(あえて欠損と言う言葉を使った)
月が古来から生死や再生の象徴とされたのは【朔望】があるからで、新月で一度途絶えた光が復活する「永遠性」が重視されたからです
その永続性を断ち切り「死」と「鏡性」のみに注目するのはなぜでしょうか?
⑦西洋ではlunatic(狂気)の語源が月であるように満月を不吉な予兆とする記録も多く残っています。対向サインで満月を作り強化する考えは、それこそ月への執着を強める発想で逆効果ではないですか?