1880年、明治子供法律總評議会設立。 取り敢えず近くの明治学院大学から拝借した明治の名がそのまま大学名として定着。
ついでに元号も改訂された。東京子供専門学校、エゲレス法律学校などと激しい対立を繰り返した末に、MARCH幽閉の身となる。
司法試験合格者数でライバルに分が悪くなると法律学校を捨て、国家として一方的に独立宣言を行うも、誰からも相手にされず頓挫。
同じ「めいだい」というアダ名を持つ名古屋大学という従兄弟がいるが、ノーベル賞受賞者輩出数で大差をつけられ、MARCH、司法試験に続いて、ノーベル賞も学内でNGワードとなる。

本部ビルを高層化したところ、受験生が増加したことに味を占め、その後キャンパスは高層ビルだらけの無残な姿と化すハメに。
しかし、買収を重ねることにより急成長を遂げ、東京御茶ノ水のオフィスビル、駿台ヒルズに本部を構える明治コンツェルンを形成。
国内最大規模の受験者を搔き集め、巻き上げたマネーを研究・設備に投資し、次々に有力な人材を引き抜き・・・とコンツェルンの経営は拡大路線まっしぐらであり、本部ビルの「自由の塔」はいつしか「バベルの塔」と呼ばれるようになった。

校舎のオフィスビル化、入試改革(モデル・女優推薦枠、ジャニーズ・EXILE推薦枠他)などによって、MARCHからの独立戦争を闘い抜き、独立・建国宣言も秒読みと言われたが、
司法試験でズッコケまくり、暫しお預けの身となった。取り敢えず明治と名のつく企業を全て傘下に納め、大明治帝国建設を目論む。
なお、全くカラーの違う体育大学や女子大学、農工大学などを内包しているため、就職部門は国内最強を誇る。