母をたずねて三千里 第8話 [無断転載禁止]©2ch.net
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>>706
劇場版より20分ほど短いが編集の仕方は完結版の方が良かったな
完結版>劇場版>>>MARCO >>707
劇場版のナレはマルコ自身が過去を振り返る体(これは高畑監督の意見が反映された可能性あり)
でもナレ自体が少な過ぎて過去を振り返っているという感じが足りない
シーンの繋がりも唐突に感じてあまり上手い編集だと思えない
コアなファンは新規アフレコのためだけに見てもいいかも
完結版はよくある神視点のナレで要所要所で細かく挿入されるから分かり易い
MARCOが一番ダメなのは同感 完結版か。
随分前に一回見たっきりだけど、
最終回のフィオリーナがアンナに抱かれるシーンをカットしてたはず。
フィオリーナ側の締めに絶対必要なシーンだと思うんだけど。 >>711
それは1980年の劇場版でも同じで
ブエノスでフィオリーナと再会する一連のシーンごとバッサリカット
大事に思うシーンって視聴者側と編集スタッフとの間にズレがあるのかもね 短くまとめようとするとフィオリーナの重要さも霞んでしまうのだろう >>712
それはあるかも。ラスト1人旅では夜の林を歩く印象的なシーンも無かった。
完結版だけじゃなく>>696を読むと劇場版も無賃乗車からワープしたり、ばあさまをカットしたり編集に苦労してるようだ。 完結版の乞食発言のカットは時代的に仕方ないのだが
その後の乞食リフレインとグニャリと歪む街並を走るマルコも当然カットせざるを得ない
このためマルコの絶望感とフェデリコに会えた安堵感が弱くて
ここが弱いからイタリアの星の感動も弱くなる
せめて仕事を探して奔走、金持ちからの施し、歩いて行くという絶望的な決心は使うべきだったな ジェノバで父と兄に再会するシーンも全部カットだぞ
むしろこっちの方が酷くね? ぼくは医者なんかになりたくない!皆を踏みつけにする仕事なんか大っ嫌いだ! もう僕のジャマをしないで!ジャマしないで向こうへ行ってよ! ほんとナレーションって便利だな
完結版を見てあらためて思ったわ 確かに便利だが使い方が気に入らない箇所もある
たとえばパブロとの出会いで殴り合いのケンカを全カットする代わりに
「マルコとパブロの友情の始まりです」とかナレーションに言わせてる
本編にある「俺にはあんな大金は返せないからありがとうって言うしかない」を全カットして
ナレーションが「マルコのためならどんなことだってやるんだ」とか代弁してる
EDに演出:楠葉とあったのでこの人らしい演出だわと納得した >「マルコとパブロの友情の始まりです」
こういうの言葉にしちゃうのが楠葉的、ロミオチックだな バカだよ!こんなケガしてまだ働くなんて大バカだよ! >>704
魔女宅の街はまんまジェノバだったな
ロケハンして気に入ったんだろう >>727
スウェーデンと特定はしていない
クロアチアのドゥブロブニク(世界遺産)とも言われているぞ 高畑勲(FILM1-24 1977年)
原作に対するアプローチの仕方については「ハイジ」と「三千里」とは基本的には変えるつもりはなかった。
「ハイジ」に対して近づいたのと同じ態度で「三千里」に近づいたんだけど「ハイジ」の時の様にうまくいかなかったですね。
(中略)とにかくふくらませていくとウソが目立つようなところが一杯あるんですよ。それでまいっちまった。
人物像がある程度出来上がると、自然にその人物が頭の中で動きだすんだけど、「三千里」の場合、それを追っていくと原作からはずれてしまう。
それにマルコの年齢感と行動のギャップなんてこともあったなあ、まあそれやこれやでうまくいかなかったんじゃないかしら。
(中略)やってる事も「ハイジ」の方が単純だったと思う。いろんな技術的な面で「ハイジ」の方が単純だったけど、単純ながら効果が出るという要素があった。
「三千里」は効果の事は差置くとして複雑で僕としては難しかったですね。 小田部羊一(FILM1-24 1977年)
(アメデオについて)もともとは、あれね、スポンサーじゃないかな。(中略)夏場にね、視聴率が落ちる頃に。懸賞を出したら、視聴率が伸びたんだって。
で、ハイジの時にヨーゼフを出したでしょ。そうしたらずっと伸びたんだって。で、フランダースもやって。
そうしたらね、今度むこうは、小さいね、手頃なプレゼントで、ダッコちゃんみたいなのを出したいって言ってきたの。
(アンナについて)あれはね、僕がいろんなの描いたでしょ、パクさんの意見が多いの。お母さんはすごいボリュームあるんじゃないかと。
(中略)普通だったら、お母さんていうと、きれいだとか、優しいとか、普通はほっそりした女の人を思い浮かべるでしょ。
それをパクさんがすごくデブなんじゃないかって。これは頷けたね 小田部羊一(FILM1-24 1977年)
(コンチェッタについて)コンチェッタなんか、もっと本当は出せたんだよね。パクさんも言ってた。設計図なんか描いたけど、わざと下着姿とかさ。
(中略)もっとバイタリディがあるとかさ、きれいなだけじゃなくて、生活のにおいがするのが出るでしょ。芸人のなにかね。
(フィオリーナについて)フィオリーナもちょっと難しいんだよね、あれ。あれで成功したかどうかはわからない。
(中略)あれは最初の出会いに重きを置いちゃったきらいはあるね。(中略)何か謎めいた人物だった。
ところがその謎がとけちゃうとつまんない人物になっちゃってね。 宮崎駿(FILM1-24 1977年)
つらかったですねえ。こんなつらい思いをしたのは初めてですね。空前絶後のつらさです。同じことなんですねパクさんたちと。
やっぱりハイジ終ったときにもう壁に来たなって感じたんですね。
(中略)それをだからパンダでやってみてそれから、ハイジでやってみて、それでその時ピッピでやろうと思ってたテーマは全て使い果たしたんですよね。
それでただ、次のテーマはってとこでね、次のテーマが出ない内にやったから三千里は「サンザンリ」になっちゃった。
そういう意味じゃテーマ喪失って意味じゃね、そっちの方向には俺はもう行きたいとは全然思わないですよね。
ムチャな話ですよ。よその国行って、一週間や十日見てね、ああ屋根の恰好はこうなってんのか、壁はこうかってね、帰って来てソレを絵にしてってわけでしょ。
(中略)もっと何か自分の心の中でこう熟睡してきた映像があって、ソレを画面にしたいっていう気持ちがある。
だから設定ってことに限定すればね、僕なんかパンダが楽しかったってのは、自分の子供時代に見てた世界全部思い浮かべてやってるからなんでしすよ。 深沢一夫(単LD第7集1991年)
パクさんが僕に脚本の話を持ってきたのは、そこです。僕は横浜の下町で育って、長屋育ちだし、自伝ぽい本を書いたこともあって彼はそれを読んでたんでしょう。
僕が引き受けたのはジェノバは港の町なんだというパクさんの説得力です。
(中略)もう一つ、日常生活を描きたい。その二つがパクさんの話でした。
(中略)フィオリーナには、作者としてとても愛情があります。マルコに対して、友情じゃなく、もっと友情と違う気持ちが燃えあがっている。
萌えいずる恋愛感情を持たせたい、それを表現したいという狙いはありました。
(中略)フアナはマルコの心にやきつくような少女でありたい。
トウモロコシの人形のアイデアは宮崎さんが出したんですよ、何かで彼女を描けないかと言ってたら。
飴玉を日にかざして見て、それから食べる女の子はいつか書こうと思っていました。
キラキラしたうれしさを、太陽そのものを頬張っちゃうそんな感性を持つ女の子。 高畑勲(LDメモリアルボックス1997年)
安心して、というのは成功のキーワードだと僕は思っているんですよ。さっきの「股旅物」は安心してヒロイズムにエールを送ればいいですよね。
逆に可哀想な方はですね、安心して涙が流せるわけです。だからこそ「フランダースの犬」は成功したんですよね。
(中略)この作品で描きたいと思ったのは、必ずしも安心して観ることのできるような子供の姿ではなくて、現実的な姿だったんです。
だから、マルコがかわいくないと言う人はいっぱいいました。でも僕らとしては、そのかわいくない所も含めて見せたつもりなんですよ、意識的に。
(中略)向こうは日本と違って空気が澄んでますから。陽射しはそれこそ本当に強烈です。
(中略)あと何より、椋尾さんがそういうはっきりしたものを描く時期だったんですね。そういった意味では、椋尾さんの持ち味を十分に出している作品になったと思いますよ。 深沢一夫(LDメモリアルボックス1997年)
多摩川べりの旅館に一緒に泊まり込んで準備稿を練った時なんか、僕とパクさんが論争して、嫌な喧嘩をしていると、
宮さんがその様子を横でぱっぱっと描いて見せてくれるんです。それが面白いんですよ。そんなのも「三千里」の中で使いましたから。
父親がマルコをアルゼンチンへ行かせるか行かせないかと論争するシーンですが、ここはあの多摩川べりでいこうとか言って。
(中略)スタジオへ行っている分には面白かったですね。宮さんとか小田部さんとか色々しゃべったり。
宮さんなんかは不思議に思ったらしいですけど、雑談が終わると僕とパクさんは隣の部屋に行くんですが、
二人が話をしていてもほとんど笑っているだけなんです。駄目だ、こりゃ上手くいかないよ、って。
どうしてこんなスケジュールの中であんな風に笑えるのかって宮さんに聞かれましたから。
(中略)主題歌に関しては、スポンサーだった会社の社長に勝手に直されてしまって…。
(中略)僕が「悲しみ染まって」と書いたところを「あてもなくさまよい」とか全く下らないフレーズに変えて。
僕や、嫌だ、それなら辞める、って言い張ったんですが、宮さんが「深沢さん、辞めるときは全員で辞めよう」と言いまして(笑)。 小田部羊一(LDメモリアルボックス1997年)
キャラクターデザインなんていう名前は今でこそ浸透しているけど、「ハイジ」で僕が初めてクレジットされたんですよ。
その名前はパクさんが作ってくれたんだと思っているんです。
(中略)絵の原作がないまったくオリジナルなキャラクターを創ったわけですから、それを認めてくれたのでしょう。
「場面設定」なんていうのもパクさんが作ったんです。
ほんとは構図とか動きや演技までタッチする仕事ですよね。(中略)原画が上がった段階で今度はパクさんの演出チェックが入るんです。
(中略)それで僕のところに回ってくるのですけど、その時にね、演出の指示が鬼のように入ってくるんですよ。
やれこの動きはどうしてくれとか、これはこうこうであるからこのようになるのであるとかね。
(中略)だから僕がやる仕事では、顔直しだけなんて事はしなかったですけどね。 松土隆二(LDメモリアルボックス1997年)
マルコはオレンジ色の上着を着ていたと思うのですけど、あんな派手な上着なんてね、考えると不思議ですよね。
緑の上着も検討したんですけど、アルゼンチンに行って草原を歩いたりしていると、色が溶け込んじゃうんですよね。
だからオレンジ色の上着にしたんですよね。
(中略)8月の夏休みの時に11%くらいまで視聴率が落ちた事があったんですよ。
(中略)それで高畑さんが電通に呼ばれて、どうして視聴率が落ちたんだなんて、いろいろ言われたらしいんですけど、
高畑さんも色々反論とか自分の考えをお述べになったりしたそうです。
後で電通で、視聴率が落ちている割には態度がでかいなんて言われたとか言われなかったとかって噂を聞きましたけどね(笑)。
(中略)最初のイタリアの所はすごかったですね。(中略)あれはやっぱり宮崎さんのレイアウトもすごかったですけど、
それについていった椋尾さんもすごかった。椋尾さんは毎回こんな風で大変なんだって愚痴ばかりいってましたね。
レイアウトがあれだけ描き込んでありましたから背景さん泣かせなところも多々ありましたよね。 宮崎駿(LDメモリアルボックス1997年)
(イタリアの同郷意識の強さについて)それはパクさんの教養のなせる技だと思う。僕はもう途中でうんざりしてしまって。
マルコが山賊の手下か何かになって、馬に乗って真っ赤な夕陽をバックにフィオリーナに駆け寄りひっしと抱き合う、
それぐらいの話をやってくれと言うんだけれども、もちろん採用にはならず(笑)。
(中略)深沢さんのリアリズムは、例えばスリなんかにお金を捕られちゃう話にしても、
その後でスリからお金を取り戻すといった様な話をパクさんが作ろうとすると、深沢さん「うん」と言わないんだよね。
(中略)パクさんの方でまだ少しは希望がある様に描きたいと思っていても、深沢さんの戦後体験はそこら辺の一線を受け入れられないのね。
(中略)300カットは無かった。280とかぐらいで。それも同ポジが多かったから、レイアウトは220くらいだったと思う。
(中略)大変だよ!もう。今思い出しても腹が立つ。背景だけじゃなくて人間の動きもラフで随分入れてたんだから。 宮崎駿(LDメモリアルボックス1997年)
最初に作ったのは2話なんだけど、作っている内にこれはやっぱり1話を作った方がいいなという事になって。
だから最初に出来たのは2話だった訳。でもそのラッシュを観た時、悲しかったね。こんなもの作っちゃってどうするんだろって。
他のスタッフは喜んでたけど、パクさんと僕だけは打ち拉がれてね、これ、あと51本作るんだぞ、オバケを作ってしまったな、と。
(中略)だから終わるときは大体誰とも口聞かなかったよね。小田部さんとも口聞かないし、パクさんとも聞かない。
(中略)これはヤバイって。で、その後1年半くらいパクさんと会わなかったよ。本当に精神的にまいったね。
俺はアニメーション辞めなきゃ駄目だなと思ったから。
(中略)床に寝て、這い上がってレイアウトやって。ぎりぎりに来た絵コンテをすぐ翌日には入れられるようにしなければならないでしょ。
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ZCR1R こいつ心配するじゃないか。なぜもっと早く出てこないんだ! そんなことじゃないよ!今日はどこにも行きたくないんだ! セリフ書いてる人さ
もういっそのこと1話から52話全部台本文字起こしやってブログにでもうpしてよ
その方が有意義だとは思わんかね お母さんを助けに行かないで2か月も僕はこの町で遊んでるの? シリーズで一番の名作「ペリーヌ物語」のスレにレベルの高い名劇ファン登場
983名無しか・・・何もかも皆懐かしい2018/01/20(土) 09:57:05.62ID:???
ネタバレを書くなとまでは言わないまでも初見の人がいるのを分かっていながら数話先の展開をわざわざ書く必要はあるまい 名劇一の傑作「ペリーヌ物語」スレには他全作品のヲタが指針とすべき意見が溢れている
47名無しか・・・何もかも皆懐かしい2018/01/21(日) 02:45:10.86ID:???
普段過疎ってる時は感想なんて殆ど書かれないのに、再放送が始まって人が増えその日の感想が書かれている時に、わざわざ先の展開を書く必要は無かろう。
感想を書きたいなら普段過疎ってる時なこそバンバン書けばいい。 ペリーヌ大絶賛するペリーヌヲタの認識には目を見張るものがある
89名無しか・・・何もかも皆懐かしい2018/01/21(日) 19:15:05.11ID:???>>94
>>84
しかしペリーヌは確かにクオリティは高い
個別でいうとパヤオのマルコやハイジには勝てないが、あれはパヤオが別格の神過ぎるから仕方ない
それ抜きにしたらストーリーとしては一番面白い部類かも
というか、名劇の全ての要素が詰まってるからなw >>758
再放送なんて一部地域でしかないわけで。
自分の所では再放送していないのに、
している地域のことを忖度して、
作品の展開にからむ感想を書かない。
こんなバカなことはしない。 名劇最高傑作ペリーヌヲタは宮崎駿ヲタでもあり、駿テイストとやらを実に正しく理解しているw
89名無しか・・・何もかも皆懐かしい2018/01/21(日) 19:15:05.11ID:???
>>84
しかしペリーヌは確かにクオリティは高い
個別でいうとパヤオのマルコやハイジには勝てないが、あれはパヤオが別格の神過ぎるから仕方ない
それ抜きにしたらストーリーとしては一番面白い部類かも
というか、名劇の全ての要素が詰まってるからなw
108名無しか・・・何もかも皆懐かしい2018/01/22(月) 11:26:55.64ID:???
>>94
パヤオ脚本ノータッチ?
マジで?その割には宮崎カラーが強く出てる作風なのにな
フィオとかまんま宮崎ヒロインの原点だし
ま、影響受けたってことかもしれないが
140名無しか・・・何もかも皆懐かしい2018/01/22(月) 21:41:54.40ID:???
>>119
でも結果的に母を訪ねて三千里は宮崎駿テイストになってる
少なくともそれが後世の作品に反映されてる
未来少年コナンのダイスとかキャラも声優まで一緒だろ?w 違うんです!分かっていなかったのは僕だけだったんです 僕を助けてくれたんだ!ペッピーノさんは!僕を助けて! ペリーヌスレのレベルが高いファンはさすがジブリ作品にも精通している。他ヲタも見習え。
228名無しか・・・何もかも皆懐かしい2018/01/24(水) 15:53:59.56ID:???>>229>>230
>>144
ジブリフリークだから未来少年コナンも20年以上前に見てるし
三千里も去年辺り見た
絵柄も同じだし、テイストも間違いなく宮崎駿だよ
あの街の感じなんてまんまラピュタのパズーがいた街みたいな感じじゃん
ペッピーノのキャラもまんまダイスだし
モンスリーみたいなキャラも出てきた
宮崎駿が脚本ノータッチなら、宮崎駿は高畑勲からめちゃくちゃ影響受けてるってことだな
ちょうど深海が宮崎駿からめちゃくちゃ影響受けたようなもんかw
234名無しか・・・何もかも皆懐かしい2018/01/24(水) 18:27:07.93ID:???
>>229
ストーリーというよりもキャラの作り方や世界観が影響受けてるってこと
キャラクターなんてタッチからそのまんまだし 母さんは死んだのかもしれない!ほかには考えようがないんだ!
いくら捜したって母さんはもう居やしない!僕は何かに呪われてるんだ! 一回で十分な他作品ヲタは哀れだなw
371名無しか・・・何もかも皆懐かしい2018/02/03(土) 06:32:56.47ID:???>>372
他のは一回で十分だけど、ペリーヌだけは再放送する度に見てしまう
何度見ても飽きない不思議な作品だな 伸びてるのかなと思ったら、荒れてるのね。
今久しぶりに見直してて、誰しも認める7話ももちろん良いのだが、8話が良いなあ。次は確か陰険マルコが見れるんだったか。 秋ごろから年末までのペースが異様に早かっただけ
前スレも前々スレも2年かけて埋まる程度だったのに あと文句は書き込むが内容については自分から書き込まず他人の書き込みを待つだけの>>779みたいな輩。 .
/ ̄\
.| |
/\_+_/\ 知性と品格が劣る者よりスレが荒れております。
|_l | l_| ご利用の皆様には大変ご迷惑を
ヽ.|=ロ=|/ おかけしております。
.|_|_|
(_|_) >>725 補足
> 社長が後半の主役を張ったペリーヌ物語放映の翌年には、有名どころがアニメ化されています//
フビライがマルコポーロを取り立てる場面の回想シーン。https://youtu.be/rrvfOP3NeDo?t=180
> ワシの目になって欲しいのだ。御前なら出来よう//
ペリーヌを秘書として取り立てるシーン。https://youtu.be/nxH2-hM_AfA?t=618
> 目の代わりに見てくれて、それをワシに説明してくれる役を頼みたい・・・
御前なら出来ると睨んだから御前を呼んだんだ//
どうも、前年のアニメを意識しての脚本にも思える。
アニメでは設定変更もあるが、変更したなりに原作でのエピソードを尊重している。
原作訳出本での相同記載。
▼
わしは病気で盲目になってからというもの、誰かわしの代わりに見てくれ、
わしの指すものを眺めてくれ、著しいものを説明してくれるそういう人が欲しいのじゃ・・・
始めのうち月に九十フランやろう、それから、わしはたぶんお前に満足すると思うが、そうしたら賞与もやる。
▲
「お前に満足すると思う」を、「御前なら出来よう」としたのは、アニメでのオリジナルとも言えるが、
翌年作品でも意識される程の出来栄えだった、とも言えそうだ。
なお、マルコ・ポーロうぃきには、こんな記載もある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%BB%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AD
> マルコはイタリア語の他に、フランス語、トルコ語、モンゴル語、中国語の4言語に通じ、
一行はクビライにとって有用な知識や経験を数多く持っていたこともあり、マルコの役人登用は不自然ではない// 誰かセーラの新スレを立ててください。。。 (−人−) DVD1巻の解説に『旅に出た9歳の少年の2年間にわたる物語です』とあって
ライナーには『辛い現実の2年間であったのか?』とあるから
これだと旅が2年間だと読めるよね
でも全話見ても2年間も旅したようには見えないし実際の設定はどうなってるんだろ ジェノバからアルゼンチン、アルゼンチンうろうろ
メキーネス邸、アルゼンチンからジェノバ、
全部でも2年はないな 過去レスによると>>183で旅に出るまで3か月、>>495で旅自体が6か月で合計9か月。
最終話について過去スレッドで見当つけてる書き込みがあって
手紙の往復がジェノバまで1カ月、ジェノバから1カ月、帰路が汽車+立ち寄り+船旅で最低1ヶ月、合計4カ月。
1話〜2話の1年を足してトータル2年間。
年齢は1話が9歳、2話が10歳、最終回が11歳なのか、
2話が9歳で最終回が10歳なのかは分からないけど名劇屈指のチビ助だよな。 |┃≡
|┃≡
ガラッ!|┃彡⌒ ミ
.______|┃ ・ω・)<アメリア出て来いやー
| と l,)
______.|┃ノーJ_
|┃
|┃ミ
|┃ ) ぷりっ!
.______|⊂ \
|┃_)_)
______.|┃J J ミ● へへへっ 世界名作劇場三千里グッズをおいてけよ
けがしないで すむぜ
はい おいていきます
ざけんじゃねえよ→エンカウント ペッピ−ノ一座で踊るアメディオは可愛いよ!
<⌒/ヽ-、__
/<_/_______//
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 三千里は最高の作品でした
監督監督ありがとうございました ニュースで知って正直なところ結構ショック受けてる
三千里がシリーズ一番の名作だと思ってる
かぐや姫の次の作品をどこか期待してた マルコは名作劇場で唯一のS級だよ
アンもトムもラスカルもペリーヌもA級だけど
どこにも欠点がない完璧な完成度がマルコにはあると思う >>799
フランダースで離れかけた私を引き留めたのはマルコだった ハイジも好きだがやっぱり一番はこれだった
ありがとう安らかに
蛍の墓より三千里の一挙放送を
って去年やったばかりだから無理か 劇場版はキャラの顔つきがちょっとでも変わると感動しなくなるんじゃないか。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています