[昔の力士は]歴代の大関について語るスレ[強かった]
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イメージだが魁皇あたりから
8−7が多くなった気がする 出島 武双山 雅山は強いときと弱いときがはっきりしてた 魁皇は後半の数年の実績が邪魔だなぁって思うわ。
優勝しまくってた現役前半は化け物だと思うが >>11
カド番で3勝6敗とか不安定な大関だった。 昭和58年の大関強いわ
初 隆の里11勝4敗 琴風14勝1敗V 若島津10勝5敗
春 琴風11勝4敗 隆の里12勝3敗 若島津8勝3敗4休
夏 隆の里13勝2敗 琴風11勝4敗 朝潮9勝6敗 若島津13勝2敗
名古屋 隆の里14勝1敗V 若島津11勝4敗 琴風12勝3敗
北天佑9勝6敗 朝潮9勝6敗
秋 琴風11勝4敗 若嶋津13勝2敗 北天佑8勝7敗 朝潮途中休養
九州 若嶋津11勝4敗 琴風11勝4敗 北天佑11勝4敗 朝潮全休 まだ武双山や魁皇、土佐ノ海らが上位にいなかった頃、曙・貴乃花・若乃花・武蔵丸・貴ノ浪の5人とそれ以外とで実力にかなり開きがあると言われていたな
この頃の大関は曙を除く四人だったかな?
それとも曙、貴乃花を除く3人だったかな 魁傑とか平幕優勝から自力で戻ってきてすごい印象があるけれども実は大関在位は短命を2回繰り返しているだけなんだな。まぁそれでも大関在位中では無いけれども優勝は2回しているから大したものだとは思うけれども >>24
琴乃富士に勝っていれば二回も陥落はなかった >>24
貴ノ浪とか栃東とか2場所で落ちたよね(笑) >>22
曙を除く4人が、全勝・14勝・12勝・11勝というバケモノみたいな時代もあった(笑) >>28
護送船団が無ければ最低でも花田らの集団同士の直接対決で3勝は減るし、その疲労の影響でますます金星配給が増えたり、曙や武蔵丸に負けていた可能性も高いだろうな
護送船団のせいで大関横綱対決免除で前頭6とか7とあたってれば、日馬や鶴ももっと大横綱らしい成績を残せていただろうな
そいつらも護送船団が無ければその場所も12勝横並びの低レベルな接戦になっていた可能性が高い 若貴兄弟のおかげで出世できた力士を含めて護送船団と言って叩く異常さがわからないんだなオマエは そもそも護送船団とか言ってるけどちゃんとルールに則った仕組みなんだからな
たまたま入門した部屋が全員同じだっただけで
あの当時藤島部屋と旧・二子山部屋が合併して幕内力士10人の巨大な新・二子山部屋が出来たけどその後活躍した若貴兄弟、貴ノ浪、安芸乃島、貴闘力の5人は全員藤島部屋出身だし
旧二子山出身の若祥洋は相手を振り回すような豪快な相撲で関脇まで行ったのにその後陥落していったのは残念だったな 若翔洋は大関行けると思ったけどなあ
あの器用さはスキだった >>20
そうした状況で2回も優勝した隆の里と千代の富士はやはり強いね 生月鯨太左衛門
幕内通算成績:3勝2敗115休 勝率.600(休場の大半は土俵入りのみの出場)
なんやねんこいつ >>34
いわゆる「看板大関」なんじゃない?
見世物だった時代に大男を連れてきて、いきなり大関にしちゃうの。そのまま定着したり落ちたりする、出世した例は谷風 wiki見てきたけど最高位は西張出前頭(初土俵から引退まで)だった
身長が227cm、体重が169kgあり、日本一の巨漢力士であった。
平幕内在位:12場所(1844年10月場所-1850年3月場所。但し実際に相撲を取ったのは1846年11月場所のみ)幕内通算成績:3勝2敗115休 勝率.600(休場の大半は土俵入りのみの出場)現役在位:12場所 >>19
初期はそうだったんかな?
自分の中では横綱不在とはいえ横綱並の強さを示していた記憶しかない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています