技師と結婚したら、技師玉の輿やね。
ちなみにその後を説明すると
当然のことながら、ペリーヌさんはパンダボアヌ工場の跡継ぎになる。
1900年前半、パンダボワヌ工場の評価がパリで高評価を得て、一気に仕事量が倍増し、その影響でマロクールの人口は昔より倍に増えた。
やはり工場の仕事を求めて田舎であるマロクールに人がどっと押し寄せた説も考えらるもよう


1914年に第一次世界大戦が発生し、パンダボワヌ工場は危険にさらされたのでは?
と思うかもしれない。だが織物工業の業界では、織物は戦争の特需品とされ、パンダボワヌ工場は戦争のお蔭で大儲け

いわばこの時代がペリーヌ社長の一番の絶頂期。
大金持ち街道まっしぐらの彼女だったが、彼女に贅沢の趣味はないので、慎ましく広いお屋敷で
暮らしていた。
しかし第一次世界大戦が終わるとパンダボワヌ工場の生産量は一気に減っていき、潰れることはなくても事業の縮小は大なり小なりあった模様。

そして第二次世界大戦が発生。パンダボワヌ工場の作業の需要はどんどん減るばかりで、高齢になったペリーヌも社長の座を降りる。
やはり一度は幸せに輝いたペリーヌだったが、戦争によってまた苦労を強いられた。
その後ハンダボアヌ家の遠縁の親戚が後を継いだが、やはり傾きかけた工場の、挽回は不可能だった様で、75〜80年代ごろに100年以上続いたパンダボアヌ工場はとうとう幕を下ろした。
ちなみに、潰れた時の規模は、ビルフラン社長の時は7000人、ペリーヌ社長の時は15000人だったのに対しわずか500人に減ってた。