>>227
 もうね、新海誠は変わりましたよ。『秒速5センチメートル』とかだったら、絶対にいくつも映像的な伏線を持ってきて、
押し付けるように説明してたのが、そこら辺サラッサラになってきた。

 なので、『天気の子』も、たぶん、やるとしたらこのベタ路線だと思うんですけど。
どれくらいやるのか、ちょっと興味がありますね。

 この辺りの仕掛けを、わかる人だけにわかるようにするというのは、作家としてはかなりシンドいんですよ、正直言って。
 さっきも言ったように、作家というのは、僕らが考えるよりは10倍100倍は考えているんですけど、どうしても「わかってほしくなる人種」なんですね。
 で、この「わかってほしくなるバルブ」というのを、どれくらい開けるのかによって、
やっぱり、その作家の格みたいなものが変わるんです。

 あの、皆さんもご存知の通り、僕の中で『けものフレンズ』という作品の評価が大変低いのは、
そのバルブがガバっと開くからなんですよ。

 「なんじゃこりゃ!?」ってくらい、かなりガバっと開いて、「はいはい、そういうことをやろうとしているのね。
ほた見ろ、普通のアニメファンでも気が付く出来になってるじゃねえか」って思うから、
「ああ、俺はもういいや」ってなっちゃうんですけど。
 ……ああ、2016年の口の悪い俺に戻ってしまう、アハハ(笑)。

 でも、新海誠のこの『君の名は。』の場合は、これを思い切って隠しているから、
ドラマとしては、あくまでもベタに進行できる。
 このアニメは、作品としての側面と、商品としての側面、2つを持っていることになると思います。

 今、ちょっとコメントで流れたんですけど、そうなんです。宮崎駿って、
ここら辺のバルブが、割りと開いちゃうタイプなんですよね。

 『未来少年コナン』とかを見たら、バルブが開いちゃってるんですよ。
なので、一生懸命、たぶん、鈴木敏夫さんに言われて閉めようとした。

 その甲斐あってか、『ナウシカ』は、割りと開け気味で作ってるんですけど、ジブリというスタジオが出来てからは
、バルブを閉め気味にして、1回見ただけでは見抜けないような構造にしているところが面白いと思います。
 ……ああ、そうですね。高畑勲さんのバルブは逆に硬すぎて、俺でもシンドいです(笑)。

 兎にも角にも、『君の名は。』というのは、商品と作品という2つの部分を合わせ持ったまま出したので、
国民映画として成立したと思います。

 『シン・ゴジラ』で、「ゴジラの正体は、人間が変身したものだ」という設定を、いまだに徹底的に隠しているのと同じです。
これを隠すことによって、ゴジラが暴れるシーンというのに、映像的な快感を与えることに成功したわけですね。