>>621 > ユーゴの田舎の貧農の人とどうやって会話ができるんだ?//
  英語と仏語が分かれば何とかなったんでわ。

> ハイジは同じドイツ語圏の移動だから問題ないし//
  ハプスブルグさんちの縄張りっぽい所では、独語が役に立ったのかもだ。
テオドールさんでも独語はやってたらしいし、モンブールさんの英語並みだったかもだが。

欧州って、集落ごとで言語が異なってたりすると聞き及ぶんで、コミュニイケ取るために、
メジャーな言語が話せる便利屋みたいな人って、村に何人かいたんじゃないかな、なんて思う。
旅行者が機材、現像液なんかを買いに行く大手の商店とか、旅行者と接する機会の多そうな、宿屋の主人とか。
補足
>>588
> フランス帰国を思い立ったのは、むしろ、10年間のナリワイで元手が出来たから、ではなかろうか//

江戸門氏はお金だけの事ではなく、道中の言語のことも考えて、妻子に独語も教え込んでたとか。
自分はnative って程ではない英語で遣り取りする妻子には忸怩たるモンがあって、
独語を教えてやろう、勉強に遅すぎるはないんだよ、とか何とか云って。

> スエズでの損害も、証券投資による損失を被った、という事。投資と博打は違うし。
「わしには分かるというような身振り」も、散財癖のためだろう、というのではなく、輸出入にも携わる事業家として、
当時のスエズ運河の利権を巡る当時の、イギリスの暗躍を思い起こしての諒解だったのではなかろうか。
投資なんか出来たのも余裕があったからであり、反帝国主義、反英的な義憤もあったように思われる//

子息エドモン氏の証券投資の対象としては、こんなんを想定してる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%A8%E3%82%BA%E9%81%8B%E6%B2%B3
> スエズ運河・・・
(続く)