0775名無しか・・・何もかも皆懐かしい
2019/01/23(水) 01:39:18.30ID:nsAD/pbuようなことを記憶がありますな。つまり、サンヨーのようなテレビ受信機を作って居るメー
カーにとってはカラー放送は(ほとんどの人には恩恵がなかったが)宣伝にはなった。
エノケン(だったか有名落語家だったか)が虫プロジャングル大帝の番組のCMで
「うちのテレビにゃ色が無い、となりのテレビにゃ色がある♪
あらま綺麗!と良くみたら、サンヨー、カラーテレビ♪」
というような歌をとぼけた感じで歌っていたりしたのですが、同じ社名が「サン」で
始まっていても「サンスター歯磨き株式会社(当時)」にとっては、カラーである
ことの意味などほぼなかったといえます。
Wikipediaの東京オリンピック(昭和)に関する記述では
>メディアでの昭和世相史に関する記事等で「東京オリンピックの時期にカラーテレビが普及した」
>という趣旨の記述が見られることがあるが、1966年(昭和41年)まではカラーテレビの普及率は
>1%未満であり、1968年メキシコシティーオリンピックが行なわれた1968年(昭和43年)
>の調査でも5.4%で、カラーテレビの普及率が白黒テレビを上回ったのは1973年(昭和48年)である。
東京オリンピック(昭和)1964年10月10日開会。
ジャングル大帝(虫プロ版)放送期間:1965年10月6日 - 1966年9月28日
新ジャングル大帝進めレオ! 放送期間:1966年10月5日 - 1967年3月29日
リボンの騎士の放送期間:1967年4月2日ー1968年4月7日(注:放送日はキー局のもの)
カラーテレビの普及率については、以下のWEBにグラフがあります。
https://honkawa2. sakura. ne.jp/2650.html (スペースは詰めて下さい)
これをみたら、普通ならカラー放送のスポンサーになんかなりませんよね。カラー製作だから
というのでジャングル大帝はモノクロの3倍の値段をふっかけて成功していたのですが(実際
にはカラーだからといって全体で3倍の金が製作に掛かるわけではなかった)。ジャングル大帝
の公称の製作費として虫プロが受け取っていたお金は1本が250万円から300万円ぐらいだった
と思います。そのうち破格の4分の1から3分の1が音楽の製作費に当てられていました。