落合監督をまったり語るスレ in スポーツサロン20
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ここは、落合監督をまったり語るスレです。
野球板の避難所ではありません。
中日全般の話題は、プロ野球板のドラゴンズスレ(燃えよ!ドラゴンズ〜○○○〜)でお願いします。
試合の実況は、実況板でお願いします。
前スレ
落合監督をまったり語るスレ in スポーツサロン19
http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/sposaloon/1256389305/
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【sage進行のススメ】
書き込むとき、E-mail欄に『 sage 』(半角)と記入すると、スレッドが上がりません。
野球板の各球団メインスレはsageで書き込むのが基本です。
sageないで荒氏と間違われても、文句は言わないでね。
【sage の利点】
書き込みの後もスレッド順位は変更されない。
だから荒氏に見つからない。マターリ進行のスレッドに有効。
---------------------------------------------------------------------- このスレも終わりか。
>>1のスレ立てはグレートだったぜ
とか、もう書き込めないんだな >>585
来年・・・・・
『中日銀行』
とか他球団のファンから言われたら嫌だなwww
でも実際そうなりそうだし。
球団もOBから再就職の希望がわんさかくるだろうし。 >>587
まだだ、まだおわらんよ。
密かに解説者落合が楽しみだったり、
次のWBCの監督候補なのかなとか妄想したりもするけど、
とりあえず今はリーグ連覇を応援してる。 >>589
うん、実はそれら全部楽しみにしてるw
著者も多数発売されるだろうし。
しかし、連覇&日本一あるで。
監督ってそういう世間を賑わす運を持ってる人。
本人は意図してない場合も多々あるのに。
補強なし優勝とかノリさん獲得、CS2位から完全リレーみたいな。
残り最大2ヶ月半の在任期間。落合野球を噛み締めるわ。 試合終了直後、いい顔してたなあ。
しかもtanisigeの頭を楽しげに撫でた。ニヤニヤしながらw このジジイ連中を見つけたら殴ってもいいと思う。
http://www.youtube.com/watch?v=fZqSNc_TLsw
こいつも同罪。本当の中日ファンは許さないと思う。
中日新聞株主総会が水を打った落合批判17分の大演説(週刊新潮7月7日号)
「発言を求めたのは『中日ドラゴンズ公式ファンクラブ』事務局長の高島良樹氏(67)でした。
彼は元記者で、中日スポーツの総局長を経て本社の取締役も務めた人物。
現在も新聞社の参与という立場にあります。」(同)
名古屋の「ピカイチ」
東京なら「ごはち亭」
この店はやがて潰れるだろう。
>878 :ガッツナイター東海ラジオ:2011/09/29(木) 21:57:02.95 ID:tBmk488D
>落合監督の談話
>9月29日(木)
>(記者からの質問を遮り、ニヤリと笑いながら)
>「良い動きしてますよ〜、皆さ〜ん」
なんぞこれw >>595
発言が短い=言う言葉が無い、監督は満足している
ということさ。
落合監督ファンなら常識。 241 :名無しさん@恐縮です :2011/10/02(日) 18:23:47.85 ID:P/VwHt4V0
落合甲子園最後だったから
最後礼してたのかな
寂しいね 【プロ野球】数字で振り返る、中日・落合監督の名将度
http://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/2011/10/03/post_56/
勝利数 打 率 本塁打 防御率 総年俸
04年 79勝@ ・274D 111E 3.86@ 4364万円B
05年 79勝A ・269C 139D 4.13C 4579万円B
06年 87勝@ ・270@ 139A 3.10@ 4697万円A
07年 78勝A ・261D 121D 3.59B 4888万円A
08年 71勝B ・253E 140B 3.53B 5056万円B
09年 81勝A ・258B 136A 3.17A 4311万円B
10年 79勝@ ・259D 119C 3.29@ 4601万円B 炯眼の勝負師・落合博満監督に、ただひとつ足りなかったもの。
ttp://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20111004-00000003-number-base
なんだかなあ(ため息)・・・相変わらずマスコミさんは偉いですね ヤクルト 中日
12-00 .597 13-00 .603
11-01 .589 12-01 .596
10-02 .581 11-02 .588
09-03 .574 10-03 .5808
09-04 .57352
08-04 .566 08-05 .56617
07-05 .558 07-06 .5588
06-06 .550 06-07 .5515
05-07 .543 05-08 .544 グスマン起用なんてよくやるよ。
明日はグス落ちソト上げかな?ソトの先発は巨人戦だろうけど。 狭い世界だから敵を作らないがモットーの監督が、社長との握手拒否ってのは…
痛快でした。 やっぱ媚びねえわこの人
社長には悪いが正直嬉しかったよあれ 落合監督、リーグ連覇おめでとう。
CBCテレビ・優勝特番での若狭アナとのやりとりも最高でした!!!
最後にこんなことしてくれるなんて!!!
もちろん>>608の書くとおり、社長との握手拒否も最高!!!
どんどんやったれ!!!
この人ほど幸運な人もいない。現役時代はロッテの川崎球場でプレーでき、ラビットボールの85年などに超恩恵を受けて天才打者扱い
統一球&千葉マリンなら.310 27本くらいだったでしょう。
監督としても広島横浜などのお荷物の存在などでAクラスは確定していた。正直パリーグならこうはいかなかったし、すごくついてたと思う
時代を間違えれば6年で1回の優勝にとどまってたかも。
これだけ幸運なんだから日頃の行いがすごくいい人なんだろうな。
結果が全ての世界だから球史に残る名将だ、落合さんは。
・オレ竜のプライド!退任V!反骨心の源は球団社長の“敗戦ガッツポーズ”
http://www.daily.co.jp/baseball/2011/10/19/0004558311.shtml
> 連覇の原動力となった事件がある。ナゴヤドームで行われた9月6日の巨人戦。3対5で敗れた試合後の関係者通路。
>坂井球団社長が、なんとガッツポーズを繰り出した。複数の球団関係者がその光景を目にし、すぐさまチーム内に広まった。
> 「ウチがひとつにまとまったのは、あのガッツポーズからだよ」と落合監督。アンチ落合の急先鋒。
>敗北=落合の汚点。喜ぶ心情は理解できる。だが、球団社長という立場にあるまじき禁断のポーズは、
>フロント不信を招くと同時に、選手の反骨心を呼んだ。
> ある主力選手が言う。「あり得ないっす。監督のことを嫌いなのは構わない。人間ですから。
>ただ、試合をやってるのは、僕たち選手なんですよ。ガッツポーズなんて考えられない。
>選手をバカにしてるのと一緒ですよ」。荒ぶる心。ぶつける場所のない怒り。すべてを戦場でパワーに変えた。
握手拒否も当然だな。 選手として超超一流、監督としても超一流になれそうな一流
すげえなあこの人 19日の試合後の場内一周で鈴木孝政
「落合監督がチャンピオンフラッグを持っているのを見たことがない。
普通、監督やヘッドコーチがフラッグを持って先頭を歩いていくものだが、
落合監督は『選手が主役』だとしてフラッグを持った選手たちを先に行かせている。」
と褒めていた。 ttp://up3.viploader.net/baseball/src/vlbaseball014880.jpg
ごめんな孝政…
でもお前が馬鹿なのってみんな知ってるから、気にするな 中日セ・リーグ連覇への軌跡〜落合監督が語る"オレ流"〜
10/28(金)午後8:00〜8:43 NHK東海(静岡含む)。BSでも後日放送、NHK東海では29日・日曜日などにも放送。
司会:浅井遼馬(NHK名古屋) 出演:今中慎二、生島淳(スポーツジャーナリスト)、落合博満(VTR出演、今中さんがインタビュアー)
http://www.nhk.or.jp/nagoya/tv/other_20111028_01_detail/index.html
落合は日本ハムの選手時代はヒーローインタビューで饒舌に話していたんだよ
しかし上田監督にほされたあげく何の花道もないままシーズンオフに自由契約
落合ファンとしては寂しかった
そして今回の退任発表
でも落合の握手拒否に有言実行三冠王のプライドやストイックな媚びない男のかっこよさを見た
握手拒否は落合じゃなくてもするだろw
あの社長はあまりにクズすぎるw サラリーマン社長が社内事情に踊らされて
気がついたら最悪の手を打っていたということだろ
よくあることさ 脇の甘さから考えるとあの社長とてまだ小ボス程度なのだろう
なかなかに根が深そうだわ 「中日セ・リーグ連覇への軌跡 〜落合監督が語る“オレ流”〜」
10月28日(金) 総合 後8:00〜8:43 東海4県
10月29日(土) 総合 前10:05〜10:48 東海4県
10月30日(日) BS1 前9:00〜9:43 全国放送
11月2日(水) 総合 前2:30〜3:13 ※1日(火)深夜 全国放送
今日の日刊スポーツに、日刊カメラマンが撮影・落合監督自らが選んだドラのレギュラーシーズンのベストショットが
1面に載ってる(谷繁選手の独占コラム「プロ23年目谷繁語る『野球』」付き)。
落合監督と日刊スポーツって以前から仲良かったのかな? 監督はファッションセンスが怖いだけだったじゃなく、眼力も怖いという事を思い出させてくれた試合だった。恐ろしい人だ。 落合「危険球なんだけどな、まっすぐだと、退場ってこと?」
井野「選手生命を危険にさらすと判断した場合は退場です」
落合「じゃあ、フォークの抜け球は?」
井野「球審の判断ですね」
秋山「シュートは、まっすぐ系?」
落合「じゃ、スライダーの抜けは?」
井野「審判は優秀ですから、判断は任せていただきたい」
http://sankei.jp.msn.com/sports/news/111111/bbl11111118140017-n1.htm 【プロ野球】落合監督と選手たちとの8年(1)『絆〜衝撃退任から始まった奇跡』
http://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/2011/11/11/8/
監督の落合博満は選手たちをじっと見守っていた。CSファイナルステージ、
明日なき覚悟でぶつかってくるヤクルトとの死闘は5戦目までもつれ込んだ。
それでも、ベンチの指揮官は確信したように戦いを見つめていた。そして、勝った。
2年連続日本シリーズ進出。今季限りで退任する指揮官へ向けて、
選手たちがつくってくれた花道は、日本最高の舞台まで続くことになった。
「オレは何もしていないよ。見ていただけだ。強かったな。選手たちはすばらしい」
勝利の後、落合は言った。就任以来、指揮官がこれほど選手を信頼し、褒めたことはなかった。
今、落合竜は特別なテンションで走り続けている。
落合と選手たちの花道。始まったのは、ペナントレース終盤の9月22日だった。
4.5ゲーム差で迎えた首位ヤクルトとの直接対決4連戦。その大一番の開始3時間前、
球団が落合の今季限りでの退任と、次期監督に高木守道氏が就任することを発表したのだ。
「なぜ、今なんだ!」
異例とも言える発表のタイミングと、球団首脳の対応に、現場からは怒りの声が上がった。
ただ、普通のチームならば失速してもおかしくない状況で、選手たちは怒りを意地に変え、
激情をエネルギーに変えて、目の前の勝負に没頭した。 そして、2日後の9月24日、ヤクルト戦、チームは谷繁元信のサヨナラ打で劇的勝利を飾った。
退任発表からの3連勝で球団史上初の連覇を完全に射程圏にとらえた。
監督退任という衝撃をも乗り越え、自分の仕事を全うした選手たちを見て、
落合の胸にはこみ上げるものがあった。試合後、そんな選手たちへの思いを異例の行動で表現した。
ベンチに戻ってきた谷繁の頭をなでまわした。その目は涙でぬれていた。
「オレはここにきた時、あいつらに言ったんだよ。『お前ら、球団のために野球やるな。
自分のために野球やれ。オレは勝つことだけを考える。勝つことに徹する。だから好き嫌いはしない。
いい者を使う。勝敗の責任はオレが取る。だから、自分の成績の責任は自分で取れ』ってな
。あの日、ヤクルト戦を見て、『ああ、あいつら、やっとオレの言ったことがわかったのかな』って」
落合が8年間、選手たちに求めたもの。それはただひとつ「プロフェッショナル」だった。
そのために、選手との間に一切の「情」を排除した。個人的に選手と食事に出かけたことはない。
頑張れと言ったことも、期待していると言ったこともない。その代わり、技術を認めれば、
グラウンドに送り出した。
理想の野球とはどんなものか。落合に聞いたことがある。
「オレの理想の野球って何か。みんなわかっていないよ。1点を守るとか、足を使うとかではない。
競争を勝ち抜いた奴らで戦うことだ。お前ら(チーム内で)白黒つけたんだから、
今度は相手と白黒つけてこいって。そうすれば、監督は何もしなくていいんだ」. 守りの野球はあくまで勝つための方法論だった。激しい競争を勝ち抜き、
指揮官の助けすら必要としないプロフェッショナルを9人、送り出すこと。それこそが、
落合の理想の野球だった。だから“9・22”の退任発表以後、「監督のために」などと
期待する気持ちはさらさらなかった。それより、選手たちが異常な状況の中でも、
自分のために戦う姿が落合にはうれしかった。谷繁に見せた異例の行動は、
指揮官が初めて選手たちを認めた証だった。成熟したプロ集団の象徴として、
40歳にして頭をなでられた谷繁も誇らしげだった。
「監督が泣いているのは知っていたよ。オレはあの時、ああ、落合博満という人に認められたんだなと思った。
だって今までそういうことをしなかったし、そういうことをする人じゃないから」
それ以降、落合はただ、選手を見守っていた。何も言う必要がなかったからだ。
10月18日の横浜戦、監督として5度目の優勝を決めた。連覇も、10ゲーム差の逆転優勝も球団初の快挙だった。
そして、11月6日、CSファイナルステージで最後まで食らいついてきたヤクルトを振り切り、
2年連続日本シリーズ進出を決めた。落合が確信した通り、もう選手たちに指揮官の言葉は必要なかった。
ふたつの戦いを制した夜、ともに落合は6度、宙に舞った。印象的だったのは手を差し伸べる選手たちの目にも、
歓喜の空を見上げる落合の目にも熱いものが光っていたことだ。
8年間、両者の間に「情」など存在しなかったはずだった。あったのは、チーム内競争に勝つための、
そして相手球団に勝つための戦いのみ。だが、そんな両者の間にいつしか熱いものが生まれていた。
それは「絆」ではないだろうか。好き、嫌いの感情を超えた男同士の絆。
飽くなき戦いによってのみ生まれるプロ同士の絆だったのはないだろうか。
「こういう選手たちに恵まれて、オレは幸せだよ」
8年間がすべて報われるような花道の道中。落合は幸せそうに笑っている。 【プロ野球】落合監督と選手たちとの8年(2)『改革〜オレ流の常識は球界の非常識』
「本日の先発ピッチャーは、ドラゴンズ、川崎」
2004年、中日対広島の開幕戦、試合前のアナウンスにスタンドがどよめいた。
その衝撃は瞬(またた)く間に全国へと広がっていった。新監督・落合博満が
3年間も登板のない川崎憲次郎を開幕投手に抜てきした。「オレ流」。
現役時代からの型破りなイメージを指揮官としても決定づけた。当の落合はそんな周囲の反応をどこか、
楽しむかのように、また、真意を胸に秘めるかのようにベンチで含み笑いを浮かべていた。
開幕・川崎の衝撃から遡(さかのぼ)ること数カ月、まだ、吐く息が白い季節に
落合は中日ドラゴンズの白井文吾オーナーと契約を交わした。5年間、優勝から遠ざかっていた球団を
根本的に建て直すため、グループ総帥は指導者経験のない一匹狼に白羽の矢を立てたのだ。
「このチームを変えたい。勝てるチームにしてほしい」
「わかりました」
「改革」と「勝利」。契約書にも記されたこのふたつの使命を請け負った。
すでに落合の頭には幾つかの「策」が渦巻いていた。それらを、水面下で静かに実行に移していった。
1月2日、正月を和歌山県内にある落合記念館の別荘で迎えた落合は、リビングから1本の電話をかけた。
「開幕はお前で行こうと思っている。そのつもりで準備してくれ。もし、だめなら、1週間前までに言ってこい」
電話の先にいたのは川崎だった。2000年オフにヤクルトから4年総額10億円でFA移籍した右腕は右肩痛で、
3年間、一軍のマウンドに上がれていなかった。限界説もささやかれていた。
大金をはたいた末の補強失敗と批判もあった。落合はそんな、チームの最も暗く、沈んだ部分に目をつけたのだ。 一方、2月の沖縄キャンプが近づくにつれ、名古屋でオフを過ごす中日の選手たちからはこんな声が聞こえてきた。
「本当にやるの?」
「無茶でしょう」
「オレたち、壊れちゃうよ」
どうやら、新監督はキャンプ初日から紅白戦をやるつもりらしい……。第1クールは8勤、その後は6勤が続くらしい……。
そんな情報が漏れ伝わっていた。
そして、迎えた2月1日、他の11球団がジョギングからキャンプをスタートする中、
落合竜の北谷(ちゃたん)球場には季節外れの「プレイボール」が響いた。
前年、右肩痛でほとんど投げられなかったエース川上憲伸が148キロの剛速球を投げ、
立浪和義、福留孝介ら主力打者がフルスイングした。「オレの予想を超えていたよ」。
その姿を見た落合は満足そうに言った。そして、予告通り、翌日から8勤、6勤、6勤、6勤のハードキャンプを敢行した。
あまりの過酷さに故障者は20人に上った。それでも平然と選手たちの動きを見つめていた。
落合は今、当時の真意をこう語る。
「最初にこのチームを見て『ああ、練習してないな』って思った。だから、8勤、6勤、6勤でいった。
みんな大変だったと思う。でも、シーズンに入ったら週に6日間試合やるのに、
なんでキャンプだけ4日やって休みなんだ。そう考えれば、当たり前なんだ」
当時、キャンプと言えば3勤か、4勤1休だった。第1クールは体づくりから入り、
徐々に実戦練習をしていくのが普通だった。落合はこの常識を真っ向から否定した。
だが、ロッテ、中日、巨人、日本ハムと現役時代の落合博満に、およそ猛練習のイメージはない。
なかなかバットを握らず、バットを持ったかと思えばエアーテントにこもっての秘密練習という
オレ流調整ばかりが思い浮かぶ。だが、じつは、落合には現役時代から抱いていたキャンプに対する疑問があった。
「オレが現役の頃は、バッティングをしないと練習していないと見なされた。でも、オレは2時間も3時間もノックを受けていた。
下半身ができないうちにバットは振らないという持論があったから。でも、あの当時の人たちは、
そこは見てくれなかった。『打撃=練習』だった。打撃しないと、ああ、あいつは練習してないなって思われたんだ」 試合をやるためには、投げなければならない。打たなければならない
そのためにはどんな準備をしなければならないか。2.1紅白戦も、6勤1休も、プロ野球選手として
当たり前の「土台づくり」を意識させるための手段だった。2月1日に試合をやることより
1月の自主トレから下半身をつくらせることが狙いだった。6勤という猛練習をすることより
シーズンの基本となる6連戦に体を慣れさせることが狙いだった
球界では「非常識」と言われたオレ流キャンプは、じつは落合の中では「常識」だった
それを選手に理解させるためには、言葉で説明するより実践あるのみ。数々のサプライズは
選手、スタッフの意識を改革するためだった。そして、その仕上げが「開幕投手・川崎」だった
2004年4月2日、川崎は2回途中5失点でKOされた。だが、チームはその後
広島のエース・黒田博樹から逆転勝ち。開幕3連勝を飾ると、リーグ優勝へと突っ走った
落合は大方の予想を覆して、就任1年目で優勝を果たした
「非常識」と批判された落合流の手法は一転して、称賛の的となった
8年間、最も印象に残っている勝利を問うと、落合はこう言う
「最初がなければ、次もない。そういう意味で言えば2004年の最初の試合だろうな
まわりは奇襲とか言うけど、オレにはまったくそんなつもりはなかった。あのチームは補強なし
全員横一線で始まった。川崎が投げることで『オレたちもやれる』って思わせる必要があった
それに1、2戦で連敗しても3つめは(川上)憲伸で勝って1勝2敗にはできるかなって
最悪の3連敗を避けることも考えた。そしたら5点差をひっくり返して勝つんだもんな(笑)
もし、あの年に負けたら、選手はどうせ練習しても勝てないと思っただろう
やったことに成果が出たから、オレの練習が普通になっていったんだ」
8年間、すべてAクラス、リーグ優勝5度。自らの使命である常勝軍団をつくり上げた
ただ、それらは2004年に断行した意識改革と、それに伴った結果がなければ成し得なかったという
確かに、もし、負けていれば、2・1紅白戦も、6勤1休も受け入れられなかっただろう
落合の「常識」は球界の「非常識」として葬り去られただろう。だからこそ
落合は監督として最初の勝利を忘れない。落合改革の象徴となった、あの1勝を忘れないのだ 【プロ野球】落合監督と選手たちとの8年(3)『勝利〜三冠王がたどり着いた守りの野球』
「改革」と「勝利」。ふたつの使命を負った落合はまず、意識改革に着手した。
2・1紅白戦、6勤1休キャンプ、そして開幕投手・川崎憲次郎……。懐疑の目で見られながらも、
徐々に選手たちの心に変革を起こしていった。球界の常識を覆(くつがえ)していった。
ただ、その改革を本当に成功させるためには結果が必要だった。では、いかにして勝つか。
この点で、落合は就任当初からまったく迷いがなかった。
「オレは今でもホームランさえ狙わなければ4割打てたと思うよ。ボールに負けないようにと思うから、
余分な力が入ってずれるんだ。でもな、打者ってのはどれだけ打っても4割までなんだ。
でも、守りなら10割が可能なんだ」
投手を中心とした守りの野球――これは落合が野球人生を通じて到達した「勝利の鉄則」だった。
打撃を極めた三冠王が監督になった。豪快に打ち勝つ野球を見たいと思うのがファン心理だろう。
だが、落合は打撃を極めたがゆえに、その限界を知っていた。そして、何よりも確率(数字)を重視した。
落合は”数学者”でもある。とにかく数字に強い。現役時代、首位打者を争っている最中は日々、
自分の打率、ライバルの打率を計算しながら何カ月も先を見越して、タイトル獲得の戦略を立てていたという。
「月にこれだけ打てば、こうなるだろう。だったら、きょう何本も打ったから、明日は打てなくても大丈夫だなって。
そう考えれば余裕ができるんだ。今の選手は数字に弱いな。オレなんか究極のことを考えていたよ。
たとえば開幕の最初の1打席、ヒット打って、あとは全部四球を選べば、打率10割だろ? 首位打者だろ?
そう考えなければ、数字なんて残せやしないよ」
打者は日々、上下動する打率を意識しない傾向が強いが、落合は真っ向から数字と向き合う。
グラウンド外でもそうだ。オフに税理士が自宅に集まって報告をした際、
落合は明細書をひと目見て指摘した。「これ、二重で振り込まれているぞ」。
税理士が慌てて調べたら、その通りだったという。4割より、10割。
数学者・落合が勝つための手段として「守り」を選択したのは当然だった。 日刊スポーツは中日スポーツみたいになっちゃったね。
日刊におけるドラゴンズの記事は少ないけれど、しっかりと取材されてる。
俺も最近は喫茶店で日刊しか読まない。 守りの野球の中心は絶対的に投手だった。落合は沖縄でのキャンプ。
そのほとんどの時間をブルペンで過ごした。グラウンドに出なくても、ブルペンにいかないことはない。
それほど投手を重視した。
「野球は投手がボールを投げないと始まらない。誤解されているけど、
野球で攻めることができるのは投手だけなんだ。打者はいつも受け身なんだよ」
キャンプ地のブルペンを倍の広さに改造した。他球団からトレードの申し込みが舞い込んでも、
投手に対するものは、ほとんどすべて断った。毎年、チームには必ず計算できる先発投手が12人はいた。
通常、ローテーション投手は6人だが、落合とヘッドコーチの森繁和はその倍の人数を揃えていた。
落合竜が、近年、ずっと投手王国と呼ばれていたのは必然だった。
そして、落合は投手をバックアップする守備陣にも一切、妥協しなかった。守ることへの執念。
その最たるものは、2009年、当時、6年連続ゴールデングラブ賞受賞中だった荒木雅博と井端弘和の
二遊間コンビの入れ替えを明言したことだろう(実際に断行されたのは2010年から)。
おそらく、このコンバートを正解だと思っていたのは球界で落合だけではないだろうか。
それほど周囲からは批判を受けた。特に、肩に不安のある荒木を遊撃で起用することに
チーム内からも異論が出た。コーチ陣が撤回を求めて直談判したこともあった。
ただ、落合は頑として耳を貸さなかった。
「オレの評価と周りの評価は違うんだ。他のだれでもない。オレができるって言っているんだから、できるんだ!」
一般的に守備力はボールを捕った後、いかに処理するかで判断される傾向がある。
捕球から送球までを華麗にさばけば「名手」と言われることも少なくない。だが、落合はむしろ、
その前の段階を重視する。キャンプでもシーズン中でも、落合は同じ場所から選手の動きをじっと見ている。
この「定点観測」によって選手の綻(ほころ)びを見つけるのだ。同じ場所に飛んだ打球に
どの選手が追いつけて、どの選手が追いつけないか。また、昔は追いつけた打球に、
今は追いつけているのか。落合の目には、一目瞭然だった。 アラ・イバのコンバートに次いで衝撃度があったのは2006年の「立浪外し」だ。
その年のシーズン中盤、主力打者で、精神的支柱でもあったミスター・ドラゴンズ立浪和義を
スタメンから外した。立浪が2失策した試合、途中でベンチに下げた。そして、翌日には
スタメン表に名前を書かなかった。理由は明確だった。
「三遊間を打球が抜けていくんだよ。その範囲が年々、広がってきた。オレが座っているところからは、それがよく見えるんだ」
試合中、一塁側ベンチの左端に座っている落合の正面には三遊間が見える。そこへ打球が飛ぶ。
立浪の横を抜けていく。その範囲が年々、拡大していくのを見て、落合は断を下したのだ。
立浪を外すことは、チーム内に影響を与えるだけでなく、地元メディアや、
評論家などに批判される恐れもあった。だが、落合野球には“聖域”など存在しなかった。
いくら打てても、守れなければ試合には使わなかった。1本のヒットを打つことより、
1本のヒットを防ぐことを重んじた。レギュラーには「打者」である前に「野手」であることを要求した。
それこそ「10割」を追求する落合野球だった。
8年間で、優勝4度、Aクラスから外れたことは1度もなかった。通算勝率5割6分2厘。
確率論から、守りの野球を選択した落合の判断は正しかった。改革と勝利。落合は今、
自分に課せられたこのふたつの使命を果たしたと自負している。 【プロ野球】落合監督と選手たちとの8年(4)『非情〜情の采配を捨てた理由』
「非情」と「冷徹」。どちらも監督・落合を表現する言葉だろう。表情や言葉が少ないだけに
もともと情が薄いと受け取られやすい。ただ、このイメージが決定的になったのは、
中日を半世紀ぶりの日本一へと導いた2007年の日本シリーズだった。
11月1日、日本ハムを本拠地に迎えた第5戦、中日が日本一へ王手をかけたこの試合で
先発を務めた山井大介は驚くべき快投を見せた。ストレート、スライダーとも抜群に切れていた。
まったく相手を寄せつけず、8回までひとりの走者も許さなかった。
日本シリーズで初めて完全試合が達成されるのか。イニングが進んでいくにつれ、
すべての視線が山井に注がれていった。
そして、敵も、味方も、球場全体がプロ野球史上初の快挙を待ち望んでいた9回表、
落合は日本中を驚かせる決断を下した。ゆっくりとベンチを出ると、無表情で審判に告げたのだった。
「ピッチャー、岩瀬」
その瞬間、スタンドからは悲鳴が聞こえた。ざわめき、どよめきが、怒号に変わった。
やがて、球場全体が山井コールに包まれた。
「ヤ・マ・イ! ヤ・マ・イ! ヤ・マ・イ! ヤ・マ・イ!」
指揮官の采配に向けられたアンチテーゼ。鳴り止まない山井コールを、落合は表情ひとつ変えず、
聞いていた。結果的に岩瀬仁紀が3人で抑え、完全リレーによる日本一は成った。
だが、世間は落合中日の快挙を称えるよりも、山井交代への賛否であふれた。野球界を飛び越え、
日本中の議論となった。 「野球への冒涜(ぼうとく)だ」
「もう、野球なんて見ない」
評論家や、ファンからの痛烈な批判があったかと思えば、石原慎太郎・東京都知事は
『三国志』から出た故事成語を引用して、こうコメントした。
「これは情実の問題でね。トップのね、つまり、球団の経営というか実績というものを知っている
球団のCEOとしてはね、私はやっぱり落合というのは見事だと思う。本当に。
泣いて馬謖(ばしょく)を切ったんですよ。私はやっぱり落合のやったことは絶対に正しかったと思う。
本当のリーダーってなもんですな」
賛否は真っ二つに割れた。ただ、山井交代の賛否を今さら論じても意味がない。
いずれにしても、この試合こそ「非情」が落合の代名詞になった瞬間だったのだ。
ただ、そんな落合が、じつは自らを「情」の指揮官だと認識していたことは意外と知られていない。
象徴的なのが過去2度の日本シリーズだ。2004年、落合は就任1年目でリーグ優勝を果たし、
西武との日本シリーズに臨んだ。分岐点となったのは1勝1敗で迎えた敵地での第3戦だった。
6―4とリードした7回一死二塁、落合はマウンドの岡本真也に交代を告げに向かった。
この時、立浪和義、谷繁元信ら主力選手が言った。
「岡本でここまで来たんですから、岡本でいかせてください」
リーグ優勝に貢献したセットアッパーに対し、落合にも同様の感情があった。
交代を撤回してベンチへ。だが、その後、岡本は逆転弾を浴びて敗れた。
結局、4勝3敗と1勝差で日本一を逃しただけに、悔やんでも、悔やみきれない1敗となった。 雪辱の機会は2年後、2006年にめぐってきた。相手は日本ハムだった。
リーグを圧倒的に制したこの年、落合には自信があった。荒木雅博、井端弘和の1、2番コンビが
出塁し、3番福留孝介、4番ウッズ、5番アレックスの主軸が待ち構える。
投手陣ではエース川上憲伸、守護神・岩瀬がいた。攻守ともに完成度の高い、
このチームを落合は8年間で「最強」と評する。そして、そう自負するがゆえ、
ペナントレースとまったく同じオーダーで望んだ。だが、シリーズになった途端、別のチームになった。
あれほど頼りになった福留、ウッズをはじめ主力が揃って不振に陥った。1勝4敗。惨敗だった。
同じ過ちを2度繰り返すことを嫌う。そんな落合が短期決戦で2連敗した。
心中はいかほどだったろうか。この屈辱が「情」の落合を「非情」に変えたのは間違いない。
山井を交代させたあの日、落合は最初、右手のマメがつぶれていたことを理由に挙げたが、
本当の理由は違うと思う。日本一の歓喜と、非情采配への賛否が渦巻くドームを去る間際に、
落合はこう漏らしていたからだ。
「今年はオレが情を捨てたんだ。こっちはどうしてもシーズンで頑張った選手をシリーズでも
使いたくなる。でも、それじゃだめなんだ。監督というのは選手、スタッフ、その家族、
みんなを幸せにしないといけない。ひとりの選手にこだわっていてはいけない」
特定の選手に期待し、こだわった結果、チーム全員が目的地までたどり着けなかった。
日本シリーズで過去2度、犯した過ちが落合の胸には残っていた。
「山井交代」の裏には指揮官としての激しい自戒の念があった。
非情――初めて日本シリーズを制したあの日以来、落合はこう表現されることを恐れない。
なぜなら、それは勝利への必須条件だからだ。人間として自然に湧き出てくる情を封じ込め、
指揮官としての非情を貫くことができた。あの瞬間から、
落合は本当の意味で常勝監督になったのかもしれない。 あの采配を非情一辺倒で片付けるのか。
むしろ岩瀬への情(それだけではないだろうけど)を感じたんだけどな。 面白い
>>650
論点が違う。もっとちゃんと読んであげなよ ああそうか、あの件で落合は非情というイメージを決定付けたってことをこの記事はいいたいのかな。
それでも表面だけを掬い取った感じがしてちょっと煮え切らないな。もにょる感じは残る。
あの時のことは
山井が引退しないと真相はわからないだろう http://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/2011/11/15/8_2/index.php
【プロ野球】落合監督と選手たちとの8年(5)『逆風〜物言わぬ指揮官、沈黙のわけ』
「言葉が足りない」――今年9月、落合の今季限りでの退任が発表された。
7年間で4度も優勝した監督がなぜ、事実上の解雇となったのか。その原因としてよく指摘されたのが
この部分だった。采配や、故障情報など内部情報をメディアや球団に説明することはほとんどない。
それが内外からの批判につながったというのだ。
だが、落合はじつは雄弁家だ。今でも価値観を共有する野球人との話は夜を徹して続くことがある。
言葉が足りないのではない。意図的に黙しているのだ。今シーズン、試合後の3秒会見が話題になった。
「動けているから、いいんじゃないか」。日々、ひと言だけ残して去っていく。その理由をこう話していた。
「オレがなんか言ったら言葉尻だけとらえられて、書かれる。だったら、何も言わない方がいいじゃないか。
オレの言葉を理解するやつは何人かいるかもしれない。でも、理解しないやつの方が多いんだ。
昔から散々、そういう目に遭ってきたから、わかるんだ」
自分の言葉は誤解を生む。現役時代、筆談でしか取材を受け付けなかったこともある落合は、
おそらく昔から、それを知っていた。落合は秋田の和菓子職人の家に生まれた。
祖父の職人としての仕事を見ていた。職人は余計なことは言わない。愛想も振りまかない。
ただ、その仕事でのみ、己を語る。そんな気質はそのまま今、監督・落合にも当てはまる。
「オレは嫌われたっていいよ。だれか、オレを嫌いだという奴がいても、オレはそいつを知らない。
だから、建前は言わない。建前を言うのは政治家に任せておけばいい」
落合は政治家が嫌いだ。建前が嫌いだ。だから、その口から出るのはオブラートなしの、
むき出しの言葉となる。建前は時として自分の身を守ってくれるが、本音は他人も、自分も傷つける。
落合はそれを百も承知だからこそ、誤解や批判は恐れない。 2008年、落合に「WBCボイコット騒動」が降りかかった。第2回WBCの日本代表候補に選ばれていた
中日の4選手が全員辞退した。日本代表・原辰徳監督は不快感を示した。
「1球団だけ協力的でないところがあった。非常に残念です」
これを発端に中日と、落合は猛烈な批判にさらされた。「落合中日、WBCボイコット」、
「非国民球団」。これを受けた落合は、翌日、冷静に反論した。
「選手は一個人事業主だし、生活権もある。ケガしたら誰が保証するの?
行きたくない奴(やつ)を無理に行かせてケガしたら責任を取れない。出たい奴は出ればいい。
ウチは4人の意思を確認し、それを尊重しただけだ」
岩瀬仁紀は背中と首筋、森野将彦は左ふくらはぎ、若い高橋聡文と浅尾拓也は
肩の故障でシーズン中に二軍落ちしていた。選ばれた4人の意思を確認した結果、
揃って辞退することになったという。さらに落合は上原浩治(巨人)、宮本慎也(ヤクルト)の
”代表引退”が認められていたことも指摘した。
「なぜ一部の選手は配慮されて、ウチだけ悪ものにされるのか。非協力的ってのは筋違い。
NPBの人間でも、代表監督でも言いたいことがあったら来ればいい。説明してやるよ」
この反論の後、日本代表側からは何の反応もなかった。どちらが正しいのか、決着はつかないまま、
論争は終わった。ただ、世間のイメージだけは完全に決まった。落合には”悪役”という看板だけが残った。
「あんたは普段から言葉が足りないよ。なんで、もっと、説明しないの?」
信子夫人に言われたことがある。落合は笑みを浮かべてこう言った。
「オレのやってきたことはオレが死んだ後、世間に認められるんだろうな。そういうもんだ。
だから、今は何を言われても胸を張っていればいいんだ」 ただ、外からは批判を招きやすい、落合の言葉も、こと野球に関しては強力な武器となる。
落合は選手を褒める時も、叱る時も、やはり純度100%の言葉を浴びせる。
遠慮も、情もない、混じりっけなしの言葉は、そのまま監督・落合からの評価だ。
それが選手にとって己の力量を計る指標となる。
「お前、このままだと今年で引退だな」
今季から加入したベテラン佐伯貴弘は、落合からこう言われ続けてきたという。
実績のある選手ならば、腹を立てそうなものだが、佐伯はグラウンドでも、ベンチでも、
落合の言葉を求めて、耳をそばだてる。
「落合監督の言葉っていうのはそのまま受け取ればいいと思う。いいものはいい、
だめなものはだめ、と言ってくれる人だから。おかげで、サビを落とせたよ」
中日から戦力外通告を受けた佐伯は、今、現役続行を心に決めている。
地球の裏側に行ってでも、やろうと決めている。落合の言葉がベテランの心に、火をつけたのだ。
また、この8年間、落合から最も叱咤(しった)されたであろう荒木雅博はこう言う。
「監督から『頑張れ』なんて言われたことはない。どこがいいか、どこが悪いか。そこを指摘される。
あの人がいいと言ったらそれは本当にいいんだと思うし、だめと言ったら本当にだめなんだなと思える」
本音むき出しの言葉だからこそ、選手からは信頼される。技術を追求するプロ同士の間には
建前など邪魔なだけなのだ。外に向ければ「毒」となる落合の言葉は、内に向けては「薬」となる。
職人の言葉は、職人にしか理解できないということなのだろうか。
曲解されるくらいなら沈黙を選ぶ。自分を曲げるくらいなら孤独を選ぶ。
そのスタイルが正しいとは思わない。ただ、確実に言えるのは、落合は今後もスタイルを変えないということだ。
これからも、誤解や、批判や、論争とともに歩んでいくだろう。建前なんて似合わない。
それでこそ、落合博満なのだ。
(完) 多村恩返し弾 落合監督直伝の神主打法で1号2ラン
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111116-00000001-spnannex-base
「落合さんが自分のバッティングをつくってくれた。(落合監督の目の前で)本塁打を打てたことがうれしい」と恩返しの一撃となった。 昔、落合ファンのお父さんを胴上げ前にガンで亡くした人まだ2ch見てるかなあ
日本一になったら新聞と酒買って墓に並べてあげるって言ってたけど伊東西武に破れて気になってたんだよな
俺も落合ファンだった親父がいて監督になる前に死んじまったけど、
その人と日本一になったらぜひ報告の墓参りに行こうと一二度レスのやり取りがあってだな…
お互い親父に良い報告できたらいいなあ 落合中日は2009年まではそんなにバントを多用しないチームだったが、2010年から飛躍的にバントの数が伸びた
その結果はリーグ連覇に結びついた
しかしMLBでは、統計データからバントは非効率だとして多用するチームはほとんど無くなってきているのが事実
データ上からも非効率だと結論づけられつつあるバントの数が大幅に増えた落合中日が、なぜ連覇することが出来たのか、
何十人、もしかしたら何百人といる野球解説者のうち誰一人として解説しようとしない、あるいはその能力がない
選手時代に一生懸命タニマチやマスコミに営業活動を行ったそのご褒美が「プロ野球解説者」の称号
そんな奴の言動をいちいち気にしない方がいい 映画のマネーボール観に行ったけど
その中で「優勝するには得点が×××点以上、失点が×××点以下にすることが必要です」
なんてのが出てきたんだけど、今年の中日は得失点差+9で優勝してて
その理論には当てはまらないんだよな。
そのマネーボールのスレで見たけど、一旦その「バントは非効率」理論が広まったけど
最近はメジャーでもバントの重要性が見直されつつあるとか。
てかそれはチームの(ピッチャー)事情によるもので、
僅差のリードを守りきれるだけのピッチャー陣がいるなら
バントで1点を取りに行く戦術でも勝率は上げていけるものだろう。 落合監督8年間お疲れ様でした。
しばらくはゆっくり休んでください。
プロの野球を楽しませていただきました。ありがとう。 落合ありがとう。最期の決戦は痺れた。本当にありがとう 落合監督以下コーチ陣を含めた現場スタッフの皆さん、
今までありがとうございました。
今年の日本シリーズは野球の面白さを全国の人に伝えれたんじゃないかと思いますし、
勝負は最後まで何が起こるかわからないというのも実行してくれました。
本当にありがとうございました。
ゆっくり休んで、また現場復帰を望みます。
あと・・・「采配」ネットで買いました。ゆっくり読みます。 落合有り難う。お疲れさま……いつかまた帰ってきて…… しかし落合監督は短期決戦にからっきし弱かったな
そんな所まで師匠の星野に似ないでも良かったのに…
しかし落合監督は短期決戦にからっきし弱かったな
そんな所まで反面教師の星野に似ないでも良かったのに… 25年前のバブル経済前夜の日本の政治・経済の状況と
今の日本は似ています。バブル前夜のフィクションです。
気分転換にどうぞ。スポーツグッズやコミュニティゲームの情報もあります。
1986年の残照
http://ronkokuunovel.seesaa.net/
>>660
たったの6球団しかなくうち2チームはお荷物のリーグとリーグ16球団あるメジャーは比較はできないよ
バントはアスレチックスみたいな打者地獄が本拠地の貧打チームが打てないから仕方なくって感じだよ
金があるレッドソックスなんかは2番にも四球選べて出塁率長打率の高い打者置いてバントはまずやってない
今年何度かバントしたら驚かれて記事が出てたくらい
今年の日本の野球は打てなさすぎる打者の怠慢が原因でバント多用してたね
中日は投手が良かったからそれで勝ったけど、横浜は論外としてヤクルトや広島なんかは投手がいまいちだから不利だった
狭い球場はスモールボールは不向きだからその意味では巨人もそう
統一球&非力打者のおかげで全く打てない環境下で皆2番に低出塁率の非力バント専を置く流れになってその中で投手力が良い中日が最もその戦い方にマッチしてた ttp://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/11/21/kiji/K20111121002076300.html
若手選手が落合監督が食事会場に来るまで待っていて
テーブルに着くと「監督は(退任後)どこに住むんですか?
迷いや不安が出た時はどうやって連絡すればいいですか?」
など積極的に話しかけてきたという。
落合監督ディナー&トークショー 2012/01/15
ttp://nagoyakokusai.com/event/event_120115.html [2011/11/28] 落合博満×野村克也 −今だから話そう あの時の真実−(TBS・S-1より)
http://www.youtube.com/watch?v=BJVprQ7qR-g
落合監督「(少年)野球を教えるほど難しいものはない。今の子どもはユニフォームを着て勝ち負けを競う・・・。
ボール遊びをしていない。不器用。」 落合監督が日刊・鈴木記者に語った理由はやはり鈴木記者の努力にあり。
(全てツイッターから。既出だったらごめんなさい)
この記事を書いた日刊スポーツの鈴木忠平記者は北谷のキャンプでも落合監督が球場入りする時間に必ず玄関で待ち構えていた。
他紙の記者は監督がしゃべらないからという理由で待たない。
あの落合監督がそんな姿に何も感じないわけがない
こんなことも鈴木記者に対してしゃべっていたらしい。
「お前はこの選手がいなければ飯が食えないというような記者にはなるなよ。
どこに行ってもだれが相手でも、立派に取材して、原稿が書ける記者になれ」
どの新聞ハシゴ読みしても鈴木平の記事が一番詳しかったもんなあ
シンパとか反落合とか超えたところで記事書いてくれてたから希にあるこの人の批判もなるほどなと読めた
なんで中スポにこういう人いないんだろうと嫉妬したこともある
渋谷さんとかも頑張って欲しい。2007年くらいまでは期待感凄かったんだが >>674
他の人も別のところで解いてるけど・・・・・、
ドラゴンズに関して言えば、中スポと日刊は記者の数が違う。
中スポは「大本営」って書かれるくらい、親会社発行の新聞だから監督はしゃべらなくても何とかなる。
でも日刊は全国的には知られてるけど、やっぱりドラゴンズでは影響力は小さい。
監督もしゃべってくれない。でも取材はしなきゃいけない。じゃあどうするかっていう話になると、
やはり1人1人が本気で頑張らなきゃいけないっていう事なんだと思う。
まあ中日以外はそういう境遇なんだろうけど、鈴木記者のモチベーションというか仕事に対する取り組み方が違ったんだと思う。 落合がすっごい芸術的なバッティングをした時、普通の選手はその技術に気づかずにぽかーんとしてるんだけど、
長嶋は「スバラシイですねーうーん!ナイス技術!!」って感じで落合に語りかける姿がかっこええな。
その技術を必死に解説する江川もかわいい。
http://www.youtube.com/watch?NR=1&v=ekwmSJUybII 久々に来たけど、だいぶまったりなスレに戻ったね。
また黎明期みたいに(;´Д`)ハァハァできることが多いといいなあ 「無死満塁でゲッツーででも一点入れば立派なもの」
と就任当初から言っていた
日本シリーズで それが出来ずに敗れてしまったのだから
すんごい酔眼
ノムさんが 森福に感心していたのも 深かった 慧眼な。
読みは、けいがん。
彗星の彗とは似てるけど違う。
酔眼じゃ酔っ払いの目。
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