【御巣鷹】日航機墜落事故から22年【123便】
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1985年8月12日、日航機123便が群馬県上野村御巣鷹山の尾根に墜落し
520名の方が亡くなりました。今年で22年になります。 >>713
ttp://blogs.yahoo.co.jp/minaseyori/62276309.html
このブログ見ると、陰謀説じゃなくて事実にしか思えんのだが‥ 俺は何の因果かまさにこの日に生まれた。
しかも、生まれた時刻まで墜落時間とほぼ同じ。 まぁ単なる偶然なんだろうが
亡くなった人達の分まで生きてくれ 当時藤岡市の会社に勤務していた。
夏期休暇で彼女と出かけた清里からの帰宅後に123便のことをニュースで知った。
翌朝、墜落のニュースを見て、もしかしたら自分たちの上空を飛んでたのでは?と思ったことを覚えている。
会社のパートの女性から、遺体安置所となっている子供の学校の体育館で作業をしている関係者たちに、お茶を出す当番なので、
早退したいと言われたのにはびっくりした。
市内のいくつかの学校の体育館が遺体安置所となっており、ドライアイスが引かれていたが暑さを凌げるほどのものではなく、
大変だったらしい。
連日ヘリコプターが飛び、自宅の上空が空路?になっており、職場でも休日に自宅でもヘリコプターを見ていたためか、
今でもヘリコプターの音を聞くだけで思い出す。 520人の犠牲者を出した1985年の日航ジャンボ機墜落事故現場となった群馬県上野村の「御巣鷹の尾根」で、墓標が2月の大雪で倒れるなどの被害が出たことが17日、村などへの取材で分かった。
登山道に大量の雪が残っているため、村は29日に予定していた山開きを当面見合わせることを決めた。
12日に現地を調べた尾根の管理人黒沢完一さん(71)によると、尾根に散在する墓標のうち十数基が雪の重みで倒れていた。なだれで流されたのか、元の位置から100メートル近く離れた場所で
見つかったものもあった。休憩用の小屋も雪の重みで壁や窓が壊れ、トイレも扉が開かなくなっていた。日陰に2メートル近い積雪が残り、修繕作業ができない状態という。(2014/04/17-16:41)
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2014041700654 「御巣鷹の尾根」登山道が開通 日航機墜落の現場
1985年の日航ジャンボ機墜落事故の現場となった群馬県上野村の「御巣鷹の尾根」の登山道が31日、
開通した。2月の記録的な大雪の影響で約1カ月、遅れていた。上野村によると、例年、4月下旬
に登山道の通行止めを解除するが、今年は4月中旬になっても大量の雪が残り、閉鎖期間を延長。
雪解けを確認した5月中旬から道路整備を進めていた。大雪で被害者の氏名を記した銘標数本が折れる
などの被害が出たが、尾根を管理する財団法人「慰霊の園」が修復した。事故は85年8月12日に発生。
羽田発大阪行き日航123便ボーイング747が御巣鷹の尾根に墜落し、乗客乗員524人のうち520人が死亡した。〔共同〕
ttp://www.nikkei.com/article/DGXNASDG3100L_R30C14A5CC0000/ NHK炭鉱ビデオ金銭ミルクGALコンチネンタル中東パクキン沖縄海焼きそば 西村ニューヨーク反省会ファミレス深夜ランチおしゃべり問題
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NHK炭鉱ビデオ金銭ミルクGALコンチネンタル中東パクキン沖縄海焼きそば 西村ニューヨーク反省会ファミレス深夜ランチおしゃべり問題 YouTubeでボイスレコーダー聞いたけど今更ながらコックピットクルー3人のやり取りマジで壮絶過ぎるわ 慰霊登山:空の安全、つえに願う 群馬の小学生
日航ジャンボ機墜落事故現場「御巣鷹の尾根」(群馬県上野村)の登山口に置く慰霊登山用
のつえに、地元の同県藤岡市立美九里東小学校の5、6年生計56人が3日、犠牲者の冥福
や空の安全を願う言葉を書いた。つえは同市の無職、本多一助さん(73)の手作り。事故
当時、市内に設置された遺体安置所では、多くの市民ボランティアが遺族を支えたが、17歳
の時の労災事故で両足を切断した本多さんは「自分は何もできなかった」と悔やんだ。
そんな中、高齢の遺族が苦労して登山していると知り1992年に上野村に届けた。2001年
からは孫が通っていた縁で毎年約100本を同小へ届け、これまで計2386本を作った。
同小5年の宮沢天空さん(10)は「ぶじにのぼりぶじに山からおりてください」と書いた。
「事故はすごく悲しい。遺族がけがしたらもっと悲しくなるから」という思いを込めた。
本多さんは「事故を伝えることで命の大切さを伝えたい。体が続く限りつえを作りたい」
と話した。520人が犠牲となった事故は8月12日で発生から29年を迎える。【田ノ上達也】
ttp://mainichi.jp/select/news/20140703k0000e040207000c.html 「8・12」慰霊を手助け
1985年の日航ジャンボ機墜落事故から29年になる8月12日を前に、事故現場の御巣鷹の
尾根(上野村)と藤岡市で3日、慰霊に訪れる遺族らを迎えるための準備が進んだ。墜落現場の
御巣鷹の尾根では、尾根の管理人の黒沢完一さん(71)が、慰霊碑「昇魂之碑(しょう・こん・の・ひ)」
の近くにかざぐるまを飾る台を組み立てた。鉄パイプで骨組みを作り、高さ約3メートルの木材
を3本立てて、その間に約4メートルの横木を5列並べた。昼すぎには計110本のかざぐるまが
飾られ、鮮やかに回り出した。このかざぐるまは昨年、慰霊登山に訪れた東京都の男性が寄贈したもの。
羽根の部分にメッセージを残す登山者もいるといい、「寄贈者や、慰霊登山に来る人たちのために、きれい
に展示できれば」と黒沢さん。2月の記録的な大雪の影響で、今年は山開きが約1カ月遅れた。昇魂之碑
までの登山道の手すりは、雪の重みで壊れている部分もあり、8月までにボランティアらと修復するという。(藤田太郎)
藤岡市立美九里東小では、5、6年生の56人が、御巣鷹の尾根に慰霊登山する人が使う杖100本余りに、
道中の安全と空の事故防止を願うメッセージを書き込んだ。杖は市内の本多一助さん(73)と中里一郎さん
(66)が、ニセアカシアの木から毎年手作りしている。22年前に作り始め、2001年から同小の児童が
メッセージを書いている。児童たちは「二度と同じ事故が起きませんように」「けがにきをつけてのぼって
ください」などと記した。5年生の岩崎莉子さん(10)は「事故のことを忘れず、人に優しく、命を大切に
したい」と思いを込めたという。本多さんは「子どもたちに事故を知ってもらい、風化防止になればうれしい」
と話した。 (井上怜)
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精神的に落ち込んでる時、ここでいろんな意味でいつも慰めてくれる女性と会えたんでそれが1番よかったかも。
みなさんにも良い出逢いがあることを祈ってます。 日航機事故29年 社員が追悼施設を清掃(動画あり)
520人が犠牲となった日航ジャンボ機の墜落事故から来月で29年になるのを前に、日本航空の
社員などが群馬県上野村の追悼施設で清掃を行いました。昭和60年8月12日、日本航空のジャンボ機
が群馬県上野村の山中に墜落し520人が犠牲となりました。19日は来月行われる慰霊式を前に、
日本航空の整備部門の社員などおよそ50人が参加して墜落現場のふもとにある追悼施設の「慰霊の園」
で清掃を行いました。参加者は始めに慰霊碑の前にあるロウソク立てなどを運び出して祭壇を整理し、
ブラシやタワシで慰霊碑の周りや、犠牲者の名前が記された石碑の掃除にとりかかりました。
清掃活動には「高所作業車」も持ち込まれ、作業車に乗り込んだ参加者は高圧洗浄機で高さおよそ
10メートルの慰霊碑に付いた汚れを丁寧に洗い落としていました。清掃に参加した日本航空の佐藤信博
副社長は「事故後に生まれた社員が増えているなかで、社員たちにはこうした清掃活動を通じて飛行機の
整備という仕事の重要性を改めて認識するとともに、二度と事故を起こさないために何をしていけばよい
のか、考えるきっかけにしてもらいたい」と話していました。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140719/k10013142371000.html 日航機墜落事故の新事実、最先端の科学的調査で再検証!特番放送へ
群馬・御巣鷹の尾根にジャンボ機が墜落し、520人が死亡した1985年の日航機墜落事故から30回目
の夏を迎える8月12日に、フジテレビ系ドキュメンタリー番組「聞き取れた“新たな声と音”日航機墜落
32分間の闘い〜8月12日…30回目の夏〜」(後6・30)が放送されることが21日、分かった。
4人の生存者が発見された際の新事実を紹介し、最先端の科学的調査と専門家の分析、生存者の証言などから事故
を再検証。ボイスレコーダーのオリジナルに近い音源を当時の事故調査委員会から初めて入手し、爆発音を解析した。
また、放送局として初めてドラマで事故を再現。女優の清水美沙(43)が生存者の女性を演じ、亡くなった
夫の遺書の言葉を胸に暮らしてきた谷口真知子さんを女優の有森也実(46)が演じる。
ttp://www.sanspo.com/geino/news/20140722/sot14072205010001-n1.html 85年日航機墜落:おすたかへの思い 遺族会報100号に
520人が犠牲になった1985年8月12日の日航ジャンボ機墜落事故の遺族でつくる「8・12
連絡会」の会報「おすたか」が今月、第100号を迎えた。「空の安全」への思いを込めて遺族の声
を紹介し、それぞれの心を支えてきた。阪神大震災や東日本大震災、交通事故の遺族からも「会報を
送ってほしい」と声がかかる。編集を担う東京都大田区の美谷島(みやじま)邦子さん(67)は
「『おすたか』は皆が大切にしてきた月日を次につなげていく存在になっている」と話す。事故が起きた
85年の暮れ、次男(当時9歳)を亡くした美谷島さん宅を事務局に連絡会が結成され、「遺族同士を
つなげよう」と会報づくりが始まった。若い遺族たちが深夜までガリ版印刷の鉄筆を握った。86年2月
の創刊号では、東京都内であった遺族集会の様子が報告された。犠牲者の母親が「日航の社長室の前で
灯油をかけて死にたい」と漏らしたのに対し、他の遺族が「残された人のことを考えてしっかり生きようね」
と言葉をかけた様子がつづられている。「最初の頃は皆で会報を涙でぬらしながら作った」と美谷島さんは
振り返る。会報には、遺族からの電話の内容や手紙のほか、日航への要望など連絡会の活動報告も盛り込んで
きた。現在は美谷島さんが1人で編集している。発行ペースは当初の毎月から年2回ほどに減ったものの、
遺族から寄せられた文章は毎年発行する文集「茜雲(あかねぐも)」の元になっている。第100号は今夏の
慰霊行事の案内、2月の大雪被害を受けた御巣鷹の状況、中華航空機墜落事故20年の新聞切り抜きなど60
ページに及んだ。日航機事故で夫を亡くした大阪府豊中市の小澤紀美さん(58)から寄せられた感謝文には、
次のように書かれている。「皆様の近況や心情を読ませてもらい、私一人ではないと心強さを感じました。
今でも『おすたか』は心の支えです」【尾崎修二】
ttp://mainichi.jp/select/news/20140725k0000e040214000c.html
日航ジャンボ機 墜落事故
1985年8月12日午後6時56分、群馬県多野郡上野村において墜落した 日本航空・羽田発伊丹行123便
32分間にも及ぶ迷走飛行
乗員乗客520人が死亡
「 鎮 魂 の し お り 」
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犠牲者の皆様方の御遺影を掲載 群馬県・慰霊の園 にて
財団法人・慰霊の園発行の【鎮魂のしおり】の【ご遺影】
【鎮魂のしおり(108ページ)】は 慰霊の園・展示棟で求められます。
日航機墜落:事故忘れない 慰霊碑、ボランティアら清掃 藤岡体育館跡地、遺体安置の場所 /群馬
1985年8月12日の日航ジャンボ機墜落事故の際、遺体安置所となった藤岡市民体育館(藤岡市藤岡)の跡地
周辺で、地元ボランティアらが30日、犠牲者の冥福を祈って建てられた碑を清掃した。体育館は事故2日後から
約2カ月間、上野村の墜落現場からヘリコプターで運び込まれた遺体の収容場所になった。翌年、犠牲者の冥福や
事故の再発防止を願い「日航機墜落事故遭難者 遺体安置の場所」と刻まれた碑が建立された。その後、体育館は
市民ホールとなり、碑は藤岡公民館南側の駐車場にある。例年8月12日ごろに訪れる遺族のために市内の主婦ら
が清掃している。今年は、遺族と交流を続ける「ふじおか・おすたか・ふれあいの会」メンバーら9人が参加。
碑の水拭きや周辺の草刈りに汗を流した。坂上シゲヨ会長(82)は「当時のことを忘れないように、と思いなが
ら掃除をしています」と語った。【尾崎修二】
ttp://mainichi.jp/area/gunma/news/20140731ddlk10040159000c.html 群馬)御巣鷹慰霊登山、上野中など3校 一貫教育で初
上野村の上野中学校、神流町の中里中学校と万場高校の3校の生徒ら約60人が1日、日航機墜落事故
の現場、上野村の御巣鷹の尾根を慰霊登山した。3校は2003年度から教員派遣や部活動の交流などで
中高一貫教育を進めているが、合同での慰霊登山は初めてだった。「昇魂之碑」の前で全員で黙禱(もくとう)
した後、千羽鶴を納めた。3校は毎年8月、ふもとの「慰霊の園」に千羽鶴を納めていたが、発生から30年
近く経ち、若い世代に事故現場で教訓を学んでもらおうと計画した。生徒会役員や有志が参加し、行事で
登っている上野小学校の出身者以外は、初めて現場に立った生徒が多かった。引率した飯出哲夫・上野中校長
(57)は事故当時も上野中に勤務し、消防団員として遺留品捜索などにあたった。「航空機事故は今も世界
で起きている。ここは空の安全を祈る場。みんなで祈ろう」と呼びかけた。
ttp://www.asahi.com/articles/ASG814HBGG81UHNB00N.html 御巣鷹で機体の破片を拾ってきた俺がきましたよ
拾得物
シートベルト
ハニカム構造の破片 日航機墜落現場で清掃活動 群馬県警の警察学校生徒ら
520人が死亡した日航ジャンボ機墜落事故から12日で29年となるのを前に、遺族が慰霊登山する
墜落現場となった群馬県上野村の「御巣鷹の尾根」で、県警の警察学校に今春入校した初任科生
らおよそ60人が7日、清掃活動をした。平均年齢が24歳の初任科生のほか、学校長や教官が参加
し、尾根に建てられた「昇魂之碑」周辺のごみ拾いを実施。命を守る職務の責任を自覚してもら
おうと、事故が起きた1985年の翌年からほぼ毎年活動している。〔共同〕
ttp://www.nikkei.com/article/DGXLASDG07007_X00C14A8CR0000/ >>741
お、いいね。
ところでお前の後ろにいる人大丈夫か?
なんか血まみれだぞ。
535 : 名無しさん@6周年[sage] 投稿日:2006/07/11(火) 02:43:37 ID:Yqjb/rYf0 [3/4回(PC)]
(1) 後頭部の頭皮や頭髪が、背中側に皮のようにくっついているのに、
大切な頭蓋骨、脳、その人の顔などは、どこへ行ってしまったのだろうか
(頭の骨や顔や少しでよいから歯牙があれば) と思われる遺体があまりに多かった。
(2)下腹部での離断は、多分シートべルトによるものと考えられるが、
「安全姿勢」「安全べルト」が、本来の言葉の意味になっていなかったようにも思われる。
下腹部で離断され、内臓が散逸した姿は悲惨であった。
(3)上肢は肘関節からの離断、下肢は膝蓋部からの離断が多かった。
そのため、悲しいことに、だれのものとも決定しかねる、手や足や胴体が、冷たい柩の中に多数残された。
(4)離断と炭化が重なって、肉塊、あるいは炭のかけらのようになった多くの遺体の中からも、
たくさんの方々の身元の確認ができた。歯の特徴、特にレントゲン写真による照合や、
歯科医からのカルテによる確認は、今回の惨事での特筆に価いするものと考える。
(5)子どもの遺体は、特に大勢の方々の涙をさそった。
ちぎれた小さな手や足や胴体が、いつまでも私たちの脳裏から消え去ることはないであろう。
836 : 名無しさん@6周年[sage] 投稿日:2006/07/12(水) 18:00:06 ID:Xb5t83Db0 [1/1回(PC)]
子供の首から上だけの遺体見つかってたんだけど
状況証拠ではない確実な証拠が無いため、
乗客名簿からは「多分あの子だろう」と分かってはいても、
しばらく遺族に引き渡せなかった。
奇跡的に無傷に近いきれいな顔のままだったんだって。
その頭部だけの遺体を、確認作業に当たってた人が毎日抱きしめてあげてたそうだ。
この子は身体の方が先に確認され、その後約1週間して、
やっと頭部と身体を一緒にして、お母さんの遺体とともに遺族に返してあげることが出来た。
たった1歳の女の子だったそうです。。
60 :名無しさん@6周年:2005/08/10(水) 22:48:10 ID:ue/bI8u90
「目が三つある死体があるのですぐ来てください」
呼ばれて、群馬大学法医学教室の古川研教授が検屍フロアに行く。
私も教授の後に付いた。特異な遺体はできるだけ見るようにしていた。
懐中電灯を手に医師、警察官が頭部らしき遺体を真剣な表情で取り
囲んでいる。脳髄は噴出して無い。潰れているので、髪の毛が付いて
いなければ、体のどこの部分か見分けがつかないようだ。挫滅した
顔面に三つの眼球がくっついていた。
古川教授が綿密に調べた結果、頚部辺から、他の人の頭部、顔面が
信じられないほどの力が加わって入った、ということであった。
つまり頭の中に頭が入ったのである。
62 :名無しさん@6周年:2005/08/10(水) 22:50:43 ID:ue/bI8u90
「何だこれは・・・」
毛布の中から取り出した塊をみて検視官が呟く。
塊様の物を少しずつ伸ばしたり、土を落したりしていくうちに、
頭髪、胸部の皮膚、耳、鼻、乳首二つ、右上顎骨、下顎骨の一部、
上下数本の歯が現れてきた。
少女の身体は中央部で180度ねじれて引きちぎれ、腰椎も真っ二つに
切断され、腹部の皮膚で上下がやっとつながっている。(中略)
塊の中から舌と数本の歯と頭蓋骨の骨辺が出てきた。
それらを丹念に広げていくとちょうど折り畳んだ紙細工のお面の
ように顔面の皮膚が焦げもせずに現れた。
完全遺体といっても、潰されて形を失った顔面。前頭部の飛んだ
頭蓋。二つに切断された胴体。焼けだだれて分解しつつある焼死体。
手足がちぎれ、下顎骨がかろうじて首とつながっているといった
遺体が多い。
そして脳髄は脱出して無い。眼球は飛び出すか、めり込んでいる。
肋骨はバラバラに折れ脊柱もつぶれて体が丸くなっている。
執刀した古川研教授の主な所見は、全身の表皮剥脱、頭部・
顔面の裂傷、頭蓋骨・顔面骨の骨折、脳挫滅ないし散逸、肋骨・
脊椎骨折、心・肺・肝の破裂、上肢・下肢骨折等であった。
墜落遺体―御巣鷹山の日航機123便 講談社+α文庫
飯塚 訓 (著)
「結婚後、浮気をしたことがありますか?(したいと思ったことがありますか?)」という質問にも、
半数以上(55%)の人妻が「浮気をしたことがある(したいと思ったことがある)」と答えている。
http://wpb.shueisha.co.jp/2013/04/25/18683/
このサイトで何人かと浮気?のような関係になったけど、みんな心が寂しいというか
満たされてない感じした。
自分の容姿はあまりよくないけど、ずっと優しく接してたから相手にとって全く関係なかったみたい。
心の"欲求不満"とでもいえばいいのかな?
みんなもやってみたらわかると思う。
セフレや浮気相手探しできますよ。
ここからはいってください→ http://mrch.me/s5lb ※登録無料 日航機事故:「御巣鷹の尾根」慰霊登山支援 東洋大の学生
◇「事故を知らない世代」が空の安全に、正面から
520人が犠牲になった1985年の日航ジャンボ機墜落事故から12日で29年。事故の風化が懸念される
中、東洋大(東京都文京区)の航空業界志望の学生たちが、群馬県上野村の墜落現場「御巣鷹の尾根」で遺族
の慰霊登山を支援する取り組みを始めた。「事故を知らない世代」が空の安全に正面から向き合おうとしている。
観光学ゼミで学生を指導する島川崇准教授(44)は93〜98年、日航社員としてセールスやマーケティング
を担当。ゼミには客室乗務員など業界志望の学生が多く集まるが、「単なる憧れだけでは務まらない。安全への
覚悟を持たせたい」と考え、上野村に協力を要請。昨年から現場で遺族支援のボランティアを始めた。(続きはリンク先)
http://mainichi.jp/select/news/20140809k0000e040172000c.html 「ドーン、ドーン、ドーン」日航機墜落29年目に判明した3回の爆発音 フジが12日夜放送
昭和60年の日航機墜落事故から29年目となる8月12日、フジテレビは機内の再現ドラマや当時の映像、墜落現場
での中継などを交えた特番「8.12日航機墜落 30回目の夏 生存者が今明かす“32分間の闘い” ボイスレコーダー
の“新たな声”」(午後6時半)を生放送する。フジは今回、コックピットのやりとりを記録したボイスレコーダーの詳細
な解析を実施。衝撃音の回数や、これまで判読不能とされてきた会話の一部など「新事実」が判明したという。
事故にあった日航機123便は昭和60年8月12日、羽田空港から伊丹空港に向かう飛行中、機体に異常が発生。機体は制御
を失い、32分後に群馬県上野村の「御巣鷹(おすたか)の尾根」に墜落し、乗客乗員524人のうち520人が死亡した。(続きはリンク先)
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/140810/dst14081012000001-n1.htm 自衛隊機が関係して墜落したら事実を発表すると思うけど、
米軍機のせいで墜落したなら、事実を隠すことは十分ありうると思う このころって、通常整備のレベルってどの程度だったのかしら 日航機墜落 遺族発行の会報100号に (NHK)※動画あり
520人が犠牲となった日航ジャンボ機墜落事故から12日で29年となり、この事故の翌年から遺族が発行している会報、
「おすたか」が100号を迎えました。会報の「おすたか」は、日航ジャンボ機墜落事故の遺族で作る「8・12連絡会」
が、事故の翌年から毎回、400部発行している会報です。当初は月刊で、連絡会の事務局長で、当時9歳の次男、健くん
を亡くした東京・大田区の美谷島邦子さん(67)の自宅に10人ほどの遺族が集まり、泊まりがけでガリ版刷りの会報作
りが始まりました。会報には、遺族の手記や集会の様子などを盛り込み、遺族からは毎回、手記などについて、電話や手紙
などが多く寄せられたということです。15年前からは年2回となりましたが発行が続けられ、先月、100号を迎えました。
100号の会報には、当時29歳の夫を亡くした女性が手記を寄せ、「『おすたか』には100回分の涙があります。100回
分の慰めがあります。当時の私には一番の癒しでした。今でも心の支えです」と綴っています。当初、280世帯だった連絡会
の会員は、亡くなった人もいて、今では130世帯余りとなっていますが、災害や、ほかの事故の遺族から今も問い合わせがあ
るため、当初の400部を発行し続けているということです。美谷島さんは「遺族の歩みはそれぞれ異なりますが、誰かが置い
てきぼりになってはいけないと、発行を続けてきました。どの『おすたか』にも、遺族にしか言えないこと、遺族どうしだから
こそ分かり合えることが詰まっていると思います。また、先日、東日本大震災の遺族からも『おすたか』が見守ってくれている
というメールがあり、役割を再認識しています」と話していました。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140811/k10013716051000.html 718です。誕生日がくる、つまりこの日が来る…
この日に生まれていなければ、事故の事なんて詳しく知ろうともしなかったと思う。
実際、同世代の人は何も知らない。 日航機墜落事故のまとめ アクセスがもうすぐ400万に
1985年8月12日に発生した日航機墜落事故は乗員乗客524人中520人が死亡、生存者は4名という日本の航空事故
史上最悪の事故となった。あれから29年目をまもなく迎えるが、NAVERまとめの「【閲覧注意】日航機墜落事故
の衝撃画像集」のアクセス数が8月10日現在で約393万回になっている。まとめでは事故の概要に加え、遺品、
救助の様子、遺体や遺体の一部の写真なども紹介されている。まとめた人物は「日本航空123便墜落事故の記憶が
風化している方に観て欲しい画像集です。先日御巣鷹山に慰霊登山して色々と考えさせられたのでまとめました。
ご遺体の画像もありますので、心臓の弱い方はご遠慮ください」とまとめた理由と注意点について説明。6ページ
にわたり、当時の惨劇が蘇るまとめとなっている。最後のページでは現在の御巣鷹山(墜落現場・群馬県)の様子
も紹介している。この事故では、『上を向いて歩こう』で知られる坂本九さんや、宝塚歌劇団出身女優の北原遥子さん、
阪神タイガース球団社長の中埜肇さん、ハウス食品社長の浦上郁夫さんなども亡くなった。そして、山崎豊子さん作
『沈まぬ太陽』のモデルとなった。当時の報道では生存者が全員飛行機の後部に座っていたことと、女性だったことも
報じられ、「安全な席はどこか?」といった議論にも発展した。
ttp://yukan-news.ameba.jp/20140810-11965/ 日航機墜落事故から29年灯籠に安全の祈り
520人が亡くなった日航ジャンボ機墜落事故から29年となる12日を前に、墜落現場「御巣鷹の尾根」の麓
、群馬県上野村の神流川で11日夕、犠牲者をしのぶ灯籠流しが実施された。次第に夕闇が濃くなる中、遺族ら
は、淡い光を放ちながら流れ行く灯籠に静かに手を合わせた。全員で黙とうした後、墜落時間の午後6時56分に
遺族らが「みんなのことを忘れないよ」「空の安全を」など、それぞれの思いを書いた大小約200個の灯籠を川
に浮かべた。アコーディオンの調べが響く中、目をうるませながら灯籠を見送る遺族もいた。夫の福田武さん
(当時56)を亡くした恭子さん(75)は、昨年に続き上野村を訪れた。「当時は娘たちが中学生、高校生で
大変だった。今は孫もたくさんいて、にぎやかで楽しい。夫は苦労だけしてかわいそう。家族は仲良く幸せにして
いると伝えたい」としんみりした表情で話した。東京都豊島区の主婦森下玲子さん(50)は、亡くなった母藤原
美代子さんと同じ年齢になった。灯籠を手に「尊敬する母の分まで生きていきたい」と話した。2012年の関越
自動車道バス事故の遺族が初めて参加。長女の胡桃さん(当時17)を亡くした石川県の岩上剛さん(42)は
「同じ群馬で起こった事故。つらい思いをする遺族を出さないようにしてもらいたい」と語った。「遺族の気持ちに
区切りはない」。娘の紗知さん(当時19)を亡くした富山県高岡市の宮下恵子さん(53)は「航空機もバスも
二度と事故を起こさないでほしい」と述べ、灯籠を流した。12日は遺族らが尾根に慰霊登山し、麓で追悼慰霊式
が営まれる。(共同)
ttp://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp0-20140811-1349447.html 〜TV番組のおしらせ〜
8月12日(火) 18時30分〜20時54分 フジテレビ
8.12日航機墜落30回目の夏生存者が今明かす“32分間の闘い"〜ボイスレコーダーの“新たな声"
悲惨な航空機事故から30回目の夏を迎える8月12日。午後6時半から墜落現場である御巣鷹山と中継
をつなぎ、『8.12日航機墜落 30回目の夏 生存者が今明かす“32分間の闘い"ボイスレコーダーの
“新たな声"』をお届けする。 壮絶な事故の貴重な生き証人・吉崎博子さん(清水美沙)の思い。
記憶よりも記録して残したい…。吉崎さんの証言、他の乗客の遺品、御遺族の協力などをもとに、
緊迫の機内を初めてドラマ化。唯一残された機内写真の奥に秘められた真実が明らかになる。また、
激しく揺れる機内で夫・正勝さん(羽場裕一)が、「子供よろしく」と自分に宛てて書いた遺書に応
えようと生きてきた谷口真知子さん(有森也実)が闘い続けた29年の歳月も初めてドラマ化する。
さらに123便の挙動を最新技術で映像再現。あの日、爆発音が起きた午後6時24分から墜落までの32分、
高濱雅己機長以下3人が刻んだ奮闘、そして123便の航跡・挙動を完全映像化する。 そして川上慶子
ちゃんを救出した、陸上自衛隊空挺団元隊員が新事実を語る。救出後のヘリコプター機内を捉えた2枚
の写真もテレビで初公開! 30回目の夏を迎える御巣鷹山の悲劇。フジテレビ制作スタッフが取材に
取材を重ねて得ることができた新事実を盛り込み、事故を風化させない、させてはいけない、後世に
できるだけ真実を伝えたい…という思いをこめてお届けする。 日航ジャンボ機墜落事故から29年 ※動画あり
520人が犠牲になった日航ジャンボ機墜落事故から12日で29年となり、墜落現場の群馬県上野村では遺族の人たち
が慰霊登山に訪れます。昭和60年8月12日、お盆の帰省客などを乗せた日本航空のジャンボ機が群馬県上野村の山中
に墜落し、国内の航空機事故としては最も多い520人が犠牲になりました。事故から29年となる12日、朝早くから
遺族の人たちが墜落現場の「御巣鷹の尾根」を目指して慰霊の登山に訪れ、犠牲者を追悼します。そして、墜落現場に
ある慰霊碑「昇魂の碑」の前では、520人の犠牲者に黙とうをささげます。また、夕方には、現場近くの「慰霊の園」
で、遺族や地元の人たちが参加して追悼慰霊式が開かれ、墜落時刻の午後6時56分に合わせて黙とうをささげ、空の安全
を祈ることになっています。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140812/k10013742791000.html 日航機墜落事故から29年 慰霊登山
【NHK】 2014/08/12 12:09
520人が犠牲となった日航ジャンボ機の墜落事故から12日で29年となり、墜落現場の群馬県上野村の「御巣鷹の
尾根」では、遺族の人たちが慰霊登山に訪れています。
昭和60年8月12日、お盆の帰省客などを乗せた日本航空のジャンボ機が群馬県上野村の山中に墜落し、国内の
航空機事故としては最も多い520人が犠牲になりました。
事故から29年となる12日、墜落現場の「御巣鷹の尾根」には、朝早くから遺族の人たちが慰霊登山に訪れ、
亡くなった人の墓標に花や線香などを供えました。
また、慰霊碑、「昇魂の碑」の前では、アコーディオンの演奏のなか、鐘を鳴らして犠牲者を追悼しました。
当時、29歳だった夫を亡くした大阪・豊中市の58歳の女性は、「事故当時、私のおなかの中にいた息子が来年
1月には、夫が亡くなった年齢になるとは信じられません。事故のことをもっと伝えていきたいです」と
話していました。
また、当時43歳だった父を亡くした北海道の43歳の女性は、「父が亡くなったのと同じ年齢になり、若くして
亡くなった父の無念さが改めて伝わってきました。事故のない安全な社会を願っています」と話していました。
午後6時からは、現場近くの「慰霊の園」で、追悼慰霊式が開かれ、墜落時刻の午後6時56分に合わせて黙とうを
ささげ、空の安全を祈ることになっています。
ソースに動画があります。
ソース: http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140812/k10013749061000.html
画像: http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140812/K10037490611_1408121208_1408121233_01.jpg 日航機墜落事故から29年 遺族が追悼
520人が犠牲となった日航ジャンボ機の墜落事故から29年の12日、墜落現場の群馬県上野村の「御巣鷹の尾根」
では、降りしきる雨のなか、朝から遺族らが慰霊登山をして犠牲者を追悼しました。昭和60年8月12日、お盆の帰省客
などを乗せた日本航空のジャンボ機が群馬県上野村の山中に墜落し、国内の航空機事故としては最も多い520人が犠牲
になりました。事故から29年の12日、「御巣鷹の尾根」では、降りしきる雨のなか、朝早くから犠牲者を悼む遺族の人
たちの慰霊の登山が続きました。尾根に登った人たちは、慰霊碑「昇魂の碑」の前で、鐘を鳴らして空の安全を祈るとともに、
手を合わせて犠牲者を追悼していました。事故から29年となり、遺族の高齢化が進むなか、当時幼かった子どもや事故のあと
生まれた孫など若い世代の姿も多く見られ、事故の悲惨さを次の世代に語り継ぐ必要性を訴える声が多く聞かれました。
事故で当時20歳だった長女を亡くした泉谷明造さんは、3世代で訪れ、「参加できなくなる遺族もいて寂しいが、息子や孫にも
引き継いでいつまでも慰霊の登山を続けたいと思います」と話していました。現場近くの「慰霊の園」では、午後6時から追悼慰霊式
が始まり、墜落時刻の午後6時56分には遺族らが黙とうをささげます。
ttp://www3.nhk.or.jp/news/html/20140812/t10013759491000.html 自分の意見を言わない事に定評のある池上彰氏に123便事故の件を語ってもらいたいなあ
TVで言えない事も沢山あるんだろうけど、かなり真実に近い所まで知ってる事(隠してる事)が
ありそうでならない 【信濃毎日新聞】<斜面>
■遺族には疑念がくすぶり続ける
日航の元客室乗務員、青山透子さんは、ジャンボ機墜落事故で多くの同僚を失った。今は航空業界を
目指す学生を教えている。授業で事故を伝える新聞報道などを資料に学生にリポートを提出させ、議論した
◆ある学生は首相動静の記事に目を付けた。御巣鷹の尾根に墜落した85年8月12日、当時の中曽根康弘
首相は避暑地の軽井沢から夜には帰京していた。翌日事故の報告を受けたが上野村に駆けつけるでもなく、
事故対応の陣頭指揮をとった跡はうかがえない◆15日は靖国神社公式参拝で物議を醸した後人間ドックへ。
17日に軽井沢に戻り水泳や散歩を楽しみ19日に帰京した。23日に英国で54人が死亡した航空機事故で
サッチャー首相が静養先から帰国、現場に急行し原因究明を指示したとの記事も学生が紹介。その違いに皆が
言葉を失った◆事故から29年。雨のきのう、慰霊登山が行われた。犠牲者520人の遺族には疑念がくすぶり続ける。
なぜ墜落位置特定に10時間もかかったか、本当の原因は…。青山さんはその思いをくみ、授業に触れつつ事故の
検証を著書「天空の星たちへ」に書いた◆墜落の2時間後には米海兵隊を乗せたヘリが現場付近の上空に到着したが、
帰還を命じられ救助活動ができなかった―。事故から10年後の米軍準機関紙の報道だ。疑念が消えないまま風化させて
はいけない。天上の星たちが見つめている。
ttp://www.shinmai.co.jp/news/20140813/KT140812ETI090005000.php 日航123便の自衛隊による撃墜の噂を検証
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/jsdf/1407668219/
はじめに自衛隊の犯罪ありき。
自衛隊or米軍は、太平洋とか米本土の過疎空域で無人標的でもすむことを、
わざわざ空の銀座と呼ばれる過密空域でやらかした。
ジャンボの尻だけ器用に壊して、地上に何の影響も及ばさず、乗客乗員を生かしたままで迷走させる
超小型核爆弾とか、
残骸を残さない紙製ミサイルとか、ウルトラ級の超兵器が使われたそうな。
夏の朝までに、証拠隠滅の証拠を残さずに証拠隠滅をやってのけた、物凄い特殊部隊が
少なく見積もっても5千人は投入された。墜落現場に。
念入りな口封じがなされたはずだが、M氏とやらが
オフロードバイクで簡単に現場に着いて、証拠隠滅真っ最中の特殊部隊と言葉を交わして、簡単に帰ってきているそうだ。
無人標的を墜とすよりも、一般人を乗せた旅客機を墜として買収で口封じした方が安上がりだというのが、撃墜説派の言い分。
遺体と残骸の収容に、のべ何千人が何十日掛けた現場で、どんな特殊部隊だ?とか
医療用アイソトープの存在を最大限に利用して、夜間に生存者だけ収容、被曝の恐れを口実に隔離、現場も自衛隊だけで取り仕切った方が証拠隠滅にいいとか
海に墜とした方が早いだろとか、撃墜説派の機嫌を損ねるから言うな。 御巣鷹の尾根に落ちた日航ジャンボ123号機の墜落原因の秘密を解く鍵は
「オレンジエアー」にある。公式に発表された交信記録では、「オレンジ」が、
「オールエンジン」となっている。いかにもエンジンの方が正しそうに感じるけど、
オレンジが正しい。では、オレンジエアーとは何か? と言うと…… 乗客の一人がオレンジエアーの写真を撮っている。窓から。
(オレンジエアー)としか聞こえないものを(オールエンジン)と書かせた奴。役人?
政府高官? あるいは、政府高官の意向通りに、書いた人。お前だよ!
お前が隠蔽した張本人だ! ともかく中曽根は、隠蔽しようと決断した。だから、自衛隊は、非難を免れた。
中曽根は自衛隊に貸しを作った。或いは国体の温存を図った。
事故で生き残った人々は、殺された。失神していて、何も見ていない人、埋もれて何も
見えなかった人は殺す必要はなかった。
フライト記録。「オレンジエアー」としかどうしても聞こえないものは
そのまま「オレンジエアー」でいいのでは無いのか?どうして、オールエンジンとか
ボディギアーとかに書き換える必要があるのか? 〜TV番組のおしらせ〜
2014年8月31日(日) 24時50分〜25時20分 日テレ
NNNドキュメント「夏空の墓標 あの日、御巣鷹の尾根で」
【内容】
1985年8月、乗客乗員524名を乗せ、群馬県上野村の山中に墜落した日本航空123便。単独機では世界
最悪の犠牲者を出した未曾有の事故から29年を迎えた今年、事故後に生まれた7人の大学生が、初めて日航機
墜落事故と向き合おうとしています。7人はCAや管制官など、航空業界を目指す東洋大学の3年生。元日本
航空の社員だった准教授が、「航空業界を目指すなら、あの事故と正面から向き合うべきだ」と、慰霊登山
や慰霊式などへボランティアとして参加する取り組みを始めました。しかし、7人の事故の知識は、「大きな
事故が昔あった」「御巣鷹を知らない」など、ほぼゼロ。ボランティア参加を前に、事故について調べ始めま
したが、その心に芽生えたのは「恐怖心」。遺族や関係者の著書や、インターネット… 見えてきたのは、
ダッチロールを続ける機内での乗客やパイロットの状況、現場の混乱、事故直後から今も続く遺族の悲しみ。
そして、520名の命が奪われたことを物語る数々の写真や動画。華やかさに憧れ、航空業界を目指していた
学生が知ったのは、目を背けたくなる航空事故の現実でした。事故を深く知ることを恐れ、自分が御巣鷹へ足を
運んでもいいのか悩む学生たち。それでも事故を知った今、自分に何ができるのか考え始めました。事故を引き
継ごうとする若者がいる一方、遺族の中には高齢から慰霊登山を断念する人も増え始めています。今も御巣鷹
に残る機体の残骸を捜し集めてきた79歳の遺族も、今年は御巣鷹にはいかず、初めて自宅で8月12日を
迎えることを決めました。最後となった去年の慰霊登山。そこで遺族が出会ったのは、事故を知ろうと御巣鷹へ
向かった学生たちの先輩でした。遺族の高齢化や風化が不安視される今、どう事故の現実と教訓を語り継ぐのか…。
そして事故後に生まれた学生たちは、事故とどう向き合い、初めての御巣鷹で何を思うのか…。
学生たちの活動に密着し、29年が経った日航機墜落事故を考えます。 国重文「旧黒沢家住宅」で祝言いかが
婚礼を通じて上野村の魅力を発信しようと、上野振興公社が今月、「上野村婚」を始動させた。
国指定重要文化財「旧黒沢家住宅」での祝言や村の特産品をそろえた引き出物に加え、送迎バス
などの受け入れ態勢も整えた。「結婚式というお祝い事を通じて交流人口を増やし、村に活力を
もたらしたい」と関係者は期待する。「自然豊かで歴史がある村の姿を多くの人に知ってもらいたい」。
同公社常務の滝沢延匡さん(34)は上野村婚の企画意図を話す。日航機墜落事故の現場「御巣鷹
の尾根」の「御巣鷹」の名は、江戸時代にタカのひなを集めて幕府に献上した歴史に由来するという。
その中心となった大庄屋の邸宅で国指定重要文化財の「旧黒沢家住宅」を貸し切る「祝言の花嫁プラン」
が上野村婚の目玉だ。(続きはリンク先)
http://www.asahi.com/articles/CMTW1409171000001.html 上野小児童が慰霊登山 御巣鷹の尾根
上野村立上野小学校(新羽)の児童約50人が19日、1985年8月の日航ジャンボ機墜落事故の現場と
なった「御巣鷹の尾根」で、慰霊登山を行った。子供たちに命の重さや安全に対する意識を高めてもらおう
と、数年に1度開催している行事で、今回は2010年以来4年ぶり。児童たちは九つのグループに分かれ
て頂上を目指し、「昇魂之碑」の前で菊の花を供えて合掌。犠牲者520人の冥福を祈った後、尾根の管理人、
黒沢完一さん(71)から、ジャンボ機が墜落した状況などについて説明を受けた。6年の佐藤倫さん(11)
は「とても悲惨な事故だということが改めて分かった。二度と起こってほしくない」と話していた。
ttp://www.yomiuri.co.jp/local/gunma/news/20140919-OYTNT50407.html 1日一回ログインガチャというのが回せて色んな特典を貰える。
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http://wed.li/1D3BHUh 【郷土の守り】陸自第1空挺団(中) 任務に挑む“落下傘の絆”
昭和60年8月13日。当時20歳だった陸上自衛隊第1空挺(くうてい)団の石田康雄曹長(49)は
群馬県上野村の御巣鷹の尾根にいた。前日夕方に発生した日航ジャンボ機墜落事故の生存者を捜索する任務
のため、空挺団の一員として派遣され、ヘリコプターで現場周辺にロープで降下した。「悲惨という言葉
しか思い浮かばなかった」(石田曹長)。目の前には散乱する機体の破片や遺体の一部など、思わず目を
そらしたくなるような光景が広がっていた。状況の把握もままならない中、先輩の団員らとともに乗員乗客
約520人の捜索活動を始めた。「生存者を発見した」。捜索開始からしばらくして、まさに“奇跡”と
しかいいようのない知らせが団員らに伝えられた。発見した生存者は当時12歳の少女だった。「彼女が
ヘリで救助される様子は今でも目に焼き付いている。生存者がいて、ホッとした一方で、まだまだ探さなきゃ
という気持ちになった。団員らは誰も声には出さなかったが、皆同じ考えだったと思う」自衛隊や警察、消防
などが懸命の捜索を続けた。生存者の発見は絶望的とみられていた現場から少女を含め4人が救助された。(続きはリンク先)
http://www.sankei.com/region/news/141012/rgn1410120041-n1.html 【iPhone6/5と相性のいい出会い】
ヒント!
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FaithTimeをうまく活用すること
実際にやってみて!
http://www.5z8.info/launchexe_m8n4co_xxx 県警察学校初任科生ら御巣鷹慰霊登山
県警察学校の初任科生らが27日、1985年に日航機が墜落した上野村の御巣鷹の尾根を慰霊登山した。
今月採用されたばかりの初任科生32人と職員らが参加。昇魂之碑に献花し、周辺を清掃した。ふもとに
ある慰霊の園でも献花や焼香をした。初任科生を代表して献花した前橋市出身の石田健さん(32)は
「群馬で起きた最悪の事故。実際に登ってきて、山岳捜査や山岳救助の大変さを肌で感じた」と話した。
9月に県警に着任した富田邦敬本部長も初めて慰霊登山し、「30年近くたっても事故の痕跡が残っている。
非常に厳しい現場だと感じた」と話した。上野村によると、慰霊登山の今年のシーズンは11月14日まで。
翌15日から来年春の山開きまで、登山口に通じる村道のゲートは閉ざされる。(仲田一平)
ttp://www.asahi.com/articles/CMTW1410281000001.html 日航機墜落事故30年 事故後入社が90%超 ※リンク元に動画あり
520人が犠牲となった日航ジャンボ機墜落事故からことしで30年となり、日本航空では、
事故後に入社した社員が9割を超えました。また、航空事故の被害者を国が支援する取り組みは
始まったばかりで、空の安全とどう向き合うか、改めて考える1年になります。昭和60年、
日本航空のジャンボ機が群馬県の御巣鷹の尾根に墜落し、520人が犠牲となった事故から、
ことし8月で30年となります。羽田空港の一角にある日本航空の施設には、事故機の巨大な尾翼や
傷ついたボイスレコーダーなどが展示され、事故の教訓を学ぶ社員教育が行われています。
墜落から30年がたち、日本航空では、事故後に入社した社員が90%を超えています。入社して
3か月のパイロット訓練生の女性は「航空事故が社会に与える影響の大きさを強く感じました。この場
で学んだことを忘れず、訓練に当たりたい」と話していました。一方、遺族どうしが支え合う取り組みも
続いていて、遺族でつくる「8・12連絡会」が発行してきた会報「おすたか」は、去年、100号に
達しました。9歳の次男、健くんを亡くした事務局長の美谷島邦子さん(67)は、会社だけでなく国も
被害者支援に取り組むべきだと訴えてきました。こうした働きかけで、3年前、国土交通省に航空事故や
鉄道事故を想定した「被害者支援室」が設置されました。美谷島さんは「これまで多くの人の苦しみや悲しみ
があったが、ようやく国も被害者支援に乗り出すことになったので、こうした取り組みをさらに進めていかな
ければならないと思います」と話しています。
ttp://www3.nhk.or.jp/news/html/20150105/k10014432661000.html 日航機墜落事故 生存者が語る墜落までの生々しい証言が恐怖
https://www.youtube.com/watch?v=8FeSS7fsl2g
落合さんは神が救った、そして生かされたと思いたいね ……
もしかして糖質はこれも陰謀があるとかアホ抜かしてる? またこの季節がやってきましたね。
読売新聞に川上慶子さんのお兄さんの記事が載ってましたね。
慶子さんは3人のお母さんで関東で生活してるみたいだね。
そして兄妹では事故の話は全くしないそうだ。 数日前、NHKで123便の遺児たちの今みたいな特集やってて、
慶子さんのお兄さん出ていた。
あの後勉強が手に付かないとか、精神的に大変だったようだ。
あと、高濱機長のお嬢さんと、津慶さんとまり子さんも出ていた。 正確には死者数、521人だった。一人の胎児がいた。あぁ、痛ましいなぁ。当時十二歳のオレは今でもあの衝撃を忘れない。そのことを2010年8月12日のブログに書いています。http://ameblo.jp/tn2009/中村剣のブログ オレンジエア―だのファイアビーだのが本当だとしたら、
朝日や毎日なんか徹底的に糾弾してるはずだと思うんだな。
つまり事件ではなく事故だ。 昨日のNHKスペシャル見忘れた
見た人いる?どんな内容だった? 御巣鷹の尾根に飛行機が落ちて赤く光るのを肉眼でみたという女性が出演してた
いち早く知らせたけど、捜索にこの情報を取り上げてもらうことは無かったという
もし迅速に情報を取り入れ、救出に繋げてもらえたらまた状況も変わってただろうに、みたいなのがあった
NHKスペシャルは再放送が必ずあると思うから、録画予約しておくのも手かもです 今日 今更ヨウツベで詳しい状況とか知ったよ
遺書の動画見て
でも四人奇跡的に助かって
まぁいろいろ関連のものをみた
衝撃的だった
急降下って ほんと怖かったろうな
そうそう、なんか日付近いみたいだけどそうでなく
この前の調布市のセスナ墜落の動画見てたら左にあってね
すごい事故だったんだな… 東京近郊なら羽田の空港近く(天空橋駅から徒歩数分)に
壊れた機体の一部や遺書を展示してある場所があるから行ってみたら?
飛行機の機体がいかに薄いジュラルミンで覆われているかがわかって
乗るのが怖くなった NHKスペシャル 日航ジャンボ機事故 空白の16時間 15 08 01
www.youtube.com/watch?v=Dc5pylabR4Y
>>799
>>798 >>799>>804
thx!!
警察官も墜落現場を報告してたみたいだね。
遺族にとってはもっと早く救助隊が現場に到着していれば
と思う気持ちは分からないわけではないけど
捜査関係者も出来る限りのことはしたと思うんだけどな 中学・高校の同級生と会社の先輩が123便に乗っていた。
会社の先輩は1便前に乗るはずが、頼まれた女の子が間違えて123便を予約してしまったので、墜落を知ったときは泣き崩れたらしい。
その後、ちょうどアメリカに留学していた友人が新聞切り抜きを送ってくれた。
その記事には米軍救難ヘリが墜落現場上空まで到着して夜間降下を始めようとしたときに、日本側(自衛隊)からの要請で引き返したとはっきり書いてあった。
ベトナムで実戦を経験した米軍は夜間でも救難する技術はあったけど、自衛隊は夜明けまで待つしかなかったんだよね。
先輩は歯型でやっと確認できる状況だったからどうしようもなかったけど、自衛隊のくだらないメンツのために同級生を含め、まだ何人も助かったかも知れないチャンスを逃した。
このとき、自衛隊も帝国陸海軍と同じで、肝心なときに国民を守る組織ではないということがよくわかったよ。
当時の日本のマスコミはアメリカの記事は見ているはずなのに一切報道はしなかったのは、中曽根康弘が報道規制をしたからだろう。
先日のNHKの番組も、少し匂わせる言い方はしたが、ハッキリとはさせていなかったな。 >>807 わざわざエアメールで送ってくれたの?切り抜き。 >>808
>>807だけど、今みたいに海外のニュースをネットで読むなんてあり得ない時代だったから、友人が読んで選んだ記事を切り取って、読み終わった学術専門誌と一緒に郵送してくれていた。 あと1時間半程だけど
25:30〜再放送あるね!
http://tv.yahoo.co.jp/program/6102093/
NHKスペシャル▽日航ジャンボ機事故 空白の16時間〜墜落の夜30年目の真実 日航123便の自衛隊による撃墜の噂を検証
http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/jsdf/1407668219/
はじめに自衛隊の犯罪ありき。
自衛隊or米軍は、太平洋とか米本土の過疎空域で無人標的でもすむことを、
わざわざ空の銀座と呼ばれる過密空域でやらかした。
ジャンボの尻だけ器用に壊して、地上に何の影響も及ばさず、乗客乗員を生かしたままで迷走させる
超小型核爆弾とか、
残骸を残さない紙製ミサイルとか、ウルトラ級の超兵器が使われたそうな。
夏の朝までに、証拠隠滅の証拠を残さずに証拠隠滅をやってのけた、物凄い特殊部隊が
少なく見積もっても5千人は投入された。墜落現場に。
念入りな口封じがなされたはずだが、M氏とやらが
オフロードバイクで簡単に現場に着いて、証拠隠滅真っ最中の特殊部隊と言葉を交わして、簡単に帰ってきているそうだ。
無人標的を墜とすよりも、一般人を乗せた旅客機を墜として買収で口封じした方が安上がりだというのが、撃墜説派の言い分。
遺体と残骸の収容に、のべ何千人が何十日掛けた現場で、どんな特殊部隊だ?とか
医療用アイソトープの存在を最大限に利用して、夜間に生存者だけ収容、被曝の恐れを口実に隔離、現場も自衛隊だけで取り仕切った方が証拠隠滅にいいとか
海に墜とした方が早いだろとか、撃墜説派の機嫌を損ねるから言うな。 北原遥子さんのお母様も美人だなぁ
由美子ちゃんごめんなさいって遺品を整理してたの悲しいわ 墜落するまでのボイスレコーダー、もともと正式に情報公開されたものでなく、何者かマスコミにリークしたものと聞いたことがあるけど本当ですか。リークされなくても公開したのだろうか。 当時夏休みで自宅で日航機レーダーから消えるの一報を聞いた
そのあと自衛隊のF4戦闘機二機が現場上空で
地上で燃える物体を確認したと言うニュースを聞いた
その時、戦闘機が何で?と思った記憶がある
それっきりそのニュースは二度と流れなかった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています