宇宙戦艦ヤマト・TV版パート1限定スレ part17
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★このスレッドに下品な西崎、松本信者は不用だ。
ゴキブリ漫才師は、他所に行きたまえ。
ここは1974年に讀賣テレビ放送・日本テレビ放送網で放送されたテレビア二メ
宇宙戦艦ヤマトパート1限定スレである。
その他の作品の話題は遠慮がちにしてもらおう。
諸君の崇高なるヤマト愛に期待する。
存分に書き込んで欲しい!
■前スレ■
宇宙戦艦ヤマトTV版パート1限定スレ 【14】万8千光年の旅©2ch.net
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宇宙戦艦ヤマト・TV版パート1限定スレ part15
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/ranime/1463087098/
宇宙戦艦ヤマト・TV版パート1限定スレ part16
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/ranime/1580974212/ 発掘戦艦大和の内部から宇宙戦艦ヤマトを構築するっていうのは絶対無理であるが、
それをやらないとこの作品の根幹精神が成り立たないのである
戦争の影を引きずった過去の戦艦の残骸が、地球の未来を託された未来的な宇宙戦艦へと
生まれ変わる これこそが日本国への愛であり日本人の心のよりどころとなっているのだ
たとへ技術的に不可能であってもヤマトは戦艦大和の中から生まれてこなければならない
このことは制作者のこだわりであり、作品の根幹を支える大きなことなのである
戦艦大和の精神を宿した宇宙戦艦ヤマトこそ日本人の心を揺さぶるものであった 戦艦大和は沈んでからもう何十年も経つが、いまだに日本人の魂というか、心のよりどころの
ようなイメージがある この、ほかの戦艦にはない日本的なもの、大きな精神の表現を
成しえたのがこの作品
一歩間違えば軍国主義的な内容になってしまう可能性もあったが、地球全体の危機を救う
最後の切り札として建造された宇宙戦艦ヤマトは、かつての戦争の亡霊的なものではなく
もっともっと大きな存在として、地球人類の未来を託されたものとなった
この点が絶妙な設定であり、制作者の意図が大きく反映された
戦争の影を引きずるものではなく地球人類の未来を託された船として、ヤマトは生まれ変わった 昭和49年当時、クラスで「今度ごっついすごいアニメが放送されるらしいぞ。宇宙戦艦ヤマト!」
という話題が出ていた
初めて「宇宙戦艦ヤマト」と聞いた時、またどうせヘンテコなゴチャゴチャしたアオシマのプラモ
みたいなものだらうという不安が頭をよぎった
そして放送第1話、宇宙戦艦ヤマトはまだ登場しなかったが、ラストシーンに出た夕陽に照らされた
戦艦大和の残骸 あれを見た時に心が震えた 「このアニメはきっとすごい作品になる!」
その時、そういう予感がした ヤマケットやったんだな
緊急事態宣言が解除されたとはいえ、このご時世によくやるよなあ 翌週第2話「号砲一発!宇宙戦艦ヤマト始動!」
おお、今日こそはヤマトの姿が見えるぞ〜と思うたら、何とその日は学校の夜間行事が
当時はまだビデオデッキなぞ高価で買えず持ってない
しゃあないので、家人にカセットテープの録音を頼んでおいた
帰って来てテープで聴いた第2話、すごい、音声だけでもすごいのだ
動き出すヤマトの効果音を聴いただけでも心が震える 映像も観たかった! 「砲雷激戦用意〜!」
「重動力線コンタクト、全エネルギースイッチオン、傾斜復元、船体起こせ〜!復唱(船体起こせ〜)
補助エンジン、両限全速、取り舵いっぱ〜〜い!!」
沖田艦長のヤマト始動時のセリフ、何度聴いてもすごい 「取り舵いっぱい!」はええな
この場面、そっくりそのまま庵野監督が「ふしぎの海のナディア」でNノーチラス号起動シーンに
リスペクトしていた この時のヤマト出現シーンは夜ではなく昼間となっている
夜の方がいい雰囲気だということで劇場版では夜になっていたが、個人的には昼の方が
色が鮮やかで好きである
この場面に流れるBGMは後半ではドメル赴任の時などに流れたガミラスのシーンによく
使われた音楽だが、最初はヤマト出現シーンに使われた
「右、15度転換!」でヤマトがズズズと動くシーンがシビれる スマン 確認したら2話ヤマト出現シーンは夜間だった
初期オープニングの出だしのヤマト出現シーンが昼間だったのでそれと間違えた
ついでに沖田艦長のセリフ
「総員配置につけ〜!補助エンジン始動5秒前、砲雷激戦用〜意!」が正しい
この時の艦長、目をつぶってる描写から少し開き、その後カッと見開く描写が心憎い フレリアのエースともいうべき天馬騎士ヴァネッサが>>11ゲットです。
,r ''⌒`ー、
/ , ,/ i i ヘ
. 川VW W| | i
| !.i ! | |'i ノ
| ! __ ! |'(
. i/ヽ __/レ'ヘi!
___,,r'vー/⌒ヽ
アスレ>>1 腐女子用ルセアの二番煎じがww天パーなんてきょうび流行んねーww(プ
ヒー>>2アス ヘタレ囲まれ乙wwテメェなんかの愛人なんかまっぴらだ(プゲラ
>>3ルラ 媚び系ウザイよw竜石ないと役立たずょぅι゙ょのくせに(ワラ
>>4シュア ついてない?弱いからだろキザww細身の槍の必殺で散ってろよw(ギャハ
デスガー>5イル お前飛行系の恥だなw生きる価値なさ杉www
エフラ>6 ロリコン・シスコン・ケダモノ呼ばわりされて皮肉ですねww(プゲラッチョ
ター>7 電波ゆんゆんキモいんだよw私のほうが魅力あるしwゲブに取り調べられろww(プギャーッ
は>8ての羽 これ使ったら負け組決定ww悔しかったら自力で速さ上げてみろwww
エイリー>9 またお人好しロードかw聖石渡す痴呆売国奴はヴァルターに貫かれろよww(ハゲワラ
ルー>10 魔力バカごときが自分で優秀とかほざいてんじゃねーよww(プゲランチョンマット
>12-1002 まぁお前らヘタレは萌えな私を一生使ってなさいってこった(ゲラゲラゲラ♪ ヤマトのアニメ放送と同時に、月刊冒険王にて松本零士氏の描く漫画連載がスタートした
戦記物を得意とする氏の描くヤマトは、アニメのものとはまた違う雰囲気と迫力があった
なんかこう、情念的なものを感じる
冒険王にはアニメの情報も載っており、沖田艦長が物理学者でもあるという初期設定が
書かれていた 昭和49年の秋であった うちは親に宇宙戦艦ヤマト視聴禁止されてたなあ
戦争賛美の悪いアニメだから見ちゃ駄目って。
そもそも本放映の時に3歳だったし、ハイジを見てたようだけど覚えてない
999もヤマトみたいな[悪いアニメ]を作る人の漫画だから駄目って禁止されてた。
でも1983年かな?日テレでヤマトの再放送がやってて母親がパートから帰ってくるまでにコッソリみたら戦争賛美なんかじゃなくて驚いた。
ビーメラ星の話とか凄く考えさせられる話だったな。
雪を守るために自分の命を使うと言い切ったアナライザー。
真っ赤なドラム缶のようなあまりかっこよくないアナライザーがこのときはメチャかっこよく見えた。
体を張って雪を守ったのに……報われなくて泣いてしまった。
ヤマトで何度か泣かされたが多分あれが初泣きだろうな…… 「お猿の軍団」だな ハイジもやってて、裏番組が強力すぎたんよね まさか数十年後にファミリー劇場でヤマトとハイジが何回も放送されるとは思わなかったぜ 森が、アナライザーのスカートめくりを沖田艦長に抗議した!
沖田「そーゆークセは、直さなくても良い・・・」 年寄りの頭の固い人は、こうゆう作品は何でも「戦争賛美の作品」と見なすのよな
戦艦大和が出てくるだけで「戦争賛美だー!」と言われては作品が気の毒
まあ言ってみれば、戦艦大和というのはそれだけで日本人の心に大きく染みついているもの
その精神は日本の誇りでもあると思うが、どうしても玉砕、特攻などの間違った戦争の
イメージに結びつける人が多い
宇宙戦艦ヤマトが作られた頃は、まだ戦後10数年しか経っていなかった 戦争に対して
必要以上に敏感になる人がいても不思議ではない こういう作品が作られると、必ず
「戦争を肯定している、不謹慎だ」という意見が出てくる
それを乗り越えての作品であった 「スターウォーズ」以降、世界中がSFブームになってSFドラマが発展したけど、「ヤマト」その数年前にSFドラマとしてすでに完成している
「宇宙大作戦(スタートレック)」を参考にしたのか?スタッフの才能に驚かされる >>18
俺の親もそのひとりだったな。戦争は文化だというのに。ったく 第2話
ヤマトが出現ほやほやのため、動きがまだぎこちない
地面を割って現れたと思ったらいつの間にか空中に浮かんでる
あのシーンは、地上から岩塊を落としながら空中に浮遊する場面をヤマトの下方向から
丁寧に描いてほしかった おお〜〜、懐かしいなあヤマトか〜!確か原作はささきよしひろだったっけ?うろ覚えでスマン!! しかしヤマトのディテールはすごいな あの細かい部品がいっぱい付いてる上半部を
よくあれだけ描き込んだものだ 色もきれいで、日本軍艦色ではないブルーが混じった色
いわゆるヤマトカラー
船体色の調合と彩色は大変だったろう ヤマトと宇宙大作戦はちょっとスタンスの違う作品だと思う
共通してるのは宇宙船が出てきて未知の星を訪れる点ぐらい
個人的にはヤマトが参考にしたと思われるのは、昭和44年の東映の長編アニメ
「空飛ぶゆうれい船」かな
見かけはボロボロのゆうれい船が、実は内部は超近代メカで空も飛べるスーパーシップ
残骸戦艦大和の内部が実は最新鋭の宇宙戦艦ヤマトであるという点はイメージが共通
まあ事実は分からないが、ヒントぐらいは得たのではなかろうか >>24
>共通してるのは宇宙船が出てきて未知の星を訪れる点ぐらい
ぐらいじゃないだろ
大きな共通点だ >>24
船が空を飛ぶなんて斬新なアイデアはまさに西崎プロデューサーならではだね! 下品な、西崎星人と松本星人は、このスレッドには不用だ。
諸君。
沖田艦長が乗る空飛ぶ戦艦大和が、キラー博士と戦うという、『新戦艦大和』原作:梶原一騎の小説・漫画がヤマトよりも一昔前に発表されている。
ヤマトが、これのオマージュであることは、艦長と敵の名前を見れば明らかだ。
だからといってパクりではなく、昔からある空想軍艦モノのバトンを受け継いで発展させたのが、ヤマトなのだよ。 >>32
西崎先生がパクるわけないもんな。パクるのは松本のお家芸だしwww >>32
松本先生がパクるわけないもんな。パクるのは西崎のお家芸だしwwwwww 本作は、虫プロ商事と瑞鷹エンタープライズにも籍を置いていたオフィスアカデミーの
プロデューサー西崎義展が虫プロダクションの山本暎一に声をかけ1973年の初め頃に企画を
立ち上げた。
前2作(「海のトリトン」、「ワンサくん」)を商業的に失敗で終えた西崎はロバート・A・ハインラインの
「地球脱出」における「地球の危機的状況から脱出して宇宙に移住の地を求める」話に刺激を
受けた。これに豊田有恒やクリスタル・アート・スタジオ(スタジオぬえの前身)といったSF界の
人材が参加して練られたものである。
テレビアニメ草創期に虫プロでアニメの脚本を執筆していた豊田は、当時アニメ界から離れて
いたが、西崎と虫プロ出身である山本暎一の要請に応える形で参加した。 最初の企画案は、藤川桂介と豊田有恒が競合する形で創られた。
藤川案におけるタイトルは「宇宙戦艦コスモ(仮題)」。
一方、豊田案におけるタイトルは「アステロイド6」。『西遊記』を下敷きにして遠い異星に人類を
救う放射能除去装置を取りに行くという基本ストーリーで、この豊田案が提出用企画書の
原案となった。
当時の世相として、公害問題やオイルショックなど大規模な社会問題が頻発し、「ゴジラ対ヘドラ」や
「日本沈没』」「ノストラダムスの大予言」「漂流教室」など、1970年代前半には“滅亡”や
“公害”をテーマにした作品がブームとなっており[、放射能汚染による地球の滅亡と復活という
内容には、そうした公害と終末ブームという世相が企画当初から意識されていた。 豊田案の宇宙船は、小惑星そのものにエンジンを組み込んだもので、「岩石宇宙船イカルス」と
呼ばれていた。乗員も世界各国から集まる国連形式で構想され、名前や性格などの素案も
作成された。
その後、岩石宇宙船の内部に戦艦が内蔵された「アステロイドシップヤマト」なるアイデアに
変更された。いざという時には岩盤を砕いてアステロイドリングにするという設定の名残が
本編に見られる。
ここで初めて「ヤマト」という名称が出てくるね。初期設定の絵にある岩盤戦艦はこのあたりの
ものかと思われる。「岩盤戦艦」という呼称はなんかロマンティック。
「ふしぎの海のナディア」のNノーチラスは発掘戦艦と呼ばれていたな。 戦艦のデザインであるが、当初は「三笠」のイメージであった
そして「長門」に寄っていったが、長門ではネームバリューが低いことから「大和」でいいだろう、
という話になった。
デザインはクリスタル・アート・スタジオの松崎健一が行い、企画書に描いたのは背景監督の
槻間八郎だった。
「宇宙戦艦ミカサ」「宇宙戦艦ナガト」 う〜ん ふむ、つまり松本零士が関わるまでは「宇宙戦艦ヤマト」にはなってなかったというわけか >>41
松本はかなり後から参加したのでただのいちスタッフという立ち位置 その後、元虫プロの作家の石津嵐、脚本家の藤川桂介、イラストの斉藤和明、背景美術の
槻間八郎が加わり検討が繰り返された結果、敵はコンピュータからラジェンドラ星人に変わり、
放射能汚染された地球を救うためにヤマトが放射能除去装置を求めてイスカンダル星を
目指すという大筋が完成した。
ラジェンドラとの激戦や乗組員の反乱により、1年後に生きて地球に帰還するのは主人公の
「小竹忍」のみという内容で、この時点でワープ航法や波動砲といったヤマトを象徴する
ギミックも考案されている。
1973年夏の終わり頃までに「宇宙戦艦ヤマト」の名を冠した企画書が完成した。 1974年の4月頃になって、松本零士がデザインのスタッフとして参加依頼を受けた。
これは、設定制作の野崎欣宏の推薦によるものだった。すでに「宇宙戦艦ヤマト」のタイトルも
読売テレビでの放映も決定していた段階での参加だったが、結果的にキャラクターや個々の
ストーリー作りなど作品制作に深く関わるようになる。
松本は、上記の1973年の企画書にあったキャラクター設定・メカ設定を一新し、1974年5月21日に
基本ストーリーの初稿を執筆した。「ガミラス」という名称が初めて使われたのも、この稿である。 さらに監督を務める予定だった山本暎一が、他の仕事のため1974年6月末にヤマトから抜ける
ことになったことにより、松本が石黒昇のサポートを受けながら監督も務めた。
松本は、キャラクターやメカのデザインをするとともに、「新選組血風録」を元に若者の集団劇を
構成した。
一説では、「セクサロイド」に感銘した西崎が松本にデザイン監修を持ちかけたところ、「全てを
任せてもらえるのでなければ」といったん断られたが、上記のように山本が離脱したため、
西崎が松本の条件を受け入れることになったとされている。 宇宙戦艦ヤマトの誕生において、松本零士はけっこう深く関わったようだね まあでも、松本零士が参加しなかったら小竹忍やラジェンドラ星人なんかが出てくる
けったいな話の宇宙戦艦ヤマトになってたかもね 岩盤戦艦のまま映像化されたかも知れん >>53←松戸の自己紹介好きなチー牛無職童貞キチガイこどおじ母親寄生朝鮮人 >>50
今となっては、アナザーヤマト的にちょっと見てみたい気もするな、アステロイド6・・・
多分2202よりは良い作品になるだろうw >>47
制作に参加していた小沢さとるがヤマトに女性乗組員がいる事に反発し
作品を降りる時に西崎に松本零士を推薦したという話もあるね >>56
まあそんな適当な感じで松本は参加したわけだねw いてもいなくても一緒ww 君はバカかね?
いなかったら岩石ロケットラジエンドラなんだよwwww 企画原案総指揮総設定音楽指導監督原作 西崎義展先生
窓拭き 松本
わかんだね ほう、だったら松本零士が窓拭きをしていた証拠の写真を出せ。
出来なければ死ね。氏ねとかじゃなくて死ね。 企画原案総指揮総設定音楽指導監督原作 松本零士先生
山師 西崎
わかんだね 西崎はテレビ局へ企画を持ち込み、1974年8月に読売テレビに売り込むためのパイロット
フィルムが制作された。こうして「宇宙戦艦ヤマト」の放映枠は日本テレビ系の日曜19時半に
決まった。企画当初は虫プロでのアニメ制作が予定されていたが、虫プロは倒産し本作は
オフィス・アカデミーで企画製作を行うこととした。
なお、「宇宙戦艦ヤマト」の企画は西崎プロデューサーが在籍していた瑞鷹で行われ、
フジテレビ系の裏番組「アルプスの少女ハイジ」が瑞鷹の製作番組だったため、道義上の
問題から、別会社での製作になったのだという瑞鷹の高橋茂人の見解もある。
当初の企画書では全52話だったが、放送決定時には全39話に短縮された。 >>65
西崎先生はヤマト製作・放映で大変ご苦労なされた。にもかかわらず松本はずっと後からやってきてヤマト原作権をかっさらおうとした山師。わかんだね。 67←松本先生はヤマト製作・放映で大変ご苦労なされた。にもかかわらず西崎は最初から最後まで私物化した山師。わかんだね松原誠。 ヤマトの権利ネタ、特に著作権の話題になるとヒヨコが好んで使用する「原作権」というこの単語だが、
著作権法に原作権なんて言葉は存在しない。このへんがヒヨコの低能っぷりを示している >>75←ゴキブリ漫才師がブラックキャップ食べながらほざく 当時、第2話をリヤルタイムで観ることはできなかったが、録音を聴いて妄想はふくらんだ
宇宙戦艦ヤマトはどのやうに出現したのか
やっとそれを観ることができたのは翌年の再放送だった それはもう壮絶であった 当時、印象深かったキャラクターは沖田艦長
遊星爆弾が降り注ぐ地球の姿を嘆き、古代守ら部下を全員亡くし単独で帰還
ヤマトに人生の全てをかけ、ヤマト艦長として地球の危機に敢然と立ち上がる
ヤマト発進時のてきぱきとした指示がすごい 古代、島ら若い者にも配慮を
設定年齢は52歳らしいが、それにしてはちょと老けすぎてる・・・? >76←無能な松戸のバカドブネズミ芸人が殺鼠剤食べながらほざくw 岸辺露伴は動かない
バカ松本信者は働かない
わかんだね ヒヨコ戦艦はビデオ屋の雇われ店長(※ただのバイト)もまともに務まらなかったので
働かせて貰える場所がないんだよな
あったとしても初日でクビになるだろうけどwww 松原誠は動けない
バカ西崎信者は働けない
わかんだね松原 西崎義展をプロデューサーとし、監督は松本零士(絵コンテ・美術・設定デザインも担当)、
演出は石黒昇が担当。松本のキャラクター原案を元にしたキャラクターデザインは岡迫亘弘。
SF設定は豊田有恒。
スタッフの多くが虫プロダクション(旧虫プロ)の出身者により占められた。
山本暎一、藤川、宮川、石黒昇などのメインスタッフは前年の西アプロデュースの虫プロ作品
「ワンサくん」から続投である。 >>83
西崎先生を総大将とした完璧な布陣だ。松本は足引っ張ったけど 演出の石黒昇は、アニメに初参加だった監督の松本零士をサポートし、絵コンテを全てをチェック
して、西崎と松本のイメージを画面作りに反映する演出作業を行った。
石黒はSF好きということもあり、無重力での爆発などヤマト独特の爆発フォルムを産み出したり、
さまざまな自然現象のエフェクトアニメーションにも手腕をふるった。
作画面では、岡迫と芦田豊雄の虫プロ系と、小泉謙三のスタジオメイツと白土武の
タイガープロダクションと主に東映動画(現・東映アニメーション)の仕事を主にしていた
作画プロダクションに二分された。
そのため、作画監督によってキャラクターの顔が異なり、そのことは逆にアニメファンに
アニメーターの個性を認識させる一因となった。オープニングやバンクのヤマトの作画は
泉口薫が担当した。 絵柄の違いはキャラクターだけでなく、波動エンジンの描写や大きさなどの表現でも見られた
まあ個性の違う人たちが寄ってたかって作っていったという感じ満載で、それはそれでいい
ヤマト本体も描写が異なる絵柄があり、イメージの広がりを感じた >>84
西崎は公私混同して私物化して消されたけど >>87←ゴキブリ漫才師が壊死ニキのうんこ食べながら >>89←松戸のバカドブネズミ芸人が壊死ニキのうんこと殺鼠剤食べながら逝け >>90
ゴキブリ漫才師が壊死ニキのうんこ食べてご満悦w 構成と監修でクレジットされている映画監督の舛田利雄は、西崎プロデューサーに監督と
ストーリーの監修を依頼されたが、同時期に既に制作に入っていた東宝映画
「ノストラダムスの大予言」の仕事のため、企画会議に3度出席しただけで実際には
テレビシリーズには直接タッチしていない。
ただし劇場版作成においては監督となっている。 >>91←松戸の無職なバカドブネズミ芸人が壊死ニキのうんこ食べて大ご満悦歓喜ww 初期の企画担当者で基本設定を考案した豊田有恒は、裏番組の「猿の軍団」の原作者の
1人となったことから脚本は執筆せず、監修という立場でSF設定の助言をするにとどまった。
企画段階から参加して企画書をまとめた山本暎一は「宇宙戦艦ヤマト」のロゴをデザイン。
いったんは別の仕事の海外取材をしていたが、西崎プロデューサーの要請で復帰。
各話のラフを担当した上に脚本を執筆してヤマトを人間ドラマ中心にシフトさせた他、脚本と
絵コンテのチェックの役目を負った。 >>93←ゴキブリ漫才師は道端に落ちてるゲロをピザだと思ってありがたく食ってるキチガイ無職ww >>95←松戸の無職なバカドブネズミ芸人は道端に落ちてるゲロをピザだと思ってありがたく食ってるキチガイ無職道程の五十代な松原wwww
わかんだね >>96←壊死ニキにウインクして寄生しようとしてるゴキブリ漫才師www >>97←壊死ニキにウインク自己紹介して寄生しようとしてる松戸の永年無職童貞クズの松原ヒヨコwwwwww >>98←西崎先生のお墓参り行かない恩知らずのバカ松本信者www なお、監督についてはクレジットされていた松本零士ではなく、実質的には製作総指揮を
とっていた西崎義展だった。三共と東北新社のパチンコの訴訟で、東京地方裁判所は
各証拠に基づいて「本件映画の監督は、映画における表示では補助参加人P1とされていたが、
その制作に当たっての実質的な監督業務は、P2が行った」という「当裁判所の判断」を
下している。
松本自身も、著作者人格権裁判の後、2004年に西崎と交わした和解書で自身は「総設定・
美術・デザイン」の担当であり、「監督」は西崎であったことを確認している。 >>99←西崎の墓参りなんかに行くバカは松戸のバカ西崎信者松原誠ことヒヨコ戦艦だけwwwwww
西崎の墓に入れてもらえwwwwww ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています