【ミスター】平尾誠二 Part 4【ラグビー】 [無断転載禁止]©2ch.net
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昨日のOB戦で選手が並んだ時、東田が1人分空けて立ってたな
粋なことしやがる! 平尾誠二の美しさのピークはやっぱり日本代表監督初年度の97年よね
現役時代はまだ若くて細くて色気が無いし、
40代以降の彼は少し太って顔が丸くなって流石に崩れてきたわ
やっぱり90年代後半よ
1997年徹子の部屋出演(日本代表監督就任直後)
平尾誠二34歳(当時)
https://www.youtube.com/watch?v=aNEqzREv6dI >>8
色々買わされたりしたんじゃね
「平尾誠二 マルチ」で検索 ☆ 日本の核武装は早急に必須です。総務省の、『憲法改正国民投票法』、
でググってみてください。現在、衆参の両議員のそれぞれで、改憲議員が
3分の2を超えています。私たち日本人の、日本国憲法を改正しましょう。
憲法改正国民投票法、でググってみてください。お願い致します。☆☆ 山中さんとの本、めちゃ売れてるみたいね、アマも入荷待ち 一周忌ですね。
神鋼大変な状況になっちゃったなぁ。
あの世で何を思う。 「友情」の中の平尾さん家族写真見たら
泣けて仕方がない。 娘さんが平尾さんに腕組みしてるのがうちではありえないと思ったw
あんな素敵な父親なら娘さんもパパ大好きっ子なんだろうなぁ >>25
地元の書店のビジネス関連書でずっと1位だわ 星野さんの訃報を知った時、真っ先に平尾さんが浮かんだ。
どっちもええ男やったなぁ。 同じく
精一杯生きた男は逝く時はあっという間なんだな なんや、憶えてくれてたんか、ありがとう
みんなとこっちで会うのは、だいぶん先やな
今から楽しみにしとくわ、ハハハハ >>39
平尾さん(´;ω;`)
生前お会いしたことがないので天国でお会いできたらよろしくお願いします こっちこそよろしく
挨拶代わりにボール放るから、ちゃんとキャッチしてや
いきなりノックオンはごめんやで、ハハハハ サラメシはしょっちゅう再放送してるっぽいし、オンデマンドでも観られるよ いろいろと役に立つパソコン一台でお金持ちになれるやり方
暇な人は見てみるといいかもしれません
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8E2NP 平尾誠二がいた時代〜初の全国制覇/伝説の伏見工4
[1981年1月7日、決勝戦で大工大高を破り優勝を飾り、表彰を受ける伏見工フィフティーン。左から2人目は平尾誠二
<泣き虫先生と不良生徒の絆>
不良の集まりだった伏見工は、わずか数年で京都の強豪と呼ばれるまでになった。
“京都一のワル”と恐れられた山本清悟(57)が高校日本代表に選出されると、1978年(昭53)春には後に日本ラグビー界を支える存在になる平尾誠二(享年53)が入学してくる。
全国大会出場を果たしたチームは、ついに日本一へ手をかける。
◇ ◇ ■バンビの様な純粋な目
あれから、40年もの歳月が流れた。
「弥栄(やさか)の清悟」と呼ばれた山本が初めて高校日本代表に選出された77年の冬、山口はある中学生の自宅を訪ねた。
毎年、10月10日に開かれていた京都ラグビー祭。
伏見工−花園高の前座試合として行われた、
陶化(とうか)中(現凌風中)−修学院中の試合で衝撃を受けていた。
「あのスペースを突いたらチャンスになるやろうな」
そう思いながら見ていると、きゃしゃな体つきの陶化中のスタンドオフ(SO)は、山口の理想通りにボールを動かした。
名前を尋ねると、バンビのような純粋な目で「平尾誠二です」と答えた。
その時、既に花園高へ特待生で進むことが決まりかけていた。
断られることは覚悟の上で自宅を調べ、足を運んだ。寒い日だった。
「もし平尾が花園高に行ってしまえば、3年間は勝てないやろうと思った。チームはようやく力を付けてきていたが、まだ学校はワルの集まり。親御さんは『あんな学校には行かせられない』と考えていたやろう。
親を説得するのは難しかった。少しでも望みがあるのならと、
必死で本人を口説いた。俺と一緒に花園を倒そう、日本一になろう。
必ず、日本代表に育ててやる、と」 精いっぱい夢を訴えかけた。できる限りのことはしたつもりだった。
帰り際、両親に深々と頭を下げ、ふと平尾の自宅を振り返る。
そこまでしても山口は「無理やろうな…」と心の中で寂しい思いを抱いていた。
年が明け、京都にも公立高校の入試の時期が迫っていた。
職員室に次々と出願書類が届く。あのバンビの目をした陶化中のSOは、花園高に行くものだと信じて疑わなかった。
だが、その1通に「平尾誠二」の願書は、あった。
「平尾が伏見を受けてくれる! あの平尾が…」
目から涙がこぼれた。それと同時に「これで、本気で全国を狙える」と熱いものがこみ上げてきた。 ■川に投げたトロフィー
オール京都(京都選抜)で平尾とハーフ団を組んでいた
修学院中のスクラムハーフ(SH)高崎利明(55=現京都工学院教頭)も、両親の反対を押し切って伏見工に入学した。
1学年上には後に日本代表として活躍する大八木淳史(56)がいた。
わずか3年前に0−112で花園高に大敗したチームは、強豪へと生まれ変わりつつあった。
高崎は40年前を振り返る。
「母親の実家が学校から近い伏見稲荷にあったので、荒れているのは知っていた。親は大学に行かせたいから、普通科に行けと言われていたけど、
建築の勉強がしたいと説得しました。僕らが入った時には、土台ができつつあった。1年ごとに確実に成長していて、いい時期だった」 <泣き虫先生と不良生徒の絆>
当時、京都では10年連続で全国大会に出場していた花園高、古豪の同志社高とともに3強と呼ばれるようになっていた。
平尾、高崎らが高校1年の夏には、関東で強豪の国学院久我山を倒した。
全国大会出場への機運は高まりつつあった。
78年秋、西京極総合運動公園であった京都大会決勝。
2年生に大八木、1年生ながらレギュラーをつかんだ平尾を擁する伏見工は6−12で花園高に敗れた。
初の全国大会出場は、そう簡単ではなかった。
表彰式で準優勝の記念トロフィーが全員に贈られた。悔しくてむせび泣く選手たち。あと1歩が遠かった。
帰り道、会場から阪急西京極駅へと続く道を無言のまま歩く。電車が走り去る音が、やけに大きく響いていた。
1人、離れて歩いていた平尾は、天神川に架かる橋に差し掛かると、手に持っていたトロフィーを投げ捨てた。 それからというもの、血のにじむような努力をするようになった。
伏見工から山口の自宅がある阪急桂駅の途中に、平尾の自宅はあった。
練習を終え、学校の用事を済ませてから、帰路に就く。電車の車窓から、走り込みをする平尾の姿を見ることがあった。
帰宅して夕食を済ませると、近所の公園でキック練習をこなし、夜道を走るのを日課にしていた。山口はその光景を、鮮明に覚えている。
「平尾の家の近くになると、よう1人で走っているのを見た。厳しい練習をさせていたが、家に帰ってからもまだやっていた。
それは大学(同志社大)に行ってからも変わらんかった。『おっ、また平尾がやっとる』。そう思いながら、彼を見つけるのが楽しみやった」 全国では準々決勝で国学院久我山に敗れはしたが、初出場で8強に進出した。そして、平尾が最終学年となって迎えた80年度。
2年連続2度目の全国大会出場を決めた伏見工は、ついに日本一に手をかけようとしていた。
「その頃には僕がここにボールを出したいと思ったところには、必ず平尾がいた。あうんの呼吸で、たとえ見ていなくても、
僕が動けば平尾はそこにいる。不思議と、どんなに周りの歓声が大きくても、平尾の声と、山口先生の声だけはハッキリと聞こえた」
そう高崎が言うほど、伏見工は、成熟したチームになっていた。 今月逝去した、大相撲元横綱の輪島大士さん。
平尾さんと輪島さんとの共通項は、1月生まれで、10月にがんで亡くなったこと…。 http://www2.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2018-11-25&ch=10&eid=04209
2013年大河ドラマ「八重の桜」総集編アンコール放送・最終回。八重(綾瀬はるか)は西洋帰りの新島襄の妻となり、時代をリードする“ハンサムウーマン”となってゆく。 逝去する前日に山中伸弥博士が見舞いしていたのに、あっさり数時間後に逝くのだろうか?
延命治療の不毛さに絶望し自決した疑惑を払拭出来ない。
遺族のコメントも歯切れ悪かったし。 猫まっしぐらと言えばモンプチ
ゲイまっしぐらと言えばガチムチ
ホモまっしぐらなセクシーシンボル
末路が悲しい 逝去した直後にも芸能板に書いたが
一つの道をひたむきに疾走し、その道を
極めた偉人だったわな。
生前のインタビュー発言内容も哲学的で
深い。生前に交流有った人が羨ましい。 ルーツとか出自とか関係無く
その人物の人柄や感覚の鋭さは面構えに
出る。中尾誠二さんはその好サンプル。 3年前に斎藤一の遺族が初めて生前の
本人の遺影を公開していた。新撰組の。
Tony Ioomi先生や前原誠司先生や
土屋昌巳さんを連想する顔立ちで納得した。 美男子だの美女だのブサイクだの関係無く、その人物の人柄や感受性や思考は面構え見れば分かる。分からない奴はセンス無いだけ。
http://photozou.jp/photo/show/3226768/255197762
最低限のモラルさえかなぐり捨てた銭ゲバゾンビ細野派手ゴミ@ブサイクガマなんざコソ泥体質が弛緩しきったエラ張りパンスト顔にしっかり出ている。 若しも平尾誠二が立川理道の顔をしていたとしたら、
彼の人生は全く違ったものになっていただろうな。
それにしても、神は平尾誠二に余りにも多くの才能を与え過ぎた様に思う。
しかし、幾ら山口良治さんから熱心に口説かれたとは言え、
頭脳明晰且つスポーツ万能な彼ほどの天才が当時の伏見工業に入ったのかは、
永遠の謎と言っても決して過言ではないだろう。 平尾さんの親は大反対だっただろうね
学費免除で花園に入るの決まってたのに伏見工業へ行ったんでしょ 平尾は身長は178ぐらいで高校、大学時代は細かった。昔はみんな
あんな体格だった。今の選手はともかくデカイ。 平尾さん、去年の輪島大士さん(元横綱)、ことしの金田正一さん(400勝投手)。
10月は、スポーツ界の天才が、天に召される月…。 tvk(テレビ神奈川)にて、平尾誠二さんの命日 10月20日(日)の23:00〜24:55「ラグビースペシャル 伝説の名勝負 神戸製鋼vs三洋電機」を放送。
http://www.tvk-yokohama.com/bangumi/index_3.php
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1991年、平尾誠二率いる神戸製鋼が全国社会人大会3連覇を達成した「神戸製鋼vs三洋電機」の試合の模様を、ゆかりある人物のインタビューを交えながら紹介します。
番組内容 卓越した技術と類いまれなラグビー・センスから「ミスターラグビー」と呼ばれた平尾誠二。
番組では、1991年1月に平尾誠二率いる神戸製鋼が劇的な試合展開で勝利し、全国社会人大会3連覇を達成した、第43回全国社会人大会・決勝「神戸製鋼×三洋電機」を再び放送。
26年の歳月を経て蘇る記憶を、関係者のインタビューを交えながら鮮明に解いていきます。 プラスマイナス両面できちんとした評価がされてない人だよね
イメージや噂で色々な虚像が独り歩き >>95
存在と言う意味では神格化されていいよ。指導者としての手腕は別な。
バブル期という時代もよかったけど、平尾というスターがいなきゃ日本の
ラグビー界はとっくに落ちぶれてたのは事実。
トップリーグだって存在してないし、それ以降に繋がる話もなし。ワールドカップもなし。
「スターとしての存在感」−「指導者としてのヘボさ」=貢献度となっても、十分すぎるほどプラス。 掃き溜めにいた鶴を見つけて全国ブランドに育てたのは山口良治さんだが、
イングランド留学させたり、神鋼に高く売りつけたスポンサーは誰だったんだろう。
高がスポーツ選手に一部上場企業の神鋼が将来の重役待遇を約束するなんて、
常識的には考えられない。 >>84
口が上手いとは思うが頭脳明晰とは言いがたかった
勉強が出来たとは思えんけどな >>97
トップリーグ作ったのは宿沢強化委員長
平尾はジャパン監督辞任(事実上の解任)したあとで一切関与してない ファッション誌にモデルで登場したことで、アマチュア資格停止処分となり、
ほとぼりを冷ます為に英国に1年間留学したが、その費用は何処の誰が負担したんだろう?
神戸製鋼には異例の将来の重役待遇を約束されての入社だったが、
留学費用も神戸製鋼が負担したのかな?
入社後も特別扱いであったそうで、当時の神鋼の人事課長がボヤいていた。
つまり平尾は日本人ラグビー選手のプロ第一号であったと言うことである。 順番が逆だね
平尾は社会人になってまでラグビーをやりたくないと思っててまずイギリスに行って
そこでクラブで適当にやりながら勉強してた(具体的に何の勉強かは不明)
この時点では神鋼とつながりはなかった
これは福岡や今泉のNZ留学のケースと似てる
その間にファッション雑誌のモデルやったら日本で大問題になって、協会のある重鎮から
「釈明しないと日本代表から外されて二度とラグビーが出来なくなるぞ」とアドバイスされた
仕方なく帰国したら神鋼の亀高に誘われて途中入社でも構わないから、と神鋼に入ることに
留学費用そのものはいろいろ伝手があったと思われる
学生時代からタニマチにタダ飯おごってもらうのが当たり前みたいな感覚でいたからね
それはジャパン監督時代に協会の強化費使って飲み食いしてたことで分かるだろう
公金と私金の区別がついてない常識のなさは生涯ついてまわった 平尾の「ラグビー馬鹿、スポーツ馬鹿と思われるのを嫌うコンプレックス」のルーツがどこなのか?
ずっと考えてたんだが、やっぱり伏見工に行ったのを凄く後悔してたように思える
周りはリアル北斗の拳、リアルビーバップハイスクールの環境だったみたいだからね
素行は真面目だった平尾は、人前で伏見工の生徒ですと恥ずかしくて言えない気分だったのだろう
その辺が、神鋼時代からの背伸び発言の数々につながってる
ジャパン監督に就任した時に海千山千のラグビー記者たちに「会社ごっこw」とバカにされた組織図披露会とか
ジャパン監督を解任されたあとの講演会での薄っぺらな和洋比較論やビジネス論にコンプレックスがよく表れてる
そこに外人コンプレックスも加わってた 蛇足だが、「洋魂和才」(笑)を提唱して外人大量ジャパン入りを促進しといて、彼らは傭兵ではないと言いながら
WCが終わったらJJとバショップをポイ捨てした時の冷たさに大きな矛盾がある
JJは狂会本のインタビューでかなり不満をぶちまけてて、平尾のやり方を批判してた
基本スポーツ選手はさっぱりしてるから、のちに代表監督に推薦してもらったこともあって
今では何も言ってないけどね スポーツ選手だからってさっぱりしているとは限らない まあ どうでもいいや
平尾sage >>105
海外で起業したかったんじゃなかったか?
インテリア関係で留学してたはず >>109
あー思い出した、インテリア関係の勉強うんぬんは聞いたことがある、確かに
インテリアやるつもりだったのに、ニュースキンになっちゃったわけかw この人って、あれなんだよね
他ジャンルのアスリートでいえば江川卓にそっくりなんだよ
インタビューで質問者の意図をはぐらかすような受け答えとか、スポーツ馬鹿と思われたくない症候群とか
スポーツは楽しんでやるもの、苦労して勝つもんじゃないと言いつつ実は負けず嫌いなとこととか
冷静なインテリを装ってるが、けっこう熱くなって暴走するとこもあるとか
何から何までソックリだ
ついでに「金に執着する」という余計な共通点まであるw
この人の演説に関心してたスポーツジャーナリスト(玉木正之とか佐藤純郎)はこの人ごときの
薄っぺらな理屈にだまされる自分の頭について検証した方がいい >>110
マルチの集会では、神鋼ラグビー部はコレを飲んでるから強いんですと言って、
新規会員を勧誘していたそうだね。 >>112
それサプリメントとか販売してた”ファーマネックス”っていうほうのブランドだと思う
ニュースキンは基礎化粧品だから、だいたいマルチやる夫婦は夫がサプリ、妻が化粧品の会員集めるのが普通
平尾のいとこの細川なんかニュースキンでかなり高いランク売ってたと人づてで聞いたことがある >>113
細川はサプリの宣伝マンもやってたみたいだ。
ラグビー以外のあるアマチュアスポーツ選手の両親の話では、某ホテルでの集会で、
細川が演壇に立って盛んに神鋼のラグビー選手は全員飲んでいるとPRしてたらしい。 >>114
お詳しいですね!
>>114さんもビジネスの勧誘を受けられたのですか?
2000年ごろの関西では盛んで、誰でも一度はニュースキンの勧誘を受けたことがあるかと >>115
搾取される側の下層構成員だったと思いますが、まるでカルトの信者みたいに洗脳されていて、
自分はこれを飲み続けているから、肝臓癌が取り切れていないのに生きているとか、
貴方の健康管理の為に騙されたと思って飲んでみてくれとか、もう大変でした。
ホテルでの集会と聞いてインチキと確信しましたので、人間関係が壊れる事も覚悟の上で断りました。
後で聞いたら昔から山っ気の多かった別の知人が細川よりも上の地位にいて、
その上がりを莫大な借金の返済に充てていたとのことでした。 アア、あほらし
また、別の知人はアムウェイで土地財産を全て失いましたが、
本当にマルチをやる奴は碌な奴がおりませんね。
ところで、細川は今何をしているのでしょうね。 >>111
>>二人ともインタビューで質問者の意図をはぐらかすような受け答えとか、
>>スポーツ馬鹿と思われたくない症候群
江川と平尾は貴殿が仰る通りの嫌われキャラでしたね。
違いは、基本的に江川卓がお喋りでお人好しであったのに対し、
決して無駄口を叩かず相手によって露骨に接し方を変える平尾のふてぶてしさと、
強かさは、同志社に入った頃から普通の若者にないものを感じさせました。
育ってきた環境からか、相当な修羅場を生き抜いてきたであろう凄みがありました。
江川の子供っぽさとお人好しを証明するエピソードとしては、
慶應に内定していたのに、マスコミに僕は慶應に行きますと言ってしまったばかりに、
内定を取り消された「口は禍の元騒動」がありました。
慶應としては内定を取り消さざるを得なかったと慶應OBの友人が言っていましたが、
慶應は喉から手が出るほど欲しかったでしょうから、
法政でも良かった江川以上に残念に思っていたことでしょう。
平尾が同志社大学に入った前後には同志社の体育会全体で年に数人の、
受験番号と姓名を正しく書くことが出来れば合格できる特別枠があり、
ラグビー部と野球部だけが毎年1枠ずつそれを獲得し、
ラグビー部はそれまで伝統校が手を出せなかった伏見工業から、
毎年1人選手を採ることが出来たのです。
当時としては監督が正しく指導すれば問題ないとの思惑で実施されたのですが、
直後に正しい指導が出来ないセンセが現場復帰されたことで、
真面に挨拶もできない選手や茶髪の選手が目立ち始め、関係者の眉を顰めさせたものでした。
一時期、早稲田にもNo8、FB、SOに少し雰囲気の違う選手がいましたね。
あの頃の監督が大きくて強い選手を揃えることに熱心過ぎて、
大学の品位を保つと言うプレー以前の問題を軽視してしまったのかもしれませんね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています