【元前頭筆頭】史上最強の若者頭☆花ノ国☆part.14【敢闘賞・金星】
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前スレ
【元前頭筆頭】史上最強の若者頭☆花ノ国☆part.13【敢闘賞・金星】
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/sumou/1579060974/l50
令和初の前スレが急に落ちてしまったので建て直しました。
記録と記憶に残る、名実ともにナンバー1若者頭・花ノ国の凄さ、魅力について大いに語りましょう!(^O^)
プロフィール
【四股名】花ノ国明宏 (はなのくにあきひろ)
【最高位】東前頭筆頭
【本名】野口明宏
【生年月日】昭和34年10月15日
【出身地】大阪府藤井寺市
【四股名歴】野口→大三杉→花乃国→野口→花乃国→花ノ国
【所属部屋】花籠→放駒
【初土俵】昭和50年春
【新十両】昭和58年夏
【新入幕】昭和63年春
【最終場所】平成6年九州
【通算成績】605勝593敗21休/1196出(118場所)勝率.505
【十両成績】190勝193敗7休/382出(26場所)
【幕内成績】159勝189敗12休/347出(24場所)勝率.457
【三賞】敢闘賞1
【金星】1個
【各段優勝】幕下1回
【身長】185cm
【体重】146kg
【得意手】右四つ、寄り、上手投げ
【ニックネーム】ノグチ 花ノ国 明宏(はなのくに あきひろ、1959年10月15日 - )
大阪府藤井寺市出身
放駒部屋(入門時は花籠部屋)
最高位:東前頭筆頭(1989年11月場所)
本名:野口 明宏(のぐち あきひろ)
身長:185cm、体重:148kg
得意手:右四つ、寄り、上手投げ
現在は、若者頭・花ノ国
来歴
相撲好きの父親から幼少期より鍛えられた。1975年(昭和50年)3月場所初土俵。
重い腰を生かした典型的な四つ相撲で、右四つからの正攻法の攻めで番付を上げ
ていった。1983年(昭和58年)5月場所新十両。十両時代に当時の師匠(元横綱
輪島)の不祥事で放駒部屋へ移籍したが、以降はめきめきと力を付け、ご当所
の1988年(昭和63年)3月場所で新入幕を果たした。三役には惜しくも届かな
かったが幕内中-上位で健闘。同年9月場所では13日目を終わって2敗と優勝争
いに絡む活躍、最終的に11勝4敗の好成績で敢闘賞を受賞、1989年(平成元年)
9月場所では横綱北勝海を破る金星をあげた。また不調時ではあったが小錦と
相性が良く、1988年と1989年に限れば3勝4敗とほぼ互角の星を残している。
しかし小錦が復調して以降は勝てなかった。
その一方で、1990年(平成2年)3月場所の7日目に、「昭和の大横綱」と言わ
れた千代の富士の通算1000勝目の対戦相手として、相撲界の歴史に名を残すこ
ととなった(決まり手は「掬い投げ」)。当の花ノ国は千代の富士戦の敗戦後、
記者陣に対して「これで自分の名前が歴史に残るのは、ついてないですよ。プ
ロ野球で言うなら、まるで王貞治(巨人)に本塁打世界記録の756号を打たれ
た鈴木康二朗投手(ヤクルト)みたいじゃないですか」と、大好きな野球に例
えて苦笑混じりに嘆いていたという(余談だが、自身は阪神ファンである)。
また、千代の富士の53連勝の始まり、大鵬を超えた46連勝の時の相手も花ノ国
である。
力士生活の晩年は肘の故障などにより、幕内と十両の往復を繰り返した後に幕
下へ陥落、1994年(平成6年)9月場所後に引退。若者頭に転向した。 主な成績・記録
現役在位:117場所
通算成績:605勝593敗21休 勝率.505
幕内在位:24場所
幕内成績:159勝189敗12休 勝率.457
三賞:敢闘賞1回(1988年9月場所)
金星:1個(北勝海)
各段優勝:幕下1回(1985年3月場所)
対横綱戦:1勝20敗(北勝海1勝)
対大関戦:4勝26敗(小錦3勝、朝潮1勝)
改名歴
野口 明宏(のぐち あきひろ)1975年5月場所-1978年5月場所
大三杉 明宏(おおみすぎ-)1978年7月場所-1982年3月場所
花乃国 明宏(はなのくに-)1982年5月場所-1984年11月場所
野口 明宏(のぐち-)1985年1月場所-1985年3月場所
花乃国 明宏(はなのくに-)1985年5月場所-1986年7月場所
花ノ国 明宏(はなのくに-)1986年9月場所-1994年9月場所 花ノ国 明宏 (はなのくに あきひろ)
最高位 前頭 1
本名 野口 明宏
生年月日 昭和34年10月15日
出身地 大阪府藤井寺市
身長 体重 185センチ 146キロ
所属部屋 放駒
改名歴 野口 明宏 → 大三杉 明宏 → 花乃国 明宏 → 野口 明宏 → 花乃国 明宏 → 花ノ国 明宏
初土俵 昭和50年3月
最終場所 平成6年11月
生涯戦歴 605勝593敗21休/1196出(118場所)
幕内戦歴 159勝189敗12休/347出(24場所)、1敢闘賞、1金星
前頭戦歴 159勝189敗12休/347出(24場所)、1敢闘賞、1金星
十両戦歴 190勝193敗7休/382出(26場所)
幕下戦歴 183勝153敗/336出(48場所)、1優勝
三段目戦歴 27勝20敗2休/47出(7場所)
序二段戦歴 42勝35敗/77出(11場所)
序ノ口戦歴 4勝3敗/7出(1場所)
前相撲戦歴 1場所
番付外戦歴 1場所 花ノ国 明宏(はなのくに あきひろ)
本名 野口 明宏 生年月日 昭和34年10月15日
出身地 大阪府藤井寺市(旧 大阪府南河内郡) 初土俵 昭和50年 3月
所属 花籠→放駒 新十枚目 昭和58年 5月
改名歴 野口→大三杉→花乃国→野口→花乃国→花ノ国 新入幕 昭和63年 3月
最高位 前 1
最終 平成 6年 9月
得意手 右四つ、寄り、上手投げ 身長 体重 185cm 148kg
幕内通算 24場所 159勝189敗12休 敢1金1
備考
板金塗装業の長男で、父は相撲好きで若い時に土地相撲で活躍した程で、子供
の時から相撲の本を見せられて育った。道明寺小学校から野球を始めとする殆
どの球技をこなし、道具を使っての筋力鍛錬もしていた。道明寺中学校では相
撲部は無かったが消防署の稽古場に通って黒崎窯業の選手に稽古を付けてもら
った。既に小学校 1年生で間垣から勧誘されていたが中学校を卒業した時には
部屋が消滅していた。当時の身長と体重は182cm 130kgに達したので、二子山
・大鵬・立浪・花籠の各部屋から勧誘されたが、親戚に常盤山の現役中の大阪
後援会会長を務めた人が居た縁で常盤山が 3回も訪ねて来て勧誘したので、花
籠部屋に入門した。
花ノ国の名は花籠が命名した。
腰の重さを生かした右四つの正攻法の取り口。
昭和61年 3月は御当所で 1勝 6敗と大きく負け越したが、地元後援会が激励会
を開いてくれたのを大きな励みとして奮起し、以後は順調に昇進した。
暢気な性格。
廃業後は若者頭に転向した。 花ノ国 明宏(はなのくに あきひろ、1959年10月15日 - )は、
大阪府藤井寺市出身の元大相撲力士。
放駒部屋(入門時は花籠部屋)に所属していた。
最高位は東前頭筆頭(1989年11月場所)。
本名は野口 明宏(のぐち あきひろ)。
身長185cm、体重148kg。
得意手は右四つ、寄り、上手投げ。 若者頭 花ノ国 明宏(はなのくに)
しこ名
前頭筆頭 花ノ国 (はなのくに)
本名
野口 明宏
生年月日
昭和34年10月15日生
出身地
大阪府
生涯戦歴
605勝 593敗 21休
受賞歴
敢闘賞1回 >>1
スレ建て乙です
前のスレが突然落ちたのでびっくりしていました
このスレが長く続くことを祈ります >>14
20くらいレスつけないと落ちちゃうんだよ とりあえず、連投エラーが出るまでレスします
若者頭の伯龍が定年してから1枠が空いたままになっている
誰も取らないのだろうか 俺は一般人だが花ノ国さんにちゃんこを作ってもらって食べたことがある
味噌仕立てで旨かったなー
「肉でパワー、魚でスタミナ!」っていってよそってもらったよ・・・
つうか背がでっかい人だったな サイン貰ったときの笑顔が忘れられません
ありがとう御座います ぶっちゃけ花ノ国若者頭は平幕止まりだったんだけど 弟子を育てるのはけっこう上手いんだよね
関取を何人も出してるしな 花ノ国は花籠騒動や糖尿のハンデを、工夫と稽古で乗り越えて幕内になったからね。
もちろん運動神経、素質も抜群だが、自分の頭で色々相撲のスタイルを変えて強くなったタイプだから、
教えるのも上手なのだろう。 花ノ国は人間性も評判いいな 不満を漏らす弟子がいないってさ 顔を見ればだいたい分かる。 花ノ国は優しそうだしコミュ力もある。 花ノ国は人気幕内力士だったのに花籠株取得を辞退して 若者頭として長年、裏方に徹して部屋を仕切ってるのは立派だね。 花ノ国は三役まであと一歩まで行ったんだがな
放駒部屋全盛期の頃だったな 横綱・北勝海を突き落とし、金星を奪った際には地元大阪新聞が一面で報道したとの逸話を持つ 闘志を表に出すタイプではなく、マイペースな力士であったと記憶する。
ずいぶん長いこと幕内で活躍していましたね。 下の頃の前評判は非常に高かったが花籠騒動と糖尿病で出世が遅れた 地味ながら実力者だったな。渋くて大好きだったぜよ! こんな「たられば話」はまるで意味がないんだけど、 もし相撲がまわしを引きあった状態から始まる競技なら花ノ国は横綱になってた。 はな〜の く〜にぃ! パパンパパンパン はな〜の く〜にぃ! パパンパパンパン 自分は千代の富士時代から相撲見てるけど
花ノ国が年寄になれなかった事を
本当に残念に思っている
若者頭人生はまだこれからだから
くれぐれも健康に気をつけてほしい 相撲への姿勢も人格も立派で素晴らしい こんなすてきなお相撲さんはもう現れないだろう 安心して見ていられる平幕って感じだったな
やっぱり糖尿なけりゃ普通に小結・関脇だったのかなあ >>53〜>>57
花ノ国研究会さん、貴重な映像をありがとうございます。
早速、拝見しましたが懐かしい思い出が蘇り胸がいっぱいになりました。
やはり勝っても負けても花ノ国の取り組みが見られるのはいいですね。 昔は大関候補と言われてたが結局駄目だったな 俺は期待してたんだが あるパーティで写真を一緒に撮らせていただいたんだけど、とても感じが良かった。
愛想が良いというのではなく、すごく頭が良さそうという感じ。
その後、ずっと眼で追っていたんだけど、 私が知らない男性(友人だと思う)と笑いながら楽しそうにおしゃべりしていた。 花ノ国は遅咲きだったが、若い頃から強かったと思う。 昭和58年頃、初めて巡業を見に行った時、準備運動を一人で黙々としている花ノ国を見ました。
他の力士達はわりと和やかに談笑したりしていたのですが、 その孤独な姿に、花ノ国はきっと幕内になるなと思いました。 この人、不思議。
新十両後に4年間も低迷していたのに 5度目の再十両は6場所で通過し、すぐに幕内上位にきた。 幕下の頃から花ノ国については恵まれた素質と豊富な稽古量で強くなる要素は十分あると
雑誌などには書かれていた。 中学時代にオール5だったという話もあるが、学校の成績は別として、 タニマチをやっていた友人が、花ノ国はとても頭が良いと言っていた。
後援者の名前なんかも良く覚えていたらしい。 花ノ国の顔は意外に古風というか、(写真でしか知らないけど)戦前の名力士を彷佛とさせるものがあったね 花ノ国は亜麻仁油とってるし、食生活にも気を使ってるから長生きしそう 花ノ国さん、いくら健康でも還暦だからコロナウィルスには気を付けてください・・・ >>67
私も花ノ国のひたむきさに感じ入ったタイプです。
ファンになったのが遅かったので悔しいのだけれど、 TVで珍しく相撲を見ていたときに、 思いつめたような顔をして奇妙に印象に残る力士がいました。
その後も断続的に見続け、いつのまにかハマってしまったという訳です。 このスレに来るとほっとします。
花ノ国のファンは、大相撲に対して優しい気持ちを持っていると思います。 花ノ国の相撲はまともというか正直というか
上位には組しやすい相手という感じはした 30年ぐらい前だったか、横須賀巡業の時に髷結の実演で土俵に上がった あの頃、花ノ国は間違いなく輝いていた
その後の怪我は返す返すも残念 本人も悔しかったろう 忘れない、花ノ国を。 花ノ国と言えば当時入幕まもない若花田(現・花田虎上)を桟敷席の前列まで吹っ飛ばしたのがやたら印象深い。 彼は人格者だよ。
糖尿さえなければ、大関も狙えたし、魅力はあったよ。 本人に親方になる気が最初からなかったのだし、本人の人生だから余人が口を挟む物ではないけど、花ノ国のような力士にこそ親方となって協会に残って欲しかったね。
現役を退いたら相撲と縁を切って店でも始めるとか家業を継ぐとかならともかく、若者頭になって残るほどに大相撲を愛しているのだし。 年寄ではなく若者頭として協会に残ったのには何か訳があるのかな 引退のタイミングで年寄株の空きがなく若者頭の枠が空いたからだろうね 誰もが親方になりたいってわけではないだろう、人間関係も大変そうだし
潮丸が急逝しなければ東関になることもなかったんだし
辞めても相撲興業に関わっていられるやりがいはあるんだろうね 年寄よりも気楽だし相撲に携われるから若者頭もいいかもね
でも、現役の頃からずっと応援していたファンとしては、
親方として部屋を構えて欲しかったという願いもあるわけで。。。 花ノ国若者頭と大嶽親方(大竜)の立場を交換してくれねぇかな?
逆の方がしっくりくる 野口君は、すごくいい人ですよ。
相撲はあまり興味ないけど 幼馴染みが、こんなに人気があるなんて やっぱり嬉しいです。 >>92
大嶽親方(元前頭筆頭・花ノ国)に大竜若者頭(元十両4)か
確かにしっくりくるね
>>93
幼馴染みって、マジでですか? >>95
マジです。
母が、野口君のお母さんと仲が良かったので 小さいころはよく遊びに行きました。 いつだったか国技館で見かけたけど堂々とファンサしてて意外だった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています