アンパンマン強さ議論スレ Part2
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
それは悉くわしの悲哀と寂寞とに辛い対照を造る愉悦、興奮、生活、活動の画図である。 門の階段の上には若い母親が其子供と遊びながら坐つてゐる。 母親は、未だ乳の滴が真珠のやうについてゐる子供の小さな薔薇色の唇に接吻をする。 そして子供をあやす為に、唯女親のみが発明する事の出来る神聖な様々のとぼけた事をする。 父親は少し離れて佇みながら此愛すべき二人を眺めて微笑を洩してゐる。 それが両腕を組んだ中に其喜をぢつと胸に抱き締めてゐるやうに見える。 そこで手荒く窓を鎖して床の上に荒々しく身を横へた。 わしの心は恐しい憎悪と嫉妬とに満ちてゐたのである。 そして丁度十日も食を得なかつた虎のやうに、わしはわしの指を噛み、又わしの夜着を噛んだ。 が、遂に痙攣的な怒りの発作に襲はれて、床の上で身を悶えてゐると急に僧院長、セラピオンが室の中央に直立して、ぢつとわしを注視してゐるのを認めた。 「ロミュアルよ、わしの友達よ、何か恐しい事がお前の心の中に起つてゐるのではないか。」 何時もあのやうに静な、あのやうに清浄な、あの様に温和しい―― お前が野獣のやうに部屋の中で怒り狂つてゐるではないか。 悪魔は、お前が永久に身を主に捧げたのを憤つて、お前のまはりを餌食を探す狼のやうに這ひまはりながら、お前を捕へる最後の努力をしてゐるのぢや。 征服されるよりは、祈祷を胸当てにして苦行を楯にして、勇士のやうに戦ふがよい。 最も忠実な、最も篤信な人々は、屡々このやうな誘惑を受けるものぢや。 祈祷をしろ、断食をしろ、黙想に耽れ、さうすれば悪魔は自ら離れるだらう。」 セラピオンの語は、わしを平常のわしに帰してくれた。 其処を管理してゐた僧侶が死んだので、僧正は直にお前を任命するやうにわしにお命令なすつた。 わしの頭脳の中では、観念の糸が無暗にもつれ出して、遂にはわしの気が附かぬ内に祈祷の書はわしの手から落ちてしまつた。 明日、彼女に二度と逢はずに立つて仕舞ふと云ふ事、わしと彼女との間に置いてある多くの障碍物に、更に新しい障碍物を加へると云ふ事、実に奇蹟による外は、彼女に逢ふ一切の望を失つてしまふと云ふ事! あゝ彼女に手紙を書くと云ふ事さへわしには不可能になるだらう。 何故と云へば、わしは誰にわしの手紙を託けると云ふ事も出来ないからである。 わしは僧侶と云ふ神聖な職務に就きながら誰にわしの心の中を打明ける事が出来るだらう。 其時急にわしは、僧院長セラピオンが悪魔の謀略を話した語を思出した。 今度の事件の不可思議な性質、クラリモンドの人間以上の美しさ、彼女の眼の燐のやうな光、彼女の手の燃え立つばかりの感触、彼女がわしを陥し入れた苦痛、わしの心に急激な変化が起ると共に、凡てのわしの信心が一瞬の間に消えた事―― 是等の事は、其悪魔の仕業なのをよく証拠立てゝゐるではないか。 恐らく繻子のやうな手は爪を隠した手袋であるかも知れぬ。 是等の想像に悸されてわしは、再びわしの膝からすべつて、床の上に落ちてゐた祈祷の書を取り上げた。 みすぼらしいわし達の鞄を負つて、騾馬が二頭、門口に待つてゐる。 わし達が此市の街路を過ぎて行つた時に、わしは、クラリモンドが見えはしないかと思つて、凡ての窓、凡ての露台を注意して眺めて行つた。 が、朝が早いので、市はまだ殆ど其眼を開かずにゐた。 わしはわし達が通りすぎる、凡ての家々の簾や窓掛を透視する事が出来たらばと思つた。 セラピオンは、わしの此好奇心を確に、わしが建築を賞讃してゐるのだと思つたらしい。 かう云ふのは彼が、わしにあたりを見る時間を与へる為に、わざと騾馬の歩みを緩めたからである。 遂にわし達は市門を過ぎて其向うにある小山を上りはじめた。 わしはクラリモンドが住んでゐる土地の最後の一瞥を得ようと思つたので、その方に頭をめぐらして眺めると、大きな雲の影が、全市街の上に垂れかゝつて、其青と赤と反映する屋根の色が、一様な其中間の色に沈んでゐた。 其色の中を、其処此処から白い水沫のやうに、今し方点ぜられた火の煙が上へ/\と昇つて行く。 と、不思議な光の関係で、まだ模糊とした蒸気に掩はれてゐる近所の建物よりは遥に高い家が一つ、太陽の寂しい光線で金色に染められながら、うつくしく輝いて聳えてゐる―― 実際は一里半も離れてゐるのであるが、其割には近く見える。 多くの小さな塔や高台や窓枠や燕の尾の形をしてゐる風見迄が、はつきりと見えるのである。 「向うに見える、あの日の光をうけた宮殿は何でせう。」 「コンチニの王が、娼婦クラリモンドに与へた、古の宮殿ぢや。 其刹那に、わしには実際か幻惑かはしらぬが、真白な姿の露台を歩いてゐるのが見えたやうに想はれた。 其姿は通りすがりに、瞬く間日に輝いたが、忽ち又何処かへ消えてしまつた。 わしを彼女から引離してしまふ嶮しい山路の上に、あゝ、わしが再び下る事の出来ない山路の上に、彼女の住んでゐる宮殿を望見してゐたと云ふ事を。 此主となつて、此処に来れとわしを招くやうに、嘲笑ふ日の光に輝きながら、此方へ近づくかと思はれた宮殿を、望見してゐたと云ふ事を。 何故と云へば彼女の心は、わしの心と同情に繋がれてゐたので、其最も微かな情緒の時めきさへ感ずる事が出来たからである。 影は其宮殿をも掩つて、満目の光景は、唯屋根と破風との動かざる海になつた。 そして其中には一つの山のやうな波動が明かに見えてゐるのである。 しかもわしは決して其処へ帰る事の出来ない運命を負つてゐるのである。 退屈な三日の旅行の末に、陰鬱な田園の間を行き尽して、わしはわしの管轄すべき寺院の塔上にある風見の鶏が、森の上から覗いてゐるのを見た。 それから茅葺の小家と小さな庭園とに挟まれた、曲りくねつた路を行くと、やがて、多少の荘厳を保つた寺院の正面へ出た。 五六の塑像で飾られた玄関、荒削りに砂岩を刻んだ円柱、柱と同じ砂岩の控壁のついた瓦葺の屋根―― 左手には雑草が背高く生えた墓地があつて、其中央には大きな鉄の十字架が聳えてゐる。 家は恐しく簡単で、しかも冷酷な清潔が保たれてゐる。 見た所では、僧侶の黒い法衣にも慣れたやうに、少しもわし達を怖がらない。 そして殆どわし達の歩く道を明けようとさへしさうもない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています