【敢闘賞】史上最強の若者頭☆花ノ国☆Part10【金星】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
前スレ
史上最強の若者頭☆花ノ国☆PART9【敢闘賞・金星】
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/sumou/1505987893/
記録と記憶に残る、名実ともにナンバー1若者頭・花ノ国の凄さ、魅力について大いに語りましょう!(^O^)
平成六年十一月場所後のプロフィール
【四股名】花ノ国明宏 (はなのくにあきひろ)
【最高位】前頭 1
【本名】野口明宏
【生年月日】昭和34年10月15日
【出身地】大阪府藤井寺市
【四股名歴】野口→大三杉→花乃国→野口→花乃国→花ノ国
【所属部屋】花籠→放駒
【初土俵】昭和50年春
【新十両】昭和58年夏
【新入幕】昭和63年春
【最終場所】平成6年九州
【通算成績】605勝593敗21休/1196出(118場所)勝率.505
【十両成績】190勝193敗7休/382出(26場所)
【幕内成績】159勝189敗12休/347出(24場所)勝率.457
【三賞】敢闘賞1
【金星】1個
【各段優勝】幕下1回
【身長】185cm
【体重】146kg
【得意手】右四つ、寄り、上手投げ
【ニックネーム】ノグチ 花ノ国 明宏(はなのくに あきひろ、1959年10月15日 - )
大阪府藤井寺市出身
放駒部屋(入門時は花籠部屋)
最高位:東前頭筆頭(1989年11月場所)
本名:野口 明宏(のぐち あきひろ)
身長:185cm、体重:148kg
得意手:右四つ、寄り、上手投げ
現在は、若者頭・花ノ国
来歴
相撲好きの父親から幼少期より鍛えられた。1975年(昭和50年)3月場所初土俵。
重い腰を生かした典型的な四つ相撲で、右四つからの正攻法の攻めで番付を上げ
ていった。1983年(昭和58年)5月場所新十両。十両時代に当時の師匠(元横綱
輪島)の不祥事で放駒部屋へ移籍したが、以降はめきめきと力を付け、ご当所
の1988年(昭和63年)3月場所で新入幕を果たした。三役には惜しくも届かな
かったが幕内中-上位で健闘。同年9月場所では13日目を終わって2敗と優勝争
いに絡む活躍、最終的に11勝4敗の好成績で敢闘賞を受賞、1989年(平成元年)
9月場所では横綱北勝海を破る金星をあげた。また不調時ではあったが小錦と
相性が良く、1988年と1989年に限れば3勝4敗とほぼ互角の星を残している。
しかし小錦が復調して以降は勝てなかった。
その一方で、1990年(平成2年)3月場所の7日目に、「昭和の大横綱」と言わ
れた千代の富士の通算1000勝目の対戦相手として、相撲界の歴史に名を残すこ
ととなった(決まり手は「掬い投げ」)。当の花ノ国は千代の富士戦の敗戦後、
記者陣に対して「これで自分の名前が歴史に残るのは、ついてないですよ。プ
ロ野球で言うなら、まるで王貞治(巨人)に本塁打世界記録の756号を打たれ
た鈴木康二朗投手(ヤクルト)みたいじゃないですか」と、大好きな野球に例
えて苦笑混じりに嘆いていたという(余談だが、自身は阪神ファンである)。
また、千代の富士の53連勝の始まり、大鵬を超えた46連勝の時の相手も花ノ国
である。
力士生活の晩年は肘の故障などにより、幕内と十両の往復を繰り返した後に幕
下へ陥落、1994年(平成6年)9月場所後に引退。若者頭に転向した。 主な成績・記録
現役在位:117場所
通算成績:605勝593敗21休 勝率.505
幕内在位:24場所
幕内成績:159勝189敗12休 勝率.457
三賞:敢闘賞1回(1988年9月場所)
金星:1個(北勝海)
各段優勝:幕下1回(1985年3月場所)
対横綱戦:1勝20敗(北勝海1勝)
対大関戦:4勝26敗(小錦3勝、朝潮1勝)
改名歴
野口 明宏(のぐち あきひろ)1975年5月場所-1978年5月場所
大三杉 明宏(おおみすぎ-)1978年7月場所-1982年3月場所
花乃国 明宏(はなのくに-)1982年5月場所-1984年11月場所
野口 明宏(のぐち-)1985年1月場所-1985年3月場所
花乃国 明宏(はなのくに-)1985年5月場所-1986年7月場所
花ノ国 明宏(はなのくに-)1986年9月場所-1994年9月場所 花ノ国 明宏 (はなのくに あきひろ)
最高位 前頭 1
本名 野口 明宏
生年月日 昭和34年10月15日
出身地 大阪府藤井寺市
身長 体重 185センチ 146キロ
所属部屋 放駒
改名歴 野口 明宏 → 大三杉 明宏 → 花乃国 明宏 → 野口 明宏 → 花乃国 明宏 → 花ノ国 明宏
初土俵 昭和50年3月
最終場所 平成6年11月
生涯戦歴 605勝593敗21休/1196出(118場所)
幕内戦歴 159勝189敗12休/347出(24場所)、1敢闘賞、1金星
前頭戦歴 159勝189敗12休/347出(24場所)、1敢闘賞、1金星
十両戦歴 190勝193敗7休/382出(26場所)
幕下戦歴 183勝153敗/336出(48場所)、1優勝
三段目戦歴 27勝20敗2休/47出(7場所)
序二段戦歴 42勝35敗/77出(11場所)
序ノ口戦歴 4勝3敗/7出(1場所)
前相撲戦歴 1場所
番付外戦歴 1場所 花ノ国 明宏(はなのくに あきひろ)
本名 野口 明宏 生年月日 昭和34年10月15日
出身地 大阪府藤井寺市(旧 大阪府南河内郡) 初土俵 昭和50年 3月
所属 花籠→放駒 新十枚目 昭和58年 5月
改名歴 野口→大三杉→花乃国→野口→花乃国→花ノ国 新入幕 昭和63年 3月
最高位 前 1 最終 平成 6年 9月
得意手 右四つ、寄り、上手投げ 身長 体重 185cm 148kg
幕内通算 24場所 159勝189敗12休 敢1金1
備考
板金塗装業の長男で、父は相撲好きで若い時に土地相撲で活躍した程で、子供
の時から相撲の本を見せられて育った。道明寺小学校から野球を始めとする殆
どの球技をこなし、道具を使っての筋力鍛錬もしていた。道明寺中学校では相
撲部は無かったが消防署の稽古場に通って黒崎窯業の選手に稽古を付けてもら
った。既に小学校 1年生で間垣から勧誘されていたが中学校を卒業した時には
部屋が消滅していた。当時の身長と体重は182cm 130kgに達したので、二子山
・大鵬・立浪・花籠の各部屋から勧誘されたが、親戚に常盤山の現役中の大阪
後援会会長を務めた人が居た縁で常盤山が 3回も訪ねて来て勧誘したので、花
籠部屋に入門した。
花ノ国の名は花籠が命名した。
腰の重さを生かした右四つの正攻法の取り口。
昭和61年 3月は御当所で 1勝 6敗と大きく負け越したが、地元後援会が激励会
を開いてくれたのを大きな励みとして奮起し、以後は順調に昇進した。
暢気な性格。
廃業後は若者頭に転向した。 花ノ国 明宏(はなのくに あきひろ、1959年10月15日 - )は、
大阪府藤井寺市出身の元大相撲力士。
放駒部屋(入門時は花籠部屋)に所属していた。
最高位は東前頭筆頭(1989年11月場所)。
本名は野口 明宏(のぐち あきひろ)。
身長185cm、体重148kg。
得意手は右四つ、寄り、上手投げ。 若者頭 花ノ国 明宏(はなのくに)
しこ名
前頭筆頭 花ノ国 (はなのくに)
本名
野口 明宏
生年月日
昭和34年10月15日生
出身地
大阪府
生涯戦歴
605勝 593敗 21休
受賞歴
優勝0回/ 殊勲賞0回/ 敢闘賞1回/ 技能賞0回 久々に相撲板を開いたら花ノ国のネタで10とかwww
おまいら好きだねwww キセの豚の興味が薄れたので むかしばなしをしてるんです 前々スレ終盤で変な荒らしが入って終了したので
このスレでは真面目に花ノ国について語って下さい。
宜しくお願いします。 荒らしにも注目されてしまったか…
>>1乙
無事に花ノ国の話題で終わるといいけどね なんで前頭筆頭まで上り詰めた名若者頭のスレを必死であらそうとする人がいるのかね?
よっぽど悲しい人生を歩んでるのかと、同情に堪えない。 あ、>>1乙ね
花ノ国板は良スレなんで荒らさないでほしいよな 中部・北陸から山陰・山陽への巡業、花ノ国、楽しくやってるかな。 >>16
平成元年秋場所2日目の北勝海戦が見たいな。
YouTubeにもアップされてないし。
コメント内容 俺は若者頭の中では、花ノ国のテクニックが一番だと思っている。
完全に型があったね。右差し、左からのおっつけと上手投げ。かっこよかった。 >>1
まだやんのかよw
君らそんな花ノ国好きだったっけ >>19
オレも歴代の若者頭の中では、相撲巧者ナンバーワンだと思っている。
右下手&左おっつけ。単純のようだが、利にかなっている。
あの小錦の巨体が、浮き上がってズルズル後退したものね。 >>22
あの平成元年秋は、花ノ国としては、まさに火事場の馬鹿力ってやつだろう
最後はガップリ双差しで引き付けて寄り切って勝ち
部屋に戻ってからも腕がなまって箸も握れず、煙草を持つ手も震えていたという
それくらい当時の小錦を倒すのは大変なことだった >>21
最近の花ノ国スレの伸びを知らんのか
ニワカめw 花ノ国が薩洲洋に2連敗、3連敗するのは見るに耐えなかった…。
何でだよ! もういい歳の俺でも花ノ国はガキの頃に幕内だった記憶がある 相撲板の連中は花ノ国が大好きみたいだけど、
花ノ国ってそんなすごいの?
三賞は敢闘賞が1回で金星も1つと多くはないし 若者頭で現役を辞めて20年以上も経ってるのにこれだけ人気があるのは凄いね 千代の富士全盛時代を知っているが、クラスで花ノ国を応援してるファンはそこそこいたな 『千代の富士より
ふつう〜にぃ〜
花ノ国が好き〜ぃ!!』 今、何故に花ノ国スレが盛り上がる?
千代の富士なら納得だが 辞めて23年経っても、これだけ愛される平幕力士はそうはいないだろう。 >>1
新スレおめでとう!
最高の若者頭、花ノ国を選んだお前らに乾杯! 花ノ国さんは現役の晩年に会ったことがあるけど、本当に素晴らしい人格者だったよ。 花ノ国の現役晩年の相撲は、何か哀愁漂うものがあった。 花ノ国は最高だった
幕内で勝った全取り組みが入ったDVDがあればなぁ
毎晩、晩酌をしながら観戦するよw >>45
幕内で勝った全ての取り組みだと相当長いぞw
159勝w >>46
時間というよりも濃密度が段違い
それと、これは俺が花ノ国ファンだからかも知れないが
花ノ国の視点で見る方があの当時の幕内の取り組みはより味わい深い
(特に花ノ国の幕内連続在位21場所の3年半) 花ノ国はね
三賞受賞回数では測りきれない
強さのある平幕
昭和62年以降相撲を見ている方は知っている事実
特に63年は安定感抜群
久島海との相撲で肘を骨折したのが痛かったね 花ノ国はね
皆が思っているほど弱くはないよ
強い人だ >>45
花ノ国が活躍した昭和63年秋場所
これ昔録画した
家にあるよ 花ノ国は突き押しり力士が苦手だったな
特に胸をもろ手で突かれるのがすごく嫌だったようだ >>53
花ノ国は番付運さえ良かったら三役に上がれただろうな。 今にして思えば、花ノ国の立ち合い変化は愛嬌があった 放送当時のTVのNHK実況入りの花ノ国の取り組み見たい。
誰か神いないかな(ワクワク >>63
花ノ国は大乃国や鳳凰のような腰が重く腕力があるタイプ 平幕の中でも実に個性的な力士でしたね。
S63年秋場所は十日目あたりまでトップと星一つ差で走っていたのに終盤に崩れて優勝戦線から脱落しましたね。
ウルフ最強時代に唯一好きな力士でした。 九州場所が始まったけど花ノ国サンの解説はいつですか? 花ノ国のBS中継の向正面解説は毎場所楽しみにしてるわ! >>66
あの場所で、北天佑・朝潮には負けても納得したが、薩洲洋・大寿山に負けて悔しがる花ノ国ファンが多かった 花ノ国すきだったなあ
立ち会い変化がシビれた
花ノ国の変化はちょっと違うんだよ
ガツッと踏み込んでからサーッといなすんだ 栃司てまたダークやな。 両国…、若しくは貴ノ浜改め豐ノ海。 >>72
俺もそう思う。こういう渋いベテラン系好きだったな。
取り口見てても何かホッとしたよね。 花ノ国って、幕内下位で大負けしたのが平成4年の九州の5−10だけなんだよね。
だから十両に落ちたらガタガタッと落ちてしまった 相撲取りと落語家と歌舞伎役者の名前はサッパリ覚えられん俺でも花ノ国は知ってる人だわ 力士にしては至極まともな御方だと思いました。
こういう方に未来の協会を任せたい。 精悍な顔つきで仁王像のような体格のお相撲さんだったな 大好きな力士だった。
関係ない話題ですまぬが、虎吉の良心でもある。 特別贔屓してたわけではないが、
この人が引退した時は、涙がとまらなかった。
花籠騒動やら千代の富士の記録の対戦相手になったりと色々あったから。
自分みたいな人、他に誰かいないかな? 南河内から50年ぶり(だったかな)に出た幕内力士!
三賞もらって、前頭筆頭まで上がりつつも、
相撲が地味すぎで、影が薄かった。
藤井寺市民として、とっても悲しかったぞ。
それでも応援してたぜ。野口クン(藁 >>82
いますよ。父親の転勤で大阪に居た小学生時代に、友達たちとよく見てました。
ずっと応援してました。 大阪人じゃないけど花ノ国大好き。
勝っても負けても、いつも真剣なガチンコ力士だから。
花ノ国は貴重な存在だよ。 子供心に、千代の富士に良く負けていた人というイメージがある。 ワタクシ現在、道明寺中学1年生。
OBの花ノ国さんを尊敬してます! >>88
道明寺中学は公立中学だが花ノ国の母校ということを看板にし全面的にアピール汁 ちなみに俺も大阪(河内)出身だよ。
花ノ国は基本に忠実ないい相撲取ったんだけどね…
千代の富士に一度くらいはガチで勝って欲しかったな。 千代の富士絶頂の時にヒッソリと、でも独特の輝きを持った平幕力士 最近は情報がないが、今でも場所中は幕下以下の中継で解説とかやってるの?
今一度ブレイクキヴォンヌ 湊富士が花ノ国に初めて会った時、「双津竜に似てる」と思ったそうです。 ちょっとだけ喋らせてくれw
俺が花ノ国で印象に残っているのは左の絞りと腰の構え落とし具合だったんだが、
十両の頃には上半身と腕力で攻撃していたせいか
腰の備え、落としがあまり感じられず(ベテランの方、異論はあるかも、だが)
重厚感に欠けている様に見えたもんだが
入幕後のS63年頃からの花ノ国が勝つ取り組みの寄り身の何とも言えない大人の風格が格好良く見えた
腰の備え、構えも他とは別格に映った。
俺の見てた花ノ国は20代後半から34歳の引退年までだが
今、こうしてネットで二度と見られない花ノ国戦が語られるように(ちょいオーバーw)なっても
やはり、花ノ国は依然恰好よく老成していて、狡猾そうで(いい意味でね)、勝負師然としている感覚で見てしまう。 子供のころ、テレビを見ながら【花ノ国〜!】って叫んだことを思い出したわ。
花ノ国は強いんだ!と自分に言い聞かせながら応援してたな。 年齢的にリアルタイム観戦では若貴時代以降の俺には勉強になるスレだな。
荒らしも来ないし。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています