そもそもエドモン氏は、なぜフランスへの帰国を思い立ったのだろうか。
別段、お金に困っていた訳でもなく、十年以上もインドで暮らしているのにね。
妻子にとってフランスって、縁の薄い異国にしか過ぎないのだから、インドに骨を埋めたって構わなかった筈だ。
或いは、インドで失業した時点で帰国してもいい筈なのに、長らくインドに留まったのはなぜなのか。

https://youtu.be/VHTMQZxlw68?t=222
> 息子を離そうともしない。それは、あの女が引き止めているからだ。浅ましい女め//

社長、それは違うと思います。マリさんだけではなく、
インドの自然、文化風物諸々のすべてが、ご子息を引き止めていたのではないでしょうか。
旅行記等を愛読されていた社長にも、思い当たる節があるのではありませんか。

そういう欧州人って、古来より数多くいます。
社長が後半の主役を張ったペリーヌ物語放映の翌年には、
有名どころがアニメ化されています https://www.youtube.com/watch?v=7JY7PCbLqV8
https://search.yahoo.co.jp/video/search?ei=UTF-8&;p=%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%BB%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%81%AE%E5%86%92%E9%99%BA

マルコポーロは皇女を伴いシルクロードを辿り、イル汗国を経てイタリアに帰国しています。
エドモン氏は何故か、ヒマラヤ山中チベット国境デラの町に滞在していたようです。
おそらくはデヘラードゥーン(英語: Dehradun)の事でしょう。英文ウィキには、
「During the days of British Raj, the official name of the town was Dehra」の記載があります。
文明の十字路とも称されるカイバル峠からも近そうです。
更には近世にては、インドと中国の国境紛争地域でもあった様です。

ついでエドモン氏の消息が語られるのはスエズです。
(続く)