X



トップページ格付け
249コメント1088KB
2020年度☆人気企業偏差値ランキング☆PART13
0001格無しさん
垢版 |
2019/04/29(月) 17:25:21.42ID:nM7YxIdT
既存の約10の公式サイトの「人気ランキング」「総合職年収ランキング」「ホワイト企業ランキング」「モテる企業ランキング」など全てを考慮して平均計算した統合ランキングです。
別の格付け委員会の者に荒らされたので再度立てました
ソース板:https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/recruit/1556422377/
PART12:https://mao.5ch.net/test/read.cgi/ranking/1555685314/


↓〜〜〜〜Sランク〜〜〜〜↓ 世界でも人気

[73] Google JAXA

[71] トヨタ自動車 ANA 三菱商事 日本マイクロソフト

↓〜〜〜〜A+ランク〜〜〜↓ 超人気、CORE30が多い、ランキング上位常連

[69] 日本銀行 電通 JR東海 ソニー サントリー 野村證券 JAL 伊藤忠商事 任天堂

[67] ホンダ 東京海上日動火災保険 三井物産 三井不動産 パナソニック JR東日本 フジテレビ Yahoo! 資生堂 JTB ロッテ 博報堂 日立製作所 味の素 NTTドコモ 楽天 NTTデータ ソフトバンク 日産自動車  

↓〜〜〜〜Aランク〜〜〜↓ 人気企業、large70が多い、ランクイン常連

[65] 花王 キーエンス 三菱UFJ銀行 デンソー NTT東日本 IBM アサヒ リクルート オリエンタルランド NHK キリン JR西日本 日本生命保険 テレビ朝日 三菱重工 KDDI 日清食品 キリン 住友商事 キヤノン 日テレ 明治 NTT西 バンダイ TBSテレビ
 富士フイルム 明治安田生命 

[63] マツダ 丸紅 川崎重工 LINE アステラス製薬 新日鐵住金 富士通 カルビー 未来工業 日本たばこ産業 東京ガス タニタ 東芝 国際協力機構 日本電気 テレビ東京 東レ 日本郵便 東京電力 京セラ 集英社 カゴメ 三菱電機 ファーストリテイリング
 野村総合研究所 ヤマハ 小田急電鉄 第一三共 ベネッセ 阪急電鉄 イオン エイベックス みずほ 大阪ガス ファナック 三菱地所 旭化成 SUBARU アイシン精機 凸版印刷 東宝 ニトリ 講談社 村田製作所

↓〜〜〜〜B+ランク〜〜〜〜↓ 
>>2へ続く
0002格無しさん
垢版 |
2019/04/29(月) 17:25:59.59ID:nM7YxIdT
↓〜〜〜〜B+ランク〜〜〜〜↓ 準人気、日経400社が多い、しばしばランクイン

[61] 三井住友銀行 小学館 TOTO リコー スターバックス ナイキジャパン 中部電力 読売新聞 東燃 中部電力 三井住友海上火災保険 NEC サイバーエージェント JA全農 ブリヂストン 関西電力  中部電力 ヤクルト本社 JR九州 P&G 良品計画
 京王電鉄 ゴールドマン サッポロビール 日野自動車  パソナ 日本通運  日本マクドナルド 日本電産 シャープ 中国電力 グリコ アマゾンジャパン LION 日本中央競馬会 ゆうちょ銀行 ヤマハ発動機 朝日新聞社 富士ゼロックス 清水建設 JX金属
 九州電力 武田薬品 オリンパス 東京地下鉄 オムロン 積水ハウス 大日本印刷 沖縄電力 森永製菓 東京都庁 大成建設

[59] ハウス食品 ソニーミュージック スクウェアエニックス ワコール FacebookJapan 日立造船 アクセンチュア NTTコミュニケーションズ 東京急行電鉄 電源開発 エーザイ 吉本興業 大塚製薬 DeNA サンリオ カシオ計算機 大和ハウス 帝人 住友鉱山
 アシックス HIS 財務省 ネスレ日本 USJ 山崎製パン 日本郵船 三菱ケミカル 日清製粉 サイボウズ ミズノ 島津製作所 四国電力 キユーピー ブラザー工業 マッキンゼー セガサミー CCC スズキ 日本郵政 ジャパネットたかた いすゞ自動車
 ダイキン工業 六花亭製菓 ボストンコンサル AppleJapan ヤマダ電機 NASA 伊那食品工業 SCSK ニコン カプコン ユニリーバ セイコーエプソン DIC 鹿島建設 日本コカコーラ JXTGエネルギー コストコホール アイリスオーヤマ ソニーモバコミュ
 イケアジャパン テルモ コクヨ タカラトミー 太陽日酸 国際連合 メルカリ 野村不動産 ルイヴィトンジャパン 朝日放送 マイナビ


↓〜〜〜〜Bランク〜〜〜〜↓ 知ってる、東証一部が多い、名前は挙がった

[57] トーマツ ソフトオンデマンド コニカミノルタ セブンイレブン 近畿日本ツーリスト シャネル 東京エレクトロン ダンロップ 京浜急行電鉄 名古屋鉄道 三越伊勢丹ホールディングス ゼンリン 日立造船 ウォルトディズニー 信越化学 高島屋
 日本経済新聞 竹中工務店 ファンケル ダスキン 国土交通省 JFE 学研 日本赤十字 かねか DOWA ポーラ 日揮 法務省 ローソン 小林製薬 大創産業 JR北海道 小松製作所 日立金属 フェラーリジャパン 讀賣テレビ放送 理化学研究所 ほぼ日
 佐川急便 総務省 東ソー 日本光電工業 DMM JCB 防衛省 アディダス 旭硝子 日本オラクル ユナイテッドアローズ ロート製薬 日本交通 三菱自動車 クックパッド  コナミ 日建設計 スタートトゥデイ 星野リゾート ヤンマー サマンサタバサ 小野薬品
工業 商船三井 日立化成 ヤマト運輸 宮内庁 西武鉄道 福岡ソフトバンク 経済産業省 安川電機 KPMG AbemaTV ユーグレナ シマノ 再春館製薬所 プラス 大分県庁 シティバンク カネカ アスクル フジクラ ジュンク堂書店 川崎市役所 サンエー
 ペッパーフード スギ薬局 日本軽金属 日本旅行 ニプロ 住友ベークライト 日本公文教育研究会 三井造船 外務省 HSBC トリンプ
0003格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:27:53.83ID:rh7Ouk/1
あれ、こんどは妨害受けませんね
0004格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:39:02.96ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0005格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:39:30.76ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0006格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:39:47.34ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0007格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:40:02.54ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0008格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:40:21.56ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0009格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:40:40.88ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0010格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:41:01.10ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし=Aこのような指涛Eや批判は、日末{のマスコミにbヘほとんど登場bオない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0011格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:41:19.63ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0012格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:41:40.39ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0013格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:42:01.82ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0014格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:42:21.37ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0015格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:42:40.50ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0016格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:43:00.58ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0017格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:43:20.64ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0018格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:43:43.99ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0019格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:44:00.33ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0020格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:44:19.94ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0021格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:44:39.45ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0022格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:44:59.50ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0023格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:45:20.96ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0024格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:45:39.69ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0025格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:45:59.17ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0026格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:46:19.44ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0027格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:46:40.10ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0028格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:47:01.45ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0029格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:47:20.73ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0030格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:47:40.20ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0031格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:48:01.91ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0032格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:48:20.10ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0033格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:48:43.15ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0034格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:49:01.85ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0035格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:49:19.60ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0036格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:49:39.74ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0037格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:50:01.39ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0038格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:50:21.07ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0039格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:50:39.24ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0040格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:51:01.29ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0041格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:51:19.91ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0042格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:51:38.94ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0043格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:52:00.51ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0044格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:52:19.63ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0045格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:52:39.70ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0046格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:53:00.67ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0047格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:53:25.25ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0048格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:53:39.38ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0049格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:54:00.85ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0050格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:54:19.27ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0051格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:54:41.41ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0052格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:55:00.15ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0053格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:55:20.33ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0054格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:55:39.34ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0055格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:56:01.40ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0056格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:56:21.10ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0057格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:56:40.84ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0058格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:56:59.01ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0059格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:57:20.06ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0060格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:57:38.89ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0061格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:58:01.04ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0062格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:58:20.75ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0063格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:58:39.06ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0064格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:59:00.57ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0065格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:59:20.88ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0066格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 13:59:39.16ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
涛本も漢字文明血翌フ一角を占めbトいるのであり=Aそれは、イギャ潟Xもフランスb焜hイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0067格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 14:00:00.84ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0068格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 14:00:20.79ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0069格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 14:00:39.74ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0070格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 14:00:59.94ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0071格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 14:01:19.34ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0072格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 14:01:40.10ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0073格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 14:02:00.55ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0074格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 14:02:20.47ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0075格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 14:02:38.91ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0076格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 14:03:01.81ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0077格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 14:03:19.76ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0078格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 14:03:40.66ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0079格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 14:04:01.50ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0080格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 14:04:18.19ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0081格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 14:04:40.20ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0082格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 14:05:00.93ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0083格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 14:05:19.95ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0084格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 14:05:39.51ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0085格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 14:06:00.54ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0086格無しさん
垢版 |
2019/04/30(火) 14:06:20.52ID:T0VC5Ktj
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0087格無しさん
垢版 |
2019/05/01(水) 03:08:50.39ID:iir89vSX
げんきだね
0088格無しさん
垢版 |
2019/05/01(水) 06:28:25.06ID:vC635eRd
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0089格無しさん
垢版 |
2019/05/01(水) 06:28:39.81ID:vC635eRd
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0090格無しさん
垢版 |
2019/05/01(水) 06:29:02.14ID:vC635eRd
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0091格無しさん
垢版 |
2019/05/01(水) 06:29:19.47ID:vC635eRd
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0092格無しさん
垢版 |
2019/05/01(水) 06:29:38.29ID:vC635eRd
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0093格無しさん
垢版 |
2019/05/01(水) 06:29:59.28ID:vC635eRd
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0094格無しさん
垢版 |
2019/05/01(水) 06:30:20.91ID:vC635eRd
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0095格無しさん
垢版 |
2019/05/01(水) 06:30:38.72ID:vC635eRd
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0096格無しさん
垢版 |
2019/05/01(水) 06:31:00.31ID:vC635eRd
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0097格無しさん
垢版 |
2019/05/01(水) 06:31:20.22ID:vC635eRd
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0098格無しさん
垢版 |
2019/05/01(水) 06:34:47.54ID:vC635eRd
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0099格無しさん
垢版 |
2019/05/01(水) 06:35:06.12ID:vC635eRd
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0100格無しさん
垢版 |
2019/05/01(水) 06:35:21.25ID:vC635eRd
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0101格無しさん
垢版 |
2019/05/01(水) 06:35:40.25ID:vC635eRd
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0102格無しさん
垢版 |
2019/05/01(水) 06:36:05.28ID:vC635eRd
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0103格無しさん
垢版 |
2019/05/01(水) 14:04:41.69ID:iir89vSX
うおーいいいいいい
0104格無しさん
垢版 |
2019/05/01(水) 14:14:02.61ID:1X5Y3LC0
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0105格無しさん
垢版 |
2019/05/01(水) 14:14:19.74ID:1X5Y3LC0
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0106格無しさん
垢版 |
2019/05/01(水) 14:14:39.81ID:1X5Y3LC0
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0107格無しさん
垢版 |
2019/05/01(水) 14:15:01.15ID:1X5Y3LC0
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0108格無しさん
垢版 |
2019/05/01(水) 14:15:20.38ID:1X5Y3LC0
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0109格無しさん
垢版 |
2019/05/01(水) 14:15:40.96ID:1X5Y3LC0
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0110格無しさん
垢版 |
2019/05/01(水) 14:16:03.16ID:1X5Y3LC0
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0111格無しさん
垢版 |
2019/05/01(水) 14:16:40.01ID:1X5Y3LC0
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0112格無しさん
垢版 |
2019/05/01(水) 14:17:04.31ID:1X5Y3LC0
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0113格無しさん
垢版 |
2019/05/01(水) 14:17:20.12ID:1X5Y3LC0
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0114格無しさん
垢版 |
2019/05/01(水) 14:17:38.86ID:1X5Y3LC0
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0115格無しさん
垢版 |
2019/05/01(水) 14:18:00.87ID:1X5Y3LC0
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0116格無しさん
垢版 |
2019/05/01(水) 14:18:19.70ID:1X5Y3LC0
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0117格無しさん
垢版 |
2019/05/01(水) 14:18:39.49ID:1X5Y3LC0
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0118格無しさん
垢版 |
2019/05/01(水) 14:19:00.38ID:1X5Y3LC0
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0119格無しさん
垢版 |
2019/05/01(水) 14:19:20.18ID:1X5Y3LC0
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0120格無しさん
垢版 |
2019/05/01(水) 14:24:18.48ID:1X5Y3LC0
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0121格無しさん
垢版 |
2019/05/01(水) 14:24:38.91ID:1X5Y3LC0
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0122格無しさん
垢版 |
2019/05/01(水) 14:25:01.47ID:1X5Y3LC0
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0123格無しさん
垢版 |
2019/05/01(水) 14:25:21.73ID:1X5Y3LC0
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0124格無しさん
垢版 |
2019/05/01(水) 14:25:46.66ID:1X5Y3LC0
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0125格無しさん
垢版 |
2019/05/01(水) 14:26:06.21ID:1X5Y3LC0
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0126格無しさん
垢版 |
2019/05/01(水) 14:26:21.73ID:1X5Y3LC0
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0127格無しさん
垢版 |
2019/05/01(水) 14:26:48.89ID:1X5Y3LC0
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0128格無しさん
垢版 |
2019/05/01(水) 14:27:03.45ID:1X5Y3LC0
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0129格無しさん
垢版 |
2019/05/01(水) 14:27:18.62ID:1X5Y3LC0
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0130格無しさん
垢版 |
2019/05/01(水) 14:27:37.19ID:1X5Y3LC0
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0131格無しさん
垢版 |
2019/05/01(水) 14:27:57.89ID:1X5Y3LC0
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0132格無しさん
垢版 |
2019/05/01(水) 14:28:25.25ID:1X5Y3LC0
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
末許末セ治維新のbニき、西周ら日末{人が、科学用血黷ネどの欧米の血セ葉を漢字にしbスが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0133格無しさん
垢版 |
2019/05/02(木) 02:04:31.01ID:o7Qvj3yK
埋めるペース遅くなったね
0134格無しさん
垢版 |
2019/05/02(木) 02:15:33.59ID:QMNRPcJq
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0135格無しさん
垢版 |
2019/05/02(木) 02:16:07.43ID:QMNRPcJq
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0136格無しさん
垢版 |
2019/05/02(木) 02:16:22.06ID:QMNRPcJq
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0137格無しさん
垢版 |
2019/05/02(木) 02:16:42.49ID:QMNRPcJq
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0138格無しさん
垢版 |
2019/05/02(木) 02:17:03.16ID:QMNRPcJq
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0139格無しさん
垢版 |
2019/05/02(木) 02:17:20.52ID:QMNRPcJq
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0140格無しさん
垢版 |
2019/05/02(木) 02:17:44.68ID:QMNRPcJq
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0141格無しさん
垢版 |
2019/05/02(木) 02:18:04.15ID:QMNRPcJq
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0142格無しさん
垢版 |
2019/05/02(木) 02:18:20.94ID:QMNRPcJq
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0143格無しさん
垢版 |
2019/05/02(木) 02:18:43.01ID:QMNRPcJq
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0144格無しさん
垢版 |
2019/05/02(木) 02:19:00.47ID:QMNRPcJq
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0145格無しさん
垢版 |
2019/05/02(木) 02:19:22.52ID:QMNRPcJq
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0146格無しさん
垢版 |
2019/05/02(木) 02:19:40.75ID:QMNRPcJq
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0147格無しさん
垢版 |
2019/05/02(木) 02:20:05.22ID:QMNRPcJq
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0148格無しさん
垢版 |
2019/05/02(木) 02:20:21.98ID:QMNRPcJq
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0149格無しさん
垢版 |
2019/05/02(木) 02:20:40.31ID:QMNRPcJq
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0150格無しさん
垢版 |
2019/05/02(木) 02:20:54.44ID:QMNRPcJq
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0151格無しさん
垢版 |
2019/05/02(木) 02:21:21.31ID:QMNRPcJq
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0152格無しさん
垢版 |
2019/05/02(木) 02:21:44.40ID:QMNRPcJq
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0153格無しさん
垢版 |
2019/05/02(木) 02:22:00.88ID:QMNRPcJq
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0154格無しさん
垢版 |
2019/05/02(木) 02:22:18.70ID:QMNRPcJq
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0155格無しさん
垢版 |
2019/05/02(木) 02:22:41.57ID:QMNRPcJq
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0156格無しさん
垢版 |
2019/05/02(木) 02:23:01.93ID:QMNRPcJq
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0157格無しさん
垢版 |
2019/05/02(木) 02:23:19.21ID:QMNRPcJq
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0158格無しさん
垢版 |
2019/05/02(木) 02:23:35.08ID:QMNRPcJq
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0159格無しさん
垢版 |
2019/05/02(木) 02:23:59.79ID:QMNRPcJq
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0160格無しさん
垢版 |
2019/05/02(木) 02:24:18.74ID:QMNRPcJq
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0161格無しさん
垢版 |
2019/05/02(木) 02:24:41.95ID:QMNRPcJq
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0162格無しさん
垢版 |
2019/05/02(木) 02:25:02.22ID:QMNRPcJq
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0163格無しさん
垢版 |
2019/05/02(木) 02:25:19.76ID:QMNRPcJq
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0164格無しさん
垢版 |
2019/05/02(木) 02:25:44.51ID:QMNRPcJq
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0165格無しさん
垢版 |
2019/05/02(木) 02:26:02.81ID:QMNRPcJq
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は涛本文化の重要bネ構成要素であb驕B
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0166格無しさん
垢版 |
2019/05/02(木) 02:26:20.53ID:QMNRPcJq
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0167格無しさん
垢版 |
2019/05/02(木) 02:26:37.65ID:QMNRPcJq
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0168格無しさん
垢版 |
2019/05/02(木) 02:27:00.72ID:QMNRPcJq
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0169格無しさん
垢版 |
2019/05/02(木) 02:27:19.89ID:QMNRPcJq
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0170格無しさん
垢版 |
2019/05/02(木) 02:27:40.35ID:QMNRPcJq
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0171格無しさん
垢版 |
2019/05/02(木) 02:28:03.37ID:QMNRPcJq
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0172格無しさん
垢版 |
2019/05/02(木) 02:28:25.65ID:QMNRPcJq
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0173格無しさん
垢版 |
2019/05/02(木) 02:28:42.26ID:QMNRPcJq
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0174格無しさん
垢版 |
2019/05/02(木) 02:29:00.12ID:QMNRPcJq
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0175格無しさん
垢版 |
2019/05/02(木) 02:29:19.75ID:QMNRPcJq
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0176格無しさん
垢版 |
2019/05/02(木) 02:29:41.15ID:QMNRPcJq
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0177格無しさん
垢版 |
2019/05/02(木) 02:30:00.24ID:QMNRPcJq
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0178格無しさん
垢版 |
2019/05/02(木) 02:30:19.16ID:QMNRPcJq
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0179格無しさん
垢版 |
2019/05/02(木) 02:30:38.02ID:QMNRPcJq
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0180格無しさん
垢版 |
2019/05/02(木) 02:31:00.82ID:QMNRPcJq
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0181格無しさん
垢版 |
2019/05/02(木) 02:31:19.39ID:QMNRPcJq
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0182格無しさん
垢版 |
2019/05/02(木) 02:31:39.27ID:QMNRPcJq
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0183格無しさん
垢版 |
2019/05/02(木) 02:32:01.30ID:QMNRPcJq
新元号が「令和」に決まり、日本中がお祭り騒ぎである。
慶事であるし、個人的にはよい元号だと思うので嬉しいかぎりであるが、
あえて問題点を指摘しておきたい。
まず、元号制定に関しては安倍内閣の方針が既定のものとなり、
いささかの異論も差し挟めないような空気が醸成されたことである。
たとえば、出典を和書にするということである。6つの原案は、令和(万葉集)、
英弘(古事記)、広至(日本書紀、詩経)、久化(中国古典)、万和(文選)、
万保(中国古典)と、国書と中国古典が半々である。
結局は、万葉集が出典の令和に決まり、巻5、梅花の歌32首の序、
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」から、「令」と「和」の
「文字が採用されたと説明された。
「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわ)らぎ」と、春のよい季節に、
風も和らいでいるという意味である。災害の多かった平成の時代の後、
平和で穏やかな時代を迎えたいという思いがこめられているようである。
中国ではなく、日本の古典からは初めてということが大きなセールスポイントとなり、
日本人の愛国心を満足させたし、海外からはナショナリズムの宣揚だという批判も寄せられた。
安倍首相も日本の国書だということを強調した。
その点に関連して、「政治から離れた立場」を堅持されている天皇陛下は、
新元号決定についても自らの意思を一切外部に示されなかったが、
政治の側は興奮気味で露出過剰な印象である。
平成の元号発表のときと違い、今回は官房長官の説明のみならず、安倍首相自らが談話を発表した。
さらに、首相は様々なテレビ番組などのメディアに数多く出演して、新元号の意義について説明している。
統一地方選挙中でもあり、天皇の政治利用という批判が出てきても不思議ではない。
ところが、セールスポイントの日本古典からの引用について、漢文学者から、
8世紀に作られた「万葉集」よりも先の6世紀に編まれた中国の詩文集「文選(もんぜん)」にも
「仲春令月、時和気清」の句があると指摘された。
「仲春令月、時和し気清らかなり」と読み下すが、後漢・張衡「帰田賦」・文選巻十五が出典である。
このことは、新日本文学大系『萬葉集(一)』の補注にも記されている。
私も事前に元号の専門家らと議論をしたが、「漢字で書けば、元々は中国から渡来したものなので、
必ず源が出てくる」という結論であり、和書か漢籍かに重きを置く必要はないのではないかと考えている。
どうしても日本の古典からというなら、平仮名で探すしかなくなる。
しかし、日本人が漢文や漢詩で書いた作品も数多くあり、西郷隆盛が愛読したという佐藤一斎の
「言志録」もそうである。日本語は、漢字、カタカナ、平仮名から成っており、
漢字は日本文化の重要な構成要素である。
その意味で、漢字に拘るのなら、漢籍も和書の区別など意味をなさなくなる。
余りに国書を強調するのは、安っぽいナショナリズムである。
幕末明治維新のとき、西周ら日本人が、科学用語などの欧米の言葉を漢字にしたが、
それを中国も輸入して使っている。たとえば、人民、共和国、共産主義、社会主義、革命、科学、
哲学、思想、文明などで、実に多数であるが、
中国人が自らの国名すらも和製漢字で構成されていることを意識することもなければ、それを批判することもない。
日本も漢字文明圏の一角を占めているのであり、それは、イギリスもフランスもドイツも、
その言語、文化の淵源がラテン語やギリシャ語であることと同じである。
しかし、このような指摘や批判は、日本のマスコミにはほとんど登場しない。
何か言論統制が効いているようで気味が悪い。過度のナショナリズムは意味がない。
30年前の昭和天皇崩御の前後には、日本国中で歌舞音曲を自粛し、それに従わない者は非国民扱いされ、
失業した芸人も出た。今度は、その裏返しで、初の日本古典でめでたいという祝賀ムードに
水を差すのは顰蹙を買うことになる。
書店では万葉集が売り切れになり、九州の太宰府が脚光を浴び、新元号を冠した商品が飛ぶように
売れている。マスコミ報道も新元号一色である。しかし、慶事すら強制されるようなムードは、
どうして醸成されるのだろうか。
政府の情報操作の巧みさもあるかもしれないし、日本のマスコミの横並び体質もあるだろうが、
これは大衆の自発的意思だとされるだけに、国民にマスゲームを強制する北朝鮮よりも厄介かもしれない。
日本は、お祭りごとですら異論を許さない「空気の支配」の国であり続けている。
0184格無しさん
垢版 |
2019/05/02(木) 19:58:22.94ID:o7Qvj3yK
次スレ立てるから早く埋めろ
0185格無しさん
垢版 |
2019/05/02(木) 23:05:04.97ID:o7Qvj3yK
まだ埋めてねえのかよノロマ
0186格無しさん
垢版 |
2019/05/03(金) 03:58:18.69ID:KNymPPnG
次スレ立てるから早くうめろよノロマ
0187格無しさん
垢版 |
2019/05/03(金) 17:32:39.35ID:KNymPPnG
新しいスレ立てるからはよ埋めろやのロマ
0188格無しさん
垢版 |
2019/05/03(金) 20:37:21.69ID:KNymPPnG
まさか・・・あきらめた?
0189格無しさん
垢版 |
2019/05/04(土) 16:46:37.16ID:NOUpGWeT
俺様のブラザー工業ちゃんとあるんだろうな
0190格無しさん
垢版 |
2019/05/05(日) 00:31:19.70ID:t7oIe/Jg
おおいおいおおい
0191格無しさん
垢版 |
2019/05/05(日) 21:38:45.41ID:t7oIe/Jg
東芝が63なわけがない
0192格無しさん
垢版 |
2019/05/06(月) 14:07:30.15ID:Dygvljwj
JAXAって金貰えんのかな
0193格無しさん
垢版 |
2019/05/06(月) 14:42:36.08ID:f02r8ADf
東芝ってほんとに800万も貰えんの
0194格無しさん
垢版 |
2019/05/06(月) 14:59:45.10ID:5hK1x9ME
クックパッドって何やってる会社?
0195格無しさん
垢版 |
2019/05/06(月) 15:59:20.67ID:UQjm74A1
>>193
無理
0196格無しさん
垢版 |
2019/05/06(月) 17:08:34.38ID:/MsF9u6f
クックパッドは広告です
0197格無しさん
垢版 |
2019/05/06(月) 17:24:24.76ID:YKHVfnaG
NECとかBでいいだろ
0198格無しさん
垢版 |
2019/05/06(月) 17:28:12.39ID:MoFcyL6r
無意味
0199格無しさん
垢版 |
2019/05/07(火) 14:26:52.48ID:YWEdriQi
三菱地書ちょっと低いね
0200格無しさん
垢版 |
2019/05/07(火) 17:51:41.74ID:h/z8BFpt
所詮は文系の頂点だからねー
0201格無しさん
垢版 |
2019/05/08(水) 18:56:40.66ID:g62cWARa
2chの就職偏差値よりはマシか
0202格無しさん
垢版 |
2019/05/09(木) 01:15:36.17ID:Wz5ZqfV6
ファナックなんてvorkers評価3未満だぞ
0203格無しさん
垢版 |
2019/05/10(金) 03:43:44.71ID:alf6MTEW
個人的にシャープ>東芝 なんだがなあ
0204格無しさん
垢版 |
2019/05/10(金) 22:47:36.70ID:alf6MTEW
いすゞ 65くらいあると思った 泣
0205格無しさん
垢版 |
2019/05/11(土) 16:39:09.12ID:olVWMrC0
いすゞはイメージが地味
0206格無しさん
垢版 |
2019/05/12(日) 16:53:22.47ID:ggka+9bV
じゃあシャープいっとけ
0207格無しさん
垢版 |
2019/05/14(火) 13:57:04.12ID:IXqFj0BO
ひえ〜〜〜泣
0208格無しさん
垢版 |
2019/05/14(火) 23:28:37.24ID:nMyn8wzb
どういう計算でこんな偏差値を出してるのだろ。

今年の大卒・院卒がここに書かれてる
上位のすべての企業を目指してるわけじゃ
ないでしょうに。
その企業への志願者数÷合格者数で
倍率を出して、
さらにその志願者数の母集団がどんな性質なのかを
書かないと意味なくないですか?
0209格無しさん
垢版 |
2019/05/14(火) 23:32:57.91ID:nMyn8wzb
たとえば財閥系だとある大学以外は最初から入社させないし、
公的な要素が強いJAXA、日銀なんて東大がもろ学閥作ってるじゃん。
こういうところは就職先として人気なんてあるわけないさ。
最初から身分制を敷いてるのだから。
よって人気の企業とは、その就職目的の学生の
母集団が如何に大きいかで違ってくるでしょう。要するに
大学偏差値なるものの幅が広い層から就職希望者を
集めてる企業が倍率としては人気企業、ということになる。
0210格無しさん
垢版 |
2019/05/14(火) 23:35:49.11ID:nMyn8wzb
さらにどこかの世界的に有名なゲーム会社は一流企業になった途端に
一流大学しか入社させなくなり「僕がこの頃に入社しようとしたら
大学名で弾かれて絶対に入れなかった」と有名ゲームクリエイターが言ってたね。
そういう企業は人気とは言えないでしょう。公務員が人気という的に人気な
だけだ。とてもこれでは民間企業としての質は良くないと言える。
保身に走ってるから。
0211格無しさん
垢版 |
2019/05/14(火) 23:39:45.99ID:nMyn8wzb
では人気企業とは何なのか?と定義してみればこうであろう
・学閥を形成していいない
・入社を希望するものの立場にあまり障害を設けない
が当てはまる。さらに言えば
・これから成功する可能性
・儲かる可能性
も要素として加わる。単に安定しているという理由で
入社するのは劣化公務員と同じである。企業と公務員は違うのだから。
0212格無しさん
垢版 |
2019/05/15(水) 19:00:17.31ID:2we1SUXK
こういうランキングに載るような会社に勤めてえ
0213格無しさん
垢版 |
2019/05/17(金) 21:09:21.22ID:y3HsOYFk
なんやねん
0214格無しさん
垢版 |
2019/05/23(木) 23:50:59.92ID:zEmjSIDB
>>1
去年仕事で韓国にいったとき、
公園歩いてたら「あんたら日本人か?」って爺さんに
呼び止められて「そうだけど?」って答えたら、突然握手されて深く頭を下げられた。

「反日活動の全ては自分の利益しか考えていない政治家と、そいつらに騙されている
一部の民衆がやっていることで、多くの韓国人は日本が大好きだから、テレビだけ
見て韓国を嫌いにならないでほしい」

みたいなことを言われた。
たまたまその爺さんが親日なだけかと思っていたら、ホテルや食堂で働いている
若いスタッフにも同じようなことを言われた。

向こうの出版社にそのことを話すと、韓国のごく一部で行なわれているカルト的な
活動が、まるで韓国の常識のように日本で報道されていて悲しいと語った。

ネットやニュースを鵜呑みにしてたから、韓国なんて行きたくなかったけど、
行ってみなきゃわからないもんだと思った。

信じてもらえないかもしれないけど全部作り話です。
0215格無しさん
垢版 |
2019/05/26(日) 17:03:13.15ID:iVXSSznm
えええええ
0216格無しさん
垢版 |
2019/06/02(日) 13:54:23.24ID:fVPmf3wd
まじかの
0218格無しさん
垢版 |
2019/06/08(土) 15:55:30.41ID:CMkUkijO
まだまだいくわよぉ
0219格無しさん
垢版 |
2019/06/10(月) 14:57:56.37ID:VBVUE1uT
おおおおおおおおおそそあー
0220格無しさん
垢版 |
2019/06/11(火) 17:44:23.29ID:owLmOvUl
あれてんねぇ
0221格無しさん
垢版 |
2019/06/13(木) 11:37:06.87ID:+xRUzVGw
 楽天 NT
0222格無しさん
垢版 |
2019/06/14(金) 01:21:01.90ID:10h6qlOi
【乞食速報】

メルペイの高還元祭り再び!!(6/14〜6/30)
https://i.imgur.com/hc5WZrh.jpg
iDの使える全店舗で50%還元されます

(※あと払いは今月は手数料無料、次月に支払い。尚初めてメルペイを利用される方は銀行チャージでも対象になります)

更に初めてメルカリに登録する方は300pゲット出来る!
・mercariをダウンロードする
・会員登録の最後に招待コード
「BVUQWA」
を入力する

https://i.imgur.com/LNo8zm9.jpg
0223格無しさん
垢版 |
2019/06/15(土) 17:35:33.90ID:fTlO9tHx
JR東海よりトヨタの方が上だったか
0224格無しさん
垢版 |
2019/06/17(月) 13:51:43.99ID:rrEdsJ9c
カルビーとかデブにモテるだけやん
0225格無しさん
垢版 |
2019/06/19(水) 12:00:05.94ID:FFnl+7W1
NHKひくぅ
0226格無しさん
垢版 |
2019/06/29(土) 23:25:58.21ID:MBt+FI0w
俺の内定先Aでした
0227格無しさん
垢版 |
2019/06/30(日) 08:36:16.08ID:qmf2ewdu
■■■2020年卒用 文系就職偏差値ランキング■■■

【74】ゴールドマンサックス マッキンゼーアンドカンパニー
【73】ボストンコンサルティング モルガンスタンレー
【72】ドイツ銀行 ベインアンドカンパニー
【71】メリルリンチ A.T.カーニー UBS
【70】日本銀行 アーサー・D・リトル クレディスイス バークレイズ ローランド・ベルガー BNPパリバ RBS
【69】アクセンチュア(戦略) 国際協力銀行 東京海上日動(SPEC)
【68】経団連 ドリームインキュベータ 日本政策投資銀行 三井不動産 三菱地所 LVMH P&G
【67】三大出版 日本取引所 野村証券(コース別) みずほ(GCF) 三菱商事 HSBC
【66】テレ朝 電通 日テレ 日本財団 日本証券金融 日本郵船 フジテレビ 三井物産 三菱東京UFJ銀行(戦財) JICA NHK TBS
【65】伊藤忠商事 商船三井 住友商事 テレ東 トヨタ 野村総研(コンサル) 三菱総研 JR東海
====== 学歴不問で大勝(超一流最大手企業) ======
【64】朝日 共同通信 国際石油帝石 コーポレイトディレクション 準キー 新日鐵住金 デロイトトーマツコンサルティング 日経 読売 日本経営システム 任天堂 博報堂 三菱UFJリサーチ&コンサルティング IBM(コンサル) JXエネ PwC
【63】旭硝子 味の素 出光シェル 小田急 京王 サントリー 信越化学 全銀協 中電 東急不動産 東ガス 東急 ドコモ 阪急 ホンダ 丸紅 三菱重工 EYアドバイザリー JFE JR東 NTTデータ経営研究所
【62】キリン 住友不動産 東京海上 東京建物 東電 日産 日本総研(コンサル) 農林中金 みずほ総研(コンサル) 三菱化学 JRA
【61】アサヒ 大ガス 花王 川崎汽船 関電 時事 住友化学 大和総研(リサーチ) 中日 東燃 日清製粉 富士フィルム 毎日 みずほ情報総研(リサーチ) 三菱UFJ信託 IBM(IT) JR西 住友電工
【60】資生堂 首都高速 双日 デンソー 豊田通商 日揮 日本郵便 日立 JT KDDI 三菱マテリアル
―――――― 東大京大一橋微勝ち、地底早慶勝ち ――――――
【59】アクセンチュア(非戦略) 川崎重工 キヤノン キーエンス コマツ 産経 武田薬品 地電 電源開発 東レ 日本生命 富士ゼロ 三井住友信託 三菱電機 三菱東京UFJ銀行(OP) 森トラスト ANA NEXCO中 NTTデータ
【58】旭化成 伊藤忠丸紅鉄鋼 神戸製鋼 シグマクシス 第一生命 日東電工 野村総研(IT) 三井化学 三菱倉庫 村田製作所 メタルワン 森ビル ADK IHI JFC MS海上 NKSJ NEXCO東西 SMBC 3Mジャパン JX金属
【57】あいおいニッセイ同和 クラレ 私鉄下位 商工中金 住友生命 帝人 豊田織機 日本能率協会コンサル 野村不動産 阪神高速 富士通(SE除く) 富士通総研 みずほ銀行(OP) 明治安田生命 郵貯銀行 リコー JSR NTTコム NTT東西
【56】アビームコンサルティング 宇部興産 鹿島 かんぽ生命 サッポロ 島津製作 昭和電工 住友金属鉱山 住友重機械 住友倉庫 ソフトバンク ニコン 日本総研(IT) 古河電工 三井造船 JR九州 ソニー
【55】アドバンテスト 大林組 オムロン コニカミノルタ 清水建設 積水化学 竹中工務店 日本板硝子 日本製紙 大陽日酸 大和総研(IT) バンダイ 日立化成 日立コンサルティング みずほ情報総研(IT) 三井倉庫 三菱ガス化学 明治製菓 りそな銀行 YKK
――――― 地底早慶微勝ち、MARCH・関関同立勝ち ―――――
0228格無しさん
垢版 |
2019/07/01(月) 00:35:25.12ID:m9F5qYje
オンデマンド
0229格無しさん
垢版 |
2019/07/06(土) 13:53:23.48ID:58eXqZfA
>>1
日本人ユーチューバー韓国で殴られる

◆ベトナム ライダイハンについて韓国で韓国人に聞いてみた!
2019/07/05 に公開
わずか1日で5万視聴
https://youtu.be/ZlGJe1nNS40



最後のタクシー運転手がいきなり暴行
0230格無しさん
垢版 |
2019/07/12(金) 06:42:01.28ID:xysZQXVj
■■■2020年卒用 文系就職偏差値ランキング■■■

【74】ゴールドマンサックス マッキンゼーアンドカンパニー
【73】ボストンコンサルティング モルガンスタンレー
【72】ドイツ銀行 ベインアンドカンパニー
【71】メリルリンチ A.T.カーニー UBS
【70】日本銀行 アーサー・D・リトル クレディスイス バークレイズ ローランド・ベルガー BNPパリバ RBS
【69】アクセンチュア(戦略) 国際協力銀行 東京海上日動(SPEC)
【68】経団連 ドリームインキュベータ 日本政策投資銀行 三井不動産 三菱地所 LVMH P&G
【67】三大出版 日本取引所 野村証券(コース別) みずほ(GCF) 三菱商事 HSBC
【66】テレ朝 電通 日テレ 日本財団 日本証券金融 日本郵船 フジテレビ 三井物産 三菱UFJ銀行(戦財) JICA NHK TBS
【65】伊藤忠商事 商船三井 住友商事 テレ東 トヨタ 野村総研(コンサル) 三菱総研 JR東海
====== 学歴不問で大勝(超一流最大手企業) ======
【64】朝日 共同通信 国際石油帝石 コーポレイトディレクション 準キー 新日鐵住金 デロイトトーマツコンサルティング 日経 読売 日本経営システム 任天堂 博報堂 三菱UFJリサーチ&コンサルティング IBM(コンサル) JXエネ PwC
【63】旭硝子 味の素 出光シェル 小田急 京王 サントリー 信越化学 全銀協 中電 東急不動産 東ガス 東急 ドコモ 阪急 ホンダ 丸紅 三菱重工 EYアドバイザリー JFE JR東 NTTデータ経営研究所
【62】キリン 住友不動産 東京海上 東京建物 東電 日産 日本総研(コンサル) 農林中金 みずほ総研(コンサル) 三菱化学 JRA
【61】アサヒ 大ガス 花王 川崎汽船 関電 時事 住友化学 大和総研(リサーチ) 中日 東燃 日清製粉 富士フィルム 毎日 みずほ情報総研(リサーチ) 三菱UFJ信託 IBM(IT) JR西 住友電工
【60】資生堂 首都高速 双日 デンソー 豊田通商 日揮 日本郵便 日立 JT KDDI 三菱マテリアル
―――――― 東大京大一橋微勝ち、地底早慶勝ち ――――――
【59】アクセンチュア(非戦略) 川崎重工 キヤノン キーエンス コマツ 産経 武田薬品 地電 電源開発 東レ 日本生命 富士ゼロ 三井住友信託 三菱電機 三菱UFJ銀行(OP) 森トラスト ANA NEXCO中 NTTデータ
【58】旭化成 伊藤忠丸紅鉄鋼 神戸製鋼 シグマクシス 第一生命 日東電工 野村総研(IT) 三井化学 三菱倉庫 村田製作所 メタルワン 森ビル ADK IHI JFC MS海上 NKSJ NEXCO東西 SMBC 3Mジャパン JX金属
【57】あいおいニッセイ同和 クラレ 私鉄下位 商工中金 住友生命 帝人 豊田織機 日本能率協会コンサル 野村不動産 阪神高速 富士通(SE除く) 富士通総研 みずほ銀行(OP) 明治安田生命 郵貯銀行 リコー JSR NTTコム NTT東西
【56】アビームコンサルティング 宇部興産 鹿島 かんぽ生命 サッポロ 島津製作 昭和電工 住友金属鉱山 住友重機械 住友倉庫 ソフトバンク ニコン 日本総研(IT) 古河電工 三井造船 JR九州 ソニー
【55】アドバンテスト 大林組 オムロン コニカミノルタ 清水建設 積水化学 竹中工務店 日本板硝子 日本製紙 大陽日酸 大和総研(IT) バンダイ 日立化成 日立コンサルティング みずほ情報総研(IT) 三井倉庫 三菱ガス化学 明治製菓 りそな銀行 YKK
――――― 地底早慶微勝ち、MARCH・関関同立勝ち ―――――
0231格無しさん
垢版 |
2019/07/16(火) 11:53:56.63ID:JECc7177
ららららぃ
0232格無しさん
垢版 |
2019/07/28(日) 14:58:40.66ID:Uc6nD2SO
格付け偏差値
0233格無しさん
垢版 |
2019/07/29(月) 07:28:50.07ID:L48DX/OA
■■■2020年卒用 文系就職偏差値ランキング■■■

【74】ゴールドマンサックス マッキンゼーアンドカンパニー
【73】ボストンコンサルティング モルガンスタンレー
【72】ドイツ銀行 ベインアンドカンパニー
【71】メリルリンチ A.T.カーニー UBS
【70】日本銀行 アーサー・D・リトル クレディスイス バークレイズ ローランド・ベルガー BNPパリバ RBS
【69】アクセンチュア(戦略) 国際協力銀行 東京海上日動(SPEC)
【68】経団連 ドリームインキュベータ 日本政策投資銀行 三井不動産 三菱地所 LVMH P&G
【67】三大出版 日本取引所 野村証券(コース別) みずほ(GCF) 三菱商事 HSBC
【66】テレ朝 電通 日テレ 日本財団 日本証券金融 日本郵船 フジテレビ 三井物産 三菱UFJ銀行(戦財) JICA NHK TBS
【65】伊藤忠商事 商船三井 住友商事 テレ東 トヨタ 野村総研(コンサル) 三菱総研 JR東海
====== 学歴不問で大勝(超一流最大手企業) ======
【64】朝日 共同通信 国際石油帝石 コーポレイトディレクション 準キー 新日鐵住金 デロイトトーマツコンサルティング 日経 読売 日本経営システム 任天堂 博報堂 三菱UFJリサーチ&コンサルティング IBM(コンサル) JXエネ PwC
【63】AGC 味の素 出光シェル 小田急 京王 サントリー 信越化学 全銀協 中電 東急不動産 東ガス 東急 ドコモ 阪急 ホンダ 丸紅 三菱重工 EYアドバイザリー JFE JR東 NTTデータ経営研究所
【62】キリン 住友不動産 東京海上 東京建物 東電 日産 日本総研(コンサル) 農林中金 みずほ総研(コンサル) 三菱化学 JRA
【61】アサヒ 大ガス 花王 川崎汽船 関電 時事 住友化学 大和総研(リサーチ) 中日 東燃 日清製粉G本社 富士フイルム 毎日 みずほ情報総研(リサーチ) 三菱UFJ信託 IBM(IT) JR西 住友電工
【60】資生堂 首都高速 双日 デンソー 豊田通商 日揮 日本郵便 日立 JT KDDI 三菱マテリアル
―――――― 東大京大一橋微勝ち、地底早慶勝ち ――――――
【59】アクセンチュア(非戦略) 川崎重工 キヤノン キーエンス コマツ 産経 武田薬品 地電 電源開発 東レ 日本生命 富士ゼロ 三井住友信託 三菱電機 三菱UFJ銀行(OP) 森トラスト ANA NEXCO中 NTTデータ
【58】旭化成 伊藤忠丸紅鉄鋼 神戸製鋼 シグマクシス 第一生命 日東電工 野村総研(IT) 三井化学 三菱倉庫 村田製作所 メタルワン 森ビル ADK IHI JFC MS海上 NKSJ NEXCO東西 SMBC 3Mジャパン JX金属
【57】あいおいニッセイ同和 クラレ 私鉄下位 商工中金 住友生命 帝人 豊田織機 日本能率協会コンサル 野村不動産 阪神高速 富士通(SE除く) 富士通総研 みずほ銀行(OP) 明治安田生命 郵貯銀行 リコー JSR NTTコム NTT東西
【56】アビームコンサルティング 宇部興産 鹿島 かんぽ生命 サッポロ 島津製作 昭和電工 住友金属鉱山 住友重機械 住友倉庫 ソフトバンク ニコン 日本総研(IT) 古河電工 三井造船 JR九州 ソニー
【55】アドバンテスト 大林組 オムロン コニカミノルタ 清水建設 積水化学 竹中工務店 日本板硝子 日本製紙 大陽日酸 大和総研(IT) バンダイ 日立化成 日立コンサルティング みずほ情報総研(IT) 三井倉庫 三菱ガス化学 明治製菓 りそな銀行 YKK
――――― 地底早慶微勝ち、MARCH・関関同立勝ち ―――――
0236格無しさん
垢版 |
2019/07/30(火) 16:36:01.48ID:UDX4GVLx
続き





↓====Cランク====↓


【56】  川崎重工 セイコーエプソン イケアジャパン ミリアルリゾート セコム 山崎製パン ユニチャーム DeNA そごう西部 星野リゾート 三菱総合研究所 損保ジャパン WOWOW 農林中央金庫 小林製薬 エーザイ 三菱UFJモルガン 東映 西武鉄道 大和総研
 オリンパス 日本マクドナルド 千葉銀行 キャノンマーケティング ロート製薬 ジュピターJCOM JR九州 塩野義製薬 みすほ証券 文化放送 アフラック 東急不動産 スズキ ジェイテクト 高島屋 LDH ミツカン 北洋銀行 東急不動産
 あいおいニッセイ同和損保 NECソリューション 東邦ガス 日清製粉 ブラザー工業 ヤマハ発動機 日本コカコーラ 三越伊勢丹 京浜急行電鉄 ジャパネット 東急エージェンシー ライザップ カヤック いすゞ自動車 日本ガイシ NEXCO東 アディダス


【55】  BMW ダイハツ工業 カワサキモータース DMM 吉桂 アステム 三井ホーム ジェトロ クレディセゾン フロム 日立化成 CCC 日本政策投資銀行 日本HP ホリプロ NAセールス 共同印刷 PwC 日立金属 NTTコミュ ホテルオークラ はてな
 クラブツーリズム 福岡銀行 日本通運 日揮 エスクリ アビール 静岡銀行 三菱マテリアル ダスキン あおぞら銀行 エイチーム パーソルキャリア 佐川急便 紀伊園屋書店 セブンイレブン 阪急交通社 東急リバブル 帝人 JA全農 JR北海道 オルビス
 日本オラクル 日本製粉 タキヒヨー 商船三井 日本交通 DIC 大林組 クックパッド 阪急交通社 テルモ 小野薬品工業 エフエム東京 三菱鉛筆 コニカミノルタ JFE 極洋 東京建物 第一実業 プラス 東武鉄道 HIS カネカ


【54】  三菱自動車 IKK アスクル アイリスオーヤマ 敷島製パン 阪急阪神百貨店 ユニリーバ TIS 新光電気工業 神戸製鋼所 クラレ イーオン シャープ リコー NTT都市開発 JXTG 豊田合成 NTN 東芝プラント オービック 日本ロレアル アイシンAW
 全日空商事 三協立山 日立ハイテク 戸田建設 不二家 山丸 高見 毎日放送 関西テレビ放送 伊藤忠エネクス 川崎汽船 オープンハウス トーエネック 四国電力 東芝テック 富士電機 カシオ計算機 住友電気工業 トヨタ紡織 ダンロップ 学研 OKI
 ジャパンディスプレイ 九電工 朝日放送 シティバンク 小糸製作所 JVCケンウッド 住友ゴム工業 北陸電力 東海理化 NECネッツ 三井造船 古河電機工業 東急建設 三井住友建設 ユアテック かんぽ生命 TDK アズビル 出光興産 SMC 安藤ハザマ エディオン

 グローリー 横河電気 明電舎 前田建設 ニッパツ 福山通運

【53】  メイテック ヤンマー 大日本住友製薬 沖縄電力 再春館製薬所 ミネベアミツミ 熊谷組 協和エクシヲ 日本経済新聞 日立造船 ソラスト 富士ゼロックス アドバンテスト 五洋建設 伊藤忠丸紅鉄鋼 田辺三菱製薬 パイオニア ニコン
 ルイヴィトンジャパン ツムラ 住友金属鉱山 横浜ゴム 川崎市役所 名古屋鉄道 フジテック 東燃 ヤマダ電機 愛三工業 フェラーリジャパン 大同特殊鋼 サマンサタバサ 昭和電工 HOYA 関電工 スギ薬局 SUMCO 大創産業 電源開発 DOWA シャネル
 ソフトオンデマンド ローソン KPMG AbemaTV ユーグレナ  讀賣テレビ放送  シマノ 日本光電工業 JX金属 フジクラ ジュンク堂書店 日本製紙 アルプスアルパイン ニプロ 住友ベークライト 住友鉱山 サンエー 日本軽金属 北海道電力 ゼンリン
 きんでん ルネサスエレクトロ ユナイテッドアローズ 東ソー HSBC トリンプ  日建設計 プルポン ING生命 ペッパーフード


東証一部上位クラス、名前は挙がった。就活生から何らかの好評価を得ているはず。






END
0237格無しさん
垢版 |
2019/07/30(火) 16:36:18.18ID:UDX4GVLx
続き







↓====Bランク====↓


【60】  日本生命保険 ベネッセ アミューズ 中部電力 キッコーマン 近畿日本ツーリスト 読売新聞 イオン 大塚製薬 IHI 三菱ケミカル 第一三共 ゴールドマン 東レ 東京急行電鉄 AGC旭硝子 日本製鉄 島津製作所 テレビ東京 ソニー生命 日本郵船


【59】  マツダ 大和ハウス りそな 東京地下鉄 野村不動産 帝国ホテル 伊藤園 清水建設 森ビル 一条工務店 東京ガス スクウェアエニックス 住友化学 武田薬品 NEC クボタ 森永製菓 NTT西日本 KADOKAWA 日本ハム 日テレ ミズノ  アイシン精機
 東北電力 カネボウ化粧品 JCB &ジョンソン ポーラ HIS  鹿島建設


【58】  凸版印刷 SUBARU バンダイナムコ 九州電力 LIXIL スタートトゥデイ 豊田通商 P&G 日本旅行 横浜市役所 ハーゲンダッツ ファンケル ヤクルト本社 竹中工務店 メルカリ 三菱食品 日本たばこ産業 ファナック 日本政策金融 日東電工
 三井住友海上火災保険 小学館 未来工業 小田急電鉄 マッキンゼー 雪印メグミルク コナミ 京王電鉄 豊田自動織機 Sky 明治安田生命 ゆうちょ銀行 中央労働金庫 マイナビ 松竹 スターバックス 東京電力 サイボウズ 朝日新聞社 タニタ


【57】  東芝 安川電機 中外製薬 SCSK 大和証券 サンリオ 双日 パソナ 日本赤十字 セガ 成田国際空港 日本郵政 中国電力 住友生命 ブリヂストン 三井住友カード SMBC日興証券 JRA日本中央競馬会 JALスカイ 公文教育研究会 東京エレクトロン
 ボストンコンサル 国分 YKK ほぼ日 JR九州 ダイキン工業 アサツーADK 信越化学 旭化成ホーム ヤマハ ソニーモバイル 横浜銀行 大阪ガス 日野自動車 カプコン ナイキジャパン PlanDoSee 日本電産 USJ ヤマト運輸 インテル ウォルトディズニー
 CTC伊藤忠テクノ 六花亭 アルソック セールスフォース 大塚商会 ブルボン 小松製作所


準人気、日経225クラス、時々ランクイン。優良企業ばかり。



↓====Cランク====↓






>>3へ続く...
0239格無しさん
垢版 |
2020/04/24(金) 00:45:17.17ID:gIdzaQpX
■■■2020年卒用 文系就職偏差値ランキング■■■

【74】ゴールドマンサックス マッキンゼーアンドカンパニー
【73】ボストンコンサルティング モルガンスタンレー
【72】ドイツ銀行 ベインアンドカンパニー
【71】メリルリンチ A.T.カーニー UBS
【70】日本銀行 アーサー・D・リトル クレディスイス バークレイズ ローランド・ベルガー BNPパリバ RBS
【69】アクセンチュア(戦略) 国際協力銀行 東京海上日動(SPEC)
【68】経団連 ドリームインキュベータ 日本政策投資銀行 三井不動産 三菱地所 LVMH P&G
【67】三大出版 日本取引所 野村証券(コース別) みずほ(GCF) 三菱商事 HSBC
【66】テレ朝 電通 日テレ 日本財団 日本証券金融 日本郵船 フジテレビ 三井物産 三菱東京UFJ銀行(戦財) JICA NHK TBS
【65】伊藤忠商事 商船三井 住友商事 テレ東 トヨタ 野村総研(コンサル) 三菱総研 JR東海
====== 学歴不問で大勝(超一流最大手企業) ======
【64】朝日 共同通信 国際石油帝石 コーポレイトディレクション 準キー 新日鐵住金 デロイトトーマツコンサルティング 日経 読売 日本経営システム 任天堂 博報堂 三菱UFJリサーチ&コンサルティング IBM(コンサル) JXエネ PwC
【63】旭硝子 味の素 出光シェル 小田急 京王 サントリー 信越化学 全銀協 中電 東急不動産 東ガス 東急 ドコモ 阪急 ホンダ 丸紅 三菱重工 EYアドバイザリー JFE JR東 NTTデータ経営研究所
【62】キリン 住友不動産 東京海上 東京建物 東電 日産 日本総研(コンサル) 農林中金 みずほ総研(コンサル) 三菱化学 JRA
【61】アサヒ 大ガス 花王 川崎汽船 関電 時事 住友化学 大和総研(リサーチ) 中日 東燃 日清製粉 富士フィルム 毎日 みずほ情報総研(リサーチ) 三菱UFJ信託 IBM(IT) JR西 住友電工
【60】資生堂 首都高速 双日 デンソー 豊田通商 日揮 日本郵便 日立 JT KDDI 三菱マテリアル
―――――― 東大京大一橋微勝ち、地底早慶勝ち ――――――
【59】アクセンチュア(非戦略) 川崎重工 キヤノン キーエンス コマツ 産経 武田薬品 地電 電源開発 東レ 日本生命 富士ゼロ 三井住友信託 三菱電機 三菱東京UFJ銀行(OP) 森トラスト ANA NEXCO中 NTTデータ
【58】旭化成 伊藤忠丸紅鉄鋼 神戸製鋼 シグマクシス 第一生命 日東電工 野村総研(IT) 三井化学 三菱倉庫 村田製作所 メタルワン 森ビル ADK IHI JFC MS海上 NKSJ NEXCO東西 SMBC 3Mジャパン JX金属
【57】あいおいニッセイ同和 クラレ 私鉄下位 商工中金 住友生命 帝人 豊田織機 日本能率協会コンサル 野村不動産 阪神高速 富士通(SE除く) 富士通総研 みずほ銀行(OP) 明治安田生命 郵貯銀行 リコー JSR NTTコム NTT東西
【56】アビームコンサルティング 宇部興産 鹿島 かんぽ生命 サッポロ 島津製作 昭和電工 住友金属鉱山 住友重機械 住友倉庫 ソフトバンク ニコン 日本総研(IT) 古河電工 三井造船 JR九州 ソニー
【55】アドバンテスト 大林組 オムロン コニカミノルタ 清水建設 積水化学 竹中工務店 日本板硝子 日本製紙 大陽日酸 大和総研(IT) バンダイ 日立化成 日立コンサルティング みずほ情報総研(IT) 三井倉庫 三菱ガス化学 明治製菓 りそな銀行 YKK
――――― 地底早慶微勝ち、MARCH・関関同立勝ち ―――――
0240格無しさん
垢版 |
2020/04/24(金) 00:47:10.49ID:gIdzaQpX
■■■2020年卒用 文系就職偏差値ランキング■■■

【74】ゴールドマンサックス マッキンゼーアンドカンパニー
【73】ボストンコンサルティング モルガンスタンレー
【72】ドイツ銀行 ベインアンドカンパニー
【71】メリルリンチ A.T.カーニー UBS
【70】日本銀行 アーサー・D・リトル クレディスイス バークレイズ ローランド・ベルガー BNPパリバ RBS
【69】アクセンチュア(戦略) 国際協力銀行 東京海上日動(SPEC)
【68】経団連 ドリームインキュベータ 日本政策投資銀行 三井不動産 三菱地所 LVMH P&G
【67】三大出版 日本取引所 野村証券(コース別) みずほ(GCF) 三菱商事 HSBC
【66】テレ朝 電通 日テレ 日本財団 日本証券金融 日本郵船 フジテレビ 三井物産 三菱東京UFJ銀行(戦財) JICA NHK TBS
【65】伊藤忠商事 商船三井 住友商事 テレ東 トヨタ 野村総研(コンサル) 三菱総研 JR東海
====== 学歴不問で大勝(超一流最大手企業) ======
【64】朝日 共同通信 国際石油帝石 コーポレイトディレクション 準キー 新日鐵住金 デロイトトーマツコンサルティング 日経 読売 日本経営システム 任天堂 博報堂 三菱UFJリサーチ&コンサルティング IBM(コンサル) JXエネ PwC
【63】旭硝子 味の素 出光シェル 小田急 京王 サントリー 信越化学 全銀協 中電 東急不動産 東ガス 東急 ドコモ 阪急 ホンダ 丸紅 三菱重工 EYアドバイザリー JFE JR東 NTTデータ経営研究所
【62】キリン 住友不動産 東京海上 東京建物 東電 日産 日本総研(コンサル) 農林中金 みずほ総研(コンサル) 三菱化学 JRA
【61】アサヒ 大ガス 花王 川崎汽船 関電 時事 住友化学 大和総研(リサーチ) 中日 東燃 日清製粉 富士フィルム 毎日 みずほ情報総研(リサーチ) 三菱UFJ信託 IBM(IT) JR西 住友電工
【60】資生堂 首都高速 双日 デンソー 豊田通商 日揮 日本郵便 日立 JT KDDI 三菱マテリアル
―――――― 東大京大一橋微勝ち、地底早慶勝ち ――――――
【59】アクセンチュア(非戦略) 川崎重工 キヤノン キーエンス コマツ 産経 武田薬品 地電 電源開発 東レ 日本生命 富士ゼロ 三井住友信託 三菱電機 三菱東京UFJ銀行(OP) 森トラスト ANA NEXCO中 NTTデータ
【58】旭化成 伊藤忠丸紅鉄鋼 神戸製鋼 シグマクシス 第一生命 日東電工 野村総研(IT) 三井化学 三菱倉庫 村田製作所 メタルワン 森ビル ADK IHI JFC MS海上 NKSJ NEXCO東西 SMBC 3Mジャパン JX金属
【57】あいおいニッセイ同和 クラレ 私鉄下位 商工中金 住友生命 帝人 豊田織機 日本能率協会コンサル 野村不動産 阪神高速 富士通(SE除く) 富士通総研 みずほ銀行(OP) 明治安田生命 郵貯銀行 リコー JSR NTTコム NTT東西
【56】アビームコンサルティング 宇部興産 鹿島 かんぽ生命 サッポロ 島津製作 昭和電工 住友金属鉱山 住友重機械 住友倉庫 ソフトバンク ニコン 日本総研(IT) 古河電工 三井造船 JR九州 ソニー
【55】アドバンテスト 大林組 オムロン コニカミノルタ 清水建設 積水化学 竹中工務店 日本板硝子 日本製紙 大陽日酸 大和総研(IT) バンダイ 日立化成 日立コンサルティング みずほ情報総研(IT) 三井倉庫 三菱ガス化学 明治製菓 りそな銀行 YKK
――――― 地底早慶微勝ち、MARCH・関関同立勝ち ―――――
0241格無しさん
垢版 |
2020/04/24(金) 06:28:19.79ID:gIdzaQpX
■■■2020年卒用 文系就職偏差値ランキング■■■

【74】ゴールドマンサックス マッキンゼーアンドカンパニー
【73】ボストンコンサルティング モルガンスタンレー
【72】ドイツ銀行 ベインアンドカンパニー
【71】メリルリンチ A.T.カーニー UBS
【70】日本銀行 アーサー・D・リトル クレディスイス バークレイズ ローランド・ベルガー BNPパリバ RBS
【69】アクセンチュア(戦略) 国際協力銀行 東京海上日動(SPEC)
【68】経団連 ドリームインキュベータ 日本政策投資銀行 三井不動産 三菱地所 LVMH P&G
【67】三大出版 日本取引所 野村証券(コース別) みずほ(GCF) 三菱商事 HSBC
【66】テレ朝 電通 日テレ 日本財団 日本証券金融 日本郵船 フジテレビ 三井物産 三菱東京UFJ銀行(戦財) JICA NHK TBS
【65】伊藤忠商事 商船三井 住友商事 テレ東 トヨタ 野村総研(コンサル) 三菱総研 JR東海
====== 学歴不問で大勝(超一流最大手企業) ======
【64】朝日 共同通信 国際石油帝石 コーポレイトディレクション 準キー 新日鐵住金 デロイトトーマツコンサルティング 日経 読売 日本経営システム 任天堂 博報堂 三菱UFJリサーチ&コンサルティング IBM(コンサル) JXエネ PwC
【63】旭硝子 味の素 出光シェル 小田急 京王 サントリー 信越化学 全銀協 中電 東急不動産 東ガス 東急 ドコモ 阪急 ホンダ 丸紅 三菱重工 EYアドバイザリー JFE JR東 NTTデータ経営研究所
【62】キリン 住友不動産 東京海上 東京建物 東電 日産 日本総研(コンサル) 農林中金 みずほ総研(コンサル) 三菱化学 JRA
【61】アサヒ 大ガス 花王 川崎汽船 関電 時事 住友化学 大和総研(リサーチ) 中日 東燃 日清製粉 富士フィルム 毎日 みずほ情報総研(リサーチ) 三菱UFJ信託 IBM(IT) JR西 住友電工
【60】資生堂 首都高速 双日 デンソー 豊田通商 日揮 日本郵便 日立 JT KDDI 三菱マテリアル
―――――― 東大京大一橋微勝ち、地底早慶勝ち ――――――
【59】アクセンチュア(非戦略) 川崎重工 キヤノン キーエンス コマツ 産経 武田薬品 地電 電源開発 東レ 日本生命 富士ゼロ 三井住友信託 三菱電機 三菱東京UFJ銀行(OP) 森トラスト ANA NEXCO中 NTTデータ
【58】旭化成 伊藤忠丸紅鉄鋼 神戸製鋼 シグマクシス 第一生命 日東電工 野村総研(IT) 三井化学 三菱倉庫 村田製作所 メタルワン 森ビル ADK IHI JFC MS海上 NKSJ NEXCO東西 SMBC 3Mジャパン JX金属
【57】あいおいニッセイ同和 クラレ 私鉄下位 商工中金 住友生命 帝人 豊田織機 日本能率協会コンサル 野村不動産 阪神高速 富士通(SE除く) 富士通総研 みずほ銀行(OP) 明治安田生命 郵貯銀行 リコー JSR NTTコム NTT東西
【56】アビームコンサルティング 宇部興産 鹿島 かんぽ生命 サッポロ 島津製作 昭和電工 住友金属鉱山 住友重機械 住友倉庫 ソフトバンク ニコン 日本総研(IT) 古河電工 三井造船 JR九州 ソニー
【55】アドバンテスト 大林組 オムロン コニカミノルタ 清水建設 積水化学 竹中工務店 日本板硝子 日本製紙 大陽日酸 大和総研(IT) バンダイ 日立化成 日立コンサルティング みずほ情報総研(IT) 三井倉庫 三菱ガス化学 明治製菓 りそな銀行 YKK
――――― 地底早慶微勝ち、MARCH・関関同立勝ち ―――――
0242格無しさん
垢版 |
2020/04/24(金) 06:33:50.77ID:gIdzaQpX
■■■2020年卒用 文系就職偏差値ランキング■■■

【74】ゴールドマンサックス マッキンゼーアンドカンパニー
【73】ボストンコンサルティング モルガンスタンレー
【72】ドイツ銀行 ベインアンドカンパニー
【71】メリルリンチ A.T.カーニー UBS
【70】日本銀行 アーサー・D・リトル クレディスイス バークレイズ ローランド・ベルガー BNPパリバ RBS
【69】アクセンチュア(戦略) 国際協力銀行 東京海上日動(SPEC)
【68】経団連 ドリームインキュベータ 日本政策投資銀行 三井不動産 三菱地所 LVMH P&G
【67】三大出版 日本取引所 野村証券(コース別) みずほ(GCF) 三菱商事 HSBC
【66】テレ朝 電通 日テレ 日本財団 日本証券金融 日本郵船 フジテレビ 三井物産 三菱東京UFJ銀行(戦財) JICA NHK TBS
【65】伊藤忠商事 商船三井 住友商事 テレ東 トヨタ 野村総研(コンサル) 三菱総研 JR東海
====== 学歴不問で大勝(超一流最大手企業) ======
【64】朝日 共同通信 国際石油帝石 コーポレイトディレクション 準キー 新日鐵住金 デロイトトーマツコンサルティング 日経 読売 日本経営システム 任天堂 博報堂 三菱UFJリサーチ&コンサルティング IBM(コンサル) JXエネ PwC
【63】旭硝子 味の素 出光シェル 小田急 京王 サントリー 信越化学 全銀協 中電 東急不動産 東ガス 東急 ドコモ 阪急 ホンダ 丸紅 三菱重工 EYアドバイザリー JFE JR東 NTTデータ経営研究所
【62】キリン 住友不動産 東京海上 東京建物 東電 日産 日本総研(コンサル) 農林中金 みずほ総研(コンサル) 三菱化学 JRA
【61】アサヒ 大ガス 花王 川崎汽船 関電 時事 住友化学 大和総研(リサーチ) 中日 東燃 日清製粉 富士フィルム 毎日 みずほ情報総研(リサーチ) 三菱UFJ信託 IBM(IT) JR西 住友電工
【60】資生堂 首都高速 双日 デンソー 豊田通商 日揮 日本郵便 日立 JT KDDI 三菱マテリアル
―――――― 東大京大一橋微勝ち、地底早慶勝ち ――――――
【59】アクセンチュア(非戦略) 川崎重工 キヤノン キーエンス コマツ 産経 武田薬品 地電 電源開発 東レ 日本生命 富士ゼロ 三井住友信託 三菱電機 三菱東京UFJ銀行(OP) 森トラスト ANA NEXCO中 NTTデータ
【58】旭化成 伊藤忠丸紅鉄鋼 神戸製鋼 シグマクシス 第一生命 日東電工 野村総研(IT) 三井化学 三菱倉庫 村田製作所 メタルワン 森ビル ADK IHI JFC MS海上 NKSJ NEXCO東西 SMBC 3Mジャパン JX金属
【57】あいおいニッセイ同和 クラレ 私鉄下位 商工中金 住友生命 帝人 豊田織機 日本能率協会コンサル 野村不動産 阪神高速 富士通(SE除く) 富士通総研 みずほ銀行(OP) 明治安田生命 郵貯銀行 リコー JSR NTTコム NTT東西
【56】アビームコンサルティング 宇部興産 鹿島 かんぽ生命 サッポロ 島津製作 昭和電工 住友金属鉱山 住友重機械 住友倉庫 ソフトバンク ニコン 日本総研(IT) 古河電工 三井造船 JR九州 ソニー
【55】アドバンテスト 大林組 オムロン コニカミノルタ 清水建設 積水化学 竹中工務店 日本板硝子 日本製紙 大陽日酸 大和総研(IT) バンダイ 日立化成 日立コンサルティング みずほ情報総研(IT) 三井倉庫 三菱ガス化学 明治製菓 りそな銀行 YKK
――――― 地底早慶微勝ち、MARCH・関関同立勝ち ―――――
■■■2020年卒用 文系就職偏差値ランキング■■■

【74】ゴールドマンサックス マッキンゼーアンドカンパニー
【73】ボストンコンサルティング モルガンスタンレー
【72】ドイツ銀行 ベインアンドカンパニー
【71】メリルリンチ A.T.カーニー UBS
【70】日本銀行 アーサー・D・リトル クレディスイス バークレイズ ローランド・ベルガー BNPパリバ RBS
【69】アクセンチュア(戦略) 国際協力銀行 東京海上日動(SPEC)
【68】経団連 ドリームインキュベータ 日本政策投資銀行 三井不動産 三菱地所 LVMH P&G
【67】三大出版 日本取引所 野村証券(コース別) みずほ(GCF) 三菱商事 HSBC
【66】テレ朝 電通 日テレ 日本財団 日本証券金融 日本郵船 フジテレビ 三井物産 三菱東京UFJ銀行(戦財) JICA NHK TBS
【65】伊藤忠商事 商船三井 住友商事 テレ東 トヨタ 野村総研(コンサル) 三菱総研 JR東海
====== 学歴不問で大勝(超一流最大手企業) ======
【64】朝日 共同通信 国際石油帝石 コーポレイトディレクション 準キー 新日鐵住金 デロイトトーマツコンサルティング 日経 読売 日本経営システム 任天堂 博報堂 三菱UFJリサーチ&コンサルティング IBM(コンサル) JXエネ PwC
【63】旭硝子 味の素 出光シェル 小田急 京王 サントリー 信越化学 全銀協 中電 東急不動産 東ガス 東急 ドコモ 阪急 ホンダ 丸紅 三菱重工 EYアドバイザリー JFE JR東 NTTデータ経営研究所
【62】キリン 住友不動産 東京海上 東京建物 東電 日産 日本総研(コンサル) 農林中金 みずほ総研(コンサル) 三菱化学 JRA
【61】アサヒ 大ガス 花王 川崎汽船 関電 時事 住友化学 大和総研(リサーチ) 中日 東燃 日清製粉 富士フィルム 毎日 みずほ情報総研(リサーチ) 三菱UFJ信託 IBM(IT) JR西 住友電工
【60】資生堂 首都高速 双日 デンソー 豊田通商 日揮 日本郵便 日立 JT KDDI 三菱マテリアル
―――――― 東大京大一橋微勝ち、地底早慶勝ち ――――――
0243格無しさん
垢版 |
2020/04/24(金) 18:11:46.27ID:gIdzaQpX
■■■2020年卒用 文系就職偏差値ランキング■■■

【74】ゴールドマンサックス マッキンゼーアンドカンパニー
【73】ボストンコンサルティング モルガンスタンレー
【72】ドイツ銀行 ベインアンドカンパニー
【71】メリルリンチ A.T.カーニー UBS
【70】日本銀行 アーサー・D・リトル クレディスイス バークレイズ ローランド・ベルガー BNPパリバ RBS
【69】アクセンチュア(戦略) 国際協力銀行 東京海上日動(SPEC)
【68】経団連 ドリームインキュベータ 日本政策投資銀行 三井不動産 三菱地所 LVMH P&G
【67】三大出版 日本取引所 野村証券(コース別) みずほ(GCF) 三菱商事 HSBC
【66】テレ朝 電通 日テレ 日本財団 日本証券金融 日本郵船 フジテレビ 三井物産 三菱東京UFJ銀行(戦財) JICA NHK TBS
【65】伊藤忠商事 商船三井 住友商事 テレ東 トヨタ 野村総研(コンサル) 三菱総研 JR東海
====== 学歴不問で大勝(超一流最大手企業) ======
【64】朝日 共同通信 国際石油帝石 コーポレイトディレクション 準キー 新日鐵住金 デロイトトーマツコンサルティング 日経 読売 日本経営システム 任天堂 博報堂 三菱UFJリサーチ&コンサルティング IBM(コンサル) JXエネ PwC
【63】旭硝子 味の素 出光シェル 小田急 京王 サントリー 信越化学 全銀協 中電 東急不動産 東ガス 東急 ドコモ 阪急 ホンダ 丸紅 三菱重工 EYアドバイザリー JFE JR東 NTTデータ経営研究所
【62】キリン 住友不動産 東京海上 東京建物 東電 日産 日本総研(コンサル) 農林中金 みずほ総研(コンサル) 三菱化学 JRA
【61】アサヒ 大ガス 花王 川崎汽船 関電 時事 住友化学 大和総研(リサーチ) 中日 東燃 日清製粉 富士フィルム 毎日 みずほ情報総研(リサーチ) 三菱UFJ信託 IBM(IT) JR西 住友電工
【60】資生堂 首都高速 双日 デンソー 豊田通商 日揮 日本郵便 日立 JT KDDI 三菱マテリアル
―――――― 東大京大一橋微勝ち、地底早慶勝ち ――――――
【59】アクセンチュア(非戦略) 川崎重工 キヤノン キーエンス コマツ 産経 武田薬品 地電 電源開発 東レ 日本生命 富士ゼロ 三井住友信託 三菱電機 三菱東京UFJ銀行(OP) 森トラスト ANA NEXCO中 NTTデータ
【58】旭化成 伊藤忠丸紅鉄鋼 神戸製鋼 シグマクシス 第一生命 日東電工 野村総研(IT) 三井化学 三菱倉庫 村田製作所 メタルワン 森ビル ADK IHI JFC MS海上 NKSJ NEXCO東西 SMBC 3Mジャパン JX金属
【57】あいおいニッセイ同和 クラレ 私鉄下位 商工中金 住友生命 帝人 豊田織機 日本能率協会コンサル 野村不動産 阪神高速 富士通(SE除く) 富士通総研 みずほ銀行(OP) 明治安田生命 郵貯銀行 リコー JSR NTTコム NTT東西
【56】アビームコンサルティング 宇部興産 鹿島 かんぽ生命 サッポロ 島津製作 昭和電工 住友金属鉱山 住友重機械 住友倉庫 ソフトバンク ニコン 日本総研(IT) 古河電工 三井造船 JR九州 ソニー
【55】アドバンテスト 大林組 オムロン コニカミノルタ 清水建設 積水化学 竹中工務店 日本板硝子 日本製紙 大陽日酸 大和総研(IT) バンダイ 日立化成 日立コンサルティング みずほ情報総研(IT) 三井倉庫 三菱ガス化学 明治製菓 りそな銀行 YKK
――――― 地底早慶微勝ち、MARCH・関関同立勝ち ―――――
■■■2020年卒用 文系就職偏差値ランキング■■■

【74】ゴールドマンサックス マッキンゼーアンドカンパニー
【73】ボストンコンサルティング モルガンスタンレー
【72】ドイツ銀行 ベインアンドカンパニー
【71】メリルリンチ A.T.カーニー UBS
【70】日本銀行 アーサー・D・リトル クレディスイス バークレイズ ローランド・ベルガー BNPパリバ RBS
【69】アクセンチュア(戦略) 国際協力銀行 東京海上日動(SPEC)
【68】経団連 ドリームインキュベータ 日本政策投資銀行 三井不動産 三菱地所 LVMH P&G
【67】三大出版 日本取引所 野村証券(コース別) みずほ(GCF) 三菱商事 HSBC
【66】テレ朝 電通 日テレ 日本財団 日本証券金融 日本郵船 フジテレビ 三井物産 三菱東京UFJ銀行(戦財) JICA NHK TBS
【65】伊藤忠商事 商船三井 住友商事 テレ東 トヨタ 野村総研(コンサル) 三菱総研 JR東海
====== 学歴不問で大勝(超一流最大手企業) ======
【64】朝日 共同通信 国際石油帝石 コーポレイトディレクション 準キー 新日鐵住金 デロイトトーマツコンサルティング 日経 読売 日本経営システム 任天堂 博報堂 三菱UFJリサーチ&コンサルティング IBM(コンサル) JXエネ PwC
【63】旭硝子 味の素 出光シェル 小田急 京王 サントリー 信越化学 全銀協 中電 東急不動産 東ガス 東急 ドコモ 阪急 ホンダ 丸紅 三菱重工 EYアドバイザリー JFE JR東 NTTデータ経営研究所
【62】キリン 住友不動産 東京海上 東京建物 東電 日産 日本総研(コンサル) 農林中金 みずほ総研(コンサル) 三菱化学 JRA
【61】アサヒ 大ガス 花王 川崎汽船 関電 時事 住友化学 大和総研(リサーチ) 中日 東燃 日清製粉 富士フィルム 毎日 みずほ情報総研(リサーチ) 三菱UFJ信託 IBM(IT) JR西 住友電工
【60】資生堂 首都高速 双日 デンソー 豊田通商 日揮 日本郵便 日立 JT KDDI 三菱マテリアル
―――――― 東大京大一橋微勝ち、地底早慶勝ち ――――――
0244格無しさん
垢版 |
2020/07/21(火) 10:51:21.46ID:6eZe/4m0
JAL2021年度入社の新卒採用を見送る方針

日本航空はパイロットなど一部職種を除き、2021年度入社の新卒採用を見送る方針を固めた。
大幅な採用縮小は9年ぶりとなる。新型コロナウイルスの感染拡大の影響が長期化し、
新卒採用を見合わせる動きは広がる可能性もありそうだ。
日本航空はグループで計1700人を採用する予定だった。
0245格無しさん
垢版 |
2021/01/03(日) 02:24:30.85ID:inM81v3H
もえ
0246格無しさん
垢版 |
2021/01/30(土) 02:37:11.48ID:mmwZ4LKV
もえ
0247格無しさん
垢版 |
2021/03/03(水) 20:38:56.10ID:hMkfQOVT
クソ表はるな
0248格無しさん
垢版 |
2021/05/01(土) 04:57:10.06ID:QK54Tcu7
age
レスを投稿する


ニューススポーツなんでも実況