母をたずねて三千里 第8話 [無断転載禁止]©2ch.net
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パブロとフアナのあれは
汽車が通り去る一瞬ってシチュエーションをやりたかっただけだと思うわ
わざわざ事前に通過時間まで連絡するほどの手間をかけるくせに
途中下車は拒むとか無いわ 上の方でマルコの旅の日数について書き込みがあるけど
双葉社オフィシャルガイドでは2年かけて母に会う、
メモリアルブックではジェノバに帰って来るまで半年になってる
はっきりしないな 2年ってのはジェノバ編でトニオが2年で機関士になるってセリフからじゃないかな
これはもう必ずしも全員が2年必要なわけではない設定なのだと考えるしかない LD7巻ジャケット絵のマルコの表情いいな
本編だと笑顔だったけどフィオリーナの気持ちを思い図るマルコならジャケ絵表情の方がいい LDもDVDも小田部さんのイラストがいい
ペリーヌ・トム・ルーシーとか関さんのイラストがいい
アンは近藤さんのイラストがいい
でも佐藤好春の作品はたいがいデッサン狂っている
これら中で一番本放送からの期間が短いはずなのに劣化が激しい人だった しかし小田部さんの描くマルコはいかに言うてもチビ過ぎる
あれじゃ幼稚園児だ 母さんと別れた時のマルコみたいにかな?
誰かさんみたいに寂しがってメソメソしちゃダメだぞ この寂しがり屋のマルコ兄さんが一人じゃ嫌だってぐずるんじゃないのかな 母さんはこう言ってるんだよ。トニオ、心配せずにお行き。母さんはいつでもどこからでもお前を見ている・・・ 福井のジブリのレイアウト展にいったが三千里は一番見たかった船のレイアウトが少ししかなくて残念
名作劇場展も行かないと補完できないのか けどアメディオ・・・疲れたよ・・・働くって大変なことなんだね >>668
そういうのって資料集とかにも似たようなコンテ絵が載ってるけど
本物(直筆)を見るとやっぱり違う感動があるものなの? 船のレイアウトだと宮崎駿が波の動くパターンも自分で描いて原画マンに渡してたんだと >>673
背景のレイアウトに人物も入れて動きまで作ってたから、実際はすごい枚数だったらしいな。 >>673
「俺は原画もやってたようなものだ」って言ってたやつだよね >>672
三千里では無かったけどナウシカとかラピュタとか初期ジブリのレイアウトは紙に硬いもので擦って線を刻みつけたような跡がついててそんなものは印刷じゃ現れないね。
現物みないとわからない。 >>675
そういうの疎いからwiki調べてみると
今は原画マンがレイアウトを作成するのが主流で
宮崎駿(ハイジ)が走りと書いてあった 「映画を作りながら考えたこと」という文庫を買ったら
>>80でアップしてくれた月刊アニメーションとニュータイプ別冊の高畑勲インタビューが載ってたよ
あと4人で行ったロケハン決算報告が載ってて笑ったw
1975年の22日間で約118万だとさ >>675
そう、それでスタッフに原画のやり方を教えたらコナンやカリオストロの中心メンバーになったと言っていた
そのころは後進を育てていたんだなあと >>678
一人一日宿代込みで13000円って
当時の物価よく知らんけど1$=250円
位だと思ったから相当安宿泊まったのか
当然航空券は含まないんだよね >>680
1ドル300円と書いてあるのと確かに飛行機代は入ってない
ホテル4人で例えばローマ92ドル、ジェノバ225ドル、ツクマン42ドル、ブエノス157ドル
安宿と安食堂で庶民の旅や生活を知ったとか
>>679
そこまでしたのに本人は三千里というアニメ自体は褒めないのが何ともw >>669
未来少年コナン23話で銃弾に倒れたモンスリーがダイスに
「船の事はあなたが一番だわ。しっかりね」(このとき既にダイスに惚れてた?)
って宮崎駿が自分に向けたセリフだったのかな
リベットだらけ戦車や飛行機が取り沙汰されがちだが帆船もいいよね
>>681
ジェノバとブエノスが飛び抜けているけど2泊分? いまだCD未収録の2曲
草原で日の出と共に流れた曲&カルロスのギター。
LDは右音声が音楽と効果音のみだから波形編集しようと思ったけど
このシーンはやっぱりセリフも一緒になっててダメだった。
これが出来るならとっくにCDに入れてるよな。 へへへっ 世界名作劇場三千里グッズをおいてけよ
けがしないで すむぜ
はい おいていきます
ざけんじゃねえよ→エンカウント >>682
ブエノス1泊2日113ドル(高すぎるので別ホテルへ)→1泊2日30ドル
→サルタ3泊4日36ドル(オンボロホテルだった)→ツクマン2泊3日42ドル
→コルドバ1泊2日48ドル→ブエノス2泊3日157ドル
→ローマ2泊3日92ドル→ジェノバ4泊5日225ドル
→ロンドン1泊2日高畑兄宅→東京
昔LDや雑誌インタビューで読んだ椋尾篁留置場、宮崎駿アンデス捻挫が淡々と報告されてて面白かった DVDボックス買ったけどライナーノーツ類がまったく無かった
単体DVD持ってる人いたら何か興味深いこと書いてあった? アンネットのDVD持ってるけどスタッフインタビューがちょこちょこ封入されてる。
でも三千里は単体で資料集もあるし色んな本で監督が答えてるから、
目新しい情報はそんなにない気がする。 1980年の劇場版初めて見たけどやはり無理があったなあ
完結編の方はどうなのか興味ある >>689
1時間半ぐらいか?ずいぶん端折ってそうだな。 僕がいなかったらとっても1日じゃ済やしないよ。ね、お父さん、そうでしょ? >>690
マルコの悲しんで立ち直って、出会って別れて、追い詰められて立ち直っての繰り返しが
矢継ぎ早に垂れ流されてる感じで一つ一つの出来事に余韻を感じる間も無い ジェノバ編は日常生活の風景、父とのケンカと和解、フィオリーナの初舞台、エミリオは全カット
それでも30分使ってるので残り1時間
船旅は父への手紙をナレーション代わりにして終わり
スリに会ってフィオリーナに再会したら、ロハス屋敷、教会、ボーカは全カットでバイアブランカへ
馬車旅はフィオリーナとの夜会話のみ、後はナレーションの間に回想シーンとして流して終わり
バイアブランカ到着直後にエステロンに会うと駅へ行って「アンナはコルドバに居る」と教わる
エステロンからバリエントス宛ての紹介状を貰ってフィオリーナと別れてロサリオへ直行
ここまでで残りあと30分 乞食発言からイタリアの星、コルドバでパブロとケンカ、メキーネスに汽車賃もらってフアナを助ける
フォスコ、ロハス夫人、マリオと船長、チキティータは全カットしてパブロが殴られて無賃乗車
途中で放り出されると、いきなり爪を割るシーンへ大ジャンプ
足を引きずりながら歩く映像に、回想として牛車との別れ・ばあさまに乗っている映像を被せる
吹雪になって倒れると夜の林を泣きながら歩くシーンへ大ジャンプ
残り10分でアンナと再会&手術成功、エンディングへ突入 TV版エンディングの歌とスタッフロールが流れるので、セリフ無しの口パクで映像
メキーネス邸出発→パブロ&フアナ→フィオリーナと桟橋で会話口パク→フィオリーナのアップ口パク
→遠ざかるブエノス→見つめるマルコの顔で「おわり」
イタリアの星、フォスコの店、フィオリーナがアンナに抱きつく、ジェノバ、父と兄の再会は全カット
当然ながら劇中にトニオの歌、カルロスのギター、パブロのケーナ全カット >>695
乙
こりゃハイジにしてもマルコにしても高畑や宮崎が総集編に疑問を呈するのも当然だわw この家は僕が生まれて育ったとこだよ
僕がいなくっちゃ分からない事がいっぱいあるんだ! 引っ越し手伝っていいんだね。
わーい!僕の生まれて初めての引っ越しだい! 何をブラブラしてんだ!
僕の気が変わらない内に引っ越さないと手伝ったりしてやらないぞ! 昨日数年ぶりに魔女の宅急便を見た
その間に三千里を見ていたせいで
街並みの風景にジェノバが重なって見えた
海岸沿いから斜面に並ぶ建物とか
トンボの家まで歩く道の雰囲気とか >>694
完結版の方が上手く編集しているよ
その代わりナレーションを多用しているけど >>706
劇場版より20分ほど短いが編集の仕方は完結版の方が良かったな
完結版>劇場版>>>MARCO >>707
劇場版のナレはマルコ自身が過去を振り返る体(これは高畑監督の意見が反映された可能性あり)
でもナレ自体が少な過ぎて過去を振り返っているという感じが足りない
シーンの繋がりも唐突に感じてあまり上手い編集だと思えない
コアなファンは新規アフレコのためだけに見てもいいかも
完結版はよくある神視点のナレで要所要所で細かく挿入されるから分かり易い
MARCOが一番ダメなのは同感 完結版か。
随分前に一回見たっきりだけど、
最終回のフィオリーナがアンナに抱かれるシーンをカットしてたはず。
フィオリーナ側の締めに絶対必要なシーンだと思うんだけど。 >>711
それは1980年の劇場版でも同じで
ブエノスでフィオリーナと再会する一連のシーンごとバッサリカット
大事に思うシーンって視聴者側と編集スタッフとの間にズレがあるのかもね 短くまとめようとするとフィオリーナの重要さも霞んでしまうのだろう >>712
それはあるかも。ラスト1人旅では夜の林を歩く印象的なシーンも無かった。
完結版だけじゃなく>>696を読むと劇場版も無賃乗車からワープしたり、ばあさまをカットしたり編集に苦労してるようだ。 完結版の乞食発言のカットは時代的に仕方ないのだが
その後の乞食リフレインとグニャリと歪む街並を走るマルコも当然カットせざるを得ない
このためマルコの絶望感とフェデリコに会えた安堵感が弱くて
ここが弱いからイタリアの星の感動も弱くなる
せめて仕事を探して奔走、金持ちからの施し、歩いて行くという絶望的な決心は使うべきだったな ジェノバで父と兄に再会するシーンも全部カットだぞ
むしろこっちの方が酷くね? ぼくは医者なんかになりたくない!皆を踏みつけにする仕事なんか大っ嫌いだ! もう僕のジャマをしないで!ジャマしないで向こうへ行ってよ! ほんとナレーションって便利だな
完結版を見てあらためて思ったわ 確かに便利だが使い方が気に入らない箇所もある
たとえばパブロとの出会いで殴り合いのケンカを全カットする代わりに
「マルコとパブロの友情の始まりです」とかナレーションに言わせてる
本編にある「俺にはあんな大金は返せないからありがとうって言うしかない」を全カットして
ナレーションが「マルコのためならどんなことだってやるんだ」とか代弁してる
EDに演出:楠葉とあったのでこの人らしい演出だわと納得した >「マルコとパブロの友情の始まりです」
こういうの言葉にしちゃうのが楠葉的、ロミオチックだな バカだよ!こんなケガしてまだ働くなんて大バカだよ! >>704
魔女宅の街はまんまジェノバだったな
ロケハンして気に入ったんだろう >>727
スウェーデンと特定はしていない
クロアチアのドゥブロブニク(世界遺産)とも言われているぞ 高畑勲(FILM1-24 1977年)
原作に対するアプローチの仕方については「ハイジ」と「三千里」とは基本的には変えるつもりはなかった。
「ハイジ」に対して近づいたのと同じ態度で「三千里」に近づいたんだけど「ハイジ」の時の様にうまくいかなかったですね。
(中略)とにかくふくらませていくとウソが目立つようなところが一杯あるんですよ。それでまいっちまった。
人物像がある程度出来上がると、自然にその人物が頭の中で動きだすんだけど、「三千里」の場合、それを追っていくと原作からはずれてしまう。
それにマルコの年齢感と行動のギャップなんてこともあったなあ、まあそれやこれやでうまくいかなかったんじゃないかしら。
(中略)やってる事も「ハイジ」の方が単純だったと思う。いろんな技術的な面で「ハイジ」の方が単純だったけど、単純ながら効果が出るという要素があった。
「三千里」は効果の事は差置くとして複雑で僕としては難しかったですね。 小田部羊一(FILM1-24 1977年)
(アメデオについて)もともとは、あれね、スポンサーじゃないかな。(中略)夏場にね、視聴率が落ちる頃に。懸賞を出したら、視聴率が伸びたんだって。
で、ハイジの時にヨーゼフを出したでしょ。そうしたらずっと伸びたんだって。で、フランダースもやって。
そうしたらね、今度むこうは、小さいね、手頃なプレゼントで、ダッコちゃんみたいなのを出したいって言ってきたの。
(アンナについて)あれはね、僕がいろんなの描いたでしょ、パクさんの意見が多いの。お母さんはすごいボリュームあるんじゃないかと。
(中略)普通だったら、お母さんていうと、きれいだとか、優しいとか、普通はほっそりした女の人を思い浮かべるでしょ。
それをパクさんがすごくデブなんじゃないかって。これは頷けたね 小田部羊一(FILM1-24 1977年)
(コンチェッタについて)コンチェッタなんか、もっと本当は出せたんだよね。パクさんも言ってた。設計図なんか描いたけど、わざと下着姿とかさ。
(中略)もっとバイタリディがあるとかさ、きれいなだけじゃなくて、生活のにおいがするのが出るでしょ。芸人のなにかね。
(フィオリーナについて)フィオリーナもちょっと難しいんだよね、あれ。あれで成功したかどうかはわからない。
(中略)あれは最初の出会いに重きを置いちゃったきらいはあるね。(中略)何か謎めいた人物だった。
ところがその謎がとけちゃうとつまんない人物になっちゃってね。 宮崎駿(FILM1-24 1977年)
つらかったですねえ。こんなつらい思いをしたのは初めてですね。空前絶後のつらさです。同じことなんですねパクさんたちと。
やっぱりハイジ終ったときにもう壁に来たなって感じたんですね。
(中略)それをだからパンダでやってみてそれから、ハイジでやってみて、それでその時ピッピでやろうと思ってたテーマは全て使い果たしたんですよね。
それでただ、次のテーマはってとこでね、次のテーマが出ない内にやったから三千里は「サンザンリ」になっちゃった。
そういう意味じゃテーマ喪失って意味じゃね、そっちの方向には俺はもう行きたいとは全然思わないですよね。
ムチャな話ですよ。よその国行って、一週間や十日見てね、ああ屋根の恰好はこうなってんのか、壁はこうかってね、帰って来てソレを絵にしてってわけでしょ。
(中略)もっと何か自分の心の中でこう熟睡してきた映像があって、ソレを画面にしたいっていう気持ちがある。
だから設定ってことに限定すればね、僕なんかパンダが楽しかったってのは、自分の子供時代に見てた世界全部思い浮かべてやってるからなんでしすよ。 深沢一夫(単LD第7集1991年)
パクさんが僕に脚本の話を持ってきたのは、そこです。僕は横浜の下町で育って、長屋育ちだし、自伝ぽい本を書いたこともあって彼はそれを読んでたんでしょう。
僕が引き受けたのはジェノバは港の町なんだというパクさんの説得力です。
(中略)もう一つ、日常生活を描きたい。その二つがパクさんの話でした。
(中略)フィオリーナには、作者としてとても愛情があります。マルコに対して、友情じゃなく、もっと友情と違う気持ちが燃えあがっている。
萌えいずる恋愛感情を持たせたい、それを表現したいという狙いはありました。
(中略)フアナはマルコの心にやきつくような少女でありたい。
トウモロコシの人形のアイデアは宮崎さんが出したんですよ、何かで彼女を描けないかと言ってたら。
飴玉を日にかざして見て、それから食べる女の子はいつか書こうと思っていました。
キラキラしたうれしさを、太陽そのものを頬張っちゃうそんな感性を持つ女の子。 高畑勲(LDメモリアルボックス1997年)
安心して、というのは成功のキーワードだと僕は思っているんですよ。さっきの「股旅物」は安心してヒロイズムにエールを送ればいいですよね。
逆に可哀想な方はですね、安心して涙が流せるわけです。だからこそ「フランダースの犬」は成功したんですよね。
(中略)この作品で描きたいと思ったのは、必ずしも安心して観ることのできるような子供の姿ではなくて、現実的な姿だったんです。
だから、マルコがかわいくないと言う人はいっぱいいました。でも僕らとしては、そのかわいくない所も含めて見せたつもりなんですよ、意識的に。
(中略)向こうは日本と違って空気が澄んでますから。陽射しはそれこそ本当に強烈です。
(中略)あと何より、椋尾さんがそういうはっきりしたものを描く時期だったんですね。そういった意味では、椋尾さんの持ち味を十分に出している作品になったと思いますよ。 深沢一夫(LDメモリアルボックス1997年)
多摩川べりの旅館に一緒に泊まり込んで準備稿を練った時なんか、僕とパクさんが論争して、嫌な喧嘩をしていると、
宮さんがその様子を横でぱっぱっと描いて見せてくれるんです。それが面白いんですよ。そんなのも「三千里」の中で使いましたから。
父親がマルコをアルゼンチンへ行かせるか行かせないかと論争するシーンですが、ここはあの多摩川べりでいこうとか言って。
(中略)スタジオへ行っている分には面白かったですね。宮さんとか小田部さんとか色々しゃべったり。
宮さんなんかは不思議に思ったらしいですけど、雑談が終わると僕とパクさんは隣の部屋に行くんですが、
二人が話をしていてもほとんど笑っているだけなんです。駄目だ、こりゃ上手くいかないよ、って。
どうしてこんなスケジュールの中であんな風に笑えるのかって宮さんに聞かれましたから。
(中略)主題歌に関しては、スポンサーだった会社の社長に勝手に直されてしまって…。
(中略)僕が「悲しみ染まって」と書いたところを「あてもなくさまよい」とか全く下らないフレーズに変えて。
僕や、嫌だ、それなら辞める、って言い張ったんですが、宮さんが「深沢さん、辞めるときは全員で辞めよう」と言いまして(笑)。 小田部羊一(LDメモリアルボックス1997年)
キャラクターデザインなんていう名前は今でこそ浸透しているけど、「ハイジ」で僕が初めてクレジットされたんですよ。
その名前はパクさんが作ってくれたんだと思っているんです。
(中略)絵の原作がないまったくオリジナルなキャラクターを創ったわけですから、それを認めてくれたのでしょう。
「場面設定」なんていうのもパクさんが作ったんです。
ほんとは構図とか動きや演技までタッチする仕事ですよね。(中略)原画が上がった段階で今度はパクさんの演出チェックが入るんです。
(中略)それで僕のところに回ってくるのですけど、その時にね、演出の指示が鬼のように入ってくるんですよ。
やれこの動きはどうしてくれとか、これはこうこうであるからこのようになるのであるとかね。
(中略)だから僕がやる仕事では、顔直しだけなんて事はしなかったですけどね。 松土隆二(LDメモリアルボックス1997年)
マルコはオレンジ色の上着を着ていたと思うのですけど、あんな派手な上着なんてね、考えると不思議ですよね。
緑の上着も検討したんですけど、アルゼンチンに行って草原を歩いたりしていると、色が溶け込んじゃうんですよね。
だからオレンジ色の上着にしたんですよね。
(中略)8月の夏休みの時に11%くらいまで視聴率が落ちた事があったんですよ。
(中略)それで高畑さんが電通に呼ばれて、どうして視聴率が落ちたんだなんて、いろいろ言われたらしいんですけど、
高畑さんも色々反論とか自分の考えをお述べになったりしたそうです。
後で電通で、視聴率が落ちている割には態度がでかいなんて言われたとか言われなかったとかって噂を聞きましたけどね(笑)。
(中略)最初のイタリアの所はすごかったですね。(中略)あれはやっぱり宮崎さんのレイアウトもすごかったですけど、
それについていった椋尾さんもすごかった。椋尾さんは毎回こんな風で大変なんだって愚痴ばかりいってましたね。
レイアウトがあれだけ描き込んでありましたから背景さん泣かせなところも多々ありましたよね。 宮崎駿(LDメモリアルボックス1997年)
(イタリアの同郷意識の強さについて)それはパクさんの教養のなせる技だと思う。僕はもう途中でうんざりしてしまって。
マルコが山賊の手下か何かになって、馬に乗って真っ赤な夕陽をバックにフィオリーナに駆け寄りひっしと抱き合う、
それぐらいの話をやってくれと言うんだけれども、もちろん採用にはならず(笑)。
(中略)深沢さんのリアリズムは、例えばスリなんかにお金を捕られちゃう話にしても、
その後でスリからお金を取り戻すといった様な話をパクさんが作ろうとすると、深沢さん「うん」と言わないんだよね。
(中略)パクさんの方でまだ少しは希望がある様に描きたいと思っていても、深沢さんの戦後体験はそこら辺の一線を受け入れられないのね。
(中略)300カットは無かった。280とかぐらいで。それも同ポジが多かったから、レイアウトは220くらいだったと思う。
(中略)大変だよ!もう。今思い出しても腹が立つ。背景だけじゃなくて人間の動きもラフで随分入れてたんだから。 宮崎駿(LDメモリアルボックス1997年)
最初に作ったのは2話なんだけど、作っている内にこれはやっぱり1話を作った方がいいなという事になって。
だから最初に出来たのは2話だった訳。でもそのラッシュを観た時、悲しかったね。こんなもの作っちゃってどうするんだろって。
他のスタッフは喜んでたけど、パクさんと僕だけは打ち拉がれてね、これ、あと51本作るんだぞ、オバケを作ってしまったな、と。
(中略)だから終わるときは大体誰とも口聞かなかったよね。小田部さんとも口聞かないし、パクさんとも聞かない。
(中略)これはヤバイって。で、その後1年半くらいパクさんと会わなかったよ。本当に精神的にまいったね。
俺はアニメーション辞めなきゃ駄目だなと思ったから。
(中略)床に寝て、這い上がってレイアウトやって。ぎりぎりに来た絵コンテをすぐ翌日には入れられるようにしなければならないでしょ。
1日もゆとりがないじゃない。辛かったね。 昭和の成金のように自宅のPCがお金を運んでくれる情報
グーグル検索⇒『稲本のメツイオウレフフレゼ』
UDLLK アニメのように自動的に収入を得られる情報とか
グーグル検索⇒『稲本のメツイオウレフフレゼ』
ZCR1R こいつ心配するじゃないか。なぜもっと早く出てこないんだ! そんなことじゃないよ!今日はどこにも行きたくないんだ! セリフ書いてる人さ
もういっそのこと1話から52話全部台本文字起こしやってブログにでもうpしてよ
その方が有意義だとは思わんかね お母さんを助けに行かないで2か月も僕はこの町で遊んでるの? シリーズで一番の名作「ペリーヌ物語」のスレにレベルの高い名劇ファン登場
983名無しか・・・何もかも皆懐かしい2018/01/20(土) 09:57:05.62ID:???
ネタバレを書くなとまでは言わないまでも初見の人がいるのを分かっていながら数話先の展開をわざわざ書く必要はあるまい ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています