お相撲を観始めた時から今までで一番好きだった力士
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北播磨関と里山関。最近の負け越し具合をみて他の人に浮気中ww 霧島かなぁ、小錦相手につり寄り寄りきりとか、千代をつり出しした一番はしびれた。
下に落ちても、小錦との取り組みはいつも胸あつだった。 維新力だわ
あんなに小さかったのに大型力士をブン投げたり十両の土俵で異彩を放っていていつも応援してたわ
貴花田戦の反則負けは未だに納得がいかないけどね 平成元年〜10年辺りは多種多様な力士がおっておもろかったな
琴錦、霧島、貴ノ浪…
琴錦なんか八百長やってなかったら普通に大関になってたやろしな
スピード、技術は大関クラスやった 北斗旭
色白で綺麗な力士だった。 毎日、弓取式を見るのが楽しみだったなぁ。 玉春日かな、やっぱり地元愛媛だったし。
でも全盛期はまだ相撲に興味なくて、見始めたのは1998年3月だから三役から落ちた後だった。
まだ上位総当たりじゃなければ勝ち越して上位に戻る力はあり、
そこからも曙、若乃花、貴乃花と毎場所横綱の誰かには勝つ土俵が続いていた。
11場所連続西の番付とか、二日連続横綱から不戦勝もらうとか、若乃花の最後の白星が
この人からで、若乃花は「いい相撲を取れたから、明日のダイスケ(栃東)戦で引退する」と
決めていたようだ。
一度だけ三役に復帰。でもそれが上位に通用した最後の場所で、以降は2枚目から上に行くことはなかった。
初優勝する前の武双山に3連勝とかたまに活躍してたな。朝青龍との初対戦は勝ってる。
その後の怪我で幕内と十両の行ったり来たりが30代前半は続いた。
晩年に2場所、注目を浴びることに。再入幕して3場所目34歳、珍しく好調で、
千秋楽に幕内初の11勝と、史上最長間隔の55場所ぶりの三賞受賞の記録が懸かる事になった。
結果は勝ち。一時は十両で初日から7連敗して引退も危ぶまれたが持ち直してきた。
そして半年後に幕内で初日から7連勝、優勝争いの単独トップも経験。この時35歳。
幕内再定着後15場所連続して幕内を保った。
2008年7月で3勝11敗から休場、十両落ちが確定。翌場所は西十両2枚目で一進一退、
5勝7敗から負け越すも14日目に勝ち、また翌場所3枚目か4枚目辺りから頑張ろうか
という14日目の幕内の土俵、2chにある情報が書き込まれた。明日は休場すると。そして直後、
玉春日が審判部に赴き、千秋楽の割から自分を抜いて下さいと言いに行った 旨が書き込まれる。
つまり玉春日は6勝8敗で現役を終えると心に決め、それが非公式に了承されたという事だった。 日馬富士はモンゴルの国立法科大学通信課程で警察官と弁護士資格を得て、法大大学院に合格し
、医療支援や母国での学校建設など、社会貢献も活発で、絵は個展を開いた程の腕前だと
知りました。それで横綱を張っていました。引退後のこれからも、さすがは日本の国技の
頂点であった横綱日馬富士だ、と尊敬される人生を歩まれることを信じ、今後の活躍に期
待したいと思います。 なぜ白鵬は人気ないんだろうな
モンゴルでも人気ないらしいし
朝青龍>日馬富士>>>白鵬の順らしい 剛堅
郷土力士だから応援していた
入幕する実力があると思っていたのに十両止まりだったのは残念
玉海力戦で負傷して救急車で病院に搬送された時は泣いたな
それから幕下に陥落して再十両もなく静かに廃業したのが記憶に残っている >>43
とりあえず日馬富士のほうが断然人気あったらしい
日本でも白鵬より日馬富士のほうが人気あったしな
ずっと横綱にいるわりに存在感はないし、朝青龍のような思いきったヒールでもない、
姑息なのがバレて地味に嫌われるというww 土佐ノ海。
数字上の全盛期は、1998九州〜2000年だけど、
個人的には97年が一番印象的。
ライバルの武双山より番付推移で優勢だったし、
曙、若貴、武蔵丸、貴ノ浪と一緒に3場所連続で
千秋楽の三役揃い踏みに出てたとか、今考えると
胸熱。 旭國だな
あだ名が相撲博士なだけに、何となく知的で賢そうに見えた
しかしいわゆるクンロク
小兵で強すぎない点もこちらの応援に力の入る大関だった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています