中学の時に水泳でフットマークの101591みたいなのを穿くことになって試着。
鏡で見たらV字にお尻に貼り付いて食い込んでるわ、前は露骨にそれっぽい形出てるわで
その無様さと穿いてる感覚の両方で謎の背徳感がしてきてた。
初めて穿いた面積の小さい、そしてV字に近い形が衝撃的で既に嫌いな水泳がより嫌いになってた。

そしてそんなフットマークのサポーターで嫌悪を抱いたのに、高校で買わされたのがD&M2430。
手に取った時からわかる嘘みたいな白のテカテカ光沢と色々浮き出る薄さで既に恥ずかしい。
初めて試着した際は、足を完全に通す前から膝辺りで突っかかる小ささとナイロン特有の冷たさが印象的だった。
ローライズとは言え、あの時のフットマークと同じだろうと考えていたが鏡の前で考えがアップデートした。

普段はゆったりとしていた玉の側面がそんな生地で締め上げられて形が浮き彫りになる。
竿にも皮の境目までわかるぐらいに立体的に貼り付きで、亀頭の方は上からうっすらピンク色が写る。
サイズは合っててもお尻も足踏みするだけで食い込んで、穴には常時接触していて体勢によっては周辺に摩擦も感じる。
下着として隠してるはずなのに、思春期特有の身体に対する羞恥心をひたすら煽り立ててくる様だった。

発育の進みゆく性的な部分を白いナイロンの反射で誇示させられて無様で倒錯染みた姿になって、
なお敏感な所ばかりを強く締め付けられるのに、反応すればするほど性的反応が強くなる自己矛盾。
鏡に映るのは小さめの白いツルツル下着を穿いて勃起する、今まで体験した事の無いほど屈辱的な自分の姿だった。

今まで下着も渋々買って来た上、これだけを買い替えるにしてもその理由が激烈に惨めだったため、
水泳の時には常用するしかなく、激しくも秘かにうずく色々な葛藤を忘れるようにしていた。
でもやっぱり気になってしまう自分がいた。

サポーターはあくまで健全な目的のために作られた物であり、それを穿くことがほぼ不文律となっている男女共学。
またサポーターの説明文には、「動きをサポート」だの「水着等が脱げてしまった際も安心」等と記されている。
でも両者共に他意はなく、思春期のそんな仕方無さのマナーや単なるスポーツウェアの一部とするならば、それは非情な事実を生んでしまう。
その健全で安心できる学校生活のために恥部が締め付けられ、男女スポーツの福祉のために背徳的な姿を余儀なくされるのだから。
そして多くは誰にも語らず、「サポーターは、そういうものだ」と自らがその卑猥なものに足を通すのである。

ある日それを加味した上でなお、サポーターだけになるのが別の目的となった。
罪を犯した様なぐらいのこの無様な格好で勃起している、高校生で新たな快楽に気付いてしまった信じがたい自分を許せない。
「水泳の時に穿かないといけない」「健全なもので卑猥なものじゃない」「のに恥ずかしい」「でも気持ち良い」
自らが嫌っていたあの姿になって、胸の高鳴りに身を委ねながらも建前で自分を否定する。
不健全だと頭でわかっていても、嘲笑うかのように充血する陰茎。
サポーターは白い光沢で切ないほど浮き彫りになっていく恥部を強く包み込む。
健全なスポーツウェアの恥部を目立たせなくさせる機能が性的興奮に一役買ってしまうなど誰が考えるだろうか。

そう、これは設計の意図や目的と、利用者の潜在的な欲求の非対称性が織りなしたアイテムだったのである。
または多感な思春期を健全に過ごせるように努力した学校の福祉精神によって起こった悲劇ともとれる。
そして、この顛末は今もなお誰かの下に訪れてる。
学校か、ジムか、コスプレか。サポーターとの真の出会いは全ての健全な者に開かれているのだ。